海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2017年05月

中国政府は、現在チベット・ウィグル自治区に入る、外国人に制約を課しています。
反政府活動又は、独立運動への加担を恐れてです。

こんな制約が有ります。
①登山隊に付いては、入国ルートに従がい・出国する。中国登山協会連絡員派遣。
②隣国ネパールから、陸路での外国人個人の入国禁止。団体ツァーのみ可。
③北京(例)経由でラサに到着し、陸路ネパールに向かうツァー客・個人は可。
①に付いては、連絡員が監視役。 ②に付いては、現地ツァーガイドが監視役。
③に付いては、4駆運転手が監視役。

栗城はこの〝禁〟を犯して、陸路③の素振りをして越境した様です。
以下黒字のブログ抜粋を読むと納得して貰えるでしょう。

(黒字は栗城ブログより抜粋)
今日、ネパール側のゴラクシェプ(5164m)に着きました。
そして、ルートはウエストリッジ(西稜)からホーンバイン・クロワール(北壁上部)を目指します。
実はこのルートは2012年秋季エベレスト西稜でトライしたルートです。

※なぜ今までルート変更の詳細と場所をお伝えできなかったのか。それは大幅な移動を要し、ネパール人スタッフも含めてなかなか国境を越えられず、もし国境を越えられなかった場合には戻る可能性もありバラバラの移動体制でネパール側のベースキャンプに向かうことなり、本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです
無事にネパール側のベースキャンプに到着するまでは発表を控えさせていただいていました。ご心配をおかけした皆様申し訳ございませんでした。
ごめんなさい。無事に着いて良かった。

何故、この〝禁〟を犯したのか?
チベット側からの北壁が登れ無いと判断し、ネパール側へ移動するには、
全員入国ルートに従がい、ラサから空路出国しなければ為りません。
当然出国時点で、入国時の人員リストとの照合が有ります。
なので、苦肉の策で陸路からネパールへ・・・

理由は、西稜からホルバイン・クーロワールを登る、栗城を撮影する為に、
カメラ担当を北壁BCに残して置く必要が有ったから・・・(彼用のコックも)
ネパール側からは、西稜に上がらないと北壁の全貌は見えないし、斜めから視る感じ。
北壁Bcの位置からは、正面に北壁が見える。
昨日の敗退宣言の中でも、北壁BCのカメラ担当に触れてます。

ここで問題です。
①チベットに残されたカメラ担当は、どうして帰国するのでしょうか?
 栗城同様に陸路でしょうか・・・・
②登山隊としてチベットに入った〝栗城隊〟の出国記録が宙に浮きます・・・
この辺の処理が上手く出来るのか?
この後の登山隊に、禍根を残さないのか心配です。



因みに、下記ルート図は、ネパール・チベット間での陸路です。
外国人には、ネパールにぬけるルートとして、これより認められてません。

イメージ 1


6月1日追記
バラバラの移動体制で
本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです
越境は栗城自身の発想では無さそうですね・・・誰の入れ知恵でしょうか?
たぶんボチボチの社長でしょう。

外国人が入出国出来るルート(ネパール⇔チベット)は、
上記図の一箇所より有りませんが・・・・古くからの交易ルートが有りました・・・


’06年のヒマラヤ遠征時に、見聞きした話を想い出しました。
エベレスト街道最大の村ナムチェバザールでは、毎週〝市〟が立ち名前の由来。
衣類や生活雑貨・食料などが売られてます。
どこにこんなに人が居たのかと思う程の賑わいです。
チベット族が徒歩で国境を越えて、販売や購入に来ると聞きました。
古くからチベット岩塩の交易ルートが存在してるのです。
栗城はこのルートを通った可能性があります。
上記の正規ルートと違い、国境警備も手薄でしょうし、多少の袖の下で・・・
等と考えてしまいました・・・・邪推でしょうか?




は、ここで





栗城ブログが更新されました。予想通りの敗退宣言です。

冒険の共有〟を謳いながらも、共有の無かった栗城が、3部作で〝語って〟ます。
冒険の共有〟の為の、衛星通信に金が掛かると〝集金〟した金の使い方です
これでウン百万の通信費・・・以下の3部作でご覧下さい。

(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
本日、現地時間14:15(日本時間17:30)栗城の無線交信によるライブ配信がありました。
音声のみですが、栗城の決断と今の想いをお話させて頂きました。
以下のURLよりご覧ください。
皆様、応援ありがとうございます。
【栗城ライブ配信(無線音声)1】
【栗城ライブ配信(無線音声)2】
【栗城ライブ配信(無線音声)3】
https://www.facebook.com/kurikiyama/videos/1527400823958896/
※ライブ配信されたものが動画でご覧頂けます。

ダラダラと言い訳が続き、画像はテントの中の無線機・・・
一々、コメントも面倒なので、皆さんが聞いて判断して下さい。
FBで苦情が多かったので、最後にこれを流したのでしょうが、茶番劇です。

聞いて感じた事。
①春は初めて来たが、晴れの日が多く・環境がいい、それを生かしきれなかった・・・
 初期高度順応の失敗と前から言っている。体調不良でウダウダ・・・
②ネパール登山協会から、6月1日までにBCを撤去する事が条件。
 初めて聞く話・・・
③例の〝泣き芸〟が入る・・・
 いつものパターンでした・・・泣くほど悔しいなら、死ぬ気で遣れよ、栗城。
④ノーマルルートへ往った・・・
 この天気の中、どこへ往こうが登れる道無し・・・
で、カウントダウンのオマケ付きで、撤退宣言音声画像(笑ってしまった・・・)

下山してから、正式な総括が有ると思うので、その時私見を述べます。




中国政府は、現在チベット・ウィグル自治区に入る、外国人に制約を課しています。
反政府活動又は、独立運動への加担を恐れてです。

こんな制約が有ります。
①登山隊に付いては、入国ルートに従がい・出国する。中国登山協会連絡員派遣。
②隣国ネパールから、陸路での外国人個人の入国禁止。団体ツァーのみ可。
③北京(例)経由でラサに到着し、陸路ネパールに向かうツァー客・個人は可。

①に付いては、連絡員が監視役。 
②に付いては、現地ツァーガイドが監視役。
③に付いては、4駆運転手が監視役。

栗城はこの〝禁〟を犯して、陸路③の素振りをして越境した様です。
以下黒字のブログ抜粋を読むと納得して貰えるでしょう。

(黒字は栗城ブログより抜粋)
今日、ネパール側のゴラクシェプ(5164m)に着きました。
そして、ルートはウエストリッジ(西稜)からホーンバイン・クロワール(北壁上部)を目指します。
実はこのルートは2012年秋季エベレスト西稜でトライしたルートです。

※なぜ今までルート変更の詳細と場所をお伝えできなかったのか。それは大幅な移動を要し、ネパール人スタッフも含めてなかなか国境を越えられず、もし国境を越えられなかった場合には戻る可能性もありバラバラの移動体制でネパール側のベースキャンプに向かうことなり、本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです
無事にネパール側のベースキャンプに到着するまでは発表を控えさせていただいていました。ご心配をおかけした皆様申し訳ございませんでした。
ごめんなさい。無事に着いて良かった。

何故、この〝禁〟を犯したのか?
チベット側からの北壁が登れ無いと判断し、ネパール側へ移動するには、
全員入国ルートに従がい、ラサから空路出国しなければ為りません。
当然出国時点で、入国時の人員リストとの照合が有ります。
なので、苦肉の策で陸路からネパールへ・・・

理由は、西稜からホルバイン・クーロワールを登る、栗城を撮影する為に、
カメラ担当を北壁BCに残して置く必要が有ったから・・・(彼用のコックも)
ネパール側からは、西稜に上がらないと北壁の全貌は見えないし、斜めから視る感じ。
北壁Bcの位置からは、正面に北壁が見える。
昨日の敗退宣言の中でも、北壁BCのカメラ担当に触れてます。

ここで問題です。
①チベットに残されたカメラ担当は、どうして帰国するのでしょうか?
 栗城同様に陸路でしょうか・・・・
②登山隊としてチベットに入った〝栗城隊〟の出国記録が宙に浮きます・・・

この辺の処理が上手く出来るのか?
この後の登山隊に、禍根を残さないのか心配です。

因みに、下記ルート図は、ネパール・チベット間での陸路です。
外国人には、ネパールにぬけるルートとして、これより認められてません。

イメージ 1


6月1日追記
バラバラの移動体制で
本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです
越境は栗城自身の発想では無さそうですね・・・誰の入れ知恵でしょうか?
たぶんボチボチの社長でしょう。

外国人が入出国出来るルート(ネパール⇔チベット)は、
上記図の一箇所より有りませんが・・・・古くからの交易ルートが有りました・・・


’06年のヒマラヤ遠征時に、見聞きした話を想い出しました。
エベレスト街道最大の村ナムチェバザールでは、毎週〝市〟が立ち名前の由来。
衣類や生活雑貨・食料などが売られてます。
どこにこんなに人が居たのかと思う程の賑わいです。
チベット族が徒歩で国境を越えて、販売や購入に来ると聞きました。
古くからチベット岩塩の交易ルートが存在してるのです。
栗城はこのルートを通った可能性があります。
上記の正規ルートと違い、国境警備も手薄でしょうし、多少の袖の下で・・・
等と考えてしまいました・・・・邪推でしょうか?


 は、ここで



月25日に、エベレストに登頂したICI隊の画像。AG隊も同時登頂です。

エベレスト一帯は晴れてます。

イメージ 2
5月26日に、ローッエに登頂したICI隊の画像。
AG隊も同時登頂です。

この日もエベレスト・ローッエ一帯は晴れてます。
イメージ 3

平岡隊
5月27日ネパール時間午前5時37分北京時間午前7時22分、世界最高峰エベレストの頂上に立ちました。
隊員4名、シェルパ5名、ガイド2名総勢11名が全員登頂し、先程ベース・キャンプ5150mに無事下山しました。

この日はキリアン2回目の登頂。
キリアンは21日に真夜中に登頂したと言ってますから、悪天候ではなかったはず。

この日も、そんなに天気が悪くは見えません。
イメージ 1

何で、他隊の山頂画像を載せたのか・・・栗城と他隊の比較の為です。

栗城がBCやC2で停滞を繰り返してた頃に、実力の有る者はキャンプを進め、見事に登頂しました。
以前のブログで、登頂のチャンスは、中旬から下旬のわずかな期間と言いました。
それに照準を合わせて・順応なり・荷上げなりが出来てるかが、成否の別れ目です。

     栗城の行動

5月21日  停滞日 疲れた為            キリアン北稜から無酸素登頂
5月22日  停滞日 強風予報の為 
5月23日  C2→7,200m
5月24日  昼から行動して、体調不良で下山 
5月25日  ゴラクシェプ(5,164m)BCに戻る          ICI隊&AG隊登頂
5月26日  停滞日 ゴラクシェプ(5,164m)       ICI隊&AG隊ローッエ登頂
5月27日  BC→C2へ       キリアン2度目の登頂平岡隊北稜から登頂

AG隊・平岡隊は700万前後の個人負担、ICI隊は公募でないので安いでしょうが、
各隊共に、情報公開は確実にしてて、拙ブログでも紹介して来ました。

栗城は、何千万もの金を集め、あの程度の情報より流さず、
〝冒険の共有〟とは、呆れ果てます。
しかも、最後に高額な衛星中継を使い、グダグダ話とテント画像を流す始末でした・・・




栗城ブログが更新されました・・・

(黒字は栗城ブログより抜粋青字は私見)
2日前(5/29)の夜10時過ぎ(日本時間5/30夜中1時過ぎ)に無事にゴラクシェプ(5300m)まで戻ってきました。
そこまで(C2)登るのに2日掛かりで、
帰りは1日未満とは、〝下山家 栗城〟と言われる由縁です。
 本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。
予報で悪天候が予想されてても、アリバイアタックの素振りを見せて、
嫌々C2まで上がったのは動画を見て判ってたよ・・・
ダラダラ・チンタラ歩きは、とても体幹を鍛えてるとは思えぬバランスの悪さ・・・
25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。
その症状は、高山病と前から言ってる。
7,300mへ登ったと言う日から何日経過したのか・・順応効果は既に切れてる・・・
高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。
過去6回もエベレストで何を学んだ、無駄な停滞を繰り返し、順応など出来るはず無し。
ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。
春が安定してる事は皆が知ってる、登頂者の数が示してる。今頃知ったか ?
西稜に抜けれなくて、何が判ったか・・・氷雪技術の無さをか ?
技術も磨かずでは、来年も同様の敗退劇を繰り返すだけ・・・・
皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。
決して諦めない=金集め でしょう・・・
この遠征が、全体的にどのようなものだったのか、また後ほど報告させてください。
登頂した他隊と比べ、何が足らないのか検証してよね、楽しみにしてるから・・・
映像についても編集スタッフがまだチベット側にいるので、合流してからアップしていきます。
その彼氏 、どうやって帰って来るのか? 興味の有る処です。
それとも又チベットに越境して合流????
帰ってくると毎回髪がトロール人形みたいになってきます。
坊主頭にして往け 坊主に !!!

相変わらずの、お気楽さ・・・・口直しに、今朝咲いた牡丹。
イメージ 1





今日は雨模様で、草取り・百姓業も出来ないので、栗城越境を再検証。

栗城がネパールに出国出来るのは、
ラサから空路より無い事は【1】でお判りかと思います。
陸路で越境するとしたら、古くから有る交易路を使ったのかと。
1/12.5万のトレック地図です。
ボケて見ずらいですが、エベレストナムチェ・バザール越境した峠の、
位置関係が判ればと思い載せました。地図の北側はチベット領です。
イメージ 1

越境したと思われる峠部分のコピーです。
イメージ 2

チョー・オュー峰の北東に、(Nanpa La)  Khumbu Laと書かれた峠(La)5,716mが有ります。
ナンパ峠とクンブ峠と言った処でしょうか・・・
ネパールでは、エベレスト周辺はグンブー地方と呼ばれ、
エベレストから流れる氷河を、クンブー氷河と呼んでる事からも納得です。
地図の赤線道は、ヤクやゾッキョ等の荷役動物が通れる道・勿論人も。
チベット族が、ナムチェに来る交易ルートです。

このクンブ峠から約50~60キロ南下すると、
エベレスト街道最大の村〝ナムチェ・バザール〟が在ります。
ナムチェからエベレスト街道を約40キロ北上すると、エベレストBCに着きます。

栗城はこの交易路を使って、国境越えしたのでは・・・・
ここからは、推測ですが・・・下記の栗城行動表を参考に・・・

①6日。北稜で7,300mへ登ったが、クーロワール下部の青氷は登れ無いと判断。
②即、ボチボチ社長に衛星電話で相談。正規でない交易ルートでの越境指示あり。
③10日頃にクンブ峠を越えたネパール側から、ヘリでカトマンズ(1時間ほどの距離)
④5月11日、ネパール山岳協会に新ルート申請。15日頃までカトマンズ滞在。
⑤5月15日の拙ブログの投稿で、数日前にカトマンズで栗城を見た人が居ると証言。
カトマンズから、ヘリでロッジBCに入る。
(ルクラからエベレスト街道を歩くと、栗城の足で一週間、3日では歩けない。)

栗城 行動表より
5月  6日  北稜ルートから北壁BCに戻る(体調不良発言)
5月  7日  停滞日
5月  8日  停滞日
5月  9日  停滞日
5月10日  停滞日
5月11日  停滞日 新しいルート申請中(栗城ブログより) 
5月12日  停滞日  
5月13日  停滞日  
5月14日  停滞日 ルート申請をおえる、16日に新BCに入る(栗城ブログより) 
5月15日  停滞日   
5月16日  停滞日                          キリアン8,400mまで試登し順応
5月17日  ゴラクシェプ(5,164m)に到着、ロッジをBCにする。     

クンブ峠を越えるのに3日、金に糸目を付けずヘリを使えば、日程的に充分可です。
飽くまで小生の推測ですから、その辺〝忖度〟して読み流して下さい(^^ゞ


口直しに・・・・昨日の庭のアイリスです。
イメージ 3




5月29日に、延々と音声のみの動画で〝敗退宣言〟をした栗城ですが、
その後は5月31日にロッジBCにから更新して以来、3日間音信不通です。

今回(7回目)の北壁遠征をオサライして見ます。
添付画像で行動確認して下さい。
赤線は国境 青線栗城のルート
イメージ 1

①図北側(上側)に有るチベットBC入りしてから、北壁BC設置の為に南進し、
 中央ロンブク氷河5,600mの位置に北壁BCを設置。(昨年秋のABCの位置)
 この時、「体調は悪くないと言う。普通は体調は良いと言う筈が、
 悪くないと言う言い方に違和感を感じた・・・

②高度順応の為に、北壁BCから東ロンブク氷河に入り、北稜ルートABC設置。
 ノース・コルから7,500mへ登り順応の予定が、7,300mで終え順応したと言う。
 ABC(6,400m)に入って咳と腰痛と言うが・・・・初期高度順応の失敗である。
 この理由はで述べてます。

③北壁下部の青氷が登れ無いと判断し、ルート変更を考える・・・・
 10日ほど経過して発表したのが、チベット側を諦めて、
 ネパール側から西稜を登りクーロワールから登頂すると発表。
 国移動の経緯説明が無く、

④ネパール側に移り正規のBC位置(図中)では無く、遥か手前のロッジにBCを置く。
 同時に無線中継基地を、プモリ峰の基部に設置
 理由はヌプッエ峰が電波を遮断する為、見通しが効く場所でなければならない。
 この中継基地に通信担当と飯炊きシェルパを配置。
 正規のBC位置にBCを設置してたら他隊同様で、基地などは必要ないのだが・・・
 後からノコノコ国替えした、他隊に対する負い目感が有ったのかも・・・・
 先の北壁BCは撤去せず、カメラ担当と飯炊きシェルパを配置したまま。
 栗城がロッジをBCにしたのは、隊を3分割した事が原因かも知れません。

⑤西稜に上がる為に、クンブー氷河上の6,400mにC2を設置。
 西稜側壁に懸かる懸垂氷河沿いに稜線を目指すが、
 7,200m地点で体調不良(高山病)を理由にロッジBCに戻る。
 北稜7,300mで順応してから3週間も経ってるので、順応効果は消えてたのだ・・
 この間に、日本隊・外国隊が大量登頂に成功する。
 その後、予報が悪い中、アリバイアタックに向かい、
 何を思ったか ? C2からノーマルルートのC3に向かうが、
 ローッエ・フェイス取り付き付近で、ガスで見えないと言い引き換えし、
 敗退宣言を延々と無線で中継する。
 しかし、FIXはまだ残っており、登る気が有ればそれを辿って登れたはず。
 氷化したフェイスに敗退したとも言えるかも・・・

以上が、今回の栗城の行動概要でした。 

それにしても栗城は、何処でどうしてるのやら・・・・
それとも中国の官憲に、出頭を求められたか ?
ボチボチのシェルパが6月1日にカトマンズに降りたとの情報も有るが・・・
敗退ショックに立ち直れないて、ロッジのキッチンで泣いてるのか・・・(笑)


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他隊情報

AG隊が撮影したエベレスト山頂の画像です。
山頂ポール(中国が測量の為に建てた物)に、
タルチョ(チベット仏教の経典が書かれてる)が結ばれてます。
これは信心深いシェルパが巻きますが、何とダライラマの写真まで・・・・
この春は、中国隊も登頂してますが、その後登頂したシェルパが貼ったと思います。
中国人(漢民族)が見たら剥がすはず・・・
中央政府に対する、チベット民族の強烈な意思表示でしょう
イメージ 2

ローッエから撮ったサウス・コルとエベレスト南東稜。
赤線は、2015年10月に栗城が登ったと言ってる、カラス谷ルート。
サウス・コル7900mを経由し、8150mまで登ったと・・・
西稜にも登れ無い者が、ここを夜間登ったとは誰も信じないでしょう~~
イメージ 4

エベレスト山頂直下から、南西側の画像です。
の山は紙谷氏が挑んだ、アマダブラム峰(6,856m)。
 紙谷氏の〝登攀記〟は◆◆山彦のヒマラヤ・他雑談◆◆ に記載してます。
の山は竹内洋岳氏が挑んだ、未踏峰のマランフラン峰(6,573m)。
 竹内氏の記録も◆◆山彦のヒマラヤ・他雑談◆◆ の中に記載してます。
の山は小生が62歳で登頂した、メラ・中央峰(6,654m) メラからも良く見えました。
 登山の様子は、拙ブログ メラ中央峰 6654m 登頂記  の項に記載してます。
イメージ 5

サウス・コル(7,900m)、C4の現状です。
放置されたテント他の墓場です・・・・この先には死体も放置されてるとか・・・
人間のエゴですね・・・下ろそうにも下ろせないのが現状です。
イメージ 3
最後に嫌な物を見せて仕舞いました・・

お詫びに、今が盛りの日光キスゲです。
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6月4日 追記
今朝の毎日新聞の記事です。
中国政府が登山隊を組んで、ダライラマの写真を外しに往くのでしょうか?
習近平以下の党幹部が往けば面白いですねぇ~~
イメージ 7
写真一枚でこの騒ぎですから、不法越境問題が発覚したら、・・・ですね。





天気予報を見ると、5月18日(木)~21日(日)までは晴れ予報です。
GW後半以来、2度目の鳥海山春スキーを計画。


18日
昼から200キロ彼方の、鳥海・祓川登山口を目指しました。
途中で酒・ビール・ツマミ・昼飯用パン等を調達し、
鳥海高原に上がると、鳥海がドーンと見えます・・・       パノラマ画像
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祓川登山口への林道。ブナの新緑が綺麗です。
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まもなく、祓川登山口の駐車場。鳥海が近くなって・・・     パノラマ画像
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この日は平日で車中泊の車も少なく、夜は〝一人入山祝い〟で一杯・・・
ラジオで明日の予報を聴くと、波50cmとのこと。明日に期待し早々に寝袋へ・・・
(鳥海山は海辺に有り、海風の影響を受け易い)



19日
3時半起床、4時半頃の日の出。横手盆地に雲海が・・・
 駒ヶ岳↓岩手山↓和賀山塊↓              早池峰山↓  
イメージ 4


朝焼けの鳥海
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無風・快晴です。
スキー登山のつもりでしたが、
こんな良い条件は無いし・昨日途中から見た北面の雪の状態から、
3年振りに北面を登って見ようと・・・・
3年前はカメラをザックに入れてて、取り出せる様な斜面で無く、
写真も満足に撮れなかった。
その時の画像は↓

5時30分に出発。
夏道は無く、〝熊〟が多い処なので、
藪漕ぎの前に〝20連発の爆竹〟を派手に鳴らす・・・

最初の藪を越えると、雪の壁が立塞がる。目標の新山の頭が遥か彼方に・・・・
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雪は絞まって歩き易い。今日は、マウンテン・テクノロジーのピッケル。
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この斜面を登り、また藪を漕ぐ前に〝爆竹〟・・・
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この藪は、漕ぐに値しない・・・透けて先が見える・・・
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また藪・・・〝爆竹〟を鳴らし、薄そうな処を突破・・・
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この藪も、〝爆竹〟後に突破・・・
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遂に草付き+潅木帯に出ました~ 鳥海山北斜面の全貌。誰もが見れる景色でなし。
    ↓新山                    稲倉岳↓パノラマ画像
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最後の藪を漕ぐと・・・・
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眼前に新山北面が・・・6時45分。
藪漕ぎ・雪渓のトラバースを繰り返し、1時間15分で到着です。
スキーだと、藪の突破に時間が掛かり・板を履いては外すの繰り返し・・・
2時間は掛かってしまいますが、今日は板なしで登山靴、ガンガン往けます。

今日のルート
北面基部から新山まで、標高差800m・時間にして約4時間。
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日差しの当たって無い雪面はガチガチで、靴底跡が微かに残るだけ・・・
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北面基部に着きました・・・7時25分。
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登り始める前に、靴紐の締め治し・・・前開きのスパッツは遣り易いです。
靴は、ゴローのオーダー。
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アイゼンも装着、サレワ12本ヒマラヤ(時代物)。
アイゼン3丁の内2丁がサレワ製・・・・刺さりがお気に入り。
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7時45分から登り始めます・・・・
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〝熊〟の足跡が・・・形が鮮明でないので、昨日の物か・・・
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中島の露岩を目指して登ります・・・
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左手の七高山側の雪渓に〝熊〟が横断した足跡が・・・拡大して見て下さい。
こんな急斜面を熊は歩くのです・・・
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ここにも〝熊〟の足跡が・・・離れてるので登ったか? 降ったか? は不明。
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右手には、稲倉岳が・・・海岸線も・・・
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愈々、急斜面・・・ピッケルを刺し・3点支持を確実に・・・
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露岩が見えて来ましたが・・・なかなか着かない・・・
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10時25分、ようやく、露岩下部に到着です。ここまで休める処は無し・・・
一息入れて、アイゼン点検。
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七高山の側壁。
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先の急斜面、雪面の状態により斜登・直登の繰り返し・・・基本に忠実に・・・
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象潟口からの途中に有る〝扇子森〟と、日本海に浮かぶ〝飛島〟です。
更に、急斜面が・・・スリップしたら何百m落ちるか?
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斜度は更に増します・・・
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新山の山頂が見えて来ると、斜度は落ちますが、足も疲れて来る・・・
油断は禁物・・・
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最後の斜面です・・・
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新山と七高山の鞍部を目指して・・・最後の登り。
ここで12時半、やっと座って休める処へ・・・水分補給。
基部から休み込みで、4時間45分で完登です。          パノラマ画像
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七高山の山頂を見上げる・・・
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外輪山越しに、南に〝月山〟と〝朝日連峰〟
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1時20分 七高山の〝一等三角点〟。
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七高山山頂からの〝月山〟と〝朝日連峰〟
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七高山山頂からの新山ドーム。小生がトラバースした足跡が・・・
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〝氷の薬師〟で沢水500mLを補充、冷たくて美味い・・・
降りて来た七高山を振り返る。
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眼下には〝大雪路〟の雪原が広がってます。
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祓川駐車場に2時30分到着。
雪でクルクル(雪に埋めるより、回すと30秒で冷える)して、
即冷えの缶ビール500mL2本を、一気に遣っ付ける。

夕方、塚〇氏が到着。
8時まで外で〝酒宴〟以外に寒くはなかった・・・
明日は塚〇氏の希望で、又 北面に往く事になる。


20日
7時45分出発。
昨日の記憶を辿り、藪漕ぎを繰り返す・・・雪渓の足跡は既に消えてる・・・
藪漕ぎは2人なので、気分的に楽。
9時45分北面に出る・・・2時間・・・板だとやはり時間が掛かる。
手持ちしたり・背負ったり・履いたり・外したりの繰り返し・・・

10時30分 北面基部に到着。
塚〇氏は北面を滑ると言い、2時までには戻る約束で、
スキーアイゼンを装着して登って往った・・・
小生は、こんな急斜面滑る自信も無し・・・去年はバランスを崩して滑落・・・

ツェルトを張って、2時まで待機・・・
中に居ると、日差しで暖かいぃぃ~
小生の嫌いな、某社製のパラシュート生地を使った〝超軽量〟の物。
フリースを着込み・ツェルトに横になる・・・
何十年目にして新発見である・・・・雪の上なので当然ヒンヤリ感は有るが、
水分が滲みて来ないのだ!!!!  防水効果が有るとは知らなかった・・・
これなら雨も防げるなぁ~ と、思った次第。
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中で、ゴロンの図。
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来るのは大変だが、今日も北面は素晴らしい~~
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約束の2時に塚〇氏が戻り、藪漕ぎ開始地点へスキー滑走。
七高山側壁からの落石が、雪面一帯に落ちてる、板で踏まない様にコース取り・・・
2時半から藪漕ぎ開始・・・2時間で戻れると思ったが・・・
雪渓の繋がった処を選んだ為に、最後〝大藪漕ぎ・木登り〟をする羽目に・・・
結局、2時間半掛かり、ヘロヘロで5時に駐車場に戻る・・・
右足小指の骨が出てる処が、靴に当たって痛い・・・
即、缶Bは言うまでもなし・・・疲れて早めの就寝。


21日
4時半起床、先ずはモーニング珈琲。
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梅○氏が後一時間で到着との電話・・・バタバタと準備し、3人バラバラに出発。
今日もいい天気だ~~ノーマルルートで七高山に向かう・・・
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毎年同じ処に亀裂が・・・
数年前に落ちたボーダーが亡くなる事故が有ったのだ・・・
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ここにも・・・ガスってる時には危険だ・・・
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ここで一息入れる・・・右足の小指の付根の骨が痛い!!!
とても我慢出来ず、この先で戦線離脱・・・
昨日の〝大藪漕ぎ・木登り〟で悪化したらしい・・・
もっとシェル出しして貰わなくては・・・
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2時前に皆が戻り、解散・・・200キロ走り我が家へ。
4日振りの風呂は気持ちがいい~ 洗濯も済ませ、ブログ記載した次第。
これで鳥海を終わろうと・・思ったが晴れが続く日が有れば・・・又・・・?


今回、スキー登山は敗退だが、天候に恵まれ北面を、
3年振りに登れたのは最大の成果でした。


余談
七高山山頂に、こんな石碑が建立されている。
秋田の鳥海山麓に在る温泉宿の親爺が建てた物、建立者名も刻彫されている。
東日本大震災・原発事故と鳥海は何の関係も無いのだ。
山頂神社・山形県・環境省の許可済みと言うが、発想がかなりズレテないか?
これをソリに載せて・大勢で引揚げるのを山頂から見たが・・・
21日に第5回目の記念登山が実施された・・・
受付を見てると、日帰りも居たが、前日宿に宿泊し送迎バスで登山口往復者多し。
これでは、営業行為の一環と思われても仕方がないのでは・・・
実に鳥海山には不釣合いの工作物だ。

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お待たせしました。いよいよ19日からアタックステージ開始します。
今日、ネパール側のゴラクシェプ(5164m)に着きました。
登頂予定日は23日です。20日~22日を目指していましたが、西風が20m以上と強い予報が出ているので、風が弱くなる23日を狙います。
そして、ルートはウエストリッジ(西稜)からホーンバイン・クロワール(北壁上部)を目指します。
予想通りの展開です。mou*****さん 貴重な情報ありがとうございました。
当初予定していたエベレスト北壁(スパークロワール)の下部が500m以上にも渡りブルーアイスが出ており、一時は一人でルート工作も考えましたが、右手4本、左手5本の指が無い状態で長時間のブルーアイスはかなり危険だと考えて、かなり思い切りましたが、ネパール側からホーンバインクロワールに向かいます。
実はこのルートは2012年秋季エベレスト西稜でトライしたルートです。
ルート工作された〝氷瀑帯〟を通るので、単独は成立しない。
(中略)
ベースキャンプはゴラクシェプのロッジに設置し、20日に6400mのキャンプ2(C2)、21日C2で休養、風が落ち着く周期を見計らって22日に西稜に向けて一気に登り7300mのキャンプ3(C3)へ、22日夜は7800mでビバークして、深夜に最終アタック。23日に登頂を目指します。
今日にでも出発しないと、このスケジュールは成立しない。
18日 ロッジ→BC(鈍亀栗城の足で、C2まではロッジから2日掛かる。)
19日 BC→C1
20日 C2(6,400m)泊 
21日 停滞日
22日 C2→C3(7,300m)、7,800mでビバーク?
23日 ビバーク地→山頂
と言ってます。が・・・22日の行動が???です。
C3に泊まる? 泊まらないで7,800mまで往きビバーク???

BC位置が、なぜ遥か下の村のロッジなのか?
恐らくは、通常位置にBCを置くと、既存の日本隊の目が気になるのでしょう・・・
シェルパがBC間を行き来してるので、噂は一日で広まる。
C1は通常のC1の位置なのか?
22日のキャンプ位置など・・・疑問な点は有るが、
栗城が登れるとしても、7,800 mから先は無理と思うので、
深くは追求しない。
image02.jpg
西稜C3(7,300m)に上がる側壁。
標高差約1,000m、南向きなのでガチガチに氷化してると思う。
栗城に登れるか??? これが登れれば7,800mのビバークサイドまでは楽勝。

冒険の共有のクライマックスである生中継については、23日の日本時間のお昼ぐらいから開始される予定です。※詳細につきましては、後日お知らせ致します。
(中略)
※なぜ今までルート変更の詳細と場所をお伝えできなかったのか。それは大幅な移動を要し、ネパール人スタッフも含めてなかなか国境を越えられず、もし国境を越えられなかった場合には戻る可能性もあり、バラバラの移動体制でネパール側のベースキャンプに向かうことなり、本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです。
栗城は、重大な違反行為を、行なった様です。
各国のチベット登山隊は【入国したルートで出国する】と言うルールが有りす。
ネパール・カトマンズからラサへ飛行機で入国、車でBCへ着きました。
この逆で、出国するのがルールです。
それを無視して、車で陸路ネパール国境に向かい、
個々のツーリストとして、国境越えした様です。
これが発覚したら、以後チベットに入国は出来ません。
なぜ、そんなリスクを犯したのか????

(登山許可は一日でおりました。)
無事にネパール側のベースキャンプに到着するまでは発表を控えさせていただいていました。ご心配をおかけした皆様申し訳ございませんでした。
ごめんなさい。無事に着いて良かった。。

ルートの説明
赤破線 南東稜ルート(ネパール側ノーマルルート)
青破線 北稜ルート(チベット側ノーマルルート)
    今回7,300mまで登り、順応出来たと言う。●印が順応到達点
赤 線 栗城が当初計画したルート(図中のが北壁BC位置)
青 線 栗城が言う、新ルート
イメージ 3

栗城がおこなった【違法越境】は、発覚したら中国で大問題になる。
誰の差し金かは知らないが、本人達の再入国拒否は元より、
善良な日本人ツーリストや登山をする者が、
国境検問で有らぬ疑いを掛けられる事は確かだ。

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今週末まで晴れの予報が続きます。
今から、鳥海山春スキーの〝第二弾〟に往って来ます。
週末頃には戻る予定ですが、それまでに栗城が登れるとは思ってないので、
帰ってから更新にコメします。

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他隊情報

キリアン隊
5月13日 
北稜ABC(6,400m)の各国隊のキャンプ風景をFBに載せてます。
このABCには、登山客とシェルパが300人以上、登頂のチャンスを狙ってます。
背景の凹部が、ノース・コル(7,000m)です。


5月16日 
この日キリアンは、ABCから6時間で8,400mまで試登し、ABCに戻った
イメージ 1
公募隊の登山客は、1日目 ABC(6,400m)→ノース・コルC1(7,000m)
                           2日目 ノース・コルC1→C2(7,500m)酸素使用
         3日目 C2→C3(8,300m)酸素使用
          4 日目 C3→山頂 酸素使用
で登り、夜間も酸素を吸って寝ます。
キリアンは、半日で・無酸素で、C3を越えて登り、ABCまで帰るのですから、
脅威の心肺機能と体力の持ち主です。


ICI隊 FBより
5月15日
今朝のベースキャンプの様子です。薄っすらと雪が積もりました
暖かいいい天気になりそうです。アタックは、天候状況を検討しています。
イメージ 2

本日は、酸素マスクを各自合わせました。
マスクも毎年、新しいものに進化しています。
酸素ボトル、レギュレーター、マスクなどはやはり、ロシア製が主流です。

5月16日
ベースキャンプが見える峠まで、散歩してきました。
いろいろなテントがひしめいています。自分のテント⛺️を探すのが大変です。

5月17日
今朝のベースキャンプです。太陽が出ています。雪が少し積もりました。
今日は、暑くなりそうです。

AG隊 ツィッターより
5月16日
梶山隊長よりあと数日ベースキャンプ(BC)待機の見込みとのこと
強風がまだ続く見込みのため、BC出発のタイミングを慎重に検討中とのことです。とはいえ、上部キャンプへの荷揚げや酸素マスクの調整など、
大詰めに向けて準備は粛々と進んでいます。

他隊の方が〝冒険の共有〟が出来てますね、栗城は何をしてるのでしょうか???




18日午後から21日までの間、鳥海山春スキー・北面登攀に行ってました。
その様子はに書いてます。

昨夜帰り、ここ数日の栗城の動きを纏めてコメントします。
(黒字は栗城ブログより青字他は私見)

23日、頂上で会いましょう。
*今朝、現地時間6:30(日本9:45)、ベースキャンプを出発しました。
動画では、腰が痛いと言う。ザックの量が少な過ぎる。
何処で泊まったかは公表してないが氷瀑帯を越えたC1と思う。
氷瀑帯を通った事で、栗城が言う単独は成立せず。(既にルート工作がされている為)

今日、無事にキャンプ2(C2)に着きました!

今、C2(6400m)にいます。
今日西陵(正しくは西稜)を目指して登っていく予定でしたが、23日が強風の予報が出ましたので、24日登頂アタックに変更して、そこに合わせて明日C2を出発していこうと思います。
天候待ち停滞と言っている23日の登頂を24日に変更。

以下、栗城が公表したGPSデータです。衛星画像に投影したもの。
イメージ 1

地形図に投影したもの。
イメージ 2

地形図を拡大して見ました。6,400mラインに到達してます。
イメージ 3

さて、今日からが面白くなります。一発で西稜に上がれるでしょうか?

は、ここで

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他隊情報

平岡隊ブログより

2017年05月18日

ふたたびエベレスト頂上へ向けて

昨日からジェット・ストリームの風が戻ってきました。
いつもの強風のベース・キャンプ5150mです。
当初私達が登頂を予定した16日には、インド隊2次隊、ドイツのアミカル隊、ロシア隊、チリ隊が、小さな好天を掴み登頂しました。下山は、強風に曝されインド隊に凍傷者が出たようです。

明日、ふたたび頂上を目指し、ベース・キャンプを出発します。
今吹いている、ジェット・ストリームの強風が、いつ弱まるのか様子を見ながら、登頂したいと思っています。
順調に行けば、24日の登頂を目指します。
この1ヶ月の成果を、慎重に、一つ一つ積み重ねて、頂上に繋げたいと思います。
僕らの願いが、叶いますように。
栗城の登頂予定日と同じですねぇ~


AG隊 5月19日のFBより
2017エベレスト&ローツェ隊
先ほど日本時間22時10分、衛星電話で連絡入りました。
全員無事、ネパール時間14時〜16時の間にC2に到着!
梶山隊長は喉がかれて、ほとんど声が出せないようなので、なおちゃんが代わりに対応してくれました。
天気予報を伝え、書き留める作業も楽ではありません。それでも衛星電話の聞こえがとても良好だったので助かりました。
いつもお世話になっている猪熊氏の天気予報とネパールの予報も参考にして行動を決めています。
場合によっては、明日はC2ステイになるかもしれないとのことです。
栗城と同じ地点に居ますねぇ~


5月21日のFBより
2017エベレスト&ローツェ隊
今朝は日本時間09時57分、掠れ声の梶さんから電話がありました。
今日もC2ステイ。山頂は24日を予定してます。それぞれの隊員のモチベーションを維持しながら、隊長も冷静に進めてくれています。声以外は、問題ないですので(笑)
集中力切らさず、山頂に立っているイメージを膨らませて頑張って欲しいです


平岡隊・AG隊共に、24日の登頂を目指している様子。
ネパール側とチベット側だが、天候的にチャンスと見ての事であろう。
是非 成功して欲しいもの・・・
クーロワールを登れなかった栗城は、それでも「僕は単独だ・・」と嘯くか???




栗城更新。

(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
皆さんこんばんは。ナマステ。
僕は今、まだ6400mのキャンプ2にいます。
今朝5:00の天気予報で、24日よりも25日の方が風が弱まる予報が出たのと、西稜は強風だと大変危険な場所なので風が強い23日に西稜で行動することを避けて、明日の朝から西稜に向けて登って行って、風が弱まる25日の山頂アタックを目指します。
多少喉が痛いですが、体調は悪くないです。
秋に比べると相当風が弱いのでチャンスがあると思います。
頑張ります。

次のように計画変更のようです。
当初計画         変更計画
22日 C2→C3      22日 C2で停滞
23日 C3→ビバーク   23日 C2→C3
24日 ビバーク→登頂    24日 C3→ビバーク
               25日 ビバーク→登頂 

天気予報は・・・
24・25日を見比べて下さい。
イメージ 1
小生なら、24日にアタックです。
理由は、25日だと疲れた帰路に風が強まります。
27日アタックと言う選択も有ります。
一次アタックを24日・2次アタックを27日に設定するのがベストかと・・・
これで登れなければ、5月中は無理でしょう・・・
イメージ 2

この先、月末までは最大風速が30km/hです。秒速換算で8.3m。
この程度の風は、8千mではそよ風みたいなもの。
チベット側・ネパール側で、連日登頂者が続出です。
風が理由で登れ無い・・・は、有り得ませんね。


追記
このブログを書き終えて、栗城の動画音声を聴いて驚愕です。
チベット側の北壁BCに、カメラマンを置いて来た様です。
西稜を登る姿が見れると言ってます。
当然 カメラマン用のキッチンシェルパも居るはずだし、
小回り用のキッチンボーイも・・・
ネパール側で、新たにキッチンシェルパ他を調達した事になります。
テント・炊事器具・人員等の増分は、ボチボチ社が手配したと思うが・・・




単独でアマダブラム峰(6,856m)の登頂を目指していた、紙谷氏が更新しました。
以下、前文記載。

アマダブラム下山の報告(臨時)

ご無沙汰していました。現在、アマダブラム下のパンボチェ(3900m)に下り、Wi-Fiを使い友人にブログ更新をお願いしたところです。
まずはご心配をおかけしてしまったこと、ブログを読んで頂いていた方にお詫び致します。
イメージ 1
C1(5,680m)の星空です。
大気が澄んでいると、星ってこんなに数見えるのです。

顛末を初めにお話しします。詳細はカトマンズへ到着後、じっくり書いて行きます。
結果から言うと、悪天のなか、当初の目的を捨て南西稜ノーマルルートからの登山に全力を尽くすことを決断、5月13日未明、C2より一気にアマダブラム頂上直下6500mまで行きましたが雲海が一気に上がり吹雪に。迷った末、C2まで生きて戻ることを視野に入れ下山を決めました。
以前衛星で短文をアップした通り、1日快晴は無し、午後には必ずと言っていいほど雪が降り、私が予定していた西壁はおろか、南西稜もリッジに新雪が付き、かつ崩れる天候のなか登頂者がいない状況でした。

天候待ちの途中、この状態で西壁を登るのは不可能と判断、デポしていた南西稜から、なんとか朝の数時間の好天を狙い登頂すること、そしてイエロータワーやグレートクーロワールなどの垂壁に近い箇所では固定ロープ、ユマール等を使うこともなり振り構わず登頂することを念頭に入れる登山に切り替えました。

相変わらず天候が安定しないなか、大荒れだった9,10日をBCでやり過ごし5月11日にC1(5680m)に移動。
イメージ 2
C1(5,680m)からの朝日

12日デポしていたC2(5900m)に再び登り一泊。

13日の午前2時、スノーシャワーが降りしきるなか、日の出とともに私のみC2より登攀開始。
イメージ 3

C3(6300m)下のグレートクーロワールを登りきるとスノーシャワーが止み、徐々に雲海と月の絶景が開けていった。
イメージ 4

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マッシュルーム・リッジ


そして少しだけオーバーハングしたセラックを登るとアマダブラムの象徴、超巨大なダブラム(セラック)が眼上に現れた。
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そこからクレバスを越え200mくらい登り、ダブラムの少し下あたりまで来たとき、遥か下にあった雲海がいつの間にか目の前に。吹雪が始まり、トレースがすぐに埋まった。

体力もきついなか、あと3〜4時間あれば登頂できると思った。同時に吹雪が続けばC2まで生きて帰れるか。
結果、降る決断をしました。



イメージ 8
赤線の先で断念したようです。

次に言いたいのは、アマダブラムの西壁を期待して頂いて居た方に、私の未熟さ、力量不足より南西稜からの登山になったこと、そして登頂できなかったことをお詫びしたい。
この記事だけではとても書ききれないほど悔しい思いもあったし、同時に登山や人を通して、信じられないほどの経験を与えてもらった期間でもあった。
ただ、自分は乾坤一擲の全力を尽くしたことだけはお伝えしたかった。
続行するか、もしくは引き返すかという判断はいつでも難しいと思う。個人的には当時の体力、そして天候の要因でC2から一気に頂上を狙ったゆえ、長い道のりを引き返すことを念頭に入れた判断になったという思いがある。
この経験を糧にして、また成長し、ヒマラヤに戻ろうと思う。
応援して頂いた方、本当にありがとうございます。詳細もどんどんアップしていきます。

西壁の登攀を目指してましたが、降雪が続き壁の状況が悪く、
南稜ルートに変更したようですが、無事生還出来て何よりです。
この経験を生かして、次は更なる飛躍を!!!!



ヒマラヤ報告④は→  https://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/14868577.html

5月13日

今日は全国的に予報は雨模様。
3時頃までは持ってくれるだろうと、八幡平へ・・・

昨夜、声掛けした矢留山岳会の松〇氏と待ち合わせ、蒸ノ湯駐車場へ。
板靴等の準備し、山頂行きの路線バスを待つ。
土日祭より運行されてなく、平日に晴れてても乗れないのだ・・・
乗客は6.7人程度、採算が取れないから土日祭運行。

見返り峠(山頂駐車場)から板を履き、シール登行。

この項で何回か紹介してる〝鏡沼〟旧噴火口に水が溜まったもの。
周りから解け始めてます。何回見ても目玉に見えるのだが・・   パノラマ画像          
イメージ 1


鏡沼の隣りの〝小鏡沼(正式名称?)〟綺麗な青色の水が溜まってます。
イメージ 2


山頂標識 まだ3m位は雪が積もってます。
小雨模様なので、急ぎ〝籐助森〟へ・・・
イメージ 3


籐助森でシールを外し、滑走開始。30分ほどで蒸ノ湯駐車場着。
下の方はブッシュで滑り憎い・・・やはりここもGWまでのコースだ・・・
車に戻り雲行きを見ても、良くなる気配がないので次のバス滑走を止めて岐路へ。

今日のルート シール登行青線  スキー滑走緑線
イメージ 4


これで、八幡平春スキーも終了。
八甲田も森吉山もGWで雪解けで終了。
残るは〝鳥海山〟より有りません・・・
鳥海には6月中旬まで何回往けるが・・・
一雨毎に融雪が進みます・・・・

ブログ更新が暫く無く、気に為ってましたが、衛星経由で更新されました。


5月9日 紙谷氏ブログより
御無沙汰してます.
ずっと天気が不安定で現在アマダブラムにて登頂者無し,5隊が登山断念.
一日中快晴は皆無.私は南西ルートでc2にデポし現在bc.
垂直のリッジに新雪が付きかなり滑り易いです.
明日より朝の天気が良い間のみ最後のチャンスを狙い進んでみます.
少しでも午前に崩れる兆候があればデポ回収に切り換える事も視野に.無理せず気を付けて,しかし楽しんで行ってきます!

イメージ 1

4月30日にアマダブラム峰(6,856m)のBC入りして以来、
1日晴れの日は皆無とか・・今年の天候は異常です。

画像の西壁を登攀し、帰路南西稜を降る計画で、
C2位置にデポ済みのようですが・・・

彼の登山許可は今月19日まで。
明日からの晴れ間を狙って何処まで登攀出来るのか・・・
雪の状態も良くないようなので、無理はして欲しくない気持ちです。
2度目のヒマラヤに往く為にバイトで資金を貯め、天気で敗退とは可哀想・・・
壁に取り付いて、技術未熟での敗退なら納得も往くでしょうが・・・
残された期間、天候が許す限り、全力で対峙して欲しいものです。




ヒマラヤ報告④は→  https://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/14868577.html


北稜7300mでの高度順応を終えて、〝北壁BC(5,600m)〟に戻ったが、
6日付けのブログでこう言っている。(黒字)
一泊した時の夜は体内酸素飽和度55でしたが、朝には69に上がり、昼には75と身体がどんどん薄い空気に慣れていってます。
ただ、やっぱりさすがに脈も高く、別世界を感じてます。
思うように身体が動かない
7,300mから5,600mに下がって、体か動かないとは、順応が出来てない証拠。

同時期にネパール側エベレストに入った、ICI隊の行動と比較して見ると、
原因は初期順応の失敗に有る
栗城(黒線)・ICI (赤線)隊のカトマンズ着からを、日別折れ線グラフで並べて見る。
(栗城ブログでの発表と、ICI FBでの発表を基に、ザッと表にした。)
イメージ 1

一見同じ様な標高を稼いでる様に見えるが、BC入りまでの間に大きな差が有る。

①カトマンズ(1,400m)から、
 栗城はラサ(3,600m)・ICI隊はルクラ(2,800m)へ飛行機で移動。
 どちらが、心肺機能に負担が有るかは、一目瞭然。

②その後、栗城は4日間車に乗り、標高差1,500mを稼ぎ、BC(5,200m)へ。
     ICI隊は10日歩いて標高差2,200mを稼ぎ、ロブチェ峰(6,119m)BCへ。

車・飛行機移動は、身体を動かしてないので、心肺への負荷が殆んど無く、
栗城は突然1,400mから5,200mに来た様なもので、ジッとしてると感じないが、
動くと息切れ・酸欠状態になる。

一方 ICI 隊は、ナムチェ(3,900m)での順応停滞日を設け、
平均220m/日の高度差を、歩きながら順応した事になる。
ロブチェ峰での6千m登頂順応も、スンナリ出来たのである。     
その後4日掛けてエベレストBC入り、BCで休養後にC1(6,000m)・C2(6,500m)・
7,000mへの順応も成功した。クタクタだが不調も無く、順調と言っている。
BCで数日休養すれば、クタクタ感は取れるのだ。

栗城は7,300mには達したものの、初期順応(3千m・4千m・5千m)不足により、
5,600mに居ても脈も高く、別世界を感じてます。思うように身体が動かない
状態が続いてるのである。

明らかに、順応の失敗。
低圧酸素室に入り訓練してると、再三ブログで言ってたが、無駄金使い・・・
拙ブログの★★下山家 栗城劇場★★の中で、高度順応については、
1日標高差500m・2日歩いて標高差1,000mで、
順応停滞日を1日設けるのがヒマラヤの常識と・・・・

栗城が言う〝山の先輩〟懇意にしてる大蔵喜福・花谷泰広・江本悠滋等のガイドが、
こんな事も教えないのか?
それとも〝聴く耳〟持たないのか・・・不思議である。


それに、この後約2週間で、〝講演営業〟の為に帰る羽目に・・・
いつも栗城の登山期間が、短いとも言って来たが、
営業優先では満足な山登りが出来ない。生活費稼ぎと言われても反す言葉無し・・・


5月10日 加筆
位置情報を確認で〔スポット〕を見たが、
北稜ABCからノース・コル(7,000m)までの軌跡データが消去されている。
GPSの入り切りでポイントが飛んだりしてたが、消去するとは・・・
本当に栗城が歩いたデータなら、其れを消すとは自己否定に繋がるのでは?
そんな暇が有ったら、サッサと北壁下にキャンプ(ABC)を進めるべき。
イメージ 3


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他隊情報

平岡隊更新

2017年05月08日
7100mまで行ってきました。

5月1日にベース・キャンプ5150mを出発し、1週間かけて7100mまで行ってきま した。
後ろはエベレスト頂上です。強風が吹いているのが、解りますか?


平岡隊は、4月13日にラサ(3,600m)入り。
     4月25日にBC(5,150m)入り(この間、初期順応に手間取った様子) 
     4月29日に中間C(6,000m)まで順応してBCに戻る。
     5月  1日BC発で
     5月  8日ノース・コルから7,100m2度目の順応してBCに戻る。

BCで休養し、5月中旬からの好天期を見逃さすに、
アタックすれば山頂に立てるのだ。

この様に、時間を掛けて初期順応を確実にやれば、
素人でも7,100mまで登れる。



5月9日 追記   

2017年05月09日

タシゾン4400m

休養のためにタシゾン4400mに、降りてきました。
ベース・キャンプ5150mから、車で1時間程の村です。
今日の宿、珠峰斑巴旅館和賓庁Chomolangma Benba Hotel&Restrantです。
やっと本隊に追いつくことができました。
中華料理で栄養補給して、頂上を目指します。
驚いてます。7,100mで順応し、BCで休養かと思いきや・・・
更に標高の低い町まで降りて、休養とか・・・
酸素の濃い処では、疲労回復が更に早まるでしょう~
順応の遅れてた〝客〟が一人居たようですが、
こんなに〝客〟思いの平岡氏に連れられて、世界最高峰に挑める客は幸せです。
同じ公募隊でも、他では考えられない客対応です。

   

平岡隊の情報を基に、順応の様子を追加し青線で書き込みました。
栗城と同じラサからスタートですが、BC入りを栗城の2倍の時間を掛けています。
また6,000mで順応後、一週間掛けて7,100mで順応、
BCから更に4,400mまで降りて休養のようです。
イメージ 2

北稜7300mでの高度順応を終えて、〝北壁BC(5,600m)〟に戻ったが、
6日付けのブログでこう言っている。(黒字)
一泊した時の夜は体内酸素飽和度55でしたが、朝には69に上がり、昼には75と身体がどんどん薄い空気に慣れていってます。
ただ、やっぱりさすがに脈も高く、別世界を感じてます。
思うように身体が動かない。
7,300mから5,600mに下がって、体か動かないとは、順応が出来てない証拠。

同時期にネパール側エベレストに入った、ICI隊の行動と比較して見ると、
原因は初期順応の失敗に有る。
栗城(黒線)・ICI (赤線)隊のカトマンズ着からを、日別折れ線グラフで並べて見る。
(栗城ブログでの発表と、ICI FBでの発表を基に、ザッと表にした。)
イメージ 1

一見同じ様な標高を稼いでる様に見えるが、BC入りまでの間に大きな差が有る。

①カトマンズ(1,400m)から、
 栗城はラサ(3,600m)・ICI隊はルクラ(2,800m)へ飛行機で移動。
 どちらが、心肺機能に負担が有るかは、一目瞭然。

②その後、栗城は4日間車に乗り、標高差1,500mを稼ぎ、BC(5,200m)へ。
     ICI隊は10日歩いて標高差2,200mを稼ぎ、ロブチェ峰(6,119m)BCへ。

車・飛行機移動は、身体を動かしてないので、心肺への負荷が殆んど無く、
栗城は突然1,400mから5,200mに来た様なもので、ジッとしてると感じないが、
動くと息切れ・酸欠状態になる。

一方 ICI 隊は、ナムチェ(3,900m)での順応停滞日を設け、
平均220m/日の高度差を、歩きながら順応した事になる。
ロブチェ峰での6千m登頂順応も、スンナリ出来たのである。     
その後4日掛けてエベレストBC入り、BCで休養後にC1(6,000m)・C2(6,500m)・
7,000mへの順応も成功した。クタクタだが不調も無く、順調と言っている。
BCで数日休養すれば、クタクタ感は取れるのだ。

栗城は7,300mには達したものの、初期順応(3千m・4千m・5千m)不足により、
5,600mに居ても脈も高く、別世界を感じてます。思うように身体が動かない。
状態が続いてるのである。

明らかに、順応の失敗。
低圧酸素室に入り訓練してると、再三ブログで言ってたが、無駄金使い・・・
拙ブログの★★下山家 栗城劇場★★の中で、高度順応については、
1日標高差500m・2日歩いて標高差1,000mで、
順応停滞日を1日設けるのがヒマラヤの常識と・・・・

栗城が言う〝山の先輩〟懇意にしてる大蔵喜福・花谷泰広・江本悠滋等のガイドが、
こんな事も教えないのか?
それとも〝聴く耳〟持たないのか・・・不思議である。

それに、この後約2週間で、〝講演営業〟の為に帰る羽目に・・・
いつも栗城の登山期間が、短いとも言って来たが、
営業優先では満足な山登りが出来ない。生活費稼ぎと言われても反す言葉無し・・・


5月10日 加筆
位置情報を確認で〔スポット〕を見たが、
北稜ABCからノース・コル(7,000m)までの軌跡データが消去されている。
GPSの入り切りでポイントが飛んだりしてたが、消去するとは・・・
本当に栗城が歩いたデータなら、其れを消すとは自己否定に繋がるのでは?
そんな暇が有ったら、サッサと北壁下にキャンプ(ABC)を進めるべき。
イメージ 3


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他隊情報

平岡隊更新

2017年05月08日
7100mまで行ってきました。

5月1日にベース・キャンプ5150mを出発し、1週間かけて7100mまで行ってきま した。
後ろはエベレスト頂上です。強風が吹いているのが、解りますか?


平岡隊は、4月13日にラサ(3,600m)入り。
     4月25日にBC(5,150m)入り(この間、初期順応に手間取った様子) 
     4月29日に中間C(6,000m)まで順応してBCに戻る。
     5月  1日BC発で
     5月  8日ノース・コルから7,100mで2度目の順応してBCに戻る。

BCで休養し、5月中旬からの好天期を見逃さすに、
アタックすれば山頂に立てるのだ。

この様に、時間を掛けて初期順応を確実にやれば、
素人でも7,100mまで登れる。



5月9日 追記   

2017年05月09日

タシゾン4400m

休養のためにタシゾン4400mに、降りてきました。
ベース・キャンプ5150mから、車で1時間程の村です。
今日の宿、珠峰斑巴旅館和賓庁Chomolangma Benba Hotel&Restrantです。
やっと本隊に追いつくことができました。
中華料理で栄養補給して、頂上を目指します。
驚いてます。7,100mで順応し、BCで休養かと思いきや・・・
更に標高の低い町まで降りて、休養とか・・・
酸素の濃い処では、疲労回復が更に早まるでしょう~
順応の遅れてた〝客〟が一人居たようですが、
こんなに〝客〟思いの平岡氏に連れられて、世界最高峰に挑める客は幸せです。
同じ公募隊でも、他では考えられない客対応です。

   

平岡隊の情報を基に、順応の様子を追加し青線で書き込みました。
栗城と同じラサからスタートですが、BC入りを栗城の2倍の時間を掛けています。
また6,000mで順応後、一週間掛けて7,100mで順応、
BCから更に4,400mまで降りて休養のようです。
イメージ 2




栗城が〝北壁BC〟に戻って以来、余程体調不良なのか? 音沙汰無し。
日程は残り少なく為るばかり・・・

栗城へ 〝金主〟・〝会員〟への言い訳を、必死で考えてる頃でしょうね。
     以下平岡隊の様子です。
     こう言うのが、本当の〝冒険の共有〟ですよ。
     他人に言われると〝頭に来る〟タイプのようだが、
     それなら「死ぬ気でヤレ」と言いたい。反論は前の様に関係者でもOK。


平岡隊の様子です。

2017年05月08日

エベレスト登頂準備完了

ノース・コル7000mでの辛い辛い一夜を明かし、強風の7100mを経験し、疲労困憊の状態でベース・キャンプ5150mに帰還したSさん。登頂準備完了です。
http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1655.jpg?d=a3

好天の予報を受けて、僕たちと入れ替わりに、5人のシェルパがノース・コル7000mに入りました。
深夜12時半ごろに、ノース・コルを出発。朝の7時頃にはキャンプ3(8300m)に到着し、登頂に向けて最終の荷上げを完了しました。
昼頃には、全員アドバンス・ベース・キャンプ6400mに帰着。
そのうち3人の若手シェルパは、下山を継続し、ベース・キャンプの手前で、私たちを追い抜いていきました。
左からパサン・テンディ・シェルパ28歳、ペンバ・テンジン・シェルパ28歳、ニマ・カンチャ・シェルパ33歳。
http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1668.jpg?d=a3
約20kgの荷物を背負って7000mから8300mへ登り、その10時間後には3100m下って、ベース・キャンプ5150mに帰着しました。写真の通り、元気そうです。
若手シェルパの超人的な働きには、いつも驚嘆させられます。
彼らのおかげで、エベレスト登山が成り立っています。
本当に、ありがとう。





チョー・オュー(8,201m)を2週間で登り、5月中旬にはエベレスト北壁に入り、
雪の状況を見て、両クーロワールのどちらかを登ると言ってました。

何と2週間掛からずに登ってしまいました。
ブログが更新されてます。http://www.kilianjornet.cat/

8,000mでの順応が出来てる訳ですから、少しの休養を取れば、
北壁下(6,100m付近)のABCから1日の晴れが有れば、登ってしまうでしょう。
昨年秋に、栗城が北壁下をウロウロしてる間に、
半日で北稜ABC(6,400m)から7,950mまで登り、雪が降って来たとABCに戻る。
恐ろしい登攀スピードです。

今日も行動してない、栗城に強敵現れる、です。

面白くなりそうです。




体調不良で動けない栗城、所詮エベレスト北壁に対峙出来る器で無し・・

5月10日更新の、平岡隊のブログと画像。
イメージ 1

ベース・キャンプに戻ったら、気温も暖かく、風向きも変っていました。
昨日の雪で真っ白になったエベレスト北壁。夕焼けが素晴らしかったです。
明日から、いよいよ頂上に向けてスタートします。
平岡隊は、ヤル気満々ですね~ 相手は商業登山隊とは言え、
栗城は〝自称 登山家〟でしょう~~
〝北壁BC〟で5日連続停滞の栗城。
この画像の、ど晴れの日に、何してるのでしょうか~
〝北壁BC〟から、北壁下へキャンプ(ABC)を進める事もしないで、
帰国時間はどんどん進んでます。

ブルーアイスで戦意喪失と言った処でしょうか・・・
なら、待ってても時間の無駄、さっさと敗退宣言し、帰国すべき。
来年は八ッ岳での練習の意味が無い事判ったから、もう少しレベルの高い、
剣や槍・穂高で〝練習〟してから、向かうべきでしょう(大笑)

キリアンが、そこまで来てますよ~

後、一週間位が、〝自称  登山家〟としての、最大の見せ場だねぇ~




〝北壁BC〟に篭って音沙汰無しの栗城が、5日振りに更新です。
内容を読んで〝びっくりポン〟でしたので一言。

5月11日 (黒字は栗城ブログより全文、青字は私見)
題目「困難はあっても避けられるアクシデントは避ける」
 
高所順応のステージを終えてから北壁側の偵察とABC設営に向けて準備をしてました。
ノーマルルートを順応で上がるときに北壁を見ながら、一点だけ「気になる箇所」があり、それをどうやって乗り越えるか考え続けていました。
それは北壁のジャパニーズクロワールと呼ばれる平均斜度60度標高差1000mの氷の壁。
いい色のブルーアイスですね
イメージ 2
昨年の秋は雪も混ざって登りきったが、7000m以上の傾斜がゆるくなるところで逆に雪が腰まであり、深い雪をラッセルし続けて7400mで断念した。
そうです、それで春なら楽に登れると思い、今回来て見て・・・目がテンに・・・
その雪を避ける型で今回は春に挑みに来たが、今度は青く光るブルーアイスが浮かびあがり、延々と伸びている。
栗城 国内の山も同じだよ、(例)奥穂高の小屋から上の鎖場部分 冬季はアプローチは大変だが、小屋まで来れば北向きで日差しが当たらず、比較的楽に登れる。
春季の3.4月頃は、昼・夜の気温差でガチガチに凍ってる。これと同じ事。
特にヒマラヤは〝大陸性気候〟で、冬季以外は気温差が大きい、その為だよ!!!
更に落ちる雪崩が斜面を磨くから、摩擦熱で余計に凍る・・・
 
デカデカと光ってますね
イメージ 3
もちろん、スリップはできない。。
ティンリからチベット・ベースキャンプに向かう時にたまたまドイツ人登山家ラルフさんと一緒だった。
彼は8000m14座の竹内さんとも登っていた鉄人クライマー。ラルフさんはエベレストはすでに7回チャレンジしており、この北壁は2回チャレンジしていた。ノーマルルートで酸素を使った登頂を超えるために再び無酸素で挑戦しに来ていた。
鉄人の共通点は常にポジティブなオーラを放っている。
「クリキ、僕は北壁を2回チャレンジしたが、あのブルーアイスは時間がかかり過ぎる。難しいぞ。」
ジョーダンを交えたり、お互いの哲学を披露しながら素晴らしいアドバイスをくれた。
独語が理解出来るとは素晴らしい~ 次に来るキリアンはスペイン語だぞ。
北壁の序盤、ブルーアイスの章を乗り越えるために30本以上のアイススクリューと600mのロープを持ってきていた。
壁と岩溝登るには、其れ位のガチャは必要と思うけど・・
まさかノーザイル・ノーアンカーで登る気で来たのか ? それは甘い・・・
ただ、一人でルートを工作するにはラルフさんが言うように想像以上に時間と最後のアタック分の体力も消耗してしまう。
だからいつも登山期間が少な過ぎると言って来た、順応を確りして、
ヤバイ箇所にはルート工作して、BCで充分休養してから一気に登るのが筋。
さらに体力と時間以上に長い氷を登り続けてる中で最も壁になるのが僕の左手自身だった。
2012年のエベレスト西稜で8070m地点でジェットストリームの強風で動けなくなり、あっという間に両手と足と鼻が重度の凍傷となり、手の指9本を失った。
右手は親指がかろうじて残ったためにピッケルを持つことができるが、左手は親指はなく、ピッケルを添える程度にしか持つことができない。
出来もしない、Wアックスのポーズで会員うけを狙うなよ。
その手でピッケル操作が無理な事は、前々から言ってる・・・
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ようやく左手に合うピッケルも見つけ、昔よりはだいぶマシになったが体重をかけることは難しい。
滑落しても【滑落停止】が出来ない・・・その意味する処は・・・
その中で本当に硬い氷の中を7000m近くまで登れるのか。
困難はあっても避けられるアクシデントは避けなくてはいけない。
考えに考えた結果。
山の麓まで来て考える事ではない、訓練をして・机上で考えて・登れる山を決める。
皆さんそうしてると思うが・・・
ブルーアイスを避けるルートからホーンバインクロワール(北壁上部)に入るルートを考えた。
そこから、中央ロンブク氷河を横断して、ロー・ラに上がり、
西稜から、北壁を巻き、岩溝に入るルート??? 長過ぎる、無理無理
変更予想ルート
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飽くまでも予想だが、これなら栗城画像の下部の①アイス帯は避けられるが、
中央ロンブク氷河の②クレバス帯を横断できるか? ③長い西稜を歩けるか?
④岩溝上部を登れるか?(下部より更に急傾斜)等々の問題あり。

これが駄目なら、北稜ノーマルよりない。
しかし間違って登れても、FIX・梯子が在り単独は成立しない。
ただ、そのルートも決して簡単ではない。
避けられる事故は避けて、向かうべき困難に集中する。
今、その新しいルートを申請しています。
やはりBCに、中国登山協会派遣の連絡員が居るようですね。
北稜に変更なら、〝御伺い〟の必要は無いが、ネパールとの国境歩くからねぇ~
果たしてどのルートになるか。
当たった方にはアイスをプレゼント!
馬鹿コイテル暇は無いだろう!! 真面目にヤレ。
決まれば数日中に本番アタックステージが始まります。
決まって・天気待ちして・時間切れ・・・敗退。予想通りの展開です。
そして、ラルフさんの無酸素登頂の成功!祈ってます。
他人の事はどーでもいい・・・


追記 今10時43分
チベットは、時差約3時間で7時半頃。
栗城はFB眺めて朝8時頃に〝いいね〟連発。これゃ~今日も停滞だ。


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他隊情報

ICI隊FB(5月11日)より
AG隊の梶山ガイドと直ちゃんがC2から高度順応して戻ってきました。
餅入りのお汁粉で乾杯です。7000mタッチしてきました。
AG隊の順応も進んでいるようです。


アラン・アーネットのブログより
エベレスト・中国側の、登山客とシェルパ(登頂者ではなし)数の年毎データです。
この春のネパール側は、登山客373人・シェルパ373人だそうです。
南北合わせて、1,052人が5,000m以上に集結してます、凄い数ですね・・・

イメージ 1

イメージ 6


只今日本時間5月14日18時50分です。
16分前に栗城がFBで、以下の書き込みをしました・・・

(黒字は栗城FBより、青字は私見)

ルートを変更するために移動を開始しました。
新しいルートの申請も無事に終えて、16日には新しいベースキャンプに入ります。ベース入りしてからどのルートから登るか、登頂予定日と中継について発表します。
今、エベレストは悪天候の周期が17日まで続くそうです。雪が安定し順調に行けば17日か18日からアタックステージ(本番)が開始します!
少し街に降りて来ましたが、かなり酸素が濃いです。。身体が暖まります。

16日には別のBCに入る?
予想した西稜ルートなら、現在の〝北壁BC〟が使えるのだが・・・
北稜(ノーマル・ルート)からの登山でしょうか?
2日後に入れるBCは、北稜のABCと言う事でしょうか・・・
登山客・シェルパが300人も居る北稜ABCへ?
既に山頂までのルート工作され、インド隊が16人も登頂してますから、
ルートはバッチリですが・・・栗城の理念とは少し懸離れてるかと・・・
他人の〝褌〟で相撲を取るの典型か・・・・

派遣されている中国登山協会連絡員に、変更案を拒否され、直接協会への
ルート変更交渉の為に、固定電話の有る町まで降りたようです。


帰国し28日の講演が迫ってる今に為って、訳の判らない話しです。
講演をキャンセルして、登山続行の意思でしょうか・・・

17.18日からアタックと言ってるので、天気予報を見てみましょう。

イメージ 1


イメージ 2

この予報は山頂付近のもの、16日に新BC入りしたとしても、
連日の体感温度が-30℃以上の日々が続いてます。
風速25km/時~30km/時(7m~8.3m/秒)で、
栗城の過去の行動から、この天候で登山が出来るとは思えませんが・・背水の陣で?

新BCに着いてからの発表を待ちましょう。


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他隊情報


5月14日付け 平岡隊ブログより

出戻りベース・キャンプ5150m

16日の登頂目指して、勇んでアドバンス・ベース・キャンプ入りしてみたところ、天気予報が急変してベース・キャンプに出戻りました。エベレストの天気は、いつも一筋縄では、いきません。
そんな中、インド隊16人が今季初登を、決めてくれました。インド隊は、総勢50人超の最大勢力です。一次隊に精鋭を集めて、小さな好天の窓を掴みました。おめでとうございます。
平岡隊は6,400mのABCで天候待ちをする間の、体力消耗を防ぐ為に、
5,150mのBCに戻った様です。とてもいい選択と思います。
(6,400mの高所での食事では栄養が吸収出来ず、空腹感を満たすだけ。脂肪と筋肉細胞を燃焼させてエネルギーに代えてます。高所に留まるほどダメージ大に為ります。小生も過去ひと月の遠征登山で、66キロの体重がカトマンズのホテルで計ると58キロに・・帰路は疲れて歩けませんでした。)
インド隊は隊員30人、シェルパも同数近くの様です。
一対一で登れるのですから確実です。費用もそれなりでしょうが・・・



平岡隊追加

2017年05月15日

出戻りタシゾン4200m

またタシゾンに休養にきました。
今度は、シェルパも一緒に、総勢13人です。
中華料理で栄養補給しています。

http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1750.jpg?d=a4
平岡氏が、客の順応過程や健康面に、専心するガイドで有る事は以前書きました。
悪天が当分続くと判断して、今度はシェルパ他全員での休養。
こんな例は聞いた事が有りません・・・
シェルパ達もこの様に優遇されると、
〝バラ・サーブ(シェルパ語で、偉大な旦那様・平岡氏の事)〟の為に、
必死に登頂支援をしょうと思うはずです。
2人の客を登らせるのに、この厚遇です。しかも料金はAG隊より格安。
金が有ったら、参加したいと思う様な隊です。



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ICI隊 5月13日 FBより
今日は、ベースキャンプテントの補修をしました。氷河の上にいるので、テントが傾いてしまいます。小石を入れて、平らにしました。これで、安眠できます。
長期にテントを張ってると、テント床面が解けて凸凹に為り居心地が悪くなる。
偶には設営場所の変更や床面補修が必要に為ります。
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ICI隊 FBより
5/14 プモリに太陽が当たっています。風もなく穏やかです。
イメージ 3




5月14日付けで、栗城ブログが更新されました。

栗城ブログより(黒字は栗城ブログより抜粋、青字は私見)
ルートを変更するために移動を開始しました。
新しいルートの申請も無事に終えて、16日には新しいベースキャンプに入ります。ベース入りしてからどのルートから登るか、登頂予定日と中継について発表します。
今、エベレストは悪天候の周期が17日まで続くそうです。雪が安定し順調に行けば17日か18日からアタックステージ(本番)が開始します!
これを読んで、チベット側からのルート変更より、頭に有りませんでしたが、
拙ブログを読まれた方から以下のコメントを戴きました。

先日、ネパールにあるツアー会社の友人と今秋のヒマラヤ付近の偵察旅行について話しておりました。
こぼれ話し的に聞いたのですが、どうやら栗城氏はチベットサイドからのアッタクを断念して、カトマンズに居る(居た?)ようです。
春季チベットサイドからアタックと聞いていたので、なぜ今現在カトマンズに?と思い。まさかネパール側からのアタックに切り替えるつもりでしょうか笑?
追伸
これもツアー会社経由の話しなので不確かな情報ですが、ボチボチの別働隊が別のキャラバン隊をサポートするためにすでにBCに入ってるそうです。
キッチンテントをシェアし追加で一張り二張り程度であれば問題もなさそうにも思えます。

俄かに信じ難い事ですが・・・
考えて見れば、チベット側でのルート変更は、
①北稜ルート
②中央ロンブク氷河を横断し・ローラ→西稜→岩溝上部→山頂
の、2ルートより有りません。
①は、ABCに登山客・シェルパが300人も居ます。
②は、栗城が単独で、氷河横断が出来るとは思えません。

28日の講演まで、残された日々も残り少なく為ってます。
チベットに居続けたのでは、帰国の為に4.5日の移動日が取られます。
ネパールに移れば、エベレストBCからカトマンズまでヘリ移動が可能、
上手く行けば1日半程度の移動で帰国出来ます。
下記、行動表をご覧下さい、17日~25日までの最大9日間を登山に充てられます。

栗城は、2012年に一度体験した、
クンブー氷河から西稜に上がるルートに変更、と考えると納得です。
(但し、西稜から北壁トラバースを、技術的に栗城に出来るとは思えませんが・・・)
しかし栗城が言うように、17.8日から登山開始が出来るのでしょうか???
天気予報を見てみましょう~
イメージ 1

エベレスト山頂の予報です。
20日から23日までの風が、25Km~45Km/h(7m~12.5m/秒速)です。
24日からは風も弱くなるようですが、12.5mの風では栗城は行動出来ません。
いづれにしても、BCから一発勝負の機会よりない事は確かです。
このルート変えの為に、
登山料120万と、カトマンズからの資材・人員の空輸費2・300万以上が、
掛かり増しになる事は間違い無いです。



ここまで書いてて、栗城FBを見たら、
何と・・・28日の講演を欠席するとの、書き込み発見です。
講演会メンバーの夢枕獏が言ってるので間違いないです。

下山家 栗城劇場は、当分の間 続く様子です。
講演(客無料)より登山を選択したとは、少し見直し(笑)


未踏峰マランフラン(6,573m)に挑んでいた、竹内氏ですが、
残念な事に3度目の敗退をしました。

ザイルパートナーが体調不良で帰国・近年にない降雪に阻まれ、
一人の力では、無理だった様子です。
竹内氏のFBを引用しました・・・・

5月1日 FBより
悪天ながらルートを打ち直して、ジリジリとルートを延ばしましたが‥‥
ダメだー!
届かない!
残念ながら、今回も頂上に至らずに登山を終了することになりました。
前回、核心となる岩峰帯を抜け、これまで見えなかったルートの全容が明らかになり、残された頂上までのルートへの準備と計画を立てて来ましたので、今回こそはとの思いも強く、登頂できなかったことは、本当に残念です。...

その準備と計画が予定通りにいかない事態での登山となりましたが、
そもそも登山とは予定通りにいかないもので、それを対処して解決していくのが登山の面白さであり、今回、対処しきれず、登りきれなかったのは、私の力不足でした。
また、やり直しです。
日本人初8千m峰14座完登者の竹内氏が、3回も敗退した山とは・・・
ネパールには、6千m台の未踏峰が沢山有ります。
巨峰と呼ばれた山々が登り尽くされた今、小粒で辛い山々がまだ存在してます。
総括も謙虚で氏らしいと思いますし、次回の挑戦に期待したいものです・・・・


5月3日 FBより
吹雪の中、ベースキャンプから下の村に降りてると、モレーンで落石くらって、道からガラ場を、ドンガラ!ドンガラ!転げ落ち、イテテて‥ヨロヨロ‥なんとか村にたどり着き、翌日、ヘリでピックアップされ、入院しましたとさ。
とほほ。
指の骨が折れた模様です。FB添付画像には、レントゲン画像が添付されてます。
早い回復を願うばかりです。
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2022年 追記
この記事以降、氏がマランフランを口にする事が、無くなりました。
未踏峰の登頂を、断念した様子です。

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