海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2018年08月

凄過ぎな〝猛者〟阿部氏を紹介します。
世の中、信じられない事を、平気で実行する人が居るものですねぇ~
過去の記録が消去されたのは残念ですが・・・最新版は下記です。




7月初旬
サンダル履きで、吉田口から〝初登頂〟したとか・・・
お鉢巡りをして、休憩込みで往復の所用時間は、6時間01分だったそうな・・・     
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その時に、同好の士と会った記念撮影・・・
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こんなサンダルですよ、ビーチ用よりも陳腐、それに紐!!!〝猛者〟失礼<m(__)m>
こ擦れて、皮剥けないの???
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7月中旬
吉田口から仲良く登頂。しかし足元が・・・それに、手袋してる不思議・・・
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7月下旬
吉田口から裸足で〝初登頂〟
7時間も掛かったと言ってますが、登山靴を履いてても、
その時間で登れ無い者が多数です。

はだし初登(^_^;)7時間も掛った…五合目からだけど(笑)
九合目の鳥居を過ぎて頂上直下では号泣っとまではいかなかったけど潤んだ。
八合目太子館から何億回やめようか?と思った事か!
いつかやってみたかったけど、どうにかこうにかやれた。
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8月お盆休みはテン泊で・・・
合戦尾根から燕岳へ・・・100Lザック背負って・・・
ここでも足元が・・・日本三大急登、下りは大丈夫でしたか???
合戦尾根は過去に、登り1回・降り2回通ってるが、中々の尾根です。
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8月中旬
御殿場口からサンダル履きで〝第2登〟、登り3時間29分とか・・・
裸足は、来シーズンの予定だそうです。

やや気温が下がったので、6年ぶりに御殿場口タイムトライアルに挑みました!
足はマンサンにしました(^_^)
サブスリーを目指しましたが終盤に失速して結果は、手元の時計で3時間29分...





8月下旬
富士宮口から、裸足で〝第2登〟。
吉田口からと比べると楽だったとか・・・所用時間は4時間30分!!!
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帰って足の裏は・・・血だらけかと思いきや・・・\(◎o◎)/!
皮製の重登山靴でも、歩き方が下手だとキズだらけに為るが・・・流石、本革です。
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何とも、凄い事をする人が居るものです。
夏道のガラガラ・ザレザレを、〝サンダル履き〟更には〝裸足〟とは!!!


富士には山嶽部時代に、冬山合宿の直前に恒例の〝氷雪技術訓練合宿〟と称して、
11月末に1週間×4回行きました。富士吉田駅⇔馬返し⇔五合目と全て歩き。
佐藤小屋の前で幕営し、小屋主の好意で薪ストーブに当り暖を取るのが唯一の楽しみ・・・
吉田大沢での、アイゼン・ザイルワーク、滑落停止、それに耐風姿勢訓練、
最後は八合目か山頂での小屋裏で、着のみ着のままでツェルト被ってのビバーク訓練。
夜が長く、これは辛かった・・・寒くて寝られぬものだ・・・
富士は、何一つ楽だった思い出は無し、吉田大沢からの登下降のみで、
いつ滑落死しても可笑しくない状態でした・・・



こんな〝猛者〟も富士の積雪期は、マトモナ格好で登ってる様です。(笑)
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何故、サンダルや裸足なのか?
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調べて見ると・・・この本の影響か???
より自由に!!!  新たな潮流・流派の始まりでしょうか~~

その昔、ローマ・東京五輪のマラソンで、エチオピアのアベベ・ビキラ選手が裸足で走り、
2大会連続で金メダルを獲得。現地で裸足は普通の事と知り、子供心に驚いたが・・・
当時体育の時間は、ペラペラの〝マラソン足袋〟なる物が有り、
これで小石混じりのグランドを走った記憶が有ります。
小石を踏むと強烈に痛かったなぁ・・・

トレランが流行り始めた頃、余りの軽装備にオイオイと思ったものだが・・・
更にサンダル・裸足となると、オイオイオイですねぇ~~


夏冬通算で富士に150回以上登り、トレラン靴を100足以上も履き潰し、
新しい靴を買うのが勿体無いので、
時流に乗りサンダル~裸足と本人が言ってます・・・


猛者の主な公式記録です。
フル・マラソン 2時間45分50秒
ハーフ・マラソン 1時間15分09秒
1万m 34分12秒
富士登山競走 3時間10分44秒 20位
日本山岳耐久レース(ハセツネ杯) 10時間09分 総合3位・年代別 優勝

おまけ 〝自称登山家〟の栗城が生前に、富士山を吉田口から2時間で登ったと、
    再三FBで法螺を吹いたが、猛者が去年途中で追い越した奴を見たら、
    栗城だったそうです・・・ホノルルマラソンで6時間半の栗城が、
    2時間で登れる訳が無し、得意の虚言癖???

こんな凄い実績の持ち主なので、最早 普通に登って降りるなどは、
面白くないのでしょう~~


これならエベレストBC(5300m)までは、〝裸足〟で確実に往けます。
溶岩の場所は無しで、急登も無いし・・・楽勝でしょう~
靴を買う金の無い貧しいポーター達は、
タイヤ改造ビーサンを履いて、エベレスト街道を闊歩していますから。

で、検証して終わりにするつもりでいましたが、
以下の発表が有ったのと、栗城事務所からの事故報告書も出ずに、
事務所代表が事務員の小林幸子に名義変更され、営業継続の気配がします。
個人事務所なので、残務整理後に閉鎖になるものと思ってました・・・
なのに、次々と故人を出汁に営業が続く様子です。
なので、もう少し継続して見てみます。

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先程、週刊文春がオンラインで、反響の大きかった記事ベスト5を発表しました。
2018年上半期、社会部門の第1位は、こちら!
    ↓
【“賛否両論の登山家”栗城史多とは何者だったのか】と言う記事です。
   ↓

著者は、
森山憲一(フリーライター&編集者)
1967年神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学教育学部(地理歴史専修)卒。
大学時代に探検部に在籍し、在学中4回計10カ月アフリカに通う。
大学卒業後、山と溪谷社に入社。
2年間スキー・スノーボードビデオの制作に携わった後、1996年から雑誌編集部へ。
2008年に枻出版社に移り、雑誌『PEAKS』の創刊に携わる。
登山とクライミングをテーマに2013年からフリーランスとして活動中。


氏のブログは 〔森山編集所〕 https://www.moriyamakenichi.com/
以前にも氏のブログを紹介したかも知れませんが、
この中に栗城に関する記述が有ります。一読を!!!

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エベレスト南西壁下部で滑落死して以来、3ヵ月経過したが・・・
公式HP・ブログ・FB・Twitterでの更新は無く、
(株)たお(栗城事務所)も活動停止かと思ってたが・・・


6月24日 今金町にて
〝お別れ会〟なる活動を再開した模様。
没後、地元での開催後音沙汰が無かったが、近々東京で開催されるとか・・・
好きな者が集って、故人を偲ぶのは勝手だが・・・
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〝お別れ会〟の様子。Wアックス等出来ぬのに・・・

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しかも、アイゼンの履かせ方が、左右逆・〆め方も嘘・・・誰も知らんのか?

そっとして置けば良いものを・・・これでは、故人も浮かばれまい・・・


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9月5日
東京での〝チーム栗城〟会員向け〝お別れ会〟の様子。
参加費無料にしては立派なホール、この後に向けて何か意図が有りそう・・・
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この日の展示・・・平台に雑に装備を載せただけ・・・
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栗城公式HPより(10月9日掲載)

【東京】栗城史多 追悼ギャラリー開催

追悼ギャラリー
「栗城史多は、誰?」

独自の信念・チャレンジへの共感。独自のこだわりへの疑問や反発。
これほどまでに、世間からの評価が分かれた登山家がいただろうか。

8848m、気温−35度、酸素は地上の3分の1。
世界最高峰のエベレストにおいて、過酷な秋季を選び、
「冒険の共有」に挑戦し続けた男、栗城史多。

目指し続けたエベレストで、35歳の生涯を閉じた彼を、私たちはまだ知らない。

日時:10/27(土) 12:00 - 21:00  10/28(日) 10:00 - 18:00
   ※入場無料 ※入館は閉館の30分前まで
会場: 永田町グリッド 6F Attic  
主催:株式会社たお(栗城事務所)
   Produced by:CRAZY (自己啓発屋の匂いがするのだが、実は演出屋)


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会場の永田町グリッドのHPを見ると、6F Atticの賃料が1時間/4万円です。
搬入・搬出と開業時間を考えると・・・延べ20時間位?
入場無料だとか・・・借金をして山に往く・・・と言ってたが、
(株)たお には金が有ったんだねぇ・・・ 


10月29日 追記
追悼ギャラリーでの、関係者の追悼コメです。

登山家・ガイド 花谷泰広
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彼は、晩年の栗城に八ヶ岳で、何度か積雪期の岩稜登攀技術の基礎を教えたガイド。
とても登頂出来るとは思って無かったはず・・・顧客だったので社交辞令か・・・


山岳写真家 門谷 優

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栗城のカメラマンとして、度々参加。有る意味栗城流登山を一番知ってる者の言葉。

山岳写真家 魚住 司
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過去6回エベレストに同行、最後の今回も同行したカメラマンの一言。


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最後の遠征メンバーと書かれてるが、追悼内容から過去の栗城を知ってる様子。
今回のメンバーで、上記の 魚住 司 以外はヒマラヤ初の素人のみ。魚住談に違いなし。



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栗城に心酔してた事務員。

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10月9日 配信メール

チームクリキの皆様へ
いつも応援ありがとうございます。先ほど公式サイトや栗城のSNSで、
お別れ会に代えて追悼ギャラリーを 開催することをお知らせいたしました。
日時:10月27日(土)12~21時、 28日(日)10~18時
場所:永田町グリッド6F(東京都千代田区平河町2-5-3)
料金:入場無料
遠征中の仲間、普段を知る友人、幼少期を知る地元の友人、家族・・・
栗城の様々な顔を知る多くの人の証言から、栗城のことをもっと知ってもらい、
栗城はどんな人間で 何を考えていたのか、そしてそれぞれにとって、
栗城とはどんな存在だったのかを感じていただける ような展示にしたいと思っております。

そしてもう一つ、別のイベントのお知らせがあります。
生前、栗城がどうしても実現したかった「第九コンサート」を11月20日(火)に開催します。
栗城が、なぜ第九? 多くの皆さんは疑問に思うと思います。
栗城はエベレストの他に、子どもが夢を持って挑戦できる世の中、
応援しあえる世の中の実現という 「見えない山」にも挑戦していました。
そのために、教育映画の制作も目指していました。
栗城はその映画のクライマックスシーンに、ベートーヴェンの「第九」を考えていました。
それも、「栗城の声」と「応援して下さる皆様の声」が入った、自分たちのコンサートで収録した曲を使用したいと考えていました。
栗城は、あまり知られてはいませんが、エベレストに挑戦する際に毎回ベースキャンプで「第九」の第4楽章を聞いて、 自分の気持を鼓舞していました。
「第九」の『困難と苦しみの中、前向きに行こう。
そして訪れる大きな喜びを分かち合おう!』というメッセージを強く感じ、
自分の挑戦を諦めない気持ちを鼓舞していたのだと思います。
曲に栗城自身の人生をオーバーラップさせていたのかもしれません。
そして本人は、この11月20日のコンサート開催を目指し準備をしていました。
自分もコンサートで歌うために、こっそり練習もしていました。
コンサート当日、栗城も必ず会場にやってくると思います。
みんなと一緒に、楽しみにしていた「第九」を合唱をするために。
栗城の人生と、見えない山に登るすべての人たちの人生を、讃えるために。
皆さんが夢に向かって一歩踏み出すきっかけとなるようなコンサートにできればと思っております。
天国の栗城と一緒に合唱をし、人生の喜びを分かち合いましょう。

コンサート詳細:
公演名:第九・よろこびの歌コンサート ~栗城史多と共に 見えない山を登る人たちへ~
日時:2018年11月20日(火) 18時開場、19時開演
場所:オペラシティコンサートホール(東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー3階)
料金:3,000円(税込)全席自由   夜間の部使用料95万円のホールのようです。
※チームクリキの皆様にはご連絡をいただければ、ご希望の人数分のお席を前方に用意します。
チケット購入方法:小林宛のメールで、ご希望の購入枚数をお知らせください。
その後、お支払い方法をご案内差し上げます。
※10月12日にはSNS等で情報公開をしますので、メールでのお申し込みをいただかなくても、ウェブ上でご購入いただくことも可能になります。
ただ、チームクリキ会員である旨をお知らせいただければ、ご希望の人数分のお席を前方にご用意しますので、よろしくお願い致します。
 
ご注文、お問い合わせ先:株式会社たお(栗城事務所) 小林
office@kurikiyama.jp  03-3248-6451 

(中略)

立て続けのイベントとなりますが、皆様のお越しをお待ちしております。
どうぞよろしくお願い致します。

栗城事務所  小林幸子



栗城と〝第九〟??? 可也の違和感が有るが、愈々〝神格化〟の気配か・・・
そして、Produced by:CRAZYなる初登場の団体〝集金活動〟再開か?
それとも〝追悼ビジネス〟の始まりか?

〝第九〟を奏でる楽団は? 指揮者は?   如何にも栗城らしい発想だ・・・


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公式HPより(黒字HPより、青字私見)

第九・よろこびの歌コンサート 〜栗城史多と共に 見えない山を登る人たちへ〜

2018年5月にエベレスト挑戦中に帰らぬ人となった栗城史多が、実現を切望しておりました「第九」のコンサートを11月20日に開催することになりました。

栗城が、なぜ第九? 多くの方が疑問に思うと思います。

栗城は、エベレストの他に、子どもが夢を持って挑戦できる世の中、
応援しあえる世の中の実現という見えない山にも挑戦していました。
そのために、教育映画の制作も目指していました。
栗城は、その映画のクライマックスシーンに、ベートーヴェンの「第九」を考えていました。
それも栗城自身と自分やそうした子どもたちを応援して下さる皆様の声が入った、
自分たちが開催するコンサートで収録した曲を使用したいと考えていました。
栗城は、あまり知られてはいませんが、エベレストに挑戦する際に毎回ベースキャンプで「第九」の第4楽章を聞いて、自分の気持を鼓舞していました。
初めて聞く話です・・・と言う事は、今回の歌声を収録して・・・
未完の〝教育映画〟に使う積りなのか・・・
「第九」の『困難と苦しみの中、前向きに行こう。そして訪れる大きな喜びを分かち合おう!』というメッセージを強く感じ、自分の挑戦を諦めない気持ちを鼓舞していたのだと思います。
曲に栗城自身の人生をオーバーラップさせていたのかもしれません。
そして本人は、この11月20日にコンサートの開催を目指し準備をしていました。自分もコンサートで歌うために、こっそり練習もしていました。
後付感 満載ですが・・・
コンサート当日、必ず栗城も会場にやってくると思います。
みなさんと一緒に、楽しみにしていた、第九の合唱をするために。
栗城の人生と、見えない山に登るすべての人たちの人生を、讃えるために!
天国の栗城と一緒に合唱をし、人生の喜びを分かち合いましょう。

公演名:第九・よろこびの歌コンサート  栗城史多と共に 見えない山を登る人たへ
日時:2018年11月20日(火) 18時開場、19時開演
出演:小田安希与(指揮者小田の娘とか) feat. お琴五重奏
   竜馬(ヴァイオリン)野々村彩乃(ソプラノ)、高野百合絵(メゾソプラノ)
   宮里直樹(テノール)、大山大輔(バリトン)この5人は若手プロのようです
   小田全宏 指揮 東京オーケストラMIRAI 国境なき合唱団
   小田は自己啓発コンサル、音楽事務所もやってる様だが指揮経験は無し。
   東京オーケストラ??? 国境なき合唱団??? 初耳です・・・
曲目:龍星群  Time to say goodbye  ベートーヴェン/交響曲第9番 
※出演者・曲目は変更になる場合がありますことを、あらかじめご了承ください。

場所:オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアルホール
   東京都新宿区西新宿3ー20ー2 東京オペラシティタワー3階

料金:3000円(全席自由)
●電子チケット購入(スマートフォンを使用して受付での表示が必要となる「電子チケット」です)
https://kurikiyama.stores.jp/items/5bb59581ef843f713a000acb
​●紙チケット購入(別途送料がかかります)
https://kurikiyama.base.ec/items/13714127

主催・お問い合わせ先:
株式会社たお(栗城事務所)
office@kurikiyama.jp
03-3248-6451

(中略)

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95万円のホールを借り、楽団・合唱団・出演者の経費を賄えるのか???



国境なき合唱団とは?  実態が判りました・・・
 
皆さま、いかがおすごしでしょうか。
さて、国境なき合唱団に東京オペラシティでの第九への出演依頼をいただきましたので、参加者募集の お知らせを申し上げます。
 合唱団と言いながら、団員を都度募集の合唱団の様です・・・
これは先日エベレストで亡くなった登山家の栗城史多さんが登山のときにいつも聞いていたという、 第九のコンサートを実現しようと友人たちで企画したものです。

この素晴らしい舞台で歌うチャンスに、ぜひご参加くださいますようお待ち申し上げております。
■コンサート名: 歓喜の歌コンサート「一歩踏み出す勇気」~栗城史多の            

            想いを繋ぐ~  タイトルが栗城事務所発表と違う・・・
■会場: 東京オペラシティ・コンサートホール タケミツメモリアル
■日時: 2018年11月20日(火) 19:00~21:30
■出演: 1部 小田安希与琴ユニット(仮名称・琴五重奏)・竜馬四重奏 or
       竜馬(バイオリニスト)      
     2部 小田全広(指揮)  東京オーケストラMIRAI 
       国境なき合唱団
         野々村彩乃(S) 高野百合絵(A) 宮里直樹(T) 大山大輔(B)  
 
■演目: 1部 You Raise Me Up ほか  曲名も違う・・・
     2部 小田全宏: 交響組曲「大和」より「富士」
       ベートーヴェン: 交響曲第9番ニ短調op.125
      「合唱付」より第3・4楽章
 
練習会スケジュール
合唱指導: 小津準策  ピアノ: 原恵子
会場: 「代官山エナスタジオ」東京都渋谷区恵比寿西2-17-12 ENA代官山   
    第九の楽譜をお持ちください。楽譜は自前・・・

10月27日(土)   13:00~15:30
11月3日(土)   13:00~15:30
11月10日(土)   13:00~15:30 3回練習する様です・・・
 
リハーサル・ゲネプロ・本番スケジュール
11月14日(水) 和光市民文化センター(サンアゼリア)
        埼玉県和光市広沢1-5
                   18:00~18:30  発声練習
                         18:30~19:30  オーケストラ合わせ全体練習
 
11月20日(火) 東京オペラシティコンサートホール  タケミツ メモリアル
      14:00~18:00  ゲネプロ
    18:15~19:00  開場
    19:00~20:00  第一部(客席にて鑑賞)
    20:00~20:20  休憩 合唱団楽屋集合
    20:20~20:30  第二部 「富士」
    20:30~21:10  第九(第3・4楽章) 
            合唱団は出番まで舞台上にて着席
    21:10~21:15  ソリストによるアンコール
    21:30      終演
★スケジュールは変更になる可能性があります。お出かけ前に国境なき合唱団ホームページで ご確認くださいますようお願い申し上げます。
■参加資格
国境なき合唱団員は、練習会・リハーサル・ゲネプロはご参加になれなくても、本番のみ出演で かまいませんが、その旨お申し込み時にお申し出ください。(なお、練習会等の参加費はお返しできませんのでご了承ください。)
団員以外で第九未経験の方は練習会・リハーサル・ゲネプロにご参加ください。
本番も楽譜を持って歌いますので暗譜している必要はありません。
■募集人数  60名(先着順)
舞台のスペースの都合上、先着60名様とさせていただきます。
ソプラノ25名、アルト25名、テノール+バス10名を目安として、定員に達した場合は、お断りさせていただく場合もございますので、何卒ご了承ください。
①氏名、②ふりがな、③郵便番号、④住所、⑤電話番号(できれば携帯)、⑥メールアドレス ⑦希望パート、⑧身長
以上を明記の上、メールまたは郵送にてお申込みください。
メール(王野): rinohno34☆gmail.com  (送信の際は、☆を@に変えてお送りください。)
郵送: 〒112-0012 東京都文京区大塚2-4-8 日商岩井音羽マンション901号 王野方   国境なき合唱団
参加費
 10,000円(練習会・リハーサル・ゲネプロ・本番参加費込)
 振込先:みずほ銀行広尾支店(普通) 2028534  名義人: 国境なき合唱団
 振込期限: 10月26日(金)
 なお、振込手数料はお手数ですがご負担をお願いいたします。

歌いたい者は1万円  払って参加する仕組みの様です。
ここでも合唱団代表 王野百合子の〝合唱ビジネス〟が成立してます・・・


この夏甲子園で、秋田県立金足農業高等学校が、信じられない快進撃。

県勢としては初戦敗退が常で、精々2回戦進出がなんとか・・・のレベルが、
この夏は違うのです。



8月 8日  金農 5-1 鹿児島実業
               11年ぶり6度目出場の金農が、初戦突破。
       県勢としは3年ぶり、金農としては23年ぶり。吉田投手14奪三振。

     組み合わせ抽選で、相手が鹿児島実業と聞き、今年も初戦敗退かと、
       思ってましたが・・・


8月14日   金農  6ー3 大垣日大   吉田投手13奪三振。

8月17日 金農  5-4 横浜     吉田投手14奪三振。

     なんと、あの横浜に勝ってしまいました~~


8月18日 金農  3-2 近江 2ラン・スクイズで逆転サヨナラ 吉田投手10奪三振。

     劇的な勝ち方でした、日頃の練習の成果ですね~~

     この試合中に学校豚舎では・・・・
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金足農ナインが準々決勝進出を決めた18日に生まれた9匹の子豚(同校提供)
 「雑草軍団へ9匹の子豚エール!」。
甲子園で金足農が快進撃を続ける中、
同校農場の豚舎でナインと同数の子豚が生まれた。
金足農は県大会以降、3年生9人が交代せず奮闘しており、
これに重ね合わせてツイッターなどで祝福の声が上がっている。
9匹の子豚が生まれたのは18日夕。
準々決勝で強豪近江(滋賀)にサヨナラ勝ちした試合の真っ最中だった。
午後5時ごろから1匹ずつ生まれ、
九回裏に2ランスクイズを決めた時も出産が続いたという。(魁新報より)



8月20日 金農  2-1 日大三    吉田投手7奪三振。

     辛くも、1点を守りぬきました~~

     
8月21日 金農 対 大阪桐蔭
    
     優勝決定戦です・・・雑草軍団 対 用兵軍団 の対決です。
      何処まで〝雑草魂〟で対峙出来るか!!!
      用兵達に、〝東北人は粘り強いなぁ~〟と思わせる戦いを!!!!!


以後は、試合後に・・・

余禄
金農は、今日が始業式の予定でしたが、21.22日を休校とし、23日に延期。
生徒の半数が、応援で甲子園だとか・・・
県教委の計らいで、県内他校では、決勝戦中継のテレビ観戦を許可とか・・

吉田投手の弱点は、犬と暗い夜道が怖いとか・・・(御祖父様談)
帰宅後の自主トレ・ジョギングは、梨栽培農家の祖父様が自転車で伴走してるとか・・
それをしないと、御祖母様に御祖父様が怒られるとか・・・
晩酌の時間が遅くなって困ると、嬉しそうにローカルニュースで云ってました。

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見事に負けましたね・・・13 対 2でした・・・
投手層の薄さ・打撃力の差・et cetera・・・

でも、準優勝です。田舎の農業高校としては快挙でしょう~ 
胸を張って、帰郷して貰いたい。


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高校球児が頑張ってる時に・・・
アジア大会バスケでの、日本代表の醜態。
日の丸背負って〝女を買った〟馬鹿が居る、4人も・・・
JBA(日本バスケ協会)会長の三屋裕子の会見、
JBAが派遣選手に〝倫理研修〟をしてなかったと・・・
馬鹿な事を言うなよ!!!  大の大人が!!! 研修で教える事か?
〝裁定委員会〟を設けて処分を下すと言う。その必要は無し、即断で!!!
矢鱈にデカイだけのバスケより出来ぬ、独活の大木ではないか!!!
バレーの三屋裕子が、バスケの会長なのも可笑しい・・・
バレー界でのポストが無いから、取り合えずバスケか???
協会から永久追放しろ、残したいなら〝去勢〟して残せ。
レスリング・ボクシング含め、管理職の体たらく・スポーツ馬鹿全開だ。

田氏に付いては何回か紹介してますが・・・
次なる目標のデナリ(マッキンリー)に向けて、着々と準備が進んでる様子です。

30代の半ばに植村直己・大場満郎氏の冒険に触発されて、
トライアスロン・100キロ越えマラソン・遠泳に挑戦。
カヌーでの琵琶湖横断・四万十川下り等々で経験を積む。

40過ぎて、エルブルス(5642m)登頂・タクラマカン砂漠1.000キロを自転車で縦断・
ユーコン河をカヌーで800キロの川下り・・・
昨年は、イラン最高峰のダマバンド(5.671m)からボードで滑降。
今年は、ダマバンドを含む3山からスキーで滑降。


長年の〝夢〟で有るデナリに登り、山頂からスキーで滑降すると言う・・・
決行は、2019年5月上旬~6月中旬の予定だそうです。

以下は最近の安田氏のブログより


通常の勤務をし、休日は日雇い労働をして資金を貯めての山行、
(冒険と言うべきか・・・)何が彼を其処までさせるのか・・・・

ふと目にした彼のブログに、コメした事からの始まったネット上の繋がりですが、
誰もが思いを実行出来る訳では有りません・・・
彼の信念と行動力に惹かれてます。 是非一読を!!!!

余り〝政治的な事〟を云う気は無いが、終戦記念日(敗戦記念日)を前に一言。

広島・長崎に〝原爆〟が落ちて(落とされて)、終戦(敗戦)と為りました・・・
原爆使用(投下)の是非には、言及しませんが、所謂本土決戦に為ったとしたら、
この国がどう為ってたかと思うと、ゾッとします・・・

73回目の〝平和祈念式典〟が、長崎で有りました。
田上長崎市長の〝平和宣言〟ですが、平易な言葉で訴え掛け、
昨年も今年も聴き入るに値する宣言でした。
一方  国を代表する為政者の話しは、誰の書いた原稿なのか・・・演説調・・・
通り一遍で、残念ながら心に響くものは無しでした。

今回長崎へは、国連の事務総長が列席し、演説の中で・・・
「2017年には1兆7000億ドル以上のお金が、武器や軍隊のために使われました。
これは冷戦終了後で最高の水準です。
全世界で人道援助のために必要な金額の80倍にあたります。」と。
さすが難民高等弁務官を歴任した方らしい言い回しでした。
そして、最後にこう結びました・・・・
「私たちみんなで、この長崎を核兵器による惨害で苦しんだ最後の場所にするようにしましょう。」





沖縄の翁長知事が亡くなりました・・・
毎日新聞の〝余禄〟です。
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翁長さんは、那覇市議・沖縄県議・那覇市長の約20年の間、自民党で活動。
県知事選からは自民から離れて、オール沖縄を唱えたとか・・・
その功罪には触れないが・・・

何故 翁長さんが転向したのか・・・

生粋の保守政治家だった翁長知事の転機は2013年、
那覇市長として参加したオスプレイ配備撤回を求める東京行動だったそうです、
「沖縄の総意」を示そうと銀座をパレードした沖縄県内全市町村長らに、
沿道から「売国奴」「琉球人は日本から出て行け」などの罵声が飛んだとか・・・・
東京のど真ん中で体感した、むき出しの沖縄差別に「衝撃を受けた」という。
これが事実なら、本土に住む者として、実に恥ずかしい話である。
翌年の知事選に「イデオロギーよりアイデンティティー」を掲げて出馬した際、
動機の一つとして繰り返し語っていたそうです。

国と対立して一歩も引かなかった背景には、あの日の屈辱が有ったからか・・・
右か左かのideologyよりは、琉球人としてのidentityがそうさせたのだろう。



翁長知事の死去にあたり、アメリカ国務省の報道担当官は8日、「遺族や県関係者と県民に心からのお悔やみを伝えたい」とコメントを発表した。
アメリカ政府は、翁長氏が反対してきたアメリカ軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を「唯一の解決策」としてきたが、報道担当官は翁長知事の日米関係における貢献に感謝しており、沖縄の人々にとって重要な問題をめぐる長年の努力は非常に価値があったととらえている」と故人を評価した。

米国の発表は外交辞令としても、官房長官談話と比べて、大人の対応です・・・




沖縄に付いては、こんな思い出が有る・・・
大学一年時に、一年間寮生活をしましたが、寮生は北海道から沖縄まで雑多でした。
中に沖縄出身者が居て、酒を呑みながら沖縄の色んな話を・・・目から鱗でした。
彼から聞いて驚いた(当時 沖縄の事は何も知らなかった・・・)事は、
沖縄の出入りにパスポートが必要・通貨は円ではなくドル・車は右通行等々・・・
当時の沖縄は、昭和47年の返還まで、米国の支配下(占領下)に有ったのです。

翁長さんも彼とはほぼ同世代、同じ様な思いが有ったのだろう。
原爆の災いや、沖縄の苦悩を忘れては為らぬと心した週だ・・・


長期患ってた母が94歳で死去、誕生日前だと2歳加えるとかで享年96歳。
死因は、肺炎と書かれてたが、痴呆と老衰に因る衰弱死と思う・・・
死因に?と思ったが、この様なケースでは心不全・肺炎と書くのが一般的とか・・・
一七日が過ぎたので、忘れないうちに記す。

7月28日(土)
土曜日に有るバドミントン教室に、孫達が来ていて帰りがけ家に寄った。
孫達がシャワーを浴びた後に、面会はこれが最後と思い入院先に向かう。
酸素チューブ・点滴・モニターに、下の孫は興味津津の様子・・・
血圧が低めで、毎分4Lの酸素吸入をしてるとか、片足の先が梗塞か? 紫斑が・・・
素人目にも先が近いと思った・・・




7月29日(日)
朝の8時過ぎに入院先の同僚看護士から、妻の携帯に連絡が入る。
容態が良くないので・・・との事・・・
実は10日程前から酸素吸入をしてて、時間の問題だと覚悟はしてた・・・

孫達が夏休みに入り、楽しみにしてた2泊3日のディズニーランド行きの計画が有り、
妻も躊躇いが有った様だが、娘一人で二人の面倒を見るには気の毒と思い参加させる。
この間には逝かないだろうとの、何の根拠も無い予測のもとに・・・
孫達が帰るのを待ってたかの様に、容態は悪化。

秋田市に居る妹にすぐに来る様に連絡し、病院に向かう・・・
10時頃に妹と母の姉の長女が到着。
妹を待ってた様に、呼吸する力が弱まり、11時32分心停止・・・
予て妻・妹と打ち合わせてた、葬祭屋に電話を入れる。
病院での処置に1時間程度掛かるとの事で、12時半に搬送の依頼。
死亡診断書を受け取り、院長・病棟看護士達に見送られ、
妻が搬送車に同乗し葬祭ホールに向かう・・・
ホールに着いたが・・・??? 自宅の在る町内を経由して来たとの話しだ・・・
部屋に安置して貰い・・・これからが一仕事だ。
担当の女性から、この後の葬儀まで一連の説明を聞く。

火葬後の家での祭壇までを、この葬儀屋に頼み、
秋田での葬儀・法要・お斎までを同系列の葬儀屋に頼む事にした。
明日10時に当地まで打ち合わせに来てくれる事に為った。

先ずは枕経の準備だ・・・

菩提寺は、秋田市の寺町に在る妙覚寺曹洞宗の寺で境内に墓が有り、
祖父母・父が眠ってるが、秋田から坊主を呼ぶ訳にもいかず・・・
妻方の菩提寺も曹洞宗であり、和尚とも義父母・親族の葬儀等で面識有り、
母の件も前々からこの時の事を相談してたのだ。
必要な時にはお手伝いをして貰える話しが有ったので、源守院の和尚に連絡。
3時から枕経を唱えて貰うことに・・・
其れまでの間に、カタログから衣装・棺・花等の選定。
火葬場の手配も済ます。(市に死亡届けを出す前でも、仮押さえが出来るとの話し)
24時間後の30日午後からは火葬可能だが、釜が4基有るのに31日の昼まで決ってるらしい。

火葬は、31日午後1時からに仮決定。

3時 源守院の和尚が見えられ、枕経を唱えて貰う。
和尚からは、自分も妙覚寺に連絡を入れるが、喪主からも連絡して欲しいとの事。
同門の寺同士でも、筋を通す必要有り。

枕経後に、妹達が火葬衣装準備の為に、一端秋田に戻る、通夜には来るとの事。

妙覚寺に電話したが、坊主が留守との事(3.4人は居たはずだが・・・)
電話に出た女性に事の経緯を話すと、坊主が夕方には戻るので再度連絡欲しいと・・
夕方6時に再度電話。
①8月1日の午後1時からの葬儀・法要・納骨・お斎の話しはOK。
②墓が寺に有るか? との問いだ・・・お前 本当に住職かと言いたかった・・・
 馬鹿タレ80年以上も昔から、高い管理料を払ってるではないか!!!!!
③次に読経の坊主が何人必要か? の話し・・・自分25万・弟子8万だと・・・
 父の葬儀を思い出し坊主+弟子2人を依頼。
④更に戒名をどうするか? の話し・・・院号付き40万・無し20万と言われる・・・
 父にも院号が付いてたので、同格にした。
 (因みに妻方の源守院は、院号付き5万・無し無料である。)
⑤寺での〝お斎〟のショバ代が3万と手伝い人が1人分6千円だと・・・
 坊主丸儲け・ボッタクリで有る・・・

母は生前、秋田市の古刹 曹洞宗・天徳寺(佐竹藩歴代城主の菩提寺)に、
曹洞宗総本山・永平寺の導師が訪れた時に、何日か修養を受け、
道師から生前戒名を授かった経緯が有る。
これは当時の天徳寺住職の母親と故人の母親が友人で、
子供の頃にも何回か祖母に連れられて、天徳寺に遊びに往った記憶がある。
こんな関係だったから、生前戒名が受けられたのかも知れない・・・

坊主に、母には生前戒名が有り、
それが記された清芳妙信の四文字の〝血脈〟なる物が有るから、
それを生かして〇〇院 清芳妙信〇〇と戒名にして欲しいと言ったが・・・
坊主曰く、生前戒名はナンチャラ・カンチャラで、没後に付けるのが正しいと言う。
付けて欲しい漢字が有るかとの言い種に、思わず言ってしまった・・・
天徳寺で永平寺の導師が授けた戒名ですよ!! と。
(あんたの寺より格式が高い天徳寺で、しかも総本山・永平寺の導師が付けた名だと。)
それを聞き坊主の言い方が、急に萎えるのを電話越しに感じた・・・

妹達が秋田から戻って来て、妻と4人での通夜・・・線香を絶やさない様に・・・




7月30日(月)
葬祭ホールには、キッチンや風呂が備わってて、コンビニで食い物さえ買えば、
2.3日は暮すに困らないレベルだ・・・

市役所が開く時間に合わせて、死亡届けを出しに往く、
火葬許可証(火葬場提出用)と埋葬許可証(寺提出用)を貰う。
後日手続きしたら、葬儀補助金5万が貰えるとか・・(期限内に手続きしないと駄目)

10時 秋田の葬儀屋の若者男子(感じの良い奴)が、打ち合わせに訪れる。
寺での葬儀の段取り、受付役・参列者人数予測(椅子の手配の為)・お斎の料理・
引き物他多彩で有る。
料理は市内のホテルから届けさせると言う、名の有る処だから間違いは無いだろう。

3時から〝湯灌(ゆかん)〟をし、納棺の段取り。
娘も休暇を貰い、孫達を連れて来てくれたし、妹の長女・長男も遠路到着。
症状が悪化してから1週間ほど入浴してないとの事で、
病院でも其れなりに処置をして貰ったが、葬儀屋に依頼・・・
湯灌は〝ショー〟で有り・・・たいして必要の無い事の様な気がした。
化粧が施され・死に装束を纏い・・・納棺、顔の周囲には生花を・・・
今夜の泊まりは、妹とその子2人・故人の姉の長女と妻だ・・・

この夜は、娘達と家に帰りユックリ寝る。




7月31日(火)
この日の予定は、火葬が1時から、出棺が12時10分。

夜明け方に、息子が埼玉から着いたとの妻からの知らせ。
妻と家に来る、夜通し車に乗って来たとの事で、一先ず仮寝をさせる。

9時に葬儀屋が火葬後の祭壇を設置しに訪れる。

朝起きた孫達は、初めて見るママの弟に興味が有る様だ、
寝てるからと言っても交互に覗きに往く。

喪服に着替え11時に、葬祭ホールへ。
12時過ぎに霊柩車に遺影と乗り、火葬場に向かう・・・15分ほどで到着。
市からの火葬許可証を係りの方に渡す。間も無く和尚も見えられ、読経。
火葬開始の1時には10分ほどの時間が有ったが、
係りの方が良いのならとの事で、お願いをする。約1時間と少しで焼けるとか・・・
和尚には、3時に家に来て貰い、火葬後のお経をお願いする。

棺が釜に入れられ扉が閉じるのを、普段は口数の多い下の孫が、
静かに見てたのが印象的だった・・・
火葬が終わり、釜の扉が開いて台車が出て来ると・・・
下の孫が「お婆さん 消えた 何処に往ったの?」と・・・

喪主が頭骨を拾うのだとか・・・他の骨を皆で少しづつ拾う。
骨袋には足・胴・頭の順に入れるとかで、係りの方がして呉れる。
骨箱を持ち、妻の運転で往路をなぞり帰宅。用意された祭壇に載せる。

3時に和尚が見え、火葬後の経を唱えて貰う。
読経後に和尚が母の事を話した中に、
和尚の母様と女学校(秋田北高)で同窓だった事を話された、世の中狭いものである。       
読経3回分(枕経・火葬前・火葬後)のお布施3万円をお渡しする。

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祭壇の遺骨の隣りに、このタンカ(チベット仏教の釈迦涅槃図)を飾った・・・
岩絵具と植物染料での手書き、’06年に初のヒマラヤ登山をした際に求めた物。

火葬に参列して貰った殆んどの方が、家に来て焼香して呉れたが、
夕方には皆さん帰り、息子と娘・孫達、妻だけに為った・・・

数年振りに息子が帰宅し、娘達も泊まると言ってる。
火葬が済んで一段落である・・・こんな機会は滅多にない、妻に言った。
婆には悪いが、皆で飯喰いに往こう~と提案。
娘に、個室の有る和食屋を予約させる。

家族が揃ったので、少し位散財してもいいだろう~
本鮪腹身・真鯛・平目・さくら等の刺身、旬の岩牡蠣、炊き込みご飯等々・・・
上の孫は鮪・真鯛・帆立刺身、真鯛兜焼きが美味いと荒喰い状態。
下の孫は、何故かご飯類が好きで、炊き込みが美味いと兄の分まで喰う始末・・・
息子は親に似ずアルコール類は駄目、日本酒で杯を重ねたい処だが、一人ビール。
岩牡蠣にレモンを搾ったのが、思ったより美味く追加喰い、皆 満足して帰宅。

明日は秋田まで往き、葬儀である・・・
母の友人にも連絡をしたかったが、妹に聞くと誰一人として存命者無し・・・
親類だけでの葬儀になる。

夜に、息子と孫達で花火をしてた・・・

※後日妻から聞かされた話
 この日の夜に、息子が姉と二人の子に、小遣いを呉れたらしい・・・
 特に娘の額に本人が驚いたと言う・・・いいから・いいからと言ったとか・・・




8月1日(水)
10時に家を出て、途中高速に乗り秋田へ・・・
一般道を通ると2時間掛かるのだが、1時間半後の11時半には寺へ到着。
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葬儀屋の係りが居て、今日の流れを打ち合わせる。
本堂で坊主の弟子に、遺骨・遺影・埋葬許可証をを渡す。
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本堂に有った卒塔婆と白木の位牌には、勝光院清芳妙信大姉 と書かれていた・・・
勝光を考えただけで、40万で有る・・・は父親の名前の一文字だ。
大姉はだまってても付く位号だ・・・

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坊主の弟子から、献香と書かれた桐箱入り長い線香と、
授興と書かれた壇信徒用半袈裟を貰う。
これを葬儀・法要中に首に掛けるのだとか・・・
坊主の袈裟に相当する物で、寺の行事や法要・他家葬儀の際に使う物とか・・
要は、この寺の敬虔な信徒だと言う証らしいが・・・
血脈の件で、文句を言ったからかナッ?
父の葬儀でも喪主だったが、こんなのは呉れなかったのに・・・
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本堂には大きな花束が飾られてた・・・妻の病院・息子の勤務先・親戚等々。
葬儀は約45分・トイレタイム後に、法要で修証義(しゅしょうぎ)を唱和。
外気温度は30℃を超えてが、屋根の高い本堂は意外と涼しい・・・
納骨で墓に出たが、読経中はクラクラする暑さだった・・・

お斎が始まる・・・普段賀状での付き合いより無いが、久し振りに男衆と会う。
喰い切れない量の膳で有った・・・暑い中での冷えたビールは美味。
お斎の途中で坊主と弟子が退席すると言うので、76.6万入りの御布施袋を渡す。
4時にお開きと為り、葬儀屋が供花で作った花束を皆さんに渡し、
白木の位牌・遺影と共に、飲まない息子の運転で帰宅。祭壇に飾る・・・




8月2日(木)
妻が香典返しの品を調達しに出掛ける。
夕方には、息子が近くに在る妻方の墓掃除をして呉れると言う。
盆も近いので、願ったり適ったりである、妻同行。

夜に妻がボソッと言う・・・ダンス教室のサマー・フェスの件だった。
言われて見れば、毎年の夏にホテルの広間を借りて20年来の行事た・・・
孫達とのディズニー行き以来、週2回の教室には行って無いのだ・・・
四九日が過ぎる迄は・・・と言うが・・・
死んだ者より、生きてる者が優先だから遠慮せずに往けと、一安心した様だ・・・




8月3日(金)
息子が昼には帰ると言う・・・弔慰休暇と年次休暇を併せて、一週間の休暇。
食卓に置いてる調味料セットの中の、密閉生醤油ボトルが勤務先の製品だったが、
冷蔵保管が品質保持上いいよと言われた・・・
日曜はゆっくり休んで、月曜からの出勤だとか・・・急に寂しくなる。

※息子が帰る間際に、妻に小遣いの封を渡したと、帰ってから開けてビックリ30万。
 親爺と半分で好きに使えと・・・思い出せば娘が結婚の時には、70万呉れたとか・・・
 妻には息子の帰りには、高速代と油代で5万呉れて遣る様に言ってたのだが・・・
 これでは親子逆だ・・・


          

8月4日(土)
今日は早くも、一七日(ひとなぬか)・・・あっと言う間である。

娘が出勤時に孫達を乗せて来て、妻が連れて来る。
バドミントン教室は1時~4時まで。
風呂のスイッチを入れ、3時半に迎えを兼ねて、様子を見に行く。
5歳児~中学生までの教室とか・・・ラケットが1万円とは驚き、ヨネックスだ。
下の孫は疲れ果てて、風呂に入る元気も無し・・・夜に娘が回収して帰った。




8月5日(日)
妻が今日から出勤する。祭壇に、昼に供える御霊供膳(おりくぜん)を指示される。
葬儀後、朝・昼・夕と毎日の膳を用意して貰って感謝、四九日まで続けると言う。
今日の昼用は、故人が好きだったアンパン・プリン・ジュース等で、
朝に下げた膳に盛られてた・・・
線香・ローソクを点け、読経のテープを流す様に言われる。
妻帰宅、供物の封を開けて・・・と言ったのに忘れてると小言を云われる、
既にボケが始まったのか・・・

我が家には、妻方の仏壇と二つの仏壇が有る、一人娘だった故だ。
感心なのは、自分の両親・父の月命日の朝に、忘れず御霊供膳を供える事だ・・
月3回が4回に為ってしまった・・・夜勤明けで時間的に遅れる事は有るが・・・
子供の頃に婆さんの姿を見てたし、母親もしてたから当然の事と思ってると。




8月6日(月)
昨日・今日と雨だ、涼しさを通り越して寒い・・・長袖を着て過す。
昼過ぎに葬儀屋が見え、火葬までの精算を済ます、34.1万だった。
忌明けの葉書印刷は無料らしく、必要枚数を後日に連絡する事に・・・
秋田での葬儀屋の精算はまだだが、見積もりでは35万の予定。

夕方 夜勤で出掛ける前に、夜の御霊供膳の手順を言われる、
ラッブを取りご飯・汁を温めて指示通りに・・・線香・ローソク・お経テープも。
小言を云われずに済んだ。




8月7日(火)
今朝も涼しいよりは寒い、午前中は庭・畑の草取り。
昼近くに為って蒸し暑くて作業中止。昼飯後に涼しい東風が吹き出し草取り再開。
夕方までやり畑の1/2が綺麗になる。明日も涼しければ庭だ・・・


後記
寺と墓の事を、ここ10数年色々考えてた・・・
今の人は、昔の様に産まれた経済圏で、一生を終える時代では無い。
それに少子化と地方の衰退で、子達は都会に出る・・・
何代も続く家などは珍しく為った。

妻方の苗字は妻で途絶え、我が家もこの先が不透明・・・
住めば都で、家は何処でも良いのだが・・・墓が問題。
この先何年100キロ離れた、寺と墓に往けるのやら・・・
足腰と車の運転を思うと、最大で10年以内にその時が来るであろう・・・

息子は800キロ先に住み、娘は1時間離れた地に嫁ぎ、誰が将来墓守をするのか・・

こんな風にも考える・・・
秋田の墓を墓仕舞いし、石塔(竿石)と残った骨を持ち帰り、妻方の墓地を整理し、
同一スペースに両家の墓を並べて立てる案だ、菩提寺は妻方と同じ源守院に頼む。
地区が管理する共同墓地なので管理料も格安だし・・・

是なら娘が、年一回の盆位なら両家の墓に来れるかも・・・
其れでも最大この先40年位のもの・・・
二つの墓に手を加えると為ると、百万程度では収まら無いだろうが・・・

将来 最悪秋田の墓の管理料だけを払い続け、
娘の手が及ばない様に為ったら、無縁墓扱いでもいいのでは・・
寺が何とかするだろう・・そんな風に思ったりも、
死後の事まで気に病む必要は無いのかも、山と海に半分づつ散骨して欲しい・・・

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