海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

栗城が、〔’17年春のエベレスト北壁〕の〝まとめ?〟〝登山感想文〟を発表。
大変ダラダラと長く読み難いので、処々に分けて私見を述べます。

黒字栗城ブログ全文青字は私見、どうでもいい部分は小文字にしました。
「NO CRAZY, NO MOUNTAIN.」タイトルですが、ちょっと意味不明です・・・
無線だけでは伝えきれてないこと全部書きました。
2016年秋、僕は秋季エベレスト北壁の壁にぶつかっていた。
傾斜60度の氷雪壁ジャパニーズ・クーロワールを登りきり、真っ暗闇の壁を7400mまで登っていた。7000mぐらいから傾斜が緩くなると雪は腰近くまでとなり、両手両膝で崩しながら進んでいく。秋は風が弱い期間が短い。あと2日でまた強風の周期がやってくる。なるべく雪がしまっている時間に深い雪を越えようと夜20時半に6800mのキャンプを出発したが、多少硬い部分を見つけてもまたすぐに深い雪に埋もれていく。
これを一人で。。
山と向き合いたいという思いから人がほとんど入らない「秋季」を選び続けていた。
雪と強風の秋に無酸素で一人で登りきった人はまだ誰もいない。
「なぜ春に登りやすい通常ルートでいかないんだ?」とよく言われたりしたが、言葉で理解してもらうことは難しく、過去に秋季エベレストに無酸素・単独で向かった日本人は一人いる。きっとその人しかこの感覚はわからないかもしれない。
北壁の雪はどんどん深くなっていく。
2日後にくる悪天候までこの雪を進み山頂に向かうのは不可能だと感じ、深夜下山を決めた。
だが、すぐには下山しないで深い雪に腰を下ろし、陽が昇るのを待っていた
それはこの中間部から北壁全体を見渡すためにつまり、またここにくるために陽が昇るのを待ち続けていた

昨年秋の話をしてますが、何を思ったのか夜間に出発し、ルートミスをしたか?
傾斜が急で登れずに、緩斜面に向かったものと思われる。
暗くて降りれずに、仕方なく夜明けを待った・・・
さて、今回の話です。

2017年春。
チベットの高原の大地と雪、そして深い空。チベットの三原色を眺めながら春の北壁ベースキャンプに向かう。
エベレスト7回目にして、はじめての「春」のキャラバンが始まる。
チベット・ベースキャンプはすでに多くの登山が入っており、街のようになっていた。
今年はチベット側のノーマルルートで300人、ネパール側で700人登るそうだ。
北壁ベースキャンプに到着後、高所順応のためにノーマルルートに向かい7300mまで登り下山する。
下山途中、お客さんを連れた日本人山岳ガイドに出会う。
北稜からの登頂を目指してた、平岡隊か?倉岡隊を指している。
「久しぶりだね。元気そうだね。」
「あの氷どうするの?いけそう?」
あの氷とは北壁下部あるジャパニーズ・クーロワールのブルーアイス(青く硬い氷)のことである。
「上から見てたんですけど、うまく行けば」
プロガイドに、格好いい事言ってます、すぐに登れ無いと諦めたのに・・・
実は僕が最も気にしていたのは北壁下部にある長さ600mに及ぶ氷の壁のことである

(昨年秋は、画像青ルート×の辺りでギブァップ、登る赤ラインから外れてる)
今回登る予定のラインを赤線入れてます。しかし登れ無いと判断して国替えし、
西稜からトラバースして来て、登ろうとしたルートは黄色です。これも無理無理。
イメージ 8
2016年にここを登っていたが秋の雪が張り付き、まだ比較的登りやすかった。
だが、春は雪が少ない分、氷が張り出し、硬いブルーアイスになって聳え立っていたのである。
当然でしょう~春は日中は気温上昇で解けるし、夜間は凍結の繰り返しで、
時間を掛けてブルーアイスに為るのです。
日本の3月の山でもなるのです、登った事の無い栗城は知らないだろう・・・
それは北壁のベースキャンプからでも確認できており、上から偵察するためにもノーマルルートに回り込み、7300mまで登ってきたのだ。
もう一人、このブルーアイスを気にしてくれている人がいた。ドイツ人登山家のラルフさんだった。ラルフさんはドイツ人登山家として14座を登り、エベレストも8回挑戦しているベテランの登山家だ。
チベットのティンリ村の宿で「クリキ?」と鋭い目で声をかけられ、決して目を逸らさない。(前にドイツの新聞で僕の記事を読んだそうです)
誰だろうと思っていたが、名前を聞いてすぐにあのラルフさんだとわかった。
ラルフさんとはチベット・ベースキャンプに向かう車も一緒でお互いの哲学や過去の失敗談を交わしながら話を聞いた。
「秋のエベレストは6回登れなかったって?俺は7回目だよ」と笑いながら丁寧に話をしてくれた。
ラルフさんのエベレスト挑戦は7回登頂できなかった。
ただし!向かっているルートはノーマル・ルートではなく全て「バリエーションルート 」(難しいルート)
登頂した一回はノーマルルートでの酸素を使用していたが、「あまり楽しくなかった」そう言って今回無酸素登頂を目指していた。
本当にガチンコで挑戦している人は共通してみな独特のオーラがあり、そして明るい。
「俺は2回北壁に向かったことがある。ただ、あの氷を越えるのにかなり時間がかかり、やめた。時間がかかるぞ」
本当にやってきた人は的確に短いアドバイスをしてくれる。
今まで色々アドバイスっぽいことを言う人がいたが、やったことがある人の声はやはり伝わり方が違った。
昨年の秋季エベレスト北壁の時は実際に行ったことのある山の先輩から「雪がしまっていたらいける。しまってなかったらいけないな」とメッセージをもらっていた。
まさにそうで雪の状態で大きく左右される。
北壁側のベースキャンプにて望遠カメラで撮影した写真をさらに拡大し、突破口を探していた。
このブルーアイスを意識して、事前に29本のアイススクリューと600m分のロープを用意していた。
アイススクリューの画像です。
上のツマミを回して氷に埋め込んで支点にし、ザイルを通します。(他の小物省略)
イメージ 1
岩場ではハーケン ↓ を割れ目に打ちます。用途はスクリューと同じ
イメージ 5
上記には、カラビナ(形状は多種)↓を通し、ザイルをセットします。
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だか、9本の指を凍傷で失ってから左手はピッケルを持つだけでも精一杯。右手だけでほとんどえなくてはいけない
この指ですからねぇ~
イメージ 2
手袋もこのザマです、余った指先ベロベロ・・・裁断処理もせず・・・
イメージ 3
高所では保温の為に、こんなオーバーミトンを重ね履きします。
このベロベロ手袋にミトンで、スクリュー回したり出来ると思いますか?
一度凍傷に為って切った指は寒いと痛みます、毛細血管が繋がって無いからです。
イメージ 6
それでいて長時間いや、数日間もこのブルーアイスと格闘することができるだろうか。ロープを張って、下がり、ロープを張って下がる。
仮に、スクリューの埋め込みが出来て、ザイルを通せたとしても、
これを(登高器)ザイルに通して、墜落を防ぐのです。
上部のバネを親指で開放しザイルを通し、黒のハンドルを握り登ります。
ザイルの継ぎ目や支点毎に、通し替えの作業が必要です。
指が満足に有っても、ミトンでの作業は大変なものです。
おっと、栗城には左の親指無いので、これを操作するのは至難の技、
利き手の右はピッケルですから・・・
やはり、ストック突いて歩ける、普通の山以外の登山は無理な様です。
イメージ 4
降りる時には、こんな器具もセットしなければ為りません。
ミトンを着けたままで、何回も付け替えが必要です。
イメージ 10
ラルフさんが言うように時間がかかりすぎる
ですから入山時期を早くして、雪が・・風が・・で停滞する事なく危険な場所に、ルート工作しろと今迄言って来ました・・いっも一発勝負で氷が・・・でツモ。
そして、何よりも心が進まないのは600mのロープを張ってもそれは回収することはできない
回収する・しないは栗城次第です。感じる山にしたければ回収、
登れれば後はどーでもと思えば残置。
ちなみに、ザイルの重さは1m当たり60g程度、600mだと36Kg。
FIXの場合、長いと邪魔なので、60m位に切って使います。濡れると倍以上の重さに為ります。
つまり600mのロープと29本のアイススクリューを残置したまま帰ることになる。
まるでエベレストにホッチキスを打つかのように。
それがエベレストに申し訳なく、600mロープを張った先のゴールが見えなくなっていた。
話が可笑しい!!!! これを登る為に、スクリュー・ザイルを用意したのではないか?
ザイルを張らなければ登れ無い・張れなければ登れ無い
(一流のアルパインクライマーならノーザイルで登れる)、ここに来て、その話は無いだろう・・・
来る前に、考えて決める事だ・・誰かに持って往けと言われたのか?

それと更に、下部のアイス600mをザイルを張って登れたとして、
上のクーロワールはどうやって登る? ノーザイルでのテクニックは無いだろう・・・
明らかに、栗城のレベルでは無理が有る。
このまま遠征をやめて仕切り直すか、それとも別なルートに行くのか。行くとすればどこに? 人が踏み固めたルートではなく「山」感じられるルートを。
考えた結果。ネパール側の西稜から北壁ホーンバイン・クーロワールに入るルートだった。
そもそもこのルートは2012年秋に一度向かい、ホーンバイン入り口8070m地点まで行ったことがある。その時に猛烈な風に遭い、両手、両足と鼻が重度の凍傷となった。
あの時のリベンジ。。ではないけど、聳え立つブルーアイスを避けて、ホーンバイン・クーロワールに合流するためにはこのルートしかない
ただ、今から登山許可が取れるのか?また移動や新しい登山許可料でお金がかかる。
しかし、このまま心が向かないまま、また避けられる危険をわかっていて向かうわけにはいかない。
日本の事務局とエージェントに連絡してルートの変更と手続きの準備を進めてもらった。
エージェントはボチボチ、違法越境の案もボチボチが提案。
何故かこの経緯(チベット→ネパール)は、省略されている・・・
こうして・こうしたとは、書けないよなぁ~ 
5月17日、ネパール側のゴラクシェップ(5300)に入る。経費を抑えるために通常のベースキャンプは作らず、ベースキャンプから歩いて2時間手前にあるゴラクシェップのロッジ(山小屋)をベースにした。
チベット側には3人のスタッフが残り、西稜から出てくる栗城を望遠カメラで捉えるために待っていた。
プモリ基部に中継Cを置いたので、通信担当用の飯炊きシェルパが取られ、
栗城のC2への荷上げシェルパは2名と為った模様。
ロッジBCからあの程度のザックで出掛ける画像が有ったが、シェルパが運ぶのだ。
20日ゴラクシェップから一気に6400mのC2に向かう。しかし、1週間分の食料と荷物を比較的小さいザックに詰めて一度に全て上げる。ゴラクシェップからの2時間が微妙に効いてくる。
体力温存のためにC1で泊まり、翌日にチベット側のABCと同じ標高のC2(6400m)に入った。
C2に入ると今まで見たことのない光景が広がっていた。
まるで下のベースキャンプと変わらないテントの数々、中には食堂テントにイスまでつき、ローツェ・フェイスには数珠繋ぎになる人の列が見えていた。
だが、エベレストは誰のものではない。
公募隊の何人かに話かけられたが皆「夢」があり、それぞれのストーリーがある。本当に素晴らしいと思っていた。
ICI隊・AG隊・その他日本人が多かったからなぁ・・・
中には借金して来ている人もいたが、自分も今回冒険の共有するために700万と300万合計1000万の借金をしている。
信者の寄付では足らなかった様子・・・頑張れ〝信者〟
登山の費用は自分で用意できるが、登山とは全く違う冒険の共有をするために不足分は借り入れしてでも必ず行なう。
バカにされることもあるが、僕には全てをかけられる夢がある。
挑戦する人の分だけそれぞれのエベレストがあるし、スタイルや哲学がある。(爆笑)
自然と個人が向き合うチャレンジに誰かがとやかく言う権利は無い。
FBでかなり叩かれたので・・・・そう言う発言。
C2で無線で最新の天気予報を入手する。
24日の登頂を目指していたが、23日西風が最も強く25日が最も弱くなる。
西稜は西風の影響を受けやすい。
25日の登頂。そこに標準を合わせて、23日にC2を出発することにした。
朝、C2から一人西稜に向かっていく。
ザック、ザックとアイゼンの爪を食い込ませていく。時折、スノーシャワーが降り注ぐ。
傾斜はきつくはないが、時々ブルーアイスが出てきた。
雪が張り付いているかなとグローブで触ると厚さ3センチほどの雪が張りついているだけ。
ピッケルを一回、二回、三回とようやく三回目できまり、足を上げていく。
結局、稜線手前の傾斜緩くなるところまで、カリカリの氷を登っていった。
稜線手前にはバリバリのアイスバーンの斜面もあり、岩のテラスにテントを張ることにした。
今回、新しく入手したテントは500gの最軽量。
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ヘリティジ社(山用品専門店カモシカ社長の兄弟会社)が、
6月発売の新製品を使ったらしい・・・500gはホラでカタログには600gと・・・
軽量化のため通常のテント生地糸の半分の強度よりなし。

今夜はこのテントで一夜を過ごす。寝袋は300g(+8℃まで)の普通なら寒くて耐えられないが、重ね着の着方と呼吸法でそれでも充分耐えられるようになっていた。
300gの寝袋だと、中の羽毛は100g程度。夏のキャンプ用程度のお粗末な物・・・
ただ、C3に到着前に気になることが一つあった。
それは妙な吐き気だった。若干もある。
高山病かなと思っていたが、順応はすでにできるし、体内酸素濃度はこの7100m以上で80もある。無酸素で挑戦できる数字だ。
頭痛もなく、ただ胃がムカムカとしていた。
吐き気・微熱・ムカムカ感は、明らかな高山病(高度障害)の症状です。
血中酸素濃度が80と言ってるが、栗城位の年齢なら98~85が正常です。
夜、そばがきとシリアル、プロテインを混ぜた少量の食事を取り、就寝。
しかし、風が強くポールがグニャグニャと左右に揺れ、時折下から突き上げる風がまるで地震ように左右に揺れていた。
何度か強風でテントポールが折れた経験のある僕はこの場合はどうするか。
一休さんになるしかない。。
「気にしない。気にしない。一休み、一休み」と極薄の寝袋に包まっていた。
朝、まだ風は強かったがテントは無事だった。
吐き気は収まらず、食べていたら吐くのはわかっていた
水分を取り、様子を見るために出発の時間を遅らせる。
午前11時にC3を出発する。高所で標高を上げて体調が良くなることはない。一旦下りて体調を戻すしかないと思いながらも。一歩一歩ゆっくり上がりながら体調を見極めていた。
そして、また嘔吐。。
僕は体調を戻すために一旦下山することを決めた。
ゴラクシェップにて2日間の休養を取り、吐き気と熱は収まったが、もう一日休養が欲しかった。
期高度順応の失敗だと、何回も言ってる(理由は下記参照)
しかし、週間予報では30日から31日が登頂に適しており、しかも25日の予報より風が弱い。
ここしかない。再びC2を目指していく。ダラダラ歩く動画がここです・・・
精神的に追い込まれてきたのか、集中しているのか、口数が少なくなる。
C2に向かう時に他の登山隊から「クリキ!」「オー!ジャパニーズ!」と声をかけられるが一言答えるだけであまり深く話そうとはしなかった。
ただ、これまで道中で出会った一人一人が無事に登れたか気になっていた。
あの日本人登れたかな?ラルフさん、行けたかな? ネパール側ではすでに5人亡くなっており、みんなの無事を祈っていた。
やはり全てをかけてきている以上全員に来て良かったなと思ってもらいたい。
C2に着いた時にほとんどの登山隊の撤収が始まっていた。
順応に失敗し、ウロウロしてる間に、皆さん登頂です~~
どうやら最後の一人になったようだ。
元々、山を感じるために単独一人の登山を好んできた。
あとはこのまま天候が安定すれば。。
ネット公開天気予報では、徐々に悪くなる予報なのに・・・
出発は29日の3時にC2を出発し、C3で数時間休養をしたらそのままホーンバインの入り口手前でビバーク。深夜に山頂を目指すという短いスパンでの登頂を目指すことにした。
雪は深くない。充分いける。
そして、その日の夕方。水を作りながらプモリ中継キャンプの魚住さんから定時の天気予報を無線で聞く。
「そのまま読み上げます。ベンガル湾からサイクロンが。。」
その言葉を聞いた時に一瞬まるで8000mに飛ばされたかのような苦しさで呼吸が止まった。
だが、落ち着いて最後まで聞くしかない。天気は自分の力で変えることはできない。
僕は素直に従うしかないのだ。
「ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト周辺は悪天候の周期に。29日は西稜向かうのも難しい雪が降る」お世話になっている山岳気象予報の猪熊さんからのメッセージだった。
確かに雲が湧いて来てる。
エベレストの無酸素登頂の成功のカギは最後は天候である。
ただでさえ、無酸素は有酸素に比べて身体が冷える。そこに風が加われば体感温度は低くなり、凍傷にもなりやすい。
そして、僕のようにラッセル(新雪をかき分けて進む)ルートは雪の取り付き方で登頂の可能性は全く変わる。
ラッセルルートとは初耳です、西稜は風の影響が・・と
風の当たる処がラッセルとは、初めて聞きました、流石エベレストです。
普通雪は、風裏に溜まるものですが・・・
魚住さんから2回3回と予報を読み上げてもらい冷静に考えていた。
この天候は有酸素でも向かう人は誰もいない。
涙が止まらなくなってきた。
最後の最後に。。
涙の理由は決して悔しいからだけではなかった。
30半ばの男が泣いてどーする、己の不甲斐なさにか? 泣く暇有ったら、死ぬ気で遣れ。
実はC2に向かう時に一つの問題があった。
元々、ネパール側に移る時にエージェントから6月7日まで登山は大丈夫と聞いていたし、他の日本人スタッフも確認していた。通信担当の魚住も聞いた???・・・
しかし、それは間違っており、29日までに下山しなくては行けないと話を聞いた。
またチベット側では西稜から出てくる栗城を捉えるために日本人一人とネパール人スタッフがずっと待ち続けてくれていた。
チベット側は6月中旬まで許可が取れているだが、ほとんどの登山隊が撤収を開始しているためお前らもそろそろ帰れと強制的に荷下げようのヤクを送り込んで来ていた。
そんな中、ネパール側とチベット側で「もうすぐ栗城が登るんです!」と必死の交渉が行われ、日本からも嘆願が行われていた。
そして、ネパール側は6月1日まで伸ばしてくれたのである。
何だいつも雑な登山期間の設定・・・アンナ南壁でも・去年の秋もだよ、
チンタラ遣ってるからケッが詰まる、登山行程表書いて・予備日入れて、
登山計画の基本中の基本だぞ!!!!!
それを知っていた僕はこの天候を聞き、申し訳なく、無線で中継スタッフに「本当にありがとう」と涙をためながら断念することを伝えた。
これが山か。。
最後はサイクロンという以外なヤツが幕を下ろさせた。
翌日、僕は一睡もできず様々な想いが巡っていた。もし天候が良くても完璧な体調でないまま向かえたのだろうか。 あの時に吐き気がもしなかったら。。一つ一つを振り返り、紐解いでいた。
29日午前10時、多少はサイクロンの影響が弱いかもしれない。晴れはしないが風は弱いと無線があり、すでにホーンバイン・クーロワールに向かう時間はもう無いが通常ルートならギリギリまだ間に合うじゃないか。僕は通常ルートからの登頂を目指そうとしていた。
予報では既に天候が降り傾向、北壁が登れ無いと諦め西稜を目指し、
西稜からも無理とノーマルルートへ転進・・・節操が無いぞ!!!
だが、身体に力が入らない。やっぱり自分は「感じる」登山がしたい。
「お前、素直なやつだな」
この踏み固められたルートは僕には無理だった。
C2からC3へのルートは、何百人も通ったルート、歩き易いはずだぞ。
氷化した北壁は登れ無い・ラッセルが有れば登れ無い、
踏み固められたルートも登れ無い・・・何処なら登れる???
雪がパラパラと降り始める。
そして、最後に無線で中継を行い、そのままの現状と支えてくれた人達への感謝を伝えた後、大雪の中、ゴラクシェップに向けて下りていった。

これの(赤字部分が栗城の大嘘である。
↓は、エベレストに登頂した五味和史氏のブログ
この中で氏は、29日にBCを去る様子を書いてますし、
最後のBC周辺の景色画像も添付しています。
栗城は、大雪と言ってるが、現地はヘリが飛ぶ良い天気です。
大雪の中、ゴラクシェップに向けて下りていった。と言ってるが、
そこにはBCを通らないと往けない・・・栗城は大雪と言い、
BCでヘリ待ちの五味氏は、晴れてると言ってる。

何故こんな嘘を・・・栗城の全てが信用出来ませんね・・・・

「最後に」
今回、あの体調不良は何だったのか。
下山後に知り合いのお医者さんに相談したところアレルギーじゃないかと言われました。確かに吐き気と熱、そして、湿疹が身体にできていた。アルコールは口にしないし、普通の人以上に食べ物に気をつけていましたが、一番重要な時に。。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ただ、それ以外の体内酸素濃度が昔より高く、今回、荷物も食料も最軽量にしても充分寒さも耐えられました。それは今まで秋の条件が悪い時に挑み続けた中で身につけてきたものがあるからです。
そして、皆さんにお伝えしたいことがあります。
「自分の中にあるクレイジーを大切にして下さい」
今回、様々な登山隊のシェルパや外国人から「クレイジー・ジャパニーズ!」「がんばってください」とたくさん応援してもらいました。
「通常」や「普通」、「一般的」などと違うことをしようとすると理解されることは難しく、失敗すれば馬鹿にもされます。
一度や二度の失敗は、誰も馬鹿にはしない・・・
何の反省や努力もせず、7回も馬鹿を繰り返すから言われるのだ・・・
正しいこと言うとする人もいるけど、実際に自分はやったことはなく、言えば言うほど「お前つまんねぇな」(赤塚不二夫)です。
元々、山はクレイジーな世界です。
普通よりちょっとクレイジーな方がやっぱり面白いし、そして、その「クレイジー」は僕だけでなく、多くの人が持っています。
人と違う価値観やチャレンジを「つまんねぇな」の声にかき消されることなく、いつまでも大切に素直に生きていきたい。
つまり、来年もやる!ということです。
本当に応援ありがとうございました。
※9月はフランスで訓練です。


下山早々に訓練ですか?  氷や岩に対処出来ない実力だった事が、
今頃に為ってやっと判ったのでしょうか・・・
言葉の通じないアルプスで一週間位い訓練するより、
日本には槍・穂高・谷川などの良い壁・リッジが沢山有るのに・・・
この山の一般ルートからも登った事はないよねぇ~栗城。
皆そこで訓練して、8千mを目指してるのにねぇ~

訓練は、ガイドの江本が同行すると予測するが・・・さて、どーなるか???
来年もやる! ようなので、その訓練の成果が楽しみです。



栗城は6月4日に「NO CRAZY, NO MOUNTAIN.」と題し、敗退宣言を発表。

〝下山家 栗城劇場〟が終わり、五味和史氏のブログを読んでいて・・・・
「????」と、思い・・・・改めて下山家のブログを読み直すと・・・「?????」

その中から5月29日の様子を抜粋しました。(黒字は栗城ブログより)

29日午前10時、多少はサイクロンの影響が弱いかもしれない。晴れはしないが風は弱いと無線があり、すでにホーンバイン・クーロワールに向かう時間はもう無いが通常ルートならギリギリまだ間に合うじゃないか。僕は通常ルートからの登頂を目指そうとしていた。
だが、身体に力が入らない。やっぱり自分は「感じる」登山がしたい。
「お前、素直なやつだな」
この踏み固められたルートは僕には無理だった。
雪がパラパラと降り始めるそして、最後に無線で中継を行い、そのままの現状と支えてくれた人達への感謝を伝えた後、大雪の中、ゴラクシェップに向けて下りていった。

この文面通りの、大雪の天候だったのかと思っていましたが、
エベレストに登頂し、5月29日にBCからヘリで帰った、
五味和史氏のブログを読み直して愕然と・・・・


五味氏のブログより抜粋
ヘリが来るまでここで待機するよう言われ、
朝から素晴らしくいい天気に恵まれていたので、
その景色を目に焼き付けるようにボンヤリと眺めていた。
(中略)                    五味氏が撮ったエベレストBCの画像(ド晴れで雪は降って無し)
イメージ 1
ヘリポートへ住み着いた犬が気になったが、
みんなでノンビリとヘリが来るまで待っていた。
なんだか晴天の中、待っている間が清々しく気持ちよかった。
AM10時頃に自分達が乗る飛行機がやってきた。
(中略)
BCの空からの景色は、ヘリで良かったと思ったくらい山々が美しく、
トレッキングルートを下にみながらペリチェへ一気に向かって降りて行った。
朝から10時過ぎにヘリに乗るまで、素晴らしくいい天気と言ってます。
BC周辺の山々の写真も添付されてます。
栗城が居た処だけに、大雪が降ったのでしょうねぇ・・・・

栗城の話と五味氏のブログ、どちらが本当でしょうか?????
笑う気にもなれませんね・・・痛いよ!栗城・・・

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