海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2015年07月

今日は発掘調査が休みで、PCで遊んでたら、竹内氏の記事を見つけました。

〝未踏峰〟この3文字は、山登りを始めてからずーーっと憧れ~
この歳になっても、何と心躍る文字でしょうか~~

。。。。。。。。。。。。。。。。

記事を要約すると、
竹内氏がこの山の存在を知り調べるも、
北面から無許可で登頂を試みた者(ポーランド人)が居た以外は不明だったそう・・・
ネパール政府の登山解禁310座のリストに無く、当然登れない山です。

観光局が、新規に未踏峰を解禁する噂の中に含まれるのかも判明せず・・・
2014年の2月に偵察山行をしたとか・・・

2014年5月に観光局が、新たに104座の解禁を発表。
その中に マランフラン6573m が在り、即登山許可を取得したとか・・・

2014年10月にマナスル登頂後で、高度順応も出来てるし・・と向かった。
4900mにBC 5200mにABC 5400mにC1設置。
ワンビバーク覚悟でアタックするも、5900mで時間切れ撤退・・・

竹内氏は、次回はタクティクスを組み立て直し、更にHCを設置して挑むと・・・

。。。。。。。。。。。。。。。。。

これを読んで思った・・・
あの竹内氏が、未踏峰で情報無しとは言え、
たかが6600でこんなに手古摺るものかと・・・
BC→ABC間が300m、ABC→C1間が200mより有りません、
キャンプ間が標高差で、200とか300なんて信じられません・・・
次回は、更にHCまで設置して登るとは・・・・

未踏峰ゆえ、資料が無く登攀ルートやキャンプ位置に大変苦労したのは判ります。
戦後の大学山学部や、高度成長期の社会人山岳会が、
ヒマラヤ未踏峰を目指し、偵察・試登を繰り返し、敗退⇒栄光を掴んだものです。
彼は今、それをしようとしています。
彼は、そんな時代を思い、今自分がしてるのは〝探検ごっこ〟と表現してます。
巨峰14座完登者と言えども、既存ルートからの登頂が13座。
何処がどう為ってるか? 資料が全て有るのです・・・
そんな意味で、14座完登を余り評価してませんでした・・・(無酸素登頂は評価)
寧ろ、山野井氏の山行スタイルを評価してます。

山嶽部時代を思い出しました・・・・
当時、槍・穂高は長野県側からの記録が多く、
岐阜県側からの記録が少なかったのです。
そこで、飛騨側研究を・・・と、リーダー会で決定。
降雪までに偵察山行を終え、キャンプ予定地・FIXザイルの量を決めて、
冬山・春山の合宿を組んだものです・・・
3000mとは言え、知らないルートから一気に登るのは難しいです。
在部期間に、全ての飛騨側(西穂西尾根から槍西鎌尾根間)からの、
登山は出来ませんでしたが、心躍る思いが有りました・・・

この マランフラン6573m が気になり調べました。
●マカルー・バルン国立公園エリア内に在る
●アマダブラムから見える
この2点の情報で、マカルーやバルンッエの傍に在ると思い込み、
ネパール政府発行の1/5万地形図で調べましたが、見当たらず・・・
諦めかけて、アマダブラム周辺を見たら、何と真南5キロに在りました・・・
マランフランから更に、
11キロ南下すると、2010年秋に登ったメラ中央峰が・・・・
イメージ 1

カンティガやキャシャールの鋭鋒も西に在ります。
2010年秋にメラ中央峰を登った時、
アマダブラムやエベレスト方向(北側)撮った写真が有るはず・・・
探すと、三枚有りました~~画面左に、三角峰が3座映ってます。
これの右側の白い三角峰が、2本の氷河の位置からしても、
地図上の マランフラン6573m に違い有りません。

アプローチは、メラBCのカーレ手前から、
左側の谷に入り氷河湖の有るモレーン帯(画像・褐色の谷)を進み、
右のハンク・シャール氷河に入る。
左からの降りる2本の氷河を巻いた処が、BCと思われます。
以後、この岩稜(地形図に赤線)を登攀して登頂かと・・・
赤丸印が、マランフラン  赤ラインを試登。
イメージ 2

2010年秋にカーレBC(5100m)から撮った、マランフラン峰
  全体がマランフランだが、セントラル・ピークは   ↓
イメージ 4

メラ峰ハイキャンプ(5,700m)から撮ったマランフラン峰
                        
イメージ 5


彼の撮った マランフランの画像です。
左の岩稜を5900m(雪稜の手前の小ピーク)まで登って、後700m残して撤退、
彼は、この岩稜を剣岳のようだと表現しています・・・八ッ峰でしょうか・・・
イメージ 3
試登した岩稜ライン

この秋にも再挑戦するかも知れません、ワクワクしながら吉報を待ちたいと思ってます。

追記 10月4日
竹内氏のHPでは、次回挑戦時期は未定と為ってます。
アプローチが比較的いいし、氏の試登情報も流れ、必要装備の目安が立つので、
来春には誰かに登られそうな感じがします。

追記 11月16日
マランフランの記事にアクセスが多いので、判り易い様に画像に赤ラインを入れました。


6月1日から始めた資金稼ぎも、2ヶ月に為ろうとしてます。
6月分の土方代で、何とか現行成田⇔イスラマバード間のチケット代確保。

空梅雨で連日の猛暑、日陰のない平場での土方業は疲労度倍加。
でも、興味深いことが有りました・・・

30~40cmに堆積してる黒土を剥ぐと、
太古の火山灰層(軽石を含む)が現れました・・・
この黄色い地層は、1万6千年前の噴火により降り積もったものとか・・・
更に幅2m・深さ60cmほど掘ると、
火山灰層の中に、当時自生してて噴火の爆風か? 
火砕流でなぎ倒された木? が現れました。

このピットでは、直径50cmほどの木と10cmほどの木が・・・
イメージ 1

このピットでは、4本の木が朽ちてますが痕跡がはっきり判ります。
イメージ 2


イメージ 3
このピットでは、倒木痕の断面が確認出来ます。
イメージ 4

どのピットも幅2mで南北に掘ってますが、
斜め45度で倒れた木の痕跡が有ります。
南東か北西の方向から、火山の爆風か? 火砕流か? が、原因で倒れたらしい・・・
その後、火山灰が60cmほど積もったことになります。

考古学と言うよりは、地学に近い領域ですが・・・
今後、この倒木痕の前後を堀って、上手く根っ子部分なり、
枝の部分が見つかれば、どの方向からの風圧で倒れたことが判明するらしい。

地形図上では、この倒木の延長上に、
北西には田代岳・南西には八幡平焼山が有ります。

倒木痕には一部焼けて炭化した部分があり、
サンプルを 放射線炭素14の年代測定をすれば、
その木が生えていた年代が判明するそうです・・・・

何ともロマンの有る話・・・

前回〔冬期・田代岳新ルート模索中〕の記載をしましたが・・・
このルートの記録が無いものかと、田代岳を検索中に、意外な記述を発見しました。

1965年(昭和40年)12月1日発行 あきた(通巻43号・全64ページ) の中に、
2ページにわたり「ふるさとの山」と題して田代岳が紹介されてました。
筆者は、田代町役場広報係 石川良一氏です。

氏の紹介文の冒頭に、
田代岳は、鳥海火山脈に属するトロイデ型(釣鐘型)の休火山である。と、記述。
九合目の高層湿原に、山小屋設置の計画が有るとも記述してます。
更に、高層湿原の名称を 神の田 と記述してます。


休火山?これには、驚きました・・・
山容からしても、確かに山頂はドーム状ですが・・
火山の件は、後に記します。

登山コースの紹介と概念図が有りました。
当時、利用されてたのが、
①大野口(薄市沢) ②荒沢口 ③板沢口 ④マンタ平口 の4コースです。
(現在一番利用されている、大広手口コースの記述が有りません。
昭和40年頃は、まだ大広手からの道は無かったものと思われます。)

①薄市沢までは、当時から林道が有ったらしく、
大野部落から木材運搬のトラックに便乗して、3合目の登山口に至る。と記述。

②④コースについては、越山部落から大淵岱部落(現在は山瀬ダム湖に埋没)まで歩き、そこから旧森林軌道跡(トロッコ道)を歩き登山口に至る。と記述。

③コースについては、大淵岱部落の手前から、板沢林道に入る。と記述。

(各コースの詳細ですが・・・薄市沢・荒沢コースは、現存してるので割愛しますが、板沢・マンタ平コースは、現在廃道と為ってます。)

〔板沢コース〕の紹介文
大淵岱部落の手前から板沢林道に入る。
途中左に平滝開拓を見ながら赤倉鉱山跡を通り、稜線に出る。
ここでマンタ平口からの道と合流し、展望がきき楽しめるコースである。

〔マンタ平コース〕の紹介文
大淵岱から割沢まで旧森林軌道跡を通り、ここからマンタ平を通って、
標高880mの稜線に出る。
ここで板沢口からの道と合流し、
展望のきく稜線づたいに登ると左下に赤倉鉱山(廃山)の赤い地肌が、
栄えた昔の面影もなく見える。
鉱山の赤土が見えなくなる頃から、急な痩尾根となり最大難所にかかる。
この難所を30分辛抱すれば、急に眼前がひらけて、九合目湿原である。
このコースは、山頂からマンタ平までスキーツアーコースとしても楽しめる。

(昭和40年代に既にスキーコースとして使われてたようです。今回の新ルート模索では、地形図の1006mピーク下の1000mから派生する2本の尾根を登・下降路の対象として考えています。)

板沢からのコースを現在の地形図で見ると、
板沢から標高650mまでは実線で表記されてますが、
その先880mでマンタ平からのコースと合流する道の表記が有りません。
鉱山跡の表記もなく、そこと思われる地点一帯には崩壊マークが表記されてます。

マンタ平からのコースは、現在の地形図に破線で表記されてます。
割沢とは、マンタ平と思われる緩斜面一帯の西側の沢と思います。
しかし、ネット検索中に見た九合目分岐点標柱画像には、
マンタ岱→廃道 と有ります。
(実は無雪期に田代岳に登った事が無いので、この標柱の存在は知りませんでした。)
マンタ平でなく、マンタ岱との表記。
標柱の設置者は、田代ライオンズクラブ。
昭和40年以降に大広手コースが出来てから、
利用されず廃道に為ったものと思われます。

マンタ平コースを赤色で、板沢コースを黒色で、作図してみました。
板沢コースの点線部分は、標高880mでマンタ平コースと合流と記述されてたので、
想像で880mに至る様に作図しました。
火山だった頃の噴火口・爆裂口も入れてみました・・・
イメージ 1

赤倉鉱山は、図中の赤倉爆裂口(赤破線丸内)の板沢コース上の、
何処かに有ったと思われます。


赤倉鉱山については、 
閉山となった鉱山 越山地域まちづくり協議会 が記述した資料を見つけましたので、
以下添付します。

イメージ 2
上記の資料によると、昭和初期にはここで300人超が暮らし、
小学校の分校も有ったようです。



次の話に進みます・・・・

田代岳 火山説について

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 火山研究部門の研究データの中に、
第四紀火山 に関した資料が有りました。
第四紀火山とは、180万年から現在迄に出来た火山を指すそうで・・・
田代岳は60万年前以降に出来た火山だそうです。

この第四紀火山の一番古い山が、何と槍ヶ岳・穂高連峰と剣岳とか・・・
180万年から170万年前に形成され、その後山体の大半は侵食で失われ、
現在の見えてる部分は火山の芯の部分だそうです。

イメージ 3
この図が、第四紀火山の表示ですが、
東北地方の火山は、Dの何番という管理のようです。
この番号毎に詳細なデータが記載されています。
因みに、田代岳はD16と表示されてます。


・・・・・・・・・・

ちょっと一息、近辺の山の古い順

八幡平火山群 D22   120万年前以降に形成

南八甲田火山群 D09  110万年前~30万年前に形成

森吉山 D25   110万年前~70万年前に形成

月山 D49   90万年前~30万年前に形成

岩手山 D31   70万年前以降に形成

岩木山 D15   65万年前以降に形成

鳥海山 D39   60万年前以降に形成 1801年享和ヶ岳(現・新山)誕生

北八甲田火山群 D10   40万年前以降に形成

秋田駒ヶ岳 D29   10万年前より新しい



侵食されて、なだらかな山容の山が、古い時代からの山のようです。
鳥海・新山ドームは江戸時代に当時の年号から、享和ヶ岳と呼ばれていたようです。


・・・・・・・・・・


日本火山学会の研究論文中に、秋田県北部田代岳の地質 と題した、
秋田大学・鉱山学部(現 国際資源学部)の阿部泰久・山元正継氏の論文を見付けました。1988年発表の論文です。
イメージ 4

専門用語でよく判りませんが、左下の図で、田代岳が形成された様子が判ります。
要約すると、形成過程が3つのステージに分かれてます。

ステージⅠ 水中で火山活動開始→湖成層堆積→湖水減少
ステージⅡ 主要山体形成期
ステージⅢ 中央火口溶岩噴出→マンタ平側噴火→田代岳溶岩円頂丘→赤倉爆裂
                       ↓         ↓
                       溶岩円頂丘崩壊  硫気活動
         ↓           
                       北部岩屑流

当時(60万年前以降)田代岳の辺りは、湖だったようです。
関係ないのかも知れませんが、
田代岳から南西に25キロ程離れた北秋田市・前山地区を通る国道7号の旧前山トンネル付近に、二枚貝の化石が沢山含まれた層が有ります。
田代も湖底だったとしても不思議では有りません・・・

この論文には、地図が無いので、ステージⅢを時系列で想像するに・・・

中央火口溶岩噴出・・・中央火口とは、現在の高層湿原がその場所ではないのか?
                                爆発ではないので、現在の地形図に崩壊記号がない・・
           火口壁の侵食で、土砂が火口を埋め現在の湿原が出来た・・

マンタ平側噴火・・・・九合目湿原の東側に、ほぼ円形の崩壊地形が地形図に有り。
           この崩壊場所が噴火口跡と思われる。

溶岩円頂丘・・・・・・現在の山頂ドームを指す。
           しかし、地形図では北部に崩壊を示すものは無い・・・

赤倉爆裂・硫気活動・・赤倉沢上部に、やや丸い崩壊跡が有り、これが爆裂跡。
                                硫気活動で硫黄が溜まり、後に赤倉鉱山として採掘された。
            
       
田代岳について、暇暇に調べた資料を、一纏めにしました。
60万年前の誕生から、昭和40年代の様子、中々面白い歴史?の山と思いました。
役場の石川氏の田代岳紹介文の中に、白髭大神の記載も有りましたが、
省略いたします。











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