海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2017年03月

以前【海外の山に挑戦する2人の若者】と題して、その挑戦を紹介しました。

この春、アマダブラム西壁の単独登攀に向けて、
アンナプルナ山域の、トロンピーク(6201m)で高度順応予定の、
紙谷氏の途中経過を紹介します。

3月14日、羽田から中国経由ネパールに出国。
カトマンズでから、通称アンナプルナ・サーキット(アンナ山群を周回する山道)を、
トレッキング中です。

心配してた〝生水〟に当たったのか・・下痢に悩まされ途中3日ほど停滞し、
今は回復してトロン・パス(峠)5416mに向かってる様です。


ラムジュンヒマール峰 6983m
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装備は20キロとか・・流石に若者です・・爺はこの標高で20キロ背負ったら、
一日歩いて一日停滞かも・・・高所靴で砂利道歩くとは勿体無いが・・
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節約の為にポーター(荷役人夫)を雇わず、一人で頑張ってるようです。
この荷を背負って歩くポーターは、各集落で1日600円位で雇えますが、
悪いのに当たると荷を背負ったままドロンされます。
彼等は高地慣れしてるので足が速く、目の届く範囲で歩かせる事が大事。


アンナプルナⅡ峰  7937m 北壁だそうです、 凄い景色です~
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アンナプルナⅢ峰 7555m  トロン・パス(峠)はこの谷の奥に有る・・・
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4千mを越えると、高度障害が出るので、ビスタリー・ビスタリー(ゆっくり)
先ずは、トロン・パス到着 そしてBCを張り高度順応です。

行動の詳細は、紙谷氏のブログをご覧下さい。掲載画像は氏の許諾済み
紙谷氏の新ブログは→ http://pro-hiker.com/
紙谷氏の旧ブログは→ http://ameblo.jp/prohiker マッキンリー登山等記載

続報です。

雪崩と生徒達の位置関係
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報道された記事の抜粋です。一部重複した記載有り(黒字は原文)

記者会見での記事
猪瀬教諭は登山講習会の責任者として引率していたが、生徒らに雪崩の対処方法を教えていなかったことを明らかにした。
ラッセル訓練する以前に、教えておかなければならない対処法でしょう・・・
猪瀬教諭は、当初予定していた登山から、雪をかき分けて道を作りながら進むラッセル訓練に変更したことについて、
「絶対安全だと判断したが、こういう事態になり反省しなければならない」と謝罪。自身は旅館に設置した本部にいたため、現場にいた講師役の教諭2人と電話で話し合って決めたという。
副委員長2人と話して決めたと言ってたが、
実際は現場も見ず、電話での会話だった事が判明。
「雪崩の危険は前日にテレビで知っていたが、起きやすい地形に近づかなければ大丈夫だと思った」と説明した。
事故を知ったのは、発生から45分近く経過した27日午前9時15分ごろ。
引率教諭の1人が「緊急事態です」と本部に駆け込み、救助を要請した。
引率は無線機どうしたの・・・今の世の中、走って連絡とは・・・
あの場所間で携帯電話が通じないとは不思議(昔往った事がある場所)・・・
まさか定時通信扱いで、互いに電源切ってた訳では無いだろうなぁーーー
こんな事があるから、責任者は現場に居る必要が有るのだよ 猪瀬!!
猪瀬教諭は現場とやりとりできる無線機を携行していたが、
荷物の運び出しなどで車に置いた時間帯があったという。
生徒達が吹雪の中、雪崩に埋まってる時に、
温泉宿で登山本部を整理し、帰りの準備をしてた事が判明。
「その間に呼び掛けがあったか分からないが、不用意だった」と述べ、
自身のミスで救助が遅れた可能性に言及した。
5~15分で掘り出さないと死ぬのに、小1時間後に知り、
装備整えて現場に向かったのは何時だ。話しに為らない・・・

多数の生徒を預かった責任者なら・責任者としての自覚が有ったのなら、
ラッセル訓練の上部に居て、雪崩が来ないか見張る位の気持ちがないと・・・
登山本部の温泉宿で、茶飲んでるレベルなら、誰でも委員長は出来るぞ。

遭難した際に自分の位置情報を発信できる機器「ビーコン」などを生徒に持たせなかった点については、
「雪崩の危険がある山には行かないので、義務付ける認識はなかった」と発言。
雪崩が起きた場合の対処方法も今回の講習で教えておらず、
「危険な場所には行かないのが大前提だった」と釈明した。
実際は、危険な場所に行ってたのです・・・
添付写真の更に左手の樹林帯内で、訓練してたら雪崩に遭う事は無かったかと・・・
樹木が生えていないところは雪崩が起きやすいという。なだれ注意報が出される中、山の上部でラッセル訓練を行うという判断に問題はなかったのだろうか。大田原高校の登山部の顧問が、ラッセル訓練の実施を決定した経緯について会見でこう話した。

猪瀬修一氏「前日にテレビ等で、雪崩が発生するかもしれない状況であるというのは認知していました。なので、登山する、茶臼を目指すのは無理だろうという判断にもなるし」「スキー場の中で雪崩の危険がある場所は、あの辺であるという確認をして大丈夫でしょうと、私も見ました」「(Q:その根拠は)何年か前か分からないが、そこで訓練したことがある」「結果として、こういう形になってしまったので、本当にものすごく、残念に思っています」
栃木県高体連では、毎年同所で講習会を開いてたので、安全神話が有ったのかも・・


ガイド談の記事
死亡した生徒らは、木々が密集している樹林帯を抜けたところで雪崩に巻き込まれたとみられるという。一方で、助かった生徒らは、樹林帯の周辺で見つかっている。これについて、登山の専門家は―

「訓練という範疇(はんちゅう)の中では、樹林帯を越えてさらに上部に向かうということは、通常考えにくいので、推測ですが悪天候で視界が利かない中、行動していて自分たちの正確な位置情報が把握できないまま上部に向かってしまった結果ではないかなと思います」(日本山岳ガイド協会認定ガイド・山本篤さん)

30年近くガイドを務める東京山岳ガイド協会会長の下越田功さん(73)は、学校側が「絶対安全だと判断した」と説明したことに、「山登りは自然が相手だ。何を根拠に安全と言っているのか」と疑問を呈した。
遭難時に位置情報を発信できる「ビーコン」を生徒らが所持していなかった点については、「積雪期の登山には(ビーコンやスコップなどの)『三種の神器』が必須。登る場所や標高は関係ない」と強調した。
積雪期に登山するのに〝三種の神器〟が必須と言ってるが、
小生は必ずしもそうとは思わない。
BC(バックカントリー)や、山スキー本でその手の記事が多いのは確か。
取り扱い講習会を主催し、飯の種にしてるガイドが多数居るのも事実。
〝三種の神器〟を携行する・しないは、自己責任の範疇です。
昔の山スキー愛好家や、冬山登山者は、雪崩に関して熟知し避ける策を学んでます。
皆が皆、それを携行すれば助かる訳で無し、埋まって5~15分が勝負です。
オロオロしてる間に、第二派が発生して、更に犠牲者が増えた例が有ります。
冷たいようだが、生き残った者は、安全地帯に避難する事が最優先です。
生徒らに雪崩の対処方法を教えていなかった点には、「雪崩に巻き込まれたら、残った人たちで早急に救助活動をするのが原則で、通常は事前にロールプレーなどで訓練を行う」と指摘した。
救助活動の仕方を訓練する事は大切だが、その場から避難する事が最優先です。
実際に目の前で雪崩が起ったとして、考えて見ましょう・・・
生き残った者が集まり、ザックからゾンデ棒出して・スコップセットして、
ビーコン取り出し、さぁ~何処から探そうか・・・
何んてしてたら、生存可能時間は過ぎてします。
滑落停止の訓練と本チャンの差と同じです。
雪崩そうな処には近付かない・滑落するような歩き方をしない事が、命を守る術。
 下越田さんは「山登りのベテランとは、常に新しい知識を取り入れ、事故を未然に防ぐ人のことだ」と強調。山岳部顧問の教諭が、無線機を車に置いたままの時間帯があったと話していることも踏まえ、「緊張感を持ってリスクマネジメントをしていなかったのでは」と話した。


県教育委員会・県高体連の記事
栃木県では高校の部活動で登山する場合、登山計画書を登山計画審査会に提出し、日程や避難経路の設定、装備などの審査で承認を受ける必要がある。大田原高校など山岳部の実力校を抱え、冬山登山でも承認があれば認めてきた。
来た書類に、山を知らない人間が、型通にハンコ押すだけだろうから意味は無し。
稟議と称するやつで、回って来た来たから見たの印では、
最後に押印した者が責任取れるのか??  如何にも役所的である。
一方、雪崩事故があった春山安全登山講習会は、「(登山ではなく)講習会との位置づけ」(宇田貞夫教育長)で、主催する県高体連は1963年から登山計画書を出さず、審査会にも通さずに実施してきた。
登山では無く・講習会だって・・・苦しい言い訳ですね~
本来 晴れてれば、茶臼岳に登る計画だったのでは????




追記 4月1日付け 毎日新聞によると

①登山講習会の実施要綱には、ラッセル訓練をする記載が無かった。
②実施要綱の講師欄に、亡くなった毛塚教員の記載が無かった。
③力量に応じ5班に編成したとしてるが、先頭の1斑に経験の浅い毛塚教員を配置。

林野庁管理署によると、現場一帯は雪崩危険箇所として、県に通知していた。
団体が国有林に入る際の入林届は、未提出だった。

スキー場には、トイレの使用だけしか申請されてない。

等々の、手続き上・管理体制の不備・危機意識の欠如が有ったとして、
県警では慎重に調べている。


段々綻びが出て来ましたね、送検は間違いないでしょう・・・


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心配してた事態です。

3月29日 秋田魁新報掲載

栃木県のスキー場で高校生らが雪崩に巻き込まれて死亡した事故を受け、
秋田県の高校の山岳部や登山部は28日、合宿を中止するなどの対応を取った。
大館鳳鳴と能代工の両校は、29日から森吉山で合同合宿(1泊2日)を行う予定だったが、県内に雪崩注意報が発令されていたことなどから中止を決定した。

羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く

まさに諺通りの対策です。
秋田県内での雪崩注意報は、山の無い干拓地の大潟村を除き、
山間部の雪が消えるまで、天候に関係なく毎日県下全域に発令中です。

那須での雪崩遭難事故の、その後を記載する。

今日(3月29日午後5時から、県庁での会見)、夕方の記者会見報道を見て、驚いた。

栃木県高体連・登山部委員長 猪瀬修一の記者会見。

要旨
①前日(26日)のテレビで、雪崩・大雪注意報は見ていた。
 【Ⅰ】で指摘した通り、
 気象通報を基に天気図作成等はしてなかったのだ・・・
 この事から【Ⅰ】で指摘した通り、温泉宿泊をしてたのかも・・・

当日(雪崩発生日)朝に、副委員長のスガマタ・ワタナベ教員と相談し、
 新しい積雪は有ったが、ラッセル訓練を決めた。
 二人は自分より登山経験が有り、天候も悪くなく、絶対安全と思った。
 3人の合議で決めたと強調。こんなのが委員長なのだ・・・
 それじゃ~ 責任は各々1/3か? 
 いゃ~~~ 全ての責任を負うのが、委員長だろう。

③雪崩発生時は、【登山本部】にしてた温泉宿で、跡片付けや精算をしてた。
 宿泊代・宴会代の精算か・・・登山本部を温泉宿に置く意味が判らない・・・
 栃木県高体連・登山部の伝統なのでしょう~

④自分は【登山本部】待機が職務。
 現場を知る・見る気が無い、お飾りの存在か?

⑤天候が悪化した事は判らない。
 まさに、ノー天気・他人ごと・・・現場の引率教員に丸投げです。

⑥引率教員から、事故を知らされて、110番通報した。


雪崩事故後、2日半日が経過しての会見です。 
会見を見てて、おゃっと思ったのは、
記者からの質問に、言葉詰まる事も無く・涙を流す事も無く、
ひたすら詫びる事も無く、淡々と答えてたのが印象的。
気が強いのか? 鈍感なのか?  
事故は俺の責任では無い、天気が悪いのだとでも言いたげな態度・・・


猪瀬修一 は、死者8人(生徒7人・教員1人)を出した、大田原高校の教員だった。
しかも同高の山学部の顧問だと言う・・・
大事な生徒を7人・同僚1人を殺してながら、よくも淡々と会見出来たと驚いた。

幸いな事は、他校の生徒から死者が出なかった事だろう・・負傷者は多数出たが・・

しかし、あの会見の様は、まるで他人事の感が有る、
自分は責任者なので【登山本部】=温泉宿 に詰めてたと・・・

雪崩事故発生後、初めての会見を見て、余程弁護士と相談しての事と思う・・・

後味の悪い事故・・・・こんなトボケタ男は許せない!!!


2017年3月27日
悲しい春山(3月なので春山の区分)での、大量遭難事故が起った・・・

報道に拠ると、県高体連主催の講習会で加盟7校から、生徒51人教員11人が参加。
ラッセル訓練中に雪崩に遭遇したとか・・・
生徒33人・教員7人の48人が負傷し、うち生徒7人・教員1人が圧死・窒息死。
この日は悪天候で、引率していた県高体連・登山部の猪瀬委員長の判断で、
茶臼岳登山を中止にし、ラッセル訓練に変更した。
この委員長は山暦20年以上で、指導員の資格が有ったらしいが・・・
雪崩は、第一班がラッセル訓練中に起きた。
1300m付近から100mから200mに渡り滑り落ちた、表層雪崩らしい。


スポーツ庁は、原則・高校生の冬山登山を自粛するように通達を出していたが、
これにより3月27日付けで、高校生に冬山登山をさせないよう通達を変更した。
実質禁止の様だが、如何にも役所的発想、文部省なら判る気もするが・・・
スポーツ庁は、何の為有るの? スポーツ振興の為ではないのか?
生徒がどうすれば安全に山が登れるかを、考えるのが仕事だろうに・・・


栃木県高体連の会長は、この事をマスコミに聞かれ、3月は冬山で無いと発言。
屁理屈をコクな !  
確かに山の世界では、2月で冬山区分が終わり、3月から春山なのは違いないが、
降雪が有り吹雪けば、2月も3月も一緒、冬山も春山も無いのである。


前日の26日から降雪が続き、気象庁では栃木県北部に雪崩・大雪注意報を発令。
那須高原で27日10時に積雪34cmを観測したと言う。
当日難を逃れた生徒談は膝までのラッセル(カンジキかシューを付けてたと思う)、
救助隊談は腰まで(壷足か・・)の深雪だったとか。
いづれにしても、新雪が膝以上に積もってた事は確かだ。

参加62人中、48人が負傷(内8人死亡)した事故は異例である。

疑問は
①26日の気象庁発の雪崩・大雪注意報を、責任者の猪瀬が何と考えたか?
 講習会では、天気図作成・判読の仕方などの座学は当然してるはす・・・
 早朝の日本短波放送・NHK2(16時)からの〝気象通報〟を録音して、
 天気図描きを練習した意味がない・・・
 大方、26日の夜は各校の引率教員集めて、宴会でもしてたのだろう・・・

②翌朝登山を中止したのは良しとして、緩斜面で無く・急斜面でのラッセル訓練を、
 何故させたか?
 
③前日は気温が高く、積雪面の融雪が進んだはす、夜間気温が下がって凍結、
 その面に春の湿り雪が積もれば、どうなるか・・・
 山暦20年以上の指導員が、それを予測出来なかったのか? 笑止である。

④高体連・登山部委員長の猪瀬は、計画立案の経緯・講習会の状況・当日の判断・
 捜索完了まで12時間も掛かった経緯に付いて、講習会開催責任者として、
 隠れてないで説明をすべきである。

疑問点の多い、責任者の判断ミスに因る、雪崩遭難事故です。

県警では責任者の猪瀬を、業務上過失致死傷容疑での送検の話も出てるが、
雪崩れるとは思わなかった・・で無罪放免・学校の責任も無し・・・
亡くなった生徒が浮かばれないし・・・親の無念は幾許か・・・



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この事故で思い出すのが・・・・

1964年(昭和39年)に有った、秋田県立大館鳳鳴(ほうめい)高校の、
岩木山遭難事故です。
山岳部員6人で岩木山合宿をし、キャンプから5名が山頂に向かい悪天で遭難。
戻らないので、キャンプキーパーが救助依頼・・・
1名は自力で民家まで降り救助されたが、4人はバラバラで疲労凍死でした・・・
5人は吹雪きで視界を失い、別方向に降りたのです。
延べ8日・2000人以上で捜索したとか・・・

この時、小生は高校生で山岳部が無く、創部しようとしてた矢先・・・
この件で、お流れと為りましたが・・・
後に、大館に住むようになり、地元の社会人山岳会に入って、
この時のキャンプキーパーと遭いました。

無雪期の山には登るものの、雪山には行こうとしない彼、不思議に思い・・・
聞けば、10年振りに山を始めたとの事・・・
岩木山の時は、カンジキを忘れて行ったので、アタックせずにテントに居たと・・・
カンジキを持ってれば、俺も死んでたと・・・
自力下山した1人は、色々言われ地元に居られず、卒業後沖縄に行ったとか・・・
彼も何度か自殺を考えたとか・・・家業と長男だった事が踏み留まらせたそうです。
遭難が有れば生き残った者も、其れなりの重荷を背負う事になるのです・・・



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山の事故の殆んどは、原因は様々(殆んどが人的ミス)だが、
今回の那須の事故は、有る意味団体行動の怖さを現してます・・・

山での遭難事故では、自己責任と言う言葉が有るが、
この事故は、県高体連・登山部の公式行事で有り、
各校教員の判断・生徒個人の判断が通用しない環境下での事。
県高体連の責任者が責められるべき、典型的な雪崩遭難事故です。


亡くなった生徒達のご冥福を祈ると共に、
負傷した生徒達の早い回復を願います。
これに懲りて、山登りを辞める事の無いように・・・・



追記
昼のテレビに、自称アルピニストの野口健が出演。
ビーコンが有れば等と、ゴチャゴチャ言ってたが・・・・
高価な〝三種の神器(ビーコン・ゾンデ・スコップ)〟を、
山登り入門の高校生が持てるはずも無く、仮に持ってても、
62人中48人が行方不明・負傷では、現場で混信して何の役にも立たないのだ・・・
ビーコンが役立つのは、雪崩に埋まって5分~10分、
直ぐに掘り出さないと窒息・圧死・・・
この状況では、ビーコンの有無は意味なし。

三種の神器とは、
ビーコン 7万~3万円 高いほど性能は良いが、使い方を熟知しないと意味なし。
ゾンデ棒 1万円程度
スコップ 5千円程度


小生はスコップ以外の〝2種の神器〟を持ち歩かない。(スコップは雪洞堀の為)
理由は
   ①ビーコンは、埋没者を探す物。ゾンデ棒は雪中に刺して埋没者を探す物。
    探してる間に起るかも知れない、二次雪崩が怖いのです・・・
    
   ②雪崩そうな処には、近付かない・登らない・滑らない、
    これが我が身を守る全てです。




29日 追記 報道による新事実
(太字は小生が強調した部分・抜粋して転載しました)

委員長の教職員は山岳部で23年の顧問歴があるという。会見した県高体連の橋本健一会長によると、事故当時、委員長は「現地登山本部」の町内の旅館にいたという。現場は吹雪いてたというが、登山を中止するという判断をしながら、なぜスキー場でラッセルを実施したのか。
責任者が、スキー場下の温泉宿に居たとは・・・(確かに現地には温泉宿数軒有り)
2泊3日で、生徒達には雪中でテント泊をさせ、委員長は温泉泊とは立派です。


栃木県那須町で起きた雪崩で県立高校生ら8人が死亡した事故で、県と県教育委員会は28日、生徒が被害に遭った事故現場について、那須温泉ファミリースキー場の敷地外の国有林だったことを明らかにした。雪をかきわけて進むラッセルの訓練に参加した生徒らは、当初の県教委の想定よりも山側へ行進していたことになる。また、現場では事故当時、会話できないほどの吹雪に見舞われていたことも訓練に参加した生徒の証言で分かった。
当初発表のスキー場内では無かったし、猛烈な吹雪だった事も判明。


現場の教職員は悪天候のため登山の実技講習を中止しながら、なぜ、歩行訓練を実施したのか。今回の「春山登山」の講習会を主催した県高校体育連盟も詳細を把握しておらず、中止から訓練開始までの2時間の判断が適切だったのかが焦点となる。
講習会の実施要項では「荒天でない限り」は登山をすることが記されているが、悪天候の場合に何を実施するか書かれておらず現場で決めたとみられる。


県教委によると、高校生らは深い雪をかき分けて進むラッセル訓練中だった。
県内の高校山岳部の男女40人と教員8人が参加。
27日午前8時に那須温泉ファミリースキー場のふもとを出発し、
学校別に5班に分かれてゲレンデ脇の樹林帯の斜面を登り始めた。
班ごとに別々のルートで1列に進み、
先頭の1班には、前後の教員2人の間に県立大田原高校の男子生徒12人がいた。
右後方から2班(真岡高、宇都宮高)が続き、
さらに左後方から3班(矢板東高、那須清峰高)、
4班(矢板中央高、宇都宮高)が登り始めた。
女子だけの5班(真岡女子高、矢板東高)は斜面の下の方で待っていた。
1班が登り始めて30分ほど進んだころに雪崩に襲われた。
後続の班にいた別の高校の男子生徒は「強い風が上から吹いてきたと思って身をかがめた瞬間、雪崩にのまれていた」と証言した。
雪が全身に覆いかぶさり、一気に40~50メートルほど流されたという。
胸まで埋まったが、自力で脱出した。樹木にぶつかるなどしてけがした生徒もいたという。
学校別に5班で別々のルートで登った・・・訓練だからでしょうか?
普通では考えられない登り方で、雪の斜面に4本の筋を付けた事が、範囲を拡げたか?
雪崩はスキー場内まで流れて、女子班も巻き込み止まってます。
雪崩に直接当たらなくても、流れる雪崩の爆風で人は簡単に飛ばされます。


次々と、高体連・登山部 委員長猪瀬の、
計画の杜撰さが明るみに出ています。


では、雪崩対策はどうするのか?・・・

雪崩そうな斜面やその下には、立ち入らない事で事故は防げます。

場所的に見ると
斜面に太い立ち木が林立してる様な処では、雪崩は殆んど起きない。
斜面にブッシュや潅木が生えてる処は、過去に雪崩が発生し立ち木が倒れた場所。

表層雪崩の特徴
表層雪崩は、音も無く流れ降ります。
爆風(ホームで電車が通過する様な風)を感じた途端に、雪煙を上げ流れて来ます。

雪崩対策は・・
登山本では、そんな場所を通過する際には、
何時でもザックを外せるよう、ウエストベルトを開放して置くと書いてますが・・・
そんなに上手くは往かないでしょう。

又、通過には一人づつ歩き・安全が確保された地点で、
次の者が通過せよと書かれてます。これは被害を少なくする意味で有効です。

巻き込まれたら、手足を泳ぐ様にせよとも書かれてますが・・・
浮力を得る為に・底に巻き込まれない為でしょうが、咄嗟の判断で出来るかどうか?
流されてる内はいいが、止まり掛けると上から流れて来る圧で雪が絞まります。
絞まる前に上半身脱出出来れば助かるが(腰まで埋まり掘って貰った経験有り)、
首が出てる程度では、掘り出して貰わない限り胸骨が折れて圧死・・・

雪崩の筋を読み、ザックを捨て横に逃げろとも書かれてますが・・・
ラッセルする雪深で、実際それが瞬時に出来るかは疑問です。

他、色々書かれてはいますが、危険な場所には近付かない事が大事です。
どうしても通過しなければ為らない時は、
一人づつの通過が原則・被害が最小限で済むからです

春先の全層雪崩やブロック雪崩は、折れた木・土砂を巻き込んで流れて来るので、
ゴーッとジェット機の様な音で判るが、雪崩筋に居ては逃げようが無い・・・
衣服が剥がされた状態で、発見されるのが殆んどです。

全層雪崩やブロック雪崩は、毎年同じ場所で起きるので、
予測し易い部類に入るでしょう。
表層雪崩は、雪庇が落ちた衝撃や、積雪状況により緩斜面でも起きるので、
予測は難しいのです・・・
降雪中・降雪後・日中に発生の確立が高いので、
気温が下がった夜間行動する事も有ります。(小生は実際にそうしてました・・・)

3月26日
天気予報では、25日26日が晴れ・曇りマークでした。
天気図を眺めて、25よりは26日の方が晴れ間が多いだろうと予測。
25日は案の定、平地でも低い雲が流れ・日差しが射すものの長続きせず、
山は雲の中だろうと・・・

今朝一番に予報をチェック、夕方までは持ちそうな天気でした・・・
7時少し前に家を出て、八甲田に向かいました。
黒石で高速を降りると、岩木山(津軽富士)がドーンと見えます、山頂に薄雲が・・・
田圃はまだ雪に覆われてます・・・
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どこから登ろうかと考えながら・・・ロープウェーは日曜で混んでるだろうし・・・
地獄湯ノ沢経由も人が多いだろうし・・・酸ヶ湯から直に大岳を・・と。
8時半に、酸ヶ湯温泉上の駐車場に到着。
4月1日の、酸ヶ湯⇔谷地温泉間の道路開通に向けて、
大駐車場の除雪はほぼ終わってたが、バリケードで入れず・・・いつもの処へ。
日曜日の晴れなので、仙人岱に登る登山客の車でいっぱいでした。

板にシールを貼ってると・・・スノーシューを持った親父が、これ何するもんだ?
シュー履いて雪山に登ろうとする者が、シールを知らないとは・・・オイオイ・・・


準備をし9時から、酸ヶ湯温泉脇の〝湯坂〟からシール登行。 湯坂のパノラマ画像
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ここまで書き込んで、5時半になったので一旦打ち切って・・・笑点見ようと・・
スイッチ入れたら、・・・稀勢の里の一番です、痛々しいテーピング・・・
普段 相撲には興味が無いのだが・・・勝った!!  決定戦です。
見事に 連続優勝・・・久々に見た 国産〝男〟の底力に感激・・・

話が逸れました・・・


〝湯坂〟の急登を登り切ると、眼下に酸ヶ湯温泉全景が・・・
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向かう山(八甲田大岳)の姿が見えます・・・
           八甲田大岳↓           硫黄岳↓   パノラマ画像
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〝湯坂〟から緩斜面を少し歩くと、太いブナが林立する急斜面が有ります。
シールでの直登は無理で、必死にジグ切って通過・・・


青森トド松帯に出ました・・・ここまで1時間経過・・・立派なトレール有り。
無風・晴れ・・太陽の日差しが当たり、汗ダクです・・・
アウターを脱いで、肌着とカッターシャツのみに・・・
                 井戸岳↓       八甲田大岳↓ パノラマ画像
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頭と額からの汗が目に入って・・・ズボンのサイドジッパーも開放して・・・


青森トド松帯を抜けると、大雪原です・・・北八甲田連峰がドーンと。
     ロープ山頂駅↓    赤倉岳↓  ↓井戸岳 ↓八甲田大岳   パノラマ画像
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右手には、南八甲田連峰が・・・
    南八甲田最高峰の櫛ヶ峯↓ 逆川岳↓  ↓横岳         パノラマ画像
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この辺の樹氷は、暖気で崩れ始めてます・・・
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雲が南東から流れて来ます・・・八甲田大岳に向かい高度を上げる・・・
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後 標高差で100mも登れば、八甲田大岳山頂ですが、
ここまでで登り始めて2時間、11時です・・・
板を外して、ザックを降ろし、板に座って大休憩・・・おにぎり2個喰い、一服。
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背中の汗でシャツが・・・でも風が無く・日差しが強いので寒さは感じません。

隣りの樹氷達は、まだ健在です。
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右手には、南八甲田連峰の山々
     ↓櫛ヶ峯      ↓下岳         ↓横岳      パノラマ画像
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アップで、                  ↓櫛ヶ峯       下岳↓
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左手には、ロープ上駅が見えます・・・
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11時半に為りました・・・太陽が雲に覆われ始め・・・小雪がチラチラと・・・
太陽が隠れると、流石に寒く感じます。
途中の暑さに参り・・・今日は、ここまで・・と。 
シールを外し・・・アウターを着込みジッパー綴じて、滑走・・・
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腐れた雪が重く、板を回すのが大変・・・ごまかしが利かないのだ・・・
トド松帯に入る前に振り返ると・・
大岳の中腹だけに、日差しが当たってました・・・        パノラマ画像
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車着が12時半、装備を積んで・・・
城ヶ倉ゲートのトンネルの中で、またハンドルを取られる・・・路面凍結・・・
去年の同時期と同じで、4駆に切り替えて無かったのだ・・・危ない危ない。

帰路途中に有る集落で営業の〝大川原温泉〟へ・・・200円で汗を流してスッキリ。

今日は、途中敗退だったが、久し振りに〝登った!!!〟って感じの一日。

今日辿ったルート 夏道は有りません。
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下の画像は、月山 姥沢スキー場へ登る道路です。
志津温泉から除雪を始め、4月9日のスキー場オープンに合わせて、
除雪の最中とか・・・この雪の量を見たら、行かなくては~~
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3月19日
今日は久々の晴れ予報。
この冬は遠くて足が向かなかった、秋田駒ヶ岳へ。


6時半に家を出て、2ヶ所の峠越えで120キロ・・・2ヵ所目の峠を越えると、
秋駒がドーンと見えました。下の白い筋は県営田沢湖スキー場です。
          男女(おなめ)岳↓   ↓男(お)岳 ↓女(め)岳   
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8時半過ぎに田沢湖スキー場に到着、2時間チョイ掛かりました・・・
駐車場はスキー客でいっぱいです、急いで準備しリフト券売り場へ・・行列です。
長いリフトを降りて、2本目乗り場で登山届け提出。
そこでハッと気付いた・・・1本目に乗る時にリフト券2枚出すの忘れてた・・・
それでも乗せて貰えました~ 2本目乗り場で3枚渡して1200円也。

二本目を降りた処で、板にシールを貼ってると、スキー客に怪訝な目で見られ・・・
ザックにスコップ・アイゼン・ピッケル装着ですから・・・


10時にシール着けて登り始めて・・・振り返ると、田沢湖が見えます~
日本一深い湖 4百何メールだとか・・・噴火口に水が溜まったのだとか・・・
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急斜面なので、ヒールサポートを2段階にし、ジグ切って登ります。
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手前に見えるP1(小ピークを指す)までは、ジグ切ってシール登行です。
幅広板にスキーアイゼンで登った跡が有ります・・・        パノラマ画像
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11時 P1で板を背負い、壷足でストックを1mに詰め、刺しながら登ります・・
一応10本爪アイゼンを持って来たのですが、固い処は無さそうなので使わず。
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P2付近に人影が2名、板背負ってる様です・・・上のピークがドームの頭。
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P2まで登ると、雪面が固くなり、ストックからピッケルに切り替えです。
登山靴と違い兼用靴は、足首の動きが悪いので、安全策を取りました。
数年前に岩手の遭難対策協議会の副会長?が、
この辺から沢に落ちて死亡しましたから。
2名に追い着き、追い越しました・・・雲が流れて来ましたが・・・
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男(お)岳 到着が12時。
登り始めから2時間・・・この前までは1時間半で登れたのだが・・弱ってます。
今日の装備は、ディナPDG軽量板・アルピレット・出番無しサレワ10本爪。
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一息入れてる間に、視界が悪化・・・・2名が先行して出発しました・・・
ここは東側に大きな雪庇が有り、踏み抜きで過去転落や死亡事故の多い処。
視界が悪いので、慎重に雪庇から10m以上左寄りを通過です・・・
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男岳から東に伸びる痩せ尾根を、馬の背のコルに向かって降ります、視界不良・・・
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まだ雲の中・・・慎重に降ります・・・
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馬の背のコルに降りる途中に、ガイドツァー5~6人が登って来ました。
皆さん12本アイゼンだったが、足元がおぼつかない感じ・・
背負ってるザイル出せば、皆さん安心だろうに・・・・


少し降りると、雲間から小岳(左)の噴火口と、女(め)岳が見えました・・・
女岳の露岩の処は、地熱で雪が積もらず、水蒸気が出てます。
この谷は通称ムーミン谷と呼ばれ、高山植物が咲き乱れる谷です。
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間も無く、馬の背のコル到着です。
ここまで降りれば滑落の心配なし、後はスキーで骨折しなければ・・・
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視界が開けて来ました~ 
正面が横岳です。この裏側に〝コマクサ〟の群生地が有ります。
左の雪原に 阿弥陀池避難小屋が見えます。
このコルから小屋に向かってスキー滑走・・・阿弥陀池の上を・・・
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雲が垂れてます・・・風も強いが追い風なので楽・・・
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↑↓女岳の水蒸気が良く見えます・・・
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避難小屋が近くなりました・・・
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バリバリに海老のシッポで覆われてます・・・
お陰で隙間風が入らないので中は快適、軽く遅い昼飯タイム。
先行の2名も入って来て、聞けば盛岡からとか・・・この前八幡平に登ったと・・・
3月5日に登ったと言ったら、そう言えば大館から来た人(小生)が居た・・・と。
世の中狭い・・・その時はシューで今回はスキーだ・・・
装備・格好から長く山遣ってる雰囲気だった。
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小屋から出ると、雲が取れて男岳が良く見えます。
細い雪稜を降りて来ました・・・          男岳↓ ↓馬の背のコル
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       男岳↓↓馬の背のコル  男女(おなめ)岳↓     パノラマ画像
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これから滑る方向、岩手山に向かって・・・ヘルメット着用して・・・
八幡平の峰々↓          岩手山↓          パノラマ画像
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滑り降りて振り向くと、もう男岳は見えなく・・・雪は粉雪で快適です・・・
    横岳↓                男女岳↓    パノラマ画像
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女性一人スキーで登って来ます・・時間的に遅い気がするのだが・・パノラマ画像
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八合目避難小屋(1300m)まで滑って来ました・・・あっとの間です。
ここまては、観光道路で車で上がれます。
春の花の時期と紅葉の時期は、土日は乗り合いバスのみ。
平日は自家用で上がれるが、駐車場が50台位なので大混雑・・・
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1月中旬~4月下旬まで、下の温泉街からキャットで、小屋まで運んでくれるが、
片道3500円 往復4000円 所要時間は片道1時間 要予約。
乗らずに歩いて登っても、2~3時間 徳か損か???


キャットが踏み固めた観光道路跡を、エッジでガリガリ鳴らして滑るも良し、
ショートカットして粉雪を滑るも良し・・・           パノラマ画像
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途中 観光道路から離れて、廃止されたスキー場跡地を滑って到着です。
          男女岳↓   ↓男岳
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ここからスキー場を通る、路線バスが1時間おきに有るのだが・・・
次のバスまで30分も・・降り道なので30分も有れば着くと・・歩き出す。
スキー場の駐車場着くが2時30分でした~ バスには追い越されずに・・・


今日のルート 地図に300mのスケールが付いてます。
青線シール登行・壷足登り 赤線スキー滑走
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今日は、山頂部雲の中・・・昼から強風と、変わり易い天気だったが、
久し振りにピッケルを使った山登りが出来た事と、長距離滑走でいい気分~~


3月20日 追記
車載の昨日使った装備を整理してたら、板を見てビックリ!!
エッジの錆全て取れてピカピカに為ってました~
昨日キャットが踏み固めた観光道路跡を、
ガタガタ・ガリガリと長距離滑ったお陰です~ 
圧雪されたゲレンデを滑る程度では取れないのだが、エッジ少し丸く為ったかも。

3月14日

若者の山離れが進み、山は中高年+爺婆の溜まり場と化してますが、
骨の有る若者達を紹介します。
最近の若者は、苦しい事・辛い事から逃れ、何考えてるのやら・・・と、
思うのは爺のヒガミでしょうか・・・

ネットを通して、知った若者達ですが、其々夢の実現に向けて頑張ってます。
何が幸せなのか・・・疑義・議論の有る事は承知してます。
彼等の夢や志を見て、遥か昔の青春時代に考えたものの、
実行に移す勇気が無かった爺が、ご本人達の了解を戴きましたので、
このブログを訪れてくださる皆さんに紹介します。


1人目は、安田順治氏
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彼の略歴です。(ブログより抜粋2012年6月時点)

【今まで行った苦行歴】
※ほぼ練習なしのノートレにての強行エントリーです。

☆河口湖フルマラソン(42.195キロ)
3時間49分04秒9022人中1807位

☆トライアスロン(スイム1500m・バイク40km・ラン10km)
2時間41分08秒で51人中第24位 クロスバイク使用
☆アクアスロンINよみうりランド(スイム500m・ラン4km)
28分6秒で35人中第8位

☆川崎ハーフマラソン1時間44分10秒

☆48キロマラソン(甲府~身延間)5時間26分
☆オープンウォータースイムIn御宿
遠泳3キロ1時間29分15秒
☆自転車3時間耐久レース←クロスバイク使用(Av: 27.48km/h)

☆100キロマラソン
52、7キロ地点負傷リタイア
7時間24分
→112キロマラソン完走にてリベンジ完了

☆取得した主な体力系資格
一級船舶免許、小型特殊船免許、
PW Cレスキュー水上安全指導員(ジェットスキー安全指導員)、大型二輪、ライフセーバーライセンス(プール系の日赤水上安全法救助員、海系のベーシックサーフライフセーバー)
日赤救急法救急員、パディダイブマスター(ダイビングガイド資格)
スキー2級、スノーボード1級、折紙講師、温泉指導員、
ダイエットインストラクター、ア ウトドアフィットネスインストラクター、ウォーク&ラン指導員、ノルディックウォーキング指導員、
ショートテニス指導員、ハンディキャップテニス指導員、
キャンプインストラクター、護身術アドバイザー、心理カウンセラー、
将棋二段などなど

☆海外放浪30カ国 6年間で
フィリピン(マニラ、セブ)タイ(バンコク、プーケット)アメリカ(ラスベガス、ニューヨーク、グアム、サイパン、アラスカ)、ペルー、アルゼンチン、ウルグアイ、メキシコ、モルジブ、インドネシア、オーストラリア、カナダ、南アフリカ、ケニア、ジンバブエ、ボツワナ、ドイツ、ポーランド、オーストリア、チェコ、ハンガリー、スロバキア、エジプト、スイス、イタリア、フランス、バチカン、モナコ、中国、韓国、ロシア

☆ダイブトリップ
セブ、グアム、サイパン、ハワイ、モルジブ、バリ、ケアンズ、プーケット

☆海外スキー&スノーボードキャンプ
スイスツェルマット、カナダウィスラー

☆登山
・無積雪期トレッキング
八ヶ岳(赤岳、硫黄岳、天狗岳)、日帰り大倉~蛭ケ岳ピストン、
剱岳~立山縦走、前穂高~奥穂高岳~槍ケ岳縦走、ゲリラ豪雨下白馬岳、
日帰り北岳~間ノ岳ピストン、日帰り甲斐駒ケ岳黒戸尾根、
日帰り鳳凰三山+地蔵岳オベリスク登攀(夜叉神登山口~広河原)、
奥穂高岳~ジャンダルム直登ルート~西穂高岳縦走、
御殿場駅~富士山山頂~河口湖駅50キロ徒歩横断、
日帰り前穂高北尾根ルート(バリエーションルート)、
明神岳主稜(バリエーションルート)
海抜0メートルからの富士山山頂

・積雪期&残雪期登山
山形蔵王熊能岳、宮城蔵王苅田岳、木曽駒ヶ岳、宝剣岳、八甲田大岳(&硫黄岳)、富士山、御嶽山、甲斐駒ケ岳、天狗岳、赤岳、北横岳-三つ岳-雨池山-縞枯山-茶臼山日帰り縦走、霧ヶ峰スノートレッキング、谷川岳、武甲山
赤岳主陵(バリエーションルート)
ジョウゴ沢(F3まで)、雲取山、高峰山、高尾山~陣馬山、丹沢大山、大倉~蛭ケ岳日帰りピストン
燧ケ岳柴安グラ~御池ピストン
会津駒ヶ岳、奥穂高岳、涸沢岳、槍ケ岳、立山、剱岳、
磐梯山東尾根(単独バリエーション)、日光白根山西面ルンゼ
(バリエーション単独登攀)

唐松岳、蓼科山、根子岳 
白馬岳 男体山、御前山
Pガーデン~箱根神山~強羅駅縦走 大岳山、武尊山、西吾妻山、高井富士、伊吹山 仙丈ヶ岳、鳳凰三山 甲信ヶ岳

☆海外遠征
エルブルース(5642メートルwithout snow cat)
タクラマカン砂漠自転車単独縦断1140キロ


☆スノーボードバックカントリー
八甲田大岳(&硫黄岳)山頂バックカントリー
富士山山頂バックカントリー(富士吉田口山頂、富士宮口2ルート山頂から滑降成功)
剱岳別山尾根ルート経由単独登頂&平蔵谷単独滑降(BCエキスパートルート)
日光白根山西面ルンゼ単独登攀&ルンゼ単独滑降(冬期登攀ルート単独登攀単独滑降)
磐梯山東尾根単独滑降(バリエーションルート単独滑降)
木曽駒ヶ岳山頂BC、御嶽山山頂BC、宮城蔵王苅田岳山頂BC、
谷川岳山頂BC、車山山頂BC、会津駒ヶ岳山頂BC、燧ケ岳山頂BC、
槍ケ岳槍沢BC、奥穂高岳小豆沢BC、立山山頂BC、入笠山山頂BC、
湯の丸山山頂BC、白馬岳大雪渓BC
武尊山山頂BC、高井富士山頂BC、西吾妻山山頂BC、伊吹山山頂BC
※上記富士吉田口ルート以外全て単独決行
唐松岳唐松沢本沢BC(上級ルート)、蓼科山山頂BC、根子岳山頂BC、

☆自転車
自転車本州横断(太平洋側横浜~日本海側糸魚川)
富士山1周(130km)
三浦半島1周(横須賀中央~観音崎~剣崎~城ヶ崎~新逗子)
浜名湖1周(90キロ)
大月駅~富士スバルライン~富士山山頂
自宅発~海(海抜0)からの高尾山山頂~自宅120キロ
太秦安井松本町~鞍馬寺~貴船神社~太秦安井松本町
川崎~小田原~川崎140キロ
川崎~八王子城~川崎100キロ
東京湾一周
川崎~伊豆半島縦断往復400キロ

☆徒歩
冬期九十九里浜徒歩縦断
御殿場駅~富士山山頂~河口湖駅50キロ徒歩横断
山手線徒歩1周
狭山湖&多摩湖1周ファンラン
酢が湯温泉~八甲田銅像間往復20キロファンラン
積雪期唐沢ナメ滝~唐沢鉱泉ピストン
秩父札所巡り徒歩100キロ
鎌倉1周徒歩
海から富士山山頂(沼津港~富士山山頂)
身延駅から身延山山頂徒歩往復
九十九里浜歩行縦断

☆カヌー
猪苗代湖カヌー横断往復
琵琶湖カヌー横断
霞ヶ浦カヌー横断往復 ※本州三大湖カナディアンカヌー横断達成!!

四万十川カヌー 那珂川カヌー 万水川&犀川カヌー 千曲川カヌー
中禅寺湖カヌー 桧原湖カヌー一周 青木湖カヌー一周 
小野川湖カヌー一周 四万湖カヌー散策 ならまた湖小石沢 
奥利根湖奈良沢 亀山湖

【これから挑戦する事】2012年6月以降の目標です。
北岳バットレス
槍ケ岳北鎌尾根ルート
穂高屏風岩登攀
白馬岳主陵
八ヶ岳主要登攀ルート完登
ユーコン川カヌー
知床カヌー1周
タクラマカン砂漠横断
トライアスロンロングディスタンス
ハセツネ杯トレイルランレース
富士山登山レース
冬季富士単独
キリマンジャロ登山
海抜0からのコジオスコ
アンデスチンボラッソ登頂
パラオダイビング
ガラパゴスダイブトリップ

驚くほどの資格取得と、海・山・川の活動範囲の広さに驚きです。

2012年以降、ユーコン川カヌーとタクラマカン砂漠横断を達成済みです。


彼は、2015年にモンベルが主催する〝チャレンジ支援プログラム〟に応募し、
〔タクラマカン砂漠自転車横断〕を敢行。
モンベル支援の概略 http://about.montbell.jp/social/challenge/


彼は、故植村直己氏・冒険家 大場満郎氏を心の師と仰いで、
苦境時には著書を読み返し勇気を貰っているようです・・・

今年夏には、中東最高峰イランのダマバント峰5671mに単独登頂し、
山頂からボードで滑り降りると言う信じられない計画です。
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ダマバント峰
ボードで剣岳・平蔵谷を滑り降りた実績が有るようです。
剣には毎年何千人も登りますが、平蔵谷から登る者は1%も居ません。
その狭いルンゼを、滑り降りようなどと考える人は稀です。
スキーでプロペラターンをして、滑り降りた話は聞いた事が有りますが・・・





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2人目は、紙谷哲平氏
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彼の略歴です(ブログより)

2009年4月 大学入学。「ハイキング同好会」という、可愛い名前で部員を釣って日
      本アルプス縦走をさせる体育会系サークルに入会。         
2013年3月 大学卒業と同時にカナダへ留学し、本格的に単独での登山を始める。
同年8月  カナディアンロッキー最高峰マウント・ロブソンに、下部氷河からケ
      インフェイスルートより全ルート単独、登攀・登頂。(ケインフェイス
      はフリーソロ)           
同年9月  アメリカ、ワシントン州 マウント・レーニア登頂。(パラダイス〜
      ディスアポイントメントクリーバー)   
2014年1月 バンクーバーより北極圏のホワイトホースへ移住。寿司屋でバイトを始
      める。
2014年6月 北米大陸最高峰デナリ(マッキンリー、6194m)に、
      ウェストバットレスより登頂。
2015年4月 ネパールにてダウラギリ(8167m)登山中、右腕麻痺、
      それに重なるようにネパール大震災が起こり6000mで登山断念。
2015年9月 東京で板前見習いとして就職。
2017年1月 働いていた寿司屋を辞め、再び登山を再開。
      同年4月のアマダブラム登山に向けてトレーニング中。


故植村直己氏が明大卒業後に、南米のアコンガグア登頂を志すも、
金が無く貨物船に乗せて貰って渡米、農園労働や皿洗いで資金捻出。
見事に単独登頂した頃の事を、彷彿とさせる略歴です。
半世紀前の故植村氏と同じ様な事をしなから、山に向かう若者に感激してます。


彼は今日(3月14日)、中国経由でネパール・カトマンズに出発しました。
アンナプルナサーキットをトレッキングし、画像のトロンピーク6201mに登り、
高度順応後に、アマダブラム峰6856mに挑戦です。
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トロンピーク

これがそのアマダブラム峰。ノーマルルート(画像中の黄色)からではなく、
西壁の黒線ルートから単独登頂を目指します。
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アマダブラム峰は、2006年に初めて海外遠征登山を試みた際に、ほぼ毎日眺めてました・・
西面から北面、東面まで・・・
どの稜・どの壁からも、小生には登れない・・・・と。
アマダブラム西壁です。
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アマダブラムです、ポカルデ峰5806mのBCからの画像。
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アマダブラム東壁です、イムジャッエBCからの画像です。
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イムジャッエ峰6180mの山頂からのアマダブラム峰         この山↓
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見る方向に因って、山容がガラリと変わる山です。

この山は、エベレスト初登頂者の、エドモンド・ヒラリーが、
エベレストの為の順応と訓練で初登頂してます。それが今のノーマルルートです。
後に山野井泰史氏が、1992年西壁を冬季単独初登頂に成功しました。

登る事より、降りる方が難しいと言われてる、アマダブラム西壁です。
何事も無く帰国される事を願ってます。

栗城が半月振りにブログ更新です。
長くダラダラした文章ですが、前文掲載します。
黒字は栗城公式ブログより、青字は私見です。

feelー4月9日からエベレスト北壁に向かいます
肌を突き刺さす太陽と氷のように冷たい風、ぎゅっと締めつけられるほどの薄い空気。そして、どこまでも深いヒマラヤンブルーの青い空。
そろそろ戻る時が来ました。
銀座暮らしに飽きたのか・・・格好付け過ぎですね。
4月9日から、エベレスト北壁の無酸素・単独登山に戻ります。
そして、再び冒険の共有も行います。
色々ありましたが、まだ終わってません。
チームクリキ会員の年会費倍増計画が挫折した件を、指してるのでしょうか・・・
毎年、気象条件の厳しい「秋季」のエベレストに向かい続けてきました。
秋は春よりも気象条件が厳しく、春のエベレストは1シーズンに800人の人が入り、山頂近くでは渋滞します。
ヒラリー・ステップでの事を言ってるが、栗城はその高さまで登った事無し。
秋季は深い雪とジェットストリームと呼ばれる烈風が吹くため、通常の遠征隊はほとんど誰も向かわず、たまにマニアックな猛者しか来ません。
昨秋の、キリアン隊を言ってる様です。
登頂は出来なかったが、彼等が目指すスピード登攀の成果は持って帰りました。
彼等はABCから1日で7900mまで登攀、栗城はC1から3日掛けて7400mまで・・
体力の無さ(スピードの差)が、歴然としています。
栗城は、ダラダラ停滞の日々で・・・成果無し・・・
よく人から「なんで春にいかないの?春に行けば登れるに。」と言われて、答えたくてもうまく説明ができず、口を閉ざす自分がいました。
無酸素・単独を謳ってる者が、シェルパの支援を受けている事を、
他隊にバレルのが嫌っての事でしょう・・・他隊の目が怖いので春は敬遠です・・・
山に向かう時に最も大切にしていることがあります。
それが「feel」感じるということです。
この前まで〝リズム〟と言ってたが、今度は〝feel〟のようです・・・
能書で山は登れない・・・
登頂しても「feel」が無ければ、自分には登る意味が無いのです。
「feel」は、自然と向き合う時に自分の中から生まれる不安や恐怖、そして時おり見せる山の優しさ。
それら自然そのものを感じながら登ることができなければ、自分の場合はせっかく登っても意味が無いと思っています。
それは考えてそうなったのではなく、自分の心そのものでした。
そこには成功や失敗、損得などは無い世界です。
訳の判らない言い訳ですね・・・山は登りたくて行く、単純な動機と思うのだが・・
登れない理由付けに意味は無し・・・
昔、学生の頃にビンソンマシフ(南極最高峰)に向かった時でした。
ビンソンマシフは、7大陸最高峰の中で単独では許可がもらえない山です。
単独登山が許可に為らない山はビンソン以外に デリナ(マッキンリー)(2名以上)
キリマンジャロ(現地ガイド同行)が有ります。
ですから、栗城が単独で登頂したと言うのは、嘘になります。
日本からの交渉が難しく、どうしても単独で向かいたかった僕は、最後は現地で交渉しようと向かいました。
行ってみて分かりました。
英語が話せない。。と。
伝えようとすればするほど、あいつは危ないヤツだと思われてべースキャンプで南極の飛行機を運営する会社の人達に監視されました。
プンタアレナスに戻る飛行機が日に日に近づき、日本にいた当時の事務局スタッフに現状を伝えれたところ「お金ももったいないからとりあえず登った方がいいよ」と言われ、また飛行機を運営する会社から最後の公募隊に入りなさいと言われて、しぶしぶ5人のツアーに入れてもらいロープで結ばれました。
そして、登りはじめて5分もしないうちに涙が止まらなくなりました。
僕は立ち止まり、ロープを外したのです。
大泣きする自分に、外国人ガイドが「You are crazy!」と罵り、他のツアー客に笑われました。
そして、僕は頂を背にして下山しました。
理由色々付けれるが、要は5人のツァー客と、
歩調を合わせられなかったのでは・・鈍足ですから。
実際ザイルで結ばれて、他者と歩調を合わせるのは、大変な事ですが・・・
しかし、泣くほどの事ではないでしょう・・・余程体力の無さが悔しかったのか・・
その後も、足腰を鍛えたとか・負荷を背負って歩いたとか・・・聞いた事なし。
※数日後には見かねた飛行機運営会社の人が少しだけ登らせてくれましたが、風が強くなりすぐに下山させられました。
帰国した僕に南極の飛行機会社から「3人なら隊として認めるから後は自己責任で」と連絡が来て、山の先輩方々に相談し、2年後に様々な制約がありましたが、一人で登ることができました。
他隊の後ろに着いてのことです。単独行動は今だ南極では認められてません。
あの時にもし自分の心の声を無視して登っていたらもう山は登っていなかったかもしれません。
それだけ「feel」感じるということが、僕の登山で最も大切なことなのです。
なぜ栗城は無酸素で単独にこだわるのか、それは何かすごいことをやりたい訳ではなく、山と自分を感じたい。
それが秋季という人が入らない時季に無酸素や単独にこだわる理由なのです。
人の目が怖いのでしょう・・・
たくさんの友人と登る山も、楽しいかもしれない。
公表されてる限り、栗城が仲間と登山したのは、山岳部時代冬の低山縦走1回限り、
その後山岳部中退です。あとはチームクリキ会員との親睦登山のみ。
でも孤独や不安、ありのままの自然と自分を感じるながら登る山は決して孤独ではなく、むしろ細胞一つ一つが目を覚まし、自分の枠から解放されます。
しかし秋季エベレストでは、気象条件が登る以前の問題として時々出てきます。
昨年の気候変動の影響を受けた秋季エベレストは雪が最も多く、7000mから先は腰まで埋まる雪を泳ぐようにラッセルして、7400mで下山しました。
ラッセルにギブアップでしたが、
帰国後に富山や越後の豪雪地帯で、ラッセルの訓練をする事も無く、怠惰の日々。
たまにガイドに連れられて、八っ岳散策登山程度の訓練。
8千m単独を目指す者が、国内の低山でガイドに連れられて登山してるとは・・・
もし今年も同じ気象条件であれば、ベースキャンプで結果は見えてしまいます。
往く前から予防線を張ってますねぇ・・・
昨年は登山許可ギリギリまで粘りましたが、あまりにも好天のチャンスが少ない。
無風・快晴を望んでるようですが、昨秋の停滞日の多さには呆れ果てました・・・
下山後、季節を変更し再挑戦を考えていました。
一つは冬季です。
冬季は、エベレストの雪が最も少ない季節です。
強風で飛ばされるからなのですが・・・風と低温に耐えて登れるのか・・疑問です。
逆に最も雪が多いのは「モンスーン」と呼ばれる雨季のある夏です。
その雪の多い季節に、あのメスナーが北壁を単独・無酸素初登頂したんですよ~
冬季は気温や気圧が低く、また日照時間が短いですが、「大雪」と「列風」のダブルパンチの秋季よりはチャンスがまだあります。
ただ、チベット側では8000m峰の冬季登山許可は出しておらず、交渉しましたが許可はおりませんでした。
春の通常ルートは数珠繋ぎになり渋滞。自分の感じる登山が難しいです。
しかし、昨年登った北壁なら誰も来ません。
そうです、北壁はスペシャリストだけに、許される世界だからなのです。
ノーマルルートの南東稜からさえ登れない者が、立入る領域では有りません・・・
平均斜度60度、標高差2800mのエベレスト北壁はまさに山を感じながらの登山ができます。
この画像の北壁が、斜度60°に見えますか・・・平均45°と言われてますが・・・
法螺を吹くのもいい加減にしなさい。
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昨年、登ってみてここなら感じる登山ができる場所だと確認することができました。
7400mまで登り、深夜の下山を決意しましたが、深い雪の中で太陽が昇るのを待ち続けました。
途中撤退を考えたものの、ルートを右に逸れた為に、現在地が判らなかった様です。
それで薄明るくなるまで動けなかった・・・これが真実でしょう。
それはルート全体を見渡したかったからです。
つまり、また来るためにその場に残り続けていました。
そしてその時がもうすぐやってきます。
合理性の求められやすい社会の中で、損得や手を伸ばせばすぐに手に入る成功ではなく、自分の心の声、自然の声を失わずに生きていきたい。
他人の懐(集金や施し)を当てにせず、汗して稼いだ金で登りなさい。
そんな登山を再びやりたいと思ってます。
行くよー!!
7回目の試みも、既に先が見えてる様な気がしますが、
是非〝否定の壁〟を乗り越えて、〝冒険の共有〟をして貰いたいものと思ってます。




栗城がエベレスト行きを前にして、
23日のFB・24日の栗城ブログで以下の発表をしました。
(黒字はFBより原文、青字は私見です。登山と関係無い部分は割愛、一部改行

『見ることのできなかった世界』
エベレスト北壁に出発まで残り3週間を切りました。
本当にいくのか。。ワクワクする自分と不安な自分が混ざり合い、
その摩擦が火花を散らしてます。
北壁と対峙する高揚感と、登って帰れるか?の不安感が有る様です。
普通 ヒマラヤに向かう者は、十中八九自信を持って向かうものですが・・・
6回も敗退しては、今回も・・・との感じがするのかも知れません。
もう一つの火花「冒険の共有」エベレスト北壁生中継に今年も挑戦します。
過去 生中継が機材の不具合で上手く往ってません。
それを改善したとの話も有りません・・・こんな調子で大丈夫なのか・・・
(割愛 )
本来、冒険は個人的な世界であり、特別な意味はありません。だからこそ美しい。
でも、登山家や冒険家だけが特別な挑戦をしているわけでもありません。
 (割愛)
挑戦の本質は何か。
それは「うまくいかない」こと。
嘘言うなよ栗城。上手く往くと思い、
其れ為りの努力と準備をして、山に向かうのが普通だよ。
はじめからうまくいくのをわかっていたら学びや摩擦は小さい。
もがき、苦しみ、その中に何か光るものがあります。
過去の敗退から、その後原因を分析して、努力したのか???
エベレスト北壁のもがき、苦しみ、失敗や挫折を共有することで、
壁に当たってる人達が、いつのまにか一歩を踏み出していた。
その世界に行ってみたいのです。
2015年秋の南東稜ルート・2016年北壁ルート共に、敗退原因は深い雪でした。
今春の計画に当たり、〝深い雪〟を克服する努力をしたのか・・・
南東稜敗退後、メスナー著書からパクリの〝リズム〟が大事と言い、
どうした訳か16年春にアンナプルナ南壁に向かい、南壁基部で敗退。
今回〝feel〟が謳い文句の様だが、それで〝深い雪〟が克服出来るとは思えない・・
しかし、冒険の共有には多額の費用がかかります。
エベレストの個人の遠征費用は登山許可含めて250万〜300万ぐらい。
自分一人の遠征費は、普段の企業の講演やストレス対策のお仕事でお金を貯めて向かうことができますが、衛星回線を使用し、特殊な機材で日本と繋ぎ、日本側の中継受けや現地スタッフと実現するための費用をどうするか。
その資金を何とかするためにトレーニングや講演の合い間に企画書作っては様々な企業にスポンサーのお願い行きます。
現実は、運営も含めて資金が足りなく厳しい状態。。
敗退続きの口八丁では、金を出す企業は少ないだろう・・・
では、そこをどうやって最後に克服したのか。
実は、今まで冒険の共有をするために大きな借り入れを5回してきました。
それを帰国後に一年間講演しながら返していきます。
死ぬかも知れぬ登山に、金を貸す処が有るとは不思議ですねぇ・・・
裏保証契約(往っても登らないで、帰って講演料で稼ぐ)でもしてるのか・・・
そして、今回も。
「資金が無いからやらない」
ではなく、
「資金が無くてもやるよ😊
登山だけでは、けして見ることのできない世界をこれからも見ていきたい。
期待と不安。
様々な感情が交差する火花が今散ってます。
(割愛)
僕も頑張ります!(ありがとう)


不思議な事は、出発3週間前なのに、
装備計画・食料計画を含む、登山計画の話が無い事。
普通は、再三再四装備等の点検をして、荷造りに専念する時期です。
行き当りバッタリで、結果 雪が・・・風が・・・の、いつもパターンか???

多分 装備他等の段取りは、
カトマンズのボチボチ社(シェルパ派遣会社)に、一括丸投げなのでしょう。
シェルパ調達だけではなく、テント・炊飯具のレンタルもしていますから・・・
シェルパは常用ではなく、登録してて仕事が出た時の臨時雇用が一般的です。
ガイドが出来るレベルの者は違いますか゛・・・

今回の4月9日から始まる、北壁もウォッチして見ます。




4月9日(今日)、エベレスト北壁に向けて出国です。
直近の様子をウォッチしてみましょう~

4月1日・栗城史多 "SHARE THE DREAM” FBより(抜粋)
無事に下山してきました。
富士山頂でテント泊し、高度順応を予定して、3月31日に出掛けたのですが・・・
5合目でテント張りましたが、朝になっても雪は止まず、一晩で30センチ近く積もり下りました。
30cm雪が降っただけで、諦めて下山ですか?・・・
出発前から大雪の予報は知っていましたが、エベレスト北壁の出発前に富士山を感じたかったので一人テントの中で静かに気持ちを報告してきました。
予報で知りながら出掛けるとは、山頂泊の予定は嘘??  感じたかっただけ・・
ラッセル地獄をしながら2合目まで下りると「次はいついくの〜?」と声が聞こえてきた。
5合目で30cm程度の雪・・・膝下程度の雪で、
しかも降り道でラッセル地獄とは、話しに為らない根性・・・
振り返ると佐藤小屋のオヤジさんだった。



4月2日・「みんなでエベレスト」 FBより(抜粋)
『冒険の共有を再びさせて下さい』
4月9日からのエベレスト北壁の登山と冒険の共有に向けて最後の追い込みに入って来ました。
中継テストなど出発までまだ色々あります。
皆さんにお願いがあります。
再び、冒険の共有をさせて下さい。。
出国1週間前に為っても、〝金の無心〟とは・・・呆れ果てます。
栗城だけが登る冒険ではなく、何かチャレンジしたい人や壁にあたってる人、見えない山を登る全ての人達と冒険を共有しないでエベレスト北壁に向かっても人の心の壁は越えることはできません。
皆さんご存知かもしれませんが、今年は借り入れしてでも準備してきました。
 
昨年、一つの宣言をしました。
それは昨年の冒険の共有があまりできなかったことを受けて責任を感じ、クラウドファンディングをやらないで行いますとお伝えしました。
配信担当2名が体調不良となり、本当に悔しい思いをしました。
山の素人を連れて行った当然の結果です・・・
 
きちんと受けとめてやれるだけやろうとあらゆる準備をし、今年は極地になれたスタッフを揃え、万全な共有体制を整えました。
個人の遠征費(登山費用)は用意できても冒険の共有は多くの人達の力がないと実現できません。
昨年秋の撤退後に、衛星中継の費用は残ってると言ってたのに、
これには触れてません・・・
クラウドファンディングという型ではなく、冒険の共有を一緒に参加したいと思って頂ける方がもしおりましたら、ぜひ下記のサイトから冒険の共有の応援宜しくお願い致します。
エベレストの写真5枚組3千円・Tシャツ1万円・他講演 54万円など・・
今年は天候が安定する春に初めて向かいます。
皆さん、冒険の共有、応援宜しくお願い致します。



4月3日・栗城史多 "SHARE THE DREAM” FBより(抜粋)
「あとは本番で。。」
エベレスト北壁の中継に向けたテスト訓練を無事に終えました。
9日の出国前になって、初めての中継テストだそうです・・・
毎回失敗してるのに、事前に何回も訓練するのが普通ではないでしょうか???
テスト風景の画像を見ても、新しい機器なのにメモを取る者も居ず、見てるだけ・・これでは上手く往くはずが有りませんね・・・
昨年は配信担当とカメラマンが体調不良で欠員となり、思う様な冒険の共有ができなくて本当に悔しい想いをしました。
今年は極地に慣れた隊員を揃えて少数精鋭で頑張ります。
極地からの中継は意外と技術的に難しく、衛星の軌道が変わるだけで映像が送れなくなったり、機材のトラブルもあります。
画像を送る衛星の軌道が変わる???  静止商用衛星なのに・・・
マスコミが使ってる、海外からの生中継と同じなはずですが・・・
AbemaTV、フェアーウェイ、Yahoo!JAPAN、栗城事務局と有志のエンジニアが集まり、テストを繰り返しながら最後の調整を無事に終えました。



4月8日・栗城史多 "SHARE THE DREAM” FBより(抜粋)
明日、エベレスト北壁に向けて出発します!
最後の中継テストも終わり、準備もほぼ完了しました。
今回の挑戦で3つ言えることがあります。
高所になれやすい身体作りとリズムと呼ぶ酸素の消費量を下げるトレーニングをさらにレベルを上げ、精神的にも体力的にもいい常態です。
そして、今年は天候が最も安定する「春」に山を感じるための「北壁」に向かいます。
昨年の秋の北壁は雪が多すぎて7400mで下山しますが、北壁の感触は掴んでます。
また、冒険の共有にするために極地になれたスタッフが揃い、少数精鋭で登山に集中しやすい環境ができました。
自分の中では最も楽しみなエベレスト北壁登山ができそうです。
 3つとは①~③のようです。
体力や技術の向上に関しては、一言も触れてません。一番欠けてるのに・・・

これからの、〝北壁〟どうなるのか楽しみです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日から、月山・湯殿山へ春スキー遠征に出ます、3日ほど楽しんで来る予定。



栗城が9日に、エベレストに向け出国しましたが・・・

日本から下記の各隊が、エベレスト登頂を目指し出国済みです。
海外の登山隊も、続々集結している模様です。

〔ICI Sports・社長隊〕

〔AGアドベンチャーガイズ・公募隊〕

〔平岡竜石・公募隊〕


各隊の登頂予定ルート
赤破線は、ICI隊・AG隊。 青破線は、平岡隊。 黄線は、栗城。 
イメージ 1


ICI社長隊は、エベレスト登頂実績の有る、社員2名が同行。
自社で販売の、仏・ヴァランドレ社の高級ダウンスーツでアタックの様です。
行動日程を公表南東稜から登頂を目指す。

AG公募隊は、行動日程・参加費用770万・装備を公表。
公募客には、一対一でクライミングシェルパを同行させ、南東稜から登頂を目指す

岡公募隊は、行動日程・参加費用720万と公表北稜から登頂を目指す。

AG隊と平岡隊の参加費用の差は、会社組織と個人経営の差と思われます。
平岡隊は昨年秋のチョー・オュー登山で、
客4人に対して8人のクライミングシェルパを要員として同行。
今回もネパールから6人のシェルパを呼んでます。

小生も、自由に使える800万が有れば、公募隊に入り7千mを体感したいもの・・
酸素吸いながらなら、上手く往けば・・・なんて妄想が・・・

面白い事に為りそうです。其々、実力と実績の有る隊ですから、
余程の悪天候やアクシデントが無い限り、登頂は確実。
彼等のFBやツィッター・ブログで、日々・生の情報が流れます・・
3隊共に、既にBCに向けてキャラバン中です。

処で・・・気に為る、栗城の出国後の様子ですが・・・・


4月10日 FBより抜粋(黒字はFBより、青字は私見)
ネパールの首都カトマンズに着きました!
 日本ではあまり寝れなかったので快適な機内で寝て、今日は朝からチベット・ラサに向かう荷物を整理してます。
カトマンズは気温が高く、少し埃っぽい感じが懐かしいです。
明日はプジャという安全祈願をして、明後日にラサに入ります。
11日にカトマンズに有る世界遺産の寺で〝プジャ〟とは・・・
対象の山のBCで、執り行うのが常識ですが・・・
できたら世界遺産ボーダナートから配信してみます!
どーでもいい内容の配信でしたが、彼流にはこれも〝共有〟のようです・・・
12日には、カトマンズからラサに入るようです。



4月13日 会員向けFBより抜粋(黒字はFBより、青字は私見)
チームクリキの皆さん、ナマステ。 
栗城です。
数日間カトマンズで準備をしています。明日ラサに入ります。
明日ラサ?? 14日 に・・・10日のFBでは12日にラサと言ってたが・・・
既に、行動予定が狂ってますねぇ~ 計画性の無さが現れてます。
いよいよエベレストのベースキャンプに向け長い陸路移動が始まります。
四駆で3日走って5200mのBC着、中1日高度順応してたらBC着が4日後。 
そして、今回もチームクリキの皆さんの「夢カード」をエベレストに持っていきます!
募集時期がこのタイミングとなってしまいましたが、エベレストアタック前にベースキャンプに後発で届く荷材や食料と一緒に到着予定です。
4月25日まで、資金集めをして、その後カトマンズ・ラサ経由 でBC着の様です。
BCに後発で荷が届く・・? 食料も ? ロジスティックの組み方に疑問有り。
ボチボチ社のシェルパが運ぶのでしょうが、夢カード等はどうでもいいが・・・
荷がBC着の日にちを考えると、4月中のアタックは無いと宣言してる様なもの。
晴れが続いたらどうする・・・栗城
エベレスト北壁から皆さんの夢(山)が叶うことを祈ってきます!
人の夢は、どうでもいい・・・まともに北壁を登れる事を祈れ。
まずは無事にベースキャンプに入れますように。


他隊がBCに向かってる今、栗城は今日(14日)ラサから四駆で走ってる頃。
他隊より一週間も遅いスタートです。
流石 エベレスト6回敗退者の余裕でしょうか・・・・
相変わらず、日程も装備も公表してません。


ICI隊・AG隊はエベレストの南東側、
平岡隊は北稜を挟んだ同じ北側に居ます。
其々FB・ツィッター・ブログで情報が流れる中で、
栗城は、天気が・・・雪が・・・風が・・・等の言い訳は通用しませんねぇーーー

3隊+栗城の動向、目が離せません~~


平岡隊がノース・コル(7000m)に上がりC1を設置すれば、
西の谷底に 栗城の壁下C(6100m)が、見えるかも知れません・・・
900mも離れれば、アライの赤テントは石にしか見えないか・・・



この春のエベレストは、近年に無い混雑です。

4月13日付けの、平岡竜石・公募隊のラサ発のブログで、
30人のインド隊・ドイツ隊・オーストリア隊・ロシア隊と飛行機が一緒だったと。
北面のエベレストは、各国隊が入り乱れてる様ですが・・・

小生が一番驚いたのは、超・超人ウィリー・スティックが、
エべレストでの前人未踏の登攀を試みようとしてる事。 図参照
イメージ 1
彼は、ネパール側のクンブー氷河から、西稜に取り付き、
ホーンバイン・クーロワールを登攀し、登頂。
更に、南東稜を下り・ローッエに連続登攀すると言う大計画です。
アルプス流 ラッシュタスティックス(突撃登山)の典型とも思えるスタイルです。
既にポーラメソッド(極地法)は過去の遺物なのか・・・


ueli steck(ウィリー・スティック)のブログ

ウィリー・スティックとは、どんな奴か・・・
ウィキぺディアに彼のあらましが・・・↓
アイゼンを履いて、壁や雪稜を走って登るという・・凄い奴です。
アイガー北壁(標高差1800m)を、2泊3日で登るのが普通。
処が彼は、確保無しで2時間20分で登ってしまうと言う凄さ。
条件が良ければ、2時間は切れると豪語してます。

栗城が登ろうとしてる、ホルバイン・クーロワールからの登頂を目指してます
栗城は、ウィリー・スティックと遭う事は無いと思ってます。
何故なら、栗城の体力・技術では、ホルバインの入り口まで登れ無い・・・


昨年秋は、キリアン・ジョネルが、
北稜をABCから昼までの間に、7950mへ登ったのを見せ付けられて、
スピードが大事と思わなかったのか・・・
キリアンの北稜登攀記事は↓
アラン・アーネットのブログでは↓
17年春のエベレストは、記録的な登山隊の数と言ってます。
以下のコピーが、ネパール観光省が許可した、各山の登山隊の数と人数です。
イメージ 2
16年と17年の春のエベレスト(Sagarmatha)を見て下さい。
これは、ネパール側の事で、
チベット側は、米国・ロシア・フランス・ルーマニア隊が予定してると・・・

アラン・アーネットの画像を見ると、北壁の雪の着き方が少ない・・・
これでは、栗城が目指すホルバイン()より
グレート(ノートン)・クーロワール()が雪か付いてて楽そうに見えます。
イメージ 4

下は栗城が4月17日に更新したブログに載せた画像。
上の画像と同様に北壁の雪は少ないですね・・・
ノートン・クーロワール() ホルバイン・クーロワール()
上の画像と比較して下さい。
ホルバイン下の雪田(雪が溜まった処)までは、登れそうでも・・
クーロワール内に詰まった氷に、どう対応するか・・・鍵です。
栗城には、氷壁登攀は無理です。
ピオレトラクション(Wアックス)の構えをしてるが、
握力が弱く、ピックを氷に刺せません・・・↓の画像を見れば判ります。
イメージ 5

この下の画像は、昨年秋の栗城が公開したもの。
赤線内のノートン(グレート)・クーロワールを登ろうとしたが、
下から眺めただけで登れ無いと判断し、ホルバインに転進。
青線内の下部ジャパニーズ・クーロワールを通り、
上部ホルバイン・クーロワールを目指したが、
黄色線の位置で、それ以上登れず敗退。今回もこのルートを予定してます。

緑線は、今回ウィリー・スティックが西稜から、北壁をトラバースして、
ホルバイン・クーロワールに入り、登頂を目指すルートです。
イメージ 6
寒さを除けば、クーロワールに氷が詰まってる春より、
雪が詰まった冬の方が登り易いと思うのだが・・・

平岡隊の言ってる各国隊と、アラン・アーネットが言ってる各国隊が、
北稜か北壁かを目指すのかは判りませんが、ウィリー・スティックは間違い無く、
ホルバイン・クーロワールで栗城と競合します。



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栗城がブログを更新しました。(黒字はブログより、青字は私見)

4月17日
エベレスト北壁が見えました。
ラサ、シガチェ、ティンリと移動し、今日は4500mの丘に高所順応で上がってきました。
移動の疲れはありますが、酸素の薄さを感じながらも頭痛はなく、部屋でトレーニングとストレッチをしながらベースキャンプに入る準備をしています。
4500mの丘から双眼鏡で眺めるエベレスト北壁。
雪は少なく穏やかな表情を見せている。
栗城は、雪が少なく登り易いと思ってるのでしょうか・・・
アイゼンで岩をガリガリでは、倍神経が疲れると思うのだが・・・
30cmの雪も地獄と言う栗城が、何処まで登れるか楽しみです。
(中略)
明日、チベット・ベースキャプ(TBC5000m)に入ります。
何回も言ってるが、ベースキャンプの標高は、5200m。
中国が建てた石碑を栗城は見た事が無いのか・・海抜・米の意味しらねぇーのか?
イメージ 3




栗城がチベット側のBCに着いた様で、
愈々北壁ホルバイン・クーロワール山行が始まります。
これからは、このタイトルで〝敗退まで〟ウォッチの予定です。


4月19日 栗城公式ブログより(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

昨日、チベット・ベースキャンプに入りました。
BC(5,200m)の様子、キャンプの陣容から6隊位は居る様です。
一番大きなキャンプが30人のインド隊でしょうか・・・
イメージ 3
ここからヤクに荷物を載せてエベレスト北壁のベースキャンプに向かいます。
今、エベレストは雲がかかり始めていますが、
明日無事に北壁のベースキャンプ入りしたいです。
明日とは、20日ですね。
北壁のBCと言ってるが、ABCの事か・・位置(標高)が不明です。
昨年秋の様に、ヤクが進めない・・等は無いでしょうね。何処にABCを置くか?
ベースキャンプ到着後にプジャという登山の安全祈願を行い、
またプジャですか・・・カトマンズで済ませた筈では・・・現地でが当然だが・・・
その後はノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)に移動し、
7500mまで高所順応で登ります。
この辺が判り難いので、昨年秋の図を使って説明します。
栗城が言う、チベットBCとは図中赤丸の位置(5200m)。
北壁BCは●BCから南下し中央ロンブク氷河のの位置と思われる。

昨年秋のABCを置いた位置。

ノーマルルートのABCとは、一旦北上し東ロンブク氷河に入り●印の位置。
そこから、ノース・コル(7000m)に上がり、北稜の7500mで順応するらしい。

BCにあれだけの隊が居れば、ABCからノース・コル(C1 )へのルートや、
ノース・コル(C1)から7,500mへのルートには、
シェルパ達が先行しFIXがベタ張りに為ります。
栗城隊は、後から往って濡れ手に粟で7,500mには登れるでしょう。
先行隊に使用料位は、払う気が有るのか・・・
2009年秋にメスナールートからの登頂を目指したものの、
7,000mのノース・コルに一人では上がれず、
シェルパにルート工作させてから上がった実績が有りますが、今回は楽勝です。
イメージ 1
そして、北壁側のベースキャンプに戻り、休養してから北壁のABCに入り、
そこからソロで登っていきます。
順応が終わったら、青線で戻る様です。
休養後に、青線の終わり辺りに設置するABCに入るらしい・・そこからは単独だと。
そこからは単独と言う事は、ノース・コルから北稜の7500mまでは、
シェルパ付きと言う事に為りますね。単独登頂を狙う者が・・情けない・・・

冒険の共有も本格的に始まります。
今年は2名の日本人スタッフと、三脚や望遠レンズをABCに運ぶネパール人スタッフ3名、コック1名、キッチンボーイ1名と、全員極地になれた少数精鋭で頑張ります。
栗城隊の陣容が判りました。日本人3名・シェルパ5名。
(割愛)
北壁は下から上まで全貌を見通せることが昨年来てみて分かったので、今年は日本人スタッフ2名でABCから望遠カメラで、栗城が登る姿を皆さんと共有していきます。
去年の秋は、ゴマ点画像より無かったが、今年は期待して良いのでしょうか・・・


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50年振りに概念図を書いて見た。上図よりは判り易いかも・・・
BC(5200m)→栗城BC?に入り→東ロンブク氷河ABCに迂回し→ノース・コルから
→北稜7500mで順応する。→来た道を引き返し栗城BC?に戻り休養。
実に生産性が悪い(日数・時間的)順応ルートです。
その後オレンジルートでホルバインを目指す・・・・
イメージ 2
ウィリー・スティックの計画コースをで記入しました。
ネパール側のBCから、ウエスタンクム氷河を登って西稜に上がり、
北壁をトラバースして、ホルバイン・クーロワールから登頂。
サウス・コルからローッエ峰へ連続登攀してBCに戻る大計画です。
何日で達成出来るか見ものです~~中一泊二日? 二泊三日?
8千mでのビバークは危険ですから、どうするのか興味があります。

高度順応をするに当たり、チャンッエ峰(7,553m)をほぼひと回りして、
中央ロンブク氷河から東ロンブク氷河の北稜ABCまで往き、
ノース・コルに上がり北稜7,500mで順応する意味が判らない・・・・
栗城の足では、北稜ABCまで片道3日は掛かると思う。往復延べ6日の無駄・・・
普通、BC(5,200m)から北稜ABCまで約20キロを2日掛けて歩くのだ・・・

それに、先にも記載してる通り、北稜ルートには平岡隊始め多数の各国隊が居る。
そこにノコノコ往くのか・・そして他隊のFIXを使うのか・・単独を謳う者が・・・
皆真剣に登ろうとしてる中で、俺は順応に来た等と言ったらヒンシュク者。
順応なら、チャンッエ峰の中央ロンブク氷河側(西面)でも可能だし、
ホルバイン・クーロワールの下部でも、ルート工作やら荷上げしながら出来る。
時間の無駄・日にちの無駄と思うが・・・・変な事に為りそうな予感。

それにしても、判り難い書き方です。
基本的に、誰(どの隊)がチベット側に往っても、BCは5,200mの位置です。
その先に有る(置く)北壁のBC等と言う表現はしません。BCが2つ有る事になる。
あるとすれば、BC→中間デポC→ABC→C1・・・と言うべきです。




(割愛)
明日、チベット・ベースキャプ(TBC5000m)に入ります。

何回も言ってるが、中国・チベット側のBCは標高5,200mに有ります。
過去’09年・’16年に訪れながら、未だに正確な標高を知らないとは・・・
イメージ 3

●4月20日配信 会員向けメールより
本日、無事に「チベットのベースキャンプ(標高約4500m)」から徒歩で
「北壁ベースキャンプ(標高約5600m)」まで到着したと連絡が入りました。

(割愛)
ここでは、BCの標高を4500mと言ってます・・高度計付き腕時計が狂ってるの?
5000mと言ってみたり・4500mと言ったり・・・話にならない・・・
北壁BCを5,600mに設置した様です・
5600mのキャンプ標高に付いては、公式ブログ・FBでも触れられてません。
ただキャンプを設置したとだけ・・・何故でしょうか???
この事に関しては、【3】で述べます。
栗城公式ブログでは、18日にBC入りした以降の更新がされていません。

その後の動向を探る為に、久し振りに栗城関連の2チャンネルを見たら・・・
何と、5月28日までには、帰国し・・・講演だと・・・
この記念事業 ↓ に参加する様です。

ナンダ・コート初登頂80周年記念事業

先頃、当時のテントが発見され話題に為りました。
内容は↓参照

80周年として、再登頂し、当時山頂に埋めたとされる立教大校旗・毎日新聞社旗・
日章旗を探すというもの・・・これ自体はいいと思うが・・・
記念事業主体は、毎日新聞子会社の毎日映画社。
毎日映画社の顧問が大蔵喜福で、再登頂登山隊の隊長と言う話・・・
後援が、毎日新聞・立教大・立教大山岳部・立教大山友会(山岳部OB会)・
日本山岳会と言う。

立教大山学部のOB会・現役部員での再登頂隊なら、記念事業として価値はあるが、
大蔵喜福は、立教大卒でも山岳部OBでも無し・・・確か東海大。
総事業費が1500万だそうで、クラウドで金を集めようとしています・・・・
大蔵喜福の口車に、立教大他が上手く乗せられたのでしょうか???
大蔵にして見れば、只で遠征出来・しかも隊長・只で記録映画も創れます。
勿論、遠征隊の中には立教大の関係者も入れるでしょうが・・・

記念事業の一環として、講演会が有り、これに立教大と無関係な栗城が参加する。
名立たる、ヒマラヤ8千m峰登頂者が多々居る中で、何故に疑惑の栗城なのか???
大蔵が指名したに違い無し、昨年秋の北壁も擁護してた・・金の遣り取り有りか?
5月28日に合わせて帰国とは、20日頃には北壁から離れなければ為りません。
栗城が、本当に〝北壁〟を登る気が有って、北壁に往ったのでしょうか????
その気が無く〝支援企業・信者から金を集め〟て、生活費に充てる為では・・・・
チベットに向かい・トンボ返りで、講演料の小銭稼ぎの体です・・・・
後援の日本山岳会や立教大OB会は、
栗城の様な奴の参加を、良しとしたのでしょうか・・多いに疑問です・・・・
日本山岳会とは、昔は社会人山岳会の草分的存在、大学山岳部のOB達が創った会、
会員2名の紹介が無くば入会出来なかった経緯が有る。
日本山岳協会(日山協)が出来るまでは、日本山岳会も力が有ったが、
今やその傘下のただの、一山岳会です。
今では烏合の衆でも、プライドは当時のまま一流のはずですが・・・

何故、ここまで言うか?  
近年のエベレストで、日本人が登頂に成功した日を記しますと・・・
2011年5月20日 6名
       25日 5名
       26日 3名
2012年5月19日 2名
       25日 1名
2013年5月18日 1名
       19日 1名
       20日 5名
       23日 5名
2016年5月19日 6名(芸人なすび登頂)
       20日 6名
       21日 1名
       23日 1名(南谷真鈴登頂)
これだけの登頂者が居ます。
日付を見れば、ほぼ毎年5月20日頃から5月末に掛けての登頂です。
この10日間位が登頂のチャンスなのです。

このチャンスを待たずに帰国・講演とは、
元々登る気が無い(登れ無い)と、言われても弁解の余地は有りません・・・ね。


’16年春のアンナプルナ南壁では、発表してた登山期間内に講演会を入れて、
氷塊が当たって歩けないと言いヘリを使い下山、講演前日に隠れる様に帰国し、
講演で稼いだ実績が有った。

’16年秋の北壁では、北壁下をウロウロ・停滞の連日で登山期間を消化してしまい、
中国登山協会に期間延長を認めて貰い、日程ギリギリまで登頂を目指したと言い、
ABCで〝泣き崩れる〟芸を披露した実績が有った。

この通り、栗城は真剣に山に向かう気持ちは無く、
〝冒険の共有〟〝否定の壁を乗り越える〟などと、耳障りの良い言葉を巧みに使い、
企業・信者から〝集金〟して、銀座での生活費に充てているのです。
栗城にとっての山は、グリコ菓子のオマケ的な存在か・・・

C(キャンプ)位置・高度順応等の駄目さ加減に付いては、次回の【3】で・・・・

4月23日 追記
エベレスト南東稜からの登頂を目指している、ICI社長隊・AG公募隊の全員が、
21日にロブチェ東峰(6119m)に登頂し、高度順応を達成。
今頃は、BC入りをしてるでしょう。



昨日の日曜日が晴れ予報でしたが・・・山に往く気分にもなれず・・・
訳は・・・土曜日の朝に、孫軍団を預かりました・・・
娘が日勤なので、夜までとの約束でした。

暴れん坊の次男4歳に、飛行機と・・片方の手足を持って廻って遊んでました・・・
夕方グッタリして寝込んだので、遊び疲れと思ってました・・・
私も明日の日曜は晴れ予報なので、早めのの就寝。

朝 起きたら妻から、昨日は大変だったと聞かされました・・・
夜 娘が帰って、目覚めた次男が動かず、手が痛いと・・・
腕が外れてたのです・・・我が家で3回目です。
市立病院に併設された、夜間診療所に・・すぐに嵌めて貰って、元気に為ったとか。

18キロに為ってたし、遠心力で肩に負荷が掛かったのか・・・

娘に詫びの電話を入れると、
次男が「ジジ 手 もげたんだぞー ゲンコツ10発だから・・」との話しです。

これで、山に向かう気ゼロ・・・大人しくしてました・・・


月曜日
予報を見ると、秋田県より青森県の予報が良いので、迷わず八甲田へ・・・
7時に家を出て、黒石で高速を降りると、岩木山がデーンと・・・
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酸ヶ湯温泉上の駐車場で準備、八甲田大岳がバッチリ見えます。
9時スタートです。車が数台有り先行者がいる模様です。
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登り始めてすぐに振り返ると、岩木山が・・・
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右手に南八甲田の峰々 
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左 硫黄岳 山頂に少し雲が・・・               パノラマ画像
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地獄湯ノ沢出合に到着、板を外して一休みです。
このまま沢を詰めるか(大岳環状ルート)・・・
右の尾根(硫黄ルート)に取り付くか・・・悩む処です。
沢沿いには、昨日の日曜日に可也の人数が歩き・滑ったトレールが・・・
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沢筋は何回も歩いてるので、右尾根に取り付きます。
一人シール登行の跡が付いてました・・・            パノラマ画像
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中々の急登があり、クライミングサポート2段で登りますが、
乾いた粉雪がシールを掴めず、再三スリップ腕に力が入ります・・・パノラマ画像
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硫黄岳 左の鞍部を目指して登ります。             パノラマ画像
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手に八甲田大岳の頭が見えます・・
この辺りまだ樹氷が確りしてます。               パノラマ画像
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10時30分 硫黄岳の鞍部に来ると、左手に仙人岱避難小屋が見えます。
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避難小屋到着  左 八甲田大岳  右 小岳          パノラマ画像
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八甲田大岳
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仙人岱避難小屋に入ると、シューの先着3名。沢経由で来た様子。
挨拶をして早い昼飯・・・と、ガタガタと小屋に入って来た輩が・・・
寝袋を敷いてた御仁、俺が昨日から居たと云わんばかりの態度、
他の3人もキョトンとしてました・・・
登山靴紐の結び方やスパッツの着け方で、実力レベルが判るのだが・・・長居は無用。

小屋から出てシールを外してると、シューの2人も小屋から出て来ました。
硫黄ルートで帰るようです・・・


天気は夕方まで持つはずでしたが、南八甲田側から雲が流れて来ます・・・
帰路は、ここから睡蓮沼に滑り込み、現在冬期閉鎖中の山岳道路を通って、
酸ヶ湯に戻る事にしました。硫黄岳を一周するルートです。


睡蓮沼方向です。
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上の画像の拡大 この赤線が夏の道路です。
4月1日の開通に向けて、除雪の最中、南風に乗って機械のエンジン音が微かに・・
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小屋から硫黄岳を巻いて、アッと言う間に滑り降ります・・・   パノラマ画像
        硫黄岳↓          ↓避難小屋 小岳↓   高田大岳↓
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南八甲田の、見覚えの有る尾根を目指して、大雪原を滑ります・・・ パノラマ画像
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睡蓮沼に到着です・・・この大きな窪地が沼です。        パノラマ画像
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12時 山岳道路に出ました・・・このポールが道路幅を現してます。
GPSで位置をだして、除雪の目安にしてるのです。
ここでシール装着です・・・笠松峠まで緩い登りが続きます・・
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昨年3月15日にも、このルートを歩いてます。
予想通りブルドーザーの先発隊の跡が・・・
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キャタピラ跡を歩いて往くと、峠の道路標識が・・・
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除雪機のオペレーターは1時まで昼休みで、ゲートまで戻ってます。
1時までに除雪機械の脇を通らないと、彼等に迷惑を掛けますから・・・
急いで歩きます・・・
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それらしい処まで来ました・・・
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少し進むと、大型ブルドーザー2台とロータリー除雪車1台。
エンジンが掛かったままで・・・
ブルの脇をスリ抜け、薄っすら残った雪の上を滑走・・・
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雪が無くなり、板を外してザックに取り付けてると、
オペレーターが乗ったワゴンが前線へ・・・暫くして戻って来たのです・・・
若い兄さんが、「ここ 4月1日まで通行止めなんですよー」
「今 大型重機が、上がって来るので、危ないから、ゲートまで乗せて往きます」
逆らっても無駄なので、素直に従がいます・・・去年は何も言われなかったが・・・
冬季閉鎖ゲート前に、大型ブルとロータリー車が待機してました。
思った以上に雪が有り、重機を追加したとの事でした・・・
無線で、連れ出す連絡がされてた様です・・・ご免 申し訳無い・・・
道路幅がまだ広がって無く、重機とワゴンが交差出来ないのだとか・・


ゲート前には高級な八甲田ホテルが有り、通年営業 ここまでは車で入れます。
酸ヶ湯駐車場まで徒歩10分位・・・1時30分に到着。

今日のルート 青線は登り 赤線は滑走 道路は歩いたり・滑ったり。
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終日 天気が良くて・風も無く、いい一日でした~

3月5日(日)

2月28日の好天に、八甲田縦走をして以来の、待ちに待った好天予報です。
予報では、午前中は晴れ・昼から曇りでしたが・・・

朝6時に起床、朝飯を喰い6時45分に出発。
八幡平スキー場に向かいます・・・予報に反して山頂部には雲が・・・
流れも速い・・・路面も凍結してるので、4駆に切り替えて・・・
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山道に入ると、日差しは春でも路面は冬・・・
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8時過ぎに、八幡平スキー場に到着です。
ここのスキー場は、標高1000mに有り雪質は最高ですが、
寒さが厳しく、一般客はもっと下のスキー場で滑ってます。
今はまだ土日営業のみ・・・下のスキー場が雪解けで駄目に為る3月末から、
GWまでの間は毎日営業と言う不思議なスキー場です。

今日、八幡平を予定したのは、地元の鹿角山岳会が毎年主催の樹氷ツァー、
3000円の参加費で30名ほど山頂へ案内する企画が有った為。
普段誰も歩いて無いコースを、ラッセルしながら歩いては、日帰り往復が大変。
そこで、彼等のトレールを拝借して楽して山頂へ・・・と思った次第・・・
山装備をして、スキーハウス前に着いたら、御一行様がリフトに乗る準備中です。


リフト代250円が勿体無いので、早朝圧雪仕立てのコース脇をシール登行・・・
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8時45分スタート、滑走距離1250m・標高差250mのコースを直登して、
リフト上広場に9時10分着・・・御一行様は輪になって、準備体操をしてました・・
こっちは、ここまで登ったのが準備体操の様なもの・・・
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彼等のスタートを待ってても仕方ないので、蒸ノ湯に向かうルートに進むと、
シューやスキーの跡がバッチリ付いてるではないですか~
先行して進んでるグループが居たのです・・・これはラッキーでした・・・


八幡平アスピーテラインの蒸ノ湯駐車場に着きました。
トイレは屋根だけ出ています・・・道路標識も手を伸ばせば届く位置・・・
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観光道路から離れて、夏の登山道沿いに・・・最初は中々の急登です。
先行する男女ペァに追い着きました・・・リフトで上がったとの事・・・
トレールはバッチリで、快適ですが・・・
まだ風邪が完治して無く、鼻水ダラダラ・・・呼吸が苦しく最悪ですが・・・
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ツァー標識131番まで登って来ました、スタートの100番はスキー場TOPです。
300番標識は、八幡平山頂に立ってます・・・
背後に焼山山塊が見えます、春山スキーに最適な山塊です。
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岳樺の巨木に霧氷が、青空に映えて・・・
脇の青森トド松(おおしらびそ)は、この高さでは樹氷化しません。
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暫く進むと、青森トド松も樹氷らしく・・・・
途中会った人に50代後半かと聞かれ、今年70だと・・・
そんなに若く見えるか?  この病み上がりが・・・


暫く進むと、青森トド松も樹氷らしく・・・・
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八幡平独特の地形、四方八方樹氷大平原です。青森トド松の生育密度は日本一とか。
                    超パノラマ画像です、拡大してご覧を。
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振り返ると、焼山山塊の奥に、森吉山1454mが見えます・・・
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藤助森に来ると、八幡平山頂が見えます。     パノラマ画像拡大してご覧を。
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先行者に追い着きました。山頂の標識300番のポールが見えます。
展望デッキにも人影が・・・
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                              山頂部のパノラマ画像
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11時45分山頂着、登り始めて3時間、
体調不調ながら過去最高のタイムです\(◎o◎)/!病み上がりにしては上出来。
トレールが有ると無いとでは大違い・・・
膝上ラッセルで、150番標識で12時何て事も有りましたから・・・


この八幡と見える標柱は、5m物で4m位の積雪でしょうか~右は展望デッキ。
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山頂で、板を外し、テルモス珈琲・・・と、突然黒雲と風で天候急変です・・・
飯も喰わず、籐助森まで戻り・・・吹雪混じりの中、シールを外し、滑走・・・
雪の状態は良く、気分良く滑れた。
暫く滑走して林の中に入ると風も弱まり、ここで板を外して昼飯タイムです。


蒸ノ湯駐車場に戻り、シール装着中に単独シュー氏が降りて来た・・・
聞けば、8時にスタートしトップで山頂を越え、源太森往復との事・・・
45分早く出ただけで、源太森往復とは驚きのパワーだ・・・


スキー場TOPへの登り途中から、眼下の蒸ノ湯温泉です。GWまで冬期休業中・・・
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スキー場TOPに上がりシールを外し、スキー場内を滑走・・・
スキーハウス着が1時30分でした。
早速、売店で「温泉 割引券くれ」と言ったら、「1千〇円」と・・・
午後のリフト割引券と勘違いされたらしい・・・俺の訛りは最強か???
レジ係りのおばんは、地場の人間で無いらしい・・・
スキー場には1円も落として無いが、周辺温泉100円引きの券を貰って、
隣りの〝後生掛温泉〟へ・・・400円で冷えた身体を茹でて、一路家路へ・・・・
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今日のルート(赤線往復)
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今日の装備
板 ディナフィットPDG 800g   金具 デイナTLT 550g 
シール ポモカレースプロ 120g 
靴 ガルモント マスターライト1120g 標識旗120本(使用せず)


今回は、山頂部での天候急変と冷たい風で、指先が凍傷に為るかと思ったほど・・・
ヒマラヤ用に買ってた、-29℃対応のミトンを持って来るべきだったと。
年寄って、毛細血管まで老化したのか・・・・
取り合えず、内手袋交換してゴアオーバー手袋で対応・・・
この時期、こんなに冷えるとは思っても居なかった・・・おおいに反省。


明日からは、また週間天気予報が良くない・・・
次の晴れは秋田駒に往きたいのだが・・・


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