5月26日
この春のエベレスト登頂者が、5月25日現在で14人となりました。
5月19日から23日に掛けての快挙です。
天候待ちに耐える強い心と、一気に登れる体力が欠かせません・・・
北稜ルート・南東稜ルートと半々の有酸素登頂ですが、登った者勝ちです・・・
このリストには、日本人初登頂者の松浦輝夫氏以下、
5月23日登頂の南谷真鈴(まりん・19歳)さん含み、213人の登頂日・年齢・
所属・登山ルート等が記されてます。(資料・日本大学山岳部・編)
細かくて見難いでしょうが、拡大して御覧下さい。
若干、説明をしますが・・・
登頂者No1が松浦氏(早大)となってます。
植村氏(明大)が山頂目前までトップで登ってましたが、
年長者に道を譲り、2番目に山頂を踏みました・・・これには2つの訳が有ります。
①両氏共に大学山岳部出身で、先輩に先に登頂して貰った。
②日本山岳会が、遠征隊員に個人負担金を課したが、植村氏は払えず、
荷揚げ・ルート工作要員として参加しました。(アタック要員ではなかった・・・)
しかし高度障害等で次々とアタック隊員が脱落し、荷揚げ等で活躍した植村氏に、
登頂のチャンスが巡って来たのです。(明大時代から黙々と登る姿に、団栗と字)
植村氏は、負担金を納めた他の隊員への配慮が有ったのかも知れません・・・
のちに、松浦氏は、すばらしい仲間に恵まれ登頂出来たと言ってます。
その後は、山岳同志会・イェティ同人・カモシカ同人等の、
当時一世を風靡した社会人山岳会が活躍。
No70、野口 健(当時25歳)がいます。彼は、海外の商業登山隊に参加し、登頂。
当時、国内にはまだ商業登山を業とした組織は無く、
体力的に劣る日本人の海外商業登山隊参加は無理と、言われた頃の快挙です。
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No123、岩崎圭一(当時32歳)
彼は、インド洋の波打ち際から、自転車と徒歩で一年掛かりでヒマラヤへ。
商業登山隊に参加し、見事に海抜0mから一発登頂。
費用は、道すがら得意の手品を見せて賄ったとか・・検索すると旅日記が見れます。
No184、渡邉玉枝(当時73歳)
彼女は、2002年に続き2回目の登頂です。現在も、女性世界最高齢登頂者、
今でも山を歩く早さは、並みの男以上とか・・・しかも、ゴミ拾いしながら・・・
No185、村口徳行(当時55歳)
日本人最多登頂者タイ 7回目の登頂
No206、倉岡裕之(現在54歳)
日本人最多登頂者タイ 7回目の登頂
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No212、田村 聡(現在50歳)
今年、3回目の挑戦で登頂、視聴覚障害者で世界初の快挙。
No213、南谷真鈴(まりん・現在19歳)
早大生、過去にアルプス・アコンカグア・マナスル・ビンソン(南極最高峰)等に登頂。南極点にも到達してる若手の女子。
ヒラリー、テンジンが初登頂して以来、
6000人~7000人が登頂したと言われる、エベレストですが、ドラマは尽きません。
世界最高峰ゆえでしょうか????