5月  9日
BCで停滞と思ってたが、夜の更新でヘリに乗り、ルクラの病院へ。 
昨日は更新無し 高熱の後には、〝咳〟をアピール・・・
咳に〝痰〟が混じる様になると【高所肺水腫】の疑い有り。
 帰れ栗城、死ぬぞ!!


他隊情報

平岡隊 ノース・コル・C1(7000m)へ順応に往った時の画像です。↓
エベレスト北稜・北壁の様子が綺麗に映ってます。
過去 栗城が単独で登れずに、シェルパに工作して貰ったノース・コルへの斜面。
ノース・コルの様子、コルからC2・C3へと続く北稜の様子。
見た感じ北稜は昨年よりも雪が付いて登り易そうです。
撮影班のプロが居なくても、綺麗に編集出来てますねぇ~~


平岡隊 チベットBCでの、今回の悪天候の動画を公開↓
動画を見ると、晴天なれど強風の様子です。
明日 BCから上部Cへ出発するそうです。
この悪天候が治まった時が、アタック日の様です。

この先17日までの、エベレスト山頂付近の天気予報です。
延べ6日掛けてCを進めますから、16日の風が治まる日に頂へアタックと決めたのでしょう。
第一次アタックが上手く往くかみものです。日程にはまだ余裕が有るので、2次も可能。
イメージ 1


21時半過ぎに、栗城が更新しました。
今回、キャンプ2(6400m)に上がる前から咳が止まりません。
今、ベースキャンプでは咳が蔓延しています。
高所に行くと乾燥しているので以前から咳が出やすいですが、今回は朝も夜も全く収まらないので、ベースキャンプからルクラに向かうヘリに乗せてもらい、一応病院に行ってきました。
肺に異常はありませんでした。安心。
ベースキャンプに戻り、再び登り始めます。
高所順応して、その後本番のアタックを開始します。
いるだけでも辛い。久しぶりに高所(低酸素)の世界に来たのを感じます。

C2(6400m)からBC(5300m)に戻っても、辛いとは・・・
初期順応の失敗が原因です。
①キャラバン中に、ナムチェで1日順応停滞日を取らずに、
 ぺリチェまでの連日行動が原因の一つ目。結果BC入りが遅れた。
②BCからの順応でC1で泊まる事無く、C2に往き2泊した事が二つ目。
 6400mの高所に2泊した事で、体力消耗⇔咳は更に悪化。

もし小生なら・・・
ナムチェで1日休養(順応を兼ねて)。どの隊も必ず、ここでの休養は取る。
BCからの順応は、①BCからC1に上がり、BCに戻る。(6千mを体感させる)
          休養後
         ②BCからC2に上がり、1泊し・C1にも1泊して帰る。
          又は、C1(泊)→C2(泊)→BCへ

栗城の場合〝無酸素〟が売りなので、更に7300~7500mでの順応が必要。
これを確実にしないと、エベレストもローッエも無酸素は無理。
その順応は、BC→C2(泊)→7500m(泊)でBCへ。(帰路は途中泊でもOK)
登りで途中停滞する事なく行動出来て、頂が見えてくる。
しかしその先には、まだ1000mの登りが有るのだ・・・

AG・平岡隊は〝有酸素〟登山なのですが、
6000~7000mを体感し順応しておく必要が有ります。
本番は酸素を吸いながらですが(毎分2L程度)なので、
常に6千mに居る息苦しさで行動する事になります。


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5月10日 所在不明

他隊情報
平岡隊 FB更新

13日にキャンプ1 7050m
14日にキャンプ2 7600m
15日にキャンプ3 8300m
16日にエベレスト8848mの頂上を目指す計画です。
悪天候でネパール側は 動きが取れずに停滞中、いい話が有ったので紹介です。


野口健 ツィッターより (黒字は野口 青字は私見)
突然 エベレストBCに現われた野口ですが、アイランド・ピークの登頂が主と思ってましたが、ネ国に来た目的は別だった様です。

カトマンズで休養したのちマナスル山麓のサマ村へ移動。3年前からスタートした「ヒマラヤに森を作ろうプロジェクト」。三年間育ててきた苗木がいよいよ巣立ちの時を迎えようとしています!その記念すべき第一回目の植樹祭です。標高約3600mでの森林再生プロジェクトは僕らにとってもチャレンジ

マ村はマナスル街道の最後の村です。マナスル峰は日本隊が初登頂した山です。
当時 神の住む山として崇められてて、村人から大反対された山です。
日本隊は4度目の挑戦で、槇有恒隊長のもと3名が登頂。
野口が生まれる二昔も前の話です・・・

3年前からサマ村周辺で種の採取を始め、ここまで育ちました。今年はマツ、モミ、チシンの3種類を述べ3種類。今年は3,000本を植樹。来年は15,000本、再来年は17000本。これから3年間で3万本を植えます。一番の心配ごとはヤク!ヤクに苗木を食べられないようにしなければかりません。



イメージ 2

イメージ 3


ネパールでは、嘗て炊飯・暖房用に、木を伐採した為に丸裸の山が多い・・・
伐採後に植林をするという習慣も無かったのです・・・
野口が率先して、緑化をしてるとは思いませんでした。頭が下がる思いです。
サマ村の村人も野口の行為に喜んでる事と思います。

後日掲載された 毎日新聞の記事
イメージ 18


栗城FBを更新
皆さん、こんばんは。ベースキャンプに戻ったので、明日からまた登り始めます
ルクラの病院に行って、咳は少しましになりました。
SpO2(血中酸素濃度)は高いですし、落ち着いて登っていきます。
明日から中継班はエベレストの向かい側にあるプモリの山に向かい、栗城が登るところを撮影するカメラマンは撮影キャンプに向かい栗城は別途一人でキャンプ2(6400m)に向かいます。(抜粋)
ハシゴ外れの動画が添付されてたが、割れ目幅に対してハシコ゛短過ぎ。
直列で2本繫ぐか? 物が不足して1本なら4隅を45度で固定、シェルパの雑仕事だ。
手持ちFIXのWは、こんな時の為に正解、セルフビレーの大事さも判る動画。



この動画見てAG隊の渡り方を見ると・・・
イメージ 7
AG隊のハシゴ通過シーン

これ位のハシゴ長が有れば、4隅固定の必要は無いが、
固定した方がより安全(青印のように)。
渡り先に居る者の向きが逆、渡る相手の動きを見る
右側のFIXからビレー(赤印)を取ってるが、
FIXの固定の仕方は画像の通り(赤印)。
転倒のショックでピンが抜けたり・結び目が解けたりしたら、
セルフ・ビレーの意味無し・・・スッポ抜け転落。
お助けザイルを使い、後ろに立った暇そうな奴が確保すべき
(2重の安全を確保し、客を危険に晒さないのがガイドの役目)
〝国際山岳ガイドと言っても、この程度のレベル。安全策への配慮不足。
仏国立スキー・登山学校卒の江本ガイドなら、このシーンどうするだろうか?


栗城がBC入りしてから2週間、BCより上で行動したのは2日間のみ。
あとの日は、咳が・・・、喉が・・・で、停滞の日々、
この後恒例の、腰が・・・が、出れば5月末の期限を迎えます・・・

他隊情報
中山岳史 国際隊が更新
4000m以下で3日間のレスト(移動に往復5日)を経てベースキャンプに戻ってきました!血液はどうか分かりませんが、寒さと乾燥でやられた喉は回復。
一方、カトマンズに戻っていたヴォイテックは肺浮腫のためリタイア。エベレストチームのシェルパ予定だったノルブが高山病のためリタイア。
【サミットプッシュ予定】...
13日早朝 Basecamp→Camp2(6700m)
14日 Camp2でレスト
15日 Camp3(7300m)
16日 Camp4(7900m)
17日 Summit(8848m)


AG隊 ナムチェからヘリで、朝にBCに戻る。


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5月11日 BCで停滞              

今日から登山を開始と言った栗城ですが、現地時間10時を過ぎても動き無し
ダラダラの今回の計画を再度見直します。
これが4月13日に公式HPに掲載された計画です
しかし翌日に、何故か全文削除されました。

今回は順応の為に、ローッェに登りBCで休養して、
エベレストに登ると言う大プラン。しかも単独・無酸素で・・(笑)

今の状態では、全てが危うい・・・春のシーズンは残り20日・・・



他隊情報
倉岡隊
登頂予定は、17or18日です!
11日:BC → 中間キャンプ
12日:中間キャンプ → ABC
13日:ABC
14日:ABC → C1
15日:C1 → C2
16日:C2 → C3
17日:C3 → 登頂(日本時間 朝8時頃を予定)


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5月12日

城がFBを更新しました。(黒字はFB 青字は私見)
皆さん、こんばんは。今朝ベースキャンプを出発して、
無事にキャンプ2(6400m)に到着しました。
昨日は強風で上がれませんでしたが、
今日から高所順応で上部を目指します。
咳もおさまって、とても集中できています。
数日後にベースキャンプに戻ってから、栗城カメラの映像も楽しみにしていてください。

添付動画を見て驚き!!!!!
イメージ 5

BCからC2へ向かって出発する、栗城の後ろ姿です。
18L~25L程度のザックに、ストック1本、思わずえぇぇぇぇ・・・です。
動画の中で、「一回目の時に、食料などは全部荷上げして来たと・・・」
また、「7000m後半に登って来ると・・・」

では、一回目(5月5日)には、どれ位の荷を上げたのでしょうか?????
これが5月5日にBC出発の画像。同じサイズのザックに見えるが・・・

イメージ 6


最低限 テント・寝袋・食料・炊飯具等がザックに収まってなければ
C2で生活出来ません・・・たぶんドラエモン・ポケットが有るのでしょう~
ここまで共有されると、笑ってしまいますよ~~栗城 !!!!

エベレスト山頂付近の天気予報です。
15日・16日・17日・18日は風も弱く、体感気温も-30℃程度です。
絶好の第一次チャンス、登頂者が続出するでしょう。
19日からは風が出る模様、この4日間を逃すと二次チャンスはいつか・・・
イメージ 4

チベット側の平岡隊倉岡隊ネパ側の中山岳史の国際隊は、
この期間に合わせて登頂計画を発表してます。


他隊情報
AG隊 登頂スケジュール
16日 BC→C2、
17日 C2→C3、
18日 C3→C4、
19日 C4 休養、
20日 C4→エベレスト アタック→C4、
21日 C4→ローツェ アタック→C2、
22日 C2→BC 

栗城は、7000m越えの順応すら出来てない、
これでは一次チャンスの参加は無理!!!!!


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5月13日 C2で停滞 栗城は過去、高所で2日続けて行動した例無し。

他隊情報
中山岳史 国際隊FBより
風の影響で出発が延び、14日早朝に出発して18日登頂に予定変更になりました。
暇なのでBCで手頃な岩を見つけて、ボルダリングで遊ぶ中山氏。
イメージ 8

AG隊 全員でカラパタールの丘に散歩に出る。


栗城ブログ更新  22:11 何とこの時間にです。
皆さん、こんばんは。今、キャンプ2にいますが咳も止まって体調は良いです。
ネパール時間の夜9時(日本真夜中)から、7000mまで登ります。
中継班は今エベレストの向かい側にいるプモリにいて、もしかすると中継テストをするかもしれません。

BCを出る時は、7000m後半と言ってたが、7000mに変更です・・・
夜景画像を添付してます。この景色はC2なのでしょうか????  
イメージ 9

何を考えて、この時間からの行動か判りません。
夜間の行動は通常しないのが常識、例外としては日中の雪崩を回避する目的の場合。
C2から7000mへのルートは、各隊が日中に通る場所。雪崩リスクは殆んど無し。
これから7000mまで登るとは、登ってC3を造るのか? C2にまた戻るのか?
体調は良いと言うのに、ヒドン・クレバスに嵌る率の高い夜間行動とは・・・
なぜ昼に動かない・・・疑問だらけです肝心のSpotも作動してません・・・
C2付近は、他隊の目も有り、 夜陰に紛れての隠密行動でしょうか?


下の画像は、AG隊がプモリBCから撮った物で13日に公開。

モレーン上に、エベレストBCのテント群が写ってます。

イメージ 10

撮影場所は違えども、背景の山並みはほとんど同一です。
C2に居ると言いながら、C2周辺の画像でなく、他での画像を添付する意図は・・・・何。


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5月14日 C2→7000mへ→BC

昨夜の深夜にC2から、7000mに登ると言った栗城が、今朝のSpotを見ると、
7000m付近をウロツイテます。行動中は電源をOFにし、7千mでONにした模様。
イメージ 11

何を考えて、深夜の行動かは判りません・・・
各隊が通ったトレールが有るし、要所にはFIXもセットされてるので、
夜中の行動でも何とか為ったとは思うが・・・

7000mから先に進んでいる様です、C 3(7300m)を目指してるのか・・・
途中からC2へ戻るとしたら、今日辺りは下から登頂を目指す各隊が、
ゾロゾロ登って来るはず・・・1本のFIXでの交差は迷惑な話し。
全員からガン視されます・・・・


12時 追記 
日本時間で、6時~10時(現地時間-3:15)の4時間に、
7200m未満~6900mの間をウロついて、10時過ぎにはC2へ下山開始。
ウロついた訳は、中継テストかも。また例年の如く、中継は失敗かなぁ~

17時 追記
Spotの動きから、C2を通過しBCに向かってます。

19時 追記
Spotの動きから、6時23分(現地時間15時過ぎ)BCに着いた模様。
これで、7000mでの順応が出来たと、言うか? 夜の更新が見ものです。


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5月15日 
BCで停滞 昨日の様子の更新もなし・・・
      7000mに登って、〝冒険の共有〟が出来ぬほど疲れ果たか!!!!
      それとも、高山病の症状が、又出たか・・・・
      〝山〟諦めて、降りた方がいいぞ、栗城。

他隊情報
AG隊 計画変更。BC発を1日早くして、C2で休養日を設ける。
     理由は私見だが、調子が良くない2名に配慮し、C2から酸素使用。

AG隊 当初登頂スケジュール      変更計画
16日 BC→C2、            15日  BC→C2
17日 C2→C3、             16日  C2休養(BC→C2間の距離が大)
18日 C3→C4、             17日  C2→C3
19日 C4 休養、             18日  C3→C4
20日 C4→エベレスト アタック→C4、       19日  C4休養
21日 C4→ローツェ アタック→C2、      20日  C4→エベレスト アタック→C4
22日 C2→BC                21日  C4→ローッエ アタック→C2
                    22日  C2→BC
AG隊 東京事務所
さきほど日本時間12:03に、けんけん隊長のネパール携帯から電話がありました。
アイスフォールからです。
いよいよ、エベレスト山頂に向けて、サミットプッシュ開始しました!
ブログで発表していた予定を少し変更し、
本日朝3:30起床、5:30に全員でエベレストBCを出発!
泡爺とサオリはC1までプラチリと、
ほかの青年男子3人(タムタム、かっつん、ひろ君)はけんけん隊長とC2まで入ります。
起床時は雪がちらついていましたが、出発時には止んで晴天。
積雲は標高6,000m付近に少しある程度。
風はなく稜線にも雪煙はほとんどないようです。


この先23日までの、エベレスト山頂の天気予報です。(拡大してご覧下さい)

チベット側の平岡隊は、明日16日登頂予定倉岡隊は、17日登頂予定
ネパ側の中山岳史・国際隊17日登頂予定
AG隊は、エベレスト20日、ローッエ21日登頂予定。
     ◆ローッエ  アタックの日の風が気懸かり・・・
イメージ 12

この予報では、各隊余程の事が無い限り、登頂間違いなしです。

この好天に、栗城はBCで貝になってます。
各隊の登頂の嵐が治まるまで・・・そして雨期を迎える、いつものパターン。


栗城は気象予報士の猪熊から、他隊同様の気象情報を買ってるはずなのに、
それに合わせて順応出来ない、段取りの悪さ・体力の無さが、出遅れる原因。


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5月16日  BCで停滞
14日にBCへ降りて以来更新が無く、栗城は〝死んだフリ作戦〟の様です。
更新が無いので、14日未明からの軌跡を検証して見ます。
イメージ 13
C2を真夜中出発し、最高到達点は7200m手前。
ネパール時間の夜9時(日本真夜中)から、7000mまで登ります。と、言ってた。
最高到達点到着が、現地時間の朝5時です。
標高差約800mを、8時間で登った事になります。
栗城にしては、頑張ったと思う・・・


画像と地形図を見比べると・・・
ピストル岩(稜)※の末端、約200mの位置辺り()まで登った様です。

しかし、山頂までは残り1650mも有ります・・・

イメージ 15
※ピストル岩(稜)とは、
岩稜の形がピストルに似てるので、50年ほど前は皆そう呼んでました。
今は何と呼ぶか判らないが、山岳部時代の机上研究では文献にも表示が有りました。



秘密のルートと言ってたが、
南東稜も登れなかったのに(過去サウス・コル着も嘘くさい)、まさか南稜か?
これなら確かに秘密のルートですが・・・栗城には無理・無理。
南峰に突き上げる岩稜、等高線の混み具合が南東稜の比では有りません・・・
栗城の発表がないので、色々想いを巡らせてしまいます~~(憶測)
イメージ 14


サウス・コルから見た、南稜。 これが〝秘密りルート〟?  栗には無理・無理。
愛知学院大OB隊が初登攀して以来、日本人の再登なし・・・ 
南東稜から山頂へは登山だが南稜はピッケルを駆使した登攀です。イメージ 16


20:48 栗城ブログ・FB更新
無事に標高7300mまでの順応終えて下山してきました。
もう少し上まで上がる予定でしたが、悪天候でキリの良い場所でやめました。
7300m地点から、今回トライするルートも確認できました。
(ルートに関してはアタック直前に発表します。それだけ慎重にやってます。)
やはり7000mを越えると、違う世界です。
何度もこの標高は経験していても、やはり緊張する標高でした。
ちなみに下山後に動画をアップする予定でしたが、中継班の電力などの問題があって更新できませんでした。すいません!バッテリーの予備が無いのが、栗城流~~
ベースキャンプからは山頂は見えないため、プモリというエベレストから反対側の山に中継班が移動して、最後のアタックの中継を行います。これ一回で終わり???
登頂日は21日を予定してます。(18日にBCを出発するとか・・・)
今は本当に心静かにして、全てを注ぐ準備してます。

7300mだそうで、Spot数値に100m上乗せ。ここまで来ればオマケです。
今回トライするルートも確認できました。目の前がエベレスト南稜ですが・・・
ローッエだとしたら、既存のルートより無し・・・
計画は、下記のようですが・・・過去の例からして、連続で行動が出来るの????
18日 BC→C2
19日 C2→C3
20日 C3→C4 南稜登るとしたら、サウス・コルの平地は使えません・・・
            テントを張れるスペースが有るのか??? 
21日 C4→登頂  登頂と言っても、エベレストか? ローッエが? 判りませんね。


たぶん、この計画は失敗します。
4日間連続での行動は、栗城には無理!!!!!
C3の先でギブアップ・・・

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5月17日  BCで停滞
エベレスト山頂の天気予報
栗城が登ると言う、21日から3日間は、吹雪き模様・・・
熱が・・・喉が・・・咳が・・・と言ってた結果、順応が遅れ機会を逃す。
イメージ 17


他隊情報
AG隊 昨日(16日)の日本時間 12:56(現地時間 9:56)に、
標高6500mに到着以来、本日(17日)の動き無し。
今日は。C2→C3へ上がる予定。天候が悪いのか? 故障者が居るのか?

AG隊飯田橋留守番隊 13時更新
連絡がなく、どうしたものかと心配しておりましたが、本日、日本時間01:03にけんけん隊長、衛星電話からの連絡ありました。
15日はサオリも一緒に青年チームとC2まで入り、泡爺は予定通りC1ステイ。降雪もあり大変な中、21時頃C2に到着したそうです。そりゃみんな疲労困憊だし「恐ろしい」寒さだったらしく、夕食も食べずに就寝。それで連絡できなかったそうです・・
C4までの荷揚げが天候理由で捗っていなかったので、21時に到着したにもかかわらず、チェパたちは夜中の1時に起きて荷揚げ開始。本当に彼らあっての遠征隊なのです。
シェルパによるC4までの設営・荷上げが済んでから、隊が行動を起すのが、
商業登山では一般的な方法です。晴れ日程に合わせる為に、多少無理してるのか?
同時並行で行動するから、荷上げ優先になり、飯炊きをする始末。
ローッエ・フェイスでは、客とシェルパが一組で行動しないと、
ユマール架け替え時のミス発生の元。高所で判断力欠如によりポカが発生し易い。
16日はネパールスタッフは荷揚げに行ってしまうし、プラチリは泡爺と一緒だし・・・・ということで、昨日のランチまではけんけん隊長がキッチンボーイを兼任!「朝からすげーたくさん水作ったよ!!」と、ご苦労様です。ランチが終わる14時頃にプラチリと泡爺がC2到着。全員揃いました!
午後は雪が降りましたが夕方にはやみ、しっかりレストできたようです。
そんな中、上部キャンプに荷揚げに行ったチェパたちがなかなか戻らず、現地時間21時ごろC2に無事戻ってきたのです。そんなこともあり、こちらへの連絡もなかなか出来なかったのかもしれません。プチアクシデントはちょいちょいあるものの、みんな元気に上がれているのは嬉しいですね。(中略)
そして最後になりましたが、悲報です。
この春のエベレストで一人目の死者が出てしまいました。AG隊でも時々お世話になっていたネパール人のランパブさんです。14日にエベレストに登頂した中国人をサポートしていました。その時にランパブさんご自身の酸素が無くなり、けんけん隊長の言葉を借りると「頭がおかしくなったみたい」で、帽子とザックが残されていたそうです。まさにデス・ゾーンです・・・
謹んで心よりご冥福をお祈り申し上げます。
隊員には、今は山頂を踏んでいるいいイメージだけを描いて、集中力切らさず上を目指して欲しいです。そして、隊員、ネパール人スタッフ含め全員が無事下山することしか願えません。皆様、引き続き応援よろしくお願い致します。


※ 今日 現地時間 11:49 から動き出し、12:54 現在 6565m付近を登山中。
※ 現地時間22時頃(日本時間19時頃)、C3(7400m)に到着。

平岡隊
只今、ベース・キャンプ5150mに戻りました。
残念ながら、5月15日に8000m付近にて、Iさんの体調が悪化し、下山しました
前夜キャンプ2 7750mにて風が強く眠れない夜を過ごしました。
原因はこれだけでは無いですが、一因になったと思います。
今は、復調されてトンカツを頬張っています。
今日も、エベレストは、見事な夕焼けです。
再アタックが有るのか気になりますが、商業登山は通常ワンチャンス・・・


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ここまで記述して、????と思った事が有ります。
栗城は、ローッエに登り・BCに降りて・エベレストに登ると言ってました。

5月16日のブログ・FBの更新で、7300mでの順応を終えたと・・・そして、
トライするルートも確認したと。登頂日程まで発表しました。

栗城のペースに巻き込まれてました・・・
要は、ローッエ登頂の話しは、絵空事だったのでしょう・・・
武士に二言が無いとすればローッエは取り付く事すらせずに完敗です。
豪華2本立てドキュメントを観れると思ってたが、価値半値です・・・


栗城の日別の動きや、他隊の様子がひと目で見られます。