ここ一週間ほどの間で、一気に秋の気配。
蝉からコオロギが主役になり、秋の虫達が元気に鳴いてます。

夏場伸び放題だった雑草取り・降雪に備えて枝折れ防止の庭木選定など・・・
暑いとヤル気が失せますが、今は汗も出ず快適な日々。

刈り込んだ玉柘植、多少頭デッカチか???
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鉢植えの〝七竈〟が色付き始めましたが、地植えの七竈はまだ青い実のまま・・・
生育環境の違いでしょうか???
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10月~12月の〝戻り鰤・ジギング釣り〟の乗合船予約も済ませ、
気持ちは恒例の釣りモードに・・・。


昼に一息入れに家に入ると、〝北朝鮮核実験〟のテロップが・・・・
先日、頭の上をミサイルが通過したばかり・・・何とも困った〝金豚〟。
最初に核実験したのは親爺で’、06年秋だった。
その日は、岩手山七滝から山頂への往路で、熊避けの携帯ラジオで聴き、
驚いた記憶がある・・・



夜は、マッキンリー大滑降① 放映予告で紹介した放送が入る。
いつもは一杯呑んで寝てる時間だが、酒量を控え待機です・・・

山名の〝マッキンリー〟は、米国大統領の名前から付けられたもの。
アラスカ先住民族は〝デナリ〟と呼んでましたが、
オバマ大統領が退陣前に〝デナリ〟と改称しました。

小生は、馴染みが有るので旧名がしっくりしますが・・
エベレスト(印度測量局の人名から命名)、サガルマータ(ネパール名)、
チョモランマ(チベット名)、珠穆朗瑪峰(中国名)
ネパール側からはエベレスト、中国側からはチョモランマが一般的ですが・・・

今回のスキーでの大滑降は、ノーマルルートからでは無く、カシンリッジを登攀し、
南西壁を滑り降りる計画でした。

マッキンリーは6190mより有りませんが、緯度が高くヒマラヤに比べ酸素は希薄。
極地に近いので気温も低く、ヒマラヤの7000m峰に匹敵する環境と言われてます。

赤線 カシンリッジ 南西壁はカシンリッジの左斜面全体を指す。
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カシン・リッジ登攀 トポ(概念図)
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マッキンリー山頂からの世界初スキー滑走は、
40年以上前に植木毅氏がノーマルルートから達成。
彼は当時の山スキー界では、三浦雄一郎を凌ぐ植木毅と呼ばれてて、
冬季は奥穂高岳山荘の冬季小屋をBCにして、滝谷滑降の訓練(S42年に達成)をしてた。
2日ほど冬季小屋で同宿したことが有る。
また当時は、山岳写真家田淵行男の駆け出しの弟子であった、
水越武氏(後に白旗史郎と並び称される)も、重いカメラ機材を担いで、
涸沢岳西尾根から冬季小屋に来て、撮影してた頃が思い出される。
彼は名古屋の質屋の息子で、ライカとかの高級な機材を持ってた、質流れ品だと言ってた。


カシン・リッジとは
イタリーの名クライマー、リカルド・カシンが50歳過ぎてから(52.3の頃)、
マッキンリー南壁に未踏のリッジ(狭稜)が残ってる事を知り、このリッジから初登頂。
当時の米国大統領のケネディが祝電を打ったと言う、名ルートです。

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リカルド・カシン登攀の図。当時は登山靴にニッカーボッカー姿。
ハーネス・メット無しで麻のザイルでブーリン結びでしたが、
アルプスで数多くの難ルートを初登攀、後にイタリア登山学校の校長を歴任。
自らデザインした登攀用具の製造販売もし、カラビナ・ハンマー・メット・ピッケル等は、
日本でも一世を風靡したものです。
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カシンのロゴマーク
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さて映像です。
NHKがこの大冒険を、たったの1時間番組に纏めてますが、勿体無い・・・
ブッシュパイロットの氷河へのランディングから、リッジへのアプローチ・
リッジ登攀シーン・滑走シーンの全てが端折り過ぎて、充実感無し・・・
登頂までを前編・滑走を後編として2時間番組にして欲しかった・・・残念。

しかし、カヒルトナ氷河からの周囲の景色は素晴らしかったし、
登攀シーンも滑走シーンも迫力が有り素晴らしいの一言・・・
佐々木氏の板はdpsの何モデル? ビンはディナフィット・スーパーライト175g。
ただ番組が短く、モヤモヤ感が残る・・・・

幸い、佐々木大輔氏らの報告会が10月に秋田市の高清水蔵元サロンで有る、
テレビ以外の映像も有るそうなので、申し込もう~ 先着80名限りだ。