海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2022年11月

11月28日
先頃、と、Blogに書いた。
理由はハッキリしないが、この冬(南半球では夏だが)は延期で、1年先伸ばしだと言う。

2019年1月に、メスナールートで極点に立った際には、
と書いた。
翌(’20年)には、白瀬ルートから極点を目指す計画が、1年延期と為った。
その時の報道記事が、下の記事で有る。

FiiU88qUcAAsc7O
ボーッと読めば、其れ也の記事だが、メスナールートから出発時の画像が添付されてる。
添付画像を拡大して見たら・・・何と! 人3人・スキー3台・橇3台写ってるではないか!!!

FiiU88qUcAAsc7O
この時の、彼の冒険の謳い文句は、メスナールートから“単独で極点を目指す”だったはず。
同日、小型機でメスナールートの起点に、3人が降り立ち前後して行動してたのだ・・・
個別行動だと言っても・結果の成否に関わらず、こんな茶番が極地では、許されるのか?
記録にも3人居た事には、一切触れられて無いし、当年は悪天候で脱落者が多いと一言。
2人は途中回収された様だが、途中迄は極点目指して3人で歩いてたのだ。
互いの離れは、10km程度(1日の行程)で有ろう。吹雪かなければ、橇跡が目視出来る。
道中、互いの接触や支援が無かったとしても、登山界で言う“単独”登頂・登攀の範疇には、
当て嵌まらない事例だ・・・
しかもで述べた様に、途中で食料の補給を受けている。
この記述に対して、コメント欄に本人からの“強弁”が書き込まれてるので、参考に。
単独有補給→Alone 単独無補給→Solo の解釈等は、屁理屈に近い言葉遊び・・・
山では
Alone等の概念は無い。近いのが夏山の小屋泊まり縦走だが、単独で縦走したとは言わない、大概は1人で小屋泊縦走をしたと言う、
先鋭的単独山行は、当然無補給・無支援で達成出来たか? 否か? に懸かっている。
橇のトレールが有る処をトレースして、“単独”が成立する極地って、不思議な世界・・・

11月10日
先日、4年前に96歳で他界した、母の部屋の押入れを整理してたら、こんな“物”が・・・
サーベル式軍刀である。爺様の残したものに違いない・・・
2022_11030005
爺様は、明治生まれの職業軍人だったと聞いていた。小生が生まれる前に他界。
階級は中佐で、秋田駅前に有った連隊から、兵隊が馬を引いて家に来て、
其れに乗って出退勤してたと言う。この程度の話より聞かされて無かった・・・

2022_11030006

鞘は錆びてた。渋いので呉5-56を吹き、抜くと・・・一世紀以上経過てもギラン・・・
2022_11030008

長さ88cm。日本刀の様に切ると言うよりは、突き刺す事を主とした造りの様だ。
2022_11030010

軍刀を所持出来るのは、将校や上級士官に限られて様だ・・・
2022_11030011

柄は銅製で、桜のマークと透かし彫りが施されている。握りは革製。
2022_11030007
緑青が吹いてるので、銅製に間違い無い。
2022_11030013
2022_11030014
【秋田 駐屯地】で検索して見た・・・
大正9年の秋田市全図。秋田駅の表示が何故か無いが、広小路通りを挟んで、
司令部と駐屯地・練兵場が表示されている。
i-img1200x889-1659331771f6dhla311651
i-img1200x800-1659331777xrs7hx314821
ee8ae351
ここに帝国陸軍歩兵第17連隊の司令部と駐屯地・練兵場が有ったのだ・・・
後に、手形に全て移転。戦後、秋田大学鉱山学部の敷地(球場・グランド含む)と為る。

子供の頃、駐屯地跡には、広大な敷地に仙台高裁秋田支部がポッンと建ってた記憶が有る。
千秋公園(元久保田城址)東側の司令部跡には、県立病院が建った。

処で、中佐の爺様が17連隊司令部で、何の職務をしてたか?は不明だが、
17連隊を調べて見ると・・・連隊長は、歴代大佐が務めてたと言う。
爺様は、その下なので連隊長補佐? 副連隊長?
厳格だったと言うが・・・没後に生まれたので・・・その辺は不明だ・・・
仏壇の遺影を見ると、細身の穏やかな爺様だが・・・名前の一文字は爺様と同じだ。

父親は、戦争の話をしたがらなかったが、赤紙(召集令状)が届き、満州に出兵した。
満州の冬は、寒くて大変だったと、焚火での暖は、標的に為るので禁だと
聞いた事が有る。
小学1.2年頃に、確か「何人撃った?」と言う様な事を聞いたら、飛ぶ程張り倒された・・・
父親に叩かれた記憶は、この一回だけだった・・・以後、子供心に戦争の話は自重した。
17連隊の殆どは満州から、フィリピン戦線に配置替えされたが、悲惨な結果と為った・・・
父親は、
敗戦終戦)時に満州から無傷で帰国、爺様の配慮が有ったのかも・・・

因みに婆様は、県南の豪商の長女で、秋田女子師範学校卒業と同時に爺様に嫁いだと。
当時、羽後本線がまだ開通して無く、同郷の女子と家の馬の荷車に乗り、
約45kmの砂利道を丸一日掛けて、家から寄宿舎に来たと言う。
夏の帰省時には途中、羽織袴を脱いで、海水浴をしたと言うから、飛んでた娘だったかも。
冬は羽織袴に外套を着て、当時珍しいスキーもしたと言う。その血を継いだのかも?
年中着物姿で、解き・洗い張り・縫いを、簡単にする婆様だった。
進学するまで元気だったが、山嶽部に入り、GW中の新人合宿で穂高山行中に他界した・・
「勉強に行ってるのだから、知らせるナ」の遺言で、夏休みに帰省して知る事に為る。

一振りの軍刀から、色々思い出すこの頃・・・10日から後期高齢者だ、後少し頑張ろう!
さて・・・刀剣所持の許可証が見当たらない・・・どうしよう

11月8日
その後の顛末を時系列に記録する・・・

6日
妻が24時間後に、先の検査キットで再び試すと・・・
陽性でした。
症状は、気怠さ・熱・咳。ワクチンを4回摂取してるので、この程度で済んでるのか?
熱と咳は、家に有る市販の解熱剤と咳止め薬で何とか為るが・・・気怠さが改善せず。

一方俺は、ニワカ作りの“薬”等は、信用出来ず1度も摂取していない。
6日から、38.8℃の発熱・熱が原因と思われる関節痛・喉の違和感・眠気。
市販の解熱剤を飲んでも、1℃程度より熱が下がらず・・・
コロナ罹患決定です

7日
朝一、県のセンターから紹介された、市内医療機関3件の中で、
一番対応が良かった◯◯医院に電話。11時15分に来院する様に、駐車場に着いたら電話と。
例の防護服を来た看護師が現れて、奥に有る社員駐車場に案内される。
問診後に、鼻の粘膜から検体を採られたが、これがグリグリと結構効くのだ・・・
暫くして、医者が現れ2人とも陽性だと。下図の説明を受ける。
IMG
妻には、ここで薬を出すが、俺のは薬局に指示書をFaxするので、そこで受け取ってと。
更に、“ラゲブリオ・カプセル200mg”と言う、新型コロナウイルス感染症治療薬を処方するので、治療に係る同意書にサインしろと言う。

薬局に着いて電話。以下の4種の薬を受け取る。無料だ。5日分より処方されて無い・・・
IMG_0002

ボトルに入ってるのが、
ラゲブリオ・カプセル200mg。朝晩4カプセル服用。
一人分が9万4千円もする薬だそうだが、効く・効かないが半数だと。俺には効いた感じ。
2022_11080014
8日
この薬を飲んで2日目だが、喉の違和感・熱・関節痛・気怠さが、驚くほど改善された。
良く為ったと言っても、療養ガイドに従い11月13日迄は、大人しくして居なくては・・・

9日
目覚め時の体温は、36.8℃。平熱が36.4~36.5℃なので、少し高いが支障無し。
関節痛・喉・気怠さ無し。食欲は平常。
◯◯医院から、保健所に連絡が行ったのだろう、毎朝保健所より症状確認の電話が入る。
パルスオキシメーターも直ぐに届けて貰う。

10日
朝から症状無く過ごしてたが・・・昼から、熱が1℃ほど上がる。
解熱剤を飲んでての事なので、飲んでなかったら更に高熱だったかも・・・
今日は、75歳の誕生日だ・・・最悪な状態。

11日・12日
罹患中、朝夕にクレマスチン錠1mg(鼻の症状を緩和)1錠を服用するのだが、
これが強烈に眠気を起こす。殆ど毎日寝ていた様なものだ・・・
今日で与えられたコロナ関連の薬を全部飲んだ事に為る。

13日 療養解除

11月8日
 この期に及んで、突然の知らせ。詰めが甘いの感が有る。
11月4日 FBより全文(
黒字)紹介
【2022年 南極挑戦について大事なお知らせ】
南極スタート地点行きの飛行機チャーター会社とギリギリまで交渉を重ねてきましたが、最終的に双方の条件がおりあわず、今年の南極行き飛行機を飛ばすことが叶いませんでした。
これにより南極冒険が来年2023年11月に延期が決まりました。
延期して、条件が妥結するのか? 疑問。
契約には、契約時手付・残金支払が一般的だが、一括全額支払いだったのか・・・
前回の南極から帰国した直後である今年1月下旬から直ぐに交渉を進め、
米ドル払いのため円安により膨れ上がった5,000万以上に及ぶチャーター費も必死で集め、もう行くだけという状態でした。
心から悔しいです。
金の問題では無さそう・・・日程(期間)?
この夢の実現だけに人生の全てを賭けてきました。ですが決まった事実は変わりません。
消沈している場合ではなく直ぐに立ち上がらなければなりません。
来年の確実な実現と達成に向け進んでいきます。
延期となると、色々な厳しいお言葉も頂くと思いますが、正面から受け止め、
誠意と行動でお応えして行きます。この冒険は僕の人生そのものであり、
諦めるという選択肢は存在しません。立ちはだかる困難に挑み続けます。
2022年11月4日
皆さまの応援に感謝。
プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍
※延期によるクラウドファンディングや支援金の返金希望の方は、
お手数ですが僕に直接にメッセージをお送り下さい。個別に対応させて頂きます。

毎日新聞秋田版には、チャーター機に空きが無いと言う・・・
IMG_0001
テレビ社には、費用・危機管理だと言う・・・
IMG_0003
真相は藪の中だが・・・マスコミ2社の言う事が、これ程違うとは・・・

11月5日
昨日の事・・・妻が、明け方から咳き込み・熱も38℃有ると言う・・・
何十年振りの発熱だと言う・・・其れ以外の自覚症状は無しだと。
家に有った解熱剤を服用したら、37℃まで下がったと・・・

今朝・・・平熱まで下がったと言うが、本人曰く咳が気に為ると言う。
遂に我家へも来たか!  市の相談室に電話するも・・・応答無し。
県のセンターに電話し、市内の3医療機関を紹介されたが、何処も土曜日で断られる。
1医療機関は、月曜日ならとの話だ・・・真性だったら、悠長な事を言って居られ無い・・・

看護師仲間に電話すると、運良く1人が検査キットの在庫が有るから、取りに来いと。
ポストに入れて置くから、受け取ったら再度電話せよと・・・消毒するとの事だ・・・
2箱持ち帰り、鼻の粘膜を付属の綿棒で・・・液に浸してキットへ・・・判定は陰性。

検査キットには、丁寧に手順が書かれてて、判り易い仕様だった。

2022_11050014
もう1箱は、24時間後に再検査用だと言う。
取り敢えずは一安心だが・・・市役所の24時間対応は何? 休日はお断りなの?
県のセンターは対応してくれたが、紹介された医療機関の対応は・・・

世の中“コロナ疲れ”なのだろうか・・・罹患するのは当たり前、騒ぐ程では無いのかも。
そんな風に思った・・・明日の再検査がどう為るか? だが・・・

に続く

11月4日
日本海での“戻り鰤”釣りを予定してたが、荒れ模様で3日間は出船出来ず・・・
最後に為るか? の、姫鱒釣りに出掛けた。

十和田湖に向かう樹海ラインを通り、外輪山の最高高度の地点(約800m)に近付くと、
路面に雪が・・・立木には、霧氷がビッシリ凍り着いてる。これがバラバラ落ちて来る。
幸い、履き潰しのスタッドレスなので、路面の雪は気にせず走れる・・・
ニュースで酸ヶ湯が8cmの積雪と言ってたが・・・
2022_11040001
和井内孵化場の遡上口に着いたが、車を停める限られたスペースが満車。
旧道からの別れに、駐車可能な処が有るのは、前から知ってたので、其処に停める。
100m程歩いて、釣座を確保・・・遡上口を見ると、偶に2.3尾が遡上しようとしてるが、
鼻先に餌が有っても、喰い気無し。手前に居るはずの群れが見えない・・・
余程、遡上予備軍が少ないのだ・・・

ここの遡上口は、例年10月25日に開放されてたが、孵化場で捕獲してる6000尾に達せず、
11月3日の開放と為った。それだけ姫鱒が少なく為ったと言う事だ・・・

遠投で深場(2m位)を探っても駄目、延竿で駆け上りの浅場を探っても駄目・・・
ピーク時には10人程居た釣り人が、1人欠け・2人欠け・・・
2022_11040002 パノラマ写真
昼過ぎに風が出てくる、予報通りだ・・・雲が流れて来ると、雨が霰に変わり雪が降る。
竿を持つ手が冷たい・・・ホッカイロを両ポッケに入れて、交互に温める。
結果、当たりも無く、竿を畳む事にし、暖房を掛けて帰路に着く。

今日の釣場で・・・
①仕掛を見て・・・拙Blogで見たと言う方に会う。八甲田で山スキーもするとの事だ。
 提灯釣り的な、全フカセ仕掛で釣果を挙げてた。喰いが渋い時には、これは参考に為る。
 ウキと重りの負荷・違和感が無い分、喰い込みが良いのかも・・・
②東京から来たと言う若者。 西湖での姫鱒釣りと釣り方が、全然違うと言う。
 時間帯・場所・餌・仕掛等を説明する。宿が取れたので明日も釣ると言う・・・
 餌のサシ・葡萄虫を残しても無駄なので、全部渡して来た。

今年の姫鱒釣り総括
兎に角、魚影が少ないし、比例して釣果が望めなかった・・・
10月12日に、明け方から2時間で11尾が釣れたのが、最大の釣果・・・
解禁日から2週間がピークだった。

帰宅すると・・・
妻が、昼から38℃の熱が出たと・・・解熱剤を飲んで37℃だと・・・支那の疫病?
朝方に咳をしてたが・・・他の自覚症状は無いらしい。マスクを2重にしてた・・・
晩飯を早目に切上げ、自室で一杯遣りながら、Blogを書いてる。罹ったらドウシヨウ・・・

↑このページのトップヘ