海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2019年03月

何とも凄い〝冒険スキー家〟がいます。
登るのにも難関と言われるK2から、スキー滑走をした話です。

世界初、8600メートル峰K2からのスキー滑降に成功した男、挑戦の物語

3/2(土) 8:42配信
ナショナル ジオグラフィック日本版
世界初、8600メートル峰K2からのスキー滑降に成功した男、挑戦の物語

パキスタンと中国の国境線が走る凍てついたカラコルム山脈。その山奥深くにそそり立つ花崗岩のピラミッドが、標高8611メートル、世界第2位の高峰K2だ。エベレストに237メートル及ばないものの、K2のほうが険しく、寒さも厳しく、到達が難しい。登頂に成功した人間の4人に1人が命を落としているという数字が、その危険を物語っている。1953年に登頂を断念した米国人のジョージ・ベルいわく、「あれは人を殺したがっている。非情の山だ」。以来、K2は「非情の山」として登山家の間で知られるようになった。

氷に覆われた崖、突如として発生する雪崩、意識を奪う低酸素状態、殺人的な寒さ、ひっきりなしに起こる嵐。これ以上危険な“スキー場”が他にあるだろうか。過去25年間、スキーの達人が何人も山頂からの完全滑降に挑戦しては失敗を繰り返している。エベレスト山頂から初めてスキーで滑降したハンス・カラマンダー氏は、2004年に目の前で滑落する登山者を見てK2挑戦をあきらめた。2009年、K2の下の斜面でトレーニングをしていたミケレ・ファイト氏は命を落とし、それを目の前で目撃していたパートナーのフレデリック・エリクソン氏もまた、翌年の再挑戦で、頂上からわずか400メートルの地点で転落死した。

「今まで達成されなかったのには、わけがあります」と語るクリス・ダベンポート氏は、ナショナル ジオグラフィックの元アドベンチャラー・オブ・ザ・イヤーで、世界エクストリームスキー選手権で2度の優勝経験を持つ。「世界でも有数のスキー登山家が、K2で命を落としているんです」

 一方、ポーランド人の冒険スキーヤー、アンジェイ・バルギエル氏(30歳)は、2013年から標高8000メートルを超える山をスキーで降りるという挑戦を始めた。その年には世界第14位のシシャパンマ山、翌2014年には世界第8位のマナスル山を制覇した。2015年、ゴドウィン・オースティン氷河を隔ててK2の向かいにある標高8047メートルのブロードピークを下りようとしたとき、巨大なK2の姿を初めて目にした。

「標高8000メートルのあの場所ほど、K2を望むのにふさわしい場所はありません。あそこで勇気をもらいました。よし、やれる、と思ったんです」

2017年、バルギエル氏はK2でのスキー滑降に挑むことを公表した。同じ頃、スロベニア人でベテランのエクストリームスキーヤーであるダボ・カルニカ氏も、同様の計画を立てていることを明かした。カルニカ氏は2000年に、世界で初めてエベレスト山頂からふもとまでの完全滑降に成功した。1993年にはK2に初挑戦していたが、標高7894メートルの地点でスキー板が風で飛ばされてしまい、断念せざるを得なかった。スキー板を失っただけで済んだのは運がよかったのかもしれない。この時の激しい風のせいで、登山中のパーティーはすべて撤退していた。

2017年の夏は、ふたりともK2への挑戦を果たすことができなかった。これは驚くことではない。状況が危険すぎて、何年もK2の頂上へ到達できないこともある。バルギエル氏は、弟のバルテク氏の操縦するドローンに助けられ、事前調査を実施し、予定しているルートを半分まで登り、高山の嵐に備えて避難用の穴を掘った。1日の気温変動に雪や氷河がどう反応するかを研究し、障害物を回避するために必要なタイミングやポジショニングを頭に叩き込んだ。雪山には、いまにも崩れそうなセラック(クレバスで断ち切れた氷塔)がいたるところに潜んでいる。2008年には、このセラックが1本崩落したために11人の登山者が命を落としている。

「K2への登山経験がある登山家やガイドと話をすると、『絶対に無理だ』と言われます」と、ダベンポート氏は言う。

バルギエル氏は、「私の成功を信じる人はほとんどいませんでした。一度目の失敗の後は特に信じてもらえませんでしたね」と明かした。

それでもあきらめることなく、2018年に再びK2へ戻った。最寄りの村からベースキャンプまで110キロの道のりを歩き、そこで天候の回復を待った。幸い、この年はK2へ登るには適した年だった。7月19日、バルギエル氏は酸素ボンベも持たずに頂上を目指して出発。7月22日午前11時28分、彼はスキーを持って単独で世界第2の山の頂上に立った。

風に飛ばされないように注意しながら、スキー板を荷物からほどいた。板の表面には、両親、3人の姉妹、7人の兄弟のイニシャルが書かれている。しかし、感慨にふけっている暇はない。スキー板を装着し、傾斜50~55度の急な氷の斜面を慎重に滑り降りた。準備中は不安に襲われることもあったが、実際に滑っている間は「すべての恐れが消えていました。心の中は落ち着いて、完全に集中できました」と後に語っている。

極限状態でスキーをするには、それだけ強靭な集中力が必要とされる。「転倒は、死を意味します。遺体すら発見されません」。2009年にK2で2度目のスキー滑降に挑戦した米国人のデイブ・ワトソン氏は言う。このとき、ワトソン氏は標高8352メートルの地点で胸まで届く深い不安定な雪に阻まれて滑降を断念した。

空気は薄く、バルギエル氏はカーブを曲がるたびに立ち止まって息を整えながら、標高7689メートルまで順調に下ってきた。ここから先は、キャンプや固定されたロープがあるメインの登山ルートを外れ、誰も足を踏み入れたことのない未知の領域へ分け入る。既存の一本道を行くのではなく、4本の登山道を結ぶ独自のルートを事前に描いてあったのだ。危険な道のりだった。

初めのうち、山をすっぽりと包む深い霧が、行く手を阻んだ。視界が効かない状態では、数ある崖やセラック、氷河を避けて通るのは不可能だった。より安全なアブルッチルートを行くという選択肢もあったが、そちらはブラックピラミッドと呼ばれる高さ600メートルの岩場をロープで懸垂下降しなければならず、全行程をスキーで降りるという目的が果たせない。緊張の1時間半が過ぎると霧が晴れ、前人未到の南側斜面へ向かって、歴史的挑戦の一歩を踏み出した。

その晩7時ごろ、バルギエル氏はK2のふもとのゴドウィン・オースティン氷河へたどり着いた。
所要時間7時間、垂直距離にして3597メートル。
命をかけた歴史的なスキー滑降は、こうして成し遂げられた。
心も体も疲れ果てたバルギエル氏は、そのまま1時間半雪の上に横たわっていた。
(中略)



日本でも、エクストリームスキーを標榜してる〝冒険家〟が何人か居るが、
これから見ると・・・まだまだです。
下手なお前が何を言うか!と怒られそうですが・・・上には上が有るものですね。

3月3日(日)

前日の天気予報は、〝晴れ〟でしたが、この冬は予報に騙され、
思う様な山行が出来ずにいました・・・

先日、山スキー一式(板・金具・シール・靴)を、22万円也で、
ディナフイット社製で新調したお金持ちと、テスト山行の約束をしてました・・・

今朝起きて、6時に天気予報・ライブカメラのチェック。
予報は3社◎マーク、カメラは秋田駒ヶ岳山頂丸見えです。
八幡平スキー場カメラは、既に登ってる人が映ってて・・・

6時半に迎えに来て貰い、八幡平へ・・・下界は放射冷却で霧が濃く・・・

スキーに着いて準備し、リフト運転前なので、場内をシール登行。
何か見覚えのある御仁も登ってます・・・
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スキー場を直登中・・・GW並みの日差しで、頭から流れる汗が目に入る・・・
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スキー場を登り詰めると・・・背後に焼山山塊が・・・ここも山スキーに良い処。
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スキー場の頭から、蒸ノ湯駐車場に滑り降り、夏の登山道の急登で又も汗だぐ・・・
途中でゴァツナギのサイドジッパーを、肘から膝まで開放してクールダウンです。


この辺の樹氷は落ちてますが・・・背後には焼山山塊が、奥に森吉山も望めます。
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登るにつれて・・・樹氷の残骸が出現・・・前日と今日の登山客の足跡が・・・
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鹿角山岳会が募集した〝樹氷見物ツァー〟の一団も、前後して登ってます。
中に元職場の同僚も居て、山で会うのは一年振り・・・       
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標高が上がると・・・樹氷がまだ生き残ってます・・・
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八幡平と言う名の通り・・・山頂近くに為ると・・・タイラです・・・
吹雪かれるとアウトですねぇ・・・
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右手にボンヤリ 秋田駒ヶ岳が見えます・・・
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岩手山も見えて来ました・・・
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籐助森1604mに来ると、八幡平山頂が目の前です。
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山頂の標識柱が見えます。                    
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山頂に着きました・・・
夏は青森トド松林の中で、見通しが無いので木組みの展望台が有ります。
八幡平の標柱は5m物で頭が1m少し露出してます・・・積雪は平年並み。
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山頂からの岩手山
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遠くに、八甲田連峰が・・・
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無風快晴なので、山頂で昼飯を喰い、小1時間休み・・・
籐助森でシールを外し・・・滑走です。


観光道路の、蒸ノ湯駐車場まで戻って来ました。トイレ棟は雪の中・・・
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ここでシールを再装着して、スキー場トップに登り、トップでシールを外し・・・
スキー場を滑って・・・終了です。

調べて見たら、この時期に、こんなド晴れの日登ったのは、
2012年2月22日以来でした・・・おかげで日焼けして、早くもガン黒に・・・

次回の山行時は、汗対策の鉢巻きが、忘れられない時期に入りました。


雪崩事故から丸2年が経過しようとしてるが、今頃 書類送検だそうです。

高校生ら死亡の雪崩事故、容疑の引率教諭ら書類送検へ

2019年3月2日 朝日新聞

栃木県那須町で2017年3月、登山講習中の大田原高校の生徒7人と男性教諭1人が雪崩に巻き込まれて亡くなった事故で、県警は来週中にも、講習会を主催していた当時の県高校体育連盟登山専門部の専門委員長ら引率教諭3人を業務上過失致死傷容疑で書類送検する方針を固めた。捜査関係者への取材でわかった。

捜査関係者によると、送検されるのは当時の県高体連登山専門部専門委員長で講習会の責任者だった教諭、亡くなった8人の班を引率していた当時の同副委員長の教諭、登山専門部の元専門委員長当日の計画変更に関わった教諭の3人

3人は事故のあった3月27日朝、予定していた茶臼岳への登山を悪天候のため中止。計画を変更して実施した雪上歩行訓練中に雪崩が起きた。
県警は、訓練をしていた斜面を新雪が覆い、雪崩注意報が出ていた状況を考慮。
雪崩を予見できたと判断し、3人が計画変更の際に危険を回避する注意義務を怠ったとして過失を認めたとみられる。
事故では、亡くなった8人のほか、講習会に参加した生徒や教諭40人が重軽傷を負った。


2017年の那須雪崩事故、教師3人を書類送検へ 業務上過失致死傷容疑で

3/2(土) 9:30配信  下野新聞

那須町湯本の国有林で2017年3月、登山講習会中だった大田原高の生徒7人と教諭1人の計8人が死亡し、他校を含め計40人が重軽傷を負った雪崩事故で、県警は来週中にも業務上過失致死傷の疑いで事故当時の県高校体育連盟(高体連)登山専門部専門委員長ら男性教諭3人を書類送検する方針を固めたことが1日、捜査関係者への取材で分かった。県警は遺族らに説明した上で書類送検する考え。事故は今月27日で発生から2年となる。

捜査関係者によると、3人は当時の同専門委員長で講習会責任者だった教諭のほか、亡くなった8人の班を引率した当時の同副委員長の教諭と、当時の同専門委員長の前任者だった教諭。

3人は事故当日の17年3月27日朝、天候を踏まえ登山の訓練を中止し、雪上歩行訓練に計画を変更した。県警は、3人が変更した訓練の行動範囲などを明確に決めず、雪崩の危険性を予見するための注意義務を怠ったなどとして、過失を認定したとみられる。

事故は雪上歩行訓練中だった同日午前8時半~45分ごろに発生。雪崩に巻き込まれ、8人が死亡したほか、40人が重軽傷を負った。同訓練には大田原高など県内の高校7校の生徒ら55人が参加していた。

県警は事故後、那須塩原署に特別捜査班を設置。教諭や生徒、山岳関係の学識経験者らから任意で事情を聴いていた。

一方、県教委が設置した第三者による検証委員会は17年10月、県高体連や登山専門部の「危機管理意識の欠如」などを最大の事故要因とする報告書をまとめた。
雪崩は予見可能だったとの見方を示したほか、関係機関に再発防止策を提言した。

また県教委は18年3月、「当日朝の計画変更、訓練内容、事故発生時の講習会本部の対応で、安全配慮が欠如していた」として、教諭3人を停職の懲戒処分とした。

事故を巡り、遺族と弁護団は今年1月、宇都宮地検を訪れ、教諭3人や当時の大田原高校長への厳重な処分などを求める申し入れ書を提出していた。



3教諭を書類送検へ 業務上過失致死傷容疑で 那須・雪崩事故

3/2(土) 11:22配信
毎日新聞


栃木県那須町の茶臼岳で2017年3月、登山講習会に参加した同県立大田原高の生徒ら8人が死亡した雪崩事故で、県警が来週にも、講習会を運営した教諭3人を業務上過失致死傷容疑で書類送検する方針を固めた。捜査関係者への取材で判明した。
県警は起訴を求める「厳重処分」の意見を付ける方向で検討しているとみられる。

送検されるのは、県高校体育連盟(高体連)の登山専門部委員長だった猪瀬修一教諭(52)▽亡くなった生徒の班を引率した菅又久雄教諭(50)▽登山専門部の元委員長で講習内容の変更に関わった渡辺浩典教諭(56)。

 3人は当日朝、悪天候のため登山の中止と雪上歩行訓練への切り替えを決めたが、生徒らは雪崩に巻き込まれた。県教育委員会が設置した検証委員会の報告書によると、現場の斜面は一般的に雪崩が起きやすいとされる35度よりも険しい38度程度の傾斜だった。事故の7年前にも近くで生徒が雪崩に巻き込まれていた。

捜査関係者によると、県警はこうした点を踏まえ、以前に雪崩が起きた場所と地形を比べるなどしていれば、雪崩が起きる危険を予見できたと判断。猪瀬教諭らが計画段階や当日朝、計画を変更した時点で現場への立ち入りを明確に禁じるなどして危険を回避する注意義務を怠ったとみている模様だ。

菅又教諭が現場の斜面に出た際、積雪内の崩れやすい弱層を調べずに漫然と生徒を先に歩かせたことも問題視しているという。

事故は17年3月27日朝に発生。県内7校の山岳部の生徒や教諭計55人のうち8人が死亡し、40人が重軽傷を負った。


【業務上過失致死傷等罪】とは、
業務上必要な注意を怠り、人を死傷させる罪。刑法第211条、5年以下の懲役もしくは禁錮、または100万円以下の罰金に処される罪です。


1名の教諭と7名の生徒が亡くなり、
参加者55名中40名が重軽傷を負わされた事件です。
僅かばかりの罰金執行猶予数年で、遺族が納得するでしょうか?

亡くなられた8人の遺族・関係者の方々は、この日を待ち望んでた事でしょう。
検察がどんな判断をするのか???
まさか、不起訴なんて事は、無いでしょうね!




図中黄色表示の、中央ルート・宮様ルート・大岳環状ルートの3ルートの、
竹竿標識の設置が終わり、今日(3月1日)から開放されました。


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中央ルート 約4キロ 赤倉岳基部から城ヶ倉温泉へ(ロープ駅への定期バス有り)
宮様ルート 約5キロ    々   酸ヶ湯温泉へ(     々      )
大岳環状ルート 約7~8キロ 酸ヶ湯起点の大岳周回コース、登り・滑り約半分。

図中空色表示の、銅像ルート 約3.6キロ
        八甲田温泉ルート 約5.3キロ
        箒場岱ルート 約6.3キロ
        睡蓮沼ルート 約3キロ は、4月頭に開通予定。
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周回のシャトルバスが、土日運行されます(バンフは昨年の物)し、GW中は毎日。

楽しみですねぇ~~

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