海彦・山彦の白秋日記

右奥 マカルー峰 8463m  左 イムジャツェ峰 6189m 4月7日登頂

カテゴリ: ◆◆山彦のヒマラヤ・他雑談◆◆



頂上にこの行列… エベレストでさらに4人死亡、混み合う「死のゾーン」

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AFP=時事】世界最高峰エベレスト24日、新たに4人の死亡が報告された。このうち2人は、標高8000メートル以上の通称「死のゾーン」が登山者で混雑していることが原因で命を落としたとされ、安全より利益が優先されているとの懸念が強まっている。

前日23日午後に亡くなったのは、登頂を果たしたものの下山途中に死亡したインド人のカルパナ・ダス(Kalpana Das)さん(52)。当時、エベレストの山頂付近には大勢の登山者らが列を成していた。

同じくインド人の別の登山者(27)も、山頂からの下山中に命を落とした。登山会社の話では、この男性は「12時間以上混雑に巻き込まれ、極度に疲労していた」という。
24日に報告された4人の死亡により、混雑する頂上付近でこの1週間に亡くなった人は計8人となった。

夏の槍ヶ岳でも、肩から山頂まで2.3時間待ちが起こるが、
8千mで渋滞待ちに遭遇し、下手したら手足の凍傷・・最悪は酸素切れで錯乱死。

1953年にエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイがエベレスト初登頂に成功して以来、ネパールでは登山が収益性の高いビジネスとなっている。

ネパール政府は今春の登山期間に、過去最多となる381人に登山許可証を発給。発給手数料は1人当たり約120万円で、貧しい同国にとっては大きな収入源となっている。

登山が認められている期間はもともと短い上、悪天候で登山可能日が減り、山頂までのルートで混雑が発生した。

〔登山が認められている期間はもともと短い〕は間違い。
モンスーン(雨期)入りする前の4.5月(春季)と、
雨期が明ける9.10月(秋季)が登山にベストなだけで、
申請したらいつでも登山許可は下りる。

雨期と冬季は、気象条件が厳しく入山者が殆んど居ないだけ。

頂上を目指す人の大半にネパール人ガイドが同行するため、今季だけで750人以上が山頂まで同じルートを通行することが予想されている。

登山会社によると、チベット側からも140人以上に対して登山許可証が発給されており、今年の総登頂者数は過去最多だった昨年の計807人を上回る可能性もある。


山頂まで張られたFixザイル1本に、これだけの人がブラ下がる・・・
登り降りの交差も間々為らない状態です・・・
槍ヶ岳の様に〝登り・降り〟の専用路を造れる可能性は無し・・・

サウスコル(7900m)の最終Cから、1人3本の酸素ボンベを吸って往復するが、
これでは4本無いと途中で酸素切れに為るかも・・・
シェルパが客の荷を背負う負担が益々増える。

登山料120万を10倍に値上げするか? 入山規制をしないと大事故が発生します。
しかし入山規制をして登山客が減れば・・・
シェルパやポーター(荷役)の仕事が激減、通過する村人の生活が成り立たない。

にこれだけの人が上部Cに上がり、空ボンベ・ゴミ・糞尿の投棄に寄る環境破壊。
これら投棄の賦課金制度(一隊3000ドル)は有るが、(持ち帰れば払い戻される)
罰金を払っても荷下ろしするよりは楽・・・
ネパール政府も悩ましい処でしょうねぇ・・・



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エヴェレストを1週間に2回登頂 ネパール人ガイド、最多24回目

5/23(木) 11:06 BBC配信
ネパールのシェルパ(山岳ガイド)が21日、世界最高峰エヴェレストの24回目の登頂に成功し、世界記録を更新した。直近の2回は1週間以内に上り下りを繰り返した。

カミ・リタ・シェルパ氏(49)は、今月15日に23回目となるエヴェレスト登頂に成功。そのわずか6日後の21日朝に、世界記録を樹立した。

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エヴェレスト登頂記録としては、3人が21回成功している。うち2人はすでに引退しており、もう1人のシェルパ(39)は今季、中国側から22回目の登頂を狙っている。

カミ・リタ氏はもうすぐ50歳だが、まだ引退する気はなく、今後もエヴェレストに登り続けたいと話す。23回目の登頂を前に、BBCの取材に「まだ数年は登れる」と宣言し、こう話していた。

「私は健康だ。60歳までは行ける。酸素を持っていけば、たいしたことじゃない」
カミ・リタ氏がガイドとしてエヴェレストに初登頂したのは1994年だった。
「記録を作ろうなどと思ったことはなかった。登山で記録が作れるなんて知らなかった。知っていたら、もっと早く登り始めていた」

「シェルパの貢献、忘れられる」エヴェレスト山頂を目指す外国人登山者たちは、経験豊富なシェルパと登るのが一般的だ。シェルパは道を整え、ロープを張り、必要な物資や酸素を運ぶ。

カミ・リタ氏は言う。

「シェルパが頂上までロープを張る。外国人はインタビューを受け、エヴェレストは簡単だとか、自分たちは勇気があるとか話す。彼らはシェルパの貢献を忘れてしまう。シェルパは登頂を成功させようと苦労する。シェルパは苦しい思いをする」

「すべての山に女神がいる。女神を幸せなままにしておくのが私たちの務めだ。登山を始める何カ月も前から祈り始め、女神の体に足を乗せることに対して許しを請う」


凄い記録だと思う・・・彼はセブンサミット・トレック(商業登山会社)に所属し、
1シーズン(春・秋の2回が有るが)の収入が6000$だとか・・・
優秀なシェルパは、契約収入の他に同行した登頂者からボーナスが得られるのです。
ネパールでは、医師の月収が5万・上級公務員で4万・一般3~1万程度です。
破格の収入です、登山客は道楽でエベレストに登るが・・・
彼等シェルパは、家族を養う為に命懸けで山登りをしてるのです。



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エベレスト登頂で今季11人目の死者、登山者の渋滞に懸念増大

5/28(火) 10:41CNN配信 (抜粋)   
世界最高峰のエベレスト(標高8848メートル)に挑んだ登山家が、また1人死亡した。これで今シーズンの死者は11人になった。
ネパール観光局によると、27日に死亡した米国人のクリストファー・ジョン・クリッシュさん(62)はネパール側から入山して頂上に到達。下山を始めてこの日夕刻、サウスコル(標高約7900メートル)に到着した後に急死した。

ベテラン登山家のデービッド・モートンさんはチベット側のベースキャンプでCNNの取材に応じ、「登山家の経験不足だけでなく、登山家を支える側の経験不足にも大きな問題がある」「特にネパール政府は入山者の数を制限していないことから、そうした状況を招く条件はそろっている」と指摘する。

「好天だった24日、我々がいた頂上から100メートルほどの地点では、チベット側から頂上を目指す人が30~40人くらいいた」とモートンさんは証言。エベレスト登山ツアーを運営する業者を認可制にすべき潮時だと述べ、そうした業者に登山者の審査を担わせるべきだと訴えている。

登山家の経験不足?
商業登山でエベレストに来るのは、登山客です。登山家と呼ばれるレベルの者は、
渋滞するこの時期にエベレストは目指しません。

支える側の経験不足?
登山客1人に、シェルパ1人が付き添い登るが、彼等の力量は客以上です。

運営する業者を認可制にすべき? 業者に登山者の審査を担わせるべき?
中国・ネパール共に、登山申請をすれば全て許可されます。
外貨が稼げるから・・・
商業登山業者の認可制は、利権絡みで難しいでしょうねぇ・・・
登山者の審査を業者任せでは、全て合格でしょう・・・
客からは一括前金で徴収、登れなくても返金なしのシステムです。

当面の解決策として春季エベレストに限り、
登山申請料を現行の10倍にしたら、
登山客の出費が2倍の2千万近くに為るので、混雑が緩和されるでしょう。
他の8千m峰はガラ空き状態なので、其方に登山客の目が向き、
山麓の寒村も潤い・シェルパの稼ぎも減らずに済むのでは???



参考資料 最新版
クンブ(エベレスト)地域への入域に関する費用(外人用)
費目トレッキングライト登山メジャー登山
1.登山料不要別表参照別表参照
2.TIMSUSD15不要不要
3.国立公園入域Rs.3,000Rs.3,000不要
4.キャンプ代Rs.1,500Rs.1,500Rs.1,500
TIMS(Tourist Information Management System)トレッカーの安全を確保する為の書類でトレッキング許可証は不要。
別表の登山料はライト、メジャーの両登山を含む
キャンプ代も政府関係への支払いとなる。
上記は一人分の料金である。

登山料(US$)
山のカテゴリー春季秋季夏・冬季
1)Everest Normal Route11,0005,5002,750  
2)Everest Other Route10,0005,0002,500
3)Other 8000m peak 1,800900450
4)7501~7999m peak 600300150
5)7000~7500m peak 500250125
6)6501~6999m peak 400200100
7)Mt. Aamadablam (6821m)400400200
8)Less than 6500m peak 25012570

春季(3月~5月)、夏季6月~8月)、秋季(9月~11月)、冬季(12月~2月)
金額は外人メンバー1人分の金額。



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エベレスト渋滞で死者続出、背後にある大きな問題とは

6/1(土) 9:33配信
ナショナル ジオグラフィック日本版


〔現場にいたガイドたちが口を開いた〕
5月27日、米コロラド州のクリストファー・クリシュ氏(62歳)が、エベレスト登頂後の下山中に、標高7900メートルのキャンプ4で亡くなった。クリシュ氏の兄弟によると、死因は高山病ではなく心臓まひだという。

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これで、エベレストでの今シーズンの死者は11人になり、ヒマラヤの8000メートル峰における今春の死者数は計21人にのぼった。登山シーズンはあと数日残っているため、この数はさらに増える可能性もある。

ネパールの登山家ニルマル・プルジャ氏が5月22日に撮影したエベレスト渋滞の写真は、瞬く間に拡散した。頂上付近の尾根で何百人もの登山者が渋滞し、ほぼ途切れのない列を作っている写真だ。そして、多くの犠牲者が出たことと渋滞を結びつける議論に一気に火が付いた。

現地にいたガイドや登山者はどう考えているのか。下山後、ベースキャンプを離れた彼らは、何が起きたのかを今語り始めたところだ。意見はバラバラで、まったく一致は見られない。

カナダの撮影監督エリア・サイカリー氏は、インスタグラムにこう投稿した。
「そこで目にしたものが信じられませんでした。そこには死、死体、混沌、行列がありました。登山ルートやテントの中の遺体、引き返そうとして亡くなった人、抱えられて下山する人、遺体の上を歩く人。あなたたちがセンセーショナルな見出しの記事で読んだことは、すべて私たちが登頂した夜に起きたことなのです」。この投稿はその後、削除された。

もっと日常的なものに例えた人もいた。「混雑する週末にスキー場の列に並んでいるかのようでした」と米ワイオミング州に拠点を置く映画製作者で、ナショナル ジオグラフィック協会に協力する、ダーク・コリンズ氏は話す。「エベレストで並ばなければならないというのは、予想とは異なり、いらいらするし、とても退屈なことでした」。ナショナル ジオグラフィック協会が率いる登山隊は、登頂を計画していたが、混雑のため引き返した。

賢明な判断です。

しかし、一部のベテランガイドは、順番待ちの行列が人々を殺しているという意見に異を唱える。行列が直接の原因なのではなく、背後にあるもっと大きな問題が「行列」というかたちで表面化しているのだと言う。
「そのストーリーは誤解です。私の知る限り、順番待ちが原因で死亡した人は1人もいません。これは主に決断の問題なのです」と、登山ツアー会社「アルパイン・アセンツ・インターナショナル」の米国人ガイド、ベン・ジョンズ氏は話す。

〔標高8500メートルでの順番待ちとは〕
問題は、写真が撮影された22日だけのことではなかった。翌日である5月23日、ジョンズ氏は登山ツアー隊の登頂を手伝っていた。「2人の登山者の後ろに50人の列ができていましたそれが、私たちが出くわした唯一の問題でした」と同氏は話す。「その2人は、進むことも後ろの人を通すこともしなかったのです」。ジョンズ氏の推定では、約2時間も待っていたという。

長年エベレストについてのブログを書いてきたアラン・アーネット氏は最近、エベレストでの今シーズンの死者11人のうち5人が混雑によるものかもしれないと投稿した。

「下山するまでの十分な酸素がないにもかかわらず山頂を目指し続けるというのは、お粗末な決断です」とジョンズ氏の同僚ガイド、エリック・マーフィー氏は話す。「順番待ちをしている時には酸素の流量を少し下げ、使い果たすことのないようにしています」と同氏は、エベレスト山頂付近で必要な酸素を確保する方法を説明する。

通常酸素の流量を毎分3L程度で吸入するが、こんな時は2Lに絞って節約すべき。
酸素ボンベは4L・300気圧(1200L相当)、毎分3Lで6時間持つ。1本約5万円也。

同氏によると、行列の動きが遅いのは、何よりもリーダーシップの問題だという。「遅い登山者にシェルパが付いているなら、本当はそのシェルパが『人が通れるように脇に寄って少し休みましょう』と言うべきなのです。しかし、それは多くのシェルパにとっては、責任が重すぎるのです」と同氏は話す。

付き添いのシェルパは、客が参加した商業登山会社に雇われている。
客を登頂させないと成功報酬が貰えないのだ・・・
後ろから来る奴には構ってられないのだ。

登山技術の微妙な差も移動速度を遅くしていると、マーフィー氏は指摘する。「平らな地形であっても、すべてのロープに登高器を取り付ける人もいるのです」と同氏は話す。登高器とは、固定ロープに取り付け、登山者の滑落を防ぐ道具だ。地形が平らな場合、通常のカラビナの方が速く、比較的安全でもある。登高器の付け外しには10~15秒かかる。「カラビナよりも、遅い方法なのです」

この発想は間違い
カラビナ使用は確かに早いが、滑落・転落・スリップしたら下の支点まで落ちる。
次支点までの間に、人が居たら確実に巻き込む。
登高器を使ってれば、ロープから手を離しても、その位置から下に落ちる事は無い。

「混雑がニュースになりましたが、問題は登山者の経験不足なのです」と経験豊富なガイドで、ナショナル ジオグラフィック協会が率いる科学チームの一員でもあるマーク・フィッシャー氏は話す。「自己管理や効率的な登山技術、環境への適切な準備などを知らないようでした」

山頂付近の登山者数に影響を与えたもう1つの問題は、天候だ。例年、エベレストでは、登山者が登頂を目指せる比較的穏やかな天候の日が、5月に10~15日間ほどある。しかし、今シーズンはサイクロンの余波を受け、シェルパ隊が登山者のためにあらかじめ設置する固定ロープの完成が数日遅れた。5月14日に登山ルートが山頂まで開通した後も、天候が安定せず、登頂に適した期間がさらに短くなった。

シェルパ達に、全てのルート工作・キャンプ設営をさせて、
その間欧米企業人はBCで贅沢三昧・・・急ぐならお前等も現場で動け!

5月19日ごろには、天気予報が完全に変わった。それまで最高の条件だと考えられていた5月24日が、最悪の条件に突如変わったのだ。風速が30メートルに達するとも予想されたため、多くの登山隊は5月22日か23日までに登頂に挑戦するよう日程を変更した。 

当然どの隊も、条件の良い日を選ぶ。

〔ラッシュアワーを避けるという新たな戦略〕
2019年シーズンの最終的な公式のエベレスト登山者数はまだ発表されていないが、登頂者数の点では、今年は記録的なシーズンになるだろう。最新の報告によれば、今シーズン、ネパール政府が最多記録となる381通の許可証を発行したほか、許可を受けた登山者およそ140人がチベットから登頂を目指した(山で働くプロのシェルパは、この集計には含まれていない)。アラン・アーネット氏の報告によると、シェルパを含めた今年の登頂者の非公式記録は700人を超えるという。最多記録は802人で、2018年に樹立された。

中国は、許可証の発行数をはるかに少なくすることで、中国側のエベレスト混雑の問題を最小限に抑えている。

ジョンズ氏は、一部のガイドサービスの質にも言及する。「エベレストについて概観したとき、私が最大の問題と考えるのは、経験の浅い人や実力のない人を引き受けて登山させる地元企業です。関係者は耳を塞ぎたいでしょうけれど」

地元企業とは・・ネパール資本の商業登山会社を指す。
欧米の商業登山会社がそれ程立派か? シェルパと客から搾取して、今が有るのだ。
それに気付いたシェルパ達が起した会社だ・・・

今年8000メートル峰で亡くなった21人の登山者のうち15人は、国際ガイドサービスの顧客ではなく、ネパール人が主催した登山隊の顧客だった。

6人は、欧米の商業登山会社で死んでるし、過去にも大事故を起してるではないか?

「私たちは、どうやって混雑を避けるか、常に戦略を立てています」と同氏は説明する。「キャンプを発つ時間を数時間早くまたは遅くすると、まったく違う一日にできるのです。これがエベレストに関する決断のもう1つの面です。欧米のガイドサービスは互いに連絡を取り合っていますが、その他の事業者は違います」

キャンプを発つ時間調整等は、混雑時は当然の事で、戦略等と言うもので無し。

これはデリケートな問題だ。ネパールの登山産業は儲かるため、
欧米のガイドが長く独占してきた。
ネパール人オーナーの企業が大きく進出し始めたのは、
わずか過去10年ほどのこと。
主に外資系企業よりも料金をはるかに低くすることで、
顧客の望みに応えたのだ。

混雑が直接の死因ではないとしても、登頂に要する日数が長くなりリスクが増す原因であることに疑問の余地はない。エベレスト登山の力学を完全に変えてしまったのだ。

今シーズン、ネパール側からエベレストに挑んだドイツの登山家デイビッド・ゲトラー氏は、無酸素登頂を試みたが、結局、山頂まで200メートルの所で引き返さざるを得なかった。混雑によるリスクを許容できないと同氏は判断したのだ。
「たとえ今すぐ下山したいと言ったとしても、ほかのすべての下山中の人の列に並ばなければならないのです。体を暖かく保つのに十分な速さで動くこともできません」と同氏は説明する。「それは取るつもりがなかったリスクであり、大惨事につながる可能性が非常に高いものだったのです」
ゲトラー氏はこう続ける。「期待していたのは体験です。エベレストに行って、混雑や技術に不平を言うのは本意ではありません。私たちプロが、こうした場所の探索がいかに素晴らしいかということを、世界に伝えているのです。当然、混雑するでしょう」

ベン・ジョンズ氏もエリック・マーフィー氏も、10年以上もの間、顧客と共にエベレストに登ってきたことに触れ、否定的な報道が続いていることを嘆く。「人間関係を築けば、その目標を達成するうえで培った友情は特別なものになります」とマーフィー氏は語る。
家に帰ると、友人や家族から、現地で何が起きているのかを聞かれます。彼らが耳にするのは、毎年報道されるこうした否定的な内容ばかりだからです。しかし、それは真実ではないと私は思います。とジョンズ氏。「登山で悪い結果を招くのは、1つの決断ではなく、判断ミスを重ねることなのです」


この記事を読んでの感想
エヘレスト登山を、欧米の商業登山会社が仕切ってる様に思える。
シェルパ達の支援無くしては、アイスフォールの通過も出来ないし、
商業登山が成立しない事を忘れてませんか?


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エベレストから4人の遺体を移送、プラごみや捨てられた登山具10トも  

6月2日 AFP】世界最高峰エベレストで春季の登山シーズンが終わるに当たって、ネパール当局は先月末、登山者4人の遺体を収容し、ごみ約10トンを回収したと明らかにした。

エベレストでは、地球温暖化で解けた氷河から遺体やごみが表出している。
ごみは、商業登山がブームになり、大金を払って登山に参加し、自分が残して行くものにほとんど注意を払わない人々が増えたこの数十年の間に蓄積したものだ。

報道によると、先週、4人の遺体がヘリコプターで山から搬送された。
ネパール観光局のダンドゥ・ラジ・ギミレ局長はAFPに対し、この4人の身元の特定が進められていると話した。

ネパール政府が派遣した総勢14人の部隊は、約6週間にわたり、ベースキャンプと標高8000メートル近い地点にある第4キャンプで、空き缶や瓶、プラスチックごみ、捨てられた登山用具を回収。軍のヘリコプター数機とシェルパらの協力で、エベレストのルートで最後に位置する大きな村ナムチェバザールにごみを移送した。
利用率の高い登山ルートには、蛍光色のテントや捨てられた登山用品、空のガスボンベ、さらには人の排せつ物が散乱している。
清掃部隊のリーダーは、「エベレストをきれいにするため、この事業をあと数年、
特に高地のキャンプ地で続ける必要がある」とコメントした。

ゴミ問題に関しては、投棄を防ぐ為に既に登山隊1隊に付き、
3000$のデポジット料を徴収してる。持ち帰れば返金される仕組みだが・・・
商業登山会社の多くの隊は、荷下ろしする手間よりは、楽な道を選ぶのが現実。
この春政府は36隊に登山許可を出してるので、36隊×3千$の仮収入が有ったはず。
自力で一部のゴミを下ろした隊に、幾ら返金されたかは判らないが・・・
商業登山の一人当たりの料金(7百~1千万円)には、既にこの分も含まれてるのだ。

空に為った酸素ボンベ(約1キロ)も、大量に捨てられてる・・・
持ち帰れば、詰め替え用として約100$で売れるらしいのだが、
そんな余裕が無いのが8千mの環境・・・

デポジット料を更に値上げし、持ち帰らないと損だと思う様な設定にしないと、
投棄は減らないのでは・・・


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この春にチベット側から登頂した、平岡ガイドの見解です。

RYUSEKI EXPEDITIONS

昨日までに全隊員が帰国し、全てのスタッフが家に帰りました。
「エベレスト登山隊2019チベット」無事終了しました。
今回は、全員登頂とはなりませんでしたが、状況の悪い中、5月23日に、Mさん、
ニマ・カンチャ・シェルパ、平岡竜石の3名が頂上に立つことができました。
そして、何よりも全員が無事下山できたことが、嬉しいです。
ニュースで報道されているように、今シーズンのエベレストの死者数は11人となりました。
ネパール側が9人、私達が登った中国チベット側が2人です。
例年ネパール側と中国チベット側を併せても、5~6人程度なので、
非常に厳しいシーズンだったと言えます。

今年のエベレストは、冬季の積雪が少なく岩の露出が多く、ルート状況が厳しかったのに加えて、
シーズン前半にサイクロンの襲来などもあり、天気が不安定だったので、
登頂が例年より1週間程度遅くなって、登頂のチャンスが少なくり、
ある特定の登頂日に登山者が集中しました。 報道されているように、
私達が登頂した5月23日は、天気予報も良く、登山者が集中して、渋滞が発生し、
私達も非常に時間がかかりました。

しかし、中国チベット側は、既に今年から入山制限をしており、ネパール側に比べると、
まだましだったようです。
ネパール側で9名もの死亡者が出た要因として、今シーズンの登山許可数が381人と、
過去最高を記録していた事が挙げられるます。
報道されているような死亡事故などは、本人の体力や、技術や、経験の不足が、
最大の要因になっていると思います。 それに加えて、
登山隊や現地エージェントの質の問題があります。

近年、シェルパがガイドとして自立して働くようになってきました。
それはとても良いことなのですが、未だ玉石混交なのが実情です。
それに伴い、ネパールのエージェントも独自でエベレストの登山隊を募集するようになったのですが、
その中で安い価格を売りにするエージェントも多く見受けられます。
安い価格のエージェントの中には、粗末な装備を使用して、
あまり経験が無いシェルパをガイドとして雇用することにより、
経費を節約して価格を安くしているケースが多々あります。
山の状況も良く、天気も良く、混雑もしていない状況で、順調に登山すれば、
特に問題無く登頂もできるでしょうが、今年のように状況が厳しく、天気もあまり良くなく、
混雑して時間がかかると、各人各隊の悪い所が露呈して、最悪の場合、死に至っているようです。
その反面、同じ状況であっても、多くの人は無事登頂し、下山しているのも事実です。
死亡した方の多くは、ある特定のエージェントに集中していて、それらのエージェントでは、
死亡者だけでなく凍傷者やその他のケガ人も多く出しています。
これからエベレストを目指される方は、是非、ちゃんとしているエージェントを選んでください。
毎年のように死亡者を出しているエージェントには、潜在的な問題があり、近寄らない方が無難です。
料金が安くても、1回で登れなくて2回3回と回数を重ねるのでは、トータルで高くつきますし、
死んでしまっては元も子もありません。
ちゃんと準備をして、ちゃんとトレーニングを積んで、
経験豊富な良いシェルパと一緒に登山すれば、
安全に楽しくエベレストに登ることができるでしょう。

写真は、2019年5月23日のエベレスト頂上の、ニマ・カンチャ・シェルパと私です。
ニマ・カンチャ・シェルパとエベレスト頂上に立つのは、これで3回目です。
http://ryusekiexpeditions.com/post-2203/


◆◆山彦のヒマラヤ・他雑談◆◆の中で、安田氏の事を何度か取り上げましたが、
愈々一人でマッキンリーに登頂し、そしてスキー滑降する計画の実施です。

マッキンリー(6190m)は、北極圏に近い位置に有り、
気温が常時低い為に、ヒマラヤの7000m級の難度で、
登頂の成否は、50%とも言われてます。

登頂するだけでも大変なのに、その後スキーで滑降する計画です。

普段は都内のDgS(ドラッグストア)で登録販売者(元薬種商販売業)として勤務し、
休日は港湾で日雇い労働をして、遠征資金を稼ぐと言う日々の生活スタイル。
誰もが真似の出来る事では有りません・・・



安田氏のスケジュール
5月13日東京発→アンカレッジ着(アンカレッジ泊)
5月14日アンカレッジにて食料等の買い出し
5月15日アンカレッジ→タルキートナ着(タルキートナ泊)
5月16日タルキートナにて登山準備
5月17日タルキートナ→(セスナ)→BC(2227m )

5月18日~6月16日(登山期間30日間)

第1日目 BC →(荷揚げ)C1→BC
第2日目 BC →C1(2410m)
第3日目 C1 →(荷揚げ)C2→C1
第4日目 C 1→C2(3050m)
第5日目 C 2→(荷揚げ)C3→C2
第6日目 C2→C3(3506m)
第7日目 C3 →(荷揚げ)→C4→C3
第8日目 C3 →C4(4331m)
第9日目 C 4にて静養
第10日目 C 4→(荷揚げ)C5→C 4、
第11日目 C 4にて静養
第12日目 C 4→C5(5246m)
第13日目 C 5にて静養
第14日目 C 5→山頂(6190m)→C5
第15日目 C 5→C4
第16日目 C 4→C2
第17日目 C 2→BC

 ※余剰日はフライト予備日または登山調整日

6月17日BC発→(セスナ)→タルキートナ着(タルキートナ泊)
6月18日タルキートナ発→アンカレッジ着(アンカレッジ泊)
6月19日アンカレッジ発→東京


登頂、そしてスキー滑走の成否も気に為る処ですが、
無事の帰国を願ってます。


出国に当たり安田氏のブログ   ではデナリ遠征に行ってきます。


安田氏の関する記載




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5月17日
登山基地タルキートナの町より更新有り

今季の登頂者は、今だに0との事。
HC(5200m)より上の、最高気温は-23℃・最低気温は-29℃だと。
低気圧が居座ってるのか???
登山期間は1ヶ月有り、焦らずジックリで。


花谷隊

自らヒマラヤキャンプを主催し、若者にヒマラヤ登山を伝授してる、
登山家の花谷康広氏が、今年は母校の信州大学創立70周年記念事業で、
山岳会の後輩4人を引き連れて、ヒマラヤで登山中です。

ヒムルン(7126m)に登頂し、その後にヒムジュン(7092m)から、
ヒムルンに縦走すると言う壮大な計画で、氏の10年来の夢だそうです。
中一泊の7千m縦走ですが、成功するでしょうか・・・

                   ↓ヒムルン(7126m)             ↓ヒムジュン(7092m)
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行動の詳細はFBで。

こんなOBが居るとは、羨ましい限りですね。


追記 
28日3名がヒムルンに登頂。奇跡的な出来事も・・・
   詳細は↑FBで。

5/1
今回の登山の一番の目標は、ヒムルンヒマールの隣にあるヒムジュンです。
ヒムルンヒマールの登山は、ヒムジュンのための高所順応と偵察が主な目的でした。平成のうちにその準備を整えることが最初の課題でしたが
まずはそれをクリアすることができました。



5/10
5月8日にヒムジュンの前衛峰6500mを越えましたが、これより先のルートの困難さが我々の力量では突破は厳しいと判断して、9日に撤退を決断し下山しました。とても素晴らしい山で登りたかったのですが、今は無事に下山ができてほっとしています。
なお、ヒムルンヒマールに再チャレンジしていた土田夫妻ペアは、9日に登頂に成功しました。ヒムルンヒマールにはメンバー全員が登頂できました。

縦走は出来なかったが、全員初期目標は達成、おめでとう~


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平岡隊

例年の如く、エベレスト北稜からの登頂を目指す、商業登山の平岡竜石隊。
登山客2人に対して、集めたシェルパの登頂歴は43回とか・・氏も4回登頂。
平岡氏は、高度順応のさせ方が上手く、客と一対で同行させるシェルパの技量も高く
定評の有るガイドです。

既に、ABC(6400m)の設置を完了、客も6000mでの順応を終えたとか・・・
行動の詳細は↓で。




ネパール側で今季初登頂を記録した、今季最初の好天期の3日間で、キャンプ2 7800mとキャンプ3 8300mの荷上げを完了して、シェルパ達がベース・キャンプに、降りてきました。これで登頂準備完了です。いつもありがとう。登頂準備完了と入れ替わりに、ジェット・ストリームがヒマラヤの真上を覆ってきました。久しぶりにエベレスト...北壁が、夕陽に照らされ輝いています。このジェット・ストリームが去った後のの好天期を狙って、明日ベース・キャンプ5150mを出発します。今季はこれが最初で最後の登頂のチャンスになるでしょう。一歩一歩確実に歩みを進め、世界最高峰エベレスト8848mの高みを目指します。僕らの願いが叶いますように。
https://ryusekiexpeditions.com/235143/


今季のチベット側は、例年に比べ雪の着き方が少ない・・・
イエローバンドが丸見え、アイゼンでの露岩歩きは、困難が予想されます。
イメージ 2


これからベース・キャンプ5150mを出発します。
23日か24日の登頂を目指します。では、行ってきま~す。


5月22日
8200m(C3)に到着。23日の登頂成るか!



2019年5月23日  10時53分
We are on Top of the world 8848m!   


5月24日
夜8時過ぎに、6400mのABCに全員無事帰還。


登頂 おめでとう~

発見が遅れてしまった・・・
往年の名クライマーである、ワァルテル・ボナッティが・・・

K2 初登頂の真実



2019年3月31日(日) 23:59 まで
無料で映画が見れます。

「非情の山」として畏怖の念を持たれエベレストにも増して登頂が困難な、世界第二の高峰―。1954年、イタリアでは野心家のデジオ教授が密かに最強のアルピニスト・チームを集めていた。厳しいトレーニングで中には肉体的、精神的な限界にぶつかる者もいた。だが、皆前へ進みたい。登頂したいのだ。強靭な精神力と足腰を持つ青年ボナッティはその代表格だ。最終的には12人が選ばれる。男たちが地球を半周し命知らずの登攀を始めると、それぞれの個性がぶつかり合い、結束したチームに嫉妬と不信が見え隠れし始める……。果たしてK2初登頂は成功するのだろうか。

1月18日に日本人が、南極点到達と書きました。
これです。↓
途中支援を受けては、登山界や冒険界では、残念ながら〝単独〟とは言いません。



しかし同じ年の夏期に、世界初の単独横断と言う偉業を成し遂げた、
〝冒険家〟が居ました。




世界一過酷な環境の中、54日間で1500キロを踏破
2018.12.28 ナショナル ジオグラフィック日本版
 

米国のコリン・オブレイディ氏(33歳)が世界で初めて、単独、無支援での南極大陸横断を成し遂げた。11月3日の出発以降、GPS信号を追跡してきたオブレイディ氏のウェブサイトによれば、すでに太平洋側のロス棚氷に到着しているようだ。
オブレイディ氏は自身の筋力だけを頼りに、地球上で最も寒くて風が強い、
最果ての大陸を、重さ136キロ以上のそりをスキーで引き、54日かけて横断断。
大西洋側から太平洋側まで、南極点経由で約1500キロを踏破した。
最後の2日間はラストスパートをかけ、それまでの1日平均の5倍近いペースで約130キロ進み、東部標準時12月26日午後1時少し前(日本時間12月27日午前3時前)、南極横断山脈からロス棚氷に到達し、南極横断の歴史にその名を刻んだ。
(中略)
 
ゴールまで130キロ、30時間のラストスパート
パルクと呼ばれるそりを引くオブレイディ氏。100キロ以上の物資を積み、54日間で約1500キロを踏破した。
(中略)


凄過ぎますねぇ~ 
この歳に為っても、こんな記事を目にすると〝ワクワク〟します。

何とも凄い〝冒険スキー家〟がいます。
登るのにも難関と言われるK2から、スキー滑走をした話です。

世界初、8600メートル峰K2からのスキー滑降に成功した男、挑戦の物語

3/2(土) 8:42配信
ナショナル ジオグラフィック日本版
世界初、8600メートル峰K2からのスキー滑降に成功した男、挑戦の物語

パキスタンと中国の国境線が走る凍てついたカラコルム山脈。その山奥深くにそそり立つ花崗岩のピラミッドが、標高8611メートル、世界第2位の高峰K2だ。エベレストに237メートル及ばないものの、K2のほうが険しく、寒さも厳しく、到達が難しい。登頂に成功した人間の4人に1人が命を落としているという数字が、その危険を物語っている。1953年に登頂を断念した米国人のジョージ・ベルいわく、「あれは人を殺したがっている。非情の山だ」。以来、K2は「非情の山」として登山家の間で知られるようになった。

氷に覆われた崖、突如として発生する雪崩、意識を奪う低酸素状態、殺人的な寒さ、ひっきりなしに起こる嵐。これ以上危険な“スキー場”が他にあるだろうか。過去25年間、スキーの達人が何人も山頂からの完全滑降に挑戦しては失敗を繰り返している。エベレスト山頂から初めてスキーで滑降したハンス・カラマンダー氏は、2004年に目の前で滑落する登山者を見てK2挑戦をあきらめた。2009年、K2の下の斜面でトレーニングをしていたミケレ・ファイト氏は命を落とし、それを目の前で目撃していたパートナーのフレデリック・エリクソン氏もまた、翌年の再挑戦で、頂上からわずか400メートルの地点で転落死した。

「今まで達成されなかったのには、わけがあります」と語るクリス・ダベンポート氏は、ナショナル ジオグラフィックの元アドベンチャラー・オブ・ザ・イヤーで、世界エクストリームスキー選手権で2度の優勝経験を持つ。「世界でも有数のスキー登山家が、K2で命を落としているんです」

 一方、ポーランド人の冒険スキーヤー、アンジェイ・バルギエル氏(30歳)は、2013年から標高8000メートルを超える山をスキーで降りるという挑戦を始めた。その年には世界第14位のシシャパンマ山、翌2014年には世界第8位のマナスル山を制覇した。2015年、ゴドウィン・オースティン氷河を隔ててK2の向かいにある標高8047メートルのブロードピークを下りようとしたとき、巨大なK2の姿を初めて目にした。

「標高8000メートルのあの場所ほど、K2を望むのにふさわしい場所はありません。あそこで勇気をもらいました。よし、やれる、と思ったんです」

2017年、バルギエル氏はK2でのスキー滑降に挑むことを公表した。同じ頃、スロベニア人でベテランのエクストリームスキーヤーであるダボ・カルニカ氏も、同様の計画を立てていることを明かした。カルニカ氏は2000年に、世界で初めてエベレスト山頂からふもとまでの完全滑降に成功した。1993年にはK2に初挑戦していたが、標高7894メートルの地点でスキー板が風で飛ばされてしまい、断念せざるを得なかった。スキー板を失っただけで済んだのは運がよかったのかもしれない。この時の激しい風のせいで、登山中のパーティーはすべて撤退していた。

2017年の夏は、ふたりともK2への挑戦を果たすことができなかった。これは驚くことではない。状況が危険すぎて、何年もK2の頂上へ到達できないこともある。バルギエル氏は、弟のバルテク氏の操縦するドローンに助けられ、事前調査を実施し、予定しているルートを半分まで登り、高山の嵐に備えて避難用の穴を掘った。1日の気温変動に雪や氷河がどう反応するかを研究し、障害物を回避するために必要なタイミングやポジショニングを頭に叩き込んだ。雪山には、いまにも崩れそうなセラック(クレバスで断ち切れた氷塔)がいたるところに潜んでいる。2008年には、このセラックが1本崩落したために11人の登山者が命を落としている。

「K2への登山経験がある登山家やガイドと話をすると、『絶対に無理だ』と言われます」と、ダベンポート氏は言う。

バルギエル氏は、「私の成功を信じる人はほとんどいませんでした。一度目の失敗の後は特に信じてもらえませんでしたね」と明かした。

それでもあきらめることなく、2018年に再びK2へ戻った。最寄りの村からベースキャンプまで110キロの道のりを歩き、そこで天候の回復を待った。幸い、この年はK2へ登るには適した年だった。7月19日、バルギエル氏は酸素ボンベも持たずに頂上を目指して出発。7月22日午前11時28分、彼はスキーを持って単独で世界第2の山の頂上に立った。

風に飛ばされないように注意しながら、スキー板を荷物からほどいた。板の表面には、両親、3人の姉妹、7人の兄弟のイニシャルが書かれている。しかし、感慨にふけっている暇はない。スキー板を装着し、傾斜50~55度の急な氷の斜面を慎重に滑り降りた。準備中は不安に襲われることもあったが、実際に滑っている間は「すべての恐れが消えていました。心の中は落ち着いて、完全に集中できました」と後に語っている。

極限状態でスキーをするには、それだけ強靭な集中力が必要とされる。「転倒は、死を意味します。遺体すら発見されません」。2009年にK2で2度目のスキー滑降に挑戦した米国人のデイブ・ワトソン氏は言う。このとき、ワトソン氏は標高8352メートルの地点で胸まで届く深い不安定な雪に阻まれて滑降を断念した。

空気は薄く、バルギエル氏はカーブを曲がるたびに立ち止まって息を整えながら、標高7689メートルまで順調に下ってきた。ここから先は、キャンプや固定されたロープがあるメインの登山ルートを外れ、誰も足を踏み入れたことのない未知の領域へ分け入る。既存の一本道を行くのではなく、4本の登山道を結ぶ独自のルートを事前に描いてあったのだ。危険な道のりだった。

初めのうち、山をすっぽりと包む深い霧が、行く手を阻んだ。視界が効かない状態では、数ある崖やセラック、氷河を避けて通るのは不可能だった。より安全なアブルッチルートを行くという選択肢もあったが、そちらはブラックピラミッドと呼ばれる高さ600メートルの岩場をロープで懸垂下降しなければならず、全行程をスキーで降りるという目的が果たせない。緊張の1時間半が過ぎると霧が晴れ、前人未到の南側斜面へ向かって、歴史的挑戦の一歩を踏み出した。

その晩7時ごろ、バルギエル氏はK2のふもとのゴドウィン・オースティン氷河へたどり着いた。
所要時間7時間、垂直距離にして3597メートル。
命をかけた歴史的なスキー滑降は、こうして成し遂げられた。
心も体も疲れ果てたバルギエル氏は、そのまま1時間半雪の上に横たわっていた。
(中略)


日本でも、エクストリームスキーを標榜してる〝冒険家〟が何人か居るが、
これから見ると・・・まだまだです。
下手なお前が何を言うか!と怒られそうですが・・・上には上が有るものですね。

あの中国でも、チョモランマBCへの立ち入りを制限した模様です。
BCまで車で往けるように、道路整備したのは国ですが・・・

中国側のエベレストベースキャンプ、観光客の立ち入りを禁止

2/16(土) 22:58 AFP配信

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回収されたゴミ

世界最高峰エベレスト(Mount Everest)をめぐり、中国当局は観光客がチベットTibet)自治区にあるベースキャンプへ立ち入ることを禁止した。
国営新華社(Xinhua)通信が15日、報じた。

新華社によると、今回の禁止令は「通常の観光客」に限られ、登山許可を得ている人々には適用されない。また、観光客向けの新たなキャンプが、ベースキャンプの2キロ下方に設置される予定だという。

(観光客向けのホテル等が建つ噂も・・・酸素マスク付ホテル\(◎o◎)/!)

自然保護当局者の話として伝えたところによると、標高約5000メートルに位置するロンポ僧院(Rongpo Monastery)上方のエリアへの立ち入りが制限される。

隣国ネパールと国境を接するエベレスト周辺は、近年多くの観光客や登山客が押し寄せている。ヒマラヤ地方への訪問者数は2018年、前年比で25%近い増加を示し、
過去最高の117万3072人を記録した。

また昨年、エベレストの登頂を果たした登山者数も、過去最高の807人に上った。
だがエベレスト人気が高まるのに伴い、ごみの量ばかりか、遺体の数も増加の一途をたどっている。

中国当局は今回の禁止措置に加え、標高8000メートルを超えるエリアでの遺体収容に重点的に取り組むとともに、ベースキャンプの滞在者数も300人以下に制限する計画だという。

新華社の報道によると、中国当局は昨年、標高5200メートル超のエリアで清掃活動を3回実施。「8トンを超える家庭ごみや糞便、登山関連のごみ」を回収したという。


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エベレストで登山者が捨てるごみ増加、世界最高峰のごみ溜めに?

2018年6月25日 13:39 AFP 発信地:カトマンズ/ネパール  
 
数十年前から登山の商業化が進む世界最高峰エベレストは、高額な費用を払うもののゴミには無頓着な登山者たちの増加によって、世界最高峰のごみ溜めと化している。
山頂へ続く登山道には、蛍光色のテントや捨てられた登山用具、空になったガスボンベの他、人の排泄物までもが散乱している。

これまで18回のエベレスト登頂を果たしたペンバ・ドルジェ・シェルパさんは、AFPの取材に対し、「とても不快だし、目障りだ」「この山には、何トンものごみが捨てられている」と語った。
登山者数の急増に伴い、ごみの問題は悪化している。
今年に入り世界最高峰の登頂を試みた登山者は、現時点で少なくとも600人に上る。

その一方で、地球温暖化の影響により氷河の融解が進んでいるせいで、
エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが初のエベレスト登頂に成功した65年前から溜まり続けているごみが露出するようになっている。

 ごみを減らす努力も行われている。ネパール政府は5年前、各チームにつき4000ドル(約44万円)の預託金(デポジット)制度を導入。預けたお金は、各登山者が最低8キロのごみを持ち帰った場合に返金される。

チベット側のヒマラヤ山脈でも同量のごみの持ち帰りが義務付けられており、
違反した場合には1キロ当たり100ドル(約1万円)の罰金が科される。

サガルマタ汚染管理委員会(SPCCによると、ネパールでは2017年、
25トン近いごみと15トンのし尿が登山者らによって持ち帰られたという。
その重量は、2階建てバス3台分に相当する。
だが多くの登山者たちは、預託金を没収される方を選択する。彼らがエベレスト登山のために支払った2万~10万ドル(約220万~1100万円)の費用に比べれば、
その金額はわずかなものでしかないからだ。
ペンバさんも、多くの登山者たちは意に介さないと肩をすくめる。
当局者の中には少しばかりの賄賂と引き換えに見て見ぬふりをする者もいて、
この問題を悪化させているとペンバさんは語った。
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サウス・コルC4(7900m)に散乱するゴミ

エベレストの登山産業は、この20年間で急成長した。
その結果、登山道が混雑することへの懸念や、格安旅行業者に釣られた経験の浅い登山者が増加することへの危惧が広がっている(所謂 商業登山を指す)
双子のきょうだいウィリーとともに20年以上のエベレスト登山経験を持つダミアン・ベネガスさんは、こうした経験の浅い登山者たちがごみ問題を悪化させていると警鐘を鳴らした。

今に始まったのではなく、過去の登山隊の多くが投棄してました。

シェルパや高地ガイドの他、地元の先住民族から選ばれたスタッフたちは、
テントや予備の酸素ボンベ、ロープなどの重い荷物を持って山を上り下りする。
以前は大半の登山者たちが、予備の着替えや食料、寝袋、補給用酸素といった個人用装備品を自分で運んでいたが、今は多くの登山者たちが自身で扱うことができず、すべてシェルパに運んでもらっている。
「彼らは客の荷物を運ばなければならないので、ごみを持ち帰ることができないのです」とベネガスさんは語った。

環境問題専門家らは、エベレスト山中の環境悪化がふもとの谷にある水源にまで影響を与えていると懸念を示している。
ヒマラヤの各山域で、河川の生水を飲めない一因が、これです。
現在、ベースキャンプから排出された未処理の汚水は、
徒歩1時間ほどの隣村まで運ばれ、その村の下水溝に廃棄されている。
整備された下水溝等は有りません、沢筋の窪地に捨てるのです。
米国人技術者のギャリー・ポーター氏によると、汚水はその後、
モンスーンの時期に丘のふもとを流れる川に排出されるという。
雨期に沢が増水、下流に流されて無くなるのです。
ポーター氏はこうした問題について自身のチームとともに解決策を模索しており、
現在、登山者たちの排泄物を肥料に変えるバイオマスプラントをエベレストのベースキャンプ近くに設置することを検討している。
観光や登山で訪れる客の多い、アンナプルナやエベレスト街道沿いの村では、
人糞は畑の肥料に、荷物を運ぶヤクやゾッキョの糞は乾燥させて、
竈の燃料に再利用これが現状です。

あの三浦雄一郎が、南米最高峰からのスキー滑降を、
健康上の理由で断念したとか・・

計画の概要が見られます↓

朝日新聞同行記者のツィッター 詳細が判ります。



4200mのBCから、5580m地点へ〝ヘリ移動〟して、キャンプを進めて登頂。
登頂後に5500m地点まで下り、スキー滑降の計画でした・・・が・・・



日本からの〝助っ人〟と、現地ガイド達
  平出↓       雄一郎↓ 豪太↓倉岡↓大城↓↓貫田 ↓健郎
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シスパーレで名を挙げた、平出・健郎組、山岳医師の大城女史、
戦力には程遠い、倉岡・天国ジジイまで集めた隊です。



行動の概要(日刊スポーツより)
18年12月3日 86歳でアコンカグア登頂に挑戦すると記者会見
19年1月2日 日本出発
3日   アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに到着
4日   入山手続き
10日 ヘリコプターで標高4200メートルのベースキャンプ(BC)入り
18日 BCからヘリで標高5580メートル付近に入り、登山開始
    標高約6000メートルのキャンプ地「プラサ・コレラ」で宿泊
19日 気象状況が悪く、プラサ・コレラに滞在
20日 登頂断念(心不全の恐れ有りと大城医師が判断して)


町からBC(4200m)へ〝ヘリ移動〟、BCで1週間高度順応して、
5580mキャンプへ〝ヘリ移動〟?????
それは、雄一郎の体力消耗を配慮しての策だとか・・・
それにスキーとスキー靴を、現地ガイドに背負わせる計画だったとか・・・
他人に板を上げて貰って・健郎に確保されて登り・平出に滑走動画を撮らせる。
滑りの、旨いとこだけ取りの予定が破綻です。


麓の町から、ヘリで4200mBCに上がって、
更に5580mまでヘリを使ったのでは、
6000mで具合が悪く為るのは、当たり前の事。

僅か4・500m登って、はい終わりーでは、
何の為に、南米アコンまで往ったのか意味不明ですね・・・
(サプリの、CM撮りだったのでしょうか?)

(株)ミウラ・ドルフィンズには、6000mの高度(標高)までを体験出来る低酸素室が有り、
希薄な酸素濃度に慣れる事が可能です。(有料・民間ではここだけか)
ここに入っただけで、高度(高所)順応が出来る訳では無い。
雄一郎は家主なので、只で使えるだろうが・・・
しかし現実の6000mは、低気温+低酸素+低気圧が身体に影響を与えるのです。
気圧・気温は、高度(標高)が上がれば、下がるのが普通です。

例えば、平地(海抜0m)の気圧が1000hPaの時に、
6000mの気圧は半分の496hPaで、体の体積が膨張します。(山でポテチ袋が膨張と同じ)
これが高山病の症状の一つで、所謂 浮腫る(フシュる)と言う、ムクミです。
当然血管も太くなり血圧が低下しますし、脳もムクミ思考力が低下ます。

BC入り前の顔
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下山直後の顔
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顔のムクミが取れてません

ですから、低酸素を体験しただけでは、順応したとは言えません・・・
〝低圧・低酸素室〟に入り、高度と低酸素を同時に体験しないと、不十分なのです。
この設備は、鹿屋体育大学に有り、著名な登山家の中にはここで訓練してから、
ヒマラヤに向かう方がいます。
自称登山家の故人は、ミウラの施設で6000mの〝低酸素室〟を体験し、
これで順応したと言い、エベレストに往きましたが・・・
常にBC(5000m辺)の高度で、体調を崩してました。初期高度(高所)順応の失敗です。
実際は、山で標高500m毎の体調をチェックしながら、時間を掛けて、
高度(高所)順応するのがベストなのです。



大城・倉岡や貫田はエベレストの経験者、特に倉岡は12回も登頂、
こんな高度順応の仕方に、何も言わなかったのか・・・不思議。
相手は大御所だし、高額な契約金貰った雇われの身だし、
まァーいッか~~の、感じかなッ・・・  残念な話しである。


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こんな記事を見つけた

朝日新聞1月17日記事
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南米大陸最高峰アコンカグア(標高6961メートル)の登頂とスキー滑降に挑むプロスキーヤー三浦雄一郎さん(86)の遠征で、三浦さんの事務所「ミウラ・ドルフィンズ」は16日、予定ルートを変更すると発表した。
当初登るルートとしていた氷河の状態が不安定で登山に適さないと判断。
一般的な尾根伝いのルートに入って山頂をめざす。
ルート変更は状況によって、有り得るが・・・

当初は山頂付近に残るポーランド氷河(図の青線ライン)を登る予定だった。
だがルートを視察した遠征隊メンバーや現地ガイドが、氷河のところどころが非常に硬くなっていることなどを確認し、代わりのルートを検討した。
予定通り進めば、登頂は現地時間の22日になる。

変更後の計画では、三浦さんは、滞在している標高4200メートルのベースキャンプから18日にヘリコプターで発ち、標高5580メートル付近で降り立つ。
その後、尾根伝いの一般的なルートに向けて歩き、先に歩いて登る次男の豪太さんら遠征隊メンバーと合流。標高5870メートル付近にテントを張って宿泊する。
19日から、高度を徐々に上げながら3泊して移動し、22日の登頂をめざす。

氷河の状態を考慮し、スキー滑降は頂上付近ではなく、下山途中の別の斜面で24日に試みる。その後、標高5500メートル付近からヘリでふもとまで下山する。

スキー滑走の計画を、ポーランド氷河から大幅に変更しました。
図中の赤印から⑧までの僅かな間だけです。
⑧からは、ヘリでBCではなく麓の町まで・・・?????

登山活動の中心となる登攀(とうはん)リーダーの倉岡裕之さん(57)は「年齢を考慮し、まずは登頂するために検討した結果だ」と説明。
三浦さんは「体力に合わせて決めていただいており、登頂への期待が高まってきた」と話している。(金子元希 記者)

登頂が目的だったのか・・スキー滑降が目的だったのか・・


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三浦さん4年後のエベレスト登頂へ意気込み
3/27(水) 5:18配信 日テレニュース

今年1月、南米大陸最高峰・アコンカグアへの登頂を断念した三浦雄一郎さん。
26日夜の深層NEWSに三浦さんと息子の豪太さんが出演し、登頂断念の真相と、4年後のエベレスト登頂を目指す意気込みを語った。

プロスキーヤー・冒険家、三浦雄一郎さん「(登頂断念は)ドクターの誤診でしてね医者だって間違いはある。99.99%登れた。6000メートルだと酸素は(平地の)半分以下になりますから、誰でも呼吸は激しい。苦しくなる。大城医師と同じテントで暮らしていて、見ているうちにこれは危ないと。もう86歳、後期高齢者。いつ心臓が止まっても心不全起こしてもと判断したみたいだよね」

気圧の変化で、体調不良だった事が判らないらしい・・・

 二男・プロスキーヤー・博士(医学)、三浦豪太さん「ドクターストップがきっかけで『わしはもうダメなんだ。もう山には登れないんだ』と落ち込んでないかが一番心配だったんですが、(山から)降りてお父さんに話したら『6000メートルまで今回行ってドクターストップが掛かったことで、逆に90歳になったらエベレストに登れるという自信がついた』というすごいロジックが。この人まだまだ落ち込んでなくてよかったと思って」

「90歳でのエベレスト登頂に向けた自信のほどは?」

三浦雄一郎さん「やってみなきゃわかんない。五分五分ですよ。運がよければ登れるだろう。いくつになっても人間、これをやってみよう、これができたらいいな、そういういろんな願望を目標にしてそこに向かって、僕の場合、エベレストですけど、そのために足腰を鍛えることを繰り返すことが健康の大きな素になる」

三浦雄一郎さんはさらに、高い目標を掲げて実現するために努力する「攻めの健康」が最高のアンチエイジングとなると訴えた。
  

どーしょうも無いね・・・判ってるのか・・・

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阿部君が昨日、メスナールートから単独で南極点に到達しました。
秋田県人として、100年前の探検家・白瀬矗(のぶ)中尉の〝夢〟を果しました。

今回の達成を次なる夢へとつなげ、
世界初となる白瀬ルートへのチャレンジがいよいよ始まるそうです。


粗末な地図と六分儀・磁石を頼りにした、
アムンゼン・スコット・白瀬矗達の探検時代と比較し、
現代はGPSや衛星電話が有り楽に為ったとは言え、快挙に違い有りません。

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極点冒険の様子は  https://www.jinriki-support.com/abe/
          https://twitter.com/masatatsuabe
                             https://www.facebook.com/garyu.keepsmiling/



秋田魁新報 12月28日付け
11月下旬から日本人未踏のルートで南極点に歩いて向かっている冒険家阿部雅龍さん(35)=秋田市生まれ、潟上市育ち、東京都住=は、食料などの補給を受けない「単独無補給」での到達を断念した。行程の遅れで食料が不足する恐れが出たため、23日に補給を受けた。引き続き南極点を目指す。自らのフェイスブック(FB)の25日付の日記で明らかにした。
阿部さんは出発から31日目の出来事として、FBに「食料補給地点を通過。(中略)僕もここで補給を受ける。(中略)決断をするのは楽ではなかった」と記した。最後に「雪の状況は飛躍的に変わるはずだ。絶対に行くんだ、南極点!」と綴った。
食料補給地点は、南極点到達を目指す冒険家らがベースキャンプなどから物資の補給を受ける場所。



秋田魁新報 1月17日付け
 昨年11月下旬から南極点へ単独で歩いて向かった冒険家阿部雅龍(まさたつ)さん(36)=秋田市生まれ、潟上市育ち、東京住=が日本時間の17日午前6時20分、日本人未踏のルートで南極点に到達した。阿部さんから衛星電話で連絡があったと、所属事務所の人力チャレンジ応援部(神奈川県)が明らかにした。

 阿部さんは食料などを積んだそりを引き、南極大陸の西沿岸から東へ約920キロ歩いた。世界で初めてエベレスト無酸素単独登山を達成したラインホルト・メスナーさん(イタリア)が1989年に南極横断時にたどった「メスナールート」と呼ばれるルートを進み、昨年11月23日の出発から55日目でゴールした。

 東京・浅草で観光客相手の人力車夫として冒険の資金を稼ぎ、フェイスブック(FB)やツイッターで「夢を追う男」の名で冒険の計画を発信してきた青年が、また夢に一歩近付いた。阿部さんの次の目標は、にかほ市出身で日本初の南極探検家・白瀬矗(のぶ)中尉(1861~1946年)の最終到達点「大和雪原」を経由するルートでの南極点到達。「南極冒険日記最終稿」としたこの日のFBにこう記した
「白瀬ルートを成し遂げて、この南極点に帰ってくる」


雪の状態が悪く、予定より遅れて途中食料補給を受けたそうです。
当初計画の〝単独無補給〟は達成出来なかったが、
次回の〝白瀬ルート〟は充分な準備をして是非〝単独無補給〟で!!!



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後記 ①

今回の極点旅行を考えて、多少の疑問を感じてます。
それを書きたいと思ってます・・・
単独無補給で極点を目指すのも、
単独(補給有り)で極点を目指すのも、凄い事ですが・・・
南極は探検の時代が終わり、冒険の時代も今や終焉の期に入ってる様です。


FBより抜粋
11月18日
【南極へフライト 日本人初の南極冒険へ】
この投稿を南極終了前の最後の投稿としてます。
南極のGPSポジションなどは公式HPからご確認ください。
https://www.jinriki-support.com/
現地時間18日に南極へフライトです。...
-30℃の低温
40日間の孤独  (実働40日?・予備日は何日か?)
日本人初ルート
360°雪の地平線が続く世界
100kgのソリを1日10時間引く苦行
南極特有のカタバ風という強烈な向かい風
標高2850mの南極点までのひたすらの上り坂
単独無補給スタイルでは今ルートの達成者は世界で2人のみ  (メスナー隊?)
厳しい条件が揃います。
ですが、今までの実績と体力があれば必ずや達成できると確信しています。
南極飛行機会社に全装備品の引き渡し、最終ミーティングも終え、
後は心静かに夜明けを待つ。
11月20日に徒歩開始予定。
12月29日36歳の誕生日に南極点到達を目指します。
スポンサー様・個人支援者様・応援して下さる皆様。
全ての皆様。有難うございます。愛してるよ!

おれはやるぞ。
怖いからこそ立ち向かうんだ。
南極点に立った男になって帰ってきます。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 11月23日 午後にメスナールートスタート地に向け、
ベースキャンプから小型飛行機が飛びます。  (20日出発が悪天候だった様です)
体調は万全。停滞中も毎日二時間のトレーニングを欠かしませんでした。
メスナールートからのスタートで、
セルフガイドでのチャレンジは今年世界で僕だけです。
ですが、十分に達成できる自信に溢れています。
現地時間23日17時。
南極大陸海岸線から110キロのソリを引いて歩き始めました。
既に夕方だったので二時間のみ歩いてキャンプ。
気温は体感-23℃、僕にとっては快適です。
360度雪の地平線に取り残された時は一抹の不安を感じましたが、
すぐにナビゲーションの感覚を取り戻しました。
とりあえず自分を勇気づけるために、好きなアイドルグループのでんぱ組の音楽を聞いています。
少しずつ行動時間を伸ばしていきます。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆...
 12月3日、11日目。行動時間6時間。距離12㎞。
ソリが重い。新雪が積もったせいか、斜め前方から風速10mで吹く南極カタバ風か、僕が疲れているのか。
ソリがつっかえてシールを履いたスキーが逆滑りすることすらある。
渾身の力で数十歩あるき、歩いては休むの繰り返し。
予定では11日目から20㎞を歩くつもりだったが全く消化できない。
時速1.5㎞しか出てない。
スタート時よりも速度が落ちている。
予定をこなせないと苛立ちが募る。
独りの世界では誰も慰めてはくれない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆...
 12月17日~18日。25~26日目。距離15+17㎞。標高1284m。
少しずつ雪の状況がよくなり距離が戻り始めた。
行動時間も1時間増やしている。
ーーーーー
(通信状況により文章が途切れています。事務局解釈で以下参考)
ただ、食料が足りない。「補給できるポイントもあるので、そこで補給するか」というベースキャンプからの打診があった。
「そこには多くの食料を備蓄してある。君が望むなら補給できる」と。

ーーーーー
積雪の影響でとても遅れている。補給さえできれば余裕を持って南極点に行ける。
時間さえあれば行けるのだから。だが、無補給ではなくなる。

それだけでなく、補給のための費用は少なくても数千万。
僕の残りの人生は借金返済で終わるだろう。
冒険の夢も果てるかもしれない。
南極に行った後の白瀬中尉の人生が浮かぶ。
南極後の彼は死ぬ間際まで南極の借金返済をしていた。
僕も同じ人生を辿るのか。
大きすぎる決断を僕は余儀なくさせている。



イメージ 3



極点までの行程の半分にも達してません・・・食料が不足とは・・・
サポート会社からは、日々の通信・メディカルチェック・他を支援して貰うらしい。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆...
12月22日~24日。30~32日目。距離12+14+17㎞。
31日目、食料補給地点を通過。一般的にここで補給を受ける。
僕もここで補給を受けることにした。
追加の食糧をとろうとする手が震える。
この決断をするのは楽ではなかった。
予想外の天気で遅れたとはいえ、無補給でなくなるのが堪らなく悔しい。
この冒険を実現するために影でどれだけ悩み苦しみ葛藤してきたか。

ーーーーー
(通信状況により文章が途切れています。事務局解釈で以下参考)
神様がいるなら、こんなに努力している僕を見捨てるはずはない。
僕が無補給に意固地になるのは、叶わない夢を貫くためではない。
充分南極点に到達できる食糧が残っている。
だから通常は到達できる。

ーーーーー
ただ以前のようなドカ雪が来たらアウト。
それに今回は距離の伸びが異常に悪い。
僕が何をすべきかと考えていた。
今回の冒険の本来の目的は日本人初のルートで南極点に到達し、
白瀬ルート実現の礎にすることだ。
くやしさに囚われると自分を見失う。
いま自分が何をすべきか考えろ。
未来のためにすべき決断がある。
ここからはノーマルルートに合流する。
雪の状況は飛躍的に変わるはずだ。
絶対に行くんだ、南極点!



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆...
現地時間1月12日~1月14日。51~53日目。距離23+24+24㎞。標高2808m。
凍った食べ物を行動中は食べるからか歯が欠けた。
つくづくこの生き方は身体に良くない(笑)
異常な積雪のせいで随分長くかかったものだ。
南極点は目の前。
情報では冒険家たちの過半数が途中リタイアしたそうだ。
南極冒険をセルフガイドでやるには審査があり半端な実力者は挑むことすら出来ない。
だから選りすぐりが集まり、通常は完走者が多い。
なんとも異常な年に当たってしまった。
僕はしぶとく粘った。
今は悪天候にも感謝している。
簡単に南極点に辿り着けたらつまらない。
苦労するから価値があるのだ。
僕の冒険は、有名になるためや名誉のためじゃない。
もっと自分が成長するためだ。
だから苦労するだけいいのだ。
神様は僕にもっと強くなれるようにと試練を与えたのだろう。
南極点まで、あと40km。
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南極冒険日記最終稿。
 1月15日~1月16日。54、55日目。距離22+18㎞。標高2850m。
南極点までの総踏破距離918㎞。
目の前に小さく黒い点が見えてきた。
南極点にあるアメリカの観測基地だ。
永遠に思えた孤独の時間も終わる。
早くたどり着きたいが、疲れきった身体は重くスピードは伸びない。
黒い点が大きくなり、はっきりと建物と認識できるようになる。
南極点そばにある民間キャンプを過ぎて1㎞行くと、南極点のモニュメントがある。
目頭が熱くなる。今は泣いちゃダメだ。
嬉し泣きするのは白瀬ルート達成後まで我慢すると決めている。
今まさに世界の果てにいるのだ。
キャンプに戻ると、在スタッフが「アメリカ基地の見学に行けますけど行きますよね?」と聞いてきたが断る。
「なぜ?こんなチャンスは人生で2度とありませんよ」と言うので、こう答える。
「おれに限っては2度目があるさ。白瀬ルートを成し遂げて、この南極点に帰ってくるんだから。」
さぁ、僕の国に帰ろう。




これが今流の〝冒険〟でしょうか? 思ってたのとは乖離してます・・・
40日の予定が、55日に・・・食料補給地点がセットされての快挙でした。

次回の〝白瀬ルート〟は、今回の教訓のもと〝完全単独無補給〟での踏破を!!!


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後記 ②

1月22日 極点にて
【日本人初の南極点。次の夢は人類未踏、費用1億
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FBで、100kgのソリを曳くので、1gでも軽くしたいと歯ブラシの軸に穴を空けてたが、
玩具犬を積んでたとは・・・阿部君 甘さを感じるよーーー犬より食い物だろうが!!



日本人初ルート(メスナールート)単独徒歩で南極点へ到達(918㎞55日間)。
幼い頃から夢見ていた世界の果てへ冒険してきました。
全ては応援して下さる皆様のお陰と感謝してます。
100㎏のソリを毎日10時間以上引く重労働。2ヶ月の孤独。
体感-40℃の自然。標高3000mの南極の大地。
特に今年は例外的な積雪(少なくとも過去10年で最悪のコンディションらしい)で世界中から集まった選りすぐりの冒険家たちでさえも過半数が途中リタイアという異常な状況でしたが諦めずに歩き続け南極点にたどり着けました。
僕は決して元から強い人間ではなく身体が弱く運動もできない少年でした。
それでも諦めずに努力すれば夢は叶う、南極点までも単独で行ける、と強く感じています。
夢はこれで終わりではありません。
次の夢は人類未踏。
同郷秋田の南極探検家白瀬矗南極探険隊長が成し得なかったルートでの南極点到達です。
このルートは未だに誰も成し遂げていません。
クレバスだらけの南極横断山脈を越える超難関であると同時に、
極端に離れたスタートに立つための飛行機チャーター費だけで1億を超えます
大事な事は、"金額が夢の大きさを決めるのではなく、夢の大きさが金額を決める"
という事です。
今回の南極も1500万の費用が必要でしたが、沢山の方のお力をお借りして確保することができましたし、単独で南極点に到達することで多くの事を学びました。
この世に不可能はない、必ずや実現できると信じています。
チャレンジする楽しさ、南極の美しさを多くの人にお伝えしたいです。
阿部雅龍はこれからも"剛直に"走り続けます。
こんな僕に関わって下さる全ての皆様に有難うございます。
僕の背中を押して下さるのはあなたです。
きっと夢はまだ始まったばかり!




後記 ③

更に疑問が・・・・
〝単独無補給〟で、極点旅行の予定が・・・食料不足と為り、途中で補給を受けた。
それでも〝単独〟で極点に到達したと言えるのか???

山登りの世界で〝単独〟とは、
BCから出発して・登頂して・帰るまで、全て自力で成し遂げての成果を言う。
途中で第三者から支援を受けたら、〝単独〟は成立しないのだ。

この場合は、〝一人で補給を受け・歩いて極点に往った〟と、
言う事ではないのか? そんな疑問が残ります・・・

テント生活を快適に!!!

100均〝銀マット〟の紹介
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仕様
  サイズ タバコより一回り大で、広げると200×140位。
  重さ  60gほど。
  素材  ポリエステルフィルム片面にアルミ粉末を蒸着。

欠点
  一度広げると、元のサイズに畳むのが大変。
  3.4回繰り返すと、畳んだ部分からアルミが剥げ始める。裂け易い。

利点
  山用品店で、サバイバルシート等の呼び名で同じ様なのが売ってるが高価。
  使い捨てても108円。
  
用途
非常時(ビバーク)に身体に巻き、体温低下を防ぐ。




しかし、色々な使い方が有ります。

①夏の直射日光でフライ無しのテント内は、高温になり入って居られなくなります。
 このシートを日の当る側に掛けて、クリップでポールに何ヶ所か留めると・・・
 即時に、快適に過せます。隣りのテントは、反射で眩しいだろうが・・・
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100均のターン・クリップです、ポールを挟める物が4個有れば充分。

②雨具の無い時の突然の雨、穴を開け被り・腰紐で結べば、上半身は保護出来る。

③低温時に安寝袋で寒い時は、寝袋の外を囲うか・身体に巻き寝る。
 寝袋が1ランクUPします。お勧めは外巻き・内巻きは蒸れる・・・
 昔は、寝袋の内側にアルミを溶着した物が売ってましたが・・・

④防湿・防水性が有るので、テント内の床に敷くと、地面を流れる雨に効果大です。
 昔は、周囲に排水用の溝を掘ったものだが、今は駄目らしいが・・・

⑤雪の上に座る時、折り畳んで座ると冷気も湿気も伝わりません。


いづれの使い方をするにしても、日帰り登山だとしても、
ツェルトと共にザックの底に入れて置くと安心です。


  

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