【ニューデリー=小峰翔】世界的な新型コロナウイルスの感染拡大を受け、ネパール政府は13日から5月末まで、中国との国境にそびえる世界最高峰エベレスト(8848メートル)の入山を事実上、禁止することを決めた。AFP通信によると中国も同様に入山を禁止しており、比較的気候が良い4~5月に集中するエベレスト登山は困難になった。
ネパール政府は発行済みの許可証を一時無効にし、新たな発行も見送る。エベレスト以外の山も対象にした。政府高官は13日、本紙に「感染拡大が広がっている国からの登山者が例年多く、寒冷な場所で何日も過ごす登山は感染が広がる恐れがある」と説明した。
エベレスト登山は一般的にシェルパらと複数で登り、テントで共に寝泊まりすることからも、感染の危険性があると判断したという。春は山頂やベースキャンプ近くで渋滞が発生するほどの人気で、昨春はネパール側からは644人が登頂した。ネパールは入山手数料だけで年数億円を得ている。
カテゴリ: ◆◆山彦のヒマラヤ・極地・他雑談◆◆
8000m峰14座、6か月で制覇 ネパール人登山家
精鋭部隊の元兵士なら体力・根性は抜群でしょう。
地の利は有ったにしても、登山隊編成資金の出処が気に為るが、快挙に違い有りませんね~
【10月30日 AFP】ネパール人登山家ニルマル・プルジャ氏(36)が29日、世界に14座ある「8000メートル峰」の全てを189日間(6か月と6日)で登頂する世界最速記録を達成した。

これまでの最速記録は8年弱だった。
同氏はフェイスブックへの投稿で、中国のシシャパンマへの登頂を報告し、「ミッション達成!」と宣言した。
8000メートル峰14座の無酸素完全制覇は1986年、イタリアの著名登山家ラインホルト・メスナー氏が世界で初めて達成。翌87年にはポーランド人登山家のイェジ・ククチカ氏が7年11か月14日で同じ偉業を達成。その後、金昌浩氏がこれより1か月速い新記録を達成していた。ただ、金氏はククチカ氏やプルジャ氏とは異なり、14座全てを無酸素で登頂していた。

英軍のネパール人部隊「グルカ旅団」や精鋭部隊「特殊舟艇隊」の元隊員であるプルジャ氏は、4月に「プロジェクト・ポッシブル」と題した挑戦を開始。第1段階として、わずか1か月でアンナプルナ、ダウラギリ、カンチェンジュンガ、エベレスト、ローツェ、マカルーの6座に登頂した。

その1か月後にはパキスタンで第2段階をスタートし、まず標高8125メートルの難関ナンガパルバットに登った。その後は、自身の目標に間に合わせるために睡眠不足と闘いながら、
ガッシャーブルム1峰、ガッシャーブルム2峰、世界第2位のを含むパキスタン高峰5座をほぼ駆け足で登っては下りたと同氏は説明している。

7月18日 ガッシャーブルム2
23日後には第2段階で最後の山となるブロードピークに登頂。9月に最終段階を開始し、
1週間のうちにチョーオユーとマナスルを踏破していた。
今年のK2やマナスルは天候が悪く、登頂を諦めた隊が多かったのだが・・・見事です。
安田氏のデナリ登頂画像
スキー降下中に一夜をビバークして明かし、凍傷を負うも生還・・・
❈デナリ登頂の難しさ
①緯度が北極圏に近く、ヒマラヤに比べ常時低温で有り、気象条件も悪い。
地球の自転の関係で、赤道付近よりも大気層が薄い。(酸素量が少ない)
なので、6190mの標高だが、ヒマラヤの7000m級の自然条件と言われてる。
②登山開始地点の標高が2200mで、山頂まで約4000mも有る。
エベレストは、登山開始地点から山頂までは、約3300m。(酸素を吸いながら登頂)
③エベレストは、一般的にシェルパが荷揚げ等の、段取りをしてくれるが、
デナリはBCからの山頂往復は、全て自力での登山。
以上の条件から、登頂成功率は毎年50%前後と言われている。
秋季ヒマラヤは悪天候続き
'19年のポストモンスーン期のヒマラヤは、悪天候で降雪続きの日々だった様子。
ざっと調べたところ、マナスルには日本から3隊が挑んた模様。
マナスル(8163m)ノーマルルート今期のマナスルBC全貌、エベレストBC並みのテント数だ・・・

ポストモンスーン(秋季)は、これから冬に向かうエベレストよりは比較的楽に登れる、
マナスルに商業登山客が集中する傾向に有る。エベレスト700万~800万、マナスル300万。
有力なエージェントは、エベレストで活躍したシェルパ達を集め、
山頂直下迄のルート工作をさせて、各隊から“ルート工作された道”の使用料を徴収。
ここ数年エベレストに続き、マナスルでもこんな図式が出来ているのだ・・・
お陰で各隊は、ルート工作用の長大なFIX持参と張る手間(期間・人工)が省けるのだ。
9月4日から40日間の日程を組んだが、9月21日撤退宣言。何処まで登れたかの発表は無し。
AG隊は、9月4日から35日間の日程を組み、9月27日にC3(7450m)より登頂。
野口健隊は、9月27日にC3からC4(7600m)達するも、10月2日に撤退宣言。
(AG隊は同日C3からロングアタックで登頂、隊員・シェルパの実力の差か?)
登山期間が2週間では無理だったと言う、当然の話だ。
工作済ルートを使えば、簡単に登れると考えたか?
彼は、ネパールの子供達にランドセルを贈るプロジェクトを実施してるが、
今回も700個近くのランドセルを集め、途中の集落に配布しながらの登山。
ひと月半もの日程を取りながら、登山期間が実質2週間では所詮、無理が有ったのだ。
相手は8000m峰で有る、登りたいのか? 慈善活動なのか? を、ハッキリさせないと・・・
彼の被災地支援・清掃活動・マナスル基金・ヒマラヤ植樹等の社会貢献は評価するが、
登山活動は、登山家→アルピニスト→山屋と、肩書の変遷?
今回の添付画像を見ると、隊員の中にシスパーレで名を馳せた、平出和也が居た様な?
強力な助っ人を用意してたので、登る気が有ったのかもだが・・・二兎は追えないのだ。
手前は野口隊のBC


テントに積もった雪の排雪を、アルミ製の角スコップで遣ってるではないか・・・
命を守るテントに傷を付けたらどうなるか? 判らんのか・・・手で遣るのが普通だ。
自称登山家でも山屋でもいいが、何処で“山”を習ったかと問いたい、亜大山岳部?
小生が習った頃は、ザイルを踏んだり・メットを裸で持ち歩いたり・
こんな事したら 鉄拳+回し蹴り をゴチに為ったものだ・・・
エベレストで使い捨てプラスチック禁止
規制が序々に厳しくなる様です。
【8月21日 AFP】配信
ネパールのエベレスト周辺地域で、登山者やハイカーなどが出すごみを減らすために、
使い捨てプラスチック製品が禁止される。同国当局が15日発表した。
世界最高峰エベレストや他の雪山を擁するクーンブ地区に導入される新しい禁止令は、
厚さ30ミクロン以下のすべてのプラスチック製品や飲料用プラスチック製ボトルなどが対象で、
来年1月から施行される。ただし、違反した場合の罰則などはまだ決まっていない。
地域一帯には登山者やハイカーを含む年間5万人の観光客が訪れる。
今年の登山シーズンは史上最多となる885人がエベレストに登頂。
登山者数全体も史上最多を記録すると同時に、
政府主導の清掃プロジェクトで10トン以上のゴミが回収された。
政府の委員会は先週、エベレストへの登山許可を、
ネパール国内にある標高6500メートル以上の山の登頂経験がある登山者に限定する方針を提案した。
また現在1万1000ドル(約120万円)となっているエベレストの入山料を3万5000ドル(約370万円)に、
標高8000メートル以上の山については2万ドル(約210万円)にすることを提案している。
しかし、プラ製品やペットボトル等を規制しても(規制無しよりは良いが)、
その他の瓶缶類・酸素ボンベ容器・放棄テント・糞尿等々を、
総合的に規制しないと意味が無いですね・・・
エベレストの登山料を3倍にしても、効果は望めませんね、1000万なら減るでしょうが・・・
商業登山会社に登山料込みで2000万支払うなら、諦める奴が居るかも知れません。
政府は、その登山料1000万の中から、ゴミ処理費用を捻出する。
罰則を強化しても、それ程効果が有るとは思えません・・・
エベレスト ゴミ問題 参照
安田氏・退院
安田氏が、昨日(23日)に東京警察病院を退院した様子で、ホッとしました~
黒字は、安田氏のブログより。
昨日退院した。
入院中、病院の病室から見えていて、ずっと気になっていた近くに公園に行ってみた。
心地よい初夏の風..バーベキューしている幸せしそうな家族...仲良くベンチに腰掛けるカップル...
楽しそうに話しながら歩く若者達...
そんな光景を眺めていると不思議と生きる幸せみたいなものをとても感じた。
そして、死の匂い漂う、凍てつくような極寒の6000m地点のたった一人のノーギアビバークから、
無事に生きて戻れたという実感が突然わきその安堵感からか、
自然と涙が止めどなく溢れ出てきてなかなか止まらなかった。
髭も生え放題で杖もつきビッコをひいていたので、
公園にいた子供達が何か不思議ものをみるように僕をみていた。
デナリに助けてもらった命...今度は、もっと大切に使いたいと思う。
帰国当初の画像を見て、足は3度の凍傷か?と思ってたが、
体液が抜けた状態を見ると、2度の凍傷だった様で皮が剥げれば完治です。


ご支援応援、ご心配してくださった方々、本当にありがとうございました。
こんなに多くの方々から応援して頂き、僕は、本当に幸せものです。
この幸せを噛みしめ、明日からは、来年も遠征に向けて準備していきたいと思います。
三浦さんの無念を晴らしたい気持ち、
ヒマラヤでボード滑降したいっていう気持ちでゆれ動いてます😁頑張りますよー。
一時は、最悪足指2本の切断かと思ったが・・・早くも来年の目標が決った様です。(>_<)
〝拾った命・貰った命〟大事にして欲しいと・・・
安田氏・凍傷治療経過
6月5日、アラスカ最高峰・マッキンリー(デナリ)6190mに登頂後、
スキー滑降中に6000m付近で、ビバークの為に受傷(凍傷)した安田氏。
6月12日に帰国し、6月14日から凍傷の専門医から治療を受けてます。
今日(21日)に、ブログの更新をしました。(以下黒字)
100%確定ではないのですが、何とか切断は免れれそうです。
切断せずに済みそうな事に、一安心です。
凍傷の治療は、壊死した箇所がミイラ化して、剥がせるまでは感染症予防が中心。
形成手術は、その後の治療です。
沢山のご心配コメント並びに奨励コメント本当にありがとーございました。
嬉しく感謝しています。私の頭は、もう来期の挑戦で一杯です。
(おそらく6000m級峰ソロスノーボード滑降をやろうかと、
来期はスノーボードで6000m級の山頂から滑降したいなって....)
退院したら来期に向けて動き出そうと思っています。引き続き応援頂けると嬉しいです。
今年のマッキンリー登頂・滑降の為に、昨年・一昨年にイラン最高峰ダマバンド(5671m)へ登頂。
一昨年はスノーボード・昨年はスキーで滑降する訓練をしてました・・・
凍傷が治れば、来年また6000m級を遣ると言う・・・気丈過ぎる・・・
安田氏に関する直近の記事です。
安田氏・アラスカから帰国
ただいま~👍アラスカから帰国しました~。
2019/6/12(水) 午後 7:20
みんな~たった今アラスカから日本に帰国した。 (エクストラチャージ払って便を変更しての帰国。) |
足の指は、カマキリの卵のように腫れ上がり、手の指は土星の環のようになっている。
(明日凍傷の専門医に行って切断or非切断の相談に行ってくる。)
なぜだか心は晴れやかで誇らしい。
例え指を切断することになったとしても、一切の後悔はなく、
デナリへの感謝や畏敬の念は変わらない。
嘘偽りなく本当に、指を切断してもデナリをやって良かった。
やらずに後悔するより百倍いや千倍まし。無事に志を遂げる事が出来き、もう何も言うことはない。
赤穂浪士の47志士の最後の気持ちが、今ならよくわかる。
貧乏以外何の取り柄のない、何でもないイチおっさんが、
皆様の支えでデナリ山頂から単身スキー滑降した。
その事実が皆様を勇気づけ、元気づけ今度は、皆様の背中を押すことができれば、
どんなに嬉しいことか....犠牲を払い遂行した僕自身がどんなに救われることか....
アメリカの詩人がこういったそうだ。
「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる」
【サミュエル・ウルマンの「青春の詩」】
僕は、今年46歳だ。白髪が増え、風貌はすっかりおっさんになり、体力の衰えを感じはじめている。
ただ情熱は年々衰えるどころか、20代のように燃え上がるばかりだ。
今も青春真っ只中、僕の青春はこれからもまだまだずっと続く。
明日からは次の目標に向かって頑張るぞ⤴お~⤵😁
皆様からのコメント、凄く嬉しかったです。リコメしよう思ったのですが、
時間がなくそのままにしてしまいすみませんでした。
家に帰りじっくり読ませて頂き、リコメさせて頂きます。
応援コメント本当にありがとうございました。
成功の代償として・・・大き過ぎる・・・
凍傷治療には時間が掛かる、体液が抜けて、壊死した部分が判明してからだ・・・
それまでは、感染症予防が優先される。先ずはユックリ休んで・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
登頂の報をブログに記したが・・・→ 安田順平氏・デナリ登頂・滑降に成功
凍傷の程度が気に為ってた・・・本人からの詳細はまだ無いが、何故???の疑問が・・・
手に付いては。
登頂時は、赤のオーバー手袋装着。

アタック時に予備として、ザックに入れて無かったのか???
帰路ビバークを予想したら、ダウンのテントシューズを持参したのだろうが・・・
滑走体勢に入ってからのビバークなので、
もしかしたらオーバーシューズを履いてなかったのかも・・・
足が絞められてる兼用靴のシェルを脱ぎ、インナーにテントシューズを履き、
オーバーシューズを重ね履きしたら防げたかもだ・・・
ツエルトを被らなかったのか・・・悔いが残る・・・
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6月15日 追記
田中幹也氏(登山家・冒険家)から、
凍傷の専門医を紹介して貰い、昨日(14日)入院したそうです。
安田順治氏・デナリ登頂・滑降に成功
詳細はこれからですが、無事で何よりでした。
多分、デナリ登山基地の町、タルキートナからの書き込みと思います。
安田氏のブログから全文を添付します。
デナリ山頂滑降報告
2019/6/8(土) 午後 5:326月5日僕はデナリ山頂にたった。 |
6000m地点での低酸素でのビバーク..ノーテントにノースリーピングバックに-30度と風、
正常な思考を保つことが困難な事になり、発狂しそうになる自分を必死に押さえた。
その結果、指の切断の可能性が多いにあると今日ドクターに言われた。
端から見れば、貯金通帳から大金を下ろし高い装備を買いアラスカまで行き指も切断までする。
あいつは馬鹿かと人は言うかもしれない。
でも、僕は馬鹿だとは思わないし、貯金通帳に富みを築こうとは全く考えていない。
その代わり心の貯金通帳に心の財産を沢山築きたい。
お陰様でデナリでは沢山の心の財産を築けた。
その代償が指の切断なら安いもの...もし生まれ変わり、
指切断の危険が迫った同じ条件でも山頂に向かう
それが人が志を持つという事だと思う。
この度僕を支援応援してくださった、すべての方に感謝致します。
本当にありがとうございました。
それから国旗に応援メッセージ書いてくださった子供達...
この度は応援メッセージありがとーねー❗
君たちの未来はきっと明るいし、可能性は無限大だ。
でも、君たちが大人になって万が一社会でつまずいた時に、
「そういえばあの時のオッサンは、45才の時にデナリの山頂からスキー滑降したんだよな。
僕も私も負けないで頑張ろう」って一人でも思って頂ければ、
労力やお金をかけてデナリ遠征をやった価値や僕の存在意義もあるかなとも思う。
今回は僕が君たちを応援する番だよ~。
では長くなりましたが、以上は報告でした。また落ち着いたらアップします。
また個別にご報告させて頂きます。
多少関わりを持った者として、快挙の報に接し、こんな嬉しい事はない。
5月13日に出国し、こんなに早く登頂して降りるとは。凍傷の具合も気には為るが・・・
出国時の記事 安田氏・マッキンリーでスキー滑降に挑む
今季のモンブラン

春季のエベレスト

前日23日午後に亡くなったのは、登頂を果たしたものの下山途中に死亡したインド人のカルパナ・ダス(Kalpana Das)さん(52)。当時、エベレストの山頂付近には大勢の登山者らが列を成していた。
同じくインド人の別の登山者(27)も、山頂からの下山中に命を落とした。登山会社の話では、この男性は「12時間以上混雑に巻き込まれ、極度に疲労していた」という。
24日に報告された4人の死亡により、混雑する頂上付近でこの1週間に亡くなった人は計8人となった。
1953年にエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイがエベレスト初登頂に成功して以来、ネパールでは登山が収益性の高いビジネスとなっている。
ネパール政府は今春の登山期間に、過去最多となる381人に登山許可証を発給。発給手数料は1人当たり約120万円で、貧しい同国にとっては大きな収入源となっている。
登山が認められている期間はもともと短い上、悪天候で登山可能日が減り、山頂までのルートで混雑が発生した。
雨期と冬季は、気象条件が厳しく入山者が殆んど居ないだけ。
頂上を目指す人の大半にネパール人ガイドが同行するため、今季だけで750人以上が山頂まで同じルートを通行することが予想されている。
登山会社によると、チベット側からも140人以上に対して登山許可証が発給されており、今年の総登頂者数は過去最多だった昨年の計807人を上回る可能性もある。
カミ・リタ・シェルパ氏(49)は、今月15日に23回目となるエヴェレスト登頂に成功。そのわずか6日後の21日朝に、世界記録を樹立した。

エヴェレスト登頂記録としては、3人が21回成功している。うち2人はすでに引退しており、もう1人のシェルパ(39)は今季、中国側から22回目の登頂を狙っている。
カミ・リタ氏はもうすぐ50歳だが、まだ引退する気はなく、今後もエヴェレストに登り続けたいと話す。23回目の登頂を前に、BBCの取材に「まだ数年は登れる」と宣言し、こう話していた。
「私は健康だ。60歳までは行ける。酸素を持っていけば、たいしたことじゃない」
カミ・リタ氏がガイドとしてエヴェレストに初登頂したのは1994年だった。
「記録を作ろうなどと思ったことはなかった。登山で記録が作れるなんて知らなかった。知っていたら、もっと早く登り始めていた」
「シェルパの貢献、忘れられる」エヴェレスト山頂を目指す外国人登山者たちは、経験豊富なシェルパと登るのが一般的だ。シェルパは道を整え、ロープを張り、必要な物資や酸素を運ぶ。
カミ・リタ氏は言う。
「シェルパが頂上までロープを張る。外国人はインタビューを受け、エヴェレストは簡単だとか、自分たちは勇気があるとか話す。彼らはシェルパの貢献を忘れてしまう。シェルパは登頂を成功させようと苦労する。シェルパは苦しい思いをする」
「すべての山に女神がいる。女神を幸せなままにしておくのが私たちの務めだ。登山を始める何カ月も前から祈り始め、女神の体に足を乗せることに対して許しを請う」
ネパール観光局によると、27日に死亡した米国人のクリストファー・ジョン・クリッシュさん(62)はネパール側から入山して頂上に到達。下山を始めてこの日夕刻、サウスコル(標高約7900メートル)に到着した後に急死した。
ベテラン登山家のデービッド・モートンさんはチベット側のベースキャンプでCNNの取材に応じ、「登山家の経験不足だけでなく、登山家を支える側の経験不足にも大きな問題がある」「特にネパール政府は入山者の数を制限していないことから、そうした状況を招く条件はそろっている」と指摘する。
「好天だった24日、我々がいた頂上から100メートルほどの地点では、チベット側から頂上を目指す人が30~40人くらいいた」とモートンさんは証言。エベレスト登山ツアーを運営する業者を認可制にすべき潮時だと述べ、そうした業者に登山者の審査を担わせるべきだと訴えている。
費目 | トレッキング | ライト登山 | メジャー登山 |
1.登山料 | 不要 | 別表参照 | 別表参照 |
2.TIMS | USD15 | 不要 | 不要 |
3.国立公園入域 | Rs.3,000 | Rs.3,000 | 不要 |
4.キャンプ代 | Rs.1,500 | Rs.1,500 | Rs.1,500 |
別表の登山料はライト、メジャーの両登山を含む
キャンプ代も政府関係への支払いとなる。
上記は一人分の料金である。
登山料(US$)
山のカテゴリー | 春季 | 秋季 | 夏・冬季 |
1)Everest Normal Route | 11,000 | 5,500 | 2,750 |
2)Everest Other Route | 10,000 | 5,000 | 2,500 |
3)Other 8000m peak | 1,800 | 900 | 450 |
4)7501~7999m peak | 600 | 300 | 150 |
5)7000~7500m peak | 500 | 250 | 125 |
6)6501~6999m peak | 400 | 200 | 100 |
7)Mt. Aamadablam (6821m) | 400 | 400 | 200 |
8)Less than 6500m peak | 250 | 125 | 70 |
春季(3月~5月)、夏季6月~8月)、秋季(9月~11月)、冬季(12月~2月)
金額は外人メンバー1人分の金額。
エベレスト渋滞で死者続出、背後にある大きな問題とは





これで、エベレストでの今シーズンの死者は11人になり、ヒマラヤの8000メートル峰における今春の死者数は計21人にのぼった。登山シーズンはあと数日残っているため、この数はさらに増える可能性もある。
ネパールの登山家ニルマル・プルジャ氏が5月22日に撮影したエベレスト渋滞の写真は、瞬く間に拡散した。頂上付近の尾根で何百人もの登山者が渋滞し、ほぼ途切れのない列を作っている写真だ。そして、多くの犠牲者が出たことと渋滞を結びつける議論に一気に火が付いた。
現地にいたガイドや登山者はどう考えているのか。下山後、ベースキャンプを離れた彼らは、何が起きたのかを今語り始めたところだ。意見はバラバラで、まったく一致は見られない。
カナダの撮影監督エリア・サイカリー氏は、インスタグラムにこう投稿した。
もっと日常的なものに例えた人もいた。「混雑する週末にスキー場の列に並んでいるかのようでした」と米ワイオミング州に拠点を置く映画製作者で、ナショナル ジオグラフィック協会に協力する、ダーク・コリンズ氏は話す。「エベレストで並ばなければならないというのは、予想とは異なり、いらいらするし、とても退屈なことでした」。ナショナル ジオグラフィック協会が率いる登山隊は、登頂を計画していたが、混雑のため引き返した。
しかし、一部のベテランガイドは、順番待ちの行列が人々を殺しているという意見に異を唱える。行列が直接の原因なのではなく、背後にあるもっと大きな問題が「行列」というかたちで表面化しているのだと言う。
「そのストーリーは誤解です。私の知る限り、順番待ちが原因で死亡した人は1人もいません。これは主に決断の問題なのです」と、登山ツアー会社「アルパイン・アセンツ・インターナショナル」の米国人ガイド、ベン・ジョンズ氏は話す。
長年エベレストについてのブログを書いてきたアラン・アーネット氏は最近、エベレストでの今シーズンの死者11人のうち5人が混雑によるものかもしれないと投稿した。
「下山するまでの十分な酸素がないにもかかわらず山頂を目指し続けるというのは、お粗末な決断です」とジョンズ氏の同僚ガイド、エリック・マーフィー氏は話す。「順番待ちをしている時には酸素の流量を少し下げ、使い果たすことのないようにしています」と同氏は、エベレスト山頂付近で必要な酸素を確保する方法を説明する。
同氏によると、行列の動きが遅いのは、何よりもリーダーシップの問題だという。「遅い登山者にシェルパが付いているなら、本当はそのシェルパが『人が通れるように脇に寄って少し休みましょう』と言うべきなのです。しかし、それは多くのシェルパにとっては、責任が重すぎるのです」と同氏は話す。
登山技術の微妙な差も移動速度を遅くしていると、マーフィー氏は指摘する。「平らな地形であっても、すべてのロープに登高器を取り付ける人もいるのです」と同氏は話す。登高器とは、固定ロープに取り付け、登山者の滑落を防ぐ道具だ。地形が平らな場合、通常のカラビナの方が速く、比較的安全でもある。登高器の付け外しには10~15秒かかる。「カラビナよりも、遅い方法なのです」
「混雑がニュースになりましたが、問題は登山者の経験不足なのです」と経験豊富なガイドで、ナショナル ジオグラフィック協会が率いる科学チームの一員でもあるマーク・フィッシャー氏は話す。「自己管理や効率的な登山技術、環境への適切な準備などを知らないようでした」
山頂付近の登山者数に影響を与えたもう1つの問題は、天候だ。例年、エベレストでは、登山者が登頂を目指せる比較的穏やかな天候の日が、5月に10~15日間ほどある。しかし、今シーズンはサイクロンの余波を受け、シェルパ隊が登山者のためにあらかじめ設置する固定ロープの完成が数日遅れた。5月14日に登山ルートが山頂まで開通した後も、天候が安定せず、登頂に適した期間がさらに短くなった。
5月19日ごろには、天気予報が完全に変わった。それまで最高の条件だと考えられていた5月24日が、最悪の条件に突如変わったのだ。風速が30メートルに達するとも予想されたため、多くの登山隊は5月22日か23日までに登頂に挑戦するよう日程を変更した。
当然どの隊も、条件の良い日を選ぶ。
中国は、許可証の発行数をはるかに少なくすることで、中国側のエベレスト混雑の問題を最小限に抑えている。
ジョンズ氏は、一部のガイドサービスの質にも言及する。「エベレストについて概観したとき、私が最大の問題と考えるのは、経験の浅い人や実力のない人を引き受けて登山させる地元企業です。関係者は耳を塞ぎたいでしょうけれど」
今年8000メートル峰で亡くなった21人の登山者のうち15人は、国際ガイドサービスの顧客ではなく、ネパール人が主催した登山隊の顧客だった。
「私たちは、どうやって混雑を避けるか、常に戦略を立てています」と同氏は説明する。「キャンプを発つ時間を数時間早くまたは遅くすると、まったく違う一日にできるのです。これがエベレストに関する決断のもう1つの面です。欧米のガイドサービスは互いに連絡を取り合っていますが、その他の事業者は違います」
これはデリケートな問題だ。ネパールの登山産業は儲かるため、
混雑が直接の死因ではないとしても、登頂に要する日数が長くなりリスクが増す原因であることに疑問の余地はない。エベレスト登山の力学を完全に変えてしまったのだ。
今シーズン、ネパール側からエベレストに挑んだドイツの登山家デイビッド・ゲトラー氏は、無酸素登頂を試みたが、結局、山頂まで200メートルの所で引き返さざるを得なかった。混雑によるリスクを許容できないと同氏は判断したのだ。
「たとえ今すぐ下山したいと言ったとしても、ほかのすべての下山中の人の列に並ばなければならないのです。体を暖かく保つのに十分な速さで動くこともできません」と同氏は説明する。「それは取るつもりがなかったリスクであり、大惨事につながる可能性が非常に高いものだったのです」
ゲトラー氏はこう続ける。「期待していたのは体験です。エベレストに行って、混雑や技術に不平を言うのは本意ではありません。私たちプロが、こうした場所の探索がいかに素晴らしいかということを、世界に伝えているのです。当然、混雑するでしょう」
ベン・ジョンズ氏もエリック・マーフィー氏も、10年以上もの間、顧客と共にエベレストに登ってきたことに触れ、否定的な報道が続いていることを嘆く。「人間関係を築けば、その目標を達成するうえで培った友情は特別なものになります」とマーフィー氏は語る。
家に帰ると、友人や家族から、現地で何が起きているのかを聞かれます。彼らが耳にするのは、毎年報道されるこうした否定的な内容ばかりだからです。しかし、それは真実ではないと私は思います。とジョンズ氏。「登山で悪い結果を招くのは、1つの決断ではなく、判断ミスを重ねることなのです」
エベレストから4人の遺体を移送、プラごみや捨てられた登山具10トも
エベレストでは、地球温暖化で解けた氷河から遺体やごみが表出している。
報道によると、先週、4人の遺体がヘリコプターで山から搬送された。
ネパール政府が派遣した総勢14人の部隊は、約6週間にわたり、ベースキャンプと標高8000メートル近い地点にある第4キャンプで、空き缶や瓶、プラスチックごみ、捨てられた登山用具を回収。軍のヘリコプター数機とシェルパらの協力で、エベレストのルートで最後に位置する大きな村ナムチェバザールにごみを移送した。
利用率の高い登山ルートには、蛍光色のテントや捨てられた登山用品、空のガスボンベ、さらには人の排せつ物が散乱している。
清掃部隊のリーダーは、「エベレストをきれいにするため、この事業をあと数年、
ゴミ問題に関しては、投棄を防ぐ為に既に登山隊1隊に付き、
RYUSEKI EXPEDITIONS
昨日までに全隊員が帰国し、全てのスタッフが家に帰りました。
「エベレスト登山隊2019チベット」無事終了しました。
今回は、全員登頂とはなりませんでしたが、状況の悪い中、5月23日に、Mさん、
ニマ・カンチャ・シェルパ、平岡竜石の3名が頂上に立つことができました。
そして、何よりも全員が無事下山できたことが、嬉しいです。
ニュースで報道されているように、今シーズンのエベレストの死者数は11人となりました。
ネパール側が9人、私達が登った中国チベット側が2人です。
例年ネパール側と中国チベット側を併せても、5~6人程度なので、
非常に厳しいシーズンだったと言えます。
今年のエベレストは、冬季の積雪が少なく岩の露出が多く、ルート状況が厳しかったのに加えて、
シーズン前半にサイクロンの襲来などもあり、天気が不安定だったので、
登頂が例年より1週間程度遅くなって、登頂のチャンスが少なくり、
ある特定の登頂日に登山者が集中しました。 報道されているように、
私達が登頂した5月23日は、天気予報も良く、登山者が集中して、渋滞が発生し、
私達も非常に時間がかかりました。
しかし、中国チベット側は、既に今年から入山制限をしており、ネパール側に比べると、
まだましだったようです。
ネパール側で9名もの死亡者が出た要因として、今シーズンの登山許可数が381人と、
過去最高を記録していた事が挙げられるます。
報道されているような死亡事故などは、本人の体力や、技術や、経験の不足が、
最大の要因になっていると思います。 それに加えて、
登山隊や現地エージェントの質の問題があります。
近年、シェルパがガイドとして自立して働くようになってきました。
それはとても良いことなのですが、未だ玉石混交なのが実情です。
それに伴い、ネパールのエージェントも独自でエベレストの登山隊を募集するようになったのですが、
その中で安い価格を売りにするエージェントも多く見受けられます。
安い価格のエージェントの中には、粗末な装備を使用して、
あまり経験が無いシェルパをガイドとして雇用することにより、
経費を節約して価格を安くしているケースが多々あります。
山の状況も良く、天気も良く、混雑もしていない状況で、順調に登山すれば、
特に問題無く登頂もできるでしょうが、今年のように状況が厳しく、天気もあまり良くなく、
混雑して時間がかかると、各人各隊の悪い所が露呈して、最悪の場合、死に至っているようです。
その反面、同じ状況であっても、多くの人は無事登頂し、下山しているのも事実です。
死亡した方の多くは、ある特定のエージェントに集中していて、それらのエージェントでは、
死亡者だけでなく凍傷者やその他のケガ人も多く出しています。
これからエベレストを目指される方は、是非、ちゃんとしているエージェントを選んでください。
毎年のように死亡者を出しているエージェントには、潜在的な問題があり、近寄らない方が無難です。
料金が安くても、1回で登れなくて2回3回と回数を重ねるのでは、トータルで高くつきますし、
死んでしまっては元も子もありません。
ちゃんと準備をして、ちゃんとトレーニングを積んで、
経験豊富な良いシェルパと一緒に登山すれば、
安全に楽しくエベレストに登ることができるでしょう。
写真は、2019年5月23日のエベレスト頂上の、ニマ・カンチャ・シェルパと私です。
ニマ・カンチャ・シェルパとエベレスト頂上に立つのは、これで3回目です。
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安田氏・マッキンリーでスキー滑降に挑む
5月14日アンカレッジにて食料等の買い出し
5月15日アンカレッジ→タルキートナ着(タルキートナ泊)
5月16日タルキートナにて登山準備
5月17日タルキートナ→(セスナ)→BC(2227m )
5月18日~6月16日(登山期間30日間)
第1日目 BC →(荷揚げ)C1→BC
第2日目 BC →C1(2410m)
第3日目 C1 →(荷揚げ)C2→C1
第4日目 C 1→C2(3050m)
第5日目 C 2→(荷揚げ)C3→C2
第6日目 C2→C3(3506m)
第7日目 C3 →(荷揚げ)→C4→C3
第8日目 C3 →C4(4331m)
第9日目 C 4にて静養
第10日目 C 4→(荷揚げ)C5→C 4、
第11日目 C 4にて静養
第12日目 C 4→C5(5246m)
第13日目 C 5にて静養
第14日目 C 5→山頂(6190m)→C5
第16日目 C 4→C2
第17日目 C 2→BC
※余剰日はフライト予備日または登山調整日
6月17日BC発→(セスナ)→タルキートナ着(タルキートナ泊)
6月18日タルキートナ発→アンカレッジ着(アンカレッジ泊)
6月19日アンカレッジ発→東京
ヒマラヤの花谷隊と平岡隊

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