海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2017年06月

万死一生=必死の覚悟を決めること。
又は、ほとんど死を避けがたい危険な瀬戸際で、かろうじて助かること。

遭難事故でした・・・でも、自力下山・・・
こんな体験をしてから、一週間が経とうとしています・・・・
恥かしい話なので、ブログに残そうかと・・・迷いましたが・・・
都合の悪い事に蓋では、進歩・前進がないと思い・・・
気持ちの整理が付いたので記述します。


6月23.24日鳥海山に行って来ました。

6月23日
日本海に沈む夕日。
霞で水平線がはっきりしませんが、翌日は晴れ予報です。 象潟口・鉾立駐車場から
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同時刻の山頂、薄っすら夕日を浴びて染まってます。
            七高山↓ 新山↓   ↓荒神ヶ岳   ↓外輪山
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日本海に沈む落日
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鉾立には、県営の山小屋〝鉾立山荘〟が有り、3人の管理人が24時間交代で常駐。
知り合いが居たら・・と思い寄ったが、知らぬ管理人・・・
後で聞いたら2年前から居たと言うが、偶々当番日に当たらなかったらしい・・
愛想も良くないので、車中泊で一人宴会・・・

山友から、明日は往くからとのメール受信。


6月24日
日本海方向に〝滝雲〟出現、通常稜線の左右どちらかに現れる雲ですが・・・
見ると、雲の縁が手前に流れ降ってます・・・          
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日はまだ稲倉岳の裏に有り、奈曽渓谷は眠りについてます・・・
この渓谷一帯は〝熊〟の餌場、根曲がり竹が今頃の主食です。
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奈曽渓谷に日が差し始め・・・中央に〝白糸の滝〟
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尾根伝いに登って往くと・・・〝少女袴〟や〝葵〟が咲いてます。
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ウロコ板を担いで1時間登ると、〝賽の河原〟雪渓の下部が見えて来ました・・・
雪渓からは、ウロコ板を履いて登ります。
シールは水分を吸って重くなるので、この時期はウロコ板が有利です。
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ザックを降ろし、板を履く準備をしてると・・・
山荘管理人の知り合い、須〇氏が登って来たではないですか・・・
「おやっ?」「あれーっ!」と言う事で暫し談笑、5月中旬以来です。
雪渓上の標識旗の点検に来たとか・・・

〝賽の河原〟中心、中央の雪渓にブルーシートで覆われた標柱の頭だけ見えてます。
この標柱は1.5m程の長さですから、積雪の厚みも其れ位有るかと・・・
板・ストック・ザックが写ってます。             
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賽の河原で、山友に電話すると、車で2合目辺りとの事・・・
足が速いので、1時間少しすれば着くはず・・・ここで待つ事に。
200m位の雪渓が有り、雨流れの縦溝も無く快適、
登っては滑りの繰り返しをしてると、到着。

賽の河原の上の〝河原宿〟からの鳥海山。
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河原宿と笙ヶ岳のコルからの鳥海、手前のコンモリは鍋森。
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笙ヶ岳東斜面、今日滑りに来た斜面です・・    笙ヶ岳2峰↓  ↓3峰
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3峰からの鳥海 文殊岳西斜面に〝花〟形雪渓が・・・読めますか?
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3峰直下の雪渓で一休みして、滑走の準備・・・
ここで事故れば、ヘリで酒田(山形県)の病院に搬送される・・・などと話して・・・
標高差200m・滑走距離約250m。結構急斜面・・・

笙ヶ岳                1峰↓      2峰↓
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シールに改造クトーで登って来る山友。
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笙ヶ岳東斜面には、画像の様に雪庇の痕跡がまだ残ってました・・・
雪庇跡の辺りから滑り降りようとした時、
落差2~3mの処でバランスを崩して、転倒!!!!
何と・・・下の露岩に向かって落ちて往く・・・・
必死で向きを変えようとしても、落下速度が速く万事休す・・・
愈々露岩に当たると・・・頭を起こし(ヘルメットを被ってたが)、ドーンと・・・
2.3回バウンドし、露岩の上を通過・・・・露岩下の雪渓に板が刺さり停止。
一瞬、スキー板が折れたのかと思った・・・テールが刺さり逆さ吊り状態。

露岩に当たった衝撃で、板の金具は両側とも解放されで、
流れ止めで繋がってましたが・・・全身激痛で動けず、10分位はそのまま・・・
雪が滲みて来るのが判っても動けず・・・

暫くして、腰が痛く動けないが、流れ止めを外し、板が下に流れない様に確保。
立ち上がるが腰に力が入らず、露岩に座り込み・・・
手足は痛みが有るものの、折れては無い様子・右肩甲骨の辺りが痛いが手も動く。

板を背負い直登は無理なので、右手の草付きに向かってトラバース・・・
これが大変でした・・・キックステップで足場を切るのに片手は背負った板、
片手でストック2本を支えにして・・・30m程トラバースして草付きへ・・・
足場が崩れれば、150mは楽に流されますから・・・

                        必死で辿り着いた草付きからの画像
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草付きでかなり休んで、全身打ち身で痛いものの、骨は大丈夫そう・・・

この斜面を板を肩に背負って登るのには、不安が有ります・・・
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空身で登り、上に置いてたザックを回収して、
再び草付きに戻って、板をザックにA字にセットし登り返しです・・・
ピッケル1本有れば、楽に登れる斜面ですが、
ストックを刺し、一歩毎に何回も蹴り込みをして、
キックステップでの足場を確保しながらの登りは、苦痛でした・・・

何とか稜線に戻り、帰路の河原宿から賽の河原下部までの雪渓を滑走・・・
全身打ち身に板背負っての降りは、一歩毎にズギン・ズギン。
尾根筋を1時間歩いて、鉾立山荘へ・・・管理人のS氏に冷たいお茶ゴチに。

180キロ・3時間半掛けて帰宅。運転中は案外痛みを感ぜず・・・

帰宅したら、土日で孫軍団が・・・娘が勤務のついでに連れて来てたのです。
風呂に入ろうとしたら、長男も入ると言う・・・「ジジ、背中 血・・・」
「孝チン、婆とママには内緒だよ」「OK」で話は付いた。

寝ようとしたが、腰がモッコリ腫れ上がり痛くて、上向きでは寝れない・・・
階下に下りて、妻からシップ薬を貰う、「どーしたの?」 「転んで腰打ったの・・・」
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この大判シップ薬は、強烈に効きます。
夜に腰に二枚貼って寝たら、翌朝あの腫れが引いてました。
翌 日曜日の朝、孫が「ジジ 散歩に往きたい」と言う・・・
断わる訳にもいかず、2キロほどゆっくり散歩したが苦痛では無かった。
三日貼って痛みも和らいだし、皮膚が弱いのか発疹が出るので止めましたが・・・


さて、当日に着てた物。
山ズボンは、ポーランド・ミロ社製、スリム・ストレッチタイプの厚手。
山ズボンは、スリ傷さえ付きませんでした。

上着はモンベルの長袖に、ゴールデンベァー半袖を重ね着してました。
露岩に背中が当たり・・・・大穴・小穴が・・・
                        ゴールデンベァー・半袖ポロ
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モンベル・長袖Tシャツ
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どちらも娘からの、父の日・誕生日の貰い物です。
何気なしに、これを着てました・・・
命拾いしたのも娘のお陰かと・・捨てられずに・・・繕う事に・・・
家人の留守中に裂け目を縫い、100均でカギ裂き補修用のシートを買い、
裏からアイロンで圧着しました・・・
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縫い目に沿って、鋏みでコブの部分をカット・・・
山で着る分には、自己満足の仕上がりです・・・大事に着るつもり・・・
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その後汚れ落し専用の固形石鹸で手洗いしたら、土汚れも綺麗に落ちて一安堵です。

29日現在の症状
右肩甲骨・右膝下・擦り傷、両肘・腰から臀部に掛けて青タン。
右臀部から太腿裏は紫色に変色・・押しても痛み無し・・・
序々に回復してます。


総括

身の程知らずが、招いた結果。
打ち所が悪かったら、骨折・最悪は死・・・
歳相応の行動をしなくては・・・と、思った次第です。


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2018年7月14日追記

コメ欄で湿布薬について、医療関係者からご指摘が有りました。 
湿布薬 モーリス・テープは、個人差に因り副作用が有るそうです。
使用の際は下記を参考に↓

6月21日
当地も遂に〝梅雨入り宣言〟です。

近郊の八甲田・森吉山・八幡平・秋田駒ヶ岳から、高山植物開花の便りがあるが、
花名に疎いので往く気も無しです・・・

5月中旬の鳥海山以来、山スキーから遠のいてましたが・・・

6月19日に釣り友が、羽田からの帰りに上空から撮った〝鳥海山〟の画像が・・・
何と・・・まだこんなに雪が残ってます。
今年は積雪量が多いとは思ってたものの、5月からひと月経ってもこの量です。
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これでは往かずに居られません・・・・
拡大して・・・笙ヶ岳東斜面・御浜周辺・七高山東斜面が、この状態です。
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七高山東斜面は、アプローチの林道が拡幅工事に入り通行止めで駄目ですが、
笙ヶ岳・御浜へは、鳥海ブルーラインから1時間も板背負って歩けば、
楽に雪の上に上がれます。

予報では、24日の土曜日が晴れ予想・・・
23日午前の用事を済ませてから、鉾立に上がるつもりで居る。
翌25日も・・・と思ったが、遠来の友との〝呑み〟約束も有り、苦しい処・・・
早速 ウロコ板の点検を済ませました~



。。。。。。。。。。。。。。。




さて、温州ミカン金柑のその後は・・・
アゲハ蝶の産卵対策として、防虫ネットを100均ショップで購入。
2枚買えば良かったのですが、1枚で足りると思ったが・・・
周囲が短く・・・透明ゴミ袋を開いて、ホッチキス止めして・・・
片面がネットなので暑さ蒸れも防げるかと。

これなら、産卵されるのを防げそうです。
調べるとアゲハ蝶の寿命は2週間位で、秋まで産卵を繰り返すとか・・・
産卵された件は→アゲハ蝶の産卵を観た
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ゴーヤ苗
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昨年の晩夏に、種取の為に残して置いた実から、種を採取しました。
ゴーヤは完熟すると皮が黄色に為り、蔓から落ちます。
最低気温が20度を越える頃にならないと発芽しないので、フランターに蒔き、
夜間はビニールを掛けて保温。

定植場所には、ネットを張って準備は終わってますが、
植え替えはもう少し育ってから・・・

ゴーヤの〝中綿〟の天婦羅が美味です。捨てずに一度試して見て下さい。
癖になるかも・・・・種も弾けてポップコーン並み~


アマダブラム(6,856m)に挑んだ紙谷氏が、登攀記⑧・⑨を更新しました。

山頂まで約350mの地点で、撤退を決断・・・
その思いが綴られてます。



                            Wアックスでの登攀
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                            垂壁に伸びるザイル
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紙谷氏は、総括の最後に次の様に言ってます。

最後まで自分の納得できるような生き方をしたい。
今度はさらに力をつけてダウラギリとアマダブラムに戻って来る。


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過去の紙谷氏の記録です。↓

ヒマラヤ報告④は→  https://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/14868577.html
ヒマラヤ報告⑩は→  https://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/14960280.html

紙谷哲平氏のブログはhttp://pro-hiker.com/です。
’15年のダウラギリ登山・マッキンリー他の記事は、
http://ameblo.jp/prohikerに記載されています。



長きに亘り、紙谷氏の遠征登山を紹介しましたが、
上手く彼の思いを伝えられたのか・・・自信は有りませんが・・・
いつの日にかアマダブラムに登頂し、更に飽くなき情熱と果敢なる闘志を持って、
ダウラギリの頂に立てる事を祈っています。

ご覧戴きまして、ありがとうございます。



安田氏が5月31日に、イラン最高峰のダマバンド(5,671m)の登頂・滑走を達成。
帰国後にブログを更新しました。

計画は↓参照


更新ブログは↓参照

                     ダマバンド峰の山容
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                      ダマバンド登頂
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                       滑走開始
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イラン山岳協会から、単独での登頂許可が降りず、ガイド付きだったが、
独立峰特有の強風と高度障害に悩ませられながらの登頂し、滑走した快挙です。

アマダブラム峰に挑んだ紙谷氏同様に、
目標に向かって〝精進・努力〟する若者に、20代の頃の己を見る感じがします。
紙谷氏はアマダの再登、安田氏はマッキンリー滑走を次の目標に挙げてます。

小生も思う様に体が動くのは、いい処後5年位・・・
ヒマラヤも見たし・登ったし、カラコルムも急がないと・・・思った次第です。


関東まで入梅したとの報道です。
予報では、当地も夜から雨との事で、
昨日は最後の晴れ間かと・・・庭の草取りをしてました。

アゲハ蝶が飛んで来て、〝金柑〟と〝温州みかん〟の鉢植えの周りを飛んでました。
時々 葉に止まったりしてたので、後から見ると・・・

金柑の若葉に〝卵〟が・・・・
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こちらの、若葉にも・・・・
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これは温州みかん、ここにも〝卵〟が・・・・数の子と同じ大きさの卵です。
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温州みかんの〝花〟です。
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不思議な事に古い葉には、産卵してません・・・
ここ2週間くらいで生え始めた若葉にです。

卵から孵化した幼虫に、若葉を喰わせるためでしょうが、
蝶が葉の硬い・柔いの選別能力が有るとは驚きです。

それに、アゲハ蝶の幼虫が柑橘類の葉を喰うとは・・・

当地では、冬場の凍結・積雪で、露地栽培は出来ないので、
鉢植えにして観賞用として楽しんでます。


冬場は、家の中で・・・遅霜の心配が無くなるGWが明けてから、外置き。
温州みかんは今開花ですが、実も生ります。
鉢植えなので一枝一個に摘果すると、売り物と同じみかんが生ります。
収穫は、お正月明けの頃が酸味が抜けて美味い、育て方を調べると・・・
長く実を付けておくと、木に負担が有るそうで、早目の収穫と書かれてますが、
酸っぱいよりは甘い方が良いに決まってます・・・
金柑は、1月末頃まで生らしておくと、売り物と同じ味です・・・


毎年、毛虫に葉が喰われるので、見つけ次第殺生してましたが、
アゲハ蝶を見てから、どうしたものか悩みますねぇ・・・
家人は、「私の、みかんが駄目になるぅぅぅぅーーー」と騒いでます・・・
確かに苗木の購入は家人、管理は小生。

6月9日朝 追記
今朝〝卵〟を撤去、全面チェックしたら、25~30個・・・
アゲハ蝶には可哀想な事をしたが、
全てが孵化したら葉が丸裸に・・・・

アマダブラムに挑んだ紙谷氏が、〝登攀記〟を更新しました。
⑤・⑥・⑦を転記します。
山頂まで残り500mまで迫った様です。
どうぞ、一読下さい。


                            垂壁に伸びるザイル
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                                 C2の風景 
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                                                                               山頂まで残り500m
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過去の紙谷氏の記録です。↓

ヒマラヤ報告④は→  https://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/14868577.html


ご覧戴きまして、ありがとうございます。
紙谷哲平氏のブログはhttp://pro-hiker.com/です。
’15年のダウラギリ登山・マッキンリー他の記事は、
http://ameblo.jp/prohikerに記載されています。


栗城が、〔’17年春のエベレスト北壁〕の〝まとめ?〟〝登山感想文〟を発表。
大変ダラダラと長く読み難いので、処々に分けて私見を述べます。

黒字栗城ブログ全文青字は私見、どうでもいい部分は小文字にしました。
「NO CRAZY, NO MOUNTAIN.」タイトルですが、ちょっと意味不明です・・・
無線だけでは伝えきれてないこと全部書きました。
2016年秋、僕は秋季エベレスト北壁の壁にぶつかっていた。
傾斜60度の氷雪壁ジャパニーズ・クーロワールを登りきり、真っ暗闇の壁を7400mまで登っていた。7000mぐらいから傾斜が緩くなると雪は腰近くまでとなり、両手両膝で崩しながら進んでいく。秋は風が弱い期間が短い。あと2日でまた強風の周期がやってくる。なるべく雪がしまっている時間に深い雪を越えようと夜20時半に6800mのキャンプを出発したが、多少硬い部分を見つけてもまたすぐに深い雪に埋もれていく。
これを一人で。。
山と向き合いたいという思いから人がほとんど入らない「秋季」を選び続けていた。
雪と強風の秋に無酸素で一人で登りきった人はまだ誰もいない。
「なぜ春に登りやすい通常ルートでいかないんだ?」とよく言われたりしたが、言葉で理解してもらうことは難しく、過去に秋季エベレストに無酸素・単独で向かった日本人は一人いる。きっとその人しかこの感覚はわからないかもしれない。
北壁の雪はどんどん深くなっていく。
2日後にくる悪天候までこの雪を進み山頂に向かうのは不可能だと感じ、深夜下山を決めた。
だが、すぐには下山しないで深い雪に腰を下ろし、陽が昇るのを待っていた
それはこの中間部から北壁全体を見渡すためにつまり、またここにくるために陽が昇るのを待ち続けていた

昨年秋の話をしてますが、何を思ったのか夜間に出発し、ルートミスをしたか?
傾斜が急で登れずに、緩斜面に向かったものと思われる。
暗くて降りれずに、仕方なく夜明けを待った・・・
さて、今回の話です。

2017年春。
チベットの高原の大地と雪、そして深い空。チベットの三原色を眺めながら春の北壁ベースキャンプに向かう。
エベレスト7回目にして、はじめての「春」のキャラバンが始まる。
チベット・ベースキャンプはすでに多くの登山が入っており、街のようになっていた。
今年はチベット側のノーマルルートで300人、ネパール側で700人登るそうだ。
北壁ベースキャンプに到着後、高所順応のためにノーマルルートに向かい7300mまで登り下山する。
下山途中、お客さんを連れた日本人山岳ガイドに出会う。
北稜からの登頂を目指してた、平岡隊か?倉岡隊を指している。
「久しぶりだね。元気そうだね。」
「あの氷どうするの?いけそう?」
あの氷とは北壁下部あるジャパニーズ・クーロワールのブルーアイス(青く硬い氷)のことである。
「上から見てたんですけど、うまく行けば」
プロガイドに、格好いい事言ってます、すぐに登れ無いと諦めたのに・・・
実は僕が最も気にしていたのは北壁下部にある長さ600mに及ぶ氷の壁のことである

(昨年秋は、画像青ルート×の辺りでギブァップ、登る赤ラインから外れてる)
今回登る予定のラインを赤線入れてます。しかし登れ無いと判断して国替えし、
西稜からトラバースして来て、登ろうとしたルートは黄色です。これも無理無理。
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2016年にここを登っていたが秋の雪が張り付き、まだ比較的登りやすかった。
だが、春は雪が少ない分、氷が張り出し、硬いブルーアイスになって聳え立っていたのである。
当然でしょう~春は日中は気温上昇で解けるし、夜間は凍結の繰り返しで、
時間を掛けてブルーアイスに為るのです。
日本の3月の山でもなるのです、登った事の無い栗城は知らないだろう・・・
それは北壁のベースキャンプからでも確認できており、上から偵察するためにもノーマルルートに回り込み、7300mまで登ってきたのだ。
もう一人、このブルーアイスを気にしてくれている人がいた。ドイツ人登山家のラルフさんだった。ラルフさんはドイツ人登山家として14座を登り、エベレストも8回挑戦しているベテランの登山家だ。
チベットのティンリ村の宿で「クリキ?」と鋭い目で声をかけられ、決して目を逸らさない。(前にドイツの新聞で僕の記事を読んだそうです)
誰だろうと思っていたが、名前を聞いてすぐにあのラルフさんだとわかった。
ラルフさんとはチベット・ベースキャンプに向かう車も一緒でお互いの哲学や過去の失敗談を交わしながら話を聞いた。
「秋のエベレストは6回登れなかったって?俺は7回目だよ」と笑いながら丁寧に話をしてくれた。
ラルフさんのエベレスト挑戦は7回登頂できなかった。
ただし!向かっているルートはノーマル・ルートではなく全て「バリエーションルート 」(難しいルート)
登頂した一回はノーマルルートでの酸素を使用していたが、「あまり楽しくなかった」そう言って今回無酸素登頂を目指していた。
本当にガチンコで挑戦している人は共通してみな独特のオーラがあり、そして明るい。
「俺は2回北壁に向かったことがある。ただ、あの氷を越えるのにかなり時間がかかり、やめた。時間がかかるぞ」
本当にやってきた人は的確に短いアドバイスをしてくれる。
今まで色々アドバイスっぽいことを言う人がいたが、やったことがある人の声はやはり伝わり方が違った。
昨年の秋季エベレスト北壁の時は実際に行ったことのある山の先輩から「雪がしまっていたらいける。しまってなかったらいけないな」とメッセージをもらっていた。
まさにそうで雪の状態で大きく左右される。
北壁側のベースキャンプにて望遠カメラで撮影した写真をさらに拡大し、突破口を探していた。
このブルーアイスを意識して、事前に29本のアイススクリューと600m分のロープを用意していた。
アイススクリューの画像です。
上のツマミを回して氷に埋め込んで支点にし、ザイルを通します。(他の小物省略)
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岩場ではハーケン ↓ を割れ目に打ちます。用途はスクリューと同じ
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上記には、カラビナ(形状は多種)↓を通し、ザイルをセットします。
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だか、9本の指を凍傷で失ってから左手はピッケルを持つだけでも精一杯。右手だけでほとんどえなくてはいけない
この指ですからねぇ~
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手袋もこのザマです、余った指先ベロベロ・・・裁断処理もせず・・・
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高所では保温の為に、こんなオーバーミトンを重ね履きします。
このベロベロ手袋にミトンで、スクリュー回したり出来ると思いますか?
一度凍傷に為って切った指は寒いと痛みます、毛細血管が繋がって無いからです。
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それでいて長時間いや、数日間もこのブルーアイスと格闘することができるだろうか。ロープを張って、下がり、ロープを張って下がる。
仮に、スクリューの埋め込みが出来て、ザイルを通せたとしても、
これを(登高器)ザイルに通して、墜落を防ぐのです。
上部のバネを親指で開放しザイルを通し、黒のハンドルを握り登ります。
ザイルの継ぎ目や支点毎に、通し替えの作業が必要です。
指が満足に有っても、ミトンでの作業は大変なものです。
おっと、栗城には左の親指無いので、これを操作するのは至難の技、
利き手の右はピッケルですから・・・
やはり、ストック突いて歩ける、普通の山以外の登山は無理な様です。
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降りる時には、こんな器具もセットしなければ為りません。
ミトンを着けたままで、何回も付け替えが必要です。
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ラルフさんが言うように時間がかかりすぎる
ですから入山時期を早くして、雪が・・風が・・で停滞する事なく危険な場所に、ルート工作しろと今迄言って来ました・・いっも一発勝負で氷が・・・でツモ。
そして、何よりも心が進まないのは600mのロープを張ってもそれは回収することはできない
回収する・しないは栗城次第です。感じる山にしたければ回収、
登れれば後はどーでもと思えば残置。
ちなみに、ザイルの重さは1m当たり60g程度、600mだと36Kg。
FIXの場合、長いと邪魔なので、60m位に切って使います。濡れると倍以上の重さに為ります。
つまり600mのロープと29本のアイススクリューを残置したまま帰ることになる。
まるでエベレストにホッチキスを打つかのように。
それがエベレストに申し訳なく、600mロープを張った先のゴールが見えなくなっていた。
話が可笑しい!!!! これを登る為に、スクリュー・ザイルを用意したのではないか?
ザイルを張らなければ登れ無い・張れなければ登れ無い
(一流のアルパインクライマーならノーザイルで登れる)、ここに来て、その話は無いだろう・・・
来る前に、考えて決める事だ・・誰かに持って往けと言われたのか?

それと更に、下部のアイス600mをザイルを張って登れたとして、
上のクーロワールはどうやって登る? ノーザイルでのテクニックは無いだろう・・・
明らかに、栗城のレベルでは無理が有る。
このまま遠征をやめて仕切り直すか、それとも別なルートに行くのか。行くとすればどこに? 人が踏み固めたルートではなく「山」感じられるルートを。
考えた結果。ネパール側の西稜から北壁ホーンバイン・クーロワールに入るルートだった。
そもそもこのルートは2012年秋に一度向かい、ホーンバイン入り口8070m地点まで行ったことがある。その時に猛烈な風に遭い、両手、両足と鼻が重度の凍傷となった。
あの時のリベンジ。。ではないけど、聳え立つブルーアイスを避けて、ホーンバイン・クーロワールに合流するためにはこのルートしかない
ただ、今から登山許可が取れるのか?また移動や新しい登山許可料でお金がかかる。
しかし、このまま心が向かないまま、また避けられる危険をわかっていて向かうわけにはいかない。
日本の事務局とエージェントに連絡してルートの変更と手続きの準備を進めてもらった。
エージェントはボチボチ、違法越境の案もボチボチが提案。
何故かこの経緯(チベット→ネパール)は、省略されている・・・
こうして・こうしたとは、書けないよなぁ~ 
5月17日、ネパール側のゴラクシェップ(5300)に入る。経費を抑えるために通常のベースキャンプは作らず、ベースキャンプから歩いて2時間手前にあるゴラクシェップのロッジ(山小屋)をベースにした。
チベット側には3人のスタッフが残り、西稜から出てくる栗城を望遠カメラで捉えるために待っていた。
プモリ基部に中継Cを置いたので、通信担当用の飯炊きシェルパが取られ、
栗城のC2への荷上げシェルパは2名と為った模様。
ロッジBCからあの程度のザックで出掛ける画像が有ったが、シェルパが運ぶのだ。
20日ゴラクシェップから一気に6400mのC2に向かう。しかし、1週間分の食料と荷物を比較的小さいザックに詰めて一度に全て上げる。ゴラクシェップからの2時間が微妙に効いてくる。
体力温存のためにC1で泊まり、翌日にチベット側のABCと同じ標高のC2(6400m)に入った。
C2に入ると今まで見たことのない光景が広がっていた。
まるで下のベースキャンプと変わらないテントの数々、中には食堂テントにイスまでつき、ローツェ・フェイスには数珠繋ぎになる人の列が見えていた。
だが、エベレストは誰のものではない。
公募隊の何人かに話かけられたが皆「夢」があり、それぞれのストーリーがある。本当に素晴らしいと思っていた。
ICI隊・AG隊・その他日本人が多かったからなぁ・・・
中には借金して来ている人もいたが、自分も今回冒険の共有するために700万と300万合計1000万の借金をしている。
信者の寄付では足らなかった様子・・・頑張れ〝信者〟
登山の費用は自分で用意できるが、登山とは全く違う冒険の共有をするために不足分は借り入れしてでも必ず行なう。
バカにされることもあるが、僕には全てをかけられる夢がある。
挑戦する人の分だけそれぞれのエベレストがあるし、スタイルや哲学がある。(爆笑)
自然と個人が向き合うチャレンジに誰かがとやかく言う権利は無い。
FBでかなり叩かれたので・・・・そう言う発言。
C2で無線で最新の天気予報を入手する。
24日の登頂を目指していたが、23日西風が最も強く25日が最も弱くなる。
西稜は西風の影響を受けやすい。
25日の登頂。そこに標準を合わせて、23日にC2を出発することにした。
朝、C2から一人西稜に向かっていく。
ザック、ザックとアイゼンの爪を食い込ませていく。時折、スノーシャワーが降り注ぐ。
傾斜はきつくはないが、時々ブルーアイスが出てきた。
雪が張り付いているかなとグローブで触ると厚さ3センチほどの雪が張りついているだけ。
ピッケルを一回、二回、三回とようやく三回目できまり、足を上げていく。
結局、稜線手前の傾斜緩くなるところまで、カリカリの氷を登っていった。
稜線手前にはバリバリのアイスバーンの斜面もあり、岩のテラスにテントを張ることにした。
今回、新しく入手したテントは500gの最軽量。
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ヘリティジ社(山用品専門店カモシカ社長の兄弟会社)が、
6月発売の新製品を使ったらしい・・・500gはホラでカタログには600gと・・・
軽量化のため通常のテント生地糸の半分の強度よりなし。

今夜はこのテントで一夜を過ごす。寝袋は300g(+8℃まで)の普通なら寒くて耐えられないが、重ね着の着方と呼吸法でそれでも充分耐えられるようになっていた。
300gの寝袋だと、中の羽毛は100g程度。夏のキャンプ用程度のお粗末な物・・・
ただ、C3に到着前に気になることが一つあった。
それは妙な吐き気だった。若干もある。
高山病かなと思っていたが、順応はすでにできるし、体内酸素濃度はこの7100m以上で80もある。無酸素で挑戦できる数字だ。
頭痛もなく、ただ胃がムカムカとしていた。
吐き気・微熱・ムカムカ感は、明らかな高山病(高度障害)の症状です。
血中酸素濃度が80と言ってるが、栗城位の年齢なら98~85が正常です。
夜、そばがきとシリアル、プロテインを混ぜた少量の食事を取り、就寝。
しかし、風が強くポールがグニャグニャと左右に揺れ、時折下から突き上げる風がまるで地震ように左右に揺れていた。
何度か強風でテントポールが折れた経験のある僕はこの場合はどうするか。
一休さんになるしかない。。
「気にしない。気にしない。一休み、一休み」と極薄の寝袋に包まっていた。
朝、まだ風は強かったがテントは無事だった。
吐き気は収まらず、食べていたら吐くのはわかっていた
水分を取り、様子を見るために出発の時間を遅らせる。
午前11時にC3を出発する。高所で標高を上げて体調が良くなることはない。一旦下りて体調を戻すしかないと思いながらも。一歩一歩ゆっくり上がりながら体調を見極めていた。
そして、また嘔吐。。
僕は体調を戻すために一旦下山することを決めた。
ゴラクシェップにて2日間の休養を取り、吐き気と熱は収まったが、もう一日休養が欲しかった。
期高度順応の失敗だと、何回も言ってる(理由は下記参照)
しかし、週間予報では30日から31日が登頂に適しており、しかも25日の予報より風が弱い。
ここしかない。再びC2を目指していく。ダラダラ歩く動画がここです・・・
精神的に追い込まれてきたのか、集中しているのか、口数が少なくなる。
C2に向かう時に他の登山隊から「クリキ!」「オー!ジャパニーズ!」と声をかけられるが一言答えるだけであまり深く話そうとはしなかった。
ただ、これまで道中で出会った一人一人が無事に登れたか気になっていた。
あの日本人登れたかな?ラルフさん、行けたかな? ネパール側ではすでに5人亡くなっており、みんなの無事を祈っていた。
やはり全てをかけてきている以上全員に来て良かったなと思ってもらいたい。
C2に着いた時にほとんどの登山隊の撤収が始まっていた。
順応に失敗し、ウロウロしてる間に、皆さん登頂です~~
どうやら最後の一人になったようだ。
元々、山を感じるために単独一人の登山を好んできた。
あとはこのまま天候が安定すれば。。
ネット公開天気予報では、徐々に悪くなる予報なのに・・・
出発は29日の3時にC2を出発し、C3で数時間休養をしたらそのままホーンバインの入り口手前でビバーク。深夜に山頂を目指すという短いスパンでの登頂を目指すことにした。
雪は深くない。充分いける。
そして、その日の夕方。水を作りながらプモリ中継キャンプの魚住さんから定時の天気予報を無線で聞く。
「そのまま読み上げます。ベンガル湾からサイクロンが。。」
その言葉を聞いた時に一瞬まるで8000mに飛ばされたかのような苦しさで呼吸が止まった。
だが、落ち着いて最後まで聞くしかない。天気は自分の力で変えることはできない。
僕は素直に従うしかないのだ。
「ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト周辺は悪天候の周期に。29日は西稜向かうのも難しい雪が降る」お世話になっている山岳気象予報の猪熊さんからのメッセージだった。
確かに雲が湧いて来てる。
エベレストの無酸素登頂の成功のカギは最後は天候である。
ただでさえ、無酸素は有酸素に比べて身体が冷える。そこに風が加われば体感温度は低くなり、凍傷にもなりやすい。
そして、僕のようにラッセル(新雪をかき分けて進む)ルートは雪の取り付き方で登頂の可能性は全く変わる。
ラッセルルートとは初耳です、西稜は風の影響が・・と
風の当たる処がラッセルとは、初めて聞きました、流石エベレストです。
普通雪は、風裏に溜まるものですが・・・
魚住さんから2回3回と予報を読み上げてもらい冷静に考えていた。
この天候は有酸素でも向かう人は誰もいない。
涙が止まらなくなってきた。
最後の最後に。。
涙の理由は決して悔しいからだけではなかった。
30半ばの男が泣いてどーする、己の不甲斐なさにか? 泣く暇有ったら、死ぬ気で遣れ。
実はC2に向かう時に一つの問題があった。
元々、ネパール側に移る時にエージェントから6月7日まで登山は大丈夫と聞いていたし、他の日本人スタッフも確認していた。通信担当の魚住も聞いた???・・・
しかし、それは間違っており、29日までに下山しなくては行けないと話を聞いた。
またチベット側では西稜から出てくる栗城を捉えるために日本人一人とネパール人スタッフがずっと待ち続けてくれていた。
チベット側は6月中旬まで許可が取れているだが、ほとんどの登山隊が撤収を開始しているためお前らもそろそろ帰れと強制的に荷下げようのヤクを送り込んで来ていた。
そんな中、ネパール側とチベット側で「もうすぐ栗城が登るんです!」と必死の交渉が行われ、日本からも嘆願が行われていた。
そして、ネパール側は6月1日まで伸ばしてくれたのである。
何だいつも雑な登山期間の設定・・・アンナ南壁でも・去年の秋もだよ、
チンタラ遣ってるからケッが詰まる、登山行程表書いて・予備日入れて、
登山計画の基本中の基本だぞ!!!!!
それを知っていた僕はこの天候を聞き、申し訳なく、無線で中継スタッフに「本当にありがとう」と涙をためながら断念することを伝えた。
これが山か。。
最後はサイクロンという以外なヤツが幕を下ろさせた。
翌日、僕は一睡もできず様々な想いが巡っていた。もし天候が良くても完璧な体調でないまま向かえたのだろうか。 あの時に吐き気がもしなかったら。。一つ一つを振り返り、紐解いでいた。
29日午前10時、多少はサイクロンの影響が弱いかもしれない。晴れはしないが風は弱いと無線があり、すでにホーンバイン・クーロワールに向かう時間はもう無いが通常ルートならギリギリまだ間に合うじゃないか。僕は通常ルートからの登頂を目指そうとしていた。
予報では既に天候が降り傾向、北壁が登れ無いと諦め西稜を目指し、
西稜からも無理とノーマルルートへ転進・・・節操が無いぞ!!!
だが、身体に力が入らない。やっぱり自分は「感じる」登山がしたい。
「お前、素直なやつだな」
この踏み固められたルートは僕には無理だった。
C2からC3へのルートは、何百人も通ったルート、歩き易いはずだぞ。
氷化した北壁は登れ無い・ラッセルが有れば登れ無い、
踏み固められたルートも登れ無い・・・何処なら登れる???
雪がパラパラと降り始める。
そして、最後に無線で中継を行い、そのままの現状と支えてくれた人達への感謝を伝えた後、大雪の中、ゴラクシェップに向けて下りていった。

これの(赤字部分が栗城の大嘘である。
↓は、エベレストに登頂した五味和史氏のブログ
この中で氏は、29日にBCを去る様子を書いてますし、
最後のBC周辺の景色画像も添付しています。
栗城は、大雪と言ってるが、現地はヘリが飛ぶ良い天気です。
大雪の中、ゴラクシェップに向けて下りていった。と言ってるが、
そこにはBCを通らないと往けない・・・栗城は大雪と言い、
BCでヘリ待ちの五味氏は、晴れてると言ってる。

何故こんな嘘を・・・栗城の全てが信用出来ませんね・・・・

「最後に」
今回、あの体調不良は何だったのか。
下山後に知り合いのお医者さんに相談したところアレルギーじゃないかと言われました。確かに吐き気と熱、そして、湿疹が身体にできていた。アルコールは口にしないし、普通の人以上に食べ物に気をつけていましたが、一番重要な時に。。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ただ、それ以外の体内酸素濃度が昔より高く、今回、荷物も食料も最軽量にしても充分寒さも耐えられました。それは今まで秋の条件が悪い時に挑み続けた中で身につけてきたものがあるからです。
そして、皆さんにお伝えしたいことがあります。
「自分の中にあるクレイジーを大切にして下さい」
今回、様々な登山隊のシェルパや外国人から「クレイジー・ジャパニーズ!」「がんばってください」とたくさん応援してもらいました。
「通常」や「普通」、「一般的」などと違うことをしようとすると理解されることは難しく、失敗すれば馬鹿にもされます。
一度や二度の失敗は、誰も馬鹿にはしない・・・
何の反省や努力もせず、7回も馬鹿を繰り返すから言われるのだ・・・
正しいこと言うとする人もいるけど、実際に自分はやったことはなく、言えば言うほど「お前つまんねぇな」(赤塚不二夫)です。
元々、山はクレイジーな世界です。
普通よりちょっとクレイジーな方がやっぱり面白いし、そして、その「クレイジー」は僕だけでなく、多くの人が持っています。
人と違う価値観やチャレンジを「つまんねぇな」の声にかき消されることなく、いつまでも大切に素直に生きていきたい。
つまり、来年もやる!ということです。
本当に応援ありがとうございました。
※9月はフランスで訓練です。


下山早々に訓練ですか?  氷や岩に対処出来ない実力だった事が、
今頃に為ってやっと判ったのでしょうか・・・
言葉の通じないアルプスで一週間位い訓練するより、
日本には槍・穂高・谷川などの良い壁・リッジが沢山有るのに・・・
この山の一般ルートからも登った事はないよねぇ~栗城。
皆そこで訓練して、8千mを目指してるのにねぇ~

訓練は、ガイドの江本が同行すると予測するが・・・さて、どーなるか???
来年もやる! ようなので、その訓練の成果が楽しみです。



栗城は6月4日に「NO CRAZY, NO MOUNTAIN.」と題し、敗退宣言を発表。

〝下山家 栗城劇場〟が終わり、五味和史氏のブログを読んでいて・・・・
「????」と、思い・・・・改めて下山家のブログを読み直すと・・・「?????」

その中から5月29日の様子を抜粋しました。(黒字は栗城ブログより)

29日午前10時、多少はサイクロンの影響が弱いかもしれない。晴れはしないが風は弱いと無線があり、すでにホーンバイン・クーロワールに向かう時間はもう無いが通常ルートならギリギリまだ間に合うじゃないか。僕は通常ルートからの登頂を目指そうとしていた。
だが、身体に力が入らない。やっぱり自分は「感じる」登山がしたい。
「お前、素直なやつだな」
この踏み固められたルートは僕には無理だった。
雪がパラパラと降り始めるそして、最後に無線で中継を行い、そのままの現状と支えてくれた人達への感謝を伝えた後、大雪の中、ゴラクシェップに向けて下りていった。

この文面通りの、大雪の天候だったのかと思っていましたが、
エベレストに登頂し、5月29日にBCからヘリで帰った、
五味和史氏のブログを読み直して愕然と・・・・


五味氏のブログより抜粋
ヘリが来るまでここで待機するよう言われ、
朝から素晴らしくいい天気に恵まれていたので、
その景色を目に焼き付けるようにボンヤリと眺めていた。
(中略)                    五味氏が撮ったエベレストBCの画像(ド晴れで雪は降って無し)
イメージ 1
ヘリポートへ住み着いた犬が気になったが、
みんなでノンビリとヘリが来るまで待っていた。
なんだか晴天の中、待っている間が清々しく気持ちよかった。
AM10時頃に自分達が乗る飛行機がやってきた。
(中略)
BCの空からの景色は、ヘリで良かったと思ったくらい山々が美しく、
トレッキングルートを下にみながらペリチェへ一気に向かって降りて行った。
朝から10時過ぎにヘリに乗るまで、素晴らしくいい天気と言ってます。
BC周辺の山々の写真も添付されてます。
栗城が居た処だけに、大雪が降ったのでしょうねぇ・・・・

栗城の話と五味氏のブログ、どちらが本当でしょうか?????
笑う気にもなれませんね・・・痛いよ!栗城・・・

ヒマラヤ・アマダブラム峰(6,856m)に、単独登頂を目指していた紙谷氏が、
先頃帰国し〝登攀記〟①~④を公開しました。
全てでは有りませんが、前半部分を紹介致します。
登攀記の内容もですが・現地で撮った画像も中々のものです。
一読戴ければ幸いです。
こう言う読んでワクワクするのが、〝冒険の共有〟と思います。

                        アマダブラムBCの夜景
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アマダブラム南西稜にて①高度障害再び

アマダブラム南西稜にて②再C1

                               垂壁の登攀
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アマダブラム南西稜にて③イエロータワーで間一髪

                           山頂部に被る懸垂氷河
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アマダブラム南西稜にて④ブリジッシュ達との別れ


過去の紙谷氏の記録です。↓

ヒマラヤ報告④は→  https://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/14868577.html


ご覧戴き、ありがとうございます。        拙宅のドウダンツツジ満開です
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今日は雨模様で、草取り・百姓業も出来ないので、栗城越境を再検証。


栗城がネパールに出国出来るのは、
ラサから空路より無い事は【1】でお判りかと思います。

古くからの交易ルートです。


1/12.5万のトレック地図です。
ボケて見ずらいですが、エベレストナムチェ・バザール越境した峠の、
位置関係が判ればと思い載せました。地図の北側はチベット領です。
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越境したと思われる峠部分のコピーです。
イメージ 2

チョー・オュー峰の北東に、
(Nanpa La)  Khumbu Laと書かれた峠(La)5,716mが有ります。
ナンパ峠とクンブ峠と言った処でしょうか・・・
ネパールでは、エベレスト周辺はグンブー地方と呼ばれ、
エベレストから流れる氷河を、クンブー氷河と呼んでる事からも納得です。
地図の赤線道は、ヤクやゾッキョ等の荷役動物が通れる道・勿論人も。
チベット族が、ナムチェに来る交易ルートです。

このクンブ峠から約50~60キロ南下すると、
エベレスト街道最大の村〝ナムチェ・バザール〟が在ります。
ナムチェからエベレスト街道を約40キロ北上すると、エベレストBCに着きます。

栗城はこの交易路を使って、国境越えしたのでは・・・・


ここからは、推測ですが・・・下記の栗城行動表を参考に・・・

①6日。北稜で7,300mへ登ったが、クーロワール下部の青氷は登れ無いと判断。
②即、ボチボチ社長に衛星電話で相談。正規でない交易ルートでの越境指示あり。
③10日頃にクンブ峠を越えたネパール側から、ヘリでカトマンズ(1時間ほどの距離)
④5月11日、ネパール山岳協会に新ルート申請。15日頃までカトマンズ滞在。
⑤5月15日の拙ブログの投稿で、数日前にカトマンズで栗城を見た人が居ると証言。
カトマンズから、ヘリでロッジBCに入る。
(ルクラからエベレスト街道を歩くと、栗城の足で一週間、3日では歩けない。)


栗城 行動表より
5月  6日  北稜ルートから北壁BCに戻る(体調不良発言)
5月  7日  停滞日
5月  8日  停滞日
5月  9日  停滞日
5月10日  停滞日
5月11日  停滞日 新しいルート申請中(栗城ブログより) 
5月12日  停滞日  
5月13日  停滞日  
5月14日  停滞日 ルート申請をおえる、16日に新BCに入る(栗城ブログより) 
5月15日  停滞日   
5月16日  停滞日                          キリアン8,400mまで試登し順応
5月17日  ゴラクシェプ(5,164m)に到着、ロッジをBCにする。     

クンブ峠を越えるのに3日、金に糸目を付けずヘリを使えば、日程的に充分可です。

飽くまで小生の推測ですから、その辺〝忖度〟して読み流して下さい(^^ゞ






〝下山家 栗城劇場〟をお読み戴きありがとうございます。

口直しに・・・・昨日の庭のアイリスです。
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