資金稼ぎ④ の続きで、
十和田湖の八郎太郎・田沢湖の辰子姫伝説を紹介します。


発掘作業中に、黒土の間に白くシャリシャリする、
十和田火山灰の層が有りました。
平安時代の延喜15年・西暦915年に噴火した時の火山灰です。
これは史書にも記載が有り、大噴火だったようです。
更に発掘が進むと、黒土の下に水分を含み粘土化した火山灰層が・・・
1m~2mも堆積してました。
その層には、火砕流か爆風でなぎ倒された丸太が多数埋没してました。
興味が有ったので少し調べて見ると、
十和田湖は過去3回の大噴火で出来たカルデラ湖でした。
最初の噴火は、1万5千年前 現在の湖面全体で外輪山が形成されました。
2度目の噴火は、5400年前 現在 中の湖 と呼ばれている湾です。
3度目の噴火は、915年前 御倉半島の先端の御倉山溶岩ドーム形成。

粘土化した火山灰は、最初の噴火で降った火山灰。
黒土に含まれる火山灰は、3度目(平安時代)の噴火で降った火山灰です。

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では、十和田湖に纏わる伝説を紹介します。

【八郎太郎伝説】
平成10年 鹿角地方部発行 鹿角の伝説 より抜粋

龍となる
今から何千年も前の昔のことである。草木村(現鹿角市大湯草木)の保田というところ
に、八郎太郎という名の17歳の若者が住んでいた。八郎太郎は体が大きく、身長が6尺
(1.8メートル)もある力の強い若者であった。
 
八郎太郎は、マダの木の皮(蓑などの材料として使う皮)を剥いで集めたり鳥や獣を捕
り、それらを売って両親を養っており、村でも評判の良い若者であった。
 
ある日のこと、八郎太郎がマタギ仲間の三治と喜藤と一緒に三人で遠くの山に、泊まり
がけでマダの皮剥ぎに出掛けていたときのことである。八郎太郎が炊事当番の時、水汲み
のため川に出掛けると、川の中に岩魚が三匹泳いでいた。八郎太郎は、その岩魚を三匹捕 まえ、三人で一匹づつ分けて食べようと串に刺して焼いていた。

そのうちに、こんがり焼 けた美味そうなにおいに耐えきれず、仲間が戻ってくる前に魚を一口食べてみた。そのあ まりのうまさに、「なんと、美味しいんだろう。おら、今までこんにうまいものを食っ たことがないや。」と独り言を言いながら、知らず知らずのうちに一匹全部、そして残り の二匹も食べてしまった。

間もなく八郎太郎は焼けるような喉の渇きを覚え、そばに置い てあった桶の中の水を一口飲んだ。しかし渇きは止まらず、全部飲み干してしまった。
れでも、ますます喉は渇くばかりであり、ついには川の流れに顔を付けて川の水を飲みは
じめた。そして、飲みに飲んで日の暮れるまで休まずに飲み続けた、ふっと顔を上げたとき、八郎太郎は流れの水面に映った自分の姿を見てびっくりしてしまった。そこに映って
いるのは、大きな火の玉のような真っ赤な目をした龍であった。八郎太郎は、いつの間に
か龍になってしまったのである。
 
山から戻ってきた三治と喜藤もこの有り様をみてびっくりし、「八郎太郎、お前どうな
ったんだ。ここはひとまず小屋へもどろう。」と八郎太郎を小屋へ連れていこうとしたが、
八郎太郎は、「俺は化け物になってしまった。俺は、もう水から離れられない体になって
しまったのでどこへも行けない。ここに湖を築き、この湖の主として住むことにする。親
にはよろしく伝えてくれ。」と言うだけであった。
二人の仲間もどうすることもできなく、仕方なく八郎太郎に別れを告げて草木の村に帰
って行った。
こうして、大きな龍になった八郎太郎は、10方の沢から流れる水をせき止め十和田湖を
築き、深い湖の底に住む主となった。

南祖坊との戦い
千年以上も昔、南祖坊と言うお坊さんがいた。南祖坊は「弥勒(みろく)の出世」(悩
めるたくさんの人々を救う仏様が現れること)を願い、紀州の熊野山にこもって願掛けを
していた。その願掛け最後の夜、お堂の中で思わずトロトロと眠っていたとき、夢枕に白
髪の老人が立ち、「お前の願いをかなえてやろう。だが、その前にお前は竜にならねばな
らない。ここに鉄のわらじと杖を置くから、杖の教える通りに歩きこの鉄のわらじと同じ
ものを探しなさい。そこの場所がお前の願いをかなえる場所である。」と言って消えた。
 
喜んだ南祖坊は、さっそく日本全国の山や湖を巡り歩き、一番最後にやってきた場所は
神々しく美しい眺めの十和田湖であった。ふっと見ると、そばの洞窟の中に鉄のわらじが
置かれていた。「ああ、神様が知らせてくださった場所はここであったか。これから、私
はここに住むことにしよう。」と言って、湖の岸の上で、お経を読み始めた。その時、湖
の底から「おい、こらあ。おまえは、つまらん人間のくせに、このような尊い場所へ来る
んじゃない。さっさと立ち去るんだ。」と天地に響くような大きな声がした
南祖坊は、「お前は何者だ。ここは私が住む場所だ。私は神様のお告げで、この湖の主
になることになったのだ。」と静かな声で言った。
「なんだと。ここは何千年も前から俺が住んでいるのだ。立ち去らないとお前を飲み込
んでしまうぞ。」その大声と同時に、天地が震え、大波の荒れる湖の上に八つの頭をもっ
た大きな龍が浮かび上がってきた。そして、16本の角をふり立て、口から火を吹き舌を巻
き上げて、南祖坊に飛びかかってきた。
 
南祖坊は静かにお経をとなえ、八郎太郎めがけてお経を投げつけると、お経の一字、一
字が剣となり八郎太郎の龍の体につきささった。さらに南祖坊がお経を衣の襟に刺すと、
南祖坊も九つの頭をもつ龍に化け、八郎太郎の竜に向かって戦いを挑んだ。また、一方の
八郎太郎は自分の着ていたケラの毛1本、1本を小さい龍に変身させ、南祖坊へ噛み付か
せた。
 
こうして、お互いの命をかけた激しい戦いは七日七晩も続いたが、さすがの八郎太郎も
最後には南祖坊の法力に負けて、真っ赤な血を流しながら、十和田湖の御倉半島をはい上
がって、どこへともなく逃げて行ってしまった。御倉半島の五色岩、千丈幕、赤根岩の色
が赤いのは、八郎太郎の流した血の跡と伝えられている。

平安時代の3度目の噴火の様を、八郎太郎と南祖坊の戦いに見立てて、
この伝説が生まれたのではないでしょうか?

この画像が、龍と化した八朗太郎が流した血の跡と言われてます。
2度目の噴火で出来た 中の湖 の火口壁に堆積した噴出物です。
鉄分が多いので今でも赤褐色なのか???
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八郎太郎と南祖坊の激しい戦いで湖面から溢れた水が、
奥入瀬渓谷を造ったとも伝えられています。

八郎太郎が逃げて居なくなると、間もなく十和田湖はもとのように静かになり、南祖坊
は深い中の湖の底に潜んで、湖の主となった。
 
鹿角の神々との争い
南祖坊との戦いに敗れた八郎太郎は、やがて生まれ故郷の鹿角に帰って来た。青垣をめ
ぐらしたような山々の高い場所に登り、鹿角中を眺めわたすと、西の遠方に、米代川、小
坂川、大湯川の三つの川の合流地点に狭い谷あいの場所を見つけた。

ここは、今でも山と山の狭間で、大量の火山灰泥流が堆積し、
ダム湖が出来た場所かも・・


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図中のピンク色堆積物が毛馬内火砕流の元と言われてます。
火災流は大湯川沿いに降り、土石流となって米代川に流れ込んだようです。
この土石流の流れ降る様子を、龍になった八郎太郎に見立てたものではないでしょうか?


この場所は、右に男 神(イザナギの命)、左に女神(イザナミの命)を祭っている場所であり、それぞれ木製 のご神体が岩穴の中に祀られているという場所である。八郎太郎は早速、米代川をせき止 めて自分の住む湖を作るため、男神と女神の間に近くの茂谷山(もやさん)を背負ってき て埋めようと考えた。


そして、鹿角じゅうの葡萄のつると藤のつるを集め、きな綱を編 み、茂谷山を背負うために綱を山へ掛けた そのことに気づいた鹿角の42人の神様たちは、ここを八郎太郎によって湖にされると自 分たちの住む場所がなくなると心配し、皆が集まり相談した。

この神様たちが集まって協 議した場所が、現在の集宮(あつみや)の地名となっている場所と言われている。神様た ちは、八郎太郎を追い出すことに決め、石ころを投げて八郎太郎と争った。今でも、毛馬 内の陣場のあたりには大きな石や小さな石が多くあり、これらの石は、「神のつぶて石」 (神様の投げた石)と言われ、八郎太郎を追い出すために神様たちが投げた石と伝えられ ている。

鹿角民話の会 資料より抜粋 
南祖坊に敗れて十和田湖を追いやられた八郎太郎は、新しい住みかを求めて米代川を下っていった。
しばらく行くと、北は籠山、南からは七座山が迫っている北秋田都と山本郡の境あたりへやってきた。そこはとても景色のよい所で八郎太郎は大そう気に入り、川の一部をせきとめて一大湖水をつくり、そこを第二の安住の地にしようとした。
ところが困ったのは七座の神々であった。何とかしてほかの地へ追いやろうとして神々が集まって相談したが、なかなかよい案はうかんでこなかった。そこで、いちばん信望のあつい七座の天神様に一切を任せることにした。
七座の天神様は八郎太郎を呼んで、力くらべをしようと持ちかけて、近くにあった大きな石の投げ比べをした。見事に勝った天神様は弱気になった八郎太郎に、下流にも広々とした住みかがあり、一夜にして大湖水にしてやると勧めた。そして早速、千匹の白ねずみを集めて、八郎太郎の住む湖の土手土手に穴をあけさせた。
この話を知った下流のねこたちは驚いて、白ねずみたちに襲いかかり、三日三晩、死にものぐるいの戦いが続いた。それを見かねた神々は、ねこたちを説得して、ようやくねずみたちは堤に穴をあけることができた。
果たせるかな、ねずみたちがあけた穴からは次々に水が流れ出し、それが大洪水となって、八郎太郎はこの流れにのせられて米代川を下っていったのである。

七座山の画像です。左が上流・米代川が大きく湾曲して流れてます。
ここにも土石流が堆積しダム化したのでしょう。
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ウィキぺディアより抜粋
 江戸時代のこの地区の古文書に次のような記載が「大同2年潟の八郎という異人が七倉山の所で米代川をせき止め、鷹巣盆地は三年にわたって水底となった」(文化十四年丑六月洪水記録」より)

この伝説は、実際に起きた自然災害との関わりが指摘されている。915年十和田湖にあった火山は2000年来最大とも言われる大噴火を起こす。この噴火によってもたらされた噴火降下物は各地で堆積し、自然のダムを造った。ダムは周囲を水浸しにしながらも最終的に決壊し、各地で大洪水を起こす。秋田県北秋田市の胡桃舘遺跡もこの時の洪水によって地下に埋まった遺跡である。そして、まさにこの被害を受けた地区に八郎太郎の伝説が残っているのである。
たとえば、南祖坊と八郎太郎の七日七晩の戦いは、稲妻を投げ合ったり、法力を駆使したりの壮絶なものであるとする表現があるが、これが十和田湖火山の噴火の様子を記述しているという人もいる。また、七座山の伝説に残っている「白鼠」は火山降下物が堆積し流れ下るシラス洪水なのではないかと指摘されている。
このことは、1966年に平山次郎・市川賢一によって「1000年前のシラス洪水」という論文で発表されている。

米代川を降った八郎太郎は、
男鹿半島の砂洲で出来た大きな潟を安住の地と決め、主となった。
これが後に八郎潟と呼ばれた由縁です。

次に辰子姫伝説】です。
 語り・高橋茂子(あきた民話の会・美郷町在住)
 
 昔々、院内の神成沢に三之丞と言う家があって、辰子って言う娘と阿母ど暮らしてえだけど。辰子は、まんじ綺麗な娘っ子で親切だったがら、辰っ子ど好がれでえだけど。
 ある日、水鏡さ自分の姿映して「老えだぐね。今だばみんなに綺麗だど言われるども、四十年位経てば阿母みでに白髪になったり、腰まがったりするべな」と思って、観音様に願掛けようど決めたどよ。背中さ平らな石背負って、百段目に辰っ子は疲れて観音堂の前で居眠りしたば、夢枕さ観音様現れで「辰子、お前の願いは人間として叶う事ではないぞ」。「人間でなくてもえんし、若ければ」。「そうか、それ程言うならかなえてやる。北の方に清い泉があるがら、その水飲めば若くなっていられるぞ」と告げて消えてしまったけど。
 春になって薬師峠の北の方さ友達と山菜とりに行ったど。いっぺとったば、観音様のお告げの泉があったけど。その水いっぺ飲んだば、手足が伸びで見るも恐ろしい龍の姿になったげどよ。「あーっ」と叫んだとたんに雷雨が滝の様に降ってきて、辰子は泥水の中に引き込まれだけど。それ見だ友達がアバさ知らせに行ったば、気が狂ったようになって村のオド達さ助けをたのんだど。
 囲炉裏にあった燃えさしを灯りとして辰子を探しに行ったば、今まで見たこともね大きな湖が出来てえだっけど。アバとオド達は夢中になって叫んだば、水面が波立って恐しい龍が現れだけどよ。「お前辰子でねで。早く辰子どご出して」。したばきれいな辰子が出てきて、「アバ、オド達ごめんな、さわがせで。いつまでも若ぐなっていでして観音様さ願掛けて、この姿になったなだ。そのかわり、水屋さ魚おくるから」と言って、湖の中に沈んでしまったど。
 
囲炉裏の燃えさしを明かりに、辰子を探しに行って龍が現れて驚き、
燃えさしを湖面に落すと、それに尾鰭が生え国鱒になったと・・・
以後ジジとババは国鱒を採って生計を立てた。
と言う言い伝えも有ります。

 語り・尾形雅子(あきた民話の会・横手市在住)
 
 山の雪も解けて、里にカタクリの花が咲く頃になると、田沢湖に渡って来たカモ達も、北の八郎潟に帰って行った。田沢湖の主・辰子姫は冬の間、カモ達から、いろいろな話を聴くのを楽しみにしていた。その話の中で、人間から龍になってしまった八郎太郎の話を聴いた。辰子は自分と同じ身の上の八郎太郎に逢ってみたいと思うようになった。
 春になって、八郎潟に帰ったカモ達は、早速太郎に辰子の気持ちを伝えた。八郎は喜んで、冬になったら田沢湖に行ってみようと思った。
 あられが降る頃、辰子はカモ達からの知らせで胸をときめかしながら八郎を待っていた。田沢湖に着いた八郎太郎は「なんと田沢湖は水がきれいだし、山の姿もすばらしい。それより辰子姫はもっと美しい。ここで一緒に暮らせたらありがたい」と言う。辰子はうれしかった。こうして八郎は冬の間、仲良く暮らし、春には八郎潟に帰った。
 ところがある年、辰子に恋していた十和田湖の主・南祖坊は、二人の仲を裂こうと攻めてきた。しかし、辰子を必死で守る八郎太郎の気迫に負け逃げて行った。
 それから毎年八郎潟が荒れる頃になると、秋田から河辺、仙北の宿屋に立派な身なりの旅人が泊まっていくようになった。この旅人は、西木村西明寺の、ある宿屋に旧暦の十一月に決まって泊まるという。宿屋の人には「部屋を絶対に覗かないように」とたのんだ。
 ある年、宿屋の老婆が夜中に覗いてしまった。部屋には大蛇が、とぐろを巻いて寝ていた。怒った旅人は二度と泊まりに来なかった。その宿屋はある年、大洪水で宿屋もろとも老婆も流されてしまった。旅人は八郎太郎であった。
 今でも辰子は冬になると、八郎潟から逢いに来る八郎太郎を待ちこがれているという。
 田沢湖は二人の愛の熱で凍ることはなく、二人の愛の深さで年々深くなり、日本一になったということである。

なので冬、八郎太郎が留守にする八郎潟が凍結すると云う伝えも有るが、
水深が5~10mより無く当然凍結するし、
一方の田沢湖は水深が423mも有り当然不凍湖な訳です。
何か興醒めですか・・・



田沢湖畔に佇む 辰子像
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十和田湖の八郎太郎伝説・田沢湖の辰子姫伝説、いかがでしたか?