海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2016年06月

3鉢目も今朝から開花、4鉢目にも蕾がいっばい。
当分、花見が出来そう。


左の鉢は、先日の強風で倒れ、支柱が曲がり・・・
右の鉢は、自作の植木鉢。
花が終わったら、少し剪定して植え替えです。
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マスカットも、房に成り掛けてます~
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トマト・桃太郎の挿し木。
トマトは、脇芽を欠いて育てるが、棄てるのは勿体無いので・・・
欠いた脇芽を挿し木にすると、一週間位で発根します。
水分の管理が少し難しい・・・一言では、生かさず殺さす状態にすると発根。
これを定植すると、親トマトの収穫が終わる頃に、2~3個程度収穫出来ます。
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昨日は、初の30℃でした・・・・今日も暑くなりそう・・・・

市内の社会福祉法人で、陶芸を教えてると言う話を聴き、その施設を訪ねました。
敷地内には、母子寮と乳児院の建物が在り、
陶芸は母子寮の1Fの小部屋でやってました。
窯は、敷地の端の小屋内に在り、灯油を燃やして焼くらしい。

教えるのは、法人の事務をしてる方2名で、
週一回の夕方5時半~8時頃までとの事でした。
費用は一回200円で、好きな物を造って焼いてくれるとの事。
街の陶芸教室では、材料費別の月5000円もの月謝・・・
粘土の使う量も自由で、釉薬も好きなのを選択出来ます。

粘土は小学校の工作以来でしたが、
陶芸用の粘土は、土に粘りを出すのと、中の気泡を抜く為に、
〝菊練り〟と言う捏ねる作業が大事です。
気泡が入ったままで造ると、素焼きの段階で中の空気が膨張して、
ひび割れ・最悪爆発し他の陶器に被害が及ぶとか・・・
又、粘土の締めが均一でないと、焼いた時に歪む原因とか・・・


陶芸の手順は、菊練り→製作→乾燥→素焼き→釉薬付け→乾燥→本焼き
と言う、時間の掛かる作業です。

素焼きと本焼きは、施設の方が窯分の量が出来たら、纏めて焼いてくれます。

最初は、基本的な技法が網羅された、湯呑茶碗がいいとの事で、
手ロクロ台の中心に底になる部分の粘土を置き、紐状にした粘土を巻いて、
一段づつ指で下の粘土と挟んで絞めて、繰り返し高さを出します。
あっと言う間に時間になり、糸でロクロ台から切り離し、
乾燥しない様にビニール袋に入れ初日は終了。

翌週、ビニール袋内に水蒸気が付いてて、少し水分が抜けた感じ。
粘土も程良い固さ、手ロクロ台に載せ、カンナで外側の〝胴・腰〟を削ります。
内側の〝茶巾擦り・茶筅擦り〟は濡らした布で整形。
内外側が整ったら、口造りの整形。
次に、ロクロ台に逆さまに置き、〝高台・高台内〟の整形。
これで、一応完成です。
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確り乾燥したら素焼きですが、窯一杯の量がないと燃料が勿体無いので、
他の物が出来てから焼くとの事でした。

素焼きは、灯油バーナーで1時間に100度づつ温度を上げ、
800度に為ったら火を止め・煙突を塞ぎ、常温に冷えるまで蓋を開けないとか・・・

ひび割れしてないか・・心配でしたが、何とか形が・・・

釉薬(上薬)は、ポリバケツに入った色々な種類が在り、底に沈殿してるのを、
電動の撹拌する器械で掻き回し濃度を一定にします。

湯呑茶碗の中に、釉薬を流し込み二・三回廻して、素焼きに吸わせ余分はバケツに。
均一の厚さに為る様に吸わせるのがコツだそう、
外側は高台を指で持ち、バケツの釉薬に沈めます。

乾いたら本焼きですが、12時間掛けて1200度まで窯の温度を上げるとか・・・
温度計を見ながらの作業と、夏は小屋内が暑くて大変だとか・・・

週一の教室以外の日でも、一人で作業するなら何時でもOKとの事で、
嵌まってしまい通いました・・・
釉薬の掛け合わせで色んな色が出せるし、自由にやれるし・面白いのです。



茶碗
茶道で〝熊川(こもがい)〟と呼ばれてる茶碗の形ちです。
一度目に藍色に為る釉薬を掛け、
二度目は斜めに乳白に為る釉薬に浸しました。お気に入りの茶碗です。
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底の〝茶溜まり〟も、其れらしく出来てますし、指の跡も・・・
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〝高台〟も〝畳み付き〟も、綺麗に仕上がってます。
この器で茶を飲んだ事は残念なから有りません、未使用・・・
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大ジョッキ
ビールジョッキです、大瓶(633ml)一本分が入るサイズ。
底になる粘土に、新聞紙を一巻きした一升瓶を置き、
板状にした粘土版から、糸で切り出した粘土を巻いて縦面と底を接着。
新聞紙は、瓶に粘土がくっ着いて抜けなく為るのを防ぐ為、
瓶と新聞紙の間に水を入れ・新聞紙を濡らすと簡単に瓶が抜けます。
握り手を着けて形ちは完成、外側に縦横模様。
釉薬は、乳白に仕上がるのを選び薄く掛けました。
飲み口には、焼いた時に液垂れを期待しましたが、
釉薬の吸わせる量が少なかったのか・・・あまり垂れてません・・・
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冷凍庫でギンギンに冷やしたジョッキで呑むビールは、格別です~

花器・茶碗・ぐい呑み・皿など、色々造りましたが、ほとんど貰われて・・・
家に残ってるのは、植木鉢ぐらい・・・・面が車庫に在るはずなので、次回に・・・

我が家には、茶室も無いし・茶道の嗜みも無いが、
炉釜の傍に、こんなのが在ればと思い、彫って見ました。

高さ94cm・幅90cmの二曲屏風(二枚折り屏風)です。
彫刻の材は、〝朴〟(ホオの木)で木質が軟らかく、彫刻に適した材木です。

枠材は、〝欅〟です。
彫刻が8枚出来てから、ホームセンターで手頃な欅を見付けましたが、
折角の欅材に金属ビスを打つのも・・・風情無し
と、思い錐で穴を空け、木工ボンドを付けて竹串で組み立てました。
欅は硬くて手もみ錐では、大変でしたが何とか完成。
蝶番を二か所に付けて、折畳める様に・・・
全体に油性の透明ニスを、3度塗りしました。
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完成後に知ったのですが、風炉先(ふろさき)屏風には、
千利休考案の〝利休型〟と称する規格が有るとの事。
高さ 二尺四寸(73cm)・幅 三尺五分(92cm)・縁 五分(1.5cm)だそうです。
最初から知ってたら、その寸法で仕上げたのですが、後の祭りでした・・・

木彫りは花木を・・・何だか判らない図もありますね・・・
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一応、睡蓮・菖蒲・薔薇・椿などのつもりですが・・・

組み立てる際には、縦横のアンバランスと、下に一本欅材を入れる事で、
目線がやや下に向くように設定ました。

屏風を考えた頃は、軽くする為に透かし彫りと決めましたが、
彫りながら、裏に繊維質の多い薄手の和紙を貼ったら、見栄えが良いのでは・・・
と思ったものの、其れなりの和紙も探さずこのままに・・・

家人には、俺が死んだら、葬儀屋から来る〝枕屏風〟は使わずに、
これに障子紙でも貼って、使うように話してます・・・


籐製風 椅子に付属した、テーブルと足置き台。

椅子が出来たので、テーブル製作です。
残った厚さ2cm・48cm×48cm板を天板に、脚は60cmに設定。
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天板の模様は、椅子の座面を基本にし、中央部分に変化を持たせました。
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板の接着面が雑ですねぇ~・・・この辺が〝大雑把なA型(血液)〟の特徴です。
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脚も籐をイメージして・・・中間に補強を・・・
糸鋸で曲がった脚を4本切り出すのは、大変でした・・・
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椅子・テーブルが完成し、ホット一息。
これを見た娘が、オットマンは? との一言・・・
何だ、オットマンって? 聞くのも癪で、検索すると・・・何だ、足置き台か・・・


桂板材は、椅子・テーブルを切り出し、残りが無い・・・
半端の材料が沢山有るので、それを更に木工ボンドで継ぎ足し、出来たのがこれ。
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遠目では判りませんが、4枚の端材なのが一目で判りますが・・・
単調なので、両端に飾りを。
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ボンド接着で、充分強度はあると思ったものの、もし椅子して座る事も考え、
裏と脚の補強もしました。
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やっとのおもいで、3点セットの完成です・・・・
でも、置き場が無いので玄関ホールに鎮座・・・
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籐製風 椅子

木彫りサークルの仲間から、隣町の製材所に〝桂材〟の端材が沢山有るとの情報。
桂材は、彫刻に適した材木で、彫り易い事と、
板の赤味(芯材)と白太(辺材)の風合いがいいのが特徴です。

仲間で全部買う事にしましたが・・・軽トラ一台分が届いてビックリ・・・
端材は幅(20~25cm・長さ55~65cm)・厚み(2~3cm)とバラバラで、汚れてる。
でも乾燥してて、すぐにでも彫刻出来そうな板でした。
彫刻用として売ってる桂の正目板は、家庭用のまな板サイズで3千円もしまが・・・
どれでも1枚500円との話で、将来の在庫分もと・・・25枚引き取る事に。

家に持ち帰り、この材を使って何を彫ろうか考えました・・・
1枚に彫っても小品より出来ないし・・・
裏表のカンナ掛けと木口の直角を出さなければなりません・・・

悩んだ末に、県の事業団で木工の指導員をしてる知人に電話。
状況を話すと、端材を整形して1枚の板に出来るし、
機械・道具も全部有るからとの事でした。

事業団では、週2回木工教室を開催してたので、早速申し込みました。
材料持込(又は購入)で機械・道具、ビス・糊等の消耗品を使って、
費用は半日で500円・一日居ても1000円。
自動カンナや丸ノコの機械は危険なので、知人が操作してくれるとの事。

当日、25枚の板と作図を持って、木工教室に向かいました。
厚み別に板を選別し、2枚の板になる様に並べます。
次に、各板が長四角になる様に、1枚づつ木口を切断して貰いました。
長さと幅を揃えるのは、大変な作業で、無駄を出したくないのでパズルのよう・・・
自動カンナの機械が、最大50cm幅の板より入らないと言うので、
幅が越えない様に並べて、木口に速乾の木工ポンドを塗り、貼り合わせて午前終了。
昼飯を喰って戻ると、2枚の板が完全に接着されてます。
次は、裏表にカンナ掛けの作業、少しづつ削り、
綺麗な面が出る様に何回も裏表を機械に通します、反ったりしてるので大変・・・

一日掛かりで、幅48cm・長さ220cm・厚さ2.5cmの板1枚と、
幅48cm・長さ100cm・厚さ2cmの板1枚が完成。
切断した端材も、小品が彫れそうな物は、全て持ち帰りました。

家での作業は・・・
鋸屑が散らかるので、車庫で鋸・糸鋸を使い、鉛筆描きしたパーツの切り出し、
冬場は居間にブルーシートを敷いて、彫刻刀・ノミでコツコツと・・
仕上げは紙ヤスリで・・・これは埃が凄くて車庫か・晴れた日は外で・・・

背もたれは、当初一面に彫刻を施すつもりでしたが、重くて移動が大変と思い、
変更して透かし彫りにしました。
富士と満月の図に決め、強度も考え浮雲で繫ぎました・・・
肘掛は、肘掛下の足部のアーチを切り出した端材の内側を、更に切り抜き利用。
正面椅子下のアーチは、背もたれ上のアーチを切り抜いた余り板を利用。
材料に無駄が出ないように色々考えて・・・
座る部分は、2cm板を使用、他は質感を考え2.5cmで。


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座面と背もたれは90度にしましたが、座り易い様に座面の前を少し高くしました。
重さが後ろに掛かり、引っ繰り返るのを防ぐ為、荷重が後ろ足に乗るよう、
座面を前に出すとバランスがいい具合に・・・
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背もたれの補強に、三角の支えを取り付け。
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座面の彫り物は、竹を編んだイメージで・・・
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彫り上がって、組み立てですが・・・・
また、県事業団の木工教室で、ホゾ穴をあけ・ボンドを塗り・電ドラでビス打ちの
一連の作業をし、ホゾ穴を埋めて、持ち帰り。

塗装は車庫内で、透明油性二スを塗って乾かし、3回ほど塗り完成です。
桂材は、赤味と呼ばれる芯材の部分が、ニスを吸い込んで、いい飴色になります。

【趣味の部屋】と言う、新しい書庫を立ち上げました。

このブログの〝山登り〟や〝釣り〟は、10代から対象や方式が違うものの、
今まで継続して遣って来た事です。

近年〝山登り〟は、山に雪が有る時季に集中して往ってますが、
雪が消えると足が遠のきます。
理由は、年齢で抵抗力が低下したのか?
 吸血虫系(蚊・ブヨ・アブの類)に喰われると、傷口の治りが遅く閉口します。
それに、暑さで汗ダグになるのが嫌なのも原因です。更に蛇も苦手・・・


55歳を過ぎた頃から、〝木彫り・彫刻〟〝陶芸〟等を始めました。
指先を使う事で、ボケ防止に為ると聞いてからからです。
いづれも近くの公民館などでの市民講座等で、遣り方を習得して・・・

能書が長くなりましたが・・・

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椅子・テーブル・足置き台・衝立セット

絵は、中一の頃に描いた油絵です。
父親が毎年100鉢ほど育ててたのを描いたもの。


6月4日

この土日、雪の状態が良さそうなら、最後の鳥海山・夏スキーを予定してました・・
金曜日のライブカメラを見ると、季節外れの-25℃の寒気の影響で、
8合目から上の〝島・岩稜〟が白く雪を冠ってました。
処が当地は昼過ぎから雷雨が・・・往く気が削がれた感じ・・・で、中止に。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。


ここ何日か、〔チョモランマ単独行〕を引張り出して、再読してます。
1980年に、ラインホルト・メスナーが、チベット側から新ルートで、
無酸素・単独初登頂した時の著書で、1985年に和訳出版された登頂記です。


デス・ゾーン(死の地帯)と言われる、8千mを越える高所に、2晩ビバークしての快挙。
実に約30年振りの再読・・・定価2200円ですから当時としては高い本・・・
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メスナーは、8千m峰14座(単独2座)全てを、
無酸素登頂した世界初の最強登山家ですが、彼の言動が好きになれず、
この本は一回読んだきりにしてたと思う・・・
学生時代に、H・ブール、W・ボナッティ、G・レビュファに心酔してましたから。


再読の切っ掛けは、栗城がこの秋に、
メスナールートに2度目の挑戦をするとの話から・・・確か本が有ったなぁ~と。
引張り出した次第、若干古書独特の匂いがするものの付箋も当時のままに。


面白いのはメスナーが、3歳年下の植村直己をとても意識してた点です。
著書の中で、この様に言ってます。(好きになれない言い方が随所に・・・)
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この時に植村は、81年にノーマルルート(南東稜)からの登頂を試みるも、
サウスコルの上で敗退。

メスナーは、ネパール側の許可が取れず、中国側からの許可で北面へ転進。
(この頃は同一ルートに、登山隊は一隊と云うルールが有った為)


〔メスナーの行動概要〕

6月下旬  ラサから4駆で、5100mのBCに到着。
      この間、近郊をトレッキングして高度順応をする。

7月13日 ヤク3頭で、10キロ先にある6500mのABCに荷上げ開始。
      (ヤク使い2人とメスナー、彼女の4人。ポーター・シェルパは無し)

7月14日 6000m地点に中間キャンプ設置。BCより6Kmの地点

7月15日 6500mにABC設置。一ヶ月分の食料・燃料荷上げ完了。
      この間、BCに降り天候待ちと高度順応、周辺への小旅行実施。
                   BC入りしてから、合計約7週間の高度順応期間を取っている。
    
8月16日 BCからABCへ移動。
      約10Kmの緩い登り。彼女は以後ABCに待機、中国側連絡員はBCに待機。
  
8月17日 ABCから7000mのノース・コル直下に18キロザックをデポ。
      ザックには、7日分の食料・燃料・軽テント・寝袋・マット・カメラ等。                      
      標高差500m・最大斜度45度の雪壁を、2時間で登り、30分で下山。

8月18日 ABCから45度の雪壁を登りノース・コルへ。9時・7360m地点、
      3時・7800m地点でビバーク。

8月19日 北稜ルートの計画を、雪の安定したクーロワールルートへ変更して、
      幅2キロの大斜面をトラバースし、クーロワールへ200m手前の、
      8220m地点でビバーク。

8月20日 ピッケル・カメラのみ携行、他はデポ。8時出発、3時登頂、4時下山
      開始。日没後ビバーク地点に戻る。

8月21日 ストック・ピッケル・ザックのみでABCへ。他の軽テント・寝袋他は、
      全て放棄して下山。
      高所で体力を消耗した為か、ノース・コルからの降りで、2度滑落。

8月22日 ABCで体力消耗のため、動けず停滞。

8月23日 BCへの10キロの道を、彼女と一日掛かりで歩く。


◎充分な高度順応と天候の読みで、
 一度のアタックで未踏のルートを登攀してしまう意思・体力は凄いです。
 が・・・必要の無い装備他を棄てて下山とは、メスナーらしい遣り方。
 ネパール側エベレストBCの、ゴミの量を非難してた者とは思えない行為・・・・

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エベレスト北面
北稜ルート(青線)の一般的なキャンプ位置と標高、難所のステップⅠ・Ⅱ
赤線はメスナーが登攀したルートと、白◯はビバーク位置。


◆2回の高度順応期間(約7週間)を経て、5100mのBC周辺を、
 普通に走って歩けたと書いてます。
 考えられない事ですが、8千m峰14座を無酸素で完登したメスナーは超人です。

◆北稜最大の難所は、6500mのABCから、7000mのノース・コルに至る、
 標高差500mの内の400m(45度の急斜面)だと言っている。
 ここで、登りで一回・降りで二回滑落している。

◆当初計画は、北稜からの予定だったが、稜線上の雪が軟らかく膝深の処と、
 最中雪の処が有り、体力消耗と時間ロスを考え、
 ノートン・クーロワール(グレート・クーロワール)にコース変更。
 単独登頂としてセカンドステップの、梯子通過の是非の記述は無し。
 当時は、人工物に触れる事により、単独不成立との概念が無かったのかも・・・
 メスナーは、セカンドステップを見て、ハングした壁と述べている。


では、セカンドステップとは、どんな処でしょうか・・・


 3枚の画像は、1995年日大山岳部が北東稜から初登頂した時の画像。
 ①セカンドステップ下部 ②核心部梯子 ③セカンドステップ上部
①写ってるのは、シェルパ
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②1975年に中国隊が設置した梯子が健在です。
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③画像左の岩稜は、通過して来た北東稜。
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◆著書の中に、〝リズム〟と言う言葉が何度か出て来ます。
 栗城は、これを真似て言ってたのかも・・

◆使用した軽テントは、何故か?ニッピン製の所謂、ゴアの〝メスナーテント〟です
   何故、栗城がアライ製の〝ライズⅠ〟(ペラペラのナイロン生地)なのか不思議です      
 多分軽いからでしょう。
 
◆ピッケル・アイゼンは軽量のチタン製、ピッケルは1本のみ。
 チタンは、冷たさが苦に為らない不思議な金属、硬く高価で加工が大変。                                  

栗城の計画が発表になった段階で、メスナーとの比較をして見ます。

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