北壁も西稜も一般ルートも駄目【20】ついに敗退宣言
栗城ブログが更新されました。予想通りの敗退宣言です。
〝冒険の共有〟を謳いながらも、共有の無かった栗城が、3部作で〝語って〟ます。〝冒険の共有〟の為の、衛星通信に金が掛かると〝集金〟した金の使い方です。これでウン百万の通信費・・・以下の3部作でご覧下さい。
(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
2017/5/29 19:09【事務局より】本日、現地時間14:15(日本時間17:30)栗城の無線交信によるライブ配信がありました。音声のみですが、栗城の決断と今の想いをお話させて頂きました。以下のURLよりご覧ください。皆様、応援ありがとうございます。【栗城ライブ配信(無線音声)1】【栗城ライブ配信(無線音声)2】【栗城ライブ配信(無線音声)3】
※ライブ配信されたものが動画でご覧頂けます。
ダラダラと言い訳が続き、画像はテントの中の無線機・・・一々、コメントも面倒なので、皆さんが聞いて判断して下さい。FBで苦情が多かったので、最後にこれを流したのでしょうが、茶番劇です。
聞いて感じた事。①春は初めて来たが、晴れの日が多く・環境がいい、それを生かしきれなかった・・・ 初期高度順応の失敗と前から言っている。体調不良でウダウダ・・・②ネパール登山協会から、6月1日までにBCを撤去する事が条件。 初めて聞く話・・・③例の〝泣き芸〟が入る・・・ いつものパターンでした・・・泣くほど悔しいなら、死ぬ気で遣れよ、栗城。④ノーマルルートへ往った・・・ この天気の中、どこへ往こうが登れる道無し・・・で、カウントダウンのオマケ付きで、撤退宣言音声画像(笑ってしまった・・・)
下山してから、正式な総括が有ると思うので、その時私見を述べます。
は、ここで
栗城ブログが更新されました。予想通りの敗退宣言です。
〝冒険の共有〟を謳いながらも、共有の無かった栗城が、3部作で〝語って〟ます。
〝冒険の共有〟の為の、衛星通信に金が掛かると〝集金〟した金の使い方です。
これでウン百万の通信費・・・以下の3部作でご覧下さい。
(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
2017/5/29 19:09
【事務局より】
本日、現地時間14:15(日本時間17:30)栗城の無線交信によるライブ配信がありました。
音声のみですが、栗城の決断と今の想いをお話させて頂きました。
以下のURLよりご覧ください。
皆様、応援ありがとうございます。
【栗城ライブ配信(無線音声)1】
【栗城ライブ配信(無線音声)2】
【栗城ライブ配信(無線音声)3】
※ライブ配信されたものが動画でご覧頂けます。
ダラダラと言い訳が続き、画像はテントの中の無線機・・・
一々、コメントも面倒なので、皆さんが聞いて判断して下さい。
FBで苦情が多かったので、最後にこれを流したのでしょうが、茶番劇です。
聞いて感じた事。
①春は初めて来たが、晴れの日が多く・環境がいい、それを生かしきれなかった・・・
初期高度順応の失敗と前から言っている。体調不良でウダウダ・・・
②ネパール登山協会から、6月1日までにBCを撤去する事が条件。
初めて聞く話・・・
③例の〝泣き芸〟が入る・・・
いつものパターンでした・・・泣くほど悔しいなら、死ぬ気で遣れよ、栗城。
④ノーマルルートへ往った・・・
この天気の中、どこへ往こうが登れる道無し・・・
で、カウントダウンのオマケ付きで、撤退宣言音声画像(笑ってしまった・・・)
下山してから、正式な総括が有ると思うので、その時私見を述べます。
は、ここで
違法越境問題?【1】(チベット→ネパール)
中国政府は、現在チベット・ウィグル自治区に入る、外国人に制約を課しています。反政府活動又は、独立運動への加担を恐れてです。
こんな制約が有ります。①登山隊に付いては、入国ルートに従がい・出国する。中国登山協会連絡員派遣。②隣国ネパールから、陸路での外国人個人の入国禁止。団体ツァーのみ可。③北京(例)経由でラサに到着し、陸路ネパールに向かうツァー客・個人は可。
①に付いては、連絡員が監視役。
②に付いては、現地ツァーガイドが監視役。③に付いては、4駆運転手が監視役。
栗城はこの〝禁〟を犯して、陸路③の素振りをして越境した様です。以下黒字のブログ抜粋を読むと納得して貰えるでしょう。
(黒字は栗城ブログより抜粋)2017/5/17 23:15今日、ネパール側のゴラクシェプ(5164m)に着きました。そして、ルートはウエストリッジ(西稜)からホーンバイン・クロワール(北壁上部)を目指します。実はこのルートは2012年秋季エベレスト西稜でトライしたルートです。
※なぜ今までルート変更の詳細と場所をお伝えできなかったのか。それは大幅な移動を要し、ネパール人スタッフも含めてなかなか国境を越えられず、もし国境を越えられなかった場合には戻る可能性もあり、バラバラの移動体制でネパール側のベースキャンプに向かうことなり、本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです。無事にネパール側のベースキャンプに到着するまでは発表を控えさせていただいていました。ご心配をおかけした皆様申し訳ございませんでした。ごめんなさい。無事に着いて良かった。
何故、この〝禁〟を犯したのか?チベット側からの北壁が登れ無いと判断し、ネパール側へ移動するには、全員入国ルートに従がい、ラサから空路出国しなければ為りません。当然出国時点で、入国時の人員リストとの照合が有ります。なので、苦肉の策で陸路からネパールへ・・・
理由は、西稜からホルバイン・クーロワールを登る、栗城を撮影する為に、カメラ担当を北壁BCに残して置く必要が有ったから・・・(彼用のコックも)ネパール側からは、西稜に上がらないと北壁の全貌は見えないし、斜めから視る感じ。北壁Bcの位置からは、正面に北壁が見える。昨日の敗退宣言の中でも、北壁BCのカメラ担当に触れてます。
ここで問題です。①チベットに残されたカメラ担当は、どうして帰国するのでしょうか? 栗城同様に陸路でしょうか・・・・②登山隊としてチベットに入った〝栗城隊〟の出国記録が宙に浮きます・・・
この辺の処理が上手く出来るのか?この後の登山隊に、禍根を残さないのか心配です。
因みに、下記ルート図は、ネパール・チベット間での陸路です。外国人には、ネパールにぬけるルートとして、これより認められてません。

6月1日追記バラバラの移動体制で
本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです。越境は栗城自身の発想では無さそうですね・・・誰の入れ知恵でしょうか?たぶんボチボチの社長でしょう。
外国人が入出国出来るルート(ネパール⇔チベット)は、上記図の一箇所より有りませんが・・・・古くからの交易ルートが有りました・・・
’06年のヒマラヤ遠征時に、見聞きした話を想い出しました。エベレスト街道最大の村ナムチェバザールでは、毎週〝市〟が立ち名前の由来。衣類や生活雑貨・食料などが売られてます。どこにこんなに人が居たのかと思う程の賑わいです。チベット族が徒歩で国境を越えて、販売や購入に来ると聞きました。古くからチベット岩塩の交易ルートが存在してるのです。栗城はこのルートを通った可能性があります。上記の正規ルートと違い、国境警備も手薄でしょうし、多少の袖の下で・・・等と考えてしまいました・・・・邪推でしょうか?
は、ここで
中国政府は、現在チベット・ウィグル自治区に入る、外国人に制約を課しています。
反政府活動又は、独立運動への加担を恐れてです。
こんな制約が有ります。
①登山隊に付いては、入国ルートに従がい・出国する。中国登山協会連絡員派遣。
②隣国ネパールから、陸路での外国人個人の入国禁止。団体ツァーのみ可。
③北京(例)経由でラサに到着し、陸路ネパールに向かうツァー客・個人は可。
①に付いては、連絡員が監視役。
②に付いては、現地ツァーガイドが監視役。
②に付いては、現地ツァーガイドが監視役。
③に付いては、4駆運転手が監視役。
栗城はこの〝禁〟を犯して、陸路③の素振りをして越境した様です。
以下黒字のブログ抜粋を読むと納得して貰えるでしょう。
(黒字は栗城ブログより抜粋)
2017/5/17 23:15
今日、ネパール側のゴラクシェプ(5164m)に着きました。
そして、ルートはウエストリッジ(西稜)からホーンバイン・クロワール(北壁上部)を目指します。
実はこのルートは2012年秋季エベレスト西稜でトライしたルートです。
※なぜ今までルート変更の詳細と場所をお伝えできなかったのか。それは大幅な移動を要し、ネパール人スタッフも含めてなかなか国境を越えられず、もし国境を越えられなかった場合には戻る可能性もあり、バラバラの移動体制でネパール側のベースキャンプに向かうことなり、本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです。
無事にネパール側のベースキャンプに到着するまでは発表を控えさせていただいていました。ご心配をおかけした皆様申し訳ございませんでした。
ごめんなさい。無事に着いて良かった。
何故、この〝禁〟を犯したのか?
チベット側からの北壁が登れ無いと判断し、ネパール側へ移動するには、
全員入国ルートに従がい、ラサから空路出国しなければ為りません。
当然出国時点で、入国時の人員リストとの照合が有ります。
なので、苦肉の策で陸路からネパールへ・・・
理由は、西稜からホルバイン・クーロワールを登る、栗城を撮影する為に、
カメラ担当を北壁BCに残して置く必要が有ったから・・・(彼用のコックも)
ネパール側からは、西稜に上がらないと北壁の全貌は見えないし、斜めから視る感じ。
北壁Bcの位置からは、正面に北壁が見える。
昨日の敗退宣言の中でも、北壁BCのカメラ担当に触れてます。
ここで問題です。
①チベットに残されたカメラ担当は、どうして帰国するのでしょうか?
栗城同様に陸路でしょうか・・・・
②登山隊としてチベットに入った〝栗城隊〟の出国記録が宙に浮きます・・・
この辺の処理が上手く出来るのか?
この後の登山隊に、禍根を残さないのか心配です。
因みに、下記ルート図は、ネパール・チベット間での陸路です。
外国人には、ネパールにぬけるルートとして、これより認められてません。

6月1日追記
バラバラの移動体制で
本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです。
越境は栗城自身の発想では無さそうですね・・・誰の入れ知恵でしょうか?
たぶんボチボチの社長でしょう。
外国人が入出国出来るルート(ネパール⇔チベット)は、
上記図の一箇所より有りませんが・・・・古くからの交易ルートが有りました・・・
’06年のヒマラヤ遠征時に、見聞きした話を想い出しました。
エベレスト街道最大の村ナムチェバザールでは、毎週〝市〟が立ち名前の由来。
衣類や生活雑貨・食料などが売られてます。
どこにこんなに人が居たのかと思う程の賑わいです。
チベット族が徒歩で国境を越えて、販売や購入に来ると聞きました。
古くからチベット岩塩の交易ルートが存在してるのです。
栗城はこのルートを通った可能性があります。
上記の正規ルートと違い、国境警備も手薄でしょうし、多少の袖の下で・・・
等と考えてしまいました・・・・邪推でしょうか?
は、ここで
番外編 〝冒険の共有〟【Ⅴ】 他隊登頂の様子
5月25日に、エベレストに登頂したICI隊の画像。AG隊も同時登頂です。
5月25日に、エベレストに登頂したICI隊の画像。AG隊も同時登頂です。
エベレスト一帯は晴れてます。
この日もエベレスト・ローッエ一帯は晴れてます。
平岡隊
5月27日ネパール時間午前5時37分北京時間午前7時22分、世界最高峰エベレストの頂上に立ちました。
隊員4名、シェルパ5名、ガイド2名総勢11名が全員登頂し、先程ベース・キャンプ5150mに無事下山しました。
この日はキリアン2回目の登頂。キリアンは21日に真夜中に登頂したと言ってますから、悪天候ではなかったはず。
この日も、そんなに天気が悪くは見えません。
何で、他隊の山頂画像を載せたのか・・・栗城と他隊の比較の為です。
栗城がBCやC2で停滞を繰り返してた頃に、実力の有る者はキャンプを進め、見事に登頂しました。以前のブログで、登頂のチャンスは、中旬から下旬のわずかな期間と言いました。それに照準を合わせて・順応なり・荷上げなりが出来てるかが、成否の別れ目です。
栗城の行動
5月21日 停滞日 疲れた為 キリアン北稜から無酸素登頂5月22日 停滞日 強風予報の為 5月23日 C2→7,200m5月24日 昼から行動して、体調不良で下山。 5月25日 ゴラクシェプ(5,164m)BCに戻る ICI隊&AG隊登頂5月26日 停滞日 ゴラクシェプ(5,164m) ICI隊&AG隊ローッエ登頂5月27日 BC→C2へ キリアン2度目の登頂・平岡隊北稜から登頂
AG隊・平岡隊は700万前後の個人負担、ICI隊は公募でないので安いでしょうが、各隊共に、情報公開は確実にしてて、拙ブログでも紹介して来ました。
栗城は、何千万もの金を集め、あの程度の情報より流さず、〝冒険の共有〟とは、呆れ果てます。しかも、最後に高額な衛星中継を使い、グダグダ話とテント画像を流す始末でした・・・
この日もエベレスト・ローッエ一帯は晴れてます。

平岡隊
5月27日ネパール時間午前5時37分北京時間午前7時22分、世界最高峰エベレストの頂上に立ちました。
隊員4名、シェルパ5名、ガイド2名総勢11名が全員登頂し、先程ベース・キャンプ5150mに無事下山しました。
隊員4名、シェルパ5名、ガイド2名総勢11名が全員登頂し、先程ベース・キャンプ5150mに無事下山しました。
この日はキリアン2回目の登頂。
キリアンは21日に真夜中に登頂したと言ってますから、悪天候ではなかったはず。
この日も、そんなに天気が悪くは見えません。

何で、他隊の山頂画像を載せたのか・・・栗城と他隊の比較の為です。
栗城がBCやC2で停滞を繰り返してた頃に、実力の有る者はキャンプを進め、見事に登頂しました。
以前のブログで、登頂のチャンスは、中旬から下旬のわずかな期間と言いました。
それに照準を合わせて・順応なり・荷上げなりが出来てるかが、成否の別れ目です。
栗城の行動
5月21日 停滞日 疲れた為 キリアン北稜から無酸素登頂
5月22日 停滞日 強風予報の為
5月23日 C2→7,200m
5月24日 昼から行動して、体調不良で下山。
5月25日 ゴラクシェプ(5,164m)BCに戻る ICI隊&AG隊登頂
5月26日 停滞日 ゴラクシェプ(5,164m) ICI隊&AG隊ローッエ登頂
5月27日 BC→C2へ キリアン2度目の登頂・平岡隊北稜から登頂
AG隊・平岡隊は700万前後の個人負担、ICI隊は公募でないので安いでしょうが、
各隊共に、情報公開は確実にしてて、拙ブログでも紹介して来ました。
栗城は、何千万もの金を集め、あの程度の情報より流さず、
〝冒険の共有〟とは、呆れ果てます。
しかも、最後に高額な衛星中継を使い、グダグダ話とテント画像を流す始末でした・・・
栗城ブログが更新されました・・・
(黒字は栗城ブログより抜粋、青字は私見)
2017/5/31 18:06
2日前(5/29)の夜10時過ぎ(日本時間5/30夜中1時過ぎ)に無事にゴラクシェプ(5300m)まで戻ってきました。そこまで(C2)登るのに2日掛かりで、帰りは1日未満とは、〝下山家 栗城〟と言われる由縁です。 本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。予報で悪天候が予想されてても、アリバイアタックの素振りを見せて、嫌々C2まで上がったのは動画を見て判ってたよ・・・ダラダラ・チンタラ歩きは、とても体幹を鍛えてるとは思えぬバランスの悪さ・・・25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。
その症状は、高山病と前から言ってる。7,300mへ登ったと言う日から何日経過したのか・・順応効果は既に切れてる・・・高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。過去6回もエベレストで何を学んだ、無駄な停滞を繰り返し、順応など出来るはず無し。ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。春が安定してる事は皆が知ってる、登頂者の数が示してる。今頃知ったか ?西稜に抜けれなくて、何が判ったか・・・氷雪技術の無さをか ?技術も磨かずでは、来年も同様の敗退劇を繰り返すだけ・・・・皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。決して諦めない=金集め でしょう・・・この遠征が、全体的にどのようなものだったのか、また後ほど報告させてください。登頂した他隊と比べ、何が足らないのか検証してよね、楽しみにしてるから・・・映像についても編集スタッフがまだチベット側にいるので、合流してからアップしていきます。その彼氏 、どうやって帰って来るのか? 興味の有る処です。それとも又チベットに越境して合流????帰ってくると毎回髪がトロール人形みたいになってきます。坊主頭にして往け 坊主に !!!
相変わらずの、お気楽さ・・・・口直しに、今朝咲いた牡丹。
栗城ブログが更新されました・・・
(黒字は栗城ブログより抜粋、青字は私見)
2017/5/31 18:06
2日前(5/29)の夜10時過ぎ(日本時間5/30夜中1時過ぎ)に無事にゴラクシェプ(5300m)まで戻ってきました。
そこまで(C2)登るのに2日掛かりで、
帰りは1日未満とは、〝下山家 栗城〟と言われる由縁です。
本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。
予報で悪天候が予想されてても、アリバイアタックの素振りを見せて、
嫌々C2まで上がったのは動画を見て判ってたよ・・・
ダラダラ・チンタラ歩きは、とても体幹を鍛えてるとは思えぬバランスの悪さ・・・
25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。
その症状は、高山病と前から言ってる。
その症状は、高山病と前から言ってる。
7,300mへ登ったと言う日から何日経過したのか・・順応効果は既に切れてる・・・
高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。
過去6回もエベレストで何を学んだ、無駄な停滞を繰り返し、順応など出来るはず無し。
ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。
春が安定してる事は皆が知ってる、登頂者の数が示してる。今頃知ったか ?
西稜に抜けれなくて、何が判ったか・・・氷雪技術の無さをか ?
技術も磨かずでは、来年も同様の敗退劇を繰り返すだけ・・・・
皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。
決して諦めない=金集め でしょう・・・
この遠征が、全体的にどのようなものだったのか、また後ほど報告させてください。
登頂した他隊と比べ、何が足らないのか検証してよね、楽しみにしてるから・・・
映像についても編集スタッフがまだチベット側にいるので、合流してからアップしていきます。
その彼氏 、どうやって帰って来るのか? 興味の有る処です。
それとも又チベットに越境して合流????
帰ってくると毎回髪がトロール人形みたいになってきます。
坊主頭にして往け 坊主に !!!
相変わらずの、お気楽さ・・・・口直しに、今朝咲いた牡丹。

違法越境問題?【2】(チベット→ネパール)
今日は雨模様で、草取り・百姓業も出来ないので、栗城越境を再検証。
栗城がネパールに出国出来るのは、ラサから空路より無い事は【1】でお判りかと思います。陸路で越境するとしたら、古くから有る交易路を使ったのかと。
1/12.5万のトレック地図です。ボケて見ずらいですが、エベレスト&ナムチェ・バザールと越境した峠の、位置関係が判ればと思い載せました。地図の北側はチベット領です。
越境したと思われる峠部分のコピーです。
チョー・オュー峰の北東に、(Nanpa La) Khumbu Laと書かれた峠(La)5,716mが有ります。ナンパ峠とクンブ峠と言った処でしょうか・・・ネパールでは、エベレスト周辺はグンブー地方と呼ばれ、エベレストから流れる氷河を、クンブー氷河と呼んでる事からも納得です。地図の赤線道は、ヤクやゾッキョ等の荷役動物が通れる道・勿論人も。チベット族が、ナムチェに来る交易ルートです。
このクンブ峠から約50~60キロ南下すると、
エベレスト街道最大の村〝ナムチェ・バザール〟が在ります。ナムチェからエベレスト街道を約40キロ北上すると、エベレストBCに着きます。
栗城はこの交易路を使って、国境越えしたのでは・・・・ここからは、推測ですが・・・下記の栗城行動表を参考に・・・
①6日。北稜で7,300mへ登ったが、クーロワール下部の青氷は登れ無いと判断。②即、ボチボチ社長に衛星電話で相談。正規でない交易ルートでの越境指示あり。③10日頃にクンブ峠を越えたネパール側から、ヘリでカトマンズ(1時間ほどの距離)
④5月11日、ネパール山岳協会に新ルート申請。15日頃までカトマンズ滞在。⑤5月15日の拙ブログの投稿で、数日前にカトマンズで栗城を見た人が居ると証言。⑥カトマンズから、ヘリでロッジBCに入る。(ルクラからエベレスト街道を歩くと、栗城の足で一週間、3日では歩けない。)
栗城 行動表より
5月 6日 北稜ルートから北壁BCに戻る(体調不良発言)5月 7日 停滞日5月 8日 停滞日5月 9日 停滞日5月10日 停滞日5月11日 停滞日 新しいルート申請中(栗城ブログより) 5月12日 停滞日 5月13日 停滞日 5月14日 停滞日 ルート申請をおえる、16日に新BCに入る(栗城ブログより) 5月15日 停滞日 5月16日 停滞日 キリアン8,400mまで試登し順応5月17日 ゴラクシェプ(5,164m)に到着、ロッジをBCにする。
クンブ峠を越えるのに3日、金に糸目を付けずヘリを使えば、日程的に充分可です。飽くまで小生の推測ですから、その辺〝忖度〟して読み流して下さい(^^ゞ
は、ここで
口直しに・・・・昨日の庭のアイリスです。
今日は雨模様で、草取り・百姓業も出来ないので、栗城越境を再検証。
栗城がネパールに出国出来るのは、
ラサから空路より無い事は【1】でお判りかと思います。
陸路で越境するとしたら、古くから有る交易路を使ったのかと。1/12.5万のトレック地図です。
ボケて見ずらいですが、エベレスト&ナムチェ・バザールと越境した峠の、
位置関係が判ればと思い載せました。地図の北側はチベット領です。

越境したと思われる峠部分のコピーです。

チョー・オュー峰の北東に、(Nanpa La) Khumbu Laと書かれた峠(La)5,716mが有ります。
ナンパ峠とクンブ峠と言った処でしょうか・・・
ネパールでは、エベレスト周辺はグンブー地方と呼ばれ、
エベレストから流れる氷河を、クンブー氷河と呼んでる事からも納得です。
地図の赤線道は、ヤクやゾッキョ等の荷役動物が通れる道・勿論人も。
チベット族が、ナムチェに来る交易ルートです。
このクンブ峠から約50~60キロ南下すると、
エベレスト街道最大の村〝ナムチェ・バザール〟が在ります。
エベレスト街道最大の村〝ナムチェ・バザール〟が在ります。
ナムチェからエベレスト街道を約40キロ北上すると、エベレストBCに着きます。
栗城はこの交易路を使って、国境越えしたのでは・・・・
ここからは、推測ですが・・・下記の栗城行動表を参考に・・・
①6日。北稜で7,300mへ登ったが、クーロワール下部の青氷は登れ無いと判断。
②即、ボチボチ社長に衛星電話で相談。正規でない交易ルートでの越境指示あり。
③10日頃にクンブ峠を越えたネパール側から、ヘリでカトマンズ(1時間ほどの距離)
④5月11日、ネパール山岳協会に新ルート申請。15日頃までカトマンズ滞在。
⑤5月15日の拙ブログの投稿で、数日前にカトマンズで栗城を見た人が居ると証言。
⑥カトマンズから、ヘリでロッジBCに入る。
(ルクラからエベレスト街道を歩くと、栗城の足で一週間、3日では歩けない。)
栗城 行動表より
5月 6日 北稜ルートから北壁BCに戻る(体調不良発言)
5月 7日 停滞日
5月 8日 停滞日
5月 9日 停滞日
5月10日 停滞日
5月11日 停滞日 新しいルート申請中(栗城ブログより)
5月12日 停滞日
5月13日 停滞日
5月14日 停滞日 ルート申請をおえる、16日に新BCに入る(栗城ブログより)
5月15日 停滞日
5月16日 停滞日 キリアン8,400mまで試登し順応
5月17日 ゴラクシェプ(5,164m)に到着、ロッジをBCにする。
クンブ峠を越えるのに3日、金に糸目を付けずヘリを使えば、日程的に充分可です。
飽くまで小生の推測ですから、その辺〝忖度〟して読み流して下さい(^^ゞ
は、ここで
口直しに・・・・昨日の庭のアイリスです。

栗城 その後?????
5月29日に、延々と音声のみの動画で〝敗退宣言〟をした栗城ですが、その後は5月31日にロッジBCにから更新して以来、3日間音信不通です。
今回(7回目)の北壁遠征をオサライして見ます。添付画像で行動確認して下さい。
赤線は国境 青線は栗城のルート

①図北側(上側)に有るチベットBC入りしてから、北壁BC設置の為に南進し、 中央ロンブク氷河5,600mの位置に北壁BCを設置。(昨年秋のABCの位置) この時、「体調は悪くない」と言う。普通は体調は良いと言う筈が、 悪くないと言う言い方に違和感を感じた・・・
②高度順応の為に、北壁BCから東ロンブク氷河に入り、北稜ルートABC設置。 ノース・コルから7,500mへ登り順応の予定が、7,300mで終え順応したと言う。 ABC(6,400m)に入って咳と腰痛と言うが・・・・初期高度順応の失敗である。 この理由はで述べてます。
③北壁下部の青氷が登れ無いと判断し、ルート変更を考える・・・・ 10日ほど経過して発表したのが、チベット側を諦めて、 ネパール側から西稜を登りクーロワールから登頂すると発表。 国移動の経緯説明が無く、 小生は と、推測した。
④ネパール側に移り正規のBC位置(図中)では無く、遥か手前のロッジにBCを置く。 同時に無線中継基地を、プモリ峰の基部に設置。 理由はヌプッエ峰が電波を遮断する為、見通しが効く場所でなければならない。 この中継基地に通信担当と飯炊きシェルパを配置。 正規のBC位置にBCを設置してたら他隊同様で、基地などは必要ないのだが・・・ 後からノコノコ国替えした、他隊に対する負い目感が有ったのかも・・・・ 先の北壁BCは撤去せず、カメラ担当と飯炊きシェルパを配置したまま。 栗城がロッジをBCにしたのは、隊を3分割した事が原因かも知れません。
⑤西稜に上がる為に、クンブー氷河上の6,400mにC2を設置。 西稜側壁に懸かる懸垂氷河沿いに稜線を目指すが、 7,200m地点で体調不良(高山病)を理由にロッジBCに戻る。 北稜7,300mで順応してから3週間も経ってるので、順応効果は消えてたのだ・・ この間に、日本隊・外国隊が大量登頂に成功する。 その後、予報が悪い中、アリバイアタックに向かい、 何を思ったか ? C2からノーマルルートのC3に向かうが、 ローッエ・フェイス取り付き付近で、ガスで見えないと言い引き換えし、 敗退宣言を延々と無線で中継する。 しかし、FIXはまだ残っており、登る気が有ればそれを辿って登れたはず。 氷化したフェイスに敗退したとも言えるかも・・・
以上が、今回の栗城の行動概要でした。
それにしても栗城は、何処でどうしてるのやら・・・・それとも中国の官憲に、出頭を求められたか ?ボチボチのシェルパが6月1日にカトマンズに降りたとの情報も有るが・・・敗退ショックに立ち直れないて、ロッジのキッチンで泣いてるのか・・・(笑)
は、ここで
******************************
他隊情報
AG隊が撮影したエベレスト山頂の画像です。山頂ポール(中国が測量の為に建てた物)に、タルチョ(チベット仏教の経典が書かれてる)が結ばれてます。これは信心深いシェルパが巻きますが、何とダライラマの写真まで・・・・この春は、中国隊も登頂してますが、その後登頂したシェルパが貼ったと思います。中国人(漢民族)が見たら剥がすはず・・・中央政府に対する、チベット民族の強烈な意思表示でしょう。
ローッエから撮ったサウス・コルとエベレスト南東稜。赤線は、2015年10月に栗城が登ったと言ってる、カラス谷ルート。サウス・コル7900mを経由し、8150mまで登ったと・・・西稜にも登れ無い者が、ここを夜間登ったとは誰も信じないでしょう~~

エベレスト山頂直下から、南西側の画像です。●の山は、紙谷氏が挑んだ、アマダブラム峰(6,856m)。 紙谷氏の〝登攀記〟はに記載してます。●の山は、竹内洋岳氏が挑んだ、未踏峰のマランフラン峰(6,573m)。 竹内氏の記録も、の中に記載してます。●の山は、小生が62歳で登頂した、メラ・中央峰(6,654m) メラからも良く見えました。 登山の様子は、拙ブログ の項に記載してます。
サウス・コル(7,900m)、C4の現状です。放置されたテント他の墓場です・・・・この先には死体も放置されてるとか・・・人間のエゴですね・・・下ろそうにも下ろせないのが現状です。
最後に嫌な物を見せて仕舞いました・・
お詫びに、今が盛りの日光キスゲです。

6月4日 追記今朝の毎日新聞の記事です。中国政府が登山隊を組んで、ダライラマの写真を外しに往くのでしょうか?習近平以下の党幹部が往けば面白いですねぇ~~
写真一枚でこの騒ぎですから、不法越境問題が発覚したら、・・・ですね。
5月29日に、延々と音声のみの動画で〝敗退宣言〟をした栗城ですが、
その後は5月31日にロッジBCにから更新して以来、3日間音信不通です。
今回(7回目)の北壁遠征をオサライして見ます。
添付画像で行動確認して下さい。
赤線は国境 青線は栗城のルート

①図北側(上側)に有るチベットBC入りしてから、北壁BC設置の為に南進し、
中央ロンブク氷河5,600mの位置に北壁BCを設置。(昨年秋のABCの位置)
この時、「体調は悪くない」と言う。普通は体調は良いと言う筈が、
悪くないと言う言い方に違和感を感じた・・・
②高度順応の為に、北壁BCから東ロンブク氷河に入り、北稜ルートABC設置。
ノース・コルから7,500mへ登り順応の予定が、7,300mで終え順応したと言う。
ABC(6,400m)に入って咳と腰痛と言うが・・・・初期高度順応の失敗である。
この理由はで述べてます。
③北壁下部の青氷が登れ無いと判断し、ルート変更を考える・・・・
10日ほど経過して発表したのが、チベット側を諦めて、
ネパール側から西稜を登りクーロワールから登頂すると発表。
国移動の経緯説明が無く、
小生は と、推測した。
④ネパール側に移り正規のBC位置(図中)では無く、遥か手前のロッジにBCを置く。
同時に無線中継基地を、プモリ峰の基部に設置。
理由はヌプッエ峰が電波を遮断する為、見通しが効く場所でなければならない。
この中継基地に通信担当と飯炊きシェルパを配置。
正規のBC位置にBCを設置してたら他隊同様で、基地などは必要ないのだが・・・
後からノコノコ国替えした、他隊に対する負い目感が有ったのかも・・・・
先の北壁BCは撤去せず、カメラ担当と飯炊きシェルパを配置したまま。
栗城がロッジをBCにしたのは、隊を3分割した事が原因かも知れません。
⑤西稜に上がる為に、クンブー氷河上の6,400mにC2を設置。
西稜側壁に懸かる懸垂氷河沿いに稜線を目指すが、
7,200m地点で体調不良(高山病)を理由にロッジBCに戻る。
北稜7,300mで順応してから3週間も経ってるので、順応効果は消えてたのだ・・
この間に、日本隊・外国隊が大量登頂に成功する。
その後、予報が悪い中、アリバイアタックに向かい、
何を思ったか ? C2からノーマルルートのC3に向かうが、
ローッエ・フェイス取り付き付近で、ガスで見えないと言い引き換えし、
敗退宣言を延々と無線で中継する。
しかし、FIXはまだ残っており、登る気が有ればそれを辿って登れたはず。
氷化したフェイスに敗退したとも言えるかも・・・
以上が、今回の栗城の行動概要でした。
それにしても栗城は、何処でどうしてるのやら・・・・
それとも中国の官憲に、出頭を求められたか ?
ボチボチのシェルパが6月1日にカトマンズに降りたとの情報も有るが・・・
敗退ショックに立ち直れないて、ロッジのキッチンで泣いてるのか・・・(笑)
は、ここで
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他隊情報
AG隊が撮影したエベレスト山頂の画像です。
山頂ポール(中国が測量の為に建てた物)に、
タルチョ(チベット仏教の経典が書かれてる)が結ばれてます。
これは信心深いシェルパが巻きますが、何とダライラマの写真まで・・・・
この春は、中国隊も登頂してますが、その後登頂したシェルパが貼ったと思います。
中国人(漢民族)が見たら剥がすはず・・・
中央政府に対する、チベット民族の強烈な意思表示でしょう。

ローッエから撮ったサウス・コルとエベレスト南東稜。
赤線は、2015年10月に栗城が登ったと言ってる、カラス谷ルート。
サウス・コル7900mを経由し、8150mまで登ったと・・・
西稜にも登れ無い者が、ここを夜間登ったとは誰も信じないでしょう~~

エベレスト山頂直下から、南西側の画像です。
●の山は、紙谷氏が挑んだ、アマダブラム峰(6,856m)。
紙谷氏の〝登攀記〟はに記載してます。
●の山は、竹内洋岳氏が挑んだ、未踏峰のマランフラン峰(6,573m)。
竹内氏の記録も、の中に記載してます。
●の山は、小生が62歳で登頂した、メラ・中央峰(6,654m) メラからも良く見えました。
登山の様子は、拙ブログ の項に記載してます。

サウス・コル(7,900m)、C4の現状です。
放置されたテント他の墓場です・・・・この先には死体も放置されてるとか・・・
人間のエゴですね・・・下ろそうにも下ろせないのが現状です。

最後に嫌な物を見せて仕舞いました・・
お詫びに、今が盛りの日光キスゲです。

6月4日 追記
今朝の毎日新聞の記事です。
中国政府が登山隊を組んで、ダライラマの写真を外しに往くのでしょうか?
習近平以下の党幹部が往けば面白いですねぇ~~

写真一枚でこの騒ぎですから、不法越境問題が発覚したら、・・・ですね。
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