海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2019年01月

ここ数日の降雪・・・30cm近くが3日も続き、お疲れモードだった・・・
昨日は晴れ間が有り、除雪して溜めた雪を排雪。

この冬、県内では雪寄せ中、屋根から滑って落ちたり・排雪中に水路に落ちたりで、
毎年の如くに何人も亡くなってる・・・
昨日の排雪中に、土蔵と車庫の渡り廊下の屋根に載った雪が気に為ったが、
降ろしてる間に土蔵の屋根から、滑って来たのでは一溜まりもないと思い様子見・・

今日の予報では、晴れ間が出るとの事で、山スキー往きも考えてたが・・・
スキー遊びしてる場合で有りません、次の降雪に備えて排雪しておかなくては・・・

昨夜から今朝に掛けては暖気で、朝に見ると土蔵の雪が落ちてました~
今日も暖気予報で、朝飯後に雪の緩む前に、この冬初の渡り廊下の屋根の雪降ろし。
落ちた勢いで圧雪されガチガチに・・・剣先スコップで割って何とか降ろした・・・
汗ダクで大休止。

その後、家の前に溜めて置いた、1週間分の雪を排雪です・・・
溜め置く事で雪が絞まり、運び易くなります。
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一時溜めて置くスペースが有るので、降雪の度に排雪しなくても良いのが救いです。
除排雪スペースの少ない家は悲惨ですね・・・ご近所紛争のもとに・・・
降りたての雪は、1m3 当り100㎏位の重さと言われてますが、
日が経ち締まると、それが400㎏の重さに為ると言います。

何回か・・・菜園(畑)に運んでると・・・バキッと音が・・・
スノーダンプの骨が折れました・・・重かったのか・・・溶接部分から。
3年も使ってるし、買い換えても・・・と思ったが、
買いに行ってたのでは、遣る気が失せると思い・・・補強策!!!
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ブラ部分に、錐で穴を開け・・・針金で補強。

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これで、次の冬も使えそうです~~ 

熊皮も車庫から出して、久々の日光浴~~ 近日中に尻皮加工の予定です。
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その後、順調に排雪出来たので、補強策は成功でした~~
買い替えなかったので、3000円位は浮いたかナッ(^^ゞ。

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この冬は、少雪と思ってたが・・・今と為っては平年並みか・・・
イグルーを造る雪も充分だ・・・其の内に造って見よう~

昨日は、何がどうなったのか・・・夕方から猛烈な降雪に見舞われた!!!
2~3時間で30cmも積もり、薄暗くなってたが・・・
このまま朝まで降られたら、大変な事に為ると思い、山用ゴア上下を着込み除雪。
朝起きて降雪が無く〝ホッ〟とした・・・


昨日の午後に・・・愛用の〝大人の玩具〟が突然に機能不全に・・・
一大事である・・・玩具ショップに電話したが、定休日のテープが回るだけ・・・

今日、開店に合わせて本体を持って往き、診察を受けるも・・・異常無しの診断。
正常に作動するでは有りませんか!!! (診察料1080円也)

診立てでは、機能不全の原因は本体では無く、キーボードか鼠だと・・・
昼から〝鼠〟を連れて往き診察して貰うと・・・逝かれてると・・・
型式を見て、10年位前の代物だと・・・思えば娘のお下がりを使ってたのだ・・・
500円のも有ったが、980円也の〝白鼠〟を購入して、事無きを得た次第。

機械類に弱いのは、困ったものである・・・



今夜からまた〝寒波〟が来るとテレビで言ってる・・・
昨日寄せた雪を・・・菜園に運ばないと、家の周りが雪ダラケに為る・・・


あの三浦雄一郎が、南米最高峰からのスキー滑降を、
健康上の理由で断念したとか・・

計画の概要が見られます↓

朝日新聞同行記者のツィッター 詳細が判ります。



4200mのBCから、5580m地点へ〝ヘリ移動〟して、キャンプを進めて登頂。
登頂後に5500m地点まで下り、スキー滑降の計画でした・・・が・・・



日本からの〝助っ人〟と、現地ガイド達
               平出↓       雄一郎↓ 豪太↓倉岡↓大城↓↓貫田 ↓健郎
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シスパーレで名を挙げた、平出・健郎組、山岳医師の大城女史、
戦力には程遠い、倉岡・天国ジジイまで集めた隊です。



行動の概要(日刊スポーツより)
18年12月3日 86歳でアコンカグア登頂に挑戦すると記者会見
19年1月2日 日本出発
3日   アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに到着
4日   入山手続き
10日 ヘリコプターで標高4200メートルのベースキャンプ(BC)入り
18日 BCからヘリで標高5580メートル付近に入り、登山開始
    標高約6000メートルのキャンプ地「プラサ・コレラ」で宿泊
19日 気象状況が悪く、プラサ・コレラに滞在
20日 登頂断念(心不全の恐れ有りと大城医師が判断して)


町からBC(4200m)へ〝ヘリ移動〟、BCで1週間高度順応して、
5580mキャンプへ〝ヘリ移動〟?????
それは、雄一郎の体力消耗を配慮しての策だとか・・・
それにスキーとスキー靴を、現地ガイドに背負わせる計画だったとか・・・
他人に板を上げて貰って・健郎に確保されて登り・平出に滑走動画を撮らせる。
滑りの、旨いとこだけ取りの予定が破綻です。


麓の町から、ヘリで4200mBCに上がって、
更に5580mまでヘリを使ったのでは、
6000mで具合が悪く為るのは、当たり前の事。

僅か4・500m登って、はい終わりーでは、
何の為に、南米アコンまで往ったのか意味不明ですね・・・
(サプリのセサミンやロコモアの、CM撮りだったのでしょうか?)

(株)ミウラ・ドルフィンズには、6000mの高度(標高)までを体験出来る低酸素室が有り、
希薄な酸素濃度に慣れる事が可能です。(有料・民間ではここだけか)
ここに入っただけで、高度(高所)順応が出来る訳では無い。
雄一郎は家主なので、只で使えるだろうが・・・
しかし現実の6000mは、低気温+低酸素+低気圧が身体に影響を与えるのです。
気圧・気温は、高度(標高)が上がれば、下がるのが普通です。

例えば、平地(海抜0m)の気圧が1000hPaの時に、
6000mの気圧は半分の496hPaで、体の体積が膨張します。(山でポテチ袋が膨張と同じ)
これが高山病の症状の一つで、所謂 浮腫る(フシュる)と言う、ムクミです。
当然血管も太くなり血圧が低下しますし、脳もムクミ思考力が低下ます。

BC入り前の顔
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下山直後の顔
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顔のムクミが取れてません

ですから、低酸素を体験しただけでは、順応したとは言えません・・・
〝低圧・低酸素室〟に入り、高度と低酸素を同時に体験しないと、不十分なのです。
この設備は、鹿屋体育大学に有り、著名な登山家の中にはここで訓練してから、
ヒマラヤに向かう方がいます。
自称登山家の故人は、ミウラの施設で6000mの〝低酸素室〟を体験し、
これで順応したと言い、エベレストに往きましたが・・・
常にBC(5000m辺)の高度で、体調を崩してました。初期高度(高所)順応の失敗です。
実際は、山で標高500m毎の体調をチェックしながら、時間を掛けて、
高度(高所)順応するのがベストなのです。



大城・倉岡や貫田はエベレストの経験者、特に倉岡は12回も登頂、
こんな高度順応の仕方に、何も言わなかったのか・・・不思議。
相手は大御所だし、高額な契約金貰った雇われの身だし、
まァーいッか~~の、感じかなッ・・・  残念な話しである。


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こんな記事を見つけた

朝日新聞1月17日記事
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南米大陸最高峰アコンカグア(標高6961メートル)の登頂とスキー滑降に挑むプロスキーヤー三浦雄一郎さん(86)の遠征で、三浦さんの事務所「ミウラ・ドルフィンズ」は16日、予定ルートを変更すると発表した。
当初登るルートとしていた氷河の状態が不安定で登山に適さないと判断。
一般的な尾根伝いのルートに入って山頂をめざす。
ルート変更は状況によって、有り得るが・・・

当初は山頂付近に残るポーランド氷河(図の青線ライン)を登る予定だった。
だがルートを視察した遠征隊メンバーや現地ガイドが、氷河のところどころが非常に硬くなっていることなどを確認し、代わりのルートを検討した。
予定通り進めば、登頂は現地時間の22日になる。

変更後の計画では、三浦さんは、滞在している標高4200メートルのベースキャンプから18日にヘリコプターで発ち、標高5580メートル付近で降り立つ。
その後、尾根伝いの一般的なルートに向けて歩き、先に歩いて登る次男の豪太さんら遠征隊メンバーと合流。標高5870メートル付近にテントを張って宿泊する。
19日から、高度を徐々に上げながら3泊して移動し、22日の登頂をめざす。

氷河の状態を考慮し、スキー滑降は頂上付近ではなく、下山途中の別の斜面で24日に試みる。その後、標高5500メートル付近からヘリでふもとまで下山する。

スキー滑走の計画を、ポーランド氷河から大幅に変更しました。
図中の赤印から⑧までの僅かな間だけです。
⑧からは、ヘリでBCではなく麓の町まで・・・?????

登山活動の中心となる登攀(とうはん)リーダーの倉岡裕之さん(57)は「年齢を考慮し、まずは登頂するために検討した結果だ」と説明。
三浦さんは「体力に合わせて決めていただいており、登頂への期待が高まってきた」と話している。(金子元希 記者)

登頂が目的だったのか・・スキー滑降が目的だったのか・・


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三浦さん4年後のエベレスト登頂へ意気込み
3/27(水) 5:18配信 日テレニュース

今年1月、南米大陸最高峰・アコンカグアへの登頂を断念した三浦雄一郎さん。
26日夜の深層NEWSに三浦さんと息子の豪太さんが出演し、登頂断念の真相と、4年後のエベレスト登頂を目指す意気込みを語った。

プロスキーヤー・冒険家、三浦雄一郎さん「(登頂断念は)ドクターの誤診でしてね医者だって間違いはある。99.99%登れた。6000メートルだと酸素は(平地の)半分以下になりますから、誰でも呼吸は激しい。苦しくなる。大城医師と同じテントで暮らしていて、見ているうちにこれは危ないと。もう86歳、後期高齢者。いつ心臓が止まっても心不全起こしてもと判断したみたいだよね」

気圧の変化で、体調不良だった事が判らないらしい・・・

 二男・プロスキーヤー・博士(医学)、三浦豪太さん「ドクターストップがきっかけで『わしはもうダメなんだ。もう山には登れないんだ』と落ち込んでないかが一番心配だったんですが、(山から)降りてお父さんに話したら『6000メートルまで今回行ってドクターストップが掛かったことで、逆に90歳になったらエベレストに登れるという自信がついた』というすごいロジックが。この人まだまだ落ち込んでなくてよかったと思って」

「90歳でのエベレスト登頂に向けた自信のほどは?」

三浦雄一郎さん「やってみなきゃわかんない。五分五分ですよ。運がよければ登れるだろう。いくつになっても人間、これをやってみよう、これができたらいいな、そういういろんな願望を目標にしてそこに向かって、僕の場合、エベレストですけど、そのために足腰を鍛えることを繰り返すことが健康の大きな素になる」

三浦雄一郎さんはさらに、高い目標を掲げて実現するために努力する「攻めの健康」が最高のアンチエイジングとなると訴えた。
  

どーしょうも無いね・・・判ってるのか・・・

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阿部君が昨日、メスナールートから単独?で南極点に到達しました。
秋田県人として、100年前の探検家・白瀬矗(のぶ)中尉の〝夢〟を果しました。
今回の達成を次なる夢へとつなげ、世界初となる白瀬ルートへのチャレンジがいよいよ始まるそうです。
粗末な地図と六分儀・磁石を頼りにした、アムンゼン・スコット・白瀬矗達の探検時代と比較し、現代はGPSや衛星電話が有り、楽に為ったとは言え、快挙に違い有りません。
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極点冒険の様子は  https://www.jinriki-support.com/abe/
          https://twitter.com/masatatsuabe
                             https://www.facebook.com/garyu.keepsmiling/


続報です。
秋田魁新報 12月28日付け
11月下旬から日本人未踏のルートで南極点に歩いて向かっている冒険家阿部雅龍さん(35)=秋田市生まれ、潟上市育ち、東京都住=は、食料などの補給を受けない「単独無補給」での到達を断念した。行程の遅れで食料が不足する恐れが出たため、23日に補給を受けた。引き続き南極点を目指す。自らのフェイスブック(FB)の25日付の日記で明らかにした。
阿部さんは出発から31日目の出来事として、FBに「食料補給地点を通過。(中略)僕もここで補給を受ける。(中略)決断をするのは楽ではなかった」と記した。最後に「雪の状況は飛躍的に変わるはずだ。絶対に行くんだ、南極点!」と綴った。
食料補給地点とは、南極点到達を目指す冒険家らが、
ベースキャンプなどから物資の補給を受ける場所。

秋田魁新報 1月17日付け
 昨年11月下旬から南極点へ単独で歩いて向かった冒険家阿部雅龍(まさたつ)さん(36)=秋田市生まれ、潟上市育ち、東京住=が日本時間の17日午前6時20分、日本人未踏のルートで南極点に到達した。阿部さんから衛星電話で連絡があったと、所属事務所の人力チャレンジ応援部(神奈川県)が明らかにした。

 阿部さんは食料などを積んだそりを引き、南極大陸の西沿岸から東へ約920キロ歩いた。世界で初めてエベレスト無酸素単独登山を達成したラインホルト・メスナーさん(イタリア)が1989年に南極横断時にたどった「メスナールート」と呼ばれるルートを進み、昨年11月23日の出発から55日目でゴールした。

 東京・浅草で観光客相手の人力車夫として冒険の資金を稼ぎ、フェイスブック(FB)やツイッターで「夢を追う男」の名で冒険の計画を発信してきた青年が、また夢に一歩近付いた。阿部さんの次の目標は、にかほ市出身で日本初の南極探検家・白瀬矗(のぶ)中尉(1861~1946年)の最終到達点「大和雪原」を経由するルートでの南極点到達。「南極冒険日記最終稿」としたこの日のFBにこう記した
「白瀬ルートを成し遂げて、この南極点に帰ってくる」

雪の状態が悪く、予定より遅れて途中食料補給を受けたそうです。
当初計画の〝単独無補給〟は達成出来なかったが、
次回の〝白瀬ルート〟は充分な準備をして是非〝単独無補給〟で!!!


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後記 ①

今回の極点旅行を考えて、多少の疑問を感じてます。それを書きたいと思ってます・・・
単独無補給で極点を目指すのも、
一人(補給有り)で極点を目指すのも、凄い事ですが・・・
南極は探検の時代が終わり、冒険の時代も今や終焉の期に入ってる様です。

黒字は、阿部君のFBより抜粋
11月18日
【南極へフライト 日本人初の南極冒険へ】
この投稿を南極終了前の最後の投稿としてます。
南極のGPSポジションなどは公式HPからご確認ください。
https://www.jinriki-support.com/
現地時間18日に南極へフライトです。...
-30℃の低温
40日間の孤独  (実働40日?・予備日は何日か?)
日本人初ルート
360°雪の地平線が続く世界
100kgのソリを1日10時間引く苦行
南極特有のカタバ風という強烈な向かい風
標高2850mの南極点までのひたすらの上り坂
単独無補給スタイルでは今ルートの達成者は世界で2人のみ  (メスナー隊)
厳しい条件が揃います。
ですが、今までの実績と体力があれば必ずや達成できると確信しています。
南極飛行機会社に全装備品の引き渡し、最終ミーティングも終え、
後は心静かに夜明けを待つ。
11月20日に徒歩開始予定。
12月29日36歳の誕生日に南極点到達を目指します。
スポンサー様・個人支援者様・応援して下さる皆様。
全ての皆様。有難うございます。愛してるよ!

おれはやるぞ。
怖いからこそ立ち向かうんだ。
南極点に立った男になって帰ってきます。


 11月23日
午後にメスナールートスタート地に向け、
ベースキャンプから小型飛行機が飛びます。  (20日出発が悪天候だった様です)
体調は万全。停滞中も毎日二時間のトレーニングを欠かしませんでした。
メスナールートからのスタートで、
セルフガイドでのチャレンジは今年世界で僕だけです。
ですが、十分に達成できる自信に溢れています。
現地時間23日17時。
南極大陸海岸線から110キロのソリを引いて歩き始めました。
既に夕方だったので二時間のみ歩いてキャンプ。
気温は体感-23℃、僕にとっては快適です。
360度雪の地平線に取り残された時は一抹の不安を感じましたが、
すぐにナビゲーションの感覚を取り戻しました。
とりあえず自分を勇気づけるために、好きなアイドルグループのでんぱ組の音楽を聞いています。
少しずつ行動時間を伸ばしていきます。

 12月3日、11日目。行動時間6時間。距離12㎞。
ソリが重い。新雪が積もったせいか、斜め前方から風速10mで吹く南極カタバ風か、僕が疲れているのか。
ソリがつっかえてシールを履いたスキーが逆滑りすることすらある。
渾身の力で数十歩あるき、歩いては休むの繰り返し。
予定では11日目から20㎞を歩くつもりだったが全く消化できない。
時速1.5㎞しか出てない。
スタート時よりも速度が落ちている。
予定をこなせないと苛立ちが募る。
独りの世界では誰も慰めてはくれない。

 12月17日~18日。25~26日目。距離15+17㎞。標高1284m。
少しずつ雪の状況がよくなり距離が戻り始めた。
行動時間も1時間増やしている。
ーーーーー
(通信状況により文章が途切れています。事務局解釈で以下参考)
ただ、食料が足りない。「補給できるポイントもあるので、そこで補給するか」というベースキャンプからの打診があった。
「そこには多くの食料を備蓄してある。君が望むなら補給できる」と。

ーーーーー
積雪の影響でとても遅れている。補給さえできれば余裕を持って南極点に行ける。
時間さえあれば行けるのだから。だが、無補給ではなくなる。

それだけでなく、補給のための費用は少なくても数千万。
僕の残りの人生は借金返済で終わるだろう。
冒険の夢も果てるかもしれない。
南極に行った後の白瀬中尉の人生が浮かぶ。
南極後の彼は死ぬ間際まで南極の借金返済をしていた。
僕も同じ人生を辿るのか。
大きすぎる決断を僕は余儀なくさせている。
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極点までの行程の半分にも達してません・・・なのに食料が不足とは・・・
サポート会社からは、日々の通信・メディカルチェック・他を支援して貰うらしい。

12月22日~24日。30~32日目。距離12+14+17㎞。
31日目、食料補給地点を通過。一般的にここで補給を受ける。
僕もここで補給を受けることにした。
追加の食糧をとろうとする手が震える。
この決断をするのは楽ではなかった。
予想外の天気で遅れたとはいえ、無補給でなくなるのが堪らなく悔しい。
この冒険を実現するために影でどれだけ悩み苦しみ葛藤してきたか。

ーーーーー
(通信状況により文章が途切れています。事務局解釈で以下参考)
神様がいるなら、こんなに努力している僕を見捨てるはずはない。
僕が無補給に意固地になるのは、叶わない夢を貫くためではない。
充分南極点に到達できる食糧が残っている。
だから通常は到達できる。

ーーーーー
ただ以前のようなドカ雪が来たらアウト。
それに今回は距離の伸びが異常に悪い。
僕が何をすべきかと考えていた。
今回の冒険の本来の目的は日本人初のルートで南極点に到達し、
白瀬ルート実現の礎にすることだ。
くやしさに囚われると自分を見失う。
いま自分が何をすべきか考えろ。
未来のためにすべき決断がある。
ここからはノーマルルートに合流する。
雪の状況は飛躍的に変わるはずだ。
絶対に行くんだ、南極点!

現地時間1月12日~1月14日。51~53日目。距離23+24+24㎞。標高2808m。
凍った食べ物を行動中は食べるからか歯が欠けた。
つくづくこの生き方は身体に良くない(笑)
異常な積雪のせいで随分長くかかったものだ。
南極点は目の前。
情報では冒険家たちの過半数が途中リタイアしたそうだ。
南極冒険をセルフガイドでやるには審査があり半端な実力者は挑むことすら出来ない。
だから選りすぐりが集まり、通常は完走者が多い。
なんとも異常な年に当たってしまった。
僕はしぶとく粘った。
今は悪天候にも感謝している。
簡単に南極点に辿り着けたらつまらない。
苦労するから価値があるのだ。
僕の冒険は、有名になるためや名誉のためじゃない。
もっと自分が成長するためだ。
だから苦労するだけいいのだ。
神様は僕にもっと強くなれるようにと試練を与えたのだろう。
南極点まで、あと40km。


南極冒険日記最終稿。
 1月15日~1月16日。54、55日目。距離22+18㎞。標高2850m。
南極点までの総踏破距離918㎞。
目の前に小さく黒い点が見えてきた。
南極点にあるアメリカの観測基地だ。
永遠に思えた孤独の時間も終わる。
早くたどり着きたいが、疲れきった身体は重くスピードは伸びない。
黒い点が大きくなり、はっきりと建物と認識できるようになる。
南極点そばにある民間キャンプを過ぎて1㎞行くと、南極点のモニュメントがある。
目頭が熱くなる。今は泣いちゃダメだ。
嬉し泣きするのは白瀬ルート達成後まで我慢すると決めている。
今まさに世界の果てにいるのだ。
キャンプに戻ると、在スタッフが「アメリカ基地の見学に行けますけど行きますよね?」と聞いてきたが断る。
「なぜ?こんなチャンスは人生で2度とありませんよ」と言うので、こう答える。
「おれに限っては2度目があるさ。白瀬ルートを成し遂げて、この南極点に帰ってくるんだから。」
さぁ、僕の国に帰ろう。

これが今流の〝冒険〟でしょうか? 思ってたのとは、乖離してます・・・
40日の予定が、55日に・・・万一の食料補給地点がセットされての快挙でした。

次回の〝白瀬ルート〟は、今回の教訓のもと〝完全単独無補給〟での踏破を!!!

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後記 ②

1月22日 極点にて
【日本人初の南極点。次の夢は人類未踏、費用1億
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FBで、100kgのソリを曳くので、1gでも軽くしたいと歯ブラシの軸に穴を空けてたが、
玩具犬を積んでたとは・・・犬より食い物・燃料だろうが!!

日本人初ルート(メスナールート)単独徒歩で南極点へ到達(918㎞55日間)。
幼い頃から夢見ていた世界の果てへ冒険してきました。
全ては応援して下さる皆様のお陰と感謝してます。
100㎏のソリを毎日10時間以上引く重労働。2ヶ月の孤独。
体感-40℃の自然。標高3000mの南極の大地。
特に今年は例外的な積雪(少なくとも過去10年で最悪のコンディションらしい)で世界中から集まった選りすぐりの冒険家たちでさえも過半数が途中リタイアという異常な状況でしたが諦めずに歩き続け南極点にたどり着けました。
僕は決して元から強い人間ではなく身体が弱く運動もできない少年でした。
それでも諦めずに努力すれば夢は叶う、南極点までも単独で行ける、と強く感じています。
夢はこれで終わりではありません。
次の夢は人類未踏。
同郷秋田の南極探検家白瀬矗南極探険隊長が成し得なかったルートでの南極点到達です。
このルートは未だに誰も成し遂げていません。
クレバスだらけの南極横断山脈を越える超難関であると同時に、
極端に離れたスタートに立つための飛行機チャーター費だけで1億を超えます
大事な事は、"金額が夢の大きさを決めるのではなく、夢の大きさが金額を決める"
という事です。
今回の南極も1500万の費用が必要でしたが、沢山の方のお力をお借りして確保することができましたし、単独で南極点に到達することで多くの事を学びました。
この世に不可能はない、必ずや実現できると信じています。
チャレンジする楽しさ、南極の美しさを多くの人にお伝えしたいです。
阿部雅龍はこれからも"剛直に"走り続けます。
こんな僕に関わって下さる全ての皆様に有難うございます。
僕の背中を押して下さるのはあなたです。
きっと夢はまだ始まったばかり!

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後記 ③

更に疑問が・・・・
〝単独無補給〟で、極点旅行の予定が・・・食料不足と為り、途中で補給を受けた。
それでも〝単独〟で極点に到達したと言えるのか???

山登りの世界で〝単独〟とは、
BCから出発して・登頂して・帰るまで、全て自力で成し遂げての成果を言う。
途中で第三者から支援を受けたら、〝単独〟は成立しないのだ。
冒険や探検でも、それは言える事では無いのか・・・
厳しい言い方だが、単独
補給と単独補給では、その価値がまるで違うのだ・・・

この場合は、〝一人で補給を受け・歩いて極点に往った〟と、
言う事ではないのか? そんな疑問が残ります・・・

1月14日

昨日(13日)は田代岳に往ったが、今日も天気は良さそうです。
なので八甲田に往く事に・・・昨日の田代岳は 今季初・田代岳スキー登山


黒石インターで降りての岩木山〝津軽富士〟、珍しく〝ド晴れ〟です。
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黒石温泉郷までは、道路に雪が無く2駆で走ったが、山道は凍結してて4駆で・・・


開拓部落へ来ると・・・北八甲田の山々が、ドーンと望めます。
     田茂萢(タモヤチ)岳↓     赤倉岳↓井戸岳↓八甲田大岳↓
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樹氷がお出迎え、無線中継基地のアンテナにも霧氷が張り付いてます。
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田茂萢湿原です。
              赤倉岳↓井戸岳↓ 八甲田大岳↓
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赤倉岳から稜線通しにスキー縦走して、八甲田大岳経由で酸ヶ湯温泉に・・・
と、思ってましたが・・・出発時間が遅かった事と、祭日の晴れでスキー客や
樹氷見物の客でロープウェイ待ちが・・・

湿原に滑り込み、赤倉岳への登り口でシールを装着。
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樹氷の間を縫って、赤倉山頂を目指して登ります・・・
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赤倉岳の山頂近くになると、樹氷も小型化して・・・
画像に見える凸凹は、ハイ松に付いた〝蝦のシッポ〟が巨大化した物です。
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間も無く赤倉岳山頂
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倉岳山頂でシールを外し、滑走開始です。

赤倉と井戸の間の斜面を滑ります・・・
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井戸岳は双耳峰(山頂が2つ、北峰と南峰)、西側斜面の樹氷群。
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上毛無岱の入り口
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下毛無岱の雪原
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今日の装備
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天候に恵まれての樹氷見物でした。
帰りは、大川原温泉200円に寄り、一汗流して帰宅。

1月13日

秋田・青森の12日の予報が〝晴れ・曇り〟でした。
北八甲田の山スキー縦走を予定してましたが・・・
朝に青森市内からのライブカメラを見ると、上半分には雲が掛かり見えません・・・
戦意喪失で12日は、家でゴロゴロ・・・

今日の予報では青森が〝曇り・雪〟、秋田が〝晴れ・曇り〟でした。
八甲田を諦め、八幡平・秋田駒ヶ岳のカメラを見ると、晴れてましたが・・・
時 既に遅しです・・・朝食後に近場の田代岳に向かう事に・・・

8時半に家を出て、山瀬ダム・五色湖の橋に来ると、田代岳がクッキリ。
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登山口の大広手までの林道沿いは、予想以上に雪が少なく、
路面も先日の雨後の凍結で、ガタガタのツルツル・・・車が跳ね回る・・・

登山口の大広手に着いたが、先行車なし・・・
少し上の〝金堀沢〟からもルートが取れるので往って見たが、
積雪が少なく藪だらけ・・・これでは駄目だと引き返すと・・・2台車が来た。
2名でスキー登山らしい・・・準備をしてるともう1台来て隣りに止めたが、
金堀沢方向に走り出した・・・あそこから登るのか・・・

左尾根に向かうスキーのトレールが有り、昨日2人が登った様子。
30mほどトレールに沿って登ったが、尾根の末端方向へ向かっているので、
左尾根の分岐に出るべく、杉造林の中をジグ切って登る・・・

10時に登り始めて、30分ほどで尾根の背が見えて・・・  
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尾根に上がりました。
尾根上には、昨日通った登りと滑りの跡が・・・
ここでテルモス珈琲を一杯中に、末端から登って来た2人組が追い越す。
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尾根の急斜面に来ると・・・右足がずり下がる、シールの踏ん張りが効かない・・・
見ると・・・貼り流しシールの後ろ半分が、剥がれて雪まみれなのだ・・・
糊が劣化してて、多少カピカピ気味だったのは知ってたが、まさかの失態。
本来なら、これ以上は登れず・・・だが、こんに事も有るだろうと予測?して、
10mの3mmロープをザックに入れてます。
右足の板を外して、3mmロープをWにして縛り、10分位で応急処置完了。
遣り方は→ 山スキー・シール代替法 (後で画像有り)
今度は、右足の踏ん張りが効き過ぎて・・・ガンガン登れます・・・


左手に一昨年・昨年と課題にして登った、
(仮)五色尾根と手前の(仮)直登尾根が・・・間も無く1000mラインに到達です。
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この辺りのブナには、熊棚が・・・
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ブナの枝を折って、そこに座って実を喰うのだそうです、その痕跡です。
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(仮)五色尾根に突き上げてる、(仮)直登尾根の頭が1000mピークです。
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シール処置をしてる間に、先行者に離されたが・・・熊棚を見てました・・・
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上の熊棚は雪を冠ってますが、下には大きな棚が・・・幹には登った爪跡が・・・
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勾配が緩くなると・・・間も無く〝高層湿原〟に出ます。
スノーモービルの音が聴こえて・・・青森から山越えして、軍団が来てる様です
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高層湿原の入り口、奥に山頂ドームが見えます。
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太古の噴火口が崩れて埋まり、湿原が出来たとか・・・地塘が有る様ですが、
夏に登った事が無いので見てません・・・
山頂ドームは、溶岩が盛り上がって冷えて出来たとか・・・12時 高層湿原。
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山頂ドームへ登る途中から、見下ろした〝高層湿原〟です。
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例年この鳥居は屈んでやっと通れる積雪ですが、立って通れました・・・
モービル跡もバッチリと・・・
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秋に完成した、〝山頂神社 兼 避難小屋〟、12時20分頃着。
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げたシールを3mmWロープで、この様に縛りました・・・
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屋の中 前の古い神社は、爆弾低気圧で半壊状態になり県が再建。
神棚は引き戸で覆われてて、神社と言うよりは避難小屋の様相です。
膝高の板張りで、以前の様に靴のまま上がり込むのは、気が引ける代物・・・
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バン1個とテルモス珈琲で昼飯、外に出ると・・・軍団が再来襲です・・・
林間で昼飯を喰ってたのでしょう・・・小屋で喰わない辺りが可愛いか???
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山頂から滑り降り、少しの間、軍団を見てましたが・・・
彼等なりのルールが有る様です。
全員が走り廻ってたのでは、誰かが埋まっても判らない・・・
半数が下で仲間の動きを見てて、降りて来たら交代でスタートします。
中々の迫力です。
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帰路は、昨冬に足を運ばなかった右尾根経由の積もりでしたが・・・
雪が柔く緩斜面で板が滑らない・・・ダイレクトに大広手口に滑り込む事に・・・
ブナ林の中を、眼下に見える杉の造林帯目指して・・・滑るより落ちる感じで・・・
杉林の中に夏道が其れと無く判ります。
小沢を3本越えるが、スノーブリッジを探して、落ちる事無く通過。


今日のルート 
登り赤線 滑り青線  
昨年・一昨年と課題にして登った、(仮)五色尾根・(仮)直登尾根に通じる沢が、
〝外白爪沢〟である事が、積雪が少なく標識が見えた事で判明。
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車に戻り・・・林道を降りて往くと・・・道の中央に大きな落石か???
と、思ったら・・・動いたではないか!!!  熊でした・・・
車を避ける様に端に寄ったが・・・下は崖です!!! 車を止めて1枚 パチリ。
こっちを見てますね~
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速度を落としてユックリ近付くと・・・熊は後退りしたが、崖でこれ以上は下れず!!!
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更に接近して、1枚。 熊が固まってました・・・
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1月中旬に為っても、まだ冬眠してないとは・・・

1月9日


今日の予報では大雪だが、北陸や上信越辺りが中心らしい。
朝から穏やかで、日差しも有り寒くは無し。

久し振りに〝磔熊〟を車庫から出して、毛並みに沿ってブラッシングを・・・
皮自体は乾燥して、これ以上は縮まない気がするが・・・


ブラシを掛けると、そこそこ毛が抜け・・・5㎜ほどのダニの乾燥死骸も出て来る。
これは他者のブログにも書かれてる事で、折込済みな事だ・・・
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以外な事は、〝磔の刑〟前に、ボディシャンプーで皮側も毛側も洗って、
これで良しと思ってたのだが・・・毛の中にゴミ(枯葉くず)が入ってる・・・

それに、取り切れてなかった皮側の油脂分が、乾いてる様に見えても、
ブラッシングの摩擦熱で、溶け出すのだ・・・

和牛の霜降り肉の脂と同じで、低温でも溶けるのと同じなのです・・・
〝尻皮〟に加工しても、腰に触れる部分の脂が溶けて、衣服を汚すのは確実・・・
更に、油脂分除去の洗濯をしなければ為りません。

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今の時期は、外での水洗いも大変だし・・・水では脂分を流すのは大変・・・
お湯がふんだんに使える、風呂場より有りません。

(今夜は幸い夜勤で留守、このチャンスより有りませんね・・・鬼の居ぬ間に洗濯です。)



4時に出掛けたので、車庫から磔に為ってる熊皮を外して来て、洗濯開始です。
磔状態で干してたので、乾いて板状に為ってたが・・・
湯に漬けると水分を吸ってシナシナに・・・
最初はボディシャンプーで裏表洗って見たが・・・皮側の脂の取れ具合が今一です。

食器洗い用の洗剤〝Joy〟で洗って見ると・・・
何と脂分が乳化して、お湯が白濁するではないですか~~
二度洗いをした後に、濃い目のJoyを溶かしたお湯に、2時間ほど漬けて放置。
晩酌後に、泡切れするまで濯ぎ洗いを繰り返して、何とか完了です。


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抜け毛の痕跡を残さない様に、排水口の目皿等を全部外して・・・

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ネットでは、皮がキシキシするまで洗って、脂分を取ると書かれてますが際限なし。
お湯の表面に浮いて来る油膜が、微かに為った時点で止めました・・・


車庫の中で〝磔の刑〟の遣り直しです。
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乾いて皮が縮む時に、前回の様に針金が引かれて切れる可能性が有るので、
日に2回位は点検しないと・・・

これで乾燥後に脂が浮いて無ければ、整形をして、
愈々〝尻皮〟加工の段取りに入ります。
仮に多少脂が残っても、日除け用の防水テント生地が有るので、
裏打ちして加工すれば何とか為りそうです・・・この冬使えないと意味が無い・・・



次の土日は、今年初の〝晴れ・曇り〟予報です。
予報が変わらないといいのだが・・・ 山スキーが出来そうです・・・

1月8日

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年末年始は、連日タラタラと降雪が有り、毎朝の雪寄せが日課でした。
勿論 昨朝も今朝もですが・・・一度に大量に降らないのが救いです。



元日の夜は、恒例のウィンフィルコンサートを聴きながら、気分良く居たが・・・
聴衆の中に朝鮮の〝潘基文〟が居て、再三映し出されるではないか・・・
折りしも、火器管制レーダー照射問題が勃発中、折角の気分が半減だった。
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半島の〝おでん文字〟? 文字と言うよりは、まるで記号ですね。
読めない・書けない、識字率が低い産物だそうです・・・



2.3日は箱根駅伝。
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往路優勝が東洋大・復路優勝が青学・総合優勝が東海大と言う、最近に無い出来事。
しかも、復路・総合の記録が大会新だと・・・年々スピード化が加速してます。
往路の青学・復路の東洋大に、監督の配置ミスが無ければもっと白熱したろうに。
来年の青学は、4年生が抜けるので不利だが、東海大は3年生中心なので健在。
今年以上に、各区間入れ替わる混戦が期待出来るだろう~~



間も無く〝平成〟が終わる・・・お疲れ様でした・・・
次に来る時代はどうなるか???
米中の貿易摩擦・英仏の内政・〝痛い〟半島、等々不安な要素が多過ぎます・・・
国内では、大量の労働者の移入開始・消費税UP、本当にこれでいいのか???
誰かが前に云ってた〝美しい国 ニッポン〟は何処に向かうのか・・・
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敢えて〝旭日旗〟を・・・右翼では有りませんが・・・


今年は〝亥〟年、年男である・・・次回の〝亥〟を元気で迎えられるか?
この際太く長く生きたいものだ・・・

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