海彦・山彦の白秋日記

【森吉山・樹氷原残照】 この画像には、拘りが有る。大寒スキー登山で、避難小屋泊で撮ったもの。右後方からの落日が、山頂を照らしてる。手前左の青森ドド松。 撮影前は、夕日を浴びて、後方の樹氷と同化していた。徐々に夕日が下がると・・・先端だけが輝いた瞬間を撮った。

2016年09月

栗城ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

今日から再び向かっていきます。
三度目のABC発では???
今日は、エベレスト上部でも相当強い風が吹いています。
上部はそうでも、ABCは画像を見る限り、旗がパタパタでしたね。
2日後に6100mに着く頃には、天気予報によると穏やかになりそうだが・・・
今はとにかく集中しており、言葉があまり出てきません。
小生も、日々の行動に、開いた口が塞がりません・・・
自分と山に素直になって、深く呼吸をしていきます。
登る自信が無いなら、辞めるべき。山の先輩も言ってるでしょう~


。。。。。。。。。。。。。。。


栗城エベレストを、日本の山に例えて説明します。(多少無理が有るが、周知の山で)

高度(標高)を別にして、奥穂高岳に例えて説明すると判り易いでしょう・・・
BCが上高地、ABCが横尾、5800mが本谷分岐、北壁の下6100mが涸沢、北壁を奥穂沢かアズキ沢にしましょう。
奥穂を登りに往って、横尾と涸沢の間をウロウロしてます。原因は天気だそうです。

ABC→5800m間(横尾から本谷分岐)は、標高差200m・氷河の縁を、
4~5キロ 半日掛けて歩きます。
装備は、防水の効いた登山靴・アウターはゴア合羽か厚手フリースで充分です。
天気予報を見る限り、歩いてれば寒く無いし・アイゼンピッケルも必要無し。
但し、モレーン(氷河が運んだ石ころ)の上を歩くので、足元注意です。

翌日は5800mから6100mまで(本谷分岐から涸沢まで)、
標高差300m・氷河の縁を、4~5キロ 半日掛けて歩きます。
装備は、冬用アウター上下・厚手手袋程度でOKです。
後半は雪の積もった氷河の上を歩くので、不安で有ればアイゼンを。
やっと涸沢に到着です。

ここ6100mまでは、北アで使う冬山装備で充分通用します。
ここ(涸沢)にキャンプを設け、天候待ちをし・奥穂が見えるなら、
高所靴とダウン上下に着替えアタックです。

天気が悪くて進めず、ABCまで戻りウロウロ・・・晴れそうと言って出発して、
また戻ってウロウロです。実に時間の無駄です。
ガスで見えないと進めないらしいが、横尾から涸沢程度の処は、
ルート旗を設置してれば、ガスが濃くても迷う心配なしです。
普通、日本の冬山でも往復登山の場合は、皆さん遣ってる事です。
(ちょっと飛躍し過ぎて判り辛いか?)

今回の中央ロンブク氷河6千m辺りまでは、冬用衣類・寝袋が有って、
ラサ(3600m)からBC(5200m)とBCから6000mの高度順応を正しく行なえば、
心肺疾患の無い人なら誰でも登れます。その程度のトレックコース。
その先が超難関なのです、言わばチベット側エベレストはここから始まります。
(ネパール側エベレストは、アイスフォール手前から。BCは既に観光地です。)

。。。。。。。。。。。。。。。


キリアン達は、6000mにBCを設置し、
3週間北壁のチャンスを伺いましたが時間切れ敗退。
キリアンは今頃、下の天気予報を見て、もう2週間分の食料・燃料が有ったらと、
悔しい思いをしてると推察・・・

栗城も(下の行動一覧参照)ABCでの停滞日を利用し、
少しでも多くの食料・燃料を6100mに荷上げして置けば、
ワザワザABCまで戻る必要無しだし、
2日掛けて6100mに登り返す必要も無しです。(小生ならそうしますが・・・)

栗城は、単独登頂の意味を、下から通して登らないと駄目と思ってるのか、
矢鱈にBCなりABCから出発したがります。
体力・脚力のあるクライマーは別として、
6100m(C2に為ったらしいが)から出発た方が、
体力的にも時間的にも楽なはずです。
若干高度の問題も感じますが、〝低圧酸素室〟で、
過去に無い仕上がりだった様なので、大丈夫でしょうし、 
キリアン達に出来て(6000mでの滞在3週間)栗城に出来ないはずが無い。

入山以降の栗城の行動です。
遅々として高高度に到達出来ず、何とABCでの停滞が多い事か・・・

9月3日  車で、5100mに入りBC設置
9月4日  BCで停滞(高度障害で、スタッフをティンリに降ろす)
9月5日  ヤクで荷を運び、5600mにABC設置(予定の6000mには設置出来ず)
9月6日  ABCで停滞
9月7日  ABCでプジャ
9月8日  ABCで停滞(ガスで見えないそうです)
9月9日  ABCで停滞
9月10日 ABCで停滞
9月11日 ABCで停滞
9月12日 順応の為、ABC5600m→5800mで一泊。(半日歩いて200m登る)
9月13日 順応ルートの西稜・北尾根を止め、6100mでキャンプ(半日で300m)
9月14日 6100mで停滞(降雪が有った為)
9月15日 6100mから北壁の6500m地点に登り、熱が有るとABCに撤退。
9月16日 ABCで停滞(熱は下がったと言うが・・)
9月17日 ABCで停滞
9月18日 ABCで停滞
9月19日 ABC→5800m→ABC(雪が降り始めたと、ABCに戻る)
9月20日 ABCで停滞
9月21日 ABCで停滞
9月22日 ABCで停滞
9月23日 ABC→5800m
9月24日 5800mで停滞か?

長く為りましたが、この先の天気予報です。
6000mと7000mの、10月2日までの予報です。
25日を境に好天が続きます、風はそよ風・降雪も減少・体感温度も冬山程度。
8000m・山頂付近は記載しませんが、エベレストでは稀な好条件です。
イメージ 1

今のこのチャンスを逃すと、このような安定した好天は望めないかも・・・
なので、この天気でも登れず、敗因を雪が・・天気が・・風が・・とは言えない。
体力・氷雪登攀技術の欠如以外に敗因なしです。

ここ数日、ジックリです。




栗城が公式ブログを更新しました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

スポットが動いてないので、今日も5800m(C1)で停滞かと思ってたが、
6100mへ上がったようです。

今朝、7000m近くのキャンプ3に向かって出発しましたが、朝から暴風と雪でホワイトアウトしていて何も見えず、今日は壁の取り付き近くでステイしました。
ホワイトアウトと言って、画像を添付してるが、ただのガス・・・
氷河がハッキリ写ってるではないか・・・添付画像が白一色=ホワイトアウト。
おいおいそれに、今朝は5800mのC1から出発したはず。
6100mのC2で、15日(薇熱が有るとABCに戻った日)に残置したテント・寝袋他を、回収して通過したと言う事に為る。
何故なら、19日に雪が降ったとABCに即刻戻った時に、公開したザック画像に、
テント・寝袋他が入ってたとは思えぬ嵩(量)。
又、23日朝ABCを出る動画の後姿(ザック)を見ても、
それらが入ってる嵩(量)とは思えない・・なので、6100mに全て残置したと判断。
もしかして、シェルパに荷下げさせて・また荷上げも・・・〝単独〟だったよね。

栗城の脚では、朝5800mを出発し、6100m(C2)に到着が昼前、
荷を纏めC3に向かうのは、午後に為るはず・・・・ちょっと変ですねぇ~~
7000m近くのC3 では無く、6800mがC3です。(22日に画像で公開済み)

こんな天候で、C3に向かうとは・・・考えられない・・・
壁の取り付きで停滞してるとは、
C2と思って良いのか・・C2より壁寄りなら雪崩れの心配有り。

天気予報では今日は晴れる予定でしたが、なかなか天気が難しいです。
今もテントの外は強い風と雪で、真っ白です。様子を見て、また明日から向かいたいと思います。
26日からは、天気も治まる模様。高額な気象データ買ってるから参考にしたら・・・

ただ、エベレスト方面からは雪崩が起きる音が時折聞こえてくるので、この雪がどれ位積もるかによっては、雪崩を避けてもう1日ステイするかもしれません。
安全にどーぞ。
慎重に見極めます。
エビフライが食べたい。。。
日清「ラ王」と、グリコ「駄菓子」で充分。


★栗城公式HPの【日程】が、登頂日22日のままで変更されてない・・・
 余程、削除に忙しいのか?

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明日は、突然 八幡平山系の三っ石岳へ 日帰り紅葉見物に誘われたので、
ブログ更新は無理かも・・・山を歩くのは6月以来だーーー





栗城公式ブログが、更新されません。

9月24日付けで〝ホワイトアウト〟と称し、ガスの氷河画像が一枚添付。
氷河や山が見えて、ホワイトアウトだそうです。
登る気が無いなら、お約束の〝冒険の共有〟ブログでも書けば良いのですか、
25日.26日と沈黙を守ってます・・・


栗城公式HPのスケジュールも、ご覧の通り12日以降変更されてません。
又、チベットBCも4500mのまま訂正されず、5200mですよ~~管理人さん。

【2016年 栗城エベレスト遠征スケジュール(予定)】
 
 8月26日 日本出発
 8月27日 ネパール首都カトマンズ入り
 8月31日 チベット入り
 9月 3日 チベットBC入り(4500m)
 9月 5日 エベレストABC入り(6000m)
 9月 9日 プジャ(安全祈願)
 9月12日 高所順応開始
 9月22日 登頂予定     (9月12日現在)


BC入り以降の行動実績です。(当ブログで前に記載したものに加筆)

9月3日  車で、5100mに入りBC設置
9月4日  BCで停滞(高度障害で、スタッフをティンリに降ろす)
9月5日  ヤクで荷を運び、5600mにABC設置(予定の6000mには設置出来ず)
9月6日  ABCで停滞
9月7日  ABCでプジャ
9月8日  ABCで停滞(ガスで見えないそうです)
9月9日  ABCで停滞
月10日 ABCで停滞
9月11日 ABCで停滞
9月12日 順応の為、ABC5600m→5800mで一泊。(半日歩いて200m登る)
9月13日 順応ルートの西稜・北尾根を止め、6100mでキャンプ(半日で300m)
9月14日 6100mで停滞(降雪が有った為)
9月15日 6100mから北壁の6500m地点に登り、熱が有るとABCに撤退。
9月16日 ABCで停滞(熱は下がったと言うが・・)
9月17日 ABCで停滞
9月18日 ABCで停滞
9月19日 ABC→5800m→ABC(雪が降り始めたと、ABCに戻る)
9月20日 ABCで停滞
9月21日 ABCで停滞
9月22日 ABCで停滞
9月23日 ABC→5800m
9月24日 5800m→壁の下(6100mのC2とは記載せず)
9月25日 壁の下で停滞
9月26日 壁の下からABCへ撤退
9月27日 ABCで停滞
9月28日 天気が良ければ、また上に上がる、と・・・・言ってます。


栗城公式ブログのコメント欄に、色々書かれても、以前の様に削除もせず、
放置状態です。日程の変更無しの件・削除無しの件、事務局もヤル気無しか・・・



26日に放映された、イモトの〝アイガー北東稜〟登頂番組の、
反響がショックなのか?       (画像はイモトが登攀した、アイガー北東稜)
イメージ 1

番組を見て思った事
北東稜をヘリから映してたが、このルートを約100年前に、
槇有恒が初登攀に成功してたのです。 (当時の登山スタイル、背の低いのが槇有恒)
イメージ 2
命綱は当時麻縄、同じ長さなら今のザイル3倍重いし、太さも3倍、強度は1/2。
登山靴は当時皮底に、滑り止めの鋲を打った物。
ピッケルは当時1Kg以上で長さも約1m。服装も厚手ジャケットにニッカーボッカー。
こんな装備で登攀したとは・・・・


登攀したイモトが凄い。(勿論、ガイドとの一対一でのスタカット式では有るが・・)
同行スタッフの中に、過去栗城の遠征に関係した者が数名居た。
ま~商売(仕事)とは言え、若干節操の無さを感じたのは小生だけか・・・

指の無い栗城には、岩稜登攀の重要な要素の〝ジャミング〟が出来ないので、
こんなルートは登れません。指先から血が吹きます・・・(山野井夫妻は別格です。)


さて、栗城はいつ動くのでしょうか・・・・快晴・無風など今の季節には望めない。



追記
おっと、栗城公式ブログが、更新されました。(黒字は栗城公式ブログ、青字は私見)

この3日間、好天を待っていましたが、モンスーンによる降雪が非常に多く、今日も不安定な天気で雪が降り始め、エベレストの北面にはたくさんの雪が張り付いています。
今は降り積もった雪で雪崩になる危険性が高く、雪が安定するのをまだ待つ必要があるので、これから一旦アドバンス・ベースキャンプ(ABC)に戻ります。
3回目のABCへの撤退です。

明日、一日レストして壁に張り付いた雪が安定するのを待ち、天候を見ながら明後日にはまた出発できればと思います。
明日27日は、ABCで停滞し、28日にまた上がると言う・・・
何の為にABC(5600m)に下山するのか・・・・天気待ち???
では、当初予定の6000mにABCを設置出来てたら、5200mのBCまで降ると言う事?

なかなか登らせてもらえませんが、準備を整えて集中力を切らさず、山と自分に素直な気持ちで向き合っていきます。
6100mのC2と5600mのABC間を、行ったり来たりの〝単独・珍道中〟ですね。




 2016年09月28日

26日に天候が悪いと、壁の下(多分6100m・C2)から、ABCに戻って居たが、
27日に公式ブログを更新(動画添付) (黒字は栗城ブログより青字は私見)

今日ようやく雪が止んで晴れたので、アドバンス・ベースキャンプ(ABC)の近くで動画を撮影しました。
明日は予報では天気が安定しているようなので、再びABCを出発してエベレストに向かいたいと思います!

以上の短い記載より有りません。
明日(28日)は、4回目のABCからの出発と言う。
9月上旬にBC入りして以来、最高到達点は6500mで、6100mと5600mABC間を、
4回も往復してるだけの状態です。

直近の行動です。

9月23日 ABC→5800m
9月24日 5800m→壁の下(6100mのC2とは記載せず)
9月25日 壁の下で停滞
9月26日 壁の下からABCへ撤退

23日に晴れたと言い、上部に向かいましたが、
中一泊(5800m)しないとC2に辿り着けない体力。
壁の下(6100m・C2)とABC(5600m)間の距離は、
約5キロ・標高差は500mより有りません。
エベレストを目指すような人は、半日掛からず登れる距離です。
如何に、モレーン(氷河堆積物)や、氷河沿いが歩き難いと言っても、鈍亀状態です。
25日一日停滞しただけで、翌日26日にはABCに降りて来る始末です。

動画では、荒天と食料などの理由で、戻って来たと言ってるが、
3日分程度の食料を持って、壁の下(6100m)に往き、その先の山頂を目指すの???
仮に順調にC3(6800m)→C4(8000m)→山頂→C4かC3泊と、
行動出来たとしても途中で食料が尽きるし、予備の食料は必須です。
メスナーが北稜からグレートを登攀した時は、
ABC(6500m)から一週間分の食料・燃料を用意し、
18キロのザックを背負い出発しました。  何か甘過ぎませんか? 栗城・・・


それと、今日(27日)ようやく晴れたと言ってABCでの動画撮影、
明日(28日)は出発だと・・・
何か可笑しくありません? 晴れたら出発でしようよ~ しかも一日延ばして・・・
壁の下(6100m)に着くのに2日掛かったら、又天気が崩れるかも・・・

天気予報はどうでしょうか・・・
イメージ 1

イメージ 2

6000mも7000mも、微風・体感温度共に問題なしです。
多少降雪は有るが、今の季節を選択したのは栗城自身、既に織り込み済みのはず。
好条件が続きます、これで登れないなら、エベレストは今後も無理でしょう・・・・

最後に、スタッフ脱落とは、松田と言う自称フリーライターと思われる。
BC入りした日も高山病で一時リタイア・ABCに上がっても駄目・・・
ド素人のメンバー選定ミス以外なし・・・
イモト・アイガーに人手取られた影響か? ギャラ安くて断わられた?





栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

今日はキャンプ2まで来ました。朝のうち晴れていましたが午後から暴風雪になり、毎日モンスーンによる雪との攻防戦です。
やはり壁には、取り付けなかったようですね。

キャンプ2にも大量の積雪がありますが、この上はさらに雪が深く、まだ雪崩が起きそうな不安定な雪が積もっています
添付動画を見た限りでは、見通しも良く、そこそこの積雪量もあり、大変そうです。
でも、あれだけのデブリに向かって登る姿を見て、
馬鹿か? と思う小生は、馬鹿でしょうか・・・

これから、この雪とどう友達になるか考えます。
ウロウロしてると、雪崩れの餌食になりますよ~
速攻で攻めるか! 雪崩れがある程度落ちてからでしょうが、
今までの歩速から見ても、速攻は無理、素直に敗退宣言しては如何でしょうか・・・
上部から、大きいのが一発来たら、その谷 埋め尽くしますよ~
カラ元気風を吹かせない事が、延命に繋がります。

さて、明日の行動が気に為りますね~~



追記
今日(9月29日付け)の栗城公式HPで、日程の変更が有りました。

【2016年 栗城エベレスト遠征スケジュール(予定)】
 
 8月26日 日本出発
 8月27日 ネパール首都カトマンズ入り
 8月31日 チベット入り
 9月 3日 チベットBC入り(4500m)
 9月 5日 エベレストABC入り(6000m)
 9月 9日 プジャ(安全祈願)
 9月12日 高所順応開始
 10月上旬 登頂予定

登頂予定日が9月22日から、やっと10月上旬に変更です。
まだ、登る気が有るようです~ 面白く為りますね。
しかし、スケジュールの、BC4500m もABC6000mも変更無し、杜撰の極み。
               5200             5600



栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

今朝再びアドバンス・ベースキャンプ(ABC)を出発して、標高5800mまで上がって来ました。
相変わらず、1日で標高差200mより登ってません。
朝からまた雪が降っていますが、あまり降り積もる感じはないので、明日天気が回復したら壁を登りたいと思っています。
壁の事は、6100mのC2に着いてからの話です・・・


遅々として進めない栗城・進まない栗城 どちらでしょう? 降雪が理由の様ですが~

今までの行動を辿って見ます・・・
イメージ 1
上の図を参照に読んで下さい。(栗城が公開した画像に、加筆してます。)

ABCを5600mに設置。当初は6000mの予定でしたが、ヤクが進めないとの理由。

5800mにC1設置。画像他の中継基地との位置づけが、何時の間にやらC1です。
ABCより200m高い位置で、歩いて約3時間の距離

この5800mの基地をBCにして緑線の西稜・北尾根(栗城流ロー・ラ・フェイス)で、
高度順応を考えてたが、雪崩れそうとだと諦める。(氷河を渡る自信が無かった)
このC1位置を割り出したのは、下記GPSデータ(栗城が公開)を基にポイントから。
イメージ 2
C1東側の氷河の形が、鳥瞰図と同一です。(画像の上が北です。)

6100mにC2設置。C1より300m高い位置で、歩いて約4時間半の距離。
最近では、このC2を〝壁の下〟と呼び、標高は示されず・・・


では、壁の下付近の詳細です。
黄線が当初登頂目標の、グレート・クーロワール(別名ノートン・クーロワール)。
これが雪の状態が悪いと諦めて、(本当は、キリアン隊が居て、遠慮したと思う・・)
隣りの赤線ホーンバイン・クーロワール(別名ホルバイン)にルートを変更。
緑線は、高度順応に使用を諦めたルート。      (栗城が公開した画像に加筆)
イメージ 3
6500m付近まで1回試登して、微熱が有ると下山。
以来、ABC⇔C1⇔C2(壁の下)の往復で、日々を費やしてます。

では、〝壁の上〟の予定を見てみます。       (栗城が公開した画像に加筆)
イメージ 4
氷河上の6100mC2(壁の下)から、C3の位置を6800mに設定してます。
今までの経緯から、標高差700mを、最低3日分の食料・燃料を背負って登れるか?
更に、C4予定地までの標高差1200mを、1日で登りきれるのか?
更に、C4から山頂までの標高差848mを、登り戻って来れるのか?
(今までに、5600mABCから6100mC2への、標高差500mを2日掛りで到着。)

。。。。。。。。。。。。。。。

超人メスナーが1980年に、このルートの上半を〝無酸素・単独〟で初登頂。
8220mのC2から、山頂を往復して戻った時は、夜でした。緑ルート
東隣りの、東ロンブク氷河6500mにABCを置き、
7800mC1・8220mにC2を設置し、ABC出発後3日で登頂し4日目にABC着です。

栗城は、2009年にメスナールートの第2登を目指したものの、
ノース・コルC1(7000m)に自力で登れず、シェルパにルート工作させても、
C2(栗城のC2)上で、それ以上登れず敗退。

チベット側から登ると発表した時は、誰もがこのルートの再チャレンジと思ったが、
カトマンズでグレート・クーロワール末端赤ルートからと発表。
困難さは、メスナールートの比ではなく、小生も「えぇッーッ」と思った程です。

同ルートでの再チャレンジでは、〝集金〟出来ないと思った栗城は、
身の丈以上の難ルートを選択する事で、
スポンサーから3000万、栗城フリーク分を併せて5200万の〝集金〟に成功。
こんな、今に至る経緯が有ると思います。

。。。。。。。。。。。。。。。

栗城に、朝から夜まで行動出来る体力が有るとは、
今までの行動パターンから見て、思えません・・・寧ろ絶対無理。


今夜、ブログの更新が有ると思うが、何処まで登れたのか・・・必見です。





30日付けの、栗城公式ブログが更新されてません。
更新が無いと言う事は、動きが無いのでしょう~
天気は良いはずですが、積雪量が多く登れない? 雪崩れが怖くて登れない?
ラッセルが苦手の栗城らしいし、そんな時季の登山を選択したのも栗城。

BC入り以降の行動実績です。(当ブログで前に記載したものに加筆)
如何に停滞日の多い事か・・・・登る気が無いと思わても、仕方が無い状況です。

9月3日  車で、5100mに入りBC設置
9月4日  BCで停滞(高度障害で、スタッフをティンリに降ろす)
9月5日  ヤクで荷を運び、5600mにABC設置(予定の6000mには設置出来ず)
9月6日  ABCで停滞
9月7日  ABCでプジャ
9月8日  ABCで停滞(ガスで見えないそうです)
9月9日  ABCで停滞
9月10日 ABCで停滞
9月11日 ABCで停滞
9月12日 順応の為、ABC5600m→5800mで一泊。(半日歩いて200m登る)
9月13日 順応ルートの西稜・北尾根を諦め、6100mでキャンプ(半日で300m)
9月14日 6100mで停滞(降雪が有った為)
9月15日 6100mからホルバインの6500m地点に登り、微熱でABCに撤退。
9月16日 ABCで停滞(熱は下がったと言うが・・)
9月17日 ABCで停滞
9月18日 ABCで停滞
9月19日 ABC→5800m→ABC(雪が降り始めたと、ABCに戻る)
9月20日 ABCで停滞
9月21日 ABCで停滞
9月22日 ABCで停滞
9月23日 ABC→5800m
9月24日 5800m→壁の下(6100mのC2とは記載せず)
9月25日 C2で停滞
9月26日 壁の下からABCへ撤退(降雪の為)
9月27日 ABCで停滞(晴れたが動画撮影・スタッフ1名脱落)
9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
9月30日 C2で停滞か? ブログ更新なし

登頂予定日が、10月上旬に変更されたので、そろそろ終盤戦ですが・・・
ここ一週間位が勝負だと思います。



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エベレスト動画


栗城を見てると、本当の山登りが見えません・・・
エベレスト登山がどんなものかを、ご覧下さい。
ルートは、中国側の北稜からの登頂動画です。一番簡単と言われてるルートです。
約1時間の動画ですが、今年の春の最新版です。
盛大なプジャの様子も記録されてますし、核心部の梯子通過の映像も。





栗城公式ブログが、夜遅く更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

30日のブログ更新が無いので、30日はC2で停滞してた事に為ります。

9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
月30日 C2で停滞


今日は、標高6700m地点まで上がってきました。
ブルーアイスが出てきていて雪もまだ不安定で、ほとんどかかとが浮いた状態で登りました。(以下割愛)

6700mまで登ったと言ってますが、唯一それを証明するGPSが作動してません。
なので、(栗城の場合は)信憑性を疑わずには、居られません。

上がってきました。 と、言ってる意味は・・・
6700mに上がって、帰って来たと解釈されますが・・どうでしょう?
それとも、6700mでキャンプしてるのか?

ブルーアイスが在ると言う事は、急斜面で降った雪が積もれず、
常にチリ雪崩れで磨かれた斜面、と言う事に為ります。

かかとが浮いた状態での登りの様ですが、
12本爪アイゼンの、フロントポイント(前4本を刺して登る)で登る場合と、
前8本が雪面を捉えて登る場合が考えられます。
普通、フロントポイントでの登りは、脹脛の筋肉が疲労し、1時間と持ちません。
急斜面を一時的に通過するとか、コマメに足場をカッティングして、
足位置を決めで脹脛を休めないと、継続しての登山は無理です。(脹脛痙攣)


画像を検証して見ます。
以下は、ブログに添付された2枚の画像です。
イメージ 1
1枚目、赤印が栗城と言ってますが・・・
周囲の岩に、薄っすらと雪が積もった程度、とても壁中での画像とは思えません。
少なくとも、6100mC2から上にこんな場所が有るとは思えません。
拡大して見ても、足跡すら確認出来ず・・・・
イメージ 4

イメージ 5
上記2枚が過日 栗城が公開した6100mC2より上の画像です。
同じ様な、処が見えますか?・・・・

これが、2枚目の画像です。
イメージ 2
拡大して見ると、黒線の左に足跡が写ってます。
しかし、壁のどの辺なのかは判明出来ません・・・本人なのかも判らす・・・
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ここまで書いてて、栗城公式ブログが更新されました。
見てみましょう・・・【24】へ

栗城公式ブログが更新されました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)


2016/10/02 19:19
今日、キャンプ1に下りてきました。
昨日 やっと6700mに上がったと言うのに、C2を通り越して5800mC1に逆戻り。

ブルーアイスという硬い氷の上に雪が乗っていて、まだその雪が安定していないのでルートを変えます。
何と、今頃に為ってルート変更です・・・
順応予定のルートが雪崩れそうと言って変更、当初目標のグレートルートも変更。
今回のホルバインルートも変更です。何とも情けない話です・・・
要は、硬い氷を登る能力・体力・技術が、栗城には無いと言う事です。
過去に、ネパール側のノーマルルートのローッエ・フェイスでも、
氷が硬いと言って登れず・・・過去の体験から何も学んで無い証明ですねぇ~

添付された動画を見ての感想
相変わらずカメラを傾けて、急斜面に居る事を演出してるが、
ストックで登ってるのを見ると、急斜面ではない。
ピッケルのピックを雪面に刺してるが、手から離れている。(壁では有り得ない行為)
雪を手で払い氷を見せようとしてるが、湿り雪である。(気温が高い位置に居る証拠)
スノーシャワーが・・と言ってるが、湿り雪でシャワー等は絶対起きない。
積もっている粉雪が風で飛ばされ、凹部を滑り落ちる物で、気温が低くないと駄目。
マットを背負ってるので、上で泊まろうとの意気込みは見えたが、演出かも・・・

横に移動すると雪崩になるので、下から登り直します。
それはそうです、膝深の積雪なら危険ですが、添付動画を見た限りでは、足首程度。
下からとは??? 5800mからとは、西稜ルートでしょうか・・・

今回登っていて可能性がある別ルートを見つけたので、注意深く双眼鏡で確認しています。
5800mC1からスタートとなると、チベット側では西稜ルートより無し。
しかし、順応で西稜・北尾根(栗城流・ローラ・フェイス)が、
雪崩れそうと中止したはず。
それに、ロー・ラから取り付くとしても、中央ロンブク氷河の長い横断が有ります。
クレバスが多いルートをシェルパの手助け無く、渡れるものか・・・

明後日から再び、壁に取り付きたいと思っています。
3日は停滞して、4日から行動すると言うことですね・・・

エベレストを一人で登るためには、天気や雪のコンディション的に「ここだ」というタイミングを狙うので、どうしても時間がかかります。
何をトボケタこと言ってるのか・・・

まだまだ帰りませんよ!
登れるまで、来なくて結構!!!!



では、この先の天気予報を・・・・
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7日から、少し風が強まりますね。
速25キロ程度ですから、そよ風+α程度の風です。秒速に換算して見て下さい。
この時季のヒマラヤでは普通の風ですが・・・

丁度良い、敗退理由に為りそうです・・・

栗城は、これを〝風が強い〟と言って、栗城劇場の閉幕にするかも・・・
少し、様子を見ましょう~~


直近の行動は・・・
9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
9月30日 C2で停滞
10月 1日 C2⇔6700mと思われる?(6700mには泊まらず)
10月 2日 C2→C1
10月 3日 C1で停滞(天気は良い・停滞の理由無し・2日歩いて疲れたのか・・)
10月 4日 C1 →新しいルート と為りそうですが・・取り付いたら天候悪化?




明日から再び登ります。
今の天気は良いですが、雪が安定するのを待っていました。
頑張って、楽しんで、行きたいと思っています。

短い書き込みに、C1での動画が添付されてます。

動画で言っている事は・・・
①3日前に、北面を登って見た。
②ブルーアイスの上に、30cmほど雪が有る。
③雪が安定せず、危険でC1へ下山した。
④この2日間晴れて、雪が締まって来た。
⑤前回は、グレートの左端を登って来た。
⑥今回は、ホルバインを登る。
⑦今迄、雪が安定するのを待っていた。
⑧7日までは風が弱いので、チャンスと思う。
⑨この先が、本番。

唖然としてます・・・・・

3日前に6700mまで登ったと言うのは、グレート・ルートだったのです。
ホルバイン・ルートに、C3(6800m)・C4(8000m)と、
書き入れた画像を公開してたので、6700m到達はホルバインと思ってました・・・

又、下から登りなおすと言い、C1に降りてるので、
C1起点のルートへの変更と思い込んでました。

隣りのクーロワールへの変更なら、C1まで降りなくても、C2で事足りたはず。
食料他の補充の為でしょうか・・・


7日までがチャンスと言ってるが・・・
4.5.6.7日で、何処までホルバインを登れるのか?
4日 5800mC1→6100mC2
5日 6100mC 2 →6800mC3
6日 6800mC3→8000mC4
7日 8000mC4⇔山頂
これが、最短の日程になります。

2日行動して1日停滞する、栗城の行動パターンからすれば、
6日は、6800mC3で停滞となるはず・・・(ここまで上手く登れての事ですが・・)
天気が崩れる前に、何処まで登れるのか・・・


直近の行動は・・・
9月28日 ABC→5800m
9月29日 5800m→6100m(C2)
9月30日 C2で停滞
10月 1日 C2⇔グレート左端6700mまで登った?(6700mには泊まらず)
10月 2日 C2→C1
10月 3日 C1で停滞(天気は良い・停滞の理由無し・2日歩いて疲れたのか・・)
10月 4日 C1 →C2へ上がる予定


それにしても、ホルバインを登るはずが、グレートに往ってたとは驚きでした。
小生は、グレートもホルバインも諦め、西稜に鞍替えするものと思い込んでました。
今迄、当ブログを読んで戴いた皆様方に、お詫び致します。





9月25日
昨日、旧知の友よりメールが来て、三ッ石山に紅葉見物のお誘いです。
夕方バタバタとザック点検、地図・コンパス、雨具・ツェルト・ヘッ電等々・・・
足元は泥濘を予想し、磯釣り用スパイク長靴。

三っ石山は、八幡平山系の南端にあり標高は低いが、紅葉の名所です。
今回の集合地は、松川温泉Pで7時半の予定。
5時に家を出て、アスピーテラインで八幡平山頂を越えて、
岩手県側の樹海ラインを降り松川着。(画像は南部富士・岩手山)
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途中の八幡平はガスの中で、前が見えずライトを点け慎重に運転。

松川Pは、紅葉狙いの車だらけ・・・
団体も居るようで、急いで7時30分出発です。
登山口からブナ林の急登が暫く続き、汗ダグ・・・6月鳥海スキー以来の山登り。
1時間ほど登った処でシャツを脱ぎ、半袖シャツ1枚で・・・
濡れたシャツに風を受け、少しはクールダウン出来たかなっ・・・

潅木帯を抜け、視界が広がると三っ石避難小屋です、9時10分到着。
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人だらけ・・・外のベンチで朝飯代わりのミニアンパン2個を喰い、
即 山頂へ9時40分到着。 
ここも人だらけ・・・小屋・山頂・途中と何百人来てるのか・・・人酔いしそう。
ガスが流れ天気は今一ですが、紅葉は見頃です。
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三っ石山頂からのパノラマ
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北斜面からの三っ石山頂パノラマ。
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この山だけモミジが多いので、赤い紅葉が見られますが、
八幡平山系は基本的に黄色になる樹木が多いです。

岩陰で昼飯を喰うが、ガスと風で、長袖シャツと合羽上を着込む。
12時には避難小屋に戻るが、人・人・人・・。
長居は無用 トイレを済ませ速攻下山、松川温泉着 1時30分・・・
1時間の目標だったが、登山道が滑り易く苦戦・・・帰宅3時30分。

10月から〝戻り鰤釣り〟を始めます。

鰤は、出世魚で当地では、イナダ→アオ→ワラサ→鰤と呼んでます。
春先から日本海を北上し、北海道積丹半島沖で成長し、海水温の低下と共に南下。
秋田沖の通過は、10月~12月中と為ります。

鰤・ワラの他、カンパチ・ヒラマサ・サワラ等の青物も釣れるが、
彼等は南下の時期が早く、11月中頃には居なく為ります。
マグロも夏から12月に掛けて、ポッポッ釣れますがへナ竿では勝負に為りません。

近年海水温の上昇で、昨シーズンは南下せず、居着きのワラサ等が釣れてたが、
大半は南下して魚影も薄く12月で釣行は止めました。(船代、効果対費用の関係)

今シーズンは、仲間で4回船をチャーター、1回8万ですが頭割りで。
1回目が10月9日、それに備えて竿を調達した訳です。

鰤・ワラ用の竿は2本(両軸リール用・スピニングリール用)有りますが、
今回調達したのは、175cmのマグロ竿(画像下の短い方)です。
画像の長い方は、天竜のキャスティング竿でカーボン製で約3m。
軽くて良いが高価・・・マグロを買って喰ってた方が安い・・・
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両軸リール用ですが、中国製のOEMでグラス竿、安価なので気にしないで使えます。
メタルジグ付けて、バーチカルでの鰤・ワラ用に使う予定です。
でも硬過ぎ・・・10キロサイズの鰤なら曲がるだろうが・・・ワラサならそのまま。
竿は触って買わないと・・・ネットで見ての衝動買いは駄目。

其の他にも、昨シーズン使って釣果の良かった、
メタルジグ320gのピンク夜光と金赤夜光を計3本を、取り寄せて貰う手配済み。

さて、9日はどんなサイズが釣れるか・・・楽しみ。


2016年4月~5月に中国人14名(男女)が、
全員登頂に成功した動画がYouTubeに出てます。
ガイド付き登山ですが、BC→山頂→C1まで詳細な画像は珍しい
約1時間の動画ですが、見応えか有ります。

折りしも栗城が、この画像の北稜を挟んだ、西側の中央ロンブク氷河で、
行動してますから参考にと思い紹介します。

この隊はノーマルルートの、東ロンブク氷河からノースコル経由で登頂。
これでも一番楽なルートですから、グレートクーロワールとは比較に為りませんが。

動画の概略を説明します。

4月 6日 中国国内から、ラサに到着。
      11日の出発まで、食料等の調達をしてたと思われる
4月11日 ラサを車で出発。(この間、3600mのラサで高度順応してたと思われる)
4月13日 BC(5200m)到着。(17日まで、高度順応してたと思われる)
4月17日 BC→ABC(6450m)へ。(東ロンブク氷河沿いに10キロ先)
4月24日 プジャ。
4月26日 ABC→ノースコルC1(7000m)へ。(17日から充分な順応期間が有り)
      悪天候で、BCまで下山。
5月14日 BCから再出発→5800m(中間地点で一泊)
5月15日 ABC着。
5月16日 ABC→C1へ。(昼から標高差500mを登り夕方C1。
      途中からアイゼン・Fixザイルをユマールで確保しながら登ってます。    
5月17日 停滞か?
5月18日 C1(7000m)→C2(7700m)へ。(酸素を吸ってます、Fixベタ張り)
5月19日 C2→C3(8220m)へ。(晴れてるが強風、雪煙が舞ってます)
5月20日 C3→山頂→C1
      C3を夜中の12時に出発、8600mのセカンドステップ着が5時。
      アルミ梯子を登る様子と、各隊が残置したザイルが見られます。
      7時45分に登頂、帰路C1への下山の様子も見れます。

日程も2ヶ月近く・高度順応期間も各高度で充分に取れた事が、
全員登頂に繋がったと思うし、リーダーの手腕が素晴らしい。


では、動画をどうぞ。      


如何でしたか? これがエベレストの簡単なルートです。
ネパール側のノーマルルートも同じ様なものですが、
こんな処を、いやこれ以上の難ルートを〝単独・無酸素〟で、
登るクライマーが数多くいる事に驚きます。勿論亡くなった方も多数ですが・・・

栗城が公式ブログを更新しました。(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
9月5日にABCに上がって以来、8日通信テスト・9日プジャ 以外に、
何をしてたか判らないが、やっと行動を始めました。

ツキは突然訪れる
2日間アドバンス・ベースキャンプで足止めになっていましたが、今日ローラフェイス(標高7300m)での高所順応に向けて出発し、モレーン(氷河に運ばれてきた岩石や土砂)の中を4時間ほど進みました。
今日は氷河の取り付き近くで、キャンプします。
本当はもう少し進みたかったですが、ローラフェイスに雲がかかり、クレバス(氷河の裂け目)地帯の中を歩くのは危険なので、ここで一泊します。
順調にいけば明日、ローラフェイスを登ります。
ここから先は何も考えず、一歩一歩、進んでいきたいと思います。
明日、クレバス地帯を頑張って上がっていきます。

ABC(5600m)から出発時の画像です。(栗城公式ブログより)
其れなりの荷は納得ですが、5600m辺りで上下ダウンとは・・・
暑くて汗ダグに為ります・・・(当ブログ・天気予報の項参照)
知らない人へのアピールでしょうか?  ヒマラヤは寒いぞーーーって(笑)
7000m辺りから上で着る物ですから・・・昔は高所服と呼んでましたが。
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先のブログで、ルート旗の事を書いたが、栗城がABC出発時の画像に、
見送りのシェルパが手に持ってるのが映ってた・・・
日本と形式が違うので、ボチボチ社が用意したものか・・・
しかし、栗城のザックにはルート旗なし・・・・ABCから上で使う物なのに・・・
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ABCの全貌が判明。
中央大型テントが食事用テント(栗城+スタッフ用)、オレンジシートがキッチン用
(キッチンボーイが泊まる)、青シート(シェルパ用)、両端のドーム型は日本人用
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今日、9時前にABCを発った、栗城のGPS軌跡(拡大)です。
標高5600mのABCから、中央ロンブク氷河沿いに歩き、5800mに13時49分到着。
わずか半日歩いて終了・・・当初予定のABCの位置(6000m)にも達してません。
今日予定のロー・ラ下部のC1(6400m)にも、辿り着けませんでした・・

C1への一日遅れは間違い無しです。

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全体像(地図)で見てみます。半日歩いて獲得高度200m。
ロー・ラの肩が7200mですから、7300mに向かうと言う事は、
西稜を100m登ってC2を設置と言う事に為ります。
当初の発表では、7000mのC2で順応と言ってたが、7300mに変わってます・・・
コロコロ変わって、どれが本当なのか悩みますねぇ~
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衛星写真にGPSポイントを記した画像です。
ロー・ラ基部が6000mですが、明日5800mから中央ロンブク氷河を横断して、
辿り着けるか・・・・渡り切るのが精一杯で、予定のC1(6400m)へは無理です。


グレートクーロワール以前に、西稜(栗城の言うC2・7300m)に上がれるか?
〝最大の見せ場〟です。
何故なら、予報では7000mラインは、17日まで風が弱いものの・毎日降雪があり、
上に行くほど視界が悪くなりますから・・・・




追記  栗城公式HPを見たら、スケジュールが変更に為ってました。
    12日に変更した様ですが、ブログでは述べられてません。

【2016年 栗城エベレスト遠征スケジュール(予定)】
 
 8月26日 日本出発
 8月27日 ネパール首都カトマンズ入り
 8月31日 チベット入り
 9月 3日 チベットBC入り(4500m)
 9月 5日 エベレストABC入り(6000m)
 9月 9日 プジャ(安全祈願)
 9月12日 高所順応開始
 9月22日 登頂予定

2日登頂予定日が延びただけの様です、本当に登りたいならひと月延ばすべき。
2日だけでは、態勢に影響ないでしょう・・・

◆度重なる日程の変更、各キャンプ(BC・ABC・C1 ・C2・C3)位置と標高の変更、
 どれが正しいのか?判らなくなる状況なので誤記があるかもしれません。
 出来るだけ最新の情報で記載する様にしてますが、間違いが有ればお許しを。




栗城公式ブログが更新されました。(黒字は公式ブログ、青字は私見)

エベレストの真下
今日は壮大なクレバス地帯を抜けて、エベレストの真下まで来ました。
高所順応で登ろうとしていたローラフェイスですが、近くで見ると今にも雪崩そうな状態だったので、ルートを変更してエベレストを登ります。
明日からは壁の雪崩そうな場所や状況をみながら登り、グレート・クーロワールやホーンバイン・クーロワールなどのルートを下から見て確認していきたいと思います。
今、とても集中しています。


では、今日の行動を見てみます。
GPS軌跡によると、5800mを出発した栗城は、中央ロンブク氷河沿いに進み、
2時過ぎに行動を停止しました。
標高6100m辺りでしょうか・・・
今日一日で、標高差300mより稼げなかった事に為ります。
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図の等高線を見て下さい。 6000mと6200mの中間です。
ロー・ラ フェイス?で高度順応と言ってましたので、GPS軌跡が南西に向かわず、
変だと思ってましたが、公式ブログ発表でルート変更した事を知りました。
これで、ロー・ラでのC1・C2の高度順応が無くなった事に為ります。
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中央ロンブク氷河の源流部の拡大衛星画像です。
栗城の現在地(6100m付近)の両側は、ズタズタのクレバス地帯です。
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ロー・ラを諦め、直接エベレストに向かい、クーレートやホーンバインを、
見ると言ってますが・・・
栗城ブログに添付されてた画像に、ルートを入れてみました。

赤印の西稜C2で、高度順応する計画は、無くなりました。
黄色線は、中国側で一番簡単に登れる、北稜ノーマルルートです。
青線は、1980年に日本山岳会隊が初登攀に成功したホーンバインルートです。
赤線は、1984年にオーストラリア隊が初登攀したグレートクーロワールルート。
氷河中央の青●現在の栗城のキャンプ位置です。
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栗城の今回の目的が赤線のグレートクーロワールルートからの登頂です。
2009年に栗城は黄色線のノースコルにも単独で登れず、シェルパの力を借り、
コルに出ましたが7500m辺りでシェルパに救助され、一命を取り止めました。

黄色ルートと赤ルートの傾斜を見て下さい・・・
黄色が登れなかったのに、赤色が登れると思いますか????  

次の更新を楽しみにしています・・・




日本時間で昼に為っても、栗城が行動を開始してないようです。
GPS軌跡が昨日の6100m付近のままです・・・・
12日・13日と半日行動(獲得標高500m)して、疲れ果てて停滞でしょうか・・・
現地時間は、日本時間より3時間15分の時差ですから、朝の9時半頃です。


これは、エベレストの天気予報です。
7000m付近では、西風が18日頃から北風に変わり、
降雪量も日増しに増え、19日には風も強まる様です。
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8000m付近では、風・降雪も増す様です。
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山頂付近の気象データも有りますが、其処までは登れないと思うので、
敢えては載せません。

9月13日に栗城ブログに載った画像です。
撮影日は9月13日、黒線で囲んだエベレスト北面は、新雪がベッタリ付いてます。
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18日夜からの悪天候で、7千~8千mの降雪量が増えると、雪崩れの危険有り。
上部で点発生の表層雪崩が起こっても、
扇状に6千mの中央ロンブク氷河まで落下します。(途中で止まる緩斜面無し)
また、風で雪庇崩落が原因の雪崩れも心配されます。

栗城は、北面の壁の下でウロウロせずに、18日の前に壁から離れるべきです。
直接雪崩れに襲われなくても、爆風でテント等は軽く飛びますから・・・
湿り雪の底雪崩れと違い、新雪雪崩れは氷河の上を走りますから注意です。

いづれ、天候悪化でABCに戻る事に為ると思うが、
天候が落ち着いてから、再度上部に向かうには、日にち切れに・・・
確か? 登頂予定が22日でしたね。(下山の事後処理して帰国は月末かと・・)

ですから、登る気が有るなら2ヶ月の登山期間が必要だと、前から言ってました。

これで、集金した5200万を掛けた〝6回目のエベレスト〟が終焉かも・・・




14日の夜、栗城公式ブログが更新。(黒字は栗城ブログ引用、青字は私見)

ルート偵察
昨日の夜に積雪があったので、雪崩を避けてルートを偵察するために今日は登らず停滞でした。
今日は、ABCから撮影したエベレストの実景と無線交信の動画を見てください。
美しい雷鳥もいました。

ロー・ラでの高度順応の為、12日朝に5600mのABCを出発したが、
半日歩いて標高差200mを登り、5800mでキャンプ。

翌13日に中央ロンブク氷河を横断して、ロー・ラに取り付くものと思ってたが、
ロー・ラ斜面の雪が雪崩れそうだと、ロー・ラでの高度順応を中止。
そのまま氷河沿いに進み、6100m付近でキャンプ。
この日も半日行動したのみで、獲得標高は300n。(2日間行動して500m)


黄色がGPS軌跡、6200m手前で止まってます。
緑線は、高度順応しようとして止めたロー・ラへのルート。
(ロー・ラとは、ネパールに抜けられる鞍部。西稜への取り付きルートと言うべき。)
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14日は、停滞でしたが、夜に公式ブログを更新。
公式ブログには、ABCで映した画像に、6100mからの無線交信(栗城の言葉のみ)が添付され、肝心の部分が途切れてますが、概要は聞き取れました。

栗城の話した内容です。
今、6200m近くのC2に居る。
 C2? ABCから5800mで一泊し、6100mの現在地で二泊してます。
 C1を残置して、C2を設置してる訳では無いので、C2と呼ぶのは少し変。
SpO2は、80%代。
 パルスオキシメーターと言う医療機器で、指先の毛細血管を流れる血液の、
 酸素飽和度を測ります。6000mで80%ならまぁまぁでしょう。
 90%近くなら満足だが・・・親指1本より指先が無いので、親指で測ってるか・・
2009年の時より雪が多い。
 画像で見ても、多い気がします
一旦下がってアタックする。
 ABCまで帰り、体制を整えるとのこと。しかし19日は天気が崩れます。

雷鳥も居た、と言ってるが、雷鳥は日本の固有種。
ヒマラヤに居るのは、ヒマラヤ雪鶏で、雷鳥より遙かに大きくアヒル位。
声は雷鳥と同じで、ギャーギャー煩い・バタバタ飛ぶのも同じ、この画像です。
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                        (2010年カーレBC5100mで撮影)

また、栗城が以前エベレストで、雪に埋めてた食料をカラスに喰われたと言ったが、
それがこれ。日本のカラスより小型だが6000m辺りに居る。嘴と脚が黄と赤で雑食
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                     (2010年メラ氷河C2 5800mで撮影)




9月15日、ABCへの撤退を決めました。

栗城公式ブログより抜粋(黒字)
今日は標高7000mまで順応で登ろうと壁に取り付きましたが、少し熱が出てしまいました。ここは無理しないで、引き返します。
SpO2(体内酸素飽和度)は90近く、順応はうまくいっていますし、十分、無酸素でいけるかなと思っています!
アドバンス・ベースキャンプに戻って、体調を良くして再び上がっていきたいと思います。
こちらは雪で真っ白です。とにかく早く下りて、温かいものを食べたいと思います。


栗城事務所が、会員に流したメール(黒字)を戴きましたので、一部転記します。
チームクリキの皆様へ
栗城は今朝C2(6130m地点)を出発して、エベレストの壁を登り始め、
高所順応と偵察を兼ねて7000mのホーンバイン・クーロワールまで向かっておりましたが、
途中から少し熱があり本調子が出なかったので、直感的にここは一度、引き返すことにしました。
SpO2(血液中の酸素飽和度)は90近くまであり、本人も「順応はうまくいっている」という手応えはありますが、
今は少し熱があるので、ここは無理せずに今日はABCまで戻って立て直すことになりました。
ゆっくりとABCまで戻り、体調を整えてから再度向かっていく予定です。

薇熱が出たので、ABCに戻ると・・・
しかし、疑問点が二つ
①今朝C2を出発と有るが、
  GPS軌跡を見ると出発は11時26分。(GPSは日本時間表示)
②偵察を兼ねてホーンバインと有るが、栗城が登るのは、
  東隣りのグレートクーロワール・ルート。偵察の意味無し

ABCに戻って、何日停滞するのか判らないが、6100mのキャンプ地に戻るのに、
来た時を考えると2日費やします。
22日の登頂予定日が目前・・・時間切れ退場かも・・・

では、15日の行動を見てみます。
6100mから400m登った、6500m地点でGPS軌跡が止まってます。(地形図軌跡)
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GPS軌跡の最高点付近を拡大、判り易い様に→を入れました。
14時17分最高到達点、岐路14時37分でGPSを切つてます。(衛星画像軌跡)
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ホーンバイン・クーロワールに向かってます。
栗城が登るのは、東隣りのグレート・クーロワールです。
偵察を兼ねてと言ってるが、ここからでは隣りの様子が見れません・・・
常識的に偵察とは、登る前の下見の事、作戦を練る為です。
グレートに往けない訳でも有るのか??????ですね~
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キャンプ地を11時26分にスタートしてます。
最高地点の6500mが14時17分ですから、3時間の行動で微熱・・・・
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何日ABCで停滞するのかで、今回の〝栗城劇場〟の閉幕日が決まります・・・





栗城が、昨日の夕方ABCに、戻ったようです。(黒字は栗城公式ブログ、青字は私見)

流石、下山家と言われる所以です。
昨日ホルバイン・クーロワールで、順応兼偵察と称して、
6100mのキャンプを出発したのが、11時26分。(日本時間、現地はー3時間15分)
約3時間後の14時17分に6500mまで登り、熱が有ると下山開始しました。
6100mのキャンプに戻り、テント他をパッキングして夕方には5600mのABCに帰還
来るときに2日も掛かったのに、夕方にはABC着です。
下山家とは言え、早過ぎますよ・・・
多分、出発前にテント他を纏め、ザックを仕上げてたのでしょうか?
11時26分と遅い時間の出発の謎は、その辺に有りか・・・と、推察。

2016/09/16 19:56
日夕方、無事にアドバンス・ベースキャンプ(ABC)に戻ってきました。
薬も飲んだので熱も下がって、調子も良くなってきました。
エベレストの北側はスケールが大きくて、高さだけではなくその広大さにも驚かされています。
2009年のノース・コル ルートのABCは標高6500m、
今回は中2泊して辿り着いたキャンプが、6100mですから当然高く感じますね。
ここからまた徐々にエベレストに向けて調整して、アタックに備えたいと思います。
6500mで高度順応完了? 7000mの空気を吸っておくべきだったと思うが・・・
明日には、今回撮影してきたエベレスト北側の映像をお見せできる予定です。
6100mでのテント画像が添付されてて、他の画像が明日の予定とは・・・
まだスタートしたばかりですが、これから本番に向けて頑張ります。
予定では22日が登頂日、C1(6400m)→C2(7500m)→C3(8200m)→山頂。
C1から山頂まで3日必要ですから、しかも毎日行動出来る体力でもなし・・・
明日朝にでもABCを出発しないと間に合わずです。
登頂予定日を延期しないと・・・スタートしたばかりとは???? どう言う意味か・・

栗城がブログに添付した画像です。
青線部分が、ホルバイン・クーロワールの入り口と思われます。
赤線部分が、上部から雪崩れて来た雪が、氷河上に落ちたデブリです。
状に広がって、ホルバインの下のデブリが最大、それだけ雪崩れの量が多いと。
テントと比べても、大きいデブリに見えませんが・・・・実は大きいのです。
イメージ 1

テント位置と北壁(下の露岩)との離れ(距離)を見て下さい。
大分 壁とテントは離れてます。おそらく100m~200m位は・・・

露岩から氷河に向かって筋の様に見えるのが、デブリ(雪崩れが止まった跡)です。
赤印がそのデブリを衛星画像で見るとこんな感じ。
イメージ 3
壁に付いた雪が多いと言ってるので、これ以上降って積もると少しづつ雪崩れ、
気温が上がれば一気に・・・・


今夜はテレビで、山中慎介(33)の防衛戦と長谷川穂積(35)の三階級制覇戦を・・・
見応えの有る試合でした。
栗城と同年代・・・栗城も根性入れて、山に向かって貰いたいもの。


加筆
イメージ 2

栗城が公開した、画像の中ルート説明で使えそうなのが有ったので、加筆。
緑色のルートが、当初高度順応に使おうと思った〝ロー・ラ フェイス〟です。
栗城の造語で、正確には〝西稜・北尾根〟に該当します。
ABCを発ち、2日目のスタート地点から氷河横断して、尾根末端に向かうと思いきや、
雪崩れそうだと中止、中央ロンブク氷河沿いに進みました。
2日目に辿り着いたのが、北壁直下赤線下部辺りか・・・
赤線が、今回登ると言う、グレート・クーロワール ルートで、
氷河から山頂に伸びる巨大な岩溝ルートです。

緑ルートが、雪崩れそうで登れないと言う栗城に赤ルートが登れるでしょうか!!!
結末は・・・・



今晩久々に更新されました・・・(黒字は栗城公式ブログ、青字は私見)

タイトル 誰に言ってるのか?

山と自分に素直になること
1度目の高所順応中に熱が出て、一時下山しまたが、今は体調も完全に良くなり明日からまた高所順応で登っていきます。
順応が出来てない事は、理解出来ます。7千m以上に達して無いのですから・・・
しかし、22日の期限間近ですよーーー
始めはなかなか山に慣れ辛かったですが、今はSpO2(血液中の酸素飽和度)も高く、良い登山が出来ると思います。
東京で6000m~6500mの低圧・低酸素室での効果は、無かったと言うことです。
多額の金を掛けて勿体無い・・・
ロンボク氷河を越え、誰もいないクレバス地帯を越えていく。
ロンブク氷河ですよ~ 間違えないで。
ポッカリと空いた穴を横目にしながらエベレストに向かっていく時、改めてその高さよりも広大さにエベレストの大きさを感じていました。
その山を登りきるぞ、という強い想いももちろん大切ですが、山と自分に素直になって一歩一歩大切に登っていきます。
※明日から高所順応ステージが再開です。そしてその中で一つ、思いがあります。自分の体調を見極めながら判断していきます。
今から、順応を再度遣り直しなんて、時間切れ真近ですよ~
※超望遠レンズでの撮影は、5800mの撮影キャンプからの撮影。(Canon 200m-400mレンズ使用)
撮影キャンプの設営も整い、明後日からは超望遠レンズで、壁を登っている栗城の客観映像を捉えられるようになります。
これでハッキリしました。最初にABCから出発し、5800mで一泊しましたが、
そこに撮影キャンプを設置してたのです・・・
いつ設置したのか・・・

①12日に栗城がABC出発と同時に、シェルパが荷揚げして設置か?
②その後に設置か?  でも、今日公開された動画の中に、
 15日と思うが、望遠で雪面を登る栗城の姿が・・・
 15日には、撮影担当が、シェルパと共に5800mに居たものと思われる。
③15日に栗城が6500mからABCに撤退時に、5800mの撮影キャンプに居た、
 撮影担当とシェルパは、そこに残ったのか? そんな訳はない当然一緒にABCへ下山
④もっと穿った見方をすれば、7日のプジャ後に4日もABCで停滞してる間に、
 シェルパ達にテント・機材他を荷揚げさせ設営。

これでは、いつもの様に、BC又はABC以降、
第三者との接触(支援・介在)が無かったのか? 疑わしい・・・
例え登れても、〝単独〟は成立しません。 勿論、登れ無いとは思ってるが・・・       

しかし、動画を見て・・・切ったり・貼ったりで、公開が遅れるのも納得。
指が無いのに、手袋の先をブラブラさせて・・・切り詰めて、保温材でも入れろ。
其れで無くとも、凍傷で切った切り口は、温度に敏感なのだから・・・

いささか、小生の書き込みが乱調ですが、呑んでますので・・・ご理解を。




9月15日に、6100mのキャンプを畳んでABCに降りたが、
18日の今に為ってもダンマリ作戦継続中です。
6500mの画像も公開すると、言いながら・・・

ヤル気が無い様なので、入山以来BCから上での行動を纏めて見ます。

9月3日  車で、5100mに入りBC設置
9月4日  BCで停滞(高度障害で、スタッフをティンリに降ろす)
9月5日  ヤクで荷を運び、5600mにABC設置(予定の6000mには設置出来ず)
9月6日  ABCで停滞
9月7日  ABCでプジャ
9月8日  ABCで停滞(ガスで見えないそうです)
9月9日  ABCで停滞
9月10日 ABCで停滞
9月11日 ABCで停滞
9月12日 順応の為、ABC5600m→5800mで一泊。(半日歩いて200m登る)
9月13日 順応ルートの西稜・北尾根を止め、6100mでキャンプ。(半日で300m)
9月14日 6100mで停滞(降雪が有った為)
9月15日 6100mから北壁の6500m地点に登り、熱が有るとABCに撤退。
9月16日 ABCで停滞(熱は下がったと言うが・・)
9月17日 ABCで停滞
9月18日 更新が無いので、今日もABCで停滞か・・・

まーこんな、為体(ていたらく)です。

図で説明します。この方が判り易いと・・・

ロンブク氷河末端に車で入り、BCを設置(赤丸)
BCから進むと谷が分かれ、BCから6000mへ荷上げしたが、
ヤクが役に立たず、5800mにABC設置
(赤丸)
一方 東ロンブク氷河沿いに、北稜のABCへ(赤丸)
メスナーは、BCから北稜ABC(6500m)までの距離を、
著書の中で約10キロと書いてるので、栗城が当初予定した6000mのABCまでは、7.8キロと思われる。
メスナーは6500mのABCへ1日で歩き、栗城は6100mへ2日掛かってます。
メスナーと比べるのも変ですが・・・
イメージ 1
上記でエベレスト中心に、各コル・氷河・尾根が判ると思います。

上の衛生画像に栗城のGPS軌跡が入った拡大図です。
各々の時間は日本時間で、現地は3時間15分の時差が有るので、
-3時間で見て下さい。(画像を重ねようと思ったが面倒なので、我慢下さい)
イメージ 2
イメージ 3


栗城が、順応兼グレートクーロワール偵察で登った、最終地点の拡大です。
氷河から壁に取り付いただけの6500m・・・
この距離では、グレートの様子等は見える訳が無い・・・岩溝の凹地ですから。
イメージ 4


登頂予定日が22日に迫った栗城は、何故に行動しないのでしょうか?
微熱のせい・・・雪と氷と傾斜に怖気づいた・・・最初から登る気等無かった・・・

〝なすび〟や〝真鈴〟がノーマル・ルートからアッサリと登頂し、
北稜・南東稜のノーマルからも登れない栗城が、
超一級のグレート・クーロワールを登ると言ったのは、
5200万集金の手段だったのかも・・・    色々疑問が湧きますね~~



余りにも出資者を馬鹿にした行動に一言。
★スタッフ3人を連れて、約ひと月の〝エベレストABCツァー〟なら、
 全ての費用込みで1人100万も掛ければ、
 ポーターに背負って貰って、歩かずエベレスト観光が出来ます。(本当に)


加筆

ABCに降りて、ウロウロしてる間に、天候悪化の兆しが・・
6千・7千付近の①降雪量は減るが、②風速が強まる(単位がkmなので注意)、
それに伴ない③体感温度が下がる(下段のCill℃)。
風速は時速20キロの風なので、そよ風程度だが・・・

又、6100mに着いた頃に、丁度良く悪天候です。敗退理由には為るかも・・・
イメージ 5

イメージ 6

往く事の無い、8千・山頂付近の予報は記載しません。







ABCで3日停滞してたが、19日に再出発しました。(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

アドバンス・ベースキャンプ(ABC)を出発して、標高5800mのキャンプ1に着きましたが、先ほどからパラパラと雪が降り始めました。
ここまではあまり登りはありませんが、ここから先が本番です。
明日、天気が良ければ壁に取り付き、標高6800mまで登りたいと思います。
ただ、今は雪が降っており、明日も10cm近く降るという予報もあったので、雪崩が起きないかなど慎重に見極めていきたいと思います。(一部抜粋)

5800mに着いた様ですが、GPS軌跡は5700mを越えた処で、電源が切られてます。
ここをカメラ等の中継キャンプにしてますが、15日に栗城がABCに降りた際には、
ここの要員(中継担当・炊飯担当シェルパ又はキッチンボーイ)もABCに降りたはず。
居ても用が無いので・・・

栗城・中継担当・シェルパ数名で登った事に為ります。(単独登山では無し)
栗城のザック画像が添付されてるが、この画像(一部カット)です。
ピッケル・アイゼン等がないので、6100mのキャンプに置いて来たと思われる。
補充の食料・燃料が入ってるのか・・・
イメージ 1
最初にABCを出発時の画像が、これです。其れなりの量が・・・
イメージ 2

5800mの中継キャンプで雪だそうです、天気予報を見ると・・・
22日から6000m・7000mは悪化のようです。
イメージ 3

イメージ 4
体感温度(Cill℃)もグッと下がります。

明日(20日)6800mまで登りたいと言ってるが、
6100mに在るテントを6800mまで上げるのか? 
6800mから6100mのテントに戻るのか? ハッキリしません・・・

多分、天候悪化を理由に、6100mのキャンプに留まると思うが・・・
上に往く程に、雪崩れのリスクが増大。

最後に、公開された画像のダウンジャケットに付いた、スポンサーワッペン。
イメージ 5
スポンサーから、3000万も〝集金〟して、この扱いですか?
中学野球部の背番号だって、もっとキッチリ縫われてますよ~
栗城は、指が無いので縫えないが、事務所の女の仕業? 家庭科習わなかった???




5800mに居た栗城が、19日朝に雪が降ったとABCに、速攻下山。
これは、当ブログに情報提供が有りましたが、公式ブログでの公開待ちでした。
以降、やっと今日21日夜に更新されました。
言い分を聞いて見ましょう・・・(黒字は栗城公式ブログ抜粋、青字は私見)


1手駒を進めると、エベレストは2手、3手と返してくる。
まるで将棋をするかのように、じっくりと相手の動きを読み、自分の1手を運ぶ。
言い方が廻りくどい、要は進めない・・・

2日前に5800mのC1に入りましたが、雪が多くなり、
一時アドバンス・ベースキャンプ(ABC)に戻ってきました。
この前まで、中継キャンプと言ってたが、いつの間にやらC1です。
当初予定のC1は、遙か彼方の6400mです。(当ブログ【5】参照)
コロコロ変わるキャンプ標高・・

昨日から一晩中ABCには雪が降り続き、ABCは気温が高いためすぐに雪が溶けますが、
C1以上ではかなり積もっていると思います。
今回ABCに一旦戻る決め手は、この雪による雪崩を避けるため、
そして23日から「ジェットストリーム」が近づいているからでした。
秋季エベレストで最もやっかいな敵は、この「ジェットストリーム」と呼ばれる風の周期。
何度かこの風にあっていますが、行動が全く不可能になります。
予定では23日にはエベレストの上部に入る予定でした。
23日から上部と言っても、その日は5800m、24日は6100mが実績です。

へぇ~ では天気予報を見てみますか・・・ 
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

栗城が登れそうな、7000mまでの予報です。
では、5千mの予報は、26日まで気温が+℃です。
6千mは、風が有って、体感温度も-10℃程度。
7千mまでは、登れない(氷雪技術)と思うが、参考まで載せました。
風速が最大で25になってますが、表示はKm/hです。
普通の風+α程度で、日本の冬山では、この程度の風は普通に行動します。

これが、〝ジェット・ストリーム〟とは、笑ってしまいますね。
時速50キロとか60キロ超えの風速なら、そうでしょうが・・・

持っているカード「無酸素で登れる体力」は1枚から2枚。
そのカードをベストのタイミングで出します。
ただ今年の相手は、風よりも「雪」になりそうです。
例年よりも量が多く、2009年に見た北側よりもはるかに多く雪が張り付いています。
この「雪」という1手を利用して、こちらも1手「雪が多い時に利用できるルート」を打ち出します。
今晩出る1週間分の予報を見て、再びチャンスを狙っていきます。

言い訳はどーでもいいが、予報を見る限り、栗城の実力では駄目。


今日の写真は、ABCを360度見られる写真です。

 馬鹿が、こんな画像は意味なし・・・・5600mの平地に居ながら・・・
https://line.blogimg.jp/kuriki/imgs/c/3/c390ab8b-s.jpg
 
明日22日は、登頂予定日ですが、これまでコロコロ日程の変更をして来ました。

登頂日予定
8月29日 カトマンズで発表 9月下旬。
8月30日 9月20日に変更発表。
9月12日 9月22日に変更発表。

タクティクスは無し、行き当りバッタリ行動、行動表管理も無し状態です・・・

結論は、こう言うと思います。
「予備日を使って、9月下旬まで待ったが、天候等の状態が悪く、断念」と・・・
つまり、20日ないし22日以降下旬までを予備日にして、言い訳の手段に。

6000mにABC設置と言いながら、現実は5600m。
予定のC1(6400m)にも到達出来ず、C1を中継キャンプ(5800m)と言う。
書いてる小生も過去の記載を見ないと、訳が判らなく始末です。

天気予報を見る限り、栗城は26日頃まで、行動しないでしょう。

次の更新で何と言うか・・・楽しみです。




栗城公式ブログが、更新されました。(黒字は栗城ブログより、青字は私見。)

19日に、ABC(5600m)から5800mに登ったが、雪が降って来たとABCに下山。
今日(22日)更新です。

昨日から降り続いたアドバンス・ベースキャンプ(ABC)の雪は落ち着き、
強風で雪が舞うエベレストが見えます。
5600mのABCからエベレストが見えると言う事は、
少なくとも降雪・雲が無い状態ですね。雪が舞う8000mラインが目視出来ると。

「風」「雪」と次々と打ってくる一手を読みながら、明日また出発します。
では、明日以降の天気予報です。
栗城の今回のパターンから、行動を予測します。
明日23日  ABC(5600m)から5800mのキャンプ(C1)に半日行動で登る。
24日   5800mから6100mに半日行動で登る。ここがキャンプ(C2)。
25日   過去の栗城の行動を見ると、2日行動すると1日停滞ですら、停滞。
26日   6100mから上部に向かう・・・
予報を見ると、丁度いい具合に26日からは、風も弱まり安定しそうですねぇーー

8千mと山頂の天気予報は、敢えて載せません。(到達出来るとは、思ってませんから)
イメージ 2

今年の秋季エベレストは例年以上に雪が張り付き、かなり苦戦しそうです。
昨年もネパール側の8150m地点で、腰までくる雪に苦戦しました。
こう言ってますが、夜間の動画で周囲が見えず未確認、腰までの雪の画像も無し。
所謂、カラス谷からサウス・コルに登った証拠は無しです。(事実なら世界初)

今年、もともと登る予定にしていたグレート・クーロワールは確実に雪が深いです。
しかし、その雪があるからこそ登りやすくなるルートを今回、探ることにしました。
登るルートは、ホーンバイン・クーロワールです。
ホーンバインは雪が有れば登れる? 登り易いルートなのか大いに疑問ですが・・・
グレート・ルートは雪が深くて駄目で、
隣りのホーンバイン・ルートは、雪が有った方が登れるとは不思議です・・・


下画像は今日、公式ブログに添付した画像です
ホーンバイン・ルート(黄色線)と、C3(6800m)・C4(8000m)が表示されてます。
赤線は、今回登ろうとしたグレート・ルートです。
両ルート、どちらが登り易そうに見えますか?  互いに超一級のルートです。
精鋭クライマーのキリアン・ジョルネ(スペイン)は、
グレート・ルートを登ろうとして、6000mにBCを張り、
3週間チャンス待ちをしたものの、雪の状態が悪いと先日撤退を発表しました。
(栗城と同時期に同所に居た事に為りますが、何日かのブログで誰も居ない世界と・・)
イメージ 1
19日に、公式ブログで添付された画像に、ラインを入れて見ました。
イメージ 3

秋季エベレストを無酸素で登ることは、「このルートを登りたい」という思い生きて帰れるかどうかの世界です。
頂に向かうだけでなく、「生きて帰る」。
それがどれだけ難しいことか。
確実に登り、確実に生きて帰ってくる、良い登山をしたいと思います。
能書をタラタラ言ってますが、帰る自信が無ければ辞めるべき。
過去の精鋭は、自信を持って壁に取り付いてます。(成功か・敗退か・死かですが)

登っている栗城の姿を動画配信できるように、撮影メンバーが準備しています。
5800mのC1から撮影の様ですが、先日公開された動画がこれですから、
誰が登ってるのか判りませんねぇ・・・(ルート工作のシェルパ?)
多分同レベルと思うが、アンナ南壁のゴマ点画像よりは、少し増しか・・・
イメージ 4
撮影キャンプから、Canonの40倍レンズにより、壁の取り付きから頂に向かう栗城の姿を捉えます。
お楽しみに!
この時(15日)は、6100mのキャンプから6500mまで登り、
微熱と言ってABCへ速攻帰還。

さて、今回が日程的(一番最初に発表した登頂予定日、9月下旬)に最後と為ります。
何処まで登れるのか・・・




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