海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2018年05月

5月18日 BC→C2 

今日から栗城が登頂行動に入ります。
ブログでは、18日にBC→21日登頂と言ってます。
しかし、日別キャンプ予定地・どの山に登るのかは発表してません。
5月末の期限まで限りが有るので、勝手にエベレストと解釈し、日程を入れます。
日程は、18日 BC→C2
    19日 C2→C3
    20日 C3→C4
    21日 C4→登頂
の様ですが、これまで高所での連日行動が出来た例が無いのに、
この日程通り登れるか? 見ものです。
ローッエ登頂話し同様・絵空事に思えますが・・
我慢してウォッチしましょう~


最新の山頂付近の天気予報です。
栗城が登頂日にした21日は、風がピークの日。
(仮に、C4に停滞しての様子見は、有酸素以外不可能です。発狂します・・・)
翌日から風は治まって来るが、降雪量が増して吹雪が予想されます。

体感温度も連日-30℃超です。 答えは出ましたねぇ・・・

イメージ 1

※ 日本時間9:56 (現地時間6:56)、栗城がBCを出発しました。
  今、20時40分(現地時間は-3:15)ですが、やっとC2へ辿り着いた様です。


他隊情報
AG隊 C3を出発し、まもなくC4到着です。7800mを日本時間 20:22通過。
     サウス・コル C4まで残り100m。
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平岡隊 泉氏

エベレスト・ベースキャンプに戻りました
残念ながら最終キャンプ手前8,000m超で体調変化を感じて自己責任で下山の判断しました。
今回はガイドの責任、シェルパの責任、組織のあり方、高所登山の意味・・・
色々考えさせられる二ヶ月の超豪華(時間の使い方が)な休暇でした
隣のチームにはウオルマートの社長もいましたよ、日本の経営者の皆さん(笑)
素晴らしい経験、素晴らしい環境、素晴らしい景色・・・
素晴らしいジイジの冒険休暇
ありがとうございました全てに感謝(笑)


多忙な中での、いい休暇でしたね。 少し残念ですが、次に!!!!

今日 栗城が突然 会員限定Youtubeで〝南西壁〟を登ると発表。

義憤に駆られていま
自称 登山家〟の栗城が、とんでも無い発表。聞いて見て下さい。↓
https://www.youtube.com/watch?v=80Zyx1WCU18&feature=youtu.be
エベレストで何も実績の無い(過去7回敗退)のに、今回は南西壁を登ると・・・

金集めに困り、苦肉の策としても、エベレストを馬鹿にした行動です。

エベレストでは、過去に300名近い死者が出ています。
彼等は少なくとも栗城よりは、努力し・鍛錬を踏み、登頂を目指したはずです。

北稜からも・南東稜からも・西稜からも・北壁からも、登れ無い栗城が、
最難関の南西壁を登ると法螺を吹く・・

過去に南西壁からの登頂者は15人、内 日本人は群馬岳連隊の6人のみ。
八ッ岳でガイドに連れられて、登るレベルの栗城に歯が立つルートで無し・・・

過去、エベレストに逝った先人を、愚弄する行為です。


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5月19日 C2で停滞
一晩過ぎたので、少しは心落ち着きましたが・・・
今日から、栗城ウォッチの仕方が、変わるかも知れません・・・
昨日C2に入った栗城が、得意の停滞をしなければ、
今日は〝南西壁〟の取り付き点(6600~700m)へ移動のはず。
通常のC3へのルートの、北寄り(壁寄り)に入るはずです。  

現地時間 8:40 栗城の動き無し、予想通り疲れ果てて得意の停滞か???
AG隊の客より駄目な、〝自称 登山家〟 こうまで言われて悔しくないか????
端から南西壁など登る気が無く、恒例の悪天待ちか!!!!  
     
結局Spotは動かす・・・停滞間違いなし。
栗城、4日間の予定には、停滞日が入って無いぞ!!! お前には無理なルートだよ。
ウロウロしてると、AC隊が降りて来るぞ・・・
恥かく前にBCに戻って、彼等が撤収するまで貝に為ってろ。 


栗城FB更新 20:41   今頃に為って更新です。
みなさん、ナマステ。今、C2にいます。朝に情報発信しろ。
今日はここで一日レストして、明日から上がっていこうと思っています。
体調は、若干咳がでるくらいで(遠征)前半にあった咳や熱はほぼなくなっています。
今、チャンスがあると思っています。天候のチャンスは通り過ぎたぞ!!!!
おそらく明後日くらいから、プモリ中継キャンプから栗城の登っている姿が見えてくると思います。
悪天候で見えないだろうが!!!  気象データは誰もが今は見れるど!!!
とにかく集中して、頑張って慎重に、慎重にいきたいと思います。
FBでは、何処を登るかを、未だに発表していない・・・・
 
            
他隊情報
AG隊 昨夜、サウス・コル(C4)に到着。
     今日は休憩停滞して、明日20日にアタックの予定、天候が気懸かりです。

飯田橋留守番隊です
日本時間11:33 けんけん隊長の衛星電話が鳴りました!C4からですのでほぼ標高8,000mの世界からです。とても元気な声でした!かすれてもいません。
どうもバッテリーがなくなり連絡できなかったそうです
(昨日の昼に電話があったのですが音声が聞こえず、とりあえずC4に向かったとは思っておりましたが)。
昨夜は現地時間21時にC4到着。天気は終日恵まれ、
夜間でも落ち着いて歩けたとのこと。
一昨日のC3までも日中暑い中歩き、午後からやっと涼しくなったようです。
この2日間は天候に恵まれています。
今日はC4にて最終レストと山頂アタックに向けての準備。
ソーラーでしっかり充電するよ!と。山頂に向けての出発時間はこれから決めます。それもまた後で連絡もらいます。
いよいよ明日20日は山頂!猪熊さんの天気予報では、
山頂は「晴れ」、今回は強風問題もなさそうです。
山の神様にもなんとか味方してもらい、全員での登頂&下山を祈っております!


平岡竜石FBより
ダルバートな世界に戻ってきました。ムワッとした空気が、心地よいです。
泉さん北東稜に出れずに、残念・・
やはり商業登山ての再アタックは望めないのか・・・


中山岳史 国際隊FBより
無事、エベレスト登頂し無事下山しました!たった今ベースキャンプに戻りましたので取り急ぎのご報告です。
ローツェもマカルーもチヨオユーもシシャパンマも全部下に見える景色は圧巻でした

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5月20日




中山さん 登頂おめでとう~ 国際隊の外人に混じって頑張りましたね!!!!


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5月20日
今日も動く気配は、今の処なし・・・AGを見習え、皆頑張ってるぞ!!!
日本時間9時前から、ノーマル・ルートを外れ、南西壁側に歩き出す。
ヒドンに嵌るなよ~何処まで進めるか? 

おぃおぃ、1時間でノーマルに合流かよ!!雪の中は歩けないか? ヒドンが怖いか、
トレール通り歩く方が楽だものなぁ~
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赤線ルートが4からノーマルに戻ったのは、画像では判り難いが、
4から進むとクレバス帯が有り、迂回したものと思われる。
赤点線は、これからのルート。13:00現在7000m手前を進行中。

栗城の考えてるこの先のルートは、
イギリス隊が初登攀に成功した、下記(・・・・)と思われる。
第二雪田からイエローバンドの岩壁を避け、西稜上に逃れるルート。
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第一雪田までは、雪の上なので登り易いと思うが、その上は岩と氷のミックス壁。
アイゼンでの岩登り経験が無い栗城は、どうするのか・・・
第一雪田までは、落石・雪崩の集中する大ルンゼ、午後の行動は危険過ぎる・・・
こんな処は得意の夜間行動だよ、栗城。日中は岩陰で待機だ・・・

日本時間15:00 現地12.00 栗城7300m手前から下山開始。
何やってる、怖気着いたか!  

何Spot操作してる、降りたと思ったら、
又17: 42 7300m辺りだ、今日はそこで寝るのか?
 無酸素でその標高では、体力消耗するぞ。明日は確実に登れ無い、降りろ!!!

Spotの動きが可笑しい・・・ON・OFFの為か、
一度往き詰まって登り直した様にも見えるが・・・


栗城 深夜に更新
みなさん、ナマステ。今、7400mのところに来ています。
今は、このエベレストを苦しみも困難も感じ、感謝しながら、登ってます(以下割愛)

あらら・・100mほど大盛りにしましたねぇ・・・
いまだ何処を登ってるのか言及なし。
恥ずかしくて〝単独・無酸素〟〝南西壁〟とは、言えないのか・・・
無酸素でその標高での夜は辛いだろう~ 障害出て無いか???


他隊情報
AG隊
日本時間  2:51  C4を出発、4:38  8063m通過。
飯田橋留守番隊です!
泡爺とサオリは現地時間22時、その他のメンバーは23時に山頂に向けてC4を出発しました!しっかりレスト出来たようですので、あとは連絡を待つのみです!
日本時間8:00 8400m付近。  10:40 8675m 南峰直前。13:06 山頂直下。

飯田橋留守番隊です。
日本時間13時30分、現地時間10時15分、エベレスト山頂に立つけんけん隊長から衛星電話が入りました!(今回はインリーチを気にしながら、そろそろか?と今までとは違ったドキドキ感があったのではないでしょうか?)
ひろ君、けんけん、かっつんの順に登頂!そしてフォローはキタプシンとバラザンブの二人! 登頂おめでとうございます! 
天気は良いけど、とにかく風が強く素手でいるのが相当しんどいと!
タムタムとさおりが頑張って登山中ですが、結構離れてしまったので、山頂で待つことはできないそうです。けんけん隊長たちは今からC4に向かいます。
泡爺は残念ながらアタック開始30分ほどで体調を考慮して断念。これはご自身をご存じだからこその勇気ある決断だったと思います。
インリーチでC4に降りるまで引き続き、見守ってください!タムタム、さおりも頑張れ!また状況が分かり次第ご報告いたします!C4に降りてからですね。
まだローツェもありますし、ベースキャンプに無事戻るまでは安心できません。引き続き、応援よろしくお願い致します!

1名途中断念の様だが、登頂おめでとう~  次のローッエも頑張って!!!


日本時間 18:23 サウス・コルC4に到着、無事で何よりでした。


余談
①2日間の雨が止み今朝は快晴、車で1分ほどの土手へ〝蕨〟採りに・・・
 雨後の柔らかな奴を喰う分だけ採取、5分程での収穫。
 沸騰した湯に灰汁抜きのミョウバンをいれ、火を止めて夕方まで放置したら喰い頃。
 酢・味噌・砂糖でのタレを付けて喰ったら、晩酌の肴に絶品 春の恵み。
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元職場の釣り仲間から、春黒鯛釣りのお誘い・・・6人で24.25の二日間の釣行、
 宿も手配済みとか、又ワイワイ酒が呑めるぞ!!! 天気が良いので外で釣具の点検終了。


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5月21日 

今日動けるか見もの・・・

栗城FB更新栗城中継班より日本時間 10:00 頃
栗城は体調が悪く、7400m地点から下山することになりました。
今後の行動は未定で、栗城が無事に下山して状況がわかり次第、お知らせいたします。

予想通りの展開です。

山頂の明日からの天気予報てす。(ローッエも共通)
画像サイズを落としたら、見難くて済みません。
25日から29火は風がやや強く、その為体感温度は-35℃近い日々が続きます。
これで春のシーズンは終わりました。
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訃報  お知らせ

栗城事務所の小林と申します。
このようなお知らせになり大変申し訳ございませんが、
エベレストで下山途中の栗城が遺体となり発見されました。
下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、
暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことから
キャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、
先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました。
生きて帰ることを誓っておりましたのに、
このような結果になり大変申し訳ございません。
生きて帰るため執着しないと誓っておりましたのに、
最後に執着してしまったのかもしれません。
皆様へのご報告が遅くなりなりましたこと、
心よりお詫び申し上げます。
何m地点で発見されたかなど
これ以上の詳細が日本でわからず大変恐縮ですが、
またわかり次第お知らせ申し上げます。
これまで栗城を応援していただき、本当にありがとうございました。
栗城事務所  小林幸子



他隊情報
平岡隊 泉氏FB(昨日更新)
チベットから国境を越えて丸一日とんでもない悪路を走り・・・カトマンズに辿り着きました(笑)
一ヶ月半ぶりに遠慮なく温かいシャワーに入って髭を剃り、ステーキ(ヤクでも水牛でもなくビーフ)を食べました。役所広司の侍にそっくりと言われていたのに・・・残念(笑)
高度順応も順調で7,000mを超えて頭痛もなく、体調も良くノースコルから頂上稜線への急な雪稜が天国への階段のように見えて胸が熱くなりましたが・・・8,000mの上で急な体調変化で後ろ髪を引かれながら下山を決めました。どんな体調変化かはお会いした方に個別でご報告します(笑)
今は下山して良かったな~と思います

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カトマンズの休日・・ホテル近くのボダナート(ネパール最大の仏塔)で過ごしました。
高所順応と言っても人の定住最高高度が5,000m程度らしく、それ以上の標高での長期滞在は肉体的な負担が大き過ぎるようです。
5,300mのBCや6,400mもあるABCで長く過ごした結果は明白で、私の身体は筋肉がなくなり確実にワンサイズ縮小し萎みました(^_^;)
ふらふらボダナートを歩く姿はまさに餓死寸前の役所広司サムライ・・・日本なら麻薬で職質受けるとことです(笑)
ただ我が家では、日々成長を続ける孫に話題が集中し、萎んでいくジイジには「さっさと帰ってこい」という冷たい視線が集中しています(爆)

8千mは過酷な世界ですね・・・高所に強いシェルパ族・タマン族でさえ、
暮らせるのは4千~4.5千mと言いますから。子造りは3千に降りないと駄目と聞いた・・・
小生もひと月の登山で8キロ痩せて、ホテルの量りで58キロ。歩いても力が入らすを体験。

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21日 更新
私は一足先に一昨日の夜カトマンズに着きましたが・・・上部キャンプに残っていた装備やテントはシェルパが背負って回収し、それをABCからヤクに積んでBCまで運び、さらにトラックに積んで二日間かかって国境を越えて・・・昨夜やっとカトマンズに戻って来ました。
今日は帰国のための荷造りです。
ネパール側では栗城君が亡くなり、チベット側でも死者が出て、ポーランド隊では両手の指全部が凍傷になった隊員が出て、インド隊は高山病になって狂った隊員を救助するために全員が登山中止となり、大手隊でも酸素マスクの故障で全員登山中止となり、登山許可を共有したオーストラリア人は酸素が不足して歩けなくなったシェルパをC2に残して一人でC1に辿り着き朝目が覚めたときに生きてることに驚いたって・・・ここにいる全員が死線を意識したと思います。
やっぱり8,000mには魔物が住んでいるんですね
人の生存できないデスゾーンは、人と人の関係性と酸素という要素の徹底的な管理と究極の自己責任によって初めて冒険が成し遂げられる世界なのでしょうね。
色々な経験をして、筋肉5キロ消耗して、でも私は生きています。感謝

泉さん、お疲れさまでした。いい体験しましたね。

AG隊
ローッエに向けて、行動開始した模様。

飯田橋留守番隊です。(昨夜の更新)
お待たせしました!先ほど日本時間23時25分にけんけん隊長より電話がありました。
タムタム、サオリもエベレスト登頂しました!! おめでとうございます! あの後、思いのほか早くさおりの頭が見えてきたので、山頂で待っていたそうです。けんけん隊長は山頂に1時間いたらしいです・・・。タムタムのことは残念ながら待てなかったけど、無事登頂。電話でタムタムの声も聞けました。
いやー、また疲れて寝てしまったのかと気を揉んでおりましたがこれで一安心。もちろん泡爺も元気ですよ。
明日はローツェですが、ひろくんとかっつんだけが挑戦することにしました。ほかのメンバーはけんけん隊長とC2まで下ります。
なんと今夜、1時起床、2時C4出発でローツェ山頂を目指します。なんとタフな!!おそらくプラチリが一緒に上がるだろうとのことです。こちらも応援お願いいたします。

動いてるはずが、GPSを見ると朝以降の進展なし、天候が良くないのか?
エベレストの疲れが出たのか・・・・心配なところ・・・


AG隊 日本時間 13:56 サウス・コルのC4より下山開始。
と、書きましたが・・・
この時に下山開始したのは本隊でした。

飯田橋留守番隊です。
日本時間23時38分、けんけん隊長から衛星電話が入りました。ローツェ登山チームは、ひろ君が登頂しました!!そしてかっつんは8350mあたりまで。それにしても素晴らしいですね!ひろ君、登頂おめでとうございます。かっつんもすごい!お疲れさまでした。今は全員とても元気で笑顔でC2に揃いました。今日は、夕焼けがきれいだったそうですよ。いよいよ明日は慎重にアイスフォールを通過してエベレストBCに戻ります。画像も増やせるかもしれませんね。(抜粋)

客2名がシェルパと共に、ローッエに向かい、1名登頂を果たしたようです。


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5月22日

他隊情報
同時期にエベレストBC村に居た某氏より

16日にC2で栗城さんと話をしていたのでちょっとだけ。
色々言われてるけど、死ぬ程の挑戦をした人を僕は馬鹿にできないし、記事にはないけどC4(7900m)で無酸素で順応してきたと言ってた。これだけでも身体的にも精神的にも超超超スーパーしんどくて、普通はとてもじゃないけど数日後にまた登ろうなんていう気持ちにはなれない。
死亡については結果論的なとこもあって、僕の隊でもシェルパ含めて20人中、2人が凍傷、2人が肺水腫、1人がアイスフォール崩壊による滑落、2人は高山病でそれぞれヘリで運ばれてる(1人以外は全員8000峰のサミット経験者)。一方、天候に恵まれれば30時間もかけて登頂に成功する高齢女性もいる。
もちろん死んじゃいけない。けど、それだけ超過酷な状況で猛烈な苦しさを乗り越えて挑戦していること、天候や体調次第で実力があっても登れない人もいれば僕みたいに運良く登れる人もいる山だから確率の高低はあれど死は一つの結果であって勝てば超官軍。挑戦せざるを得ない輪廻から抜け出す唯一の手段だったかもしれないってことは理解するべきだと思う。
なによりも、まずはご冥福をお祈りいたします。

栗城と直接話した、氏の言葉。太線部分を何と解釈する・・・

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5月27日 訂正です。(情報を貰いました、出処はこの際ですから控えます)
      栗城と会って話したと言う相手。
      ある方が、某氏に確認を取った処、日にち他が記憶ミスとの事です。
      会ったのは、14日でC2のすぐ下で、BCへ下山中との事。
      C4で順応して来たと言ってたので、7900mのサウス・コルと思った。
      服装は黒グレーぽいハードシェルだった気がする。
      同伴シェルパ無し。荷は身軽。(以上訂正部分)

      これで日にちのズレが、符合しました。
      でも、14日に登れたのはSpotを見る限りでは、
      ノーマルルートの7000m辺り、C4の7900mとは大違いです。
      テント他は、C2に残置しての下山中の事と思われます。

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5月29日 

     二七日(ふたなぬか)が過ぎた頃に、検証し終わりたいと思ってます。


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栗城の日別の動きや、他隊の様子がひと目で見られます。

5月12日

庭の水仙が終わり、石楠花が満開です。
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晴れ予報だったので、八幡平山頂付近の〝ドラゴン・アイ〟を見ながら、
最後のスキーへ出掛けました。

土日は、山頂まで路線バスが上がるので、それを使って〝楽チン山スキー〟です。
蒸ノ湯駐車場で準備して、11時22分のバスを待つ。
盛岡から来たと言う、ショートスキーを背負ったペアと立ち話をしてるとバスが・・
車窓から滑るルートの雪の残り具合を見ながら・・・何とか下まで滑れそう。
360円で山頂バス停へ・・・

50mほど歩いて雪の上へ、今日は山頂まで20分の登りが有る。
シールで登る距離でもないので、先日八甲田で活躍した〝なんちゃってウロコ板〟。
竹標識が山頂まで付いてます、これは環境省が設置したもの。
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竹標識が此れでもか・・・位に立ってるのでガスの日でも、長靴が有ればOKです。


〝鏡沼〟に出ました。旧噴火口に水が溜まったもの。底には氷の上に積もった雪。
それに周囲の雪解け水が溜まり、不思議な光景・・・       
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これが〝ドラゴン・アイ〟と呼ばれ、ここ2.3年話題になってますが、
今年の出来は良くない感じ・・・
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対岸からの〝ドラゴン・アイ〟、龍眼が寝惚けマナコです・・・
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ここで、三人組みの女子ボーダーの一人から声を掛けられる。
サングラスを取ると・・・あらら去年の秋に、三っ石山の紅葉で逢った美女!!!!
GWは鳥海も滑ったと言う。先に鳥海で・秋に三っ石で・そして今日、奇遇である。



’16年5月14日撮影の〝ドラゴン・アイ〟これを期待して往ったのだが・・・
葛飾北斎が観たら、興奮しただろうと思う・・・血走った龍眼に見えませんか?
それとも、ゲゲゲの鬼太郎の目玉親爺に見えますか?
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隣りの〝眼鏡沼〟片方はまだ雪の下でした・・・
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青森トド松林の中に、山頂の300番ポールが、この辺は樹氷原になる処です。
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階段は展望台、夏は林の中で景色が見えない為。
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八幡平山頂から水平に籐助森まで来ると、4キロの降り一方です。
ビンディングの踵を固定し・兼用靴もロックして、いざ!!! 滑り出すが・・・
雨後の縦溝ガンガン・変な雪の腐れ方、快適とは言えず・・・
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250番標識まで来ました・・・1番は八幡平スキー場の上に有り。
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150番辺り
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100番辺りに来るとブッシュを避けながら・・・彼方此方曲がって・・・
滑り易い処選びながら・・・

最後の道路が見える辺りからは、雪で倒れた根曲竹の上を滑ったりで四苦八苦。
夏道に出ました・・・50m位板背負って舗装道路へ。
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遅い昼飯を喰いながら、次のバスを待つ積りで居たが、風が出て来たので・・・
根性なく敗退宣言、後生掛温泉に浸かって帰宅。

八幡平も雪不足・・・残るは、鳥海・・・


5月  9日
BCで停滞と思ってたが、夜の更新でヘリに乗り、ルクラの病院へ。 
昨日は更新無し 高熱の後には、〝咳〟をアピール・・・
咳に〝痰〟が混じる様になると【高所肺水腫】の疑い有り。
 帰れ栗城、死ぬぞ!!


他隊情報

平岡隊 ノース・コル・C1(7000m)へ順応に往った時の画像です。↓
エベレスト北稜・北壁の様子が綺麗に映ってます。
過去 栗城が単独で登れずに、シェルパに工作して貰ったノース・コルへの斜面。
ノース・コルの様子、コルからC2・C3へと続く北稜の様子。
見た感じ北稜は昨年よりも雪が付いて登り易そうです。
撮影班のプロが居なくても、綺麗に編集出来てますねぇ~~


平岡隊 チベットBCでの、今回の悪天候の動画を公開↓
動画を見ると、晴天なれど強風の様子です。
明日 BCから上部Cへ出発するそうです。
この悪天候が治まった時が、アタック日の様です。

この先17日までの、エベレスト山頂付近の天気予報です。
延べ6日掛けてCを進めますから、16日の風が治まる日に頂へアタックと決めたのでしょう。
第一次アタックが上手く往くかみものです。日程にはまだ余裕が有るので、2次も可能。
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21時半過ぎに、栗城が更新しました。
今回、キャンプ2(6400m)に上がる前から咳が止まりません。
今、ベースキャンプでは咳が蔓延しています。
高所に行くと乾燥しているので以前から咳が出やすいですが、今回は朝も夜も全く収まらないので、ベースキャンプからルクラに向かうヘリに乗せてもらい、一応病院に行ってきました。
肺に異常はありませんでした。安心。
ベースキャンプに戻り、再び登り始めます。
高所順応して、その後本番のアタックを開始します。
いるだけでも辛い。久しぶりに高所(低酸素)の世界に来たのを感じます。

C2(6400m)からBC(5300m)に戻っても、辛いとは・・・
初期順応の失敗が原因です。
①キャラバン中に、ナムチェで1日順応停滞日を取らずに、
 ぺリチェまでの連日行動が原因の一つ目。結果BC入りが遅れた。
②BCからの順応でC1で泊まる事無く、C2に往き2泊した事が二つ目。
 6400mの高所に2泊した事で、体力消耗⇔咳は更に悪化。

もし小生なら・・・
ナムチェで1日休養(順応を兼ねて)。どの隊も必ず、ここでの休養は取る。
BCからの順応は、①BCからC1に上がり、BCに戻る。(6千mを体感させる)
          休養後
         ②BCからC2に上がり、1泊し・C1にも1泊して帰る。
          又は、C1(泊)→C2(泊)→BCへ

栗城の場合〝無酸素〟が売りなので、更に7300~7500mでの順応が必要。
これを確実にしないと、エベレストもローッエも無酸素は無理。
その順応は、BC→C2(泊)→7500m(泊)でBCへ。(帰路は途中泊でもOK)
登りで途中停滞する事なく行動出来て、頂が見えてくる。
しかしその先には、まだ1000mの登りが有るのだ・・・

AG・平岡隊は〝有酸素〟登山なのですが、
6000~7000mを体感し順応しておく必要が有ります。
本番は酸素を吸いながらですが(毎分2L程度)なので、
常に6千mに居る息苦しさで行動する事になります。


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5月10日 所在不明

他隊情報
平岡隊 FB更新

13日にキャンプ1 7050m
14日にキャンプ2 7600m
15日にキャンプ3 8300m
16日にエベレスト8848mの頂上を目指す計画です。
悪天候でネパール側は 動きが取れずに停滞中、いい話が有ったので紹介です。


野口健 ツィッターより (黒字は野口 青字は私見)
突然 エベレストBCに現われた野口ですが、アイランド・ピークの登頂が主と思ってましたが、ネ国に来た目的は別だった様です。

カトマンズで休養したのちマナスル山麓のサマ村へ移動。3年前からスタートした「ヒマラヤに森を作ろうプロジェクト」。三年間育ててきた苗木がいよいよ巣立ちの時を迎えようとしています!その記念すべき第一回目の植樹祭です。標高約3600mでの森林再生プロジェクトは僕らにとってもチャレンジ

マ村はマナスル街道の最後の村です。マナスル峰は日本隊が初登頂した山です。
当時 神の住む山として崇められてて、村人から大反対された山です。
日本隊は4度目の挑戦で、槇有恒隊長のもと3名が登頂。
野口が生まれる二昔も前の話です・・・

3年前からサマ村周辺で種の採取を始め、ここまで育ちました。今年はマツ、モミ、チシンの3種類を述べ3種類。今年は3,000本を植樹。来年は15,000本、再来年は17000本。これから3年間で3万本を植えます。一番の心配ごとはヤク!ヤクに苗木を食べられないようにしなければかりません。



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ネパールでは、嘗て炊飯・暖房用に、木を伐採した為に丸裸の山が多い・・・
伐採後に植林をするという習慣も無かったのです・・・
野口が率先して、緑化をしてるとは思いませんでした。頭が下がる思いです。
サマ村の村人も野口の行為に喜んでる事と思います。

後日掲載された 毎日新聞の記事
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栗城FBを更新
皆さん、こんばんは。ベースキャンプに戻ったので、明日からまた登り始めます
ルクラの病院に行って、咳は少しましになりました。
SpO2(血中酸素濃度)は高いですし、落ち着いて登っていきます。
明日から中継班はエベレストの向かい側にあるプモリの山に向かい、栗城が登るところを撮影するカメラマンは撮影キャンプに向かい栗城は別途一人でキャンプ2(6400m)に向かいます。(抜粋)
ハシゴ外れの動画が添付されてたが、割れ目幅に対してハシコ゛短過ぎ。
直列で2本繫ぐか? 物が不足して1本なら4隅を45度で固定、シェルパの雑仕事だ。
手持ちFIXのWは、こんな時の為に正解、セルフビレーの大事さも判る動画。



この動画見てAG隊の渡り方を見ると・・・
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AG隊のハシゴ通過シーン

これ位のハシゴ長が有れば、4隅固定の必要は無いが、
固定した方がより安全(青印のように)。
渡り先に居る者の向きが逆、渡る相手の動きを見る
右側のFIXからビレー(赤印)を取ってるが、
FIXの固定の仕方は画像の通り(赤印)。
転倒のショックでピンが抜けたり・結び目が解けたりしたら、
セルフ・ビレーの意味無し・・・スッポ抜け転落。
お助けザイルを使い、後ろに立った暇そうな奴が確保すべき
(2重の安全を確保し、客を危険に晒さないのがガイドの役目)
〝国際山岳ガイドと言っても、この程度のレベル。安全策への配慮不足。
仏国立スキー・登山学校卒の江本ガイドなら、このシーンどうするだろうか?


栗城がBC入りしてから2週間、BCより上で行動したのは2日間のみ。
あとの日は、咳が・・・、喉が・・・で、停滞の日々、
この後恒例の、腰が・・・が、出れば5月末の期限を迎えます・・・

他隊情報
中山岳史 国際隊が更新
4000m以下で3日間のレスト(移動に往復5日)を経てベースキャンプに戻ってきました!血液はどうか分かりませんが、寒さと乾燥でやられた喉は回復。
一方、カトマンズに戻っていたヴォイテックは肺浮腫のためリタイア。エベレストチームのシェルパ予定だったノルブが高山病のためリタイア。
【サミットプッシュ予定】...
13日早朝 Basecamp→Camp2(6700m)
14日 Camp2でレスト
15日 Camp3(7300m)
16日 Camp4(7900m)
17日 Summit(8848m)


AG隊 ナムチェからヘリで、朝にBCに戻る。


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5月11日 BCで停滞              

今日から登山を開始と言った栗城ですが、現地時間10時を過ぎても動き無し
ダラダラの今回の計画を再度見直します。
これが4月13日に公式HPに掲載された計画です
しかし翌日に、何故か全文削除されました。

今回は順応の為に、ローッェに登りBCで休養して、
エベレストに登ると言う大プラン。しかも単独・無酸素で・・(笑)

今の状態では、全てが危うい・・・春のシーズンは残り20日・・・



他隊情報
倉岡隊
登頂予定は、17or18日です!
11日:BC → 中間キャンプ
12日:中間キャンプ → ABC
13日:ABC
14日:ABC → C1
15日:C1 → C2
16日:C2 → C3
17日:C3 → 登頂(日本時間 朝8時頃を予定)


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5月12日

城がFBを更新しました。(黒字はFB 青字は私見)
皆さん、こんばんは。今朝ベースキャンプを出発して、
無事にキャンプ2(6400m)に到着しました。
昨日は強風で上がれませんでしたが、
今日から高所順応で上部を目指します。
咳もおさまって、とても集中できています。
数日後にベースキャンプに戻ってから、栗城カメラの映像も楽しみにしていてください。

添付動画を見て驚き!!!!!
イメージ 5

BCからC2へ向かって出発する、栗城の後ろ姿です。
18L~25L程度のザックに、ストック1本、思わずえぇぇぇぇ・・・です。
動画の中で、「一回目の時に、食料などは全部荷上げして来たと・・・」
また、「7000m後半に登って来ると・・・」

では、一回目(5月5日)には、どれ位の荷を上げたのでしょうか?????
これが5月5日にBC出発の画像。同じサイズのザックに見えるが・・・

イメージ 6


最低限 テント・寝袋・食料・炊飯具等がザックに収まってなければ
C2で生活出来ません・・・たぶんドラエモン・ポケットが有るのでしょう~
ここまで共有されると、笑ってしまいますよ~~栗城 !!!!

エベレスト山頂付近の天気予報です。
15日・16日・17日・18日は風も弱く、体感気温も-30℃程度です。
絶好の第一次チャンス、登頂者が続出するでしょう。
19日からは風が出る模様、この4日間を逃すと二次チャンスはいつか・・・
イメージ 4

チベット側の平岡隊倉岡隊ネパ側の中山岳史の国際隊は、
この期間に合わせて登頂計画を発表してます。


他隊情報
AG隊 登頂スケジュール
16日 BC→C2、
17日 C2→C3、
18日 C3→C4、
19日 C4 休養、
20日 C4→エベレスト アタック→C4、
21日 C4→ローツェ アタック→C2、
22日 C2→BC 

栗城は、7000m越えの順応すら出来てない、
これでは一次チャンスの参加は無理!!!!!


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5月13日 C2で停滞 栗城は過去、高所で2日続けて行動した例無し。

他隊情報
中山岳史 国際隊FBより
風の影響で出発が延び、14日早朝に出発して18日登頂に予定変更になりました。
暇なのでBCで手頃な岩を見つけて、ボルダリングで遊ぶ中山氏。
イメージ 8

AG隊 全員でカラパタールの丘に散歩に出る。


栗城ブログ更新  22:11 何とこの時間にです。
皆さん、こんばんは。今、キャンプ2にいますが咳も止まって体調は良いです。
ネパール時間の夜9時(日本真夜中)から、7000mまで登ります。
中継班は今エベレストの向かい側にいるプモリにいて、もしかすると中継テストをするかもしれません。

BCを出る時は、7000m後半と言ってたが、7000mに変更です・・・
夜景画像を添付してます。この景色はC2なのでしょうか????  
イメージ 9

何を考えて、この時間からの行動か判りません。
夜間の行動は通常しないのが常識、例外としては日中の雪崩を回避する目的の場合。
C2から7000mへのルートは、各隊が日中に通る場所。雪崩リスクは殆んど無し。
これから7000mまで登るとは、登ってC3を造るのか? C2にまた戻るのか?
体調は良いと言うのに、ヒドン・クレバスに嵌る率の高い夜間行動とは・・・
なぜ昼に動かない・・・疑問だらけです肝心のSpotも作動してません・・・
C2付近は、他隊の目も有り、 夜陰に紛れての隠密行動でしょうか?


下の画像は、AG隊がプモリBCから撮った物で13日に公開。

モレーン上に、エベレストBCのテント群が写ってます。

イメージ 10

撮影場所は違えども、背景の山並みはほとんど同一です。
C2に居ると言いながら、C2周辺の画像でなく、他での画像を添付する意図は・・・・何。


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5月14日 C2→7000mへ→BC

昨夜の深夜にC2から、7000mに登ると言った栗城が、今朝のSpotを見ると、
7000m付近をウロツイテます。行動中は電源をOFにし、7千mでONにした模様。
イメージ 11

何を考えて、深夜の行動かは判りません・・・
各隊が通ったトレールが有るし、要所にはFIXもセットされてるので、
夜中の行動でも何とか為ったとは思うが・・・

7000mから先に進んでいる様です、C 3(7300m)を目指してるのか・・・
途中からC2へ戻るとしたら、今日辺りは下から登頂を目指す各隊が、
ゾロゾロ登って来るはず・・・1本のFIXでの交差は迷惑な話し。
全員からガン視されます・・・・


12時 追記 
日本時間で、6時~10時(現地時間-3:15)の4時間に、
7200m未満~6900mの間をウロついて、10時過ぎにはC2へ下山開始。
ウロついた訳は、中継テストかも。また例年の如く、中継は失敗かなぁ~

17時 追記
Spotの動きから、C2を通過しBCに向かってます。

19時 追記
Spotの動きから、6時23分(現地時間15時過ぎ)BCに着いた模様。
これで、7000mでの順応が出来たと、言うか? 夜の更新が見ものです。


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5月15日 
BCで停滞 昨日の様子の更新もなし・・・
      7000mに登って、〝冒険の共有〟が出来ぬほど疲れ果たか!!!!
      それとも、高山病の症状が、又出たか・・・・
      〝山〟諦めて、降りた方がいいぞ、栗城。

他隊情報
AG隊 計画変更。BC発を1日早くして、C2で休養日を設ける。
     理由は私見だが、調子が良くない2名に配慮し、C2から酸素使用。

AG隊 当初登頂スケジュール      変更計画
16日 BC→C2、            15日  BC→C2
17日 C2→C3、             16日  C2休養(BC→C2間の距離が大)
18日 C3→C4、             17日  C2→C3
19日 C4 休養、             18日  C3→C4
20日 C4→エベレスト アタック→C4、       19日  C4休養
21日 C4→ローツェ アタック→C2、      20日  C4→エベレスト アタック→C4
22日 C2→BC                21日  C4→ローッエ アタック→C2
                    22日  C2→BC
AG隊 東京事務所
さきほど日本時間12:03に、けんけん隊長のネパール携帯から電話がありました。
アイスフォールからです。
いよいよ、エベレスト山頂に向けて、サミットプッシュ開始しました!
ブログで発表していた予定を少し変更し、
本日朝3:30起床、5:30に全員でエベレストBCを出発!
泡爺とサオリはC1までプラチリと、
ほかの青年男子3人(タムタム、かっつん、ひろ君)はけんけん隊長とC2まで入ります。
起床時は雪がちらついていましたが、出発時には止んで晴天。
積雲は標高6,000m付近に少しある程度。
風はなく稜線にも雪煙はほとんどないようです。


この先23日までの、エベレスト山頂の天気予報です。(拡大してご覧下さい)

チベット側の平岡隊は、明日16日登頂予定倉岡隊は、17日登頂予定
ネパ側の中山岳史・国際隊17日登頂予定
AG隊は、エベレスト20日、ローッエ21日登頂予定。
     ◆ローッエ  アタックの日の風が気懸かり・・・
イメージ 12

この予報では、各隊余程の事が無い限り、登頂間違いなしです。

この好天に、栗城はBCで貝になってます。
各隊の登頂の嵐が治まるまで・・・そして雨期を迎える、いつものパターン。


栗城は気象予報士の猪熊から、他隊同様の気象情報を買ってるはずなのに、
それに合わせて順応出来ない、段取りの悪さ・体力の無さが、出遅れる原因。


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5月16日  BCで停滞
14日にBCへ降りて以来更新が無く、栗城は〝死んだフリ作戦〟の様です。
更新が無いので、14日未明からの軌跡を検証して見ます。
イメージ 13
C2を真夜中出発し、最高到達点は7200m手前。
ネパール時間の夜9時(日本真夜中)から、7000mまで登ります。と、言ってた。
最高到達点到着が、現地時間の朝5時です。
標高差約800mを、8時間で登った事になります。
栗城にしては、頑張ったと思う・・・


画像と地形図を見比べると・・・
ピストル岩(稜)※の末端、約200mの位置辺り()まで登った様です。

しかし、山頂までは残り1650mも有ります・・・

イメージ 15
※ピストル岩(稜)とは、
岩稜の形がピストルに似てるので、50年ほど前は皆そう呼んでました。
今は何と呼ぶか判らないが、山岳部時代の机上研究では文献にも表示が有りました。



秘密のルートと言ってたが、
南東稜も登れなかったのに(過去サウス・コル着も嘘くさい)、まさか南稜か?
これなら確かに秘密のルートですが・・・栗城には無理・無理。
南峰に突き上げる岩稜、等高線の混み具合が南東稜の比では有りません・・・
栗城の発表がないので、色々想いを巡らせてしまいます~~(憶測)
イメージ 14


サウス・コルから見た、南稜。 これが〝秘密りルート〟?  栗には無理・無理。
愛知学院大OB隊が初登攀して以来、日本人の再登なし・・・ 
南東稜から山頂へは登山だが南稜はピッケルを駆使した登攀です。イメージ 16


20:48 栗城ブログ・FB更新
無事に標高7300mまでの順応終えて下山してきました。
もう少し上まで上がる予定でしたが、悪天候でキリの良い場所でやめました。
7300m地点から、今回トライするルートも確認できました。
(ルートに関してはアタック直前に発表します。それだけ慎重にやってます。)
やはり7000mを越えると、違う世界です。
何度もこの標高は経験していても、やはり緊張する標高でした。
ちなみに下山後に動画をアップする予定でしたが、中継班の電力などの問題があって更新できませんでした。すいません!バッテリーの予備が無いのが、栗城流~~
ベースキャンプからは山頂は見えないため、プモリというエベレストから反対側の山に中継班が移動して、最後のアタックの中継を行います。これ一回で終わり???
登頂日は21日を予定してます。(18日にBCを出発するとか・・・)
今は本当に心静かにして、全てを注ぐ準備してます。

7300mだそうで、Spot数値に100m上乗せ。ここまで来ればオマケです。
今回トライするルートも確認できました。目の前がエベレスト南稜ですが・・・
ローッエだとしたら、既存のルートより無し・・・
計画は、下記のようですが・・・過去の例からして、連続で行動が出来るの????
18日 BC→C2
19日 C2→C3
20日 C3→C4 南稜登るとしたら、サウス・コルの平地は使えません・・・
            テントを張れるスペースが有るのか??? 
21日 C4→登頂  登頂と言っても、エベレストか? ローッエが? 判りませんね。


たぶん、この計画は失敗します。
4日間連続での行動は、栗城には無理!!!!!
C3の先でギブアップ・・・

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5月17日  BCで停滞
エベレスト山頂の天気予報
栗城が登ると言う、21日から3日間は、吹雪き模様・・・
熱が・・・喉が・・・咳が・・・と言ってた結果、順応が遅れ機会を逃す。
イメージ 17


他隊情報
AG隊 昨日(16日)の日本時間 12:56(現地時間 9:56)に、
標高6500mに到着以来、本日(17日)の動き無し。
今日は。C2→C3へ上がる予定。天候が悪いのか? 故障者が居るのか?

AG隊飯田橋留守番隊 13時更新
連絡がなく、どうしたものかと心配しておりましたが、本日、日本時間01:03にけんけん隊長、衛星電話からの連絡ありました。
15日はサオリも一緒に青年チームとC2まで入り、泡爺は予定通りC1ステイ。降雪もあり大変な中、21時頃C2に到着したそうです。そりゃみんな疲労困憊だし「恐ろしい」寒さだったらしく、夕食も食べずに就寝。それで連絡できなかったそうです・・
C4までの荷揚げが天候理由で捗っていなかったので、21時に到着したにもかかわらず、チェパたちは夜中の1時に起きて荷揚げ開始。本当に彼らあっての遠征隊なのです。
シェルパによるC4までの設営・荷上げが済んでから、隊が行動を起すのが、
商業登山では一般的な方法です。晴れ日程に合わせる為に、多少無理してるのか?
同時並行で行動するから、荷上げ優先になり、飯炊きをする始末。
ローッエ・フェイスでは、客とシェルパが一組で行動しないと、
ユマール架け替え時のミス発生の元。高所で判断力欠如によりポカが発生し易い。
16日はネパールスタッフは荷揚げに行ってしまうし、プラチリは泡爺と一緒だし・・・・ということで、昨日のランチまではけんけん隊長がキッチンボーイを兼任!「朝からすげーたくさん水作ったよ!!」と、ご苦労様です。ランチが終わる14時頃にプラチリと泡爺がC2到着。全員揃いました!
午後は雪が降りましたが夕方にはやみ、しっかりレストできたようです。
そんな中、上部キャンプに荷揚げに行ったチェパたちがなかなか戻らず、現地時間21時ごろC2に無事戻ってきたのです。そんなこともあり、こちらへの連絡もなかなか出来なかったのかもしれません。プチアクシデントはちょいちょいあるものの、みんな元気に上がれているのは嬉しいですね。(中略)
そして最後になりましたが、悲報です。
この春のエベレストで一人目の死者が出てしまいました。AG隊でも時々お世話になっていたネパール人のランパブさんです。14日にエベレストに登頂した中国人をサポートしていました。その時にランパブさんご自身の酸素が無くなり、けんけん隊長の言葉を借りると「頭がおかしくなったみたい」で、帽子とザックが残されていたそうです。まさにデス・ゾーンです・・・
謹んで心よりご冥福をお祈り申し上げます。
隊員には、今は山頂を踏んでいるいいイメージだけを描いて、集中力切らさず上を目指して欲しいです。そして、隊員、ネパール人スタッフ含め全員が無事下山することしか願えません。皆様、引き続き応援よろしくお願い致します。


※ 今日 現地時間 11:49 から動き出し、12:54 現在 6565m付近を登山中。
※ 現地時間22時頃(日本時間19時頃)、C3(7400m)に到着。

平岡隊
只今、ベース・キャンプ5150mに戻りました。
残念ながら、5月15日に8000m付近にて、Iさんの体調が悪化し、下山しました
前夜キャンプ2 7750mにて風が強く眠れない夜を過ごしました。
原因はこれだけでは無いですが、一因になったと思います。
今は、復調されてトンカツを頬張っています。
今日も、エベレストは、見事な夕焼けです。
再アタックが有るのか気になりますが、商業登山は通常ワンチャンス・・・


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ここまで記述して、????と思った事が有ります。
栗城は、ローッエに登り・BCに降りて・エベレストに登ると言ってました。

5月16日のブログ・FBの更新で、7300mでの順応を終えたと・・・そして、
トライするルートも確認したと。登頂日程まで発表しました。

栗城のペースに巻き込まれてました・・・
要は、ローッエ登頂の話しは、絵空事だったのでしょう・・・
武士に二言が無いとすればローッエは取り付く事すらせずに完敗です。
豪華2本立てドキュメントを観れると思ってたが、価値半値です・・・


栗城の日別の動きや、他隊の様子がひと目で見られます。


5月6日

GW前半は、3日間 鳥海山で山スキーを満喫しました。
連休後半は、天候が思わしく無く、ジッとしてたが、最終の6日(今日)は晴れ予想。

鳥海まで往くには時間が無いし、八幡平も考えたが4.5日に降雪が有り道路閉鎖。
今朝は開通の情報も無く、無難な八甲田へ向かいました・・・

ゴンドラで上がり、赤倉岳から主稜を縦走して睡蓮沼に滑り込み、
路線バスで車に戻る案でしたが・・・

ゴンドラ下駅に着くと・・・25m以上の風で運休だと・・・
道々3~4mの風表示でしたが、上は違うものです。

仕方が無いので、目標変更  今更 睡蓮沼に往っても車を止めれるスペースは無し。
前々回同様  酸ヶ湯駐車場に向かう、同じ事を考える者が多いのか、車だらけです。

着いた時に出発したガイドツァーが、15人ほどゾロゾロ板で登って往きました。
登山客も大勢準備してました~

準備しながら今日のルートを考える、酸ヶ湯から往復では面白味無し、
硫黄岳に登って睡蓮沼に滑り、バスで戻る。


酸ヶ湯からの夏道伝いのブナ2次林、根開きしてるが何とか為る。
イメージ 1


風はそれ程強くない、往く先の山々が見えて来ました。
         ↓八甲田大岳    ↓仙人岱の頭   硫黄岳↓    
イメージ 2


地獄湯ノ沢に出ました・・・冬は沢を往きますが、
最後の〝喉〟から先の沢筋の露岩で、前々回は板背負って大苦戦。
その時に滑って来た硫黄ルートなら、今でも雪が繋がってると予測して・・・
沢上の台地でツァーが休んでました・・・ガイドツァーなるものがどんなのか?
路線バスの時間まではタップリ有るので、着かず離れず眺めながら・・・
イメージ 3


硫黄ルートは、いい具合に雪が残ってました~
斜度が増すと板がスリップ、今日はウロコで来たのです・・・
若干板を開き気味にし、急斜面は階段登り。内外のエッジを使うと楽。
                                                                  ↓硫黄岳        
イメージ 4


ツァー客の一人が板を外して手持ちで歩き出す・・・見ればボレーのウロコ旧V8。
カタログで見て欲しいなぁ~ と、思ってた板だ・・・
スリップして上がれない様子・・・小生の〝ナンチャッテ・ウロコ〟の性能が上か?
否 奴の歩き方が下手なだけ・・・他の者はシールでスタスタ上がってる・・・
途中でツァーが何故か男女に分かれ、女が先行です・・・男はバテて休んでる・・・
途中で拾った、ポモカのテールフックをウロコ男に「仲間が藪で落としたのでは?」
と、渡したが「俺ので無い」と・・・馬鹿か お前がウロコなのは百も承知。
ツァー客の仲間意識って無いらしい・・・


振り返って、南八甲田の山々。                  
イメージ 5


ダラダラのツァー連中を見切って先行。
稜線近くになると、強風でした・・・汗掻いた体が冷えて来るのが判る・・・
重ね着するのも面倒で、トド松帯の中を小屋へと急ぐ、ドンピシャ小屋裏に出た。


イメージ 6


八甲田大岳が見えて来ると、間も無く仙人岱避難小屋。
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小屋前からの硫黄岳。昼飯後に、東側の斜面を滑る予定。
イメージ 8


小屋からの八甲田大岳。雪解けが進んでます・・・
イメージ 9


小岳と奥に高田大岳。 小屋前は板だらけ・・・小屋は満員 30人位・・・
小屋の風裏でヤッケを着込み、サンド&テルモス珈琲で軽く昼飯。
左のピンク細板が〝ナンチャッテ・ウロコ〟板。
イメージ 10


ジッとしてると寒いので、即 行動・・・ジグ切って硫黄に。
シールの手間が無い分、即 滑れます・・・

硫黄の睡蓮寄りの斜面から上を写す・・・頂に数名、これから滑るのか・・・
イメージ 11


睡蓮から登って来た人と会う、雪は繋がってると・・・一安心。
降りは早い・・・アッとの間で山々が遠くなる。

     硫黄岳↓  八甲田大岳↓   小岳↓     高田大岳↓  
イメージ 12


睡蓮沼が見えました。                    
イメージ 13


睡蓮沼からの北八甲田連峰                  
イメージ 14


睡蓮沼に着いたが、十和田湖から来るバス時刻まで2時間もある・・・
寒くて小屋から早く出た為だ・・・
酸ヶ湯まで歩いても1時間ほど、板を〝小次郎背負い〟してテクテクと・・・

酸ヶ湯センターのガラスを借りて・・・
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今日の装備 ナンチャッテウロコ板・ジルブ404・スカルパタイタン兼用靴

帰り掛け、いつもの〝大川原温泉〟で一風呂。

今後、山頂から滑れそうなのは、八幡平と鳥海山か・・・蟲も出るしなぁ~
百姓の真似事もソロソロしないと・・・

以前 無名だが海外の〝山〟を目指す、2人の若者を紹介しました。
この若者達は、壁を目指す者・山頂からのスキー滑走を目指す者の差は有るが、
働きながらコッコッ貯めた資金で、〝夢の実現〟に向けて頑張ってます。

前の紹介は↓

紙谷氏の近況です。ツァーガイド&回転寿司職人として頑張ってる様です。

安田氏は昨年のボードでの滑走から、今回はスキーでの滑走。


是非 応援して下さい。


GW前半の3日間が、連日晴れの予報です。

4月27日

鳥海山・矢島口 祓川に通ずる山岳道路が、今日開通です。
前日から準備して、夕方に着く様に出発。
鳥海が良く見える処まで来ましたが・・・・半分は雲の中です。  
イメージ 1


終点の駐車場。今夜の車中泊は5.6人のみ・・・
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山荘に水4Lを貰いに行く、見覚えの有る管理人・・・
麓の町で調達した地酒、〝飛良泉〟の一升瓶を立てて一人宴会。






4月28日

4時半起床、車の中の温度計はー3℃。
ガチガチに凍ってます・・・
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鳥海も朝焼け・・・
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雪が凍結してるので、遅目のスタ-ト。

毎年同じ場所に亀裂が・・・今年はそれ程開いてない。
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振り返って・・・
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天気はいいが、海からの北西風が強い・・・以外に雪面が腐らす。
七つ釜避難小屋が見えて、急登を避けて左のブッシュを越える。   
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大雪路の大斜面が見えて・・・                      
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左寄りの斜面を登る・・・                   
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シールが時々スリップ・・・結構休んだが雪面は腐らず、風が冷たい・・・
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今日は此処までとして、シールを外して滑走、最初はガリガリ・バーンだったが、
下に来ると腐り始めてる。
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沢に滑り込んでみる・・・
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大亀裂帯
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上空の冷たい空気と、地上の温められた空気の層。
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4月29日 画像なし

朝 雪面の凍結なし・・・ 能代の友が来て登り始めるが、
山からの吹き下ろしの風が強く、時々耐風姿勢を取る。
上に往く程に強く・・・山頂を諦め滑りだす。能代の友は気合で山頂へ・・・

午後から若手の友が現われる、夜勤明けとか・・・前日は30キロ走って、夜勤へ。
すぐに宴会と・・・酒美味く飲む為に、2時間登って来るから時間呉れと・・・
何と舎利坂まで登り滑って来たそうな・・・
夕暮れまで外呑みし、車内に移動し9時まで・・・

何を想うか・・・鉄人ランナー
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満月前夜の月が・・・
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4月30日 最終日

3日目も朝から晴天・風弱し・・・絶好の山日和。
今日は何時もの左寄りのルートを選択せずに、皆さん登るの付いて往く・・・

鉄人ランナーは全て直登で往くと、アイゼン装着。
アッと言う間に見えなくなってしまいました・・・

ボーダー・長靴・登山靴・スキーと仕様は様々です。
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殆んどは正面の急登を避けて、左の尾根裏を登ります・・・    
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能代の友・・・頑張ってます~ 早く追い越せ!!!
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去年の春山シーズンも、一回だけ避難小屋下の急斜面を登ったが・・・
中間に人影が見える・・・根性有る奴が居た。俄然 闘志が・・・
能代の友は左の緩斜面を往くと・・・

下部1/3は直登・・・2/3はジグを切って登る。
一歩進むと50cm位の高度が稼げる・・・・
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有りました・・・鉄人ランナーが、アイゼンで直登した跡が・・・
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避難小屋目前
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避難小屋上の大雪原に出ました~
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居ました・・・能代の友が左手の〝島〟を目指して頑張ってます~  
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島〟で一休みの予定だったが、休むとヤル気が無くなる気がして休まず登行。
七高山山頂への最後の急登、能代の友が奥で頑張って直登してます・・・
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軟弱な小生は、ジグ切って左の露岩沿いに登り山頂へ・・・
鳥海山の最高点・新山。吹き上げる風が強烈で覗いただけで終了。
外輪山は以外に黒々・・・寒過ぎてヤッケの下にフリースを着込む。
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帰路、雪面が荒れてない東側の大斜面を滑り、〝島々〟の下を巻いて避難小屋へ。
標高が下がると暑く、途中で・・・フリースを脱ぐ。
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朝登った避難小屋下の急斜面。滑って降りました・・・
横亀裂もまだ開いて無く、荒れてなくていい斜面。
ここを滑り終わって更に暑く・・・ヤッケも脱ぐ。
イメージ 28


車に着いて一休み・・・何回来ても 登るのも・滑るのも 疲れる山だ・・・
水分補給をし・・・暑くて山シャツも脱ぎ、半袖Tシャツで帰路に着く。


山から降りて・・・の、鳥海山。
雪の着き方を見ると、早い内なら北面登攀も出来そうだが・・・
問題は、その根性が有るか?だ・・・・
イメージ 32


3日間の春山遊びが終わりました・・・
今回の反省・・・年々暑い・寒い・凍ってると・・・能書が先・・・
基礎体力の重要さを知る(前から知ってたが)・・・
挙句〝老害〟等と言われる始末・・・重々反省 後5年位かなぁ・・・

今朝から次回に備えて、食器洗浄・ダウン干し・板洗い・車内整理 諸々・・・
雨が予想されるので、土が乾いている中に〝菜園〟に耕運機掛けを済ませた。

GW後半は、晴れれば八幡平も良いかなぁ~ 等と次の算段・・・


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