海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2018年03月

順応が始まる。


黒字24日付け栗城FBより
高所順応訓練でチュルファイスト(6038m)に向かってます。
明日は4800mのベースキャンプに入り、28日に登頂予定です。
登る前に12時間の車移動は腰に効きます
(腰にきますだろうが!!! 国語30点の実力発揮です・・・)


21日夜に出国し、カトマンズ入りが22日午前。
ボチボチ社で順応の為の装備・食料を準備したと思われる。

さて、順応の山だがチュルファイスト6038mと言ってる。
何処に有るか・・・アンナプルナサーキット沿いにある、チュル山群の中の一峰。
チュル山群には、西峰・中央峰・東峰が有り、
FE表記の山がチュル・ファー・イースト6038mと思われる。
(’16年春季のアンナプルナ南壁の際は、チュル西峰で順応している。)

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アプローチは、カトマンズからペシサールまではバスで約6時間。
ペシサールからチャメは四駆で約6時間。

24日のFBで明日は4800mのベースキャンプに入り、と言ってるので、
カトマンズから車での移動は、23日中。
24日は徒歩でチャメ→ピサン、約7時間。25日はピサン→マナン約6時間。
25日に4800mのBC入りが可能だろうか????
栗城の足では、チャメからBCまで3日は掛かると思うのだが・・・


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3月26日 追記 地図上のチュルFEなる峰が気になり調べて見た・・・
         チュル far east、チュル 遠い(離れた)東峰と言う意味だ。

                       栗城 チュルファイストではない、チュルファーイーストだ!!!
                       自分が登る山の名前位は正確に覚えろよ。
         山の選定もボチボチ の 社長に丸投げなんだう・・・・   

               

3月26日 栗城公式ブログより
只今、ネパールのナワン村(3600m)におります。
今からベースキャンプ(4800m)に向かいます。
既にBC入りが一日遅れてますね、予想通りです・・・・
28日にチュルファイスト(6038m)に登頂予定です。
風が弱ければ山頂付近で一人で一泊します。
※今のところ午後からかなり風が強いです。
今日から4日間連絡がつかなくなります。
それではいってきます!

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黒字3月30日付け栗城FBより
「6038m」
ネパール首都カトマンズを出発して、4日目の28日にチュルファイースト6038mを登り、帰りは16時間車移動して、、昨日無事にカトマンズに帰ってきました。

山名が、チュルファイストからファイーストに変わってます、間違いに気付いたか?

ヒマラヤ8000m峰では、登っては下りてを繰り返しながら高所に順応していきす。
今回はエベレスト無酸素に向けて短期間で高所順応しやすい身体ができているか、仮説を立てたトレーニングや身体作りの成果を確認するための登山でした。
カトマンズを出発して5日目に6000mにタッチするのは結構キツイかなと覚悟していましたが、体内酸素濃度と脈、呼吸も尿も充分いい感じです。

カトマンズを出発して4日目に登頂? それとも5日目に登頂? はっきりしませんね
この辺が行程管理の雑な栗城らしい処・・・
画像を見た限りでは、シェルパ同行登山の様です・・6千mの順応もシェルパ付き?

ネパール観光省とも最後の打ち合わせをしてきました。
(中略)
皆さんいつも応援本当にありがとうござます。


◆基本的な初期順応は達成した事に為りますが・・・
このままエベレストBC(5300m)への移動を始めれば、
BC到着までの間は、少なくとも高度障害は出ないでしょう~
しかし、一度帰国し・・・10日~2週間も時間を経てからでは、
順応効果はゼロに為ります。再び順応の仕切り直しが必要です。    
つまり、順応に掛けた時間以上に、効果が継続する事は無いのす。
では何の為に、この時期順応に出掛けたのでしょうか?
疑問が残りますねェ~


【’16年秋季・’17年春季に、栗城とエベレストで競合したキリアンの順応の例

’16年 8月29日 ラプ・ラ(ラプ峠)から7700mに登り順応。
    9月11日   チャンッエ峰の7519mからスキー滑走して順応。
    9月12日   北稜7950mで天候悪化のため敗退。

この時栗城は、9月15日に北壁の6500mまでより登れず、10月7日に自称7400mで敗退。


’17年4月末   チョー・オュー8201mに登頂。その後エベレストBCに移動。
        当然8千mへの順応は出来てます。
   5月16日 北稜8400mまで試登。
   5月21日   北稜から登頂。
   5月27日   北稜から再び登頂。(一回目のタイムに納得出来なかった為)

この時栗城は、5月3日に北稜7300mまでより登れずに、ネパール側でも7000mで敗退。

栗城とキリアンを比較しては失礼だが、
キリアンの周到さ・栗城の雑さが良く判る例と思う。



情報が少なくて判り難い・・・・
次にFBの更新が有れば、ここに追加で記載します。

3月21日

’17年春季エベレスト北壁の〝無酸素・単独〟を目指し、チベット側に入るも、
初期高度順応に失敗し、北稜の7300m地点で敗退。
目標の北壁では、蒼氷に為す術もなく・・・苦肉の策で、ネパール側に転進。
クンブー氷河から西稜に上がり、北壁を目指したが・・・
西稜上にさえ上がれずに、7200m地点で敗退すると言う有り様でした。

敗退後、〝来年もやる〟との宣言が有り、この一年間にどの様な訓練をし、
次に繫げるのかを注視してましたが・・・・

この間の栗城の山行は、(栗城FBより)
7/2  富士吉田・浅間神社から五合目まで、1時間57分で走ったと。  
7/21  小樽・赤岩ゲレンデで2日間、岩登り訓練。
4/1  フランス・シャモニーで約1週間、江本ガイドと岩登り訓練。
10/1  富士山 スバルラインから友人と。
12/15  八ヶ岳・南沢大滝で江本ガイドとアイスクライム訓練。
    (ここは同時期に登山用品店・カモシカが新入社員研修を実施した場所)
1/4  富士山 富士吉田・馬返しより。
1/19  甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根より。
2/18  八ヶ岳・赤岳で、花谷ガイドとラッセル訓練。
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訓練中の栗城 意味の無いデカスノーシュー・ピッケルは背負ったまま。
ラッセル経験者は、何が言いたいか?判るでしょう~
同行の花谷って、そこそこのガイドと思ってたが・・・
3/4   八ヶ岳・美濃戸から赤岳周辺で、花谷ガイドと岩稜訓練。


この一年を見て、エベレスト北壁を目指す者らしい山行は、甲斐駒のみ。
栗城の弱点である氷登攀の訓練は、カモシカ新入社員の研修と同レベルです。
また弱点のラッセル訓練も、積雪の少ない八ヶ岳・・・何故越後の山に行かない!!!
これ位の山行で、エベレスト北壁が登れるなら楽勝である・・・
これ以上の厳しい山行を、日々繰り返してる登山愛好家はゴマンと居る。
栗城 かなり考えが甘いのでは・・・・

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頭がデカイのか? メットが小さいのか? これでは何の役にも立たない。
手袋も指が無いのに切り詰めもせず・・・ビロビロして邪魔だろうに。

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流登山家のメット姿、山野井泰史氏。
栗城 こう冠らないと意味が無いのよ・・・


さて、栗城が始動しました・・・・

21日付けの栗城FBより(黒字全文)
「高所順応訓練で6000mの山に向かいます」
皆さんこんばんは!
今日からヒマラヤの高所順応訓練に向かいます。
今ままで8000m以上の山に向かう前に低酸素室でのトレーニングをしていましたが、8000mの世界は低酸素だけではなく気圧も低くなるため高所に順応しやすい身体を作るには、やはり現地が一番だと考えました。
この時期は講演や研修のお仕事が重なることが多いですが、ヒマラヤに集中します。
今、エベレストに向けて着々と準備してます
行ってきます

これを見て、?????が2点ほど・・・・
①高所順応の為に、6000mの山に往くと言う。

 そして一度帰り、エベレストに向かうと・・・・順応の為の旅費が無駄。
 どうせ信者から集めた、お布施だからか・・・
 何故、今からヒマラヤに入り順応しないのか???? 
 仮に順応出来ても、海抜0mの東京に戻り、ダラダラしてたら順応の意味無し。
 6000mに登り、その足で5000mのBCに入ってこそ意味が有るのに・・・・

②今まで低酸素室だけで訓練してた??? 余りにもお粗末過ぎる・・・

 高所は酸素濃度が減るのは当然、5000mでは約1/2・8000mでは約1/3に減。
 更に高所ほど、気圧が低下する。
 平地で1000hpa(ヘクトパスカル)だと、5千mは約500hpa・8千mは約350hpa。
 徐々に高度に身体を慣らして往かないと、当然浮腫みが出ます。それがこの画。
 高山病の症状の一つです。(体内の無駄な水分を、排出出来ないのだ。)
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’16年春季・アンナブルナ南壁BCに、ヘリで降りた時の姿。
標高1200mのカトマンズから一気に5000mに往くと、
低気圧に慣れて無い為の浮腫み、まるで別人だ・・・
水を鱈腹飲み、利尿剤を飲む事で改善される。

これで、栗城が過去に初期高所順応に失敗した、原因が判りました。
低酸素だけが頭に有り、低気圧への対応を考えて無かった〝自称 登山家〟だ。

低酸素&減圧室で、山の高度に併せて 低酸素への対応と、
低気圧への対応を、同時にしないと意味がないのだ・・・・今頃気付いたか・・・・

しかし、何処の・どの山で訓練し、いつ帰るかを公表しないのは栗城らしい。
帰国後に、どんな発表をするか、楽しみである。

3月17日

昨夜の予報では、曇りのちに晴れの予報でした・・・
入手したロッカー板と、自作シールの効き具合を試して見たいと思ってたが、
腰の違和感も有り、延び延びになってました。
(板の事はロッカー板を入手  自作シールの事はロッカー板用のシール加工)

朝 ライブカメラで八甲田を見ると、山頂部は雲の中でしたが・・・
登ってる内に晴れるだろうと、楽観視して向かいました。

田茂萢岳(1324m)の高層湿原はこの様、先行者が微かに見えますが・・・
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3月1日から北八甲田の西側斜面に有る、宮様・中央・城ヶ倉のツァールートが、
開放になってます。そのルート標識の竹竿が確認出来ます・・・
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ガスの濃い処は・・・次の竹竿がボンヤリと・・・
珍しく風が強くないので、気持ち的には楽。
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そろそろ赤倉岳の基部のはず・・・
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赤倉岳基部に有る、宮様ルートの分岐が見えて・・・
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ここでシールを外します。
167cm板のセンターに、86cmの自作シールを貼って、ここまで来ました。
登りでの不具合は無し・・・板のTopまでシールが無いので、
スライド歩行で引っ掛かるかと思ったが、以外に違和感無しです。
シールの剥がしもスンナリ出来ました・・・
酸ヶ湯温泉まで、約5キロの滑走です。
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晴れて見通しが良ければ、赤倉岳・井戸岳・八甲田大岳と主稜線通しに歩いて、
酸ヶ湯温泉に滑り降りるつもりでしたが、この天候では・・・

赤倉岳の裾を巻いて滑り出す・・・
雨後のハードバーンの上に、新雪が20~30cm載ってます・・・
ターンをすると・・・ガリガリ面が現われて、ガッガッ~~~と嫌な音・・・
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井戸岳の基部が見えて来ました・・・幅広板は沈まず良く滑ります・・・
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途中に何ヶ所か登り返しの処が有り・・・階段登行をするが・・・
下地の堅いバーンが現われで、3mほどズリ落ちる。
センター幅が10.5cmの板は、普段の6~6.5cm幅の板とはまるで別物だ・・・
エッジを効かせて登ろうとするが・・・エッジが効かないのだ・・・
登り方が下手なのか??? 幅広板の弱点かも・・・多分そうに違いない・・・
エッジを立てる様に蹴り込むと・・・その衝撃で金具が解放してしまう・・・
最後は板を外し、小脇に抱えストック支えに、キックステップで乗り越える。


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八甲田大岳の基部を回り込み・・・
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後は酸ヶ湯温泉に滑り込む・・・下は視界が効く、板も沈まず回しも楽。
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下に降りると日差しも・・・
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この林を抜けると、湯坂→酸ヶ湯温泉。雪が腐り始めるが、細板よりは断然楽。
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酸ヶ湯に着くと、いい具合に30分後にバスが有るとか・・・
待ち時間にサンド&テルモス珈琲で、遅めの昼飯・・・車を回収して帰宅。


今日のテスト結果
幅広ロッカー板  滑りは沈ます良い・回しも楽。下地が堅雪では階段登りは苦。
自作シール    充分に効果有り。

来シーズンの深雪が楽しみ!!!!


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おまけ◆八甲田への長い登り坂で・・車に違和感が・・ガクガクするのだ、いつものギァで登れ無い。
    帰宅前にディラーに寄ると・・・プラグが駄目でノックしたのだと。
    9万キロ・・全部交換して貰って復活です、これで安心して山に往けるぞ!!!    

   ◆ロッカー板の派手な模様が気になる・・ロゴを残して塗装をする事に・・・
    ホームセンターでクリーム色のシリコンスプレーを調達、
    山吹色が無く残念だが・・・板が軽そうに見えるかもね(^^ゞ。

   ◆孫が21日から短い春休み、何回スキーが教えれるか???

長かった冬も、そろそろ終わりそうです~
今朝は、昨夕から降った雪が20cmほど・・
春の泡雪にしては、量が多かったが、グラニュー糖の様なサラサラ雪・・・
風はまだ冷たいものの、青空が爽やか・・・
鉛色の空を見慣れてたので、新鮮です。

腰の調子が良くない(田代岳や八幡平で遊び過ぎ?)ので、
休憩を挟んで2回に分けて除雪しました・・・


暖気が続き、イグルーも無残な姿に・・・

1月31日に、庭先に積んだイグルー
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2月20日、その後の積雪で入り口が塞がれましたが・・・
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今日(3月6日) 日差しの当たる面が融けて・・こんな姿に、でもまだ自立してます。
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今日(6日)は、県内公立高校の入試です。
半世紀以上昔の事を思い出してます・・・あの日も朝起きると薄っすら新雪が・・・
同じく晴れの日で、自転車に乗り受験校に向う途中、
やたら外の景色が眩しかった記憶が有ります・・・


当時は、全9科目(英・数・国・理・社・音楽・技術・体育・美術)の筆記試験。
2日間に亘ってでした・・・
中学は東北でも珍しいマンモス校で、1学年17組・900人も居ました・・・
団塊の世代 真っ盛りの頃、全てが競争・・・墓場も等と、言われてました。

当時の結果発表は、地方紙に各高校毎に実名報道、個人情報など関係ない時代。
受験校にも掲示されてた様ですが・・・見には往かなかった様な記憶が・・・
今は、受験番号が公表されるようですが・・・
ニュースで、今年の最高倍率校は1.33倍だと。当時の1.6倍から見たらねぇ・・・

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3月に入り、八甲田で山スキーツァー用の、3ルートがオープン。
山越えのない、中央・宮様・城ヶ倉ルートです。山越えルートは中旬頃か???
長い竹竿が等間隔で立てられ、余程の事が無い限り迷いません・・・
迷っても、下に下にと滑れば道路に当ります。

日曜日に、八幡平でズブ濡れに為った装備も乾き、車載完了・いつでも走れる体制。
ロッカー板と半シールの威力がどれ程なのか? 試して見たいもの・・・

3月4日

この冬初の八幡平へ
先日の雨と暖気で、樹氷は落ちてしまったろうが・・・往って見る事に。
予報では、昼までは天気が持つ様な話だった・・・昼からは雨の予報・・・

秋田八幡平スキー場(標高980m)に、8時過ぎに到着。
準備をして8時半に出発。

この日は、大団体と小団体がリフト乗り場前に集合してた・・・
ここのリフトには乗らないのが、俺流? 200円が勿体無い・・40分も登れば上だ。

スキー場の端を、只管直登する・・・シールの効きもいい・・・雪質は湿り雪。
急斜面はヒール2段にして・・・斜度により1段に切替えたりして・・・


振り返ると・・・秋田・焼山山塊、活火山で監視対象の山。
この裏が有名な玉川温泉だ。
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スキー場トップ(標高1200m)に着くと、大集団が体操をしてた・・・30人位・・・
ここから、蒸ノ湯の展望駐車場に一度降りる。


トイレが埋まってます・・・道路標識もこの高まで雪が・・・
ここ十年位で最大の積雪です・・・今日は標識旗を100本位背負って来ました・・・
吹雪けば役立つはず、今の時期は滅多に晴れないのが八幡平。
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夏の登山コースに沿う様に登ります・・・
スキー場トップが、山スキーツァー標識100番、125番まで登って来ました・・・
300番が八幡平山頂です。何故か山頂から滑って来ると見える向きに付いてます。
八甲田では、登って往くと見える向きに付いてますが・・・(こっちが正解では?)
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150番標識通過・・・後方は、焼山山塊、最高峰は栂森(1369m)。
小集団がスキー場トップから先行してて・・・スキー跡とシュー跡が前後してます。
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10時半だったので・・・板を外して一服してると、大集団の先発隊が通過・・・
中に元職場の鳥〇君が居てビックリ!!!  ツァーの募集に参加したとか・・・
テレマーク装備でした・・・当時はスキー場で遊ぶ程度と思ってたが中々です。


例年、この辺りから樹氷が観られるのだが・・・裸です・・・
この辺までは曇りで、天気は落ち着いてたが・・・
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籐助森(1604m)が見える頃になると・・・南西から強風が吹き出す・・・
風と共に飛んで来るトド松に付いた氷片が、顔に当り痛い・・・
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籐助森ピークの直前で、先行してたスキー&シュー男女混成小集団が降りて来る。
吹いてるので、山頂は諦めて帰ると・・・(見通しが悪く、正解ですね)
一人がスキー場登ってた方ですよね、旗で判りましたと。(リフトから見られてたか・)


籐助森(1604m)に着きました・・・樹氷の崩れた姿・・・12時です。
後15分程 雪原を歩けば、八幡平山頂(1614m)なのですが・・・
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しかし、帰路は風をまともに受けるし・見通しも悪く、一番危ない場所。
撤退する決断、刺して来た標識旗を探し・回収しながら・・・
雪面の凸凹も見え辛く、シールのまま滑る。


途中で登って来た奴らが、片手に持った標識旗を見て、回収してるのか? と聞く。
帰るから回収してると言うと、えぇ~~ と・・・(他人の褌で、相撲を取るな!!!)
次に大集団の後発が居た・・・無線で先発と交信してる。(進もうか?悩んでる様子)


ドンドン滑って、標識100番代の混合林の中に入ると、風も気に慣らず・・・
板を外して、一服・・・・ここまで来れば、一安心です。


蒸ノ湯温泉が見える処まで降りて来ましたが・・・小雨が降り出しました。
画像の中央が蒸ノ湯温泉の建物ですが、屋根まで雪に埋まってます・・・
沢を流れる源泉の湯気がモウモウと・・・此れほどの湯気は初めて見ました・・・
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スキー場のトップに上がる頃から、本降りの雨!!! ザァーザァー降りに・・・
トップでシールを外し、スキー場をイザ滑走・・・と。
処が、スキーのコースは一面の濃霧が立ち込め、幅も見えず・居場所も判らない。
ボーゲンで慎重に降り・・・やっとスキーハウスが見えて一安心。
車着が1時半、とっとと帰って来ました・・・

ザァーザァー降りの雨の中でスキーをしたのは、初体験(>_<)。

今日は、〝実にショッパイ登山〟でした~~

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