海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

北稜7300mでの高度順応を終えて、〝北壁BC(5,600m)〟に戻ったが、
6日付けのブログでこう言っている。(黒字)
一泊した時の夜は体内酸素飽和度55でしたが、朝には69に上がり、昼には75と身体がどんどん薄い空気に慣れていってます。
ただ、やっぱりさすがに脈も高く、別世界を感じてます。
思うように身体が動かない。
7,300mから5,600mに下がって、体か動かないとは、順応が出来てない証拠。

同時期にネパール側エベレストに入った、ICI隊の行動と比較して見ると、
原因は初期順応の失敗に有る。
栗城(黒線)・ICI (赤線)隊のカトマンズ着からを、日別折れ線グラフで並べて見る。
(栗城ブログでの発表と、ICI FBでの発表を基に、ザッと表にした。)
イメージ 1

一見同じ様な標高を稼いでる様に見えるが、BC入りまでの間に大きな差が有る。

①カトマンズ(1,400m)から、
 栗城はラサ(3,600m)・ICI隊はルクラ(2,800m)へ飛行機で移動。
 どちらが、心肺機能に負担が有るかは、一目瞭然。

②その後、栗城は4日間車に乗り、標高差1,500mを稼ぎ、BC(5,200m)へ。
     ICI隊は10日歩いて標高差2,200mを稼ぎ、ロブチェ峰(6,119m)BCへ。

車・飛行機移動は、身体を動かしてないので、心肺への負荷が殆んど無く、
栗城は突然1,400mから5,200mに来た様なもので、ジッとしてると感じないが、
動くと息切れ・酸欠状態になる。

一方 ICI 隊は、ナムチェ(3,900m)での順応停滞日を設け、
平均220m/日の高度差を、歩きながら順応した事になる。
ロブチェ峰での6千m登頂順応も、スンナリ出来たのである。     
その後4日掛けてエベレストBC入り、BCで休養後にC1(6,000m)・C2(6,500m)・
7,000mへの順応も成功した。クタクタだが不調も無く、順調と言っている。
BCで数日休養すれば、クタクタ感は取れるのだ。

栗城は7,300mには達したものの、初期順応(3千m・4千m・5千m)不足により、
5,600mに居ても脈も高く、別世界を感じてます。思うように身体が動かない。
状態が続いてるのである。

明らかに、順応の失敗。
低圧酸素室に入り訓練してると、再三ブログで言ってたが、無駄金使い・・・
拙ブログの★★下山家 栗城劇場★★の中で、高度順応については、
1日標高差500m・2日歩いて標高差1,000mで、
順応停滞日を1日設けるのがヒマラヤの常識と・・・・

栗城が言う〝山の先輩〟懇意にしてる大蔵喜福・花谷泰広・江本悠滋等のガイドが、
こんな事も教えないのか?
それとも〝聴く耳〟持たないのか・・・不思議である。

それに、この後約2週間で、〝講演営業〟の為に帰る羽目に・・・
いつも栗城の登山期間が、短いとも言って来たが、
営業優先では満足な山登りが出来ない。生活費稼ぎと言われても反す言葉無し・・・


5月10日 加筆
位置情報を確認で〔スポット〕を見たが、
北稜ABCからノース・コル(7,000m)までの軌跡データが消去されている。
GPSの入り切りでポイントが飛んだりしてたが、消去するとは・・・
本当に栗城が歩いたデータなら、其れを消すとは自己否定に繋がるのでは?
そんな暇が有ったら、サッサと北壁下にキャンプ(ABC)を進めるべき。
イメージ 3


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他隊情報

平岡隊更新

2017年05月08日
7100mまで行ってきました。

5月1日にベース・キャンプ5150mを出発し、1週間かけて7100mまで行ってきま した。
後ろはエベレスト頂上です。強風が吹いているのが、解りますか?


平岡隊は、4月13日にラサ(3,600m)入り。
     4月25日にBC(5,150m)入り(この間、初期順応に手間取った様子) 
     4月29日に中間C(6,000m)まで順応してBCに戻る。
     5月  1日BC発で
     5月  8日ノース・コルから7,100mで2度目の順応してBCに戻る。

BCで休養し、5月中旬からの好天期を見逃さすに、
アタックすれば山頂に立てるのだ。

この様に、時間を掛けて初期順応を確実にやれば、
素人でも7,100mまで登れる。



5月9日 追記   

2017年05月09日

タシゾン4400m

休養のためにタシゾン4400mに、降りてきました。
ベース・キャンプ5150mから、車で1時間程の村です。
今日の宿、珠峰斑巴旅館和賓庁Chomolangma Benba Hotel&Restrantです。
やっと本隊に追いつくことができました。
中華料理で栄養補給して、頂上を目指します。
驚いてます。7,100mで順応し、BCで休養かと思いきや・・・
更に標高の低い町まで降りて、休養とか・・・
酸素の濃い処では、疲労回復が更に早まるでしょう~
順応の遅れてた〝客〟が一人居たようですが、
こんなに〝客〟思いの平岡氏に連れられて、世界最高峰に挑める客は幸せです。
同じ公募隊でも、他では考えられない客対応です。

   

平岡隊の情報を基に、順応の様子を追加し青線で書き込みました。
栗城と同じラサからスタートですが、BC入りを栗城の2倍の時間を掛けています。
また6,000mで順応後、一週間掛けて7,100mで順応、
BCから更に4,400mまで降りて休養のようです。
イメージ 2




栗城が〝北壁BC〟に戻って以来、余程体調不良なのか? 音沙汰無し。
日程は残り少なく為るばかり・・・

栗城へ 〝金主〟・〝会員〟への言い訳を、必死で考えてる頃でしょうね。
     以下平岡隊の様子です。
     こう言うのが、本当の〝冒険の共有〟ですよ。
     他人に言われると〝頭に来る〟タイプのようだが、
     それなら「死ぬ気でヤレ」と言いたい。反論は前の様に関係者でもOK。


平岡隊の様子です。

2017年05月08日

エベレスト登頂準備完了

ノース・コル7000mでの辛い辛い一夜を明かし、強風の7100mを経験し、疲労困憊の状態でベース・キャンプ5150mに帰還したSさん。登頂準備完了です。
http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1655.jpg?d=a3

好天の予報を受けて、僕たちと入れ替わりに、5人のシェルパがノース・コル7000mに入りました。
深夜12時半ごろに、ノース・コルを出発。朝の7時頃にはキャンプ3(8300m)に到着し、登頂に向けて最終の荷上げを完了しました。
昼頃には、全員アドバンス・ベース・キャンプ6400mに帰着。
そのうち3人の若手シェルパは、下山を継続し、ベース・キャンプの手前で、私たちを追い抜いていきました。
左からパサン・テンディ・シェルパ28歳、ペンバ・テンジン・シェルパ28歳、ニマ・カンチャ・シェルパ33歳。
http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1668.jpg?d=a3
約20kgの荷物を背負って7000mから8300mへ登り、その10時間後には3100m下って、ベース・キャンプ5150mに帰着しました。写真の通り、元気そうです。
若手シェルパの超人的な働きには、いつも驚嘆させられます。
彼らのおかげで、エベレスト登山が成り立っています。
本当に、ありがとう。





チョー・オュー(8,201m)を2週間で登り、5月中旬にはエベレスト北壁に入り、
雪の状況を見て、両クーロワールのどちらかを登ると言ってました。

何と2週間掛からずに登ってしまいました。
ブログが更新されてます。http://www.kilianjornet.cat/

8,000mでの順応が出来てる訳ですから、少しの休養を取れば、
北壁下(6,100m付近)のABCから1日の晴れが有れば、登ってしまうでしょう。
昨年秋に、栗城が北壁下をウロウロしてる間に、
半日で北稜ABC(6,400m)から7,950mまで登り、雪が降って来たとABCに戻る。
恐ろしい登攀スピードです。

今日も行動してない、栗城に強敵現れる、です。

面白くなりそうです。




体調不良で動けない栗城、所詮エベレスト北壁に対峙出来る器で無し・・

5月10日更新の、平岡隊のブログと画像。
イメージ 1

ベース・キャンプに戻ったら、気温も暖かく、風向きも変っていました。
昨日の雪で真っ白になったエベレスト北壁。夕焼けが素晴らしかったです。
明日から、いよいよ頂上に向けてスタートします。
平岡隊は、ヤル気満々ですね~ 相手は商業登山隊とは言え、
栗城は〝自称 登山家〟でしょう~~
〝北壁BC〟で5日連続停滞の栗城。
この画像の、ど晴れの日に、何してるのでしょうか~
〝北壁BC〟から、北壁下へキャンプ(ABC)を進める事もしないで、
帰国時間はどんどん進んでます。

ブルーアイスで戦意喪失と言った処でしょうか・・・
なら、待ってても時間の無駄、さっさと敗退宣言し、帰国すべき。
来年は八ッ岳での練習の意味が無い事判ったから、もう少しレベルの高い、
剣や槍・穂高で〝練習〟してから、向かうべきでしょう(大笑)

キリアンが、そこまで来てますよ~

後、一週間位が、〝自称  登山家〟としての、最大の見せ場だねぇ~




〝北壁BC〟に篭って音沙汰無しの栗城が、5日振りに更新です。
内容を読んで〝びっくりポン〟でしたので一言。

5月11日 (黒字は栗城ブログより全文、青字は私見)
題目「困難はあっても避けられるアクシデントは避ける」
 
高所順応のステージを終えてから北壁側の偵察とABC設営に向けて準備をしてました。
ノーマルルートを順応で上がるときに北壁を見ながら、一点だけ「気になる箇所」があり、それをどうやって乗り越えるか考え続けていました。
それは北壁のジャパニーズクロワールと呼ばれる平均斜度60度標高差1000mの氷の壁。
いい色のブルーアイスですね
イメージ 2
昨年の秋は雪も混ざって登りきったが、7000m以上の傾斜がゆるくなるところで逆に雪が腰まであり、深い雪をラッセルし続けて7400mで断念した。
そうです、それで春なら楽に登れると思い、今回来て見て・・・目がテンに・・・
その雪を避ける型で今回は春に挑みに来たが、今度は青く光るブルーアイスが浮かびあがり、延々と伸びている。
栗城 国内の山も同じだよ、(例)奥穂高の小屋から上の鎖場部分 冬季はアプローチは大変だが、小屋まで来れば北向きで日差しが当たらず、比較的楽に登れる。
春季の3.4月頃は、昼・夜の気温差でガチガチに凍ってる。これと同じ事。
特にヒマラヤは〝大陸性気候〟で、冬季以外は気温差が大きい、その為だよ!!!
更に落ちる雪崩が斜面を磨くから、摩擦熱で余計に凍る・・・
 
デカデカと光ってますね
イメージ 3
もちろん、スリップはできない。。
ティンリからチベット・ベースキャンプに向かう時にたまたまドイツ人登山家ラルフさんと一緒だった。
彼は8000m14座の竹内さんとも登っていた鉄人クライマー。ラルフさんはエベレストはすでに7回チャレンジしており、この北壁は2回チャレンジしていた。ノーマルルートで酸素を使った登頂を超えるために再び無酸素で挑戦しに来ていた。
鉄人の共通点は常にポジティブなオーラを放っている。
「クリキ、僕は北壁を2回チャレンジしたが、あのブルーアイスは時間がかかり過ぎる。難しいぞ。」
ジョーダンを交えたり、お互いの哲学を披露しながら素晴らしいアドバイスをくれた。
独語が理解出来るとは素晴らしい~ 次に来るキリアンはスペイン語だぞ。
北壁の序盤、ブルーアイスの章を乗り越えるために30本以上のアイススクリューと600mのロープを持ってきていた。
壁と岩溝登るには、其れ位のガチャは必要と思うけど・・
まさかノーザイル・ノーアンカーで登る気で来たのか ? それは甘い・・・
ただ、一人でルートを工作するにはラルフさんが言うように想像以上に時間と最後のアタック分の体力も消耗してしまう。
だからいつも登山期間が少な過ぎると言って来た、順応を確りして、
ヤバイ箇所にはルート工作して、BCで充分休養してから一気に登るのが筋。
さらに体力と時間以上に長い氷を登り続けてる中で最も壁になるのが僕の左手自身だった。
2012年のエベレスト西稜で8070m地点でジェットストリームの強風で動けなくなり、あっという間に両手と足と鼻が重度の凍傷となり、手の指9本を失った。
右手は親指がかろうじて残ったためにピッケルを持つことができるが、左手は親指はなく、ピッケルを添える程度にしか持つことができない。
出来もしない、Wアックスのポーズで会員うけを狙うなよ。
その手でピッケル操作が無理な事は、前々から言ってる・・・
イメージ 4
ようやく左手に合うピッケルも見つけ、昔よりはだいぶマシになったが体重をかけることは難しい。
滑落しても【滑落停止】が出来ない・・・その意味する処は・・・
その中で本当に硬い氷の中を7000m近くまで登れるのか。
困難はあっても避けられるアクシデントは避けなくてはいけない。
考えに考えた結果。
山の麓まで来て考える事ではない、訓練をして・机上で考えて・登れる山を決める。
皆さんそうしてると思うが・・・
ブルーアイスを避けるルートからホーンバインクロワール(北壁上部)に入るルートを考えた。
そこから、中央ロンブク氷河を横断して、ロー・ラに上がり、
西稜から、北壁を巻き、岩溝に入るルート??? 長過ぎる、無理無理
変更予想ルート
イメージ 5
飽くまでも予想だが、これなら栗城画像の下部の①アイス帯は避けられるが、
中央ロンブク氷河の②クレバス帯を横断できるか? ③長い西稜を歩けるか?
④岩溝上部を登れるか?(下部より更に急傾斜)等々の問題あり。

これが駄目なら、北稜ノーマルよりない。
しかし間違って登れても、FIX・梯子が在り単独は成立しない。
ただ、そのルートも決して簡単ではない。
避けられる事故は避けて、向かうべき困難に集中する。
今、その新しいルートを申請しています。
やはりBCに、中国登山協会派遣の連絡員が居るようですね。
北稜に変更なら、〝御伺い〟の必要は無いが、ネパールとの国境歩くからねぇ~
果たしてどのルートになるか。
当たった方にはアイスをプレゼント!
馬鹿コイテル暇は無いだろう!! 真面目にヤレ。
決まれば数日中に本番アタックステージが始まります。
決まって・天気待ちして・時間切れ・・・敗退。予想通りの展開です。
そして、ラルフさんの無酸素登頂の成功!祈ってます。
他人の事はどーでもいい・・・


追記 今10時43分
チベットは、時差約3時間で7時半頃。
栗城はFB眺めて朝8時頃に〝いいね〟連発。これゃ~今日も停滞だ。


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他隊情報

ICI隊FB(5月11日)より
AG隊の梶山ガイドと直ちゃんがC2から高度順応して戻ってきました。
餅入りのお汁粉で乾杯です。7000mタッチしてきました。
AG隊の順応も進んでいるようです。


アラン・アーネットのブログより
エベレスト・中国側の、登山客とシェルパ(登頂者ではなし)数の年毎データです。
この春のネパール側は、登山客373人・シェルパ373人だそうです。
南北合わせて、1,052人が5,000m以上に集結してます、凄い数ですね・・・

イメージ 1

イメージ 6


只今日本時間5月14日18時50分です。
16分前に栗城がFBで、以下の書き込みをしました・・・

(黒字は栗城FBより、青字は私見)

ルートを変更するために移動を開始しました。
新しいルートの申請も無事に終えて、16日には新しいベースキャンプに入ります。ベース入りしてからどのルートから登るか、登頂予定日と中継について発表します。
今、エベレストは悪天候の周期が17日まで続くそうです。雪が安定し順調に行けば17日か18日からアタックステージ(本番)が開始します!
少し街に降りて来ましたが、かなり酸素が濃いです。。身体が暖まります。

16日には別のBCに入る?
予想した西稜ルートなら、現在の〝北壁BC〟が使えるのだが・・・
北稜(ノーマル・ルート)からの登山でしょうか?
2日後に入れるBCは、北稜のABCと言う事でしょうか・・・
登山客・シェルパが300人も居る北稜ABCへ?
既に山頂までのルート工作され、インド隊が16人も登頂してますから、
ルートはバッチリですが・・・栗城の理念とは少し懸離れてるかと・・・
他人の〝褌〟で相撲を取るの典型か・・・・

派遣されている中国登山協会連絡員に、変更案を拒否され、直接協会への
ルート変更交渉の為に、固定電話の有る町まで降りたようです。


帰国し28日の講演が迫ってる今に為って、訳の判らない話しです。
講演をキャンセルして、登山続行の意思でしょうか・・・

17.18日からアタックと言ってるので、天気予報を見てみましょう。

イメージ 1


イメージ 2

この予報は山頂付近のもの、16日に新BC入りしたとしても、
連日の体感温度が-30℃以上の日々が続いてます。
風速25km/時~30km/時(7m~8.3m/秒)で、
栗城の過去の行動から、この天候で登山が出来るとは思えませんが・・背水の陣で?

新BCに着いてからの発表を待ちましょう。


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他隊情報


5月14日付け 平岡隊ブログより

出戻りベース・キャンプ5150m

16日の登頂目指して、勇んでアドバンス・ベース・キャンプ入りしてみたところ、天気予報が急変してベース・キャンプに出戻りました。エベレストの天気は、いつも一筋縄では、いきません。
そんな中、インド隊16人が今季初登を、決めてくれました。インド隊は、総勢50人超の最大勢力です。一次隊に精鋭を集めて、小さな好天の窓を掴みました。おめでとうございます。
平岡隊は6,400mのABCで天候待ちをする間の、体力消耗を防ぐ為に、
5,150mのBCに戻った様です。とてもいい選択と思います。
(6,400mの高所での食事では栄養が吸収出来ず、空腹感を満たすだけ。脂肪と筋肉細胞を燃焼させてエネルギーに代えてます。高所に留まるほどダメージ大に為ります。小生も過去ひと月の遠征登山で、66キロの体重がカトマンズのホテルで計ると58キロに・・帰路は疲れて歩けませんでした。)
インド隊は隊員30人、シェルパも同数近くの様です。
一対一で登れるのですから確実です。費用もそれなりでしょうが・・・



平岡隊追加

2017年05月15日

出戻りタシゾン4200m

またタシゾンに休養にきました。
今度は、シェルパも一緒に、総勢13人です。
中華料理で栄養補給しています。

http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1750.jpg?d=a4
平岡氏が、客の順応過程や健康面に、専心するガイドで有る事は以前書きました。
悪天が当分続くと判断して、今度はシェルパ他全員での休養。
こんな例は聞いた事が有りません・・・
シェルパ達もこの様に優遇されると、
〝バラ・サーブ(シェルパ語で、偉大な旦那様・平岡氏の事)〟の為に、
必死に登頂支援をしょうと思うはずです。
2人の客を登らせるのに、この厚遇です。しかも料金はAG隊より格安。
金が有ったら、参加したいと思う様な隊です。



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ICI隊 5月13日 FBより
今日は、ベースキャンプテントの補修をしました。氷河の上にいるので、テントが傾いてしまいます。小石を入れて、平らにしました。これで、安眠できます。
長期にテントを張ってると、テント床面が解けて凸凹に為り居心地が悪くなる。
偶には設営場所の変更や床面補修が必要に為ります。
イメージ 4

ICI隊 FBより
5/14 プモリに太陽が当たっています。風もなく穏やかです。
イメージ 3




5月14日付けで、栗城ブログが更新されました。

栗城ブログより(黒字は栗城ブログより抜粋、青字は私見)
ルートを変更するために移動を開始しました。
新しいルートの申請も無事に終えて、16日には新しいベースキャンプに入ります。ベース入りしてからどのルートから登るか、登頂予定日と中継について発表します。
今、エベレストは悪天候の周期が17日まで続くそうです。雪が安定し順調に行けば17日か18日からアタックステージ(本番)が開始します!
これを読んで、チベット側からのルート変更より、頭に有りませんでしたが、
拙ブログを読まれた方から以下のコメントを戴きました。

先日、ネパールにあるツアー会社の友人と今秋のヒマラヤ付近の偵察旅行について話しておりました。
こぼれ話し的に聞いたのですが、どうやら栗城氏はチベットサイドからのアッタクを断念して、カトマンズに居る(居た?)ようです。
春季チベットサイドからアタックと聞いていたので、なぜ今現在カトマンズに?と思い。まさかネパール側からのアタックに切り替えるつもりでしょうか笑?
追伸
これもツアー会社経由の話しなので不確かな情報ですが、ボチボチの別働隊が別のキャラバン隊をサポートするためにすでにBCに入ってるそうです。
キッチンテントをシェアし追加で一張り二張り程度であれば問題もなさそうにも思えます。

俄かに信じ難い事ですが・・・
考えて見れば、チベット側でのルート変更は、
①北稜ルート
②中央ロンブク氷河を横断し・ローラ→西稜→岩溝上部→山頂
の、2ルートより有りません。
①は、ABCに登山客・シェルパが300人も居ます。
②は、栗城が単独で、氷河横断が出来るとは思えません。

28日の講演まで、残された日々も残り少なく為ってます。
チベットに居続けたのでは、帰国の為に4.5日の移動日が取られます。
ネパールに移れば、エベレストBCからカトマンズまでヘリ移動が可能、
上手く行けば1日半程度の移動で帰国出来ます。
下記、行動表をご覧下さい、17日~25日までの最大9日間を登山に充てられます。

栗城は、2012年に一度体験した、
クンブー氷河から西稜に上がるルートに変更、と考えると納得です。
(但し、西稜から北壁トラバースを、技術的に栗城に出来るとは思えませんが・・・)
しかし栗城が言うように、17.8日から登山開始が出来るのでしょうか???
天気予報を見てみましょう~
イメージ 1

エベレスト山頂の予報です。
20日から23日までの風が、25Km~45Km/h(7m~12.5m/秒速)です。
24日からは風も弱くなるようですが、12.5mの風では栗城は行動出来ません。
いづれにしても、BCから一発勝負の機会よりない事は確かです。
このルート変えの為に、
登山料120万と、カトマンズからの資材・人員の空輸費2・300万以上が、
掛かり増しになる事は間違い無いです。



ここまで書いてて、栗城FBを見たら、
何と・・・28日の講演を欠席するとの、書き込み発見です。
講演会メンバーの夢枕獏が言ってるので間違いないです。

下山家 栗城劇場は、当分の間 続く様子です。
講演(客無料)より登山を選択したとは、少し見直し(笑)


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