11月20・21日

黒鯛釣り&忘年会のお誘い が有り、7時過ぎに出発。
釣り場の男鹿半島磯は、120キロ先だ。雲行きが悪く途中所々で小雨が・・・
先行してる仲間に連絡すると、北西風が強く波も有り磯渡しは無理との事で、
地磯の〝孔雀ヶ窟〟に降りてるとの話しだ・・・

9時過ぎに孔雀ヶ窟上の駐車場着。
背負子に釣り道具を縛り、9時半に今から降りるとメール。
今日の荷は15キロ位かなぁ~ 少しコマセの量が多いが・・・
これが間違いの元に為るとは、この時は気付かず・・・
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150m下の地磯目指して、踏み跡を辿り急坂を慎重に下る・・・
葉の落ちた木々の間に磯が見えて来た・・・
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木立が無くなると、この眺望・・・
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更に降って行くと・・・婆浜の地磯と〝婆浜離れ〟、沖に〝焼飯島〟。
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順調に降りて来た・・・
最後の崖に張られたロープの処で、後ろ向きにロープを伝って降りてたが・・・
背負子の重さに振られて、宙吊り状態に・・・
左手でロープを掴んでたので転落は防げたが・・・
右手でロープを掴もうとしたが・・・竿ケースが岩に引っ掛かり腕が伸ばせない。
これでは体制を立て直せない・・・左腕が〝プルプル〟して来る・・・
片手で体重と荷の80キロを支えてるのだ・・・
このまま左手の握力が駄目に為れば、
確実に4~5mは落ち頭を打って死ぬか? 骨折・・

山岳部時代に習った〝宙吊り脱出法〟を思い出した。
背負子の右の肩紐から腕を抜き、右手を自由にした・・・
ロープの余りを、自由に為った右手で背負子の足に通し結ぶ、荷は落ちずに済んだ。
高価な竿3本とタモ網の柄が、救われた・・・
荷が落ちない事を確認して、右手でロープを握り、背負子の左肩紐から左腕を抜く。
荷の重さが無くなると、磯ブーツでも何とか小さな足場にも立てた・・・

画像右のトラロープを使い、安全な処に降り立つ。助かった!!!

仲間の釣ってる処に往き仔細を話し、荷の救助依頼。
過去何十回も降りてるが・・・こんなドジは初である・・・

荷の救出法を相談、15キロを落として受け止めるにはリスクが有り過ぎる・・・
腕が逝かれて登り返せず、彼が登り・・・トラロープの末端を背負子に縛る。
背負子に結んでたロープを解いて、徐々降ろして荷を回収。
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沖磯の〝小安治〟と〝安治ヶ島〟
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左から、安治ヶ島 小安治 小安治のポッコン 孔雀ヶ窟地磯。
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3時まで釣り、コマセが減った分背負子が軽くなる・・・
例の崖を慎重に登り、30分掛けて車へ。
定宿に着いたのが4時、合流した1人と3人で先ずはビール3本。
その後3名が到着し、風呂に入り6人で5時から宴会でした・・・爆呑み・・・


宴会での話題①・・・甲子園を沸かせた〝金足農業高校野球部〟の話し。
仲間に吉田投手と同じ地区の者が居て、孫の〝学習発表会〟に行ったら、
吉田投手の両親の隣りに座り合わせたとか・・・5年生の弟がいると・・・
その弟は身体も大きく、野球部でピッチャー・・・
5年生なのに120キロの球を投げると、地区では兄以上の評判だとか!!!

宴会での話題②・・・来月から男鹿の磯渡しの〝渡船代〟が、
各地区4000円に為ると言う・・・
そんなに払って乗れるのは、余程腕に自信の有る者だけ。


楽しかった一夜が明け・・・起きると・・・首・肩・背筋・胸筋がバリバリに痛い。
宙吊りの後遺症だ・・・

窓から海を見ると・・・雨、沖には〝大うさぎ〟が跳ねてる・・・
これでは釣りには為らない。
7時半の朝食に梨をワインで煮たのが出た、これは美味だった。
9時過ぎまで部屋で雑談し、解散。



帰路 浜間口地区を通ると・・・砂浜に打ち上げられた〝舟〟が・・・
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北からの漂着船は、今年は既に昨年よりも多いと言う・・・秋田では2船目か?
空舟なら良いが、上陸でもされたらと思うと・・・

〝北朝鮮〟の不審船・・・再漂流しない様に、ロープで固定作業をしてました。
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海からの戴き物どれも尺サイズ 高級魚の〝サヨリ〟の刺身は美味だ・・・
黒鯛は、明日の夜に来る孫達に〝塩焼・刺身〟で喰わせよう~
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それにしても〝上半身筋肉痛〟・・・老いを感じでる・・・


22日 後記
夕方に娘の〝勉強会〟が有り、孫達を連れて来る事に為ってた・・・
迎えに往く5時から逆算し、黒鯛1尾を塩焼き用に・1尾を3枚下ろしにし刺身用に・イナダは煮付けにした。
孫達に黒鯛を見せてから、焼いたり・刺身にしたり・・・
塩焼きは完食され・・・刺身は半身喰われた・・・
3年振りの貴重な〝寒黒鯛〟だったが、脂が載ってて、
「美味い・美味い」と言い喰って貰えて、満足・満足でした~~。

※筋肉痛は・・・解消です。
 〝宙吊り〟の事は、妻にも・娘にも話してません、以後〝反対される恐れ大ゆえ〟