前回〔冬期・田代岳新ルート模索中〕の記載をしましたが・・・
このルートの記録が無いものかと、田代岳を検索中に、意外な記述を発見しました。
1965年(昭和40年)12月1日発行 あきた(通巻43号・全64ページ) の中に、
2ページにわたり「ふるさとの山」と題して田代岳が紹介されてました。
筆者は、田代町役場広報係 石川良一氏です。
氏の紹介文の冒頭に、
田代岳は、鳥海火山脈に属するトロイデ型(釣鐘型)の休火山である。と、記述。
九合目の高層湿原に、山小屋設置の計画が有るとも記述してます。
更に、高層湿原の名称を 神の田 と記述してます。
休火山?これには、驚きました・・・
山容からしても、確かに山頂はドーム状ですが・・
火山の件は、後に記します。
登山コースの紹介と概念図が有りました。
当時、利用されてたのが、
①大野口(薄市沢) ②荒沢口 ③板沢口 ④マンタ平口 の4コースです。
(現在一番利用されている、大広手口コースの記述が有りません。
昭和40年頃は、まだ大広手からの道は無かったものと思われます。)
①薄市沢までは、当時から林道が有ったらしく、
大野部落から木材運搬のトラックに便乗して、3合目の登山口に至る。と記述。
②④コースについては、越山部落から大淵岱部落(現在は山瀬ダム湖に埋没)まで歩き、そこから旧森林軌道跡(トロッコ道)を歩き登山口に至る。と記述。
③コースについては、大淵岱部落の手前から、板沢林道に入る。と記述。
(各コースの詳細ですが・・・薄市沢・荒沢コースは、現存してるので割愛しますが、板沢・マンタ平コースは、現在廃道と為ってます。)
〔板沢コース〕の紹介文
大淵岱部落の手前から板沢林道に入る。
途中左に平滝開拓を見ながら赤倉鉱山跡を通り、稜線に出る。
ここでマンタ平口からの道と合流し、展望がきき楽しめるコースである。
〔マンタ平コース〕の紹介文
大淵岱から割沢まで旧森林軌道跡を通り、ここからマンタ平を通って、
標高880mの稜線に出る。
ここで板沢口からの道と合流し、
展望のきく稜線づたいに登ると左下に赤倉鉱山(廃山)の赤い地肌が、
栄えた昔の面影もなく見える。
鉱山の赤土が見えなくなる頃から、急な痩尾根となり最大難所にかかる。
この難所を30分辛抱すれば、急に眼前がひらけて、九合目湿原である。
このコースは、山頂からマンタ平までスキーツアーコースとしても楽しめる。
(昭和40年代に既にスキーコースとして使われてたようです。今回の新ルート模索では、地形図の1006mピーク下の1000mから派生する2本の尾根を登・下降路の対象として考えています。)
板沢からのコースを現在の地形図で見ると、
板沢から標高650mまでは実線で表記されてますが、
その先880mでマンタ平からのコースと合流する道の表記が有りません。
鉱山跡の表記もなく、そこと思われる地点一帯には崩壊マークが表記されてます。
マンタ平からのコースは、現在の地形図に破線で表記されてます。
割沢とは、マンタ平と思われる緩斜面一帯の西側の沢と思います。
しかし、ネット検索中に見た九合目分岐点標柱画像には、
マンタ岱→廃道 と有ります。
(実は無雪期に田代岳に登った事が無いので、この標柱の存在は知りませんでした。)
マンタ平でなく、マンタ岱との表記。
標柱の設置者は、田代ライオンズクラブ。
昭和40年以降に大広手コースが出来てから、
利用されず廃道に為ったものと思われます。
マンタ平コースを赤色で、板沢コースを黒色で、作図してみました。
板沢コースの点線部分は、標高880mでマンタ平コースと合流と記述されてたので、
想像で880mに至る様に作図しました。
火山だった頃の噴火口・爆裂口も入れてみました・・・

赤倉鉱山は、図中の赤倉爆裂口(赤破線丸内)の板沢コース上の、
何処かに有ったと思われます。
赤倉鉱山については、
閉山となった鉱山 越山地域まちづくり協議会 が記述した資料を見つけましたので、
以下添付します。
以下添付します。

上記の資料によると、昭和初期にはここで300人超が暮らし、
小学校の分校も有ったようです。
次の話に進みます・・・・
田代岳 火山説について
〔国立研究開発法人 産業技術総合研究所 火山研究部門〕の研究データの中に、
第四紀火山 に関した資料が有りました。
第四紀火山とは、180万年から現在迄に出来た火山を指すそうで・・・
田代岳は60万年前以降に出来た火山だそうです。
この第四紀火山の一番古い山が、何と槍ヶ岳・穂高連峰と剣岳とか・・・
180万年から170万年前に形成され、その後山体の大半は侵食で失われ、
現在の見えてる部分は火山の芯の部分だそうです。

この図が、第四紀火山の表示ですが、
東北地方の火山は、Dの何番という管理のようです。
この番号毎に詳細なデータが記載されています。
因みに、田代岳はD16と表示されてます。
・・・・・・・・・・
ちょっと一息、近辺の山の古い順
八幡平火山群 D22 120万年前以降に形成
南八甲田火山群 D09 110万年前~30万年前に形成
森吉山 D25 110万年前~70万年前に形成
月山 D49 90万年前~30万年前に形成
岩手山 D31 70万年前以降に形成
岩木山 D15 65万年前以降に形成
鳥海山 D39 60万年前以降に形成 1801年享和ヶ岳(現・新山)誕生
北八甲田火山群 D10 40万年前以降に形成
秋田駒ヶ岳 D29 10万年前より新しい
侵食されて、なだらかな山容の山が、古い時代からの山のようです。
鳥海・新山ドームは江戸時代に当時の年号から、享和ヶ岳と呼ばれていたようです。
・・・・・・・・・・
〔日本火山学会〕の研究論文中に、秋田県北部田代岳の地質 と題した、
秋田大学・鉱山学部(現 国際資源学部)の阿部泰久・山元正継氏の論文を見付けました。1988年発表の論文です。

専門用語でよく判りませんが、左下の図で、田代岳が形成された様子が判ります。
要約すると、形成過程が3つのステージに分かれてます。
ステージⅠ 水中で火山活動開始→湖成層堆積→湖水減少
ステージⅡ 主要山体形成期
ステージⅢ 中央火口溶岩噴出→マンタ平側噴火→田代岳溶岩円頂丘→赤倉爆裂
↓ ↓
溶岩円頂丘崩壊 硫気活動
↓
北部岩屑流
当時(60万年前以降)田代岳の辺りは、湖だったようです。
関係ないのかも知れませんが、
田代岳から南西に25キロ程離れた北秋田市・前山地区を通る国道7号の旧前山トンネル付近に、二枚貝の化石が沢山含まれた層が有ります。
田代も湖底だったとしても不思議では有りません・・・
この論文には、地図が無いので、ステージⅢを時系列で想像するに・・・
中央火口溶岩噴出・・・中央火口とは、現在の高層湿原がその場所ではないのか?
爆発ではないので、現在の地形図に崩壊記号がない・・
火口壁の侵食で、土砂が火口を埋め現在の湿原が出来た・・
マンタ平側噴火・・・・九合目湿原の東側に、ほぼ円形の崩壊地形が地形図に有り。
この崩壊場所が噴火口跡と思われる。
溶岩円頂丘・・・・・・現在の山頂ドームを指す。
しかし、地形図では北部に崩壊を示すものは無い・・・
赤倉爆裂・硫気活動・・赤倉沢上部に、やや丸い崩壊跡が有り、これが爆裂跡。
硫気活動で硫黄が溜まり、後に赤倉鉱山として採掘された。
田代岳について、暇暇に調べた資料を、一纏めにしました。
60万年前の誕生から、昭和40年代の様子、中々面白い歴史?の山と思いました。
役場の石川氏の田代岳紹介文の中に、白髭大神の記載も有りましたが、
省略いたします。
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