長期患ってた母が94歳で死去、誕生日前だと2歳加えるとかで享年96歳。
死因は、肺炎と書かれてたが、痴呆と老衰に因る衰弱死と思う・・・
死因に?と思ったが、この様なケースでは心不全・肺炎と書くのが一般的とか・・・
一七日が過ぎたので、忘れないうちに記す。


7月28日(土)
土曜日に有るバドミントン教室に、孫達が来ていて帰りがけ家に寄った。
孫達がシャワーを浴びた後に、面会はこれが最後と思い入院先に向かう。

酸素チューブ・点滴・モニターに、下の孫は興味津津の様子・・・
血圧が低めで、毎分4Lの酸素吸入をしてるとか、片足の先が梗塞か? 紫斑が・・・
素人目にも先が近いと思った・・・


7月29日(日)
朝の8時過ぎに入院先の同僚看護士から、妻の携帯に連絡が入る。
容態が良くないので・・・との事・・・
実は10日程前から酸素吸入をしてて、時間の問題だと覚悟はしてた・・・

孫達が夏休みに入り、楽しみにしてた2泊3日のディズニーランド行きの計画が有り、
妻も躊躇いが有った様だが、娘一人で二人の面倒を見るには気の毒と思い参加させる。
この間には逝かないだろうとの、何の根拠も無い予測のもとに・・・
孫達が帰るのを待ってたかの様に、容態は悪化。

秋田市に居る妹にすぐに来る様に連絡し、病院に向かう・・・
10時頃に妹と母の姉の長女が到着。
妹を待ってた様に、呼吸する力が弱まり、11時32分心停止・・・
予て妻・妹と打ち合わせてた、葬祭屋に電話を入れる。
病院での処置に1時間程度掛かるとの事で、12時半に搬送の依頼。
死亡診断書を受け取り、院長・病棟看護士達に見送られ、
妻が搬送車に同乗し葬祭ホールに向かう・・・
ホールに着いたが・・・??? 自宅の在る町内を経由して来たとの話しだ・・・
部屋に安置して貰い・・・これからが一仕事だ。
担当の女性から、この後の葬儀まで一連の説明を聞く。

火葬後の家での祭壇までを、この葬儀屋に頼み、
秋田での葬儀・法要・お斎までを同系列の葬儀屋に頼む事にした。
明日10時に当地まで打ち合わせに来てくれる事に為った。

先ずは枕経の準備だ・・・

菩提寺は、秋田市の寺町に在る妙覚寺、曹洞宗の寺で境内に墓が有り、
祖父母・父が眠ってるが、秋田から坊主を呼ぶ訳にもいかず・・・
妻方の菩提寺も曹洞宗であり、和尚とも義父母・親族の葬儀等で面識有り、
母の件も前々からこの時の事を相談してたのだ。
必要な時にはお手伝いをして貰える話しが有ったので、源守院の和尚に連絡。
3時から枕経を唱えて貰うことに・・・
其れまでの間に、カタログから衣装・棺・花等の選定。
火葬場の手配も済ます。(市に死亡届けを出す前でも、仮押さえが出来るとの話し)
24時間後の30日午後からは火葬可能だが、釜が4基有るのに31日の昼まで決ってるらしい。

火葬は、31日午後1時からに仮決定。

3時 源守院の和尚が見えられ、枕経を唱えて貰う。
和尚からは、自分も妙覚寺に連絡を入れるが、喪主からも連絡して欲しいとの事。
同門の寺同士でも、筋を通す必要有り。

枕経後に、妹達が火葬衣装準備の為に、一端秋田に戻る、通夜には来るとの事。

妙覚寺に電話したが、坊主が留守との事(3.4人は居たはずだが・・・)
電話に出た女性に事の経緯を話すと、坊主が夕方には戻るので再度連絡欲しいと・・
夕方6時に再度電話。
①8月1日の午後1時からの葬儀・法要・納骨・お斎の話しはOK。
②墓が寺に有るか? との問いだ・・・お前 本当に住職かと言いたかった・・・
 馬鹿タレ80年以上も昔から、高い管理料を払ってるではないか!!!!!
③次に読経の坊主が何人必要か? の話し・・・自分25万・弟子8万だと・・・
 父の葬儀を思い出し坊主+弟子2人を依頼。
④更に戒名をどうするか? の話し・・・院号付き40万・無し20万と言われる・・・
 父にも院号が付いてたので、同格にした。
 (因みに妻方の源守院は、院号付き5万・無し無料である。)
⑤寺での〝お斎〟のショバ代が3万と手伝い人が1人分6千円だと・・・
 坊主丸儲け・ボッタクリで有る・・・

母は生前、秋田市の古刹 曹洞宗・天徳寺(佐竹藩歴代城主の菩提寺)に、
曹洞宗総本山・永平寺の導師が訪れた時に、何日か修養を受け、
道師から生前戒名を授かった経緯が有る。
これは当時の天徳寺住職の母親と故人の母親が友人で、
子供の頃にも何回か祖母に連れられて、天徳寺に遊びに往った記憶がある。
こんな関係だったから、生前戒名が受けられたのかも知れない・・・

坊主に、母には生前戒名が有り、
それが記された清芳妙信の四文字の〝血脈〟なる物が有るから、
それを生かして〇〇院 清芳妙信〇〇と戒名にして欲しいと言ったが・・・
坊主曰く、生前戒名はナンチャラ・カンチャラで、没後に付けるのが正しいと言う。
付けて欲しい漢字が有るかとの言い種に、思わず言ってしまった・・・
天徳寺で永平寺の導師が授けた戒名ですよ!! と。
(あんたの寺より格式が高い天徳寺で、しかも総本山・永平寺の導師が付けた名だと。)
それを聞き坊主の言い方が、急に萎えるのを電話越しに感じた・・・

妹達が秋田から戻って来て、妻と4人での通夜・・・線香を絶やさない様に・・・


7月30日(月)
葬祭ホールには、キッチンや風呂が備わってて、コンビニで食い物さえ買えば、
2.3日は暮すに困らないレベルだ・・・

市役所が開く時間に合わせて、死亡届けを出しに往く、
火葬許可証(火葬場提出用)と埋葬許可証(寺提出用)を貰う。
後日手続きしたら、葬儀補助金5万が貰えるとか・・(期限内に手続きしないと駄目)

10時 秋田の葬儀屋の若者男子(感じの良い奴)が、打ち合わせに訪れる。
寺での葬儀の段取り、受付役・参列者人数予測(椅子の手配の為)・お斎の料理・
引き物他多彩で有る。
料理は市内のホテルから届けさせると言う、名の有る処だから間違いは無いだろう。

3時から〝湯灌(ゆかん)〟をし、納棺の段取り。
娘も休暇を貰い、孫達を連れて来てくれたし、妹の長女・長男も遠路到着。
症状が悪化してから1週間ほど入浴してないとの事で、
病院でも其れなりに処置をして貰ったが、葬儀屋に依頼・・・
湯灌は〝ショー〟で有り・・・たいして必要の無い事の様な気がした。
化粧が施され・死に装束を纏い・・・納棺、顔の周囲には生花を・・・
今夜の泊まりは、妹とその子2人・故人の姉の長女と妻だ・・・

この夜は、娘達と家に帰りユックリ寝る。


7月31日(火)
この日の予定は、火葬が1時から、出棺が12時10分。

夜明け方に、息子が埼玉から着いたとの妻からの知らせ。
妻と家に来る、夜通し車に乗って来たとの事で、一先ず仮寝をさせる。

9時に葬儀屋が火葬後の祭壇を設置しに訪れる。

朝起きた孫達は、初めて見るママの弟に興味が有る様だ、
寝てるからと言っても交互に覗きに往く。

喪服に着替え11時に、葬祭ホールへ。
12時過ぎに霊柩車に遺影と乗り、火葬場に向かう・・・15分ほどで到着。
市からの火葬許可証を係りの方に渡す。間も無く和尚も見えられ、読経。
火葬開始の1時には10分ほどの時間が有ったが、
係りの方が良いのならとの事で、お願いをする。約1時間と少しで焼けるとか・・・
和尚には、3時に家に来て貰い、火葬後のお経をお願いする。

棺が釜に入れられ扉が閉じるのを、普段は口数の多い下の孫が、
静かに見てたのが印象的だった・・・
火葬が終わり、釜の扉が開いて台車が出て来ると・・・
下の孫が「お婆さん 消えた 何処に往ったの?」と・・・

喪主が頭骨を拾うのだとか・・・他の骨を皆で少しづつ拾う。
骨袋には足・胴・頭の順に入れるとかで、係りの方がして呉れる。
骨箱を持ち、妻の運転で往路をなぞり帰宅。用意された祭壇に載せる。

3時に和尚が見え、火葬後の経を唱えて貰う。
読経後に和尚が母の事を話した中に、
和尚の母様と女学校(秋田北高)で同窓だった事を話された、世の中狭いものである。       
読経3回分(枕経・火葬前・火葬後)のお布施3万円をお渡しする。

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祭壇の遺骨の隣りに、このタンカ(チベット仏教の釈迦涅槃図)を飾った・・・
岩絵具と植物染料での手書き、’06年に初のヒマラヤ登山をした際に求めた物。

火葬に参列して貰った殆んどの方が、家に来て焼香して呉れたが、
夕方には皆さん帰り、息子と娘・孫達、妻だけに為った・・・

数年振りに息子が帰宅し、娘達も泊まると言ってる。
火葬が済んで一段落である・・・こんな機会は滅多にない、妻に言った。
婆には悪いが、皆で飯喰いに往こう~と提案。
娘に、個室の有る和食屋を予約させる。

家族が揃ったので、少し位散財してもいいだろう~
本鮪腹身・真鯛・平目・さくら等の刺身、旬の岩牡蠣、炊き込みご飯等々・・・
上の孫は鮪・真鯛・帆立刺身、真鯛兜焼きが美味いと荒喰い状態。
下の孫は、何故かご飯類が好きで、炊き込みが美味いと兄の分まで喰う始末・・・
息子は親に似ずアルコール類は駄目、日本酒で杯を重ねたい処だが、一人ビール。
岩牡蠣にレモンを搾ったのが、思ったより美味く追加喰い、皆 満足して帰宅。

明日は秋田まで往き、葬儀である・・・
母の友人にも連絡をしたかったが、妹に聞くと誰一人として存命者無し・・・
親類だけでの葬儀になる。

夜に、息子と孫達で花火をしてた・・・

※後日妻から聞かされた話
 この日の夜に、息子が姉と二人の子に、小遣いを呉れたらしい・・・
 特に娘の額に本人が驚いたと言う・・・いいから・いいからと言ったとか・・・


8月1日(水)
10時に家を出て、途中高速に乗り秋田へ・・・
一般道を通ると2時間掛かるのだが、1時間半後の11時半には寺へ到着。
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葬儀屋の係りが居て、今日の流れを打ち合わせる。
本堂で坊主の弟子に、遺骨・遺影・埋葬許可証をを渡す。
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本堂に有った卒塔婆と白木の位牌には、勝光院清芳妙信大姉 と書かれていた・・・
勝光を考えただけで、40万で有る・・・勝は父親の名前の一文字だ。
大姉はだまってても付く位号だ・・・イメージ 4
坊主の弟子から、献香と書かれた桐箱入り長い線香と、
授興と書かれた壇信徒用半袈裟を貰う。
これを葬儀・法要中に首に掛けるのだとか・・・
坊主の袈裟に相当する物で、寺の行事や法要・他家葬儀の際に使う物とか・・
要は、この寺の敬虔な信徒だと言う証らしいが・・・
血脈の件で、文句を言ったからかナッ?
父の葬儀でも喪主だったが、こんなのは呉れなかったのに・・・
イメージ 5
本堂には大きな花束が飾られてた・・・妻の病院・息子の勤務先・親戚等々。
葬儀は約45分・トイレタイム後に、法要で修証義(しゅしょうぎ)を唱和。
外気温度は30℃を超えてが、屋根の高い本堂は意外と涼しい・・・
納骨で墓に出たが、読経中はクラクラする暑さだった・・・

お斎が始まる・・・普段賀状での付き合いより無いが、久し振りに男衆と会う。
喰い切れない量の膳で有った・・・暑い中での冷えたビールは美味。
お斎の途中で坊主と弟子が退席すると言うので、76.6万入りの御布施袋を渡す。
4時にお開きと為り、葬儀屋が供花で作った花束を皆さんに渡し、
白木の位牌・遺影と共に、飲まない息子の運転で帰宅。祭壇に飾る・・・


8月2日(木)
妻が香典返しの品を調達しに出掛ける。
夕方には、息子が近くに在る妻方の墓掃除をして呉れると言う。
盆も近いので、願ったり適ったりである、妻同行。

夜に妻がボソッと言う・・・ダンス教室のサマー・フェスの件だった。
言われて見れば、毎年の夏にホテルの広間を借りて20年来の行事た・・・
孫達とのディズニー行き以来、週2回の教室には行って無いのだ・・・
四九日が過ぎる迄は・・・と言うが・・・
死んだ者より、生きてる者が優先だから遠慮せずに往けと、一安心した様だ・・・


8月3日(金)
息子が昼には帰ると言う・・・弔慰休暇と年次休暇を併せて、一週間の休暇。
食卓に置いてる調味料セットの中の、密閉生醤油ボトルが勤務先の製品だったが、
冷蔵保管が品質保持上いいよと言われた・・・
日曜はゆっくり休んで、月曜からの出勤だとか・・・急に寂しくなる。

※息子が帰る間際に、妻に小遣いの封を渡したと、帰ってから開けてビックリ30万。
 親爺と半分で好きに使えと・・・思い出せば娘が結婚の時には、70万呉れたとか・・・
 妻には息子の帰りには、高速代と油代で5万呉れて遣る様に言ってたのだが・・・
 これでは親子逆だ・・・


8月4日(土)
今日は早くも、一七日(ひとなぬか)・・・あっと言う間である。

娘が出勤時に孫達を乗せて来て、妻が連れて来る。
バドミントン教室は1時~4時まで。
風呂のスイッチを入れ、3時半に迎えを兼ねて、様子を見に行く。
5歳児~中学生までの教室とか・・・ラケットが1万円とは驚き、ヨネックスだ。
下の孫は疲れ果てて、風呂に入る元気も無し・・・夜に娘が回収して帰った。


8月5日(日)
妻が今日から出勤する。祭壇に、昼に供える御霊供膳(おりくぜん)を指示される。
葬儀後、朝・昼・夕と毎日の膳を用意して貰って感謝、四九日まで続けると言う。
今日の昼用は、故人が好きだったアンパン・プリン・ジュース等で、
朝に下げた膳に盛られてた・・・
線香・ローソクを点け、読経のテープを流す様に言われる。
妻帰宅、供物の封を開けて・・・と言ったのに忘れてると小言を云われる、
既にボケが始まったのか・・・

我が家には、妻方の仏壇と二つの仏壇が有る、一人娘だった故だ。
感心なのは、自分の両親・父の月命日の朝に、忘れず御霊供膳を供える事だ・・
月3回が4回に為ってしまった・・・夜勤明けで時間的に遅れる事は有るが・・・
子供の頃に婆さんの姿を見てたし、母親もしてたから当然の事と思ってると。


8月6日(月)
昨日・今日と雨だ、涼しさを通り越して寒い・・・長袖を着て過す。
昼過ぎに葬儀屋が見え、火葬までの精算を済ます、34.1万だった。
忌明けの葉書印刷は無料らしく、必要枚数を後日に連絡する事に・・・
秋田での葬儀屋の精算はまだだが、見積もりでは35万の予定。

夕方 夜勤で出掛ける前に、夜の御霊供膳の手順を言われる、
ラッブを取りご飯・汁を温めて指示通りに・・・線香・ローソク・お経テープも。
小言を云われずに済んだ。


8月7日(火)
今朝も涼しいよりは寒い、午前中は庭・畑の草取り。
昼近くに為って蒸し暑くて作業中止。昼飯後に涼しい東風が吹き出し草取り再開。
夕方までやり、畑の1/2が綺麗になる。明日も涼しければ庭だ・・・


後記
寺と墓の事を、ここ10数年色々考えてた・・・
今の人は、昔の様に産まれた経済圏で、一生を終える時代では無い。
それに少子化と地方の衰退で、子達は都会に出る・・・
何代も続く家などは珍しく為った。

妻方の苗字は妻で途絶え、我が家もこの先が不透明・・・
住めば都で、家は何処でも良いのだが・・・墓が問題。
この先何年100キロ離れた、寺と墓に往けるのやら・・・
足腰と車の運転を思うと、最大で10年以内にその時が来るであろう・・・

息子は800キロ先に住み、娘は1時間離れた地に嫁ぎ、誰が将来墓守をするのか・・

こんな風にも考える・・・
秋田の墓を墓仕舞いし、石塔(竿石)と残った骨を持ち帰り、妻方の墓地を整理し、
同一スペースに両家の墓を並べて立てる案だ、菩提寺は妻方と同じ源守院に頼む。
地区が管理する共同墓地なので管理料も格安だし・・・

是なら娘が、年一回の盆位なら両家の墓に来れるかも・・・
其れでも最大この先40年位のもの・・・
二つの墓に手を加えると為ると、百万程度では収まら無いだろうが・・・

将来 最悪秋田の墓の管理料だけを払い続け、
娘の手が及ばない様に為ったら、無縁墓扱いでもいいのでは・・
寺が何とかするだろう・・そんな風に思ったりも、
死後の事まで気に病む必要は無いのかも、山と海に半分づつ散骨して欲しい・・・