海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

カテゴリ: ◆◆山彦のヒマラヤ・極地・他雑談◆◆

ヒマラヤの高山植物
花の名前には興味が無いので、写真だけ。日本のものとは違うと思う・・・
竜胆も背丈が2cmほどで、すぐに花、一本に一輪のみ。
竜胆の一種 4500~5000mに咲いていた。
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3000~4000mに咲いていた。菊科のものが多いのか・・・
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右下の、綿毛トウヒレン 4500~5500m 保温の為に綿を冠っている。
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ヒマラヤ・クンブー地方の地形図1/5万の残りが、手に入った。
 
カトマンズ市内では、トレッカー用のヒマラヤ地図が、あちこちで売られている。
4~500円程度だが、アバウトで正確さに欠けます。
初回遠征時には概略が判れば・・・と思い購入。

しかし、氷河の位置や、山の尾根がいい加減でした・・・
国土地理院並みの地形図がないのか・・・探してました。
2回目の遠征の前に、政府発行の正確な地形図の存在を知り、
ヒマラヤ行きの知り合いに依頼し購入。

画像の 地形図がこれです。1/5万を3枚張り合わせしました、
ルクラ→ナムチェバザール→エベレスト街道のルート上
ナムチェの部分(左上)が、手に入りませんでした(在庫なし)。
 
この1/5万地形図は、ネパール政府がフィンランド政府に依頼し作成、
1992年に完成したもの。
ネパールでは一番正確な地形図です。
メラ登山の時には、ナムチェを通過しなかったので、用は足りましたが・・・
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色々調べたら、某大学研究室の資料に 1/5万が保管されてる事を知り、
問い合わせてみた処、コピーして貰える事に・・・イメージ 2
大型コピー機が無いとの事で、A3 6枚。   待ちに待った 地形図が届きました~~ 
慎重に張り合わせて・・・完成しました~~ 
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北緯・27度30分から28度00分  
東経・86度30分から87度00分 の範囲です。

先月14日に、
アンナプルナ山群で大雪・雪崩れで大規模遭難のニュースが流た。
 
ヒマラヤでガイドをしてる知人からメールが・・
なんと、ガイド業で行ってたとか・・・
6144m登頂を予定してたらしいのだが・・・この山↓
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10月14日の季節外れの大雪で足止めをくらい、断念したとか。
 
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普段は、積雪の無い標高4000mだが、デブリを越えて頑張ったらしいが・・・
 
約款には、天候異変等々記載が有るので、割引返金等しないのが通例。
ガイドは、損なくいいだろうが、客は堪ったものでは無い。
60万もの金を払い・長期の休みを取り・憧れの山だったず・・・
山麓散策などで、お茶を濁されては困る話だ。
 
70歳までには、カラコルム山脈のバルトロ氷河を遡り、
チョゴリザ・ブロードピーク・K2 等の巨峰を眺めたいものだ・・
しかし、パキスタンは飲酒禁止のお国柄・・・
ひと月も我慢出来るか考えてしまう・・・
 

70歳までには、カラコルム山脈を眺めたい・・・
 
世界第2位の K2 8611m   巨峰の中では最難度の山 
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ブロードピーク 8047m
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ガッシャーブルムⅠ~Ⅳ 8068m 
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ムスダークタワー 7273m
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チョゴリザ 7665m 京大山岳部初登頂。
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バルトロ氷河沿いに、名立たる峰々が林立している・・・・
 
旅費54.8万コース  ただ、歩くだけ・・・・
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旅費59.8万コース 更に奥地へ・・・
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旅費85.8万コース 600mの峠越えが有る。
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3コース共、約1ヶ月の行程。どれがいいのか金と体力で悩む・・・・
一生に一回なので、周回コースを選択したいが・・・
来年の夏は、土方バイトして体力強化・費用捻出か????

画像は、ヒマラヤ・クンブー地方にある、キャシャール峰6770mです。
 
2010年秋にメラ峰に登りましたが、
その時にコテ村を過ぎるとドーンと目に入る鋭峰。
 
谷沿いに 周り込むと・・・・
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こんな姿です(右の峰)。左の峰は、クスムカングル峰6367m。
山野井泰史氏が1998年に(当時33歳)、
東壁(この画像の正面の壁)から単独初登頂してます。
              キャシャール峰南ピラー↓         
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このキシャール峰のスカイライン(赤線)を、
2012年秋季に 日本人3名が6泊7日で初登攀し、ピオレドール賞を受賞。
馬目弘仁43歳
花谷泰広36歳(共に信大山岳部OB)
青木達哉28歳(東海大山岳部OB・K2最年少登頂者)
 
その様子の動画が下記に有りますから、御覧下さい。
アルパインスタイルでの岩壁・岩稜登攀は流石です。
 
 
山野井泰史氏が、成功したクスムカングル東壁単独初登攀も、
ピオレドール賞に該当する登攀と思うが・・・
残念なことに当時はまだこの賞が無かったのです・・・
 
 
タナン村で高度順応の為に一日滞在した時に、
この急峻なキャシャール峰を眺めて・・・
こんな急な山を登る奴が居るのかなぁ~ なんて思ってましたが、
当時未踏だったのですね。
2年後に日本人が初登攀してたとは・・・・
 
 

ヒマラヤのガイドをしてる知人からの情報です。

ネパールの首都カトマンズから、
北に40キロほどのランタン国立公園エリアの画像です。

ランタン谷は、高山植物が咲き乱れ、世界で一番美しい谷と言われて、
トレッキングのメッカでした・・・
日本人の多くが訪れ、人気のエリアだったのですが・・・
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地震で山塊が崩落し、全て土砂で埋め尽くされてます・・・
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施設の屋根は吹き飛ばされ、石で囲われた畑も土砂の下・・・
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ランタン谷の奥には、ランタンリルン峰7234mがあり、
大阪市立大の登山隊が1961年に初登頂に挑み、C3で雪崩に遭遇。
隊員2名とシェルパ1名(日本隊マナスル峰の初登頂時の登頂者)が亡くなった山。

その後、1978年に大阪市立大が再挑戦して、初登頂しました。

緑に囲まれ、高山植物が咲き乱れる姿は、今は有りません・・・
村も崩壊、トレッカー用のロッジも崩壊してます・・・

もはやこの地を訪れるトレッカーは無いでしょう・・・
この様な崩壊地区が、何百ヶ所も有ると言われてます。

高山植物が復活するまで何十年・・・トレッカーが訪れるまで、
村は復活しないでしょう・・・・

観光より資源の無い、ネパールには大打撃です。
1人のトレッカーが、ネパールで費やす金が、
10人の生活を支えてると言われてる国です・・・



2014年5月から、新規に解禁された峰が104座になりました。
そのリストが手に入りましたので、添付します。

従来、解禁されてた峰は、エベレスト以下326座でしたが・・・
同年5月21日付けのネパール政府発表によると、
326座中異名での重複や標高の低い峰16座を除外し、
新規に104座を解禁して登山可能な峰が414座になりました。

16座の除外リストです。
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新規に解禁された104座のリストです。
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2015年1月1日から登山料金が改定されました。
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今までは、隊の人数で料金が設定されてましたが、
今年から一人当たりの設定のようです。
国立公園への入園料は従来通りと思われます・・・
サガルマタ国立公園(エベレスト周辺)は、3930ルピー。
アンナプルナ国立公園は、2000ルピー。公園によって料金に差がある。
1ルピー=0.9~1.0円

これを見ると、厳しい冬期や雨期の料金が格安になってます。
雨期に4千m辺りまでの、高山植物見物ツァーの料金が下がるかも・・・
また、5800m未満の峰に登るのも料金が無料・許可不要とか・・・
国立公園への入園料のみの出費で済みます。

暇を見て、緯度・経度を頼りに、1/5万地形図で解禁峰を特定したいと思ってます。


追記 竹内洋岳氏が挑んだ、マランフラン峰が解禁リスト103番に載ってます。

   北米最高峰のマッキンリーが山名変更
   オバマ大統領が、デナリ(アラスカ原住民の呼称)に統一すると発表。


発注してた地図が届きました~

今年のカラコルム行きに備えて、
縮尺1/5万の地形図を探してたが、気に入った地図が無く・・・
辿り着いたのが、この二枚の地図です。
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価格は、輸入物なのでビックリ値ですが、致し方なし。
地図も持たずに、未知の領域に侵入は・・・



Karakoram Maps 縮尺1/20万 シート3 イングラント製 概念図

バルトロ氷河沿いの、ドランゴ岩峰群・マッシャーブルム山塊・K2・ブロードピーク
ガッシャーブルム山塊・バルトロ、サルトロカンリ・チョゴリザ等が・・・
更に、ゴッドウィンオースチン氷河から北の中国領の山域まで網羅されてます。

等高線は無く、主稜枝稜にピーク名と標高・パス名(峠)と標高・各氷河名が記載。
こんな形態です、氷河末端から源流部までの様子が一目で。
概略が飲み込めそうです~
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もうひとつの地図は、更に詳細な、
K2 and Baltoro Glacier  縮尺1/8万  ポーランド製 衛星写真地図

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2001年に、地球観測衛星 spot4(フランス・ベルギー・スゥェ-デン開発)と、
       地球観測衛星 Landsat 7 (NASA)が撮影した画像を基に、
ポーランドで作成された衛星写真地図です。

ヒマラヤ並みの、等高線入りの縮尺1/5万地形図 ↓ は、今の処見付りません・・・

地図上には、概念図同様に山名・標高、パス、氷河名が記載されてます。
概念図では判り難い、氷河や露岩の様子が見れます。
日陰の多さが気になりますが、それだけ山が大きいと言う事でしょう・・・

K2とブロードピーク付近
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ガッシャーブルム山群
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チョゴリザ周辺
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折り畳み地図は、何回も広げると折り目から裂け始めるので、裏打ちして補強。
セロテープは経年劣化して駄目なので、医療用の紙絆創膏が一番です。
素材が薄いので、貼っても下地が透けて見えるし、折り曲げにも強い。
これは、国土地理院の1/2.5万地形図にも有効です。

これから暫くは、この二枚の地図が酒の肴か・・・
まずは、じっくり時間を掛けて。

今朝、毎日新聞を見ると。
今年が、マナスル登頂60年の小記事が・・記念行事が有るらしい・・

南極観測を開始してからも、60年の節目とか・・・
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左奥がピーク

1956年5月9日、日本山岳会の第3次マナスル遠征隊が、8163mに初登頂。
隊長が槙有恒、2次アタックを含み邦人3名・シェルパ1名が登頂したのです。
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初登頂の今西隊員、この頃は山頂が露岩ですね。
今は雪を冠ってます。

この記事を読んで、60年もの昔の記憶が甦りました・・・
当時、小学生で担任が、日本が凄い事をしたと・・また、そのうち南極にも行くと。
南極 ?  地球儀の下に在る凍った処、ペンギンが居る処程度の認識より無し・・
当時、千秋公園内に在った動物園でペンギンを見てました。

担任は、図書室に在る新聞に、山の事や南極の事が書いて有るからと。
放課後に読んだ記憶があります・・・毎日子供新聞か毎日小学生新聞だったと・・・

このころから何故か、極地に興味を持ったのです・・・

地元の地方紙の秋田魁新報に、市内の鍛冶屋(森谷製作所)が、
南極観測隊にピッケルを納品するとの記事が載りました。
(高校生の頃、札幌の門田も観測隊にピッケルを納品した事を知りましたが・・)
この事が頭の片隅にあり、ピッケルなら森谷と、
森谷製作所に依頼し打って貰いました。経緯は↓
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マナスルや南極から60年も経ってしまいましたが・・・・
身体的に老いたものの、気持ちはまだまだ・・・だが・・・

先日、カラコルムの地図を手に入れ、
思いを馳せてて~
外務省の渡航制限の区域を見たら、
レベル3〔渡航中止勧告〕と レベル2〔不要不急の渡航中止〕区域に! ! !

今日も、パキスタン北西部で死者21名・負傷者50名の乱射テロが・・・

どうしたらよいのやら・・・・

長年、バルトロ氷河の山々を、ひと目眺めたいと憧れてました。

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全長70キロと云われてる氷河源流域には、
K2・ブロードピーク・ガッシャーブルムⅠ峰・Ⅱ峰の8千m峰4座。

7千m峰は、ムスダーグタワー・マッシャーブルム山群・チョゴリザ・
サボイアカンリ・スキルブラム・ガッシャーブルムⅢ峰・Ⅳ峰・バルトロ、サルトロ山群・等など・・・
6千m峰に至っては、ドランゴ岩峰群・パイユピーク・ミトレ始め、
バルトロ氷河の右岸左岸に見える山々の殆んどが、6千m超級なのです。

約ひと月掛けての氷河散歩を、この夏に計画してました。
ネパールのヒマラヤは、モンスーン(雨期)を避けた、春・秋がシーズンですが、
パキスタンのカラコルムは、内陸に在る為モンスーンの影響が無く、夏がシーズン。

この計画に向けての資金捻出。
昨年延べ90日間、県埋蔵文化財センターの発掘現場で、土方アルバイト。
夏場の暑さには参ったが、目的が有れば我慢も出来ます・・・

山道具は揃ってるので、特段用意する物も無しです。
カラコルム・バルトロ氷河流域の地形図も何とか用意出来ました。
1/8万(ポーランド製)・1/20万(英国製)
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過去2回ヒマラヤ遠征で使った、10年旅券が2月で期限切れ、再申請と・・・
外務省のHPを見て・・・愕然
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パキスタン全土が・・・安全の白い地域は在りません・・・
〔レベル4〕 退避勧告地域
〔レベル3〕 渡航中止勧告地域
〔レベル2〕 渡航自粛勧告地域

バルトロ氷河には、首都イスラマバードから、北東の町スカルドゥに行き、
4駆で一日走り、登山基地のアスコーレ村に入るのですが・・・
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1月20日には、
ペシャワル地区でタリバーンが乱射事件を起し、死者20人・負傷者約50人。
3月28日には、
ラホール地区で、タリバーンが死者72人・負傷者200人以上の自爆テロ。

隣国インド系のヒンズー教徒と、アフガン系のイスラム教徒の紛争とか・・・
武装集団のタリバーンとかアルカイダは、ニュースで耳にする事が有ったが、
こんな処でとは・・・・

家族に、それでも往くか? と謂れ・・・数ヶ月、考えてました。
今日、結論を出す為にブログに記載してます・・・


ヒマラヤに憧れたのが、18歳の頃・・・実現したしたのが、2006年。
その時に登頂した山頂から、南に見えた白い峰に登りたいと・・・
そこに立てたのが、2010年。

次は、K2を眺めて見たいと・・・世情が安定してたら可能だったのだが・・・

紛争が5年・10年と続くようなら、後が無い・・・



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