海彦・山彦の白秋日記

右奥 マカルー峰 8463m  左 イムジャツェ峰 6189m 4月7日登頂

カテゴリ: ★古い本棚★


頂は誰がために〟 ラトックⅠ峰初登頂の記録 服部孝司 著


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正月にこれを読んだ。
40年前の昭和54年に、当時難攻不落と言われた、
カラコルムの未踏峰ラトックⅠ峰7145mに、登攀隊員6名が全員登頂した記録。
隊員の日記を参考に・聴き取りをして、新聞記者が書いたもの。

当時 欧州アルプスの2千mクラスの岩壁登攀が一段落し、
ヒマラヤやカラコルムの大岩壁に、世界の目が向けられた頃の話し。
新聞記者が書いただけ有って、これは面白い。







今読んでるのは、これ!!

〝山こそ我が世界〟 ガストン・レビュファ著
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フランス・マルセーユ出身のアルピニストで、名ガイド。

幼年時代にマルセーユ近郊の海岸カランクで、石灰岩を見様見真似で攀じ登り、
後にアルプスの難ルートを数多く初登攀した、異色のクライマー。
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幼年時代から、クライマー全盛期・アンナプルナ遠征等を書き記し、
日本の岩壁登攀を志向する若者に、多大な影響を与えた登山家です。
〝困難な登攀は好き、危険な登攀は嫌い〟と各著書で繰り返し記してるが、
当時は、その意味が判らなかったが、今思えば技術の裏打ちが有っての事だろう。

来日時、共立講堂で講演を聴き、写真集にサインして貰ったが・・・
それがどのダンボール箱に入ったのか・・・50箱も有り探せず・・・
暖かく為ったら土蔵の中で探して見よう・・・

今朝も、薄暗い夜明け方から、雪寄せをした・・・
深い息をすると、肺が悲鳴を上げるのではないかと思える寒さ・・・

降っては寄せ・溜まっては排雪の日々が、2月末までは確実に続く・・・
雪国の人間は〝粘り強い〟と言われるが、これが出来なくなって、
肩で息してる様では、半分死んでる様なもの・・・そうは為りたく無いものだ・・・



雪寄せ後、〝残された山靴〟を、一気に読んだ・・・

著者の佐瀬 稔氏は、報知新聞社の運動部長を経て、
フリーでのルポやノンフィクション執筆家となった・・・
98年〝壮絶な末期癌〟と戦い、66歳で他界したが、〝残された山靴〟と題し、
副題に〝志なかばで逝った8人の登山家の最期〟を纏めたものである。

流石に元記者らしく、遺族・仲間からの取材した内容は読み応えがある。
中には、何で取り上げたかと思った登山家も居るが、経緯の詳細を知ると、
亡くなった登山家には悪いが、当然の結末だなァァ・・・と、思ったりも・・・

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序文に、親交が深かった、江夏 豊が寄稿している。

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終章で〝「人間の尊厳」と夫、佐瀬 稔の最期〟と題して、
禮夫人が末期癌との闘病記を書いてるが・・・

近未来に自分が〝癌〟に罹り、処置なしの宣告を受けた時に、
氏の様に〝書き足らない事〟〝遣り残せない事〟に立ち向かえるのか・・・
強い人が居たものだと・・・ブン屋魂・記者魂だけでは説明が付かないのだ。
自分なら普段クソと思ってた〝神・仏〟に、不様にも命乞いをするだろう・・・



昼には、降雪も止み 雲間から太陽が顔を出す・・・
窓ガラス越に日に当ると、温室に居る様な心地良さだ。


日の酸ヶ湯の積雪は237cm、25日の八甲田は130cm位だったので、
寒波様々である。
正月2.3日は箱根観戦、今回の寒波もこの頃には明けるはず、楽しみだ・・・

今朝は、起きたら積雪が・・・年末寒波の前触れか?
朝飯前に片付けようと、山用ダウンの上下を着込み、ニット帽を冠り外へ・・・
これは、暖かい処から急に寒い処へ出ての、脳梗塞や心臓麻痺予防の為。
ヒマラヤ用に用意したウエァを、仕舞ってても宝の持ち腐れですから・・・

〝磔〟の熊皮が雪を冠り、〝白熊〟状態に為ってた・・・
正月明けの2日頃までは、連日雪マークの予報、一先ず車庫内に避難させる。

2時間程で除雪を終え、遅い朝飯を喰う。
他に遣る事がないので、今日も読書だ・・・


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著者は〝貫田宗男〟、知ってますか?

日テレの〝世界の果てまでいってQ〟で、イモトに山登りを指導してる爺です。
イモトが〝天国じじぃ〟と呼んでる人。

貫田宗男40歳で、北稜からの登頂記。
何となく〝天国じじぃ〟と言われた訳が判る本です。
会社員が3ヵ月休暇を貰い、1人500万の負担での山行。
肩を張らずに読める?本。

登頂したが・・帰路の結末は・・・






この寒波で、酸ヶ湯は190cmの積雪とか・・・
正月明けの晴れ間が楽しみです。



年末寒波襲来のニュースだが・・・
暖かい部屋での読書。




小西政継 この登山家を知らずして、雪山や壁を登ろうとする者は、ニセ者だ!!!

チョッと、言い方が酷だったかナッ???

小西氏は、社会人山岳会〝山学同志会〟会員で、〝鉄の男〟と言われた男だ。
山岳部でシゴキに合い、ベロ(涎)垂らして、冬の槍穂を登ってた頃に、
3大北壁と言われたマッターホルン北壁を、冬期3登に成功した日本人初の男。
当時は、〝壁馬鹿〟位にしか思ってなかったが・・・(小西さん失礼)
その後も、グランド・ジョラス北壁の冬期3登目に成功。
その代償は足の指・・・22cmの靴を履く事に・・・
更には、同志会員を率いて〝ジャヌー北壁〟の初登攀を成し遂げた男です。



59歳の時に、小銭を貯め憧れのヒマラヤを目指した時に、初めて見たヒマラヤ山脈。
機中から最初に見えるのが、右端の〝カンチェン・ジュンガ山塊。
ヒマラヤ山脈の東端にある8000m峰です。小西氏の著書を思い出してました・・・
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小西氏は、42歳の年(昭和55年)に、会友5名と医師1名の7名の少数精鋭で隊を組み、
世界3位の高峰である、カンチェン・ジュンガン(8586m)の北壁を、
無酸素での初登攀を目指します。

当時の日本の山岳界での8000m峰登山は、1億の費用で10から15人の隊を組み、
酸素を吸って数人が登頂したら、成功と言うレベルでした・・・
超人ラインホルト・メスナーが、酸素を吸って8千m峰を登るのは、
6千mの山を登るのと同じレベルだと言った事に触発され、無酸素での計画です。

三人寄れば山岳会と呼ばれた当時、〝壁の精鋭〟が集う〝山学同志会〟は、
毎年の様に死者を出しながらも、大学山岳部OB中心のJAC(日本山岳会)に対抗し、
登攀技術の練磨に励んだのです・・・


小西氏のこの本には、その辺の事が書かれてるし、
個々の隊員の性格・技量を把握し、メンバー組やタクティクスの組み方が、
実に良く書かれた本だと思う・・・隊員6名が登頂し・・・
氏は、山頂を目前にした約130m下で、命の危険を感じ下山の決意・・・

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本の図を基に、カンチェン・ジュンガ北壁の写真にルートを入れて見ました。
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無酸素に拘った小西氏だが、その後・・山登りは楽しく・・の信念で、
55歳で8千m峰初のダウラギリに有酸素ガイド登山で登頂、
56歳でシシャパンマを同登頂。
57歳のマナスル登山の際に、C3から酸素ボンベ1本を持ち単独でアタックし、
登頂後帰路の7800m付近で行方不明に・・・
なぜC4からのアタックでなく・片道分よりない酸素持参だったのかは今でも謎です。
惜しい登山家を亡くしました・・・

12月21日

冬季マッキンリーに単独登頂後(のちに山頂で旗発見)、
行方不明に為った植村氏ですが・・・

氏が、マッキンリーで遭難死した年に書かれた本。
著者の2名は朝日新聞の記者で、本田勝一はこの頃の山登りをしてた者なら、
誰もが知る硬派の〝冒険論者〟でした・・・

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冒頭に共著者の武田文男が、
植村直己を「南極のスコット」にするな と言う一文を載せてます。
どう言う意味なのか・・・

この本〝アムンゼンとスコット〟は、両者が同じ年に南極を目指した経緯・過程・
顛末が、時系列で詳しく書かれてます。
この本の中に、答えが有る様に思えます・・・
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話を戻しますが・・・

植村直己の冒険を考える では、前編「生前の植村直己をめぐって」
後編「遭難のあとに考える」の2部作で、新聞記者らしい取材で構成されてます。

特に後編では、

●遭難の一報が入った時点で、現地に飛び取材した、竹内 準記者の寄稿。

●明大山岳部OBでもあり、植村氏を日本人初のエベレスト登頂者にした、
 日本山岳会隊・大塚博美登攀隊長との対談。

●グリーンランド縦断の際に、学術調査を指導した、
 名大氷圏科学研究所長・樋口敬二の寄稿。

●極地装備(衣類等)の指導をした、武庫川女子大被服材料学教授・安田 武の寄稿。

●山岳界の重鎮 日本山岳会・西堀栄三郎との対談。

●何故か?商業ベースオンリーの三浦雄一郎との冒険談議。

●文化人類学者・梅棹忠夫と、堀江謙一(ヨット冒険家)との比較対談。

冒頭書いた様に、本田勝一を〝硬派の冒険論者〟と言ったが、
これらを読むと・・・植村氏の生涯を、垣間見た様な気がします・・・


真の冒険とは何ぞや〟・・・考えさせられる本です。


小生の中では、〝青春を山に賭けて〟の頃の、植村氏が全てです。
アマゾン源流からの6000キロ・手作り筏での河下り、
今だに誰もそれ以上の追従者なし・・・



12月17日

遅かった山の積雪も、八甲田で1.5m・八幡平で1mと、
何とか山スキーが出来る量に為ったが、連日天気が悪い・・・
なので読書三昧です・・・19日は秋田市まで〝雪崩講習会〟他で出掛けるが・・・





〝エベレスト登頂請負い業〟 村口徳行
この本は、高所登山を目指す方は必読です。
高度順応の仕方とタクティクス・行動表の組方を、判り易く書いてます。
(栗城もこれを読むか、氏に撮影隊に参加して貰ってたら、8戦全敗は防げたかも・・・)

村口氏は、日大体育会山岳部OBで山岳映像カメラマン。
エベレストには、北稜・南東稜から春・秋で7回登頂(有酸素)。
各登山隊の映像・タクティクス担当としての、参加が殆んどです。
(タクティクス=戦術。どのルートをどのような方法で登るかといった攻略の方針)
最近エベレスト専門?にガイド業で稼いでる、倉岡(9回登頂)・近藤(6回登頂)とは
一味も二味も違い、ネパールエージェントやシェルパ頭に丸投げせずに、
活動してる稀な登山家(本人は山岳映像カメラマンと言ってるが)です。
NHKグレートサミットの撮影隊にも参加し登頂してます。

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著書の中で面白いのは、
①ヒマラヤ山脈は、海底が隆起して出来たと言う、
 テレビ朝日の検証番組へ参加した時の話し。
 8300~8600mのイエローバンド層と、それより上のチョモランマ層には、
 海洋生物の化石が含まれてるはずだから、岩石採集する目的だったが、
 ここまで来たから、次いでに登頂してしまったという・・・

 帰国後に採集した岩石から、ウミユリ・ウミホタル・三葉虫の化石が発見され、
 エベレスト山頂付近は、4億8千万年前は〝渚〟だった事が証明されたと・・・
 

②野口健登山隊(1998・秋)の、撮影班として参加した時の話し。
 野口は前年に公募隊に参加し、エベレストを目指すも敗退・・・
 登山内容を聞き、その原因を当てる辺りは流石です。

 この時に、今回のタクティクス・行動表を見せてくれと野口に頼んだが、
 意味を理解出来てなかったし、行動表も作成して無かったと言う・・・
 前年の失敗から反省し、今回自分の隊を組んだのは良いが、山の事を知らないと、
 辛口の評論を述べてます・・・(あれっ 野口って〝アルピニスト〟だよね!!!)
 この時に野口は8300mで敗退しました。
 翌1999年春に、公募隊に参加し登頂。


話しが逸れました・・・タクティクス・行動表の話しに戻ります。


渡邊玉枝さんと言う登山家が居ます。
マッキンリー南壁ダイレクトルートを女性として初登攀。
その後8000m峰5座(6回)登頂、うち3座は〝五十歳からのヒマラヤ〟
の著者である石川富康氏と登頂。4座は村口徳行氏も同行登頂してます。


2002年春のエベレスト・渡邊玉枝 行動表 -線は計画 は実際
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高峰に登る為には、高度順応が必要です。
上図は村口氏が渡邊玉枝さんを、エベレストに登らせる為の、行動計画表です。
赤印がポイントです。図を拡大して見て下さい。


2004年春のローッエ・エベレスト 渡邊玉枝 行動表 -線は計画 は実際
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渡邊さんは、ローッエ登頂で腕に落石を受け、エベレストは断念しましたが、
村口氏はBC休養後にエベレスト登頂。渡邊さんは2012年に73歳で北稜から登頂。



2003年春のエベレスト・三浦雄一郎 行動表 -線は計画 は実際
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70歳の年齢を考慮し、サウスコル(7900m)で1泊・C5(8400m)で1泊すると言う、
計画変更をした事が成功の基であろう・・・勿論酸素は豊富に消費したが・・・
3回登頂した内の2回は、村口氏が組んだタクティクスで登頂。


これは極地法でのタクティクスだが、アルパインでも8千mを狙うなら、
当然7千m代での高度順応は必要。


この本の最終章には〝あなたが登る場合〟と称し、
ネパール側からとチベット側からの〝高度順応の仕方〟と、
二次アタックの仕方が書かれてます。

7千m・8千mを目指す方は是非参考に・・・




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〝単独行者 新・加藤文太郎伝〟 谷甲州


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下記 文献を参考に書いた山岳小説だが、まるで面白く無い、読まない方が良し。
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12月9日

朝からチラチラ降雪、やっと降り始めました・・・

今朝の秋田八幡平スキー場のライブ画像。
昨夕のHPでは、夜間に降雪が有ればリフトを廻すと・・・
-8℃・積雪40cmではねぇ・・・ターンしたら、石にガガガーーーです。
後一降りですねぇ~
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八甲田・酸ヶ湯のアメダスで3時に115cm、ここも後一降りです・・・

熊皮の処理も一段落したし、一日雪を眺めながら山岳本です。




〝五十歳からのヒマラヤ〟石川富康
この本は面白い、50歳過ぎてから8千m峰4座登頂した時の話しだ。
氏はその後もマナスル(同行の小西政継遭難死)、ガッシャーブルムⅡ、
2回目のエベレストに登り、更にその後は6大陸の高峰を登ったと言う、
ユニークな経歴の持ち主です。
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タイトルの五十歳から・・とは、中高年に為ってから山登りを始めたのでは無く、
下地が有っての話しですから・・・
登山記と言うよりは、山への考え方・人間模様が書かれた本です。





〝北壁の四十三日〟遠藤二郎
これは当時の泣く子も黙る、山学同志会のお話です。
社会人山岳会の実力派?は、アルプス3大北壁の覇権を目指し、
血眼に為ってた頃の記録です。

アイガー北壁を冬期に極地法で、しかもディレッテシマ(直登)で登る話しです。
1800mの壁に、延べ2300mのザイルをFIXし、キャンプを6ヶ所設置。
ユマールにぶら下がり、四十三日掛けて、6人全員が第2登に成功。
人工登攀が盛りの頃の話しです。

今年の春にエベレストを単独で登ろうとした、スイスのウィリー・シュテックは、
練習中にヌプッエ側壁から1000m滑落して死亡したが・・・
生前彼は、アイガー北壁を単独・ノーザイルで、2時間22分で登頂。
登り方は違えど、43日も掛る登り方と、サクッと2時間で・・・


この2冊を対比して読むと、面白いですねぇ~



方に、この冬初の除雪(約15cm)をしました・・・
この寒気団が去れば、愈々山スキーの始まりでーーーす。

年 11月20日過ぎには山は雪・・・今頃は、足慣らしに山スキーをしてるが・・
一向に積もる気配が無い・・・なので、〝熊皮〟の様子を見ながら読書三昧です。




先日の誕生日に〝凍〟を読み返し、新たな戦慄を覚え・・・

遭難本では、〝これだ!!〟と一説に言われてる、ミニヤコンカを再読したが、
今回読んでも、糞も面白く無い・・・市川山岳会の遠征記。
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難峰に7人で、極地法。隊員の技術レベルは、バラバラ・・・
最初から、遭難しに往った様なものである。(関係者が居たらご免ね)
天候判断・撤退のタイミング・・・多くは言わないが・・・
読んでない方は是非に、読んだら判ります・・・
ページは、半分の150ページも有れば良し、構成者が下手なのか???


口直しに、山野井氏を読み始めた・・・安定して〝引き込まれる〟・・・

〝山渓〟や〝岳人〟が物足らない方に、見て(読んで)欲しい本。

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今 話題の本です。
4月1日に、南八甲田へスキーに往き、帰ったらアマゾンから届いてました。
その夜に見ようと思ったものの、急遽 秋田駒へ往く事に為り、早寝・・・
昨日と今日で目を通しました~

著者は、宮城公博と言っても ??? の方が多いでしょうが・・・
2012年に、世界遺産の那智の滝 を登攀し、問題を起こした3人の中の発案者。

33歳の若手ですが、09年 ヒマラヤ・キャジョリ峰北西壁単独敗退
         12年 那智滝 逮捕敗退
         13年 立山・称名滝冬期初登攀、台湾チャーカンシー谷初遡行
            カラコルムK6西峰北西壁敗退
         14年 立山・ハンノキ滝冬期初登攀、台湾マホラシ谷初遡行
            タイ・46日間ジャングル初遡行
等の、沢・壁の初登に拘ってる、変わり者のクライマーです。
那智滝の事件で職を失い、日雇い労働と山岳誌に寄稿し、
年収約150万で13年・14年と果敢な山行をしています。

本屋で内容の確認もせず、一冊買う事で、彼に幾許かの収入になればと・・・
しかし、面白いのです。

彼の山に対する哲学の一端を紹介します。

①スポンサーロゴ入りの服を着て、登るのはダサい。
 自らを登山家・冒険家と名乗るのは、100%偽者。
 クライマーは、質素な暮らしの中で支出を減らし、プライドを持って山をやる。

②ヒマラヤやカラコルムの高峰もいいが、人跡未踏の沢や壁を探検する事は、
 それと同等かそれ以上の価値がある。
 このような登山を志向する者は少ないが、それをB級登山と呼んでいる。

③沢ヤ・山ヤの王道は、臭い・汚い・危険の3Kである。

上手く纏めれないが、①②③に違和感を感じない方は、是非見て(読んで)欲しい。
特に、タイのジャングル初遡行の話は、沢登りと言うよりは、探検・冒険の世界。
約300ページ・1600円+税 ですが、見て(読んで)価値あると思います。

普段、山雑誌など見る気(読む気)に為りませんが、文章も面白いし、久々の一冊。


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