海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2015年06月

冬期田代岳の新ルート模索中です。

冬期の田代岳へのルートは、一般的に黄色青色のルートが使われてます。

黄色ルート 大広手からロケット実験場への道路を進み、
      金堀沢の標識が付いたカーブミラーの処から尾根に取り付きます。
      尾根筋を登って往くと右手に実験場が望まれます。
      左手の杉林が終わった地点から、約90度進路を南に取ると、
      ブナ林の広い尾根が続きます。
      高層湿原手前からは、岳樺の植生に変り、
      湿原に出ると山頂ドームが目に入ります。
      このルートは林の中を進むので、湿原に出るまでは風の影響なし。

青色ルート 大広手から左に見える杉林を抜け、尾根に出ます。
      忠実に尾根を登ると、湿原に出ます。
      スキーでの降りは、最後の杉林を避け、尾根筋を滑り込むと、
      道路に出れますが背丈程の落差の雪壁有り。

緑色ルート 大広手から沢筋を登り、杉林を抜けるとブナ林に変ります。
(直登ルート)左右共に視界が効かず、急斜面をジグ切って登ります。
      中間地点の750~900mの間は、
      スキーの場合、斜度も有り浮遊感の味わえるルート。
                  樹林の密度が濃く、日差しが当らないので、常に新雪が味わえます。
      シューやカンジキでは、雪が深過ぎてお勧め出来ません。      
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模索中のルートは

赤色ルート 高層湿原から東に伸びるヤセ尾根が、青色ルートから見えます。
      ここを冬期に登り降りした、と言う話は聞いた事が有りません・・・
      地図上には、崩壊マークが記されてますが・・・
      スキーで通過出来るのか?
      900m付近から下は、スキー登行・滑走が可能のようです。
      
冬期の課題に・・・と、思ってます。
選択肢としては、①隣の青色ルートから登り、
         板を背負って900m地点迄降り、滑り込む。
        ②626mピークの右から取り付き、
         900m付近まではシール登行、板をデポして、
         カンジキを使い高層湿原を目指す。

②が、正統派の様な気がしますが、冬までの間 じっくり考えたいと思います。



      

      

6月1日から発掘作業開始。

私が担当した区画の中から、平安時代の住居跡が3軒出土。
表面の黒土約30cm~40cmを削って行くと、住居跡が現れます。
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もう1軒
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3軒が並んで建ってます。
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他の区画の住居跡、発掘調査範囲に跨って発見されました。
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丸い柱を建てた跡が数箇所と、奥に住居跡。
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カマド跡も発見されました。褐色の灰が堆積してます・・・
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黒土を削って行くと、土師器が現れました・・・
この土間が当時の床面。
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ラーメン丼より一回り小さい器
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手ロクロで土師器を作ったことが判ります。
器の底には指の跡、ロクロから切り離すのに、糸を使った跡が残ってます。
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割れてない完全品、手ロクロ跡がハッキリと・・・
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カマド跡、灰が堆積してます
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このあと、床面の柱跡を探す為に更に堀進みます。
同時に、灰の断面を調べます・・・・


6月7日、鳥海山 矢島口の祓川から、夏スキー登山をして来ました。
前日の土曜日、3時に家を出発。
山まで4時間もの運転は疲れるし、時間は有り余ってるので、遠距離は前日発。
夜のローソク点てた一人宴会も魅力かも・・

祓川に着いて、残照の鳥海を撮ろうとしたら、デジカメの電池切れ・・・
そろそろと思い、途中のコンビニで買う積もりが忘れました(>_<)
なので、今回は画像なしです・・・・

駐車場は、5月の人気は無く、ガラガラですでした・・・
雪の状況を、T氏に伝えると明日来るとのこと。
今日登ったであろう方は、帰ってしまい状況を聴けず・・・
眺めて見た感じでは、舎利下・氷の薬師からの左上ルート・七ッ釜小屋付近は、
雪が切れてます。
5月24日の時には、何とか繋がってたので当然ですが、
雪解けが進んでます・・・

翌朝、T氏と9時出発。
吸血ブヨ対策は、来る途中のドラッグストアで聞くと、
子供用で服に張る虫除けシールが使い勝手が良いとの事で、24枚入り338円。

右・アース製薬 虫よけパッチ 
左・富山 五洲薬品 水分、電解質補給水 脱水に寄る、攣り、痙攣予防。
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手袋はしてるので、首の後ろと顎下の襟に各一枚を張りました・・・
雪渓上に出ると、ブヨが寄って来ましたが、目の前50cm辺りを飛ぶだけで、
刺される事なしでした。
絶大な効果です、スプレーや線香やネットも過去試しましたが、
孫が夏に張ってた クマのプーさんシール が、こんなに効くとは・・・

板を背負って神社裏の急斜面の雪渓を登り、夏道伝いに賽の河原へ。
兼用靴では、雪渓も階段状の夏道も歩き難いし、板が枝に引っ掛かり仰け反る。

賽の河原からは、シール登行・・・T氏のスピードに引張られ、
七ッ釜小屋まで1時間、雪が切れてましたが小屋上の斜面5mを板のまま突破。
薄いガスが流れ、日が陰ると気持ちが良いが、カンカン照りに辟易・・・
T氏に先行する様伝え、マイペースで・・・

氷の薬師の岩下で、ザックを降ろして休憩。
OS-1ゼリー を摂取してると、由利工業高・野球部の団体がスニーカーで(@_@;)
50人位の部員が、正対して チワ・チワ と挨拶されるのには参ったが、
若者は元気でいいなぁ~と思った・・・
「野球部が何で山へ?」 と聞くと、「訓練です」との返事。
今と秋に毎年恒例だとか・・・
「メッチャ面白レー」とか「練習よりキッェー」等ワイワイ・ガヤガヤである。
この辺りの高校の校歌には、霊峰・鳥海とか秀峰・鳥海で謳われてるはず・・・

一団が通過して、舎利坂下に向かう登山道は、雪が切れ板を背負わねば・・・
時間は11時半、早朝登った方が降りて来る。
ロボット歩きが嫌なので、山頂は中止にし、正面の沢の雪渓を詰める・・・
ここだけ縦溝が無く、幅15mほどの急斜面です。
100mほど登ると3 mの小滝にが現れ行き止まり、
滝の上にも七高尾根(康新道)方向に雪渓が続いていて、
早い時期ならダイレクトに滑れるかも・・・

3回滑って、T氏の帰りを待つ間に昼飯、雲が沸いては消え、まるで夏山風情。
T氏も板を曳き登り滑走、いい処を見つけた・・・

帰りは、登ったルートを辿る、縦溝ガタガタで跳ねながら滑ってる感じ・・・
膝で調子を取るので太腿パンパン、疲れ果てて祓川へ。

これで今季のスキー登山が終わりました・・・
11月中旬、八幡平ブナ森スキー場に降雪が有るまで・・・

春スキー登山の総括として
一番いい時期のGWに、滑走面に付着するブナ花粉が大量に飛び、
よく往く各山々で悲惨な目に合いました。
20年に一度の大量飛散、と言う話も有るくらいでした・・・
秋にブナの実が豊作で、熊が増えるのが心配です・・・







2006年春季に、ネパール・クンブー地区で、約ひと月の予定で、
ポカルデ5800m峰&イムジャッエ6200m峰を登りました。
その時に、南方向に見えた真っ白の山・メラ山塊を次の目標にしました。

2010年秋季に、メラ中央峰6600mに登り、
わずか400mの高度差が、如何に苦しいか実感しました。

次の目標は・・・
年齢・脚力・肺活量(主に健康状態が問題です)を考えて、
憧れのカラコルム山脈に設定。
名だたるバルトロ氷河・長さ70キロ・幅3キロ歩き、
K2・ブロードピーク・ガッシャーブルム山塊等の8千m峰、
チョゴリザ・マッシャーブルム等の7千m峰・ドラゴン岩峰群などこの眼で観たい。

バルトロ氷河全景
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コンコルディアからの K2   左奥はエンジェル峰 6857m
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問題は資金・・・(遊ぶ金は、自分で稼げと言うのが我家財務大臣の掟)
過去2回のヒマラヤ山行は、県埋蔵文化財センターの発掘調査の作業員として、
延べ100日近く土方をしてのバイト代を充当。翌年、山行してました。

縄文時代の土器・石器には、中学で日本史を習った頃から興味があり、
其れの実現が出来て、尚且つ金が貰える、こんな美味い話は有りません・・・
炎天下の土堀りや土運びは疲れますが、なまった体力強化にも為ります。

幸い車で15分の処で、6月1日から延べ108日間に亘り発掘調査が有る事を、
埋文センターのHPで知り、ハロワ―クに作業員募集が出たら電話貰える様に依頼。
今は、こんなお願いが出来る時代です~
事前に履歴書を書いておき、ハロワの紹介状を同封して送付。

今日で労働4日目、指関節と腰に違和感有るも、半月位で慣れるはず・・・
普段使ってない筋肉痛です。
4人一組の作業ですが既に、
8百年~千年前の奈良・平安時代の住居跡2棟発見・須恵器片やカマド跡も~
明日一日頑張れば、土日休み、体調が良ければ鳥海山夏スキー予定です~

発掘調査の概要を後日記載します。


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