海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2016年04月

4月27日
路線バスを使って、八幡平でスキー遊び。

その前に、GWには鳥海・月山の予定なので、野良仕事も完了です。
24日は、八甲田でスキー遊び。25日・26日で畑の準備。
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25日の朝、耕運機の始動を試みたものの、エンジン掛からす・・・
秋野菜を植え付けの為に使った以来、車庫に放置ですから・・・
原因は、ガソリンの劣化で点火せず、予想通り。

消石灰の買出し序でに、スタンドに寄り3L購入。
古いガスを抜き、2.5L満タンにすると、一発起動です。

土壌消毒と中和で、消石灰1.5袋 30kを撒いて耕運機で攪拌、一日寝かします。
この日は縦横2回掛けして、残りの時間は庭の黒松と五葉松の剪定。
梯子を掛けての作業、ボサボサがスッキリです。

26日は、鶏糞ペレットを30k撒いて、再度耕運機で・・・
鶏糞は、効きが強いので、植え付ける前に施肥しないと駄目とか・・・
これで植え付け前の作業は済み、後はGW明け頃の、遅霜の心配が無く為った頃に、
畝立てし夏野菜の植え付け。

。。。。。。。。。。。。。。。。


さて、今日(27日)も良い天気です。
八幡平山頂行きの路線バスが、蒸の湯展望台を通るのが11時過ぎです。
10時前に家を出て、展望台駐車場でバス待ち、
何と彩雲が・・・それを突っ切る飛行機雲も・・・天気が崩れる気配・・・
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車窓から見える雪の量も、4月16日と変わらず豊富です。
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山頂バス停から、八幡平山頂へは緩い登りで30分ほど・・・
16日とは少し違う、鏡沼の縁を通るコースを選択。
沼はまだ雪の下でした・・・

昨年の5月4日の鏡沼の画像  神秘的です。
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鏡沼のパノラマ画像
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鏡沼の北隣にある小沼は、解け始めてます。地熱が高いのかも・・・
どちらも、噴火口に水が溜まり出来た沼です。
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沼からのパノラマ展望
  岩手山↓       大深岳↓    乳頭山↓モッコ岳↓↓秋田駒ヶ岳
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八幡平山頂の展望台と、スキーツァー用300番標識が見えて・・・
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雪の量は16日と変わりません、この山頂標識は5mの長さですから・・・
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山頂から西側に歩き、籐助森でシールを外し滑走。
振り返って籐助森のパノラマ画像
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山頂から蒸の湯への中間点、八幡平アスピーテライン沿いに滑ります。
この雪の量だと、まだまだ滑れます~
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西方向に、       焼山山塊↓ 奥に森吉山↓
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蒸の湯展望台手前100mの道路脇まで滑って来ました。
地図上直線で4キロ、曲がり曲がりなので5キロ位は滑ったでしょうか・・・
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今日は、落枝多しを予想し、ディナフィットは勿体無いのでアトミックで・・・

この後、車に戻り、次のバスまで遅めの昼飯。
2時13分のバスで山頂に向かい、2度目の滑走をしました。
水分タップリのザラメ雪に後半は太腿が・・・歳を感ずる・・・

。。。。。。。。。。。。。。。。。


さて、GWが始まります~
28日は、鳥海山の矢島・祓川と象潟・ブルーラインの開通で、
春スキーを予定してましたが・・・
28・29日は雨予報です・・・合羽着てスキーも嫌なので、パス。
30日(土)からは天気も上向きますが、
先程 娘から土曜日の昼~日曜日昼まで、孫軍団の預かりの依頼が・・・
母子家庭でも無いのに、学童保育や保育園に預けるのも忍びなく、OKと・・・

鳥海は、2日からに・・・ついでに、月山へも足を伸ばす予定。




追記 
2月19日に、森吉山で行方不明に為った方が、
4月23日に発見されました。 合掌






4月24日
予報で、良い天気になりそうなので、北八甲田へ・・・
今日の計画は、23日からコールドラインに定期バスが走ってるので、
それを使って、車に戻る計画でした。

酸ヶ湯温泉→仙人岱→小岳→高田大岳→谷地温泉→バスで酸ヶ湯温泉の予定。

黒石ICを降りた処からの岩木山  少し霞んでますが・・・
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酸ヶ湯温泉上の駐車場に着くと、青森県内の高校山岳部の生徒50~60人が、
テントを畳んで帰りの準備をしてました。男女混合で賑やかです。

準備をし、8時15分出発。
春山気分なので、肌着にカッターシャツと登山ズボンで出発、(防寒具はザックの中)
昨夜冷え込んだらしく、雪面はガリガリで歩いた跡はガタガタ・・・
凸凹の少ない面をシール登行。
日が当たってる雪面はシールが効くものの、日陰はスリップ。


標識25番を過ぎると、見通しが・・・雪が減って山が黒く見えます。パノラマ画像
          ↓八甲田大岳                硫黄岳↓
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地獄湯ノ沢に出ました・・・相変わらずの硫黄臭が漂ってます。
沢の中は暑くて汗だぐ・・・何度か汗を拭く・・・
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地獄湯ノ沢 〝喉〟で振り返って、南八甲田連峰の横岳。沢には落石が点在。
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これが 〝喉〟 沢が狭まってます。 露岩も無く無事通過ですが、
常に沢を吹き上げる風に晒されてるので、雪面はガリガリです。
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〝喉〟から少し上に登ると、沢が割れ夏道が出てます・・・ここで板を脱ぎ、
少しの距離と思い肩に担いで・・・
処が結構長い・潅木の枝が板に引っ掛かったり・兼用靴で石ゴロゴロの夏道歩き。
疲れます・・・少しの距離でもザックにA型固定すべきです。
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今日の目標 小岳が見えて来ますが、山頂に雪が無い・・・ハイ松丸見え・・・
再び、板を履いて登ります。
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9時30分仙人岱に来ました、泉はまだ雪の下。パノラマ画像
八甲田大岳の西面は、風に晒され雪が付かない面ですが、早くも夏道露出。
       八甲田大岳↓           これから向かう小岳↓
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小岳への登りに入ると、トド松の中に一人登ってるのが見えます・・・
雪面にスキー靴のステップ跡が・・・
ザーッと言う音で、上を見るとスキーで滑って来た人が・・・
小岳の中間に、ステップからスキーを履いた跡。ここから滑ったようです。


小岳の山頂へ、後100mの処で雪が切れます・・・しかもガチガチに凍結。
再び板を外して、今度はザックに装着・・・夏道に流れ出た雪解け水が、
夜間凍結してて氷の道と化してます・・・・こんな掘れた登山道を洗掘と言います。
兼用靴では滑って上がれません・・・ストックが刺さらない・・・
氷と土との境を登るのは、ハイ松が邪魔で大変でした。(こうして登山道が広がる)
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10時10分小岳の山頂へ・・・マイナーなピークなので、10数年振りに立つた。
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小岳山頂からの景色  八甲田大岳の東面と井戸岳・北赤倉岳、
この冬何度も歩いた稜線です。
       八甲田大岳の噴火口↓ 井戸岳双耳峰↓   ↓赤倉岳  バノラマ画像
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今日は、八甲田大岳にツァー客の姿無し・・・稜線の雪が消えたからか???
単独で登ってる姿が2.3人・・・皆さん弘前の花見でしょうか・・・


小岳の山頂から、東に降りた処から雪が繋がってます。
ここで、ザックを下ろし大休憩・・・目の前には、これから向かう高田大岳。
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小岳同様に山頂直下には、雪が付いてません・・・
画像の黒い処はハイ松帯で、夏道はほぼ直登で付いてます。
ここを登り、裏側の大斜面を右に滑って往くと、谷地温泉ですが・・・

途中から傾斜が急な事と、トド松が密で切り返しが出来ず、スキーでは登れません。
10数年前も板を背負って、ほぼ直線にキックステップで登った思いが有ります。
大休憩しながら・・・ハイ松帯の夏道が、小岳のように凍結してたら、
登るのが至難の技・・・なんて考えたり・・・この先の案を色々思案・・・
天気も穏やかな春山気分で、じっくりと・・・

①案 ここから北東斜面を滑って、無理やり箒場岱へのツァールートに合流して、
   日曜なのでシャトルバスで、酸ヶ湯に帰る手立ても有るなぁ~なんて・・・
   でも、酸ヶ湯行きは2時40分発なので、待ち時間有り過ぎで・・・却下。


②案 ここから高田大岳の腹を巻いて、谷地温泉に滑り、バスで酸ヶ湯に戻る。
   地形図を見る限りでは、渡れない沢等が無いが、
   初めてのルートなので多少不安・・・却下。   バノラマ画像
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③案 小岳の南側の腹を半周し、仙人岱から睡蓮沼に滑るツァールートに合流し、
   睡蓮沼からバスで酸ヶ湯に戻る。パノラマ画像
   これが一番簡単そうなので、この案に決定。奥の山は、南八甲田連峰。
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10時40分に為ってしまいました・・・
シールを外し、防風ヤッケを着込みスタート。


ラインで滑りました。途中硫黄岳の東斜面には、3名ほど取り付いてました。
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   硫黄岳↓         ↓八甲田大岳 ↓小岳     ↓高田大岳
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途中、ボードを背負った若者達が5名ほど登って来てました。

睡蓮沼に着くと、沼は雪の下ですが、沼の傍に在るウッドデッキと東屋が・・・
例年の今頃は、デッキも東屋も雪の下です・・・如何に雪が少ないか・・・
東屋の存在は知ってたが、デッキは初めて見ました。
八甲田行きは、GW前で止めて、GWからは雪が豊富な鳥海山がメインです。
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睡蓮沼着が11時35分です。37分のバスが有るので、急いでバス停に・・・
待ってもバスが来ません・・・遅れたのかとガックリ・・・次のバスは3時間後。
バス停の両側には、観光客と雪遊び客の車が列を成してます・・・
中に、見覚えの有る車が・・・間違え様の無い ○本氏の車です。
窓に、〝お疲れさん〟署名の紙を挟む。
3時間も待つのなら、歩けば酸ヶ湯まで1時間、どれ~歩くかと準備してたら、
バスが来ました~10分遅れです・・・日曜と弘前の花見がブツカリ、
八戸⇔弘前の最短ルートなので混雑してたのかも・・・360円で酸ヶ湯へ。

バスを降りてから、○本氏に電話・・・
硫黄岳を3本滑ったとか・・・後3本滑って帰るとの事・・・
GW初日の29日に、天気良ければ鳥海山北面からの登頂とスキー滑降?を約束。
○田氏は森吉山詣とか・・上部が土現れて、今日で営業終了とHPにあったのに・・


酸ヶ湯の駐車場からの、八甲田大岳。南・北八甲田連峰の主峰です。
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帰りに、いつもの大川原温泉で一風呂、200円でサッパリ気分。
黒石市街地手前の桜、もう10年も経てば立派な並木道に、其れまで生きれるか?
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今日は、ルート変更が有ったものの、楽しいスキー遊びの一日。
右足の小指が当たるので、鳥海までにはシェル出しを頼まなくては・・・

明日も晴れ予報・・・八幡平でスキー遊びか? 
これから使う 菜園用耕運機の分解掃除か?  起きてから考えよう~

4月22日
角館(かくのだて)の桜が咲いたとのニュースで、家内と花見に・・・
片道100キロの山越えをして、角館に向かいました。

平日なので、道は空いてて、500円の大駐車場にスンナリ入れました。
武家屋敷通り端の一番良い処の駐車場です、目の前は桜が満開です。
角館の花見は、10数年振りですが、圧巻です~

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観光案内のパンフに寄ると、角館には枝垂れ桜の古木が450本あり、
その内の樹齢300年以上の162本が、国指定の天然記念物とか・・・
なるほど幹には、指定樹のプレートと番号が記されてます。
一箇所に、これ程の枝垂れ桜の天然記念物が有る処は、ここだけとか・・・

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武家屋敷通りや、桧木内川河川敷には、
角館小学校の〝こども案内人〟のプラカードを持った子供グループが沢山居て、
角館の歴史や周辺の観光地の案内をする姿が有りました。
自分達で描いた小ボード片手に、一生懸命説明する様子に聴き入る観光客も・・・
社会科学習の一環でしょうが、礼儀正しい姿に、説明が終わると大拍手でした。
子供達にとっては、学芸会以上に緊張してたのかも・・・

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桧木内川(ひのきない川)堤防の、染井吉野並木。
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川を挟んで両側の堤防に、2キロの桜並木です。この川は夏、鮎釣りの名所。
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河川敷の芝生で、持参の御握りで昼飯。運転役なので、プシューは我慢。
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天候も暖かく、近所の幼稚園児が多数芝生でキャラクターシートを敷き、
お昼を食べ・走り回る様子が、微笑ましい~
10数年振りの、枝垂れ桜も・堤防の桜並木も満足のいくものでした。が・・・

ガッカリした事・・・

角館は、江戸時代の城下町で山間部に在り、米の石高も少なく林業で成り立った地。
下級武士は、内職で樺細工(山桜の皮)で生計を立てたとか・・・
その伝統が受け継がれ、今でも素晴らしい工芸品が作られてます。

武家屋敷通りには、当時の下級武士の屋敷が何軒か現存し、此れが観光の目玉に。
秋田新幹線が開通し、角館駅含み周辺の様相が一変。
〝みちのくの小京都〟との、キャッチフレーズでJR等が売り出し、観光スポットに。

以前には、武家屋敷の黒塀と、枝垂れ桜より無かった通りが、
土産物屋や飲食の通りに、変わってました・・・
しかも、白塗り壁に黒を基調ににした、如何にも昔風情の物販店です・・・

此れと言った産業の無い処ですから、〝小京都〟に頼りたい気持ちも判るが、
観光用に創られた区域に成り下ってました・・・
以前は、道の両端が蓋付きの可変側溝だったものが、石組みの小川が流れてます。
知らない者は、江戸時代からの物と錯覚してるかも・・・
それと、武家屋敷に至っては、維持管理の名目で入場料を徴収してるが、(昔無料)
屋敷の庭は、手入れもされておらず、何年分もの落ち葉が・・・

桜には、満足の〝お花見〟でしたが、違和感を感じた角館でした・・・


もう一つ 残念な事
帰路、国道筋の西木町小山田地区を通りますが、
ここにカタクリの群生地が有ります。
東京ドーム4.2個分の面積に、カタクリが満開です。
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角館と同じ仙北市に在りますが、このカタクリは角館の桜と同時期に開花です。
角館の桜が、あれほど集客してるのに、ここは訪れる客もまばら・・・
国道筋には〝カタクリの里〟の看板とノボリが立ってたが、
〝只今満開中〟の案内も無しです・・・市・観光協会の力の入れ方が偏ってます。

いや  山里で秘かに咲く カタクリ には、これが合ってるのかも知れませんね。


長年、バルトロ氷河の山々を、ひと目眺めたいと憧れてました。

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全長70キロと云われてる氷河源流域には、
K2・ブロードピーク・ガッシャーブルムⅠ峰・Ⅱ峰の8千m峰4座。

7千m峰は、ムスダーグタワー・マッシャーブルム山群・チョゴリザ・
サボイアカンリ・スキルブラム・ガッシャーブルムⅢ峰・Ⅳ峰・バルトロ、サルトロ山群・等など・・・
6千m峰に至っては、ドランゴ岩峰群・パイユピーク・ミトレ始め、
バルトロ氷河の右岸左岸に見える山々の殆んどが、6千m超級なのです。

約ひと月掛けての氷河散歩を、この夏に計画してました。
ネパールのヒマラヤは、モンスーン(雨期)を避けた、春・秋がシーズンですが、
パキスタンのカラコルムは、内陸に在る為モンスーンの影響が無く、夏がシーズン。

この計画に向けての資金捻出。
昨年延べ90日間、県埋蔵文化財センターの発掘現場で、土方アルバイト。
夏場の暑さには参ったが、目的が有れば我慢も出来ます・・・

山道具は揃ってるので、特段用意する物も無しです。
カラコルム・バルトロ氷河流域の地形図も何とか用意出来ました。
1/8万(ポーランド製)・1/20万(英国製)
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過去2回ヒマラヤ遠征で使った、10年旅券が2月で期限切れ、再申請と・・・
外務省のHPを見て・・・愕然
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パキスタン全土が・・・安全の白い地域は在りません・・・
〔レベル4〕 退避勧告地域
〔レベル3〕 渡航中止勧告地域
〔レベル2〕 渡航自粛勧告地域

バルトロ氷河には、首都イスラマバードから、北東の町スカルドゥに行き、
4駆で一日走り、登山基地のアスコーレ村に入るのですが・・・
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1月20日には、
ペシャワル地区でタリバーンが乱射事件を起し、死者20人・負傷者約50人。
3月28日には、
ラホール地区で、タリバーンが死者72人・負傷者200人以上の自爆テロ。

隣国インド系のヒンズー教徒と、アフガン系のイスラム教徒の紛争とか・・・
武装集団のタリバーンとかアルカイダは、ニュースで耳にする事が有ったが、
こんな処でとは・・・・

家族に、それでも往くか? と謂れ・・・数ヶ月、考えてました。
今日、結論を出す為にブログに記載してます・・・


ヒマラヤに憧れたのが、18歳の頃・・・実現したしたのが、2006年。
その時に登頂した山頂から、南に見えた白い峰に登りたいと・・・
そこに立てたのが、2010年。

次は、K2を眺めて見たいと・・・世情が安定してたら可能だったのだが・・・

紛争が5年・10年と続くようなら、後が無い・・・



4月16日(土)
八幡平山頂から、スキー滑走。

今季は、例年に比べ天候不順で、中々八幡平には足が向きませんでした・・・
田代岳の新ルート開拓に、夢中に為った事も理由かも。
冬期は新雪が深く、悪戦苦闘の山行が・・・半分での敗退も。

15日に岩手・秋田間の八幡平アスピーテラインが開通でした。
が、15日は降雪が残ってて、道路閉鎖でした・・・
今日の朝、県道路課に電話したら、昼12時までに除雪し、開通させるとの事。
すぐに定期バスを走らせてるバス会社の営業所に電話。
昼の便から運行させるとの事でした。

昼から山頂に上がる定期便が、蒸の湯温泉を通過するのは、2時13分。
昼前に家を出発し、蒸の湯上の駐車場に到着。ここに通行可否のゲートが有ります。


今後の降雪に備えて、除雪車が待機。
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ゲートは開いてました・・・バスが登って来るまで時間が有るので、
車の中でコンロ焚いて昼飯です。
食後、靴履いて、シール貼ったりの準備、風が出て来たので其れなりの防寒具も。


駐車場下の谷から、蒸の湯温泉源泉の水蒸気が・・・何箇所からも・・・
温泉は24日からの営業だそうですが。
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2時13分のバスで見返り峠(山頂駐車場)へ、誰も乗ってません、360円で貸切。
途中の雪の回廊は、いつもより2m位低目です・・・2時30分到着。

山頂駐車場に着くと、観光バスが5台も駐車中・・・
何と客は、チャン団体・・・花見の次いでに雪見 ?  ここまで来るのか・・・
生理的に嫌い、来て欲しくない客ですね。
(関係者見てたらご免、これでも中国哲学専攻したのですが・・孔孟思想、でも文革以降の支那は嫌い)


駐車場から八幡平山頂へは、30分程度のシール登りです。
登り途中からのパノラマ、夜から雨予報なので、空の気配が怪しい・・・
  岩手山↓                秋田駒ヶ岳↓ ↓モッコ岳
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秋田駒ヶ岳・乳頭山(岩手では烏帽子岳と言う)
        ↓乳頭山         秋田駒ヶ岳山塊↓
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青森トド松に、霧氷が張り付いてます・・・風も冷たい、防寒着て来て正解。
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山頂の300番標識と展望台が見えて・・・
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着きました、3時。 八幡平山頂と書いてる標柱の、八幡平まで見えますが、
積雪量は平年並みです。標柱長5mらしいから積雪4m 程度。
休まず  籐助森 に向かう。
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八幡平山頂からの岩手山。  鬼ヶ城のギザギザ尾根、何時か登りたい・・・
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3時10分 籐助森 に着いてシールを剥がし滑走準備。直線4キロの滑走。
振り返って、八幡平山頂・・・ほぼ真っ平な山・・・吹雪かれると危ない・・・
鹿角山岳会が、毎年春スキー用に、蒸の湯⇔山頂に竹竿標識を立ててくれてます。
有り難い事です~  天気はドンヨリ 日差しが無いので、雪はカリカリでGOO
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今日の装備 ディナフィットPDG板  最近やっと硬さに慣れた感じ・・・
雪は汚れも無く、気分良好です。
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滑って往く正面、手前に 焼山山塊(裏が名湯玉川温泉)と、奥に森吉山。
雨流れの縦樋も無く、雪も腐れて無く、快適な滑走です~~
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滑走途中で、コールが聴こえました・・・傍に行くと、若者2名、
滑走中に仲間の1人とハグレタって・・・トド松帯で離れると見えないのだ・・・
ウェアの特徴を聴き・伝言を頼まれる・・・


195番まで降りましたが、それらしいシュプール跡も無し・・・
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3時45分に蒸の湯駐車場に着いて、帰り仕度中、可也ズレタ左斜面に姿発見。
そのまま降りたら、蒸の湯源泉帯です・・・登り返しが一苦労。
と・・・見てたら、2名の正規ルートからのコールに方向転換、一安心・・・


ゲート開放が12時で無ければ、2本滑れたのに・・・残念。


熊本地震で世の中大変な時に、スキー遊び・・・とも思ったものの・・・
テレビで流れる映像を観るには忍びなく・・・つい山に・・・
3.11を想い出すが、3日停電で映像は観れなかったのが幸い、今回は朝から晩まで。
被災した方々には、お見舞い申しあげます・・・・


栗城〝アンナプルナ南壁〟をウォッチしてましたが、今日更新です。
(黒字は、栗城公式ブログを抜粋引用 青字は私見です。)

 何ともお気楽なタイトルです。これが今回の総括でしょうか・・・
逆に、こちらが笑ってしまいます~

笑って元気に

無事に帰国しまして、今日は講演のために札幌におります。
13日に帰国し、15日に講演(口演又は公演)した事には、触れてませんね・・・
アンナプルナのベースキャンプからカトマンズまでヘリで飛び、そのまま香港経由の便で帰国しました。
予想通り、BCからヘリを使い、カトマンズから12日の夜便に乗ったようです。
本来の帰国予定は1週間前でしたが、予備日を全て使い果たし、ギリギリまで好天気のアタックを待ちましたが、最後の最後まで条件の整った好天の周期はありませんでした。
一週間前と言うと、ABCから6290mに上がり、
天気が悪いと、ABCを通過しBCに戻った頃です。
予備日の期間に2度目の試みをした事になるが、オマケだったのか・・・
前に述べた、3隊はひと月も天気待ちをして、満を持しての登頂。
一つ反省点は、好天にならない時はならず、天に人は勝ることは無い。
それを分かっていながら、焦りと執着をして余裕を無くしてしまったことは本当に反省でした。
御託を並べてますが、膝に氷塊が当たり、継続不可能で下山した事には触れず・・・
どうしようもない時だからこそ、「笑って明るく元気」に次に向かえる精神力を持たなくてはいけないと。

南壁の登頂者を調べると、最近は「秋」に挑戦しています。
アンナプルナ南壁の秋は風は強くても好天気の周期が多いようです。
8千m登頂を目指す者が、天候を調べもせず向かうとは笑止・・・
2010年の春にアンナプルナ北側に挑戦した時に好天があったので、
そのイメージを南壁に持ち込んでしまいました。。
近くのロッジ(宿)のおじさんが「今年は晴れないのよ~」と冷やかしに来ていましたが、
また2年以内に戻ってきたいと思います。
また2年以内に来る?  東日本震災の子供達をエベレストに招くと言って、
集めた募金はどーなってるのか・・・
ただ今回の遠征は決して無駄ではなく、3ヶ月後に控えている秋季エベレスト(中国側)に向けた目標の一つであった「リズム」と呼ぶ、高所に対する順応のスピード・耐久性を上げるトレーニングとしては効果をかなり発揮しました。
昔ならもう少し順応で苦しんだり脈や呼吸数が上がるのですが、安定して登り、またバランスも良かったです。
8000m以上の世界では酸素濃度が3分の1になりますが、さらに自信をもっていけると思いました。
日本は酸素が濃くて本当に幸せです。
まだ登山は続いています。
冒険の共有を行うための資金という地上の山登り、そして3ヶ月後に控えた念願の中国側による秋季エベレスト。
いいことも悪いことも全てに笑って明るく元気に向かって行きたいと思います。


。。。。。。。。。。。。。。。


これが中国側の、一般的な北稜ルート(図中の青線)と呼ばれるコースです。
エベレストは、ネパール側からの南東ルートが、ノーマルで圧倒的に登頂者が多い。
中国は、1975年に自国隊と外貨獲得の為、登り易い様に、
セカンドステップと呼ばれている難所に、梯子を固定しました。
以後、人工物を経由しての登頂は、単独登頂として認定されなくなったのです。
そこで、単独・無酸素登頂を狙っていた、超人ラインホルト・メスナーは、
1980年夏に北壁を大トラバースして、(赤線ルート)
グレートクーロワールと呼ばれる巨大な溝を直登し、梯子を避けて登頂しました。
栗城は、このメスナールートを狙ってます。このルートはまだ誰も成功してません。
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栗城には絶対に登れないと、確信を持ってますが・・・どうなることか?






栗城が、公式ブログ〔アンナプルナ南壁〕の中で公開した画像に付いて、
下記の書き込みが有りました。
まさか・・と、思いつつも2枚の画像を比較して見ました。

2016/05/28(土) 00:34:44.36
僕は最初から栗城を胡散臭い奴だと思ってたけど
まさか写真を改竄したりまではしないだろうと思ってました。
だけど、滑落騒ぎを起こしたシシャパンマの時
雪の斜面に取り付いた栗城を遠くから撮ったと称する2枚の写真で
雪面に取り付いた黒い胡麻粒が下から上へかなりの標高差を移動してるのに
山の影の形が全く変化していないのに気が付いた。
栗城が恐ろしい速さで斜面を駆け上がりでもしない限りこれはあり得ない。
きっと同じ山の画像に黒い点を貼り付けてごまかしたのだろう、と。

その画像が、以下の2枚です。(黒字は栗城公式ブログより添付)

<現在の栗城の様子>
現地時間am4:00(日本7:15)にアドバンス・ベースキャンプ(ABC)を出発。
6:50(日本10:05)に壁に取り付き、登り始めました。
現在も登り続けています。
※写真で「点」のような栗城の姿が確認できます。
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アンナプルナ南壁挑戦中!#02】
<現在の栗城の様子>
現地時間9:50(日本13:05)、南壁を登り始めて3時間で写真の位置まで進みました。
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カメラアングルが2枚共に同じで、左リッジの影が、全く移動していない事が判ります。
 

このブログを編集してる途中に、同じ画像がまだ有るとの話がありました。
下が、この5月10日付けで掲載された画像です。
5月4日付けの、上2枚と同じ物・・・・
現地時間が其々6:50 9:50 6:00 と発表してるが、日にち違いのアングル同じ。
壁の〝影〟も同じ・・・・


【アンナプルナ南壁挑戦中!attack2 #01】
<現在の栗城の様子>
現地時間午前3:40(日本6:55)にアドバンス・ベースキャンプ(ABC・5010m)を出発。6:00(日本9:15)に壁に取り付き、登り始めました。現在も登り続けています。
イメージ 4

山の陰を強調する為、青を濃くして視たら、この様になりました・・・・
2枚の画像の中央  内が、栗城の姿だと。それはもうどーでもいい事です。

中央に映る、左リッジ(リッジとは、凸角な急な岩稜)に、
太陽光が右上から当たって、左にリッジの影が出てるのが判ります。
イメージ 2

3時間後の画像(下)でも、影の形は同じです。変だと思いませんか????
ここは南向きの〝南壁〟ですから、太陽は序々に正面上に回り、
影が短くなるか 無くならなければ可笑しいです。
明らかに、ニセ画像だと思います・・・が、・・・・

イメージ 3

5月10日の画像も処理しようと思いましたが、手間だし同じ結果なので止め。

結論 この様に、一枚の画像に、さも栗城が登ってる様なを入れて、
   合成したのを視ると、栗城は〝壁〟にすら到達出来なかったのかも・・・・

この指摘を、栗城公式ブログに〝質問・問い合わせ〟として書き込みましたが、
即・削除されました。栗城に取って都合の悪い書き込みは、削除する体質です。

************************************
栗城へ
〝無酸素・単独登頂〟を謳い文句にして、
金を集め遠征資金や事業費・生活費に充てるのは構わないが、
登れもしない〝アンナプルナ南壁〟を、然も6290mまで登攀したような、
嘘の演出は、スポンサーも資金援助したファンも喜びません、駄目です。
この秋の、エベレスト・メスナールートを間違って登れたとしても、
人は(小生は)それを疑います。
無酸素然り・単独然り、誰も居ない世界のはずですから、
自分に正直でなければ為りません。
本当に山登りがしたいのなら、体力・技術を身に就ければ、
その年齢ならまだまだ〝8千〟は登れます。そう為ったら栗城に期待します。


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今日はこれから、鳥海山最後のスキー登山に往って来ます。

4月10日
昨日9日から、春スキーシャトルバスが運行でしたが、
強風で八甲田ロープウェイが運休(風速25m以上)。
今日は、天候も回復の予報で、八甲田に向かいました。

黒石ICを降りると、黄砂予報通りに、岩木山が霞んでます。
イメージ 1


沖揚平まで来ると、北八甲田の全景が見えます。
                      井戸岳↓     ↓八甲田大岳
イメージ 2


シャトルバスの土日運行が始まったので、北八甲田の裏側(東側)に滑り込み、
バスで車まで戻る計画、行動範囲が広がります。

ロープウェイを使い、赤倉岳・井戸岳に登り、箒場岱に滑り込むか?
酸ヶ湯温泉から仙人岱避難小屋に登り、井戸岳から箒場岱に滑り込むか?
考えながら運転・・・
ロープWの回数券は残ってるが、勿体無いので酸ヶ湯から登ることに・・・
酸ヶ湯までのシャトルバスは最終便より無く、箒場岱発が14時40分。
時間はタップリ有ります。

酸ヶ湯温泉上の駐車場に着くと、登山客の車が多数停まってます、準備の人も・・・
準備を終えて9時15分出発。


真新しいツァー標識が付いてます。
〝山岳同人たかじょ〟(青森の山の会)の Iさんが、6日に5枚取り付けたとの事。
古いのや・欠落したのを、塗り直し、取り付けてるらしい・・・(同人HPより)
遭難予防と・・無償でしてるらしいが、頭の下がる思いです<m(__)m>。
イメージ 3
雪は締まって、シール登行も楽。
今朝歩いた先行者の足跡を見ながら、ドンドン登れます・・・
12本アイゼン跡・壷足跡・長大シュー・アルミカンジキ跡、等様々です。
何でこの雪質に・・・と、思いながら・・・足元が重くて大変でないかと・・・
ま~人其々でいいか・・・


木立越しに、山々が見えて来ました。パノラマ画像
       八甲田大岳↓                    ↓硫黄岳
イメージ 4


大岳環状ルートの竹竿標識が・・・この先ずーっと立ってます。
ここで降りて来た、お嬢さんと交差「速いですね」と言うと「うふっふっ」の返事。
アイゼンを履き・背にはシュー 早朝発・仙人避難小屋往復でしょうか・・・
イメージ 5


地獄湯ノ沢の降り口に来ました、先行者3名が見えます。
沢通しに往くのが大岳環状ルート、右へ上がると硫黄ルートです。
雪が安定してるので沢ルートを選択。
新雪が深い時は、右の林間から仙人岱避難小屋を目指す方が安全です。
イメージ 6

沢の中は照り返しで暑く、
ツナギの上を脱ぎ・腕を腹前で縛り・下のサイドファスナー膝まで開放・・・


地獄湯の沢 中間点、雪で埋まってるのに硫黄臭がします。
左上の夏道で、トラバースに苦戦中1名・・・
イメージ 7


喉 が見えます、銚子の口 と言う方も居ますが、沢が極端に狭く為ってる処。
新たな先行者3名が前方に・・・
イメージ 8


喉 で、振り返ると南八甲田の横岳が、どーんと・・・・
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喉 を越えた処に有る巨大な吹き溜まり。
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小岳が見えて来ます
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イメージ 10


10時30分仙人岱避難小屋到着、ここまで1時間15分は満足なタイム。
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天気が良いので、中に入らず小屋前で、板外して大休憩。

北側パノラマ     ↓八甲田大岳            小岳↓   ↓高田大岳
イメージ 14

3月27日のブログで、小屋から睡蓮沼に降りるコースには、
竹竿標識無しと記載しましたが、今日見たら設置されてました。


南側パノラマ 奥に南八甲田の峰々     ↓硫黄岳大斜面
イメージ 15


30分休憩して、11時に八甲田大岳と小岳の間を、井戸岳に向かって緩い登り。

八甲田大岳の東斜面 今日はまだ誰も滑って無いようです。
イメージ 16


大岳の裾を巻くと、井戸岳・赤倉岳が見えて来ました。
              ↓井戸岳       ↓赤倉岳
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井戸岳と赤倉岳                 ↓ここの稜線から箒場岱に滑る予定
イメージ 18


八甲田大岳の裾野の雪庇が崩壊してます・・・一度に落ちるとブロック雪崩が・・・
イメージ 19


小屋を発って小1時間、12時少し前に滑走予定地に到着。
滑り始める処からのパノラマ 雛岳の左裾野を巻いて、箒場岱まで6.3キロの滑走。
         ↓雛岳   ↓高田大岳   ↓小岳        八甲田大岳↓
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シールを外して滑走準備、ツナギの上を着込み、
兼用靴を滑走モードに絞め込みます。


箒場岱への滑走ルート
イメージ 22


竹竿標識を左右に見て・・・ザラメ雪ですが、日陰は少しカリカリ・・・
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手前の台地を巻いて、高田大岳の裾野目指して滑ります・・・
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箒場岱ルート標識板  林間に入ると竹竿標識が無く、標識板が目印です。
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大分降りて来ました・・・
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高田大岳の裾野を回り込むと、山容が一変します・・・
イメージ 25

ここ辺まで降りれば、後はブナ林の中を標識に沿ってほぼ真っ直ぐ。
12時半なので、此処で昼飯・1時過ぎまで大休止。
風も無く・日差しが心地良い・・・
50人位の大ツァーが降りて来たので、ボチボチ出発です・・・

箒場岱に着いたのが1時40分、滑り始めて休み込み1時間40分の滑りでした。
丁度、1時40分発の3便シャトルバスが止まってたが、
ロープウェイ駅止まりで、酸ヶ湯温泉までは往かず・・・
当初予定の、最終便2時40分発を待つ。

茶屋でバスの切符を1000円・ロング缶B480円購入。
缶B呑みながら、バックルを緩め、ストック畳んだり・・・
アスファルトに、ごろ寝・・・暖かい~1時間はすぐ過ぎます。

2時40分の便、客は10人ほど・・・途中のロープ駅で降り、
酸ヶ湯温泉まで乗ったのは1人だけ・・・酸ヶ湯着3時20分 40分のバス旅。
山越えして東側に降りても、路線バスが無いので、
昨日から始まった土日シャトルが、有り難い・・・
ガイドツァーに参加すれば、送迎バス付きだが、
コースも限定されるし、3000円が勿体無いのだ・・・・


次のスキー遊びは、15日開通の八幡平アスピーテライン。
16日から山頂までの定期バスが走るので、
晴れの日を選び、蒸の湯駐車場からバスで山頂へ・・・
時間的に、4キロの滑走×2回は可能です。

10日オープンの月山も気に為るが、遠いので去年並みに鳥海と併せて・・・
長距離運転も年々億劫に・・・


追記
八甲田ロープウェイHP4月9日付けに、城ヶ倉ツァーコースが閉鎖との記載有り。
理由は判りませんが、積雪量はまだ充分に有るはずですが・・・
滑り出しの南側急斜面に、亀裂が入ったのかも。
宮様コース側を巻いて、毛無岱廃小屋付近で合流すれば、南斜面を迂回出来ます。

北八甲田山岳スキールート図
(八甲田ロープ駅で貰えます)
イメージ 27



栗城の〝アンナプルナ南壁〟行動日程を日毎に・・・ウォッチします。
(黒字は栗城ブログから抜粋引用  青字は私見)




4月10日  日本出国
当初、9日の出国を発表してたが、何故か10日に・・・
5月25日には、講演が予定に入っており、南壁の登攀に使える日数は、
ひと月半程度より無し・・・
まだまだ挑戦は終わっていません。
いよいよ本日4月10日からアンナプルナ南壁8091mに向けて出発します。
昨年の秋季エベレストから帰国後、この山に向けてトレーニングと準備をしてきました。
この様に言ってるが、ガイドの花谷泰広と、一月の甲斐駒ヶ岳を一泊二日、
他は同ガイドと、八ヶ岳の岩稜を3本登った程度の山行よりしていない。
低酸素訓練もしてたようだが・・・山はこれだけ。
今回、なぜこのアンナプルナなのか、南壁なのか?
野心で登るのでは思う人もいるかもしれませんが、野心と本心は違います。
野心は外的情報や嫉妬などから生まれ、自分の本当の心でなかったりします。
「高所(低酸素)におけるスピーディで正確な登山をしたい」
それが今の僕の本心です。

僕の山として、常に秋季エベレスト単独・無酸素があります。
今までエベレストは中国側とネパール側合わせて7000人の登頂者がいると言われていますが、
そのほとんどが春の時期です。
春は秋に比べて気候が安定します(山によっては秋の方がいいところもあります)。
秋の単独・無酸素の登頂者は、中国側では1980年のメスナー氏のみ(8月下旬登頂)。
ネパール側の秋にソロで成功した人はまだ0人です。秋は風が強く、天候の急変が激しいです。
風速40mの風がバンバン吹きます。雪も降ります。
風は目に見えないですが、荒れ狂う生きた猛獣です。

天気予報や山の雲の動きを見ながら逆算してベースキャンプの出発を決めますが、
計画通りにいくことはなく、また道中雪が多くてなかなか進めなかったり、
雪崩の問題など好条件での最終アタックにタイミングを合わせることが難しいです。。
本当にボロボロにされます。

そこで前から考えていたのは、タイミングを合わせるために低酸素における順応、
食料や装備も軽量化してスピーディに「山に合わせる」ことでした。
そのために低酸素に慣れやすい身体を作り、
酸素を無駄に消費しないマインドや呼吸法を作り上げてきました。
それを8000mの世界、アンナプルナ南壁で正確にしたいのです。
アンナプルナ南壁はけっこう「ヤバイ」山ですが、北側よりは雪崩は少なく、
短期間で挑戦しやすい環境があります。
実際に南壁を見る機会がありました。標高差3000m近くの壁は大地の響きそのものです。
スタートしてから頂上、そして無事に下山するまで激しい登山になると思います。
何が起こるかわからないのが山です。
でも、そういう環境だからこそいかに心を落ち着かせて山に溶け込むか。
いい登山。自分なりのいい挑戦をしてきます!
そして、秋季エベレストに繋げます。

※山に溶け込み過ぎないようちゃんと冷静に判断して生きて帰ってきます。
※今回登るルートは、1970年にイギリス隊が登った南壁左稜です。
イメージ 1
赤線が、イギリス隊の 南壁初登攀ルート




4月11日 
ネパールの首都カトマンズに着きました!
早速、装備のチェックをしています。
普通、海外遠征での装備チェックは、日本で出発前に徹底的にします。
現地でという事は、ボチボチ・トレック社のレンタル品か・・・
現地で購入する物は、野菜(根菜)類・燃料のガス缶・灯油(飛行機で運べない)等。
12日もカトマンズ滞在。




4月13日 
アンナプルナ南壁のベースキャンプに着きました!
朝にカトマンズからヘリで4100mのベースキャンプに無事に入りました。
何度も来ている標高ですがやはり酸素の薄さを感じてます。
今は通信環境とベースキャンプの設営中です。写真は明日からアップしていきます。
目の前に青く深い透明な世界が広がってます。
明日からできる限りこの青く深い透明な世界を皆さんと共有していきます。




4月14日 BCで停滞
ベースキャンプについて2日目。昨日の夜は雷が鳴り響き、一面に雪が降り積もりましたが、
午後にはその雪は消え太陽の近さを感じてます。
昨夜は、富士山よりも300m高いところにいきなりヘリで入るため緊張はしてましたが、
睡眠も良く取れて頭痛もありません。今はゆっくりと深呼吸しながら山を眺めています。(中略)
じっくりと眺め続け、登るルートを確認し、あらゆることを想定しながら、
もう一人の自分がすでに先を登ってます。
そして同時に、自分の内なる声にも耳を傾けています。
正直、山はやってみないとわからない世界です。
挑戦して計画的に確実に登れるのもいいかもしれませんが、
やっぱりあらゆる困難を受け止めて自分の力を最大限に出しきれる山に憧れます。

今回、「リズム」と呼ぶ低酸素における耐久性を上げるトレーニングの成果を確実にするために、
ここに来ました。
午前中に1時間のストレッチとトレーニングをしましたが、脈は乱れることなく落ち着いています。
このゆっくりと深いリズムを乱さずに、登って行きたいです。
※明日は「プジャ」という登山の安全祈願を行い、
天候を見て明後日から高所順応のためにシングチュリ(標高6501m)という近くの山に向かいます!




4月15日 BCで停滞
いよいよ明日から、高所順応の登山を開始します。今のところ体調は良好です。
朝に「プジャ」という恒例の安全祈願をしました。(中略)

今回の遠征では『冒険の共有』をサポートしてくれるメンバーは、
日本から参加しているカメラマン1名、ネパール人スタッフはコックさん2名、
カメラアシスタント1名、サーダー1名の合計5人のみで、
このベースキャンプで衣食住と撮影のサポートをしてくれています。
今回の遠征は、講演で貯めてきた自己資金で小さな冒険の共有をやってきます。
前回のように毎日の動画配信はありませんが、
最後の中継(ベースキャンプからの望遠カメラ)はなんとか…やってみたいと思っています。
もちろん栗城カメラでの撮影は、できる範囲でやってきます。
何よりも安全に安全に無事に帰ってきたいと思います。
明日から慎重にゆっくりと、シングチュリ(標高6501m)でも高所順応登山してきます!




4月16日
今日は高所順応のため、シングチュリの標高5100mのキャンプ地に着きました。
アンナプルナBC(4100m)より、標高差で1000m登ったことに・・・(ヘリ使用ですが)
明日、条件がよければ山頂(6501m)に向かいます。
シングチュリの今いる場所は、クレバス(氷河の割け目)がとても多い地帯のため、
安全を優先して今回シングチュリは初めてサーダーと一緒に登っています。




4月17日
昨日は高所順応のために、シングチュリ山頂に向かっていましたが、
一旦ベースキャンプに下山を決めました。
シングチュリ上部はクレバスが多く、今回サーダーと共に登って来たのは、
このクレバス地帯を抜けるためでした。
一人では抜けれないのか・・・8千m単独登頂を目指す者が・・・
イメージ 3

画像の氷原を越え、前衛峰→南稜に取り付こうと思ったようだが、
シェルパ一人では、ルート工作が出来ずにこの画像を撮って敗退。
南壁を単独登攀する者が・・・と思うが・・・

下の画像は、到達点として栗城公式ブログにUPされたが、後日削除されてる。
氷原を縦断出来なかったと思われる。
イメージ 2

目に見えるクレバス(氷河の裂け目)も怖いですが、
雪がかぶさって見えないヒドゥン・クレバスが多くあり、
このシングチュリのクレバス地帯を越えるのに時間は掛かるかもしれませんが、
何とか抜けられると考えていました。
シングチュリBCの標高は5100m、撤退地点は5470m。
370m登って諦め・・・・
しかしサーダーが体調不良でお腹の調子が悪そうで、クレバスを避けてそのまま行ける近くの別の山で順応することも考えましたが、高所では突然体調が狂うことがよくあるので、下山した方が良いと判断して一旦ベースキャンプまで下山しました。
シェルパの体調不良と言ってるが、上手くクレバス帯を抜けても、
岩稜登攀が待ってます。岩登りの経験の無い栗城には重荷・・・
無事にアンナプルナのベースキャンプに下りてから、再度6000m以上の標高で高所順応したいと思い、急きょヘリでチュル・ウェスト(Chulu West、標高6419m)のベースキャンプに向かうことにしました。
サーダーはチュル・ウェストのベースキャンプまで一緒に行きますが、ここからは1人で山頂に向かって出発し、2日間ほど山頂近くにステイして高所順応する予定です。

※シングチュリを登って高所に身体を慣らしてから
アンナプルナ南壁(8091m)に登る予定でしたが、変更して
チュル・ウェストを登って高所順応
→チュル・ウェストのベースキャンプに下山
→アンナプルナのベースキャンプに移動
→アンナプルナ南壁(8091m)に挑戦
となります。




4月18日
アンナBCに、ポカラからヘリを呼び、チュル・ウエストのBCにシェルパと移動。




4月19日
昨日から強風が続いていますが、今日の深夜3時頃にチュル・ウェスト(Chulu West、標高6419m)に向けて出発を考えています。
これから本格的な登山が始まりますが、出来る限り頑張っていきたいと思います
(中略)
明日も風が強くなりそうですが、頑張って標高差1600mを登っていきます!
イメージ 4
黄色いポイントが、チュルBC。

※現在位置:チュル・ウェストのベースキャンプ
※今後の予定:チュル・ウェスト(6419m)を登って高所順応
→チュル・ウェストのベースキャンプに下山
→アンナプルナのベースキャンプに移動
→アンナプルナ南壁(8091m)に挑戦
となります。




4月20日
今、チュル・ウェスト(Chulu West)の山頂から50mほど手前に張ったテントの中に一人でいます。とても強い風が吹いています。
昨日からベースキャンプでも風が強かったですが、今朝4:00に出発して12:26に無事にチュル・ウェストの標高6400地点に到着しました。
一日で標高差1600mを上がって来るのは大変でしたが、良いペースだったと思います。
今はテントの中で風と向き合いながら、ポールが折れないように力を込めています。
恐らく折れないと思いますが、このまま明後日の朝方まで過ごします。
高所順応で、明後日まで居ると言ってたが、何故か翌朝下山・・・
風の状況が問題なければ、明日チュル・ウェストの山頂まで行きます。

GPSデータの最高到達点、テント設営の位置と思うが・・・後日削除された・・・
イメージ 7

イメージ 5

イメージ 6

残り50m程ですが、クレバスやナイフリッジがあり慎重に行きます。
山頂まで50mと言ってるが、そんな距離には見えないのだが・・・足跡も無し・・・
久しぶりの標高6000mは苦しいですが、いい感じです。頑張ります。
この赤いテントは、アライ製で〝ライズⅠ〟と言うタイプ。
これでは少しの風でもグラグラするはずです。張綱の補強もしてない様なので・・・
980gの、骨有りツェルトの位置付け、高所で張るテントでは無い・・・




4月21日
無事にチュル・ウェスト(6419m)を登って、先ほど16:20にチュル・ウェストのベースキャンプに下りてきました。
チュル山頂での画像は無し・・・
昨日の夜は風が強くて、稜線近くに張ったテントが吹き飛ばされるんじゃないかと思いましたが、
無事に朝を迎えることができました。
6400m地点に到着した時は、SpO2(血中酸素濃度)が65で、夜はキツかったですが、
朝には77まで回復して、昼過ぎにはチュル・ウェストを登ってから下山してきました。

血中酸素濃度が77%とは、歩けばふら付くレベルです。
高所順応が出来ていない証、なので二日程度高所に留まる必要がある、
85%程度まで酸素を取り込める体作りが大事。(平地では、98~100の数値です)
※GPSが電池切れしてしまったため今日は画像なしですが、明日写真を共有させてください。
GPSの電池切れが、カメラと連動???
これを機に、電池切れを理由にGPSデータを公表せず・・・
予備電池が無いとは考え難いのたが・・・2チャンネルで騒がれたからか???

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ネパール・トレッキングピーク・リスト  下記。
(事前にネパール政府に登山届けをせずに、現地で申請して登れる山)

栗城がアンナ南壁の高度順応の為に登ろうとした、シングチュリ(赤線)は、
リストの中で、ランクEDの最も難しい山です。

クレバス帯で登れなく、次に向かった、チュル・ウエストはランクADです。

図中の緑線は、小生が2006年・2010年に登った3山です。
イメージ 8

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4月22日
チュル・ウエストBCから、シェルパとヘリで、アンナプルナBCに移動。




4月23日 BCで停滞 
今日のアンナプルナベースキャンプは一面真っ白の雪に覆われて南壁は雲に隠れ雪化粧しているところです。
高所順応でシングチュリを登る予定でしたが、一緒に登っていたサーダーが序盤から不調で一旦下山し、急遽チュル・ウェスト(6419m)に変更して一人で登って来ました。
この4日間、そしてこれからの数日間はアンナプルナ南壁は悪天候ですが、チュル・ウェストは天候が良く、ちょっと痛い出費でしたが、良いタイミングの順応登山でした。

18日、チュルウェストのベースキャンプ(4800m)にサーダーと二人で入る。まだ誰もいないベースキャンプはチベット高原ような赤茶色の景色が混ざり、アンナプルナとはまた別世界だった。

20日午前4時にベースキャンプを出発。南壁を意識した食料と装備で軽量しているせいか、ほとんど休む必要もなくリズムよく5800mの氷河に立つ。本来はここにハイキャンプを設けるが、僕は山頂近くで一泊をする予定。今までの経験から8000m前後に行くには最低でも6000mを超えた所で一泊から二泊しなくてはいけない。それにしても、標高差1600mを一気に登る、これから頭痛などのどんな高度障害が出てくるのか身体の反応が楽しみでもある。

ブルーアイスの稜線を越えていくと広いプラットホーム(広い雪原)に出た。
雪原は 、フランス語でplateauプラトーと言う。プラットホームは駅だ!!!
自称登山家なら、登山用語ぐらい正確に覚えろよ! 
雪の少ない雪原は歩きやすい。遠くを見ると見覚えのある山が見えた。ダウラギリ(8167m)である。2009年春にこの山に登り、7000m以上で生中継を成功させた山。様々な山を登るうちに登った頂を目で繋いでいけることは本当に幸せだ。
6000mを越えて山頂近くに向かっていく。斜面は穏やかだが、隠れたクレバスが多く、油断するなよと山に言われているような気がした。
12:26に山頂まで50mの所に着き、テントを張る。無線でサーダーに連絡をするが応答がない。
快晴で気持ちはいいが、風は強くてなかなかテントを張ることが出来ない。もう少し下がった所に広い場所もあるがそこは氷が張り出し、安全ではない。
久しぶりの一人用テント。昨年秋季エベレストでメタメタに強風や小石に叩かれて所々に穴が空いている。新品のテントもいいが、あらゆる厳しい風から守ってくれたこのテントは僕の戦友であり、唯一ほっとできる空間。
テントに穴???  この辺の感覚が理解出来ない・・・修理もせずに。
買い換えても3万9千円、裂けたらどーする?
雪洞もイグルーも造れないのに・・・
飛ばされてしまうのかと思うがそこはお天道様とおテント様の言うとおり。僕は何もできない。薄い寝袋で包まって朝を迎えた。
夜、シリアルを少し食べて寝ようするが寝れない。風が左から右から、時には浮くような下からと強烈な風が吹い続く。もしかしたらこのまま
朝、昨夜は体内酸素濃度が65だったが、77、昼過ぎには80まで深呼吸無しで上がって来た。さすがに頭痛がしたが、身体の動きや尿から体調は悪くないことがわかった。本当はもう一泊する予定だが、22日の朝早くにヘリがベースキャンプに迎えにやってくることなり、夜は風が強く深夜の下山出発は厳しいので21日の昼過ぎに下山することにした。
下山をする前、「せっかく来たんだから」と言われている気がして、チュル・ウェストの山にご挨拶をするために山頂(6419m)に向かって行った。
頂は風は少なく、チュル・イーストが見えた。(以下割愛)
山頂での画像の無いのが不思議・・・




4月24日 BCで停滞 ブログ更新なし




4月25日 BCで停滞
ベースキャンプは雪が降り続いています。
朝は晴れていてもジェットストリームによる強力な風が稜線にあたり、
巨大な雪煙が渦巻いてます。(以下割愛)





4月26日 BCで停滞 ブログ更新なし




4月27日 BCで停滞
では、誰の準備が、遅れてるのでしょうか????
シェルパにABCへのルート工作と・ABCの設置を遣らせてるのでしょう




4月28日 BCで停滞 ブログ更新なし





4月29日 BCで停滞
ベースキャンプの雪が溶けて、花も見え始めました。
ベースキャンプでは午前中は快晴無風の日が続いています。
ヒマラヤ遠征の大変なところは天候待ちでもありますが、今日の予報を受けて、
いよいよ明後日に標高5500mのアドバンス・ベースキャンプに上がります。
元々は明日を考えていましたが、気圧の谷が通過するということで、もう一日待って明後日に出発する予定です。
アタックステージ開始です。
普通アタックステージとは、登頂日の朝からの行動を指す。
アタック当日は、撮影担当の魚住さんがベースキャンプから栗城の姿を望遠カメラで伝えてくれます。




4月30日 BCで停滞 ブログ更新なし

この日、北面ルートから、ブルガリァ隊が登頂。
一週間以上もBCで停滞しています。単独登頂を目指すなら、
この期間を使って、出来るだけの装備・食料を荷揚げするのが常識。
高度順応にも役立つし、ルート工作にも、全てシェルパ任せか・・・




5月1日

この日、北面ルートから、スペイン隊・ニュージーランド隊が登頂。
特筆すべきは、スペイン隊の中に77歳がいたこと。

長く好天周期を待ちましたが、今朝、標高約5200mのアドバンス・ベースキャンプ(ABC)に向けて出発しました。
昨日までは、ABCの位置を5500mと言ってたが、5200mに変更????
アンナプルナ周辺では、午前中は晴れていても午後から濃い雲が出て、雪が降ります。
ベースキャンプに入ってからはジェット気流の影響で、山頂付近では風速20-30mの予報が続いていましたが、今やっと風が弱まってきていて、チャンスは今しかないということで今朝出発しました。
お世話になっている山岳気象予報士さんからの情報では、今年は温暖化の影響か、過去8年間を見ても例のない天気で難しい予報と言われています。
今年はとても暖かくて、今日はABCに向かう氷河の末端の場所でテントを張っていまが、明日、無事に氷河が崩れることなくABCに入ることができればと思っています。
BCより8Kmしか離れてないABCに向かうのに、中一泊です・・・
普通は、一日で歩ける距離・・・
今、とても集中しています。慎重に、そして楽しんで良い登山をしてきたいと思いす。
明日からの写真は、魚住カメラマンがベースキャンプから撮影している写真になりす。
栗城の手持ちカメラの写真や映像は、無事に下山してからお見せしたいと思います。楽しみにしていてください。

※今回は究極に軽量化して南壁を登ることを目指しているので、GPSは持参せず、テントもツェルトにして食料も最低限にして登ります。
イギリス隊がC1・C2・C3 と前進キャンプを進め登頂したのに、ツェルト泊とは・・・




5月2日
今日11:15(日本14:30)に、標高5010mのアドバンス・ベースキャンプに着きました。
ABCの位置が、5200mから、5010mにまたまた変更???
アドバンス・ベースキャンプに上がる時に、かなり崩れそうな氷河を乗り越えるのに少し手間がかかりましたが、無事に着くことができました。
明日はここでレストして、明後日にアタックして行きたいと思っています。
体調も悪くありません。頑張ります。






5月3日 ABCに停滞
ABCの位置が、コロコロ変更。シェルパ2名同行のようです。
登山界の常識では、BC⇔山頂の間で、
第三者の支援(食料・装備等)が有った時は、単独登頂が成立しません。
4月23日以降、BCで費やした日々が、
シェルパにルート工作させてたのでは・・と、疑われています・・・・・

詳細は栗城公式ブログ
コメントが面白い。http://lineblog.me/kuriki/

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今、アドバンス・ベースキャンプ(ABC)で静かに休憩しています。
コックのダンさんとサーダーが、あったかいスープを作ってくれています。
やはり昼過ぎから雲が出てきて、今は雷とともに雪が降り始めています。
明日、朝4時にABCを出発して、6:30頃(日本am9:45頃)には取り付きに行き、高低差2500mの壁を登り始めます。
ここからは一人です。
ABCにシェルパが2人も居る様では、既に単独は成立しません。
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2日にABCに向かう画像だろうが、一人より写ってないのが不思議・・・
シェルパ二名は、先に登ってたのだろうか????
普通は、ABCのテントを写すと思うが、それも無し・・・・
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5月4日
現地時間am4:00(日本7:15)にアドバンス・ベースキャンプ(ABC)を出発。
6:50(日本10:05)に壁に取り付き、登り始めました。
現在も登り続けています
※写真で「点」のような栗城の姿が確認できます。
これでは、誰が登ってるのか判りません・・・・
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雪崩れの通り道の様な気がしますが・・・
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それに、この横に走る段差は、雪崩れて積もった雪が、重さに耐えかねて
面雪崩れを起した跡・・・・・クレバスでは無い・・・
そこを、ルートとして登る気楽さ・・・・
現地時間9:50(日本13:05)、南壁を登り始めて3時間で写真の位置まで進みました。

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このまま登れば、上部岩壁に阻まれるかと・・・


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参考の為に(下図)

イギリス隊が、初登攀した赤線ルートからは、懸け離れた位置を登ってます・・・
イギリス隊は、南壁の一番登攀し易いリッジルートを選んで登頂。
群馬岳連隊も、ほぼイギリス隊ルートで登頂してます。栗城は岩稜が苦手のようです。

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現地時間12:20(日本15:35)頃に6290m地点まで進みました。
下から沸いた雲に包まれて視界がなくなったため、この地点でキャンプを張る事にしました。
体調は悪くないとのことです。
※写真はベースキャンプから一瞬の雲の切れ間を狙い11:15(日本14:30)頃に栗城の姿を捉えたものです。

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現在13:30(日本16:45)の時点では完全に雲に隠れてしまっています。

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5月5日
現地時間7:00(日本10:15)アンナプルナは雲に包まれています。
天候が若干不安定な所もあり、自分の体調をよくみながら今後の行動を判断する予定です。
今は視界が全くない状態のため、まだ出発ができておらずキャンプ地点(6290m)で様子を伺っています。

現地時間8:40(日本11:55)、昨晩の予報よりも気圧の谷の接近が早くなり雲に包まれ
視界が悪く進めないため、一旦下山して次のチャンスを伺うことを決めました。
天候が好転するチャンスを狙うことができればと思っています。

現地時間8:40(日本11:55)に標高6290m地点から一旦下山することを決めた栗城は、
現地時間13:00(日本16:15)にアドバンス・ベースキャンプ(5010m)まで無事に下山しました。
そこから現在は、ベースキャンプ(4100m)に向かっています。
ベースキャンプまでは氷河地帯を越えるため、到着するのは現地時間の今日夕方〜夜になる見込みです。

アンナプルナ南壁のBCの位置から、壁の取り付き点まで遠い為にABC(前線基地)を設置
BCまで降りてくる時間を節約する為です。
群馬岳連隊は、ABCの位置までBCを上げました。
ABCが在るのにBCまで降りる意味が判らない・・・・往復の時間が勿体無い・・・

現地時間17:40(日本20:55)に、無事にベースキャンプ(標高4100m)まで戻りまた。
また体制を整えて、天気予報を見て、今後の予定を決めます。
※写真は、現地時間15:30頃に雪が降りしきるベースキャンプと、17:40に到着した栗城です。

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6290mからBCに降りて来た画像です。
背負ってるザックの大きさからしても、8千mの壁を登攀する格好では・・・・
相変わらず、ストックストラップにダラシナク手を通して・・・
指が無いのに、手袋の先処理もせず・・・・





5月6日 BCで停滞




5月7日 BCで停滞
アンナプルナ南壁には妙な雲が渦巻いていますが、この雲を突き抜けて行きたいと思います。
3日前の5月4日から山頂を目指して登山を開始して、
6290mあたりで簡易的なツェルトだけを張り、一泊して翌日さらに上を目指していましたが、
濃い雲がまとわり付き、完璧な集中力を出し切れないため一旦下りて仕切り直しました。
アンナプルナ南壁は相当な集中力が必要な山です
上からくる頭一個分の落石、雪の中に隠れたブルーアイスなど安心して休める場所はなく、
寝る時も休む時も緊張感は無くなりません。
まるで見たことのない高い所を綱渡りしているような感じです。
そして途中で、下から湧いてくる雲があっと言う間に視界を奪い、
まるで潜水艦のようで全神経を使わなくてはいけません。
いるだけで体力が消耗する、なかなか凄い山です。
そんな中でこのまま進むのは危険と感じ、一旦下りて仕切り直すことにしました。
真近に迫るアンナプルナ南壁はすごいですが、まだ心も身体も折れてません。
明日から再びアドバンス・ベースキャンプ(ABC)に向かい、天候を見ながら慎重に、
明後日ABCから再度登り始める予定です。
BCで2日も休み、8千m歩いて、また一日休むとは・・・

写真は、5月4日に登った時に栗城カメラで撮影したものです。

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魚眼か広角で写してる為に、ストックが曲がって見えます・・・
如何にも急斜面を登ってる・・・と、言う演出。栗城独特の写し方です・・・
斜めに写してるので、向こうの山並みが・・・・変ですねぇ~


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カメラの傾きを修正すると・・・

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5月8日 BCからABCに移動




5月9日 ABCで夜まで停滞
今夜午前3時(日本10日朝6:15)頃に標高5010mのアドバンス・ベースキャンプを出発します。
今は、最後の準備をしています。
今回は動画配信や生中継はありませんが、今という時間を共有していきたいです。
アンナプルナ南壁は、体力はもちろんですが、精神的に最も消耗する山だと感じました。
遠くを見るのではなく、目の前の一歩を着実に進んでいきたいと思います。
明日は6300m付近まで上がり、明後日には7000mを越えたいと思っています。
現在の体調は悪くありません。




5月10~11日 更新なし




5月12日
今回ベースキャンプに入ってから「丸一日晴れ」という日はなく、
優れない天候の中でアタックを開始しましたが、6290mのキャンプから視界不良のため、
頂上アタックをやめて素直に引き下がりました。
視界不良が、撤退理由のようですが・・・・
南壁の核心部であるロックバンド(大岩壁)を越えるのに、
視界が無いまま向かうのはあまりにもリスクが高過ぎます。
ロックバンドの遥か下での撤退です。後で画像で示します。
ロックバンドはそれほど傾斜は無いですが、
岩の一つ一つを目で見て確認できなければ登ることができません。
指の無い栗城に、岩稜は最初から無理と思っている。岩の実績も無いし・・・
今回は遠征が始まってから今日まで、早朝から10時頃までは晴れますが、
お昼前には濃い雲が山にまとわりつき、雪もしくは雨が降り出すことがほぼ毎日でした。
普通、ヒマラヤ8千m峰を狙う者は、登山期間を2ヶ月で設定します。
前準備(高度順応・荷上げ・ルート工作等)を確りやり、万全の体制で晴れ間を待ち、
満を持しての登頂。これが普通の登り方。
栗城は日本出国が4月10日で、ひと月後の今日敗退宣言、登る気が有るのか・・・
遠征序盤、いつもヒマラヤの天気予報でお世話になっている山岳気象予報士の先生から「8年前に遡っても調べても、この時期としては過去に例のない天気でモンスーンと似たような天気が続く」という情報が届いた時に、「今回は山と合ってないな…」と思いました。
尊敬する山の人が言ってました。
「山と合わなかったら、ベースキャンプでもやめる」
誰だそれは・・・個人が蓄えた金で、趣味の山登りをしてるのならそれでも良いが、
栗城は、山を登ると言い金を集め、常識的な登山期間も取らずに、
天気が悪いから撤退では〝自称 登山家〟としては、お粗末過ぎ・・・・
本当に直感力と経験がある人は、ダメは時は素直にやめます。
2ヶ月の登山期間を取っても、天候に恵まれず撤退した例も多いが・・・
ヒマラヤは地形やその年の気候によって、日々の天候がかなり変わります。
ヒマラヤの天候は15日サイクルで、安定・不安定期が訪れる場合が多い。
なので、2ヶ月必要なのです・・・・
アンナプルナ北側はそれほど影響は無いかもしれませんが、
南壁は南からやってくる湿った空気が居座ってしまいました。
北面から3隊も今季登頂したから、言い訳か???
彼等3隊は、ルート工作にひと月も費やし、晴れ間を狙っての登頂。
充分ではない高度順応後に、BCで停滞してた誰かとは違うのですよ・・・
多少の悪天候でも行動は可
しかし核心部であるロックバンド越えるには、全体を見通せる視界が絶対に必要です。
それでも諦めずに向かっていると、拳一個大の氷が左膝に落下。
激痛でしばらく動けなかったですが、
今思えば山の神様に「今じゃないよ」と言われている気がしました。
体調も良く、気力も体力も十分やれます。
しかし、視界不良のまま突き進むのは「いい判断」ではありません。
そうです、そういう時には、少しでも上部荷揚げするとか、
ルート工作するのが普通のやり方です。BCで遊んでては駄目です。
むしろ視界不良を分かっていて向かい、そして帰ってこなかったら、それこそ本当の失敗。
改めて山は、冷静に山と自分を良く見れるかどうかだと思いました。
本当に精神の修行です。
じっと待ち続けること、そして引き返すことは精神的に辛いです。
しかしこの修行を乗り越えて、次は雪が締まっている秋にまたチャレンジしたいと思います。
雪が締まってないと登れないようです、去年エベレストも同様で進歩なし・・
今回の遠征で、何も得られなかった訳では決してありません。
ベースキャンプでたくさん本が読めた!ということではありません。
3ヶ月後に控えている秋季エベレスト挑戦に向けた「リズム」と呼ぶ高所(低酸素)における身体が、良い感じで仕上がってきていることを実感できました。
また2012年に凍傷で9本の指を失い、特に左手は親指が無くてピッケル(氷や雪に刺して登る登山用具)すら満足に持てなかったのが、今は両手でしっかりと氷に刺しリズム良く登ることができました
Wアックスを使ってた事を初めて公表。
しかし後の画像を見ると、2本共ピッケルタイプです。
Wの場合、1本はハンマータイプが常識ですが(型は古いが私物です)・・・
手持ち画像を載せましたが、ピッケルのブレード部分を金槌に変えた物。
ここで、岩場にハーケンを打ったり・支点になるスノーバーを打ったりします。
これが無いと、もう1本ロックハンマーを余分に持つ必要があります・・・
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軽量化のためにシュラフ(寝袋)無しでも寝ることができ、自分の中にある課題を一つ一つ越えてきました。
過去ここを登攀したイギリス隊・群馬岳連隊は中3泊しての登攀。
軽量化とは言え、ツェルトで寝袋無しのラッシュ形式とは、
一流中の一流のやること・・・
今年の秋季エベレストは、念願の中国側です。
中国側はネパールの側より距離が短く、そしてセラック(巨大な氷河)もあまり無くて、
ネパール側よりも登頂の可能性が高いです。
中国側BCは、ネパール側より高い位置。
山頂への距離は短いものの、8千mラインに達してから山頂まで遠い・・・
そこを〝無酸素〟で登るのは至難の技。
今の「リズム(低酸素における耐久性のある体作り)」を大切にしていけば、良い登山ができると思います。
山の先輩から言われる言葉があります。
「生きていれば、必ずチャンスはくる」
引き返すことは本当に辛いですが、死んでしまったらもうチャレンジはできません。
生きていること、そしてチャレンジを応援してくれている皆さん、山の神様に本当に感謝です。
体力・技術不足で登れなかった・・と、一言で済むのに、
天気が・・雪が・・視界が・・予報士が・・山の人が・・先輩が・・神様も登場です・・・。
ありがとうございました。
※写真は、10日の登攀中、夕方に激しいあられが降っているキャンプ、11日に氷壁を懸垂下降で下りている時、下山途中に遠くに見える聖なる山「マチャプチャレ」です。

最後に画像が公開されてますが、
一枚目で、栗城流の俺はこんなに急な処に居るぞー と言う演出。
2本のピッケル・バンドが垂直に垂れてません・・・
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二枚目、驚いたのは、テントの張綱をストックで支持してること・・・
6千mの世界で・・・風吹いたら一溜まりもない処で、ピッケルが遊んでます。
三流の登山愛好家でも、こんな真似はしません、
45度に刺したピッケルで支持を取るか、十字ペグで取るのが冬山の常識です・・・・
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三枚目、肘のストラップとアイススクリュー(金物)が横向き、垂直でないと変。
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四枚目、山並みが傾いてる・・・
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正規の画像に修正しますと・・・一枚目は↓
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奥の山を見れば、平地の氷にピックを刺して、斜めに写してることが判る。
2本のピッケルのブレードから、2本共に普通のグリベル製ピッケル使用。

三枚目は↓腰のアイススクリューが下を向いてます。
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ザイルの流れから、この角度が正常と思う。
懸垂で降りたと言ってるが、ザイルを握る手の位置から、
懸垂では無くカニ歩きをしてるに過ぎない、第一懸垂中にザイルから手を離して、
写真など撮れぬ・・・・
また、右足の位置(向き)からしても、カニ歩き。懸垂なら足先は山側なはず。
ここで疑問が・・・誰が懸垂下降用のザイルをセットしたのでしょうか???

四枚目は↓ 遠くの山並みからして、これが正常。
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今回、栗城が目指した アンナプルナ南壁 のルート。
赤線は、1970年にイギリス隊が、初登攀に成功したルート。
1987年に群馬岳連隊も、イギリスルートで登頂してます。
緑線は、今回栗城が登ったと言うルート。
下のクレバス帯通過して、比較的安全な左側のリッジに取り付かず、
雪崩確立の高い、雪壁を直登しています。
栗城はミックス帯(岩と氷が交互にある地帯)が苦手なので仕方ないですが、
この先の直登は更に傾斜が増し、赤ルートに合流するのは至難の技。
栗城が言うロックバンドは、遥か上の岩壁(薄茶色部分)で、目視以前の問題・・・
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栗城は、撤退地点を6290mといってますが、
イギリスルートのC1(第一キャンプ)位置とほぼ同じ高さ。
BCまでヘリで入山してますから、BCから僅か2190mの登山でした・・・
ひと月掛けて2190mですから、K2登頂者から栗城は3.5流だとの評価も納得。

12日のブログ以降 更新が無いので〝下山家 栗城劇場〟はここで終わります。
以後、総括のような発表が有れば、続けてコメントします。
勝手なことを羅列しましたが、それほど間違ったことは、言ってないつもりです。

3ヶ月後に、中国側からエベレストを登ると言ってるが、
との程度進歩したのか楽しみです、その時はまたウォッチします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記 5月16日
12日中に、アンナBCからカトマンズまでヘリで移動し、
夕刻に、最後のブログをカトマンズから送信。
夜の便で、香港経由で帰国した模様。
15日の講演は午後2時からで、主催者が
栗城さんは一昨日帰国したばかりなのに、
全く疲れを感じさせない情熱あふれるトークをしてくださ
りました。
と、FBに書き込んでいる。13日中に帰国してた・・・
落氷が膝に当たり下山とは、この講演に間に合わせる為の口実。
本当に山登りがしたいのか? 講演のネタ話し作りで登るのか疑問・・・



今年も、4月9日(土)から土日と、GW期間中にシャトルバスが運行されます。
例年に比べ雪が少ないので、GWまで心配ですが、早めにと思ってます。

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4月2日から、全てのツァールートが開放(竹竿標識付き)されましたが、
リストに睡蓮沼ルートの記載が有りません。
3月27日に、仙人岱避難小屋から睡蓮沼方向を覗いた時、
竹竿標識が設置されて無く、準備が遅いと思いましたが、
今年はルート工作無しの様です。

4月1日に、睡蓮沼まで往きましたが、降り口の雪壁には段々が付けられ、
フィックスロープも例年通り設置されてるので、降りるのは安全かと・・・
十和田湖からの定期バスは、23日から運行。
谷地温泉⇔酸ヶ湯温泉は、当分の間夜間通行止め有り。

定期バス通過時刻
         谷地温泉   睡蓮沼   酸ヶ湯温泉
         9:40   9:47   9:58
         11:30  11:37   11:48
         14:25 以下7分後   以下7分後
         16:15   ↓       ↓
         17:10   
●睡蓮沼に車を止め、駒ヶ峯・乗鞍・猿倉岳に登り、
 猿倉温泉に滑りバスで車に戻れます。
●ロープウェイを使って登り、谷地温泉・睡蓮沼・酸ヶ湯温泉に滑り降りても、
 上記バスでロープウェイ駅に戻れます。

追記  月山・姥沢スキー場のオープンが、例年通り4月10日に決定の模様。
    姥沢駐車場までの道路は、当分の間夜間通行止め有り。

    田沢湖スキー場のキャット便が、予定より早く運行停止。
    旧アッスルスキー場から上は、まだ 積雪充分です。  

    秋田八幡平スキー場は、今積雪1.5m でGWまでは持たないと思う。
    八幡平・アスピーテラインの開通は、15日です。
    定期バスを使った、ツァーが可能です。
    
    蒸の湯→八幡平山頂  定期バス 4月16日~5月8日
          蒸の湯    山頂
          11:28  11:46
          14:13  14:31
    蒸の湯駐車場に車を止め、このバスに乗り山頂へ。
    ゆっくりスキーでの大クルーズが楽しめます。滑走距離4キロ以上。
    道標有り。
    
    鳥海山・矢島口 祓川は、例年並みの積雪で、GW過ぎまでOK。
    祓川駐車場までの道路開通は4月28日です。夜間通行止め無し。
    鳥海山・象潟口 ブルーラインの開通日は、まだ発表が無いが、
            23日と思われる夜間通行止め有り。  
   
18日追記 鳥海ブルーラインの開通は28日10時に決定

4月2日
3/31日 秋田八幡平スキー・4月/1日 南八甲田スキー登山に続き、
3日連続で 山 です。

1日は、津軽平野はいい天気だったが、東北地方の日本海・太平洋の分水嶺の、
八甲田連峰は1000m以上に終日雲が掛かり敗退。
原因は、洋上の低気圧からの東風(三陸ではヤマセ・秋田ではダシと言う)
この湿気を含んだ風が山に当たり、冷却されて雲に・・・

今日2日は、秋田県晴れ予報。
某山岳会所属の若手と、秋駒・男岳東面の雪壁を攀じろうと、前夜に急遽決定。
朝、ライブカメラで各山をチェック、鳥海・森吉などは晴れします。
秋駒のみ雲の中・・・着く頃には晴れるだろうと・・・

小峠を越えると、田沢湖はダシ風で波立ってます・・・
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肝心の秋駒は・・・岩手県側から雲が湧いてます・・・
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8時半頃に田沢湖スキー場に到着と同時にメール着信、先に着いてたようです。
準備して9時スタート、リフト乗り場で登山届け。
リフト乗り継いで、1100mからの登り始めが9時半、
山頂部のガスは相変わらず取れません・・


男岳西尾根(リフト尾根とも言う)で振り返ると、左に田沢湖 眼下にスキーが・・・
スキー場は、明日で営業終了とか・・・ガスが稜線を越えて流れてます・・・
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週末の晴れなのに、登山客無しで、前日?山頂往復した単独者の足跡が残ってます。
雪は以外に締まってて、ブッシュ脇で踏み抜く程度。
ゴアツナギが暑く、頭から汗ダグ・目に入ります・・・何でこんなに汗かくのか・・
P1でツナギ上を脱ぎ腕で腹縛り、カッターと肌着のみ。
P2では風も出て冷えて来たので、再び着込む。
ここでピッケルを出し、足元は壷足のままキックで・・・


男岳の山頂鳥居が見えた処で、一瞬ガスが晴れたが・・・
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1623mの山頂着いたのが11時、休み休み1時間半で登りましたが・・・
同行者には、物足らない速さだっただろう・・・彼はマラソンランナーだ。
鉄骨鳥居と方位盤が露出してます、厳冬期は雪の下ですが・・・(同行者撮影)
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山頂で約1時間天気待ち・・・今回は山頂が目標では無く、山頂の東面登攀が目標。
過去に攀じたルートのトレースをしようと・・・↓
このどっちを攀じるか? 未踏の2ルンゼにするかは、取り付き点に降りて、
雪の状態を見て判断する事にしてました。

天気待ちの間にアイゼン装着して・・・12時に東面下降点まで往って見る事に。

山頂から、上記URLの下降点まで降りて見たが、下が全く見えない状態。
ここの風裏で再度天気待ちです・・・汗で濡れた髪の毛が凍る始末、
帽子とフードを冠り、フリースを着込む・・・

ここでも小1時間様子見をしたが、湧き上がるガスが晴れること無く、
1時に登攀を諦める事に・・・
この先ガスが晴れて、取り付き点まで30分・登攀1時間・下山1時間を考えても、
家に着く頃には暗くなります。

男岳山頂に戻り、アイゼンを外し、ピッケルだけ携帯。
日差しで腐った尾根をドンドン降り・・・(同行者撮影)
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山頂を振り返ると・・・やはりガスガス(同行者撮影)
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下は晴れてます・・・
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2時半に車着く、飯を喰って無かったので、装備を片付けながら腹ごしらえ。
3時に帰路に就きましたが・・・途中で振り返ると・・・山頂晴れ!!!
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反省
昨日の南八甲田山行でもそうだったが、ダシ(ヤマセ)風が吹く日は、
分水嶺の登山は控えるべきと・・・・
昨日も今日も、岩手側と接しない鳥海山・森吉山・田代岳などは終日良い天気。
予報の風向きが大事だと、再認識の一日でした・・・





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