海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2016年10月

10月31日 北京発の時事通信で、下記の記事が発表されました。
外貨獲得で、チョモランマを売り出す様です。

  
エベレストに登山拠点建設へ=観光活性化狙う-中国


【北京時事】世界最高峰エベレスト(中国名チョモランマ、8848メートル)の中国側の麓に大規模な国際登山センターが建設される。
宿泊施設を備え、ヘリコプターでの救援や医療の拠点とする計画で、建設地のチベット自治区などは、登山者誘致による観光業活性化を期待している。
31日付の中国英字紙チャイナ・デーリーが伝えた。


センターは同自治区ティンリ県で来年着工し、2019年に完成予定。
1億元(約15億円)以上を投じ、東京ドーム2個分の敷地に飲食・宿泊、
レンタカー施設のほか、登山博物館も設置する。(2016/10/31-15:32)

   中国チベット自治区から見た、エベレスト(EPA=時事)







ネパール側のエベレストBCは、エベレストをひと目見ようと、
観光客が押し寄せる賑わいですが、
カトマンズから登山基地の町ルクラ(2800m)まで、小型機で約1時間の飛行。
有視界飛行なので、天候が悪いと足止めされます・・・
2010年の時は、映画館が出来てたし、今ではスタバ珈琲店?も有るとか・・・
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上手く飛べても、エベレストBCまでは、高度順応しながら徒歩1週間の行程です。
高山病でBCまで到達出来ない方が、2割ほどいるとか・・・






チベット側は、ラサ(3600m)まで飛行機で、
四駆車で3日走れば、チョモランマBC(5200m)へ入れます。
道路はロンブク寺院まで舗装されてて、以降は砂利道ですが・・・
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ロンブク寺院(5150m)とチョモランマ全景。
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ロンブク寺院の傍には、観光客目当ての商店街が立ち並んでます。

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商店街からチョモランマBC(5200m)までは、砂利道4キロの距離。(衛星画像)
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商店街拡大図。衣食住が整ってるとか・・・
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チョモランマBC(5200m)拡大図。右側の四角い建物は、人民軍の監視所。
遠征隊のテント群が写ってます。
発電機とアンテナを持ち込めばテレビも見れるとか・・・
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チョモランマBC記念碑。後ろの建物は人民軍監視所。
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登山センターは、ロンブク寺院周辺に造られると思われます。
ネパール側と比べ、高度順応を上手く出来れば、歩かずチョモランマが拝めます。

竹内洋岳氏が、ヒマラヤ・クンブー地区に在る、
未踏峰のマランフラン6573mに挑んでましたが、23日断念しました。

竹内氏のFBを全文添付します。(黒字は竹内氏FB、青字は私見)
未だ未踏峰
残念ながら、マランフランの頂上へは、至りませんでした。

ハイキャンプから、2日かけ岩峰帯を抜け、ビバークを組み込み、
プッシュを出しましたが、岩峰帯とヒマラヤヒダを抜けた先に、
私たちを待ち構えていたのは、まるで山の上に、
独立した山が載っているかのようなマランフランの頂上台座でした。

標高はネパール政府発行の1/5万地形図から。
                       ↓6265m                         ↓6464m              ↓マランフラン6573m
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マランフラン山頂を拡大して見ました。が山頂です。
青線竹内氏はの登攀ルートです。
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その頂上台座の細い尾根には、非常に不安定な、キノコ雪が連なり、
目の前にしながら、足を踏み込むわけにはいきませんでした。

頂上が間近に見えるところまで迫りましたが、
残念ながら引き返す判断をいたしました。

ビバークを予定していたため、引き返したのが、すでに夕方5時ごろで、暗闇の中、ヘッドトーチの明かりを頼りに懸垂下降を繰り返し、なんとかハイキャンプに戻り、翌日の22日の夜に、ベースキャンプに戻りました。

登頂に至らなかったことは、残念でなりませんが、
今回、新たにマランフランの特性を知ることもあり、
課題であった複雑な岩峰帯を抜けられたことを、成果とし、
頂上台座のキノコ雪の発達や、今季の長引いたモンスーンとの影響、
季節的特性、地理的特性、新たなルートの可能性など、
今後も研究を重ねていきたいと考えております。

また、改めて報告をさせていただきますが、
急ぎ、ベースキャンプに戻ったことを、お知らせいたします。

竹内洋岳

内氏が挑んだのは、図中の青ラインです、
小生が言うのも何ですが、(仮称)南東稜ルートとします。
竹内氏は新たなルートも模索してるようですが、山頂に至るには、
①P6359m→P6464m→6170mコル→山頂(仮称)南稜ルート
②P6285m→P6464m経由(仮称)南西稜ルート
この2ルートが考えられますが、高所で約300mも下降し登り返す等は至難の技。
今回断念したルートより、登頂の可能性は無い様に思います。
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次回は、BC→C1→C2→C3→山頂のポーラ形式を組んで確実に登るか、
連日ビバークでのラッシュ・タクティクスで登攀するかでしょうが、
ラッシュは帰路に危惧を感じます・・・

手垢の付いた既存ルートより、
竹内氏が挑んでる様な、未踏峰への模索を想像すると、ワクワクします。

竹内氏自身も、8千m14座登頂した時よりも、
未踏の6000m峰を如何に攻略するかを、〝考える時〟至福の充実感を堪能か・・・

10月23日(日)

今年初の青物(鰤・ワラサ)釣りに行って来ました。

釣り場は、日本海・秋田・青森の県境沖の、〝テリ場〟と呼ばれる天然漁礁です。
縦長の広大な漁礁で、水深100m位の海底が60mまで盛り上がった凸凹な海底。
〝テリ場〟は、テリ(メバル類)の好漁場で、小魚の集まる処。
春から北海道・積丹半島沖まで北上した青物類が、水温低下と共に南下し、
〝テリ場〟で給餌の為に一時滞留、それを狙って釣る訳です。

この秋は、10月9日も釣り船をチャーター予約してましたが、
荒天で出航出来ず・・・23日に為りました。

朝、3時に家を出て、4時前に能代港着・・・港内が波立ってます・・・
仲間8人も集合、4時半船長と船宿で協議し、
通常5時出船を、安全の為明るく為ってからの6時出船にしました・・・

6時 港の防波堤を出るとウネル波で、1時間の距離を2時間掛けてテリ場着。
釣りを開始するも、立って釣るのが大変な位の縦揺れ・横揺れです・・・

メタルジグの200g~350gでの釣りですが、
ピンク系・センターバランスのジグの喰いが良かった気がします。

釣果は・・・まだ海水温が高い為か、40~50cmの小物主体で群れも疎らでした。
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貧果の11尾、中に珍しく〝ヒラマサ〟が1尾釣れました。
鰤・ヒラマサは同じ類ですが、身が淡白でとても美味い高級魚です。
早速、塩振り焼きと刺身で喰いましたが、ワラサと違い美味いの一言。

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鰤(ワラサ)とヒラマサの見分け方は、口の付根の骨?の形ちで判断します。
真ん中が〝ヒラマサ〟上下とは目の下の骨?の形ちの違い判りますか?
〝ヒラマサ〟は丸味を帯びてますが、鰤(ワラサ)は角が直角です。

次回は、11月6日の予定、海が穏やかだといいのだが・・・

山野井泰史氏が、ヒマラヤ・アビ北壁に挑む事を聞きました。

色々調べて見ると、
モンベル「チャレンジ支援プログラム」を受けての、遠征のようです。
以下、モンベルHPより
辺境・未踏の地へ、それぞれの夢を抱いて多くの人たちが冒険・探検の旅へと出かけていきます。モンベルはその目的達成をサポートするプログラムを提供しています。
「チャレンジ支援プログラム」は、モンベルクラブ・ファンドを原資とし、冒険・探検活動、自然保護活動、社会福祉、野外教育、地域貢献など、自然と関わりがあり、社会的貢献度の高いさまざまな取り組みを支援するプログラムです。活動に必要な装備を特別価格で提供するほか、とくに社会性が高いと認められる活動には資金・商品の提供も行います。サポートを希望される個人・団体は、下記の応募要項をご覧のうえご応募ください。

2016年からのチャレンジ支援をご紹介します。

支援団体の中に、山野井氏のチャレンジ内容が書かれてました。

団体・個人名  日本登攀クラブ(古畑隆明氏 facebook・山野井泰史氏
               遠山学氏 facebook
活動分野    冒険・探検(登山)
チャレンジ内容 ヒマラヤMt.Abi北壁(6.103m)への北壁新ルートによる登攀。




新ルートによる登攀・・・既に、北壁は誰かに登攀されているのか・・・

さて、アビ峰とは、ヒマラヤの何処に在る、どんな山???
調べて見ると、アビの画像他が見付りました。

ネパール山岳協会から、トレッキングピーク(簡単な届出で登れる山)に、
認定されている山ですが、ここ数年は申請者が0のようです。
山のグレートは、ノーマルルートからの登山がADで、
6097m Fairly Difficult(かなり難しい)。
と、表記されてます。


日の当たり具合から、この面が北壁と思われます。
壁への雪の付き方は年に寄って違うと思うが、岩主体の壁の様です。
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次に山の位置です。
古畑氏のFBで、ルクラ→パクディン→ナムチバザールと書いてるので、
エベレスト街道沿いから入った処に在る山に、違い有りませんが・・・
前に歩いた時にも、見える山々は、シェルパが説明してくれたので、
記憶に有るのだが・・・

トレッキングピークなら、1/12500の地形図に載ってると思い、
必死で探しましたが判りません・・・・
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Abiの位置は、上図の左側上の ロブチェ・イーストの傍ので表示してます。




1/50000の地形図で、やっと位置が判りました。
左やや上の赤線が、Abi 6090mと書いてます。
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アビ峰の標高が、6103m、 6097m(ヒマラヤ山岳協会発表資料)、 
6090m(政府発行1/5万地形図)と、3種類も有るのが不思議ですが、
ヒマラヤの山にはよく有る話です。
政府発行地形図が正しいと思うのですが・・・
地図販売会社でも社によって違いますから・・・


アビ峰は、クンブー氷河沿いに在り、
エベレスト・ローッエ・プモリ等の名峰を眺められる処です。


この秋は、竹内隊も〝未踏峰 マランフラン〟に挑戦中、ワクワクしてます。

今、竹内氏が、ヒマラヤ・マランフラン6573mに挑んでます。
2014年秋に試登し、今年挑戦中。

10月8日、5030mにBC設置。その後5300mにABC設置。
10月16日に6100mまでルートを伸ばした様子です。
詳細は、

手垢の付いた8千峰より、未踏峰と言う〝響き〟が、何とも言えません。
場所は、エベレスト街道に聳えるアマダブラム峰と、
南に聳えるメラ峰との中間に在ります。
詳細は、当ブログで紹介してます。

後、約500mで登頂成功です、他人事ながらワクワクします~

昔に造った〝カメラ自撮金具〟です。

画像がピンボケで判り難いですが、100均文具の三角型のクリップです。
それの片方の耳に、ホームセンターで売ってる、
ボルト・ナット・ワッシャーを取り付けます。
ボルトは、カメラの三脚用の穴に合う物を探します。(これは、径4.8ミリ)
クリップの内側には、消しゴムを三角に切り、両面テープで二面固定。
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ボルトにカメラを捻じ込み、クリップをピッケルのブレードに挟みます。
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カメラレンズの向き(左右上下)の、調整機能が無いので、
写す場合はピッケルのシャフトの刺し具合で調整します。
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後は、セルフタイマーをセットし戻るだけ・・・・
自撮を考えて造った物ですが、タイマーセットが面倒で、ほとんど使わず・・・

 shi*****さん
見てくれましたか?  三脚が無くても、こんなので代用出来ますが・・・

栗城が 秋季エベレスト2016 と題して、ブログを更新しました。
見解の相違点に付いて、私見を述べたいと思います。
(黒字はブログより抜粋(かなり長文の為)、青字は私見。)



9月4日、中継を支えてくれるスタッフより早めに標高5560mのアドバンス・ベースキャンプ(ABC)に入る。できるだけ早くエベレスト北壁に近づき、雪の状態を確認したかった。前日に標高5150mのチベットベースキャンプについた時にスパッツ一枚でベースキャンプをランニングしているヨーロッパ隊に出会った。
それは、キリアン隊の事であろう・・・
BC入りしてキリアン隊に会った事を、今頃公表している・・・
ライバルとても思ってたのだろうか・・・・相手は〝屁〟とも思って無いだろうに。

アドバンス・ベースキャンプについて、雪を利用できそうなルートを模索した。
元々は北壁左側のグレート・クロワールを計画していたが、雪崩が多く、降っては止み降っては止みを繰り返す今の周期では危険と判断。雪崩が無いホーンバイン・クロワール(別名ジャパニーズ・クロワール)を目指すことにした。
雪崩れの危険性は、どちらのクーロワールも同レベルと思う。
ホーンバイン=ジャパニーズでは無い、
ホーンバインは、上部の1/3を言う、下部2/3は日本隊が登ったルート。

クロワール(岩の溝)は傾斜が60度ほどあり、真っ直ぐに山頂に向かっている。
6800mのC3に着いた時の動画では、ストックを持っていた。
60度の急斜面を、あの長いストックで登るのは、〝不可能〟・・・・
C3設営中の動画が、傾斜を証明してるではないか・・・・これが60度?
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これはある意味チャンスかもしれないと双眼鏡から眺め続けた。しかし、問題は中腹部だった。7000mから8000m近くの少し傾斜が弱くなる雪田の雪が深そうだった。

ヨーロッパ隊が7600mで一度止めたあの雪が白く厚化粧して僕を待っていた。
キリアンが登ったのは、北稜ルートであり、栗城が登ろうとする北壁とは別な場所。

ヒマラヤはよく冬が一番雪が多いと思われているが、一番多いのは夏の雨季となり6000m以上では雨ではなく、雪が降り続ける。9月に入ればモンスーンが無くなるが今年はまだモンスーンが居座っていた。

僕が尊敬する山の先輩たちで本当に経験を積み、直感力の優れている人で、「今回は山と合わない」と言いベースキャンプで下山を判断する人がいる。それはヒマラヤにおける経験と自分がよく見えているからこそできる判断。
誰が言ってるのか知らないが、長期間計画を練り・多額の費用を掛けて遠征し、
BCで匙を投げた話は聞いた事が無い・・・・たいした先輩では無いだろう・・・

「そうは言っても、行ってみなければ分からないじゃないか」と言いたくなるが、頭の中では、この雪が今後何をもたらすか、ある程度分かっていた。
この時点で、登頂は無理と判断したのか・・・

9月15日、雪と晴れの合間を取り、一度ホーンバイン・クロワールに取り付つくが、体調不良で下りる。少し身体を休ませてから降り積もった下部の雪を避けるためにグレート・クロワールより一本左のクロワールを登るが、雪の下にあるブルーアイスが顔を出し、雪ごと僕を落とそうとする。ピッケルを何度も刺す。
9月13日に、高度順応の為に西稜・北尾根(栗城流ロー・ラ フェイス)で、
雪崩れそうだと言い、簡単に諦めた件が書かれて無い。
高所登山では、成功の可否を決める重要な事前準備である。
9月15日は、6500mで微熱と言いABCまで戻る。
一本左のクーロワールとは、北壁と北稜との凹部を指す。
青氷には、ピッケルのシュピッエ(石突き)は刺さらない、
指の無い栗城に、ピック(鷲口)を打ち込む握力が有るとは思えないのだが・・・

僕は温かい食事があるアドバンス・ベースキャンプに戻らず、キャンプ1にとどまり北壁を眺め続けた。アドバンス・ベースキャンプからでは見えない部分を眺め、この北壁全体の中で、ソロで登れる場所を探し好天のチャンスを待っていた。しかし、どこを見ても深い雪は変わらない。ある時にローラフェイスの北斜面と東側のクロワールが同時に巨大な雪崩となり落ちた。あまりにも凄まじい音にテントを出る。僕のテントも撮影キャンプの方も無事だった。
話がオーバー、中央ロンブク氷河を、雪崩れが横断して来るとは考え難し・・・

この雪の中で最終的に出した考えは、ホーンバイン・クロワールをまっすぐに登ることだった。正面切ってこの深い雪と対峙する。
そこに立ち向かうのではなく、呼吸を整えながら溶け込んでいきたい。
対峙するとは、相対して立つこと=立ち向かう事ですが・・・
小生が、大学山嶽部に在籍してた頃に、山と対峙するとは、こう言う事だと習った。

10月5日、8時21分に取り付きをスタート。
ホーンバイン・クロワールをまっすぐに登っていく。寝袋なし、テントなし(ツェルトのみ)食料はラ王1個分と、江崎グリコさんに作ってもらったアミノ酸たっぷりの特製ナンバーバナナとサプリメント、凍傷を予防する薬、衣類と少量のガスと鍋のみ。
寝袋・テント無しとは笑止、
それに〝ラ王〟とは・・・爆笑(高所では沸点が低く、ぬるま湯3分では戻らない)
余談だが、高所で新品のインスタント珈琲の瓶を開けると、外気が低圧の為、
中の防湿紙が破裂し、粉珈琲が半分以上吹き飛ぶ・・・体験済み。
予備の手袋・靴下持参は当然の事だが・・・
それに肝心要の、山頂からの中継機材が抜けている。
山頂に往く気も無いし・生中継する気も無かった事が判明。

30リッターのザックにすっぽりと収まり、それ以上のものは置いていくことにした。
14日のABCからの敗退宣言では、25Lのザックと言ってたが・・高山病で呆けた?

本当はSPOTというGPSも持って行きたかったが、使用限界高度が7500mまでで、昨年ネパール側で使用した時に突然位置が大幅にずれ、栗城が滑落したのではという問い合わせが来ていた。またその重さの分持っていくなら少しでも食料を増やしたかった。
おいおい可笑しいぞ・・・7500までより使えない物を、
去年も・アンナプルナの順応でも使ってる、登る山は約9000mだぞ。
位置が飛ぶのは、入り切りが原因では・・・メーカーの信用問題では・・
他のメーカーは、正常に作動してるではないか・・・

この深い雪のホーンバイン・クロワールを登りきるには、できるだけ軽量化するしかない。もちろん寝袋やテントがあったほうが暖かいのは重々承知だが、傾斜60度ある壁を登りきるためには、他に方法はなかった。
C2から山頂まで標高差約2700m、C3から山頂でも2000m、
ワンプッシュで登頂出来る距離では無い・・・
ツェルト被って、ビバーク2晩の覚悟は有ったか・・・

ホーンバイン・クロワールを無事に登りきり、少しトラバースして6800mのリッジの上を体一つ分、平らにしストックでツェルトをはる。中腹部7000mを見上げる。
おいおい栗城、ホーンバインを登りきれば、そこは山頂直下だよ・・・

ホーンバイン・クロワールの下部は特に難しいところはなく、問題はここから先の傾斜の強い雪田を、どう乗り越えるかだった。
傾斜の強い雪田????  この文章の始めで 傾斜が弱くなる雪田 と言ってたが・・・
支離滅裂とはこんな事だよ、本当にそこまで登ったのか??? 疑われるぞ!!!!

ツェルトの中で一夜を過ごす。今回、寝袋はなしの代わりに、シルクの布とゴミ袋を高所ダウンの上からかぶり、横になる。寝袋はなしでも高所ダウンは、僕の体を守ってくれる。そこに気休めのゴミ袋で冷たい空気が入るのをなるべく防いでみるが、寝心地は「寒すぎる!」
当たり前の話・・・自業自得と言う。
しかし・・・ヒマラヤでゴミ袋を被って寝るとは、初めて聞いたよーー
10月6日、21時半、6800mのビバーク地を出発する。持っているものは水と行動食のみ。ガスも全てここに置いていくことにした。本来であれば7500m以上のところに、もう一度ビバークをする予定だったが、悪天候が近づいていること、そして何よりも深い雪を乗り越えていくためには、なるべく荷物をなくして、軽くして向かっていかなればならない。
悪天候が近づいてるから、アリバイ・アタックと解釈されても仕方が無い・・・

撮影キャンプでは、山頂に着く3時間前から中継が始まる。日本とも何度もやり取りをしながらテストを繰り返し、準備を整えてきた。
ただし、今年は体調不良のスタッフが続出し、1人は帰国、1人は最初から最後まで不調だった。それでも中継班は今寝ないで待っている。
寄せ集め素人スタッフの弱点露呈、
帰国したのはサトウ・不調は松田・マトモなのは魚住のみ。

両手を雪に深く突っ込み、雪をかき分け、膝を高く上げて雪を取り崩す。そしてようやく、一歩を踏み出し、また両手を雪を深く突っ込み、雪をかき分け、心の声が何度もこだまする。
心の声は何と言ってたのか・・・もう登れない、早く降りよう~と・・・

午前2時過ぎ、すでに標高は7400mを超えていた。星々が見えるが、辺り一面は真っ暗で、この暗闇の中の雪田がまるで砂漠のように、どこまでも広がっているように見えた。あのヨーロッパ隊のように、屈強な隊員同士がラッセル(雪をかき分けて進む)を交代し合えば、この深い雪も超えられたかもしれない。だが、この僕にラッセルを交代し合う仲間はいなく、心の声が時には励まし、時には挑発をし、僕に問いかけをしてくる。
他隊の事はどーでも良い、単独が謳い文句なはず、一緒に登る仲間など居ないだろ。

僕は腰を下ろし、深く息をした。この深い雪の中、力の限り登っていったとしても、山頂にたどり着くことはできない。ここでビバークすることも考えたが、8日にはまた雪が降り出してくる。登り切るなら今しない。しかしこの雪はすでに、一つの厚い壁となっていた。
基礎体力の無さが露呈、また雪がーー ラッセルがーー である。

栗城が登ってると公開された画像、黄色線の先のヘッ電の光。(この辺が到達点か)
西稜方向に進んでいる、急で登れ無いのか? 雪深で登れ無いのか? 説明無し。
ホーンバイン・クーロワールへは、白線に沿って進む。
岩が現われてからが、ホーンバイン・クーロワール(約8000mから上を指す)
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午前3時、無線で撮影キャンプに下山を伝える。撮影キャンプのカメラマンは冷静な声だった。その後、僕は深い雪に腰を沈め、陽が昇るのを待ちつづけた。体を考えれば、自分の登ってきた足跡をたどれば、すぐに下山はできる。
21時半にC3発・3時敗退宣言までに、5時間半で600m登った事になる。
まともに登れたとして、山頂までの1400m以上を、何時間で登れると思ってるのか?
C1 まで降りて来るのに必要な時間は ? 

ただ僕は、陽に当たる北壁全体を見渡すために、陽を待ち続けた。光が北壁に当たれば、どこが一番雪が深く、どこが浅いのか点と点を結びたかった。つまり、もう一度上がるために僕はそこに3時間以上、そこにとどまった。
夜明け前が一番冷える時間帯(歩いていても手足に刺さる痛さを感じる冷気)、
そんな中で3時間以上も良く耐えたと思う。(この点は、唯一凄いと思った・・・)
予定のルートから大分右に反れた位置に居たので、
明るくなるまで降りれなかったのかも・・・・
画像は、C3付近まで降りて来た足跡だが、膝や腰深の雪とは思えない。
精精20~30cm程度・・・・
イメージ 2

10月10日の夕方、僕はキッチンテントの隅で、うなだれながら泣いていた。2つも同時にこの遠征をすでに中止しなければならない連絡が日本から来ていた。一つ目はチベット登山協会からの登山許可の延長を求めていたが、延ばしてくれたのは3日のみで、18日まではどの登山隊もラサをでなければならないという連絡。
登山許可申請時の見通しが甘い、恐らく2ヶ月の申請。
メスナーは、3ヶ月の申請をしていた。(著書で、出入国は同じルートで許可とある)

もう一つはヤマテンの週間予報が8日からの悪天候は全てジェットストリームに変わり、8000m以上の風速は27mと強風で、行動は難しいという予報だった。つまり17日までの間、全て強風で上部での行動は不可能ということだった。6000m、7000mまでは問題なく行動できる。
風速27m以上の風を一度エベレストで体感したことがある。それは2012年のエベレスト西稜、上部8000m近くホーンバイン・クロワール入り口付近のことだった。
ホーンバインの入り口(始まり)が、8000mと認識してるではないか・・・
2012年に、8000m付近まで登れたとは、思って無いが・・・

このままいけば次こそは指じゃない、もっと大切なものを失う。キッチンにいるスタッフにここで止めることを伝えた。
しかし今、長くモンスーンが居座っていたせいか、予報と実際の天気にズレがあることがあり、13日は多少弱くなるかもしれないという、予報もあった。そこを最後のチャンスと捉え、たった2日の休養のみで、翌日僕は再びC1に向かっていった。
最後の最後のギリギリまでこのC1にとどまり、エベレストの北壁と向き合ったが、最後のアタックのチャンスが訪れることはなかった。
※今、僕は明日出国しなければいけないため、急いでラサに来ました。
今回、相手は「山」ではなく「モンスーン(雨季)」と「ジェットストリーム(偏西風)」でした。相手は天候とはいえ、今回の結果には自分自身、本当にショックで、また責任も感じています。冒険の共有ではスタッフの体調不良が続出し、思うような配信もできなかった歯がゆさも残っています。今後、栗城がどうするのか? 自分の中では再び向かうという答えが出ています。しかし、再び秋季エベレストが今年のような大雪で覆われれば、厳しい結果になるでしょう。それらを踏まえて、向かう時期の変更も考えています。もし向かうとするならば、一番雪の少ない「冬季」です。冬は最も寒く、気圧が低いため、実際の標高よりも酸素が薄くなります。ただ、秋からの強風で雪が吹き飛ばされ、最も雪が少ない時期になります。その冬季に行くか、再び秋季に向かい、安定した雪を待つか、2つの選択がありますが、今後、慎重に考えながら決めていきたいと思います。
冬季とは・・・深雪が無い分、氷の世界・気温も風も一級です・・・

また、今年は冒険の共有のクライマックスである山頂到着3時間前から栗城カメラと、撮影キャンプからの中継が行われ、AbemaTVや、様々なネット配信が企画されていました。登頂できないということは、その配信もなく、多くの人に応援していただいたことに本当に申し訳なく思っています。この悔しさを忘れず、また応援してくれた沢山の人たちの気持ちを大切にしながら、その応援を引き続き次回につなげていきます。
つまり次回は新たなクラウドファンディングは行わず、自己資金(借り入れ)してでも冒険の共有を実現したいと思います。
今回、3時間の中継通信費以外は全て諸々の費用に支払われますが、その分の資金を借り入れしてでもやります。
〝集金〟で、今回は可也の批判を浴びてますからね・・・
借金してでも、頑張る様ですが・・・担保は・・・

ちなみに今夜、チベット登山協会の人たちと、冬季エベレストの許可について話し合いが行われます。一旦、日本に帰り休養してから、また戻ってきます。
ネパール側エベレストは、登れなければ翌年の登山申請費用は不要ですが・・・
中国はどうなのか判りません、冬季の許可と言ってますから、一回毎なのかも。

結局、敗退原因は何なのでしょうか・・・・
長引いたモンスーン と 偏西風 ?
タクティクス(戦術)や高度順応・体力・技術・装備に問題が無かったのでしょうか?

敗因分析をして、対策を練らない限り、何回挑戦しても〝結果は同じ〟。



〔応援して頂いた皆様へ〕と題し、公式ブログを更新しました。
長文なので、一部割愛して、私見を述べます。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

カトマンズで最後の機材の整理をして今夜にカトマンズは立ちます。
機材を整理しながら改めて今回応援して頂いた皆さんへの申し訳ない気持ちと悔しさ、感謝の気持ちと胸がいっぱいなってました。
クラウドで「冒険の共有・否定の壁」と言い、〝集金〟した方にでしょうか?
内容が、日々のブログから微妙にズレテいます・・・

今年の秋季エベレスト(北側)からのチャレンジでしたが、モンスーン(雨季)が平年より長く、中腹部では腰近くある雪を掻き分け進まなくていけない状態の中で雪が安定する期間後半に登頂を狙いましたが、すでにジェットストリームが到来し、また登山許可の期限が近づき、終えることになりました。
雨期明け後のヒマラヤに雪が多いのは、常識です。何を今更と・・・
中腹部とは、何処を指すのか不明ですが、多分C2より上の事だと・・
しかし、証拠に為る画像が有りません。
C3と称した6800mの画像でも、雪深は精々膝下程度です。
腰までの画像は有りません・・・栗城 得意の誇張か???

登山許可に付いて、大体申請の期間が短い、常識的にはBC以降2ヶ月は必要。
登る気無しで、早く帰って講演(口演)し、稼ぐ事より頭に無いのでしょう。

今年は念願のベースから山頂まで距離の短い中国側からの挑戦となり、自分自身が本当に楽しみし準備を行ってきました。しかし、結果は7400m少し上がったところで断念しました。
BCから山頂が近いから、中国側と言う発想が不思議・・・
長い距離を歩く体力が無いから。又、近い=急斜面では? 登れるの?栗城。
結果は、急斜面で登れず、西稜側へ迂回・・・しかも、雪がーー腰までーー。

あともう一回アタックチャンスがあればと。
だから、申請期間のミスが招いた結果です・・・期間が長ければ登れたか?
天気が悪いと言っては、ABCやC1に戻らず、C2で待機してれば良いものを、
何回も指摘したはず・・・

また「冒険の共有」は今年は現地からの配信が上手く行えませんでした。新しく導入しカメラなど中継は上手くできた部分もありましたが、日々の配信の方でヒマラヤになれている配信担当のカメラマン一名が体調不良で帰国し、またアシスタントも最後まで体調不良で残りのスタッフが頑張ってサポートしていましたが、高所(低酸素)では思うような動きができませんでした。
門谷や廣瀬を、日テレ・イモト・アイガーの特番に取られたから、
魚住・サトウ・松田を急遽召集、寄せ集めを同行させたのは、栗城自身。

機材の方では、中継用の大型ソーラーパネルがチベット側から今回初めて入国を拒否され、急遽小型のソーラーパネルに変更。少ない電力の中、最後の山頂到着の3時間生中継に電力を集中させるため、思うよな配信ができず、途中栗城のどうなったのか心配されている方もいたと思います。
ソーラーパネルの件
栗城、東京の中国大使館に事前に問い合わせれば、判った事。詰めが甘い。
ボチボチ・トレック社に、全てお任せが招いた結果だよ。
3時間生中継の件
6800mからアタックの時の装備に、生中継機材が入ってた???
10月17日のブログでは、10月5日壁取り付き時の事を次の様に記述。
【寝袋なし、テントなし(ツェルトのみ)食料はラ王1個分と、江崎グリコさんに作ってもらったアミノ酸たっぷりの特製ナンバーバナナとサプリメント、凍傷を予防する薬、衣類と少量のガスと鍋のみ。】
何処に機材の事が書いてるのか・・・

今回、ルートは大雪でしたが、トレーニングの成果もあり、ほとんど高度障害はでず、途中ヘルペスで下山しましたが、それ以外はかなり集中して体調は良かったです。登っていたホーバイン・クロワールも全体的に非常に良いルートで雪が安定すれば最も登頂の可能性が高いルートだと感じました。
トレーニングの成果? 低圧酸素室での事なら、9月3日のブログでBC入りの際に、ちょっと息苦しいので、明日、また詳しくお伝えします。
と、言ってたではないか・・・6000m・6500mの低圧酸素室で身体を慣らし、
今までにない仕上がりと豪語してて、5200mのBCで息苦しいとは・・・
途中下山は微熱・・・ヘルペス? 抵抗力か無い証拠・・・
ホーンバインが、最も登頂の可能性が高いなら、毎年何人も登ってるだろうに!!!!
ホラを吹くのも程々にせよ!!!!

今年は深い雪とスタッフの体調不良とコテンパンにやれましたが、もう一度リベンジしたいと思います。
配信に関しましては、体調不良の者がでないよう改めて細心の注意でやってきます。
深雪と駄目スタッフが、敗退の原因の様です。
栗城自信の、ラッセル体力・登攀技術・装備他に問題が無かったのでしょうか・・・

登山に関しては、時期の変更も考えております。 秋にもう一度登りたい気持ちがありますが、今年のような大雪の周期が来た場合は非常に厳しいです。そこで雪が最も少ない時期(冬季)かまた春(ホーンバイン・クロワールなら誰もいません)か、雪が安定すればチャンスのある秋か今後じっくり考えいきます。
考えが纏ってない様ですが・・・ホーンバイン・クロワールなら誰もいません
意味深い発言ですねぇ~~~誰も見てない=チョンボ出来る とも取れますねぇ・・

※いくつか質問が来ているのでお答えさせて頂きます。
FBや公式ブログに、多数の疑義が書き込まれ、削除の嵐でしたが、
何か都合が悪くなったのか?やっと口を開けました・・・・

※ 中継機材は持って行っているのか?
一部通信のスポンサードを受けている関係から栗城中継カメラを公表することは控えさせて頂きます。撮影キャンプからは40倍のレンズにカメラを付け、衛星端末2台、カメラ2台を使用して中継を行います。
公開した方がメーカーの宣伝になると思うが・・何故隠匿?
あのようなゴマ点画像カメラでは、意味無し・・・・
こんなカメラより無いのかと思われたら、キャノンに失礼・・・

※なぜ下山時に生中継を行わないのか?
下山時は大変な時なのでやる予定もありません。
何が大変なのか?

※ラーメン一食分で悪天候のビバークをどうする気だったのか?
エベレスト北壁は強風のため何日もビバークは非常に危険です。6800mキャンプ3から下の取り付きまでゆっくりでも3時間近くで下山できます。
可笑しいぞ栗城、質問と答えが合ってない。
質問は、アタック時の事を聞いてるのに・・・
そのため悪天候が近づいたら上で留まるより下りた方がいいです。天候が安定しチャンスがある時に一気に登り、一気下りる。その分の食料しか持っていきません。
何回も言うが、6100mのC2が在るではないか、何もABCまで戻る必要は無い。
そこに食物を備蓄して置けばいい話。
ABCで遊んでる間に、荷上げの時間は充分有ったはず・・その体力が無かったか・・

※GPSはなぜ持って行かなかったのか?
GPS(SPOT)は僕もお気に入りの装備です。自分のいる位置がリアルタイムで伝えられるのは素晴らしいと思いました。しかし、今回の北壁は傾斜が強く、短期間で勝負をつけないといけないことから最も最軽量化しなければいけませんでした。寝袋無し、テント無し(ツェルトのみ)食料もわずか。その中でGPSを持っていくか考えましたが、今回撮影キャンプからは取り付き(壁のスタート地点)から山頂直下まで見通しがよく、栗城の位置が確認できること、SPOTの使用可能高度が7500mまでと。また昨年使用した時に一時大幅にずれたこともあり、今回持っていかず登山に集中することにしました。点ような栗城の姿を見ながらどんなところか想像を膨らませた方が山は楽しいと思ってます。
支離滅裂、ゴマ点画像で、想像するのが楽しい・・・・笑った・・・
GPSは、まともな物を買いましょう~
重いから持参しないと言うよりは、現在地点が知られるのが嫌なのでしょう~

※否定的な意見を削除しているのか?
LINEブログのことかもしれませんが、こちらは削除などしていないです。否定は冒険の一部であり、また実際に本人がやってみないとわからないことだと思うので誤解も含めてそういった意見は当然あると思います。ただ、名前を変えて何度も投稿する方、明らかにIPアドレスを変えて投稿する方、いじめのような投稿はLINEブログの運営の方で自動的に削除されていると聞いてます。
こちらは削除などしていないです・・・??
誰が誰の指示で消してるのか・・・
いじめ と感じるのは、被害妄想。
言ってる事と遣ってる事が違うから、批判が噴出してるのですよ~

※次はどうするのか?
今、時期を見直しを含めて考えています。それぞれの季節にメリットとデメリットがあります。それでいて自分が「感じる登山」がきちんとできるかどうか。良く考えて必ず挑戦します。
感じる登山??? 意味不明ですが、どうしたら登れるのかを真剣に考えないで、
エベレストの裾野をウロウロすると、〝栗城凍像・道標〟に為りますよ!!


・・・・・・・・・・・・・・・・


友人の、自称アルピニストの野口でさえ、こんなコメントが・・・
野口の富士山清掃登山は、評価しています。

野口健 ‏@kennoguchi0821 10月6日
6800mからのアタックは遠過ぎる。ノーマルルート(チベット側)の最終キャンプは8300m。ルートが違うので単純に比較は出来ないけれどそれでも遠過ぎる。

野口健 ‏@kennoguchi0821 10月14日
野口健さんが栗城 史多をリツイートしました
お疲れ様でした。この敗退を次にどう繋げるのか、大切なのはこれからだと思います。このままのスタイルで本当にいいのか、それとも違うスタイルで挑むのか。栗城さんは欲張り。何か一つ捨てないといけないんじゃないかな〜と老婆心ながら感じています。とにかく無事でよかった。日本で待っています。


野口健認証済みアカウント @kennoguchi0821 10 時間10 時間前
冒険って一言で表現するのならば「小さな背伸び」。大風呂敷広げ夢を語る事ばかりが冒険でない。突如、僕が「ヨーロッパ三大北壁を厳冬期にやります」と発表したらそれはもはや冒険でもなんでない。喜劇や詐欺の部類に入る。大風呂敷を広げるよりも少しの背伸びを繰り返すことに僕は意味を感じている。



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訃報 
田部井淳子さんが亡くなりました。
女性初のエベレスト登頂者、新たな時代を拓いたパイオニアの一人でした・・・ 合掌



先週は色々の出来事が・・・

9日(日)は、日本海に発生した低気圧のお陰で、
楽しみにしていた〝鰤〟釣りが中止。
波が高くて船が出せないとか・・・次回の23日に期待を賭けて・・・

夜のニュースで、又もや森吉山で遭難騒ぎです。
沢登の7人と連絡が取れないとか・・・
8日には、当地も大雨警報が出てたのに、沢に入るとは・・
茨城から来たらしいが、何とも・・・なパーティ、自力下山中に捜索隊と遭遇。

今年は、県内の熊の出没が多く、春には竹の子採りで4人の犠牲者が出たが、
熊の捕獲数も現時点で最高とか・・・2001年の420頭を超える見通しらしい。
人口が年に1万人減ってるのに、熊だけが増えてるらしい・・・

小学2年の孫の授業参観日が有り、小学校で驚き・・・
当日は〝祖父母参観〟だったが、嫁ぎ先の爺・婆が出れず、娘から頼みの電話。
1クラス18人の児童に、担任1人・副担任2人体制なのです・・・
教室の後ろ半分は、空きスペース・・・少子化が云われてる昨今の様かと・・・
小生の頃は1クラス60人で鮨詰め状態、中学では16クラスも有ったのが・・・
秋田が学力テストで、上位になる訳が、チラッと見えた感じがしました。


珍しく、栗城公式ブログが昼に更新されました。
3日の更新では、明日から(4日)登ると言ってたが、
4日の更新は無く、ダンマリ作戦。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

<栗城中継班より>
栗城は今朝8:20(日本時間11:35)に壁に取り付き、
現在ホーンバイン・クーロワールのルートを登っています。

無線では「集中して行ってきます!」と言って出発して行きました。


直近の行動は・・・
9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
9月30日 C2で停滞
10月 1日 C2⇔グレート左端6700mまで登った?(6700mには泊まらず)
10月 2日 C2→C1
10月 3日 C1で停滞(天気は良い・停滞の理由無し・2日歩いて疲れたのか・・)
10月 4日 C1 →C2へ上がる予定が、C1で停滞
10月 5日 C2→何処まで登れたか???

この先の天気予報です。
8000m・山頂付近の予報は、栗城が到達出来ると思わないので載せません。
イメージ 1
7日頃を境に、エベレストは冬の様相に変わりますね。
風も安定して吹き始めますし、体感温度も低下の一途です。
登るほど傾斜が増す壁+登るほど気象条件悪化=何処まで耐えられるか?
3日頃に、C1でウロウロしてないで、
壁に取り付いてれば、少しは上に登れたものを・・・
ま~これも、天候悪化を口実にする、作戦かも知れませんね・・・
「体調も良く、いいリズムで登れたが、天気がーーー」と、イツモノ台詞で。


**********************

更新されました。
いつもなら、C1を出て標高差300mのC2泊なのに、
今日は6800mまで標高差で1000mも登ってます・・・・

今日、標高6800mのキャンプ3に上がってきました。
添付された動画が、アンナプルナ南壁同様の、
ゴマ点画像で音声も無く、誰なのか判断出来ません・・・・
ホーンバイン・クーロワールの雪の状態が非常に気になっていましたが、前よりも雪が少し安定していて登ることができました。
C1からの撮影画像で、雪のルンゼにゴマ点。
「山と自分に素直になる」
自分に言い聞かせています。
それができなければ、下りたほうがいい。
ちょっと、意味不明・・・
軽量化のために、できる限り軽い装備で上がってきました。
無線も、カメラも持参してないと、言いたいのか・・・冒険の共有は?
今、風が弱い周期を狙って上がってきていきます。
6800m着が本当なら、明日が勝負ですね~  明日夜の更新が楽しみです。



栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

昨日(5日)の更新で、6800mのC3へ上がったと言ってましたが、
今日(6日)はC3で停滞してた様です。好天続きなのに何故でしょうか?
一日で標高差1000mも登ったので疲れたのでしょうか・・・


直近の行動は・・・
9月28日 ABC・5600m→C1・5800m(200m登る)
9月29日 5800m→C2・6100m(300m登る)
9月30日 C2で停滞
10月 1日 C2⇔グレート左端6700mまで登った?(6700mには泊まらず)
10月 2日 C2→C1
10月 3日 C1で停滞(天気は良い・停滞の理由無し・2日歩いて疲れたのか・・)
10月 4日 C1で停滞(C1 →C2へ上がる予定が・・)
10月 5日 C1→C3・6800m(標高差1000mを登る)
10月 6日 C3で停滞(夜から、山頂アタックだと・・・)



SpO2は81で、すごく安定しています。
85位の数値が欲しい処ですが、動画の声を聞いた限りでは、
呼吸も乱れて無く安定してる様です。

8日から悪天候になるということと、今の体調の様子、そしてモチベーション、色々なことを考えて、今日18時(日本21時過ぎ)からアタックすることにしました。
悪天候が判ってながら、停滞してる意味が理解出来ないし、
夜からの行動も解せません・・・この先標高差2000mも有るのですから・・・
夜は雪崩れの確立が低い、と言えばそれまでだが・・・

今日ファイナルキャンプに荷物を上げても、そのまますぐにアタックすることになり、それであればここから水と食料を持って上がって行きたいと思っています。
ファイナルCとは、8000mC4の事を指すが、そこにキャンプを置かずに、
アタックすると・・・仮に登れても2000m下らないと安住の地無し・・・
可也の危険が伴なうと思う。

風が弱いのでチャンスだと思います。
きちんと慎重になりながら、進んでいきます。
明日(7日)の日本時間午後~夕方にかけて、登頂する予定になります。(以下割愛)
6800mのC3を出て、24時間後に登頂。
栗城の体力で、登りで24時間行動が可能か???
上手く登れたとして、夜間行動をして6800mのC3に戻れるのか・・・


山頂の天気予報です。
7・8日以降、風が強まります・・・体感温度も低下・・
イメージ 1

帰路、6800mのC3まで戻れずに、途中でビバークの危機に陥ったら、
上部ほど危険な事は、栗城が知ってるはず。
本気で24時間アタックをするとは、思えないのだが・・・・

知る限り、過去エベレストで、6800mからアタックを仕掛けた例は、有りません。
数有る〝道標〟の一つに為らない様に、祈ってます・・・



午前中、野暮用で出掛けてましたが、何とも早い結末に驚いてます。
もう少しはヤレルかと思ってたが、
想像以下の実力の様です。(黒字は栗城ブログから抜粋、青字は私見)

<栗城中継班より>
栗城より無線が入りました。
進みたい気持ちはありますが、雪と体調のコンディションから判断して下山を決めました。
登りたいけど、雪が深いのか?  天気予報では、降雪量は少ないはず。
今までの降雪が深く、ラッセルで進めないとしたら・・・
これは、昨年のエベレストでの敗退理由と同様です。
その後冬場に、ラッセル訓練をしたと言う話は無し。(努力無くして、進歩無し)

斜面か急なので、雪が其れ程積もるとは、思えません・・・
斜面に降った雪は、加重に耐え兼ねて、暫時表層雪崩れを起しているはず。
表層雪崩れが落ちる際、旧雪面が摩擦で磨かれ氷化する事はあるものの・・・
氷がーーとは言ってないので、不思議です・・・

体調・・・6000mは何度も体験してるので、順応が出来ていると思うが、
6500mに1回・6700mに1回上がって、泊まりもせず、雪がーー天気がーーで、
降りて来てるので、7000m近い高度には順応出来てない証拠。
高度順応のセオリーを守らない、当然の結果です。(一流のクライマーは、可能)

昨晩キャンプ3(6800m地点)を出発し夜通し登り続けていましたが、7400m地点から下山します。
昨夜9時過ぎに出発すると言ってたので、一晩掛けて600mより登れてません。
時速50m程度の登行スピードですね・・・やはり鈍亀です・・・
時速100mの標高を稼げれば、一流と言えますが、やはり3.5流と言われる由縁。
鈍亀には、ラッシュ・タクティクスは向かず、ポーラ・メソッド以外無しかと。
7400m到達の証拠は???  夜間なので写真が撮れない・・・
昨年夜間に、サウス・コルに上がったと言った時と、同様に脚本通りです・・・
昨夜のアタック出発で大きく期待してくださっていた多くの皆様には、申し訳ございません。
昨夜は、サッカーを見てましたよ~ アタックの事等、一瞬忘れてました・・・
今後、天候的に可能であれば体制を整え直してから、再度アタックも考えています。
この先の天気予報を見ても、今回の〝様〟を見ても、再アタックは意味なし・無理。

降りて来てから、いつもの如くに敗退理由を述べるでしょうが、
これで下山家 栗城劇場の〝幕〟を一旦降ろします。
総括は、栗城敗退の弁を聞いてからとします。

ろくに〝共有〟もせず、5200万〝集金〟して、手元残高は幾許か・・・(邪推?)

今迄、当ブログを見て戴いた方・コメントを戴いた方、
稚拙な文章をお読み戴き、ありがとうございます。




栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)
いつもは、敗退後に音沙汰無しが続くのですが、今回は早い更新です。
〝栗城劇場 閉幕〟宣言をしてしまいましたが、もう少し続けます・・・


<栗城中継班より>
12:30(日本時間15:45)に、栗城が5800m地点まで無事に下山しました。
約7時間掛かって、7400mから5800mのC1に降りた事に為ります。
皆様からのたくさんの応援、本当にありがとうございます。
明日にはアドバンス・ベースキャンプ(ABC)まで戻って休息を取る予定です。
ABCまでは慣れた道でしょうから、心配無いですね、ゆっくりどーぞ。
ABCに戻った後、栗城の想いや栗城カメラの映像もアップしていきます。
楽しみです・・・


添付されてた画像を見て唖然!!!!!
赤線は、グレート・ルート。 
黄線は、栗城が登ろうとしたホルバインへのルートです、は6700mC3の位置。

8000mから上はガスってますが、星空のいい天気です。
イメージ 1

黄色ラインの右に、ヘッドライトの光が写ってるのが、登ってる栗城だそうです。
登頂ラインからズレテます。

C3を夜間出発し、
①先が見えずに、徐々に西稜側ズレタのか?
②直登しようとしたが、急斜面で登れず、楽な西稜ルートに向かったのか?

栗城談を聞かないと、判りませんが・・・
GPSを作動させて無いので位置が判らないのか? 
自称登山家を名乗ってるので、コンパスで方向を割り出す程度の事は、出来るかと。
多分②を選んだものと思うが・・・
位置からして、この辺りが限界だったのではと思います。
ここまで登ったと言う意味での、証拠写真かも・・・

でも、栗城にはアンナプルナ南壁での、捏造ゴマ点画像の実績が有るので、
信用は出来ませんね・・・



栗城は、既にABCに降りてるはずですが、ブログの更新が有りません。
恐らくは、ネット上の反響を、様子見してるものと思います。
それに、再アタックも匂わせてましたが、添付した天気予報をご覧下さい。


今回で6回目のエベレストでの行動を、一覧にして見ました。
如何に停滞日無駄な行動日が、多いか判ります。


8月16日 当初の出国予定日(スタッフ都合で、10日延期)
8月26日 羽田発→ネパール・カトマンズへ 
8月27日 ↓
8月28日 装備等の準備
8月29日 ブログで、日程・登頂ルートをグレート・クーロワールと発表。
8月30日 
8月31日 ラサ(3650m)から、シガチェ(3900m)に移動。(4駆で約7時間)
9月   1日 シガチェから、テインリ(4300m)に移動。(4駆で約10時間)
9月    2日 テインリで停滞(高度障害の為)
9月   3日 5200mBC到着(4駆で約5時間)
9月 4日 BCで停滞(高度障害で、スタッフをティンリに降ろす)
9月 5日 ヤクで荷を運び、5600mにABC設置(予定の6000mへ設置出来ず)
9月 6日 ABCで停滞
9月 7日 ABCでプジャ
9月 8日 ABCで停滞(ガスで見えないそうです)
9月 9日 ABCで停滞
9月10日 ABCで停滞
9月11日 ABCで停滞
9月12日 順応の為、ABC5600m→5800mで一泊。(半日歩いて200m登る)
9月13日 順応ルートの西稜・北尾根を諦め、6100mでキャンプ(半日で300m)
9月14日 6100mで停滞(降雪が有った為)
9月15日 6100mからホルバインの6500m地点に登り、微熱でABCに撤退。
9月16日 ABCで停滞(熱は下がったと言うが・・)
9月17日 ABCで停滞
9月18日 ABCで停滞
9月19日 ABC→5800m→ABC(雪が降り始めたと、ABCに戻る)
9月20日 ABCで停滞
9月21日 ABCで停滞
9月22日 ABCで停滞
9月23日 ABC→5800m
9月24日 5800m→壁の下(6100mのC2とは記載せず)
9月25日 C2で停滞
9月26日 壁の下からABCへ撤退(降雪の為)
9月27日 ABCで停滞(晴れたが動画撮影・スタッフ1名脱落)
9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
9月30日 C2で停滞
10月 1日 C2⇔グレート左端6700mまで登った?(6700mには泊まらず)
10月 2日 C2→C1
10月 3日 C1で停滞(天気は良い・停滞の理由無し・2日歩いて疲れたのか・・)
10月 4 C1で停滞(C1 →C2へ上がる予定が・・)
10月 5日 C1→C3・6800m?(標高差1000mを登る)
10月 6日 C3で停滞(夜から、山頂アタックだと・・・)
10月 7日 C3→7400m?→C1(夜間アタックし、7400mで敗退、C1へ戻る)
10月 8日 C1→ABC(ABCに降りたとの報告は無し)
10月    9日 ABCで停滞
10月10日 ABCで停滞
10月11日 ABC→C1
10月12日 C1で停滞
10月13日 C1→ABC 敗退宣言


この先の7000mの天気予報です。
イメージ 1

この風では、再アタックは有り得ませんね・・・

ABCからの報告を待ってますが、発表が無いので、行動を振り返って見ました。



栗城公式ブログが、更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

回復中と題して、以下の記載が有りました。

回復中
今、正直体がとてもキツいです。 
体がまだバキバキに痛くて、激しい腹痛でトイレに行くのも苦労しています。
7400mまで、ほとんど四つん這いになりながら、雪をかき分けて進みました。
斜面で手足を使って登ったようですし、氷では無く雪の斜面だった様です。
では、その様な状況を想像して見ます・・・
①そこそこ斜面の場合
 ストックなりピッケルを、両手で水平に持ち、
 雪面に置きそれを支点とし、足を運びます。
②急斜面の場合
 ストックは使い物に為らないので、ピッケル二本使い、シャフトを雪面に刺し、
 左右のピッケルと両足で、4点支持をし、
 常に3点が雪面に着いている状態で、安全を確保しながら登ります。
 雪が深い時、足を上げるのが大変なので、膝で雪面を押してから、足を乗せます。
 説明が判り難いかも知れませんが・・・
 要は、手と足が同時に雪面から離れない登り方です。

栗城は、①②のどんな方法で登ったのか?  ②だと思うが・・・
②で登ったとしたら、降りは後ろ向きで降りないと危険ですが・・・
登り以上に、降りに時間が掛かるのですが、C1に降りるのが早かったです・・・

急斜面で・氷の場合の登り方(ピオレトラクション)も有りますが、
雪を掻き分けて進んだ と、言ってるので、この方法は使ってないと思います。

体がバキバキの様ですが、腕を目一杯伸ばして登るので、多少は影響が有るかと。
でも、壁を目指す〝自称 登山家〟にしては、軟弱ではないかと・・・

何度この世界を体験しても、時間差で大きな波がやってきます。
大きな波の意味が判りませんが、疲れによる虚脱感でしょうか・・・

ただ、11日振りに頭も洗うことができて、これから徐々に体調も回復していくと思います。
ホーンバイン・クーロワール登山の様子を書くには、もう少し体調を回復させるので、少し時間をください。
クーロワールの様子は、後日の様です、楽しみです。

ここ数日間は悪天候の周期なので、ABC(アドバンス・ベースキャンプ)で体力を回復させていきます(以下 割愛)

C3・6800mのテント内での、動画が添付されてました。
驚いたのは、寝袋無しの銀シート(レスキュー)の様な物に、下半身を入れてる姿。
如何に、ダウン上下を着てるとは言え、寒さで体力消耗が激しいのでは・・・と。
高所に為るほどに、寒さが体力を消耗させますから・・・




栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青じは私見)

登山中の手持ちカメラと中継キャンプからの映像です。
天候的な条件が揃ったら、再度チャレンジしたいと思っています。
ただ、強風の予報が続いているので、少しでも弱まるチャンスを狙って行けるか。
慎重に、深く、考えています

動画が添付されてます。
内容は、
10月5日に、6800m・C3に上がって来た様子と、ツェルトを張ってる様子。
ストックが写ってるので、6800mへはストックを使い、着いたと思われる。
一部ピックを刺している処も有り。

テント無し寝袋無しでも、荷が重いと言っている。(中身は食料・燃料・炊飯具が主)
テント・寝袋は、C1に置いて来たと思われる。

ツェルトの設営は、40度程度の湿り雪の斜面。
ストック2本を支柱にしているが、ストラップに張り綱を直結びにせず、
ビナを噛ませている。(カラビナ等は必要で無いので、軽量化なら置いて来るべき)
(11日訂正追記) 手が不自由な事を、忘れての指摘でした。
合理的な方法と思います。

10月6日 21時30分 ヘッ電が動いてる動画。
10月7日 3時 膝から腰までの雪で、降りると言う。


******************************


天気予報を見る限り、7000mの天候が安定するのは17日からで、
それまでは最大50km/hの風が吹く模様。
後一週間もABCで停滞するのか?




栗城が公式ブログを更新しました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

今、キャンプ1で粘っています。
このキャンプ1はもちろん、山頂まで偏西風による非常に強い風の周期になり,その中で風が弱まる日を狙って待っています。
今はとにかく、風が弱まるのを祈ってます。

C1付近に湧く、ガス?か雲?の動画が、それらしく添付されてます。
しかし、エベレスト上部は綺麗に写ってます・・・
雪煙も舞って無いし、風下に雲も発生してませんねぇ・・・・

偏西風による強風とは、こんな状態を言うのですよ~ (左エベレスト・右ローッエ)
イメージ 1

本当に登る気が有るのなら、時間も少なく為ってるし、
C1で停滞などせずに、壁の下6100mのC2で、待機するべきです。
でないと、晴れても壁下まで、又1日無駄になりますよーーー



13日追記
この先18日までの、6000m・7000mの天気予報です。
風は最大45km/hで12.5m位 雪がチラつく程度です。
今日、壁下の6100m・C2に上がれば、14日から安定します。
7000mラインには、到達出来そうな天気です。
イメージ 2




栗城が敗退宣言。(黒字は栗城ブログ全文、青字は私見)

5200万の興行収入を得た〝栗城劇場〟が楽日を迎えました。

この2日間、再びアタックを目指してキャンプ1に上がっていました。
しかし今日届いた天気予報を聞き、すでにジェットストリーム(偏西風)がヒマラヤに下りてきており、風速25m/s以上の風が吹き続く中での行動は不可能と考え、先ほどアドバンス・ベースキャンプ(ABC)に戻りました。
可笑しいぞ ! 栗城 毎秒25m以上の風 ?  時速換算して90Kmの風が吹いてる??
いつも提示してる天気予報の最大値は、13日の山頂付近で60Kmです。
以降、風が弱まる傾向に有るのでは? 

キャンプ1に向かう前日に、週間予報でジェットストリームの予報を知りました。
C1に上がった日が11日だから、10日には知ってた事に為る。
知ってて・登って・敗退宣言 無意味な行動・・・台本の筋書き通りだ・・・

ジェットストリームは人間が行動できるような環境ではなく、標高8000m以上での行動は確実に死につながるため、その予報を知った時は、キッチンテントで泣き崩れていました。
それには違い無いが、あの様で8千mに本当に登れると思ってたのか???
〝自称 登山家〟往ける処まで登るのが筋、せめて7500踏む気概が無いのか・・・
キッチンテントで泣いてはシェルパ迷惑、自分のテントで〝泣け〟。

モンスーンによる大量の降雪後、あまりに早いジェットストリームの訪れでしたが、少しでも風が弱くなる日を狙うためキャンプ1に移動して、再アタックに備えました。
予報では、序々に風も弱まるのでは?????

ただ今日届いた予報では風が弱くなることがなく強風が続き、登山許可の期限ギリギリまで登山を試みましたが、ジェットストリームの期間がそれ以上に続くという予報のため、残念ながらここで秋季エベレストの登山を終えたいと思います。
いつもギリギリまでと言うが、自分の都合のギリギリまででは?
メスナーは著書で、中国登山協会の条件を全部公開してるぞ。(費用・期間他)

今年は序盤からモンスーンによる雪が非常に多く、雪崩を避けながらの7000m以上での行動は厳しかったです。
雨期後だから積雪量が多いのは折込済み、今年は平年より多いとしてもだ・・・
キリアンは、半日で7950mまで登ってるではないか・・・
栗城には、キリアン並みの体力・技術が無かった証拠。(比べるのは、彼に失礼か)

キャンプ1以上で11日間を過ごし、少ない燃料や食料の中、雪崩を避けるため雪が安定するのを待ちましたが、最後はモンスーンが明けて早いタイミングでジェットストリームが訪れてしまいました。
氷河の縁を往ったり・来たり、トレッキングレベルでしたね。

応援してくださった皆さんには、本当に本当に申し訳なく、また支えてくださった皆様に、感謝の気持ちでいっぱいです。
雪が多い中、いくつかのルートを試し、ホーンバイン・クーロワールに向かって行くときは、腰近くある深い雪を落ち着いた呼吸で進み、無酸素で登る体と気持ちはありましたが、風速25m/s以上の風を越える事は厳しいです。
雪がーーーでアタック敗退したのでは ? 今度は、風がーーですか・・・
例え無風でも、ホーンバインもグレートも登れません。
何故なら、氷雪登攀技術も基礎体力も、一流では無いからです。

ただ、今はこの結果を真摯に受け止めて、今後に繋げていきます。
そうです、講演(口演)する暇が有ったら、
流石栗城と言われる様な、技術・体力の鍛錬を・・・(3.5流からの脱皮)

今は下りてきたばかりなので、また改めて詳しいことをご報告させてください。
詳細報告 楽しみにしてますよ~

本当は動画で皆さんに気持ちをお伝えしたいと思っていましたが、長くなってしまい動画サイズが大きくて衛星通信ではすぐにアップできないので、今日は文章と短いエベレストの映像になりました。
ただ風が吹いてるだけの、無意味な画像・・・・

皆さん、本当に応援ありがとうございました。
今までガスも食料も削ってきたので、何か食べたいと思います。
皆さんからの応援、本当に、本当にありがとうございました。

実に呆気ない幕切れでした、もう少し期待してたのですが・・・・




栗城に対する応援コメントを、FBやツィッターで拾って見ました。(漏れが有るかも)
以下が、小生の知る限りの、山関係者のコメですが淋しい限り・・・
大蔵は、今回登頂シーンで、解説すると言われた〝山の先輩〟。
小生が、〝金で転んだか〟と、言った輩、
それぞれ日付から、どんな局面でのコメか、辿って見て下さい。
近藤氏や野口は、ご存知と思うので・・・
近藤氏や野口のコメは的を得てますね。大蔵は〝ヨイショ〟のみ・・・


8月14日 大蔵喜福 
いよいよですね🙋楽しみです

8月30日 近藤謙司
 ほへ?
グレートクーロワール行くのかよ…´д` ;
いったい誰がアドバイスしたんだ?
とにかく雪の量をよく見極めて!
モンスーン後の壁は要注意だぞ!

9月1日 大蔵喜福
懐かしい風景です🙌

9月10日 大蔵喜福
 いよいよですね🙋鎮静に

9月18日 野口 健
雪が深すぎる

9月23日 大蔵喜福
沈着冷静です😃

9月 30日 大蔵喜福
焦るな

9月30日 野口 健
ルート変更も一つの選択肢。

10月7日 野口 健
 最終キャンプを標高差でもう1000mあげた方がいいのでは。6800mから山頂往復は遠過ぎると感じてしまう。ただアタックがスタートしたからには登頂成功と無事の下山を願い祈ります。

10月14日 大蔵喜福
お疲れ様でした。再起!!

10月14日 野口 健
お疲れ様でした。この敗退を次にどう繋げるのか、大切なのはこれからだと思います。このままのスタイルで本当にいいのか、それとも違うスタイルで挑むのか。栗城さんは欲張り。何か一つ捨てないといけないんじゃないかな〜と老婆心ながら感じています。とにかく無事でよかった。日本で待っています。

ここまで、合間を見て書いてたら、今日の7時頃にABCから〝生中継〟の発表。
7時過ぎから、運よく見られました。

内容は・・・
あーだ、こーだの後、スポットの話し・・・
7500m辺りで、電波が拾えず乱れるので使用中止にする。
重さが100gも有り、それよりは食料を選択すると・・・
来年は遠征費を借り入れで、遣るかも・・・通信費は持ち越しだと・・・

今度は、雪の心配がない、厳冬期に登る!!!  (驚きですよーーー)
相変わらず風が強いと言ってたが、中継中に頭髪が乱れる事無し??? だが、
何故か風の音がゴーゴーで、音声聞き取れず・・・

いづれ、文章で発表かと・・・その時また。






栗城と同時期に、エベレスト北面に居た、キリアンが2016年9月28日付けの、
〝SUMMITS oF MyLIFE〟 の中で、今回の遠征登山の概要と総括をしてます。
イメージ 3

キリアン隊は、ジョルディ、アルプスガイドのセバスチャン、ビビアンの4名。
東ロンブク氷河のノースコル(7000m)から順応し、中央ロンブク氷河から、
ホルバインかグレートを登攀する計画。

8月7日 ネパール・カトマンズに到着
     手続き、その他
8月16日 中国・ラサに到着
8月19日 ロンブク到着(寺院の在る処、BCの手前)
8月22日 6500mABCの予定が、5キロ手前の6000mでキャンプ。
     (雪でヤクが進めなかった模様、この点は栗城と同じか・・)
8月29日 7200mのラプ・ラから7700mに登る。
     (北東稜末端の東に有る山・高度順応の為)
8月31日 最後の順応で、8000~8200mに登る予定が7600mで天候悪化の為中止。
     良い状態で55度の斜面を登れたと。
イメージ 1
                     (7000mノース・コルでの、キリアン)

9月8日 3時に出発して、7000mへ 天候悪化
9月11日 チャンツェ7553mの7519mからスキー滑走。
     (ノース・コルの北側の山、この山の登頂を目的にする隊も有る位の山)
9月12日 昼までに北稜を7950mまで登ったが、雪が降り始め下山。
イメージ 5
                   (登攀する、キリアン)
9月13日 ビビアンとチャンッエの6910mからスキー滑走。
9月15日 撤退決定。
9月20日 ラサで打ち上げ宴会。

イメージ 2
キリアンのメモ。22日に書かれてる90-80-85の数字は、
血中酸素飽和度の数値と思われる。
イメージ 4


天候が悪く7950mで撤退した、キリアンには気の毒だったが、
もう少し我慢をしてれば、今の好天で登頂の可能性が大だったのでは・・・・

9月12日に、晴れ間を見て6000mから7950mを日帰りとは、恐ろしい速さです。
流石、速攻のキリアンだと・・・
それに引換え、5600m(ABC)~6100m(C2)を、ウロウロしてる栗城は駄目ですね。


さて、今晩の栗城ブログ更新を楽しみに・・・・

それと、当ブログにキリアンは東ロンブクなので、
栗城とは遭遇してないのでは? との、コメントを戴きました。
キリアンのHPには、順応後に中央ロンブクに移動したとの記載も無く、
どのルートの7950mまで登ったのかも記載無しです。(北稜ルートとは思うが・・)
もしかしたら、最後まで東ロンブクに居たのかも知れません、済みませんでした。


追記
小生が50年前に山登りをした頃は、キリアンがメモした様な行程表を書き、
冬山に向かったものです。
形式は違っても行動記録として、外国人が同じ様なメモを残してる事に、
万感の思いをしています。

栗城には、知りえない事でしょうが、
計画と実績の差が一目瞭然に見られる表ですから、実践して欲しいメモです。
栗城はこんな事も知らないと、思ってますが・・・

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追記 翌2017年春のチベットでの無酸素登頂の記録

第1回目の登頂(5月20日~22日)

標高5100mのBCを、20日の夜10時に出発。
26時間後の22日、真夜中に登頂。午前0時15分に下山開始。
22日、正午過ぎに6500mのABCに到着。延べ38時間の行動。

第2回目の登頂(5月27日~28日)

1回目の記録に満足出来ず、2度目に挑戦です。
27日に標高6500mのABCから、17時間後の28日に登頂。
即日ABCに帰還、行動時間は延べ28時間30分

通常チベット側からの登頂は、天候に恵まれたたとして。
1日目 ABC⇨C1
2日目 C1⇨C2(酸素を吸う)
3日目 C2⇨C3
4日目 C3⇨登頂⇨C2又はC1まで戻る
5日目 ABCに帰還
初日に、C2まで登れたとしても、
往復4日の行程です。

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