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阿部君が昨日、メスナールートから単独?で南極点に到達しました。
秋田県人として、100年前の探検家・白瀬矗(のぶ)中尉の〝夢〟を果しました。
今回の達成を次なる夢へとつなげ、世界初となる白瀬ルートへのチャレンジがいよいよ始まるそうです。
粗末な地図と六分儀・磁石を頼りにした、アムンゼン・スコット・白瀬矗達の探検時代と比較し、現代はGPSや衛星電話が有り、楽に為ったとは言え、快挙に違い有りません。
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極点冒険の様子は  https://www.jinriki-support.com/abe/
          https://twitter.com/masatatsuabe
                             https://www.facebook.com/garyu.keepsmiling/


続報です。
秋田魁新報 12月28日付け
11月下旬から日本人未踏のルートで南極点に歩いて向かっている冒険家阿部雅龍さん(35)=秋田市生まれ、潟上市育ち、東京都住=は、食料などの補給を受けない「単独無補給」での到達を断念した。行程の遅れで食料が不足する恐れが出たため、23日に補給を受けた。引き続き南極点を目指す。自らのフェイスブック(FB)の25日付の日記で明らかにした。
阿部さんは出発から31日目の出来事として、FBに「食料補給地点を通過。(中略)僕もここで補給を受ける。(中略)決断をするのは楽ではなかった」と記した。最後に「雪の状況は飛躍的に変わるはずだ。絶対に行くんだ、南極点!」と綴った。
食料補給地点とは、南極点到達を目指す冒険家らが、
ベースキャンプなどから物資の補給を受ける場所。

秋田魁新報 1月17日付け
 昨年11月下旬から南極点へ単独で歩いて向かった冒険家阿部雅龍(まさたつ)さん(36)=秋田市生まれ、潟上市育ち、東京住=が日本時間の17日午前6時20分、日本人未踏のルートで南極点に到達した。阿部さんから衛星電話で連絡があったと、所属事務所の人力チャレンジ応援部(神奈川県)が明らかにした。

 阿部さんは食料などを積んだそりを引き、南極大陸の西沿岸から東へ約920キロ歩いた。世界で初めてエベレスト無酸素単独登山を達成したラインホルト・メスナーさん(イタリア)が1989年に南極横断時にたどった「メスナールート」と呼ばれるルートを進み、昨年11月23日の出発から55日目でゴールした。

 東京・浅草で観光客相手の人力車夫として冒険の資金を稼ぎ、フェイスブック(FB)やツイッターで「夢を追う男」の名で冒険の計画を発信してきた青年が、また夢に一歩近付いた。阿部さんの次の目標は、にかほ市出身で日本初の南極探検家・白瀬矗(のぶ)中尉(1861~1946年)の最終到達点「大和雪原」を経由するルートでの南極点到達。「南極冒険日記最終稿」としたこの日のFBにこう記した
「白瀬ルートを成し遂げて、この南極点に帰ってくる」

雪の状態が悪く、予定より遅れて途中食料補給を受けたそうです。
当初計画の〝単独無補給〟は達成出来なかったが、
次回の〝白瀬ルート〟は充分な準備をして是非〝単独無補給〟で!!!


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後記 ①

今回の極点旅行を考えて、多少の疑問を感じてます。それを書きたいと思ってます・・・
単独無補給で極点を目指すのも、
一人(補給有り)で極点を目指すのも、凄い事ですが・・・
南極は探検の時代が終わり、冒険の時代も今や終焉の期に入ってる様です。

黒字は、阿部君のFBより抜粋
11月18日
【南極へフライト 日本人初の南極冒険へ】
この投稿を南極終了前の最後の投稿としてます。
南極のGPSポジションなどは公式HPからご確認ください。
https://www.jinriki-support.com/
現地時間18日に南極へフライトです。...
-30℃の低温
40日間の孤独  (実働40日?・予備日は何日か?)
日本人初ルート
360°雪の地平線が続く世界
100kgのソリを1日10時間引く苦行
南極特有のカタバ風という強烈な向かい風
標高2850mの南極点までのひたすらの上り坂
単独無補給スタイルでは今ルートの達成者は世界で2人のみ  (メスナー隊)
厳しい条件が揃います。
ですが、今までの実績と体力があれば必ずや達成できると確信しています。
南極飛行機会社に全装備品の引き渡し、最終ミーティングも終え、
後は心静かに夜明けを待つ。
11月20日に徒歩開始予定。
12月29日36歳の誕生日に南極点到達を目指します。
スポンサー様・個人支援者様・応援して下さる皆様。
全ての皆様。有難うございます。愛してるよ!

おれはやるぞ。
怖いからこそ立ち向かうんだ。
南極点に立った男になって帰ってきます。


 11月23日
午後にメスナールートスタート地に向け、
ベースキャンプから小型飛行機が飛びます。  (20日出発が悪天候だった様です)
体調は万全。停滞中も毎日二時間のトレーニングを欠かしませんでした。
メスナールートからのスタートで、
セルフガイドでのチャレンジは今年世界で僕だけです。
ですが、十分に達成できる自信に溢れています。
現地時間23日17時。
南極大陸海岸線から110キロのソリを引いて歩き始めました。
既に夕方だったので二時間のみ歩いてキャンプ。
気温は体感-23℃、僕にとっては快適です。
360度雪の地平線に取り残された時は一抹の不安を感じましたが、
すぐにナビゲーションの感覚を取り戻しました。
とりあえず自分を勇気づけるために、好きなアイドルグループのでんぱ組の音楽を聞いています。
少しずつ行動時間を伸ばしていきます。

 12月3日、11日目。行動時間6時間。距離12㎞。
ソリが重い。新雪が積もったせいか、斜め前方から風速10mで吹く南極カタバ風か、僕が疲れているのか。
ソリがつっかえてシールを履いたスキーが逆滑りすることすらある。
渾身の力で数十歩あるき、歩いては休むの繰り返し。
予定では11日目から20㎞を歩くつもりだったが全く消化できない。
時速1.5㎞しか出てない。
スタート時よりも速度が落ちている。
予定をこなせないと苛立ちが募る。
独りの世界では誰も慰めてはくれない。

 12月17日~18日。25~26日目。距離15+17㎞。標高1284m。
少しずつ雪の状況がよくなり距離が戻り始めた。
行動時間も1時間増やしている。
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(通信状況により文章が途切れています。事務局解釈で以下参考)
ただ、食料が足りない。「補給できるポイントもあるので、そこで補給するか」というベースキャンプからの打診があった。
「そこには多くの食料を備蓄してある。君が望むなら補給できる」と。

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積雪の影響でとても遅れている。補給さえできれば余裕を持って南極点に行ける。
時間さえあれば行けるのだから。だが、無補給ではなくなる。

それだけでなく、補給のための費用は少なくても数千万。
僕の残りの人生は借金返済で終わるだろう。
冒険の夢も果てるかもしれない。
南極に行った後の白瀬中尉の人生が浮かぶ。
南極後の彼は死ぬ間際まで南極の借金返済をしていた。
僕も同じ人生を辿るのか。
大きすぎる決断を僕は余儀なくさせている。
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極点までの行程の半分にも達してません・・・なのに食料が不足とは・・・
サポート会社からは、日々の通信・メディカルチェック・他を支援して貰うらしい。

12月22日~24日。30~32日目。距離12+14+17㎞。
31日目、食料補給地点を通過。一般的にここで補給を受ける。
僕もここで補給を受けることにした。
追加の食糧をとろうとする手が震える。
この決断をするのは楽ではなかった。
予想外の天気で遅れたとはいえ、無補給でなくなるのが堪らなく悔しい。
この冒険を実現するために影でどれだけ悩み苦しみ葛藤してきたか。

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(通信状況により文章が途切れています。事務局解釈で以下参考)
神様がいるなら、こんなに努力している僕を見捨てるはずはない。
僕が無補給に意固地になるのは、叶わない夢を貫くためではない。
充分南極点に到達できる食糧が残っている。
だから通常は到達できる。

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ただ以前のようなドカ雪が来たらアウト。
それに今回は距離の伸びが異常に悪い。
僕が何をすべきかと考えていた。
今回の冒険の本来の目的は日本人初のルートで南極点に到達し、
白瀬ルート実現の礎にすることだ。
くやしさに囚われると自分を見失う。
いま自分が何をすべきか考えろ。
未来のためにすべき決断がある。
ここからはノーマルルートに合流する。
雪の状況は飛躍的に変わるはずだ。
絶対に行くんだ、南極点!

現地時間1月12日~1月14日。51~53日目。距離23+24+24㎞。標高2808m。
凍った食べ物を行動中は食べるからか歯が欠けた。
つくづくこの生き方は身体に良くない(笑)
異常な積雪のせいで随分長くかかったものだ。
南極点は目の前。
情報では冒険家たちの過半数が途中リタイアしたそうだ。
南極冒険をセルフガイドでやるには審査があり半端な実力者は挑むことすら出来ない。
だから選りすぐりが集まり、通常は完走者が多い。
なんとも異常な年に当たってしまった。
僕はしぶとく粘った。
今は悪天候にも感謝している。
簡単に南極点に辿り着けたらつまらない。
苦労するから価値があるのだ。
僕の冒険は、有名になるためや名誉のためじゃない。
もっと自分が成長するためだ。
だから苦労するだけいいのだ。
神様は僕にもっと強くなれるようにと試練を与えたのだろう。
南極点まで、あと40km。


南極冒険日記最終稿。
 1月15日~1月16日。54、55日目。距離22+18㎞。標高2850m。
南極点までの総踏破距離918㎞。
目の前に小さく黒い点が見えてきた。
南極点にあるアメリカの観測基地だ。
永遠に思えた孤独の時間も終わる。
早くたどり着きたいが、疲れきった身体は重くスピードは伸びない。
黒い点が大きくなり、はっきりと建物と認識できるようになる。
南極点そばにある民間キャンプを過ぎて1㎞行くと、南極点のモニュメントがある。
目頭が熱くなる。今は泣いちゃダメだ。
嬉し泣きするのは白瀬ルート達成後まで我慢すると決めている。
今まさに世界の果てにいるのだ。
キャンプに戻ると、在スタッフが「アメリカ基地の見学に行けますけど行きますよね?」と聞いてきたが断る。
「なぜ?こんなチャンスは人生で2度とありませんよ」と言うので、こう答える。
「おれに限っては2度目があるさ。白瀬ルートを成し遂げて、この南極点に帰ってくるんだから。」
さぁ、僕の国に帰ろう。

これが今流の〝冒険〟でしょうか? 思ってたのとは、乖離してます・・・
40日の予定が、55日に・・・万一の食料補給地点がセットされての快挙でした。

次回の〝白瀬ルート〟は、今回の教訓のもと〝完全単独無補給〟での踏破を!!!

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後記 ②

1月22日 極点にて
【日本人初の南極点。次の夢は人類未踏、費用1億
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FBで、100kgのソリを曳くので、1gでも軽くしたいと歯ブラシの軸に穴を空けてたが、
玩具犬を積んでたとは・・・犬より食い物・燃料だろうが!!

日本人初ルート(メスナールート)単独徒歩で南極点へ到達(918㎞55日間)。
幼い頃から夢見ていた世界の果てへ冒険してきました。
全ては応援して下さる皆様のお陰と感謝してます。
100㎏のソリを毎日10時間以上引く重労働。2ヶ月の孤独。
体感-40℃の自然。標高3000mの南極の大地。
特に今年は例外的な積雪(少なくとも過去10年で最悪のコンディションらしい)で世界中から集まった選りすぐりの冒険家たちでさえも過半数が途中リタイアという異常な状況でしたが諦めずに歩き続け南極点にたどり着けました。
僕は決して元から強い人間ではなく身体が弱く運動もできない少年でした。
それでも諦めずに努力すれば夢は叶う、南極点までも単独で行ける、と強く感じています。
夢はこれで終わりではありません。
次の夢は人類未踏。
同郷秋田の南極探検家白瀬矗南極探険隊長が成し得なかったルートでの南極点到達です。
このルートは未だに誰も成し遂げていません。
クレバスだらけの南極横断山脈を越える超難関であると同時に、
極端に離れたスタートに立つための飛行機チャーター費だけで1億を超えます
大事な事は、"金額が夢の大きさを決めるのではなく、夢の大きさが金額を決める"
という事です。
今回の南極も1500万の費用が必要でしたが、沢山の方のお力をお借りして確保することができましたし、単独で南極点に到達することで多くの事を学びました。
この世に不可能はない、必ずや実現できると信じています。
チャレンジする楽しさ、南極の美しさを多くの人にお伝えしたいです。
阿部雅龍はこれからも"剛直に"走り続けます。
こんな僕に関わって下さる全ての皆様に有難うございます。
僕の背中を押して下さるのはあなたです。
きっと夢はまだ始まったばかり!

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後記 ③

更に疑問が・・・・
〝単独無補給〟で、極点旅行の予定が・・・食料不足と為り、途中で補給を受けた。
それでも〝単独〟で極点に到達したと言えるのか???

山登りの世界で〝単独〟とは、
BCから出発して・登頂して・帰るまで、全て自力で成し遂げての成果を言う。
途中で第三者から支援を受けたら、〝単独〟は成立しないのだ。
冒険や探検でも、それは言える事では無いのか・・・
厳しい言い方だが、単独
補給と単独補給では、その価値がまるで違うのだ・・・

この場合は、〝一人で補給を受け・歩いて極点に往った〟と、
言う事ではないのか? そんな疑問が残ります・・・