2014年10月05日 ヒマラヤの高山植物 ヒマラヤの高山植物 花の名前には興味が無いので、写真だけ。日本のものとは違うと思う・・・ 竜胆も背丈が2cmほどで、すぐに花、一本に一輪のみ。 竜胆の一種 4500~5000mに咲いていた。 3000~4000mに咲いていた。菊科のものが多いのか・・・ 右下の、綿毛トウヒレン 4500~5500m 保温の為に綿を冠っている。
2014年10月10日 ネパール地形図(1/5万) ヒマラヤ・クンブー地方の地形図1/5万の残りが、手に入った。 カトマンズ市内では、トレッカー用のヒマラヤ地図が、あちこちで売られている。 4~500円程度だが、アバウトで正確さに欠けます。 初回遠征時には概略が判れば・・・と思い購入。 しかし、氷河の位置や、山の尾根がいい加減でした・・・ 国土地理院並みの地形図がないのか・・・探してました。 2回目の遠征の前に、政府発行の正確な地形図の存在を知り、 ヒマラヤ行きの知り合いに依頼し購入。 画像の 地形図がこれです。1/5万を3枚張り合わせしました、 ルクラ→ナムチェバザール→エベレスト街道のルート上 ナムチェの部分(左上)が、手に入りませんでした(在庫なし)。 この1/5万地形図は、ネパール政府がフィンランド政府に依頼し作成、 1992年に完成したもの。 ネパールでは一番正確な地形図です。 メラ登山の時には、ナムチェを通過しなかったので、用は足りましたが・・・ 色々調べたら、某大学研究室の資料に 1/5万が保管されてる事を知り、 問い合わせてみた処、コピーして貰える事に・・・ 大型コピー機が無いとの事で、A3 6枚。 待ちに待った 地形図が届きました~~ 慎重に張り合わせて・・・完成しました~~ 北緯・27度30分から28度00分 東経・86度30分から87度00分 の範囲です。
2014年11月04日 ヒマラヤの大雪 先月14日に、 アンナプルナ山群で大雪・雪崩れで大規模遭難のニュースが流た。 ヒマラヤでガイドをしてる知人からメールが・・ なんと、ガイド業で行ってたとか・・・ 6144m登頂を予定してたらしいのだが・・・この山↓ 10月14日の季節外れの大雪で足止めをくらい、断念したとか。 普段は、積雪の無い標高4000mだが、デブリを越えて頑張ったらしいが・・・ 約款には、天候異変等々記載が有るので、割引返金等しないのが通例。 ガイドは、損なくいいだろうが、客は堪ったものでは無い。 60万もの金を払い・長期の休みを取り・憧れの山だったず・・・ 山麓散策などで、お茶を濁されては困る話だ。 70歳までには、カラコルム山脈のバルトロ氷河を遡り、 チョゴリザ・ブロードピーク・K2 等の巨峰を眺めたいものだ・・ しかし、パキスタンは飲酒禁止のお国柄・・・ ひと月も我慢出来るか考えてしまう・・・
2014年11月21日 憧れのカラコルム山脈 70歳までには、カラコルム山脈を眺めたい・・・ 世界第2位の K2 8611m 巨峰の中では最難度の山 ブロードピーク 8047m ガッシャーブルムⅠ~Ⅳ 8068m ムスダークタワー 7273m チョゴリザ 7665m 京大山岳部初登頂。 バルトロ氷河沿いに、名立たる峰々が林立している・・・・ 旅費54.8万コース ただ、歩くだけ・・・・ 旅費59.8万コース 更に奥地へ・・・ 旅費85.8万コース 600mの峠越えが有る。 3コース共、約1ヶ月の行程。どれがいいのか金と体力で悩む・・・・ 一生に一回なので、周回コースを選択したいが・・・ 来年の夏は、土方バイトして体力強化・費用捻出か????
2014年12月23日 キャシャール峰6770m 画像は、ヒマラヤ・クンブー地方にある、キャシャール峰6770mです。 2010年秋にメラ峰に登りましたが、 その時にコテ村を過ぎるとドーンと目に入る鋭峰。 谷沿いに 周り込むと・・・・ こんな姿です(右の峰)。左の峰は、クスムカングル峰6367m。 山野井泰史氏が1998年に(当時33歳)、 東壁(この画像の正面の壁)から単独初登頂してます。 キャシャール峰南ピラー↓ このキシャール峰のスカイライン(赤線)を、 2012年秋季に 日本人3名が6泊7日で初登攀し、ピオレドール賞を受賞。 馬目弘仁43歳 花谷泰広36歳(共に信大山岳部OB) 青木達哉28歳(東海大山岳部OB・K2最年少登頂者) その様子の動画が下記に有りますから、御覧下さい。 アルパインスタイルでの岩壁・岩稜登攀は流石です。 https://www.facebook.com/thenorthfacejp/posts/518665878154713?stream_ref=5 山野井泰史氏が、成功したクスムカングル東壁単独初登攀も、 ピオレドール賞に該当する登攀と思うが・・・ 残念なことに当時はまだこの賞が無かったのです・・・ タナン村で高度順応の為に一日滞在した時に、 この急峻なキャシャール峰を眺めて・・・ こんな急な山を登る奴が居るのかなぁ~ なんて思ってましたが、 当時未踏だったのですね。 2年後に日本人が初登攀してたとは・・・・
2015年05月27日 ネパール大地震のその後 ヒマラヤのガイドをしてる知人からの情報です。 ネパールの首都カトマンズから、 北に40キロほどのランタン国立公園エリアの画像です。 ランタン谷は、高山植物が咲き乱れ、世界で一番美しい谷と言われて、 トレッキングのメッカでした・・・ 日本人の多くが訪れ、人気のエリアだったのですが・・・ 地震で山塊が崩落し、全て土砂で埋め尽くされてます・・・ 施設の屋根は吹き飛ばされ、石で囲われた畑も土砂の下・・・ ランタン谷の奥には、ランタンリルン峰7234mがあり、 大阪市立大の登山隊が1961年に初登頂に挑み、C3で雪崩に遭遇。 隊員2名とシェルパ1名(日本隊マナスル峰の初登頂時の登頂者)が亡くなった山。 その後、1978年に大阪市立大が再挑戦して、初登頂しました。 緑に囲まれ、高山植物が咲き乱れる姿は、今は有りません・・・ 村も崩壊、トレッカー用のロッジも崩壊してます・・・ もはやこの地を訪れるトレッカーは無いでしょう・・・ この様な崩壊地区が、何百ヶ所も有ると言われてます。 高山植物が復活するまで何十年・・・トレッカーが訪れるまで、 村は復活しないでしょう・・・・ 観光より資源の無い、ネパールには大打撃です。 1人のトレッカーが、ネパールで費やす金が、 10人の生活を支えてると言われてる国です・・・
2015年08月31日 ネパール・ヒマラヤの新規解禁峰と登山料金 2014年5月から、新規に解禁された峰が104座になりました。 そのリストが手に入りましたので、添付します。 従来、解禁されてた峰は、エベレスト以下326座でしたが・・・ 同年5月21日付けのネパール政府発表によると、 326座中異名での重複や標高の低い峰16座を除外し、 新規に104座を解禁して登山可能な峰が414座になりました。 16座の除外リストです。 新規に解禁された104座のリストです。 2015年1月1日から登山料金が改定されました。 今までは、隊の人数で料金が設定されてましたが、 今年から一人当たりの設定のようです。 国立公園への入園料は従来通りと思われます・・・ サガルマタ国立公園(エベレスト周辺)は、3930ルピー。 アンナプルナ国立公園は、2000ルピー。公園によって料金に差がある。 1ルピー=0.9~1.0円 これを見ると、厳しい冬期や雨期の料金が格安になってます。 雨期に4千m辺りまでの、高山植物見物ツァーの料金が下がるかも・・・ また、5800m未満の峰に登るのも料金が無料・許可不要とか・・・ 国立公園への入園料のみの出費で済みます。 暇を見て、緯度・経度を頼りに、1/5万地形図で解禁峰を特定したいと思ってます。 追記 竹内洋岳氏が挑んだ、マランフラン峰が解禁リスト103番に載ってます。 北米最高峰のマッキンリーが山名変更 オバマ大統領が、デナリ(アラスカ原住民の呼称)に統一すると発表。
2016年01月09日 カラコルム・バルトロ氷河地図 入手 発注してた地図が届きました~ 今年のカラコルム行きに備えて、 縮尺1/5万の地形図を探してたが、気に入った地図が無く・・・ 辿り着いたのが、この二枚の地図です。 価格は、輸入物なのでビックリ値ですが、致し方なし。 地図も持たずに、未知の領域に侵入は・・・ Karakoram Maps 縮尺1/20万 シート3 イングラント製 概念図 バルトロ氷河沿いの、ドランゴ岩峰群・マッシャーブルム山塊・K2・ブロードピーク ガッシャーブルム山塊・バルトロ、サルトロカンリ・チョゴリザ等が・・・ 更に、ゴッドウィンオースチン氷河から北の中国領の山域まで網羅されてます。 等高線は無く、主稜枝稜にピーク名と標高・パス名(峠)と標高・各氷河名が記載。 こんな形態です、氷河末端から源流部までの様子が一目で。 概略が飲み込めそうです~ もうひとつの地図は、更に詳細な、 K2 and Baltoro Glacier 縮尺1/8万 ポーランド製 衛星写真地図 2001年に、地球観測衛星 spot4(フランス・ベルギー・スゥェ-デン開発)と、 地球観測衛星 Landsat 7 (NASA)が撮影した画像を基に、 ポーランドで作成された衛星写真地図です。 ヒマラヤ並みの、等高線入りの縮尺1/5万地形図 ↓ は、今の処見付りません・・・ http://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/12251513.html 地図上には、概念図同様に山名・標高、パス、氷河名が記載されてます。 概念図では判り難い、氷河や露岩の様子が見れます。 日陰の多さが気になりますが、それだけ山が大きいと言う事でしょう・・・ K2とブロードピーク付近 ガッシャーブルム山群 チョゴリザ周辺 折り畳み地図は、何回も広げると折り目から裂け始めるので、裏打ちして補強。 セロテープは経年劣化して駄目なので、医療用の紙絆創膏が一番です。 素材が薄いので、貼っても下地が透けて見えるし、折り曲げにも強い。 これは、国土地理院の1/2.5万地形図にも有効です。 これから暫くは、この二枚の地図が酒の肴か・・・ まずは、じっくり時間を掛けて。
2016年01月20日 忘れられない想いで 今朝、毎日新聞を見ると。 今年が、マナスル登頂60年の小記事が・・記念行事が有るらしい・・ 南極観測を開始してからも、60年の節目とか・・・ 左奥がピーク 1956年5月9日、日本山岳会の第3次マナスル遠征隊が、8163mに初登頂。 隊長が槙有恒、2次アタックを含み邦人3名・シェルパ1名が登頂したのです。 初登頂の今西隊員、この頃は山頂が露岩ですね。 今は雪を冠ってます。 この記事を読んで、60年もの昔の記憶が甦りました・・・ 当時、小学生で担任が、日本が凄い事をしたと・・また、そのうち南極にも行くと。 南極 ? 地球儀の下に在る凍った処、ペンギンが居る処程度の認識より無し・・ 当時、千秋公園内に在った動物園でペンギンを見てました。 担任は、図書室に在る新聞に、山の事や南極の事が書いて有るからと。 放課後に読んだ記憶があります・・・毎日子供新聞か毎日小学生新聞だったと・・・ このころから何故か、極地に興味を持ったのです・・・ 地元の地方紙の秋田魁新報に、市内の鍛冶屋(森谷製作所)が、 南極観測隊にピッケルを納品するとの記事が載りました。 (高校生の頃、札幌の門田も観測隊にピッケルを納品した事を知りましたが・・) この事が頭の片隅にあり、ピッケルなら森谷と、 森谷製作所に依頼し打って貰いました。経緯は↓ http://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/12044100.html マナスルや南極から60年も経ってしまいましたが・・・・ 身体的に老いたものの、気持ちはまだまだ・・・だが・・・ 先日、カラコルムの地図を手に入れ、思いを馳せてて~外務省の渡航制限の区域を見たら、 レベル3〔渡航中止勧告〕と レベル2〔不要不急の渡航中止〕区域に! ! ! 今日も、パキスタン北西部で死者21名・負傷者50名の乱射テロが・・・ どうしたらよいのやら・・・・
2016年04月19日 カラコルム往きを諦める決断 長年、バルトロ氷河の山々を、ひと目眺めたいと憧れてました。 全長70キロと云われてる氷河源流域には、 K2・ブロードピーク・ガッシャーブルムⅠ峰・Ⅱ峰の8千m峰4座。 7千m峰は、ムスダーグタワー・マッシャーブルム山群・チョゴリザ・ サボイアカンリ・スキルブラム・ガッシャーブルムⅢ峰・Ⅳ峰・バルトロ、サルトロ山群・等など・・・ 6千m峰に至っては、ドランゴ岩峰群・パイユピーク・ミトレ始め、 バルトロ氷河の右岸左岸に見える山々の殆んどが、6千m超級なのです。 約ひと月掛けての氷河散歩を、この夏に計画してました。 ネパールのヒマラヤは、モンスーン(雨期)を避けた、春・秋がシーズンですが、 パキスタンのカラコルムは、内陸に在る為モンスーンの影響が無く、夏がシーズン。 この計画に向けての資金捻出。 昨年延べ90日間、県埋蔵文化財センターの発掘現場で、土方アルバイト。 夏場の暑さには参ったが、目的が有れば我慢も出来ます・・・ 山道具は揃ってるので、特段用意する物も無しです。 カラコルム・バルトロ氷河流域の地形図も何とか用意出来ました。 1/8万(ポーランド製)・1/20万(英国製) 過去2回ヒマラヤ遠征で使った、10年旅券が2月で期限切れ、再申請と・・・ 外務省のHPを見て・・・愕然 パキスタン全土が・・・安全の白い地域は在りません・・・ 〔レベル4〕 退避勧告地域 〔レベル3〕 渡航中止勧告地域 〔レベル2〕 渡航自粛勧告地域 バルトロ氷河には、首都イスラマバードから、北東の町スカルドゥに行き、 4駆で一日走り、登山基地のアスコーレ村に入るのですが・・・ 1月20日には、 ペシャワル地区でタリバーンが乱射事件を起し、死者20人・負傷者約50人。 3月28日には、 ラホール地区で、タリバーンが死者72人・負傷者200人以上の自爆テロ。 隣国インド系のヒンズー教徒と、アフガン系のイスラム教徒の紛争とか・・・ 武装集団のタリバーンとかアルカイダは、ニュースで耳にする事が有ったが、 こんな処でとは・・・・ 家族に、それでも往くか? と謂れ・・・数ヶ月、考えてました。 今日、結論を出す為にブログに記載してます・・・ ヒマラヤに憧れたのが、18歳の頃・・・実現したしたのが、2006年。 その時に登頂した山頂から、南に見えた白い峰に登りたいと・・・ そこに立てたのが、2010年。 次は、K2を眺めて見たいと・・・世情が安定してたら可能だったのだが・・・ 紛争が5年・10年と続くようなら、後が無い・・・
2016年05月26日 エベレスト登頂者リスト 5月26日 この春のエベレスト登頂者が、5月25日現在で14人となりました。 5月19日から23日に掛けての快挙です。 天候待ちに耐える強い心と、一気に登れる体力が欠かせません・・・ 北稜ルート・南東稜ルートと半々の有酸素登頂ですが、登った者勝ちです・・・ このリストには、日本人初登頂者の松浦輝夫氏以下、 5月23日登頂の南谷真鈴(まりん・19歳)さん含み、213人の登頂日・年齢・ 所属・登山ルート等が記されてます。(資料・日本大学山岳部・編) 細かくて見難いでしょうが、拡大して御覧下さい。 若干、説明をしますが・・・ 登頂者No1が松浦氏(早大)となってます。 植村氏(明大)が山頂目前までトップで登ってましたが、 年長者に道を譲り、2番目に山頂を踏みました・・・これには2つの訳が有ります。 ①両氏共に大学山岳部出身で、先輩に先に登頂して貰った。 ②日本山岳会が、遠征隊員に個人負担金を課したが、植村氏は払えず、 荷揚げ・ルート工作要員として参加しました。(アタック要員ではなかった・・・) しかし高度障害等で次々とアタック隊員が脱落し、荷揚げ等で活躍した植村氏に、 登頂のチャンスが巡って来たのです。(明大時代から黙々と登る姿に、団栗と字) 植村氏は、負担金を納めた他の隊員への配慮が有ったのかも知れません・・・ のちに、松浦氏は、すばらしい仲間に恵まれ登頂出来たと言ってます。 その後は、山岳同志会・イェティ同人・カモシカ同人等の、 当時一世を風靡した社会人山岳会が活躍。 No70、野口 健(当時25歳)がいます。彼は、海外の商業登山隊に参加し、登頂。 当時、国内にはまだ商業登山を業とした組織は無く、 体力的に劣る日本人の海外商業登山隊参加は無理と、言われた頃の快挙です。 2頁目 No123、岩崎圭一(当時32歳) 彼は、インド洋の波打ち際から、自転車と徒歩で一年掛かりでヒマラヤへ。 商業登山隊に参加し、見事に海抜0mから一発登頂。 費用は、道すがら得意の手品を見せて賄ったとか・・検索すると旅日記が見れます。 No184、渡邉玉枝(当時73歳) 彼女は、2002年に続き2回目の登頂です。現在も、女性世界最高齢登頂者、 今でも山を歩く早さは、並みの男以上とか・・・しかも、ゴミ拾いしながら・・・ No185、村口徳行(当時55歳) 日本人最多登頂者タイ 7回目の登頂 No206、倉岡裕之(現在54歳) 日本人最多登頂者タイ 7回目の登頂 3頁目 No212、田村 聡(現在50歳) 今年、3回目の挑戦で登頂、視聴覚障害者で世界初の快挙。 No213、南谷真鈴(まりん・現在19歳) 早大生、過去にアルプス・アコンカグア・マナスル・ビンソン(南極最高峰)等に登頂。南極点にも到達してる若手の女子。 ヒラリー、テンジンが初登頂して以来、 6000人~7000人が登頂したと言われる、エベレストですが、ドラマは尽きません。 世界最高峰ゆえでしょうか????商業登山が普通に為った今、エベレストの登山価値は地に落ちました。難関と言われたK2でさえ、商業登山が全盛です。FIXとシェルパを頼りに登る様は、もしかしてMount McKinley以下かも・・・
2016年06月04日 メスナー著〔チョモランマ単独行〕を読み直して 6月4日この土日、雪の状態が良さそうなら、最後の鳥海山・夏スキーを予定してました・・金曜日のライブカメラを見ると、季節外れの-25℃の寒気の影響で、8合目から上の〝島・岩稜〟が白く雪を冠ってました。処が当地は昼過ぎから雷雨が・・・往く気が削がれた感じ・・・で、中止に。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ここ何日か、〔チョモランマ単独行〕を引張り出して、再読してます。1980年に、ラインホルト・メスナーが、チベット側から新ルートで、無酸素・単独初登頂した時の著書で、1985年に和訳出版された登頂記です。デス・ゾーン(死の地帯)と言われる、8千mを越える高所に、2晩ビバークしての快挙。実に約30年振りの再読・・・定価2200円ですから当時としては高い本・・・メスナーは、8千m峰14座(単独2座)全てを、無酸素登頂した世界初の最強登山家ですが、彼の言動が好きになれず、この本は一回読んだきりにしてたと思う・・・学生時代に、H・ブール、W・ボナッティ、G・レビュファに心酔してましたから。再読の切っ掛けは、栗城がこの秋に、メスナールートに2度目の挑戦をするとの話から・・・確か本が有ったなぁ~と。引張り出した次第、若干古書独特の匂いがするものの付箋も当時のままに。面白いのはメスナーが、3歳年下の植村直己をとても意識してた点です。著書の中で、この様に言ってます。(好きになれない言い方が随所に・・・)この時に植村は、81年にノーマルルート(南東稜)からの登頂を試みるも、サウスコルの上で敗退。メスナーは、ネパール側の許可が取れず、中国側からの許可で北面へ転進。(この頃は同一ルートに、登山隊は一隊と云うルールが有った為)〔メスナーの行動概要〕6月下旬 ラサから4駆で、5100mのBCに到着。 この間、近郊をトレッキングして高度順応をする。7月13日 ヤク3頭で、10キロ先にある6500mのABCに荷上げ開始。 (ヤク使い2人とメスナー、彼女の4人。ポーター・シェルパは無し)7月14日 6000m地点に中間キャンプ設置。BCより6Kmの地点7月15日 6500mにABC設置。一ヶ月分の食料・燃料荷上げ完了。 この間、BCに降り天候待ちと高度順応、周辺への小旅行実施。 BC入りしてから、合計約7週間の高度順応期間を取っている。 8月16日 BCからABCへ移動。 約10Kmの緩い登り。彼女は以後ABCに待機、中国側連絡員はBCに待機。 8月17日 ABCから7000mのノース・コル直下に18キロザックをデポ。 ザックには、7日分の食料・燃料・軽テント・寝袋・マット・カメラ等。 標高差500m・最大斜度45度の雪壁を、2時間で登り、30分で下山。8月18日 ABCから45度の雪壁を登りノース・コルへ。9時・7360m地点、 3時・7800m地点でビバーク。8月19日 北稜ルートの計画を、雪の安定したクーロワールルートへ変更して、 幅2キロの大斜面をトラバースし、クーロワールへ200m手前の、 8220m地点でビバーク。8月20日 ピッケル・カメラのみ携行、他はデポ。8時出発、3時登頂、4時下山 開始。日没後ビバーク地点に戻る。8月21日 ストック・ピッケル・ザックのみでABCへ。他の軽テント・寝袋他は、 全て放棄して下山。 高所で体力を消耗した為か、ノース・コルからの降りで、2度滑落。8月22日 ABCで体力消耗のため、動けず停滞。8月23日 BCへの10キロの道を、彼女と一日掛かりで歩く。◎充分な高度順応と天候の読みで、 一度のアタックで未踏のルートを登攀してしまう意思・体力は凄いです。 が・・・必要の無い装備他を棄てて下山とは、メスナーらしい遣り方。 ネパール側エベレストBCの、ゴミの量を非難してた者とは思えない行為・・・・エベレスト北面北稜ルート(青線)の一般的なキャンプ位置▲と標高、難所●のステップⅠ・Ⅱ赤線はメスナーが登攀したルートと、白◯はビバーク位置。◆2回の高度順応期間(約7週間)を経て、5100mのBC周辺を、 普通に走って歩けたと書いてます。 考えられない事ですが、8千m峰14座を無酸素で完登したメスナーは超人です。◆北稜最大の難所は、6500mのABCから、7000mのノース・コルに至る、 標高差500mの内の400m(45度の急斜面)だと言っている。 ここで、登りで一回・降りで二回滑落している。◆当初計画は、北稜からの予定だったが、稜線上の雪が軟らかく膝深の処と、 最中雪の処が有り、体力消耗と時間ロスを考え、 ノートン・クーロワール(グレート・クーロワール)にコース変更。 単独登頂としてセカンドステップの、梯子通過の是非の記述は無し。 当時は、人工物に触れる事により、単独不成立との概念が無かったのかも・・・ メスナーは、セカンドステップを見て、ハングした壁と述べている。では、セカンドステップとは、どんな処でしょうか・・・ 3枚の画像は、1995年日大山岳部が北東稜から初登頂した時の画像。 ①セカンドステップ下部 ②核心部梯子 ③セカンドステップ上部①写ってるのは、シェルパ②1975年に中国隊が設置した梯子が健在です。③画像左の岩稜は、通過して来た北東稜。◆著書の中に、〝リズム〟と言う言葉が何度か出て来ます。 栗城は、これを真似て言ってたのかも・・◆使用した軽テントは、何故か?ニッピン製の所謂、ゴアの〝メスナーテント〟です 何故、栗城がアライ製の〝ライズⅠ〟(ペラペラのナイロン生地)なのか不思議です 多分軽いからでしょう。 ◆ピッケル・アイゼンは軽量のチタン製、ピッケルは1本のみ。 チタンは、冷たさが苦に為らない不思議な金属、硬く高価で加工が大変。 栗城の計画が発表になった段階で、メスナーとの比較をして見ます。
2016年07月18日 タンカ【釈迦如来曼荼羅図】 2006年の春に、ヒマラヤ登山をした時に入手した物。 ネパールは、ヒンズー教を信仰する部族(80%)と、 チベット仏教を信仰する部族(10%)が共存してる国です。 南はインド・北はヒマラヤ山脈を挟んでチベットに接しているからです。 高い山々に囲まれてて、昔は交流も少なく、多民族・多言語国家と言われてます。 チベット仏教徒の多くは、ヒマラヤ山脈の麓に住んでます。 シェルパ族が主で、彼等の家には、この様なタンカとダライラマ師の写真が、 祭壇に飾られています。 このタンカ【仏画】は、チベット仏教の僧が修行の一環で描き、 寺院(ゴンパ)の現金収入にしてるものです。 ローソクだけの薄暗い寺院の中で、描かれたものとは思えない鮮やかさです。 拡大して御覧下さい、緻密さに驚きますよ~ 目の表情がどの顔も優しいのです。 4辺が不揃いの、厚手の布(油絵用のキャンバス地の様な物)に描かれてます。 サイズは幅約30cm・長さ約40cm。 拡大画像(上・左) 左上に山並みが描かれてます、ヒマラヤ山脈でしょうか・・・ 拡大画像(上・右) 金線・銀線で縁取りされてて、光の具合で輝きます。 白い三角天幕が描かれてます、モンゴル遊牧民のパオに似てます、 チベット族も、昔はこんな天幕で暮らしてたのか・・・ 拡大画像(下・左) 象のほか、想像上の動物達が、多数描かれてます。 拡大画像(下・右) 火炎を纏った、餓鬼も描かれてます・・・ 額に入れて、ベット脇の壁目線の高さに飾って、寝ながら眺めてます。 信仰心は無いですが、見てると何となく落ち着きます。
2016年09月13日 中国隊のエベレスト登頂動画 2016年4月~5月に中国人14名(男女)が、全員登頂に成功した動画がYouTubeに出てます。ガイド付き登山ですが、BC→山頂→C1まで詳細な画像は珍しい。約1時間の動画ですが、見応えか有ります。折りしも栗城が、この画像の北稜を挟んだ、西側の中央ロンブク氷河で、行動してますから参考にと思い紹介します。この隊はノーマルルートの、東ロンブク氷河からノースコル経由で登頂。これでも一番楽なルートですから、グレートクーロワールとは比較に為りませんが。動画の概略を説明します。4月 6日 中国国内から、ラサに到着。 11日の出発まで、食料等の調達をしてたと思われる4月11日 ラサを車で出発。(この間、3600mのラサで高度順応してたと思われる)4月13日 BC(5200m)到着。(17日まで、高度順応してたと思われる)4月17日 BC→ABC(6450m)へ。(東ロンブク氷河沿いに10キロ先)4月24日 プジャ。4月26日 ABC→ノースコルC1(7000m)へ。(17日から充分な順応期間が有り) 悪天候で、BCまで下山。5月14日 BCから再出発→5800m(中間地点で一泊)5月15日 ABC着。5月16日 ABC→C1へ。(昼から標高差500mを登り夕方C1。 途中からアイゼン・Fixザイルをユマールで確保しながら登ってます。 5月17日 停滞か?5月18日 C1(7000m)→C2(7700m)へ。(酸素を吸ってます、Fixベタ張り)5月19日 C2→C3(8220m)へ。(晴れてるが強風、雪煙が舞ってます)5月20日 C3→山頂→C1 C3を夜中の12時に出発、8600mのセカンドステップ着が5時。 アルミ梯子を登る様子と、各隊が残置したザイルが見られます。 7時45分に登頂、帰路C1への下山の様子も見れます。日程も2ヶ月近く・高度順応期間も各高度で充分に取れた事が、全員登頂に繋がったと思うし、リーダーの手腕が素晴らしい。では、動画をどうぞ。 https://youtu.be/ZeSqJK2Rais如何でしたか? これがエベレストの簡単なルートです。ネパール側のノーマルルートも同じ様なものですが、こんな処を、いやこれ以上の難ルートを〝単独・無酸素〟で、登るクライマーが数多くいる事に驚きます。勿論亡くなった方も多数ですが・・・
2016年10月04日 キリアン・ジョルネ エベレスト北稜の記録 栗城と同時期に、エベレスト北面に居た、キリアンが2016年9月28日付けの、〝SUMMITS oF MyLIFE〟 の中で、今回の遠征登山の概要と総括をしてます。キリアン隊は、ジョルディ、アルプスガイドのセバスチャン、ビビアンの4名。東ロンブク氷河のノースコル(7000m)から順応し、中央ロンブク氷河から、ホルバインかグレートを登攀する計画。8月7日 ネパール・カトマンズに到着 手続き、その他8月16日 中国・ラサに到着8月19日 ロンブク到着(寺院の在る処、BCの手前)8月22日 6500mABCの予定が、5キロ手前の6000mでキャンプ。 (雪でヤクが進めなかった模様、この点は栗城と同じか・・)8月29日 7200mのラプ・ラから7700mに登る。 (北東稜末端の東に有る山・高度順応の為)8月31日 最後の順応で、8000~8200mに登る予定が7600mで天候悪化の為中止。 良い状態で55度の斜面を登れたと。 (7000mノース・コルでの、キリアン)9月8日 3時に出発して、7000mへ 天候悪化9月11日 チャンツェ7553mの7519mからスキー滑走。 (ノース・コルの北側の山、この山の登頂を目的にする隊も有る位の山)9月12日 昼までに北稜を7950mまで登ったが、雪が降り始め下山。 (登攀する、キリアン)9月13日 ビビアンとチャンッエの6910mからスキー滑走。9月15日 撤退決定。9月20日 ラサで打ち上げ宴会。キリアンのメモ。22日に書かれてる90-80-85の数字は、血中酸素飽和度の数値と思われる。天候が悪く7950mで撤退した、キリアンには気の毒だったが、もう少し我慢をしてれば、今の好天で登頂の可能性が大だったのでは・・・・9月12日に、晴れ間を見て6000mから7950mを日帰りとは、恐ろしい速さです。流石、速攻のキリアンだと・・・それに引換え、5600m(ABC)~6100m(C2)を、ウロウロしてる栗城は駄目ですね。さて、今晩の栗城ブログ更新を楽しみに・・・・それと、当ブログにキリアンは東ロンブクなので、栗城とは遭遇してないのでは? との、コメントを戴きました。キリアンのHPには、順応後に中央ロンブクに移動したとの記載も無く、どのルートの7950mまで登ったのかも記載無しです。(北稜ルートとは思うが・・)もしかしたら、最後まで東ロンブクに居たのかも知れません、済みませんでした。追記小生が50年前に山登りをした頃は、キリアンがメモした様な行程表を書き、冬山に向かったものです。形式は違っても行動記録として、外国人が同じ様なメモを残してる事に、万感の思いをしています。栗城には、知りえない事でしょうが、計画と実績の差が一目瞭然に見られる表ですから、実践して欲しいメモです。栗城はこんな事も知らないと、思ってますが・・・**************************************************追記 翌2017年春のチベットでの無酸素登頂の記録第1回目の登頂(5月20日~22日)標高5100mのBCを、20日の夜10時に出発。26時間後の22日、真夜中に登頂。午前0時15分に下山開始。22日、正午過ぎに6500mのABCに到着。延べ38時間の行動。第2回目の登頂(5月27日~28日)1回目の記録に満足出来ず、2度目に挑戦です。27日に標高6500mのABCから、17時間後の28日に登頂。即日ABCに帰還、行動時間は延べ28時間30分。通常チベット側からの登頂は、天候に恵まれたたとして。1日目 ABC⇨C12日目 C1⇨C2(酸素を吸う)3日目 C2⇨C34日目 C3⇨登頂⇨C2又はC1まで戻る5日目 ABCに帰還初日に、C2まで登れたとしても、往復4日の行程です。