YahooNew-s の魚拓を取った。
(Yahooは期限が来ると削除され閲覧出来なく為る。)
黒字は藤岡、青字は私見
登山家・栗城史多の死から5年。「凍傷は雪に手を突っ込んだ自作自演」という噂は本当か。
YahooNew-s の魚拓を取った。
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黒字は藤岡、青字は私見
上記一文は、小生が省略した画像の、投稿時の説明文。それが、26日の夜に見ると、以下の様に差替えていた。西稜にcouloir等は無いと指摘され、差替えたと思われる。
栗城史多 2012年10月17日エベレスト8000m付近 画像:栗城事務所
(夜中の3時に到着したと言ってるが、高所登山の位置証明は、
周囲の景色を撮った画像の有無が重要。
過去、栗城はマナスルに登ったと言ったが、画像から前衛峰と判明。
登頂者リストに、名の記載が無い。サウスコルに立ったと言った時も、
真っ暗な中で足元だけの画像。あんなものは、BCでも撮れるのだ。)
遥か手前で凍傷で撤退したと思われる。字も間違い、西陵✕ 西稜◯
西稜から北寄りに横断して、初めてcouloirに出る。地形図を見ても判る事だ。
栗城事務所提供画像を“鵜呑み”するとは・・・
画像で説明する。 西稜は、狭い尾根で難関ルート。白線が、Hornbein couloir
栗城は、裏側のネパールから西稜上に登り、traverse(黄色線)して中国側のHornbein couloirに入る予定。当然、両国の登山許可が必要と為る。
栗城は、西稜から黄色線を辿り、 couloir直下の8千m付近まで登った事に為ってる。
栗城が西稜から、雪田(雪が溜まった処)をtraverse(横移動)して、
強風の中Hornbein couloirに到達したとは、とても思えない。
赤線のメスナールートの、traverseも出来なかったのに・・・
私は、2015年に栗城本人から映画を依頼され、2019年に栗城事務所・小林幸子マネージャーと父・敏雄さんと話し合って同意を得て、栗城の映画製作をしている。
没後に親も同意してたとは・・・そして今回の美化映画にも同意した・・・
現在、彼が撮りためた膨大な映像素材の確認と整理も終わり、関係者インタビューもある程度集まった。
ニート登山家と称して売り込んだ土屋、自称alpinistの野口、ガイドの近藤・花谷、
皆お友達だ・・・真実が聞けるか? 辛口なのは、3.5流と言った服部だけ・・・
登山ライターの森山氏、商売敵の河野等の、Interviewを録る気が無い様だ!!!
実は、森山氏は栗城が死ぬ1年前に、記事にしない約束でInterviewをしていた。
その後に、この様に書いている。『自分が今迄に栗城に関して書いた記事を、
訂正する必要が無いと感じた』・・・と。これが何を意味するか? 聞いて見たら?
死後も議論は続いている
生前、栗城を「3.5流の登山家」とテレビ番組で言い放った登山家・服部文祥は、今年行った映画のインタビュー終了後に、こう呟いた。今も彼のために動く人がいるのかと。
「服部氏が、栗城を3.5流と言い放った」と有るが、山の世界では著名人。
正統派VS栗城流の差、4~5流と呼ばれなかっただけ、良しとしなければ・・・
文祥さん 栗城の為では無いですよ。金目以外に無いでしよう~ 貴方は優し過ぎる。
栗城は、賛否両論ある登山家であった。死後も彼に関する動画や本が出されている。ほとんどは批判的な論調だ。5周忌を迎えた今、追悼の意味を込め、映画の取材で得た情報やインタビューを元に、新しく生まれた噂を検証してみる。
予告動画の中でBCとの交信、’18年BCに戻りカメラ不具合の件、
おんぶに抱っこでないと山登りが出来ぬ、自称単独標榜者。
Axe shaftで頭ゴッツンの衝動に駆られた。
栗城の凍傷はパフォーマンス?
栗城は、2012年4回目のエベレスト挑戦中に重度の凍傷となり、指を9本失うこととなる。これに関して、指の凍傷は演出だったという噂がある。前出の服部も聞いていた。
服部文祥:
「指の凍傷はわざとで、パフォーマンスの一部みたいですよって。その噂を聞いた時、なんかちょっと、ストンと腑に落ちた。すげぇことすんな、こいつって。まぁ知らんけど。会ったこともないし」
この噂は本当なのか。どこから生まれたのか。
当時、3回やっても登れない。
8千mの遥か下からアタックし、アリバイアタックと言われ始める。
山頂迄は、標高差1千3百m以上も有り、無酸素では到底無理。
有酸素(ボンベ使用)でも、其の日の内に帰って来れるか? の距離だ。
現にこの時も、日暮れからアタック。普通は夜間の長時間行動は考えられない。
しかも、凍傷でシェルパに救助される。単独なのに、シェルパが直ぐ来た不思議。
4回目も駄目なので、話題作りに軽い凍傷にでもと、これが遣り過ぎて大失敗。
2チャンネルで、当時そう噂された事が有ったのは事実だ。
噂は2020年に生まれた えっ!!!
私は、栗城の生前に「自作自演説」を聞いたことがなかった。あったのは「スマホを触るために指なし手袋を使って凍傷になった」というネットの書き込みぐらいだ。結論から言うと、この新しい噂の出処は、死後に出版された「デス・ゾーン」という本にあったと思われる。問題の箇所を引用する。
「デス・ゾーン」が発売されたのは何年ですか? 稚拙過ぎる結論。
小生の記憶ては、「自作自演説」が流れたのは、凍傷発覚後の間もなくです。
旧2チャンネルの、当時の書き込みを調べたら判ると思うが・・・
映画の中で、そんな解説したら、見識と考察能力の無さが疑われるゾ・・・
森下さんは今も交流が続く隊員の一人からある情報を得ていた。
「登頂を諦めて『下りる』って言ってから、四時間も無線連絡が途絶えた、呼んでも返事がなかった、て…。何してんだって思った。
それで最初は、栗城が自分で手袋を外して、雪の中に指を突っ込んだんじゃないかって…。凍傷になるために、わざと…ここまでひどくなるとは想像せずに」
その後、22時間も外にいたと知って多少は自作自演の疑念を拭ったが、そんな長時間行動すること自体、高所登山のセオリーを無視している。
栗城さんの凍傷は、広い意味で言えば、やはり演出上の誤算だったのではないか?
「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」河野 啓 集英社 218~219Pより引用
本文に登場する森下とは、2010年まで栗城隊スタッフをしていた栗城の北海道時代の先輩だ。おそらくは、この文章が一人歩きし、凍傷は自作自演という噂に変わった。
単独・無酸素を、栗城はどの様に考えていたのか? が、最も重要だ。
これを突き詰めれば、これまでの栗城の山行で、単独と言った行為の全てが、嘘だった事が判明する。(例・北米・アフリカ・南極・etc)
根拠を述べてもいいが、長く為るので省略する。
河野 啓よ、 藤岡に綾付けられてるぞ、怒りの狼煙を挙げよ!!!
本文の登場人物に聞く
エベレストのベースキャンプでは、本当にそのような噂があったのかどうか。私は森下に連絡し、自作自演の噂を誰から聞いたのか尋ねた。
「え?そんなこと書いてますか?ちょっと待って下さい」
森下は少し驚き、書かれた部分を読み返した。
「あぁ、これは僕の想像です。高所に22時間も滞在していて、普通ならすぐ下山するのに何をしてたんだ、と思ったことから出た想像です。他の誰かから、雪に指を突っ込んだという情報を聞いたわけではないです」
これで、自作自演説はただの想像であり、現場の情報ではないとわかった。念の為、当時の隊員たちにも聞いてみたが、やはり「そんな話は知らない」と全員が否定した。
指の自撮りもしていない
映像素材からの傍証もあげておく。もしも演出なら、カメラに映すのが自然だ。しかし栗城は一度も指を自撮りしなかった。ヘリで下山する際に、一瞬だけカメラマンに黒ずんだ指を見せるが、すぐに隠している。カメラで映さずして、どういう狙いの演出なのか。
凍傷がどんなものか? 知らない様だ・・・自撮り等出来る状態では無い。
凍って往く時は、冷たさは感じるが、凍ってしまうとその感覚が無く為る。
解け始めると・・・強烈な痛みで、この時に始めて凍傷に罹った事が判るのだ。
自撮りはしてないが、下の画像は、ヘリで救出される際に、撮られた画像だ。
8千mに無酸素で登ると言った男が、6千mから飛び立つ時に、酸素吸入?
凍傷は、酸素では改善・緩和される事は無い、
目が死んでいる。凍傷のショックが大きかった事が伺える。

高所登山に、凍傷は付物だが、治療過程を公表した方を知らない・・・
恥ずかしくて出来ないのが、普通の感覚だ。お涙頂戴の気だったのかも・・・
もちろん、高所で酸素が足りず、通常の思考ができなくなった可能性も否定できない。だが、無線のやりとりを聞く限り、寒さや風の強さ、自身の状態を理解していた。参考として、凍傷時の栗城の行動を記す。
10月17日19:00、キャンプ4(7500m)から頂上へ向けてアタック開始。
18日3:33に西陵ホーンバインクロワール直下に(8000m付近)到着。
「手足が動かない。時間がかかってる」
6:30、強風で行動不能となり時間的にも無理と判断し、無線で撤退宣言。
8:18、9:07の無線「岩陰に隠れている」
9:42の無線「手が凍傷になった」
17:30頃、キャンプ4のテントに帰還。そのままステイ。
19日夜、救出に来たシェルパたちと共にキャンプ2(6400m地点)へ下山。
20日、ヘリが飛ばずキャンプ2にステイ。
21日朝、ヘリでキャンプ2からカトマンズの病院へ搬送。
インナー含め正しく装着してたとしたら、凍傷に為る訳が無い。
確か足の指も凍傷に為った・・・MILLETは、粗悪品と言う事だろう。
これで凍傷なら、製品として3.5流品。文句付けて慰謝料貰ったか?
滑落死時の装束も、MILLETのダウン上下に、靴までMILLETだった。
もう一つの、凍傷に関する噂
ついでにもう一つ。「指なし手袋を使ったから凍傷になった」という噂は、栗城本人が生前、ツイッターで否定している。2012年凍傷直前の映像を確認しても、インナーの手袋をしたままで無線しており、10本の指は露出していない。無線以外で誰かに連絡したという話も聞いていない。
噂の検証結果
以上の検証より、私は、凍傷が「栗城の自作自演」と「指なし手袋でスマホを触ったせい」という2つの噂は「嘘」と断定する。凍傷は演出ではなく、登山行動中の判断ミスだ。栗城ならどんな嘘でも許していいとは思わない。
様々な解釈を生む、行動と言動
その上で、森下が抱いた疑念というのは、自然な考え方だった。それぐらい栗城の行動は理解不能だった。栗城と親交のあった国際山岳ガイド・近藤謙司は、凍傷のニュースを聞いた時の心境を静かに語った。
晩年栗城は、エベ峰BCで、近藤隊と隣同士テントを張る事に為った・・・
近藤はSNSに「隣に栗キントン」と投稿。栗城は嫌だったろうと想像した。
BC設置の位置は、早い者勝ち、平らな良い処から埋まって行く。
シェルパを先行させ、BCを設営させてから、栗城が乗り込む筋書きだ・・・
まさか一般登山客を引き連れた 近藤隊の隣とは、夢にも思わなかったろう。
狭いBCスペース、今更移動も出来ず、悶々とした毎日だったと想像する。
近藤謙司:
「ちょっと悲しくなりましたね。多分、分かってたんじゃないかなって…。
凍傷になるのを覚悟していて、行っちゃったんじゃないかなって…。
栗城は、引き返すだけの知識も体力もあったと思うんです。
指を守ることができたんじゃないかなって…。
本当に指を失っちゃうまで…この子は、山に、病に取りつかれちゃってる。
悲しかったですね…」
後日、近藤は栗城に凍傷の名医を紹介した。「1mmでも指を伸ばして欲しい」そんな近藤の思いをよそに、栗城は名医の治療をやめて、インドへ旅立ち、指の謎治療を始めた。
医師から、炭化した指を切断すると言われ、そんな筈では無かった・・・と後悔。
民間エセ治療をしたが、結果切断。時間と費用を無駄にした。
切った医師は、術後の仕上げ方(整形)を知らず、駄目な巾着縫いにした。
縫合跡から、血が吹く始末だった。フランスでの岩登り訓練で、それを体験した・・・
クラック(岩の割れ目)に指を入れて支えにする時と、細かいホールド(手掛り)を探す時は、素手でのシーンが有る。まともな指でもザラザラに為るが、縫合跡は薄皮だ。

一番簡単な遣り方だが、皮膚に下方向の引きの力が掛かると、縫合跡に負荷が掛かる。
親指・中指の先端に縫合跡が見られる。一番良い整形法は長く為るので省くが、
腹・太腿等から肉付き皮膚を採り、被せて指の側面360°を縫うのがベスト。
栗城は行動と言動がわかりにくい。単独と言うが、割と近くにシェルパや撮影スタッフがいる。だから~理由の如何を問わず、それを“単独”とは言わないのだ!!!
わざわざ難しい方法で、登頂者が増え続けるエベレストを登って、8度も失敗する。普通の人なら何かを変える、もしくは諦める。しかし、彼はやり続けた。
「なぜ同じやり方で登り続ける?」
この問いかけに対し、彼は理解できる言葉で答えなかった。
敢えて難関に向かったのは、季節・ルートで他の登山客が居ない処を選んたから。
登山中の様子を、他人に見・知られる事が嫌だったから(特に日本人)。
稚拙な技術・単独なのにシェルパ同行等が考えられる。
なので、通常では考えられない夜間行動が多かったのが一例。
山の画像やGPSログを出せば、位置が特定され、SNSで叩かれる。
終いには、自分撮りと音声だけ発信する様になった・・・
“冒険の共有”と言って、発信した事が逆に裏目に出たのだ・・・
登れない原因を、風が・雪が・氷が・サイクロンが・等を理由にして敗退。

会見で何を聞かれるか? との自信の無さが、不安そうなこの目に現われている・・・
「批判する人はそこを登ったことないでしょう?無理だと言われる『否定の壁』を登ることで、すべての挑戦者を称える世の中を作りたいんです」
>批判する人はそこを登ったことないでしょう? と、言うが
●栗城が登れると思った、北壁メスナールートは、今だにメスナーだけ。
Great couloirに到達出来ず、北壁traverse途中で敗退・・・
●Hornbein couloirは、60°も有る氷の溝、登れると思ったのが不思議・・・
●南西壁も、ボニントン隊以降数隊、超1流だけに登攀を許してる。
そこを登ると言った栗城は、超1流か? 3.5流と呼ばれたのは誰れ?
画像や登攀記を見聞きすれば、多少山を噛った者には、その難易度が判るのだ。
仮に1流だったとして、上記3難関ルートの核心部にすら、到達出来なかったのは何故?
風が・・雪が・・氷が・・で敗退し、最後は高山病で吐き気が・・で本当に終わった。
栗城が挑んだエベレスト峰の2面3稜は、否定の壁に該当せず。既に登頂者が居る。
其れなりの準備をした挑戦者は、例え失敗しても称えられる例が偶に有るが、
訓練もせず・高所順応も適当で、挑戦すると言われても、答えは無理だ!である。
栗城は、そう言われる事を『否定の壁』と表現した。
『否定の壁』を越えるには、体力・技術の訓練以外には無いのだが、
栗城は努力する事が嫌いだった。講演と金主廻りは、好きだった様だが・・・
意味がわからない。あなたが難易度の高いエベレストを登ることで、なぜ世の中が変わる? 普通の人なら呆れて、無視する。しかし、栗城の行動と言動は、一部の人たちの心を揺さぶり、様々な解釈や噂を生み出した。「金儲け」「売名行為」「スポンサーのため」「演出だ」。その解釈は、果たして本当に栗城の本音なのか?もう直接聞くことはできない。
もう一度言う。
実は、森山氏は栗城が死ぬ1年前に、記事にしない約束でInterviewをしていた。
その後に、この様に書いている。
『自分が今迄に栗城に関して書いた記事を、訂正する必要が無いと感じた。』
これが何を意味するか? 本音を吐くから、記事にする事は駄目だ・・・と。
現在、私は栗城の言ったこと、やったことの意味を映画で解釈しようしている。未だ結論はついていない。ただし、一つだけ言えることがある。彼は、エベレストを登り続けた。
不自由があるから自由になれる
最後に、映画のインタビューで印象的だった言葉を紹介する。登山家の服部文祥は2つの視点を持っているように感じた。登山の歴史を守る文筆家と、自由を大切にする登山家としての視点。この2つの視点が時折、対立した。許さないはずの栗城を応援していたと。
>応援していた? 社交辞令ですよ~3.5流発言の録画見ましたか? 完全に小馬鹿発言。
服部文祥:
「本当のことを言うと、栗城くんの何が悪いのかって、ないですよ。登山は自由。
我々登山界が築き上げた単独無酸素という登山文化の盗用以外に、栗城君が悪かったことってないです。
登山は、命を懸けて挑むことまで許される「自由」がある。その「自由」さ加減を栗城くんが証明してくれたらすごいなと思っていた。
正直、我々はニートの登山家が無酸素でエベレストを登れるわけないと思っている。そんなレッテルをひっくり返して欲しかった。ジャイアント・キリングして欲しかった。でもそんなに山は甘くなかった」
確かに登山は、制約を受けない自由な行為だが、基本や自然を無視すると、
命に係る竹箆返しが来る。栗城は、山の基本を軽視してた。結果この有様だ!
氏の言う自由=エベ峰に挑む、技術・体力・知識が満たされての事。判るかナッ?
自由=栗城流なら、タイソン・メジャーリーグ・東大に挑む話に飛躍してしまう。
この話の詳細は、森山憲一氏のHP参照⇨https://www.moriyamakenichi.com
服部のツイッターは栗城の命日になると少しフォロワーが増える。それで「ああ今日は栗城が死んだ日か」と気づくんだと。
死から5年が過ぎた今も、栗城は人を動かし続けていた。
小林幸子と藤岡利充が、寝た子を起こそうとしてるのだ、何の為に?
(本文中敬称略)
忙しい中、インタビューに応じていただいけた関係者のみなさまには感謝申し上げます。もう少し撮影と編集を続けて、映画は今年中に完成予定です。
森山憲一氏へのInterviewも必ず忘れずに。有ると無いとでは、質の重みが変わる。