海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

2023年05月

YahooNew-s の魚拓を取った。
(Yahooは期限が来ると削除され閲覧出来なく為る。)
黒字は藤岡、青字は私見


登山家・栗城史多の死から5年。「凍傷は雪に手を突っ込んだ自作自演」という噂は本当か。

藤岡利充映画監督・映像ディレクター

(画像省略)
栗城史多 2012年10月17日エベレスト西陵ホーンバインクロワール 
上記一文は、小生が省略した画像の、投稿時の説明文。それが、26日の夜に見ると、以下の様に差替えていた。
西稜にcouloir等は無いと指摘され、差替えたと思われる。
栗城史多 2012年10月17日エベレスト8000m付近 画像:栗城事務所
栗城は、西稜からHornbein couloirには、達して無い。証拠画像が無し。
  (夜中の3時に到着したと言ってるが、高所登山の位置証明は、
     周囲の景色を撮った画像の有無が重要。
     過去、栗城はマナスルに登ったと言ったが、画像から前衛峰と判明。
     登頂者リストに、名の記載が無い。サウスコルに立ったと言った時も、
     真っ暗な中で足元だけの画像。あんなものは、BCでも撮れるのだ。)
 遥か手前で凍傷で撤退したと思われる。字も間違い、西陵✕ 西稜◯
第一、西稜にcouloir等は無い。“稜”と、“couloir”(仏)の違い調べて!
西稜から北寄りに横断して、初めてcouloirに出る。地形図を見ても判る事だ。
栗城事務所提供画像を“鵜呑み”するとは・・・

画像で説明する。 西稜は、狭い尾根で難関ルート。白線が、
Hornbein couloir
d3c8471c
西稜は、ネパールと中国との国境稜線。この西稜を登るには、麓の国の許可で済む。
栗城は、裏側のネパールから西稜上に登り、
traverse(黄色線)して中国側のHornbein couloirに入る予定。当然、両国の登山許可が必要と為る。

栗城は、西稜から黄色線を辿り、
 couloir直下の8千m付近まで登った事に為ってる。
栗城が西稜から、雪田(雪が溜まった処)をtraverse(横移動)して、
強風の中
Hornbein couloirに到達したとは、とても思えない。
赤線のメスナールートの、
traverseも出来なかったのに・・・
過去に通れたのは、初登攀者のHornbein他数名のみ、栗城のテクではネぇ・・・
(中略)

私は、2015年に栗城本人から映画を依頼され、2019年に栗城事務所・小林幸子マネージャーと父・敏雄さんと話し合って同意を得て、栗城の映画製作をしている。
没後に親も同意してたとは・・・そして今回の美化映画にも同意した・・・
現在、彼が撮りためた膨大な映像素材の確認と整理も終わり、関係者インタビューもある程度集まった。
ニート登山家と称して売り込んだ土屋、自称alpinistの野口、ガイドの近藤・花谷、
皆お友達だ・・・真実が聞けるか?  辛口なのは、3.5流と言った服部だけ・・・
登山ライターの森山氏、商売敵の河野等の、Interviewを録る気が無い様だ!!!

実は、森山氏は栗城が死ぬ1年前に、記事にしない約束で
Interviewをしていた。
その後に、この様に書いている。『自分が今迄に栗城に関して書いた記事を、
訂正する必要が無いと感じた』・・・と。これが何を意味するか?  聞いて見たら?

死後も議論は続いている
生前、栗城を「3.5流の登山家」とテレビ番組で言い放った登山家・服部文祥は、今年行った映画のインタビュー終了後に、こう呟いた。今も彼のために動く人がいるのかと。
「服部氏が、栗城を3.5流と言い放った」と有るが、山の世界では著名人。
正統派VS栗城流の差、4~5流と呼ばれなかっただけ、良しとしなければ・・・

文祥さん 栗城の為では無いですよ。金目以外に無いでしよう~ 貴方は優し過ぎる。

栗城は、賛否両論ある登山家であった。死後も彼に関する動画や本が出されている。ほとんどは批判的な論調だ。5周忌を迎えた今、追悼の意味を込め、映画の取材で得た情報やインタビューを元に、新しく生まれた噂を検証してみる。

(映画の予告動画省略)

予告動画の中でBCとの交信、’18年BCに戻りカメラ不具合の件、
おんぶに抱っこでないと山登りが出来ぬ、自称単独標榜者。
Axe shaftで頭ゴッツンの衝動に駆られた。


栗城の凍傷はパフォーマンス?

栗城は、2012年4回目のエベレスト挑戦中に重度の凍傷となり、指を9本失うこととなる。これに関して、指の凍傷は演出だったという噂がある。前出の服部も聞いていた。

服部文祥:
指の凍傷はわざとで、パフォーマンスの一部みたいですよって。その噂を聞いた時、なんかちょっと、ストンと腑に落ちた。すげぇことすんな、こいつって。まぁ知らんけど。会ったこともないし」

この噂は本当なのか。どこから生まれたのか。
当時、3回やっても登れない。
8千mの遥か下からアタックし、アリバイアタックと言われ始める。
山頂迄は、標高差1千3百m以上も有り、無酸素では到底無理。
有酸素(ボンベ使用)でも、其の日の内に帰って来れるか? の距離だ。
現にこの時も、日暮れからアタック。普通は夜間の長時間行動は考えられない。
しかも、凍傷でシェルパに救助される。単独なのに、シェルパが直ぐ来た不思議。
4回目も駄目なので、
話題作りに軽い凍傷にでもと、これが遣り過ぎて大失敗。
2チャンネルで、当時そう噂された事が有ったのは事実だ。

噂は2020年に生まれた えっ!!!

私は、栗城の生前に「自作自演説」を聞いたことがなかった。あったのは「スマホを触るために指なし手袋を使って凍傷になった」というネットの書き込みぐらいだ。結論から言うと、この新しい噂の出処は、死後に出版された「デス・ゾーン」という本にあったと思われる。問題の箇所を引用する。
「デス・ゾーン」が発売されたのは何年ですか?  稚拙過ぎる結論。
小生の記憶ては、
「自作自演説」が流れたのは、凍傷発覚後の間もなくです。
旧2チャンネルの、当時の書き込みを調べたら判ると思うが・・・
映画の中で、そんな解説したら、見識と考察能力の無さが疑われるゾ・・・

森下さんは今も交流が続く隊員の一人からある情報を得ていた。

「登頂を諦めて『下りる』って言ってから、四時間も無線連絡が途絶えた、呼んでも返事がなかった、て…。何してんだって思った。

それで最初は、栗城が自分で手袋を外して、雪の中に指を突っ込んだんじゃないかって…。凍傷になるために、わざと…ここまでひどくなるとは想像せずに」

 その後、22時間も外にいたと知って多少は自作自演の疑念を拭ったが、そんな長時間行動すること自体、高所登山のセオリーを無視している。

 栗城さんの凍傷は、広い意味で言えば、やはり演出上の誤算だったのではないか?

「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」河野 啓 集英社 218~219Pより引用

本文に登場する森下とは、2010年まで栗城隊スタッフをしていた栗城の北海道時代の先輩だ。おそらくは、この文章が一人歩きし、凍傷は自作自演という噂に変わった。

(画像省略)
そんなに河野 啓の著作を否定したいのか? 凍傷の自作説等は、枝葉末節な事。

単独・無酸素を、栗城はどの様に考えていたのか? が、最も重要だ。
これを突き詰めれば、これまでの栗城の山行で、単独と言った行為の全てが、嘘だった事が判明する。
(例・北米・アフリカ・南極・
etc)
根拠を
述べてもいいが、長く為るので省略する。

河野 啓よ、  藤岡に綾付けられてるぞ、怒りの狼煙を挙げよ!!!

本文の登場人物に聞く
エベレストのベースキャンプでは、本当にそのような噂があったのかどうか。私は森下に連絡し、自作自演の噂を誰から聞いたのか尋ねた。
「え?そんなこと書いてますか?ちょっと待って下さい」
森下は少し驚き、書かれた部分を読み返した。
あぁ、これは僕の想像です。高所に22時間も滞在していて、普通ならすぐ下山するのに何をしてたんだ、と思ったことから出た想像です。他の誰かから、雪に指を突っ込んだという情報を聞いたわけではないです」
これで、自作自演説はただの想像であり、現場の情報ではないとわかった。念の為、当時の隊員たちにも聞いてみたが、やはり「そんな話は知らない」と全員が否定した。

指の自撮りもしていない
映像素材からの傍証もあげておく。もしも演出なら、カメラに映すのが自然だ。しかし栗城は一度も指を自撮りしなかった。ヘリで下山する際に、一瞬だけカメラマンに黒ずんだ指を見せるが、すぐに隠している。カメラで映さずして、どういう狙いの演出なのか。
凍傷がどんなものか? 知らない様だ・・・自撮り等出来る状態では無い。
凍って往く時は、冷たさは感じるが、凍ってしまうとその感覚が無く為る。
解け始めると・・・強烈な痛みで、この時に始めて凍傷に罹った事が判るのだ。

自撮りはしてないが、下の画像は、ヘリで救出される際に、撮られた画像だ。
8千mに無酸素で登ると言った男が、6千mから飛び立つ時に、酸素吸入? 
凍傷は、酸素では改善・緩和される事は無い、
目が死んでいる。凍傷のショックが大きかった事が伺える。

helicopter
帰国後、炭化した指を事ある毎に、SNSに載せて勲章の如く披露していた。
高所登山に、凍傷は付物だが、治療過程を公表した方を知らない・・・
恥ずかしくて出来ないのが、普通の感覚だ。お涙頂戴の気だったのかも・・・
もちろん、高所で酸素が足りず、通常の思考ができなくなった可能性も否定できない。だが、無線のやりとりを聞く限り、寒さや風の強さ、自身の状態を理解していた。参考として、凍傷時の栗城の行動を記す。

10月17日19:00、キャンプ4(7500m)から頂上へ向けてアタック開始。
18日3:33に西陵ホーンバインクロワール直下に(8000m付近)到着。
「手足が動かない。時間がかかってる」
6:30、強風で行動不能となり時間的にも無理と判断し、無線で撤退宣言
8:18、9:07の無線「岩陰に隠れている」
9:42の無線「手が凍傷になった」
17:30頃、キャンプ4のテントに帰還。そのままステイ。
19日夜、救出に来たシェルパたちと共にキャンプ2(6400m地点)へ下山。
20日、ヘリが飛ばずキャンプ2にステイ。
21日朝、ヘリでキャンプ2からカトマンズの病院へ搬送。

(画像省略)
上の画像で、MILLETの高所用ダウン手袋をしている。栗城の金主企業だ。
インナー含め正しく装着してたとしたら、凍傷に為る訳が無い。
確か足の指も凍傷に為った・・・MILLETは、粗悪品と言う事だろう。
これで凍傷なら、製品として3.5流品。文句付けて慰謝料貰ったか?
滑落死時の装束も、
MILLETのダウン上下に、靴までMILLETだった。

もう一つの、凍傷に関する噂
ついでにもう一つ。「指なし手袋を使ったから凍傷になった」という噂は、栗城本人が生前、ツイッターで否定している2012年凍傷直前の映像を確認しても、インナーの手袋をしたままで無線しており、10本の指は露出していない無線以外で誰かに連絡したという話も聞いていない。

噂の検証結果
以上の検証より、私は、凍傷が「栗城の自作自演」と「指なし手袋でスマホを触ったせい」という2つの噂は「嘘」と断定する。凍傷は演出ではなく、登山行動中の判断ミスだ。栗城ならどんな嘘でも許していいとは思わない。

(画像省略) 

様々な解釈を生む、行動と言動
その上で、森下が抱いた疑念というのは、自然な考え方だった。それぐらい栗城の行動は理解不能だった。栗城と親交のあった国際山岳ガイド・近藤謙司は凍傷のニュースを聞いた時の心境を静かに語った。
晩年栗城は、エベ峰BCで、近藤隊と隣同士テントを張る事に為った・・・
近藤はSNSに「隣に栗キントン」と投稿。栗城は嫌だったろうと想像した。
BC設置の位置は、早い者勝ち、平らな良い処から埋まって行く。
シェルパを先行させ、BCを設営させてから、栗城が乗り込む筋書きだ・・・
まさか一般登山客を引き連れた 近藤隊の隣とは、夢にも思わなかったろう。
狭いBCスペース、今更移動も出来ず、悶々とした毎日だったと想像する。

近藤謙司:
「ちょっと悲しくなりましたね。多分、分かってたんじゃないかなって…。
凍傷になるのを覚悟していて、行っちゃったんじゃないかなって…。
栗城は、引き返すだけの知識も体力もあったと思うんです。
指を守ることができたんじゃないかなって…。
本当に指を失っちゃうまで…この子は、山に、病に取りつかれちゃってる
悲しかったですね…」

後日、近藤は栗城に凍傷の名医を紹介した。「1mmでも指を伸ばして欲しい」そんな近藤の思いをよそに、栗城は名医の治療をやめて、インドへ旅立ち、指の謎治療を始めた。
医師から、炭化した指を切断すると言われ、そんな筈では無かった・・・と後悔。
民間エセ治療をしたが、結果切断。時間と費用を無駄にした。
切った医師は、術後の仕上げ方(整形)を知らず、駄目な巾着縫いにした。
縫合跡から、血が吹く始末だった。フランスでの岩登り訓練で、それを体験した・・・
クラック(岩の割れ目)に指を入れて支えにする時と、細かいホールド(手掛り)を探す時は、素手でのシーンが有る。まともな指でもザラザラに為るが、縫合跡は薄皮だ。

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何故、巾着縫いが駄目なのか?  切断後に、皮膚を引っ張り、指先の頂点で縫合。
一番簡単な遣り方だが、皮膚に下方向の引きの力が掛かると、縫合跡に負荷が掛かる。
親指・中指の先端に縫合跡が見られる。一番良い整形法は長く為るので省くが、
腹・太腿等から肉付き皮膚を採り、被せて指の側面360°を縫うのがベスト。

(画像省略)

栗城は行動と言動がわかりにくい。単独と言うが、割と近くにシェルパや撮影スタッフがいる。だから~理由の如何を問わず、それを“単独”とは言わないのだ!!!
わざわざ難しい方法で、登頂者が増え続けるエベレストを登って、8度も失敗する。普通の人なら何かを変える、もしくは諦める。しかし、彼はやり続けた。

「なぜ同じやり方で登り続ける?」

この問いかけに対し、彼は理解できる言葉で答えなかった。
敢えて難関に向かったのは、季節・ルートで他の登山客が居ない処を選んたから。
登山中の様子を、他人に見・知られる事が嫌だったから(特に日本人)。
稚拙な技術・単独なのにシェルパ同行等が考えられる。
なので、通常では考えられない夜間行動が多かったのが一例。
山の画像やGPSログを出せば、位置が特定され、SNSで叩かれる。
終いには、自分撮りと音声だけ発信する様になった・・・
“冒険の共有”と言って、発信した事が逆に裏目に出たのだ・・・
登れない原因を、風が・雪が・氷が・サイクロンが・等を理由にして敗退。

2015年10月ネパール・カトマンズ記者会見
2015年10月ネパール・カトマンズ記者会見写真:ロイター/アフロ
会見で何
を聞かれるか? との自信の無さが、不安そうなこの目に現われている・・・

「批判する人はそこを登ったことないでしょう?無理だと言われる『否定の壁』を登ることで、すべての挑戦者を称える世の中を作りたいんです」
>批判する人はそこを登ったことないでしょう? と、言うが
●栗城が登れると思った、北壁メスナールートは、今だにメスナーだけ。
 Great 
couloirに到達出来ず、北壁traverse途中で敗退・・・
●Hornbein couloirは、60°も有る氷の溝、登れると思ったのが不思議・・・
●南西壁も、ボニントン隊以降数隊、超1流だけに登攀を許してる。
そこを登ると言った栗城は、超1流か?  3.5流と呼ばれたのは誰れ?
画像や登攀記を見聞きすれば、多少山を噛った者には、その難易度が判るのだ。
仮に1流だったとして、上記3難関ルートの核心部にすら、到達出来なかったのは何故?
風が・・雪が・・氷が・・で敗退し、最後は高山病で吐き気が・・で本当に終わった。


栗城が挑んだエベレスト峰の2面3稜は、否定の壁に該当せず。既に登頂者が居る。
其れなりの準備をした挑戦者は、例え失敗しても称えられる例が偶に有るが、
訓練もせず・高所順応も適当で、挑戦すると言われても、答えは無理だ!である。
栗城は、そう言われる事を
『否定の壁』と表現した。
『否定の壁』を越えるには、体力・技術の訓練以外には無いのだが、
栗城は努力する事が嫌いだった。講演と金主廻りは、好きだった様だが・・・
意味がわからない。あなたが難易度の高いエベレストを登ることで、なぜ世の中が変わる? 普通の人なら呆れて、無視する。しかし、栗城の行動と言動は、一部の人たちの心を揺さぶり、様々な解釈や噂を生み出した。「金儲け」「売名行為」「スポンサーのため」「演出だ」。その解釈は、果たして本当に栗城の本音なのか?もう直接聞くことはできない。
もう一度言う。
実は、森山氏は栗城が死ぬ1年前に、記事にしない約束でInterviewをしていた。
その後に、この様に書いている。
自分が今迄に栗城に関して書いた記事を、訂正する必要が無いと感じた。』
これが何を意味するか?  本音を吐くから、記事にする事は駄目だ・・・と。

現在、私は栗城の言ったこと、やったことの意味を映画で解釈しようしている。未だ結論はついていない。ただし、一つだけ言えることがある。彼は、エベレストを登り続けた。

(画像省略。24日に拙Blogを見て、添付画像の間違いに気付き、差替え済)

不自由があるから自由になれる
最後に、映画のインタビューで印象的だった言葉を紹介する。登山家の服部文祥は2つの視点を持っているように感じた。登山の歴史を守る文筆家と、自由を大切にする登山家としての視点。この2つの視点が時折、対立した。許さないはずの栗城を応援していたと。
>応援していた? 社交辞令ですよ~3.5流発言の録画見ましたか? 完全に小馬鹿発言。

服部文祥:
本当のことを言うと、栗城くんの何が悪いのかって、ないですよ。登山は自由。
我々登山界が築き上げた単独無酸素という文化の盗用以外に、栗城君が悪かったことってないです。
登山は、命を懸けて挑むことまで許される「自由」がある。その「自由」さ加減を栗城くんが証明してくれたらすごいなと思っていた。

正直、我々はニートの登山家が無酸素でエベレストを登れるわけないと思っている。そんなレッテルをひっくり返して欲しかった。ジャイアント・キリングして欲しかった。でもそんなに山は甘くなかった」

確かに登山は、制約を受けない自由な行為だが、基本や自然を無視すると、
命に係る竹箆返しが来る。栗城は、山の基本を軽視してた。結果この有様だ!

氏の言う自由=エベ峰に挑む、技術・体力・知識が満たされての事。判るかナッ?
自由=栗城流なら、タイソン・メジャーリーグ・東大に挑む話に飛躍してしまう。

この話の詳細は、森山憲一氏のHP参照⇨https://www.moriyamakenichi.com

(画像省略)

服部のツイッターは栗城の命日になると少しフォロワーが増える。それで「ああ今日は栗城が死んだ日か」と気づくんだと。

死から5年が過ぎた今も、栗城は人を動かし続けていた。
小林幸子と藤岡利充が、寝た子を起こそうとしてるのだ、何の為に?

(本文中敬称略)

忙しい中、インタビューに応じていただいけた関係者のみなさまには感謝申し上げます。もう少し撮影と編集を続けて、映画は今年中に完成予定です。
森山憲一氏へのInterviewも必ず忘れずに。有ると無いとでは、質の重みが変わる。

この記述は一度公開したが、以下の顛末に因り、一時非公開にしていたものです。
表題を、糊口を“貪る”としたのは、本来の“糊口を凌ぐ”よりも、最適と考えたから。

5月20・21日に、栗城事務所 たお  と 藤岡 が、映画制作中で有る事を公表したので、
“禁”(藤岡に因る、掲載自粛のお願い)が解けたと判断し、再公開する事にした。

’23年4月22日
ooo
昨日、一通のMailが届いた。
発信者は、
映像ディレクターからだ・・・内容は、
お忙しいところ失礼します。私は映像ディレクターのABCDと申します。
現在、栗城事務所たおと共に栗城さんの映画を製作しております。
その映画において海彦・山彦さんのインタビューをお願いできないかと思いメール致しました。映画の大きなテーマは栗城さんの批判も含め冒険を共有するです。
海彦・山彦さんにお聞きしたい内容は「登山家・栗城史多の問題点は何だったのか」です。撮影場所はお近くの地域へ伺いします。
時期は4/26~28、もしくは5/8~12の間はいかがでしょうか?ご検討のほど宜しくおねがいします。AB携帯:000-1111-2222

と、言う具合。江戸山口県から態々、この田舎まで来ると言う・・・

映像ディレクターのABCDとは、一面識も無し。栗城事務所“たお”と、共に稼ぐ様です。
栗城の没後、
栗城事務所“たお”は、使用人の小林幸子が乗っ取り、継承。
その時の公式サイトに、以下の様な記載が有りました。(日付を入れなかった小生のミス)
既に、この投稿は
小林幸子に削除されてます。(黒字は小林幸子記、青字は小生記)
*****************************************************************
・栗城公式サイト
数日中にリニューアルいたします。
新しい見た目になりますので、よろしくお願い致します。 
どんなHPになるのでしょうか・・・
・事務所の移転
2019年1月中に事務所を移転いたします。新しい住所は、改めてお知らせ申し上げます。 
家賃の高い銀座では、事務所の維持が出来ない様です・・・
 また今後も株式会社たお(栗城事務所)を存続して栗城の想いを伝え続けるために、
栗城に代わり私がたおの代表取締役となりました。 驚きですねぇ・・・
今後とも何卒よろしくお願い致します。
様々な場面で栗城を想ってくださる方が多くいらっしゃることを感じ、
感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも、等身大の栗城の姿と栗城が遺したものを伝え続けたいと思っております
山暦に限れば嘘と虚構が満載、この先何を伝えるのか・・・
今後とも何卒よろしくお願いいたします。いつもありがとうございます。
栗城事務所  小林幸子
(株)たお の登記変更までして社長就任とは、余程の旨味が有るのでしょうか・・・
生前 借金をして遠征すると言ってたが、嘘だった様ですね・・負債も資産のはず。
一事務員が負う様な物ではない筈です。著作権収入(本・映像)も微々たるもの・・
それに写真集の出版ですから・・・集めた金の余剰金から儲けを得るの図式か・・・
*****************************************************************
何故に小生如きに、こんな依頼が来たのでしょうか???  戸惑って仕舞います。
こんな返答をMailしました。


AB様
Mail ありがとうございます。
AB様の事は、焚き火のインタビューで記憶しています。
>海彦・山彦さんにお聞きしたい内容は「登山家・栗城史多の問題点は何だったのか」です。
Mail を戴き、正直驚いてます。Interview等、恐れ多く、ご遠慮申し上げます。
一介の“山好き爺”が、栗城の余りにも杜撰な山の登り方に対して、
年次を追ってBlogの中で綴りました。
Blogでは一貫して、栗城の発言・行動・思考・技術・知識に対して、
都度私見を述べております。

参考に為る物が有るか? 判りませんが、拙Blog内の【下山家 栗城劇場】を一読下さい。

また、内容については、公開してるBlogですので、
引用その他出自を記して戴ければ、ご自由に。
>問題点は何だったのか

小生よりも、其道のプロが居ります。
服部文祥氏 大学山岳部OB、K2登頂者。
      その後、最低限の装備・食料でサバイバル登山を実践しています。

森山憲一氏 大学探検部OB,海外探検者。
      その後、山岳関係の出版社を経て、登山ライター業。

上記2名は、辛口ですが・・・
>問題点は何だったのか の、答えが得られると思います。

花谷泰広氏 栗城の雪山訓練に八ヶ岳で同行したガイド。
江本悠慈氏 栗城の岩壁登攀訓練を、シャモニーで実施したガイド。
両者に聞けば、雪山・岩登攀の技術が、エベレストに通用する物だったかが、
判明するでしょう。
但し、顧客だったので、真実が聞けるかどうか・・・ですが・・・
要件にお答え出来ず、申し訳ありませんが・・・
栗城を美化する事無く、こういう出鱈目な山行を続けてれば、
結果こう為ると言う、一戎の作品を望んで居ります。

                        海彦・山彦


先の『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』を書いた、河野 啓と言い、
今回の小林幸子・
映像ディレクターのABCDも、骨をシャブッてるのでしょうか?
世の中、そんなに“金”なのでしょうか? そっとして置けば良いものを・・・
そう言えば、生前の栗城も“金”にはかなり執着してたねェ~ 類は友を呼ぶの図式。

故 映画評論家の淀川長治流に言えば、
怖いですねえ、恐ろしいですねえ」です!!!



’23年4月23日
返信に対しての、Mailの返答が来た・・・(黒字はAB氏 青字は小生の思い)
海彦・山彦さま

(略)
映画製作の発表については栗城HPで公式に発表するまでお控えいただいきたいです。
大変申し訳無いのですが、一旦ブログでの記事は非公開していただけませんか。
公式発表ののちは構いません。
制作中なので、Blog記事を非公開にせよと言う・・・
公開されると、不都合が生じるのか?  競合する同業他社が有るのか?
映画と言っても、事務所所有の過去の栗城動画と、氏所有のInterview動画を組み合わせ。
寧ろ前宣伝に為り、栗城fanに期待を抱かさせるのでは?

海彦・山彦さんが、栗城さんへの思いの深いことは、
詳細に分析されたブログを読んでも伝わります。
栗城への思い等、深い訳では無い。栗城が発信した“いい加減”さを、都度指摘しただけ。

栗城さんに関する文章を今もなお残され続け、
そのブログで日常を綴られ続けられていることからも、
人生の大切な一部であると思います。
栗城を主に記しているBlogでは無い。偶々、’15~’18年に紛れ込んで来た事である。
今、栗城に関する記述は、生前・没後含めて、巷に溢れているが、同時進行での記載は、
知る限り拙Blogより無いのだ・・・正に栗城が言う、「冒険の共有」をした事に為る。

私としては、なぜそこまで栗城さんに感情を揺り動かされ、
自身の人生に組み込んだのかについてお聞きしたいと思っております。
ライターではない視点を表現したいです。
一言で云うと、二度と同じ轍を踏む輩が現れない様に、記録として残して置くのだ・・・
当時はyahoo Blogに書いてたが、没時 俄栗城fanが急増、コメ欄はbashingの嵐と化した。
但し、山登りを知ってる方からは、残すべしの意見が多かったのは事実。
yahooが閉鎖に為り、livedoorに移行した際、本文限りでコメ欄不可だったのが残念。

死してなお、たくさんの人が見てもらえるかどうかは、私の努力と時の運です。
織田信長のような映画にはなりませんが、何か人々の心に届く、
少しでも意味のある映画にしたいと思っています。
映画製作の前提に、栗城事務所と結託し(何方側からの発案か知らぬが)、
栗城を美化・賛美し、僅かな利を得る目的とより、見えないのだ・・・
“植村直己物語”とは、似て非なる物だ。栗城事務所の御用達映画と為る事は必須・・・
 

最後になりましたが、インタビューついて再考していただければ幸いです。
金儲けの片棒を担ぐ意思は、断じて更々無し。吉永小百合嬢並の弗が貰えれは別(爆)

海彦・山彦さんにとって良い登山だったと思える選択をしていただければと思います。
良い登山だったと思える選択 ??? 意味不明だ・・・
宜しくおねがいします。     AB



’23年4月26日
また、
AB
から執拗なMailが来た・・・
今度の要求は、映画の公式発表まで【一旦ブログでの記事は非公開】では無く、
私の私信メールの公開と当該記事を即刻削除する。】と云う要求だ・・・
要求が、度毎にエスカレートしている・・・



’23年4月28日 AM8時
気持ちが悪く為り、読者には申し訳ないが、
当面の間、該当記事を非公開とします。
Blogの管理画面からclick一つで、公開・非公開の操作出来る仕組みだ・・・
22日のBlog公開から今朝迄に、少なくとも179名の方にAxess戴き、感謝致します。

映画公開の際は、当然 感想を述べる事にする
栗城事務所御用達映画と為る事は間違いないので、金払って見る価値無し。



’23年4月30日
29日23:56発のMailが届いた。これには返答せず。
海彦・山彦さま
ブログの記事を削除いただきありがとうございます。
心優しい方だとわかり、とても安心致しました。
心優しい訳では無い、気持ち悪く為って、一時非公開にしたのだ・・・

その御心にもう少し甘えさせていただき、
インタビューの方も再考いただけると嬉しいです。
最初に、やんわり「Interview等、恐れ多く、ご遠慮申し上げます。」と、
意思表示してるのに、
再考してくれだと・・・“たお”御用達の映画製作と、
それで得る幾許かの金の事より、頭にない様だ。(当たれば、監督として名が売れる?)

2015年以降の栗城評は、海彦・山彦さんも形成されていたと思っています。
形成?? 何が形成、日本語の文面可笑しくないか??? 半島系の奴か・・・

おそらく森山さんも記事の参考にされていたのではないでしょうか。
あの森山憲一氏が、栗城史多という不思議  栗城史多という不思議2 
を執筆するに当り、
拙Blog等を参考にする訳が無いだろうに・・・ヨイショか?

海彦・山彦さんの栗城さんへの深い思いをお聞きできたらと思っています。
何度も云うが、栗城への思い等、深い訳では無い。
栗城が発信した“いい加減”さを、都度具体的に指摘しただけだ。
 

場所はご指定のところに伺います。何卒ご検討のほど宜しくおねがいします。
シツッコイぞAB、全くその気無しだ!!!
                         AB


没後5年を経て、今更“懐古映画”等とは話に為らぬ。1年掛けて作り、七回忌に公開か?
これは推測だが、栗城事務所の小林幸子が、河野 啓著「デスゾーン・・」の話題に接し、
“金”に為ると踏んで、生前栗城を取材した事が有る、ABに依頼したものと思う。

河野本では、何故か? 小林幸子が、氏の取材を拒否したと記している。
著述では、一般に知られて無い、栗城の行状が暴露され、単なる美化本で無い事は確かだ。

今回映画は? 小林幸子+ABの合作な事。
栗城の過去映像は、事務所に版権が有り、使用に関して口出し出来る。
都合の悪い映像などは、出るはずが無いし、過去画の切り貼りと為るだろう・・・
証言も、御用ガイド(花谷・江本・大蔵等)・雇われ要員(同行画像・音声・中継担当等)
の話が中心で、核心が有耶無耶に為る事間違い無しだ・・・
森山・服部氏等のガチな批判を、受け入れる度量が有るのか???

***************************************

’23年5月23日
栗城がエベレストに挑み、南西壁の遥か下で
bivouac後に転落死して早5年が経過。
来年は、七回忌を迎える。それに合わせるかの様な“映画製作”の発表だ・・・
ゲスな勘繰りだが、制作費・映画収入の割振りが気に為る処だ。
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これは、5月20日にFanclub会員にMailした内容。(SNSで公開済み)

この小林幸子の文章の中で・・・気に掛かった点は、
栗城の冒険、人生は素晴らしかったよと栗城本人に伝えたくて、映画の制作を決めました。
と、言ってる。人々に見て貰いたいのでは無く、この世に存在しない栗城に伝えたいだと?
これでは、完全に美化・賛美映画と為る事は確実だ・・・
凍傷に為り、両手が使えぬ栗城の、下の世話までしたと聞く。個人事務所の使用人が・・・
邪推だが、もしかして惚れてたのかも・・・そうで無かったら、鉄の女だ。

ここに出て来る藤岡が、5月21日の命日に、Yahoo New-sに記事を投稿した。⇩
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujiokatoshimichi/20230521-00350011 
(Yahoo New-sは期限が来ると、削除され閲覧出来なく為る。因って、魚拓を取って置いた。
これを読み一言云いたい・・・映画のタイトルは『I am solo』だそうな???
『俺は単独行』? シェルパを引き連れて、荷揚げ・ルート工作が終わる迄は晴れに停滞。
行動は、シェルパにGPS持たせてログ作り、好き勝手放題。メスナー単独行に失礼だよ!
河野 啓著作内の、シェルパの証言で既に暴かれている。片腹痛いゾ、そこまで美化するか?

文中、凍傷自作説の原因が河野本に有り、自傷行為で無いと結論、稚拙過ぎるゾ。
藤岡が、凍傷の事を聞いたのは、関係者だけ・・・それほど河野本を否定したいのか?
凍傷後、Netに溢れる画像を見て、その形状から凍傷の症状を知る者から出た噂話しだ!
この様な一直線の凍傷は、極めて珍しいのだ・・・
当時、本人はこれが凍傷だとの自覚・知識が無く、水疱に針を刺した馬鹿。

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記事の中に、藤岡が世界最高峰エベレストと称する“山”の画像が有った⇩・・・
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【笑止千万】である。
少しでも、海外の山に憧れた者は、これがエベ峰で無い事は、皆さん一目で判る。
じゃー何山か? この山は、ダウラギリ峰(8167m・第7位)少しは、調べて書けョ・・・
この程度じゃー、栗城映画の内容も知れた物だネェ・・・

期せずして、河野 啓が“文春オンライン”に、以下を寄稿している。
https://bunshun.jp/articles/-/60928  https://bunshun.jp/articles/-/60929
河野は、今度の文庫本の宣伝で忙しい様だ。
映像は見て、んん~~で終わるが、文章は気に為る点を、即再読確認が出来る利点が有る。


没後5年が過ぎて、懐古・美化映画制作。何とも・・・な話だ。
河野 啓にInterview出演させたら、“賛否両論”で面白い映画が出来そうな気がするが・・・

オマケ
検死の為に首都カトマンズに着いた栗城。山で“死ぬ”事は、こういう扱いが普通である。
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Blu sheet包みだが・・・床に置かれなかっただけ、良しとせねば・・・
日本の場合は、テント・寝袋等を使い、雪の上をザイルで縛って曳く。
山嶽部時代に何度か曳いた・・・だから、山で死んでは駄目だと云う、一つの例。

 に続く

5月21日
玄関脇の軒下に植えた苺が、色付き始めて来た。
菜園には、2坪分ほどの苺スペースが有るが、まだ青い実のまま・・・
南側軒下の壁際が、太陽の輻射熱で暖かいのか? 成長が早い。
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赤く色付くのを待ち、そろそろ収穫時期かと見ると・・・無いのだ・・・
鳥に喰われたのか? と思ったが、 喰い残しが無い、軸だけが残ってる。
過去 熟れ過ぎると、蟻の食害は有ったが、今はそんな状態で無し・・・
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犯人探し・・・道路から玄関口までは12m有り、用事の無い者は入って来ない・・・
毎日来る新聞配達・ほぼ毎日来る郵便配達、これ以外に考えられない・・・

対策に、鳥除けのキラキラテープを張った。これを見て、犯人が考え直すか?
これでもドロが続くなら、熟した実に、死なない程度の“農薬”でも塗ってやろうか???

大鉢植えの温州ミカンに、蕾が沢山付いた。
実がパチンコ玉に為った頃、摘果して1枝・1個にする。

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Blueberryのウェイマウス(早熟種)も、実を付け始めた・・・
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花房が、ヒヨドリに狙われたので、枠を組んで鳥除けに“刺し網”を張る。
これで、ヒヨドリも『飛んで火に入る夏の虫』である・・・
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“頭の黒い鼠”が出るとは、思っても居なかった・・・
近所では、平板に釘を打ち・・・踏めば、“ブスッ”の対策を講じてる家も有るが・・・
何とも、悩ましい処だ・・・

22日朝 追記 今朝 妻曰く。
起きて遮光カーテンだけを開けて、
レースカーテンを閉めたままにしていたと・・
ポストに新聞が落ちる音がした後に、年寄りの男が立って見ていたと。
色付いた苺が無かったので、盗らなかったのか? キラキラテープを察知してか? 
そのまま帰って行ったと・・・

5月17日
八幡平(1613m)へ、Dragon eyeを見に・・・

八幡平山頂の南側には、旧噴火口跡に水が溜まった沼が多い。
最近人気なのが、“鏡沼”と“眼鏡沼”だ。
窪地に在る此等の沼に、周囲の雪解け水が溜まり、季節限定の景色が見られる。
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鏡沼には、周囲が解けて、中央部に雪が残る現象。“Dragon eye”と呼ばれている。
眼鏡沼は、溜まった水が
緑色に見える。最近、これを“Dragonの涙”と呼んでる。
地図で見ても直ぐ隣なのに、溜まった水の色が違う、不思議・・・

下の画像は2016年5月14日、春スキーに行った時、偶々綺麗に目玉に為ってた・・・
虹彩も、それらしく出来ていた。

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この冬は積雪量も少なく、雪解けも早く、Dragon eyeも早まるのでは・・・と。
しかし、5月始めの降雪で、一度埋まってしまった経緯が有る。


この日は、こんな姿・・・半分がまだ解けて無い。左上の人と比べると大きさが判る。
2023_05170001 パノラマ写真
それに、中央東側に亀裂が入ってた。
急な雪解け増水で、白目が浮き、割れたと思われる。

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直ぐ北側に在る“眼鏡沼”、緑色が鮮やか・・・これが、Dragonの涙だとか・・・
2023_05170006 パノラマ写真

眼鏡の片方は、まだ雪の中・・・
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“Dragon eye”と“Dragonの涙”を見た後に、八幡平山頂に向かう。
青森トド松林を北に向かって行くと、山頂標識の300番ポールが見える。

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木組みの展望台に上がり、昼飯タイム。
曇って風が強かったが、時折青空が見え始め、岩手山が顔を出す。
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ガマ沼も、中央から解け始めている。
2023_05170012 パノラマ写真
もう一度“Dragon eye”に戻りってから、車へ・・・秋田駒ヶ岳も見え始める。

5月15日
13・14日の土日は、連続して孫の運動会。
“支那発の疫病禍”で、家族以外お断りだったのが、今年から爺婆にも解禁に為った。

13日は、小学校の校庭で・・・
以前は、昼には弁当を広げ、父兄が参加する午後の部も有ったが、午前中で終了。
徒競走だが、事前に走らせて・・・ほぼ同タイムの組を作り、走らせるらしい・・・
しかも3人1組なのだ、1位・2位・3位。3位と聞けば、オォーと思うが、実はビリなのだ。
少子化で人数が少ないから、3人づつ走らせる事が出来るとは思うが・・・
この遣り方は可怪しくないか? 運動が苦手・絵が得意・歌が上手、其々ではないか?
第一次
Babyboomersとしては、納得が往かぬ教育方針だ・・・

帰路、Home centerに寄り、182cm杉角材10本束を1580円で買って帰る。
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4月21日にを書いたが、花房が着き始めると、
石楠花の蜜を喰いに来る“ヒヨドリ”が、今年はBlueberryにも悪戯を始めた・・・
花房ごと喰い千切るのだ・・・去年は実を狙われ、ネットを被せたが、木も伸びて来た。
憎きヒヨドリ対策として、枠を組む事に・・・W182・D91・H150。
角材の不足分は、手持ちの板を使って、2時間ほどで完成。
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さて、ネットだが・・・防鳥ネットを買うまでも無い、1m幅の“刺し網”が有る。
防鳥では無く、飛び込めば✕✕✕だが、上から4辺画鋲留めして巻く。上部は開放。
細いナイロン糸が光って、危険を知らせるはずだし、反射テープも付けた。
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25m物の刺し網だがAmazonの安物、6m程切って使う。これで収穫迄は、一安心。
使わない9~4月は、このまま移動して、車庫の奥に仕舞って置く。

4月22日に買った時の、2年苗のブルーレイ・ノースランド・パトリオット。⇩

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今は、葉芽が出始め、順調に育ってる。今年は、何処まで伸びるか・・・
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4月22日に、ウェイマウスとデキシーの内向枝を選定、細枝を挿し木にして見た。⇩
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各5本挿したが・・・丸鉢のデキシーは、全部が芽吹いた。ウエイマウスは3本・・・
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夏迄に何本根付くか? 楽しみだ・・・これが上手く往けば、緑枝挿しにも挑戦だ・・・
Blueberryは、酸性養土と水管理が大事と言うが、養土を乾燥させない事が大事。


14日は、中学の体育祭・・・
市の総合運動公園内に在る陸上競技場。
スキー場の麓に在る、広大な公園。社会人の団体が、サマージャンプの練習をしていた。

校長の挨拶で、企画・運営を全て生徒会に任せたので、多少の事は、温かい目で・・・と。
生徒会長(女子)の挨拶で、体育祭のテーマは“一蓮托生”だと言う。之には多少ギョッ!
クラス毎の入場行進の掛け声が面白い、中でも2年1組 1.2.笑顔 1.2.笑顔が受けていた。
運動部対抗戦も有り、陸上部員が速い訳では無い不思議・・・
それと・・・1年生と3年生の体格がまるで違う。年に10cm以上も伸びた頃を思い出す。

昼過ぎに帰宅・・・期待した、焼き鳥の素材は、掛かって無かった・・・

5月7日
5日に瀬戸内海・明石で釣りボートから転落。
自前の自動膨張式の救命胴衣が、作動せずに1人水死した。
同じ事が、先に保津川下りでも起こっている。⇨自動式・手動式でも、ボンベが正常に作動し、炭酸ガスで膨らむとは限らないのだ。

更に、利根川の激流でRafting中に、3艇の内1艇が転覆し、1人が水死した。
2艇が通過して3艇目が転覆、同乗してたInstructorの操船指示ミスか?
又、ヘルメットと救命胴衣が、脱げた状態で発見されたと云う・・・

メットと救命胴衣は
Rafting業者のレンタル品と思われる。
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Raftingは、上記の画像の様な装備で行なう。開始前に、業者が装着点検をするのが通例。
メットは頭のサイズに合ってないと、顎紐を締めてても直ぐに脱げる。
業者・インストラクターの点検ミスが? 点検後に当事者がキツくて緩めたか?が、原因だ。
画像で判る様に、
Rafting用救命胴衣には、何故か? 股紐が無いのが普通なのだ・・・
伝播した米国流が、そのまま国内で実施されている不思議。
道衣も胸を強く締めない限り、万歳するとスッポ抜けるのだ・・・何故、気付かぬのか?

こんな格好でのRaftingは、番外である。
腕・脛・手の露出⇨岩との擦れでのケガ。サンダル履き。股紐無し⇨スッポ抜ける。
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源流域での、渓流釣りや沢登りでの落水事故後、下流で発見された時は、
水圧や岩とのスレで、衣服が剥がされ、ほぼ全裸な状態が多いのだ・・・
楽しいはずの水遊びが、チョッとした手抜きで、取り返しが付かない事故に繋がる。

自然を相手にする遊びには、心して掛からなければ為らないと、再考した次第。

4月30日
鳥海山・祓川口を目指し、昼に出発・・・
日本海沿岸東北自動車道(日沿道)の由利本荘市辺りが、相変わらずガッタガタ。
路面が斜め・波打ってる・凹凸等、地盤が弱いのか? 設計ミスか? 手抜き工事か?
一部改良工事をしてるが、仕事がノロい!!!
無料なので、文句は言えないが、90㌔も出すと飛んで行きそう・・・

高原に上がる・・・正面に見えるはずの鳥海は雲の中。
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晴れてれば、この通り。
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3時間半で180.2km走って、標高1000mの祓川Pに到着。風が強くて車が揺れる・・・
寒いので、厚手のダウン上下を着込み、即 宴会体制。


5月1日 
5時起床。少し風が有るが、天気は予報通りで、山頂付近の雲の流れが速い。
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Morning Coffeeを飲みながら・・・朝飯の準備。

身支度をしてスタート。祓川ヒュッテ(GW中と土日は管理人が居て有料、平日は無料)
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最初の急な“懺悔坂”は、左を巻いて夏道を横断し、“タッチラ坂”の右斜面を斜登する。
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シールが効くサラメ雪。

6合目の“賽の河原”に上がると、この景色。
“七ッ釜避難小屋”から伸びる尾根が越えれそう。
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7合目の“御田”(おだ)手前から、板を履いたまま、左の尾根を越える。積雪は平年並。

尾根越えした処で、急登に備えて板を外して休憩。縦溝も出来て無く、いいバーンの連続。
何と!!! ノルディックの細板で登って来た方が居た・・・只者では無い。ビックリポン!
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急登が過ぎ・・・右手に七ッ釜避難小屋が見える辺りから・・・体調に異変が・・・
フラ付き・バランスを崩しそうに為る・・・体に力が入らない感じ・・・
この先、また“大雪路”に上がる急斜面が有る。
此処で止めて、避難小屋下の斜面を御田に滑るか?  悩んだ・・・

休み・休み登る・・・何とか、8合目より上まで登り切ったが・・・風も出て来た・・・
2023_05010009 パノラマ写真
正面に見える雪原が、9合目の“氷の薬師”に続く大雪路。
人が居る処で、登行を止め大休止・・・板からシールを外し、滑走準備。
何故か? 鼻水が流れ出し、悪寒も・・・

大雪路を横切り、七ッ釜避難小屋を目指して滑走・・・
小屋の上部から、“鳥形雪渓”側に滑ると、風が当たら無い処に来た。板を外して休憩。
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避難小屋を眺めて・・・日差しが気持ちいい・・・歩きの2人が降りて来る。
ティシュを両鼻に突っ込み、口呼吸で・・・御田への急斜面を滑る、荒れて無く快適。

車に戻り、悪寒がするのでダウン上下を着込む。駐車場に居る人は、半袖も居るのに・・・
これは風邪に違いない・・・車中連泊する予定で来たが、荷物を整理して帰る事に。

帰宅して熱を計るが、平熱で咳も無し、鼻水だけが・・・珍しく晩酌も進まず。

鼻風邪用の薬を食後4回飲んで、今は回復してる・・・次の晴れ間は、再挑戦。

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