海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

栗城が、〝北壁BC〟?と言う名の聞いた事の無い、二つ目のBCを設置した様です。

本来BCは、何処でも・誰でも・何隊でも一つです。
栗城の事だから、善しとしましょう(苦笑を込めて)
車で入れる限りの処に(5,200m)、エベレストに来た全ての隊が、BCを設置します。
隊が上部に進むと、そこに残るのは、
中国登山協会が各隊に派遣した、連絡要員(謂わば監視役)と通訳の2名、
偶には体調不良の隊員も降りて来ます。
ネパールでも・中国側でも、栗城は一切この事に触れてません・・・
1980年にメスナーが、グレート・クーロワークから無酸素・単独で初登。
その時の著書〔チョモランマ単独行〕には、中国登山協会との契約内容や、
彼等の事が詳しく書かれてます。


(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
一昨日、無事にエベレスト北壁側のベースキャンプに入りました。
20日に着いた事に為りますが、その標高が書かれてません・・・
山では、何日に・何処に・何時にが、重要な記録ですが、敢えて隠してる様です。
去年の秋には、予定の6,000mに、「ヤクが雪で進めない」と言い、
遥か手前の5600mにABCを設置しました。
当時ブログコメントで批判されたのが、隠してる理由でしょう・・・
しかし、20日付けの会員メールでは、5600mに設置したと言ってます。

去年は雪が理由で、6,000mを5,600mに変更。
今年の理由は??? 栗城の動画を見れば、雪の無いガレ場にテントが張られてます。
この先の行動を考えると、より北壁に近い処にCを設置するのが常識です。
早くも、あまりヤル気が無いように見えますねぇ・・・・
ここまで来るのに様々な想いがありました。
〝金〟の事・本当に登れるか?の不安・・等々でしょう・・・
去年まで、秋という気象条件の厳しい時期を選び、山を感じるために挑戦していましたが、今回初めて春に入ることにしました。
とにかく良い登山にしたいです。
これからまずはベースキャンプをしっかりと設営して、
BCでは無く、ABC又は中間デポCと言うべきです・・・
プジャ(登山の安全祈願)をしてから、いよいよ行動開始です。
体調は悪くなく、順応するためのトレーニングや
様々な工夫をしてきた事が、効いていると思います。
何故かいつも、体調は悪くないと言う言い方をするが、良くも無いのか・・・
6,000mに設定された低酸素室を、何週間も体験したら体調は良く無ければ変。
しかし低酸素に慣れても、6000mの低気圧(平地の約1/2)に慣れてない落とし穴が!



今、エベレストの北壁は真っ白い雪雲で包まれています。
しばらくは動きが取れなさそうです。
今から北壁を登る訳で無し、高度順応の為に北稜ルートに向かうのは、出来るはず。
ここからチャンッエ峰の裾を迂回して、北稜ABCまで栗城の足で2~3日掛かる。
昨日ベースキャンプでプジャ(登山の安全祈願)を行いました。
20日に着いて、プジャ23日です。暫く動きが取れないとは、日程の無駄です・・・
プジャをしてからエベレストに入っていく重要な儀式です。
いつもプジャをする時には、ラマというチベットのお坊さんがいたりいなかったりします。
今年も「お坊さんいないね」と話していたら、キッチンボーイのテンバさん(先日体調不良で下山したネパール人キッチンボーイの代わりに、初めて手伝いに来てくれた22歳のチベット人)が、「俺ならできるよ〜」と言って、経典は無いですがお経を唱えてくれました。
シェルパ1名脱落の様です、【1】のBC到着時には、全員極地に慣れた精鋭と言ってたのに・・・
坊主が居たなら21日にでもプジャを済ませて、早く次の行動に移るべき・・・
このあたりが、栗城独特のダラダラさ加減・・・
今、目の前のエベレストは真っ白で何も見えません。
はたしてこのお経が通じるのかどうかわかりませんが、この降り注ぐ雪の幕が開けたら、いよいよ高所順応開始です。
順応開始は、北稜ルートのABCから先の話し、そこまで往くのに雪は関係無し・・・
晴れてから動いても、着いたらまた悪天候でダラダラか・・・

今年のプジャの画像です、なるほどガレ場に雪が降り注いでますねぇ・・
イメージ 1

昨年秋、「雪でヤクが進めない」と言って、
5,600mに設置したABCでのプジャの様子。
なるほど周囲は雪です・・・
高所に降った雪は、気温が低い為2~3日で消える事は有りません。




栗城の〝エベレスト北壁〟での行動が、ひと目で判る様にマトメました。
登山計画が公表されてないので、ブログ・FBを更新の度に、実行動を書き込みます。


4月  9日  出国
4月10日  カトマンズ到着
4月11日  市内でプジャ
4月12日  停滞日(ラサへ発つ予定がビザが取得出来ずに)
4月13日  停滞日(        々        )
4月14日  カトマンズ→チベット・ラサ到着
4月15日  車で移動
4月16日    ↓
4月17日    ↓  
4月18日  5,200mに到着 BC設置
4月19日  停滞日
4月20日  5,600mに栗城流〝北壁BC〟設置
4月21日  停滞日 (プジャが終わらないと行動出来ない為)
4月22日  停滞日 (       々         )
4月23日  停滞日 プジャ実施
4月24日  停滞日 (エベレストが白い雪雲に包まれてる為)
4月25日  停滞日 (       々         ・ネパール地震2周年)
4月26日  中間C地 ? へ移動(東ロンブク氷河末端の6,000m付近 ? )
4月27日  北稜ルートABC(6400m)へ
4月28日  停滞日
4月29日  停滞日 (咳・腰痛・SpO2が80で不調、この標高で順応が出来てれば、       
4月30日  停滞日  数値は95程度になる)
5月  1日  停滞日
5月  2日  ABC(6,400m)からノース・コル(7,000m)へ
5月  3日  ノース・コルから北稜7,300mへ登り、ABCに戻る。(腰痛発言) 
      (7,500mで順応する予定が強風で戻る、しかし順応は出来たと言う)
5月  4日  停滞日
5月  5日  (北壁BCに戻る途中、中間C地に泊まったと思われる)
5月  6日  北壁BCに戻る(体調不良発言)
5月  7日  停滞日(違法越境期間と思われる)
5月  8日  停滞日     
5月  9日  停滞日     ↓
5月10日  停滞日     
5月11日  停滞日 新しいルート申請中(カトマンズに着いたと思われる) 
5月12日  停滞日          (カトマンズ) 
5月13日  停滞日          (カトマンズ) 
5月14日  停滞日 ルート申請許可、16日に新BCに入る(カトマンズ) 
5月15日  停滞日 (カトマンズ)    
5月16日  停滞日 (カトマンズ)       キリアン8,400mまで試登し順応
5月17日  ゴラクシェプ(5,164m)にヘリで到着、ロッジをBCにする。     
5月18日  新BCで停滞日       
5月19日  BCを出発(夜の宿泊場所は明かさず・・・通常C1の位置と思われる)       
5月20日  C1→C2(6,400m) 
5月21日  停滞日 疲れた為           キリアン北稜から無酸素登頂
5月22日  停滞日 強風予報の為 
5月23日  C2→C3 (7,200m)泊 
5月24日  昼から行動して、7,800mのビバーク地を目指すも体調不良で下山 
5月25日  ゴラクシェプ(5,164m)BCに戻る        ICI隊&AG隊登頂
5月26日  停滞日 ゴラクシェプ(5,164m)     ICI隊&AG隊ローッエ登頂
5月27日  BC→C2へ       キリアン2度目の登頂平岡隊北稜から登頂
5月28日  停滞日 BCから、約1千m登って停滞。高所で2日連続行動不可な体力 
5月29日  敗退宣言を長々と発表(C2から無線で中継Cへ)
5月30日
5月31日
6月  1日  ネパール山岳協会から、BCを撤去する様に言われた期限。
6月  2日
6月  3日
6月  4日  ロッジBCからシェルパがヘリで、カトマンズに帰ったとの情報有り。
6月  5日  4日か5日に、栗城が帰国したとの情報有り。

如何に停滞日が多いか一目です。




栗城が中央ロンブク氷河側の〝自称・北壁BC(5,600m)〟から、
チャンッエ峰の裾を巻き、東ロンブク氷河末端付近(約6,000m)の中間Cに移動。
この中間Cは、1980年のメスナーが隊荷の一時保管として設置。
以後、北稜ルートの〝中間C〟(添付概念図参照)と呼ばれている。

(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
(中略)
今は風が非常に強く、エベレストにも雪煙が出ています。
今日は、高所順応のために、北壁のベースキャンプからノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)に移動してきています。
図中の中間C付近に、移動したと思われます。
明日、ABCに入ります。
こちらはものすごく風が強いです。
動画を見る限り、キッチン・テントの揺れはそよ風程度・・・
頑張ります。


改訂版 概念図(北稜ルート上に、中間C記入・各C位置の標高訂正)
イメージ 1




*************************

他隊情報

平岡隊が、本日(26日)予定より8日遅れで、BC入りしました。 (平岡ブログより)
イメージ 2
高度順応に手間取ったものと思われますが、
BC入りして早速裏山の5,850mで順応しています。
風が強いと言ってますが、雲の流れを見ると西風のようです・・・・
イメージ 3
栗城は、キッチンテント内の、どうでもいい動画を流してるが、
平岡隊の方が状況が判り〝冒険の共有〟をしてる気がしますが・・・・

***************************
ウィリー・スティック隊
ウエスタン・クム氷河の通常C2の位置にC1を設置→西稜→ホルバイン・クーロワール→山頂→サウス・コルにC2→ローッエ峰 への連続登攀を狙ってる、ウィリー・スティック氏の動向。

4月20日のFBより
ネパール側BCに、組み立て式鉄棒を持ち込んで、上半身を鍛えてるとか・・・・
イメージ 4


コックもこれで遊んでるとか・・・
イメージ 5

4月24日のFBより
BCからアイス・フォール帯を抜けて、C1(6,400m)で待機中。
ローッエ峰が真正面に・・・
イメージ 6

西稜へ上がる7,000m付近まで順応してるとか・・・
背後はヌプッエの稜線、下の氷河はウエスタン・クム氷河。
イメージ 7

天気が良くないと言ってるが、
2日間の晴れ間が訪れれば、怒涛の登攀をするでしょう~

*****************************
4月26日 ICI隊FBより

ICI隊がアイス・フォール帯に入り5,600mまで試登しました。




栗城が27日に、北稜ABCに入った様子。
(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
4月28日【事務局より】
いつも栗城を応援いただき、誠にありがとうございます。
栗城は、昨日午後にエベレスト(チベット側)のノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)に無事到着し、本日は、ABCでレストしていると連絡が入りましたので事務局より報告させて頂きます。
明日以降、天気と体調をみながら高所順応登山で登る予定との事です。
高所順応での登山はノーマルルートへ行っておりますので、北壁側のベースキャンプとのデータ通信が難しいため、ベースキャンプまで栗城が戻ってきましたら、また栗城本人より報告させて頂きます。
(数日間の高所順応登山の後、再び北壁のベースキャンプまで戻る予定となっております。)
映像係りと通信係りを置いて、栗城とシェルパでABCに居るようです。
本日からGPS(SPOT)の電源を入れるとのことですので、栗城が電源をONしている場合のみ、位置を確認することができます。以下のURLよりご覧いただけます。
*尚、標高7000m以上ではGPSの制度が下がるためエラーが出て正確な位置を特定できない可能性もあります。ご了承ください。
http://share.findmespot.com/shared/faces/viewspots.jsp?glId=0Et1q1UmmcdceTfL97hCsAjr8IzHbFXOq
<栗城のキャンプ位置イメージ図 (by google earth)>0428googleearth.jpg

思った以上に手前に〝北壁BC〟を置いたようです。
これでは昨年の秋同様、北壁の下(取り付き)まで栗城の足で2日掛かりますね。

 
*****************************

他隊情報

キリアン隊 昨年秋に続き、今年もエベレストに登場です。
拙ブログを見て戴いてるmorning_kachinさんからの情報で、早速調べて見ました。
何と、エベレストに来る前に、2週間で隣りのチョー・オュー(8,201m)を登り、
5月の中旬にBCに入りして、ノートン(グレート)か、ホルバインから登頂予定です。
この秋の申請をしたが許可に為らず、春に変更したとか・・
栗城と競合しますね、面白くなりそうです。
’16年秋のキリアンの記録は下記です。


ネパール側にはウィリー・スティック、チベット側にはキリアンです。
スピード登山の両頭がエベレストに集合です、鈍亀栗城は如何に・・・
キリアン登攀の、邪魔にならなければよいのだが・・・
キリアンは雪の着いた登り易い、ノートンを狙うと思う。


ICI隊 平出和也が隊を離れて、マッキンリーに向かうとか・・・
経緯は不明ですが、社長と奥田仁の2名での登山になる模様。
登山料100万が無駄でしたね・・来年に再トライは出来るが・・・




暫くは更新が無いと思ってたが、突然の更新です。


(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
今、標高約6400mのノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)にいます。
一緒にここに来ていた日本人スタッフは、今日北壁のベースキャンプまで下りて、
僕だけここに残っています。今日の写真はそのスタッフに託しました。
映像・通信係も、ABCに来てた様です。〝北壁BC〟のキーパーと思ってました。
SpO2(血液中の酸素飽和度)は80と、けして悪くはないですが、
低酸素室で高額な金を払い、数週間訓練したわりに80とは、85~90は欲しい・・
順応が出来てれば、数値は95程度になるはず。4千・5千mでの順応不足が原因。
多少咳が出たり、腰の痛みも感じるので、しばらく安静にして、
タイミングをみて高所順応で登っていきます。
ノーマルルート側のABCは、さまざまな登山隊が集結していて賑やかです。
片隅にテントを張っていて少々肩身が狭いですが、
エベレスト7度目なら、堂々と構えるべきです。
各隊のガイド以外は、皆 エベレスト初心者のはずですから・・・
しっかり順応していきたいと思います。
メスナーの様に、その標高でも走り廻れる心肺機能なら、無酸素で登れると思うが、
80程度では上に往く程に数値は更に下がる・・・

***************************

他隊情報


ICI隊 4月29日 FB更新
今日は朝のうち、お天気良く、洗髪と髭剃りをしました。
明日からは順応活動のため、しばらくBC を離れ、上部に登ります。
お天気次第ですが4日間くらいかけて7000m くらいまで行ければと考えています。



平岡隊 4月29日 ブログ更新
中間キャンプ5700mに泊まって、6000mを往復してきました。
(平岡隊は順応に慎重です、4千・5千・6千での順応が、後で大事になります。)


**************************


参考資料

1980年、ラインホルト・メスナーが、北壁を無酸素・単独初登頂した際に、
中国登山協会と交わした議定書です。(著書・チョモランマ単独行より)

イメージ 1



イメージ 2

80年代の中国での事ですが、インド・ネパール・パキスタン等の高峰登山には、
相手側と似たような内容の〝契約〟が必要となります。

勿論、栗城もボチボチ社を通して〝契約〟をしています。
メスナーの頃とは、内容が違ってると思うが、
基本的な事柄の変更は無いと思います。
こんな事を公表するのが〝冒険の共有〟に為ると思うのだが、
テント内の画像で信者は満足してる様だ・・・・




5月6日
5月1日から5日まで、春山スキーの為に鳥海山に入山してました。
帰ったら栗城が、北稜での高度順応を終えたとの更新有り・・久々のウォッチです。
しかし、その後相変わらずの停滞癖・・・日程はどんどん詰まって・・・

数日間エベレスト(チベット側)のノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)で天気が安定するのを待っておりましたが、今朝ABCを出発して高所順応のため登っております。
4日連続で、北稜ABCで天気待ち停滞 ? をしてたが、動き出した模様。
停滞中にシェルパが、ノース・コル(7,000m)にキャンプを設置した様です。
北稜には、平岡隊はじめ多数の外国隊が居るとか・・・
既にFIX工作は完了してるでしょうから、一寸拝借か ? ・・・・


【事務局より】
高所順応登山のため昨日より7000m付近でキャンプしておりましたが、今朝(現地時間)キャンプを出発し、さらに標高を上げて登っていくとの事です。順応後、今日のうちにノーマルルート側のABCまで戻る予定としております。
同行シェルパが、栗城の戻りを待ってキャンプ撤収の段取りか ?


今日、高所順応で7300m地点まで登ってきました。
先ほど無事にチベット側のノーマルルートのABCまで戻ってきました。
かなり疲労がありますが、元気です。
今日は7300m地点まで上がりました。
当初は7,500mで順応と言ってたが、7,300mで戻った様です・・・
北壁側のジャパニーズクロワールのルートもチェックできました。
北稜上から西稜に近い位置に有る、クーロワールが良く見えるのか ? 疑問です。
かなりのブルーアイスも確認したので、慎重に判断しながらトライしていきたいです。
添付されてた北壁の動画中の画像を見ると、北壁面の雪は少なく、
両クーロワール(ノートン・ホルバイン)内は、
日差しの当たる率が低く、氷結してると思われる。
昨晩の夜、ノースコルではSpO2(血液中の酸素飽和度)が55でしたが、今朝には69まで回復し、高所順応中には75とまずまずな感じで、ABCに戻ってきた今は87あるのでしっかり順応できていると思います。
血中酸素が、7,000m        55
      順応中(7,300m ?)  75
      今朝ABC(6,400m)       69
      今          87 とは、笑しな数値です。
7,000mより上の更に酸素が薄い場所で、75に上がるのが不思議、下がるはず・・・
下(ABC)に降りた朝が、順応中より低いのも不思議・・・酸素を吸って87に回復  ?
ここからもう少し時間をかけて体を整えていきます。
この言い方が、順応出来てない言い回しか・・・




 は、ここで。

相変わらず停滞日が多く、日程がどんどん消化されてます・・・




*************************

他隊情報


ウィリー・スティック滑落死

4月30日早朝、クンブー氷河からヌプッエ側壁を登攀中に、
1,000m滑落し死亡とか・・・
荼毘後、故郷に埋葬されたとか・・・

彼流のスピード登山(エベレスト・ローッエでの連続登攀)を、
試みようとしてた矢先の事故です。
ウィリーは、生前に行為の失敗は死を意味すると、言ってました。
それが現実と為ってしまいました・・・

偉大な数々の、短時間登攀記録を樹立し、
様々な登攀用具が開発されている今、アイゼン+アックスだけを頼りに、
壁に挑む姿は有る意味〝原点〟回帰を志してたのかも・・・
惜しい登山家を亡くしました。  【合掌】




竹内洋岳氏
5月1日 FBより
悪天ながらルートを打ち直して、ジリジリとルートを延ばしましたが‥‥
ダメだー!
届かない!
残念ながら、今回も頂上に至らずに登山を終了することになりました。
前回、核心となる岩峰帯を抜け、これまで見えなかったルートの全容が明らかになり、残された頂上までのルートへの準備と計画を立てて来ましたので、今回こそはとの思いも強く、登頂できなかったことは、本当に残念です。...
その準備と計画が予定通りにいかない事態での登山となりましたが、
そもそも登山とは予定通りにいかないもので、それを対処して解決していくのが登山の面白さであり、今回、対処しきれず、登りきれなかったのは、私の力不足でした。
また、やり直しです。
栗城と違い、反省の弁が論理的です、次回に期待しましょう。

5月3日 FBより
吹雪の中、ベースキャンプから下の村に降りてると、モレーンで落石くらって、道からガラ場を、ドンガラ!ドンガラ!転げ落ち、イテテて‥ヨロヨロ‥なんとか村にたどり着き、翌日、ヘリでピックアップされ、入院しましたとさ。とほほ。
タンナ村から、カトマンズへ飛んだと思われる・・・
指の骨が折れた、レントゲン画像を添付してます。

*************************
ICI隊・AG隊・平岡隊の更新は無し。




栗城が北壁BCに戻って、久々のブログ更新です。

(黒字は栗城ブログより抜粋、青字は私見)
今回登る「北壁」側のベースキャンプからぐるっとエベレストを半周する形でノーマルルートのベースキャンプに移動し、高所順応でノースコル(7000m)を登る計画でしたが、かなり距離があるためにノーマルルートにスタッフ全員は移動できなく、帰ってきてようやく配信できます。
とにかく長かった。。其れを承知で、計画を組んだのでは???
7500mまで向かいましたが、風が強く7350mで引き返しました。
おぉ~ 50m盛りましたねぇ~  5月3日のブログでは、7,300mと言ってたが。
久しぶりのノースコル。
一泊した時の夜は体内酸素飽和度55でしたが、朝には69に上がり、昼には75と身体がどんどん薄い空気に慣れていってます。
ただ、やっぱりさすがに脈も高く、別世界を感じてます。
思うように身体が動かない。順応が上手く出来てない証拠。
人間の全てをコントロールしようと考えを全て吹き飛ばしてしまうような重さ。。
さすがヒマラヤです。6回も来て、やっと判ったのか・・・・
今回の順応登山で北壁のルートでかなり気になる部分を発見。
青く黒く光る長い氷の道。
クーロワールに詰まった古い青氷、其れを登る為に選らんだルート。
今更何を言うのか・・・クーロワールとは、日照時間が短いそう言う処だ・・・
ベースキャンプでゆっくり身体を休めながら慎重にトライしてきます。
登山期間は後2週間程度、ゆっくりしてる暇など無し。
また〝泣き芸〟で、栗城劇場も閉幕か・・・・

5月7日 追記
栗城FBに〝自称 アルピニスト〟の野口 健 が、以下の書き込みをした。

野口 健 春は秋よりも雪が少なく、また風が強いと雪がさらに吹き飛ばされ状況によっては北壁はガリンガリンになっている可能性が高い。色々と感じる事もあるでしょうが「ノーマルルートからのアタック」も選択肢の中に加えてみたらいかがでしょうか。
〝自称  アルピニスト〟が〝自称 登山家〟に、アドバイスすると言う面白い図式。

小生が思う、アルピニストの定義 
専らアルプス(欧州に限る)の、岩稜・岩壁・雪稜・雪壁を果敢に登攀する者達を指す。
小生が思う、登山家の定義
登山を生業としてる者達。海外の山に於いては、BC以降自己完結出来る者達を指す。





高度順応の為、北稜ルートを7,500mまで登ると言い出掛けたが、
5月3日にノース・コル(7,000m)から300mを登り、順応が出来たと、
5月6日に〝北壁BC〟なる処に戻った。(北壁BCなる呼称に異論は有るが・・)

腰が痛いとかで、本当に栗城に北壁が登れるのか?(登る気が有るのか?) を、
探って見る事にした。

この画像は、栗城が公表した動画からの物。
北壁には雪が無く、クーロワール(岩溝)の中と、緩斜面に残ってるのみ。
のルートが、今回栗城が登ろうとしてるライン。
のルートは、ノートン・クーロワール(グレート・クーロワール)で、
昨年秋に栗城が取り付き点で断念したルート。
イメージ 2

のルートは、1980年に日本山岳会隊が登頂したルートで、
下部をジャパニーズ・クーロワールと呼び、上部をホルバイン・クーロワールと。
積雪の緩斜面は、雪田と呼ばれるもので便宜上 第一雪田と第二雪田と仮称する。

この画像は、昨年秋に栗城が夜間アタックでの、最高地点を公表した物。
黄線の先のヘッドライトの点が、7,400mまで登ったと言ってる位置。
白線は、登ろうとしたラインで、夜間で見えなくて西稜側ズレタのか?
急斜面で登れず意識的に、傾斜の緩い方に進んだか? は不明。
イメージ 1

2枚の画像を比べて見て、
右端(西稜)の岩稜突起の形状・ホルバインの末端の岩場の形状から、
昨年秋は第一雪田の上端まで登り、撤退したものと思う。

昨年秋は、腰までのラッセルで、これ以上登れ無いと言ったが、
氷化したクーロワールを、第一雪田まで登れるのか・・・

栗城が、アイスクライミングのテクを訓練した話を聞いたことが無いし、
精々八ヶ岳でガイド付き訓練を何回かした程度。

ノーザイル・ノーアンカーで取り付き、事故れば、・・・・。

昨日のブログ更新で、このような書き込みが
今回の順応登山で北壁のルートでかなり気になる部分を発見。
青く黒く光る長い氷の道。
敗退宣言をするなら、今かも・・・

コメント者① みんな騙されてるのかな?この人登る気ないよ

栗城史多 "SHARE THE DREAM” 曰く 
わからない人にはわからない。

コメント者① 
本当に登る気があるならどこから生中継するのか教えてほしいものです
がどうせできないでしょ?虚勢はみっともないよ

コメント者② 
わからない人にわかるように共有します!って金集めしているのに、わ
からない人にはわからない とは これ如何に? 

こう言う言い方は無いだろう、栗城。そう思われてるのだよ~

コメント者③ 先行者とザイルは一体…🤔💭

栗城史多 "SHARE THE DREAM” 曰く 
あれはザイルじゃなくて各国の登山隊が登るための「フィックスロープ」です。他の登山隊がいると先行者は栗城のシェルパかないな?と勘違いされますが、今年、北側のノーマルルートは登山隊が300人います。先行しているのはその登山隊のシェルパがルート工作に上がっている姿です。風が強いみたいで苦戦しているようですが。。
ちなみにうちのシェルパは、ノーマルルートのABCに食糧を運ぶのと、本番の北壁側のABCに食糧やテント、カメラマンの機材を運ぶ最低限の3人員しかいません。
ノースコルに上がるのは技術的には簡単でピッケル一本で大丈夫し、一人で充分です。
FIXロープはザイルでない? 確りしろよ、栗城。
ノース・コル(7,000m)で、一晩泊まったテントは誰が運んだ、そして誰が下げた!!!
2009年に一人でノース・コルに登れず、
ルート工作して貰ってから登ったのは誰だ、栗城。 笑止だよ!!!!!

野口 健 曰く
春は秋よりも雪が少なく、また風が強いと雪がさらに吹き飛ばされ状況によっては北壁はガリンガリンになっている可能性が高い。色々と感じる事もあるでしょうが「ノーマルルートからのアタック」も選択肢の中に加えてみたらいかがでしょうか。  

栗城史多 "SHARE THE DREAM” 曰く
元々、全てあらゆる選択を視野にいれてます。

野口 健 曰く
了解です。現場の事は僕らには分からないので日本から静かに応援しています。


北壁を登ると言って、企業から〝集金〟・会員から〝御布施〟を集めて、
まさかノーマルルート? それは無いだろうよ。
FIXベタ張りのノーマルからでも登れ無い事は、お前が一番知ってるはず。

野口 健との遣り取りは、8日朝には栗城により削除されてます。何故でしょうか?


順応も、ICI隊の様に満足にせず・〝冒険の共有〟発信もせず・
停滞を繰り返し、FB見てる様では、7回目の敗退も時間の問題。


表題の【栗城 北壁登頂の可能性は?】の結論は、ゼロです。


*************************


他隊情報

ICI隊 5月7日 FBより
予定は少し変更になり、6000mのC 1に2泊、
6500mのC 2に3泊し目的通り7000mにタッチして昨日、BC に戻りました。
荒川も奥田もクタクタになりましたが、ケガや不調もなく、順調です
ICI隊は標高差500m刻みで、確実な順応をしてる様です。







コメント

 コメント一覧 (2)

    • 2. 海彦・山彦 海彦・山彦
    • 2021年01月30日 22:23
    • >>1 イムイムさん
      コメントありがとうございます。
      ご指摘の点について
      今は使われてない公式FBに、アルピニストと記載。
      https://www.facebook.com/NoguchiKenOfficial/

      現在の公式ウェブサイト
      http://www.noguchi-ken.com/index.html
      プロフィール欄に、アルピニストと記載。

      2003年出版 講談社文庫 タイトル[僕の名前は。ーアルピニスト野口健の青春ー]

      2020年8月9日付け 朝日新聞のコラム[私の一冊]中に、アルピニスト表示。

      本人はネットで、登山家・アルピ二ストを名乗る事を色々言われた時代が有りました。
      少し前のFBでは[山屋 野口健]と名乗ってました。
      これも言われて削除されたと思ってます。
      今では知名度も上がり、極力 野口健のみで通したい処でしょうが・・・
      口で言わなくても、活字で残ってる様です。
    • 1. イムイム
    • 2021年01月30日 20:11
    • 野口健氏はアルピニストを自称していないようですよ。

      他称アルピニスト
      http://globalizer-ja.hatenablog.com/entry/2019/12/16/082459

      野口健がグレタさんの電車移動を揶揄した件で、炎上中です。 皆さん、彼のこと誤解していませんかね。 トップ登山家が少女を愚弄した、と。 正確に言うと、 彼、有名ですが、 『有能』登山家ではありません。 自称『アルピニスト』ですが、 界隈に言わせれば『市民ランナー』です。

      https://twitter.com/Longe0829/status/1205103231522627585

      ちょっと問題があるtweetだと思う。
      なぜなら、野口氏が自分を一流の登山家と自称したことは一度だってないからだ。

      それどころか、これまで野口氏は、自分を一流の登山家と考えてもらっては困る、
      自分は登山家としては大した人間ではないし、何か価値のある記録を達成したわけでもない、
      自分は一流のアルピニストとは違った問題意識をもって登山をしている、
      と繰り返し話してきたのである。

      しかし、そんな野口氏の肩書きをメディアでどう表現するかとなるとやはり登山家というしかないだろうし、メディアで取り上げるとなると言葉として泥臭いイメージのある「登山家」ではなく、響きのよい「アルピニスト」の方を使うメディア関係者がいるのも仕方がない。

      このような事情を書かずに野口氏を「自称アルピニスト」とするのは間違いだし、フェアではない。どっちにしろ、山に大して興味のない素人には野口氏が一流だろうが三流だろうがどうでもいい。

      一流の人からしても、野口氏とはそもそもにして活動の種類が違うのだから野口氏を批判している人は案外一部なのではないかと思う。
コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット

↑このページのトップヘ