

続報です。
阿部さんは出発から31日目の出来事として、FBに「食料補給地点を通過。(中略)僕もここで補給を受ける。(中略)決断をするのは楽ではなかった」と記した。最後に「雪の状況は飛躍的に変わるはずだ。絶対に行くんだ、南極点!」と綴った。
ベースキャンプなどから物資の補給を受ける場所。
阿部さんは食料などを積んだそりを引き、南極大陸の西沿岸から東へ約920キロ歩いた。世界で初めてエベレスト無酸素単独登山を達成したラインホルト・メスナーさん(イタリア)が1989年に南極横断時にたどった「メスナールート」と呼ばれるルートを進み、昨年11月23日の出発から55日目でゴールした。
東京・浅草で観光客相手の人力車夫として冒険の資金を稼ぎ、フェイスブック(FB)やツイッターで「夢を追う男」の名で冒険の計画を発信してきた青年が、また夢に一歩近付いた。阿部さんの次の目標は、にかほ市出身で日本初の南極探検家・白瀬矗(のぶ)中尉(1861~1946年)の最終到達点「大和雪原」を経由するルートでの南極点到達。「南極冒険日記最終稿」としたこの日のFBにこう記した。
この投稿を南極終了前の最後の投稿としてます。
https://www.jinriki-support.com/
-30℃の低温
40日間の孤独 (実働40日?・予備日は何日か?)
日本人初ルート
360°雪の地平線が続く世界
100kgのソリを1日10時間引く苦行
南極特有のカタバ風という強烈な向かい風
標高2850mの南極点までのひたすらの上り坂
単独無補給スタイルでは今ルートの達成者は世界で2人のみ (メスナー隊)
ですが、今までの実績と体力があれば必ずや達成できると確信しています。
南極飛行機会社に全装備品の引き渡し、最終ミーティングも終え、
12月29日36歳の誕生日に南極点到達を目指します。
全ての皆様。有難うございます。愛してるよ!
おれはやるぞ。
怖いからこそ立ち向かうんだ。
南極点に立った男になって帰ってきます。
午後にメスナールートスタート地に向け、
体調は万全。停滞中も毎日二時間のトレーニングを欠かしませんでした。
メスナールートからのスタートで、
南極大陸海岸線から110キロのソリを引いて歩き始めました。
気温は体感-23℃、僕にとっては快適です。
360度雪の地平線に取り残された時は一抹の不安を感じましたが、
とりあえず自分を勇気づけるために、好きなアイドルグループのでんぱ組の音楽を聞いています。
少しずつ行動時間を伸ばしていきます。
ソリが重い。新雪が積もったせいか、斜め前方から風速10mで吹く南極カタバ風か、僕が疲れているのか。
ソリがつっかえてシールを履いたスキーが逆滑りすることすらある。
渾身の力で数十歩あるき、歩いては休むの繰り返し。
予定では11日目から20㎞を歩くつもりだったが全く消化できない。
時速1.5㎞しか出てない。
スタート時よりも速度が落ちている。
予定をこなせないと苛立ちが募る。
独りの世界では誰も慰めてはくれない。
少しずつ雪の状況がよくなり距離が戻り始めた。
行動時間も1時間増やしている。
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(通信状況により文章が途切れています。事務局解釈で以下参考)
ただ、食料が足りない。「補給できるポイントもあるので、そこで補給するか」というベースキャンプからの打診があった。
「そこには多くの食料を備蓄してある。君が望むなら補給できる」と。
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積雪の影響でとても遅れている。補給さえできれば余裕を持って南極点に行ける。
時間さえあれば行けるのだから。だが、無補給ではなくなる。
それだけでなく、補給のための費用は少なくても数千万。
僕の残りの人生は借金返済で終わるだろう。
冒険の夢も果てるかもしれない。
南極に行った後の白瀬中尉の人生が浮かぶ。
南極後の彼は死ぬ間際まで南極の借金返済をしていた。
僕も同じ人生を辿るのか。
大きすぎる決断を僕は余儀なくさせている。

31日目、食料補給地点を通過。一般的にここで補給を受ける。
僕もここで補給を受けることにした。
追加の食糧をとろうとする手が震える。
この決断をするのは楽ではなかった。
予想外の天気で遅れたとはいえ、無補給でなくなるのが堪らなく悔しい。
この冒険を実現するために影でどれだけ悩み苦しみ葛藤してきたか。
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(通信状況により文章が途切れています。事務局解釈で以下参考)
神様がいるなら、こんなに努力している僕を見捨てるはずはない。
僕が無補給に意固地になるのは、叶わない夢を貫くためではない。
だから通常は到達できる。
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ただ以前のようなドカ雪が来たらアウト。
それに今回は距離の伸びが異常に悪い。
僕が何をすべきかと考えていた。
今回の冒険の本来の目的は日本人初のルートで南極点に到達し、
くやしさに囚われると自分を見失う。
いま自分が何をすべきか考えろ。
未来のためにすべき決断がある。
ここからはノーマルルートに合流する。
雪の状況は飛躍的に変わるはずだ。
絶対に行くんだ、南極点!
凍った食べ物を行動中は食べるからか歯が欠けた。
つくづくこの生き方は身体に良くない(笑)
異常な積雪のせいで随分長くかかったものだ。
南極点は目の前。
情報では冒険家たちの過半数が途中リタイアしたそうだ。
南極冒険をセルフガイドでやるには審査があり半端な実力者は挑むことすら出来ない。
だから選りすぐりが集まり、通常は完走者が多い。
なんとも異常な年に当たってしまった。
僕はしぶとく粘った。
今は悪天候にも感謝している。
簡単に南極点に辿り着けたらつまらない。
苦労するから価値があるのだ。
僕の冒険は、有名になるためや名誉のためじゃない。
もっと自分が成長するためだ。
だから苦労するだけいいのだ。
神様は僕にもっと強くなれるようにと試練を与えたのだろう。
南極点まで、あと40km。
1月15日~1月16日。54、55日目。距離22+18㎞。標高2850m。
南極点までの総踏破距離918㎞。
南極点にあるアメリカの観測基地だ。
永遠に思えた孤独の時間も終わる。
早くたどり着きたいが、疲れきった身体は重くスピードは伸びない。
黒い点が大きくなり、はっきりと建物と認識できるようになる。
南極点そばにある民間キャンプを過ぎて1㎞行くと、南極点のモニュメントがある。
目頭が熱くなる。今は泣いちゃダメだ。
嬉し泣きするのは白瀬ルート達成後まで我慢すると決めている。
今まさに世界の果てにいるのだ。
キャンプに戻ると、在スタッフが「アメリカ基地の見学に行けますけど行きますよね?」と聞いてきたが断る。
「なぜ?こんなチャンスは人生で2度とありませんよ」と言うので、こう答える。
「おれに限っては2度目があるさ。白瀬ルートを成し遂げて、この南極点に帰ってくるんだから。」
さぁ、僕の国に帰ろう。

僕は決して元から強い人間ではなく身体が弱く運動もできない少年でした。
こんな僕に関わって下さる全ての皆様に有難うございます。
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冒険や探検でも、それは言える事では無いのか・・・
厳しい言い方だが、単独無補給と単独有補給では、その価値がまるで違うのだ・・・