海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

オリエンテーションの間に、広場で各部やサークルが勧誘をしてました。
体育会系各部はユニホーム姿でしたが、
【山岳部員】は学ラン姿で髪ヒゲ異様
入部したいと話すと、部室に連れて行かれました・・・・・
何とドアには、木の看板に墨で体育会山嶽部と書いてました。
色々な山の会があり、俺達が大学が認めた正式な部とのこと。
主将は福島飯坂出身の方で、ヒマラヤに登りたい旨を話し入部を依頼。
何と一年間は見習部員で、正部員は2年生から。
(翌年、学ランの襟に付ける純銀製部章を貰う)
それと、
今ネパールは登山禁止令で外国隊を受け入れてないとのこと・・・・
理由は、
①第二次印パ戦争中 ②中印国境紛争中 ③ダライラマ印度亡命中等々。
ネパールは、
インド・パキスタン・中国に囲まれた弱小王国で混乱してたのです・・・


結局、1965年から4年間禁止令が続き、
ヒマラヤは夢で終わりました・・・・・


 
部は、ヒマラヤを断念し、アラスカ遠征の計画があり、
荷造り発送(船便)も終わり隊員(OB3名・現役2名)の壮行会直前。
ランゲル山脈の主峰・ブラックバーン他の未踏峰登頂が目的でした。
セスナで氷河に降り、隊荷をベースまでソリで運ぶと言うスタイル、
話を聞くだけでワクワクです。
当時は、ヒマラヤが駄目と言う事で、
アラスカやアンデスの山を目指す隊が多かったのです。
 
遠征隊が出発し、
GWを挟んで10日間の新人錬成合宿が穂高でありました。
コースは島々駅から旧道を歩き、
徳本峠越えして岳沢定着雪渓訓練、のちに蝶ヶ岳から燕岳縦走。
上高地に直接入らず、
先人達が苦労して拓いた徳本峠からの入山でした・・・・


初めて峠から見た明神岳・・・
太平山以外に山を知らない小生が、一歩踏み出してしまったのです。

 
合宿の様子は次回に・・・・
 

古い山行ですが、冊子にしてたものをスキャンしてUPします。
見難いですが、お許しを・・・・
 
このルートは数年機会を伺ってました。
何度も阿弥陀小屋に泊まり、
山頂から東側に発生する巨大雪庇が落ちるのを待ちました。
それに標高が低いので、
取り付きに降りるにもある程度雪が締まる時期でないと無理です。
2月中の【厳冬期登攀】を狙ってましたが、天気・雪庇の具合で3月になりました。


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 小学6年の夏休み、地区の日帰り登山行事が有り、親に隠れて申し込んだ・・・
家に案内のパンフが届きバレて、大反対されたが何とかお願いして参加。
(そのころは体も弱く、風邪など流行と長期に学校を休んでたので・・・)
ズック靴にリュック・おにぎりに水筒程度の装備。
 
秋田市の最高峰太平山・奥岳1171m(野田ルート)へ、田圃沿いの砂利道を歩き、
林の中の急登は、木の根っ子に捕まりながら登った・・・
森林帯を抜けると【弟子還り】の岩場、張られた鎖に捕まり登り、やがて山頂。
市内が遙か下に見え、海までも~~ この時、山の魅力に取り憑かれたのかも・・・
 
数日は酷い筋肉痛で、ペンギン歩きの記憶が有る。
 
中学に入ると、担任が体育教師(当時100mの県記録保持者)で、陸上部を担当してた。
子供心に足腰を鍛えれば、筋肉痛に為る事は無いと思ったのだろう・・・
太平山登山の話をし、足腰を強くしたいと・・・なら、長距離だなッ と。
しかし部活をするには、親の承諾が必要で、説得するのに大変だった記憶が有る。
部活は、足に自身が有る奴の集まり、虚弱体質には辛かったが・・・
当時、中学生の種目は1500mが最長、毎日3000mは走った・・・お陰で、体が丈夫に。
 
高校へ。大館鳳鳴高校の岩木山冬山遭難事故が有り、登山禁止令。
隠れて、日曜日の野田行き一番バス(6時)に乗り、無雪期に年30回は登った。
12時頃に奥岳に着いてたのが、10時頃には到着出来る体力が備わった・・・
金山口⇔前岳⇔奥岳、皿見内口⇔奥岳等々、我が庭の如くに歩ける様になる。

足腰には自信が付き、“ヒマラヤに登りたい”と思うようになって・・・

3年の夏に【森谷製作所】を訪ね、
ピッケルを造ってくれと頼むも、相手にされず・・・
「忙しいからダメ」・・・鍛冶屋が本業で鍬、鎌、斧等造っていた。
小学生の頃、第一次南極観測が始まり、
南極で使うピッケルに森谷が選ばれたのを新聞で知ってたことを話し、
大学で山登りをして、ヒマラヤに登りたい事を話した。
どうにか卒業迄に、造って貰える話がついた・・・

身長に合わせて長さを決め、穴なしを依頼。(6000円、穴空きは7000円)
炭素鋼とニッケルクローム鋼が有ったが、低温に強い高い方のN鋼で。
月1000円の小遣いを倹約して、購入資金捻出。
当時、国産のトップ・エバニュー・ホープのピッケルは、5千円以下で販売、
シャルレ・シモン等の欧州物は、地方では目にする事が無かった・・・
上京して神田の〔さかいや〕で見たが、価格は高嶺の花。
 
3月、ピッケル完成、【akita moriya N4458】の刻印が。
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ピックからブレードのカーブが優雅、ブレードでの氷の切れ味も、
当時のウイリッシュ・シャルレ・シモン等と比べ遜色無しでした。
後に山嶽部時代に酷使したので、シャフト交換の際、全長も65cmに詰めて貰いました。
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これを持って、上京したのです。
山嶽部時代のことは、次回に・・・・
 

2014年5月11日
 
 
前回の北面の話をしたら、何としても行って見たいと言う山友を案内。
北面基部に至るルート ブッシュ帯3カ所の踏破を教えるつもりが・・・
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先行者有り
 
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北面基部でしばし眺めて、アイゼンなしなので登りを諦め、
北面を西側に大トラバース。
七五三掛から千蛇谷に降りた地点まで行ってしまった・・・
帰りは、大斜面を滑走。山友は来年に備えアイゼンを買うと言う・・・・
 
このあと、6月までスキー登山をしたが、
下部のブッシュ帯通過や、スプーンカットにレベルの低さを感じ板納め。
 

2014年4月20日
後生掛から焼山方面へ・・・八幡平山頂の予定が、着いて見ると雲の中・・・
標高の低い焼山に変更、温泉手前の一部除雪済みの駐車場へ。
 
岩手からの男女団体さんがスキー登山準備中でした~
彼らは律儀にも温泉裏の正規コースからの様子ですが、
取り付きが急なのでチョンボして、手前の沢から入山。
国見台直下で休んでたら、尾根伝いに団体さん登場・・・
国見台の右を巻き、ひと登りしたら毛氈峠です。
季節がらグサグサ雪。
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春だなぁ~西側の奥に森吉山が・・・
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南には、秋田駒ヶ岳が・・・・
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沢コースを滑って降り、車に着いて積み込みしてたら、団体さんも到着。
しばし談笑・・・この中の数名とは、GW中に2回も鳥海・祓川でお逢いしました。

2014年2月26日
今年2月26日の八甲田山行から始めます。
 
珍しく風が弱かったので、スキー縦走することに~~
始発に乗りロープウェー上駅から、赤倉岳を目指します。
樹氷帯をシール装着し登ります。


これから行く井戸岳・八甲田大岳方向。
こんなにいい天気なのに、後続者なし・・・ただ一人・・・
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赤倉岳山頂に着くと目に入るのが、この爆裂壁。
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稜線がバリバリに凍ってて、板を脱ぎアイゼンに履き替える時も有りますが、
今日は適度にシールが効く・・・井戸岳の噴火口の左を巻く。
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赤倉岳・井戸岳の鞍部から、高田大岳。
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八甲田大岳避難小屋で早い昼飯。八甲田大岳からは一人のスキートレース有り、
仙人岱経由らしい・・・
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酸ヶ湯に向かって・・・
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酸ヶ湯に着いたものの、
車はロープウェー駐車場にあり・・・・バスも夕方までなし・・・
板を担いでテクテク一時間半歩き、車へ・・・縦走より疲れた感じ。 
 
 

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