海彦・山彦の白秋日記

Ombigaichan 6340m ヒマラヤ襞が綺麗な双耳峰。 この頃はまだ未踏峰だったが・・・今は誰か登ったか?

カテゴリ: ◆◆下山家 栗城劇場 ◆◆

栗城ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

今日から再び向かっていきます。
三度目のABC発では???
今日は、エベレスト上部でも相当強い風が吹いています。
上部はそうでも、ABCは画像を見る限り、旗がパタパタでしたね。
2日後に6100mに着く頃には、天気予報によると穏やかになりそうだが・・・
今はとにかく集中しており、言葉があまり出てきません。
小生も、日々の行動に、開いた口が塞がりません・・・
自分と山に素直になって、深く呼吸をしていきます。
登る自信が無いなら、辞めるべき。山の先輩も言ってるでしょう~


。。。。。。。。。。。。。。。


栗城エベレストを、日本の山に例えて説明します。(多少無理が有るが、周知の山で)

高度(標高)を別にして、奥穂高岳に例えて説明すると判り易いでしょう・・・
BCが上高地、ABCが横尾、5800mが本谷分岐、北壁の下6100mが涸沢、北壁を奥穂沢かアズキ沢にしましょう。
奥穂を登りに往って、横尾と涸沢の間をウロウロしてます。原因は天気だそうです。

ABC→5800m間(横尾から本谷分岐)は、標高差200m・氷河の縁を、
4~5キロ 半日掛けて歩きます。
装備は、防水の効いた登山靴・アウターはゴア合羽か厚手フリースで充分です。
天気予報を見る限り、歩いてれば寒く無いし・アイゼンピッケルも必要無し。
但し、モレーン(氷河が運んだ石ころ)の上を歩くので、足元注意です。

翌日は5800mから6100mまで(本谷分岐から涸沢まで)、
標高差300m・氷河の縁を、4~5キロ 半日掛けて歩きます。
装備は、冬用アウター上下・厚手手袋程度でOKです。
後半は雪の積もった氷河の上を歩くので、不安で有ればアイゼンを。
やっと涸沢に到着です。

ここ6100mまでは、北アで使う冬山装備で充分通用します。
ここ(涸沢)にキャンプを設け、天候待ちをし・奥穂が見えるなら、
高所靴とダウン上下に着替えアタックです。

天気が悪くて進めず、ABCまで戻りウロウロ・・・晴れそうと言って出発して、
また戻ってウロウロです。実に時間の無駄です。
ガスで見えないと進めないらしいが、横尾から涸沢程度の処は、
ルート旗を設置してれば、ガスが濃くても迷う心配なしです。
普通、日本の冬山でも往復登山の場合は、皆さん遣ってる事です。
(ちょっと飛躍し過ぎて判り辛いか?)

今回の中央ロンブク氷河6千m辺りまでは、冬用衣類・寝袋が有って、
ラサ(3600m)からBC(5200m)とBCから6000mの高度順応を正しく行なえば、
心肺疾患の無い人なら誰でも登れます。その程度のトレックコース。
その先が超難関なのです、言わばチベット側エベレストはここから始まります。
(ネパール側エベレストは、アイスフォール手前から。BCは既に観光地です。)

。。。。。。。。。。。。。。。


キリアン達は、6000mにBCを設置し、
3週間北壁のチャンスを伺いましたが時間切れ敗退。
キリアンは今頃、下の天気予報を見て、もう2週間分の食料・燃料が有ったらと、
悔しい思いをしてると推察・・・

栗城も(下の行動一覧参照)ABCでの停滞日を利用し、
少しでも多くの食料・燃料を6100mに荷上げして置けば、
ワザワザABCまで戻る必要無しだし、
2日掛けて6100mに登り返す必要も無しです。(小生ならそうしますが・・・)

栗城は、単独登頂の意味を、下から通して登らないと駄目と思ってるのか、
矢鱈にBCなりABCから出発したがります。
体力・脚力のあるクライマーは別として、
6100m(C2に為ったらしいが)から出発た方が、
体力的にも時間的にも楽なはずです。
若干高度の問題も感じますが、〝低圧酸素室〟で、
過去に無い仕上がりだった様なので、大丈夫でしょうし、 
キリアン達に出来て(6000mでの滞在3週間)栗城に出来ないはずが無い。

入山以降の栗城の行動です。
遅々として高高度に到達出来ず、何とABCでの停滞が多い事か・・・

9月3日  車で、5100mに入りBC設置
9月4日  BCで停滞(高度障害で、スタッフをティンリに降ろす)
9月5日  ヤクで荷を運び、5600mにABC設置(予定の6000mには設置出来ず)
9月6日  ABCで停滞
9月7日  ABCでプジャ
9月8日  ABCで停滞(ガスで見えないそうです)
9月9日  ABCで停滞
9月10日 ABCで停滞
9月11日 ABCで停滞
9月12日 順応の為、ABC5600m→5800mで一泊。(半日歩いて200m登る)
9月13日 順応ルートの西稜・北尾根を止め、6100mでキャンプ(半日で300m)
9月14日 6100mで停滞(降雪が有った為)
9月15日 6100mから北壁の6500m地点に登り、熱が有るとABCに撤退。
9月16日 ABCで停滞(熱は下がったと言うが・・)
9月17日 ABCで停滞
9月18日 ABCで停滞
9月19日 ABC→5800m→ABC(雪が降り始めたと、ABCに戻る)
9月20日 ABCで停滞
9月21日 ABCで停滞
9月22日 ABCで停滞
9月23日 ABC→5800m
9月24日 5800mで停滞か?

長く為りましたが、この先の天気予報です。
6000mと7000mの、10月2日までの予報です。
25日を境に好天が続きます、風はそよ風・降雪も減少・体感温度も冬山程度。
8000m・山頂付近は記載しませんが、エベレストでは稀な好条件です。
イメージ 1

今のこのチャンスを逃すと、このような安定した好天は望めないかも・・・
なので、この天気でも登れず、敗因を雪が・・天気が・・風が・・とは言えない。
体力・氷雪登攀技術の欠如以外に敗因なしです。

ここ数日、ジックリです。




栗城が公式ブログを更新しました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

スポットが動いてないので、今日も5800m(C1)で停滞かと思ってたが、
6100mへ上がったようです。

今朝、7000m近くのキャンプ3に向かって出発しましたが、朝から暴風と雪でホワイトアウトしていて何も見えず、今日は壁の取り付き近くでステイしました。
ホワイトアウトと言って、画像を添付してるが、ただのガス・・・
氷河がハッキリ写ってるではないか・・・添付画像が白一色=ホワイトアウト。
おいおいそれに、今朝は5800mのC1から出発したはず。
6100mのC2で、15日(薇熱が有るとABCに戻った日)に残置したテント・寝袋他を、回収して通過したと言う事に為る。
何故なら、19日に雪が降ったとABCに即刻戻った時に、公開したザック画像に、
テント・寝袋他が入ってたとは思えぬ嵩(量)。
又、23日朝ABCを出る動画の後姿(ザック)を見ても、
それらが入ってる嵩(量)とは思えない・・なので、6100mに全て残置したと判断。
もしかして、シェルパに荷下げさせて・また荷上げも・・・〝単独〟だったよね。

栗城の脚では、朝5800mを出発し、6100m(C2)に到着が昼前、
荷を纏めC3に向かうのは、午後に為るはず・・・・ちょっと変ですねぇ~~
7000m近くのC3 では無く、6800mがC3です。(22日に画像で公開済み)

こんな天候で、C3に向かうとは・・・考えられない・・・
壁の取り付きで停滞してるとは、
C2と思って良いのか・・C2より壁寄りなら雪崩れの心配有り。

天気予報では今日は晴れる予定でしたが、なかなか天気が難しいです。
今もテントの外は強い風と雪で、真っ白です。様子を見て、また明日から向かいたいと思います。
26日からは、天気も治まる模様。高額な気象データ買ってるから参考にしたら・・・

ただ、エベレスト方面からは雪崩が起きる音が時折聞こえてくるので、この雪がどれ位積もるかによっては、雪崩を避けてもう1日ステイするかもしれません。
安全にどーぞ。
慎重に見極めます。
エビフライが食べたい。。。
日清「ラ王」と、グリコ「駄菓子」で充分。


★栗城公式HPの【日程】が、登頂日22日のままで変更されてない・・・
 余程、削除に忙しいのか?

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明日は、突然 八幡平山系の三っ石岳へ 日帰り紅葉見物に誘われたので、
ブログ更新は無理かも・・・山を歩くのは6月以来だーーー





栗城公式ブログが、更新されません。

9月24日付けで〝ホワイトアウト〟と称し、ガスの氷河画像が一枚添付。
氷河や山が見えて、ホワイトアウトだそうです。
登る気が無いなら、お約束の〝冒険の共有〟ブログでも書けば良いのですか、
25日.26日と沈黙を守ってます・・・


栗城公式HPのスケジュールも、ご覧の通り12日以降変更されてません。
又、チベットBCも4500mのまま訂正されず、5200mですよ~~管理人さん。

【2016年 栗城エベレスト遠征スケジュール(予定)】
 
 8月26日 日本出発
 8月27日 ネパール首都カトマンズ入り
 8月31日 チベット入り
 9月 3日 チベットBC入り(4500m)
 9月 5日 エベレストABC入り(6000m)
 9月 9日 プジャ(安全祈願)
 9月12日 高所順応開始
 9月22日 登頂予定     (9月12日現在)


BC入り以降の行動実績です。(当ブログで前に記載したものに加筆)

9月3日  車で、5100mに入りBC設置
9月4日  BCで停滞(高度障害で、スタッフをティンリに降ろす)
9月5日  ヤクで荷を運び、5600mにABC設置(予定の6000mには設置出来ず)
9月6日  ABCで停滞
9月7日  ABCでプジャ
9月8日  ABCで停滞(ガスで見えないそうです)
9月9日  ABCで停滞
月10日 ABCで停滞
9月11日 ABCで停滞
9月12日 順応の為、ABC5600m→5800mで一泊。(半日歩いて200m登る)
9月13日 順応ルートの西稜・北尾根を止め、6100mでキャンプ(半日で300m)
9月14日 6100mで停滞(降雪が有った為)
9月15日 6100mから北壁の6500m地点に登り、熱が有るとABCに撤退。
9月16日 ABCで停滞(熱は下がったと言うが・・)
9月17日 ABCで停滞
9月18日 ABCで停滞
9月19日 ABC→5800m→ABC(雪が降り始めたと、ABCに戻る)
9月20日 ABCで停滞
9月21日 ABCで停滞
9月22日 ABCで停滞
9月23日 ABC→5800m
9月24日 5800m→壁の下(6100mのC2とは記載せず)
9月25日 壁の下で停滞
9月26日 壁の下からABCへ撤退
9月27日 ABCで停滞
9月28日 天気が良ければ、また上に上がる、と・・・・言ってます。


栗城公式ブログのコメント欄に、色々書かれても、以前の様に削除もせず、
放置状態です。日程の変更無しの件・削除無しの件、事務局もヤル気無しか・・・



26日に放映された、イモトの〝アイガー北東稜〟登頂番組の、
反響がショックなのか?       (画像はイモトが登攀した、アイガー北東稜)
イメージ 1

番組を見て思った事
北東稜をヘリから映してたが、このルートを約100年前に、
槇有恒が初登攀に成功してたのです。 (当時の登山スタイル、背の低いのが槇有恒)
イメージ 2
命綱は当時麻縄、同じ長さなら今のザイル3倍重いし、太さも3倍、強度は1/2。
登山靴は当時皮底に、滑り止めの鋲を打った物。
ピッケルは当時1Kg以上で長さも約1m。服装も厚手ジャケットにニッカーボッカー。
こんな装備で登攀したとは・・・・


登攀したイモトが凄い。(勿論、ガイドとの一対一でのスタカット式では有るが・・)
同行スタッフの中に、過去栗城の遠征に関係した者が数名居た。
ま~商売(仕事)とは言え、若干節操の無さを感じたのは小生だけか・・・

指の無い栗城には、岩稜登攀の重要な要素の〝ジャミング〟が出来ないので、
こんなルートは登れません。指先から血が吹きます・・・(山野井夫妻は別格です。)


さて、栗城はいつ動くのでしょうか・・・・快晴・無風など今の季節には望めない。



追記
おっと、栗城公式ブログが、更新されました。(黒字は栗城公式ブログ、青字は私見)

この3日間、好天を待っていましたが、モンスーンによる降雪が非常に多く、今日も不安定な天気で雪が降り始め、エベレストの北面にはたくさんの雪が張り付いています。
今は降り積もった雪で雪崩になる危険性が高く、雪が安定するのをまだ待つ必要があるので、これから一旦アドバンス・ベースキャンプ(ABC)に戻ります。
3回目のABCへの撤退です。

明日、一日レストして壁に張り付いた雪が安定するのを待ち、天候を見ながら明後日にはまた出発できればと思います。
明日27日は、ABCで停滞し、28日にまた上がると言う・・・
何の為にABC(5600m)に下山するのか・・・・天気待ち???
では、当初予定の6000mにABCを設置出来てたら、5200mのBCまで降ると言う事?

なかなか登らせてもらえませんが、準備を整えて集中力を切らさず、山と自分に素直な気持ちで向き合っていきます。
6100mのC2と5600mのABC間を、行ったり来たりの〝単独・珍道中〟ですね。




 2016年09月28日

26日に天候が悪いと、壁の下(多分6100m・C2)から、ABCに戻って居たが、
27日に公式ブログを更新(動画添付) (黒字は栗城ブログより青字は私見)

今日ようやく雪が止んで晴れたので、アドバンス・ベースキャンプ(ABC)の近くで動画を撮影しました。
明日は予報では天気が安定しているようなので、再びABCを出発してエベレストに向かいたいと思います!

以上の短い記載より有りません。
明日(28日)は、4回目のABCからの出発と言う。
9月上旬にBC入りして以来、最高到達点は6500mで、6100mと5600mABC間を、
4回も往復してるだけの状態です。

直近の行動です。

9月23日 ABC→5800m
9月24日 5800m→壁の下(6100mのC2とは記載せず)
9月25日 壁の下で停滞
9月26日 壁の下からABCへ撤退

23日に晴れたと言い、上部に向かいましたが、
中一泊(5800m)しないとC2に辿り着けない体力。
壁の下(6100m・C2)とABC(5600m)間の距離は、
約5キロ・標高差は500mより有りません。
エベレストを目指すような人は、半日掛からず登れる距離です。
如何に、モレーン(氷河堆積物)や、氷河沿いが歩き難いと言っても、鈍亀状態です。
25日一日停滞しただけで、翌日26日にはABCに降りて来る始末です。

動画では、荒天と食料などの理由で、戻って来たと言ってるが、
3日分程度の食料を持って、壁の下(6100m)に往き、その先の山頂を目指すの???
仮に順調にC3(6800m)→C4(8000m)→山頂→C4かC3泊と、
行動出来たとしても途中で食料が尽きるし、予備の食料は必須です。
メスナーが北稜からグレートを登攀した時は、
ABC(6500m)から一週間分の食料・燃料を用意し、
18キロのザックを背負い出発しました。  何か甘過ぎませんか? 栗城・・・


それと、今日(27日)ようやく晴れたと言ってABCでの動画撮影、
明日(28日)は出発だと・・・
何か可笑しくありません? 晴れたら出発でしようよ~ しかも一日延ばして・・・
壁の下(6100m)に着くのに2日掛かったら、又天気が崩れるかも・・・

天気予報はどうでしょうか・・・
イメージ 1

イメージ 2

6000mも7000mも、微風・体感温度共に問題なしです。
多少降雪は有るが、今の季節を選択したのは栗城自身、既に織り込み済みのはず。
好条件が続きます、これで登れないなら、エベレストは今後も無理でしょう・・・・

最後に、スタッフ脱落とは、松田と言う自称フリーライターと思われる。
BC入りした日も高山病で一時リタイア・ABCに上がっても駄目・・・
ド素人のメンバー選定ミス以外なし・・・
イモト・アイガーに人手取られた影響か? ギャラ安くて断わられた?





栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

今日はキャンプ2まで来ました。朝のうち晴れていましたが午後から暴風雪になり、毎日モンスーンによる雪との攻防戦です。
やはり壁には、取り付けなかったようですね。

キャンプ2にも大量の積雪がありますが、この上はさらに雪が深く、まだ雪崩が起きそうな不安定な雪が積もっています
添付動画を見た限りでは、見通しも良く、そこそこの積雪量もあり、大変そうです。
でも、あれだけのデブリに向かって登る姿を見て、
馬鹿か? と思う小生は、馬鹿でしょうか・・・

これから、この雪とどう友達になるか考えます。
ウロウロしてると、雪崩れの餌食になりますよ~
速攻で攻めるか! 雪崩れがある程度落ちてからでしょうが、
今までの歩速から見ても、速攻は無理、素直に敗退宣言しては如何でしょうか・・・
上部から、大きいのが一発来たら、その谷 埋め尽くしますよ~
カラ元気風を吹かせない事が、延命に繋がります。

さて、明日の行動が気に為りますね~~



追記
今日(9月29日付け)の栗城公式HPで、日程の変更が有りました。

【2016年 栗城エベレスト遠征スケジュール(予定)】
 
 8月26日 日本出発
 8月27日 ネパール首都カトマンズ入り
 8月31日 チベット入り
 9月 3日 チベットBC入り(4500m)
 9月 5日 エベレストABC入り(6000m)
 9月 9日 プジャ(安全祈願)
 9月12日 高所順応開始
 10月上旬 登頂予定

登頂予定日が9月22日から、やっと10月上旬に変更です。
まだ、登る気が有るようです~ 面白く為りますね。
しかし、スケジュールの、BC4500m もABC6000mも変更無し、杜撰の極み。
               5200             5600



栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

今朝再びアドバンス・ベースキャンプ(ABC)を出発して、標高5800mまで上がって来ました。
相変わらず、1日で標高差200mより登ってません。
朝からまた雪が降っていますが、あまり降り積もる感じはないので、明日天気が回復したら壁を登りたいと思っています。
壁の事は、6100mのC2に着いてからの話です・・・


遅々として進めない栗城・進まない栗城 どちらでしょう? 降雪が理由の様ですが~

今までの行動を辿って見ます・・・
イメージ 1
上の図を参照に読んで下さい。(栗城が公開した画像に、加筆してます。)

ABCを5600mに設置。当初は6000mの予定でしたが、ヤクが進めないとの理由。

5800mにC1設置。画像他の中継基地との位置づけが、何時の間にやらC1です。
ABCより200m高い位置で、歩いて約3時間の距離

この5800mの基地をBCにして緑線の西稜・北尾根(栗城流ロー・ラ・フェイス)で、
高度順応を考えてたが、雪崩れそうとだと諦める。(氷河を渡る自信が無かった)
このC1位置を割り出したのは、下記GPSデータ(栗城が公開)を基にポイントから。
イメージ 2
C1東側の氷河の形が、鳥瞰図と同一です。(画像の上が北です。)

6100mにC2設置。C1より300m高い位置で、歩いて約4時間半の距離。
最近では、このC2を〝壁の下〟と呼び、標高は示されず・・・


では、壁の下付近の詳細です。
黄線が当初登頂目標の、グレート・クーロワール(別名ノートン・クーロワール)。
これが雪の状態が悪いと諦めて、(本当は、キリアン隊が居て、遠慮したと思う・・)
隣りの赤線ホーンバイン・クーロワール(別名ホルバイン)にルートを変更。
緑線は、高度順応に使用を諦めたルート。      (栗城が公開した画像に加筆)
イメージ 3
6500m付近まで1回試登して、微熱が有ると下山。
以来、ABC⇔C1⇔C2(壁の下)の往復で、日々を費やしてます。

では、〝壁の上〟の予定を見てみます。       (栗城が公開した画像に加筆)
イメージ 4
氷河上の6100mC2(壁の下)から、C3の位置を6800mに設定してます。
今までの経緯から、標高差700mを、最低3日分の食料・燃料を背負って登れるか?
更に、C4予定地までの標高差1200mを、1日で登りきれるのか?
更に、C4から山頂までの標高差848mを、登り戻って来れるのか?
(今までに、5600mABCから6100mC2への、標高差500mを2日掛りで到着。)

。。。。。。。。。。。。。。。

超人メスナーが1980年に、このルートの上半を〝無酸素・単独〟で初登頂。
8220mのC2から、山頂を往復して戻った時は、夜でした。緑ルート
東隣りの、東ロンブク氷河6500mにABCを置き、
7800mC1・8220mにC2を設置し、ABC出発後3日で登頂し4日目にABC着です。

栗城は、2009年にメスナールートの第2登を目指したものの、
ノース・コルC1(7000m)に自力で登れず、シェルパにルート工作させても、
C2(栗城のC2)上で、それ以上登れず敗退。

チベット側から登ると発表した時は、誰もがこのルートの再チャレンジと思ったが、
カトマンズでグレート・クーロワール末端赤ルートからと発表。
困難さは、メスナールートの比ではなく、小生も「えぇッーッ」と思った程です。

同ルートでの再チャレンジでは、〝集金〟出来ないと思った栗城は、
身の丈以上の難ルートを選択する事で、
スポンサーから3000万、栗城フリーク分を併せて5200万の〝集金〟に成功。
こんな、今に至る経緯が有ると思います。

。。。。。。。。。。。。。。。

栗城に、朝から夜まで行動出来る体力が有るとは、
今までの行動パターンから見て、思えません・・・寧ろ絶対無理。


今夜、ブログの更新が有ると思うが、何処まで登れたのか・・・必見です。





30日付けの、栗城公式ブログが更新されてません。
更新が無いと言う事は、動きが無いのでしょう~
天気は良いはずですが、積雪量が多く登れない? 雪崩れが怖くて登れない?
ラッセルが苦手の栗城らしいし、そんな時季の登山を選択したのも栗城。

BC入り以降の行動実績です。(当ブログで前に記載したものに加筆)
如何に停滞日の多い事か・・・・登る気が無いと思わても、仕方が無い状況です。

9月3日  車で、5100mに入りBC設置
9月4日  BCで停滞(高度障害で、スタッフをティンリに降ろす)
9月5日  ヤクで荷を運び、5600mにABC設置(予定の6000mには設置出来ず)
9月6日  ABCで停滞
9月7日  ABCでプジャ
9月8日  ABCで停滞(ガスで見えないそうです)
9月9日  ABCで停滞
9月10日 ABCで停滞
9月11日 ABCで停滞
9月12日 順応の為、ABC5600m→5800mで一泊。(半日歩いて200m登る)
9月13日 順応ルートの西稜・北尾根を諦め、6100mでキャンプ(半日で300m)
9月14日 6100mで停滞(降雪が有った為)
9月15日 6100mからホルバインの6500m地点に登り、微熱でABCに撤退。
9月16日 ABCで停滞(熱は下がったと言うが・・)
9月17日 ABCで停滞
9月18日 ABCで停滞
9月19日 ABC→5800m→ABC(雪が降り始めたと、ABCに戻る)
9月20日 ABCで停滞
9月21日 ABCで停滞
9月22日 ABCで停滞
9月23日 ABC→5800m
9月24日 5800m→壁の下(6100mのC2とは記載せず)
9月25日 C2で停滞
9月26日 壁の下からABCへ撤退(降雪の為)
9月27日 ABCで停滞(晴れたが動画撮影・スタッフ1名脱落)
9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
9月30日 C2で停滞か? ブログ更新なし

登頂予定日が、10月上旬に変更されたので、そろそろ終盤戦ですが・・・
ここ一週間位が勝負だと思います。



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エベレスト動画


栗城を見てると、本当の山登りが見えません・・・
エベレスト登山がどんなものかを、ご覧下さい。
ルートは、中国側の北稜からの登頂動画です。一番簡単と言われてるルートです。
約1時間の動画ですが、今年の春の最新版です。
盛大なプジャの様子も記録されてますし、核心部の梯子通過の映像も。





栗城公式ブログが、夜遅く更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

30日のブログ更新が無いので、30日はC2で停滞してた事に為ります。

9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
月30日 C2で停滞


今日は、標高6700m地点まで上がってきました。
ブルーアイスが出てきていて雪もまだ不安定で、ほとんどかかとが浮いた状態で登りました。(以下割愛)

6700mまで登ったと言ってますが、唯一それを証明するGPSが作動してません。
なので、(栗城の場合は)信憑性を疑わずには、居られません。

上がってきました。 と、言ってる意味は・・・
6700mに上がって、帰って来たと解釈されますが・・どうでしょう?
それとも、6700mでキャンプしてるのか?

ブルーアイスが在ると言う事は、急斜面で降った雪が積もれず、
常にチリ雪崩れで磨かれた斜面、と言う事に為ります。

かかとが浮いた状態での登りの様ですが、
12本爪アイゼンの、フロントポイント(前4本を刺して登る)で登る場合と、
前8本が雪面を捉えて登る場合が考えられます。
普通、フロントポイントでの登りは、脹脛の筋肉が疲労し、1時間と持ちません。
急斜面を一時的に通過するとか、コマメに足場をカッティングして、
足位置を決めで脹脛を休めないと、継続しての登山は無理です。(脹脛痙攣)


画像を検証して見ます。
以下は、ブログに添付された2枚の画像です。
イメージ 1
1枚目、赤印が栗城と言ってますが・・・
周囲の岩に、薄っすらと雪が積もった程度、とても壁中での画像とは思えません。
少なくとも、6100mC2から上にこんな場所が有るとは思えません。
拡大して見ても、足跡すら確認出来ず・・・・
イメージ 4

イメージ 5
上記2枚が過日 栗城が公開した6100mC2より上の画像です。
同じ様な、処が見えますか?・・・・

これが、2枚目の画像です。
イメージ 2
拡大して見ると、黒線の左に足跡が写ってます。
しかし、壁のどの辺なのかは判明出来ません・・・本人なのかも判らす・・・
イメージ 3

ここまで書いてて、栗城公式ブログが更新されました。
見てみましょう・・・【24】へ

栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)


2016/10/02 19:19
今日、キャンプ1に下りてきました。
昨日 やっと6700mに上がったと言うのに、C2を通り越して5800mC1に逆戻り。

ブルーアイスという硬い氷の上に雪が乗っていて、まだその雪が安定していないのでルートを変えます。
何と、今頃に為ってルート変更です・・・
順応予定のルートが雪崩れそうと言って変更、当初目標のグレートルートも変更。
今回のホルバインルートも変更です。何とも情けない話です・・・
要は、硬い氷を登る能力・体力・技術が、栗城には無いと言う事です。
過去に、ネパール側のノーマルルートのローッエ・フェイスでも、
氷が硬いと言って登れず・・・過去の体験から何も学んで無い証明ですねぇ~

添付された動画を見ての感想
相変わらずカメラを傾けて、急斜面に居る事を演出してるが、
ストックで登ってるのを見ると、急斜面ではない。
ピッケルのピックを雪面に刺してるが、手から離れている。(壁では有り得ない行為)
雪を手で払い氷を見せようとしてるが、湿り雪である。(気温が高い位置に居る証拠)
スノーシャワーが・・と言ってるが、湿り雪でシャワー等は絶対起きない。
積もっている粉雪が風で飛ばされ、凹部を滑り落ちる物で、気温が低くないと駄目。
マットを背負ってるので、上で泊まろうとの意気込みは見えたが、演出かも・・・

横に移動すると雪崩になるので、下から登り直します。
それはそうです、膝深の積雪なら危険ですが、添付動画を見た限りでは、足首程度。
下からとは??? 5800mからとは、西稜ルートでしょうか・・・

今回登っていて可能性がある別ルートを見つけたので、注意深く双眼鏡で確認しています。
5800mC1からスタートとなると、チベット側では西稜ルートより無し。
しかし、順応で西稜・北尾根(栗城流・ローラ・フェイス)が、
雪崩れそうと中止したはず。
それに、ロー・ラから取り付くとしても、中央ロンブク氷河の長い横断が有ります。
クレバスが多いルートをシェルパの手助け無く、渡れるものか・・・

明後日から再び、壁に取り付きたいと思っています。
3日は停滞して、4日から行動すると言うことですね・・・

エベレストを一人で登るためには、天気や雪のコンディション的に「ここだ」というタイミングを狙うので、どうしても時間がかかります。
何をトボケタこと言ってるのか・・・

まだまだ帰りませんよ!
登れるまで、来なくて結構!!!!



では、この先の天気予報を・・・・
イメージ 1

イメージ 2

7日から、少し風が強まりますね。
速25キロ程度ですから、そよ風+α程度の風です。秒速に換算して見て下さい。
この時季のヒマラヤでは普通の風ですが・・・

丁度良い、敗退理由に為りそうです・・・

栗城は、これを〝風が強い〟と言って、栗城劇場の閉幕にするかも・・・
少し、様子を見ましょう~~


直近の行動は・・・
9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
9月30日 C2で停滞
10月 1日 C2⇔6700mと思われる?(6700mには泊まらず)
10月 2日 C2→C1
10月 3日 C1で停滞(天気は良い・停滞の理由無し・2日歩いて疲れたのか・・)
10月 4日 C1 →新しいルート と為りそうですが・・取り付いたら天候悪化?




明日から再び登ります。
今の天気は良いですが、雪が安定するのを待っていました。
頑張って、楽しんで、行きたいと思っています。

短い書き込みに、C1での動画が添付されてます。

動画で言っている事は・・・
①3日前に、北面を登って見た。
②ブルーアイスの上に、30cmほど雪が有る。
③雪が安定せず、危険でC1へ下山した。
④この2日間晴れて、雪が締まって来た。
⑤前回は、グレートの左端を登って来た。
⑥今回は、ホルバインを登る。
⑦今迄、雪が安定するのを待っていた。
⑧7日までは風が弱いので、チャンスと思う。
⑨この先が、本番。

唖然としてます・・・・・

3日前に6700mまで登ったと言うのは、グレート・ルートだったのです。
ホルバイン・ルートに、C3(6800m)・C4(8000m)と、
書き入れた画像を公開してたので、6700m到達はホルバインと思ってました・・・

又、下から登りなおすと言い、C1に降りてるので、
C1起点のルートへの変更と思い込んでました。

隣りのクーロワールへの変更なら、C1まで降りなくても、C2で事足りたはず。
食料他の補充の為でしょうか・・・


7日までがチャンスと言ってるが・・・
4.5.6.7日で、何処までホルバインを登れるのか?
4日 5800mC1→6100mC2
5日 6100mC 2 →6800mC3
6日 6800mC3→8000mC4
7日 8000mC4⇔山頂
これが、最短の日程になります。

2日行動して1日停滞する、栗城の行動パターンからすれば、
6日は、6800mC3で停滞となるはず・・・(ここまで上手く登れての事ですが・・)
天気が崩れる前に、何処まで登れるのか・・・


直近の行動は・・・
9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
9月30日 C2で停滞
10月 1日 C2⇔グレート左端6700mまで登った?(6700mには泊まらず)
10月 2日 C2→C1
10月 3日 C1で停滞(天気は良い・停滞の理由無し・2日歩いて疲れたのか・・)
10月 4日 C1 →C2へ上がる予定


それにしても、ホルバインを登るはずが、グレートに往ってたとは驚きでした。
小生は、グレートもホルバインも諦め、西稜に鞍替えするものと思い込んでました。
今迄、当ブログを読んで戴いた皆様方に、お詫び致します。





栗城と同時期に、エベレスト北面に居た、キリアンが2016年9月28日付けの、
〝SUMMITS oF MyLIFE〟 の中で、今回の遠征登山の概要と総括をしてます。
イメージ 3

キリアン隊は、ジョルディ、アルプスガイドのセバスチャン、ビビアンの4名。
東ロンブク氷河のノースコル(7000m)から順応し、中央ロンブク氷河から、
ホルバインかグレートを登攀する計画。

8月7日 ネパール・カトマンズに到着
     手続き、その他
8月16日 中国・ラサに到着
8月19日 ロンブク到着(寺院の在る処、BCの手前)
8月22日 6500mABCの予定が、5キロ手前の6000mでキャンプ。
     (雪でヤクが進めなかった模様、この点は栗城と同じか・・)
8月29日 7200mのラプ・ラから7700mに登る。
     (北東稜末端の東に有る山・高度順応の為)
8月31日 最後の順応で、8000~8200mに登る予定が7600mで天候悪化の為中止。
     良い状態で55度の斜面を登れたと。
イメージ 1
                     (7000mノース・コルでの、キリアン)

9月8日 3時に出発して、7000mへ 天候悪化
9月11日 チャンツェ7553mの7519mからスキー滑走。
     (ノース・コルの北側の山、この山の登頂を目的にする隊も有る位の山)
9月12日 昼までに北稜を7950mまで登ったが、雪が降り始め下山。
イメージ 5
                   (登攀する、キリアン)
9月13日 ビビアンとチャンッエの6910mからスキー滑走。
9月15日 撤退決定。
9月20日 ラサで打ち上げ宴会。

イメージ 2
キリアンのメモ。22日に書かれてる90-80-85の数字は、
血中酸素飽和度の数値と思われる。
イメージ 4


天候が悪く7950mで撤退した、キリアンには気の毒だったが、
もう少し我慢をしてれば、今の好天で登頂の可能性が大だったのでは・・・・

9月12日に、晴れ間を見て6000mから7950mを日帰りとは、恐ろしい速さです。
流石、速攻のキリアンだと・・・
それに引換え、5600m(ABC)~6100m(C2)を、ウロウロしてる栗城は駄目ですね。


さて、今晩の栗城ブログ更新を楽しみに・・・・

それと、当ブログにキリアンは東ロンブクなので、
栗城とは遭遇してないのでは? との、コメントを戴きました。
キリアンのHPには、順応後に中央ロンブクに移動したとの記載も無く、
どのルートの7950mまで登ったのかも記載無しです。(北稜ルートとは思うが・・)
もしかしたら、最後まで東ロンブクに居たのかも知れません、済みませんでした。


追記
小生が50年前に山登りをした頃は、キリアンがメモした様な行程表を書き、
冬山に向かったものです。
形式は違っても行動記録として、外国人が同じ様なメモを残してる事に、
万感の思いをしています。

栗城には、知りえない事でしょうが、
計画と実績の差が一目瞭然に見られる表ですから、実践して欲しいメモです。
栗城はこんな事も知らないと、思ってますが・・・

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追記 翌2017年春のチベットでの無酸素登頂の記録

第1回目の登頂(5月20日~22日)

標高5100mのBCを、20日の夜10時に出発。
26時間後の22日、真夜中に登頂。午前0時15分に下山開始。
22日、正午過ぎに6500mのABCに到着。延べ38時間の行動。

第2回目の登頂(5月27日~28日)

1回目の記録に満足出来ず、2度目に挑戦です。
27日に標高6500mのABCから、17時間後の28日に登頂。
即日ABCに帰還、行動時間は延べ28時間30分

通常チベット側からの登頂は、天候に恵まれたたとして。
1日目 ABC⇨C1
2日目 C1⇨C2(酸素を吸う)
3日目 C2⇨C3
4日目 C3⇨登頂⇨C2又はC1まで戻る
5日目 ABCに帰還
初日に、C2まで登れたとしても、
往復4日の行程です。

珍しく、栗城公式ブログが昼に更新されました。
3日の更新では、明日から(4日)登ると言ってたが、
4日の更新は無く、ダンマリ作戦。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

<栗城中継班より>
栗城は今朝8:20(日本時間11:35)に壁に取り付き、
現在ホーンバイン・クーロワールのルートを登っています。

無線では「集中して行ってきます!」と言って出発して行きました。


直近の行動は・・・
9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
9月30日 C2で停滞
10月 1日 C2⇔グレート左端6700mまで登った?(6700mには泊まらず)
10月 2日 C2→C1
10月 3日 C1で停滞(天気は良い・停滞の理由無し・2日歩いて疲れたのか・・)
10月 4日 C1 →C2へ上がる予定が、C1で停滞
10月 5日 C2→何処まで登れたか???

この先の天気予報です。
8000m・山頂付近の予報は、栗城が到達出来ると思わないので載せません。
イメージ 1
7日頃を境に、エベレストは冬の様相に変わりますね。
風も安定して吹き始めますし、体感温度も低下の一途です。
登るほど傾斜が増す壁+登るほど気象条件悪化=何処まで耐えられるか?
3日頃に、C1でウロウロしてないで、
壁に取り付いてれば、少しは上に登れたものを・・・
ま~これも、天候悪化を口実にする、作戦かも知れませんね・・・
「体調も良く、いいリズムで登れたが、天気がーーー」と、イツモノ台詞で。


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更新されました。
いつもなら、C1を出て標高差300mのC2泊なのに、
今日は6800mまで標高差で1000mも登ってます・・・・

今日、標高6800mのキャンプ3に上がってきました。
添付された動画が、アンナプルナ南壁同様の、
ゴマ点画像で音声も無く、誰なのか判断出来ません・・・・
ホーンバイン・クーロワールの雪の状態が非常に気になっていましたが、前よりも雪が少し安定していて登ることができました。
C1からの撮影画像で、雪のルンゼにゴマ点。
「山と自分に素直になる」
自分に言い聞かせています。
それができなければ、下りたほうがいい。
ちょっと、意味不明・・・
軽量化のために、できる限り軽い装備で上がってきました。
無線も、カメラも持参してないと、言いたいのか・・・冒険の共有は?
今、風が弱い周期を狙って上がってきていきます。
6800m着が本当なら、明日が勝負ですね~  明日夜の更新が楽しみです。



栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

昨日(5日)の更新で、6800mのC3へ上がったと言ってましたが、
今日(6日)はC3で停滞してた様です。好天続きなのに何故でしょうか?
一日で標高差1000mも登ったので疲れたのでしょうか・・・


直近の行動は・・・
9月28日 ABC・5600m→C1・5800m(200m登る)
9月29日 5800m→C2・6100m(300m登る)
9月30日 C2で停滞
10月 1日 C2⇔グレート左端6700mまで登った?(6700mには泊まらず)
10月 2日 C2→C1
10月 3日 C1で停滞(天気は良い・停滞の理由無し・2日歩いて疲れたのか・・)
10月 4日 C1で停滞(C1 →C2へ上がる予定が・・)
10月 5日 C1→C3・6800m(標高差1000mを登る)
10月 6日 C3で停滞(夜から、山頂アタックだと・・・)



SpO2は81で、すごく安定しています。
85位の数値が欲しい処ですが、動画の声を聞いた限りでは、
呼吸も乱れて無く安定してる様です。

8日から悪天候になるということと、今の体調の様子、そしてモチベーション、色々なことを考えて、今日18時(日本21時過ぎ)からアタックすることにしました。
悪天候が判ってながら、停滞してる意味が理解出来ないし、
夜からの行動も解せません・・・この先標高差2000mも有るのですから・・・
夜は雪崩れの確立が低い、と言えばそれまでだが・・・

今日ファイナルキャンプに荷物を上げても、そのまますぐにアタックすることになり、それであればここから水と食料を持って上がって行きたいと思っています。
ファイナルCとは、8000mC4の事を指すが、そこにキャンプを置かずに、
アタックすると・・・仮に登れても2000m下らないと安住の地無し・・・
可也の危険が伴なうと思う。

風が弱いのでチャンスだと思います。
きちんと慎重になりながら、進んでいきます。
明日(7日)の日本時間午後~夕方にかけて、登頂する予定になります。(以下割愛)
6800mのC3を出て、24時間後に登頂。
栗城の体力で、登りで24時間行動が可能か???
上手く登れたとして、夜間行動をして6800mのC3に戻れるのか・・・


山頂の天気予報です。
7・8日以降、風が強まります・・・体感温度も低下・・
イメージ 1

帰路、6800mのC3まで戻れずに、途中でビバークの危機に陥ったら、
上部ほど危険な事は、栗城が知ってるはず。
本気で24時間アタックをするとは、思えないのだが・・・・

知る限り、過去エベレストで、6800mからアタックを仕掛けた例は、有りません。
数有る〝道標〟の一つに為らない様に、祈ってます・・・



午前中、野暮用で出掛けてましたが、何とも早い結末に驚いてます。
もう少しはヤレルかと思ってたが、
想像以下の実力の様です。(黒字は栗城ブログから抜粋、青字は私見)

<栗城中継班より>
栗城より無線が入りました。
進みたい気持ちはありますが、雪と体調のコンディションから判断して下山を決めました。
登りたいけど、雪が深いのか?  天気予報では、降雪量は少ないはず。
今までの降雪が深く、ラッセルで進めないとしたら・・・
これは、昨年のエベレストでの敗退理由と同様です。
その後冬場に、ラッセル訓練をしたと言う話は無し。(努力無くして、進歩無し)

斜面か急なので、雪が其れ程積もるとは、思えません・・・
斜面に降った雪は、加重に耐え兼ねて、暫時表層雪崩れを起しているはず。
表層雪崩れが落ちる際、旧雪面が摩擦で磨かれ氷化する事はあるものの・・・
氷がーーとは言ってないので、不思議です・・・

体調・・・6000mは何度も体験してるので、順応が出来ていると思うが、
6500mに1回・6700mに1回上がって、泊まりもせず、雪がーー天気がーーで、
降りて来てるので、7000m近い高度には順応出来てない証拠。
高度順応のセオリーを守らない、当然の結果です。(一流のクライマーは、可能)

昨晩キャンプ3(6800m地点)を出発し夜通し登り続けていましたが、7400m地点から下山します。
昨夜9時過ぎに出発すると言ってたので、一晩掛けて600mより登れてません。
時速50m程度の登行スピードですね・・・やはり鈍亀です・・・
時速100mの標高を稼げれば、一流と言えますが、やはり3.5流と言われる由縁。
鈍亀には、ラッシュ・タクティクスは向かず、ポーラ・メソッド以外無しかと。
7400m到達の証拠は???  夜間なので写真が撮れない・・・
昨年夜間に、サウス・コルに上がったと言った時と、同様に脚本通りです・・・
昨夜のアタック出発で大きく期待してくださっていた多くの皆様には、申し訳ございません。
昨夜は、サッカーを見てましたよ~ アタックの事等、一瞬忘れてました・・・
今後、天候的に可能であれば体制を整え直してから、再度アタックも考えています。
この先の天気予報を見ても、今回の〝様〟を見ても、再アタックは意味なし・無理。

降りて来てから、いつもの如くに敗退理由を述べるでしょうが、
これで下山家 栗城劇場の〝幕〟を一旦降ろします。
総括は、栗城敗退の弁を聞いてからとします。

ろくに〝共有〟もせず、5200万〝集金〟して、手元残高は幾許か・・・(邪推?)

今迄、当ブログを見て戴いた方・コメントを戴いた方、
稚拙な文章をお読み戴き、ありがとうございます。




栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)
いつもは、敗退後に音沙汰無しが続くのですが、今回は早い更新です。
〝栗城劇場 閉幕〟宣言をしてしまいましたが、もう少し続けます・・・


<栗城中継班より>
12:30(日本時間15:45)に、栗城が5800m地点まで無事に下山しました。
約7時間掛かって、7400mから5800mのC1に降りた事に為ります。
皆様からのたくさんの応援、本当にありがとうございます。
明日にはアドバンス・ベースキャンプ(ABC)まで戻って休息を取る予定です。
ABCまでは慣れた道でしょうから、心配無いですね、ゆっくりどーぞ。
ABCに戻った後、栗城の想いや栗城カメラの映像もアップしていきます。
楽しみです・・・


添付されてた画像を見て唖然!!!!!
赤線は、グレート・ルート。 
黄線は、栗城が登ろうとしたホルバインへのルートです、は6700mC3の位置。

8000mから上はガスってますが、星空のいい天気です。
イメージ 1

黄色ラインの右に、ヘッドライトの光が写ってるのが、登ってる栗城だそうです。
登頂ラインからズレテます。

C3を夜間出発し、
①先が見えずに、徐々に西稜側ズレタのか?
②直登しようとしたが、急斜面で登れず、楽な西稜ルートに向かったのか?

栗城談を聞かないと、判りませんが・・・
GPSを作動させて無いので位置が判らないのか? 
自称登山家を名乗ってるので、コンパスで方向を割り出す程度の事は、出来るかと。
多分②を選んだものと思うが・・・
位置からして、この辺りが限界だったのではと思います。
ここまで登ったと言う意味での、証拠写真かも・・・

でも、栗城にはアンナプルナ南壁での、捏造ゴマ点画像の実績が有るので、
信用は出来ませんね・・・



栗城は、既にABCに降りてるはずですが、ブログの更新が有りません。
恐らくは、ネット上の反響を、様子見してるものと思います。
それに、再アタックも匂わせてましたが、添付した天気予報をご覧下さい。


今回で6回目のエベレストでの行動を、一覧にして見ました。
如何に停滞日無駄な行動日が、多いか判ります。


8月16日 当初の出国予定日(スタッフ都合で、10日延期)
8月26日 羽田発→ネパール・カトマンズへ 
8月27日 ↓
8月28日 装備等の準備
8月29日 ブログで、日程・登頂ルートをグレート・クーロワールと発表。
8月30日 
8月31日 ラサ(3650m)から、シガチェ(3900m)に移動。(4駆で約7時間)
9月   1日 シガチェから、テインリ(4300m)に移動。(4駆で約10時間)
9月    2日 テインリで停滞(高度障害の為)
9月   3日 5200mBC到着(4駆で約5時間)
9月 4日 BCで停滞(高度障害で、スタッフをティンリに降ろす)
9月 5日 ヤクで荷を運び、5600mにABC設置(予定の6000mへ設置出来ず)
9月 6日 ABCで停滞
9月 7日 ABCでプジャ
9月 8日 ABCで停滞(ガスで見えないそうです)
9月 9日 ABCで停滞
9月10日 ABCで停滞
9月11日 ABCで停滞
9月12日 順応の為、ABC5600m→5800mで一泊。(半日歩いて200m登る)
9月13日 順応ルートの西稜・北尾根を諦め、6100mでキャンプ(半日で300m)
9月14日 6100mで停滞(降雪が有った為)
9月15日 6100mからホルバインの6500m地点に登り、微熱でABCに撤退。
9月16日 ABCで停滞(熱は下がったと言うが・・)
9月17日 ABCで停滞
9月18日 ABCで停滞
9月19日 ABC→5800m→ABC(雪が降り始めたと、ABCに戻る)
9月20日 ABCで停滞
9月21日 ABCで停滞
9月22日 ABCで停滞
9月23日 ABC→5800m
9月24日 5800m→壁の下(6100mのC2とは記載せず)
9月25日 C2で停滞
9月26日 壁の下からABCへ撤退(降雪の為)
9月27日 ABCで停滞(晴れたが動画撮影・スタッフ1名脱落)
9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
9月30日 C2で停滞
10月 1日 C2⇔グレート左端6700mまで登った?(6700mには泊まらず)
10月 2日 C2→C1
10月 3日 C1で停滞(天気は良い・停滞の理由無し・2日歩いて疲れたのか・・)
10月 4 C1で停滞(C1 →C2へ上がる予定が・・)
10月 5日 C1→C3・6800m?(標高差1000mを登る)
10月 6日 C3で停滞(夜から、山頂アタックだと・・・)
10月 7日 C3→7400m?→C1(夜間アタックし、7400mで敗退、C1へ戻る)
10月 8日 C1→ABC(ABCに降りたとの報告は無し)
10月    9日 ABCで停滞
10月10日 ABCで停滞
10月11日 ABC→C1
10月12日 C1で停滞
10月13日 C1→ABC 敗退宣言


この先の7000mの天気予報です。
イメージ 1

この風では、再アタックは有り得ませんね・・・

ABCからの報告を待ってますが、発表が無いので、行動を振り返って見ました。



栗城公式ブログが、更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

回復中と題して、以下の記載が有りました。

回復中
今、正直体がとてもキツいです。 
体がまだバキバキに痛くて、激しい腹痛でトイレに行くのも苦労しています。
7400mまで、ほとんど四つん這いになりながら、雪をかき分けて進みました。
斜面で手足を使って登ったようですし、氷では無く雪の斜面だった様です。
では、その様な状況を想像して見ます・・・
①そこそこ斜面の場合
 ストックなりピッケルを、両手で水平に持ち、
 雪面に置きそれを支点とし、足を運びます。
②急斜面の場合
 ストックは使い物に為らないので、ピッケル二本使い、シャフトを雪面に刺し、
 左右のピッケルと両足で、4点支持をし、
 常に3点が雪面に着いている状態で、安全を確保しながら登ります。
 雪が深い時、足を上げるのが大変なので、膝で雪面を押してから、足を乗せます。
 説明が判り難いかも知れませんが・・・
 要は、手と足が同時に雪面から離れない登り方です。

栗城は、①②のどんな方法で登ったのか?  ②だと思うが・・・
②で登ったとしたら、降りは後ろ向きで降りないと危険ですが・・・
登り以上に、降りに時間が掛かるのですが、C1に降りるのが早かったです・・・

急斜面で・氷の場合の登り方(ピオレトラクション)も有りますが、
雪を掻き分けて進んだ と、言ってるので、この方法は使ってないと思います。

体がバキバキの様ですが、腕を目一杯伸ばして登るので、多少は影響が有るかと。
でも、壁を目指す〝自称 登山家〟にしては、軟弱ではないかと・・・

何度この世界を体験しても、時間差で大きな波がやってきます。
大きな波の意味が判りませんが、疲れによる虚脱感でしょうか・・・

ただ、11日振りに頭も洗うことができて、これから徐々に体調も回復していくと思います。
ホーンバイン・クーロワール登山の様子を書くには、もう少し体調を回復させるので、少し時間をください。
クーロワールの様子は、後日の様です、楽しみです。

ここ数日間は悪天候の周期なので、ABC(アドバンス・ベースキャンプ)で体力を回復させていきます(以下 割愛)

C3・6800mのテント内での、動画が添付されてました。
驚いたのは、寝袋無しの銀シート(レスキュー)の様な物に、下半身を入れてる姿。
如何に、ダウン上下を着てるとは言え、寒さで体力消耗が激しいのでは・・・と。
高所に為るほどに、寒さが体力を消耗させますから・・・




栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青じは私見)

登山中の手持ちカメラと中継キャンプからの映像です。
天候的な条件が揃ったら、再度チャレンジしたいと思っています。
ただ、強風の予報が続いているので、少しでも弱まるチャンスを狙って行けるか。
慎重に、深く、考えています

動画が添付されてます。
内容は、
10月5日に、6800m・C3に上がって来た様子と、ツェルトを張ってる様子。
ストックが写ってるので、6800mへはストックを使い、着いたと思われる。
一部ピックを刺している処も有り。

テント無し寝袋無しでも、荷が重いと言っている。(中身は食料・燃料・炊飯具が主)
テント・寝袋は、C1に置いて来たと思われる。

ツェルトの設営は、40度程度の湿り雪の斜面。
ストック2本を支柱にしているが、ストラップに張り綱を直結びにせず、
ビナを噛ませている。(カラビナ等は必要で無いので、軽量化なら置いて来るべき)
(11日訂正追記) 手が不自由な事を、忘れての指摘でした。
合理的な方法と思います。

10月6日 21時30分 ヘッ電が動いてる動画。
10月7日 3時 膝から腰までの雪で、降りると言う。


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天気予報を見る限り、7000mの天候が安定するのは17日からで、
それまでは最大50km/hの風が吹く模様。
後一週間もABCで停滞するのか?




栗城が公式ブログを更新しました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

今、キャンプ1で粘っています。
このキャンプ1はもちろん、山頂まで偏西風による非常に強い風の周期になり,その中で風が弱まる日を狙って待っています。
今はとにかく、風が弱まるのを祈ってます。

C1付近に湧く、ガス?か雲?の動画が、それらしく添付されてます。
しかし、エベレスト上部は綺麗に写ってます・・・
雪煙も舞って無いし、風下に雲も発生してませんねぇ・・・・

偏西風による強風とは、こんな状態を言うのですよ~ (左エベレスト・右ローッエ)
イメージ 1

本当に登る気が有るのなら、時間も少なく為ってるし、
C1で停滞などせずに、壁の下6100mのC2で、待機するべきです。
でないと、晴れても壁下まで、又1日無駄になりますよーーー



13日追記
この先18日までの、6000m・7000mの天気予報です。
風は最大45km/hで12.5m位 雪がチラつく程度です。
今日、壁下の6100m・C2に上がれば、14日から安定します。
7000mラインには、到達出来そうな天気です。
イメージ 2




栗城が敗退宣言。(黒字は栗城ブログ全文、青字は私見)

5200万の興行収入を得た〝栗城劇場〟が楽日を迎えました。

この2日間、再びアタックを目指してキャンプ1に上がっていました。
しかし今日届いた天気予報を聞き、すでにジェットストリーム(偏西風)がヒマラヤに下りてきており、風速25m/s以上の風が吹き続く中での行動は不可能と考え、先ほどアドバンス・ベースキャンプ(ABC)に戻りました。
可笑しいぞ ! 栗城 毎秒25m以上の風 ?  時速換算して90Kmの風が吹いてる??
いつも提示してる天気予報の最大値は、13日の山頂付近で60Kmです。
以降、風が弱まる傾向に有るのでは? 

キャンプ1に向かう前日に、週間予報でジェットストリームの予報を知りました。
C1に上がった日が11日だから、10日には知ってた事に為る。
知ってて・登って・敗退宣言 無意味な行動・・・台本の筋書き通りだ・・・

ジェットストリームは人間が行動できるような環境ではなく、標高8000m以上での行動は確実に死につながるため、その予報を知った時は、キッチンテントで泣き崩れていました。
それには違い無いが、あの様で8千mに本当に登れると思ってたのか???
〝自称 登山家〟往ける処まで登るのが筋、せめて7500踏む気概が無いのか・・・
キッチンテントで泣いてはシェルパ迷惑、自分のテントで〝泣け〟。

モンスーンによる大量の降雪後、あまりに早いジェットストリームの訪れでしたが、少しでも風が弱くなる日を狙うためキャンプ1に移動して、再アタックに備えました。
予報では、序々に風も弱まるのでは?????

ただ今日届いた予報では風が弱くなることがなく強風が続き、登山許可の期限ギリギリまで登山を試みましたが、ジェットストリームの期間がそれ以上に続くという予報のため、残念ながらここで秋季エベレストの登山を終えたいと思います。
いつもギリギリまでと言うが、自分の都合のギリギリまででは?
メスナーは著書で、中国登山協会の条件を全部公開してるぞ。(費用・期間他)

今年は序盤からモンスーンによる雪が非常に多く、雪崩を避けながらの7000m以上での行動は厳しかったです。
雨期後だから積雪量が多いのは折込済み、今年は平年より多いとしてもだ・・・
キリアンは、半日で7950mまで登ってるではないか・・・
栗城には、キリアン並みの体力・技術が無かった証拠。(比べるのは、彼に失礼か)

キャンプ1以上で11日間を過ごし、少ない燃料や食料の中、雪崩を避けるため雪が安定するのを待ちましたが、最後はモンスーンが明けて早いタイミングでジェットストリームが訪れてしまいました。
氷河の縁を往ったり・来たり、トレッキングレベルでしたね。

応援してくださった皆さんには、本当に本当に申し訳なく、また支えてくださった皆様に、感謝の気持ちでいっぱいです。
雪が多い中、いくつかのルートを試し、ホーンバイン・クーロワールに向かって行くときは、腰近くある深い雪を落ち着いた呼吸で進み、無酸素で登る体と気持ちはありましたが、風速25m/s以上の風を越える事は厳しいです。
雪がーーーでアタック敗退したのでは ? 今度は、風がーーですか・・・
例え無風でも、ホーンバインもグレートも登れません。
何故なら、氷雪登攀技術も基礎体力も、一流では無いからです。

ただ、今はこの結果を真摯に受け止めて、今後に繋げていきます。
そうです、講演(口演)する暇が有ったら、
流石栗城と言われる様な、技術・体力の鍛錬を・・・(3.5流からの脱皮)

今は下りてきたばかりなので、また改めて詳しいことをご報告させてください。
詳細報告 楽しみにしてますよ~

本当は動画で皆さんに気持ちをお伝えしたいと思っていましたが、長くなってしまい動画サイズが大きくて衛星通信ではすぐにアップできないので、今日は文章と短いエベレストの映像になりました。
ただ風が吹いてるだけの、無意味な画像・・・・

皆さん、本当に応援ありがとうございました。
今までガスも食料も削ってきたので、何か食べたいと思います。
皆さんからの応援、本当に、本当にありがとうございました。

実に呆気ない幕切れでした、もう少し期待してたのですが・・・・




栗城に対する応援コメントを、FBやツィッターで拾って見ました。(漏れが有るかも)
以下が、小生の知る限りの、山関係者のコメですが淋しい限り・・・
大蔵は、今回登頂シーンで、解説すると言われた〝山の先輩〟。
小生が、〝金で転んだか〟と、言った輩、
それぞれ日付から、どんな局面でのコメか、辿って見て下さい。
近藤氏や野口は、ご存知と思うので・・・
近藤氏や野口のコメは的を得てますね。大蔵は〝ヨイショ〟のみ・・・


8月14日 大蔵喜福 
いよいよですね🙋楽しみです

8月30日 近藤謙司
 ほへ?
グレートクーロワール行くのかよ…´д` ;
いったい誰がアドバイスしたんだ?
とにかく雪の量をよく見極めて!
モンスーン後の壁は要注意だぞ!

9月1日 大蔵喜福
懐かしい風景です🙌

9月10日 大蔵喜福
 いよいよですね🙋鎮静に

9月18日 野口 健
雪が深すぎる

9月23日 大蔵喜福
沈着冷静です😃

9月 30日 大蔵喜福
焦るな

9月30日 野口 健
ルート変更も一つの選択肢。

10月7日 野口 健
 最終キャンプを標高差でもう1000mあげた方がいいのでは。6800mから山頂往復は遠過ぎると感じてしまう。ただアタックがスタートしたからには登頂成功と無事の下山を願い祈ります。

10月14日 大蔵喜福
お疲れ様でした。再起!!

10月14日 野口 健
お疲れ様でした。この敗退を次にどう繋げるのか、大切なのはこれからだと思います。このままのスタイルで本当にいいのか、それとも違うスタイルで挑むのか。栗城さんは欲張り。何か一つ捨てないといけないんじゃないかな〜と老婆心ながら感じています。とにかく無事でよかった。日本で待っています。

ここまで、合間を見て書いてたら、今日の7時頃にABCから〝生中継〟の発表。
7時過ぎから、運よく見られました。

内容は・・・
あーだ、こーだの後、スポットの話し・・・
7500m辺りで、電波が拾えず乱れるので使用中止にする。
重さが100gも有り、それよりは食料を選択すると・・・
来年は遠征費を借り入れで、遣るかも・・・通信費は持ち越しだと・・・

今度は、雪の心配がない、厳冬期に登る!!!  (驚きですよーーー)
相変わらず風が強いと言ってたが、中継中に頭髪が乱れる事無し??? だが、
何故か風の音がゴーゴーで、音声聞き取れず・・・

いづれ、文章で発表かと・・・その時また。






栗城が 秋季エベレスト2016 と題して、ブログを更新しました。
見解の相違点に付いて、私見を述べたいと思います。
(黒字はブログより抜粋(かなり長文の為)、青字は私見。)



9月4日、中継を支えてくれるスタッフより早めに標高5560mのアドバンス・ベースキャンプ(ABC)に入る。できるだけ早くエベレスト北壁に近づき、雪の状態を確認したかった。前日に標高5150mのチベットベースキャンプについた時にスパッツ一枚でベースキャンプをランニングしているヨーロッパ隊に出会った。
それは、キリアン隊の事であろう・・・
BC入りしてキリアン隊に会った事を、今頃公表している・・・
ライバルとても思ってたのだろうか・・・・相手は〝屁〟とも思って無いだろうに。

アドバンス・ベースキャンプについて、雪を利用できそうなルートを模索した。
元々は北壁左側のグレート・クロワールを計画していたが、雪崩が多く、降っては止み降っては止みを繰り返す今の周期では危険と判断。雪崩が無いホーンバイン・クロワール(別名ジャパニーズ・クロワール)を目指すことにした。
雪崩れの危険性は、どちらのクーロワールも同レベルと思う。
ホーンバイン=ジャパニーズでは無い、
ホーンバインは、上部の1/3を言う、下部2/3は日本隊が登ったルート。

クロワール(岩の溝)は傾斜が60度ほどあり、真っ直ぐに山頂に向かっている。
6800mのC3に着いた時の動画では、ストックを持っていた。
60度の急斜面を、あの長いストックで登るのは、〝不可能〟・・・・
C3設営中の動画が、傾斜を証明してるではないか・・・・これが60度?
イメージ 1

これはある意味チャンスかもしれないと双眼鏡から眺め続けた。しかし、問題は中腹部だった。7000mから8000m近くの少し傾斜が弱くなる雪田の雪が深そうだった。

ヨーロッパ隊が7600mで一度止めたあの雪が白く厚化粧して僕を待っていた。
キリアンが登ったのは、北稜ルートであり、栗城が登ろうとする北壁とは別な場所。

ヒマラヤはよく冬が一番雪が多いと思われているが、一番多いのは夏の雨季となり6000m以上では雨ではなく、雪が降り続ける。9月に入ればモンスーンが無くなるが今年はまだモンスーンが居座っていた。

僕が尊敬する山の先輩たちで本当に経験を積み、直感力の優れている人で、「今回は山と合わない」と言いベースキャンプで下山を判断する人がいる。それはヒマラヤにおける経験と自分がよく見えているからこそできる判断。
誰が言ってるのか知らないが、長期間計画を練り・多額の費用を掛けて遠征し、
BCで匙を投げた話は聞いた事が無い・・・・たいした先輩では無いだろう・・・

「そうは言っても、行ってみなければ分からないじゃないか」と言いたくなるが、頭の中では、この雪が今後何をもたらすか、ある程度分かっていた。
この時点で、登頂は無理と判断したのか・・・

9月15日、雪と晴れの合間を取り、一度ホーンバイン・クロワールに取り付つくが、体調不良で下りる。少し身体を休ませてから降り積もった下部の雪を避けるためにグレート・クロワールより一本左のクロワールを登るが、雪の下にあるブルーアイスが顔を出し、雪ごと僕を落とそうとする。ピッケルを何度も刺す。
9月13日に、高度順応の為に西稜・北尾根(栗城流ロー・ラ フェイス)で、
雪崩れそうだと言い、簡単に諦めた件が書かれて無い。
高所登山では、成功の可否を決める重要な事前準備である。
9月15日は、6500mで微熱と言いABCまで戻る。
一本左のクーロワールとは、北壁と北稜との凹部を指す。
青氷には、ピッケルのシュピッエ(石突き)は刺さらない、
指の無い栗城に、ピック(鷲口)を打ち込む握力が有るとは思えないのだが・・・

僕は温かい食事があるアドバンス・ベースキャンプに戻らず、キャンプ1にとどまり北壁を眺め続けた。アドバンス・ベースキャンプからでは見えない部分を眺め、この北壁全体の中で、ソロで登れる場所を探し好天のチャンスを待っていた。しかし、どこを見ても深い雪は変わらない。ある時にローラフェイスの北斜面と東側のクロワールが同時に巨大な雪崩となり落ちた。あまりにも凄まじい音にテントを出る。僕のテントも撮影キャンプの方も無事だった。
話がオーバー、中央ロンブク氷河を、雪崩れが横断して来るとは考え難し・・・

この雪の中で最終的に出した考えは、ホーンバイン・クロワールをまっすぐに登ることだった。正面切ってこの深い雪と対峙する。
そこに立ち向かうのではなく、呼吸を整えながら溶け込んでいきたい。
対峙するとは、相対して立つこと=立ち向かう事ですが・・・
小生が、大学山嶽部に在籍してた頃に、山と対峙するとは、こう言う事だと習った。

10月5日、8時21分に取り付きをスタート。
ホーンバイン・クロワールをまっすぐに登っていく。寝袋なし、テントなし(ツェルトのみ)食料はラ王1個分と、江崎グリコさんに作ってもらったアミノ酸たっぷりの特製ナンバーバナナとサプリメント、凍傷を予防する薬、衣類と少量のガスと鍋のみ。
寝袋・テント無しとは笑止、
それに〝ラ王〟とは・・・爆笑(高所では沸点が低く、ぬるま湯3分では戻らない)
余談だが、高所で新品のインスタント珈琲の瓶を開けると、外気が低圧の為、
中の防湿紙が破裂し、粉珈琲が半分以上吹き飛ぶ・・・体験済み。
予備の手袋・靴下持参は当然の事だが・・・
それに肝心要の、山頂からの中継機材が抜けている。
山頂に往く気も無いし・生中継する気も無かった事が判明。

30リッターのザックにすっぽりと収まり、それ以上のものは置いていくことにした。
14日のABCからの敗退宣言では、25Lのザックと言ってたが・・高山病で呆けた?

本当はSPOTというGPSも持って行きたかったが、使用限界高度が7500mまでで、昨年ネパール側で使用した時に突然位置が大幅にずれ、栗城が滑落したのではという問い合わせが来ていた。またその重さの分持っていくなら少しでも食料を増やしたかった。
おいおい可笑しいぞ・・・7500までより使えない物を、
去年も・アンナプルナの順応でも使ってる、登る山は約9000mだぞ。
位置が飛ぶのは、入り切りが原因では・・・メーカーの信用問題では・・
他のメーカーは、正常に作動してるではないか・・・

この深い雪のホーンバイン・クロワールを登りきるには、できるだけ軽量化するしかない。もちろん寝袋やテントがあったほうが暖かいのは重々承知だが、傾斜60度ある壁を登りきるためには、他に方法はなかった。
C2から山頂まで標高差約2700m、C3から山頂でも2000m、
ワンプッシュで登頂出来る距離では無い・・・
ツェルト被って、ビバーク2晩の覚悟は有ったか・・・

ホーンバイン・クロワールを無事に登りきり、少しトラバースして6800mのリッジの上を体一つ分、平らにしストックでツェルトをはる。中腹部7000mを見上げる。
おいおい栗城、ホーンバインを登りきれば、そこは山頂直下だよ・・・

ホーンバイン・クロワールの下部は特に難しいところはなく、問題はここから先の傾斜の強い雪田を、どう乗り越えるかだった。
傾斜の強い雪田????  この文章の始めで 傾斜が弱くなる雪田 と言ってたが・・・
支離滅裂とはこんな事だよ、本当にそこまで登ったのか??? 疑われるぞ!!!!

ツェルトの中で一夜を過ごす。今回、寝袋はなしの代わりに、シルクの布とゴミ袋を高所ダウンの上からかぶり、横になる。寝袋はなしでも高所ダウンは、僕の体を守ってくれる。そこに気休めのゴミ袋で冷たい空気が入るのをなるべく防いでみるが、寝心地は「寒すぎる!」
当たり前の話・・・自業自得と言う。
しかし・・・ヒマラヤでゴミ袋を被って寝るとは、初めて聞いたよーー
10月6日、21時半、6800mのビバーク地を出発する。持っているものは水と行動食のみ。ガスも全てここに置いていくことにした。本来であれば7500m以上のところに、もう一度ビバークをする予定だったが、悪天候が近づいていること、そして何よりも深い雪を乗り越えていくためには、なるべく荷物をなくして、軽くして向かっていかなればならない。
悪天候が近づいてるから、アリバイ・アタックと解釈されても仕方が無い・・・

撮影キャンプでは、山頂に着く3時間前から中継が始まる。日本とも何度もやり取りをしながらテストを繰り返し、準備を整えてきた。
ただし、今年は体調不良のスタッフが続出し、1人は帰国、1人は最初から最後まで不調だった。それでも中継班は今寝ないで待っている。
寄せ集め素人スタッフの弱点露呈、
帰国したのはサトウ・不調は松田・マトモなのは魚住のみ。

両手を雪に深く突っ込み、雪をかき分け、膝を高く上げて雪を取り崩す。そしてようやく、一歩を踏み出し、また両手を雪を深く突っ込み、雪をかき分け、心の声が何度もこだまする。
心の声は何と言ってたのか・・・もう登れない、早く降りよう~と・・・

午前2時過ぎ、すでに標高は7400mを超えていた。星々が見えるが、辺り一面は真っ暗で、この暗闇の中の雪田がまるで砂漠のように、どこまでも広がっているように見えた。あのヨーロッパ隊のように、屈強な隊員同士がラッセル(雪をかき分けて進む)を交代し合えば、この深い雪も超えられたかもしれない。だが、この僕にラッセルを交代し合う仲間はいなく、心の声が時には励まし、時には挑発をし、僕に問いかけをしてくる。
他隊の事はどーでも良い、単独が謳い文句なはず、一緒に登る仲間など居ないだろ。

僕は腰を下ろし、深く息をした。この深い雪の中、力の限り登っていったとしても、山頂にたどり着くことはできない。ここでビバークすることも考えたが、8日にはまた雪が降り出してくる。登り切るなら今しない。しかしこの雪はすでに、一つの厚い壁となっていた。
基礎体力の無さが露呈、また雪がーー ラッセルがーー である。

栗城が登ってると公開された画像、黄色線の先のヘッ電の光。(この辺が到達点か)
西稜方向に進んでいる、急で登れ無いのか? 雪深で登れ無いのか? 説明無し。
ホーンバイン・クーロワールへは、白線に沿って進む。
岩が現われてからが、ホーンバイン・クーロワール(約8000mから上を指す)
イメージ 3

午前3時、無線で撮影キャンプに下山を伝える。撮影キャンプのカメラマンは冷静な声だった。その後、僕は深い雪に腰を沈め、陽が昇るのを待ちつづけた。体を考えれば、自分の登ってきた足跡をたどれば、すぐに下山はできる。
21時半にC3発・3時敗退宣言までに、5時間半で600m登った事になる。
まともに登れたとして、山頂までの1400m以上を、何時間で登れると思ってるのか?
C1 まで降りて来るのに必要な時間は ? 

ただ僕は、陽に当たる北壁全体を見渡すために、陽を待ち続けた。光が北壁に当たれば、どこが一番雪が深く、どこが浅いのか点と点を結びたかった。つまり、もう一度上がるために僕はそこに3時間以上、そこにとどまった。
夜明け前が一番冷える時間帯(歩いていても手足に刺さる痛さを感じる冷気)、
そんな中で3時間以上も良く耐えたと思う。(この点は、唯一凄いと思った・・・)
予定のルートから大分右に反れた位置に居たので、
明るくなるまで降りれなかったのかも・・・・
画像は、C3付近まで降りて来た足跡だが、膝や腰深の雪とは思えない。
精精20~30cm程度・・・・
イメージ 2

10月10日の夕方、僕はキッチンテントの隅で、うなだれながら泣いていた。2つも同時にこの遠征をすでに中止しなければならない連絡が日本から来ていた。一つ目はチベット登山協会からの登山許可の延長を求めていたが、延ばしてくれたのは3日のみで、18日まではどの登山隊もラサをでなければならないという連絡。
登山許可申請時の見通しが甘い、恐らく2ヶ月の申請。
メスナーは、3ヶ月の申請をしていた。(著書で、出入国は同じルートで許可とある)

もう一つはヤマテンの週間予報が8日からの悪天候は全てジェットストリームに変わり、8000m以上の風速は27mと強風で、行動は難しいという予報だった。つまり17日までの間、全て強風で上部での行動は不可能ということだった。6000m、7000mまでは問題なく行動できる。
風速27m以上の風を一度エベレストで体感したことがある。それは2012年のエベレスト西稜、上部8000m近くホーンバイン・クロワール入り口付近のことだった。
ホーンバインの入り口(始まり)が、8000mと認識してるではないか・・・
2012年に、8000m付近まで登れたとは、思って無いが・・・

このままいけば次こそは指じゃない、もっと大切なものを失う。キッチンにいるスタッフにここで止めることを伝えた。
しかし今、長くモンスーンが居座っていたせいか、予報と実際の天気にズレがあることがあり、13日は多少弱くなるかもしれないという、予報もあった。そこを最後のチャンスと捉え、たった2日の休養のみで、翌日僕は再びC1に向かっていった。
最後の最後のギリギリまでこのC1にとどまり、エベレストの北壁と向き合ったが、最後のアタックのチャンスが訪れることはなかった。
※今、僕は明日出国しなければいけないため、急いでラサに来ました。
今回、相手は「山」ではなく「モンスーン(雨季)」と「ジェットストリーム(偏西風)」でした。相手は天候とはいえ、今回の結果には自分自身、本当にショックで、また責任も感じています。冒険の共有ではスタッフの体調不良が続出し、思うような配信もできなかった歯がゆさも残っています。今後、栗城がどうするのか? 自分の中では再び向かうという答えが出ています。しかし、再び秋季エベレストが今年のような大雪で覆われれば、厳しい結果になるでしょう。それらを踏まえて、向かう時期の変更も考えています。もし向かうとするならば、一番雪の少ない「冬季」です。冬は最も寒く、気圧が低いため、実際の標高よりも酸素が薄くなります。ただ、秋からの強風で雪が吹き飛ばされ、最も雪が少ない時期になります。その冬季に行くか、再び秋季に向かい、安定した雪を待つか、2つの選択がありますが、今後、慎重に考えながら決めていきたいと思います。
冬季とは・・・深雪が無い分、氷の世界・気温も風も一級です・・・

また、今年は冒険の共有のクライマックスである山頂到着3時間前から栗城カメラと、撮影キャンプからの中継が行われ、AbemaTVや、様々なネット配信が企画されていました。登頂できないということは、その配信もなく、多くの人に応援していただいたことに本当に申し訳なく思っています。この悔しさを忘れず、また応援してくれた沢山の人たちの気持ちを大切にしながら、その応援を引き続き次回につなげていきます。
つまり次回は新たなクラウドファンディングは行わず、自己資金(借り入れ)してでも冒険の共有を実現したいと思います。
今回、3時間の中継通信費以外は全て諸々の費用に支払われますが、その分の資金を借り入れしてでもやります。
〝集金〟で、今回は可也の批判を浴びてますからね・・・
借金してでも、頑張る様ですが・・・担保は・・・

ちなみに今夜、チベット登山協会の人たちと、冬季エベレストの許可について話し合いが行われます。一旦、日本に帰り休養してから、また戻ってきます。
ネパール側エベレストは、登れなければ翌年の登山申請費用は不要ですが・・・
中国はどうなのか判りません、冬季の許可と言ってますから、一回毎なのかも。

結局、敗退原因は何なのでしょうか・・・・
長引いたモンスーン と 偏西風 ?
タクティクス(戦術)や高度順応・体力・技術・装備に問題が無かったのでしょうか?

敗因分析をして、対策を練らない限り、何回挑戦しても〝結果は同じ〟。



〔応援して頂いた皆様へ〕と題し、公式ブログを更新しました。
長文なので、一部割愛して、私見を述べます。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

カトマンズで最後の機材の整理をして今夜にカトマンズは立ちます。
機材を整理しながら改めて今回応援して頂いた皆さんへの申し訳ない気持ちと悔しさ、感謝の気持ちと胸がいっぱいなってました。
クラウドで「冒険の共有・否定の壁」と言い、〝集金〟した方にでしょうか?
内容が、日々のブログから微妙にズレテいます・・・

今年の秋季エベレスト(北側)からのチャレンジでしたが、モンスーン(雨季)が平年より長く、中腹部では腰近くある雪を掻き分け進まなくていけない状態の中で雪が安定する期間後半に登頂を狙いましたが、すでにジェットストリームが到来し、また登山許可の期限が近づき、終えることになりました。
雨期明け後のヒマラヤに雪が多いのは、常識です。何を今更と・・・
中腹部とは、何処を指すのか不明ですが、多分C2より上の事だと・・
しかし、証拠に為る画像が有りません。
C3と称した6800mの画像でも、雪深は精々膝下程度です。
腰までの画像は有りません・・・栗城 得意の誇張か???

登山許可に付いて、大体申請の期間が短い、常識的にはBC以降2ヶ月は必要。
登る気無しで、早く帰って講演(口演)し、稼ぐ事より頭に無いのでしょう。

今年は念願のベースから山頂まで距離の短い中国側からの挑戦となり、自分自身が本当に楽しみし準備を行ってきました。しかし、結果は7400m少し上がったところで断念しました。
BCから山頂が近いから、中国側と言う発想が不思議・・・
長い距離を歩く体力が無いから。又、近い=急斜面では? 登れるの?栗城。
結果は、急斜面で登れず、西稜側へ迂回・・・しかも、雪がーー腰までーー。

あともう一回アタックチャンスがあればと。
だから、申請期間のミスが招いた結果です・・・期間が長ければ登れたか?
天気が悪いと言っては、ABCやC1に戻らず、C2で待機してれば良いものを、
何回も指摘したはず・・・

また「冒険の共有」は今年は現地からの配信が上手く行えませんでした。新しく導入しカメラなど中継は上手くできた部分もありましたが、日々の配信の方でヒマラヤになれている配信担当のカメラマン一名が体調不良で帰国し、またアシスタントも最後まで体調不良で残りのスタッフが頑張ってサポートしていましたが、高所(低酸素)では思うような動きができませんでした。
門谷や廣瀬を、日テレ・イモト・アイガーの特番に取られたから、
魚住・サトウ・松田を急遽召集、寄せ集めを同行させたのは、栗城自身。

機材の方では、中継用の大型ソーラーパネルがチベット側から今回初めて入国を拒否され、急遽小型のソーラーパネルに変更。少ない電力の中、最後の山頂到着の3時間生中継に電力を集中させるため、思うよな配信ができず、途中栗城のどうなったのか心配されている方もいたと思います。
ソーラーパネルの件
栗城、東京の中国大使館に事前に問い合わせれば、判った事。詰めが甘い。
ボチボチ・トレック社に、全てお任せが招いた結果だよ。
3時間生中継の件
6800mからアタックの時の装備に、生中継機材が入ってた???
10月17日のブログでは、10月5日壁取り付き時の事を次の様に記述。
【寝袋なし、テントなし(ツェルトのみ)食料はラ王1個分と、江崎グリコさんに作ってもらったアミノ酸たっぷりの特製ナンバーバナナとサプリメント、凍傷を予防する薬、衣類と少量のガスと鍋のみ。】
何処に機材の事が書いてるのか・・・

今回、ルートは大雪でしたが、トレーニングの成果もあり、ほとんど高度障害はでず、途中ヘルペスで下山しましたが、それ以外はかなり集中して体調は良かったです。登っていたホーバイン・クロワールも全体的に非常に良いルートで雪が安定すれば最も登頂の可能性が高いルートだと感じました。
トレーニングの成果? 低圧酸素室での事なら、9月3日のブログでBC入りの際に、ちょっと息苦しいので、明日、また詳しくお伝えします。
と、言ってたではないか・・・6000m・6500mの低圧酸素室で身体を慣らし、
今までにない仕上がりと豪語してて、5200mのBCで息苦しいとは・・・
途中下山は微熱・・・ヘルペス? 抵抗力か無い証拠・・・
ホーンバインが、最も登頂の可能性が高いなら、毎年何人も登ってるだろうに!!!!
ホラを吹くのも程々にせよ!!!!

今年は深い雪とスタッフの体調不良とコテンパンにやれましたが、もう一度リベンジしたいと思います。
配信に関しましては、体調不良の者がでないよう改めて細心の注意でやってきます。
深雪と駄目スタッフが、敗退の原因の様です。
栗城自信の、ラッセル体力・登攀技術・装備他に問題が無かったのでしょうか・・・

登山に関しては、時期の変更も考えております。 秋にもう一度登りたい気持ちがありますが、今年のような大雪の周期が来た場合は非常に厳しいです。そこで雪が最も少ない時期(冬季)かまた春(ホーンバイン・クロワールなら誰もいません)か、雪が安定すればチャンスのある秋か今後じっくり考えいきます。
考えが纏ってない様ですが・・・ホーンバイン・クロワールなら誰もいません
意味深い発言ですねぇ~~~誰も見てない=チョンボ出来る とも取れますねぇ・・

※いくつか質問が来ているのでお答えさせて頂きます。
FBや公式ブログに、多数の疑義が書き込まれ、削除の嵐でしたが、
何か都合が悪くなったのか?やっと口を開けました・・・・

※ 中継機材は持って行っているのか?
一部通信のスポンサードを受けている関係から栗城中継カメラを公表することは控えさせて頂きます。撮影キャンプからは40倍のレンズにカメラを付け、衛星端末2台、カメラ2台を使用して中継を行います。
公開した方がメーカーの宣伝になると思うが・・何故隠匿?
あのようなゴマ点画像カメラでは、意味無し・・・・
こんなカメラより無いのかと思われたら、キャノンに失礼・・・

※なぜ下山時に生中継を行わないのか?
下山時は大変な時なのでやる予定もありません。
何が大変なのか?

※ラーメン一食分で悪天候のビバークをどうする気だったのか?
エベレスト北壁は強風のため何日もビバークは非常に危険です。6800mキャンプ3から下の取り付きまでゆっくりでも3時間近くで下山できます。
可笑しいぞ栗城、質問と答えが合ってない。
質問は、アタック時の事を聞いてるのに・・・
そのため悪天候が近づいたら上で留まるより下りた方がいいです。天候が安定しチャンスがある時に一気に登り、一気下りる。その分の食料しか持っていきません。
何回も言うが、6100mのC2が在るではないか、何もABCまで戻る必要は無い。
そこに食物を備蓄して置けばいい話。
ABCで遊んでる間に、荷上げの時間は充分有ったはず・・その体力が無かったか・・

※GPSはなぜ持って行かなかったのか?
GPS(SPOT)は僕もお気に入りの装備です。自分のいる位置がリアルタイムで伝えられるのは素晴らしいと思いました。しかし、今回の北壁は傾斜が強く、短期間で勝負をつけないといけないことから最も最軽量化しなければいけませんでした。寝袋無し、テント無し(ツェルトのみ)食料もわずか。その中でGPSを持っていくか考えましたが、今回撮影キャンプからは取り付き(壁のスタート地点)から山頂直下まで見通しがよく、栗城の位置が確認できること、SPOTの使用可能高度が7500mまでと。また昨年使用した時に一時大幅にずれたこともあり、今回持っていかず登山に集中することにしました。点ような栗城の姿を見ながらどんなところか想像を膨らませた方が山は楽しいと思ってます。
支離滅裂、ゴマ点画像で、想像するのが楽しい・・・・笑った・・・
GPSは、まともな物を買いましょう~
重いから持参しないと言うよりは、現在地点が知られるのが嫌なのでしょう~

※否定的な意見を削除しているのか?
LINEブログのことかもしれませんが、こちらは削除などしていないです。否定は冒険の一部であり、また実際に本人がやってみないとわからないことだと思うので誤解も含めてそういった意見は当然あると思います。ただ、名前を変えて何度も投稿する方、明らかにIPアドレスを変えて投稿する方、いじめのような投稿はLINEブログの運営の方で自動的に削除されていると聞いてます。
こちらは削除などしていないです・・・??
誰が誰の指示で消してるのか・・・
いじめ と感じるのは、被害妄想。
言ってる事と遣ってる事が違うから、批判が噴出してるのですよ~

※次はどうするのか?
今、時期を見直しを含めて考えています。それぞれの季節にメリットとデメリットがあります。それでいて自分が「感じる登山」がきちんとできるかどうか。良く考えて必ず挑戦します。
感じる登山??? 意味不明ですが、どうしたら登れるのかを真剣に考えないで、
エベレストの裾野をウロウロすると、〝栗城凍像・道標〟に為りますよ!!


・・・・・・・・・・・・・・・・


友人の、自称アルピニストの野口でさえ、こんなコメントが・・・
野口の富士山清掃登山は、評価しています。

野口健 ‏@kennoguchi0821 10月6日
6800mからのアタックは遠過ぎる。ノーマルルート(チベット側)の最終キャンプは8300m。ルートが違うので単純に比較は出来ないけれどそれでも遠過ぎる。

野口健 ‏@kennoguchi0821 10月14日
野口健さんが栗城 史多をリツイートしました
お疲れ様でした。この敗退を次にどう繋げるのか、大切なのはこれからだと思います。このままのスタイルで本当にいいのか、それとも違うスタイルで挑むのか。栗城さんは欲張り。何か一つ捨てないといけないんじゃないかな〜と老婆心ながら感じています。とにかく無事でよかった。日本で待っています。


野口健認証済みアカウント @kennoguchi0821 10 時間10 時間前
冒険って一言で表現するのならば「小さな背伸び」。大風呂敷広げ夢を語る事ばかりが冒険でない。突如、僕が「ヨーロッパ三大北壁を厳冬期にやります」と発表したらそれはもはや冒険でもなんでない。喜劇や詐欺の部類に入る。大風呂敷を広げるよりも少しの背伸びを繰り返すことに僕は意味を感じている。



・・・・・・・・・・・・・・・・  


訃報 
田部井淳子さんが亡くなりました。
女性初のエベレスト登頂者、新たな時代を拓いたパイオニアの一人でした・・・ 合掌



2016年12月26日
栗城 やっと声を上げた

エベレスト北壁敗退し帰国後、10月25日付けの公式ブログ更新を最後に、
2ヶ月に亘り〝貝〟と化してた栗城が、ブログ更新です。
遠征中はコメント欄に書き込みが出来たが(栗城の意に沿わない書き込みは即削除)、
今は、コメント欄が閉鎖されてます。
如何に批判の声が大きかったかの証明でしょう・・・
(以下黒字は栗城ブログ、青字は私見)


富士山
2016/12/26 20:24
トレーニングで富士山行ってましたー。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
最近は企業の講演やストレス対策のお仕事をさせて頂きながらトレーニングし、今日は久しぶりの富士山でした。
講演料稼ぎもいいが、遠征費を出したスポンサーとの関係が気に為るのだが・・・
帰国後にファンクラブ会員と、伊豆の山にハイキング以来の山行か・・・
早朝、馬返し(0合目)から登って行きましたが、低気圧が近づいているためかなりの強風。。
8合目からは強風に煽られながら、そして雄叫びを上げながら風と向き合いました。風は風速25m〜28mと止む気配はなく、浅間山頂まで30分もかからない9合目の鳥居で下山を判断しました。
山頂はすぐそこ。でも、富士山は風が強い時は本当に危険です。斜面はカリカリのアスバーン。煽られてスリップしたら。。

********************

栗城には悪いが、25m以上の風の中で、本当に9合目まで登ったのなら、
それは自殺行為・・・何故ならピッケルでの滑落停止が出来る手指では無し。
自分自身その辺は、良く判ってるはずだが・・・
それとも、滑落しても止まれるとでも思ってるのか・・・

(以下は、朝日新聞デジタル、栗城インタビュー記事からの拝借画像です。)

イメージ 1
左手でシャフトが握れてない、是では力が入らない、握力不足。

イメージ 2
利き手の右も、シャフトが握れてない、握力不足。

イメージ 3
右親指以外欠落

是では滑落停止の動作を取っても、体重を支えきれません・・・
耐風姿勢を取る事も無理でしょう。
ダガーポジションでのピッケルワークが、ヤットの事でしょう。
ですから、自殺行為と言ったのです・・・


イメージ 4
況してや、こんなダブルアックスや、
ピオレトラクションでの登攀は、絶対に無理です。
単に格好付けた画像に過ぎません・・・(画像は栗城ブログより)
現状の栗城には、ピッケルワークを多用する登攀は無理で、
ストックストラップに腕を通して登れる、滑落の心配がない登山程度かと・・・
エベレスト北壁の、ホーンバイン・クーロワールからの登頂は出来ません。




1月16日 追記
1月15日付けの、栗城公式ブログで、左手の画像が公開されました。
白馬でのスキー中とか・・・黒字・画像はブログより引用

指を失ってから、ストックのグリップが握りづらく
(特に左手は親指もないので)思うようなスキーはできませんが、
ポールを握り、ストラップをテコにしてギリギリ滑りました。
イメージ 5
ストックが握れない事が判明、一回り細いポールの握りがやっとです・・・
グリップが駄目なのに、グリップより太いピッケルのシャフトなど握れる訳無し。
これで上のWアックス画像が、単なるポーズな事が判ります。
滑落停止も、これでは止めれません。
酷かも知れないが、滑落したらそのまま落下です・・・

********************


9合目で「また行きますね」と言って引き返しました。
でも、いい風と向き合えました。
添付されてる画像には、9合目に達した証拠画像も無く、
氷化してテカッタ雪面の画像より無し・・・何処で撮ったか?不明・・・
この日の富士は傘雲が掛かり、強風だった事は判るが、
画像には斜面がハッキリ映ってるので傘雲の下、7合目辺りで撮ったと思われる・・
近くまた来ます。
06:30馬返し出発
11:40 9合目にて下山
約5時間で9合目まで登った事になる・・・30分で山頂と言ってるが・・・
上手く登れて約5時間半で登頂と言う事になるが、
〔馬返し〕から夏の標準タイムは、約9時間となっている。
鈍足の栗城が、5時間半で登れるとは信じ難し・・・
又、吉田の街から撮った傘富士画像を見ると、街灯の照明が点灯してる、
昼前に下山開始したはずなのに、暗くなるまで何処歩いてたのか・・・
※次回、エベレストの挑戦どうするのかまだ調整中の部分ありますが近くご報告させて下さい。
次回春のエベレスト北壁行きは、4月10日出国とファンクラブ会員に告げてるが、
今だに調整中とは・・・・
自己資金が足らなければ、借金してまでもと、豪語してたのに・・・・
近く出る報告が楽しみです。

追 グリコの商品を持った画像が添付されてたが、グリコとはまだ続いている様子。
  ミレーのロゴも宣伝中・・・栗城にとっては、共に大事なスポンサーだ・・・


余談・・・栗城の左手の手袋の刺繍だが、下の栗城ロゴに見えるのだが・・・
     スポンサーのミレー製と思うが、刺繍を入れて貰う位なら、
     要らない指先を切って、処理して貰う方が使い易いと思うのだが・・
イメージ 6

イメージ 7

2017年03月01日
栗城 エベレスト北壁の訓練中


最近、栗城がこの春に計画してる、エベレスト北壁攻略に向けて、
ガイド付き訓練を始めた様子です・・・・


昨年秋季にチベット側の、エベレスト北壁を登ると息巻き、
多額の金を〝集金〟して、素人同様の仲間を集め、
①高度順応に失敗(雪崩そうだと、順応ルートを諦め)
②グレートクーロワールルート敗退(取り付き点で)
③ホルバインクーロワールルート敗退(ホルバインクーロワールにも到達出来ず)
雪が多い他の理由で、予想通り敗退でした・・・・

意気消沈か? 資金繰り難か? で、暫し沈黙を守ってましたが、活動再開の様です。



エベレストに向けた訓練の様子を、見て見ましょう~
黒字は、栗城FB・江本FBから引用

2月22日の栗城FBより

二週連続で甲斐駒ケ岳に行き、昨日は富士山へ。
2週甲斐駒と言ってますが、内容には触れてません。
昨年同様の黒戸尾根経由と思われるが、一切不明です・・・
減量しながら筋肉を増やすトレーニングと食事をしながら色々準備してます。
ちょっと? です・・・
普通高所登山を志す者は、入山前にそこそこ体重を増やすものです。
理由は、高所での食事は空腹を満たすだけのもので、血となり肉と為りません。
高所での行動力の熱源は、体内に蓄積された蛋白質・脂肪を燃焼させて造ります。
小生の体験では、2006年に5千m~6千2百mの高所に10日程滞在しましたが、
3食喰っても8kgの体重減の症状が出ました。

でも、富士山は出発直前にやめました。
理由は「今日じゃない」と言われてる気がしたからです。
言い訳の意味不明ですね・・・
 (ちなみに来月は富士山と低酸素トレーニング三昧になります)
最近は、地上の山登り(冒険の共有の準備)や企業講演、
そしてトレーニングと毎日遅くまで予定がびっしり。。
しかも山は楽しむよりは、
長く行動するためのトレーニングとしてロングルートばかりです。
疲労が貯まっているのは明らかでした。
富士を辞めた理由は、疲労感のようですねぇ~
平地で疲れて、富士を辞める様では、8千m然も北壁は???
体調不良じゃないけど、
「やめた方がいい」と富士山に言われてる気がして直前でやめました。
おかげさまで久しぶりに温泉入ってゆっくりできました!
今週は八ヶ岳で色々登攀です。
※ また近くチャレンジが始まります。。

この栗城FBに、富士吉田口5合目佐藤小屋の多分子息の保氏がコメント、
「富士山に来た時には寄って下さい。」

馬返しから歩けば、嫌でも5合目佐藤小屋の前を通らなくては、上に往けません。
昔から冬の富士で営業して居る唯一の山小屋です(最近は週末営業の様ですが)。
吉田口から冬富士に登る者の殆んどが、上部の状況を知る為に、顔を出すのが常識。
何回も吉田口から往ってる栗城が、顔を出してないとは・・・信じられぬ・・・
顔での登山届けや・下山届けすらしてない事に為りますねぇ~
得意の隠れてコソコソ・・・でしょうか・・・



2月24日の江本ガイドFBより
江本 悠滋さんが写真4件を追加しました — 栗城 史多さんと一緒です。
快晴の八ヶ岳です(^^)
今日はエベレストに挑戦し続ける栗城君の依頼で彼のトレーニングに来ています。
ただいま小屋を出て5時間と10分ですが既に赤岳主稜を3回登ってます😅
いつまで続くのかな〜
赤岳鉱泉から往復で7時間30分=赤岳主稜4本でした〜😲
江本も、去年の花谷も国内では一流のガイドだが、
何でこんなのに依頼されて、
ノコノコガイドするのか疑問??? 日銭が欲しいのか・・・

栗城がFBで発表する前に、江本ガイドが画像付きで、同行登山の内容を発表。
ザイルで上から確保されて、同じピッチを4回も・・・・
大学山岳部員の下級生が、登攀訓練(ピッケル・アイゼンの使い方)するレベルです。
客が一人だと、江本レベルなら、一日 顎足別で4.5万は取られるだろうに・・・
栗城FBより
「苦行は変化を取り入れて楽しむ」
24日(金)、トレーニングで八ヶ岳に行ってきました。
23日に急激に気温が上がり、
雨や雪で希望していたルートの雪が不安定で赤岳主稜に変更。
1回登るだけではトレーニングにならないので一日で4回赤岳主稜を登ってました。。
登っては同じ山頂。
登っては同じ山頂。
登っては同じ山頂。
登っては同じ山頂。
同じルートを連続で登攀するのは意外と精神的にくる苦行です。
でも、景色は変わらなくても常に自分の中で「変化」を入れて楽しみに変える。
良いトレーニングでした。
体力的には5回行けそうでしたが、目が回る。。4回登って降りました。
赤岳鉱泉からは走って下山。
また頑張ります。
0740赤岳鉱泉発
1412赤岳山頂 4回目終了
ガイド付きだった事には触れてませんねぇ~
エベレスト単独・無酸素で登ると豪語する者が、
ガイドに引率されで、2千mの冬山で訓練中等とは、恥ずかしくて言えません・・・

同じルートを猿廻しで4回も通るより、別ルートの方が訓練に為るのに・・・と、
思うのは小生だけでしょうか?

エベレスト北壁・ホーンバインクーロワールからの登頂を目指してるのに、
ここで・この程度の訓練をしてる様では、
また先が見えてると思うのは小生だけか・・

昨秋のチベットでは、雪が腰まで有り、登れなかったと言ってたが、
越後や富山の豪雪地帯での、ラッセル訓練を計画する訳でも無く、
大学山岳部下級生レベルの訓練に傾倒する栗城に・・・・と思う次第。
この程度の訓練で、ホーンバインクーロワールが登れるなら、
既に何百人も登頂達成してるはず・・・・・


珍しく、栗城の山に関しての記述が有ったので、思わす一言・・・の次第です。


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栗城が、チームクリキ会員宛に、メールマガジンを発行しました。
内容をそのまま全文添付します、黒字の文章がそれです。
青字は、これに対しての私見です。
文章の支離滅裂な処が栗城らしいのですが・・・


4月10日からエベレスト北壁に向かいます!!
愈々、7回目の挑戦が始まる様です・・・・

チームクリキの皆さんナマステ。
ついに4月10日からエベレスト北壁に向かうことをチームクリキの皆さんに先に正式にご報告させて頂きます。
昨年10月の北壁敗退後に、再度挑戦すると言ってたが、本決まりの様です。
資金は足りてませんが、遠征メンバーも決まり、許可申請も近く出ます。
メンバーの発表は 、昨年秋の遠征でも有りませんでした・・・
今までのエベレストの挑戦は、全て秋季という季節の厳しい時期でした。
春は渋滞し、数珠繋ぎのように人が多いため「山を感じながら登る」それが不可能だと思い、避けていました。
 そう言ってるが、現実はシェルパに荷上げ・ルート工作をさせてるのを、
他隊に見られない様に避けていたのが本心でしょう・・・
しかし、昨年秋は最も雪が多くチャンスが本当に少なかったです。
昨年と同じ気象条件が来たら、登りに向かうことすら本当に厳しいです。
山に往く前から、登れない時の為に、予防線を張ってる様な気がしますが・・・ 
かなり時期について悩みましたが、昨年登った「北壁」はノーマルルートの渋滞とは違い、誰も向かうことはなく、ルートも比較的安定しており春でも北壁であれば「山を感じながら登る」が充分できると判断し、春の北壁に変更します。
北壁 は簡単に登れるルートではないので、他隊とニァミスする事は殆んど無し。
因って、単独でないのがバレル心配がない・・・
皆さん応援、本当にありがとうございます。
そして、今回資金が足りなくてもなぜ再び向かうことができるのか?
資金という壁をどうしたのか?
答えは。。
「借り入れ」をして向かいます。
エベレストの個人の遠征費250万ぐらいです。それは自分で用意してきましたが、問題は冒険の共有を行うための資金です。
スタッフの人件費、スタジオ費用、機材費、衛星回線費と「登る」以外の費用の山が相当高いです。
おやおや、前回(6回目の敗退時に) 3時間中継予定の衛星回線費は、
中継しなかったので残ってると言ってたのが・・・銀座で散財したの・・
その費用を工面するために講演やスポンサー、チームクリキの皆さんに応援して頂きながらなんとかやってきました。
よく、「沢山のスポンサーがついて羨ましい」なんて言われますが、スポンサーが全てを賄ってくれるわけではなく、不足した場合は「借金」してでもやり遂げる!
それを過去4回やってきました。(5回かな。。)
「資金が足りないからやめる」のではなく、
「資金が足りなくてもやり遂げる」
遠征後に講演しながら返済していくことをやってきました。
金融機関2社から借り入れが決まりました。
ただ、そのやり方は長くは続けることは難しく、また精神的にもかなり追い詰められます。
それが最悪な形として現れたのが2012年の時、シシャパンマ南西壁滑落とエベレスト西稜の凍傷でした。
精神的に追いつめられ、執着しない正しい判断が難しかったと思います。
借金の事が頭から離れず・・が、過去の滑落・凍傷の原因の様な言い方ですね・・・
滑落は氷雪技術不足・凍傷は知識不足以外の何物でも有りません。
その後、父から「苦しい時は、苦しいと人にいいなさい」と言われ、考えてたのがクラウドファンディングでした。
栗城一人で冒険の共有をやっているじゃない。
一緒に支えてくれている人達がいると本当に助けられました。
本当にありがとうございました。
試練は再びやってきます。
昨年、秋季エベレスト北壁では体調不良により2名の欠員が出て、充分な冒険の共有ができませんでした。
素人を同行させたのが原因、高山病でダウン・・・
それも含めて冒険かもしれませんが、その「責任」を感じて、次回はクラウドファンディングは「やりません」と宣言しました。
前回クラウド の締め切りが近づいても金が集まらず、クリキサポーター名目で、
自己資金を注ぎ込んでやっと達成。この遣り方には可也の批判が有りました・・・
資金は足りないのに。。
でも、嬉しいのは「またクラウドファンディングやりましょうよ」と講演会場や様々なところで声をかけて頂けました。
本当にありがとうございます。
そこでは栗城は考えました。。
「チームクリキを増やそう!」
チームクリキはそれぞれの見えない山を応援し合う場でもあり、仲間でもあります。
その「輪」を広げて少しでも冒険の共有の費用も補えたらと思います。
会員の 現在の年会費は現在6480円です、何人の会員が居るかは判りません。
前回のエベレストでクラウドを遣った時は、400人程度の出資者が居たと思うが・・
『皆さんにお願いがあります』
3月中旬に新しくチームクリキの募集(冒険の共有のご支援のお願い)を行います。
その「告知」や「仲間集め」をチームクリキの皆さんにお願いしたいです。
具体的なお願いは下記になります。
既存の会員に、新会員を集めさせると言う、新しい方法の様です。
ネズミ講に似てますねぇ・・・
1、newチームクリキ「NO LIMIT」Tシャツを着て頂き、「PR」のお願い。
※今年のTシャツはチームクリキ関西のズッキーさんの奥様ユキさんにデザインして頂きました!ありがとうございます!
2、皆さんの周りでチームクリキに入って頂けそうな方にに栗城からお手紙とサイン付きエベレストクリアファイルを送らせて下さい。
※具体的な詳細は後ほど
3、チームクリキの特典を増やし、冒険の共有の支援ために年会費を上げるご理解のお願い。
昨年、クラウドファンディングで好評だった「一緒にエベレスト」皆さんの大切な写真を持っていき、一緒に撮影。
「No limit対談」(ラジオ)
「応援Tシャツ」も追加して、全て込みで年会費の金額をを12000円(税込)とさせて下さい。
年会費を 約2倍にして、Tシャツ付きですから、計算上は丸々1万円の収入増です。
果たして何人の会員が残り・何人の新規会員が増えるのか・・・
会費値上げで会員が半減したら・・なんて、考えて無いようですね。
昨年のクラウドファンディングの1万円コースに近い形になります。
※今、チームクリキ加入の方に差額などの対応方法を後ほどお知らせさせて下さい。
より一層皆さんに喜んで頂けるよう頑張ります。
そして、冒険の共有の資金のためにご理解をよろしくお願い致します。
皆さん、いかがでしょうか?
どうやってチームクリキの仲間を広げられるか皆さんのお知恵やアイディアもぜひコメント下さい。
普通 プロと称する登山家は、登山用具の開発アドバイスをして、
メーカー支援を受けるとか・・
過去の登山記を執筆して、原稿料や印税・講演料を貯めたり・・
登山技術を生かした肉体労働(歩荷・ビル窓拭き・ガイド等)をして、
遠征資金を稼ぐのが一般的でしたが、
栗城の場合は、他人の懐を当てにしてる様ですねぇ・・・
地上の山、大変厳しいですが頑張ります。
皆さん、いつも応援本当に本当にありがとうございます!
明日から低酸素トレーニングです。
低酸素トレなどは、今からしても意味が無く、直前集中するのが有効。
今は、基礎体力強化と苦手な雪克服に励む時期ですが・・・


以上栗城が 会員に流したメルマガです。
過去、〝冒険の共有〟〝否定の壁を乗り越える〟と言い〝集金〟し、
結果を出せずも、これが共有と言ってたが、今回は苦境に立たされてるようです。



春のエベレストの登頂時期は、5月中旬~下旬がベストシーズン。
4月10日から、何日の登山期間を設けるかで、先が見える気がします。
いつもの如く、ひと月半程度の日程では、高所順応期間などを考えると、
出発時期が遅いと思うのだが・・・まずは、期待して様子見です。



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3月9日 追記  チームクリキ会員FBより
イメージ 1

チームクリキ会員に会費変更発表した途端に、多数の苦情が有った様です。
早くも〝集金〟システムの崩壊です・・・今後、どうするのか・・見ものですね。
しかし、こんな画像の様な事をしてて、北壁が登れるとは思えませんが・・・・



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3月22日 追記  チームクリキ会員FBより

3月17日に、こんな書き込みをしました。
(株) たお=栗城事務局には、
女スタッフが2名居ると言われてるが、人手不足の様です。

無償で4名募集してます・・・会員4百人足らずの運営なのに・・・

会費を約2倍に値上げすると発表し、苦情が出ると即撤回・・・
今度は〝タダ働き〟する者居ないか? との提案。
銀座に構える、月額家賃50万とも言われてる事務所兼住宅から撤退して、
運営経費を節約しようとの発想が無い馬鹿・・・救い様が無い・・・

4月9日のヒマラヤ出発を目前にして、余程金が無いようです。
ヒマラヤの準備は?  こんな事してる場合では無いと思うのだが・・・

イメージ 2


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この春に、7回目のエベレストに敗退して以来、公式ブログは更新されず、
自身のツィッターhttps://twitter.com/kurikiyama/も非難の嵐で放置状態です。
〝自称 登山家〟が山に登らないで、何をしてるのでしょうか???


栗城が以前に室内訓練の画像をブログに載せてました・・・
それがこの画像です。
イメージ 1
流行のスラックラインに乗り、ピッケルを両手に持ちバランス訓練中だそうです???
本人は〝氷壁登攀〟のイメージだと思ってるでしょうが・・・(>_<)
それに画像の様なストレートシャフトのピッケルでは、使い物になりません・・・


このスタイルは、ピオレトラクション(PioletTraction・仏語)、
又はWアックス(英語)と言う氷壁・雪壁を登攀する技術名です。
アイゼンの歯を刺し・ピッケルのピックを交互に刺しながら、
3点支持で安全に登る方法です。
イメージ 2
知り合いが登攀してる姿です


氷壁登攀には、この様な形状の特殊なピッケルを使います。
シャフト(柄)は、雪面に接しない様にベント(曲がり)が付いてますし、
ピックは、バナナピックと呼ばれる通常のピックより反った形状です。
この形状が刺さると抜け難いのです。しかもシャフトが握り易い様になってます。
イメージ 3

これはハンマータイプの物で、
アイスハーケン・ロックハーケンで、支点を取る時に打撃出来るハンマー付きです。
イメージ 4
このハンマー付きが無ければ、別途ロックハンマーを持つ必要が有りますが、
この2本が有れば軽量化が図れます。

常にシャフト下の握りを掴んで登る訳でも無い場合は、下図の様な物も有ります。
イメージ 5
さて、用具の説明を終えて本題に入ります。
先程の栗城の画像を拡大して見ました・・・・が・・・・


右手の黒いピッケルのピックは氷壁・雪面を捉える向きだが、
左手の白いピッケルは、ピックが逆向きでないの?・・・・
これでは、実際にWアックスが必要な壁を登攀した事が無いのが一目です。
何処かで聞いたうろ覚えを遣って見ただけでしょう・・・

アンナ南壁時の高度順応でも、プラトーをプラットホームと言ってた事を思えば、
山の知識が限り無くいい加減で雑です。
イメージ 6
この画像は確か アンナプルナ南壁に行く前に掲載したと思うが、
これでは南壁の基部までより登れなかったのが納得です。
如何にも俺は頑張ってる・・の姿でしょうが、道具の使い方すら知らない・・・

アンナ南壁の左リッジ・ルートから初登攀にしたイギリス隊も、
第2登に成功した群馬岳連隊も、
皆さん普通のストレートシャフトピッケル1本で登ってます。
北壁Gクーロワールでも、メスナーはノーマルシャフトのピッケル1本で登攀。


この春、エベレスト北壁の青氷に手も足も出ず、
鞍替えした西稜にも登れずに、7度目の敗退した栗城が、秋にフランスで訓練とか・・・
何を訓練して・何を得るのか? 楽しみですね~ 
来年は、8度目のトライのようですから・・・・


2017年6月4日付けの栗城公式ブログの中に、以下黒字の書き込みが有ります。
9本の指を凍傷で失ってから左手はピッケルを持つだけでも精一杯。ほとんど右手だけで支えなくてはいけない。
それでいて長時間いや、数日間もこのブルーアイスと格闘することができるだろうか。
この状態なのに、上記の添付画像の様な登攀は出来るはずも無く、
格好だけのポーズな事が判りますね・・・・

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栗城が春のエベレストから帰り、〝長文・言い訳〟ブログを発表して以来、
ひと月半振りにブログ更新です。(黒字は栗城ブログより、青字は私見)

みなさん、ナマステ。
(中略)
そして、昨日今日と2日間、小樽の赤岩にて尊敬している山の先輩とトレーニング。
(中略)
イメージ 1
講演で札幌に行き、その後2日間小樽の赤岩(ゲレンデ)で岩登の練習とか・・・
その様子の画像が添付されてました。

多少思う処が有るので、取り上げました。

●メットの被り方が雑
 サイズが合ってない・額が隠れないメットは、被って無いも同様です。
 グリベル製の高級品が、泣き崩れます・・・

●服装・・・半袖・短パン
 夏なので、脛出し・・・話にならない。

ここまでは、栗城の心構えの問題です。
尊敬している山の先輩とトレーニングだとか・・・こんな事を容認する先輩???

●次に、技術(方法)的に気になった点(プログ主的には×な事)
 説明が判り難いと思いますが、画像と見比べながら、読んで下さい。

 トップ(先行者)は、栗城が居る地点で1ピッチ目を終え、
 そこに栗城が登って来たと思われる。
 栗城は、2個の残置アンカーから支点を取り、
 青色カラビナを通し・セルフビレー(自己確保)をしたのはいいが・・・・・
 トップへ続くザイルが、栗城のセルフビレーの壁側(裏側)を通ってます・・・
 トップは既に2ピッチ目を登ってます。

 仮にトップが墜落し、そのショックで画像右上に写るビナのハーケンが抜け、
 青色ビナの奥(壁側)にある、鎖から取ったビナが破断したらどうなるのか???

 墜落者から続くザイルが、
 栗城の白いディジーチェーン(スリング)と体の間を通って、
 落ちて往く事になります。
 半袖の左腕が、流れるザイル擦れにより火傷かも・・・
 スリングが墜落加重に耐えられなければ、栗城も道連れ・・・
 ビナやスリングの破断は通常は考えられないが、
 墜落のショックでハーケンが抜ける事はよく有る話しです。

 栗城が自己確保の為にビレーを取る時に、
 ザイルが通ってる目先のビナよりも、壁側の位置でなければ安全とは言えません。
 細かい話しですが、小生ならばそうします・・・

 また、栗城がここに登って来た時には、トップがこの位置に居たはず・・・
 栗城がビレーを取るのも見てたはず・・・
 尊敬している山の先輩が、何で一言言わないのか??? 不思議・・・

小生は20代以来 岩登りはしてないが、些細なミスが事故に繋がります・・・ 

それと・・・
●クライミングシューズを履いて練習してる様ですが、
 栗城が登ろうとしてるエベレストには、クライミングシューズは不釣合い・・・
 何の足しにも為りません・・・
 北面(チベット側)のセカンドステップや、
   東南稜のヒラリーステップの、ノーマルルートを登るだけでも、
 高所登山靴にアイゼンを装着した状態での、岩登り訓練が重要です。
 この訓練は、あのイッテQのイモトでも遣ってる訓練です。
 況してや北壁や西稜は、岩と氷のミックス帯・・・
 フリクション(摩擦)の効くシューズで登れても、アイゼンだとそうは往きません。
 2倍も3倍も難しいのです・・・
 高峰を目指す岳人は、皆さんそのような訓練をしてます。


**************************************************************

拙ブログ ★★下山家 栗城劇場★★ と題した【項】の中で、
’15年秋季エベレスト5回目(ネパール側ノーマルルート)の結果敗退
’16年春季アンナプルナ南壁(左リッジルート)の結果敗退
’16年秋季エベレスト6回目(チベット側・北壁)の結果敗退
’17年春季エベレスト7回目(チベット側・北壁&ネパール側西稜)の結果敗退

に、付いての私見を述べて来ました。
何故 登山界が相手にしない栗城に拘って、ブログで取り上げたかと言うと、
下山家 栗城劇場の冒頭にこの様に記載してます。

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山登りを商売の道具にして、講演(口演)で金を稼ぐ生活。

タイトルを遭えて〝下山家 栗城劇場〟とした。

栗城の行動を、小生の経験・体験から〝検証〟して書いてます。
個人的〝見解〟なの、あしからず・・・・




〝無酸素・単独登頂〟の定義〟

BC→山頂→BCの間に、第三者の支援が無く、
第三者が設置した人工物に一切触れずに行動した場合を言う。

栗城が無酸素・単独で登ったと言ってる山の全てが、
この定義からは外れてます。


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この思いは、今も変りません・・・
栗城には、山を登りたい気持ちが有ると思い、
「あーすれ・こーすれ」と激励したつもりでしたが、
最近、ある方の記事を読んで以来、考え方に変化が・・・

その方は、早大探検部OBで、卒業後〝山と渓谷社〟に勤務、
現在は独立し山関係の著述業をしてる森山憲一氏です。
かなり説得力の有る内容です。

森山氏の略歴。
栗城に関する記述①
栗城に関する記述②
栗城に関する記述③(黒字は森山氏の原文、2017年7月25日火曜日記載)

ここのところなにかと忙しく、ブログの更新もすっかり間があいてしまいました。
この間、前回・前々回に書いた栗城史多さんの記事がプチ炎上状態でたいへんでした。
会う人会う人から「読みましたよ」と言われ、
ついには「栗城史多」で検索すると、
このブログが1ページ目に表示されるという事態に。

じつはこの間、栗城史多さん本人にも会いました。
あるメディアが興味をもってくれて、取材をしようとしたのですが、
記事化は断られ、「会うだけなら」ということで、本当に会うだけ会って、
1時間半ほど話をしてきました。

感想としては、前回・前々回のブログはとくに修正の必要はないな、ということ。
そして、取材として受けてもらえない以上、
これ以上こちらにはできることはないので、この件は自分的には終了というか、
一段落という感じです。

栗城と会って話したが、記事にする事は断わられたと。

森山氏の記述を読まれた感想は如何でしょうか?
森山氏は、前回・前々回のブログはとくに修正の必要はないと言ってます。
自分の登山観(山に対する考え方)や手法の記事化を断わるとは・・・
金儲けの為に山を利用してる・・・と思われても仕方のない事ですね~

氏の①の記述の中に、
かつて、服部文祥さんが栗城さんのことを「登山家としては3.5流」と言って話題になったことがありました。3.5流という評価が合っているかどうかは別として、登山家としての実力が服部さんより下であることは間違いない。野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。
と、言うくだりが有りますが、小生は少々違和感が・・・

小生は、酷な言い方ですが、栗城が大学レベルとは思ってません。
当地の高校山岳部の3年生と比較し、知力・体力面で彼等より劣ってます。
●過去に富士・吉田口の五合目(佐藤小屋)から降りる際、
 膝ラッセルを〝猛ラッセル〟と言ってますが・・・
 当地の高校生は、2泊3日程度の冬山縦走訓練は腰まで埋まっても、
 普通に苦も無くこなしてます。
●担ぐ荷の重さも、栗城の画像で見るよりは、遙に大きいザックを背負ってます。
●栗城は気象通報を聴きながら、天気図を記載出来るか?
  書けるはず無し・・・そんな訓練は受けて無し。
●先日の小樽での岩登り訓練は、大学山岳部一年生が夏山合宿で遣るレベル。
 八ヶ岳での有名ガイド同伴訓練も、アイゼンでの冬山訓練レベルです。 

最大限おまけしても、全てが高校山岳部3年生か、
大学山岳部1年生程度のレベルと思われます。
これで、エベレスト北壁だのアンナ南壁だのと言うのですから、
結果は見えてますよねぇ・・・・

多少、森山氏よりは辛口な表現ですが、
それ程間違った言い方はして無いつもりです。

森山氏の、
感想としては、前回・前々回のブログはとくに修正の必要はないな、ということ。
と言う感想の真意を図り兼ねますが、小生の思いと大同小異では無いでしょうか?

9月には、フランスで訓練とか・・・何をどう訓練するのか・・・楽しみです。
それが、「来年もやる!」と言うエベレストに繋がるか・・・・


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2015年4月25日に、ネパールで大地震が発生しました。
人口の約3割が被災したと言う惨事でした。
首都カトマンズの寺院等の世界遺産も被害に遭いましたが、
山間部の村で多数の家屋等が崩壊・・・
栗城が〝ふんばろうネパール〟を立上げ、募金活動を始めました。

被災集落への物資支援と、倒壊した小学校2校の再建が目標でした。
↓を見ると約6百万を集め、其々支援活動をした様です。
今回2校目が完成した様です。


黒字は栗城FBより
皆さんナマステ!
「ネパールに2校目の学校ができました!」
ネパール大震災から「ふんばろうネパール」を立ち上げて、様々な現地支援をしてきましたが、ついに2校目の学校が完成しました。
地元の利害関係、雨季による工事の中断と色々ありましたが、新しい耐震法に則った基礎工事がしっかりした校舎が完成しました。
勉強する事が楽しい、テキストの中の小さい世界からもっともっと世界が知りたい、とキラキラと語ってくれたそうです。
村の人たちから心よりの日本の皆さんに感謝を、伝えてくれと伝言です。
皆さんのご支援に心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
開校式には、ふんばろうネパールの事務局長が参加してくれました。(やりましたね!)
子供達の笑顔を見たら元気でるな。。
明日も頑張ろう。
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3
揃いの制服を着てるのを見ると、比較的に裕福な地域のようです。

誰もが出来ない様な活動をしながら、栗城公式HP公式ブログでは、
この事に殆んど触れられてません・・・・
事務局(株式会社たお)の対応が雑なのか?   シャイな栗城がそれを抑えてるのか?

彼の〝山登り〟には、散々苦言を言ってる小生ですが、
このような活動をしたことは評価します。

しかし・・脳裏に浮かんだのは・・・2011年の東日本大震災の時のこと・・・
栗城は〝被災した子供達にエベレストを見せ、元気にさせる〟と言い、
募金活動をしました・・・
其れなりの金額が集まったと記憶してますが、その募金は何処に往ったのか? 謎。


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12月15日

栗城が江本ガイドから、氷壁登攀の訓練を受けた様です。
互いに〝誰と往ったか〟を公表して無いが、画像の氷った滝が物語ってます。

今年の9月に訓練の為に渡仏。
春のエベレスト北壁での青氷に、手も足も出ずに敗退・・・
その為の訓練と思ってたが、氷には手を触れず・・・岩登り訓練のみでした。


江本ガイド15日のFBより
今シーズン初アイスクライミング(^^)
八ヶ岳はやっぱり寒かった〜
そして南沢大滝ばっちり凍ってますよ♪
イメージ 1
江本ガイドの画像を見ると・・・
アイススクリューで固定されたザイル伝いに、栗城が・・往き詰まってるのか?

イメージ 3
アイススクリューとは、こんな物。
上のハンドルを廻しながら、先の刃で氷に穴を空け捻じ込みます。
指の無い栗城には、重労働かと・・・



栗城15日のFBより

「低燃費」
皆さん、お元気ですか?
最近は企業講演や研修、教育のお仕事でめっちゃ忙しくしてましたが、八ヶ岳山荘にて、ちょっと早いクリスマスパーティーとお誕生日会をしてました。
久しぶりのアイスは、左手の指が5本無いためにバイル(氷壁を登る道具)がほとんど握れなく、右手のみで登っている状態です。。。
悔しいけど、やるしかないです。
今、無駄な酸素を使わない低燃費の身体作りをしています。
いい感じです!
※八ヶ岳山荘&展望荘楽しいよ。

〝低燃費〟な体作り等と馬鹿な事言ってるが、
 氷壁は〝ハイパワー〟で一気に抜ける位の体力が無いと駄目。
 危険地帯に長く居る事は、それだけでリスク大である。

◆左手用バイルのシャフトも、握り易い様に細く改造してない様子・・・
 町の溶接技術が確かな鉄工所に頼めば、それなりの物は出来るはず・・・
 本当に遣る気が有るのか? 疑ってしまいますね。
イメージ 2

来春か?秋には、又エベレストに8回目の敗退目指して挑戦のようだが、
この冬にガイド付きで、何回こんな訓練をするのか?  
この程度の訓練でエベレストの北壁が登れるのなら、
冬山を志す奴等は、ほぼ全員が技術的に登れる事になる。

指南役の江本も江本だ、ENSA(仏国立スキー登山学校)卒の肩書きが泣くぞ・・・
栗城の指南役を買って出るとは・・・金目か? 江本。

12月15日のこのFBに対するコメントに答えて
栗城 史多 ありがとうございます!皆さんに支えられた一年本当に感謝です! 近く、色々発表します。
長らく準備してきました。 そろそろ始まります。

く発表が有る様です・・・8回目のエベレスト敗退計画でしょうか???


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イメージ 4

イメージ 5


この2枚の画像は栗城公式ブログで公表した、
今年春のエベレストでBCを置いたロッジから、
クンブー氷河上のC2へ向うと言う栗城の姿です。
正式にはC1に向う姿です。
何故なら栗城は、通常氷瀑帯(アイスフォール)を抜けた処に設置するC1を設けず、
C2の位置に最初のCを張ってますから・・・それがC1に為ります。

背負ってるザックの大きさに注目・・・35~40Lの日帰り登山に使う様なザック。
これでC1から西稜に登り、西稜でワンビバーク後にアタックする姿に見えますか???
茶番以外の何物でも有りません・・・

いずれにしても、計画の発表が待たれますねぇ~~



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ネパール政府が、単独での登山を禁止・・・詳細は↓   

12月15日のFBでこの様に言ってるが・・・
栗城 史多 ありがとうございます!皆さんに支えられた一年本当に感謝です! 近く、色々発表します。。
長らく準備してきました。 そろそろ始まります。

政府の発表通りだとすると・・・
栗城の言う〝無酸素・単独登頂〟が、ネパール側からは認められない事と為った。
(今までも単独と言いながら、シェルパが同行してたから、影響無し言う意見も有るが・・)

残るは、チベットルート以外に無し。
北東稜のセカンドステップには、梯子が有り「単独で登頂した」とは認められぬ・・
北壁経由のメスナールートか?  クーロワールを直登する2ルートより無し。

さぁ~どうする 栗城。 
夏の〝おフランス〟での岩登り訓練と、八ッ岳での初級氷壁訓練が試される時だ!!!!!



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追記
12月31日の夕方 「みんなのエベレスト生中継応援グループ」と言う、
FBに投稿された内容です。(黒字は栗城記載、青字は私見)

「皆さん、本年もたくさんの応援本当にありがとうございました」
本年のお礼と来年の決意をお伝えに伊勢神宮に参拝に来てました。
伊勢? 意味が判りませんねえ・・・毎年富士山浅間神社に何の為詣でてるのか・・・
色々苦しいこともありましたが、今年も否定という壁への挑戦、そしてエベレストと皆さんの応援に心から心から感謝です。
最近は、トレーニングをしながら新しいチャレンジの準備に集中するために、
少しSNSは控えていました。(ごめんなさい🙇)

山に関しては、夏のアルプスと先日の八ヶ岳でガイド付き初級氷壁訓練だけ・・・
この程度でエベレストが登れるなら、皆登れるよ!! 栗城。

それがようやくめどが立ってきました。
まだ正式に発表はできませんが、来年は二つの大きなチャレンジが待っています。
一つエベレストの冒険の共有をやり遂げること。詳細が長くなるので後ほどです)

〝栗城流の単独登山〟が、認められなく為った事を知らない様です・・・

二つ目は否定という壁を無くすために「応援し合う世界を創る」教育の挑戦が始まります。
この二つ目は、栗城の夢である「否定という壁」を無くして、全ての人達のアイデンティティを応援し合える世界を創るために、時間をかけて準備してきました。
来年春に発表するのでまだ詳しいことは言えませんが、栗城が山の「先」にある目指していた世界にいよいよ挑戦します。
今まで静かにしていました分のマグマがついに爆発です。
2018年は犬年!年男です!

36歳に為る様ですが、地道に山登りの訓練をしてたら、とっくに登頂出来たはず。
信者から何拾回も登れる程の多額の〝お布施〟が有ったのですから・・・

なによりも皆さんからの応援やコメントの投稿が支えになりました。
本当に本当にありがとうございました!
心から感謝申し上げます。
良いお年をお迎え下さい。

二つの目標の発表が待たれますね。
続きを読む

栗城が半月振りにブログ更新です。
長くダラダラした文章ですが、前文掲載します。
黒字は栗城公式ブログより、青字は私見です。

feelー4月9日からエベレスト北壁に向かいます
肌を突き刺さす太陽と氷のように冷たい風、ぎゅっと締めつけられるほどの薄い空気。そして、どこまでも深いヒマラヤンブルーの青い空。
そろそろ戻る時が来ました。
銀座暮らしに飽きたのか・・・格好付け過ぎですね。
4月9日から、エベレスト北壁の無酸素・単独登山に戻ります。
そして、再び冒険の共有も行います。
色々ありましたが、まだ終わってません。
チームクリキ会員の年会費倍増計画が挫折した件を、指してるのでしょうか・・・
毎年、気象条件の厳しい「秋季」のエベレストに向かい続けてきました。
秋は春よりも気象条件が厳しく、春のエベレストは1シーズンに800人の人が入り、山頂近くでは渋滞します。
ヒラリー・ステップでの事を言ってるが、栗城はその高さまで登った事無し。
秋季は深い雪とジェットストリームと呼ばれる烈風が吹くため、通常の遠征隊はほとんど誰も向かわず、たまにマニアックな猛者しか来ません。
昨秋の、キリアン隊を言ってる様です。
登頂は出来なかったが、彼等が目指すスピード登攀の成果は持って帰りました。
彼等はABCから1日で7900mまで登攀、栗城はC1から3日掛けて7400mまで・・
体力の無さ(スピードの差)が、歴然としています。
栗城は、ダラダラ停滞の日々で・・・成果無し・・・
よく人から「なんで春にいかないの?春に行けば登れるに。」と言われて、答えたくてもうまく説明ができず、口を閉ざす自分がいました。
無酸素・単独を謳ってる者が、シェルパの支援を受けている事を、
他隊にバレルのが嫌っての事でしょう・・・他隊の目が怖いので春は敬遠です・・・
山に向かう時に最も大切にしていることがあります。
それが「feel」感じるということです。
この前まで〝リズム〟と言ってたが、今度は〝feel〟のようです・・・
能書で山は登れない・・・
登頂しても「feel」が無ければ、自分には登る意味が無いのです。
「feel」は、自然と向き合う時に自分の中から生まれる不安や恐怖、そして時おり見せる山の優しさ。
それら自然そのものを感じながら登ることができなければ、自分の場合はせっかく登っても意味が無いと思っています。
それは考えてそうなったのではなく、自分の心そのものでした。
そこには成功や失敗、損得などは無い世界です。
訳の判らない言い訳ですね・・・山は登りたくて行く、単純な動機と思うのだが・・
登れない理由付けに意味は無し・・・
昔、学生の頃にビンソンマシフ(南極最高峰)に向かった時でした。
ビンソンマシフは、7大陸最高峰の中で単独では許可がもらえない山です。
単独登山が許可に為らない山はビンソン以外に デリナ(マッキンリー)(2名以上)
キリマンジャロ(現地ガイド同行)が有ります。
ですから、栗城が単独で登頂したと言うのは、嘘になります。
日本からの交渉が難しく、どうしても単独で向かいたかった僕は、最後は現地で交渉しようと向かいました。
行ってみて分かりました。
英語が話せない。。と。
伝えようとすればするほど、あいつは危ないヤツだと思われてべースキャンプで南極の飛行機を運営する会社の人達に監視されました。
プンタアレナスに戻る飛行機が日に日に近づき、日本にいた当時の事務局スタッフに現状を伝えれたところ「お金ももったいないからとりあえず登った方がいいよ」と言われ、また飛行機を運営する会社から最後の公募隊に入りなさいと言われて、しぶしぶ5人のツアーに入れてもらいロープで結ばれました。
そして、登りはじめて5分もしないうちに涙が止まらなくなりました。
僕は立ち止まり、ロープを外したのです。
大泣きする自分に、外国人ガイドが「You are crazy!」と罵り、他のツアー客に笑われました。
そして、僕は頂を背にして下山しました。
理由色々付けれるが、要は5人のツァー客と、
歩調を合わせられなかったのでは・・鈍足ですから。
実際ザイルで結ばれて、他者と歩調を合わせるのは、大変な事ですが・・・
しかし、泣くほどの事ではないでしょう・・・余程体力の無さが悔しかったのか・・
その後も、足腰を鍛えたとか・負荷を背負って歩いたとか・・・聞いた事なし。
※数日後には見かねた飛行機運営会社の人が少しだけ登らせてくれましたが、風が強くなりすぐに下山させられました。
帰国した僕に南極の飛行機会社から「3人なら隊として認めるから後は自己責任で」と連絡が来て、山の先輩方々に相談し、2年後に様々な制約がありましたが、一人で登ることができました。
他隊の後ろに着いてのことです。単独行動は今だ南極では認められてません。
あの時にもし自分の心の声を無視して登っていたらもう山は登っていなかったかもしれません。
それだけ「feel」感じるということが、僕の登山で最も大切なことなのです。
なぜ栗城は無酸素で単独にこだわるのか、それは何かすごいことをやりたい訳ではなく、山と自分を感じたい。
それが秋季という人が入らない時季に無酸素や単独にこだわる理由なのです。
人の目が怖いのでしょう・・・
たくさんの友人と登る山も、楽しいかもしれない。
公表されてる限り、栗城が仲間と登山したのは、山岳部時代冬の低山縦走1回限り、
その後山岳部中退です。あとはチームクリキ会員との親睦登山のみ。
でも孤独や不安、ありのままの自然と自分を感じるながら登る山は決して孤独ではなく、むしろ細胞一つ一つが目を覚まし、自分の枠から解放されます。
しかし秋季エベレストでは、気象条件が登る以前の問題として時々出てきます。
昨年の気候変動の影響を受けた秋季エベレストは雪が最も多く、7000mから先は腰まで埋まる雪を泳ぐようにラッセルして、7400mで下山しました。
ラッセルにギブアップでしたが、
帰国後に富山や越後の豪雪地帯で、ラッセルの訓練をする事も無く、怠惰の日々。
たまにガイドに連れられて、八っ岳散策登山程度の訓練。
8千m単独を目指す者が、国内の低山でガイドに連れられて登山してるとは・・・
もし今年も同じ気象条件であれば、ベースキャンプで結果は見えてしまいます。
往く前から予防線を張ってますねぇ・・・
昨年は登山許可ギリギリまで粘りましたが、あまりにも好天のチャンスが少ない。
無風・快晴を望んでるようですが、昨秋の停滞日の多さには呆れ果てました・・・
下山後、季節を変更し再挑戦を考えていました。
一つは冬季です。
冬季は、エベレストの雪が最も少ない季節です。
強風で飛ばされるからなのですが・・・風と低温に耐えて登れるのか・・疑問です。
逆に最も雪が多いのは「モンスーン」と呼ばれる雨季のある夏です。
その雪の多い季節に、あのメスナーが北壁を単独・無酸素初登頂したんですよ~
冬季は気温や気圧が低く、また日照時間が短いですが、「大雪」と「列風」のダブルパンチの秋季よりはチャンスがまだあります。
ただ、チベット側では8000m峰の冬季登山許可は出しておらず、交渉しましたが許可はおりませんでした。
春の通常ルートは数珠繋ぎになり渋滞。自分の感じる登山が難しいです。
しかし、昨年登った北壁なら誰も来ません。
そうです、北壁はスペシャリストだけに、許される世界だからなのです。
ノーマルルートの南東稜からさえ登れない者が、立入る領域では有りません・・・
平均斜度60度、標高差2800mのエベレスト北壁はまさに山を感じながらの登山ができます。
この画像の北壁が、斜度60°に見えますか・・・平均45°と言われてますが・・・
法螺を吹くのもいい加減にしなさい。
イメージ 1
昨年、登ってみてここなら感じる登山ができる場所だと確認することができました。
7400mまで登り、深夜の下山を決意しましたが、深い雪の中で太陽が昇るのを待ち続けました。
途中撤退を考えたものの、ルートを右に逸れた為に、現在地が判らなかった様です。
それで薄明るくなるまで動けなかった・・・これが真実でしょう。
それはルート全体を見渡したかったからです。
つまり、また来るためにその場に残り続けていました。
そしてその時がもうすぐやってきます。
合理性の求められやすい社会の中で、損得や手を伸ばせばすぐに手に入る成功ではなく、自分の心の声、自然の声を失わずに生きていきたい。
他人の懐(集金や施し)を当てにせず、汗して稼いだ金で登りなさい。
そんな登山を再びやりたいと思ってます。
行くよー!!
7回目の試みも、既に先が見えてる様な気がしますが、
是非〝否定の壁〟を乗り越えて、〝冒険の共有〟をして貰いたいものと思ってます。




栗城がエベレスト行きを前にして、
23日のFB・24日の栗城ブログで以下の発表をしました。
(黒字はFBより原文、青字は私見です。登山と関係無い部分は割愛、一部改行

『見ることのできなかった世界』
エベレスト北壁に出発まで残り3週間を切りました。
本当にいくのか。。ワクワクする自分と不安な自分が混ざり合い、
その摩擦が火花を散らしてます。
北壁と対峙する高揚感と、登って帰れるか?の不安感が有る様です。
普通 ヒマラヤに向かう者は、十中八九自信を持って向かうものですが・・・
6回も敗退しては、今回も・・・との感じがするのかも知れません。
もう一つの火花「冒険の共有」エベレスト北壁生中継に今年も挑戦します。
過去 生中継が機材の不具合で上手く往ってません。
それを改善したとの話も有りません・・・こんな調子で大丈夫なのか・・・
(割愛 )
本来、冒険は個人的な世界であり、特別な意味はありません。だからこそ美しい。
でも、登山家や冒険家だけが特別な挑戦をしているわけでもありません。
 (割愛)
挑戦の本質は何か。
それは「うまくいかない」こと。
嘘言うなよ栗城。上手く往くと思い、
其れ為りの努力と準備をして、山に向かうのが普通だよ。
はじめからうまくいくのをわかっていたら学びや摩擦は小さい。
もがき、苦しみ、その中に何か光るものがあります。
過去の敗退から、その後原因を分析して、努力したのか???
エベレスト北壁のもがき、苦しみ、失敗や挫折を共有することで、
壁に当たってる人達が、いつのまにか一歩を踏み出していた。
その世界に行ってみたいのです。
2015年秋の南東稜ルート・2016年北壁ルート共に、敗退原因は深い雪でした。
今春の計画に当たり、〝深い雪〟を克服する努力をしたのか・・・
南東稜敗退後、メスナー著書からパクリの〝リズム〟が大事と言い、
どうした訳か16年春にアンナプルナ南壁に向かい、南壁基部で敗退。
今回〝feel〟が謳い文句の様だが、それで〝深い雪〟が克服出来るとは思えない・・
しかし、冒険の共有には多額の費用がかかります。
エベレストの個人の遠征費用は登山許可含めて250万〜300万ぐらい。
自分一人の遠征費は、普段の企業の講演やストレス対策のお仕事でお金を貯めて向かうことができますが、衛星回線を使用し、特殊な機材で日本と繋ぎ、日本側の中継受けや現地スタッフと実現するための費用をどうするか。
その資金を何とかするためにトレーニングや講演の合い間に企画書作っては様々な企業にスポンサーのお願い行きます。
現実は、運営も含めて資金が足りなく厳しい状態。。
敗退続きの口八丁では、金を出す企業は少ないだろう・・・
では、そこをどうやって最後に克服したのか。
実は、今まで冒険の共有をするために大きな借り入れを5回してきました。
それを帰国後に一年間講演しながら返していきます。
死ぬかも知れぬ登山に、金を貸す処が有るとは不思議ですねぇ・・・
裏保証契約(往っても登らないで、帰って講演料で稼ぐ)でもしてるのか・・・
そして、今回も。
「資金が無いからやらない」
ではなく、
「資金が無くてもやるよ😊
登山だけでは、けして見ることのできない世界をこれからも見ていきたい。
期待と不安。
様々な感情が交差する火花が今散ってます。
(割愛)
僕も頑張ります!(ありがとう)


不思議な事は、出発3週間前なのに、
装備計画・食料計画を含む、登山計画の話が無い事。
普通は、再三再四装備等の点検をして、荷造りに専念する時期です。
行き当りバッタリで、結果 雪が・・・風が・・・の、いつもパターンか???

多分 装備他等の段取りは、
カトマンズのボチボチ社(シェルパ派遣会社)に、一括丸投げなのでしょう。
シェルパ調達だけではなく、テント・炊飯具のレンタルもしていますから・・・
シェルパは常用ではなく、登録してて仕事が出た時の臨時雇用が一般的です。
ガイドが出来るレベルの者は違いますか゛・・・

今回の4月9日から始まる、北壁もウォッチして見ます。




4月9日(今日)、エベレスト北壁に向けて出国です。
直近の様子をウォッチしてみましょう~

4月1日・栗城史多 "SHARE THE DREAM” FBより(抜粋)
無事に下山してきました。
富士山頂でテント泊し、高度順応を予定して、3月31日に出掛けたのですが・・・
5合目でテント張りましたが、朝になっても雪は止まず、一晩で30センチ近く積もり下りました。
30cm雪が降っただけで、諦めて下山ですか?・・・
出発前から大雪の予報は知っていましたが、エベレスト北壁の出発前に富士山を感じたかったので一人テントの中で静かに気持ちを報告してきました。
予報で知りながら出掛けるとは、山頂泊の予定は嘘??  感じたかっただけ・・
ラッセル地獄をしながら2合目まで下りると「次はいついくの〜?」と声が聞こえてきた。
5合目で30cm程度の雪・・・膝下程度の雪で、
しかも降り道でラッセル地獄とは、話しに為らない根性・・・
振り返ると佐藤小屋のオヤジさんだった。



4月2日・「みんなでエベレスト」 FBより(抜粋)
『冒険の共有を再びさせて下さい』
4月9日からのエベレスト北壁の登山と冒険の共有に向けて最後の追い込みに入って来ました。
中継テストなど出発までまだ色々あります。
皆さんにお願いがあります。
再び、冒険の共有をさせて下さい。。
出国1週間前に為っても、〝金の無心〟とは・・・呆れ果てます。
栗城だけが登る冒険ではなく、何かチャレンジしたい人や壁にあたってる人、見えない山を登る全ての人達と冒険を共有しないでエベレスト北壁に向かっても人の心の壁は越えることはできません。
皆さんご存知かもしれませんが、今年は借り入れしてでも準備してきました。
 
昨年、一つの宣言をしました。
それは昨年の冒険の共有があまりできなかったことを受けて責任を感じ、クラウドファンディングをやらないで行いますとお伝えしました。
配信担当2名が体調不良となり、本当に悔しい思いをしました。
山の素人を連れて行った当然の結果です・・・
 
きちんと受けとめてやれるだけやろうとあらゆる準備をし、今年は極地になれたスタッフを揃え、万全な共有体制を整えました。
個人の遠征費(登山費用)は用意できても冒険の共有は多くの人達の力がないと実現できません。
昨年秋の撤退後に、衛星中継の費用は残ってると言ってたのに、
これには触れてません・・・
クラウドファンディングという型ではなく、冒険の共有を一緒に参加したいと思って頂ける方がもしおりましたら、ぜひ下記のサイトから冒険の共有の応援宜しくお願い致します。
エベレストの写真5枚組3千円・Tシャツ1万円・他講演 54万円など・・
今年は天候が安定する春に初めて向かいます。
皆さん、冒険の共有、応援宜しくお願い致します。



4月3日・栗城史多 "SHARE THE DREAM” FBより(抜粋)
「あとは本番で。。」
エベレスト北壁の中継に向けたテスト訓練を無事に終えました。
9日の出国前になって、初めての中継テストだそうです・・・
毎回失敗してるのに、事前に何回も訓練するのが普通ではないでしょうか???
テスト風景の画像を見ても、新しい機器なのにメモを取る者も居ず、見てるだけ・・これでは上手く往くはずが有りませんね・・・
昨年は配信担当とカメラマンが体調不良で欠員となり、思う様な冒険の共有ができなくて本当に悔しい想いをしました。
今年は極地に慣れた隊員を揃えて少数精鋭で頑張ります。
極地からの中継は意外と技術的に難しく、衛星の軌道が変わるだけで映像が送れなくなったり、機材のトラブルもあります。
画像を送る衛星の軌道が変わる???  静止商用衛星なのに・・・
マスコミが使ってる、海外からの生中継と同じなはずですが・・・
AbemaTV、フェアーウェイ、Yahoo!JAPAN、栗城事務局と有志のエンジニアが集まり、テストを繰り返しながら最後の調整を無事に終えました。



4月8日・栗城史多 "SHARE THE DREAM” FBより(抜粋)
明日、エベレスト北壁に向けて出発します!
最後の中継テストも終わり、準備もほぼ完了しました。
今回の挑戦で3つ言えることがあります。
高所になれやすい身体作りとリズムと呼ぶ酸素の消費量を下げるトレーニングをさらにレベルを上げ、精神的にも体力的にもいい常態です。
そして、今年は天候が最も安定する「春」に山を感じるための「北壁」に向かいます。
昨年の秋の北壁は雪が多すぎて7400mで下山しますが、北壁の感触は掴んでます。
また、冒険の共有にするために極地になれたスタッフが揃い、少数精鋭で登山に集中しやすい環境ができました。
自分の中では最も楽しみなエベレスト北壁登山ができそうです。
 3つとは①~③のようです。
体力や技術の向上に関しては、一言も触れてません。一番欠けてるのに・・・

これからの、〝北壁〟どうなるのか楽しみです。

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今日から、月山・湯殿山へ春スキー遠征に出ます、3日ほど楽しんで来る予定。



栗城が9日に、エベレストに向け出国しましたが・・・

日本から下記の各隊が、エベレスト登頂を目指し出国済みです。
海外の登山隊も、続々集結している模様です。

〔ICI Sports・社長隊〕

〔AGアドベンチャーガイズ・公募隊〕

〔平岡竜石・公募隊〕


各隊の登頂予定ルート
赤破線は、ICI隊・AG隊。 青破線は、平岡隊。 黄線は、栗城。 
イメージ 1


ICI社長隊は、エベレスト登頂実績の有る、社員2名が同行。
自社で販売の、仏・ヴァランドレ社の高級ダウンスーツでアタックの様です。
行動日程を公表南東稜から登頂を目指す。

AG公募隊は、行動日程・参加費用770万・装備を公表。
公募客には、一対一でクライミングシェルパを同行させ、南東稜から登頂を目指す

岡公募隊は、行動日程・参加費用720万と公表北稜から登頂を目指す。

AG隊と平岡隊の参加費用の差は、会社組織と個人経営の差と思われます。
平岡隊は昨年秋のチョー・オュー登山で、
客4人に対して8人のクライミングシェルパを要員として同行。
今回もネパールから6人のシェルパを呼んでます。

小生も、自由に使える800万が有れば、公募隊に入り7千mを体感したいもの・・
酸素吸いながらなら、上手く往けば・・・なんて妄想が・・・

面白い事に為りそうです。其々、実力と実績の有る隊ですから、
余程の悪天候やアクシデントが無い限り、登頂は確実。
彼等のFBやツィッター・ブログで、日々・生の情報が流れます・・
3隊共に、既にBCに向けてキャラバン中です。

処で・・・気に為る、栗城の出国後の様子ですが・・・・


4月10日 FBより抜粋(黒字はFBより、青字は私見)
ネパールの首都カトマンズに着きました!
 日本ではあまり寝れなかったので快適な機内で寝て、今日は朝からチベット・ラサに向かう荷物を整理してます。
カトマンズは気温が高く、少し埃っぽい感じが懐かしいです。
明日はプジャという安全祈願をして、明後日にラサに入ります。
11日にカトマンズに有る世界遺産の寺で〝プジャ〟とは・・・
対象の山のBCで、執り行うのが常識ですが・・・
できたら世界遺産ボーダナートから配信してみます!
どーでもいい内容の配信でしたが、彼流にはこれも〝共有〟のようです・・・
12日には、カトマンズからラサに入るようです。



4月13日 会員向けFBより抜粋(黒字はFBより、青字は私見)
チームクリキの皆さん、ナマステ。 
栗城です。
数日間カトマンズで準備をしています。明日ラサに入ります。
明日ラサ?? 14日 に・・・10日のFBでは12日にラサと言ってたが・・・
既に、行動予定が狂ってますねぇ~ 計画性の無さが現れてます。
いよいよエベレストのベースキャンプに向け長い陸路移動が始まります。
四駆で3日走って5200mのBC着、中1日高度順応してたらBC着が4日後。 
そして、今回もチームクリキの皆さんの「夢カード」をエベレストに持っていきます!
募集時期がこのタイミングとなってしまいましたが、エベレストアタック前にベースキャンプに後発で届く荷材や食料と一緒に到着予定です。
4月25日まで、資金集めをして、その後カトマンズ・ラサ経由 でBC着の様です。
BCに後発で荷が届く・・? 食料も ? ロジスティックの組み方に疑問有り。
ボチボチ社のシェルパが運ぶのでしょうが、夢カード等はどうでもいいが・・・
荷がBC着の日にちを考えると、4月中のアタックは無いと宣言してる様なもの。
晴れが続いたらどうする・・・栗城
エベレスト北壁から皆さんの夢(山)が叶うことを祈ってきます!
人の夢は、どうでもいい・・・まともに北壁を登れる事を祈れ。
まずは無事にベースキャンプに入れますように。


他隊がBCに向かってる今、栗城は今日(14日)ラサから四駆で走ってる頃。
他隊より一週間も遅いスタートです。
流石 エベレスト6回敗退者の余裕でしょうか・・・・
相変わらず、日程も装備も公表してません。


ICI隊・AG隊はエベレストの南東側、
平岡隊は北稜を挟んだ同じ北側に居ます。
其々FB・ツィッター・ブログで情報が流れる中で、
栗城は、天気が・・・雪が・・・風が・・・等の言い訳は通用しませんねぇーーー

3隊+栗城の動向、目が離せません~~


平岡隊がノース・コル(7000m)に上がりC1を設置すれば、
西の谷底に 栗城の壁下C(6100m)が、見えるかも知れません・・・
900mも離れれば、アライの赤テントは石にしか見えないか・・・



この春のエベレストは、近年に無い混雑です。

4月13日付けの、平岡竜石・公募隊のラサ発のブログで、
30人のインド隊・ドイツ隊・オーストリア隊・ロシア隊と飛行機が一緒だったと。
北面のエベレストは、各国隊が入り乱れてる様ですが・・・

小生が一番驚いたのは、超・超人ウィリー・スティックが、
エべレストでの前人未踏の登攀を試みようとしてる事。 図参照
イメージ 1
彼は、ネパール側のクンブー氷河から、西稜に取り付き、
ホーンバイン・クーロワールを登攀し、登頂。
更に、南東稜を下り・ローッエに連続登攀すると言う大計画です。
アルプス流 ラッシュタスティックス(突撃登山)の典型とも思えるスタイルです。
既にポーラメソッド(極地法)は過去の遺物なのか・・・


ueli steck(ウィリー・スティック)のブログ

ウィリー・スティックとは、どんな奴か・・・
ウィキぺディアに彼のあらましが・・・↓
アイゼンを履いて、壁や雪稜を走って登るという・・凄い奴です。
アイガー北壁(標高差1800m)を、2泊3日で登るのが普通。
処が彼は、確保無しで2時間20分で登ってしまうと言う凄さ。
条件が良ければ、2時間は切れると豪語してます。

栗城が登ろうとしてる、ホルバイン・クーロワールからの登頂を目指してます
栗城は、ウィリー・スティックと遭う事は無いと思ってます。
何故なら、栗城の体力・技術では、ホルバインの入り口まで登れ無い・・・


昨年秋は、キリアン・ジョネルが、
北稜をABCから昼までの間に、7950mへ登ったのを見せ付けられて、
スピードが大事と思わなかったのか・・・
キリアンの北稜登攀記事は↓
アラン・アーネットのブログでは↓
17年春のエベレストは、記録的な登山隊の数と言ってます。
以下のコピーが、ネパール観光省が許可した、各山の登山隊の数と人数です。
イメージ 2
16年と17年の春のエベレスト(Sagarmatha)を見て下さい。
これは、ネパール側の事で、
チベット側は、米国・ロシア・フランス・ルーマニア隊が予定してると・・・

アラン・アーネットの画像を見ると、北壁の雪の着き方が少ない・・・
これでは、栗城が目指すホルバイン()より
グレート(ノートン)・クーロワール()が雪か付いてて楽そうに見えます。
イメージ 4

下は栗城が4月17日に更新したブログに載せた画像。
上の画像と同様に北壁の雪は少ないですね・・・
ノートン・クーロワール() ホルバイン・クーロワール()
上の画像と比較して下さい。
ホルバイン下の雪田(雪が溜まった処)までは、登れそうでも・・
クーロワール内に詰まった氷に、どう対応するか・・・鍵です。
栗城には、氷壁登攀は無理です。
ピオレトラクション(Wアックス)の構えをしてるが、
握力が弱く、ピックを氷に刺せません・・・↓の画像を見れば判ります。
イメージ 5

この下の画像は、昨年秋の栗城が公開したもの。
赤線内のノートン(グレート)・クーロワールを登ろうとしたが、
下から眺めただけで登れ無いと判断し、ホルバインに転進。
青線内の下部ジャパニーズ・クーロワールを通り、
上部ホルバイン・クーロワールを目指したが、
黄色線の位置で、それ以上登れず敗退。今回もこのルートを予定してます。

緑線は、今回ウィリー・スティックが西稜から、北壁をトラバースして、
ホルバイン・クーロワールに入り、登頂を目指すルートです。
イメージ 6
寒さを除けば、クーロワールに氷が詰まってる春より、
雪が詰まった冬の方が登り易いと思うのだが・・・

平岡隊の言ってる各国隊と、アラン・アーネットが言ってる各国隊が、
北稜か北壁かを目指すのかは判りませんが、ウィリー・スティックは間違い無く、
ホルバイン・クーロワールで栗城と競合します。



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栗城がブログを更新しました。(黒字はブログより、青字は私見)

4月17日
エベレスト北壁が見えました。
ラサ、シガチェ、ティンリと移動し、今日は4500mの丘に高所順応で上がってきました。
移動の疲れはありますが、酸素の薄さを感じながらも頭痛はなく、部屋でトレーニングとストレッチをしながらベースキャンプに入る準備をしています。
4500mの丘から双眼鏡で眺めるエベレスト北壁。
雪は少なく穏やかな表情を見せている。
栗城は、雪が少なく登り易いと思ってるのでしょうか・・・
アイゼンで岩をガリガリでは、倍神経が疲れると思うのだが・・・
30cmの雪も地獄と言う栗城が、何処まで登れるか楽しみです。
(中略)
明日、チベット・ベースキャプ(TBC5000m)に入ります。
何回も言ってるが、ベースキャンプの標高は、5200m。
中国が建てた石碑を栗城は見た事が無いのか・・海抜・米の意味しらねぇーのか?
イメージ 3




栗城がチベット側のBCに着いた様で、
愈々北壁ホルバイン・クーロワール山行が始まります。
これからは、このタイトルで〝敗退まで〟ウォッチの予定です。


4月19日 栗城公式ブログより(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

昨日、チベット・ベースキャンプに入りました。
BC(5,200m)の様子、キャンプの陣容から6隊位は居る様です。
一番大きなキャンプが30人のインド隊でしょうか・・・
イメージ 3
ここからヤクに荷物を載せてエベレスト北壁のベースキャンプに向かいます。
今、エベレストは雲がかかり始めていますが、
明日無事に北壁のベースキャンプ入りしたいです。
明日とは、20日ですね。
北壁のBCと言ってるが、ABCの事か・・位置(標高)が不明です。
昨年秋の様に、ヤクが進めない・・等は無いでしょうね。何処にABCを置くか?
ベースキャンプ到着後にプジャという登山の安全祈願を行い、
またプジャですか・・・カトマンズで済ませた筈では・・・現地でが当然だが・・・
その後はノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)に移動し、
7500mまで高所順応で登ります。
この辺が判り難いので、昨年秋の図を使って説明します。
栗城が言う、チベットBCとは図中赤丸の位置(5200m)。
北壁BCは●BCから南下し中央ロンブク氷河のの位置と思われる。

昨年秋のABCを置いた位置。

ノーマルルートのABCとは、一旦北上し東ロンブク氷河に入り●印の位置。
そこから、ノース・コル(7000m)に上がり、北稜の7500mで順応するらしい。

BCにあれだけの隊が居れば、ABCからノース・コル(C1 )へのルートや、
ノース・コル(C1)から7,500mへのルートには、
シェルパ達が先行しFIXがベタ張りに為ります。
栗城隊は、後から往って濡れ手に粟で7,500mには登れるでしょう。
先行隊に使用料位は、払う気が有るのか・・・
2009年秋にメスナールートからの登頂を目指したものの、
7,000mのノース・コルに一人では上がれず、
シェルパにルート工作させてから上がった実績が有りますが、今回は楽勝です。
イメージ 1
そして、北壁側のベースキャンプに戻り、休養してから北壁のABCに入り、
そこからソロで登っていきます。
順応が終わったら、青線で戻る様です。
休養後に、青線の終わり辺りに設置するABCに入るらしい・・そこからは単独だと。
そこからは単独と言う事は、ノース・コルから北稜の7500mまでは、
シェルパ付きと言う事に為りますね。単独登頂を狙う者が・・情けない・・・

冒険の共有も本格的に始まります。
今年は2名の日本人スタッフと、三脚や望遠レンズをABCに運ぶネパール人スタッフ3名、コック1名、キッチンボーイ1名と、全員極地になれた少数精鋭で頑張ります。
栗城隊の陣容が判りました。日本人3名・シェルパ5名。
(割愛)
北壁は下から上まで全貌を見通せることが昨年来てみて分かったので、今年は日本人スタッフ2名でABCから望遠カメラで、栗城が登る姿を皆さんと共有していきます。
去年の秋は、ゴマ点画像より無かったが、今年は期待して良いのでしょうか・・・


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50年振りに概念図を書いて見た。上図よりは判り易いかも・・・
BC(5200m)→栗城BC?に入り→東ロンブク氷河ABCに迂回し→ノース・コルから
→北稜7500mで順応する。→来た道を引き返し栗城BC?に戻り休養。
実に生産性が悪い(日数・時間的)順応ルートです。
その後オレンジルートでホルバインを目指す・・・・
イメージ 2
ウィリー・スティックの計画コースをで記入しました。
ネパール側のBCから、ウエスタンクム氷河を登って西稜に上がり、
北壁をトラバースして、ホルバイン・クーロワールから登頂。
サウス・コルからローッエ峰へ連続登攀してBCに戻る大計画です。
何日で達成出来るか見ものです~~中一泊二日? 二泊三日?
8千mでのビバークは危険ですから、どうするのか興味があります。

高度順応をするに当たり、チャンッエ峰(7,553m)をほぼひと回りして、
中央ロンブク氷河から東ロンブク氷河の北稜ABCまで往き、
ノース・コルに上がり北稜7,500mで順応する意味が判らない・・・・
栗城の足では、北稜ABCまで片道3日は掛かると思う。往復延べ6日の無駄・・・
普通、BC(5,200m)から北稜ABCまで約20キロを2日掛けて歩くのだ・・・

それに、先にも記載してる通り、北稜ルートには平岡隊始め多数の各国隊が居る。
そこにノコノコ往くのか・・そして他隊のFIXを使うのか・・単独を謳う者が・・・
皆真剣に登ろうとしてる中で、俺は順応に来た等と言ったらヒンシュク者。
順応なら、チャンッエ峰の中央ロンブク氷河側(西面)でも可能だし、
ホルバイン・クーロワールの下部でも、ルート工作やら荷上げしながら出来る。
時間の無駄・日にちの無駄と思うが・・・・変な事に為りそうな予感。

それにしても、判り難い書き方です。
基本的に、誰(どの隊)がチベット側に往っても、BCは5,200mの位置です。
その先に有る(置く)北壁のBC等と言う表現はしません。BCが2つ有る事になる。
あるとすれば、BC→中間デポC→ABC→C1・・・と言うべきです。




(割愛)
明日、チベット・ベースキャプ(TBC5000m)に入ります。

何回も言ってるが、中国・チベット側のBCは標高5,200mに有ります。
過去’09年・’16年に訪れながら、未だに正確な標高を知らないとは・・・
イメージ 3

●4月20日配信 会員向けメールより
本日、無事に「チベットのベースキャンプ(標高約4500m)」から徒歩で
「北壁ベースキャンプ(標高約5600m)」まで到着したと連絡が入りました。

(割愛)
ここでは、BCの標高を4500mと言ってます・・高度計付き腕時計が狂ってるの?
5000mと言ってみたり・4500mと言ったり・・・話にならない・・・
北壁BCを5,600mに設置した様です・
5600mのキャンプ標高に付いては、公式ブログ・FBでも触れられてません。
ただキャンプを設置したとだけ・・・何故でしょうか???
この事に関しては、【3】で述べます。
栗城公式ブログでは、18日にBC入りした以降の更新がされていません。

その後の動向を探る為に、久し振りに栗城関連の2チャンネルを見たら・・・
何と、5月28日までには、帰国し・・・講演だと・・・
この記念事業 ↓ に参加する様です。

ナンダ・コート初登頂80周年記念事業

先頃、当時のテントが発見され話題に為りました。
内容は↓参照

80周年として、再登頂し、当時山頂に埋めたとされる立教大校旗・毎日新聞社旗・
日章旗を探すというもの・・・これ自体はいいと思うが・・・
記念事業主体は、毎日新聞子会社の毎日映画社。
毎日映画社の顧問が大蔵喜福で、再登頂登山隊の隊長と言う話・・・
後援が、毎日新聞・立教大・立教大山岳部・立教大山友会(山岳部OB会)・
日本山岳会と言う。

立教大山学部のOB会・現役部員での再登頂隊なら、記念事業として価値はあるが、
大蔵喜福は、立教大卒でも山岳部OBでも無し・・・確か東海大。
総事業費が1500万だそうで、クラウドで金を集めようとしています・・・・
大蔵喜福の口車に、立教大他が上手く乗せられたのでしょうか???
大蔵にして見れば、只で遠征出来・しかも隊長・只で記録映画も創れます。
勿論、遠征隊の中には立教大の関係者も入れるでしょうが・・・

記念事業の一環として、講演会が有り、これに立教大と無関係な栗城が参加する。
名立たる、ヒマラヤ8千m峰登頂者が多々居る中で、何故に疑惑の栗城なのか???
大蔵が指名したに違い無し、昨年秋の北壁も擁護してた・・金の遣り取り有りか?
5月28日に合わせて帰国とは、20日頃には北壁から離れなければ為りません。
栗城が、本当に〝北壁〟を登る気が有って、北壁に往ったのでしょうか????
その気が無く〝支援企業・信者から金を集め〟て、生活費に充てる為では・・・・
チベットに向かい・トンボ返りで、講演料の小銭稼ぎの体です・・・・
後援の日本山岳会や立教大OB会は、
栗城の様な奴の参加を、良しとしたのでしょうか・・多いに疑問です・・・・
日本山岳会とは、昔は社会人山岳会の草分的存在、大学山岳部のOB達が創った会、
会員2名の紹介が無くば入会出来なかった経緯が有る。
日本山岳協会(日山協)が出来るまでは、日本山岳会も力が有ったが、
今やその傘下のただの、一山岳会です。
今では烏合の衆でも、プライドは当時のまま一流のはずですが・・・

何故、ここまで言うか?  
近年のエベレストで、日本人が登頂に成功した日を記しますと・・・
2011年5月20日 6名
       25日 5名
       26日 3名
2012年5月19日 2名
       25日 1名
2013年5月18日 1名
       19日 1名
       20日 5名
       23日 5名
2016年5月19日 6名(芸人なすび登頂)
       20日 6名
       21日 1名
       23日 1名(南谷真鈴登頂)
これだけの登頂者が居ます。
日付を見れば、ほぼ毎年5月20日頃から5月末に掛けての登頂です。
この10日間位が登頂のチャンスなのです。

このチャンスを待たずに帰国・講演とは、
元々登る気が無い(登れ無い)と、言われても弁解の余地は有りません・・・ね。


’16年春のアンナプルナ南壁では、発表してた登山期間内に講演会を入れて、
氷塊が当たって歩けないと言いヘリを使い下山、講演前日に隠れる様に帰国し、
講演で稼いだ実績が有った。

’16年秋の北壁では、北壁下をウロウロ・停滞の連日で登山期間を消化してしまい、
中国登山協会に期間延長を認めて貰い、日程ギリギリまで登頂を目指したと言い、
ABCで〝泣き崩れる〟芸を披露した実績が有った。

この通り、栗城は真剣に山に向かう気持ちは無く、
〝冒険の共有〟〝否定の壁を乗り越える〟などと、耳障りの良い言葉を巧みに使い、
企業・信者から〝集金〟して、銀座での生活費に充てているのです。
栗城にとっての山は、グリコ菓子のオマケ的な存在か・・・

C(キャンプ)位置・高度順応等の駄目さ加減に付いては、次回の【3】で・・・・

4月23日 追記
エベレスト南東稜からの登頂を目指している、ICI社長隊・AG公募隊の全員が、
21日にロブチェ東峰(6119m)に登頂し、高度順応を達成。
今頃は、BC入りをしてるでしょう。



栗城が、〝北壁BC〟?と言う名の聞いた事の無い、二つ目のBCを設置した様です。

本来BCは、何処でも・誰でも・何隊でも一つです。
栗城の事だから、善しとしましょう(苦笑を込めて)
車で入れる限りの処に(5,200m)、エベレストに来た全ての隊が、BCを設置します。
隊が上部に進むと、そこに残るのは、
中国登山協会が各隊に派遣した、連絡要員(謂わば監視役)と通訳の2名、
偶には体調不良の隊員も降りて来ます。
ネパールでも・中国側でも、栗城は一切この事に触れてません・・・
1980年にメスナーが、グレート・クーロワークから無酸素・単独で初登。
その時の著書〔チョモランマ単独行〕には、中国登山協会との契約内容や、
彼等の事が詳しく書かれてます。


(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
一昨日、無事にエベレスト北壁側のベースキャンプに入りました。
20日に着いた事に為りますが、その標高が書かれてません・・・
山では、何日に・何処に・何時にが、重要な記録ですが、敢えて隠してる様です。
去年の秋には、予定の6,000mに、「ヤクが雪で進めない」と言い、
遥か手前の5600mにABCを設置しました。
当時ブログコメントで批判されたのが、隠してる理由でしょう・・・
しかし、20日付けの会員メールでは、5600mに設置したと言ってます。

去年は雪が理由で、6,000mを5,600mに変更。
今年の理由は??? 栗城の動画を見れば、雪の無いガレ場にテントが張られてます。
この先の行動を考えると、より北壁に近い処にCを設置するのが常識です。
早くも、あまりヤル気が無いように見えますねぇ・・・・
ここまで来るのに様々な想いがありました。
〝金〟の事・本当に登れるか?の不安・・等々でしょう・・・
去年まで、秋という気象条件の厳しい時期を選び、山を感じるために挑戦していましたが、今回初めて春に入ることにしました。
とにかく良い登山にしたいです。
これからまずはベースキャンプをしっかりと設営して、
BCでは無く、ABC又は中間デポCと言うべきです・・・
プジャ(登山の安全祈願)をしてから、いよいよ行動開始です。
体調は悪くなく、順応するためのトレーニングや
様々な工夫をしてきた事が、効いていると思います。
何故かいつも、体調は悪くないと言う言い方をするが、良くも無いのか・・・
6,000mに設定された低酸素室を、何週間も体験したら体調は良く無ければ変。
しかし低酸素に慣れても、6000mの低気圧(平地の約1/2)に慣れてない落とし穴が!



今、エベレストの北壁は真っ白い雪雲で包まれています。
しばらくは動きが取れなさそうです。
今から北壁を登る訳で無し、高度順応の為に北稜ルートに向かうのは、出来るはず。
ここからチャンッエ峰の裾を迂回して、北稜ABCまで栗城の足で2~3日掛かる。
昨日ベースキャンプでプジャ(登山の安全祈願)を行いました。
20日に着いて、プジャ23日です。暫く動きが取れないとは、日程の無駄です・・・
プジャをしてからエベレストに入っていく重要な儀式です。
いつもプジャをする時には、ラマというチベットのお坊さんがいたりいなかったりします。
今年も「お坊さんいないね」と話していたら、キッチンボーイのテンバさん(先日体調不良で下山したネパール人キッチンボーイの代わりに、初めて手伝いに来てくれた22歳のチベット人)が、「俺ならできるよ〜」と言って、経典は無いですがお経を唱えてくれました。
シェルパ1名脱落の様です、【1】のBC到着時には、全員極地に慣れた精鋭と言ってたのに・・・
坊主が居たなら21日にでもプジャを済ませて、早く次の行動に移るべき・・・
このあたりが、栗城独特のダラダラさ加減・・・
今、目の前のエベレストは真っ白で何も見えません。
はたしてこのお経が通じるのかどうかわかりませんが、この降り注ぐ雪の幕が開けたら、いよいよ高所順応開始です。
順応開始は、北稜ルートのABCから先の話し、そこまで往くのに雪は関係無し・・・
晴れてから動いても、着いたらまた悪天候でダラダラか・・・

今年のプジャの画像です、なるほどガレ場に雪が降り注いでますねぇ・・
イメージ 1

昨年秋、「雪でヤクが進めない」と言って、
5,600mに設置したABCでのプジャの様子。
なるほど周囲は雪です・・・
高所に降った雪は、気温が低い為2~3日で消える事は有りません。




栗城の〝エベレスト北壁〟での行動が、ひと目で判る様にマトメました。
登山計画が公表されてないので、ブログ・FBを更新の度に、実行動を書き込みます。


4月  9日  出国
4月10日  カトマンズ到着
4月11日  市内でプジャ
4月12日  停滞日(ラサへ発つ予定がビザが取得出来ずに)
4月13日  停滞日(        々        )
4月14日  カトマンズ→チベット・ラサ到着
4月15日  車で移動
4月16日    ↓
4月17日    ↓  
4月18日  5,200mに到着 BC設置
4月19日  停滞日
4月20日  5,600mに栗城流〝北壁BC〟設置
4月21日  停滞日 (プジャが終わらないと行動出来ない為)
4月22日  停滞日 (       々         )
4月23日  停滞日 プジャ実施
4月24日  停滞日 (エベレストが白い雪雲に包まれてる為)
4月25日  停滞日 (       々         ・ネパール地震2周年)
4月26日  中間C地 ? へ移動(東ロンブク氷河末端の6,000m付近 ? )
4月27日  北稜ルートABC(6400m)へ
4月28日  停滞日
4月29日  停滞日 (咳・腰痛・SpO2が80で不調、この標高で順応が出来てれば、       
4月30日  停滞日  数値は95程度になる)
5月  1日  停滞日
5月  2日  ABC(6,400m)からノース・コル(7,000m)へ
5月  3日  ノース・コルから北稜7,300mへ登り、ABCに戻る。(腰痛発言) 
      (7,500mで順応する予定が強風で戻る、しかし順応は出来たと言う)
5月  4日  停滞日
5月  5日  (北壁BCに戻る途中、中間C地に泊まったと思われる)
5月  6日  北壁BCに戻る(体調不良発言)
5月  7日  停滞日(違法越境期間と思われる)
5月  8日  停滞日     
5月  9日  停滞日     ↓
5月10日  停滞日     
5月11日  停滞日 新しいルート申請中(カトマンズに着いたと思われる) 
5月12日  停滞日          (カトマンズ) 
5月13日  停滞日          (カトマンズ) 
5月14日  停滞日 ルート申請許可、16日に新BCに入る(カトマンズ) 
5月15日  停滞日 (カトマンズ)    
5月16日  停滞日 (カトマンズ)       キリアン8,400mまで試登し順応
5月17日  ゴラクシェプ(5,164m)にヘリで到着、ロッジをBCにする。     
5月18日  新BCで停滞日       
5月19日  BCを出発(夜の宿泊場所は明かさず・・・通常C1の位置と思われる)       
5月20日  C1→C2(6,400m) 
5月21日  停滞日 疲れた為           キリアン北稜から無酸素登頂
5月22日  停滞日 強風予報の為 
5月23日  C2→C3 (7,200m)泊 
5月24日  昼から行動して、7,800mのビバーク地を目指すも体調不良で下山 
5月25日  ゴラクシェプ(5,164m)BCに戻る        ICI隊&AG隊登頂
5月26日  停滞日 ゴラクシェプ(5,164m)     ICI隊&AG隊ローッエ登頂
5月27日  BC→C2へ       キリアン2度目の登頂平岡隊北稜から登頂
5月28日  停滞日 BCから、約1千m登って停滞。高所で2日連続行動不可な体力 
5月29日  敗退宣言を長々と発表(C2から無線で中継Cへ)
5月30日
5月31日
6月  1日  ネパール山岳協会から、BCを撤去する様に言われた期限。
6月  2日
6月  3日
6月  4日  ロッジBCからシェルパがヘリで、カトマンズに帰ったとの情報有り。
6月  5日  4日か5日に、栗城が帰国したとの情報有り。

如何に停滞日が多いか一目です。




栗城が中央ロンブク氷河側の〝自称・北壁BC(5,600m)〟から、
チャンッエ峰の裾を巻き、東ロンブク氷河末端付近(約6,000m)の中間Cに移動。
この中間Cは、1980年のメスナーが隊荷の一時保管として設置。
以後、北稜ルートの〝中間C〟(添付概念図参照)と呼ばれている。

(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
(中略)
今は風が非常に強く、エベレストにも雪煙が出ています。
今日は、高所順応のために、北壁のベースキャンプからノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)に移動してきています。
図中の中間C付近に、移動したと思われます。
明日、ABCに入ります。
こちらはものすごく風が強いです。
動画を見る限り、キッチン・テントの揺れはそよ風程度・・・
頑張ります。


改訂版 概念図(北稜ルート上に、中間C記入・各C位置の標高訂正)
イメージ 1




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他隊情報

平岡隊が、本日(26日)予定より8日遅れで、BC入りしました。 (平岡ブログより)
イメージ 2
高度順応に手間取ったものと思われますが、
BC入りして早速裏山の5,850mで順応しています。
風が強いと言ってますが、雲の流れを見ると西風のようです・・・・
イメージ 3
栗城は、キッチンテント内の、どうでもいい動画を流してるが、
平岡隊の方が状況が判り〝冒険の共有〟をしてる気がしますが・・・・

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ウィリー・スティック隊
ウエスタン・クム氷河の通常C2の位置にC1を設置→西稜→ホルバイン・クーロワール→山頂→サウス・コルにC2→ローッエ峰 への連続登攀を狙ってる、ウィリー・スティック氏の動向。

4月20日のFBより
ネパール側BCに、組み立て式鉄棒を持ち込んで、上半身を鍛えてるとか・・・・
イメージ 4


コックもこれで遊んでるとか・・・
イメージ 5

4月24日のFBより
BCからアイス・フォール帯を抜けて、C1(6,400m)で待機中。
ローッエ峰が真正面に・・・
イメージ 6

西稜へ上がる7,000m付近まで順応してるとか・・・
背後はヌプッエの稜線、下の氷河はウエスタン・クム氷河。
イメージ 7

天気が良くないと言ってるが、
2日間の晴れ間が訪れれば、怒涛の登攀をするでしょう~

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4月26日 ICI隊FBより

ICI隊がアイス・フォール帯に入り5,600mまで試登しました。




栗城が27日に、北稜ABCに入った様子。
(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
4月28日【事務局より】
いつも栗城を応援いただき、誠にありがとうございます。
栗城は、昨日午後にエベレスト(チベット側)のノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)に無事到着し、本日は、ABCでレストしていると連絡が入りましたので事務局より報告させて頂きます。
明日以降、天気と体調をみながら高所順応登山で登る予定との事です。
高所順応での登山はノーマルルートへ行っておりますので、北壁側のベースキャンプとのデータ通信が難しいため、ベースキャンプまで栗城が戻ってきましたら、また栗城本人より報告させて頂きます。
(数日間の高所順応登山の後、再び北壁のベースキャンプまで戻る予定となっております。)
映像係りと通信係りを置いて、栗城とシェルパでABCに居るようです。
本日からGPS(SPOT)の電源を入れるとのことですので、栗城が電源をONしている場合のみ、位置を確認することができます。以下のURLよりご覧いただけます。
*尚、標高7000m以上ではGPSの制度が下がるためエラーが出て正確な位置を特定できない可能性もあります。ご了承ください。
http://share.findmespot.com/shared/faces/viewspots.jsp?glId=0Et1q1UmmcdceTfL97hCsAjr8IzHbFXOq
<栗城のキャンプ位置イメージ図 (by google earth)>0428googleearth.jpg

思った以上に手前に〝北壁BC〟を置いたようです。
これでは昨年の秋同様、北壁の下(取り付き)まで栗城の足で2日掛かりますね。

 
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他隊情報

キリアン隊 昨年秋に続き、今年もエベレストに登場です。
拙ブログを見て戴いてるmorning_kachinさんからの情報で、早速調べて見ました。
何と、エベレストに来る前に、2週間で隣りのチョー・オュー(8,201m)を登り、
5月の中旬にBCに入りして、ノートン(グレート)か、ホルバインから登頂予定です。
この秋の申請をしたが許可に為らず、春に変更したとか・・
栗城と競合しますね、面白くなりそうです。
’16年秋のキリアンの記録は下記です。


ネパール側にはウィリー・スティック、チベット側にはキリアンです。
スピード登山の両頭がエベレストに集合です、鈍亀栗城は如何に・・・
キリアン登攀の、邪魔にならなければよいのだが・・・
キリアンは雪の着いた登り易い、ノートンを狙うと思う。


ICI隊 平出和也が隊を離れて、マッキンリーに向かうとか・・・
経緯は不明ですが、社長と奥田仁の2名での登山になる模様。
登山料100万が無駄でしたね・・来年に再トライは出来るが・・・




暫くは更新が無いと思ってたが、突然の更新です。


(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
今、標高約6400mのノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)にいます。
一緒にここに来ていた日本人スタッフは、今日北壁のベースキャンプまで下りて、
僕だけここに残っています。今日の写真はそのスタッフに託しました。
映像・通信係も、ABCに来てた様です。〝北壁BC〟のキーパーと思ってました。
SpO2(血液中の酸素飽和度)は80と、けして悪くはないですが、
低酸素室で高額な金を払い、数週間訓練したわりに80とは、85~90は欲しい・・
順応が出来てれば、数値は95程度になるはず。4千・5千mでの順応不足が原因。
多少咳が出たり、腰の痛みも感じるので、しばらく安静にして、
タイミングをみて高所順応で登っていきます。
ノーマルルート側のABCは、さまざまな登山隊が集結していて賑やかです。
片隅にテントを張っていて少々肩身が狭いですが、
エベレスト7度目なら、堂々と構えるべきです。
各隊のガイド以外は、皆 エベレスト初心者のはずですから・・・
しっかり順応していきたいと思います。
メスナーの様に、その標高でも走り廻れる心肺機能なら、無酸素で登れると思うが、
80程度では上に往く程に数値は更に下がる・・・

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他隊情報


ICI隊 4月29日 FB更新
今日は朝のうち、お天気良く、洗髪と髭剃りをしました。
明日からは順応活動のため、しばらくBC を離れ、上部に登ります。
お天気次第ですが4日間くらいかけて7000m くらいまで行ければと考えています。



平岡隊 4月29日 ブログ更新
中間キャンプ5700mに泊まって、6000mを往復してきました。
(平岡隊は順応に慎重です、4千・5千・6千での順応が、後で大事になります。)


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参考資料

1980年、ラインホルト・メスナーが、北壁を無酸素・単独初登頂した際に、
中国登山協会と交わした議定書です。(著書・チョモランマ単独行より)

イメージ 1



イメージ 2

80年代の中国での事ですが、インド・ネパール・パキスタン等の高峰登山には、
相手側と似たような内容の〝契約〟が必要となります。

勿論、栗城もボチボチ社を通して〝契約〟をしています。
メスナーの頃とは、内容が違ってると思うが、
基本的な事柄の変更は無いと思います。
こんな事を公表するのが〝冒険の共有〟に為ると思うのだが、
テント内の画像で信者は満足してる様だ・・・・




5月6日
5月1日から5日まで、春山スキーの為に鳥海山に入山してました。
帰ったら栗城が、北稜での高度順応を終えたとの更新有り・・久々のウォッチです。
しかし、その後相変わらずの停滞癖・・・日程はどんどん詰まって・・・

数日間エベレスト(チベット側)のノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)で天気が安定するのを待っておりましたが、今朝ABCを出発して高所順応のため登っております。
4日連続で、北稜ABCで天気待ち停滞 ? をしてたが、動き出した模様。
停滞中にシェルパが、ノース・コル(7,000m)にキャンプを設置した様です。
北稜には、平岡隊はじめ多数の外国隊が居るとか・・・
既にFIX工作は完了してるでしょうから、一寸拝借か ? ・・・・


【事務局より】
高所順応登山のため昨日より7000m付近でキャンプしておりましたが、今朝(現地時間)キャンプを出発し、さらに標高を上げて登っていくとの事です。順応後、今日のうちにノーマルルート側のABCまで戻る予定としております。
同行シェルパが、栗城の戻りを待ってキャンプ撤収の段取りか ?


今日、高所順応で7300m地点まで登ってきました。
先ほど無事にチベット側のノーマルルートのABCまで戻ってきました。
かなり疲労がありますが、元気です。
今日は7300m地点まで上がりました。
当初は7,500mで順応と言ってたが、7,300mで戻った様です・・・
北壁側のジャパニーズクロワールのルートもチェックできました。
北稜上から西稜に近い位置に有る、クーロワールが良く見えるのか ? 疑問です。
かなりのブルーアイスも確認したので、慎重に判断しながらトライしていきたいです。
添付されてた北壁の動画中の画像を見ると、北壁面の雪は少なく、
両クーロワール(ノートン・ホルバイン)内は、
日差しの当たる率が低く、氷結してると思われる。
昨晩の夜、ノースコルではSpO2(血液中の酸素飽和度)が55でしたが、今朝には69まで回復し、高所順応中には75とまずまずな感じで、ABCに戻ってきた今は87あるのでしっかり順応できていると思います。
血中酸素が、7,000m        55
      順応中(7,300m ?)  75
      今朝ABC(6,400m)       69
      今          87 とは、笑しな数値です。
7,000mより上の更に酸素が薄い場所で、75に上がるのが不思議、下がるはず・・・
下(ABC)に降りた朝が、順応中より低いのも不思議・・・酸素を吸って87に回復  ?
ここからもう少し時間をかけて体を整えていきます。
この言い方が、順応出来てない言い回しか・・・




 は、ここで。

相変わらず停滞日が多く、日程がどんどん消化されてます・・・




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他隊情報


ウィリー・スティック滑落死

4月30日早朝、クンブー氷河からヌプッエ側壁を登攀中に、
1,000m滑落し死亡とか・・・
荼毘後、故郷に埋葬されたとか・・・

彼流のスピード登山(エベレスト・ローッエでの連続登攀)を、
試みようとしてた矢先の事故です。
ウィリーは、生前に行為の失敗は死を意味すると、言ってました。
それが現実と為ってしまいました・・・

偉大な数々の、短時間登攀記録を樹立し、
様々な登攀用具が開発されている今、アイゼン+アックスだけを頼りに、
壁に挑む姿は有る意味〝原点〟回帰を志してたのかも・・・
惜しい登山家を亡くしました。  【合掌】




竹内洋岳氏
5月1日 FBより
悪天ながらルートを打ち直して、ジリジリとルートを延ばしましたが‥‥
ダメだー!
届かない!
残念ながら、今回も頂上に至らずに登山を終了することになりました。
前回、核心となる岩峰帯を抜け、これまで見えなかったルートの全容が明らかになり、残された頂上までのルートへの準備と計画を立てて来ましたので、今回こそはとの思いも強く、登頂できなかったことは、本当に残念です。...
その準備と計画が予定通りにいかない事態での登山となりましたが、
そもそも登山とは予定通りにいかないもので、それを対処して解決していくのが登山の面白さであり、今回、対処しきれず、登りきれなかったのは、私の力不足でした。
また、やり直しです。
栗城と違い、反省の弁が論理的です、次回に期待しましょう。

5月3日 FBより
吹雪の中、ベースキャンプから下の村に降りてると、モレーンで落石くらって、道からガラ場を、ドンガラ!ドンガラ!転げ落ち、イテテて‥ヨロヨロ‥なんとか村にたどり着き、翌日、ヘリでピックアップされ、入院しましたとさ。とほほ。
タンナ村から、カトマンズへ飛んだと思われる・・・
指の骨が折れた、レントゲン画像を添付してます。

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ICI隊・AG隊・平岡隊の更新は無し。




栗城が北壁BCに戻って、久々のブログ更新です。

(黒字は栗城ブログより抜粋、青字は私見)
今回登る「北壁」側のベースキャンプからぐるっとエベレストを半周する形でノーマルルートのベースキャンプに移動し、高所順応でノースコル(7000m)を登る計画でしたが、かなり距離があるためにノーマルルートにスタッフ全員は移動できなく、帰ってきてようやく配信できます。
とにかく長かった。。其れを承知で、計画を組んだのでは???
7500mまで向かいましたが、風が強く7350mで引き返しました。
おぉ~ 50m盛りましたねぇ~  5月3日のブログでは、7,300mと言ってたが。
久しぶりのノースコル。
一泊した時の夜は体内酸素飽和度55でしたが、朝には69に上がり、昼には75と身体がどんどん薄い空気に慣れていってます。
ただ、やっぱりさすがに脈も高く、別世界を感じてます。
思うように身体が動かない。順応が上手く出来てない証拠。
人間の全てをコントロールしようと考えを全て吹き飛ばしてしまうような重さ。。
さすがヒマラヤです。6回も来て、やっと判ったのか・・・・
今回の順応登山で北壁のルートでかなり気になる部分を発見。
青く黒く光る長い氷の道。
クーロワールに詰まった古い青氷、其れを登る為に選らんだルート。
今更何を言うのか・・・クーロワールとは、日照時間が短いそう言う処だ・・・
ベースキャンプでゆっくり身体を休めながら慎重にトライしてきます。
登山期間は後2週間程度、ゆっくりしてる暇など無し。
また〝泣き芸〟で、栗城劇場も閉幕か・・・・

5月7日 追記
栗城FBに〝自称 アルピニスト〟の野口 健 が、以下の書き込みをした。

野口 健 春は秋よりも雪が少なく、また風が強いと雪がさらに吹き飛ばされ状況によっては北壁はガリンガリンになっている可能性が高い。色々と感じる事もあるでしょうが「ノーマルルートからのアタック」も選択肢の中に加えてみたらいかがでしょうか。
〝自称  アルピニスト〟が〝自称 登山家〟に、アドバイスすると言う面白い図式。

小生が思う、アルピニストの定義 
専らアルプス(欧州に限る)の、岩稜・岩壁・雪稜・雪壁を果敢に登攀する者達を指す。
小生が思う、登山家の定義
登山を生業としてる者達。海外の山に於いては、BC以降自己完結出来る者達を指す。





高度順応の為、北稜ルートを7,500mまで登ると言い出掛けたが、
5月3日にノース・コル(7,000m)から300mを登り、順応が出来たと、
5月6日に〝北壁BC〟なる処に戻った。(北壁BCなる呼称に異論は有るが・・)

腰が痛いとかで、本当に栗城に北壁が登れるのか?(登る気が有るのか?) を、
探って見る事にした。

この画像は、栗城が公表した動画からの物。
北壁には雪が無く、クーロワール(岩溝)の中と、緩斜面に残ってるのみ。
のルートが、今回栗城が登ろうとしてるライン。
のルートは、ノートン・クーロワール(グレート・クーロワール)で、
昨年秋に栗城が取り付き点で断念したルート。
イメージ 2

のルートは、1980年に日本山岳会隊が登頂したルートで、
下部をジャパニーズ・クーロワールと呼び、上部をホルバイン・クーロワールと。
積雪の緩斜面は、雪田と呼ばれるもので便宜上 第一雪田と第二雪田と仮称する。

この画像は、昨年秋に栗城が夜間アタックでの、最高地点を公表した物。
黄線の先のヘッドライトの点が、7,400mまで登ったと言ってる位置。
白線は、登ろうとしたラインで、夜間で見えなくて西稜側ズレタのか?
急斜面で登れず意識的に、傾斜の緩い方に進んだか? は不明。
イメージ 1

2枚の画像を比べて見て、
右端(西稜)の岩稜突起の形状・ホルバインの末端の岩場の形状から、
昨年秋は第一雪田の上端まで登り、撤退したものと思う。

昨年秋は、腰までのラッセルで、これ以上登れ無いと言ったが、
氷化したクーロワールを、第一雪田まで登れるのか・・・

栗城が、アイスクライミングのテクを訓練した話を聞いたことが無いし、
精々八ヶ岳でガイド付き訓練を何回かした程度。

ノーザイル・ノーアンカーで取り付き、事故れば、・・・・。

昨日のブログ更新で、このような書き込みが
今回の順応登山で北壁のルートでかなり気になる部分を発見。
青く黒く光る長い氷の道。
敗退宣言をするなら、今かも・・・

コメント者① みんな騙されてるのかな?この人登る気ないよ

栗城史多 "SHARE THE DREAM” 曰く 
わからない人にはわからない。

コメント者① 
本当に登る気があるならどこから生中継するのか教えてほしいものです
がどうせできないでしょ?虚勢はみっともないよ

コメント者② 
わからない人にわかるように共有します!って金集めしているのに、わ
からない人にはわからない とは これ如何に? 

こう言う言い方は無いだろう、栗城。そう思われてるのだよ~

コメント者③ 先行者とザイルは一体…🤔💭

栗城史多 "SHARE THE DREAM” 曰く 
あれはザイルじゃなくて各国の登山隊が登るための「フィックスロープ」です。他の登山隊がいると先行者は栗城のシェルパかないな?と勘違いされますが、今年、北側のノーマルルートは登山隊が300人います。先行しているのはその登山隊のシェルパがルート工作に上がっている姿です。風が強いみたいで苦戦しているようですが。。
ちなみにうちのシェルパは、ノーマルルートのABCに食糧を運ぶのと、本番の北壁側のABCに食糧やテント、カメラマンの機材を運ぶ最低限の3人員しかいません。
ノースコルに上がるのは技術的には簡単でピッケル一本で大丈夫し、一人で充分です。
FIXロープはザイルでない? 確りしろよ、栗城。
ノース・コル(7,000m)で、一晩泊まったテントは誰が運んだ、そして誰が下げた!!!
2009年に一人でノース・コルに登れず、
ルート工作して貰ってから登ったのは誰だ、栗城。 笑止だよ!!!!!

野口 健 曰く
春は秋よりも雪が少なく、また風が強いと雪がさらに吹き飛ばされ状況によっては北壁はガリンガリンになっている可能性が高い。色々と感じる事もあるでしょうが「ノーマルルートからのアタック」も選択肢の中に加えてみたらいかがでしょうか。  

栗城史多 "SHARE THE DREAM” 曰く
元々、全てあらゆる選択を視野にいれてます。

野口 健 曰く
了解です。現場の事は僕らには分からないので日本から静かに応援しています。


北壁を登ると言って、企業から〝集金〟・会員から〝御布施〟を集めて、
まさかノーマルルート? それは無いだろうよ。
FIXベタ張りのノーマルからでも登れ無い事は、お前が一番知ってるはず。

野口 健との遣り取りは、8日朝には栗城により削除されてます。何故でしょうか?


順応も、ICI隊の様に満足にせず・〝冒険の共有〟発信もせず・
停滞を繰り返し、FB見てる様では、7回目の敗退も時間の問題。


表題の【栗城 北壁登頂の可能性は?】の結論は、ゼロです。


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他隊情報

ICI隊 5月7日 FBより
予定は少し変更になり、6000mのC 1に2泊、
6500mのC 2に3泊し目的通り7000mにタッチして昨日、BC に戻りました。
荒川も奥田もクタクタになりましたが、ケガや不調もなく、順調です
ICI隊は標高差500m刻みで、確実な順応をしてる様です。







栗城の〝エベレスト北壁〟での行動が、ひと目で判る様にマトメました。
登山計画が公表されてないので、ブログ・FBを更新の度に、実行動を書き込みます。


4月  9日  出国
4月10日  カトマンズ到着
4月11日  市内でプジャ
4月12日  停滞日(ラサへ発つ予定がビザが取得出来ずに)
4月13日  停滞日(        々        )
4月14日  カトマンズ→チベット・ラサ到着
4月15日  車で移動
4月16日    ↓
4月17日    ↓  
4月18日  5,200mに到着 BC設置
4月19日  停滞日
4月20日  5,600mに栗城流〝北壁BC〟設置
4月21日  停滞日 (プジャが終わらないと行動出来ない為)
4月22日  停滞日 (       々         )
4月23日  停滞日 プジャ実施
4月24日  停滞日 (エベレストが白い雪雲に包まれてる為)
4月25日  停滞日 (       々         ・ネパール地震2周年)
4月26日  中間C地 ? へ移動(東ロンブク氷河末端の6,000m付近 ? )
4月27日  北稜ルートABC(6400m)へ
4月28日  停滞日
4月29日  停滞日 (咳・腰痛・SpO2が80で不調、この標高で順応が出来てれば、       
4月30日  停滞日  数値は95程度になる)
5月  1日  停滞日
5月  2日  ABC(6,400m)からノース・コル(7,000m)へ
5月  3日  ノース・コルから北稜7,300mへ登り、ABCに戻る。(腰痛発言) 
      (7,500mで順応する予定が強風で戻る、しかし順応は出来たと言う)
5月  4日  停滞日
5月  5日  (北壁BCに戻る途中、中間C地に泊まったと思われる)
5月  6日  北壁BCに戻る(体調不良発言)
5月  7日  停滞日(違法越境期間と思われる)
5月  8日  停滞日     
5月  9日  停滞日     ↓
5月10日  停滞日     
5月11日  停滞日 新しいルート申請中(カトマンズに着いたと思われる) 
5月12日  停滞日          (カトマンズ) 
5月13日  停滞日          (カトマンズ) 
5月14日  停滞日 ルート申請許可、16日に新BCに入る(カトマンズ) 
5月15日  停滞日 (カトマンズ)    
5月16日  停滞日 (カトマンズ)       キリアン8,400mまで試登し順応
5月17日  ゴラクシェプ(5,164m)にヘリで到着、ロッジをBCにする。     
5月18日  新BCで停滞日       
5月19日  BCを出発(夜の宿泊場所は明かさず・・・通常C1の位置と思われる)       
5月20日  C1→C2(6,400m) 
5月21日  停滞日 疲れた為           キリアン北稜から無酸素登頂
5月22日  停滞日 強風予報の為 
5月23日  C2→C3 (7,200m)泊 
5月24日  昼から行動して、7,800mのビバーク地を目指すも体調不良で下山 
5月25日  ゴラクシェプ(5,164m)BCに戻る        ICI隊&AG隊登頂
5月26日  停滞日 ゴラクシェプ(5,164m)     ICI隊&AG隊ローッエ登頂
5月27日  BC→C2へ       キリアン2度目の登頂平岡隊北稜から登頂
5月28日  停滞日 BCから、約1千m登って停滞。高所で2日連続行動不可な体力 
5月29日  敗退宣言を長々と発表(C2から無線で中継Cへ)
5月30日
5月31日
6月  1日  ネパール山岳協会から、BCを撤去する様に言われた期限。
6月  2日
6月  3日
6月  4日  ロッジBCからシェルパがヘリで、カトマンズに帰ったとの情報有り。
6月  5日  4日か5日に、栗城が帰国したとの情報有り。

北稜7300mでの高度順応を終えて、〝北壁BC(5,600m)〟に戻ったが、
6日付けのブログでこう言っている。(黒字)
一泊した時の夜は体内酸素飽和度55でしたが、朝には69に上がり、昼には75と身体がどんどん薄い空気に慣れていってます。
ただ、やっぱりさすがに脈も高く、別世界を感じてます。
思うように身体が動かない。
7,300mから5,600mに下がって、体か動かないとは、順応が出来てない証拠。

同時期にネパール側エベレストに入った、ICI隊の行動と比較して見ると、
原因は初期順応の失敗に有る。
栗城(黒線)・ICI (赤線)隊のカトマンズ着からを、日別折れ線グラフで並べて見る。
(栗城ブログでの発表と、ICI FBでの発表を基に、ザッと表にした。)
イメージ 1

一見同じ様な標高を稼いでる様に見えるが、BC入りまでの間に大きな差が有る。

①カトマンズ(1,400m)から、
 栗城はラサ(3,600m)・ICI隊はルクラ(2,800m)へ飛行機で移動。
 どちらが、心肺機能に負担が有るかは、一目瞭然。

②その後、栗城は4日間車に乗り、標高差1,500mを稼ぎ、BC(5,200m)へ。
     ICI隊は10日歩いて標高差2,200mを稼ぎ、ロブチェ峰(6,119m)BCへ。

車・飛行機移動は、身体を動かしてないので、心肺への負荷が殆んど無く、
栗城は突然1,400mから5,200mに来た様なもので、ジッとしてると感じないが、
動くと息切れ・酸欠状態になる。

一方 ICI 隊は、ナムチェ(3,900m)での順応停滞日を設け、
平均220m/日の高度差を、歩きながら順応した事になる。
ロブチェ峰での6千m登頂順応も、スンナリ出来たのである。     
その後4日掛けてエベレストBC入り、BCで休養後にC1(6,000m)・C2(6,500m)・
7,000mへの順応も成功した。クタクタだが不調も無く、順調と言っている。
BCで数日休養すれば、クタクタ感は取れるのだ。

栗城は7,300mには達したものの、初期順応(3千m・4千m・5千m)不足により、
5,600mに居ても脈も高く、別世界を感じてます。思うように身体が動かない。
状態が続いてるのである。

明らかに、順応の失敗。
低圧酸素室に入り訓練してると、再三ブログで言ってたが、無駄金使い・・・
拙ブログの★★下山家 栗城劇場★★の中で、高度順応については、
1日標高差500m・2日歩いて標高差1,000mで、
順応停滞日を1日設けるのがヒマラヤの常識と・・・・

栗城が言う〝山の先輩〟懇意にしてる大蔵喜福・花谷泰広・江本悠滋等のガイドが、
こんな事も教えないのか?
それとも〝聴く耳〟持たないのか・・・不思議である。

それに、この後約2週間で、〝講演営業〟の為に帰る羽目に・・・
いつも栗城の登山期間が、短いとも言って来たが、
営業優先では満足な山登りが出来ない。生活費稼ぎと言われても反す言葉無し・・・


5月10日 加筆
位置情報を確認で〔スポット〕を見たが、
北稜ABCからノース・コル(7,000m)までの軌跡データが消去されている。
GPSの入り切りでポイントが飛んだりしてたが、消去するとは・・・
本当に栗城が歩いたデータなら、其れを消すとは自己否定に繋がるのでは?
そんな暇が有ったら、サッサと北壁下にキャンプ(ABC)を進めるべき。
イメージ 3


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他隊情報

平岡隊更新

2017年05月08日
7100mまで行ってきました。

5月1日にベース・キャンプ5150mを出発し、1週間かけて7100mまで行ってきま した。
後ろはエベレスト頂上です。強風が吹いているのが、解りますか?


平岡隊は、4月13日にラサ(3,600m)入り。
     4月25日にBC(5,150m)入り(この間、初期順応に手間取った様子) 
     4月29日に中間C(6,000m)まで順応してBCに戻る。
     5月  1日BC発で
     5月  8日ノース・コルから7,100mで2度目の順応してBCに戻る。

BCで休養し、5月中旬からの好天期を見逃さすに、
アタックすれば山頂に立てるのだ。

この様に、時間を掛けて初期順応を確実にやれば、
素人でも7,100mまで登れる。



5月9日 追記   

2017年05月09日

タシゾン4400m

休養のためにタシゾン4400mに、降りてきました。
ベース・キャンプ5150mから、車で1時間程の村です。
今日の宿、珠峰斑巴旅館和賓庁Chomolangma Benba Hotel&Restrantです。
やっと本隊に追いつくことができました。
中華料理で栄養補給して、頂上を目指します。
驚いてます。7,100mで順応し、BCで休養かと思いきや・・・
更に標高の低い町まで降りて、休養とか・・・
酸素の濃い処では、疲労回復が更に早まるでしょう~
順応の遅れてた〝客〟が一人居たようですが、
こんなに〝客〟思いの平岡氏に連れられて、世界最高峰に挑める客は幸せです。
同じ公募隊でも、他では考えられない客対応です。

   

平岡隊の情報を基に、順応の様子を追加し青線で書き込みました。
栗城と同じラサからスタートですが、BC入りを栗城の2倍の時間を掛けています。
また6,000mで順応後、一週間掛けて7,100mで順応、
BCから更に4,400mまで降りて休養のようです。
イメージ 2




栗城が〝北壁BC〟に戻って以来、余程体調不良なのか? 音沙汰無し。
日程は残り少なく為るばかり・・・

栗城へ 〝金主〟・〝会員〟への言い訳を、必死で考えてる頃でしょうね。
     以下平岡隊の様子です。
     こう言うのが、本当の〝冒険の共有〟ですよ。
     他人に言われると〝頭に来る〟タイプのようだが、
     それなら「死ぬ気でヤレ」と言いたい。反論は前の様に関係者でもOK。


平岡隊の様子です。

2017年05月08日

エベレスト登頂準備完了

ノース・コル7000mでの辛い辛い一夜を明かし、強風の7100mを経験し、疲労困憊の状態でベース・キャンプ5150mに帰還したSさん。登頂準備完了です。
http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1655.jpg?d=a3

好天の予報を受けて、僕たちと入れ替わりに、5人のシェルパがノース・コル7000mに入りました。
深夜12時半ごろに、ノース・コルを出発。朝の7時頃にはキャンプ3(8300m)に到着し、登頂に向けて最終の荷上げを完了しました。
昼頃には、全員アドバンス・ベース・キャンプ6400mに帰着。
そのうち3人の若手シェルパは、下山を継続し、ベース・キャンプの手前で、私たちを追い抜いていきました。
左からパサン・テンディ・シェルパ28歳、ペンバ・テンジン・シェルパ28歳、ニマ・カンチャ・シェルパ33歳。
http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1668.jpg?d=a3
約20kgの荷物を背負って7000mから8300mへ登り、その10時間後には3100m下って、ベース・キャンプ5150mに帰着しました。写真の通り、元気そうです。
若手シェルパの超人的な働きには、いつも驚嘆させられます。
彼らのおかげで、エベレスト登山が成り立っています。
本当に、ありがとう。





チョー・オュー(8,201m)を2週間で登り、5月中旬にはエベレスト北壁に入り、
雪の状況を見て、両クーロワールのどちらかを登ると言ってました。

何と2週間掛からずに登ってしまいました。
ブログが更新されてます。http://www.kilianjornet.cat/

8,000mでの順応が出来てる訳ですから、少しの休養を取れば、
北壁下(6,100m付近)のABCから1日の晴れが有れば、登ってしまうでしょう。
昨年秋に、栗城が北壁下をウロウロしてる間に、
半日で北稜ABC(6,400m)から7,950mまで登り、雪が降って来たとABCに戻る。
恐ろしい登攀スピードです。

今日も行動してない、栗城に強敵現れる、です。

面白くなりそうです。




体調不良で動けない栗城、所詮エベレスト北壁に対峙出来る器で無し・・

5月10日更新の、平岡隊のブログと画像。
イメージ 1

ベース・キャンプに戻ったら、気温も暖かく、風向きも変っていました。
昨日の雪で真っ白になったエベレスト北壁。夕焼けが素晴らしかったです。
明日から、いよいよ頂上に向けてスタートします。
平岡隊は、ヤル気満々ですね~ 相手は商業登山隊とは言え、
栗城は〝自称 登山家〟でしょう~~
〝北壁BC〟で5日連続停滞の栗城。
この画像の、ど晴れの日に、何してるのでしょうか~
〝北壁BC〟から、北壁下へキャンプ(ABC)を進める事もしないで、
帰国時間はどんどん進んでます。

ブルーアイスで戦意喪失と言った処でしょうか・・・
なら、待ってても時間の無駄、さっさと敗退宣言し、帰国すべき。
来年は八ッ岳での練習の意味が無い事判ったから、もう少しレベルの高い、
剣や槍・穂高で〝練習〟してから、向かうべきでしょう(大笑)

キリアンが、そこまで来てますよ~

後、一週間位が、〝自称  登山家〟としての、最大の見せ場だねぇ~




〝北壁BC〟に篭って音沙汰無しの栗城が、5日振りに更新です。
内容を読んで〝びっくりポン〟でしたので一言。

5月11日 (黒字は栗城ブログより全文、青字は私見)
題目「困難はあっても避けられるアクシデントは避ける」
 
高所順応のステージを終えてから北壁側の偵察とABC設営に向けて準備をしてました。
ノーマルルートを順応で上がるときに北壁を見ながら、一点だけ「気になる箇所」があり、それをどうやって乗り越えるか考え続けていました。
それは北壁のジャパニーズクロワールと呼ばれる平均斜度60度標高差1000mの氷の壁。
いい色のブルーアイスですね
イメージ 2
昨年の秋は雪も混ざって登りきったが、7000m以上の傾斜がゆるくなるところで逆に雪が腰まであり、深い雪をラッセルし続けて7400mで断念した。
そうです、それで春なら楽に登れると思い、今回来て見て・・・目がテンに・・・
その雪を避ける型で今回は春に挑みに来たが、今度は青く光るブルーアイスが浮かびあがり、延々と伸びている。
栗城 国内の山も同じだよ、(例)奥穂高の小屋から上の鎖場部分 冬季はアプローチは大変だが、小屋まで来れば北向きで日差しが当たらず、比較的楽に登れる。
春季の3.4月頃は、昼・夜の気温差でガチガチに凍ってる。これと同じ事。
特にヒマラヤは〝大陸性気候〟で、冬季以外は気温差が大きい、その為だよ!!!
更に落ちる雪崩が斜面を磨くから、摩擦熱で余計に凍る・・・
 
デカデカと光ってますね
イメージ 3
もちろん、スリップはできない。。
ティンリからチベット・ベースキャンプに向かう時にたまたまドイツ人登山家ラルフさんと一緒だった。
彼は8000m14座の竹内さんとも登っていた鉄人クライマー。ラルフさんはエベレストはすでに7回チャレンジしており、この北壁は2回チャレンジしていた。ノーマルルートで酸素を使った登頂を超えるために再び無酸素で挑戦しに来ていた。
鉄人の共通点は常にポジティブなオーラを放っている。
「クリキ、僕は北壁を2回チャレンジしたが、あのブルーアイスは時間がかかり過ぎる。難しいぞ。」
ジョーダンを交えたり、お互いの哲学を披露しながら素晴らしいアドバイスをくれた。
独語が理解出来るとは素晴らしい~ 次に来るキリアンはスペイン語だぞ。
北壁の序盤、ブルーアイスの章を乗り越えるために30本以上のアイススクリューと600mのロープを持ってきていた。
壁と岩溝登るには、其れ位のガチャは必要と思うけど・・
まさかノーザイル・ノーアンカーで登る気で来たのか ? それは甘い・・・
ただ、一人でルートを工作するにはラルフさんが言うように想像以上に時間と最後のアタック分の体力も消耗してしまう。
だからいつも登山期間が少な過ぎると言って来た、順応を確りして、
ヤバイ箇所にはルート工作して、BCで充分休養してから一気に登るのが筋。
さらに体力と時間以上に長い氷を登り続けてる中で最も壁になるのが僕の左手自身だった。
2012年のエベレスト西稜で8070m地点でジェットストリームの強風で動けなくなり、あっという間に両手と足と鼻が重度の凍傷となり、手の指9本を失った。
右手は親指がかろうじて残ったためにピッケルを持つことができるが、左手は親指はなく、ピッケルを添える程度にしか持つことができない。
出来もしない、Wアックスのポーズで会員うけを狙うなよ。
その手でピッケル操作が無理な事は、前々から言ってる・・・
イメージ 4
ようやく左手に合うピッケルも見つけ、昔よりはだいぶマシになったが体重をかけることは難しい。
滑落しても【滑落停止】が出来ない・・・その意味する処は・・・
その中で本当に硬い氷の中を7000m近くまで登れるのか。
困難はあっても避けられるアクシデントは避けなくてはいけない。
考えに考えた結果。
山の麓まで来て考える事ではない、訓練をして・机上で考えて・登れる山を決める。
皆さんそうしてると思うが・・・
ブルーアイスを避けるルートからホーンバインクロワール(北壁上部)に入るルートを考えた。
そこから、中央ロンブク氷河を横断して、ロー・ラに上がり、
西稜から、北壁を巻き、岩溝に入るルート??? 長過ぎる、無理無理
変更予想ルート
イメージ 5
飽くまでも予想だが、これなら栗城画像の下部の①アイス帯は避けられるが、
中央ロンブク氷河の②クレバス帯を横断できるか? ③長い西稜を歩けるか?
④岩溝上部を登れるか?(下部より更に急傾斜)等々の問題あり。

これが駄目なら、北稜ノーマルよりない。
しかし間違って登れても、FIX・梯子が在り単独は成立しない。
ただ、そのルートも決して簡単ではない。
避けられる事故は避けて、向かうべき困難に集中する。
今、その新しいルートを申請しています。
やはりBCに、中国登山協会派遣の連絡員が居るようですね。
北稜に変更なら、〝御伺い〟の必要は無いが、ネパールとの国境歩くからねぇ~
果たしてどのルートになるか。
当たった方にはアイスをプレゼント!
馬鹿コイテル暇は無いだろう!! 真面目にヤレ。
決まれば数日中に本番アタックステージが始まります。
決まって・天気待ちして・時間切れ・・・敗退。予想通りの展開です。
そして、ラルフさんの無酸素登頂の成功!祈ってます。
他人の事はどーでもいい・・・


追記 今10時43分
チベットは、時差約3時間で7時半頃。
栗城はFB眺めて朝8時頃に〝いいね〟連発。これゃ~今日も停滞だ。


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他隊情報

ICI隊FB(5月11日)より
AG隊の梶山ガイドと直ちゃんがC2から高度順応して戻ってきました。
餅入りのお汁粉で乾杯です。7000mタッチしてきました。
AG隊の順応も進んでいるようです。


アラン・アーネットのブログより
エベレスト・中国側の、登山客とシェルパ(登頂者ではなし)数の年毎データです。
この春のネパール側は、登山客373人・シェルパ373人だそうです。
南北合わせて、1,052人が5,000m以上に集結してます、凄い数ですね・・・

イメージ 1

イメージ 6


只今日本時間5月14日18時50分です。
16分前に栗城がFBで、以下の書き込みをしました・・・

(黒字は栗城FBより、青字は私見)

ルートを変更するために移動を開始しました。
新しいルートの申請も無事に終えて、16日には新しいベースキャンプに入ります。ベース入りしてからどのルートから登るか、登頂予定日と中継について発表します。
今、エベレストは悪天候の周期が17日まで続くそうです。雪が安定し順調に行けば17日か18日からアタックステージ(本番)が開始します!
少し街に降りて来ましたが、かなり酸素が濃いです。。身体が暖まります。

16日には別のBCに入る?
予想した西稜ルートなら、現在の〝北壁BC〟が使えるのだが・・・
北稜(ノーマル・ルート)からの登山でしょうか?
2日後に入れるBCは、北稜のABCと言う事でしょうか・・・
登山客・シェルパが300人も居る北稜ABCへ?
既に山頂までのルート工作され、インド隊が16人も登頂してますから、
ルートはバッチリですが・・・栗城の理念とは少し懸離れてるかと・・・
他人の〝褌〟で相撲を取るの典型か・・・・

派遣されている中国登山協会連絡員に、変更案を拒否され、直接協会への
ルート変更交渉の為に、固定電話の有る町まで降りたようです。


帰国し28日の講演が迫ってる今に為って、訳の判らない話しです。
講演をキャンセルして、登山続行の意思でしょうか・・・

17.18日からアタックと言ってるので、天気予報を見てみましょう。

イメージ 1


イメージ 2

この予報は山頂付近のもの、16日に新BC入りしたとしても、
連日の体感温度が-30℃以上の日々が続いてます。
風速25km/時~30km/時(7m~8.3m/秒)で、
栗城の過去の行動から、この天候で登山が出来るとは思えませんが・・背水の陣で?

新BCに着いてからの発表を待ちましょう。


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他隊情報


5月14日付け 平岡隊ブログより

出戻りベース・キャンプ5150m

16日の登頂目指して、勇んでアドバンス・ベース・キャンプ入りしてみたところ、天気予報が急変してベース・キャンプに出戻りました。エベレストの天気は、いつも一筋縄では、いきません。
そんな中、インド隊16人が今季初登を、決めてくれました。インド隊は、総勢50人超の最大勢力です。一次隊に精鋭を集めて、小さな好天の窓を掴みました。おめでとうございます。
平岡隊は6,400mのABCで天候待ちをする間の、体力消耗を防ぐ為に、
5,150mのBCに戻った様です。とてもいい選択と思います。
(6,400mの高所での食事では栄養が吸収出来ず、空腹感を満たすだけ。脂肪と筋肉細胞を燃焼させてエネルギーに代えてます。高所に留まるほどダメージ大に為ります。小生も過去ひと月の遠征登山で、66キロの体重がカトマンズのホテルで計ると58キロに・・帰路は疲れて歩けませんでした。)
インド隊は隊員30人、シェルパも同数近くの様です。
一対一で登れるのですから確実です。費用もそれなりでしょうが・・・



平岡隊追加

2017年05月15日

出戻りタシゾン4200m

またタシゾンに休養にきました。
今度は、シェルパも一緒に、総勢13人です。
中華料理で栄養補給しています。

http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1750.jpg?d=a4
平岡氏が、客の順応過程や健康面に、専心するガイドで有る事は以前書きました。
悪天が当分続くと判断して、今度はシェルパ他全員での休養。
こんな例は聞いた事が有りません・・・
シェルパ達もこの様に優遇されると、
〝バラ・サーブ(シェルパ語で、偉大な旦那様・平岡氏の事)〟の為に、
必死に登頂支援をしょうと思うはずです。
2人の客を登らせるのに、この厚遇です。しかも料金はAG隊より格安。
金が有ったら、参加したいと思う様な隊です。



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ICI隊 5月13日 FBより
今日は、ベースキャンプテントの補修をしました。氷河の上にいるので、テントが傾いてしまいます。小石を入れて、平らにしました。これで、安眠できます。
長期にテントを張ってると、テント床面が解けて凸凹に為り居心地が悪くなる。
偶には設営場所の変更や床面補修が必要に為ります。
イメージ 4

ICI隊 FBより
5/14 プモリに太陽が当たっています。風もなく穏やかです。
イメージ 3




5月14日付けで、栗城ブログが更新されました。

栗城ブログより(黒字は栗城ブログより抜粋、青字は私見)
ルートを変更するために移動を開始しました。
新しいルートの申請も無事に終えて、16日には新しいベースキャンプに入ります。ベース入りしてからどのルートから登るか、登頂予定日と中継について発表します。
今、エベレストは悪天候の周期が17日まで続くそうです。雪が安定し順調に行けば17日か18日からアタックステージ(本番)が開始します!
これを読んで、チベット側からのルート変更より、頭に有りませんでしたが、
拙ブログを読まれた方から以下のコメントを戴きました。

先日、ネパールにあるツアー会社の友人と今秋のヒマラヤ付近の偵察旅行について話しておりました。
こぼれ話し的に聞いたのですが、どうやら栗城氏はチベットサイドからのアッタクを断念して、カトマンズに居る(居た?)ようです。
春季チベットサイドからアタックと聞いていたので、なぜ今現在カトマンズに?と思い。まさかネパール側からのアタックに切り替えるつもりでしょうか笑?
追伸
これもツアー会社経由の話しなので不確かな情報ですが、ボチボチの別働隊が別のキャラバン隊をサポートするためにすでにBCに入ってるそうです。
キッチンテントをシェアし追加で一張り二張り程度であれば問題もなさそうにも思えます。

俄かに信じ難い事ですが・・・
考えて見れば、チベット側でのルート変更は、
①北稜ルート
②中央ロンブク氷河を横断し・ローラ→西稜→岩溝上部→山頂
の、2ルートより有りません。
①は、ABCに登山客・シェルパが300人も居ます。
②は、栗城が単独で、氷河横断が出来るとは思えません。

28日の講演まで、残された日々も残り少なく為ってます。
チベットに居続けたのでは、帰国の為に4.5日の移動日が取られます。
ネパールに移れば、エベレストBCからカトマンズまでヘリ移動が可能、
上手く行けば1日半程度の移動で帰国出来ます。
下記、行動表をご覧下さい、17日~25日までの最大9日間を登山に充てられます。

栗城は、2012年に一度体験した、
クンブー氷河から西稜に上がるルートに変更、と考えると納得です。
(但し、西稜から北壁トラバースを、技術的に栗城に出来るとは思えませんが・・・)
しかし栗城が言うように、17.8日から登山開始が出来るのでしょうか???
天気予報を見てみましょう~
イメージ 1

エベレスト山頂の予報です。
20日から23日までの風が、25Km~45Km/h(7m~12.5m/秒速)です。
24日からは風も弱くなるようですが、12.5mの風では栗城は行動出来ません。
いづれにしても、BCから一発勝負の機会よりない事は確かです。
このルート変えの為に、
登山料120万と、カトマンズからの資材・人員の空輸費2・300万以上が、
掛かり増しになる事は間違い無いです。



ここまで書いてて、栗城FBを見たら、
何と・・・28日の講演を欠席するとの、書き込み発見です。
講演会メンバーの夢枕獏が言ってるので間違いないです。

下山家 栗城劇場は、当分の間 続く様子です。
講演(客無料)より登山を選択したとは、少し見直し(笑)


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