6月28日
qa-139
配信 下野新聞より抜粋、青字は私見。
栃木県、県高体連に賠償命令 教諭ら3人の賠償責任認めず 
死亡教諭の過失相殺を否定 8人死亡那須雪崩事故・民事判決
栃木県那須町で2017年3月、登山講習会中だった大田原高山岳部の生徒7人と教諭1人が死亡した雪崩事故を巡り、5遺族が県や県高校体育連盟(高体連)、講習会の責任者だった教諭ら3人に計約4億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、宇都宮地裁であった。浅岡千香子(あさおかちかこ)裁判長は県と県高体連の過失を認め、連帯して計約2億9270万円を支払うよう命じた。教諭ら3人については、公務員の職務で損害が発生した場合、国や自治体が賠償責任を負うとした国家賠償法の規定に基づき、個人の賠償責任は認めなかった。
県と高体連の賠償責任は認めたが、3教諭への
賠償責任は、認めなかった様です。
8人死亡の5遺族の訴えですが、3遺族は既に示談に応じてました。記憶では6千万円位?

しかし 3教諭は、刑事上の“業務上過失致死傷”容疑で、書類送検されてます。
これは、今だに未決です。この先、この裁判はどう為るのか?
県警が送検し、今回は県と高体連が責任を認めてるのに、無罪は無いでしょうね!!!

浅岡裁判長は教諭ら3人について、「公務員の職務行為で発生した事故で、賠償責任を負うものではない」と判示。死亡した引率教諭については「過失は認められない」とし、県側が主張した過失相殺を否定した。
県が、死亡した教諭に対して“過失相殺”を主張してたとは、驚きです。
当事者にも過失が有ったので、金を払う気は無いと言う事の様です・・・呆れる!


訴訟で3教諭側は、国家賠償法を理由に訴訟の被告として不適格だとし、訴えの却下を主張。地裁が3人の過失や責任などをどう判断するかが焦点だった。
当事者の3教諭が、遺族の訴えの“却下”を主張してたのも、驚きです。

原告は死亡した生徒4人と教諭1人の5遺族。雪崩発生を予見できたのに講習会を中止しなかったため、3人には重大な過失があり、事故は「人災」だと訴えた。事前に気象状況を把握せず、安全確認が不十分だったなどと指摘した。
誰が考えても、当然の主張です。

教諭側は、公務員の職務で発生した損害の賠償責任は国や自治体が負うとする国家賠償法を踏まえ、自分たちは被告になり得ないとして訴えの却下を求めた。また、事故当日の気象情報からは雪崩発生が予測できなかったと反論した。
当日の天気・降雪量から、雪崩予測が出来ないとは、素人同然。
何が、高体連登山部の指導者だ・・・笑ってしまうョ、普段は自尊心の塊だろ~
罪から逃れる為に、予測不可・自然災害と苦しい言い訳。

一方、県や県高体連は賠償責任や過失があったことを認めた。ただ、死亡した教諭の過失については遺族側と見解が対立。教諭は自身の生命を守る判断ができたはずとして、過失相殺の適用を主張し、賠償額も争点の一つとなっていた。
亡くなった教諭は、訴えられた3教諭に比べて、山の経験も少なく、「
自身の生命を守る判断ができたはず」な訳が無い。増して何もしなかった責任者(猪瀬)と同校の若い教諭だ。
「危険なので、止めましょう」「ここから戻りましょう」と言えるか?
恐らく雪崩の知識等無く、率先して訓練に臨んだ、自校の生徒に着いて行っての事だろう。
(中略)
雪崩は17年3月27日朝、那須町湯本の国有林で発生。県高体連主催の登山講習会に参加していた高校生らが巻き込まれ、8人が死亡、40人が負傷した。

6月29日付け毎日新聞 記事
IMG

6月30日
配信下野新聞より抜粋、青字は私見。
那須雪崩事故・民事訴訟判決確定へ 県と県高体連、控訴しない方針
(中略)
宇都宮地裁判決について、県と県高体連が控訴しない方針を固めたことが30日、関係者への取材で分かった。遺族側も控訴しない方針で、地裁判決が確定する公算が大きくなった。
>県と県高体連が控訴しない方針を固めた
当然の事です。

(中略)
判決は雪崩事故の発生について、遅くとも事故当日朝の時点で気象状況などを確認していれば「なだれ発生の可能性を認識できる状況だった」と指摘。「雪崩に対する危機意識の希薄さから、3教諭や県高体連が講習会を中止しなかったことが一因と言える」と判示した。
地裁の浅岡千香子裁判長から、この様に言われては、
“業務上過失致死傷”容疑で係争中の刑事裁判で、3教諭に“有罪”の判決が下される事が確定ですね。“不服申立”をして、恥晒しを続けるのでしょうか・・・
(中略)

刑事裁判も、進んでいる様です。
IMG_0001
当時の生徒の証言と、被告の言い分が真逆の様ですね・・・生徒だった教え子に、
事実を話せと言われて、恥ずかしく無いのか? 猪瀬・菅又・渡辺ョ
IMG_0002
菅又久雄! 片腹痛いゾ。

これまでの経緯は、下記で詳しく書いてます。

那須 高校生雪崩遭難事故顛末記 (17)