海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2018年01月

1月31日

今日で1月も終わり・・・
連日の雪寄せでお疲れモードだったが、今朝の積雪は3cmほど(*^_^*)。

曇ってたが10時頃から・・・青空が広がったではないか!!!
朝晩、気象庁・気象協会・ウェザーニュースをチェックしてるが、殆んど当らない。
各社 曇り雪マークの連続だ・・・
無難に曇り雪を表示しておけば、晴れたら喜ぶとでも思ってるのか???

山へスキーに往くには、遅すぎる時間だ・・・

晴れて暖かいので、3年振りにイグルーを造る事に・・・
寄せた雪が80cmほど溜まってる・・・


雪ブロックを積む範囲の円を書く。直径150cmほどに。
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道具は角スコップ・スノーソー・防寒ゴム手袋。
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この冬は、この防寒手袋が重宝してます。雪寄せ用・山スキー用に大活躍です。
山用ゴァテックスの手袋で-30℃対応だと2万円以上もしますが、
この冷凍庫内での作業用手袋は、1500円もしません・・・


円の中にスノーソーで、ブロック切り出し用の鋸目を縦横入れる。
端からスコップで起し、円に沿って並べる・・・
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2段目を積んでる処、1段目と合わせ目がダブらない様に積むと強度が出る。
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3段目用に、スノーソーで縦横に鋸目を入れる。
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次々積む・・・隙間とか凸凹は、最後に化粧するので気にしない・・・
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ブロックを積んだ高さ分、内部の床面が下がって往く。
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ブロックの隙間には、後から雪を詰めて、スコップで叩いて〆る。
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下から、霜ザラメ雪が出てきた・・・
雪崩を起す層である、ザラザラで粘りが無いので、雪ブロックは採れ無い・・・
踏み固めて粘りが出るまで待つのは、時間が掛かるので、
イグルー周囲の歩いて固まった雪から、ブロックを採る事に・・・
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ブロックの高さで、跨いでは出られなく為ったので、入り口用の穴を空ける。
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周囲から、ブロックを内側にズラシながら積んで完成。
170cmの小生が中で立てる高さを確保。(高さの利点は、立ち〇〇が出来るだけ)

実際の山での緊急時には、座って居れるだけの高さが有れば充分なので、時短で完成。


周囲をスコップで叩いて、雪を〆る・・・
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内部の天井を見ると・・・上手く積まさってる。
隙間に雪を詰めて、為るべく凸凹の無い様にスコップで撫でて完成。
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一晩経ては、ブロック同士が結合して、蹴っても壊れません。



イグルーの利点は、
①雪洞が掘れない場所(積雪量が少ない)でも造れる事。(周囲の雪で積める)
②横穴を掘るよりは、絶対に楽。(やって見れば判ります)
③ツエルトビバークより暖かい事(外気温が何℃でも、中は0℃に近い事)
④小1時間で完成する。
勿論、スコップ持参は必須ですが(山スキー用のスコップでも充分可)・・・

しかし、残念ながら本番で掘った実績は有りません(緊急事態なし)・・・
日頃の製作練習は大事です~


明日・明後日と、天気が安定する様子、八甲田だナァ~

1月27日

今朝も又積もってます・・・
昨日は、朝・夕2回の雪寄せ・・・今回の寒波で連日です。
スノーダンプを押しては、ひっくり返す・・・の、繰り返しで左手首が痛い!!

今朝は7時半から雪寄せ・・・8時には妻も出勤、9時に終わると・・・
青空が出たではないですか??? 
泡喰ってPCで〝雪雲〟チェック、予報では雪時々曇りでしたが・・・
薄い雪雲が日本海から流れて来るが、間隔がマバラ。

今日の予定は雪寄せが終われば、風呂に入り窓から〝雪見ビァー〟のつもり。
この天気ならと・・・急遽予定変更して 山スキー です。


柘植も雪まみれ・・・
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雪壁が、1m以上になってしまいました・・・
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丸く刈り込んだイチイにも、綿帽子・・・
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石楠花は、寒くなると葉を丸めて・・・春を待ちます・・・
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家を出る前に、暖房用の灯油を頼みました・・・490Lタンクが半分ほどに。
一日6L強を燃やしてる計算になります・・・一升瓶にして3本以上も・・・

早く春になれば・・・って思ったりもするが・・・山に往けなくなるか???
4月中頃までは、朝晩暖房が必要です・・・

1月27日
今朝、1時間半の雪寄せを終える頃から、珍しく薄日が射し青空が広がる。
今回の長い寒波襲来、毎日雪寄せでお疲れモードだが、
PCで〝雪雲〟の動きを確認すると、薄雲で降雪は少なそう・・・

即座に準備して、田代岳に向う。
出発時間が遅いので、山頂狙いは考えず(他の目的が有った)登山口へ・・・

途中の沢を渡る橋から、下を見ると・・・小滝が凍結してた!!!
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川筋も凍結してます・・・何年も来てるが初めて見る光景。
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こんなに凍結するほど、今回の寒波が強かったのか・・・

今まで、ここの眺めはこんな感じでした・・・
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この沢の奥地に、三菱重工のロケットエンジン燃焼実験場が有り、
機材や燃料を運ぶ大型車が通るので、毎日除雪完備です。
今日も、途中で大型重機が除排雪をしてました。
林道には所々に退避所が有り、対向車と交差出来る様に広げられてます。

納品を終えたトラック2台と何とか交差し、大広手の登山口に到着。
普段は、登山客の車が3.4台置けるスペースが確保されてるが、今日は無し・・・
車を前後させ、何とかスペース確保・・・土曜日なのに誰も居ません・・・
この寒波中に、好き好んで来る奴は居ないか~~

ここから登り始めます・・・
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新雪が深いと思い、今日は手持ちの中で一番幅広い板にシールを貼り、左手の尾根を登ります。

ブナの二次林を登る・・・
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フワフワの粉雪です・・・
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杉の造林帯に入ります・・・林の中はそれ程沈まないが・・・
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急斜面は、ジグ切って・・・
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途中で振り返ると・・・三菱重工の実験場。
人工衛星打ち上げ用のH2Aロケット等の燃焼実験をしてます。
昔、道幅が狭く車の旋回が出来ずに、中で廻そうと施設に入ったら、
ガードマンが束になって飛んで来ました(>_<)
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杉林を抜けると、間も無く尾根の上に出ます・・・
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尾根に上がりました・・・
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こんなのが、所々に有ります・・・
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尾根の下部は、傾斜が緩いので直登出来ますが・・・
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今日来た目的の尾根が、左手に見えて来ました~~
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黄点尾根の偵察が、今日の目的です。
赤点尾根は2016年の厳冬期中に既に踏破しました。
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黄点尾根(仮称直登尾根)は、昨冬に一度下部のみ踏み込みましたが、
体調不良も有りその後積雪期を逸してしました。
この厳冬期中に賭けてます・・・昨年の様子は

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尾根が急になって来ました・・・
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ジグ切って登ります・・・
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天候は薄曇、時折 小雪がチラチラと・・・尾根上部の斜度はこんな感じ。
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急登フワフワ雪でストックが、ズブズブ埋まります・・・
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2016年に通った赤点尾根(仮称・五色尾根)と黄点尾根(直登尾根)の合流点を確認。
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仮称・五色尾根の、1000mピークに直線で突き上げてます。
それで仮称・直登尾根と言ってます。

今日は、出発も遅かったし再確認もしたので、ここで昼飯です。
フワフワ雪を板で踏み固め、壷足で立つと・・・ズブズブ沈んで往きます・・・
ストックが、第二関節まで楽に刺さります・・・
埋まる板を持ち上げて、ジグ切るのが容易で無くなり、ここを終了点とする・・・

板に座って、テルモス珈琲・サンドイッチで、軽く昼飯。
おにぎり2個は、遭難時の非常食として手を付けずに・・・
僅か10分位の休憩たが、寒く体が冷えて往くのが判る。

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さて、帰り仕度です。
今日の装備は、ハガーン1250gの山板にディナ・スピードターンの軽量ビン、
ガルモント1020g兼用靴、テムレス防寒ゴム手袋(この冬の山行は全てこれ)。
風を通さない・濡れない・滑り止め加工・暖かい・安い・先の八甲田縦走で、
風速25m以上でロープが止ったが、冷たさは感ぜず、外気温は-15℃超えと思う。
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登って来た尾根を、粉雪蹴散らして、ドド~~っと滑走・・・
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登りは必死で斜面を見てたので、気付かなかったが・・・ブナの枝先に〝熊棚〟発見。
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幹には熊の爪跡が・・・爪跡からすると、小熊ですねぇ・・・
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アッと言う間に、車着です・・・

帰路、沢に出来たマシュマロ群・・・
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流れの緩い処は、凍結してます・・・
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往路 除排雪してた重機が前を走ってました。
この冬の路面は、例年に比べ波打(うねり)が多く、スピードを上手く合わせないとジャンプして大変!!!
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凍結した山瀬ダム湖の橋から、田代が綺麗に見えました。
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今日の偵察で・・・・思った事
取り付きの小沢の雪はいい感じ、渡渉も楽と思う。
直登尾根へのアプローチは・・・ショートの軽量板を使う。靴は登山靴。
尾根上は板を背負い、カンジキで高層湿原へ。ピッケルの有無は考慮の余地有り。
雪庇は昨冬に比べて目立つのは無し、尾根上の積雪は豊富。
高層湿原からは、天気次第で山頂へ・・・又は大広手左尾根をスキー下降。

厳冬期の2月末までには、天気を選んで踏破したいと思ってる。


1月23日の〝草津白根山での噴火〟、実は予兆が有ったのだ。

昨日・今日の報道を見る限り、〔気象庁〕や〔所謂 火山学者〕も、
〝予兆〟や〝前兆〟が無く突然噴火し、予想外な様な事を言ってるが・・・


しかし、ブログ仲間の記述を見ると、気象庁学者の言う事が白々しく聞こえる。
此れからの記述は、小生の独断と偏見で有るが・・・(ひでさんの了解のもと記載)


フィールド ワークと言う言葉をご存知か?  今と為っては、死語に近い言葉だが・・
現地調査・野外調査と言う意味で、自然科学を志す者にとっては研究の第一歩だ。
定期的にフィールドを歩き、気付いた事をフィールド ノート(野帳)にメモする・・・
その積み重ねが、科学を発展させて来たのだ。例【ダーウィンの進化論】


火山に関して言えば、今や現地でのフィールド ワーク等する者は稀で、
計測器や監視カメラを設置し、机に座って送信されたデータを見るのが、
主な仕事に為ってるのでは??? それで飯喰ってるのなら真面目に遣れよ!!!


彼等に、冷たい・酷な言い方でしょうか??? 


でも、噴火前の20日に草津白根で、〝異常〟を感じた方が居ます。
ひでさん です。彼はブログの中で、水蒸気の噴出音や火山ガスが何時もと違うと。



素人が、通い慣れた〝山〟で、普段と違う・・・と感ずる位のレベルなら、
気象庁や学者が定時・定点観測(フィールド ワーク)をしてたら、
もっと的確な判断が出来たのでは??? と思った次第。
計器で噴気の音は拾えぬし、ガス感知器も風向き次第では拾えぬ。
メディアに投稿された画像を見て、水蒸気噴火でした等とはオラでも言えるのだ。


命を救う訓練をしてた隊員が、犠牲に為らずに済んだのでは・・・・と。



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小生も積雪期に、八甲田や秋田駒ヶ岳に登るが、
酸ヶ湯の地獄湯ノ沢の通過時に、今日は硫黄臭が強いなぁ~と感じたり。
秋田駒の女岳山頂から吹き上がる水蒸気や、地熱での雪解けを見ると、
いつ又噴火しても可笑しくないなぁ~と思ったりもする。

女岳から1970年に流れ出た溶岩
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2015年2月22日の女岳
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2017年3月19日の女岳
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強烈な寒波が来てる・・・山の積雪も増した事だろう~
天候が落ち着いたら、何処に往こうか・・・

1月22日

朝 起きたら東の空が明るい、早速ライブカメラで山をチェック・・・
八甲田は雲の中、秋田駒ヶ岳・鳥海山は、綺麗に見えてた。

これなら森吉山は良いだろうと判断、夜勤の妻に「森吉へ・・」とメモ残して・・・
走ったが、国道の温度表示が-11℃・・・バリバリに凍ってます・・・
途中のカーブで、RV車が道路からジャンプしてた・・車が良くても腕がね・・・

森吉阿仁スキー場の事務所に登山届けを出して・・・ゴンドラに乗る。

誰も居なかったので・・上駅に併設された暖房付き休憩室で、シールを貼り・・・
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登り始めて、曇天なれど秋田駒ヶ岳が真っ白に見えます。
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80キロ先の、鳥海山も薄っすら・・・
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森吉山頂が見えてます・・・樹氷未完成・・・
月中旬に降った雨と東風で、樹氷が崩れたとか・・・強い北西風が吹けば成長か???
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石森に近付くと・・・           ↓森吉山      ↓阿仁避難小屋
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石森に、二人の姿が・・・
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石森を過ぎて振り返る・・・
              石森↓   ↓森吉避難小屋↓一ノ越     
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拡大画像  樹氷はミイラ状態・・・
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阿仁避難小屋到着。例年の如く、2階建てが雪で埋まり屋根のみ露出・・・
石森に居た二人が、冬戸前に溜まった雪を除雪中。
北秋田市の職員でした・・・小生を知ってる?? 見ると〇浦氏でした・・・
聞けば、小屋の外壁に常設の〝除雪用スコップが無い〟とかの連絡が市に有り、
替わりのスコップを持って来たとの事・・・
二人で2階の冬戸前に溜まった吹き溜まりを、一生懸命除雪してます・・・

雪の中から、スコップが出て来ました・・・

誰が市に連絡したのか???
20・21日に、この小屋に泊まりで、宴会登山に来た連中が居ます・・・
県内の〝社会人山岳会〟2パーティー他、誰もスコップを持参しないとは・・
オラは〝笑ってしまいますよ~~〟酒背負う前に、冬山はスコップ必須ですよ~
中に入られないので、森吉避難小屋を使ったとか・・・・(関係者見てたらご免ナッ)

見通しも良いので、持参の標識旗120本は、ここにデポして帰りに回収。
吹雪いた日でも標識100本有れば、生還可です・・・
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乳頭山⇔秋田駒ヶ岳の稜線(奥羽山脈)が、遠くに白く見えます・・・
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稚児平に登り掛けると、やっと樹氷らしい姿が・・・
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森吉山頂に到着。
この日登ったのは、ボーダー2人・スキー単独2人のみ。
森吉神社付近に、スキー団体見えたが・・・


      八幡平↓        ↓岩手山       秋田駒ヶ岳↓ 
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岩手山拡大図
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森吉山〝山頂標識〟
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遠くに、2日前に往った八甲田連峰が見えます・・・
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山頂からの帰路、左手の樹氷。可愛いミニ樹氷です。
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西に、日本海・男鹿半島も見えます・・・手前の平地は、八郎潟干拓地(大潟村)。
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山頂から滑走の出だしは、ガリガリ斜面と、突然現れる吹き溜まり・・・
後は、スキー場の圧雪バーンをドーーーッと滑って終り。

今日の関東地方は、少しの降雪で大変らしいが・・・楽しい一日でした~~

次の晴れ間は、何処に往こうか~ やっとエンジンが掛かった感じ・・・

1月20日

毎日 天気予報をチェックし、ライブカメラで様子を見ていたが、
今日だ!!と言う日が無く、ひと月が過ぎてしまった・・・

昨日の19日と今日の20日が、連続して晴れ・曇りマーク。
しかし19日は昼からの晴れ予報、朝のライブ画像でも山頂部は雲の中で諦める・・・

昨夜 森吉山に登るつもりで、登山届けを打ち出して準備したが・・・

今朝6時にライブカメラを見ると、
鳥海・秋田駒・八甲田等が山頂まで見えてます~~昼過ぎまで天気は持つはず・・
10日頃の暖気で冬には珍しく雨が降ったが、森吉山の樹氷も落ちたと言う情報。
なら・・八甲田と言うことで、急遽八甲田に行き先変更です。


黒石インターを降りて、いつもの岩木山(津軽富士)。
山頂部が雲の中です・・・ここまで来て変更も出来ず・・・八甲田へ。
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八甲田ロープウェイの駐車場で準備して・・・3回待ちで山頂駅へ。

田茂萢岳(たもやち岳)からの北八甲田連峰。
        赤倉岳↓井戸岳(双耳峰)↓    ↓八甲田大岳       
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赤倉岳の登り、樹氷が痩せてます・・・雨で落ちたのでしょう・・ 
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振り返って・・・青森市内と陸奥湾が見えてます。
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天気がハッキリしません・・・

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赤倉岳の夏道を二人のボーダーが登ってます。
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西風でボーダーのトレイルも、飛んで来る雪で消え気味・・・
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赤倉岳への最後の登り・・・夏道は使わず、シールの効きが良さそうな斜面を・・・
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赤倉に着きました・・・爆裂口の柵が現れてる、積雪少なし・・・ 
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稜線は西風が強く、フードを被る。

        井戸岳↓ 八甲田大岳↓  櫛ヶ峯↓           
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眼下にツァー客が・・・赤倉岳と井戸岳の鞍部に向ってます・・・
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祠が有る赤倉岳・・・夏道はこれに登るが、右下のハイ松帯を巻いて井戸の鞍部へ。
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鞍部手前で高田大岳が頭を出す・・・シュカブラ帯、ハイ松に蝦のシッポが付着。
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風上に成長した、蝦のシッポ達・・・この裏は風が当たらず、板を外して一休み・・
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         ↓高田大岳    ↓小岳    八甲田大岳↓ 噴火口↓   ↓井戸岳南峰
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井戸岳の東側を巻いて、井戸岳と八甲田大岳の鞍部に滑り込む・・・
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良さそうな処を滑るが・・・ガリガリ
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時折青空が出るが・・・強風は変わらず・・・

八甲田大岳との鞍部が見えて来たが、八甲田で一番風の通りがいい処・・・
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大岳を越えて、仙人岱の避難小屋で飯のつもりで居たが・・・
風に負け・・・風裏の東斜面を巻いて小岳との鞍部に滑り込んでしまった・・・
この頃、ゴンドラの運行停止に為ったらしい・・・風速25m以上だったのだ!!!!

        ↓小岳        ↓鞍部
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振り返って・・↓井戸岳                 ↓赤倉岳
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端正な高田大岳
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振り返って・・・
         井戸岳北峰↓      ↓南峰          赤倉岳↓
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360度 誰も居ない・・・風の音のみ・・・

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仙人岱避難小屋が見えて来た・・・・         ↓避難小屋
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硫黄岳東斜面に滑った跡が・・・
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小屋の冬戸から侵入・・・昼飯とする・・・
小屋で谷地温泉から、高田大岳を巻いて来たと言う4人組と会う。
テレ・TLT・ジルブビンと様々・・・同年代か?・・・

一足先に小屋から出ると・・・いい天気だ・・・
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小屋からは滑走のみ・・・だが、TLTの爪先が再三外れる・・・
小屋に居た時に融けた雪が、穴で凍結したのか・・・キチンと噛んでない・・・
外れない様に、滑走モードから登行モードで滑る。(ちょっと邪道だが・・)

振り返って・・・
                ↓小岳         ↓高田大岳
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右手に八甲田大岳を見ながら・・・・樹氷の間を滑る。
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左手には硫黄岳・・・
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硫黄岳が遠くなる頃、スノーシュー跡と合流。
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林間を滑り・・・酸ヶ湯へ 八甲田大岳が霞んでる。


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青森駅への定期バスが10分前に発ったとか・・・次まで1時間半も有る・・・
車まで歩いても其の位の時間だ・・・少し若い頃は板背負って歩いたが・・・
札入れは車に置いて来て、小銭は千円少し・・・
外で1時間半も待つのは寒いので・・・酸ヶ湯の食堂へ避難です。
姉さんに一番安いのは?と聞くと、掛け蕎麦550円たど・・バス代の390円は残る・・
冷えた身体に、熱い蕎麦は美味かった~~

車を回収して、帰宅の途に・・・下山メールをしてからのタイムロスが有り・・・
途中で、どーしてるとの電話が・・・明日、孫がスキーしに来たいとの話し。

明日は、隣りの小学校のスキー場で、〝特訓〟です(^^ゞ。

2018年01月11日
栗城の疑惑 また画像捏造か?


栗城が近々計画発表と言ってるが、いまだに発表も無く、暇なので色々調べて見た。
周知の通り、ネパール側からの〝単独〟は不可能になった・・・

〝単独〟で登ると言う栗城には、中国チベット側からより無くなった訳だが・・・

栗城のFBに『みんなでエベレスト』生中継応援公式グループと言うのが有る。
          ↓


このグループの一員のFBに、この画像を見付けた。
栗城のクラウドに出資した見返りに、エベレストでの画像を提供するコースのもの。
Tシャツ+画像で1万円位取ったと思うが・・・
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エベレストをバックに写して、送り返すと言う企画だ。
FBで画像の本人は、2016年のエベレストBCでの写真と言ってる。

この画像を見て・・・北壁がこんなに雪に覆われてるのは、珍しいと思った。


そこで、栗城が2016年に北壁を目指した時の画像を、栗城公式ブログから探した。
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上記の②、③、④の3枚が、栗城がエベレスト北壁と言いブログに掲載したもの。
写した日時は違えど、8千m付近のバンドや壁に着雪が少ないのが判る!!

①の画像と、②③④の画像は明らかに、雪の付き方が違ってる。



過去 中国側のエベレストに行った隊の記述を探して見たら・・・有った!!
Karangkurung Mountaineering Club のブログの中に、以下の記載が!!!
2009年の同時期に、栗城とチベットに居た遠征隊の記録。

【ラクパ・リ通信 第4号】
昨日、今日とBCでゴロゴロしていました(これも高度順応の一環です)。朝、早くから中国人の観光客がシャトルバスでやってきて、大きな声で話したり、テントを覗かれたりしています。私たちのことをチョモランマ登山隊と思っているようですが、訂正するのも面倒なのでそのままにしています。
明日は、BCの裏山に6000m位迄登り、明後日、ABC(6300m)に向けて出発します。
現在、チョモランマには七大陸最高峰単独無酸素というのを売りにしている北海道の栗城さんがメスナールートから狙っいるそうで、15人のシェルパと入っています。春のマナスル近藤隊のボチボチトレックのハンドリングですから、顔見知りのシェルパがいるかもしれませんが、彼らはBCにテントだけを残し、全員がABCに上がっています。

15人のシェルパがABCに上がってる事は、〝単独〟に関しての問題は無し。

【ラクパ・リ通信 第5号】09/21
通信が途切れ、遅くなりました。
(中略)
14日、栗城隊のABCを訪問しました。栗城さん自身は上部に上がっていて、不在でしたが、ハンドリングしているボチボチトレックは春のカランクルン・マナスル隊もハンドリングしていましたので、見知っているシェルパもいました。シェルパは9名で、彼らはノースコルまでサポートして、それ以降栗城さんは単独で頑張っているようです。
9人のシェルパがノースコルまでサポートでは、〝単独〟が成立しない。
この後、ノースコル(C1)からC2に入り、C2から出発後に栗城が高度障害で行動出来ず、
C2に居たシェルパに救出されると言う失態を演じた・・・
また、テレビの撮影チームが入っていて、シェルパを集めて、シェルパソングの撮影をしていました。ダワ情報によると、このテレビチームは無許可のため、私たちの撤収後、TMA(チベット登山協会)によってカメラをBCに下ろすよう命じたられたようです
チョモランマは第一級の国家財産ですから、
1万ドル単位の撮影料が要求されるのです。


この北壁を写した画像は、2009年の遠征時に
彼等のブログに載ってたもの。(BC5200mから撮影)
山頂直下の黄色内の+形の雪に注目!!!
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栗城が、2016年にクラウドで資金提供者に贈った画像。
山頂直下の黄色内の+形の雪に注目!!!
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2016年にクラウドで集めた金の見返り画像は、
栗城が2009年遠征時に撮った画像を、合成転用した物ではないのか!!!
これなら現地でなくて東京でも造れる。
石に載せた写真のバランスが如何にも不自然である。
ま~ァ、出資した側からすれば、約束通り背景に山が写ってれば、
それが’09年の画像か?’16年か?等との見分けは付かないだろうから・・・いいとするか?
上記2枚の画像を見ると、撮影した標高差で、
前衛峰とエベレストの写り具合は違うが、雪の付き方が極めて似てるのだ。
山頂直下の+雪形がソックリで有る・・・

栗城 イカサマしてないよナ?

栗城は、’16年春のアンナプルナ南壁の時も、ゴマ点合成画像の実績が有る。
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この3月にアンナプルナ山域のチュル山群で、高所順応をした以降、
                 
長い沈黙を守ってましたが、遂に8回目のエベレスト計画を発表しました。

何時もの事ですが、登山期間・行動表・隊の構成・登頂ルート等の詳細は不明で、
登山計画等とは呼べない代物ですが・・・・これが栗城らしさかも???

では、その内容を見てみましょう~


以下の黒字は、栗城公式ブログより原文。青字は私見です。

否定という壁への挑戦

2018/4/13 19:38
4月17日から、エベレスト(8848m)、ローツェ(8516m)に向かいます。
エベレストとローッエの2座を、同時に狙うとは・・・驚きです・・・
ヒマラヤの高所順応訓練を終えて帰国後、新入社員向け研修会や企業研修のお仕事を終えて、今日はエベレスト生中継のテストも都内で行いました。
いままでも出発前に、生中継テストをしてますが、生中継の実績は無し・・・
何で富士山とかから電波を飛ばしてテストしないのかが不思議、失敗の連続です。
今まで結構苦しいこともありましたが、4月17日からエベレストに向かいます。
ネパール側エベレストののソロの許可がおりなくなったというニュースが出ていましたが、全く問題なく無事に許可もおりました。
単独の許可が降りないニュースとは、この事です。 
問題無く許可が降りたそうですが・・・
同行の撮影隊が、BCより上に上がると言う事で、
人数分の登山料を支払いしたから、許可が降りたのでしょう。
栗城は登るのは一人だから、ソロで許可を貰ったと勘違い、その程度の頭。
これで、栗城は単独では無いと言う事が、証明されましたね~
今までエベレストは気象条件が厳しく、ほとんど登山隊が入らない秋に6回挑戦していました。雪が深く荒れ狂う龍のような強烈な風は、今まで感じたことのない寒さと孤独を与えてくれました。でも、人を寄せ付けないあの姿は美しく、今でも憧れがあります。しかし秋はあまりにも雪の量と風が強く天候に大幅に左右されることから、最も天候が安定する春に変更しました。
問題は春は公募隊などの登山隊が多く、ノーマルルートの山頂直下では3時間待ちになっています。
確かにノーマルルートの南東稜ヒラリーステップの難所では、
登行者・下山者の渋滞は有るが、過去栗城は其処まで登れてません・・
そこで、人が入らない「ありのままのエベレスト」が感じられるルートに向かいます。
それは、去年も敗退した西稜に抜けるルートだと予想されます。
ルート工作済みの氷瀑帯を通過した時点で〝単独〟は、消滅します。
自分の中で密かに考えていた計画ですが、
ルートの状況を目で確かめてから決めますのでアタック直前にルートを発表します。
通常ネパール側からのルートは、南東稜か難関西稜を経由するルートのみ。
直前に発表とは、思わせぶりですねぇ・・・どっちに転んでも良い様にか?
今年は無酸素で確実に登るために、同じ山域であるローツェ(8516m)を無酸素で登り、
ベースキャンプまで下りて体調を整えてからエベレストに向かいます。
ローッエに登ってから、一旦BCに降り、エベレストを目指すとは・・・
キリアン並みの体力と登攀能力が有ると、本当に思ってるのが笑えます。
**********ダラダラ言い訳をしてるので、超小文字にしました。読まなくて結構。
エベレストを無酸素で登るために、そもそも無酸素で登れる身体ができているか。
どんなに山での体力があっても、低酸素に適応できなければ登ることができません。
破裂するかのように心臓が動き、身体の力が全く入らない、自分が起きているのか夢の中なのかわからなくなるぐらい身体的感覚が奪われていく世界。
激しい頭痛や吐き気があるならまだマシ。
その世界を生きてやり抜くために。
酸素が取り込み難くしたマスクをつけた基礎トレーニングを行い、高所登山医学でもまだ知られていないようなあらゆる仮説をテストしながら体質も変えて、また無駄に酸素を消費しない身体の使い方をトレーナーと作り上げて低酸素の世界に向けて一つ一つ積み上げてきました。
昨年は体調不良で下山しましたが、西稜7,000mの所で体内酸素飽和度が「80」と高い数字も出て(一般的に7,000mでは50~60%)、最近まで6,000mの山で最終的なテストをしてきました。
***********
高所順応でローツェを登り、完璧な状態でエベレストに向かいます。
高所順応でローッエに登る?? 話を盛り過ぎです・・・
過去のローッエ登頂者が聞いたら、何と思うでしょうか・・馬鹿過ぎます。 
氷のスラブのローッエフェィスから、急峻なローッエ・クーロワールを、
栗城が単独で登れるとは考えられません・・・(FIXベタ張りでも無理です)
しかし、栗城の冒険の最終ゴールは消して目で形として見えるものではありません。
否定という壁を無くしたい。
そのためのエベレスト生中継・冒険の共有について、また次回皆さんにお伝えします。
次回には、生中継の話しが有るようで楽しみです
いつも応援、本当にありがとうございます。
※写真は、Chulu Far East(6,059m)にて。
山名が前に指摘してた、チュル・ファー・イーストに治った様ですね。
180413.jpeg
昨夕に、栗城公式ブログで上記「否定という壁への挑戦」をUPしましたが、
今朝見ると、何と削除されてます・・・何故???
何か不都合でも有ったのでしょうか!!!!!!!!!
◆AG隊は既にルクラから、エベレストBCを目指してキャラバンを開始。
 栗城は何モタモタしてるのでしょうか?

追記 4月16日 23:18 会員用FBを更新 
いよいよ明日から始まります。全てをぶつけてきます。
 今、準備でバタバタなので詳しくは明日にお伝えさせて下さい。
エベレスト8848mとローツェ8516mに向かいます。 無酸素・単独で。
そして、見えない山登る人達と冒険を共有します。
自らの投稿を削除した栗城が、この時間に登録会員制のFBだけに意思表示。
明日出国なのに、準備が忙しいと言う・・・・昨日今日決った話では無し。
しかも、2座を〝無酸素・単独〟と言ってるが、山岳界の定義に反してる。
何回も言ってるが、BCからSPCC(サガルマタ環境汚染管理委員会)がルート工作済みの、
クンブー氷瀑帯を通過した時点で、〝単独〟は成立しません。



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4月17日 栗城 出国後に、二つのFBを更新
先日の削除内容と比較し簡略化。相違点を太字で表示します。

山登り等した事の無い会員には、大きく出てます。

4月17日 19:54 栗城が会員登録制FBを更新。FBの内容は黒字、青字は私見。
皆さん、こんばんは!
本日からエベレスト(8848m)ローツェ(8516m)に向かいます!
最近までヒマラヤ6000m峰での高所順応訓練を終えて、帰国後、普段のお仕事である企業研修や講演会などをしながら準備をしてきました。
かなりバタバタでしたが、ソロの許可も下りて都内で生中継テストも行い、本日出発できました。
ここまでくるのに実はかなり苦しいこともありました。
でも、無事に出発を迎えれたこと、サポートして頂い?そた方々、そして、応援して頂いている皆さんに心から感謝です。
本当にありがとうござます。
今年は無酸素で確実に登るために同じ山域であるローツェ(8516m)を高所順応で無酸素で登り、ベースキャンプまで下りてから体調を整えて、エベレストに向かいます。
正直、無酸素で登れる身体作りと高所登山の技術(特別な呼吸法や身体の使い方)は自信があります。
そして、登るルートは自分の中で密かに溜めていた計画があり、ルートの状況を確かめてからアタック直前にルートを発表します
冒険の共有、苦しみと喜び、そして否定という壁の挑戦。
僕は諦めてません。
全て出し切ってきます。皆さんと気持ちを一緒に登ってきます。
遠征詳細や生中継(冒険の共有)などについて後ほどお伝えさせて下さい。
いつも応援本当にありがとうござます。
行ってきます!
はじまります
正直、無酸素で登れる身体作りと高所登山の技術(特別な呼吸法や身体の使い方)は自信があります。

無酸素で登れる身体作り強力な心肺機能(昨日今日で身に付く物でなし)
高所登山の技術氷雪壁・岩稜登攀技術(残念ながら、これは栗城に皆無)
呼吸法や身のこなしで、氷壁や岩稜が登れるとは思われない・・・
昨秋にシャモニーでの、乾いた岩登り訓練で、少しは登れたのを勘違いか???


4月17日 21:52 通常のFB更新 FBの内容は黒字青字は私見。
皆さん、こんばんは。
突然ですが、、、、。
本日からエベレスト(8848m)ローツェ(8516m)に向かいます。(無酸素・単独)

以下は、上記とダブルので割愛します。

何故か(無酸素・単独)と、強調されてますが・・・
何度も言いますが、クンブー氷河の氷瀑帯に工作されてるルートを通った時点で、単独は成立しません。
(登山界の常識が通用しない、自称〝登山家〟ですから・・・)

酸素の使用に付いては、自己申告なので、何とも言えませんが・・・
過去に栗城は無酸素と言いながら、シェルパに運ばせてテントの中で、
吸ってました・・・
今回もC3辺りの高度での停滞が有ると、吸ってる可能性大、有り得る話しです。
(無酸素の場合、体力の消耗が激しく、C3・C4での停滞は有りえません。
BCから速攻で登り・速攻で降りるのが、無酸素登頂の鉄則です。)

それにしても、公式ブログが更新されないのは何故???
4月18日15時過ぎに、公式ブログ更新、内容は同上。





17年3月の那須での高校生雪崩事故で、
検証委員会が17年10月15日に報告書を纏めました。


これを受けて県教育委員会が18年1月9日、以下の事故再発防止策を公表。

高校生雪崩死亡事故で再発防止策

栃木県那須町で登山の訓練中の高校生らが雪崩に巻き込まれて8人が死亡した事故を受けて、県の教育委員会は、教員向けの研修や登山計画の審査の強化などを盛り込んだ再発防止策を公表しました。

去年3月、栃木県那須町の茶臼岳で登山の訓練中だった7つの高校の山岳部の生徒らが雪崩に巻き込まれ、生徒ら8人が死亡し40人がけがをしました。
県の教育委員会は、外部の専門家などによる検証委員会の提言を踏まえ、9日、再発防止策を公表しました。

この中では、部活動で登山を行う際に必要な知識や技術を習得する教員向けの研修を開催することや、各学校の登山計画について、県の審査会の審査項目を増やし、より厳しくチェックすることが盛り込まれています。
また、県の教育委員会に危機管理に関する専門部署を新たに設け、部活動などについて各学校への指導や助言を一元的に行うとしています。
このほか遭難の際に位置情報を自動的に発信する機器「ビーコン」などを各学校に貸し出すことも盛り込んでいます。

毎年入れ替わる山岳部員に、操作方法を周知出来るとは思えません、
〝三種の神器〟神話で終わらなければ良いのですが・・・

県の教育委員会は、これらの取り組みについて4月以降、順次実施するとともに、専門家や保護者による協議会を年2回開き、十分に機能しているか検証することにしています。
栃木県教育委員会の宇田貞夫教育長は「取り組みを着実に実行し、たえず見直すことで、生徒が安全に学べる教育環境作りに全力で取り組みたい」と話しています。


装備確保し危機管理組織新設=8人死亡雪崩で栃木県教委

1/9(火) 17:47配信
時事通信
 栃木県教育委員会は9日、同県那須町で昨年3月、登山講習中の高校生ら8人が死亡した雪崩事故を受けた再発防止策を公表した。

 遭難時に位置情報を発信できる「ビーコン」などの装備を確保して学校に貸し出すほか、学校活動での「ヒヤリハット」事例の収集・分析をする危機管理組織を来年度から県教委内に新設することを盛り込んだ。

 再発防止策ではほかに、登山部顧問らの研修派遣や、有識者らによる連絡協議会を設置し、防止策の実施状況を確認することなども加えた。

2社の記事を読んで、如何にも役所的解決法と思ってます。
議会・危機管理組織などを新設と有りますが、組織を複雑化させるだけ・・・
最終責任者は、誰? 何処の部署ですか???
その様に思わざるを得ない記事が有ります。


那須雪崩事故から9か月…いまだ謝罪なし、消えない遺族の怒り

2017/12/26(火) 10:02配信  スポーツ報知 (一部抜粋)

栃木県那須町で3月27日、登山講習中に起きた雪崩事故は、県立大田原高校の生徒7人と教員1人が亡くなる大惨事だった。県教委が設置した検証委員会は10月に出した最終報告書で最大の要因を「危機管理意識の欠如」として、講習会を主催した県の責任を認めたが、遺族の悲しみと怒りは、今も消えていない。高校1年の高瀬淳生(あつき)さん(16)を失った母・晶子さん(51)=栃木県矢板市=が取材に応じ、今の思いを語った。

  「どうして淳生の未来が奪われなくてはいけなかったのか」。晶子さんは、事故の真相が知りたかった。登山講習会は約60年続く県の伝統行事だったが、晶子さんが調べてみると、7年前にも那須岳での講習中に雪崩が起きていたことが分かり、追及した。7年前の責任者は、今回の事故が起きた講習会にも参加していたが、記者会見ではまったく触れようとしない。教訓としておくべきその事案の記録が残されていなかったことも判明。悲しみの上に怒りと不信感がのしかかっていく日々だった。

 検証委員会は10月15日に最終報告書を公表。事故の最大の要因を「計画全体のマネジメントと危機管理意識の欠如」として「予見可能性はあった」と断じた。にもかかわらず、晶子さんら遺族たちに対する当事者や県の責任者からの正式な謝罪は、いまだにない。


謝罪をする事で、過失責任を認める事になるからでしょうか?
将来有るかも知れぬ〝刑事や民事〟の法廷で不利と思ってか?

当時の責任者である〔猪瀬修一〕だけでも、謝罪すべきでは?
教師として・引率責任者として・山男として・人として・・・


話しに為らない結末ですね。

亡くなった子供達が浮かばれ無い・・・・
遺族の胸の痞えも癒されない・・・・


昨日、〝熊〟の煮物のブログを書いたが正月も今日で終わり
時同じくして、県内の熊関連の記事が朝日新聞に載った。


秋田のクマ、推定生息数の6割捕殺 「前代未聞」懸念も

秋田県内で今年度、ツキノワグマの捕殺数が前年度の1・7倍に急増し、推定生息数の6割弱にあたる817頭に上っている。自然保護団体が駆除の中止を求めているが、クマによる死傷者も2009年以降、最多の20人。住民の要請に応じた結果、捕殺数が増えたといい、県は人とクマの共存に頭を悩ませている。
ツキノワグマは、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで危急種に分類される。環境省によると、国内では九州で絶滅と考えられ、四国では絶滅の恐れがあるとされている。
(中略)
 秋田での捕殺数は全国で群を抜く。環境省のまとめによると、今年度は昨年10月末時点で全国で最も多く、昨年度も全国最多の476頭。この10年で唯一、2年続けて300頭以上を殺した。今年度は冬の猟も9年ぶりに解禁し、解禁の昨年11月15日から12月末までに26頭を捕殺した。

 ただ、県によると、12月末までの捕獲数は817頭に上り、すべて殺された。このうち、767頭は住宅地や農地への出没による「有害駆除」。増加は、住民の要請に応えた結果という。県警などによると、目撃頭数(12月末まで)も過去最多の延べ1500頭余。クマによる死者が1人、重傷者が5人出ており、死傷者数は計20人に上る。例年は山に食べ物が少ない夏に出没が多いが、ドングリ類が凶作で、昨年は秋も目撃が多かった。県自然保護課は「人が襲われる事故も多く、生活圏の近くで目撃され、住民から求められれば、対応せざるをえない」という。

昨年10月の数字は、697頭ですが・・・

12月末の数字は、817頭になってます・・・2ヶ月で120頭の増です

写真・図版 

 

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秋田県内の市町村では、新規狩猟者に以下の支援をしている。
ライフル銃・弾丸・免許取得費用等が対象です。

来たれ新規狩猟者!担い手支援、自治体が免許費用など補助          

イメージ 1

クマやイノシシなどの野生鳥獣の生息域が拡大して社会問題化する中、駆除などの担い手となる狩猟者の減少を食い止めようと、秋田県内の自治体で狩猟免許取得などにかかる費用を補助する動きが広がっている。昨年度までに実施済みの7市町村に加え、本年度は新たに4市町が実施。県も市町村に上乗せする形で補助を検討しており、県議会に提出する補正予算案に関連予算を盛り込む方針だ。

県によると、狩猟免許取得者が実際に狩猟する場合、県に毎年登録する必要がある。県内では大半の登録者が県猟友会に加入しており、クマに人が襲われた時などには、市町村が地元猟友会に有害駆除を依頼している。

わなの知識や銃を持った狩猟者は野生鳥獣への対応に不可欠だが、県内の登録者は最多だった1974年の8865人から減り続け、昨年度は1648人まで減少。高齢化も顕著で60歳以上が7割以上を占め、担い手不足が深刻化している。


八幡平・鳥海山・田代山周辺では、熊の痕跡が多い。
鳥海ではGW頃に冬眠から目覚めた熊が、2000m辺りまで餌を探して登って来てる。
自衛の意味で〝爆竹〟はこの時季の必需品だ、現に直ぐ傍から走って逃げたりする。
竹の子採りや登山者は、自ら敢えて生息域に入り込むのだから、仕方が無いが・・・
里で農作業中に遭遇したり、作物を喰い荒される被害が多いのは困ったものである。
夏のトウモロコシや秋の果実の味を知った奴は、度々その場に姿を現す様になり、
当然駆除の対象となるのである・・・

1月7日

近頃は正月三が日と言うが、七草までが正月かと・・・

年明けは中々天候に恵まれず、山スキーにも往けないで居るが・・・



邦人初・世界で3人目、と言う偉業が飛び込んで来た。
単独・無補給で、南極の極点に到達したニュース。
故植村直己が遣り残した〝夢〟の実現です・・・
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冒険家荻田さん南極点到達=無補給単独、日本人で初

1/6(土) 10:01配信
時事通信
 昨年11月中旬に南極大陸の海岸から南極点を目指して歩き始めた冒険家の荻田泰永さん(40)が日本時間6日午前1時45分ごろ、外部から物資補給を受けない「無補給単独徒歩」による南極点到達に成功した。東京にある遠征事務局によると日本人では初めてで、荻田さんは1126キロを踏破した。

 荻田さんはチリのプンタアレナスから空路で南極大陸のユニオン氷河に入り、昨年11月17日(現地時間)にヘラクレス入り江を出発。食料や燃料、テントなどを積んだ重さ約100キロのそりを引き、50日かけて標高約2800メートルの南極点にたどり着いた。

 6日朝、荻田さんは衛星電話を使って遠征事務局に定時連絡を入れ、チリ時間の5日午後1時45分に到着したことを報告。元気な声で「諦めず、目の前の一歩一歩を積み重ねた。新しい世界を経験し、今まで感じたことのないことも感じた。自分の引き出しが一つ増えたかな」などと喜びを語った。

 荻田さんは神奈川県愛川町生まれ。神奈川工科大学を中退後の2000年に冒険家の大場満郎さんと北極圏を歩く企画に参加したことがきっかけとなり、主に徒歩による北極冒険を始めた。昨年までに9000キロ以上を踏破して「北極男」と呼ばれる荻田さんにとって、南極は初めてだった。 

出発から極点までの日々の様子は↓を参照。

100キロのソリを曳き・50日掛けての快挙です。
GPSが有る時代とは言え、誰もが出来る事では有りません・・・


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先に拙ブログで紹介した、〝熊〟煮込みが出来ました~
たっぷりの日本酒で、七輪に練炭で半日掛けてトロトロと・・・

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癖も無く、柔らかく美味です。タッパー3個分は冷凍保存。

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