栗城と同時期に、エベレスト北面に居た、キリアンが2016年9月28日付けの、
〝SUMMITS oF MyLIFE〟 の中で、今回の遠征登山の概要と総括をしてます。
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キリアン隊は、ジョルディ、アルプスガイドのセバスチャン、ビビアンの4名。
東ロンブク氷河のノースコル(7000m)から順応し、中央ロンブク氷河から、
ホルバインかグレートを登攀する計画。

8月7日 ネパール・カトマンズに到着
     手続き、その他
8月16日 中国・ラサに到着
8月19日 ロンブク到着(寺院の在る処、BCの手前)
8月22日 6500mABCの予定が、5キロ手前の6000mでキャンプ。
     (雪でヤクが進めなかった模様、この点は栗城と同じか・・)
8月29日 7200mのラプ・ラから7700mに登る。
     (北東稜末端の東に有る山・高度順応の為)
8月31日 最後の順応で、8000~8200mに登る予定が7600mで天候悪化の為中止。
     良い状態で55度の斜面を登れたと。
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                     (7000mノース・コルでの、キリアン)

9月8日 3時に出発して、7000mへ 天候悪化
9月11日 チャンツェ7553mの7519mからスキー滑走。
     (ノース・コルの北側の山、この山の登頂を目的にする隊も有る位の山)
9月12日 昼までに北稜を7950mまで登ったが、雪が降り始め下山。
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                   (登攀する、キリアン)
9月13日 ビビアンとチャンッエの6910mからスキー滑走。
9月15日 撤退決定。
9月20日 ラサで打ち上げ宴会。

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キリアンのメモ。22日に書かれてる90-80-85の数字は、
血中酸素飽和度の数値と思われる。
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天候が悪く7950mで撤退した、キリアンには気の毒だったが、
もう少し我慢をしてれば、今の好天で登頂の可能性が大だったのでは・・・・

9月12日に、晴れ間を見て6000mから7950mを日帰りとは、恐ろしい速さです。
流石、速攻のキリアンだと・・・
それに引換え、5600m(ABC)~6100m(C2)を、ウロウロしてる栗城は駄目ですね。


さて、今晩の栗城ブログ更新を楽しみに・・・・

それと、当ブログにキリアンは東ロンブクなので、
栗城とは遭遇してないのでは? との、コメントを戴きました。
キリアンのHPには、順応後に中央ロンブクに移動したとの記載も無く、
どのルートの7950mまで登ったのかも記載無しです。(北稜ルートとは思うが・・)
もしかしたら、最後まで東ロンブクに居たのかも知れません、済みませんでした。


追記
小生が50年前に山登りをした頃は、キリアンがメモした様な行程表を書き、
冬山に向かったものです。
形式は違っても行動記録として、外国人が同じ様なメモを残してる事に、
万感の思いをしています。

栗城には、知りえない事でしょうが、
計画と実績の差が一目瞭然に見られる表ですから、実践して欲しいメモです。
栗城はこんな事も知らないと、思ってますが・・・

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追記 翌2017年春のチベットでの無酸素登頂の記録

第1回目の登頂(5月20日~22日)

標高5100mのBCを、20日の夜10時に出発。
26時間後の22日、真夜中に登頂。午前0時15分に下山開始。
22日、正午過ぎに6500mのABCに到着。延べ38時間の行動。

第2回目の登頂(5月27日~28日)

1回目の記録に満足出来ず、2度目に挑戦です。
27日に標高6500mのABCから、17時間後の28日に登頂。
即日ABCに帰還、行動時間は延べ28時間30分

通常チベット側からの登頂は、天候に恵まれたたとして。
1日目 ABC⇨C1
2日目 C1⇨C2(酸素を吸う)
3日目 C2⇨C3
4日目 C3⇨登頂⇨C2又はC1まで戻る
5日目 ABCに帰還
初日に、C2まで登れたとしても、
往復4日の行程です。