海彦・山彦の白秋日記

森吉山・1454m 樹氷原1月18日

パンフの中に、個人装備リストがありました。
アプローチでの装備、登山での装備です。
ピッケル・12本アイゼン・シットハーネス・カラビナ等は持ってますが、
ヘルメット・登行器(ユマールなど)・下降器(8環)は持ってません。
登行器・下降器は、頂上直下の80~100mが50~60度ほどの氷壁で、
その部分の登下降に使うとのことです。(学生時代はそんな道具は無かった)
 
ユマールと8環はネットで購入。
ユマールは右手用・左手用が有りますが、右が利き腕なので左手用を手配。
結構、間違ってる人がいます。
フィックスザイルにユマールをセットして登る時、
利き腕の右手にはピッケルを持ちます。
左手にはユマールです、
①ピッケルを前面に刺し、②アイゼンを運び、③ユマールを上に移動。
①②③の動きを、正しく連続して行い上部に進みます。
同時に動かすと、事故の元、両手・両足の4箇所で動いているのは常に1箇所で、
残り3箇所で体を支えています。岩登りも同じで3点支持と呼んでます。
 
ヘルメットは、学生時代の物が有りましたが、強度劣化を考え、
ホームセンターで工事用を購入しました。
えっ! と思う方が居ると思いますが、
学生時代にも工事用(JISマーク付)を使ってました。

市販されている登山用ヘルメット(外国製)には、
CEマーク=EU(欧州連合)安全基準適合マーク か 
UIAAマーク=国際アルピニスト協会連合安全基準適合マーク
が、付いてます。(ザイル・一部ピッケル・ハーネス等々にも・・・)
日本のJISマーク(日本工業規格)も、
材質面・強度面でCE・UIAAマークと大差ありません。
ドカヘル(工事用ヘルメット)は、見た目は今一ですが・・・・
そこで、ウレタンスプレーペイント(赤)で塗装しました。(^_^)
 
あと・・・ピッケルですが、
長短・ストレート・ベントシャフトを色々持ってますが、
どれを使うか悩みました・・・・
カンプのベントが軽くて使い良いのですが、
ヒマラヤ用に造って貰い学生時代に愛用した、〔森谷〕を選択しました。
今のヒマラヤに木製シャフト???と、思われますが・・・・
40年も経てからの、魂入れです。

イメージ 1

 
それと、後日に詳細案内が届き、
 
山野井泰史・妙子氏の同行決定 (@_@;)
一流のクライマーと登れるのです~
 
カトマンズで合流・ルクラ村(登山基地)で離隊らしい・・・・
 
 
 
 

2005年の秋のことですが・・・
 
ネットで、海外登山ツァーを探して見ると、トレッキング中心に山ほど有りました。
峠や丘から8千mを眺めるもの、お花畑巡り等々・・から、
ライト・エクスペディションまで。
 
ネパール・ヒマラヤに登るには、同国から事前に許可を貰う必要が有ります。
インド(ヒマラヤ)、パキスタン(カラコルム)等も許可制です。
何年に(春・秋)、どの山に、どのルートから登りたいと言う申請。
1ルートに登山隊が集中するのを防ぐ為が主な理由と、
通過ルートの村民の安定収入の為。
ネパールは大した産業も無く、観光で外貨を得ている国ですから登山客は歓迎です。
ヒマラヤ登山熱が高まるほどに、順番待ちが続き不評が出始めた為、
7千m以下でアプローチが整備された36座に限り、事前申請→許可を止めて
現地で入山料を払えば登れる仕組みにしました。
これが、ライト・エクスペディション(小遠征登山)と言うスタイルで、
今流行ってます。
 
2006年春に、27日間で、5806mと6189mに登るプランが有りました。
ネパール・クンブー地方のサガルマータ(エベレストのネパール名・意味 天空の頂)国立公園にある、
Pokalde峰とImjaーtse峰です。(両峰ともに登頂成功率は50%らしい・・・)
パンフを取り寄せ眺めていると、半年先の事ながら血が騒いできます・・・・
家族の了解を取り付け、参加申し込み!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

山に関して、なんか変だなぁ~~と思ってる事を。
まー、独断と偏見ですから、気にしないで下さい・・・
 
ザックのホルダーに逆さに装着して、
潅木帯で引っ掛かったりしてませんか~
ザック本体より長いピッケルを付けてる時、
頭が潜ったと思ったらピッケルが引っ掛かります。
40L位のザックなら確実ですよね。
ザックを背負ってから、
ピッケルをショルダーベルトと背中の間に斜めに差し込みます。
ブレードが外側を向くように、
ピックも片方のベルトに掛り落ちませんし、
どんな藪でも引っ掛かる事は有りません。
但し、ザックを降ろして休む時、
ピッケルを抜いてからザックを下ろす事。
そうしないとピッケルを落とします。
出発時は差し忘れ忘れなきように・・・
 
また、雪面でピッケルが必要な時は、頭の後ろに手を回し、
即取り出せるのでザックを降ろす手間が省けます。
 
「剣豪・小次郎スタイル」と呼んでるのは、小生だけですが・・・
でも、昔は皆こうしてました。
 
 
 

山に関して、なんか変だなぁ~~と思ってる事を。
まー、独断と偏見ですから、気にしないで下さい・・・
 
雨の日の、スパッツ。又の名をゲーターの使い方!
 
スパッツの始まりは、
山靴の足首から小石や砂が入るのを防ぐ為の物。
ショートが主流でした。
富士山の降りを体験した方は、良くご存知と思いますが、
無いと砂礫が痛いほど入ります。
 
時代が変わって、今ではロングスパッツが主流です。
無雪期はパンツ裾の泥汚れ防止の為、
積雪期はアイゼンの引っ掛け防止と雪進入防止の為です。
 
雨の日、合羽の上に装着してる人がほとんどですよねぇ~
ゴァだし防水だから・・なんて。
余程、合羽の裾が長くない限りは、
一日歩くと膝から入った雨が山靴の中が浸水します。
 
雨の日は、合羽の下にスパッツを着けるべきです。
山靴がイカレテない限り、靴下が汚れませんよー。
 
 
 
 
 

冬山合宿で卒論の最終チェック・・・こんな奴は未だに居ないでしょうねぇ~
吹雪の日は、前穂高岳北尾根5.6のコルに張ったテントの中で、
誤字脱字が無いか再読。
昼から飲む訳にもイカナイしぃ~
 
離京して、就職。連休・有給休暇など夢のまた夢・・・山が遠退くばかりです。
社会人の山の会に入会、同年代の仲間が出来、日帰り山行など楽しみました。
県体・山岳競技に出場が決まり、休暇願いを申請・・・
これがまたクダラナイ競技でした~~
体力・技量より、テントの張り方・内部の整理整頓・献立の栄養価などが審査対象。
まともなのは、天気図作成・読図くらいです。
コースにポイントがあり、通過が早過ぎても・遅過ぎてもマイナス点。
今も、国体や県体でこんな事してるんですかねぇ~
トレイルラン為るものが流行る一因かも・・・
 
やがて・・ヒマラヤが解禁になり、遠征計画あるとOB会から連絡が・・・・
なんと7千mの未踏を狙うと言う。期間3ヶ月、負担金80万。
金は何とかだが、3ヶ月も休めるかぁ?
さり気無く、上司の課長に相談・・・「まぁー、無理だべなぁ~」
なら、部長へ・・・「あぁ、課長から聞いでだ、辞めで行ぐよりネべナァー」
第一次の夢が尽きました。
 
その後もヒンズークシや南米、ヒマラヤ8千m超えの話が有ったのですが、
既に妻子のある身・・・・
家族にも話さず、第二・第三他の夢も尽きました・・・・
「よしっ 退職したら ヒマラヤさ行くどーーー」と為った訳です。
 
さて、退職です。
ヒマラヤに向けて、体力強化 ってジョギング程度に・・・
 
募集登山に格好のが有りましたよー。
 

 
 

無雪期縦走

秩父主稜線(単独) 雲取山→金峰山
 
北アルプス① 室堂→三田平→剣岳→五色ヶ原→薬師岳→黒部五郎岳→
       双六岳→槍ヶ岳→横尾→徳本峠→新島々
        (三田平定着・雪渓訓練・岩登り訓練後に縦走)

     ② 室堂→三田平→剣岳→五色ヶ原→平→針の木谷→船窪岳→
       双六岳→槍ヶ岳→横尾→徳本峠→新島々
        (三田平定着・雪渓訓練・岩登り訓練後に縦走)

     ③ 室堂→三田平→剣岳→五色ヶ原→平→東沢谷→水晶岳→
       双六岳→槍ヶ岳→横尾→徳本峠→新島々
        (三田平定着・雪渓訓練・岩登り訓練後に縦走)

     ④ 黒四ダム→内蔵助谷→ハシゴ谷乗越→三田平→五色ヶ原→
       平→上ノ廊下→雲ノ平→槍ヶ岳→徳本峠→新島々
        (三田平定着・雪渓訓練・岩登り訓練後に沢登り・縦走)

     ⑤ 高瀬川→湯俣→北鎌尾根P2→槍ヶ岳→横尾

                ⑥ 高瀬川→湯俣→北鎌沢→北鎌尾根上半→槍ヶ岳→横尾

 
無雪期岩登り

谷川岳  一ノ倉沢 烏帽子岩南稜
 
北岳   バットレス4尾根
 
前穂高岳 四峰正面 北条・新村ルート(涸沢から)
 
剣岳   八ッ峰六峰Dフェース 富大ルート~八ッ峰上半~剣岳(長次郎谷        
     から)
     チンネ左稜線(長次郎谷から)
     源次郎尾根Ⅰ峰Ⅱ峰→剣岳
      八ッ峰六峰A・B・Cフェース


残雪期岩登り

畳岩    岳沢→畳岩スラブ→奥穂高岳→天狗のコル→岳沢  
南稜    岳沢→奥穂高岳南稜→奥穂高岳→天狗のコル→岳沢

 
残雪期縦走

北アルプス①硫黄岳  高瀬川→湯俣→千丈沢→硫黄岳→赤岳→槍→横尾              

     ②穂高周辺 徳本峠→岳沢(雪訓)→常念岳→燕岳→合戦尾根

谷川岳  マチガ沢(雪訓)→武能岳→一ノ倉岳→谷川岳→西黒尾根

北岳   広河原→大樺沢(雪訓)→白根御池→北岳→八本歯→広河原


 
積雪期山行

富士山(4回) 富士吉田駅⇔浅間神社⇔馬返し⇔五合目定着(氷雪訓練)⇔山頂    
        
北アルプス① 中岳西尾根   新穂高⇔中岳西尾根⇔中岳⇔槍岳
        (極地法)
     ② 南岳西尾根   新穂高⇔南岳西尾根⇔南岳⇔槍・北穂高岳
        (極地法)
     ③ 涸沢岳西尾根  新穂高⇔涸沢岳西尾根⇔涸沢岳⇔奥穂・北穂
        (極地法)     

     ④ 明神岳西尾根  岳沢→明神岳西尾根→明神岳→前穂高岳→      
       (縦走)     奥穂→涸沢→横尾→岳沢
 
     ⑤ 西穂高岳主稜  上高地→西穂小屋・西穂→奥穂→涸沢岳→
       (縦走)     涸沢岳西尾根→新穂高
 
     ⑥ 前穂高岳北尾根 慶応尾根⇔前穂北尾根⇔前穂高⇔奥穂高
        (極地法)

主な山行を記しました。
 
山嶽部時代の個人的事故は2回。
中岳西尾根の森林帯を登ってた時に、小規模な新雪雪崩に遭遇、
立ったまま5メートルほど流されました。
雪崩はすぐに止まりましたが、
腰まで埋まり上からの雪圧でカンジキが抜けません。
掘り出して貰って脱出・・・・
 
北穂高の稜線をスタカットで歩いてた時に、
アイゼンを引っ掛けて滝谷に転落。
ピッケルシャフトを軸にした、クリップビレィで止めて貰いました。
40m目一杯で・・・ブーリン結びだったので腹への衝撃大でした。
ノーザイルならアウトでしたし、
コンテで行動してたら相手も巻き込む処でした。
この時は山を辞めようと、真剣に思いました・・・・
 
 
 
 

岳沢にBCを張り、雪渓歩行訓練。 ピッケルを使い◇型に斜登・斜降の繰り返し、
山足・谷足の使い方を飽きるほど・・・ピッケルの差し位置等・・・
滑落停止も、前転含め飽きるほど・・・びしょ濡れ・・・
ひと通り出来る様になると、
ザイルを結びスタカット・コンティニアスでの登攀方法、滑落時の制動方法。
4日間も朝から夕方まで・・目から鱗でした。
 
雪渓訓練が終わり、いよいよ蝶から燕まで縦走です。
一年生のキスリング重量は60キロ(バネ秤で計量)、二年は40キロ(目測)
三年生は20キロ(私物+ザイル2本程度)、四年生は10キロ以下(私物のみ)
一年奴隷、四年天皇と言われてましたが・・・意味が有ったです。
何で60キロなのか・・・
①仲間が事故で歩けなく為った時、
 背負って下ろす体力。(仲間や他人の救助で経験あり)
②冬山での歩荷力の為。(15~20キロ梱包を2箱担ぐ+ラッセル)
 60キロ担いで歩くのは、死ぬほど苦しいものです・・・・
 
初日は岳沢から徳沢、2日目は徳沢から常念越えの予定が常念手前、
3日目は大天井、4日目は燕まで、5日目は合戦尾根の下り。
小屋泊なら、中1日で歩けるコースですが・・・・
 
当時、大学山岳部の【しごき事件】が多発してました・・・
一年生5人が入部したが、残ったのは2人・・・
朝、歩き始めて最初の一時間が、【しごき】に遭うかどうかの分岐点なんです・・・
冬用テントは当時既製品が無く、高価な特注で作ってましたから、
やたら部員が増えてもテントが・・・なんて・・・
 
年間合宿は、100日程度で
新人錬成合宿    GW前後に7日~10日

夏山合宿      3週間程度(剣沢定着で1週間岩登り訓練、上高地まで縦走)

冬山・春山偵察合宿 紅葉が落ちてから、冬・春に予定のコース下見(フィックス量等)
  
富士山合宿     11月末~12月初め1週間程度、アイゼン歩行・滑落停止・
          ザイルワーク・耐風姿勢訓練。山頂アタック。

冬山合宿      12月中旬~1月中旬。槍・穂高周辺で、
          極地法登山(ポーラメソッド)BC→CⅠ→AC展開と荷捌き法。
 
春山合宿      3月上旬から3週間ほど。ラッシュタスティックスや放射登山
 
その他、個人山行は許可制で随時可能。
山漬けの4年間でしたが、ヒマラヤへの体力・技術養成の為・・・
 
おもいで・・・
立山でヒラリー卿に遭遇握手、講演でガストン・レビュファと握手・著書にサイン。
いつの日か解禁になったらと、ヒマラヤ見参を夢見てました・・・
 
 
 
 
 

オリエンテーションの間に、広場で各部やサークルが勧誘をしてました。
体育会系各部はユニホーム姿でしたが、
【山岳部員】は学ラン姿で髪ヒゲ異様
入部したいと話すと、部室に連れて行かれました・・・・・
何とドアには、木の看板に墨で体育会山嶽部と書いてました。
色々な山の会があり、俺達が大学が認めた正式な部とのこと。
主将は福島飯坂出身の方で、ヒマラヤに登りたい旨を話し入部を依頼。
何と一年間は見習部員で、正部員は2年生から。
(翌年、学ランの襟に付ける純銀製部章を貰う)
それと、
今ネパールは登山禁止令で外国隊を受け入れてないとのこと・・・・
理由は、
①第二次印パ戦争中 ②中印国境紛争中 ③ダライラマ印度亡命中等々。
ネパールは、
インド・パキスタン・中国に囲まれた弱小王国で混乱してたのです・・・


結局、1965年から4年間禁止令が続き、
ヒマラヤは夢で終わりました・・・・・


 
部は、ヒマラヤを断念し、アラスカ遠征の計画があり、
荷造り発送(船便)も終わり隊員(OB3名・現役2名)の壮行会直前。
ランゲル山脈の主峰・ブラックバーン他の未踏峰登頂が目的でした。
セスナで氷河に降り、隊荷をベースまでソリで運ぶと言うスタイル、
話を聞くだけでワクワクです。
当時は、ヒマラヤが駄目と言う事で、
アラスカやアンデスの山を目指す隊が多かったのです。
 
遠征隊が出発し、
GWを挟んで10日間の新人錬成合宿が穂高でありました。
コースは島々駅から旧道を歩き、
徳本峠越えして岳沢定着雪渓訓練、のちに蝶ヶ岳から燕岳縦走。
上高地に直接入らず、
先人達が苦労して拓いた徳本峠からの入山でした・・・・


初めて峠から見た明神岳・・・
太平山以外に山を知らない小生が、一歩踏み出してしまったのです。

 
合宿の様子は次回に・・・・
 

古い山行ですが、冊子にしてたものをスキャンしてUPします。
見難いですが、お許しを・・・・
 
このルートは数年機会を伺ってました。
何度も阿弥陀小屋に泊まり、
山頂から東側に発生する巨大雪庇が落ちるのを待ちました。
それに標高が低いので、
取り付きに降りるにもある程度雪が締まる時期でないと無理です。
2月中の【厳冬期登攀】を狙ってましたが、天気・雪庇の具合で3月になりました。


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小学6年の夏、地区の日帰り登山行事があり、親に隠れて申し込み。
案内パンフが届きバレたが、なんとかお願いして参加。
(そのころは体も丈夫でなく、風邪など流行と長期に休んでたので・・・)
ズック靴にリュック、ダマ(おにぎりのこと)に水筒。
 
太平山・奥岳1171m(野田ルート)へ、田圃沿いの砂利道を歩き、
林の中の急登は木の根っ子に捕まりながら登った・・・
森林帯を抜けると【弟子還り】の岩場、やがて山頂。
街が遙か下に見え、海までも~~山の魅力に取り憑かれたのかも~~
 
数日は酷い筋肉痛で、ペンギン歩きの記憶あり。
 
中学に入りると、
担任が体育教師(当時100mの県記録保持者)で陸上部を担当してた。
太平登山の話をし、
足を強くしたいと・・・なら、長距離だなっ と言うことで入部。
当時、中学生の種目は1500mが最長、毎日3000mは走った・・・
お陰で丈夫に。
 
高校へ。大館鳳鳴高の岩木山遭難があり、山禁止令。
隠れて、日曜日の野田行き一番バス(6時)に乗り、無雪期に年30回は登った。
12時頃に奥岳に着いてたのが、10時頃には到着・・・
金山口→前岳→奥岳、皿見内口→奥岳等々、我が庭の如くに。。。
その頃は仁別側のルートは旭又口より無く、降りたら藤倉の集落まで、
トロッコ道を延々と歩かなければバスに乗れなかった・・・
枕木と歩幅が合わず大変な思いをした記憶あり。
足腰には自信が付き、“ヒマラヤに登りたい”と思うようになって・・・

3年の夏に【森谷製作所】を訪ね、
ピッケルを造ってくれと頼むも、相手にされず・・・
「忙しいからダメ」・・・鍛冶屋が本業で鍬、鎌、斧等造っていた。
小学生の頃、第一次南極観測が始まり、
南極で使うピッケルに森谷が選ばれたのを新聞で知ってたことを話し、
大学で山登りをしてヒマラヤに登りたいことも話した。
やっと、卒業迄に造ってくれることに~~

身長に合わせて長さを決め、穴なしを依頼。(6000円、穴ありは7000円)
炭素鋼とニッケルクローム鋼が有ったが、高い方のN鋼で。
月1000円の小遣いを倹約して購入資金捻出。
当時、国産のトップ・エバニュー・ホープのピッケルは、5千円以下で販売、
シャルレ・シモン等の欧州物は、地方では目にする事が無かった・・・
上京して神田の〔さかいや〕で見たが、価格は高嶺の花。
 
3月、ピッケル完成、【akita moriya N4458】の刻印が。
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ピックからブレードのカーブが優雅、ブレードでの氷の切れも、
当時ウイリッシュ・シャルレ・シモン等以上でした。

山嶽部時代に酷使したのでシャフト交換の際、全長も65㎝に詰めて貰いました。
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これを持って、上京したのです。
山嶽部時代のことは、次回に・・・・
 
 
 
 

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