今日は発掘調査が休みで、PCで遊んでたら、竹内氏の記事を見つけました。
〝未踏峰〟この3文字は、山登りを始めてからずーーっと憧れ~
この歳になっても、何と心躍る文字でしょうか~~
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記事を要約すると、
竹内氏がこの山の存在を知り調べるも、
北面から無許可で登頂を試みた者(ポーランド人)が居た以外は不明だったそう・・・
ネパール政府の登山解禁310座のリストに無く、当然登れない山です。
観光局が、新規に未踏峰を解禁する噂の中に含まれるのかも判明せず・・・
2014年の2月に偵察山行をしたとか・・・
2014年5月に観光局が、新たに104座の解禁を発表。
その中に マランフラン6573m が在り、即登山許可を取得したとか・・・
2014年10月にマナスル登頂後で、高度順応も出来てるし・・と向かった。
4900mにBC 5200mにABC 5400mにC1設置。
ワンビバーク覚悟でアタックするも、5900mで時間切れ撤退・・・
竹内氏は、次回はタクティクスを組み立て直し、更にHCを設置して挑むと・・・
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これを読んで思った・・・
あの竹内氏が、未踏峰で情報無しとは言え、
たかが6600でこんなに手古摺るものかと・・・
BC→ABC間が300m、ABC→C1間が200mより有りません、
キャンプ間が標高差で、200とか300なんて信じられません・・・
次回は、更にHCまで設置して登るとは・・・・
未踏峰ゆえ、資料が無く登攀ルートやキャンプ位置に大変苦労したのは判ります。
戦後の大学山学部や、高度成長期の社会人山岳会が、
ヒマラヤ未踏峰を目指し、偵察・試登を繰り返し、敗退⇒栄光を掴んだものです。
彼は今、それをしようとしています。
彼は、そんな時代を思い、今自分がしてるのは〝探検ごっこ〟と表現してます。
巨峰14座完登者と言えども、既存ルートからの登頂が13座。
何処がどう為ってるか? 資料が全て有るのです・・・
そんな意味で、14座完登を余り評価してませんでした・・・(無酸素登頂は評価)
寧ろ、山野井氏の山行スタイルを評価してます。
山嶽部時代を思い出しました・・・・
当時、槍・穂高は長野県側からの記録が多く、
岐阜県側からの記録が少なかったのです。
そこで、飛騨側研究を・・・と、リーダー会で決定。
降雪までに偵察山行を終え、キャンプ予定地・FIXザイルの量を決めて、
冬山・春山の合宿を組んだものです・・・
3000mとは言え、知らないルートから一気に登るのは難しいです。
在部期間に、全ての飛騨側(西穂西尾根から槍西鎌尾根間)からの、
登山は出来ませんでしたが、心躍る思いが有りました・・・
この マランフラン6573m が気になり調べました。
●マカルー・バルン国立公園エリア内に在る
●アマダブラムから見える
この2点の情報で、マカルーやバルンッエの傍に在ると思い込み、
ネパール政府発行の1/5万地形図で調べましたが、見当たらず・・・
諦めかけて、アマダブラム周辺を見たら、何と真南5キロに在りました・・・
マランフランから更に、
11キロ南下すると、2010年秋に登ったメラ中央峰が・・・・

カンティガやキャシャールの鋭鋒も西に在ります。
2010年秋にメラ中央峰を登った時、
アマダブラムやエベレスト方向(北側)撮った写真が有るはず・・・
探すと、三枚有りました~~画面左に、三角峰が3座映ってます。
これの右側の白い三角峰が、2本の氷河の位置からしても、
地図上の マランフラン6573m に違い有りません。
アプローチは、メラBCのカーレ手前から、
左側の谷に入り氷河湖の有るモレーン帯(画像・褐色の谷)を進み、
右のハンク・シャール氷河に入る。
左からの降りる2本の氷河を巻いた処が、BCと思われます。
以後、この岩稜(地形図に赤線)を登攀して登頂かと・・・
赤丸印が、マランフラン 赤ラインを試登。

2010年秋にカーレBC(5100m)から撮った、マランフラン峰↓

メラ峰ハイキャンプ(5,700m)から撮ったマランフラン峰
↓

彼の撮った マランフランの画像です。
左の岩稜を5900m(雪稜の手前の小ピーク)まで登って、後700m残して撤退、
彼は、この岩稜を剣岳のようだと表現しています・・・八ッ峰でしょうか・・・

試登した岩稜ライン
この秋にも再挑戦するかも知れません、ワクワクしながら吉報を待ちたいと思ってます。
追記 10月4日
竹内氏のHPでは、次回挑戦時期は未定と為ってます。
アプローチが比較的いいし、氏の試登情報も流れ、必要装備の目安が立つので、
来春には誰かに登られそうな感じがします。
追記 11月16日
マランフランの記事にアクセスが多いので、判り易い様に画像に赤ラインを入れました。