海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2018年04月

27日
今日から、鳥海山の秋田県側の山岳道路が開通する。

昨日は、車載の装備・食料等をチェック。衣・食・住の準備はOKです。
昼用のパン類・ビール・ツマミを途中で購入して、山に上がれば数日は暮らせる。

ライブカメラでチェック。多少霞んでるが、GW前半は毎日晴れ予報です。

鳥海・北面
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鳥海 東面 
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3時頃に現地着の予定で、途中の〝桜〟を観ながら出発です~

レポは帰宅後に鳥海山 2236m(山形)の記載します。
昨年は最後に大ドジを踏んだので、今年は慎重に・・・・


4月22日

昨日は、山越えする予定でしたが、強風で叶わず。
今日は、風も落ち着く予報だったので、再度 八甲田へ・・・

晴れの予報でしたが、黒石インターを降りても、春霞で八甲田は見えません・・・
山道を登るに従がい、八甲田の山々が見えて来ました。
昨日は16℃で27mの風が吹いた影響か? 山々が黒く見えます・・・
可也 雪解けが進んだと思われます。

8時前に、八甲田ロープ下駅の駐車場に着くと、日曜日なのにガラガラでした。
一般スキー客は、そろそろ板納めの時期なか? 山スキーの好き者だけの様です。
8時45分の始発ロープに乗り山頂駅へ・・・
到着後に即 田茂萢湿原に滑り込み、赤倉岳の基部でシール装着。


ツァールートの分岐看板(酸ヶ湯温泉方向・箒場岱方向)
            ↓井戸岳  ↓八甲田大岳            
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赤倉岳の山頂部には雪が有りません・・・
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シールを付けて登り始めると・・・
青森トド松林の中に板を背負って登ってる一人が見え隠れ・・・壷足の跡も・・・
えっ・・・一番ゴンドラで来たのに先行者が居るとは・・・
ロープウェイは、上駅と下駅にゴンドラが有り、上下してます。
下駅に有ったゴンドラに上駅の要員が乗って先行、降りて来たゴンドラが始発です。
乗り込んだ要員の中に、スキー板を持ったのが居ました・・・彼でしょう。

赤倉岳の雪が残ってる、夏道より左の斜面にジグ切って登ってると・・・
グリベルのメットを冠った単独が追い付いて来る。
呼吸を整える為に立ち止まると・・・単独もすぐ後ろで立ち止まる・・・
追い越す風も無く・言葉も無し・・・
雪面の末端で板を外し、この先の稜線も雪が続いて無いと判断し、ザックにセット。

初めて口を開いた・・・「この先 どっち?」見ると、板を肩に担いで立ってる。
「右のブッシュを突っ切って夏道へ出る、先が長いから板をサックに付けろ」と。
聞けば、箒場岱に滑ると・・・ ルートを知らずに来てるのか??? このボケが!!!


雪解けのドロ道を100m程登り、山頂に出る。ここでザックを降ろし一服。


雪が有る時は夏道通しには歩かずに、このハイ松帯をトラバースするのですが・・・
仕方無く爆裂壁の縁を、夏道伝いにドロ道を歩く事に。
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井戸岳・八甲田大岳の山頂部の雪は消えてます・・・
                     井戸岳↓八甲田大岳↓    
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振り返って・・・左のドロ道の稜線を歩いて来ました・・・
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祠到着。賽銭はあげなかったが、諸々祈願。効き目無しか・・・
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祠の先からの景色、本当に雪解けが早い・・・
         高田大岳↓     小岳↓  八甲田大岳↓井戸岳↓ 
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箒場岱への滑走開始地点に着きました。
赤倉岳の東側にある噴火口です、一部雪解けで水が・・・
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ここから高田大岳・雛岳の裾野を滑り、箒場岱へ6.3キロの滑走です。
           箒場岱↓        雛岳↓     高田大岳↓
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ここで大休止 シールを剥がし、余りの晴天にユックリです・・・
ボケは滑走準備が終わり・・・早く往かないのかと、ウロウロ・・・
後から来たテレマーカーに、ここから真っ直ぐに降りればいいと言われてる・・・

暫くして、ボケが降りて往きました・・・他人のトレール頼りとは関心しませんね。
まぁ~人の事はどうでも良いが・・・・


11時半に為ったので、無木立ち斜面を滑り・・・見上げた図。
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いいザラメの斜面です。左右に大きく曲がりながら・・・     
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12時近くに為ったので、ここで昼飯を喰う。
                  滑り始めたピーク↓       
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ド晴れ・そよ風で実に気持ちがいい~  男2人組・男女組が通過。
シャトルバスは2時40分発、慌てる事は無い・・・


気持ちのいいブナ林の中を延々と滑る・・・
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ツァー標識100番が見えて、林越しにドライブインの赤い屋根が見える。
6.3キロのスキー滑走が終了です・・・
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いつも入るドライブインで喉を潤し、汗・日焼け止めを洗顔。
2時40分のシャトルバスで30分走りロープ下駅へ。


4月から土日運行のシャトルバス(千円)を利用しての、山越えツァーが出来ました。
4月の土日は天気に恵まれず・・・今年初めてでした。
ブナ林の積雪は1m~50cm程度、GWまでは持ちません・・・最後の八甲田です。

この後は、月山・八幡平・鳥海山辺りより快適に滑れる場所はない・・・・


4月21日

今日は、ド晴れの予報でした・・・
北八甲田を山越えして、箒場岱へ6.3キロ滑走の予定。
土日限定で北八甲田連峰の裾野を周回する、
シャトルバス(一回り千円)の運航日です。
それに乗って車に戻る予定でした・・・

8時半に八甲田ゴンドラ下駅駐車場着、即準備し駅に行くと、上が強風で運休だと。
風速が25mを超えるとストップですが、27m吹いてました。
職員の話しだと、一日運休だろうと、お陰でシャトルバスも運休です・・・


さて、天気が良いのに・・・予定変更です。
戻って睡蓮沼から、北八甲田や南八甲田へのコースも有るが、
この時間から向かっても、車の路駐スペースは満車で無理・・・
酸ヶ湯温泉から登る事に決めて、そちらへ向かいました。

温泉上の駐車場は、意外と混んでます・・・運休で皆が移動したのかも・・・
9時半と遅い時間に到着です。


酸ヶ湯から、地獄湯の沢を目指して出発。
雪質は、腐れザラメでシールが良く効きます・・・
雪面には、スキー跡・ワカン跡・長靴跡・シュー跡・12本アイゼン跡???と様々。
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25番標識の辺りに来ると、往く手の山々が望めます。
林の中なので風の強さはそれ程感ぜず・・・しかし雪面の照り返しで暑い・・・
額にタオルを巻き、目に汗が入るのを防ぎ・・・
           ↓八甲田大岳       ↓仙人岱ピーク   硫黄岳↓
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地獄湯の沢に出ました・・・
沢通しに登るか? 右の硫黄コースを登るか迷ったが、短距離の沢を選択。
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地獄湯の沢から振り返ると・・南八甲田が・・・
              ↓南八甲田連峰の主峰 櫛ヶ峰     ↓横岳
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地獄湯の沢の最狭部 通称〝喉〟です。
沢下から吹き上げて来る風が強烈、付近の硫黄臭も結構する。
例年この辺の岩は、雪の下なのですが・・・先の露岩帯は・・・
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上の画像を右に曲がった処から、雪が途切れてて板を背負って、
200m程の間 石ころだらけの夏道を歩く・・・
板が風に煽られ、バランスを崩さない様にストックをツッ張りながら・・・
登山靴と違い、兼用靴はこんな時とても歩き難い・・・

八甲田大岳です、上部の雪は消えてジクザグの夏道が現われてます。
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ここを登ると仙人岱の台地に出ます。
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仙人岱の避難小屋に着きました・・・
     南八甲田連峰   ↓南部赤倉岳↓乗鞍岳  ↓駒ヶ峯 硫黄岳↓ 
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避難小屋は満員、外に酸ヶ湯温泉のツァー客が溢れてます・・・
ガイドが携帯で迎えのバス時間を依頼中、それとなく聴くと・・・
カイド5名・客32名、一時間半後に猿倉温泉に迎えに来る様にと・・・
客の殆んどは、口から産まれて来た様な良く喋る、大阪弁の御婆ン達です。
何故か北八甲田のこの時期は、関西系が多いのです・・・冬は少ないのに・・・
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岳か小岳から滑るつもりで来たが、風が強いのでコロッと予定変更。
ここで昼飯を喰い、シールを外して、硫黄コースを滑って帰る事に・・・
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         ↓南八甲田 横岳
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硫黄コースのザラメは最高でした~
地獄湯の沢に滑り込み、大岳環状ルートで酸ヶ湯へ。
このルートお気に入りの岳樺の林、何故か?ここだけに密集してます・・・
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酸ヶ湯に戻ると16℃表示、暑い訳です・・・

今日の装備は、800gの軽量板+TLT仕立て。服装は滑走時のみヤッケ上着用。
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帰路 酸ヶ湯からの途中に在る、大川原温泉(200円)で一風呂浴びて・・・
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黒石のバイパスの桜が咲き始めました・・・ここの道路標示温度は21℃でした。
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強風でロープが運休し目的が達成出来なかったので、
明日(日曜日)も八甲田へ向かいます。予報では風が治まる模様・・・


   しましたが、行動を開始。
今回の特徴は、①高所順応でローッエに登る(単独・無酸素)
       ②BCで休養後、密かなルートでエベレストに登る(単独・無酸素)
       ③隊員 撮影・中継担当が4名、高所経験者1名・他は3名は素人
と言うテンコ盛りです。

酸素を吸っても、同時期に2座登頂は可也難しいのに(天候・体力面で)、
単独・無酸素だそうです。

さて とうなる事か????  日々眺めてみます。

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4月20日
FBより
黒字は栗城書き込み・青字は私見
「危険な空港に」
カトマンズで機材整理と観光相でのブリーフィングを終えて、無事にルクラ(2860m)に着きました。
カトマンズからルクラへは飛行機に乗りますが、悪天候で空港の待合所に戻ったりを2回ほど繰り返しつつも、無事に飛びました。
中継機材の一部がまだルクラに届いていないのでここで一泊して、明日機材が届き次第、キャラバン開始です。
何度来ても、この空港の着陸は緊張します。

正式名称は、テンジン・ヒラリー飛行場          2006年に山彦 撮影 
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着陸は谷から飛んで来て、フェンス直前で停止。止れずにフェンス壁に激突した例が多し。
離陸は加速が足らず谷に墜落した例が多し。世界一難しく危険な飛行場です。

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本当に滑走路が短い。。(長さ約500m・傾斜地で、着陸→登り・飛び立ち→降り)
ここから5300mのベースキャンプまで、歩いて7日間で向かいます(以下割愛)
高所経験の無い者が3名も居るので、ヘリを使わず歩いての入山は正解です。


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4月21日 
FBの 更新は無いが、午後2時過ぎまで歩いた様です。

他隊情報 AG隊が順応の為にロブチェ峰C1に到着。
        

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4月22日

他隊情報 AG隊が全員ロブチェ峰に登頂。明日はエベレストBCへ。

FBを更新しました。 黒字はFBより、青字は私見
「冒険の共有に向けて」
まだ中継配信の機材は届いていませんが、昨日はナムチェバザール(3440m)に着き、今日はタンボチェ(3860m)に着きました。明日はペリチェ(4270m)に向かいます。

機材は21日に届く手配でなかったのか? 全てボチボチ任せだからな!!!

驚きです。20日に標高1200mのカトマンズから、
飛行機で2800mのルクラ着。23日には、4270mまで登ると言う・・・
ヒマラヤトレックの常識としては、一日標高差で約500mをユックリ登り、
二日で約1000m登ったら順応の為に、三日目は休養日を取るのが普通です。
休養無しで3070mを稼ぐとは・・・高度障害が出ないのが不思議です。

早ければ、26日にはエベレストベースキャンプ(5300m)に着きます。
この冒険は登山だけではなく、「冒険の共有」という挑戦における失敗や挫折を共有して、自分と同じように見えない山に向かっている人達にエールを送り、否定の壁を乗り越えるのが最終目的です。
その想いを叶えるべく、今回は日本から4人の中継スタッフがベースキャンプまで同行します。
彼らは栗城がアタックしている時に、エベレストの反対側に山向かい5,500m地点から超望遠レンズ(Canon HJ40×10B)で撮影し、共有します。

その地点は、カラパタールの丘からと思われます。

※エベレストベースキャンプからは氷河やローラーフェイスがあって、ほとんど登っている姿や山頂が見えません。
また、うち一人はNHKや様々な冒険番組を手掛けているデレクター兼カメラマンで、6400mのヌプチェ近くに撮影キャンプを設けて、栗城が登る姿を望遠カメラで追います。

BCから上の6400mに、キャンプを設置と言ってます。
C2の高さの位置になります。当然資材・食料のサポートはシェルパ。
BCより上に登るには登山料が発生します。
エベレスト・ローッエに往くのは自分一人だから〝単独〟と勝手に解釈か??
BCまではトレッカーでも、国立公園の入園料を払えば入れます。

初めて極地に行くメンバーもいますが、片時もカメラを外さないで歩いている姿は本当に凄いです。

それが仕事で雇ったろうが・・

エベレスト街道に咲く桜とは、今日でお別れになります。

全員、無事にベースキャンプに着けますように。

メンバーが公開されました。左端がデレクター兼カメラマン。中央が栗城、他は山の素人。
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4月23日 栗城更新 青字は私見
今日はペリチェ(4200m)に着き、機材も無事に合流できました。
天気は穏やかですが、若干酸素の薄さを感じています。
明日は一日、ペリチェでレスト(休養)です。
目の前にそびえ立つローツェ(8516m)とエベレスト(8848m)。

動画を見ての感想
①栗城の歩き方が異常に早い・・・シェルパ並みの速さに驚きです。
 撮影を意識したのか? 普通は一日の行程を、ユックリ時間を掛けて歩き、
 順応するのがベストと言われてます。
 こんな歩き方をしてたら、間違い無く障害が現われます。
②何故か栗城とカメラだけで歩いてる。他の者とシェルパ頭は何処??
ミニザックのサイドにマットを付けてる不思議、日中使わない物は
 ポーターに背負わせるのが普通。
④動画の編集が出鱈目、ナムチェより上を歩いてるのに、
 途中にルクラへの飛行機シーンが入ってる。

他隊情報 AG隊がエベレストBCに到着。
     平岡隊が6000mで順応しBC(5200m)へ戻る。

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4月24日 ぺリチェで休養

ここで栗城とAG隊の使用機器比較
栗城使用のSpot・GPS軌跡 ポイントマークが大き過ぎて見難いし、地図上の距離不明。
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AG隊使用のGarmin・GPS軌跡 ポイントに距離・時間・標高がクリックで表示される。
地図上に距離表示有り。
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アラン・アーネットのブログを見ると
年春のエベレストは、ネパール側に336人・チベット側の北稜に150人の、ガイド・登山客が集結。
これにシェルパ達も同程度の人数が集まり、BCは混雑の様相。
彼のブログには、栗城も紹介されてます。何故か「日本人のプライド」と題して。

自動翻訳して、読んで見て下さい。面白可笑かしく書いてますが、
日本からの真面目な登山者には、迷惑な話ですね・・・・
登山家では無く、芸人だとアーネットに見抜かれてますが・・・

Nobukazu Kuriki in Kathmandu Hospital (courtesy of Nobukazu Kuriki)
Nobukazu Kuriki in Kathmandu Hospital in 2012

Japanese Pride

A surprise climber on the Nepal side is Japanese Nobukazu Kuriki. This is his 7th time on Everest without summiting. Previously the 34-year-old made mostly autumn attempts, solo and without O’s. He has tried from both sides and generally has been stopped by weather and snow conditions. In 2012 he attempted the West Ridge and had to be rescued by a Sherpa team. He lost most of his fingers to frostbite in that attempt. His last attempt was in autumn 2016 from the Tibet side. He planned on the North Face then to the Hornbein Couloir. This year he is hinting at a new route but is not saying what it is. He says he will climb both Everest and Lhotse without supplemental oxygen. As always, he is quite the showman and has a huge following in Japan. I wish him the best this time around.  You can follow him on Facebook, Twitter (JP) and his website. He always brings a large film crew along to document his experience, primarily for the Japanese market. They usually post excellent photos of his experience on his social media.



BCとエベレスト・ローッエの位置関係説明

栗城は22日のFBで、
エベレストベースキャンプからは氷河やローラーフェイスがあって、
ほとんど登っている姿や山頂が見えません。

と言ってるが、ロー・ラ(ロー峠)フェイスなる物は無し。(図中の視界範囲参照)
邪魔で見えないのは、昨春栗城が西稜に登ろうとしたクンブー側の支稜。

6400mのヌプチェ近くに撮影キャンプを設けて、栗城が登る姿を望遠カメラで追います。

この場所は、図中辺りの位置かと思われる。ここからならエベ・ローッエが視界に入る。
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オマケで昨春敗退したルートも記します。北壁を狙い、北稜ルートでの順応を目指したが、
C1から上の7300m地点で敗退。北壁には近寄らずに西稜ルートに変更。
その西稜もC2から西稜に上がれず敗退。

栗城がアタックしている時に、エベレストの反対側に山向かい5,500m地点から超望遠レンズ(Canon HJ40×10B)で撮影し、共有します。
◆6400mのヌプチェ近くに撮影キャンプを設けて、栗城が登る姿を望遠カメラで追います。
と言ってるが、5500m地点用の機材運搬シェルパ・撮影C用のキッチン・シェルパ、
BC用キッチン・シェルパ、〝単独〟で登ると言う栗城に後から着いていて往くシェルパ。
実に〝無駄〟が多い隊です。

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4月25日 現地時間で昼を過ぎても、スポット動かず・・・
       高度障害で停滞か???

     村にWi-Fiの設備が無くても、衛星経由で通信は出来るはず。
     〝冒険の共有〟と言いながら、その通信費も惜しむのか・・・

他隊情報
飯田橋留守番隊です。(抜粋)
エベレストBCのけんけん隊長から衛星電話が入りました。日本時間15:28 、現地は3時間15分日本より遅いので、
これからランチタイムです。登山前の最重要儀式プジャも無事終えたそうです。
ロブチェ隊にとっては、今夜がエベレストBC滞在最終日です。あっという間ですね。
BCでは「エベレストリンク」という有料WiFiがあるのですが、かなり調子が悪くほぼ繋がらないようです。
今夜は全員での最後の晩餐ですね。明日からは水生さんがロブチェ隊を率いて下山です。
明日からはエベレスト&ローツェ隊メンバーのみとなり、さらに留守番隊も気を引き締めてまいります!
天気予報、通信のやりとりが衛星電話頼りになってきますね。


 栗城 より〝冒険の共有〟してますね~          


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4月26日 
エベレストBCに到着予定だが・・・ 
今日も現地時間で昼を過ぎても、スポット動かず・・・
高度障害で2日連続で停滞か???

栗城が18:35に、FBを更新した。
ペリチェ(4200m)に着いて一日レスト(休養)するはずが、
2日間39度近くの熱が出てました。
一般的に高山病の症状に発熱は無し・・
色々と溜まっていたものが出たかもしれません。

通常はナムチェで、順応の為に更に1泊するのが普通ですが、
セオリーを無視して進んだ結果と思います。(早足撮影で格好付け過ぎたか)

でも、高所では早めに熱が出た方が 体も慣れて後半やりやすくなります。
いい感じです。今はもう熱も下がり、かなり元気です!
明日からまたベースキャンプを目指す予定です。

今からこの状態で、2倍の高さを目指すと・・・笑ってしまいます。

お供のド素人三人衆の具合が心配ですが、触れられてませんね・・・
順応無しにこの高さまで登って来たら、
当然 高度障害の症状が出てるはずですが・・・

他隊情報 平岡隊がBCt(5200m)から、ノース・コル(7000m)へ順応に向かう。
     一週間の予定とか・・・無酸素で7千mに身体を慣らしておけば、
     アタック時は有酸素なので楽です。

    〝 自称 アルピニスト〟の野口健もエベレスト街道を歩いてる様です。
      何をしに・何処へかは不明だが、エベBCへ栗城をオチョクル為か?
                彼のツィッター↓画像が綺麗。


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4月27日 
BC(5300m)に上がる予定とか・・・
残り標高差1100m、上手く上がれるか???
症状が残ってれば、BCでの回復は確実に遅れます。
小生なら完治するまで標高の低い処で養生しますが・・


栗城FB更新

先ほど、無事にエベレストのベースキャンプ(5300m)に着きました!
2日間高熱に苦しみましたが、今朝ペリチェ(4200m)を出発してベースキャンプまで上がってきました。(抜粋)

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17日に出国し、21日にルクラ(2800m)からエベレストBCに向けて、
キャラバンを開始した栗城ですが、
BCを目前にした23日にぺリチェ(4200m)で発熱。
24・25・26と3日間、病床に臥せってた様です。

本人は色々トレーニングして来たと言ってるが、
BC入り直前にダウンとは〝自称 登山家〟として情けない。
ルクラからぺリチェへの標高差は1400mですが、
通常約1000m上がったら一日休養を取ると言う、
高所登山の鉄則を守らなかった事が、発熱の原因です。(疲労蓄積)


BCは早く到着した隊から順に、乾いた・凸凹の無い条件の良い処に設営。
栗城が現場で指揮せず、ボチボチに設営を丸投げした結果でしょう。
千張りものテントが立ち並ぶBCですから、
今更位置変更も出来ずに、困惑してる様子が想像出来ます・・・

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4月28日 BCで停滞 更新無し
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4月29日 FB更新(黒字)、は私見
ベースキャンプで、プジャという登山の安全祈願を行いました。
祭壇を作り、タルチョ(チベット仏教の旗)を張り、山の神々に祈りを捧げます。
タルチョ」とは、経典を印刷した、色トリドリの小旗が連なった物です。
ラマ(お坊さん)から「君はセカンド・ラマだ」とのご指名を受け、ラマのお経に合わせて太鼓を叩きます。
なぜか、今回ドキュメンタリーの撮影のため初めて参加したカメラマンさんが泣いていました。
ラマは普段あまり話さないですが、「サクセスできるよ」と一言嬉しいお言葉をもらいました。
坊主は祈願料を貰うので、耳障りのいい言葉を発したのでしょう。
ここまで来られたこと、様々な苦難があってもこうしてチャレンジできること、山と向き合えること、支えてくれた大切な人達に感謝していました。
今日から、中継撮影班メンバーは休みを取るためにペリチェ4200mに向かいます。
BCに着でプジャしただけで、下の村で休養だそうです余程体調が悪そうです。
ベースキャンプに着いてから、全員が激しい頭痛で一人は日本に帰りたいと言ってましたが、何とか持ちこたえています。
ド素人を連れてった弊害です。
初期順応無しで、キャラバンの行程を組んだ栗城の甘さ。
毎回 初期順応に失敗し、無駄な時間を費やしてます。学習能力が無いのか・・・
昨春もチベット側で順応失敗、その様子は→ 栗城 体調不良は初期高度順応の失敗
数日の休養と準備の後、いよいよ登山開始です!!
指の無い手で、長時間ユマールを操作し、ローッエ・フェイスが登れるか????
指が有っても分厚い手袋をして、FIXの支点通過時のユマール架け替え作業は大変。


他隊情報 
野口健ツィッターより
近藤ケンケン隊(エベレストBC)訪問。ケンケン隊長とサオリさんとランチ。ヒマラヤでの再会は特別。
数時間、ヒマラヤトーク。
数日前に栗城さんとモレーンのなか、すれ違い数分共に過ごしました。 
交わす言葉は少なかったですが、しかし、栗城さんの背中から決意と覚悟を感じた。
みな、何かを背負い生きている。

〝自称 登山家〟と〝自称 アルピ二スト〟なので、仲は良いはずですが・・・
数分の立ち話とは・・・栗城としては、何で此処に野口が居ると、驚いたか!!!!
野口健は、メラ峰への予定をアイランドピーク峰に変更して、
近くの(と、言っても歩いて2日の距離)エベレストBCを訪問した模様。


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4月30日 BCで停滞 更新無し シェルパの荷上げ待ちか?

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5月  1日 BCで停滞 更新無し シェルパの荷上げ待ちか?
      多少 具合が悪くても、BC周辺やカラパタールの丘への散歩で、
         順応は早まるのだが・・・動く気配無し、又停滞癖が出たか・・

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5月  2日 BCで停滞   栗城 久々の更新 字はFB  青字は私見
皆さん、こんばんは。
天候などを見て、明日から登山開始します。
6400mまで上がり、その後7600mまで上がって高所順応します。
6400m地点はC2の高さ。C1(6000m)での滞在順応を省略する辺り栗城らしい。
7600m地点はローッェ・フェイスのど真ん中、
7300mのC3より上の地点です。ユマール操作が上手く出来るか見ものです・・・
こちらは午前中に晴れが多いので、今は咳が多少出ますが落ち着いて上がって行きたいと思います。
実はドキュメンタリーの撮影メンバーが急きょ帰国することになりました。
昨日、突然の激しい腹痛で動けなくなり、ベースキャンプに常駐しているドクターに見てもらったところ、菌が入ったようだとのことでした。

激しい腹痛=超水下痢。ヒマラヤ登山では、「生水を飲むな」 が鉄則です。
荷上げに使ったヤクやゾッキョを、沢筋に放牧し水を飲ませます。
彼等が 糞 をする→水源が汚染される→登山隊がその水を使う→水当りする
シェルパ達は抵抗力が有るから大丈夫だが、我々は一発で超水下痢です。

ベテランのシェルパ頭(ガイド)は、キャラバン開始前に必ずこの事を教えます。
カトマンズのホテルの水道水も飲むな、ミネラル水を飲めと言われてる位ですから。
キッチンシェルパ(コック長)が、大量の湯を沸かし煮沸殺菌をして冷めてから、
飲料水や調理用に回すのが常識です。(小生は遠征中は常に正露丸を服用)
キャベツやレタス等の生野菜も注意、肥料が人糞だから・・・
加熱調理したもの以外は喰わない事、煮沸した水以外は飲まない事が鉄則

高所では抵抗力が下がるので、菌などにやられやすくなってしまいます。
これが山なので、彼の気持ちと共に登っていきたいと思います。
※彼は今もうカトマンズの病院にいて、容体も安定して体調も良くなっています。

ヘリ搬送の様です・・・が、本人の体調管理云々よりも、
栗城のド素人隊員への配慮が足らない一幕かと・・・
下痢が酷いと脱水症状で命の危機、緊急搬送は正解です。

他隊情報 AG隊 順応で、BCからC1へ上がる。3日はC1で滞在順応。
       野口健 シェルパ2名とアイランド・ピーク(6160m)に登頂。

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5月  3日 BCで停滞 栗城更新 字はFB  青字は私見
今日から登山開始の予定でしたが、昨日夜中からまた38度を越える熱が出てしまい今日は上がりませんでした。
もう一度コンディションを整えます。
SpO2(血中の酸素濃度)は85を越えていて、ここまでの順応はできているのでまず熱を下げます。
皆さんの応援、ありがとうございます。

笑うより有りません、話にならぬ。BCの標高で85%は、当たり前以下。

他隊情報
平岡隊 
キャンプ1 7050mのつらい一夜を過ごし、先程ベース・キャンプ5150mに戻りました。5150mの風が暖かく感じられます。真近に迫る北壁に感激の声が上がりました。
4月26日にチベットBCから、北稜C1へ順応に向かったが無事BCに帰還。
一発で成功、見事です

AG隊 明日はできれば全員でC2まで上がりたいとのこと。

中山岳史 国際隊員
中山 岳史さんはSauraj Jhinganさん、Kuntal Joisherさんと一緒です。
4泊5日で最終の高度順応に行ってきました。
初日:アイスフォールを越えCamp1(5900m)
2日目:ウエスタンクームを越えCamp2(6400m)
3日目:Camp2で休息
4日目:ローツェフェイス入口(6800m)
5日目にベースキャンプに帰還
体力が違う国際隊に参加して、同一行動が出来るとは素晴らしい。

ベット側では、平岡隊がC1(7000m)で順応を完了し、BCで天候待ち体制。
ネパール側では、国際隊の中山氏が6800mでの順応完了。BCで天候待ち体制。
AG隊がC3へ向けての順応を開始しました。
栗城は熱が出た等と、アランが言う〝芸人〟なら、其れらしい事しないと受けない。

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5月  4日 BCで停滞 更新無し  他隊が行動してるので、悪天候では有りませんね

他隊情報  AG隊 C2(6400m)へ到着
                  今日C1から、C2に上がりました。
イメージ 2

誰かが、エベレストに登る為の、高度順応で登ると言うローッエ峰。
山頂から直線に伸びる岩溝が、ローッエ・クーロワール。これを登攀して頂に立ちます。
その下の氷壁が、ローッエ・フェイス。とてもとてものレベルです。
BCで熱上げて、唸ってる場合では有りません・・・
登りたく無いのなら、帰れば!!! 栗城。
イメージ 1

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5月  5日 今日も動く様子が無いので・・・暇潰しに。

栗城’16年秋の北壁時のスポンサー・ロゴの縫い方
イメージ 3

今年の縫い方、四隅止めただけ・・・
イメージ 4

野口健のウェア
イメージ 5
〝金主〟への配慮の差。山に向かう気持ちの差にも現われてるかも・・・

BC入りしてから一週間、今朝現地時間8時頃から、やっと動きだした。
Spotを見ると6200m付近を通過、C1で泊まらず、C2まで上がった様子。
病み上がりで、BCから標高差で約1000mを登るとは、無理は無いのか???
AG隊は、C1で2泊して順応してから、C2に上がってるのに・・・

栗城FB更新 黒字はFB 青字は私見
ここ数日熱が出ていましたが、今朝熱も下がったのでベースキャンプを出発してキャンプ2(6400m)まで上がってきました。
ルート工作済みの氷瀑帯を通過したので、(SpotとAG隊の軌跡が重なる)
栗城が言う〝単独・無酸素〟の、単独は消滅です。
一週間前にぺリチェ(4200m)から、5300mのBCに約1000m上がり発熱。
今回もBCから一日で1100mも上がったと・・・この先大丈夫か?

いよいよ高所順応の開始です。
咳が出ていますが、この後も慎重に進みます。
明日はレストして、天気や体調を見ながら今後の動きを決めていきます。

6400mで2泊すると言う・・・順応の仕方が判ってない・・・
高所に留まれば順応出来るのでは無く、身体に高所を体験させて、
下のキャンプに戻れば、次回その高さでの行動が楽になると言うこと。
6400mに2泊は、ただ体力を消耗するだけ・・・
AG情報では、明日から荒れ予報だ・・・
栗城も同じ予報士の猪熊からデータを得てるはずだが・・・

添付動画では、7000m後半まで往き順応して来ると言ってるが、
7千後半はローッエ・フェィスの上だ・・・
其れにしてはザックが小さい・・・あれに全部入るか???
テント・寝袋・食料3日分? 炊飯具・ガチャ・etc、 シェルパが荷上げ??

他隊情報 
AG隊 
C2(6400m)⇔6800mまで順応
本日はC2から6,800mあたりまでの往復でした。泡爺は途中までで体調を考慮して引き返したそうです。天気予報では明日が上部で荒れ予報です。AG隊も明日はBCまで戻ります。(抜粋)

中山岳史 国際隊員のFB
サミットプッシュ前にサラサラの血液と万全の体調を取り戻すため、3800mのデボチェまで下山。
3泊ほど休養して5月10日にベースキャンプに戻ります


これが正解です。平岡隊の手法と同様です。
高所・低所を繰り返す事で、より順応が進みます。
 現在、エベレストはジェットストリームが吹き荒れていて、Camp4から上のルートを工作するチームがベースキャンプまで下山。11日以降で風が弱まり次第、工作を再開予定のようです。

この先13日までの、エべレスト6000m付近の天気予報
イメージ 6

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5月  6日 
栗城は昨日C2 (6400m)に上がり、今日も留まると言ってたが、
Spot見ると現地時間1時過ぎに、BCへ向かって撤退してます。
悪天候が来ると予想されてたのに(↑の天気予報)、判ってて往った確信犯。
まだ順応も出来ずに、13日過ぎまでBCでグダグダでしょう~ 

他隊情報
AG隊 BCに戻る

平岡隊 泉敬介氏のFB
タシゾン4300mで休養中。ロシア隊もウクライナ隊も同じロッジで休養中。ロシア人はさすが大酒飲み中。
村一番の高級ロッジ・・・あまりにボロくて汚いのでウクライナの女の子は泣いてます(笑)   ここは地の果てチベット。 泥埃の強風が村を吹き抜ける・・・
予想通り平岡隊は、BCから下の町に降りて、休養です。   
タシゾン村標高4,300m。
空気が濃くて爆睡・・・目が覚めたらお昼
Hガイドは洗濯機借りて一ヶ月ぶりの洗濯中。宿の家族も客もみんなまぜこぜ(笑)
トイレはネパールもロシアの田舎も同じ、二階の床の穴にすると一階で落ち葉と混ぜて堆肥になる。ただ風の強い日は穴から逆風が・・・(^_^;)
エベレスト9回登頂のDENDIシェルパが「最後まで隣について一緒に登ります」と励ましてくれます。よっしゃ行くぞ
たまにはこんな冒険休暇いかがですか?(笑)
9回も登頂したシェルパが、こう言ってくれるとは有り難い話しです。
画像の人が、DENDIシェルパです。こんな人を雇える平岡ガイドは凄い!!!!
イメージ 7

それにしても、泉氏の経歴に驚きです。
税理士は別として、元JCC(日本クライマーズ クラブ)の会員。
栗城のレベルとは、雲泥の差 昔に岩壁登攀やったバリバリです。

· 8時間前 ·
チベット・タシゾン村4,300mの休日。第四弾。
明日は休養を終え5,300mのBCに戻ります。
村の売店で買った一番安い酒とツマミで最後の夜を乾杯🍻同じ宿に下りてきたイモトで有名になった天国ジジイこと貫田さんや倉岡さん中島くんも元気です。ただ私みたいに飲んだくれてません(笑)
貫田宗男・倉岡裕之・中島健郎もチベット側に居たとは・・・
倉岡ガイドの客は9人とか・・・2人は倉岡ガイドの支援要員の様です。

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5月  7日 BCで停滞

各隊の状況
      栗城・AG隊共にDCで悪天候で、停滞中の様子。
      チベット側では、平岡隊が低所での休暇を終え、BCに戻る。
      国際隊の中山氏は9日まで低所で休暇中、10日にBCに戻る予定。

各隊が停滞中で話題も無いので、閑話です。

平岡隊のシェルパ頭にDa Dendi(ダ・ディンジ)と言う名のシェルパが居ます。
エベレストに9回登頂し、今回登頂したら10回目となります。     
彼等はなぜ命掛けで、登山者をサポートするのか??  一端が垣間見れます。
彼は他のツァー会社に所属してたが、最近、ツァー会社を立ち上げた様です。
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ヒマラヤ氷河〟と言う社名のロゴのようです。

高所登山に従事するシェルパは、
所属会社(常用ではなく派遣の様なもの)から日程・難度による賃金の他に、
登頂者からの特別ボーナスを貰えるシステムです。(これが万単位の手取りになる)

小生がヒマラヤに往った頃(約10年数前)の、国家公務員の月額給与は、
約4万円位と聞きました。
(カトマンズで日本料理店を経営してた、「ロイヤルガーデン華」の社長の話し。
確か八王子辺りの出身者です。現地で蕎麦を育てさせて其れを挽いて提供、
標高1200mで育った蕎麦ゆえ美味でした。調味料は空輸してるそう。
ネパール人対象では無く、日本からの登山者や観光客・駐在商社員・大使館員が主。
3000円も出せば、腹一杯日本食を喰い・歩行困難になるほど地酒が呑めました。
メニューの日本食は800~1000円で、一日の日当相当で普通の客は来ないとか・・・)

彼の自宅は、バルコニー付き億ションです。
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忍び返し(泥棒反し)に囲まれ、泥棒には難航不落(治安は良くないそう)
建物の左側は、階段スペースと思われます。
実力が有れば、若くしてこんな家に住めますが、生まれながら高所に強い、
シェルパ族やタマン族に限られます・・・誰でも出来る訳では有りません。
(昔 小生が帰国前夜に、シェルパ頭が晩飯に招待してくれた家と、造りが似てます。
その家は1Fを他人に貸し、エントランスから2Fに上がる階段に更に鉄格子が有り、
解錠しないと上に往けない仕組みでした。
塀・玄関・鉄格子と3重ロック、ドロや強盗の安全策とか・・・)

内部はこんな感じ・・・
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居間には、ヒンズーの神を祭り・銅製の大壷(画面左)・銀製の大皿を、
何個も飾ってます。彼等にとっては、富の象徴なのでしょう・・・

日本で国家公務員が若くして、こんな生活が出来ますか?
命懸けで得た収入で、こんな暮らしが出来ます。
また彼等は、6月から8月末までのモンスーンで仕事の無い時期は、
日本に出稼ぎに来て、北ア他の山小屋で稼いでる者もいます。
渡航費を払ってもペイするでしょう・・・
知り合いの北アの小屋主が、彼等はバイトの倍も働くと言ってました・・・

各隊の更新が無かったので雑談です・・・

おっと、21時に栗城がFBを更新しました。
2日前に高所順応で登り始めましたが、ジェットストリームが来て強風になったため、昨日に一旦ベースキャンプに下りました。
天候悪化は予報で出ていた・・・それを承知で出発 。最初から上に上がる気なし。
上部はかなりの強風ですが、風が収まり次第また上がります。
また、咳が止まらない。。口呼吸から鼻呼吸に変えろ、何回ヒマラヤに来てる!!!
高地は空気が乾燥してるので、行動してても汗を掻きません・・・
酸素が薄いので無意識に口呼吸になり喉が遣られます。
体調を整えて、また上がります!!

平岡隊 泉氏FB更新
エベレストBC5,200mに戻りました
気象情報を見ながら最良の最終アタック日を待ちます。BCから頂上まで6日かかりますので好天予報の6日前に出発します
BC→中継C→ABC→C1(ここから酸素使用)→C2→C3→頂。長い道程です・・・
気合を入れて・万全の体制で!!!

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5月  8日 BCで停滞 悪天候による
ブログ・HP共に更新無し
昨日 栗城が公開した画像です。
撮影場所はC2辺りで、背景はヌプッエ側壁と思われます。
一見誰も居ない様な撮り方をしてるが、現実は336人の登山客と、
それをサポートする同数のシェルパ達が通るトレール上(踏み跡)からのもの。
C2での画像なら、彼等を収容するテントが映り込んでないのが不思議・・・
如何にも〝単独〟を象徴してる画像に思えてしまいます・・・・笑止。  
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他隊情報
AG隊 ブログ更新
全文と画像を添付します。是非 目を通して下さい、これが〝冒険の共有〟。
6日に順応からBCに戻ったが、翌日にヘリを使いナムチェ・バザールに、
静養の為に降りたとか・・・BCへの戻りもヘリを使うのは、一寸心配ですが・・・
          
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4月17日 
 
今日は晴れ予報。              
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黒石から酸ヶ湯に抜ける山道の途中の、開拓部落からの北八甲田連峰。
                      田茂萢岳↓      赤倉岳↓ 井戸岳↓八甲田大岳↓ 
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凄い天気です・・・土日なら、山越えしてシャトルバスで帰りたいのですが、
平日なのでそれも叶わず・・・
開通したゴールドラインの睡蓮沼から登るつもりで、酸ヶ湯のゲートへ・・・
8時半に着いたがゲート開放は9時。


ゲート前の地獄沼。風向きにより強烈な硫黄臭が・・・
                       八甲田大岳↓            硫黄岳↓    
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9時にゲートが開き、睡蓮沼にスタート。
睡蓮沼の駐車スペースは、あっと言う間に満杯です。準備をし、9時半に出発。
睡蓮沼の台地を登ると、北八甲田の山々がドーンと見えます。

                     石倉岳↓    硫黄岳↓八甲田大岳↓ 小岳↓      高田大岳↓
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珍しく無風です。雪面は晴天の照り返しで、偏光グラスをしてても目がクラクラ・・
それに照り返しの暑さ・・・冬装備で来たので汗ダク、アウターの上を脱いで、
少しは楽に・・・

振り返っての南八甲田の山々                 
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硫黄岳の東面、手前の青森トド松には昨日凍り付いた霧氷が・・・
日差しに、バラバラ落ちてます・・・
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シールの効きはOKで、高度が稼げますが・・・汗ダグ・・・   
                       八甲田大岳↓         小岳↓    高田大岳↓
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硫黄岳の東斜面、一人直登してます・・・
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11時に、仙人岱避難小屋に着きました。
      八甲田大岳↓              小岳↓     
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小屋前の青森トド松も氷を纏ってます。
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仙人岱の避難小屋
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天気がいいので、小屋に入らず小屋前で一休み・・・さて、一服と・・・無い!!!
ポッケからザックの中を探しても・・・無し!!!
車に脱いだフリースに入れたまま・・・戦意喪失です・・・
少々早いが、飯を喰って腹ごしらえ。


ロッカー板が重く(片足ビン付き2キロ)大変だったが、この自作半シールで、
小屋下の急登を登れたのが何より嬉しい~~
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無いと為ると、無性に欲求が・・・即、車に戻る決断。

小屋から硫黄岳東斜面の中間を巻き、睡蓮沼に滑ります・・・
雪面には強烈な日差しで〝サン クラスト〟が出来てて、
ターン毎にサラサラ音を発して流れ降ります。

クラスト(英)の種類
日差しで出来た物=サン・クラスト。  風で固まった物=ウィンド・クラスト。
踏んでバリッと割れる物=ブレーカブル・クラスト。 フィルム・クラストは和製造語。
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振り返って・・・大分滑って来ました。
途中、兎がビックリして、飛び跳ねて往きます・・・
雪質は新雪と古雪のミックスですが、新雪も強烈な日差しで腐ってグズグズです。
板にもブレーキが掛からず快調。
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アッとの間で、睡蓮沼に到着。
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積雪量は、ほぼ平年通り。
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車に戻り、装備を解いて一休み。
時間も早いので、帰路 大川原温泉200円に寄る。
昼なので客は誰も居ない・・・水を出し放しにして温くして、気分爽快でした~
日焼けの顔はヒリヒリしましたが・・・


さて、明日からは雨模様、土日晴れてくれたらツァーコースに往けるのだが・・・

例年の如く、栗城の行動表を作りました。
日々の行動が、ひと目で確認出来ます。位置情報が有り次第更新します。


他隊情報

AG隊近藤ガイドのGPS軌跡とツィッター・ブログです。
現在地と状況が確認出来ます。栗城もこの程度の情報は出さないと・・・
AG隊・隊長・近藤ガイドのツィッターとブログ
https://twitter.com/kenken8848
AG隊・隊員 福永活也氏のツィッター(一番冒険の共有をしています。)

エベレスト北稜から登頂を目指す平岡隊隊長のFB。
約1000m毎に細かく順応をさせ、確実に顧客を頂に導く、素晴らしいガイドです。
食事もシェルと一緒に、普通は有り得ない姿です。だからシェルパも頑張るのか・・

平岡隊 泉敬介氏のFB

中山岳史氏のFB
福島から国際隊に参加。南東稜からの登頂を目指す。


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5月13日 記
各隊が愈々最終局面に入りました。
栗城と比較し、行動予定を書き込んでますが、
気象の変化に由り、日程にズレが生じてます。
都度変更事項を修正記載しますので、宜しくです。

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     栗城の行動                   他隊の行動

4月16日 東京のFM局にカメラ担当と出演、法螺を吹く。
4月17日 昼に出国 夜にカトマンズ着
4月18日 カトマンズに滞在中・音信なし       平岡隊 チベットBC(5200m)に到着
4月19日 音信なし                       平岡隊 5700mで順応
4月20日 カトマンズ→ルクラ(2800m)に飛ぶ
4月21日 ルクラ→ナムチェバザール(3440m)
4月22日 ナムチェ→タンボチェ(3860m)                  AG隊 ロブチェ峰に登頂し順応
4月23日 タンボチェ→ぺリチェ(4270m)            AG隊 エベレストBCに到着
                                   平岡隊 6000mで順応
4月24日 休養日 栗城発熱
4月25日 停滞日 栗城発熱                          AG隊 プジャ
4月26日 停滞日 栗城発熱              平岡隊 ノース・コル(7000m)へ順応に出発
4月27日 BC(5300m)へ到着
4月28日 停滞日                           AG隊 5600mで順応
4月29日 停滞日 プジャ
4月30日 停滞日 中継班ぺリチェに下山(順応出来すに)
                                       AG隊 C3へ5泊6日の順応延期(天候・体調が理由)
5月  1日 停滞日               中山岳史 4泊5日の最終順応を終えBCに戻る 
5月  2日 停滞日 隊員1名脱落発表                  AG隊 C1に上がる
5月  3日 停滞日 栗城発熱      平岡隊 順応を終えてBC着    AG隊 C1で滞在順応
            中山岳史休暇で4千m以下に降りる 平岡隊静養の為に町に降りる
5月  4日 停滞日 栗城発熱                                      AG隊 C2に到着 
5月  5日   BCから、C1へ泊まらず、C2へ上がる                              AG隊6800mで順応
       
                                               
5月  6日 C2から、BCに戻る(7千mでの順応は中止)       AG隊 順応を終えBCへ戻る
5月  7日 停滞日           平岡隊 BCに上がる AG隊 ヘリでナムチェに降りる
5月  8日 停滞日 7.8.9.10日の行動不明、AC隊とヘリで降りた可能性有り。
5月  9日 停滞日 ルクラの医者にも往ってるし。                   
5月10日 停滞日                    中山岳史 BCに戻る  平岡隊 BCよりアタックに出発
                                                                                                     AG隊 ヘリでBCに戻る
5月11日   停滞日                                              倉岡隊 BCよりアタックに出発
5月12日 BCからC2(6400m)に上がる
5月13日 停滞日 C2で           
5月14日 深夜に、7000mへ出発しBCに戻る          中山岳史 BCよりアタックに出発
5月15日   停滞日    AG隊 BCよりアタックに出発         平岡隊員 8000mで敗退
5月16日 停滞日                                                           平岡隊長 登頂
5月17日 停滞日                             倉岡隊 登頂
5月18日 BC→C2                                             中山岳史 登頂
5月19日 停滞日(疲れ果てて、C2で動けず)
5月20日 C2→南西壁下部7300m辺りで幕営後、夜間下山すると無線 
5月21日 シェルパが滑落死体を発見・収容
5月26日 帰国 後に東京で火葬
5月30日 郷里の北海道で葬儀

この3月にアンナプルナ山域のチュル山群で、高所順応をした以降、
                 
長い沈黙を守ってましたが、遂に8回目のエベレスト計画を発表しました。

何時もの事ですが、登山期間・行動表・隊の構成・登頂ルート等の詳細は不明で、
登山計画等とは呼べない代物ですが・・・・これが栗城らしさかも???

では、その内容を見てみましょう~


以下の黒字は、栗城公式ブログより原文。青字は私見です。

否定という壁への挑戦

2018/4/13 19:38
4月17日から、エベレスト(8848m)、ローツェ(8516m)に向かいます。
エベレストとローッエの2座を、同時に狙うとは・・・驚きです・・・
ヒマラヤの高所順応訓練を終えて帰国後、新入社員向け研修会や企業研修のお仕事を終えて、今日はエベレスト生中継のテストも都内で行いました。
いままでも出発前に、生中継テストをしてますが、生中継の実績は無し・・・
何で富士山とかから電波を飛ばしてテストしないのかが不思議、失敗の連続です。
今まで結構苦しいこともありましたが、4月17日からエベレストに向かいます。
ネパール側エベレストののソロの許可がおりなくなったというニュースが出ていましたが、全く問題なく無事に許可もおりました。
単独の許可が降りないニュースとは、この事です。 
問題無く許可が降りたそうですが・・・
同行の撮影隊が、BCより上に上がると言う事で、
人数分の登山料を支払いしたから、許可が降りたのでしょう。
栗城は登るのは一人だから、ソロで許可を貰ったと勘違い、その程度の頭。
これで、栗城は単独では無いと言う事が、証明されましたね~
今までエベレストは気象条件が厳しく、ほとんど登山隊が入らない秋に6回挑戦していました。雪が深く荒れ狂う龍のような強烈な風は、今まで感じたことのない寒さと孤独を与えてくれました。でも、人を寄せ付けないあの姿は美しく、今でも憧れがあります。しかし秋はあまりにも雪の量と風が強く天候に大幅に左右されることから、最も天候が安定する春に変更しました。
問題は春は公募隊などの登山隊が多く、ノーマルルートの山頂直下では3時間待ちになっています。
確かにノーマルルートの南東稜ヒラリーステップの難所では、
登行者・下山者の渋滞は有るが、過去栗城は其処まで登れてません・・
そこで、人が入らない「ありのままのエベレスト」が感じられるルートに向かいます。
それは、去年も敗退した西稜に抜けるルートだと予想されます。
ルート工作済みの氷瀑帯を通過した時点で〝単独〟は、消滅します。
自分の中で密かに考えていた計画ですが、
ルートの状況を目で確かめてから決めますのでアタック直前にルートを発表します。
通常ネパール側からのルートは、南東稜か難関西稜を経由するルートのみ。
直前に発表とは、思わせぶりですねぇ・・・どっちに転んでも良い様にか?
今年は無酸素で確実に登るために、同じ山域であるローツェ(8516m)を無酸素で登り、
ベースキャンプまで下りて体調を整えてからエベレストに向かいます。
ローッエに登ってから、一旦BCに降り、エベレストを目指すとは・・・
キリアン並みの体力と登攀能力が有ると、本当に思ってるのが笑えます。
**********ダラダラ言い訳をしてるので、超小文字にしました。読まなくて結構。
エベレストを無酸素で登るために、そもそも無酸素で登れる身体ができているか。
どんなに山での体力があっても、低酸素に適応できなければ登ることができません。
破裂するかのように心臓が動き、身体の力が全く入らない、自分が起きているのか夢の中なのかわからなくなるぐらい身体的感覚が奪われていく世界。
激しい頭痛や吐き気があるならまだマシ。
その世界を生きてやり抜くために。
酸素が取り込み難くしたマスクをつけた基礎トレーニングを行い、高所登山医学でもまだ知られていないようなあらゆる仮説をテストしながら体質も変えて、また無駄に酸素を消費しない身体の使い方をトレーナーと作り上げて低酸素の世界に向けて一つ一つ積み上げてきました。
昨年は体調不良で下山しましたが、西稜7,000mの所で体内酸素飽和度が「80」と高い数字も出て(一般的に7,000mでは50~60%)、最近まで6,000mの山で最終的なテストをしてきました。
***********
高所順応でローツェを登り、完璧な状態でエベレストに向かいます。
高所順応でローッエに登る?? 話を盛り過ぎです・・・
過去のローッエ登頂者が聞いたら、何と思うでしょうか・・馬鹿過ぎます。 
氷のスラブのローッエフェィスから、急峻なローッエ・クーロワールを、
栗城が単独で登れるとは考えられません・・・(FIXベタ張りでも無理です)
しかし、栗城の冒険の最終ゴールは消して目で形として見えるものではありません。
否定という壁を無くしたい。
そのためのエベレスト生中継・冒険の共有について、また次回皆さんにお伝えします
次回には、生中継の話しが有るようで楽しみです
いつも応援、本当にありがとうございます。
※写真は、Chulu Far East(6,059m)にて。
山名が前に指摘してた、チュル・ファー・イーストに治った様ですね。
180413.jpeg
昨夕に、栗城公式ブログで上記「否定という壁への挑戦」をUPしましたが、
今朝見ると、何と削除されてます・・・何故???
何か不都合でも有ったのでしょうか!!!!!!!!!
◆AG隊は既にルクラから、エベレストBCを目指してキャラバンを開始。
 栗城は何モタモタしてるのでしょうか?
********************
追記 4月16日 23:18 会員用FBを更新 
いよいよ明日から始まります。全てをぶつけてきます。
 今、準備でバタバタなので詳しくは明日にお伝えさせて下さい。
エベレスト8848mとローツェ8516mに向かいます。 無酸素・単独で。
そして、見えない山登る人達と冒険を共有します。
自らの投稿を削除した栗城が、この時間に登録会員制のFBだけに意思表示。
明日出国なのに、準備が忙しいと言う・・・・昨日今日決った話では無し。
しかも、2座を〝無酸素・単独〟と言ってるが、山岳界の定義に反してる。
何回も言ってるが、BCからSPCC(サガルマタ環境汚染管理委員会)がルート工作済みの、
クンブー氷瀑帯を通過した時点で、〝単独〟は成立しません。

4月10日
一日晴れるとの予報で、八甲田に向かいました。

3月21日から孫に貰ったインフルB型に罹患し、死ぬ思いでしたが自力更生。
ここ4.5日は食欲も出てきたので、3月17日以来の山スキーです。
体力面での不安も有ったが、駄目なら途中から降りれば良いや・・と。

黒石インターで降りると、津軽富士(岩木山)が、ドーンと見えます~
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今日の板は、先日模様替えしたこの板 Liberty Envy 167 ロッカー 板・模様替え
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八甲田ロープ下駅で準備し、9時40分のロープに乗り込む、101人乗りに8人のみ。
シーズン最盛期は3台待ちとかが普通ですが、豪華過ぎ・・・
10時に上駅から赤倉岳目指してスタートです。


            赤倉岳↓井戸岳↓     ↓八甲田大岳     
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赤倉岳の基部に小集団が、コースを見ると八甲田温泉に降りるツァー客の様です。
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樹氷が落ちた青森トド松越しに、赤倉岳の山頂が見えます。
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赤倉岳の夏道が白く見えます。トド松の中を、良さそうな処を選んで登ります。
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途中、珍しい〝兎の小便氷柱〟を発見しました\(◎o◎)/!。
新雪の上に小便をした後に、風で新雪が吹き飛ばされて、茶色の氷柱が残ってます。
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赤倉岳への最後の登り、ハイ松のシュカブラ帯の良さそうな処を選んで・・・
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赤倉岳に到着、西風が吹いてるが寒さは気にならず・・・春山です。
            赤倉岳爆裂壁↓                  
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赤倉岳で男女の登山者に会う、風が強いと言ってたが此処では普通の風だ。
この風が無いと樹氷は出来ない・・・
井戸岳まで行くと言ったので、夏道よりハイ松帯を突っ切った方が早いと助言。
下の画像で二人がハイ松帯を横断してます・・・
シューがブッシュに引っ掛かり大変そう・・・(すきーなら楽だが、シューは駄目か?)

赤倉岳からのパノラマ                             
                            井戸岳↓    ↓八甲田大岳 

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井戸岳越しに見える、八甲田大岳 ドーンと聳えてます。
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井戸岳に着きました・・・噴火口の縁に夏道が現われてます。
ここは、風が強く当たり毎年雪が付かない処。       
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八甲田大岳避難小屋から登って来た団体に聞くと、雪面がバリバリとの事。
いつもは夏道の左下を巻いて、避難小屋に向って滑るのだが、
いい雪の処まで降りてしまうと、避難小屋へは登り返しになる・・・
時間が掛かり過ぎるかも・・・

ここでスキーを背負い、夏道通しに八甲田大岳の避難小屋へ向かう決断・・・
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               ↓雛岳      ↓高田大岳     ↓小岳
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夏道をテクテク歩きます。
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12時30分避難小屋に到着、降りて来た井戸岳の双耳峰。左が南峰、右が北峰
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避難小屋は誰も居ず、昼飯を喰う・・・
病み上がりのわりには、ここまで順調に来た・・・
避難小屋から見る八甲田大岳の北斜面に、ボーダーが二人登ってる。
30分程で登れるのだが、酸ヶ湯から2時半頃のバスが有り、
それで車まで戻るつもりでいました。由って八甲田大岳山頂はパスです・・・
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難小屋から大岳の裾を巻いて、酸ヶ湯に降りるルートを選択。
               ↓赤倉岳      井戸岳↓       
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八甲田大岳が遠くなります。
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下に滑って来ると・・・新雪吹き溜まりと古雪のミックスです。
気持ち良く滑ってると、突然ブレーキが掛かり、前にのめり込み転倒しそう・・・
今頃の季節特有のミックス雪、もう少しで全体がザラメ雪になるのですが・・・

この稜線を通って来ました。
             ↓赤倉岳  ↓井戸岳    八甲田大岳          
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南側には、南八甲田の山々が見渡せます。 
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酸ヶ湯温泉が見える、湯坂の上に出ました。
                          ↓硫黄岳
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酸ヶ湯に着いたのが2時・・・2時のバスは有りませんでした・・・記憶違い???
次が3時25分との事・・・時間が余る・・・判ってたら大岳に登って来れたのに・・
天気も良く・寒くないので、駐車場の隅でアスファルトに座り込み、
残ったテルモス珈琲とサンドで2度目の昼飯。
定刻発の路線バスは、ロープ駅まで貸切・・・

◆模様替えしたロッカー板の具合は良かったが・・・
 赤倉岳から井戸岳の間のハイ松帯を突っ切ったので、枝が当り多少塗装面に傷が、
 これは織り込み済みで、晴れたらタッチアップをしなければ・・・
 シラーを吹いてから塗装すれば、剥離を防げるのだが・・そこそこ高価だ・・
 二度吹きすれば可也OKになる。

◆例の半シールの効きは充分で有った、接ぎ目の補強は必要かも・・・

◆心配した風邪による体力劣化は、この程度の山行では感じられず、
 次回の晴れ間に期待。





ロッカー板の、模様替えをしました。

もっと早くに仕上げたかったのですが、風邪を引いたため遅くなりました。
それがこの板です。デザインが派手でクラクラしそう、女物ゆえ仕方無しか・・・
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ENVYのロゴを、マスキングテープで養生。
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文字に沿ってカッターで切り込みを入れ、カット。TLTビンディングを外す。
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トップシートの汚れを、ベンジンで拭いて・・・結構汚れてます。
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エッジと滑走面をマスキングテープで養生。
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車庫で、水性シリコンスプレー塗装。
外は雨で湿度も高く・気温も低く、乾燥が遅れるので小1時間置いてから、
ストーブの有る居間に移動し、乾燥させました・・・
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時間ほどで乾燥、マスキングテープを剥がしました。
予想通りの仕上がりです・・・
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TLTビンディングを取り付け、外でタッチアップの部分塗装をして・・・
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完成です。派手さが押さえられ、スッキリしたシルエットに・・・・
遊び用の板としては、最適かと!!!!
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4月に入り、GWまでの土日とGW期間中は、シャトルバスが運行されます。
今年は雪が少なくGW前半辺りまでが、バス停まで滑り込める限度でしょうが・・・
歩きも覚悟なら期間中は滑れそう~ 

4月21日からは、JR路線バス(十和田湖→青森市)が運行されるので、
谷地温泉・睡蓮沼方向へ滑り込んでも、バスで車まで戻れます。
JRバス 谷地温泉停車は、11時30分 14時25分 16時10分
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3月21日から、風邪を拗らせて臥せってました・・・

事の経緯は、孫が春休みに入ると同時に、インフルB型に罹患。
弟が保育園で罹って、治る頃に兄にうつり・・・
それを春休み中だからと、我が家で預かったのが原因。

見事に罹りました・・・・
年齢的にも抵抗力が無くなったのか・・・’16年12月以来の風邪でした・・・
関節が痛むは・鼻水が流れるは・肺が痛いは・・・で、食欲も無く悲惨、
医者嫌いなので、市販薬を飲みながら何とか生き延びました・・・

少し元気に為ったので・・・この間の出来事を・・・


何と昨日(4月4日)は、寒気の影響で昼から雪が降りました・・・
桜の開花のニュースが毎日流れる中で、庭の水仙が5cmほど伸びただけ・・・
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栃木の那須・茶臼岳での高校生雪崩遭難事故から3月27日で一年が経過しました。
一周忌の追悼式が現地で有った様ですが、8遺族中7遺族が欠席したとか・・・
遺族側には式の知らせも直前で、未だに正式な謝罪も無いとの事です。

県教委は、どうなってるのでしょうか???
関連記事が毎日新聞に出てましたので、抜粋・・・


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県教委は3月19日付けで、引率教諭3名を停職3~5ヶ月の懲戒処分とした。
理由は、雪崩の予見可能性が認められ、安全配慮義務を怠ったと判断。

懲戒処分を受けた者は、
講習会を運営した県高体連登山専門部の当時委員長 猪瀬修一 停職5ヶ月。
生徒を引率した 菅又久雄 停職3ヵ月。
講習内容変更の判断に関わった 渡辺浩典 停職3ヵ月。
この他に引率教諭ら8名を訓告・厳重注意処分とした。
宇田貞夫教育長は、給与の1/10を半年間自主返納。

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件後一年も経ってから、この程度の処分ですか????

3月末は、教員の定期異動の時期、これに合わせた処分でしょうか????
彼等は教育現場から離れ、県教委の内局に異動し、貝の如く口を閉ざし
ホトボリが冷めるのを待つのでしょうか・・・・

遺族が追悼式に参加しない気持ちが判りますね~~



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3月22日に、奥多摩・三頭山で中国人13名の遭難事故が有りました。
SNSで募集し現地で落ち合うという、考えられない登山スタイル。
実に迷惑な話です・・・他国に来てまで恥を晒す連中、困った者達です。


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3月25日には、八ヶ岳・阿弥陀岳南稜で7名が遭難、3名死亡と言う事故が・・・
報道に由ると、其々ベテランだったとか???
ベテランの度合いが判りませんが・・・ザイルで結ばれてたとか・・・
1本のザイルか? 2本かは判りませんが、上が落ちて・下を巻き込んだ訳です。
阿弥陀岳南稜は、比較的入山が楽で、其れなりの高度感が得られる岩稜ルートです。

コンティニュアス(連続登攀)で登ってたとすれば、
ランニングビレー(支点)を確実に取れてれば防げた事故です。

コンティニュアスで登れるレベルで無かったのなら、
時間は掛かるがスタカット(隔時登攀)で登れば、安全に通過出来たはす・・・
何れの方式でも、支点を正しく造れる事・ザイル操作に長けてる事が大事です。

ザイルで結べば安全と言う訳では有りませんね・・・
冷たい言い方だが、逆に言うと、もしザイルを結んで無かったら、
落ちた一人の犠牲だけで済んだ事故かも知れません・・・
ザイルを組むと言う事は、互いの技量を認め合って、初めて出来る事なのです。


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体調不良で延び延びに為ってた、ロッカー板の模様替えに着手しました・・・
ENVYのロゴにマスキングテープを貼り、カッターで切り込んでロゴを養生。
TLTビンを外しエッジを養生したら塗装に入れます・・・
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途中経過に付いては、後日にでも・・・・
4月1日から八甲田は、睡蓮沼ルート以外の全ツァールートが開放されました。
体調が戻ったら、この板で是非に・・・と。


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