何とも凄い〝冒険スキー家〟がいます。
登るのにも難関と言われるK2から、スキー滑走をした話です。

世界初、8600メートル峰K2からのスキー滑降に成功した男、挑戦の物語

3/2(土) 8:42配信
ナショナル ジオグラフィック日本版
世界初、8600メートル峰K2からのスキー滑降に成功した男、挑戦の物語

パキスタンと中国の国境線が走る凍てついたカラコルム山脈。その山奥深くにそそり立つ花崗岩のピラミッドが、標高8611メートル、世界第2位の高峰K2だ。エベレストに237メートル及ばないものの、K2のほうが険しく、寒さも厳しく、到達が難しい。登頂に成功した人間の4人に1人が命を落としているという数字が、その危険を物語っている。1953年に登頂を断念した米国人のジョージ・ベルいわく、「あれは人を殺したがっている。非情の山だ」。以来、K2は「非情の山」として登山家の間で知られるようになった。

氷に覆われた崖、突如として発生する雪崩、意識を奪う低酸素状態、殺人的な寒さ、ひっきりなしに起こる嵐。これ以上危険な“スキー場”が他にあるだろうか。過去25年間、スキーの達人が何人も山頂からの完全滑降に挑戦しては失敗を繰り返している。エベレスト山頂から初めてスキーで滑降したハンス・カラマンダー氏は、2004年に目の前で滑落する登山者を見てK2挑戦をあきらめた。2009年、K2の下の斜面でトレーニングをしていたミケレ・ファイト氏は命を落とし、それを目の前で目撃していたパートナーのフレデリック・エリクソン氏もまた、翌年の再挑戦で、頂上からわずか400メートルの地点で転落死した。

「今まで達成されなかったのには、わけがあります」と語るクリス・ダベンポート氏は、ナショナル ジオグラフィックの元アドベンチャラー・オブ・ザ・イヤーで、世界エクストリームスキー選手権で2度の優勝経験を持つ。「世界でも有数のスキー登山家が、K2で命を落としているんです」

 一方、ポーランド人の冒険スキーヤー、アンジェイ・バルギエル氏(30歳)は、2013年から標高8000メートルを超える山をスキーで降りるという挑戦を始めた。その年には世界第14位のシシャパンマ山、翌2014年には世界第8位のマナスル山を制覇した。2015年、ゴドウィン・オースティン氷河を隔ててK2の向かいにある標高8047メートルのブロードピークを下りようとしたとき、巨大なK2の姿を初めて目にした。

「標高8000メートルのあの場所ほど、K2を望むのにふさわしい場所はありません。あそこで勇気をもらいました。よし、やれる、と思ったんです」

2017年、バルギエル氏はK2でのスキー滑降に挑むことを公表した。同じ頃、スロベニア人でベテランのエクストリームスキーヤーであるダボ・カルニカ氏も、同様の計画を立てていることを明かした。カルニカ氏は2000年に、世界で初めてエベレスト山頂からふもとまでの完全滑降に成功した。1993年にはK2に初挑戦していたが、標高7894メートルの地点でスキー板が風で飛ばされてしまい、断念せざるを得なかった。スキー板を失っただけで済んだのは運がよかったのかもしれない。この時の激しい風のせいで、登山中のパーティーはすべて撤退していた。

2017年の夏は、ふたりともK2への挑戦を果たすことができなかった。これは驚くことではない。状況が危険すぎて、何年もK2の頂上へ到達できないこともある。バルギエル氏は、弟のバルテク氏の操縦するドローンに助けられ、事前調査を実施し、予定しているルートを半分まで登り、高山の嵐に備えて避難用の穴を掘った。1日の気温変動に雪や氷河がどう反応するかを研究し、障害物を回避するために必要なタイミングやポジショニングを頭に叩き込んだ。雪山には、いまにも崩れそうなセラック(クレバスで断ち切れた氷塔)がいたるところに潜んでいる。2008年には、このセラックが1本崩落したために11人の登山者が命を落としている。

「K2への登山経験がある登山家やガイドと話をすると、『絶対に無理だ』と言われます」と、ダベンポート氏は言う。

バルギエル氏は、「私の成功を信じる人はほとんどいませんでした。一度目の失敗の後は特に信じてもらえませんでしたね」と明かした。

それでもあきらめることなく、2018年に再びK2へ戻った。最寄りの村からベースキャンプまで110キロの道のりを歩き、そこで天候の回復を待った。幸い、この年はK2へ登るには適した年だった。7月19日、バルギエル氏は酸素ボンベも持たずに頂上を目指して出発。7月22日午前11時28分、彼はスキーを持って単独で世界第2の山の頂上に立った。

風に飛ばされないように注意しながら、スキー板を荷物からほどいた。板の表面には、両親、3人の姉妹、7人の兄弟のイニシャルが書かれている。しかし、感慨にふけっている暇はない。スキー板を装着し、傾斜50~55度の急な氷の斜面を慎重に滑り降りた。準備中は不安に襲われることもあったが、実際に滑っている間は「すべての恐れが消えていました。心の中は落ち着いて、完全に集中できました」と後に語っている。

極限状態でスキーをするには、それだけ強靭な集中力が必要とされる。「転倒は、死を意味します。遺体すら発見されません」。2009年にK2で2度目のスキー滑降に挑戦した米国人のデイブ・ワトソン氏は言う。このとき、ワトソン氏は標高8352メートルの地点で胸まで届く深い不安定な雪に阻まれて滑降を断念した。

空気は薄く、バルギエル氏はカーブを曲がるたびに立ち止まって息を整えながら、標高7689メートルまで順調に下ってきた。ここから先は、キャンプや固定されたロープがあるメインの登山ルートを外れ、誰も足を踏み入れたことのない未知の領域へ分け入る。既存の一本道を行くのではなく、4本の登山道を結ぶ独自のルートを事前に描いてあったのだ。危険な道のりだった。

初めのうち、山をすっぽりと包む深い霧が、行く手を阻んだ。視界が効かない状態では、数ある崖やセラック、氷河を避けて通るのは不可能だった。より安全なアブルッチルートを行くという選択肢もあったが、そちらはブラックピラミッドと呼ばれる高さ600メートルの岩場をロープで懸垂下降しなければならず、全行程をスキーで降りるという目的が果たせない。緊張の1時間半が過ぎると霧が晴れ、前人未到の南側斜面へ向かって、歴史的挑戦の一歩を踏み出した。

その晩7時ごろ、バルギエル氏はK2のふもとのゴドウィン・オースティン氷河へたどり着いた。
所要時間7時間、垂直距離にして3597メートル。
命をかけた歴史的なスキー滑降は、こうして成し遂げられた。
心も体も疲れ果てたバルギエル氏は、そのまま1時間半雪の上に横たわっていた。
(中略)



日本でも、エクストリームスキーを標榜してる〝冒険家〟が何人か居るが、
これから見ると・・・まだまだです。
下手なお前が何を言うか!と怒られそうですが・・・上には上が有るものですね。