海彦・山彦の白秋日記

八幡平の樹氷(2025.2.2)

カテゴリ: 下山家 栗城劇場

2017年03月01日
栗城 エベレスト北壁の訓練中


最近、栗城がこの春に計画してる、エベレスト北壁攻略に向けて、
ガイド付き訓練を始めた様子です・・・・


昨年秋季にチベット側の、エベレスト北壁を登ると息巻き、
多額の金を〝集金〟して、素人同様の仲間を集め、
①高度順応に失敗(雪崩そうだと、順応ルートを諦め)
②グレートクーロワールルート敗退(取り付き点で)
③ホルバインクーロワールルート敗退(ホルバインクーロワールにも到達出来ず)
雪が多い他の理由で、予想通り敗退でした・・・・

意気消沈か? 資金繰り難か? で、暫し沈黙を守ってましたが、活動再開の様です。



エベレストに向けた訓練の様子を、見て見ましょう~
黒字は、栗城FB・江本FBから引用

2月22日の栗城FBより

二週連続で甲斐駒ケ岳に行き、昨日は富士山へ。
2週甲斐駒と言ってますが、内容には触れてません。
昨年同様の黒戸尾根経由と思われるが、一切不明です・・・
減量しながら筋肉を増やすトレーニングと食事をしながら色々準備してます。
ちょっと? です・・・
普通高所登山を志す者は、入山前にそこそこ体重を増やすものです。
理由は、高所での食事は空腹を満たすだけのもので、血となり肉と為りません。
高所での行動力の熱源は、体内に蓄積された蛋白質・脂肪を燃焼させて造ります。
小生の体験では、2006年に5千m~6千2百mの高所に10日程滞在しましたが、
3食喰っても8kgの体重減の症状が出ました。

でも、富士山は出発直前にやめました。
理由は「今日じゃない」と言われてる気がしたからです。
言い訳の意味不明ですね・・・
 (ちなみに来月は富士山と低酸素トレーニング三昧になります)
最近は、地上の山登り(冒険の共有の準備)や企業講演、
そしてトレーニングと毎日遅くまで予定がびっしり。。
しかも山は楽しむよりは、
長く行動するためのトレーニングとしてロングルートばかりです。
疲労が貯まっているのは明らかでした。
富士を辞めた理由は、疲労感のようですねぇ~
平地で疲れて、富士を辞める様では、8千m然も北壁は???
体調不良じゃないけど、
「やめた方がいい」と富士山に言われてる気がして直前でやめました。
おかげさまで久しぶりに温泉入ってゆっくりできました!
今週は八ヶ岳で色々登攀です。
※ また近くチャレンジが始まります。。

この栗城FBに、富士吉田口5合目佐藤小屋の多分子息の保氏がコメント、
「富士山に来た時には寄って下さい。」

馬返しから歩けば、嫌でも5合目佐藤小屋の前を通らなくては、上に往けません。
昔から冬の富士で営業して居る唯一の山小屋です(最近は週末営業の様ですが)。
吉田口から冬富士に登る者の殆んどが、上部の状況を知る為に、顔を出すのが常識。
何回も吉田口から往ってる栗城が、顔を出してないとは・・・信じられぬ・・・
顔での登山届けや・下山届けすらしてない事に為りますねぇ~
得意の隠れてコソコソ・・・でしょうか・・・



2月24日の江本ガイドFBより
江本 悠滋さんが写真4件を追加しました — 栗城 史多さんと一緒です。
快晴の八ヶ岳です(^^)
今日はエベレストに挑戦し続ける栗城君の依頼で彼のトレーニングに来ています。
ただいま小屋を出て5時間と10分ですが既に赤岳主稜を3回登ってます😅
いつまで続くのかな〜
赤岳鉱泉から往復で7時間30分=赤岳主稜4本でした〜😲
江本も、去年の花谷も国内では一流のガイドだが、
何でこんなのに依頼されて、
ノコノコガイドするのか疑問??? 日銭が欲しいのか・・・

栗城がFBで発表する前に、江本ガイドが画像付きで、同行登山の内容を発表。
ザイルで上から確保されて、同じピッチを4回も・・・・
大学山岳部員の下級生が、登攀訓練(ピッケル・アイゼンの使い方)するレベルです。
客が一人だと、江本レベルなら、一日 顎足別で4.5万は取られるだろうに・・・
栗城FBより
「苦行は変化を取り入れて楽しむ」
24日(金)、トレーニングで八ヶ岳に行ってきました。
23日に急激に気温が上がり、
雨や雪で希望していたルートの雪が不安定で赤岳主稜に変更。
1回登るだけではトレーニングにならないので一日で4回赤岳主稜を登ってました。。
登っては同じ山頂。
登っては同じ山頂。
登っては同じ山頂。
登っては同じ山頂。
同じルートを連続で登攀するのは意外と精神的にくる苦行です。
でも、景色は変わらなくても常に自分の中で「変化」を入れて楽しみに変える。
良いトレーニングでした。
体力的には5回行けそうでしたが、目が回る。。4回登って降りました。
赤岳鉱泉からは走って下山。
また頑張ります。
0740赤岳鉱泉発
1412赤岳山頂 4回目終了
ガイド付きだった事には触れてませんねぇ~
エベレスト単独・無酸素で登ると豪語する者が、
ガイドに引率されで、2千mの冬山で訓練中等とは、恥ずかしくて言えません・・・

同じルートを猿廻しで4回も通るより、別ルートの方が訓練に為るのに・・・と、
思うのは小生だけでしょうか?

エベレスト北壁・ホーンバインクーロワールからの登頂を目指してるのに、
ここで・この程度の訓練をしてる様では、
また先が見えてると思うのは小生だけか・・

昨秋のチベットでは、雪が腰まで有り、登れなかったと言ってたが、
越後や富山の豪雪地帯での、ラッセル訓練を計画する訳でも無く、
大学山岳部下級生レベルの訓練に傾倒する栗城に・・・・と思う次第。
この程度の訓練で、ホーンバインクーロワールが登れるなら、
既に何百人も登頂達成してるはず・・・・・


珍しく、栗城の山に関しての記述が有ったので、思わす一言・・・の次第です。


**************************************************************


栗城が、チームクリキ会員宛に、メールマガジンを発行しました。
内容をそのまま全文添付します、黒字の文章がそれです。
青字は、これに対しての私見です。
文章の支離滅裂な処が栗城らしいのですが・・・


4月10日からエベレスト北壁に向かいます!!
愈々、7回目の挑戦が始まる様です・・・・

チームクリキの皆さんナマステ。
ついに4月10日からエベレスト北壁に向かうことをチームクリキの皆さんに先に正式にご報告させて頂きます。
昨年10月の北壁敗退後に、再度挑戦すると言ってたが、本決まりの様です。
資金は足りてませんが、遠征メンバーも決まり、許可申請も近く出ます。
メンバーの発表は 、昨年秋の遠征でも有りませんでした・・・
今までのエベレストの挑戦は、全て秋季という季節の厳しい時期でした。
春は渋滞し、数珠繋ぎのように人が多いため「山を感じながら登る」それが不可能だと思い、避けていました。
 そう言ってるが、現実はシェルパに荷上げ・ルート工作をさせてるのを、
他隊に見られない様に避けていたのが本心でしょう・・・
しかし、昨年秋は最も雪が多くチャンスが本当に少なかったです。
昨年と同じ気象条件が来たら、登りに向かうことすら本当に厳しいです。
山に往く前から、登れない時の為に、予防線を張ってる様な気がしますが・・・ 
かなり時期について悩みましたが、昨年登った「北壁」はノーマルルートの渋滞とは違い、誰も向かうことはなく、ルートも比較的安定しており春でも北壁であれば「山を感じながら登る」が充分できると判断し、春の北壁に変更します。
北壁 は簡単に登れるルートではないので、他隊とニァミスする事は殆んど無し。
因って、単独でないのがバレル心配がない・・・
皆さん応援、本当にありがとうございます。
そして、今回資金が足りなくてもなぜ再び向かうことができるのか?
資金という壁をどうしたのか?
答えは。。
「借り入れ」をして向かいます。
エベレストの個人の遠征費250万ぐらいです。それは自分で用意してきましたが、問題は冒険の共有を行うための資金です。
スタッフの人件費、スタジオ費用、機材費、衛星回線費と「登る」以外の費用の山が相当高いです。
おやおや、前回(6回目の敗退時に) 3時間中継予定の衛星回線費は、
中継しなかったので残ってると言ってたのが・・・銀座で散財したの・・
その費用を工面するために講演やスポンサー、チームクリキの皆さんに応援して頂きながらなんとかやってきました。
よく、「沢山のスポンサーがついて羨ましい」なんて言われますが、スポンサーが全てを賄ってくれるわけではなく、不足した場合は「借金」してでもやり遂げる!
それを過去4回やってきました。(5回かな。。)
「資金が足りないからやめる」のではなく、
「資金が足りなくてもやり遂げる」
遠征後に講演しながら返済していくことをやってきました。
金融機関2社から借り入れが決まりました。
ただ、そのやり方は長くは続けることは難しく、また精神的にもかなり追い詰められます。
それが最悪な形として現れたのが2012年の時、シシャパンマ南西壁滑落とエベレスト西稜の凍傷でした。
精神的に追いつめられ、執着しない正しい判断が難しかったと思います。
借金の事が頭から離れず・・が、過去の滑落・凍傷の原因の様な言い方ですね・・・
滑落は氷雪技術不足・凍傷は知識不足以外の何物でも有りません。
その後、父から「苦しい時は、苦しいと人にいいなさい」と言われ、考えてたのがクラウドファンディングでした。
栗城一人で冒険の共有をやっているじゃない。
一緒に支えてくれている人達がいると本当に助けられました。
本当にありがとうございました。
試練は再びやってきます。
昨年、秋季エベレスト北壁では体調不良により2名の欠員が出て、充分な冒険の共有ができませんでした。
素人を同行させたのが原因、高山病でダウン・・・
それも含めて冒険かもしれませんが、その「責任」を感じて、次回はクラウドファンディングは「やりません」と宣言しました。
前回クラウド の締め切りが近づいても金が集まらず、クリキサポーター名目で、
自己資金を注ぎ込んでやっと達成。この遣り方には可也の批判が有りました・・・
資金は足りないのに。。
でも、嬉しいのは「またクラウドファンディングやりましょうよ」と講演会場や様々なところで声をかけて頂けました。
本当にありがとうございます。
そこでは栗城は考えました。。
「チームクリキを増やそう!」
チームクリキはそれぞれの見えない山を応援し合う場でもあり、仲間でもあります。
その「輪」を広げて少しでも冒険の共有の費用も補えたらと思います。
会員の 現在の年会費は現在6480円です、何人の会員が居るかは判りません。
前回のエベレストでクラウドを遣った時は、400人程度の出資者が居たと思うが・・
『皆さんにお願いがあります』
3月中旬に新しくチームクリキの募集(冒険の共有のご支援のお願い)を行います。
その「告知」や「仲間集め」をチームクリキの皆さんにお願いしたいです。
具体的なお願いは下記になります。
既存の会員に、新会員を集めさせると言う、新しい方法の様です。
ネズミ講に似てますねぇ・・・
1、newチームクリキ「NO LIMIT」Tシャツを着て頂き、「PR」のお願い。
※今年のTシャツはチームクリキ関西のズッキーさんの奥様ユキさんにデザインして頂きました!ありがとうございます!
2、皆さんの周りでチームクリキに入って頂けそうな方にに栗城からお手紙とサイン付きエベレストクリアファイルを送らせて下さい。
※具体的な詳細は後ほど
3、チームクリキの特典を増やし、冒険の共有の支援ために年会費を上げるご理解のお願い。
昨年、クラウドファンディングで好評だった「一緒にエベレスト」皆さんの大切な写真を持っていき、一緒に撮影。
「No limit対談」(ラジオ)
「応援Tシャツ」も追加して、全て込みで年会費の金額をを12000円(税込)とさせて下さい。
年会費を 約2倍にして、Tシャツ付きですから、計算上は丸々1万円の収入増です。
果たして何人の会員が残り・何人の新規会員が増えるのか・・・
会費値上げで会員が半減したら・・なんて、考えて無いようですね。
昨年のクラウドファンディングの1万円コースに近い形になります。
※今、チームクリキ加入の方に差額などの対応方法を後ほどお知らせさせて下さい。
より一層皆さんに喜んで頂けるよう頑張ります。
そして、冒険の共有の資金のためにご理解をよろしくお願い致します。
皆さん、いかがでしょうか?
どうやってチームクリキの仲間を広げられるか皆さんのお知恵やアイディアもぜひコメント下さい。
普通 プロと称する登山家は、登山用具の開発アドバイスをして、
メーカー支援を受けるとか・・
過去の登山記を執筆して、原稿料や印税・講演料を貯めたり・・
登山技術を生かした肉体労働(歩荷・ビル窓拭き・ガイド等)をして、
遠征資金を稼ぐのが一般的でしたが、
栗城の場合は、他人の懐を当てにしてる様ですねぇ・・・
地上の山、大変厳しいですが頑張ります。
皆さん、いつも応援本当に本当にありがとうございます!
明日から低酸素トレーニングです。
低酸素トレなどは、今からしても意味が無く、直前集中するのが有効。
今は、基礎体力強化と苦手な雪克服に励む時期ですが・・・


以上栗城が 会員に流したメルマガです。
過去、〝冒険の共有〟〝否定の壁を乗り越える〟と言い〝集金〟し、
結果を出せずも、これが共有と言ってたが、今回は苦境に立たされてるようです。



春のエベレストの登頂時期は、5月中旬~下旬がベストシーズン。
4月10日から、何日の登山期間を設けるかで、先が見える気がします。
いつもの如く、ひと月半程度の日程では、高所順応期間などを考えると、
出発時期が遅いと思うのだが・・・まずは、期待して様子見です。



*******************


3月9日 追記  チームクリキ会員FBより
イメージ 1

チームクリキ会員に会費変更発表した途端に、多数の苦情が有った様です。
早くも〝集金〟システムの崩壊です・・・今後、どうするのか・・見ものですね。
しかし、こんな画像の様な事をしてて、北壁が登れるとは思えませんが・・・・



********************


3月22日 追記  チームクリキ会員FBより

3月17日に、こんな書き込みをしました。
(株) たお=栗城事務局には、
女スタッフが2名居ると言われてるが、人手不足の様です。

無償で4名募集してます・・・会員4百人足らずの運営なのに・・・

会費を約2倍に値上げすると発表し、苦情が出ると即撤回・・・
今度は〝タダ働き〟する者居ないか? との提案。
銀座に構える、月額家賃50万とも言われてる事務所兼住宅から撤退して、
運営経費を節約しようとの発想が無い馬鹿・・・救い様が無い・・・

4月9日のヒマラヤ出発を目前にして、余程金が無いようです。
ヒマラヤの準備は?  こんな事してる場合では無いと思うのだが・・・

イメージ 2


**************************************************************

この春に、7回目のエベレストに敗退して以来、公式ブログは更新されず、
自身のツィッターhttps://twitter.com/kurikiyama/も非難の嵐で放置状態です。
〝自称 登山家〟が山に登らないで、何をしてるのでしょうか???


栗城が以前に室内訓練の画像をブログに載せてました・・・
それがこの画像です。
イメージ 1
流行のスラックラインに乗り、ピッケルを両手に持ちバランス訓練中だそうです???
本人は〝氷壁登攀〟のイメージだと思ってるでしょうが・・・(>_<)
それに画像の様なストレートシャフトのピッケルでは、使い物になりません・・・


このスタイルは、ピオレトラクション(PioletTraction・仏語)、
又はWアックス(英語)と言う氷壁・雪壁を登攀する技術名です。
アイゼンの歯を刺し・ピッケルのピックを交互に刺しながら、
3点支持で安全に登る方法です。
イメージ 2
知り合いが登攀してる姿です


氷壁登攀には、この様な形状の特殊なピッケルを使います。
シャフト(柄)は、雪面に接しない様にベント(曲がり)が付いてますし、
ピックは、バナナピックと呼ばれる通常のピックより反った形状です。
この形状が刺さると抜け難いのです。しかもシャフトが握り易い様になってます。
イメージ 3

これはハンマータイプの物で、
アイスハーケン・ロックハーケンで、支点を取る時に打撃出来るハンマー付きです。
イメージ 4
このハンマー付きが無ければ、別途ロックハンマーを持つ必要が有りますが、
この2本が有れば軽量化が図れます。

常にシャフト下の握りを掴んで登る訳でも無い場合は、下図の様な物も有ります。
イメージ 5
さて、用具の説明を終えて本題に入ります。
先程の栗城の画像を拡大して見ました・・・・が・・・・


右手の黒いピッケルのピックは氷壁・雪面を捉える向きだが、
左手の白いピッケルは、ピックが逆向きでないの?・・・・
これでは、実際にWアックスが必要な壁を登攀した事が無いのが一目です。
何処かで聞いたうろ覚えを遣って見ただけでしょう・・・

アンナ南壁時の高度順応でも、プラトーをプラットホームと言ってた事を思えば、
山の知識が限り無くいい加減で雑です。
イメージ 6
この画像は確か アンナプルナ南壁に行く前に掲載したと思うが、
これでは南壁の基部までより登れなかったのが納得です。
如何にも俺は頑張ってる・・の姿でしょうが、道具の使い方すら知らない・・・

アンナ南壁の左リッジ・ルートから初登攀にしたイギリス隊も、
第2登に成功した群馬岳連隊も、
皆さん普通のストレートシャフトピッケル1本で登ってます。
北壁Gクーロワールでも、メスナーはノーマルシャフトのピッケル1本で登攀。


この春、エベレスト北壁の青氷に手も足も出ず、
鞍替えした西稜にも登れずに、7度目の敗退した栗城が、秋にフランスで訓練とか・・・
何を訓練して・何を得るのか? 楽しみですね~ 
来年は、8度目のトライのようですから・・・・


2017年6月4日付けの栗城公式ブログの中に、以下黒字の書き込みが有ります。
9本の指を凍傷で失ってから左手はピッケルを持つだけでも精一杯。ほとんど右手だけで支えなくてはいけない。
それでいて長時間いや、数日間もこのブルーアイスと格闘することができるだろうか。
この状態なのに、上記の添付画像の様な登攀は出来るはずも無く、
格好だけのポーズな事が判りますね・・・・

**************************************************************


栗城が春のエベレストから帰り、〝長文・言い訳〟ブログを発表して以来、
ひと月半振りにブログ更新です。(黒字は栗城ブログより、青字は私見)

みなさん、ナマステ。
(中略)
そして、昨日今日と2日間、小樽の赤岩にて尊敬している山の先輩とトレーニング。
(中略)
イメージ 1
講演で札幌に行き、その後2日間小樽の赤岩(ゲレンデ)で岩登の練習とか・・・
その様子の画像が添付されてました。

多少思う処が有るので、取り上げました。

●メットの被り方が雑
 サイズが合ってない・額が隠れないメットは、被って無いも同様です。
 グリベル製の高級品が、泣き崩れます・・・

●服装・・・半袖・短パン
 夏なので、脛出し・・・話にならない。

ここまでは、栗城の心構えの問題です。
尊敬している山の先輩とトレーニングだとか・・・こんな事を容認する先輩???

●次に、技術(方法)的に気になった点(プログ主的には×な事)
 説明が判り難いと思いますが、画像と見比べながら、読んで下さい。

 トップ(先行者)は、栗城が居る地点で1ピッチ目を終え、
 そこに栗城が登って来たと思われる。
 栗城は、2個の残置アンカーから支点を取り、
 青色カラビナを通し・セルフビレー(自己確保)をしたのはいいが・・・・・
 トップへ続くザイルが、栗城のセルフビレーの壁側(裏側)を通ってます・・・
 トップは既に2ピッチ目を登ってます。

 仮にトップが墜落し、そのショックで画像右上に写るビナのハーケンが抜け、
 青色ビナの奥(壁側)にある、鎖から取ったビナが破断したらどうなるのか???

 墜落者から続くザイルが、
 栗城の白いディジーチェーン(スリング)と体の間を通って、
 落ちて往く事になります。
 半袖の左腕が、流れるザイル擦れにより火傷かも・・・
 スリングが墜落加重に耐えられなければ、栗城も道連れ・・・
 ビナやスリングの破断は通常は考えられないが、
 墜落のショックでハーケンが抜ける事はよく有る話しです。

 栗城が自己確保の為にビレーを取る時に、
 ザイルが通ってる目先のビナよりも、壁側の位置でなければ安全とは言えません。
 細かい話しですが、小生ならばそうします・・・

 また、栗城がここに登って来た時には、トップがこの位置に居たはず・・・
 栗城がビレーを取るのも見てたはず・・・
 尊敬している山の先輩が、何で一言言わないのか??? 不思議・・・

小生は20代以来 岩登りはしてないが、些細なミスが事故に繋がります・・・ 

それと・・・
●クライミングシューズを履いて練習してる様ですが、
 栗城が登ろうとしてるエベレストには、クライミングシューズは不釣合い・・・
 何の足しにも為りません・・・
 北面(チベット側)のセカンドステップや、
   東南稜のヒラリーステップの、ノーマルルートを登るだけでも、
 高所登山靴にアイゼンを装着した状態での、岩登り訓練が重要です。
 この訓練は、あのイッテQのイモトでも遣ってる訓練です。
 況してや北壁や西稜は、岩と氷のミックス帯・・・
 フリクション(摩擦)の効くシューズで登れても、アイゼンだとそうは往きません。
 2倍も3倍も難しいのです・・・
 高峰を目指す岳人は、皆さんそのような訓練をしてます。


**************************************************************

拙ブログ ★★下山家 栗城劇場★★ と題した【項】の中で、
’15年秋季エベレスト5回目(ネパール側ノーマルルート)の結果敗退
’16年春季アンナプルナ南壁(左リッジルート)の結果敗退
’16年秋季エベレスト6回目(チベット側・北壁)の結果敗退
’17年春季エベレスト7回目(チベット側・北壁&ネパール側西稜)の結果敗退

に、付いての私見を述べて来ました。
何故 登山界が相手にしない栗城に拘って、ブログで取り上げたかと言うと、
下山家 栗城劇場の冒頭にこの様に記載してます。

********************

山登りを商売の道具にして、講演(口演)で金を稼ぐ生活。

タイトルを遭えて〝下山家 栗城劇場〟とした。

栗城の行動を、小生の経験・体験から〝検証〟して書いてます。
個人的〝見解〟なの、あしからず・・・・




〝無酸素・単独登頂〟の定義〟

BC→山頂→BCの間に、第三者の支援が無く、
第三者が設置した人工物に一切触れずに行動した場合を言う。

栗城が無酸素・単独で登ったと言ってる山の全てが、
この定義からは外れてます。


********************

この思いは、今も変りません・・・
栗城には、山を登りたい気持ちが有ると思い、
「あーすれ・こーすれ」と激励したつもりでしたが、
最近、ある方の記事を読んで以来、考え方に変化が・・・

その方は、早大探検部OBで、卒業後〝山と渓谷社〟に勤務、
現在は独立し山関係の著述業をしてる森山憲一氏です。
かなり説得力の有る内容です。

森山氏の略歴。
栗城に関する記述①
栗城に関する記述②
栗城に関する記述③(黒字は森山氏の原文、2017年7月25日火曜日記載)

ここのところなにかと忙しく、ブログの更新もすっかり間があいてしまいました。
この間、前回・前々回に書いた栗城史多さんの記事がプチ炎上状態でたいへんでした。
会う人会う人から「読みましたよ」と言われ、
ついには「栗城史多」で検索すると、
このブログが1ページ目に表示されるという事態に。

じつはこの間、栗城史多さん本人にも会いました。
あるメディアが興味をもってくれて、取材をしようとしたのですが、
記事化は断られ、「会うだけなら」ということで、本当に会うだけ会って、
1時間半ほど話をしてきました。

感想としては、前回・前々回のブログはとくに修正の必要はないな、ということ。
そして、取材として受けてもらえない以上、
これ以上こちらにはできることはないので、この件は自分的には終了というか、
一段落という感じです。

栗城と会って話したが、記事にする事は断わられたと。

森山氏の記述を読まれた感想は如何でしょうか?
森山氏は、前回・前々回のブログはとくに修正の必要はないと言ってます。
自分の登山観(山に対する考え方)や手法の記事化を断わるとは・・・
金儲けの為に山を利用してる・・・と思われても仕方のない事ですね~

氏の①の記述の中に、
かつて、服部文祥さんが栗城さんのことを「登山家としては3.5流」と言って話題になったことがありました。3.5流という評価が合っているかどうかは別として、登山家としての実力が服部さんより下であることは間違いない。野球にたとえてみれば、栗城さんは大学野球レベルというのが、正しい評価なのではないかと思います。
と、言うくだりが有りますが、小生は少々違和感が・・・

小生は、酷な言い方ですが、栗城が大学レベルとは思ってません。
当地の高校山岳部の3年生と比較し、知力・体力面で彼等より劣ってます。
●過去に富士・吉田口の五合目(佐藤小屋)から降りる際、
 膝ラッセルを〝猛ラッセル〟と言ってますが・・・
 当地の高校生は、2泊3日程度の冬山縦走訓練は腰まで埋まっても、
 普通に苦も無くこなしてます。
●担ぐ荷の重さも、栗城の画像で見るよりは、遙に大きいザックを背負ってます。
●栗城は気象通報を聴きながら、天気図を記載出来るか?
  書けるはず無し・・・そんな訓練は受けて無し。
●先日の小樽での岩登り訓練は、大学山岳部一年生が夏山合宿で遣るレベル。
 八ヶ岳での有名ガイド同伴訓練も、アイゼンでの冬山訓練レベルです。 

最大限おまけしても、全てが高校山岳部3年生か、
大学山岳部1年生程度のレベルと思われます。
これで、エベレスト北壁だのアンナ南壁だのと言うのですから、
結果は見えてますよねぇ・・・・

多少、森山氏よりは辛口な表現ですが、
それ程間違った言い方はして無いつもりです。

森山氏の、
感想としては、前回・前々回のブログはとくに修正の必要はないな、ということ。
と言う感想の真意を図り兼ねますが、小生の思いと大同小異では無いでしょうか?

9月には、フランスで訓練とか・・・何をどう訓練するのか・・・楽しみです。
それが、「来年もやる!」と言うエベレストに繋がるか・・・・


**************************************************************

2015年4月25日に、ネパールで大地震が発生しました。
人口の約3割が被災したと言う惨事でした。
首都カトマンズの寺院等の世界遺産も被害に遭いましたが、
山間部の村で多数の家屋等が崩壊・・・
栗城が〝ふんばろうネパール〟を立上げ、募金活動を始めました。

被災集落への物資支援と、倒壊した小学校2校の再建が目標でした。
↓を見ると約6百万を集め、其々支援活動をした様です。
今回2校目が完成した様です。


黒字は栗城FBより
皆さんナマステ!
「ネパールに2校目の学校ができました!」
ネパール大震災から「ふんばろうネパール」を立ち上げて、様々な現地支援をしてきましたが、ついに2校目の学校が完成しました。
地元の利害関係、雨季による工事の中断と色々ありましたが、新しい耐震法に則った基礎工事がしっかりした校舎が完成しました。
勉強する事が楽しい、テキストの中の小さい世界からもっともっと世界が知りたい、とキラキラと語ってくれたそうです。
村の人たちから心よりの日本の皆さんに感謝を、伝えてくれと伝言です。
皆さんのご支援に心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
開校式には、ふんばろうネパールの事務局長が参加してくれました。(やりましたね!)
子供達の笑顔を見たら元気でるな。。
明日も頑張ろう。
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3
揃いの制服を着てるのを見ると、比較的に裕福な地域のようです。

誰もが出来ない様な活動をしながら、栗城公式HP公式ブログでは、
この事に殆んど触れられてません・・・・
事務局(株式会社たお)の対応が雑なのか?   シャイな栗城がそれを抑えてるのか?

彼の〝山登り〟には、散々苦言を言ってる小生ですが、
このような活動をしたことは評価します。

しかし・・脳裏に浮かんだのは・・・2011年の東日本大震災の時のこと・・・
栗城は〝被災した子供達にエベレストを見せ、元気にさせる〟と言い、
募金活動をしました・・・
其れなりの金額が集まったと記憶してますが、その募金は何処に往ったのか? 謎。


**************************************************************

12月15日

栗城が江本ガイドから、氷壁登攀の訓練を受けた様です。
互いに〝誰と往ったか〟を公表して無いが、画像の氷った滝が物語ってます。

今年の9月に訓練の為に渡仏。
春のエベレスト北壁での青氷に、手も足も出ずに敗退・・・
その為の訓練と思ってたが、氷には手を触れず・・・岩登り訓練のみでした。


江本ガイド15日のFBより
今シーズン初アイスクライミング(^^)
八ヶ岳はやっぱり寒かった〜
そして南沢大滝ばっちり凍ってますよ♪
イメージ 1
江本ガイドの画像を見ると・・・
アイススクリューで固定されたザイル伝いに、栗城が・・往き詰まってるのか?

イメージ 3
アイススクリューとは、こんな物。
上のハンドルを廻しながら、先の刃で氷に穴を空け捻じ込みます。
指の無い栗城には、重労働かと・・・



栗城15日のFBより

「低燃費」
皆さん、お元気ですか?
最近は企業講演や研修、教育のお仕事でめっちゃ忙しくしてましたが、八ヶ岳山荘にて、ちょっと早いクリスマスパーティーとお誕生日会をしてました。
久しぶりのアイスは、左手の指が5本無いためにバイル(氷壁を登る道具)がほとんど握れなく、右手のみで登っている状態です。。。
悔しいけど、やるしかないです。
今、無駄な酸素を使わない低燃費の身体作りをしています。
いい感じです!
※八ヶ岳山荘&展望荘楽しいよ。

〝低燃費〟な体作り等と馬鹿な事言ってるが、
 氷壁は〝ハイパワー〟で一気に抜ける位の体力が無いと駄目。
 危険地帯に長く居る事は、それだけでリスク大である。

◆左手用バイルのシャフトも、握り易い様に細く改造してない様子・・・
 町の溶接技術が確かな鉄工所に頼めば、それなりの物は出来るはず・・・
 本当に遣る気が有るのか? 疑ってしまいますね。
イメージ 2

来春か?秋には、又エベレストに8回目の敗退目指して挑戦のようだが、
この冬にガイド付きで、何回こんな訓練をするのか?  
この程度の訓練でエベレストの北壁が登れるのなら、
冬山を志す奴等は、ほぼ全員が技術的に登れる事になる。

指南役の江本も江本だ、ENSA(仏国立スキー登山学校)卒の肩書きが泣くぞ・・・
栗城の指南役を買って出るとは・・・金目か? 江本。

12月15日のこのFBに対するコメントに答えて
栗城 史多 ありがとうございます!皆さんに支えられた一年本当に感謝です! 近く、色々発表します。
長らく準備してきました。 そろそろ始まります。

く発表が有る様です・・・8回目のエベレスト敗退計画でしょうか???


********************


イメージ 4

イメージ 5


この2枚の画像は栗城公式ブログで公表した、
今年春のエベレストでBCを置いたロッジから、
クンブー氷河上のC2へ向うと言う栗城の姿です。
正式にはC1に向う姿です。
何故なら栗城は、通常氷瀑帯(アイスフォール)を抜けた処に設置するC1を設けず、
C2の位置に最初のCを張ってますから・・・それがC1に為ります。

背負ってるザックの大きさに注目・・・35~40Lの日帰り登山に使う様なザック。
これでC1から西稜に登り、西稜でワンビバーク後にアタックする姿に見えますか???
茶番以外の何物でも有りません・・・

いずれにしても、計画の発表が待たれますねぇ~~



**************************************************************


ネパール政府が、単独での登山を禁止・・・詳細は↓   

12月15日のFBでこの様に言ってるが・・・
栗城 史多 ありがとうございます!皆さんに支えられた一年本当に感謝です! 近く、色々発表します。。
長らく準備してきました。 そろそろ始まります。

政府の発表通りだとすると・・・
栗城の言う〝無酸素・単独登頂〟が、ネパール側からは認められない事と為った。
(今までも単独と言いながら、シェルパが同行してたから、影響無し言う意見も有るが・・)

残るは、チベットルート以外に無し。
北東稜のセカンドステップには、梯子が有り「単独で登頂した」とは認められぬ・・
北壁経由のメスナールートか?  クーロワールを直登する2ルートより無し。

さぁ~どうする 栗城。 
夏の〝おフランス〟での岩登り訓練と、八ッ岳での初級氷壁訓練が試される時だ!!!!!



********************



追記
12月31日の夕方 「みんなのエベレスト生中継応援グループ」と言う、
FBに投稿された内容です。(黒字は栗城記載、青字は私見)

「皆さん、本年もたくさんの応援本当にありがとうございました」
本年のお礼と来年の決意をお伝えに伊勢神宮に参拝に来てました。
伊勢? 意味が判りませんねえ・・・毎年富士山浅間神社に何の為詣でてるのか・・・
色々苦しいこともありましたが、今年も否定という壁への挑戦、そしてエベレストと皆さんの応援に心から心から感謝です。
最近は、トレーニングをしながら新しいチャレンジの準備に集中するために、
少しSNSは控えていました。(ごめんなさい🙇)

山に関しては、夏のアルプスと先日の八ヶ岳でガイド付き初級氷壁訓練だけ・・・
この程度でエベレストが登れるなら、皆登れるよ!! 栗城。

それがようやくめどが立ってきました。
まだ正式に発表はできませんが、来年は二つの大きなチャレンジが待っています。
一つエベレストの冒険の共有をやり遂げること。詳細が長くなるので後ほどです)

〝栗城流の単独登山〟が、認められなく為った事を知らない様です・・・

二つ目は否定という壁を無くすために「応援し合う世界を創る」教育の挑戦が始まります。
この二つ目は、栗城の夢である「否定という壁」を無くして、全ての人達のアイデンティティを応援し合える世界を創るために、時間をかけて準備してきました。
来年春に発表するのでまだ詳しいことは言えませんが、栗城が山の「先」にある目指していた世界にいよいよ挑戦します。
今まで静かにしていました分のマグマがついに爆発です。
2018年は犬年!年男です!

36歳に為る様ですが、地道に山登りの訓練をしてたら、とっくに登頂出来たはず。
信者から何拾回も登れる程の多額の〝お布施〟が有ったのですから・・・

なによりも皆さんからの応援やコメントの投稿が支えになりました。
本当に本当にありがとうございました!
心から感謝申し上げます。
良いお年をお迎え下さい。

二つの目標の発表が待たれますね。
続きを読む

栗城が半月振りにブログ更新です。
長くダラダラした文章ですが、前文掲載します。
黒字は栗城公式ブログより、青字は私見です。

feelー4月9日からエベレスト北壁に向かいます
肌を突き刺さす太陽と氷のように冷たい風、ぎゅっと締めつけられるほどの薄い空気。そして、どこまでも深いヒマラヤンブルーの青い空。
そろそろ戻る時が来ました。
銀座暮らしに飽きたのか・・・格好付け過ぎですね。
4月9日から、エベレスト北壁の無酸素・単独登山に戻ります。
そして、再び冒険の共有も行います。
色々ありましたが、まだ終わってません。
チームクリキ会員の年会費倍増計画が挫折した件を、指してるのでしょうか・・・
毎年、気象条件の厳しい「秋季」のエベレストに向かい続けてきました。
秋は春よりも気象条件が厳しく、春のエベレストは1シーズンに800人の人が入り、山頂近くでは渋滞します。
ヒラリー・ステップでの事を言ってるが、栗城はその高さまで登った事無し。
秋季は深い雪とジェットストリームと呼ばれる烈風が吹くため、通常の遠征隊はほとんど誰も向かわず、たまにマニアックな猛者しか来ません。
昨秋の、キリアン隊を言ってる様です。
登頂は出来なかったが、彼等が目指すスピード登攀の成果は持って帰りました。
彼等はABCから1日で7900mまで登攀、栗城はC1から3日掛けて7400mまで・・
体力の無さ(スピードの差)が、歴然としています。
栗城は、ダラダラ停滞の日々で・・・成果無し・・・
よく人から「なんで春にいかないの?春に行けば登れるに。」と言われて、答えたくてもうまく説明ができず、口を閉ざす自分がいました。
無酸素・単独を謳ってる者が、シェルパの支援を受けている事を、
他隊にバレルのが嫌っての事でしょう・・・他隊の目が怖いので春は敬遠です・・・
山に向かう時に最も大切にしていることがあります。
それが「feel」感じるということです。
この前まで〝リズム〟と言ってたが、今度は〝feel〟のようです・・・
能書で山は登れない・・・
登頂しても「feel」が無ければ、自分には登る意味が無いのです。
「feel」は、自然と向き合う時に自分の中から生まれる不安や恐怖、そして時おり見せる山の優しさ。
それら自然そのものを感じながら登ることができなければ、自分の場合はせっかく登っても意味が無いと思っています。
それは考えてそうなったのではなく、自分の心そのものでした。
そこには成功や失敗、損得などは無い世界です。
訳の判らない言い訳ですね・・・山は登りたくて行く、単純な動機と思うのだが・・
登れない理由付けに意味は無し・・・
昔、学生の頃にビンソンマシフ(南極最高峰)に向かった時でした。
ビンソンマシフは、7大陸最高峰の中で単独では許可がもらえない山です。
単独登山が許可に為らない山はビンソン以外に デリナ(マッキンリー)(2名以上)
キリマンジャロ(現地ガイド同行)が有ります。
ですから、栗城が単独で登頂したと言うのは、嘘になります。
日本からの交渉が難しく、どうしても単独で向かいたかった僕は、最後は現地で交渉しようと向かいました。
行ってみて分かりました。
英語が話せない。。と。
伝えようとすればするほど、あいつは危ないヤツだと思われてべースキャンプで南極の飛行機を運営する会社の人達に監視されました。
プンタアレナスに戻る飛行機が日に日に近づき、日本にいた当時の事務局スタッフに現状を伝えれたところ「お金ももったいないからとりあえず登った方がいいよ」と言われ、また飛行機を運営する会社から最後の公募隊に入りなさいと言われて、しぶしぶ5人のツアーに入れてもらいロープで結ばれました。
そして、登りはじめて5分もしないうちに涙が止まらなくなりました。
僕は立ち止まり、ロープを外したのです。
大泣きする自分に、外国人ガイドが「You are crazy!」と罵り、他のツアー客に笑われました。
そして、僕は頂を背にして下山しました。
理由色々付けれるが、要は5人のツァー客と、
歩調を合わせられなかったのでは・・鈍足ですから。
実際ザイルで結ばれて、他者と歩調を合わせるのは、大変な事ですが・・・
しかし、泣くほどの事ではないでしょう・・・余程体力の無さが悔しかったのか・・
その後も、足腰を鍛えたとか・負荷を背負って歩いたとか・・・聞いた事なし。
※数日後には見かねた飛行機運営会社の人が少しだけ登らせてくれましたが、風が強くなりすぐに下山させられました。
帰国した僕に南極の飛行機会社から「3人なら隊として認めるから後は自己責任で」と連絡が来て、山の先輩方々に相談し、2年後に様々な制約がありましたが、一人で登ることができました。
他隊の後ろに着いてのことです。単独行動は今だ南極では認められてません。
あの時にもし自分の心の声を無視して登っていたらもう山は登っていなかったかもしれません。
それだけ「feel」感じるということが、僕の登山で最も大切なことなのです。
なぜ栗城は無酸素で単独にこだわるのか、それは何かすごいことをやりたい訳ではなく、山と自分を感じたい。
それが秋季という人が入らない時季に無酸素や単独にこだわる理由なのです。
人の目が怖いのでしょう・・・
たくさんの友人と登る山も、楽しいかもしれない。
公表されてる限り、栗城が仲間と登山したのは、山岳部時代冬の低山縦走1回限り、
その後山岳部中退です。あとはチームクリキ会員との親睦登山のみ。
でも孤独や不安、ありのままの自然と自分を感じるながら登る山は決して孤独ではなく、むしろ細胞一つ一つが目を覚まし、自分の枠から解放されます。
しかし秋季エベレストでは、気象条件が登る以前の問題として時々出てきます。
昨年の気候変動の影響を受けた秋季エベレストは雪が最も多く、7000mから先は腰まで埋まる雪を泳ぐようにラッセルして、7400mで下山しました。
ラッセルにギブアップでしたが、
帰国後に富山や越後の豪雪地帯で、ラッセルの訓練をする事も無く、怠惰の日々。
たまにガイドに連れられて、八っ岳散策登山程度の訓練。
8千m単独を目指す者が、国内の低山でガイドに連れられて登山してるとは・・・
もし今年も同じ気象条件であれば、ベースキャンプで結果は見えてしまいます。
往く前から予防線を張ってますねぇ・・・
昨年は登山許可ギリギリまで粘りましたが、あまりにも好天のチャンスが少ない。
無風・快晴を望んでるようですが、昨秋の停滞日の多さには呆れ果てました・・・
下山後、季節を変更し再挑戦を考えていました。
一つは冬季です。
冬季は、エベレストの雪が最も少ない季節です。
強風で飛ばされるからなのですが・・・風と低温に耐えて登れるのか・・疑問です。
逆に最も雪が多いのは「モンスーン」と呼ばれる雨季のある夏です。
その雪の多い季節に、あのメスナーが北壁を単独・無酸素初登頂したんですよ~
冬季は気温や気圧が低く、また日照時間が短いですが、「大雪」と「列風」のダブルパンチの秋季よりはチャンスがまだあります。
ただ、チベット側では8000m峰の冬季登山許可は出しておらず、交渉しましたが許可はおりませんでした。
春の通常ルートは数珠繋ぎになり渋滞。自分の感じる登山が難しいです。
しかし、昨年登った北壁なら誰も来ません。
そうです、北壁はスペシャリストだけに、許される世界だからなのです。
ノーマルルートの南東稜からさえ登れない者が、立入る領域では有りません・・・
平均斜度60度、標高差2800mのエベレスト北壁はまさに山を感じながらの登山ができます。
この画像の北壁が、斜度60°に見えますか・・・平均45°と言われてますが・・・
法螺を吹くのもいい加減にしなさい。
イメージ 1
昨年、登ってみてここなら感じる登山ができる場所だと確認することができました。
7400mまで登り、深夜の下山を決意しましたが、深い雪の中で太陽が昇るのを待ち続けました。
途中撤退を考えたものの、ルートを右に逸れた為に、現在地が判らなかった様です。
それで薄明るくなるまで動けなかった・・・これが真実でしょう。
それはルート全体を見渡したかったからです。
つまり、また来るためにその場に残り続けていました。
そしてその時がもうすぐやってきます。
合理性の求められやすい社会の中で、損得や手を伸ばせばすぐに手に入る成功ではなく、自分の心の声、自然の声を失わずに生きていきたい。
他人の懐(集金や施し)を当てにせず、汗して稼いだ金で登りなさい。
そんな登山を再びやりたいと思ってます。
行くよー!!
7回目の試みも、既に先が見えてる様な気がしますが、
是非〝否定の壁〟を乗り越えて、〝冒険の共有〟をして貰いたいものと思ってます。




栗城がエベレスト行きを前にして、
23日のFB・24日の栗城ブログで以下の発表をしました。
(黒字はFBより原文、青字は私見です。登山と関係無い部分は割愛、一部改行

『見ることのできなかった世界』
エベレスト北壁に出発まで残り3週間を切りました。
本当にいくのか。。ワクワクする自分と不安な自分が混ざり合い、
その摩擦が火花を散らしてます。
北壁と対峙する高揚感と、登って帰れるか?の不安感が有る様です。
普通 ヒマラヤに向かう者は、十中八九自信を持って向かうものですが・・・
6回も敗退しては、今回も・・・との感じがするのかも知れません。
もう一つの火花「冒険の共有」エベレスト北壁生中継に今年も挑戦します。
過去 生中継が機材の不具合で上手く往ってません。
それを改善したとの話も有りません・・・こんな調子で大丈夫なのか・・・
(割愛 )
本来、冒険は個人的な世界であり、特別な意味はありません。だからこそ美しい。
でも、登山家や冒険家だけが特別な挑戦をしているわけでもありません。
 (割愛)
挑戦の本質は何か。
それは「うまくいかない」こと。
嘘言うなよ栗城。上手く往くと思い、
其れ為りの努力と準備をして、山に向かうのが普通だよ。
はじめからうまくいくのをわかっていたら学びや摩擦は小さい。
もがき、苦しみ、その中に何か光るものがあります。
過去の敗退から、その後原因を分析して、努力したのか???
エベレスト北壁のもがき、苦しみ、失敗や挫折を共有することで、
壁に当たってる人達が、いつのまにか一歩を踏み出していた。
その世界に行ってみたいのです。
2015年秋の南東稜ルート・2016年北壁ルート共に、敗退原因は深い雪でした。
今春の計画に当たり、〝深い雪〟を克服する努力をしたのか・・・
南東稜敗退後、メスナー著書からパクリの〝リズム〟が大事と言い、
どうした訳か16年春にアンナプルナ南壁に向かい、南壁基部で敗退。
今回〝feel〟が謳い文句の様だが、それで〝深い雪〟が克服出来るとは思えない・・
しかし、冒険の共有には多額の費用がかかります。
エベレストの個人の遠征費用は登山許可含めて250万〜300万ぐらい。
自分一人の遠征費は、普段の企業の講演やストレス対策のお仕事でお金を貯めて向かうことができますが、衛星回線を使用し、特殊な機材で日本と繋ぎ、日本側の中継受けや現地スタッフと実現するための費用をどうするか。
その資金を何とかするためにトレーニングや講演の合い間に企画書作っては様々な企業にスポンサーのお願い行きます。
現実は、運営も含めて資金が足りなく厳しい状態。。
敗退続きの口八丁では、金を出す企業は少ないだろう・・・
では、そこをどうやって最後に克服したのか。
実は、今まで冒険の共有をするために大きな借り入れを5回してきました。
それを帰国後に一年間講演しながら返していきます。
死ぬかも知れぬ登山に、金を貸す処が有るとは不思議ですねぇ・・・
裏保証契約(往っても登らないで、帰って講演料で稼ぐ)でもしてるのか・・・
そして、今回も。
「資金が無いからやらない」
ではなく、
「資金が無くてもやるよ😊
登山だけでは、けして見ることのできない世界をこれからも見ていきたい。
期待と不安。
様々な感情が交差する火花が今散ってます。
(割愛)
僕も頑張ります!(ありがとう)


不思議な事は、出発3週間前なのに、
装備計画・食料計画を含む、登山計画の話が無い事。
普通は、再三再四装備等の点検をして、荷造りに専念する時期です。
行き当りバッタリで、結果 雪が・・・風が・・・の、いつもパターンか???

多分 装備他等の段取りは、
カトマンズのボチボチ社(シェルパ派遣会社)に、一括丸投げなのでしょう。
シェルパ調達だけではなく、テント・炊飯具のレンタルもしていますから・・・
シェルパは常用ではなく、登録してて仕事が出た時の臨時雇用が一般的です。
ガイドが出来るレベルの者は違いますか゛・・・

今回の4月9日から始まる、北壁もウォッチして見ます。




4月9日(今日)、エベレスト北壁に向けて出国です。
直近の様子をウォッチしてみましょう~

4月1日・栗城史多 "SHARE THE DREAM” FBより(抜粋)
無事に下山してきました。
富士山頂でテント泊し、高度順応を予定して、3月31日に出掛けたのですが・・・
5合目でテント張りましたが、朝になっても雪は止まず、一晩で30センチ近く積もり下りました。
30cm雪が降っただけで、諦めて下山ですか?・・・
出発前から大雪の予報は知っていましたが、エベレスト北壁の出発前に富士山を感じたかったので一人テントの中で静かに気持ちを報告してきました。
予報で知りながら出掛けるとは、山頂泊の予定は嘘??  感じたかっただけ・・
ラッセル地獄をしながら2合目まで下りると「次はいついくの〜?」と声が聞こえてきた。
5合目で30cm程度の雪・・・膝下程度の雪で、
しかも降り道でラッセル地獄とは、話しに為らない根性・・・
振り返ると佐藤小屋のオヤジさんだった。



4月2日・「みんなでエベレスト」 FBより(抜粋)
『冒険の共有を再びさせて下さい』
4月9日からのエベレスト北壁の登山と冒険の共有に向けて最後の追い込みに入って来ました。
中継テストなど出発までまだ色々あります。
皆さんにお願いがあります。
再び、冒険の共有をさせて下さい。。
出国1週間前に為っても、〝金の無心〟とは・・・呆れ果てます。
栗城だけが登る冒険ではなく、何かチャレンジしたい人や壁にあたってる人、見えない山を登る全ての人達と冒険を共有しないでエベレスト北壁に向かっても人の心の壁は越えることはできません。
皆さんご存知かもしれませんが、今年は借り入れしてでも準備してきました。
 
昨年、一つの宣言をしました。
それは昨年の冒険の共有があまりできなかったことを受けて責任を感じ、クラウドファンディングをやらないで行いますとお伝えしました。
配信担当2名が体調不良となり、本当に悔しい思いをしました。
山の素人を連れて行った当然の結果です・・・
 
きちんと受けとめてやれるだけやろうとあらゆる準備をし、今年は極地になれたスタッフを揃え、万全な共有体制を整えました。
個人の遠征費(登山費用)は用意できても冒険の共有は多くの人達の力がないと実現できません。
昨年秋の撤退後に、衛星中継の費用は残ってると言ってたのに、
これには触れてません・・・
クラウドファンディングという型ではなく、冒険の共有を一緒に参加したいと思って頂ける方がもしおりましたら、ぜひ下記のサイトから冒険の共有の応援宜しくお願い致します。
エベレストの写真5枚組3千円・Tシャツ1万円・他講演 54万円など・・
今年は天候が安定する春に初めて向かいます。
皆さん、冒険の共有、応援宜しくお願い致します。



4月3日・栗城史多 "SHARE THE DREAM” FBより(抜粋)
「あとは本番で。。」
エベレスト北壁の中継に向けたテスト訓練を無事に終えました。
9日の出国前になって、初めての中継テストだそうです・・・
毎回失敗してるのに、事前に何回も訓練するのが普通ではないでしょうか???
テスト風景の画像を見ても、新しい機器なのにメモを取る者も居ず、見てるだけ・・これでは上手く往くはずが有りませんね・・・
昨年は配信担当とカメラマンが体調不良で欠員となり、思う様な冒険の共有ができなくて本当に悔しい想いをしました。
今年は極地に慣れた隊員を揃えて少数精鋭で頑張ります。
極地からの中継は意外と技術的に難しく、衛星の軌道が変わるだけで映像が送れなくなったり、機材のトラブルもあります。
画像を送る衛星の軌道が変わる???  静止商用衛星なのに・・・
マスコミが使ってる、海外からの生中継と同じなはずですが・・・
AbemaTV、フェアーウェイ、Yahoo!JAPAN、栗城事務局と有志のエンジニアが集まり、テストを繰り返しながら最後の調整を無事に終えました。



4月8日・栗城史多 "SHARE THE DREAM” FBより(抜粋)
明日、エベレスト北壁に向けて出発します!
最後の中継テストも終わり、準備もほぼ完了しました。
今回の挑戦で3つ言えることがあります。
高所になれやすい身体作りとリズムと呼ぶ酸素の消費量を下げるトレーニングをさらにレベルを上げ、精神的にも体力的にもいい常態です。
そして、今年は天候が最も安定する「春」に山を感じるための「北壁」に向かいます。
昨年の秋の北壁は雪が多すぎて7400mで下山しますが、北壁の感触は掴んでます。
また、冒険の共有にするために極地になれたスタッフが揃い、少数精鋭で登山に集中しやすい環境ができました。
自分の中では最も楽しみなエベレスト北壁登山ができそうです。
 3つとは①~③のようです。
体力や技術の向上に関しては、一言も触れてません。一番欠けてるのに・・・

これからの、〝北壁〟どうなるのか楽しみです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日から、月山・湯殿山へ春スキー遠征に出ます、3日ほど楽しんで来る予定。



栗城が9日に、エベレストに向け出国しましたが・・・

日本から下記の各隊が、エベレスト登頂を目指し出国済みです。
海外の登山隊も、続々集結している模様です。

〔ICI Sports・社長隊〕

〔AGアドベンチャーガイズ・公募隊〕

〔平岡竜石・公募隊〕


各隊の登頂予定ルート
赤破線は、ICI隊・AG隊。 青破線は、平岡隊。 黄線は、栗城。 
イメージ 1


ICI社長隊は、エベレスト登頂実績の有る、社員2名が同行。
自社で販売の、仏・ヴァランドレ社の高級ダウンスーツでアタックの様です。
行動日程を公表南東稜から登頂を目指す。

AG公募隊は、行動日程・参加費用770万・装備を公表。
公募客には、一対一でクライミングシェルパを同行させ、南東稜から登頂を目指す

岡公募隊は、行動日程・参加費用720万と公表北稜から登頂を目指す。

AG隊と平岡隊の参加費用の差は、会社組織と個人経営の差と思われます。
平岡隊は昨年秋のチョー・オュー登山で、
客4人に対して8人のクライミングシェルパを要員として同行。
今回もネパールから6人のシェルパを呼んでます。

小生も、自由に使える800万が有れば、公募隊に入り7千mを体感したいもの・・
酸素吸いながらなら、上手く往けば・・・なんて妄想が・・・

面白い事に為りそうです。其々、実力と実績の有る隊ですから、
余程の悪天候やアクシデントが無い限り、登頂は確実。
彼等のFBやツィッター・ブログで、日々・生の情報が流れます・・
3隊共に、既にBCに向けてキャラバン中です。

処で・・・気に為る、栗城の出国後の様子ですが・・・・


4月10日 FBより抜粋(黒字はFBより、青字は私見)
ネパールの首都カトマンズに着きました!
 日本ではあまり寝れなかったので快適な機内で寝て、今日は朝からチベット・ラサに向かう荷物を整理してます。
カトマンズは気温が高く、少し埃っぽい感じが懐かしいです。
明日はプジャという安全祈願をして、明後日にラサに入ります。
11日にカトマンズに有る世界遺産の寺で〝プジャ〟とは・・・
対象の山のBCで、執り行うのが常識ですが・・・
できたら世界遺産ボーダナートから配信してみます!
どーでもいい内容の配信でしたが、彼流にはこれも〝共有〟のようです・・・
12日には、カトマンズからラサに入るようです。



4月13日 会員向けFBより抜粋(黒字はFBより、青字は私見)
チームクリキの皆さん、ナマステ。 
栗城です。
数日間カトマンズで準備をしています。明日ラサに入ります。
明日ラサ?? 14日 に・・・10日のFBでは12日にラサと言ってたが・・・
既に、行動予定が狂ってますねぇ~ 計画性の無さが現れてます。
いよいよエベレストのベースキャンプに向け長い陸路移動が始まります。
四駆で3日走って5200mのBC着、中1日高度順応してたらBC着が4日後。 
そして、今回もチームクリキの皆さんの「夢カード」をエベレストに持っていきます!
募集時期がこのタイミングとなってしまいましたが、エベレストアタック前にベースキャンプに後発で届く荷材や食料と一緒に到着予定です。
4月25日まで、資金集めをして、その後カトマンズ・ラサ経由 でBC着の様です。
BCに後発で荷が届く・・? 食料も ? ロジスティックの組み方に疑問有り。
ボチボチ社のシェルパが運ぶのでしょうが、夢カード等はどうでもいいが・・・
荷がBC着の日にちを考えると、4月中のアタックは無いと宣言してる様なもの。
晴れが続いたらどうする・・・栗城
エベレスト北壁から皆さんの夢(山)が叶うことを祈ってきます!
人の夢は、どうでもいい・・・まともに北壁を登れる事を祈れ。
まずは無事にベースキャンプに入れますように。


他隊がBCに向かってる今、栗城は今日(14日)ラサから四駆で走ってる頃。
他隊より一週間も遅いスタートです。
流石 エベレスト6回敗退者の余裕でしょうか・・・・
相変わらず、日程も装備も公表してません。


ICI隊・AG隊はエベレストの南東側、
平岡隊は北稜を挟んだ同じ北側に居ます。
其々FB・ツィッター・ブログで情報が流れる中で、
栗城は、天気が・・・雪が・・・風が・・・等の言い訳は通用しませんねぇーーー

3隊+栗城の動向、目が離せません~~


平岡隊がノース・コル(7000m)に上がりC1を設置すれば、
西の谷底に 栗城の壁下C(6100m)が、見えるかも知れません・・・
900mも離れれば、アライの赤テントは石にしか見えないか・・・



この春のエベレストは、近年に無い混雑です。

4月13日付けの、平岡竜石・公募隊のラサ発のブログで、
30人のインド隊・ドイツ隊・オーストリア隊・ロシア隊と飛行機が一緒だったと。
北面のエベレストは、各国隊が入り乱れてる様ですが・・・

小生が一番驚いたのは、超・超人ウィリー・スティックが、
エべレストでの前人未踏の登攀を試みようとしてる事。 図参照
イメージ 1
彼は、ネパール側のクンブー氷河から、西稜に取り付き、
ホーンバイン・クーロワールを登攀し、登頂。
更に、南東稜を下り・ローッエに連続登攀すると言う大計画です。
アルプス流 ラッシュタスティックス(突撃登山)の典型とも思えるスタイルです。
既にポーラメソッド(極地法)は過去の遺物なのか・・・


ueli steck(ウィリー・スティック)のブログ

ウィリー・スティックとは、どんな奴か・・・
ウィキぺディアに彼のあらましが・・・↓
アイゼンを履いて、壁や雪稜を走って登るという・・凄い奴です。
アイガー北壁(標高差1800m)を、2泊3日で登るのが普通。
処が彼は、確保無しで2時間20分で登ってしまうと言う凄さ。
条件が良ければ、2時間は切れると豪語してます。

栗城が登ろうとしてる、ホルバイン・クーロワールからの登頂を目指してます
栗城は、ウィリー・スティックと遭う事は無いと思ってます。
何故なら、栗城の体力・技術では、ホルバインの入り口まで登れ無い・・・


昨年秋は、キリアン・ジョネルが、
北稜をABCから昼までの間に、7950mへ登ったのを見せ付けられて、
スピードが大事と思わなかったのか・・・
キリアンの北稜登攀記事は↓
アラン・アーネットのブログでは↓
17年春のエベレストは、記録的な登山隊の数と言ってます。
以下のコピーが、ネパール観光省が許可した、各山の登山隊の数と人数です。
イメージ 2
16年と17年の春のエベレスト(Sagarmatha)を見て下さい。
これは、ネパール側の事で、
チベット側は、米国・ロシア・フランス・ルーマニア隊が予定してると・・・

アラン・アーネットの画像を見ると、北壁の雪の着き方が少ない・・・
これでは、栗城が目指すホルバイン()より
グレート(ノートン)・クーロワール()が雪か付いてて楽そうに見えます。
イメージ 4

下は栗城が4月17日に更新したブログに載せた画像。
上の画像と同様に北壁の雪は少ないですね・・・
ノートン・クーロワール() ホルバイン・クーロワール()
上の画像と比較して下さい。
ホルバイン下の雪田(雪が溜まった処)までは、登れそうでも・・
クーロワール内に詰まった氷に、どう対応するか・・・鍵です。
栗城には、氷壁登攀は無理です。
ピオレトラクション(Wアックス)の構えをしてるが、
握力が弱く、ピックを氷に刺せません・・・↓の画像を見れば判ります。
イメージ 5

この下の画像は、昨年秋の栗城が公開したもの。
赤線内のノートン(グレート)・クーロワールを登ろうとしたが、
下から眺めただけで登れ無いと判断し、ホルバインに転進。
青線内の下部ジャパニーズ・クーロワールを通り、
上部ホルバイン・クーロワールを目指したが、
黄色線の位置で、それ以上登れず敗退。今回もこのルートを予定してます。

緑線は、今回ウィリー・スティックが西稜から、北壁をトラバースして、
ホルバイン・クーロワールに入り、登頂を目指すルートです。
イメージ 6
寒さを除けば、クーロワールに氷が詰まってる春より、
雪が詰まった冬の方が登り易いと思うのだが・・・

平岡隊の言ってる各国隊と、アラン・アーネットが言ってる各国隊が、
北稜か北壁かを目指すのかは判りませんが、ウィリー・スティックは間違い無く、
ホルバイン・クーロワールで栗城と競合します。



**********************


栗城がブログを更新しました。(黒字はブログより、青字は私見)

4月17日
エベレスト北壁が見えました。
ラサ、シガチェ、ティンリと移動し、今日は4500mの丘に高所順応で上がってきました。
移動の疲れはありますが、酸素の薄さを感じながらも頭痛はなく、部屋でトレーニングとストレッチをしながらベースキャンプに入る準備をしています。
4500mの丘から双眼鏡で眺めるエベレスト北壁。
雪は少なく穏やかな表情を見せている。
栗城は、雪が少なく登り易いと思ってるのでしょうか・・・
アイゼンで岩をガリガリでは、倍神経が疲れると思うのだが・・・
30cmの雪も地獄と言う栗城が、何処まで登れるか楽しみです。
(中略)
明日、チベット・ベースキャプ(TBC5000m)に入ります。
何回も言ってるが、ベースキャンプの標高は、5200m。
中国が建てた石碑を栗城は見た事が無いのか・・海抜・米の意味しらねぇーのか?
イメージ 3




栗城がチベット側のBCに着いた様で、
愈々北壁ホルバイン・クーロワール山行が始まります。
これからは、このタイトルで〝敗退まで〟ウォッチの予定です。


4月19日 栗城公式ブログより(黒字は栗城ブログ、青字は私見)

昨日、チベット・ベースキャンプに入りました。
BC(5,200m)の様子、キャンプの陣容から6隊位は居る様です。
一番大きなキャンプが30人のインド隊でしょうか・・・
イメージ 3
ここからヤクに荷物を載せてエベレスト北壁のベースキャンプに向かいます。
今、エベレストは雲がかかり始めていますが、
明日無事に北壁のベースキャンプ入りしたいです。
明日とは、20日ですね。
北壁のBCと言ってるが、ABCの事か・・位置(標高)が不明です。
昨年秋の様に、ヤクが進めない・・等は無いでしょうね。何処にABCを置くか?
ベースキャンプ到着後にプジャという登山の安全祈願を行い、
またプジャですか・・・カトマンズで済ませた筈では・・・現地でが当然だが・・・
その後はノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)に移動し、
7500mまで高所順応で登ります。
この辺が判り難いので、昨年秋の図を使って説明します。
栗城が言う、チベットBCとは図中赤丸の位置(5200m)。
北壁BCは●BCから南下し中央ロンブク氷河のの位置と思われる。

昨年秋のABCを置いた位置。

ノーマルルートのABCとは、一旦北上し東ロンブク氷河に入り●印の位置。
そこから、ノース・コル(7000m)に上がり、北稜の7500mで順応するらしい。

BCにあれだけの隊が居れば、ABCからノース・コル(C1 )へのルートや、
ノース・コル(C1)から7,500mへのルートには、
シェルパ達が先行しFIXがベタ張りに為ります。
栗城隊は、後から往って濡れ手に粟で7,500mには登れるでしょう。
先行隊に使用料位は、払う気が有るのか・・・
2009年秋にメスナールートからの登頂を目指したものの、
7,000mのノース・コルに一人では上がれず、
シェルパにルート工作させてから上がった実績が有りますが、今回は楽勝です。
イメージ 1
そして、北壁側のベースキャンプに戻り、休養してから北壁のABCに入り、
そこからソロで登っていきます。
順応が終わったら、青線で戻る様です。
休養後に、青線の終わり辺りに設置するABCに入るらしい・・そこからは単独だと。
そこからは単独と言う事は、ノース・コルから北稜の7500mまでは、
シェルパ付きと言う事に為りますね。単独登頂を狙う者が・・情けない・・・

冒険の共有も本格的に始まります。
今年は2名の日本人スタッフと、三脚や望遠レンズをABCに運ぶネパール人スタッフ3名、コック1名、キッチンボーイ1名と、全員極地になれた少数精鋭で頑張ります。
栗城隊の陣容が判りました。日本人3名・シェルパ5名。
(割愛)
北壁は下から上まで全貌を見通せることが昨年来てみて分かったので、今年は日本人スタッフ2名でABCから望遠カメラで、栗城が登る姿を皆さんと共有していきます。
去年の秋は、ゴマ点画像より無かったが、今年は期待して良いのでしょうか・・・


*********************


50年振りに概念図を書いて見た。上図よりは判り易いかも・・・
BC(5200m)→栗城BC?に入り→東ロンブク氷河ABCに迂回し→ノース・コルから
→北稜7500mで順応する。→来た道を引き返し栗城BC?に戻り休養。
実に生産性が悪い(日数・時間的)順応ルートです。
その後オレンジルートでホルバインを目指す・・・・
イメージ 2
ウィリー・スティックの計画コースをで記入しました。
ネパール側のBCから、ウエスタンクム氷河を登って西稜に上がり、
北壁をトラバースして、ホルバイン・クーロワールから登頂。
サウス・コルからローッエ峰へ連続登攀してBCに戻る大計画です。
何日で達成出来るか見ものです~~中一泊二日? 二泊三日?
8千mでのビバークは危険ですから、どうするのか興味があります。

高度順応をするに当たり、チャンッエ峰(7,553m)をほぼひと回りして、
中央ロンブク氷河から東ロンブク氷河の北稜ABCまで往き、
ノース・コルに上がり北稜7,500mで順応する意味が判らない・・・・
栗城の足では、北稜ABCまで片道3日は掛かると思う。往復延べ6日の無駄・・・
普通、BC(5,200m)から北稜ABCまで約20キロを2日掛けて歩くのだ・・・

それに、先にも記載してる通り、北稜ルートには平岡隊始め多数の各国隊が居る。
そこにノコノコ往くのか・・そして他隊のFIXを使うのか・・単独を謳う者が・・・
皆真剣に登ろうとしてる中で、俺は順応に来た等と言ったらヒンシュク者。
順応なら、チャンッエ峰の中央ロンブク氷河側(西面)でも可能だし、
ホルバイン・クーロワールの下部でも、ルート工作やら荷上げしながら出来る。
時間の無駄・日にちの無駄と思うが・・・・変な事に為りそうな予感。

それにしても、判り難い書き方です。
基本的に、誰(どの隊)がチベット側に往っても、BCは5,200mの位置です。
その先に有る(置く)北壁のBC等と言う表現はしません。BCが2つ有る事になる。
あるとすれば、BC→中間デポC→ABC→C1・・・と言うべきです。




(割愛)
明日、チベット・ベースキャプ(TBC5000m)に入ります。

何回も言ってるが、中国・チベット側のBCは標高5,200mに有ります。
過去’09年・’16年に訪れながら、未だに正確な標高を知らないとは・・・
イメージ 3

●4月20日配信 会員向けメールより
本日、無事に「チベットのベースキャンプ(標高約4500m)」から徒歩で
「北壁ベースキャンプ(標高約5600m)」まで到着したと連絡が入りました。

(割愛)
ここでは、BCの標高を4500mと言ってます・・高度計付き腕時計が狂ってるの?
5000mと言ってみたり・4500mと言ったり・・・話にならない・・・
北壁BCを5,600mに設置した様です・
5600mのキャンプ標高に付いては、公式ブログ・FBでも触れられてません。
ただキャンプを設置したとだけ・・・何故でしょうか???
この事に関しては、【3】で述べます。
栗城公式ブログでは、18日にBC入りした以降の更新がされていません。

その後の動向を探る為に、久し振りに栗城関連の2チャンネルを見たら・・・
何と、5月28日までには、帰国し・・・講演だと・・・
この記念事業 ↓ に参加する様です。

ナンダ・コート初登頂80周年記念事業

先頃、当時のテントが発見され話題に為りました。
内容は↓参照

80周年として、再登頂し、当時山頂に埋めたとされる立教大校旗・毎日新聞社旗・
日章旗を探すというもの・・・これ自体はいいと思うが・・・
記念事業主体は、毎日新聞子会社の毎日映画社。
毎日映画社の顧問が大蔵喜福で、再登頂登山隊の隊長と言う話・・・
後援が、毎日新聞・立教大・立教大山岳部・立教大山友会(山岳部OB会)・
日本山岳会と言う。

立教大山学部のOB会・現役部員での再登頂隊なら、記念事業として価値はあるが、
大蔵喜福は、立教大卒でも山岳部OBでも無し・・・確か東海大。
総事業費が1500万だそうで、クラウドで金を集めようとしています・・・・
大蔵喜福の口車に、立教大他が上手く乗せられたのでしょうか???
大蔵にして見れば、只で遠征出来・しかも隊長・只で記録映画も創れます。
勿論、遠征隊の中には立教大の関係者も入れるでしょうが・・・

記念事業の一環として、講演会が有り、これに立教大と無関係な栗城が参加する。
名立たる、ヒマラヤ8千m峰登頂者が多々居る中で、何故に疑惑の栗城なのか???
大蔵が指名したに違い無し、昨年秋の北壁も擁護してた・・金の遣り取り有りか?
5月28日に合わせて帰国とは、20日頃には北壁から離れなければ為りません。
栗城が、本当に〝北壁〟を登る気が有って、北壁に往ったのでしょうか????
その気が無く〝支援企業・信者から金を集め〟て、生活費に充てる為では・・・・
チベットに向かい・トンボ返りで、講演料の小銭稼ぎの体です・・・・
後援の日本山岳会や立教大OB会は、
栗城の様な奴の参加を、良しとしたのでしょうか・・多いに疑問です・・・・
日本山岳会とは、昔は社会人山岳会の草分的存在、大学山岳部のOB達が創った会、
会員2名の紹介が無くば入会出来なかった経緯が有る。
日本山岳協会(日山協)が出来るまでは、日本山岳会も力が有ったが、
今やその傘下のただの、一山岳会です。
今では烏合の衆でも、プライドは当時のまま一流のはずですが・・・

何故、ここまで言うか?  
近年のエベレストで、日本人が登頂に成功した日を記しますと・・・
2011年5月20日 6名
       25日 5名
       26日 3名
2012年5月19日 2名
       25日 1名
2013年5月18日 1名
       19日 1名
       20日 5名
       23日 5名
2016年5月19日 6名(芸人なすび登頂)
       20日 6名
       21日 1名
       23日 1名(南谷真鈴登頂)
これだけの登頂者が居ます。
日付を見れば、ほぼ毎年5月20日頃から5月末に掛けての登頂です。
この10日間位が登頂のチャンスなのです。

このチャンスを待たずに帰国・講演とは、
元々登る気が無い(登れ無い)と、言われても弁解の余地は有りません・・・ね。


’16年春のアンナプルナ南壁では、発表してた登山期間内に講演会を入れて、
氷塊が当たって歩けないと言いヘリを使い下山、講演前日に隠れる様に帰国し、
講演で稼いだ実績が有った。

’16年秋の北壁では、北壁下をウロウロ・停滞の連日で登山期間を消化してしまい、
中国登山協会に期間延長を認めて貰い、日程ギリギリまで登頂を目指したと言い、
ABCで〝泣き崩れる〟芸を披露した実績が有った。

この通り、栗城は真剣に山に向かう気持ちは無く、
〝冒険の共有〟〝否定の壁を乗り越える〟などと、耳障りの良い言葉を巧みに使い、
企業・信者から〝集金〟して、銀座での生活費に充てているのです。
栗城にとっての山は、グリコ菓子のオマケ的な存在か・・・

C(キャンプ)位置・高度順応等の駄目さ加減に付いては、次回の【3】で・・・・

4月23日 追記
エベレスト南東稜からの登頂を目指している、ICI社長隊・AG公募隊の全員が、
21日にロブチェ東峰(6119m)に登頂し、高度順応を達成。
今頃は、BC入りをしてるでしょう。



栗城が、〝北壁BC〟?と言う名の聞いた事の無い、二つ目のBCを設置した様です。

本来BCは、何処でも・誰でも・何隊でも一つです。
栗城の事だから、善しとしましょう(苦笑を込めて)
車で入れる限りの処に(5,200m)、エベレストに来た全ての隊が、BCを設置します。
隊が上部に進むと、そこに残るのは、
中国登山協会が各隊に派遣した、連絡要員(謂わば監視役)と通訳の2名、
偶には体調不良の隊員も降りて来ます。
ネパールでも・中国側でも、栗城は一切この事に触れてません・・・
1980年にメスナーが、グレート・クーロワークから無酸素・単独で初登。
その時の著書〔チョモランマ単独行〕には、中国登山協会との契約内容や、
彼等の事が詳しく書かれてます。


(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
一昨日、無事にエベレスト北壁側のベースキャンプに入りました。
20日に着いた事に為りますが、その標高が書かれてません・・・
山では、何日に・何処に・何時にが、重要な記録ですが、敢えて隠してる様です。
去年の秋には、予定の6,000mに、「ヤクが雪で進めない」と言い、
遥か手前の5600mにABCを設置しました。
当時ブログコメントで批判されたのが、隠してる理由でしょう・・・
しかし、20日付けの会員メールでは、5600mに設置したと言ってます。

去年は雪が理由で、6,000mを5,600mに変更。
今年の理由は??? 栗城の動画を見れば、雪の無いガレ場にテントが張られてます。
この先の行動を考えると、より北壁に近い処にCを設置するのが常識です。
早くも、あまりヤル気が無いように見えますねぇ・・・・
ここまで来るのに様々な想いがありました。
〝金〟の事・本当に登れるか?の不安・・等々でしょう・・・
去年まで、秋という気象条件の厳しい時期を選び、山を感じるために挑戦していましたが、今回初めて春に入ることにしました。
とにかく良い登山にしたいです。
これからまずはベースキャンプをしっかりと設営して、
BCでは無く、ABC又は中間デポCと言うべきです・・・
プジャ(登山の安全祈願)をしてから、いよいよ行動開始です。
体調は悪くなく、順応するためのトレーニングや
様々な工夫をしてきた事が、効いていると思います。
何故かいつも、体調は悪くないと言う言い方をするが、良くも無いのか・・・
6,000mに設定された低酸素室を、何週間も体験したら体調は良く無ければ変。
しかし低酸素に慣れても、6000mの低気圧(平地の約1/2)に慣れてない落とし穴が!



今、エベレストの北壁は真っ白い雪雲で包まれています。
しばらくは動きが取れなさそうです。
今から北壁を登る訳で無し、高度順応の為に北稜ルートに向かうのは、出来るはず。
ここからチャンッエ峰の裾を迂回して、北稜ABCまで栗城の足で2~3日掛かる。
昨日ベースキャンプでプジャ(登山の安全祈願)を行いました。
20日に着いて、プジャ23日です。暫く動きが取れないとは、日程の無駄です・・・
プジャをしてからエベレストに入っていく重要な儀式です。
いつもプジャをする時には、ラマというチベットのお坊さんがいたりいなかったりします。
今年も「お坊さんいないね」と話していたら、キッチンボーイのテンバさん(先日体調不良で下山したネパール人キッチンボーイの代わりに、初めて手伝いに来てくれた22歳のチベット人)が、「俺ならできるよ〜」と言って、経典は無いですがお経を唱えてくれました。
シェルパ1名脱落の様です、【1】のBC到着時には、全員極地に慣れた精鋭と言ってたのに・・・
坊主が居たなら21日にでもプジャを済ませて、早く次の行動に移るべき・・・
このあたりが、栗城独特のダラダラさ加減・・・
今、目の前のエベレストは真っ白で何も見えません。
はたしてこのお経が通じるのかどうかわかりませんが、この降り注ぐ雪の幕が開けたら、いよいよ高所順応開始です。
順応開始は、北稜ルートのABCから先の話し、そこまで往くのに雪は関係無し・・・
晴れてから動いても、着いたらまた悪天候でダラダラか・・・

今年のプジャの画像です、なるほどガレ場に雪が降り注いでますねぇ・・
イメージ 1

昨年秋、「雪でヤクが進めない」と言って、
5,600mに設置したABCでのプジャの様子。
なるほど周囲は雪です・・・
高所に降った雪は、気温が低い為2~3日で消える事は有りません。




栗城の〝エベレスト北壁〟での行動が、ひと目で判る様にマトメました。
登山計画が公表されてないので、ブログ・FBを更新の度に、実行動を書き込みます。


4月  9日  出国
4月10日  カトマンズ到着
4月11日  市内でプジャ
4月12日  停滞日(ラサへ発つ予定がビザが取得出来ずに)
4月13日  停滞日(        々        )
4月14日  カトマンズ→チベット・ラサ到着
4月15日  車で移動
4月16日    ↓
4月17日    ↓  
4月18日  5,200mに到着 BC設置
4月19日  停滞日
4月20日  5,600mに栗城流〝北壁BC〟設置
4月21日  停滞日 (プジャが終わらないと行動出来ない為)
4月22日  停滞日 (       々         )
4月23日  停滞日 プジャ実施
4月24日  停滞日 (エベレストが白い雪雲に包まれてる為)
4月25日  停滞日 (       々         ・ネパール地震2周年)
4月26日  中間C地 ? へ移動(東ロンブク氷河末端の6,000m付近 ? )
4月27日  北稜ルートABC(6400m)へ
4月28日  停滞日
4月29日  停滞日 (咳・腰痛・SpO2が80で不調、この標高で順応が出来てれば、       
4月30日  停滞日  数値は95程度になる)
5月  1日  停滞日
5月  2日  ABC(6,400m)からノース・コル(7,000m)へ
5月  3日  ノース・コルから北稜7,300mへ登り、ABCに戻る。(腰痛発言) 
      (7,500mで順応する予定が強風で戻る、しかし順応は出来たと言う)
5月  4日  停滞日
5月  5日  (北壁BCに戻る途中、中間C地に泊まったと思われる)
5月  6日  北壁BCに戻る(体調不良発言)
5月  7日  停滞日(違法越境期間と思われる)
5月  8日  停滞日     
5月  9日  停滞日     ↓
5月10日  停滞日     
5月11日  停滞日 新しいルート申請中(カトマンズに着いたと思われる) 
5月12日  停滞日          (カトマンズ) 
5月13日  停滞日          (カトマンズ) 
5月14日  停滞日 ルート申請許可、16日に新BCに入る(カトマンズ) 
5月15日  停滞日 (カトマンズ)    
5月16日  停滞日 (カトマンズ)       キリアン8,400mまで試登し順応
5月17日  ゴラクシェプ(5,164m)にヘリで到着、ロッジをBCにする。     
5月18日  新BCで停滞日       
5月19日  BCを出発(夜の宿泊場所は明かさず・・・通常C1の位置と思われる)       
5月20日  C1→C2(6,400m) 
5月21日  停滞日 疲れた為           キリアン北稜から無酸素登頂
5月22日  停滞日 強風予報の為 
5月23日  C2→C3 (7,200m)泊 
5月24日  昼から行動して、7,800mのビバーク地を目指すも体調不良で下山 
5月25日  ゴラクシェプ(5,164m)BCに戻る        ICI隊&AG隊登頂
5月26日  停滞日 ゴラクシェプ(5,164m)     ICI隊&AG隊ローッエ登頂
5月27日  BC→C2へ       キリアン2度目の登頂平岡隊北稜から登頂
5月28日  停滞日 BCから、約1千m登って停滞。高所で2日連続行動不可な体力 
5月29日  敗退宣言を長々と発表(C2から無線で中継Cへ)
5月30日
5月31日
6月  1日  ネパール山岳協会から、BCを撤去する様に言われた期限。
6月  2日
6月  3日
6月  4日  ロッジBCからシェルパがヘリで、カトマンズに帰ったとの情報有り。
6月  5日  4日か5日に、栗城が帰国したとの情報有り。

如何に停滞日が多いか一目です。




栗城が中央ロンブク氷河側の〝自称・北壁BC(5,600m)〟から、
チャンッエ峰の裾を巻き、東ロンブク氷河末端付近(約6,000m)の中間Cに移動。
この中間Cは、1980年のメスナーが隊荷の一時保管として設置。
以後、北稜ルートの〝中間C〟(添付概念図参照)と呼ばれている。

(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
(中略)
今は風が非常に強く、エベレストにも雪煙が出ています。
今日は、高所順応のために、北壁のベースキャンプからノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)に移動してきています。
図中の中間C付近に、移動したと思われます。
明日、ABCに入ります。
こちらはものすごく風が強いです。
動画を見る限り、キッチン・テントの揺れはそよ風程度・・・
頑張ります。


改訂版 概念図(北稜ルート上に、中間C記入・各C位置の標高訂正)
イメージ 1




*************************

他隊情報

平岡隊が、本日(26日)予定より8日遅れで、BC入りしました。 (平岡ブログより)
イメージ 2
高度順応に手間取ったものと思われますが、
BC入りして早速裏山の5,850mで順応しています。
風が強いと言ってますが、雲の流れを見ると西風のようです・・・・
イメージ 3
栗城は、キッチンテント内の、どうでもいい動画を流してるが、
平岡隊の方が状況が判り〝冒険の共有〟をしてる気がしますが・・・・

***************************
ウィリー・スティック隊
ウエスタン・クム氷河の通常C2の位置にC1を設置→西稜→ホルバイン・クーロワール→山頂→サウス・コルにC2→ローッエ峰 への連続登攀を狙ってる、ウィリー・スティック氏の動向。

4月20日のFBより
ネパール側BCに、組み立て式鉄棒を持ち込んで、上半身を鍛えてるとか・・・・
イメージ 4


コックもこれで遊んでるとか・・・
イメージ 5

4月24日のFBより
BCからアイス・フォール帯を抜けて、C1(6,400m)で待機中。
ローッエ峰が真正面に・・・
イメージ 6

西稜へ上がる7,000m付近まで順応してるとか・・・
背後はヌプッエの稜線、下の氷河はウエスタン・クム氷河。
イメージ 7

天気が良くないと言ってるが、
2日間の晴れ間が訪れれば、怒涛の登攀をするでしょう~

*****************************
4月26日 ICI隊FBより

ICI隊がアイス・フォール帯に入り5,600mまで試登しました。




栗城が27日に、北稜ABCに入った様子。
(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
4月28日【事務局より】
いつも栗城を応援いただき、誠にありがとうございます。
栗城は、昨日午後にエベレスト(チベット側)のノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)に無事到着し、本日は、ABCでレストしていると連絡が入りましたので事務局より報告させて頂きます。
明日以降、天気と体調をみながら高所順応登山で登る予定との事です。
高所順応での登山はノーマルルートへ行っておりますので、北壁側のベースキャンプとのデータ通信が難しいため、ベースキャンプまで栗城が戻ってきましたら、また栗城本人より報告させて頂きます。
(数日間の高所順応登山の後、再び北壁のベースキャンプまで戻る予定となっております。)
映像係りと通信係りを置いて、栗城とシェルパでABCに居るようです。
本日からGPS(SPOT)の電源を入れるとのことですので、栗城が電源をONしている場合のみ、位置を確認することができます。以下のURLよりご覧いただけます。
*尚、標高7000m以上ではGPSの制度が下がるためエラーが出て正確な位置を特定できない可能性もあります。ご了承ください。
http://share.findmespot.com/shared/faces/viewspots.jsp?glId=0Et1q1UmmcdceTfL97hCsAjr8IzHbFXOq
<栗城のキャンプ位置イメージ図 (by google earth)>0428googleearth.jpg

思った以上に手前に〝北壁BC〟を置いたようです。
これでは昨年の秋同様、北壁の下(取り付き)まで栗城の足で2日掛かりますね。

 
*****************************

他隊情報

キリアン隊 昨年秋に続き、今年もエベレストに登場です。
拙ブログを見て戴いてるmorning_kachinさんからの情報で、早速調べて見ました。
何と、エベレストに来る前に、2週間で隣りのチョー・オュー(8,201m)を登り、
5月の中旬にBCに入りして、ノートン(グレート)か、ホルバインから登頂予定です。
この秋の申請をしたが許可に為らず、春に変更したとか・・
栗城と競合しますね、面白くなりそうです。
’16年秋のキリアンの記録は下記です。


ネパール側にはウィリー・スティック、チベット側にはキリアンです。
スピード登山の両頭がエベレストに集合です、鈍亀栗城は如何に・・・
キリアン登攀の、邪魔にならなければよいのだが・・・
キリアンは雪の着いた登り易い、ノートンを狙うと思う。


ICI隊 平出和也が隊を離れて、マッキンリーに向かうとか・・・
経緯は不明ですが、社長と奥田仁の2名での登山になる模様。
登山料100万が無駄でしたね・・来年に再トライは出来るが・・・




暫くは更新が無いと思ってたが、突然の更新です。


(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
今、標高約6400mのノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)にいます。
一緒にここに来ていた日本人スタッフは、今日北壁のベースキャンプまで下りて、
僕だけここに残っています。今日の写真はそのスタッフに託しました。
映像・通信係も、ABCに来てた様です。〝北壁BC〟のキーパーと思ってました。
SpO2(血液中の酸素飽和度)は80と、けして悪くはないですが、
低酸素室で高額な金を払い、数週間訓練したわりに80とは、85~90は欲しい・・
順応が出来てれば、数値は95程度になるはず。4千・5千mでの順応不足が原因。
多少咳が出たり、腰の痛みも感じるので、しばらく安静にして、
タイミングをみて高所順応で登っていきます。
ノーマルルート側のABCは、さまざまな登山隊が集結していて賑やかです。
片隅にテントを張っていて少々肩身が狭いですが、
エベレスト7度目なら、堂々と構えるべきです。
各隊のガイド以外は、皆 エベレスト初心者のはずですから・・・
しっかり順応していきたいと思います。
メスナーの様に、その標高でも走り廻れる心肺機能なら、無酸素で登れると思うが、
80程度では上に往く程に数値は更に下がる・・・

***************************

他隊情報


ICI隊 4月29日 FB更新
今日は朝のうち、お天気良く、洗髪と髭剃りをしました。
明日からは順応活動のため、しばらくBC を離れ、上部に登ります。
お天気次第ですが4日間くらいかけて7000m くらいまで行ければと考えています。



平岡隊 4月29日 ブログ更新
中間キャンプ5700mに泊まって、6000mを往復してきました。
(平岡隊は順応に慎重です、4千・5千・6千での順応が、後で大事になります。)


**************************


参考資料

1980年、ラインホルト・メスナーが、北壁を無酸素・単独初登頂した際に、
中国登山協会と交わした議定書です。(著書・チョモランマ単独行より)

イメージ 1



イメージ 2

80年代の中国での事ですが、インド・ネパール・パキスタン等の高峰登山には、
相手側と似たような内容の〝契約〟が必要となります。

勿論、栗城もボチボチ社を通して〝契約〟をしています。
メスナーの頃とは、内容が違ってると思うが、
基本的な事柄の変更は無いと思います。
こんな事を公表するのが〝冒険の共有〟に為ると思うのだが、
テント内の画像で信者は満足してる様だ・・・・




5月6日
5月1日から5日まで、春山スキーの為に鳥海山に入山してました。
帰ったら栗城が、北稜での高度順応を終えたとの更新有り・・久々のウォッチです。
しかし、その後相変わらずの停滞癖・・・日程はどんどん詰まって・・・

数日間エベレスト(チベット側)のノーマルルートのABC(アドバンス・ベースキャンプ)で天気が安定するのを待っておりましたが、今朝ABCを出発して高所順応のため登っております。
4日連続で、北稜ABCで天気待ち停滞 ? をしてたが、動き出した模様。
停滞中にシェルパが、ノース・コル(7,000m)にキャンプを設置した様です。
北稜には、平岡隊はじめ多数の外国隊が居るとか・・・
既にFIX工作は完了してるでしょうから、一寸拝借か ? ・・・・


【事務局より】
高所順応登山のため昨日より7000m付近でキャンプしておりましたが、今朝(現地時間)キャンプを出発し、さらに標高を上げて登っていくとの事です。順応後、今日のうちにノーマルルート側のABCまで戻る予定としております。
同行シェルパが、栗城の戻りを待ってキャンプ撤収の段取りか ?


今日、高所順応で7300m地点まで登ってきました。
先ほど無事にチベット側のノーマルルートのABCまで戻ってきました。
かなり疲労がありますが、元気です。
今日は7300m地点まで上がりました。
当初は7,500mで順応と言ってたが、7,300mで戻った様です・・・
北壁側のジャパニーズクロワールのルートもチェックできました。
北稜上から西稜に近い位置に有る、クーロワールが良く見えるのか ? 疑問です。
かなりのブルーアイスも確認したので、慎重に判断しながらトライしていきたいです。
添付されてた北壁の動画中の画像を見ると、北壁面の雪は少なく、
両クーロワール(ノートン・ホルバイン)内は、
日差しの当たる率が低く、氷結してると思われる。
昨晩の夜、ノースコルではSpO2(血液中の酸素飽和度)が55でしたが、今朝には69まで回復し、高所順応中には75とまずまずな感じで、ABCに戻ってきた今は87あるのでしっかり順応できていると思います。
血中酸素が、7,000m        55
      順応中(7,300m ?)  75
      今朝ABC(6,400m)       69
      今          87 とは、笑しな数値です。
7,000mより上の更に酸素が薄い場所で、75に上がるのが不思議、下がるはず・・・
下(ABC)に降りた朝が、順応中より低いのも不思議・・・酸素を吸って87に回復  ?
ここからもう少し時間をかけて体を整えていきます。
この言い方が、順応出来てない言い回しか・・・




 は、ここで。

相変わらず停滞日が多く、日程がどんどん消化されてます・・・




*************************

他隊情報


ウィリー・スティック滑落死

4月30日早朝、クンブー氷河からヌプッエ側壁を登攀中に、
1,000m滑落し死亡とか・・・
荼毘後、故郷に埋葬されたとか・・・

彼流のスピード登山(エベレスト・ローッエでの連続登攀)を、
試みようとしてた矢先の事故です。
ウィリーは、生前に行為の失敗は死を意味すると、言ってました。
それが現実と為ってしまいました・・・

偉大な数々の、短時間登攀記録を樹立し、
様々な登攀用具が開発されている今、アイゼン+アックスだけを頼りに、
壁に挑む姿は有る意味〝原点〟回帰を志してたのかも・・・
惜しい登山家を亡くしました。  【合掌】




竹内洋岳氏
5月1日 FBより
悪天ながらルートを打ち直して、ジリジリとルートを延ばしましたが‥‥
ダメだー!
届かない!
残念ながら、今回も頂上に至らずに登山を終了することになりました。
前回、核心となる岩峰帯を抜け、これまで見えなかったルートの全容が明らかになり、残された頂上までのルートへの準備と計画を立てて来ましたので、今回こそはとの思いも強く、登頂できなかったことは、本当に残念です。...
その準備と計画が予定通りにいかない事態での登山となりましたが、
そもそも登山とは予定通りにいかないもので、それを対処して解決していくのが登山の面白さであり、今回、対処しきれず、登りきれなかったのは、私の力不足でした。
また、やり直しです。
栗城と違い、反省の弁が論理的です、次回に期待しましょう。

5月3日 FBより
吹雪の中、ベースキャンプから下の村に降りてると、モレーンで落石くらって、道からガラ場を、ドンガラ!ドンガラ!転げ落ち、イテテて‥ヨロヨロ‥なんとか村にたどり着き、翌日、ヘリでピックアップされ、入院しましたとさ。とほほ。
タンナ村から、カトマンズへ飛んだと思われる・・・
指の骨が折れた、レントゲン画像を添付してます。

*************************
ICI隊・AG隊・平岡隊の更新は無し。




栗城が北壁BCに戻って、久々のブログ更新です。

(黒字は栗城ブログより抜粋、青字は私見)
今回登る「北壁」側のベースキャンプからぐるっとエベレストを半周する形でノーマルルートのベースキャンプに移動し、高所順応でノースコル(7000m)を登る計画でしたが、かなり距離があるためにノーマルルートにスタッフ全員は移動できなく、帰ってきてようやく配信できます。
とにかく長かった。。其れを承知で、計画を組んだのでは???
7500mまで向かいましたが、風が強く7350mで引き返しました。
おぉ~ 50m盛りましたねぇ~  5月3日のブログでは、7,300mと言ってたが。
久しぶりのノースコル。
一泊した時の夜は体内酸素飽和度55でしたが、朝には69に上がり、昼には75と身体がどんどん薄い空気に慣れていってます。
ただ、やっぱりさすがに脈も高く、別世界を感じてます。
思うように身体が動かない。順応が上手く出来てない証拠。
人間の全てをコントロールしようと考えを全て吹き飛ばしてしまうような重さ。。
さすがヒマラヤです。6回も来て、やっと判ったのか・・・・
今回の順応登山で北壁のルートでかなり気になる部分を発見。
青く黒く光る長い氷の道。
クーロワールに詰まった古い青氷、其れを登る為に選らんだルート。
今更何を言うのか・・・クーロワールとは、日照時間が短いそう言う処だ・・・
ベースキャンプでゆっくり身体を休めながら慎重にトライしてきます。
登山期間は後2週間程度、ゆっくりしてる暇など無し。
また〝泣き芸〟で、栗城劇場も閉幕か・・・・

5月7日 追記
栗城FBに〝自称 アルピニスト〟の野口 健 が、以下の書き込みをした。

野口 健 春は秋よりも雪が少なく、また風が強いと雪がさらに吹き飛ばされ状況によっては北壁はガリンガリンになっている可能性が高い。色々と感じる事もあるでしょうが「ノーマルルートからのアタック」も選択肢の中に加えてみたらいかがでしょうか。
〝自称  アルピニスト〟が〝自称 登山家〟に、アドバイスすると言う面白い図式。

小生が思う、アルピニストの定義 
専らアルプス(欧州に限る)の、岩稜・岩壁・雪稜・雪壁を果敢に登攀する者達を指す。
小生が思う、登山家の定義
登山を生業としてる者達。海外の山に於いては、BC以降自己完結出来る者達を指す。





高度順応の為、北稜ルートを7,500mまで登ると言い出掛けたが、
5月3日にノース・コル(7,000m)から300mを登り、順応が出来たと、
5月6日に〝北壁BC〟なる処に戻った。(北壁BCなる呼称に異論は有るが・・)

腰が痛いとかで、本当に栗城に北壁が登れるのか?(登る気が有るのか?) を、
探って見る事にした。

この画像は、栗城が公表した動画からの物。
北壁には雪が無く、クーロワール(岩溝)の中と、緩斜面に残ってるのみ。
のルートが、今回栗城が登ろうとしてるライン。
のルートは、ノートン・クーロワール(グレート・クーロワール)で、
昨年秋に栗城が取り付き点で断念したルート。
イメージ 2

のルートは、1980年に日本山岳会隊が登頂したルートで、
下部をジャパニーズ・クーロワールと呼び、上部をホルバイン・クーロワールと。
積雪の緩斜面は、雪田と呼ばれるもので便宜上 第一雪田と第二雪田と仮称する。

この画像は、昨年秋に栗城が夜間アタックでの、最高地点を公表した物。
黄線の先のヘッドライトの点が、7,400mまで登ったと言ってる位置。
白線は、登ろうとしたラインで、夜間で見えなくて西稜側ズレタのか?
急斜面で登れず意識的に、傾斜の緩い方に進んだか? は不明。
イメージ 1

2枚の画像を比べて見て、
右端(西稜)の岩稜突起の形状・ホルバインの末端の岩場の形状から、
昨年秋は第一雪田の上端まで登り、撤退したものと思う。

昨年秋は、腰までのラッセルで、これ以上登れ無いと言ったが、
氷化したクーロワールを、第一雪田まで登れるのか・・・

栗城が、アイスクライミングのテクを訓練した話を聞いたことが無いし、
精々八ヶ岳でガイド付き訓練を何回かした程度。

ノーザイル・ノーアンカーで取り付き、事故れば、・・・・。

昨日のブログ更新で、このような書き込みが
今回の順応登山で北壁のルートでかなり気になる部分を発見。
青く黒く光る長い氷の道。
敗退宣言をするなら、今かも・・・

コメント者① みんな騙されてるのかな?この人登る気ないよ

栗城史多 "SHARE THE DREAM” 曰く 
わからない人にはわからない。

コメント者① 
本当に登る気があるならどこから生中継するのか教えてほしいものです
がどうせできないでしょ?虚勢はみっともないよ

コメント者② 
わからない人にわかるように共有します!って金集めしているのに、わ
からない人にはわからない とは これ如何に? 

こう言う言い方は無いだろう、栗城。そう思われてるのだよ~

コメント者③ 先行者とザイルは一体…🤔💭

栗城史多 "SHARE THE DREAM” 曰く 
あれはザイルじゃなくて各国の登山隊が登るための「フィックスロープ」です。他の登山隊がいると先行者は栗城のシェルパかないな?と勘違いされますが、今年、北側のノーマルルートは登山隊が300人います。先行しているのはその登山隊のシェルパがルート工作に上がっている姿です。風が強いみたいで苦戦しているようですが。。
ちなみにうちのシェルパは、ノーマルルートのABCに食糧を運ぶのと、本番の北壁側のABCに食糧やテント、カメラマンの機材を運ぶ最低限の3人員しかいません。
ノースコルに上がるのは技術的には簡単でピッケル一本で大丈夫し、一人で充分です。
FIXロープはザイルでない? 確りしろよ、栗城。
ノース・コル(7,000m)で、一晩泊まったテントは誰が運んだ、そして誰が下げた!!!
2009年に一人でノース・コルに登れず、
ルート工作して貰ってから登ったのは誰だ、栗城。 笑止だよ!!!!!

野口 健 曰く
春は秋よりも雪が少なく、また風が強いと雪がさらに吹き飛ばされ状況によっては北壁はガリンガリンになっている可能性が高い。色々と感じる事もあるでしょうが「ノーマルルートからのアタック」も選択肢の中に加えてみたらいかがでしょうか。  

栗城史多 "SHARE THE DREAM” 曰く
元々、全てあらゆる選択を視野にいれてます。

野口 健 曰く
了解です。現場の事は僕らには分からないので日本から静かに応援しています。


北壁を登ると言って、企業から〝集金〟・会員から〝御布施〟を集めて、
まさかノーマルルート? それは無いだろうよ。
FIXベタ張りのノーマルからでも登れ無い事は、お前が一番知ってるはず。

野口 健との遣り取りは、8日朝には栗城により削除されてます。何故でしょうか?


順応も、ICI隊の様に満足にせず・〝冒険の共有〟発信もせず・
停滞を繰り返し、FB見てる様では、7回目の敗退も時間の問題。


表題の【栗城 北壁登頂の可能性は?】の結論は、ゼロです。


*************************


他隊情報

ICI隊 5月7日 FBより
予定は少し変更になり、6000mのC 1に2泊、
6500mのC 2に3泊し目的通り7000mにタッチして昨日、BC に戻りました。
荒川も奥田もクタクタになりましたが、ケガや不調もなく、順調です
ICI隊は標高差500m刻みで、確実な順応をしてる様です。







栗城の〝エベレスト北壁〟での行動が、ひと目で判る様にマトメました。
登山計画が公表されてないので、ブログ・FBを更新の度に、実行動を書き込みます。


4月  9日  出国
4月10日  カトマンズ到着
4月11日  市内でプジャ
4月12日  停滞日(ラサへ発つ予定がビザが取得出来ずに)
4月13日  停滞日(        々        )
4月14日  カトマンズ→チベット・ラサ到着
4月15日  車で移動
4月16日    ↓
4月17日    ↓  
4月18日  5,200mに到着 BC設置
4月19日  停滞日
4月20日  5,600mに栗城流〝北壁BC〟設置
4月21日  停滞日 (プジャが終わらないと行動出来ない為)
4月22日  停滞日 (       々         )
4月23日  停滞日 プジャ実施
4月24日  停滞日 (エベレストが白い雪雲に包まれてる為)
4月25日  停滞日 (       々         ・ネパール地震2周年)
4月26日  中間C地 ? へ移動(東ロンブク氷河末端の6,000m付近 ? )
4月27日  北稜ルートABC(6400m)へ
4月28日  停滞日
4月29日  停滞日 (咳・腰痛・SpO2が80で不調、この標高で順応が出来てれば、       
4月30日  停滞日  数値は95程度になる)
5月  1日  停滞日
5月  2日  ABC(6,400m)からノース・コル(7,000m)へ
5月  3日  ノース・コルから北稜7,300mへ登り、ABCに戻る。(腰痛発言) 
      (7,500mで順応する予定が強風で戻る、しかし順応は出来たと言う)
5月  4日  停滞日
5月  5日  (北壁BCに戻る途中、中間C地に泊まったと思われる)
5月  6日  北壁BCに戻る(体調不良発言)
5月  7日  停滞日(違法越境期間と思われる)
5月  8日  停滞日     
5月  9日  停滞日     ↓
5月10日  停滞日     
5月11日  停滞日 新しいルート申請中(カトマンズに着いたと思われる) 
5月12日  停滞日          (カトマンズ) 
5月13日  停滞日          (カトマンズ) 
5月14日  停滞日 ルート申請許可、16日に新BCに入る(カトマンズ) 
5月15日  停滞日 (カトマンズ)    
5月16日  停滞日 (カトマンズ)       キリアン8,400mまで試登し順応
5月17日  ゴラクシェプ(5,164m)にヘリで到着、ロッジをBCにする。     
5月18日  新BCで停滞日       
5月19日  BCを出発(夜の宿泊場所は明かさず・・・通常C1の位置と思われる)       
5月20日  C1→C2(6,400m) 
5月21日  停滞日 疲れた為           キリアン北稜から無酸素登頂
5月22日  停滞日 強風予報の為 
5月23日  C2→C3 (7,200m)泊 
5月24日  昼から行動して、7,800mのビバーク地を目指すも体調不良で下山 
5月25日  ゴラクシェプ(5,164m)BCに戻る        ICI隊&AG隊登頂
5月26日  停滞日 ゴラクシェプ(5,164m)     ICI隊&AG隊ローッエ登頂
5月27日  BC→C2へ       キリアン2度目の登頂平岡隊北稜から登頂
5月28日  停滞日 BCから、約1千m登って停滞。高所で2日連続行動不可な体力 
5月29日  敗退宣言を長々と発表(C2から無線で中継Cへ)
5月30日
5月31日
6月  1日  ネパール山岳協会から、BCを撤去する様に言われた期限。
6月  2日
6月  3日
6月  4日  ロッジBCからシェルパがヘリで、カトマンズに帰ったとの情報有り。
6月  5日  4日か5日に、栗城が帰国したとの情報有り。

北稜7300mでの高度順応を終えて、〝北壁BC(5,600m)〟に戻ったが、
6日付けのブログでこう言っている。(黒字)
一泊した時の夜は体内酸素飽和度55でしたが、朝には69に上がり、昼には75と身体がどんどん薄い空気に慣れていってます。
ただ、やっぱりさすがに脈も高く、別世界を感じてます。
思うように身体が動かない。
7,300mから5,600mに下がって、体か動かないとは、順応が出来てない証拠。

同時期にネパール側エベレストに入った、ICI隊の行動と比較して見ると、
原因は初期順応の失敗に有る。
栗城(黒線)・ICI (赤線)隊のカトマンズ着からを、日別折れ線グラフで並べて見る。
(栗城ブログでの発表と、ICI FBでの発表を基に、ザッと表にした。)
イメージ 1

一見同じ様な標高を稼いでる様に見えるが、BC入りまでの間に大きな差が有る。

①カトマンズ(1,400m)から、
 栗城はラサ(3,600m)・ICI隊はルクラ(2,800m)へ飛行機で移動。
 どちらが、心肺機能に負担が有るかは、一目瞭然。

②その後、栗城は4日間車に乗り、標高差1,500mを稼ぎ、BC(5,200m)へ。
     ICI隊は10日歩いて標高差2,200mを稼ぎ、ロブチェ峰(6,119m)BCへ。

車・飛行機移動は、身体を動かしてないので、心肺への負荷が殆んど無く、
栗城は突然1,400mから5,200mに来た様なもので、ジッとしてると感じないが、
動くと息切れ・酸欠状態になる。

一方 ICI 隊は、ナムチェ(3,900m)での順応停滞日を設け、
平均220m/日の高度差を、歩きながら順応した事になる。
ロブチェ峰での6千m登頂順応も、スンナリ出来たのである。     
その後4日掛けてエベレストBC入り、BCで休養後にC1(6,000m)・C2(6,500m)・
7,000mへの順応も成功した。クタクタだが不調も無く、順調と言っている。
BCで数日休養すれば、クタクタ感は取れるのだ。

栗城は7,300mには達したものの、初期順応(3千m・4千m・5千m)不足により、
5,600mに居ても脈も高く、別世界を感じてます。思うように身体が動かない。
状態が続いてるのである。

明らかに、順応の失敗。
低圧酸素室に入り訓練してると、再三ブログで言ってたが、無駄金使い・・・
拙ブログの★★下山家 栗城劇場★★の中で、高度順応については、
1日標高差500m・2日歩いて標高差1,000mで、
順応停滞日を1日設けるのがヒマラヤの常識と・・・・

栗城が言う〝山の先輩〟懇意にしてる大蔵喜福・花谷泰広・江本悠滋等のガイドが、
こんな事も教えないのか?
それとも〝聴く耳〟持たないのか・・・不思議である。

それに、この後約2週間で、〝講演営業〟の為に帰る羽目に・・・
いつも栗城の登山期間が、短いとも言って来たが、
営業優先では満足な山登りが出来ない。生活費稼ぎと言われても反す言葉無し・・・


5月10日 加筆
位置情報を確認で〔スポット〕を見たが、
北稜ABCからノース・コル(7,000m)までの軌跡データが消去されている。
GPSの入り切りでポイントが飛んだりしてたが、消去するとは・・・
本当に栗城が歩いたデータなら、其れを消すとは自己否定に繋がるのでは?
そんな暇が有ったら、サッサと北壁下にキャンプ(ABC)を進めるべき。
イメージ 3


****************************

他隊情報

平岡隊更新

2017年05月08日
7100mまで行ってきました。

5月1日にベース・キャンプ5150mを出発し、1週間かけて7100mまで行ってきま した。
後ろはエベレスト頂上です。強風が吹いているのが、解りますか?


平岡隊は、4月13日にラサ(3,600m)入り。
     4月25日にBC(5,150m)入り(この間、初期順応に手間取った様子) 
     4月29日に中間C(6,000m)まで順応してBCに戻る。
     5月  1日BC発で
     5月  8日ノース・コルから7,100mで2度目の順応してBCに戻る。

BCで休養し、5月中旬からの好天期を見逃さすに、
アタックすれば山頂に立てるのだ。

この様に、時間を掛けて初期順応を確実にやれば、
素人でも7,100mまで登れる。



5月9日 追記   

2017年05月09日

タシゾン4400m

休養のためにタシゾン4400mに、降りてきました。
ベース・キャンプ5150mから、車で1時間程の村です。
今日の宿、珠峰斑巴旅館和賓庁Chomolangma Benba Hotel&Restrantです。
やっと本隊に追いつくことができました。
中華料理で栄養補給して、頂上を目指します。
驚いてます。7,100mで順応し、BCで休養かと思いきや・・・
更に標高の低い町まで降りて、休養とか・・・
酸素の濃い処では、疲労回復が更に早まるでしょう~
順応の遅れてた〝客〟が一人居たようですが、
こんなに〝客〟思いの平岡氏に連れられて、世界最高峰に挑める客は幸せです。
同じ公募隊でも、他では考えられない客対応です。

   

平岡隊の情報を基に、順応の様子を追加し青線で書き込みました。
栗城と同じラサからスタートですが、BC入りを栗城の2倍の時間を掛けています。
また6,000mで順応後、一週間掛けて7,100mで順応、
BCから更に4,400mまで降りて休養のようです。
イメージ 2




栗城が〝北壁BC〟に戻って以来、余程体調不良なのか? 音沙汰無し。
日程は残り少なく為るばかり・・・

栗城へ 〝金主〟・〝会員〟への言い訳を、必死で考えてる頃でしょうね。
     以下平岡隊の様子です。
     こう言うのが、本当の〝冒険の共有〟ですよ。
     他人に言われると〝頭に来る〟タイプのようだが、
     それなら「死ぬ気でヤレ」と言いたい。反論は前の様に関係者でもOK。


平岡隊の様子です。

2017年05月08日

エベレスト登頂準備完了

ノース・コル7000mでの辛い辛い一夜を明かし、強風の7100mを経験し、疲労困憊の状態でベース・キャンプ5150mに帰還したSさん。登頂準備完了です。
http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1655.jpg?d=a3

好天の予報を受けて、僕たちと入れ替わりに、5人のシェルパがノース・コル7000mに入りました。
深夜12時半ごろに、ノース・コルを出発。朝の7時頃にはキャンプ3(8300m)に到着し、登頂に向けて最終の荷上げを完了しました。
昼頃には、全員アドバンス・ベース・キャンプ6400mに帰着。
そのうち3人の若手シェルパは、下山を継続し、ベース・キャンプの手前で、私たちを追い抜いていきました。
左からパサン・テンディ・シェルパ28歳、ペンバ・テンジン・シェルパ28歳、ニマ・カンチャ・シェルパ33歳。
http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1668.jpg?d=a3
約20kgの荷物を背負って7000mから8300mへ登り、その10時間後には3100m下って、ベース・キャンプ5150mに帰着しました。写真の通り、元気そうです。
若手シェルパの超人的な働きには、いつも驚嘆させられます。
彼らのおかげで、エベレスト登山が成り立っています。
本当に、ありがとう。





チョー・オュー(8,201m)を2週間で登り、5月中旬にはエベレスト北壁に入り、
雪の状況を見て、両クーロワールのどちらかを登ると言ってました。

何と2週間掛からずに登ってしまいました。
ブログが更新されてます。http://www.kilianjornet.cat/

8,000mでの順応が出来てる訳ですから、少しの休養を取れば、
北壁下(6,100m付近)のABCから1日の晴れが有れば、登ってしまうでしょう。
昨年秋に、栗城が北壁下をウロウロしてる間に、
半日で北稜ABC(6,400m)から7,950mまで登り、雪が降って来たとABCに戻る。
恐ろしい登攀スピードです。

今日も行動してない、栗城に強敵現れる、です。

面白くなりそうです。




体調不良で動けない栗城、所詮エベレスト北壁に対峙出来る器で無し・・

5月10日更新の、平岡隊のブログと画像。
イメージ 1

ベース・キャンプに戻ったら、気温も暖かく、風向きも変っていました。
昨日の雪で真っ白になったエベレスト北壁。夕焼けが素晴らしかったです。
明日から、いよいよ頂上に向けてスタートします。
平岡隊は、ヤル気満々ですね~ 相手は商業登山隊とは言え、
栗城は〝自称 登山家〟でしょう~~
〝北壁BC〟で5日連続停滞の栗城。
この画像の、ど晴れの日に、何してるのでしょうか~
〝北壁BC〟から、北壁下へキャンプ(ABC)を進める事もしないで、
帰国時間はどんどん進んでます。

ブルーアイスで戦意喪失と言った処でしょうか・・・
なら、待ってても時間の無駄、さっさと敗退宣言し、帰国すべき。
来年は八ッ岳での練習の意味が無い事判ったから、もう少しレベルの高い、
剣や槍・穂高で〝練習〟してから、向かうべきでしょう(大笑)

キリアンが、そこまで来てますよ~

後、一週間位が、〝自称  登山家〟としての、最大の見せ場だねぇ~




〝北壁BC〟に篭って音沙汰無しの栗城が、5日振りに更新です。
内容を読んで〝びっくりポン〟でしたので一言。

5月11日 (黒字は栗城ブログより全文、青字は私見)
題目「困難はあっても避けられるアクシデントは避ける」
 
高所順応のステージを終えてから北壁側の偵察とABC設営に向けて準備をしてました。
ノーマルルートを順応で上がるときに北壁を見ながら、一点だけ「気になる箇所」があり、それをどうやって乗り越えるか考え続けていました。
それは北壁のジャパニーズクロワールと呼ばれる平均斜度60度標高差1000mの氷の壁。
いい色のブルーアイスですね
イメージ 2
昨年の秋は雪も混ざって登りきったが、7000m以上の傾斜がゆるくなるところで逆に雪が腰まであり、深い雪をラッセルし続けて7400mで断念した。
そうです、それで春なら楽に登れると思い、今回来て見て・・・目がテンに・・・
その雪を避ける型で今回は春に挑みに来たが、今度は青く光るブルーアイスが浮かびあがり、延々と伸びている。
栗城 国内の山も同じだよ、(例)奥穂高の小屋から上の鎖場部分 冬季はアプローチは大変だが、小屋まで来れば北向きで日差しが当たらず、比較的楽に登れる。
春季の3.4月頃は、昼・夜の気温差でガチガチに凍ってる。これと同じ事。
特にヒマラヤは〝大陸性気候〟で、冬季以外は気温差が大きい、その為だよ!!!
更に落ちる雪崩が斜面を磨くから、摩擦熱で余計に凍る・・・
 
デカデカと光ってますね
イメージ 3
もちろん、スリップはできない。。
ティンリからチベット・ベースキャンプに向かう時にたまたまドイツ人登山家ラルフさんと一緒だった。
彼は8000m14座の竹内さんとも登っていた鉄人クライマー。ラルフさんはエベレストはすでに7回チャレンジしており、この北壁は2回チャレンジしていた。ノーマルルートで酸素を使った登頂を超えるために再び無酸素で挑戦しに来ていた。
鉄人の共通点は常にポジティブなオーラを放っている。
「クリキ、僕は北壁を2回チャレンジしたが、あのブルーアイスは時間がかかり過ぎる。難しいぞ。」
ジョーダンを交えたり、お互いの哲学を披露しながら素晴らしいアドバイスをくれた。
独語が理解出来るとは素晴らしい~ 次に来るキリアンはスペイン語だぞ。
北壁の序盤、ブルーアイスの章を乗り越えるために30本以上のアイススクリューと600mのロープを持ってきていた。
壁と岩溝登るには、其れ位のガチャは必要と思うけど・・
まさかノーザイル・ノーアンカーで登る気で来たのか ? それは甘い・・・
ただ、一人でルートを工作するにはラルフさんが言うように想像以上に時間と最後のアタック分の体力も消耗してしまう。
だからいつも登山期間が少な過ぎると言って来た、順応を確りして、
ヤバイ箇所にはルート工作して、BCで充分休養してから一気に登るのが筋。
さらに体力と時間以上に長い氷を登り続けてる中で最も壁になるのが僕の左手自身だった。
2012年のエベレスト西稜で8070m地点でジェットストリームの強風で動けなくなり、あっという間に両手と足と鼻が重度の凍傷となり、手の指9本を失った。
右手は親指がかろうじて残ったためにピッケルを持つことができるが、左手は親指はなく、ピッケルを添える程度にしか持つことができない。
出来もしない、Wアックスのポーズで会員うけを狙うなよ。
その手でピッケル操作が無理な事は、前々から言ってる・・・
イメージ 4
ようやく左手に合うピッケルも見つけ、昔よりはだいぶマシになったが体重をかけることは難しい。
滑落しても【滑落停止】が出来ない・・・その意味する処は・・・
その中で本当に硬い氷の中を7000m近くまで登れるのか。
困難はあっても避けられるアクシデントは避けなくてはいけない。
考えに考えた結果。
山の麓まで来て考える事ではない、訓練をして・机上で考えて・登れる山を決める。
皆さんそうしてると思うが・・・
ブルーアイスを避けるルートからホーンバインクロワール(北壁上部)に入るルートを考えた。
そこから、中央ロンブク氷河を横断して、ロー・ラに上がり、
西稜から、北壁を巻き、岩溝に入るルート??? 長過ぎる、無理無理
変更予想ルート
イメージ 5
飽くまでも予想だが、これなら栗城画像の下部の①アイス帯は避けられるが、
中央ロンブク氷河の②クレバス帯を横断できるか? ③長い西稜を歩けるか?
④岩溝上部を登れるか?(下部より更に急傾斜)等々の問題あり。

これが駄目なら、北稜ノーマルよりない。
しかし間違って登れても、FIX・梯子が在り単独は成立しない。
ただ、そのルートも決して簡単ではない。
避けられる事故は避けて、向かうべき困難に集中する。
今、その新しいルートを申請しています。
やはりBCに、中国登山協会派遣の連絡員が居るようですね。
北稜に変更なら、〝御伺い〟の必要は無いが、ネパールとの国境歩くからねぇ~
果たしてどのルートになるか。
当たった方にはアイスをプレゼント!
馬鹿コイテル暇は無いだろう!! 真面目にヤレ。
決まれば数日中に本番アタックステージが始まります。
決まって・天気待ちして・時間切れ・・・敗退。予想通りの展開です。
そして、ラルフさんの無酸素登頂の成功!祈ってます。
他人の事はどーでもいい・・・


追記 今10時43分
チベットは、時差約3時間で7時半頃。
栗城はFB眺めて朝8時頃に〝いいね〟連発。これゃ~今日も停滞だ。


****************************

他隊情報

ICI隊FB(5月11日)より
AG隊の梶山ガイドと直ちゃんがC2から高度順応して戻ってきました。
餅入りのお汁粉で乾杯です。7000mタッチしてきました。
AG隊の順応も進んでいるようです。


アラン・アーネットのブログより
エベレスト・中国側の、登山客とシェルパ(登頂者ではなし)数の年毎データです。
この春のネパール側は、登山客373人・シェルパ373人だそうです。
南北合わせて、1,052人が5,000m以上に集結してます、凄い数ですね・・・

イメージ 1

イメージ 6


只今日本時間5月14日18時50分です。
16分前に栗城がFBで、以下の書き込みをしました・・・

(黒字は栗城FBより、青字は私見)

ルートを変更するために移動を開始しました。
新しいルートの申請も無事に終えて、16日には新しいベースキャンプに入ります。ベース入りしてからどのルートから登るか、登頂予定日と中継について発表します。
今、エベレストは悪天候の周期が17日まで続くそうです。雪が安定し順調に行けば17日か18日からアタックステージ(本番)が開始します!
少し街に降りて来ましたが、かなり酸素が濃いです。。身体が暖まります。

16日には別のBCに入る?
予想した西稜ルートなら、現在の〝北壁BC〟が使えるのだが・・・
北稜(ノーマル・ルート)からの登山でしょうか?
2日後に入れるBCは、北稜のABCと言う事でしょうか・・・
登山客・シェルパが300人も居る北稜ABCへ?
既に山頂までのルート工作され、インド隊が16人も登頂してますから、
ルートはバッチリですが・・・栗城の理念とは少し懸離れてるかと・・・
他人の〝褌〟で相撲を取るの典型か・・・・

派遣されている中国登山協会連絡員に、変更案を拒否され、直接協会への
ルート変更交渉の為に、固定電話の有る町まで降りたようです。


帰国し28日の講演が迫ってる今に為って、訳の判らない話しです。
講演をキャンセルして、登山続行の意思でしょうか・・・

17.18日からアタックと言ってるので、天気予報を見てみましょう。

イメージ 1


イメージ 2

この予報は山頂付近のもの、16日に新BC入りしたとしても、
連日の体感温度が-30℃以上の日々が続いてます。
風速25km/時~30km/時(7m~8.3m/秒)で、
栗城の過去の行動から、この天候で登山が出来るとは思えませんが・・背水の陣で?

新BCに着いてからの発表を待ちましょう。


******************************

他隊情報


5月14日付け 平岡隊ブログより

出戻りベース・キャンプ5150m

16日の登頂目指して、勇んでアドバンス・ベース・キャンプ入りしてみたところ、天気予報が急変してベース・キャンプに出戻りました。エベレストの天気は、いつも一筋縄では、いきません。
そんな中、インド隊16人が今季初登を、決めてくれました。インド隊は、総勢50人超の最大勢力です。一次隊に精鋭を集めて、小さな好天の窓を掴みました。おめでとうございます。
平岡隊は6,400mのABCで天候待ちをする間の、体力消耗を防ぐ為に、
5,150mのBCに戻った様です。とてもいい選択と思います。
(6,400mの高所での食事では栄養が吸収出来ず、空腹感を満たすだけ。脂肪と筋肉細胞を燃焼させてエネルギーに代えてます。高所に留まるほどダメージ大に為ります。小生も過去ひと月の遠征登山で、66キロの体重がカトマンズのホテルで計ると58キロに・・帰路は疲れて歩けませんでした。)
インド隊は隊員30人、シェルパも同数近くの様です。
一対一で登れるのですから確実です。費用もそれなりでしょうが・・・



平岡隊追加

2017年05月15日

出戻りタシゾン4200m

またタシゾンに休養にきました。
今度は、シェルパも一緒に、総勢13人です。
中華料理で栄養補給しています。

http://ryusekiexpeditions.up.n.seesaa.net/ryusekiexpeditions/image/IMG_1750.jpg?d=a4
平岡氏が、客の順応過程や健康面に、専心するガイドで有る事は以前書きました。
悪天が当分続くと判断して、今度はシェルパ他全員での休養。
こんな例は聞いた事が有りません・・・
シェルパ達もこの様に優遇されると、
〝バラ・サーブ(シェルパ語で、偉大な旦那様・平岡氏の事)〟の為に、
必死に登頂支援をしょうと思うはずです。
2人の客を登らせるのに、この厚遇です。しかも料金はAG隊より格安。
金が有ったら、参加したいと思う様な隊です。



*************

ICI隊 5月13日 FBより
今日は、ベースキャンプテントの補修をしました。氷河の上にいるので、テントが傾いてしまいます。小石を入れて、平らにしました。これで、安眠できます。
長期にテントを張ってると、テント床面が解けて凸凹に為り居心地が悪くなる。
偶には設営場所の変更や床面補修が必要に為ります。
イメージ 4

ICI隊 FBより
5/14 プモリに太陽が当たっています。風もなく穏やかです。
イメージ 3




5月14日付けで、栗城ブログが更新されました。

栗城ブログより(黒字は栗城ブログより抜粋、青字は私見)
ルートを変更するために移動を開始しました。
新しいルートの申請も無事に終えて、16日には新しいベースキャンプに入ります。ベース入りしてからどのルートから登るか、登頂予定日と中継について発表します。
今、エベレストは悪天候の周期が17日まで続くそうです。雪が安定し順調に行けば17日か18日からアタックステージ(本番)が開始します!
これを読んで、チベット側からのルート変更より、頭に有りませんでしたが、
拙ブログを読まれた方から以下のコメントを戴きました。

先日、ネパールにあるツアー会社の友人と今秋のヒマラヤ付近の偵察旅行について話しておりました。
こぼれ話し的に聞いたのですが、どうやら栗城氏はチベットサイドからのアッタクを断念して、カトマンズに居る(居た?)ようです。
春季チベットサイドからアタックと聞いていたので、なぜ今現在カトマンズに?と思い。まさかネパール側からのアタックに切り替えるつもりでしょうか笑?
追伸
これもツアー会社経由の話しなので不確かな情報ですが、ボチボチの別働隊が別のキャラバン隊をサポートするためにすでにBCに入ってるそうです。
キッチンテントをシェアし追加で一張り二張り程度であれば問題もなさそうにも思えます。

俄かに信じ難い事ですが・・・
考えて見れば、チベット側でのルート変更は、
①北稜ルート
②中央ロンブク氷河を横断し・ローラ→西稜→岩溝上部→山頂
の、2ルートより有りません。
①は、ABCに登山客・シェルパが300人も居ます。
②は、栗城が単独で、氷河横断が出来るとは思えません。

28日の講演まで、残された日々も残り少なく為ってます。
チベットに居続けたのでは、帰国の為に4.5日の移動日が取られます。
ネパールに移れば、エベレストBCからカトマンズまでヘリ移動が可能、
上手く行けば1日半程度の移動で帰国出来ます。
下記、行動表をご覧下さい、17日~25日までの最大9日間を登山に充てられます。

栗城は、2012年に一度体験した、
クンブー氷河から西稜に上がるルートに変更、と考えると納得です。
(但し、西稜から北壁トラバースを、技術的に栗城に出来るとは思えませんが・・・)
しかし栗城が言うように、17.8日から登山開始が出来るのでしょうか???
天気予報を見てみましょう~
イメージ 1

エベレスト山頂の予報です。
20日から23日までの風が、25Km~45Km/h(7m~12.5m/秒速)です。
24日からは風も弱くなるようですが、12.5mの風では栗城は行動出来ません。
いづれにしても、BCから一発勝負の機会よりない事は確かです。
このルート変えの為に、
登山料120万と、カトマンズからの資材・人員の空輸費2・300万以上が、
掛かり増しになる事は間違い無いです。



ここまで書いてて、栗城FBを見たら、
何と・・・28日の講演を欠席するとの、書き込み発見です。
講演会メンバーの夢枕獏が言ってるので間違いないです。

下山家 栗城劇場は、当分の間 続く様子です。
講演(客無料)より登山を選択したとは、少し見直し(笑)


北稜7300mでの高度順応を終えて、〝北壁BC(5,600m)〟に戻ったが、
6日付けのブログでこう言っている。(黒字)
一泊した時の夜は体内酸素飽和度55でしたが、朝には69に上がり、昼には75と身体がどんどん薄い空気に慣れていってます。
ただ、やっぱりさすがに脈も高く、別世界を感じてます。
思うように身体が動かない
7,300mから5,600mに下がって、体か動かないとは、順応が出来てない証拠。

同時期にネパール側エベレストに入った、ICI隊の行動と比較して見ると、
原因は初期順応の失敗に有る
栗城(黒線)・ICI (赤線)隊のカトマンズ着からを、日別折れ線グラフで並べて見る。
(栗城ブログでの発表と、ICI FBでの発表を基に、ザッと表にした。)
イメージ 1

一見同じ様な標高を稼いでる様に見えるが、BC入りまでの間に大きな差が有る。

①カトマンズ(1,400m)から、
 栗城はラサ(3,600m)・ICI隊はルクラ(2,800m)へ飛行機で移動。
 どちらが、心肺機能に負担が有るかは、一目瞭然。

②その後、栗城は4日間車に乗り、標高差1,500mを稼ぎ、BC(5,200m)へ。
     ICI隊は10日歩いて標高差2,200mを稼ぎ、ロブチェ峰(6,119m)BCへ。

車・飛行機移動は、身体を動かしてないので、心肺への負荷が殆んど無く、
栗城は突然1,400mから5,200mに来た様なもので、ジッとしてると感じないが、
動くと息切れ・酸欠状態になる。

一方 ICI 隊は、ナムチェ(3,900m)での順応停滞日を設け、
平均220m/日の高度差を、歩きながら順応した事になる。
ロブチェ峰での6千m登頂順応も、スンナリ出来たのである。     
その後4日掛けてエベレストBC入り、BCで休養後にC1(6,000m)・C2(6,500m)・
7,000mへの順応も成功した。クタクタだが不調も無く、順調と言っている。
BCで数日休養すれば、クタクタ感は取れるのだ。

栗城は7,300mには達したものの、初期順応(3千m・4千m・5千m)不足により、
5,600mに居ても脈も高く、別世界を感じてます。思うように身体が動かない
状態が続いてるのである。

明らかに、順応の失敗。
低圧酸素室に入り訓練してると、再三ブログで言ってたが、無駄金使い・・・
拙ブログの★★下山家 栗城劇場★★の中で、高度順応については、
1日標高差500m・2日歩いて標高差1,000mで、
順応停滞日を1日設けるのがヒマラヤの常識と・・・・

栗城が言う〝山の先輩〟懇意にしてる大蔵喜福・花谷泰広・江本悠滋等のガイドが、
こんな事も教えないのか?
それとも〝聴く耳〟持たないのか・・・不思議である。


それに、この後約2週間で、〝講演営業〟の為に帰る羽目に・・・
いつも栗城の登山期間が、短いとも言って来たが、
営業優先では満足な山登りが出来ない。生活費稼ぎと言われても反す言葉無し・・・


5月10日 加筆
位置情報を確認で〔スポット〕を見たが、
北稜ABCからノース・コル(7,000m)までの軌跡データが消去されている。
GPSの入り切りでポイントが飛んだりしてたが、消去するとは・・・
本当に栗城が歩いたデータなら、其れを消すとは自己否定に繋がるのでは?
そんな暇が有ったら、サッサと北壁下にキャンプ(ABC)を進めるべき。
イメージ 3


****************************

他隊情報

平岡隊更新

2017年05月08日
7100mまで行ってきました。

5月1日にベース・キャンプ5150mを出発し、1週間かけて7100mまで行ってきま した。
後ろはエベレスト頂上です。強風が吹いているのが、解りますか?


平岡隊は、4月13日にラサ(3,600m)入り。
     4月25日にBC(5,150m)入り(この間、初期順応に手間取った様子) 
     4月29日に中間C(6,000m)まで順応してBCに戻る。
     5月  1日BC発で
     5月  8日ノース・コルから7,100m2度目の順応してBCに戻る。

BCで休養し、5月中旬からの好天期を見逃さすに、
アタックすれば山頂に立てるのだ。

この様に、時間を掛けて初期順応を確実にやれば、
素人でも7,100mまで登れる。



5月9日 追記   

2017年05月09日

タシゾン4400m

休養のためにタシゾン4400mに、降りてきました。
ベース・キャンプ5150mから、車で1時間程の村です。
今日の宿、珠峰斑巴旅館和賓庁Chomolangma Benba Hotel&Restrantです。
やっと本隊に追いつくことができました。
中華料理で栄養補給して、頂上を目指します。
驚いてます。7,100mで順応し、BCで休養かと思いきや・・・
更に標高の低い町まで降りて、休養とか・・・
酸素の濃い処では、疲労回復が更に早まるでしょう~
順応の遅れてた〝客〟が一人居たようですが、
こんなに〝客〟思いの平岡氏に連れられて、世界最高峰に挑める客は幸せです。
同じ公募隊でも、他では考えられない客対応です。

   

平岡隊の情報を基に、順応の様子を追加し青線で書き込みました。
栗城と同じラサからスタートですが、BC入りを栗城の2倍の時間を掛けています。
また6,000mで順応後、一週間掛けて7,100mで順応、
BCから更に4,400mまで降りて休養のようです。
イメージ 2

お待たせしました。いよいよ19日からアタックステージ開始します。
今日、ネパール側のゴラクシェプ(5164m)に着きました。
登頂予定日は23日です。20日~22日を目指していましたが、西風が20m以上と強い予報が出ているので、風が弱くなる23日を狙います。
そして、ルートはウエストリッジ(西稜)からホーンバイン・クロワール(北壁上部)を目指します。
予想通りの展開です。mou*****さん 貴重な情報ありがとうございました。
当初予定していたエベレスト北壁(スパークロワール)の下部が500m以上にも渡りブルーアイスが出ており、一時は一人でルート工作も考えましたが、右手4本、左手5本の指が無い状態で長時間のブルーアイスはかなり危険だと考えて、かなり思い切りましたが、ネパール側からホーンバインクロワールに向かいます。
実はこのルートは2012年秋季エベレスト西稜でトライしたルートです。
ルート工作された〝氷瀑帯〟を通るので、単独は成立しない。
(中略)
ベースキャンプはゴラクシェプのロッジに設置し、20日に6400mのキャンプ2(C2)、21日C2で休養、風が落ち着く周期を見計らって22日に西稜に向けて一気に登り7300mのキャンプ3(C3)へ、22日夜は7800mでビバークして、深夜に最終アタック。23日に登頂を目指します。
今日にでも出発しないと、このスケジュールは成立しない。
18日 ロッジ→BC(鈍亀栗城の足で、C2まではロッジから2日掛かる。)
19日 BC→C1
20日 C2(6,400m)泊 
21日 停滞日
22日 C2→C3(7,300m)、7,800mでビバーク?
23日 ビバーク地→山頂
と言ってます。が・・・22日の行動が???です。
C3に泊まる? 泊まらないで7,800mまで往きビバーク???

BC位置が、なぜ遥か下の村のロッジなのか?
恐らくは、通常位置にBCを置くと、既存の日本隊の目が気になるのでしょう・・・
シェルパがBC間を行き来してるので、噂は一日で広まる。
C1は通常のC1の位置なのか?
22日のキャンプ位置など・・・疑問な点は有るが、
栗城が登れるとしても、7,800 mから先は無理と思うので、
深くは追求しない。
image02.jpg
西稜C3(7,300m)に上がる側壁。
標高差約1,000m、南向きなのでガチガチに氷化してると思う。
栗城に登れるか??? これが登れれば7,800mのビバークサイドまでは楽勝。

冒険の共有のクライマックスである生中継については、23日の日本時間のお昼ぐらいから開始される予定です。※詳細につきましては、後日お知らせ致します。
(中略)
※なぜ今までルート変更の詳細と場所をお伝えできなかったのか。それは大幅な移動を要し、ネパール人スタッフも含めてなかなか国境を越えられず、もし国境を越えられなかった場合には戻る可能性もあり、バラバラの移動体制でネパール側のベースキャンプに向かうことなり、本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです。
栗城は、重大な違反行為を、行なった様です。
各国のチベット登山隊は【入国したルートで出国する】と言うルールが有りす。
ネパール・カトマンズからラサへ飛行機で入国、車でBCへ着きました。
この逆で、出国するのがルールです。
それを無視して、車で陸路ネパール国境に向かい、
個々のツーリストとして、国境越えした様です。
これが発覚したら、以後チベットに入国は出来ません。
なぜ、そんなリスクを犯したのか????

(登山許可は一日でおりました。)
無事にネパール側のベースキャンプに到着するまでは発表を控えさせていただいていました。ご心配をおかけした皆様申し訳ございませんでした。
ごめんなさい。無事に着いて良かった。。

ルートの説明
赤破線 南東稜ルート(ネパール側ノーマルルート)
青破線 北稜ルート(チベット側ノーマルルート)
    今回7,300mまで登り、順応出来たと言う。●印が順応到達点
赤 線 栗城が当初計画したルート(図中のが北壁BC位置)
青 線 栗城が言う、新ルート
イメージ 3

栗城がおこなった【違法越境】は、発覚したら中国で大問題になる。
誰の差し金かは知らないが、本人達の再入国拒否は元より、
善良な日本人ツーリストや登山をする者が、
国境検問で有らぬ疑いを掛けられる事は確かだ。

********************************************

今週末まで晴れの予報が続きます。
今から、鳥海山春スキーの〝第二弾〟に往って来ます。
週末頃には戻る予定ですが、それまでに栗城が登れるとは思ってないので、
帰ってから更新にコメします。

*************************

他隊情報

キリアン隊
5月13日 
北稜ABC(6,400m)の各国隊のキャンプ風景をFBに載せてます。
このABCには、登山客とシェルパが300人以上、登頂のチャンスを狙ってます。
背景の凹部が、ノース・コル(7,000m)です。


5月16日 
この日キリアンは、ABCから6時間で8,400mまで試登し、ABCに戻った
イメージ 1
公募隊の登山客は、1日目 ABC(6,400m)→ノース・コルC1(7,000m)
                           2日目 ノース・コルC1→C2(7,500m)酸素使用
         3日目 C2→C3(8,300m)酸素使用
          4 日目 C3→山頂 酸素使用
で登り、夜間も酸素を吸って寝ます。
キリアンは、半日で・無酸素で、C3を越えて登り、ABCまで帰るのですから、
脅威の心肺機能と体力の持ち主です。


ICI隊 FBより
5月15日
今朝のベースキャンプの様子です。薄っすらと雪が積もりました
暖かいいい天気になりそうです。アタックは、天候状況を検討しています。
イメージ 2

本日は、酸素マスクを各自合わせました。
マスクも毎年、新しいものに進化しています。
酸素ボトル、レギュレーター、マスクなどはやはり、ロシア製が主流です。

5月16日
ベースキャンプが見える峠まで、散歩してきました。
いろいろなテントがひしめいています。自分のテント⛺️を探すのが大変です。

5月17日
今朝のベースキャンプです。太陽が出ています。雪が少し積もりました。
今日は、暑くなりそうです。

AG隊 ツィッターより
5月16日
梶山隊長よりあと数日ベースキャンプ(BC)待機の見込みとのこと
強風がまだ続く見込みのため、BC出発のタイミングを慎重に検討中とのことです。とはいえ、上部キャンプへの荷揚げや酸素マスクの調整など、
大詰めに向けて準備は粛々と進んでいます。

他隊の方が〝冒険の共有〟が出来てますね、栗城は何をしてるのでしょうか???




18日午後から21日までの間、鳥海山春スキー・北面登攀に行ってました。
その様子はに書いてます。

昨夜帰り、ここ数日の栗城の動きを纏めてコメントします。
(黒字は栗城ブログより青字他は私見)

23日、頂上で会いましょう。
*今朝、現地時間6:30(日本9:45)、ベースキャンプを出発しました。
動画では、腰が痛いと言う。ザックの量が少な過ぎる。
何処で泊まったかは公表してないが氷瀑帯を越えたC1と思う。
氷瀑帯を通った事で、栗城が言う単独は成立せず。(既にルート工作がされている為)

今日、無事にキャンプ2(C2)に着きました!

今、C2(6400m)にいます。
今日西陵(正しくは西稜)を目指して登っていく予定でしたが、23日が強風の予報が出ましたので、24日登頂アタックに変更して、そこに合わせて明日C2を出発していこうと思います。
天候待ち停滞と言っている23日の登頂を24日に変更。

以下、栗城が公表したGPSデータです。衛星画像に投影したもの。
イメージ 1

地形図に投影したもの。
イメージ 2

地形図を拡大して見ました。6,400mラインに到達してます。
イメージ 3

さて、今日からが面白くなります。一発で西稜に上がれるでしょうか?

は、ここで

***************************

他隊情報

平岡隊ブログより

2017年05月18日

ふたたびエベレスト頂上へ向けて

昨日からジェット・ストリームの風が戻ってきました。
いつもの強風のベース・キャンプ5150mです。
当初私達が登頂を予定した16日には、インド隊2次隊、ドイツのアミカル隊、ロシア隊、チリ隊が、小さな好天を掴み登頂しました。下山は、強風に曝されインド隊に凍傷者が出たようです。

明日、ふたたび頂上を目指し、ベース・キャンプを出発します。
今吹いている、ジェット・ストリームの強風が、いつ弱まるのか様子を見ながら、登頂したいと思っています。
順調に行けば、24日の登頂を目指します。
この1ヶ月の成果を、慎重に、一つ一つ積み重ねて、頂上に繋げたいと思います。
僕らの願いが、叶いますように。
栗城の登頂予定日と同じですねぇ~


AG隊 5月19日のFBより
2017エベレスト&ローツェ隊
先ほど日本時間22時10分、衛星電話で連絡入りました。
全員無事、ネパール時間14時〜16時の間にC2に到着!
梶山隊長は喉がかれて、ほとんど声が出せないようなので、なおちゃんが代わりに対応してくれました。
天気予報を伝え、書き留める作業も楽ではありません。それでも衛星電話の聞こえがとても良好だったので助かりました。
いつもお世話になっている猪熊氏の天気予報とネパールの予報も参考にして行動を決めています。
場合によっては、明日はC2ステイになるかもしれないとのことです。
栗城と同じ地点に居ますねぇ~


5月21日のFBより
2017エベレスト&ローツェ隊
今朝は日本時間09時57分、掠れ声の梶さんから電話がありました。
今日もC2ステイ。山頂は24日を予定してます。それぞれの隊員のモチベーションを維持しながら、隊長も冷静に進めてくれています。声以外は、問題ないですので(笑)
集中力切らさず、山頂に立っているイメージを膨らませて頑張って欲しいです


平岡隊・AG隊共に、24日の登頂を目指している様子。
ネパール側とチベット側だが、天候的にチャンスと見ての事であろう。
是非 成功して欲しいもの・・・
クーロワールを登れなかった栗城は、それでも「僕は単独だ・・」と嘯くか???




栗城更新。

(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
皆さんこんばんは。ナマステ。
僕は今、まだ6400mのキャンプ2にいます。
今朝5:00の天気予報で、24日よりも25日の方が風が弱まる予報が出たのと、西稜は強風だと大変危険な場所なので風が強い23日に西稜で行動することを避けて、明日の朝から西稜に向けて登って行って、風が弱まる25日の山頂アタックを目指します。
多少喉が痛いですが、体調は悪くないです。
秋に比べると相当風が弱いのでチャンスがあると思います。
頑張ります。

次のように計画変更のようです。
当初計画         変更計画
22日 C2→C3      22日 C2で停滞
23日 C3→ビバーク   23日 C2→C3
24日 ビバーク→登頂    24日 C3→ビバーク
               25日 ビバーク→登頂 

天気予報は・・・
24・25日を見比べて下さい。
イメージ 1
小生なら、24日にアタックです。
理由は、25日だと疲れた帰路に風が強まります。
27日アタックと言う選択も有ります。
一次アタックを24日・2次アタックを27日に設定するのがベストかと・・・
これで登れなければ、5月中は無理でしょう・・・
イメージ 2

この先、月末までは最大風速が30km/hです。秒速換算で8.3m。
この程度の風は、8千mではそよ風みたいなもの。
チベット側・ネパール側で、連日登頂者が続出です。
風が理由で登れ無い・・・は、有り得ませんね。


追記
このブログを書き終えて、栗城の動画音声を聴いて驚愕です。
チベット側の北壁BCに、カメラマンを置いて来た様です。
西稜を登る姿が見れると言ってます。
当然 カメラマン用のキッチンシェルパも居るはずだし、
小回り用のキッチンボーイも・・・
ネパール側で、新たにキッチンシェルパ他を調達した事になります。
テント・炊事器具・人員等の増分は、ボチボチ社が手配したと思うが・・・




栗城ブログが更新されました。予想通りの敗退宣言です。

冒険の共有〟を謳いながらも、共有の無かった栗城が、3部作で〝語って〟ます。
冒険の共有〟の為の、衛星通信に金が掛かると〝集金〟した金の使い方です
これでウン百万の通信費・・・以下の3部作でご覧下さい。

(黒字は栗城ブログより、青字は私見)
本日、現地時間14:15(日本時間17:30)栗城の無線交信によるライブ配信がありました。
音声のみですが、栗城の決断と今の想いをお話させて頂きました。
以下のURLよりご覧ください。
皆様、応援ありがとうございます。
【栗城ライブ配信(無線音声)1】
【栗城ライブ配信(無線音声)2】
【栗城ライブ配信(無線音声)3】
https://www.facebook.com/kurikiyama/videos/1527400823958896/
※ライブ配信されたものが動画でご覧頂けます。

ダラダラと言い訳が続き、画像はテントの中の無線機・・・
一々、コメントも面倒なので、皆さんが聞いて判断して下さい。
FBで苦情が多かったので、最後にこれを流したのでしょうが、茶番劇です。

聞いて感じた事。
①春は初めて来たが、晴れの日が多く・環境がいい、それを生かしきれなかった・・・
 初期高度順応の失敗と前から言っている。体調不良でウダウダ・・・
②ネパール登山協会から、6月1日までにBCを撤去する事が条件。
 初めて聞く話・・・
③例の〝泣き芸〟が入る・・・
 いつものパターンでした・・・泣くほど悔しいなら、死ぬ気で遣れよ、栗城。
④ノーマルルートへ往った・・・
 この天気の中、どこへ往こうが登れる道無し・・・
で、カウントダウンのオマケ付きで、撤退宣言音声画像(笑ってしまった・・・)

下山してから、正式な総括が有ると思うので、その時私見を述べます。




中国政府は、現在チベット・ウィグル自治区に入る、外国人に制約を課しています。
反政府活動又は、独立運動への加担を恐れてです。

こんな制約が有ります。
①登山隊に付いては、入国ルートに従がい・出国する。中国登山協会連絡員派遣。
②隣国ネパールから、陸路での外国人個人の入国禁止。団体ツァーのみ可。
③北京(例)経由でラサに到着し、陸路ネパールに向かうツァー客・個人は可。

①に付いては、連絡員が監視役。 
②に付いては、現地ツァーガイドが監視役。
③に付いては、4駆運転手が監視役。

栗城はこの〝禁〟を犯して、陸路③の素振りをして越境した様です。
以下黒字のブログ抜粋を読むと納得して貰えるでしょう。

(黒字は栗城ブログより抜粋)
今日、ネパール側のゴラクシェプ(5164m)に着きました。
そして、ルートはウエストリッジ(西稜)からホーンバイン・クロワール(北壁上部)を目指します。
実はこのルートは2012年秋季エベレスト西稜でトライしたルートです。

※なぜ今までルート変更の詳細と場所をお伝えできなかったのか。それは大幅な移動を要し、ネパール人スタッフも含めてなかなか国境を越えられず、もし国境を越えられなかった場合には戻る可能性もありバラバラの移動体制でネパール側のベースキャンプに向かうことなり、本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです
無事にネパール側のベースキャンプに到着するまでは発表を控えさせていただいていました。ご心配をおかけした皆様申し訳ございませんでした。
ごめんなさい。無事に着いて良かった。

何故、この〝禁〟を犯したのか?
チベット側からの北壁が登れ無いと判断し、ネパール側へ移動するには、
全員入国ルートに従がい、ラサから空路出国しなければ為りません。
当然出国時点で、入国時の人員リストとの照合が有ります。
なので、苦肉の策で陸路からネパールへ・・・

理由は、西稜からホルバイン・クーロワールを登る、栗城を撮影する為に、
カメラ担当を北壁BCに残して置く必要が有ったから・・・(彼用のコックも)
ネパール側からは、西稜に上がらないと北壁の全貌は見えないし、斜めから視る感じ。
北壁Bcの位置からは、正面に北壁が見える。
昨日の敗退宣言の中でも、北壁BCのカメラ担当に触れてます。

ここで問題です。
①チベットに残されたカメラ担当は、どうして帰国するのでしょうか?
 栗城同様に陸路でしょうか・・・・
②登山隊としてチベットに入った〝栗城隊〟の出国記録が宙に浮きます・・・

この辺の処理が上手く出来るのか?
この後の登山隊に、禍根を残さないのか心配です。

因みに、下記ルート図は、ネパール・チベット間での陸路です。
外国人には、ネパールにぬけるルートとして、これより認められてません。

イメージ 1


6月1日追記
バラバラの移動体制で
本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです
越境は栗城自身の発想では無さそうですね・・・誰の入れ知恵でしょうか?
たぶんボチボチの社長でしょう。

外国人が入出国出来るルート(ネパール⇔チベット)は、
上記図の一箇所より有りませんが・・・・古くからの交易ルートが有りました・・・


’06年のヒマラヤ遠征時に、見聞きした話を想い出しました。
エベレスト街道最大の村ナムチェバザールでは、毎週〝市〟が立ち名前の由来。
衣類や生活雑貨・食料などが売られてます。
どこにこんなに人が居たのかと思う程の賑わいです。
チベット族が徒歩で国境を越えて、販売や購入に来ると聞きました。
古くからチベット岩塩の交易ルートが存在してるのです。
栗城はこのルートを通った可能性があります。
上記の正規ルートと違い、国境警備も手薄でしょうし、多少の袖の下で・・・
等と考えてしまいました・・・・邪推でしょうか?


 は、ここで



月25日に、エベレストに登頂したICI隊の画像。AG隊も同時登頂です。

エベレスト一帯は晴れてます。

イメージ 2
5月26日に、ローッエに登頂したICI隊の画像。
AG隊も同時登頂です。

この日もエベレスト・ローッエ一帯は晴れてます。
イメージ 3

平岡隊
5月27日ネパール時間午前5時37分北京時間午前7時22分、世界最高峰エベレストの頂上に立ちました。
隊員4名、シェルパ5名、ガイド2名総勢11名が全員登頂し、先程ベース・キャンプ5150mに無事下山しました。

この日はキリアン2回目の登頂。
キリアンは21日に真夜中に登頂したと言ってますから、悪天候ではなかったはず。

この日も、そんなに天気が悪くは見えません。
イメージ 1

何で、他隊の山頂画像を載せたのか・・・栗城と他隊の比較の為です。

栗城がBCやC2で停滞を繰り返してた頃に、実力の有る者はキャンプを進め、見事に登頂しました。
以前のブログで、登頂のチャンスは、中旬から下旬のわずかな期間と言いました。
それに照準を合わせて・順応なり・荷上げなりが出来てるかが、成否の別れ目です。

     栗城の行動

5月21日  停滞日 疲れた為            キリアン北稜から無酸素登頂
5月22日  停滞日 強風予報の為 
5月23日  C2→7,200m
5月24日  昼から行動して、体調不良で下山 
5月25日  ゴラクシェプ(5,164m)BCに戻る          ICI隊&AG隊登頂
5月26日  停滞日 ゴラクシェプ(5,164m)       ICI隊&AG隊ローッエ登頂
5月27日  BC→C2へ       キリアン2度目の登頂平岡隊北稜から登頂

AG隊・平岡隊は700万前後の個人負担、ICI隊は公募でないので安いでしょうが、
各隊共に、情報公開は確実にしてて、拙ブログでも紹介して来ました。

栗城は、何千万もの金を集め、あの程度の情報より流さず、
〝冒険の共有〟とは、呆れ果てます。
しかも、最後に高額な衛星中継を使い、グダグダ話とテント画像を流す始末でした・・・




栗城ブログが更新されました・・・

(黒字は栗城ブログより抜粋青字は私見)
2日前(5/29)の夜10時過ぎ(日本時間5/30夜中1時過ぎ)に無事にゴラクシェプ(5300m)まで戻ってきました。
そこまで(C2)登るのに2日掛かりで、
帰りは1日未満とは、〝下山家 栗城〟と言われる由縁です。
 本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。
予報で悪天候が予想されてても、アリバイアタックの素振りを見せて、
嫌々C2まで上がったのは動画を見て判ってたよ・・・
ダラダラ・チンタラ歩きは、とても体幹を鍛えてるとは思えぬバランスの悪さ・・・
25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。
その症状は、高山病と前から言ってる。
7,300mへ登ったと言う日から何日経過したのか・・順応効果は既に切れてる・・・
高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。
過去6回もエベレストで何を学んだ、無駄な停滞を繰り返し、順応など出来るはず無し。
ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。
春が安定してる事は皆が知ってる、登頂者の数が示してる。今頃知ったか ?
西稜に抜けれなくて、何が判ったか・・・氷雪技術の無さをか ?
技術も磨かずでは、来年も同様の敗退劇を繰り返すだけ・・・・
皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。
決して諦めない=金集め でしょう・・・
この遠征が、全体的にどのようなものだったのか、また後ほど報告させてください。
登頂した他隊と比べ、何が足らないのか検証してよね、楽しみにしてるから・・・
映像についても編集スタッフがまだチベット側にいるので、合流してからアップしていきます。
その彼氏 、どうやって帰って来るのか? 興味の有る処です。
それとも又チベットに越境して合流????
帰ってくると毎回髪がトロール人形みたいになってきます。
坊主頭にして往け 坊主に !!!

相変わらずの、お気楽さ・・・・口直しに、今朝咲いた牡丹。
イメージ 1





今日は雨模様で、草取り・百姓業も出来ないので、栗城越境を再検証。

栗城がネパールに出国出来るのは、
ラサから空路より無い事は【1】でお判りかと思います。
陸路で越境するとしたら、古くから有る交易路を使ったのかと。
1/12.5万のトレック地図です。
ボケて見ずらいですが、エベレストナムチェ・バザール越境した峠の、
位置関係が判ればと思い載せました。地図の北側はチベット領です。
イメージ 1

越境したと思われる峠部分のコピーです。
イメージ 2

チョー・オュー峰の北東に、(Nanpa La)  Khumbu Laと書かれた峠(La)5,716mが有ります。
ナンパ峠とクンブ峠と言った処でしょうか・・・
ネパールでは、エベレスト周辺はグンブー地方と呼ばれ、
エベレストから流れる氷河を、クンブー氷河と呼んでる事からも納得です。
地図の赤線道は、ヤクやゾッキョ等の荷役動物が通れる道・勿論人も。
チベット族が、ナムチェに来る交易ルートです。

このクンブ峠から約50~60キロ南下すると、
エベレスト街道最大の村〝ナムチェ・バザール〟が在ります。
ナムチェからエベレスト街道を約40キロ北上すると、エベレストBCに着きます。

栗城はこの交易路を使って、国境越えしたのでは・・・・
ここからは、推測ですが・・・下記の栗城行動表を参考に・・・

①6日。北稜で7,300mへ登ったが、クーロワール下部の青氷は登れ無いと判断。
②即、ボチボチ社長に衛星電話で相談。正規でない交易ルートでの越境指示あり。
③10日頃にクンブ峠を越えたネパール側から、ヘリでカトマンズ(1時間ほどの距離)
④5月11日、ネパール山岳協会に新ルート申請。15日頃までカトマンズ滞在。
⑤5月15日の拙ブログの投稿で、数日前にカトマンズで栗城を見た人が居ると証言。
カトマンズから、ヘリでロッジBCに入る。
(ルクラからエベレスト街道を歩くと、栗城の足で一週間、3日では歩けない。)

栗城 行動表より
5月  6日  北稜ルートから北壁BCに戻る(体調不良発言)
5月  7日  停滞日
5月  8日  停滞日
5月  9日  停滞日
5月10日  停滞日
5月11日  停滞日 新しいルート申請中(栗城ブログより) 
5月12日  停滞日  
5月13日  停滞日  
5月14日  停滞日 ルート申請をおえる、16日に新BCに入る(栗城ブログより) 
5月15日  停滞日   
5月16日  停滞日                          キリアン8,400mまで試登し順応
5月17日  ゴラクシェプ(5,164m)に到着、ロッジをBCにする。     

クンブ峠を越えるのに3日、金に糸目を付けずヘリを使えば、日程的に充分可です。
飽くまで小生の推測ですから、その辺〝忖度〟して読み流して下さい(^^ゞ


口直しに・・・・昨日の庭のアイリスです。
イメージ 3




5月29日に、延々と音声のみの動画で〝敗退宣言〟をした栗城ですが、
その後は5月31日にロッジBCにから更新して以来、3日間音信不通です。

今回(7回目)の北壁遠征をオサライして見ます。
添付画像で行動確認して下さい。
赤線は国境 青線栗城のルート
イメージ 1

①図北側(上側)に有るチベットBC入りしてから、北壁BC設置の為に南進し、
 中央ロンブク氷河5,600mの位置に北壁BCを設置。(昨年秋のABCの位置)
 この時、「体調は悪くないと言う。普通は体調は良いと言う筈が、
 悪くないと言う言い方に違和感を感じた・・・

②高度順応の為に、北壁BCから東ロンブク氷河に入り、北稜ルートABC設置。
 ノース・コルから7,500mへ登り順応の予定が、7,300mで終え順応したと言う。
 ABC(6,400m)に入って咳と腰痛と言うが・・・・初期高度順応の失敗である。
 この理由はで述べてます。

③北壁下部の青氷が登れ無いと判断し、ルート変更を考える・・・・
 10日ほど経過して発表したのが、チベット側を諦めて、
 ネパール側から西稜を登りクーロワールから登頂すると発表。
 国移動の経緯説明が無く、

④ネパール側に移り正規のBC位置(図中)では無く、遥か手前のロッジにBCを置く。
 同時に無線中継基地を、プモリ峰の基部に設置
 理由はヌプッエ峰が電波を遮断する為、見通しが効く場所でなければならない。
 この中継基地に通信担当と飯炊きシェルパを配置。
 正規のBC位置にBCを設置してたら他隊同様で、基地などは必要ないのだが・・・
 後からノコノコ国替えした、他隊に対する負い目感が有ったのかも・・・・
 先の北壁BCは撤去せず、カメラ担当と飯炊きシェルパを配置したまま。
 栗城がロッジをBCにしたのは、隊を3分割した事が原因かも知れません。

⑤西稜に上がる為に、クンブー氷河上の6,400mにC2を設置。
 西稜側壁に懸かる懸垂氷河沿いに稜線を目指すが、
 7,200m地点で体調不良(高山病)を理由にロッジBCに戻る。
 北稜7,300mで順応してから3週間も経ってるので、順応効果は消えてたのだ・・
 この間に、日本隊・外国隊が大量登頂に成功する。
 その後、予報が悪い中、アリバイアタックに向かい、
 何を思ったか ? C2からノーマルルートのC3に向かうが、
 ローッエ・フェイス取り付き付近で、ガスで見えないと言い引き換えし、
 敗退宣言を延々と無線で中継する。
 しかし、FIXはまだ残っており、登る気が有ればそれを辿って登れたはず。
 氷化したフェイスに敗退したとも言えるかも・・・

以上が、今回の栗城の行動概要でした。 

それにしても栗城は、何処でどうしてるのやら・・・・
それとも中国の官憲に、出頭を求められたか ?
ボチボチのシェルパが6月1日にカトマンズに降りたとの情報も有るが・・・
敗退ショックに立ち直れないて、ロッジのキッチンで泣いてるのか・・・(笑)


******************************

他隊情報

AG隊が撮影したエベレスト山頂の画像です。
山頂ポール(中国が測量の為に建てた物)に、
タルチョ(チベット仏教の経典が書かれてる)が結ばれてます。
これは信心深いシェルパが巻きますが、何とダライラマの写真まで・・・・
この春は、中国隊も登頂してますが、その後登頂したシェルパが貼ったと思います。
中国人(漢民族)が見たら剥がすはず・・・
中央政府に対する、チベット民族の強烈な意思表示でしょう
イメージ 2

ローッエから撮ったサウス・コルとエベレスト南東稜。
赤線は、2015年10月に栗城が登ったと言ってる、カラス谷ルート。
サウス・コル7900mを経由し、8150mまで登ったと・・・
西稜にも登れ無い者が、ここを夜間登ったとは誰も信じないでしょう~~
イメージ 4

エベレスト山頂直下から、南西側の画像です。
の山は紙谷氏が挑んだ、アマダブラム峰(6,856m)。
 紙谷氏の〝登攀記〟は◆◆山彦のヒマラヤ・他雑談◆◆ に記載してます。
の山は竹内洋岳氏が挑んだ、未踏峰のマランフラン峰(6,573m)。
 竹内氏の記録も◆◆山彦のヒマラヤ・他雑談◆◆ の中に記載してます。
の山は小生が62歳で登頂した、メラ・中央峰(6,654m) メラからも良く見えました。
 登山の様子は、拙ブログ メラ中央峰 6654m 登頂記  の項に記載してます。
イメージ 5

サウス・コル(7,900m)、C4の現状です。
放置されたテント他の墓場です・・・・この先には死体も放置されてるとか・・・
人間のエゴですね・・・下ろそうにも下ろせないのが現状です。
イメージ 3
最後に嫌な物を見せて仕舞いました・・

お詫びに、今が盛りの日光キスゲです。
イメージ 6


6月4日 追記
今朝の毎日新聞の記事です。
中国政府が登山隊を組んで、ダライラマの写真を外しに往くのでしょうか?
習近平以下の党幹部が往けば面白いですねぇ~~
イメージ 7
写真一枚でこの騒ぎですから、不法越境問題が発覚したら、・・・ですね。





中国政府は、現在チベット・ウィグル自治区に入る、外国人に制約を課しています。
反政府活動又は、独立運動への加担を恐れてです。

こんな制約が有ります。
①登山隊に付いては、入国ルートに従がい・出国する。中国登山協会連絡員派遣。
②隣国ネパールから、陸路での外国人個人の入国禁止。団体ツァーのみ可。
③北京(例)経由でラサに到着し、陸路ネパールに向かうツァー客・個人は可。
①に付いては、連絡員が監視役。 ②に付いては、現地ツァーガイドが監視役。
③に付いては、4駆運転手が監視役。

栗城はこの〝禁〟を犯して、陸路③の素振りをして越境した様です。
以下黒字のブログ抜粋を読むと納得して貰えるでしょう。

(黒字は栗城ブログより抜粋)
今日、ネパール側のゴラクシェプ(5164m)に着きました。
そして、ルートはウエストリッジ(西稜)からホーンバイン・クロワール(北壁上部)を目指します。
実はこのルートは2012年秋季エベレスト西稜でトライしたルートです。

※なぜ今までルート変更の詳細と場所をお伝えできなかったのか。それは大幅な移動を要し、ネパール人スタッフも含めてなかなか国境を越えられず、もし国境を越えられなかった場合には戻る可能性もありバラバラの移動体制でネパール側のベースキャンプに向かうことなり、本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです
無事にネパール側のベースキャンプに到着するまでは発表を控えさせていただいていました。ご心配をおかけした皆様申し訳ございませんでした。
ごめんなさい。無事に着いて良かった。

何故、この〝禁〟を犯したのか?
チベット側からの北壁が登れ無いと判断し、ネパール側へ移動するには、
全員入国ルートに従がい、ラサから空路出国しなければ為りません。
当然出国時点で、入国時の人員リストとの照合が有ります。
なので、苦肉の策で陸路からネパールへ・・・

理由は、西稜からホルバイン・クーロワールを登る、栗城を撮影する為に、
カメラ担当を北壁BCに残して置く必要が有ったから・・・(彼用のコックも)
ネパール側からは、西稜に上がらないと北壁の全貌は見えないし、斜めから視る感じ。
北壁Bcの位置からは、正面に北壁が見える。
昨日の敗退宣言の中でも、北壁BCのカメラ担当に触れてます。

ここで問題です。
①チベットに残されたカメラ担当は、どうして帰国するのでしょうか?
 栗城同様に陸路でしょうか・・・・
②登山隊としてチベットに入った〝栗城隊〟の出国記録が宙に浮きます・・・
この辺の処理が上手く出来るのか?
この後の登山隊に、禍根を残さないのか心配です。



因みに、下記ルート図は、ネパール・チベット間での陸路です。
外国人には、ネパールにぬけるルートとして、これより認められてません。

イメージ 1


6月1日追記
バラバラの移動体制で
本当に行けるのか!とヒヤヒヤしてたからです
越境は栗城自身の発想では無さそうですね・・・誰の入れ知恵でしょうか?
たぶんボチボチの社長でしょう。

外国人が入出国出来るルート(ネパール⇔チベット)は、
上記図の一箇所より有りませんが・・・・古くからの交易ルートが有りました・・・


’06年のヒマラヤ遠征時に、見聞きした話を想い出しました。
エベレスト街道最大の村ナムチェバザールでは、毎週〝市〟が立ち名前の由来。
衣類や生活雑貨・食料などが売られてます。
どこにこんなに人が居たのかと思う程の賑わいです。
チベット族が徒歩で国境を越えて、販売や購入に来ると聞きました。
古くからチベット岩塩の交易ルートが存在してるのです。
栗城はこのルートを通った可能性があります。
上記の正規ルートと違い、国境警備も手薄でしょうし、多少の袖の下で・・・
等と考えてしまいました・・・・邪推でしょうか?




は、ここで





今日は雨模様で、草取り・百姓業も出来ないので、栗城越境を再検証。


栗城がネパールに出国出来るのは、
ラサから空路より無い事は【1】でお判りかと思います。

古くからの交易ルートです。


1/12.5万のトレック地図です。
ボケて見ずらいですが、エベレストナムチェ・バザール越境した峠の、
位置関係が判ればと思い載せました。地図の北側はチベット領です。
イメージ 1


越境したと思われる峠部分のコピーです。
イメージ 2

チョー・オュー峰の北東に、
(Nanpa La)  Khumbu Laと書かれた峠(La)5,716mが有ります。
ナンパ峠とクンブ峠と言った処でしょうか・・・
ネパールでは、エベレスト周辺はグンブー地方と呼ばれ、
エベレストから流れる氷河を、クンブー氷河と呼んでる事からも納得です。
地図の赤線道は、ヤクやゾッキョ等の荷役動物が通れる道・勿論人も。
チベット族が、ナムチェに来る交易ルートです。

このクンブ峠から約50~60キロ南下すると、
エベレスト街道最大の村〝ナムチェ・バザール〟が在ります。
ナムチェからエベレスト街道を約40キロ北上すると、エベレストBCに着きます。

栗城はこの交易路を使って、国境越えしたのでは・・・・


ここからは、推測ですが・・・下記の栗城行動表を参考に・・・

①6日。北稜で7,300mへ登ったが、クーロワール下部の青氷は登れ無いと判断。
②即、ボチボチ社長に衛星電話で相談。正規でない交易ルートでの越境指示あり。
③10日頃にクンブ峠を越えたネパール側から、ヘリでカトマンズ(1時間ほどの距離)
④5月11日、ネパール山岳協会に新ルート申請。15日頃までカトマンズ滞在。
⑤5月15日の拙ブログの投稿で、数日前にカトマンズで栗城を見た人が居ると証言。
カトマンズから、ヘリでロッジBCに入る。
(ルクラからエベレスト街道を歩くと、栗城の足で一週間、3日では歩けない。)


栗城 行動表より
5月  6日  北稜ルートから北壁BCに戻る(体調不良発言)
5月  7日  停滞日
5月  8日  停滞日
5月  9日  停滞日
5月10日  停滞日
5月11日  停滞日 新しいルート申請中(栗城ブログより) 
5月12日  停滞日  
5月13日  停滞日  
5月14日  停滞日 ルート申請をおえる、16日に新BCに入る(栗城ブログより) 
5月15日  停滞日   
5月16日  停滞日                          キリアン8,400mまで試登し順応
5月17日  ゴラクシェプ(5,164m)に到着、ロッジをBCにする。     

クンブ峠を越えるのに3日、金に糸目を付けずヘリを使えば、日程的に充分可です。

飽くまで小生の推測ですから、その辺〝忖度〟して読み流して下さい(^^ゞ






〝下山家 栗城劇場〟をお読み戴きありがとうございます。

口直しに・・・・昨日の庭のアイリスです。
イメージ 3


栗城が、〔’17年春のエベレスト北壁〕の〝まとめ?〟〝登山感想文〟を発表。
大変ダラダラと長く読み難いので、処々に分けて私見を述べます。

黒字栗城ブログ全文青字は私見、どうでもいい部分は小文字にしました。
「NO CRAZY, NO MOUNTAIN.」タイトルですが、ちょっと意味不明です・・・
無線だけでは伝えきれてないこと全部書きました。
2016年秋、僕は秋季エベレスト北壁の壁にぶつかっていた。
傾斜60度の氷雪壁ジャパニーズ・クーロワールを登りきり、真っ暗闇の壁を7400mまで登っていた。7000mぐらいから傾斜が緩くなると雪は腰近くまでとなり、両手両膝で崩しながら進んでいく。秋は風が弱い期間が短い。あと2日でまた強風の周期がやってくる。なるべく雪がしまっている時間に深い雪を越えようと夜20時半に6800mのキャンプを出発したが、多少硬い部分を見つけてもまたすぐに深い雪に埋もれていく。
これを一人で。。
山と向き合いたいという思いから人がほとんど入らない「秋季」を選び続けていた。
雪と強風の秋に無酸素で一人で登りきった人はまだ誰もいない。
「なぜ春に登りやすい通常ルートでいかないんだ?」とよく言われたりしたが、言葉で理解してもらうことは難しく、過去に秋季エベレストに無酸素・単独で向かった日本人は一人いる。きっとその人しかこの感覚はわからないかもしれない。
北壁の雪はどんどん深くなっていく。
2日後にくる悪天候までこの雪を進み山頂に向かうのは不可能だと感じ、深夜下山を決めた。
だが、すぐには下山しないで深い雪に腰を下ろし、陽が昇るのを待っていた
それはこの中間部から北壁全体を見渡すためにつまり、またここにくるために陽が昇るのを待ち続けていた

昨年秋の話をしてますが、何を思ったのか夜間に出発し、ルートミスをしたか?
傾斜が急で登れずに、緩斜面に向かったものと思われる。
暗くて降りれずに、仕方なく夜明けを待った・・・
さて、今回の話です。

2017年春。
チベットの高原の大地と雪、そして深い空。チベットの三原色を眺めながら春の北壁ベースキャンプに向かう。
エベレスト7回目にして、はじめての「春」のキャラバンが始まる。
チベット・ベースキャンプはすでに多くの登山が入っており、街のようになっていた。
今年はチベット側のノーマルルートで300人、ネパール側で700人登るそうだ。
北壁ベースキャンプに到着後、高所順応のためにノーマルルートに向かい7300mまで登り下山する。
下山途中、お客さんを連れた日本人山岳ガイドに出会う。
北稜からの登頂を目指してた、平岡隊か?倉岡隊を指している。
「久しぶりだね。元気そうだね。」
「あの氷どうするの?いけそう?」
あの氷とは北壁下部あるジャパニーズ・クーロワールのブルーアイス(青く硬い氷)のことである。
「上から見てたんですけど、うまく行けば」
プロガイドに、格好いい事言ってます、すぐに登れ無いと諦めたのに・・・
実は僕が最も気にしていたのは北壁下部にある長さ600mに及ぶ氷の壁のことである

(昨年秋は、画像青ルート×の辺りでギブァップ、登る赤ラインから外れてる)
今回登る予定のラインを赤線入れてます。しかし登れ無いと判断して国替えし、
西稜からトラバースして来て、登ろうとしたルートは黄色です。これも無理無理。
イメージ 8
2016年にここを登っていたが秋の雪が張り付き、まだ比較的登りやすかった。
だが、春は雪が少ない分、氷が張り出し、硬いブルーアイスになって聳え立っていたのである。
当然でしょう~春は日中は気温上昇で解けるし、夜間は凍結の繰り返しで、
時間を掛けてブルーアイスに為るのです。
日本の3月の山でもなるのです、登った事の無い栗城は知らないだろう・・・
それは北壁のベースキャンプからでも確認できており、上から偵察するためにもノーマルルートに回り込み、7300mまで登ってきたのだ。
もう一人、このブルーアイスを気にしてくれている人がいた。ドイツ人登山家のラルフさんだった。ラルフさんはドイツ人登山家として14座を登り、エベレストも8回挑戦しているベテランの登山家だ。
チベットのティンリ村の宿で「クリキ?」と鋭い目で声をかけられ、決して目を逸らさない。(前にドイツの新聞で僕の記事を読んだそうです)
誰だろうと思っていたが、名前を聞いてすぐにあのラルフさんだとわかった。
ラルフさんとはチベット・ベースキャンプに向かう車も一緒でお互いの哲学や過去の失敗談を交わしながら話を聞いた。
「秋のエベレストは6回登れなかったって?俺は7回目だよ」と笑いながら丁寧に話をしてくれた。
ラルフさんのエベレスト挑戦は7回登頂できなかった。
ただし!向かっているルートはノーマル・ルートではなく全て「バリエーションルート 」(難しいルート)
登頂した一回はノーマルルートでの酸素を使用していたが、「あまり楽しくなかった」そう言って今回無酸素登頂を目指していた。
本当にガチンコで挑戦している人は共通してみな独特のオーラがあり、そして明るい。
「俺は2回北壁に向かったことがある。ただ、あの氷を越えるのにかなり時間がかかり、やめた。時間がかかるぞ」
本当にやってきた人は的確に短いアドバイスをしてくれる。
今まで色々アドバイスっぽいことを言う人がいたが、やったことがある人の声はやはり伝わり方が違った。
昨年の秋季エベレスト北壁の時は実際に行ったことのある山の先輩から「雪がしまっていたらいける。しまってなかったらいけないな」とメッセージをもらっていた。
まさにそうで雪の状態で大きく左右される。
北壁側のベースキャンプにて望遠カメラで撮影した写真をさらに拡大し、突破口を探していた。
このブルーアイスを意識して、事前に29本のアイススクリューと600m分のロープを用意していた。
アイススクリューの画像です。
上のツマミを回して氷に埋め込んで支点にし、ザイルを通します。(他の小物省略)
イメージ 1
岩場ではハーケン ↓ を割れ目に打ちます。用途はスクリューと同じ
イメージ 5
上記には、カラビナ(形状は多種)↓を通し、ザイルをセットします。
イメージ 9
だか、9本の指を凍傷で失ってから左手はピッケルを持つだけでも精一杯。右手だけでほとんどえなくてはいけない
この指ですからねぇ~
イメージ 2
手袋もこのザマです、余った指先ベロベロ・・・裁断処理もせず・・・
イメージ 3
高所では保温の為に、こんなオーバーミトンを重ね履きします。
このベロベロ手袋にミトンで、スクリュー回したり出来ると思いますか?
一度凍傷に為って切った指は寒いと痛みます、毛細血管が繋がって無いからです。
イメージ 6
それでいて長時間いや、数日間もこのブルーアイスと格闘することができるだろうか。ロープを張って、下がり、ロープを張って下がる。
仮に、スクリューの埋め込みが出来て、ザイルを通せたとしても、
これを(登高器)ザイルに通して、墜落を防ぐのです。
上部のバネを親指で開放しザイルを通し、黒のハンドルを握り登ります。
ザイルの継ぎ目や支点毎に、通し替えの作業が必要です。
指が満足に有っても、ミトンでの作業は大変なものです。
おっと、栗城には左の親指無いので、これを操作するのは至難の技、
利き手の右はピッケルですから・・・
やはり、ストック突いて歩ける、普通の山以外の登山は無理な様です。
イメージ 4
降りる時には、こんな器具もセットしなければ為りません。
ミトンを着けたままで、何回も付け替えが必要です。
イメージ 10
ラルフさんが言うように時間がかかりすぎる
ですから入山時期を早くして、雪が・・風が・・で停滞する事なく危険な場所に、ルート工作しろと今迄言って来ました・・いっも一発勝負で氷が・・・でツモ。
そして、何よりも心が進まないのは600mのロープを張ってもそれは回収することはできない
回収する・しないは栗城次第です。感じる山にしたければ回収、
登れれば後はどーでもと思えば残置。
ちなみに、ザイルの重さは1m当たり60g程度、600mだと36Kg。
FIXの場合、長いと邪魔なので、60m位に切って使います。濡れると倍以上の重さに為ります。
つまり600mのロープと29本のアイススクリューを残置したまま帰ることになる。
まるでエベレストにホッチキスを打つかのように。
それがエベレストに申し訳なく、600mロープを張った先のゴールが見えなくなっていた。
話が可笑しい!!!! これを登る為に、スクリュー・ザイルを用意したのではないか?
ザイルを張らなければ登れ無い・張れなければ登れ無い
(一流のアルパインクライマーならノーザイルで登れる)、ここに来て、その話は無いだろう・・・
来る前に、考えて決める事だ・・誰かに持って往けと言われたのか?

それと更に、下部のアイス600mをザイルを張って登れたとして、
上のクーロワールはどうやって登る? ノーザイルでのテクニックは無いだろう・・・
明らかに、栗城のレベルでは無理が有る。
このまま遠征をやめて仕切り直すか、それとも別なルートに行くのか。行くとすればどこに? 人が踏み固めたルートではなく「山」感じられるルートを。
考えた結果。ネパール側の西稜から北壁ホーンバイン・クーロワールに入るルートだった。
そもそもこのルートは2012年秋に一度向かい、ホーンバイン入り口8070m地点まで行ったことがある。その時に猛烈な風に遭い、両手、両足と鼻が重度の凍傷となった。
あの時のリベンジ。。ではないけど、聳え立つブルーアイスを避けて、ホーンバイン・クーロワールに合流するためにはこのルートしかない
ただ、今から登山許可が取れるのか?また移動や新しい登山許可料でお金がかかる。
しかし、このまま心が向かないまま、また避けられる危険をわかっていて向かうわけにはいかない。
日本の事務局とエージェントに連絡してルートの変更と手続きの準備を進めてもらった。
エージェントはボチボチ、違法越境の案もボチボチが提案。
何故かこの経緯(チベット→ネパール)は、省略されている・・・
こうして・こうしたとは、書けないよなぁ~ 
5月17日、ネパール側のゴラクシェップ(5300)に入る。経費を抑えるために通常のベースキャンプは作らず、ベースキャンプから歩いて2時間手前にあるゴラクシェップのロッジ(山小屋)をベースにした。
チベット側には3人のスタッフが残り、西稜から出てくる栗城を望遠カメラで捉えるために待っていた。
プモリ基部に中継Cを置いたので、通信担当用の飯炊きシェルパが取られ、
栗城のC2への荷上げシェルパは2名と為った模様。
ロッジBCからあの程度のザックで出掛ける画像が有ったが、シェルパが運ぶのだ。
20日ゴラクシェップから一気に6400mのC2に向かう。しかし、1週間分の食料と荷物を比較的小さいザックに詰めて一度に全て上げる。ゴラクシェップからの2時間が微妙に効いてくる。
体力温存のためにC1で泊まり、翌日にチベット側のABCと同じ標高のC2(6400m)に入った。
C2に入ると今まで見たことのない光景が広がっていた。
まるで下のベースキャンプと変わらないテントの数々、中には食堂テントにイスまでつき、ローツェ・フェイスには数珠繋ぎになる人の列が見えていた。
だが、エベレストは誰のものではない。
公募隊の何人かに話かけられたが皆「夢」があり、それぞれのストーリーがある。本当に素晴らしいと思っていた。
ICI隊・AG隊・その他日本人が多かったからなぁ・・・
中には借金して来ている人もいたが、自分も今回冒険の共有するために700万と300万合計1000万の借金をしている。
信者の寄付では足らなかった様子・・・頑張れ〝信者〟
登山の費用は自分で用意できるが、登山とは全く違う冒険の共有をするために不足分は借り入れしてでも必ず行なう。
バカにされることもあるが、僕には全てをかけられる夢がある。
挑戦する人の分だけそれぞれのエベレストがあるし、スタイルや哲学がある。(爆笑)
自然と個人が向き合うチャレンジに誰かがとやかく言う権利は無い。
FBでかなり叩かれたので・・・・そう言う発言。
C2で無線で最新の天気予報を入手する。
24日の登頂を目指していたが、23日西風が最も強く25日が最も弱くなる。
西稜は西風の影響を受けやすい。
25日の登頂。そこに標準を合わせて、23日にC2を出発することにした。
朝、C2から一人西稜に向かっていく。
ザック、ザックとアイゼンの爪を食い込ませていく。時折、スノーシャワーが降り注ぐ。
傾斜はきつくはないが、時々ブルーアイスが出てきた。
雪が張り付いているかなとグローブで触ると厚さ3センチほどの雪が張りついているだけ。
ピッケルを一回、二回、三回とようやく三回目できまり、足を上げていく。
結局、稜線手前の傾斜緩くなるところまで、カリカリの氷を登っていった。
稜線手前にはバリバリのアイスバーンの斜面もあり、岩のテラスにテントを張ることにした。
今回、新しく入手したテントは500gの最軽量。
イメージ 7
ヘリティジ社(山用品専門店カモシカ社長の兄弟会社)が、
6月発売の新製品を使ったらしい・・・500gはホラでカタログには600gと・・・
軽量化のため通常のテント生地糸の半分の強度よりなし。

今夜はこのテントで一夜を過ごす。寝袋は300g(+8℃まで)の普通なら寒くて耐えられないが、重ね着の着方と呼吸法でそれでも充分耐えられるようになっていた。
300gの寝袋だと、中の羽毛は100g程度。夏のキャンプ用程度のお粗末な物・・・
ただ、C3に到着前に気になることが一つあった。
それは妙な吐き気だった。若干もある。
高山病かなと思っていたが、順応はすでにできるし、体内酸素濃度はこの7100m以上で80もある。無酸素で挑戦できる数字だ。
頭痛もなく、ただ胃がムカムカとしていた。
吐き気・微熱・ムカムカ感は、明らかな高山病(高度障害)の症状です。
血中酸素濃度が80と言ってるが、栗城位の年齢なら98~85が正常です。
夜、そばがきとシリアル、プロテインを混ぜた少量の食事を取り、就寝。
しかし、風が強くポールがグニャグニャと左右に揺れ、時折下から突き上げる風がまるで地震ように左右に揺れていた。
何度か強風でテントポールが折れた経験のある僕はこの場合はどうするか。
一休さんになるしかない。。
「気にしない。気にしない。一休み、一休み」と極薄の寝袋に包まっていた。
朝、まだ風は強かったがテントは無事だった。
吐き気は収まらず、食べていたら吐くのはわかっていた
水分を取り、様子を見るために出発の時間を遅らせる。
午前11時にC3を出発する。高所で標高を上げて体調が良くなることはない。一旦下りて体調を戻すしかないと思いながらも。一歩一歩ゆっくり上がりながら体調を見極めていた。
そして、また嘔吐。。
僕は体調を戻すために一旦下山することを決めた。
ゴラクシェップにて2日間の休養を取り、吐き気と熱は収まったが、もう一日休養が欲しかった。
期高度順応の失敗だと、何回も言ってる(理由は下記参照)
しかし、週間予報では30日から31日が登頂に適しており、しかも25日の予報より風が弱い。
ここしかない。再びC2を目指していく。ダラダラ歩く動画がここです・・・
精神的に追い込まれてきたのか、集中しているのか、口数が少なくなる。
C2に向かう時に他の登山隊から「クリキ!」「オー!ジャパニーズ!」と声をかけられるが一言答えるだけであまり深く話そうとはしなかった。
ただ、これまで道中で出会った一人一人が無事に登れたか気になっていた。
あの日本人登れたかな?ラルフさん、行けたかな? ネパール側ではすでに5人亡くなっており、みんなの無事を祈っていた。
やはり全てをかけてきている以上全員に来て良かったなと思ってもらいたい。
C2に着いた時にほとんどの登山隊の撤収が始まっていた。
順応に失敗し、ウロウロしてる間に、皆さん登頂です~~
どうやら最後の一人になったようだ。
元々、山を感じるために単独一人の登山を好んできた。
あとはこのまま天候が安定すれば。。
ネット公開天気予報では、徐々に悪くなる予報なのに・・・
出発は29日の3時にC2を出発し、C3で数時間休養をしたらそのままホーンバインの入り口手前でビバーク。深夜に山頂を目指すという短いスパンでの登頂を目指すことにした。
雪は深くない。充分いける。
そして、その日の夕方。水を作りながらプモリ中継キャンプの魚住さんから定時の天気予報を無線で聞く。
「そのまま読み上げます。ベンガル湾からサイクロンが。。」
その言葉を聞いた時に一瞬まるで8000mに飛ばされたかのような苦しさで呼吸が止まった。
だが、落ち着いて最後まで聞くしかない。天気は自分の力で変えることはできない。
僕は素直に従うしかないのだ。
「ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト周辺は悪天候の周期に。29日は西稜向かうのも難しい雪が降る」お世話になっている山岳気象予報の猪熊さんからのメッセージだった。
確かに雲が湧いて来てる。
エベレストの無酸素登頂の成功のカギは最後は天候である。
ただでさえ、無酸素は有酸素に比べて身体が冷える。そこに風が加われば体感温度は低くなり、凍傷にもなりやすい。
そして、僕のようにラッセル(新雪をかき分けて進む)ルートは雪の取り付き方で登頂の可能性は全く変わる。
ラッセルルートとは初耳です、西稜は風の影響が・・と
風の当たる処がラッセルとは、初めて聞きました、流石エベレストです。
普通雪は、風裏に溜まるものですが・・・
魚住さんから2回3回と予報を読み上げてもらい冷静に考えていた。
この天候は有酸素でも向かう人は誰もいない。
涙が止まらなくなってきた。
最後の最後に。。
涙の理由は決して悔しいからだけではなかった。
30半ばの男が泣いてどーする、己の不甲斐なさにか? 泣く暇有ったら、死ぬ気で遣れ。
実はC2に向かう時に一つの問題があった。
元々、ネパール側に移る時にエージェントから6月7日まで登山は大丈夫と聞いていたし、他の日本人スタッフも確認していた。通信担当の魚住も聞いた???・・・
しかし、それは間違っており、29日までに下山しなくては行けないと話を聞いた。
またチベット側では西稜から出てくる栗城を捉えるために日本人一人とネパール人スタッフがずっと待ち続けてくれていた。
チベット側は6月中旬まで許可が取れているだが、ほとんどの登山隊が撤収を開始しているためお前らもそろそろ帰れと強制的に荷下げようのヤクを送り込んで来ていた。
そんな中、ネパール側とチベット側で「もうすぐ栗城が登るんです!」と必死の交渉が行われ、日本からも嘆願が行われていた。
そして、ネパール側は6月1日まで伸ばしてくれたのである。
何だいつも雑な登山期間の設定・・・アンナ南壁でも・去年の秋もだよ、
チンタラ遣ってるからケッが詰まる、登山行程表書いて・予備日入れて、
登山計画の基本中の基本だぞ!!!!!
それを知っていた僕はこの天候を聞き、申し訳なく、無線で中継スタッフに「本当にありがとう」と涙をためながら断念することを伝えた。
これが山か。。
最後はサイクロンという以外なヤツが幕を下ろさせた。
翌日、僕は一睡もできず様々な想いが巡っていた。もし天候が良くても完璧な体調でないまま向かえたのだろうか。 あの時に吐き気がもしなかったら。。一つ一つを振り返り、紐解いでいた。
29日午前10時、多少はサイクロンの影響が弱いかもしれない。晴れはしないが風は弱いと無線があり、すでにホーンバイン・クーロワールに向かう時間はもう無いが通常ルートならギリギリまだ間に合うじゃないか。僕は通常ルートからの登頂を目指そうとしていた。
予報では既に天候が降り傾向、北壁が登れ無いと諦め西稜を目指し、
西稜からも無理とノーマルルートへ転進・・・節操が無いぞ!!!
だが、身体に力が入らない。やっぱり自分は「感じる」登山がしたい。
「お前、素直なやつだな」
この踏み固められたルートは僕には無理だった。
C2からC3へのルートは、何百人も通ったルート、歩き易いはずだぞ。
氷化した北壁は登れ無い・ラッセルが有れば登れ無い、
踏み固められたルートも登れ無い・・・何処なら登れる???
雪がパラパラと降り始める。
そして、最後に無線で中継を行い、そのままの現状と支えてくれた人達への感謝を伝えた後、大雪の中、ゴラクシェップに向けて下りていった。

これの(赤字部分が栗城の大嘘である。
↓は、エベレストに登頂した五味和史氏のブログ
この中で氏は、29日にBCを去る様子を書いてますし、
最後のBC周辺の景色画像も添付しています。
栗城は、大雪と言ってるが、現地はヘリが飛ぶ良い天気です。
大雪の中、ゴラクシェップに向けて下りていった。と言ってるが、
そこにはBCを通らないと往けない・・・栗城は大雪と言い、
BCでヘリ待ちの五味氏は、晴れてると言ってる。

何故こんな嘘を・・・栗城の全てが信用出来ませんね・・・・

「最後に」
今回、あの体調不良は何だったのか。
下山後に知り合いのお医者さんに相談したところアレルギーじゃないかと言われました。確かに吐き気と熱、そして、湿疹が身体にできていた。アルコールは口にしないし、普通の人以上に食べ物に気をつけていましたが、一番重要な時に。。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ただ、それ以外の体内酸素濃度が昔より高く、今回、荷物も食料も最軽量にしても充分寒さも耐えられました。それは今まで秋の条件が悪い時に挑み続けた中で身につけてきたものがあるからです。
そして、皆さんにお伝えしたいことがあります。
「自分の中にあるクレイジーを大切にして下さい」
今回、様々な登山隊のシェルパや外国人から「クレイジー・ジャパニーズ!」「がんばってください」とたくさん応援してもらいました。
「通常」や「普通」、「一般的」などと違うことをしようとすると理解されることは難しく、失敗すれば馬鹿にもされます。
一度や二度の失敗は、誰も馬鹿にはしない・・・
何の反省や努力もせず、7回も馬鹿を繰り返すから言われるのだ・・・
正しいこと言うとする人もいるけど、実際に自分はやったことはなく、言えば言うほど「お前つまんねぇな」(赤塚不二夫)です。
元々、山はクレイジーな世界です。
普通よりちょっとクレイジーな方がやっぱり面白いし、そして、その「クレイジー」は僕だけでなく、多くの人が持っています。
人と違う価値観やチャレンジを「つまんねぇな」の声にかき消されることなく、いつまでも大切に素直に生きていきたい。
つまり、来年もやる!ということです。
本当に応援ありがとうございました。
※9月はフランスで訓練です。


下山早々に訓練ですか?  氷や岩に対処出来ない実力だった事が、
今頃に為ってやっと判ったのでしょうか・・・
言葉の通じないアルプスで一週間位い訓練するより、
日本には槍・穂高・谷川などの良い壁・リッジが沢山有るのに・・・
この山の一般ルートからも登った事はないよねぇ~栗城。
皆そこで訓練して、8千mを目指してるのにねぇ~

訓練は、ガイドの江本が同行すると予測するが・・・さて、どーなるか???
来年もやる! ようなので、その訓練の成果が楽しみです。



栗城は6月4日に「NO CRAZY, NO MOUNTAIN.」と題し、敗退宣言を発表。

〝下山家 栗城劇場〟が終わり、五味和史氏のブログを読んでいて・・・・
「????」と、思い・・・・改めて下山家のブログを読み直すと・・・「?????」

その中から5月29日の様子を抜粋しました。(黒字は栗城ブログより)

29日午前10時、多少はサイクロンの影響が弱いかもしれない。晴れはしないが風は弱いと無線があり、すでにホーンバイン・クーロワールに向かう時間はもう無いが通常ルートならギリギリまだ間に合うじゃないか。僕は通常ルートからの登頂を目指そうとしていた。
だが、身体に力が入らない。やっぱり自分は「感じる」登山がしたい。
「お前、素直なやつだな」
この踏み固められたルートは僕には無理だった。
雪がパラパラと降り始めるそして、最後に無線で中継を行い、そのままの現状と支えてくれた人達への感謝を伝えた後、大雪の中、ゴラクシェップに向けて下りていった。

この文面通りの、大雪の天候だったのかと思っていましたが、
エベレストに登頂し、5月29日にBCからヘリで帰った、
五味和史氏のブログを読み直して愕然と・・・・


五味氏のブログより抜粋
ヘリが来るまでここで待機するよう言われ、
朝から素晴らしくいい天気に恵まれていたので、
その景色を目に焼き付けるようにボンヤリと眺めていた。
(中略)                    五味氏が撮ったエベレストBCの画像(ド晴れで雪は降って無し)
イメージ 1
ヘリポートへ住み着いた犬が気になったが、
みんなでノンビリとヘリが来るまで待っていた。
なんだか晴天の中、待っている間が清々しく気持ちよかった。
AM10時頃に自分達が乗る飛行機がやってきた。
(中略)
BCの空からの景色は、ヘリで良かったと思ったくらい山々が美しく、
トレッキングルートを下にみながらペリチェへ一気に向かって降りて行った。
朝から10時過ぎにヘリに乗るまで、素晴らしくいい天気と言ってます。
BC周辺の山々の写真も添付されてます。
栗城が居た処だけに、大雪が降ったのでしょうねぇ・・・・

栗城の話と五味氏のブログ、どちらが本当でしょうか?????
笑う気にもなれませんね・・・痛いよ!栗城・・・

この春にチベット側からエベレスト北壁を狙ったが、青氷が登れずに断念。
不法越境?してネパール側に移動したが、体調不良(順応の失敗)で西稜に上がれず、
止む無く一般ルートに転進、しかしC3までも登れずに時間切れで7度目の敗退。

敗退後、「9月はフランスで訓練」と言ったきり、鳴りを潜めてました・・・
講演後に小樽の赤岩ゲレンデで、岩の練習はしてた様ですが~

その後8月31日に成田からフランスへ・・・
「2週間シャモニで山岳訓練です」 高級山岳リゾート地のシャモニーとは豪勢。
何故か栗城の公式ブログ・ツィッターで、この事は公表してません。
FBだけの発表です・・・変ですね~

フランスと言えば、夏のシーズンはガイドの江本悠滋がフランスで稼いでます。
彼はガイド資格を仏国立登山学校で取得してるので、言葉は達者です。
日本の固定客案内が主で、息子もサッカー(サマースクール)教室に参加させてます。
学校の始業式に合わせて息子は帰国、最後の客が栗城だと予想はしてました。

八ヶ岳での冬山訓練でも、江本をガイドに雇ってましたから、
フランスと聞いた時点でガイドすると想像してました・・・・


栗城が2週間フランスで、どの様な訓練をして、
次のエベレスト(8回目)に繫げるのかを、ウォッチして見ます・・・・

以下黒字は、栗城・江本FBより・青字は私見。

********************

9月3日

さて、江本ガイドのFBに栗城が登場です。

もう9月。
気がつけばこの夏最後のお仕事です。
しかし数日前から風邪ぎみで少し体調よくないのですが・・・
ゲストはエベレストから冒険の共有を発信しつづける栗城君です。
今日は9ピッチのマルチを全ピッチリードして頂き、下山はパラグライダーで空の楽しみを感じてもらえました(^^)
画像で見る限り、ハーケンが打ち込まれて有るゲレンデですね。
フリクションが効きそうな花崗岩、RCCグレードで3~4級程度かと・・・
栗城がトップと言う事は、支点の位置を指示出切る様に、
江本ガイドがすく下に居ると言う事です。
何故なら1ピッチ登られたら、声が通らない場合が有り指示が出来ない・・・
イメージ 1
画像が傾いて凄い岩場だったので修正しました

この程度の岩場なら国内には幾らも有るのに、敢えてフランスです・・・
江本はフランス認定の優秀なガイドたが、何で栗城を相手にするのか???
金目以外には、考えられない・・・・
さて、次はどんな訓練をするのか・・・

栗城がFBを更新しました
但し、承認された会員より書き込めないFBにです。
相変わらず、公式ブログ・FB・ツィッターには、記載無しです。
余程、信者以外から色々書き込まれるのが嫌の様ですねぇ~
「空になる
シャモニに着いてから雨が降り続けて室内トレーニングでしたが、
ようやく晴れて昨日は岩を9ピッチをリードで登り、
下山は人生初のパラグイダーで降りました。
誰と登ったかは、書いてませんね。
〝自称 登山家〟が、ガイドと共にとは、書き難いですねぇ~
それとシャモニーですよ。
パラグイダーは「空」という自然を感じる初体験に感動しました。
どこに上昇気流が起きや(す)いのかなど見えない空気の見方を学びました。
今回シャモニに来たのは目的があります。
2012年秋季エベレストで9本の指を失ってから技術的にどうしても超えにくい課題がありました。
それを道具の改良も含めて克服します。
今頃になって気付いたのですか?、どんな道具の改良をするのか!!  見物です。
そして、変化を取り入れたトレーニングもやってきます。
今日は雪と岩へ。 楽しみながら!
イメージ 2
こんなに足広げたら、次のムーブに移れないゾ 栗城・・・



********************

9月4日 フレバン展望台下のゲレンデで岩登り訓練

********************

9月5日

江本ガイドがFB更新

雪線に上がった様ですが、栗城同伴には触れてませんね。

久しぶりに快晴です!
今日は昨日までの寒さを感じさせない程暖かい1日でした。
数日降った雪のおかげで山はまた少し白くなり綺麗にお化粧してますが氷河の後退や残雪量は目に見えて少なくそこらじゅうのクレパスが口を開けてます・・・
イメージ 3

栗城がFBを更新しました。   栗城も江本ガイド同伴な事は伏せてますね。
 
皆さんボンジュール!
ようやくシャモニ(ー)の上部が晴れてきました。
昨日はシャモニ(ー)上部が悪天候のためにコスミック綾(稜)はやめて、
場所を変えてブレバンを12ピッチ登り、
今朝はようやく晴れてコスミック綾(稜)に行けました。
やっぱり雪山は美しい。。
※写真のバックはモンブラン(4810m)です。
明後日からまた岩に取り付きます。
3日登って、疲れたのか? 明日は休養の様です・・・

ここまでの岩登り訓練は、
3日 ゲレンデで9ピッチ  4日 ブレバン12ピッチ  5日 コスミック稜 

ピッチ 使うザイルの長さで決るが、60mザイルだと50m位登って、
    足場の良い所で区切るので、45~50mが1ピッチと言う事に為ります。

コスミック稜で 画像を見ると、アイゼンを付けての訓練です。
        岩と鉄が擦れる、あのキリキリ音が何とも嫌な音だ・・・
    
ブレバンとは、このパンフに載ってる展望台。
ゴンドラで展望台に上がり、その下の岩場を登る、岩登り練習ルート。
イメージ 4
コスミック稜とは、
この赤線左ルートで一部雪有りの、歩行距離が約500mのミックスルート。
ガイドがモンブランに登れる技量が有るか? を試す為に使うルートで、4級ルート。
国内で言うと、GWに槍や穂高に登れれば、モンブランは登れると言う事です。
イメージ 10




********************

9月6日  休養日

********************
9月7日

江本ガイドがFB更新しました。

久しぶりにミディ南壁レブュッファ♬
凄いな〜❗️
指が9本も無いとは思えない。
ポジティブに挑戦するっていいね!

前後をガイドに確保されて登ってる様です。
栗城の下に江本ガイドが居て、ホールド・スタンスの指示を・・・
トポによると登攀時間は、3~5時間とか・・・・
イメージ 5


栗城がFB更新しました。
みなさん、ナマステ。
今日はエギュイドゥミディ南壁を登りました。
なんか脈が上がるなと思っていたら標高3800と富士山の標高と同じところで岩登り。
指が無い分どうしても掴めないホールドもあり、悔しくて、そして不甲斐ないです。。
ハンデが有る分、大変ですね・・・
でも諦めません。
やれることを一つ一つ!
明日も登ります!


イメージ 11
エギュー・ド・ミディ南壁 ガストン・レビュファ ルートを登ってる人が居ますね。赤点




エギュー・ド・ミディ南壁 ガストン・レビュファ ルート
                          (トポ 概念図)

岩の経験の有る方は、トポのグレートを見たら壁の想像が出来るでしょう。
レビュファの初登時は、重登山靴・麻ザイル・ボルト・アブミ使用。
イメージ 6

フランスの名ガイド ガストン・レビュファが初登攀したルート。
一部人工(埋め込みボルト)を含む、花崗岩の素晴らしいルートです。
レビュファは後に、登攀の様子を映画にし【天と地の間に】を公開しました。

日本での公開時には来日し、一ツ橋の共立女子大の大講堂で上映と講演。
当時 山嶽部員の小生は、レビュファの著書にサインを貰い有頂天、
2m近い大男が、猿のような身のこなしで登攀する姿に感激したものです。

この映画はDVDで観る事が出来ます。レンタルに置いてるか? アマゾンでは販売。
NHKではレビュファの3部作【天と地の間に】【星と嵐】【星にのばされたザイル】を、今でも販売してるはず、高価たが・・・

ガストン・ レビュファとは、
名ガイド・名クライマーとして、モンブラン山塊では1000回以上の登攀、
フランス国立登山学校で教官もした。

アルプス6大北壁初完登者
グランド・ジョラス北壁 ウォーカー・バットレス  中央バットレス
ピッツ・バディレ北壁

ドリュ北壁
マッターホルン北壁
チマ・グランデ・ディ・ラヴァレド北壁
アイガー北壁


イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9
麻ザイルにキスリング姿



◆栗城のこの登攀には、正直な処〝驚き〟です。
 下世話ながら、前後二人のガイドを雇い(一人8~10万)登れる栗城が羨ましい・・



********************


9月8日 

江本ガイドがFB更新
今日もミディ
コスミック山稜へと繋がるエプゴンデュコスミック。
またまたレブュッファルートです!
ミディ南壁と違って残置が少ないしビレイポイントも自分でセットしたりとクラシカルなクライミングが楽しめます。
残置とは、岩に打ち込まれて残ってるハーケンやボルトを指します。
これを利用する事により、登攀時間の節約になります。
イメージ 12
疲労困憊なのか? 栗城がテラス(岩棚)に座り込んでます・・・
普通 確保者の居る処(足場の良い処)まで登って、休むのですが・・どうしたのか??


栗城がFBを更新

「壁」
悔しい。
昨日(8日)はエプロンデュコスミック(レブュッファルート200m)を登ってました。
途中で屋根のようなオーバーハング(90度以上の壁)が出てきました。左手をクラック(岩の割れ目)に突っ込み、右足を腰よりも高く上げて、ウーウー言いながらフリーで登りきりました。
そこからコスミック稜に合流して核心を登る時に落ちました。。
悔しい。。
落ちたショックで、テラスでボーッとしてたんだね~その気持ち判るよ・・・
まだまだ訓練は続きます。指が痛い。。
イメージ 19
栗城 普通クラックを登る時は、手袋をして手を保護するのは半ば常識。
相手はザラザラの硬い花崗岩、まともに指が有っても傷つくのは当たり前な話。
テーピングをするとか・指先を詰めた手袋を使うとか、考える頭が無いのか???
お涙チョウダイの画像は晒すな!!

この指画像を見て思った事

栗城のインタビュー記事より(黒字)
秋季エベレスト単独・無酸素登頂、4度目の失敗。重度の凍傷で両手9本の指は壊死。2012年、栗城はどん底の状態に陥った。そこから1年間、指を切断せずにすむ治療方法を探し続けた。日本にはじまり、インドやウクライナにも渡った。それでも結局、切断が一番現実的な方法だという結論に至るだけだった。
(中略)
そして、栗城はアメリカで開発された薬に出会い、再生を促すために、手指9本を切断した。
指を切断してから3週間くらいはものすごい痛みに苦しみました。基本的に切りっぱなしなので、血がたらたら出る。入院はせず、痛み止めを飲んで耐えていたんですが、夜中も汗をかいて、何度も起きてしまうんです。本当に痛かった。痛みが治まっても、箸も持てない、靴の紐も結べない、お店でおつりももらえない。登山どころか日常生活すらままならない状態でした」

エベレストで重度の凍傷を負った栗城は、壊死した指先に未練が有り、
再生術とか訳の判らない治療を試みたものの壊死した指が再生するはずも無く、
国内の何処かの医療機関で切断したようです・・・

画像を見て判るが・・・凍傷に因る切断手術を、経験した事の無い医者の手術。
指を切断後、周囲の皮を巾着を絞める様に中央に集めて縫った事が判る。
各指先に有る小さな凹部が、それを現してます。
此れでは指先の縫合部分が一番弱く、裂けて出血するのが当たり前です・・・

まともな医者(凍傷治療経験者)は、切断面より大きい〇型サイズの皮膚+肉を、
腹又は太腿から切り取り、これを被せて外周を縫って整形します。
当然腹・太腿にはその傷は残るのですが・・・

何でこんな事を知ってるか?  大学山嶽部時代に同様な凍傷に為った先輩が居て、
山から近い大病院が良いと、名古屋大医学部を受診しました・・・
凍傷の指は、解凍が始まると体液が溜まり、バナナ並みに肥大します・・・
先生曰く 壊死の範囲が確定する迄は、細菌感染を予防しながら、
壊死部分がミイラ化するまで待つより無しとの事でした。
福島大医学部に専門医が居ると紹介され、直ぐに転院して治療。
生きている細胞と炭化した境目が確定してから、切断+整形手術でした・・・・



********************

9月9日

江本ガイドがFBを更新。

もしかしたらこんな青空のシャモニーはこれがこの夏最後かな・・・
ミディ側からの夕方のソアリング♬
氷河の上を気持ちよく飛べるのもこの時期だから。
イメージ 13

栗城と同行してるとは言ってませんね・・・栗城の画像もなし・・・

この日は、何処で・何の訓練をしたのか・・・記載なしです。


********************
9月10日
江本ガイドがFBを更新
今日は彼にカム(岩の割れにはめて取る支点)を使ってもらいリードを学んで貰いました。
1日しっかりやったので最後にはカムを取る場所やタイミングのリズムもかなり良くなりましたね♬
イメージ 14



栗城がFB更新
久しぶりにシュークリーム食べました
今日は昨日の大雨ため(3000m以上は大雪)コスミック周辺のでっかい岩はやめて、技術的な確認をしてました。
明日、晴れたら再び攻めていきます。
天気予報は微妙ですが。
イメージ 15
指先を痛めた為に今日は手袋をしてるが、相変わらず指先ビロビロ。
要らぬ指先切り揃えて処理しないと、使い難いだろうに・・少しは考えろ。

2週間の訓練と言い、フランス入りした栗城ですが、早10日
残り少ない日程だが、画像で見る様に腰に〝ガチャ〟をぶら下げ訓練してます・・
これまでの訓練を見て、少々疑問(方向がずれてる)が湧いてます。
エベレスト北壁を登る為に、フランスくんだり迄来たはず・・・
今回シャモニに来たのには、目的があります。
2012年秋季エベレストで9本の指を失ってから、技術的にどうしても超えにくい課題がありました。
技術的課題は岩か? 登れ無い青氷対策だろーうよ。
それを道具の改良も含めてさらに克服していきます。
道具の改良はどーした? 指無しでも使えるピッケル用意出来たか?
シャモニーならペツルやシモンの専門店が有るから、
シャフトを細いチタンパイプを使った物に改良する様に依頼せーよ。
イメージ 16
ぺツル・イルビス ハイブリッド  505g
ついでにこれも買ったら、今使ってるアルミアイゼンより丈夫だし軽いゾ 
2万くらいで買えるかも・・

過去7回エベレストでの敗退劇は、天候要因も有るが、
栗城の〝氷雪技術〟の無さが最大の要因。(基礎体力の無さは勿論だが・・)
折角アルプス迄往き、氷河・氷壁でのピッケル・アイゼンワーク、
アイスピトン・スクリュー等での、支点の確保法を学ばないのでは、
往った意味が無いのでは???

岩を登る訓練は、国内でも近場の〝丹沢や三つ峠〟でも出来るのだ・・・



*******************

9月11日

江本ガイドがFBを更新

すっかり秋の空気感のシャモニーです。
お天気微妙な周期です・・・
雨に変わる前になんとか登れたけど😅
寒い❄️❄️
イメージ 17
クラックを登る 栗城、手袋してますね。

栗城がFBを更新

皆さんボンジュール。
訓練も最後になってきました。
今日はプレバン岩群のフリゾンロッシュ200m...を登りました。
クラック(岩の割れ目)をプレバン(クラックに手を入れて、足を手の反対向きに力を入れて引き寄せる登り方)をしながら登ります。
ただ、指が無い分、手のひらで登る感じなので気合いです。気合い。
訓練もあと2日間。最後はモンブランを登ってこようと考えていましたが、モンブランは大雪。
朝の一部しか晴れないのでこのまま帰国かな。やれるだけやって帰ります!

残り2日だそうですが、これで終わりかも・・・
結局今回の訓練は、岩登りだけで氷河での〝氷雪技術〟はしてません・・・
ミディ南壁をガイド付きであれ、登れた事は評価するが、
栗城に一番足らない「ブルーアイスが~~」の訓練がされてません。
栗城が言う技術的にどうしても超えにくい課題」とは、
〝岩〟だったのでしょうか??? 



*******************

9月12日    更新無し、悪天候か? そろそろ帰国の準備?

*********************

9月13日 

栗城がFBを更新しました。

「無事に訓練終えました」
シャモニでの訓練を無事に終えました。最後はモンブランを登って高所トレーニングをしたかったですが、悪天候の周期ため、中止して荷造りしてます。
今回の訓練には目的があります。
今まで高所登山(8000m峰)を専門としてやってきましたが、もっと幅の広い登山ができること、そして、9本の指を失ってからの「不便なこと」や「できないこと」の課題を一つ一つ超えることでした。
今回フランスまで往った目的が岩登り?  違和感を感じてます・・・
指が無くなってからの課題を超える???
指が有った時には、こんな事が出来てた様な言い方ですねぇ・・・
エベレストに北壁・又は南東稜から登るのには、
今回の様な訓練では、たいした意味が無いかと思う・・・
シャモニは、富士山山頂の同じ高さで様々な岩やルートを登ることができます。
ボルトの数も少ない。
学生の頃に一人でエルブルース(ロシア)を登りきて、そのままモンブラン縦走に来てました。コスミックの下にテントを張り、ミディ南壁を登る人達を見て、いつか登ってみたいなと思っていましたが、その小さな夢が一つ叶いました。
今回の訓練を江本さん(日本人唯一のフランス山岳ガイド)にサポートして頂きました。
登山、スキー、パラグライダーとその多様性の経験と知見、そして哲学と江本さんには本当に感謝です。
そして、来年はル・プチ・ドリュ(800mの壁)を登る目標もできました。
次もシャモニーに来ると言う・・・そして、ガイド付きで登る・・・
エベレストの話は無し・・・宗旨替えでしょうか????
この経験を活かしてこれからも頑張ります。
本当にありがとうございました!
道具の改善の話は、何処に往ったのでしょうか・・・・
イメージ 18
栗城が来年登ると言う〝ドリュー〟。この画像は西壁(標高差1000mの大岩壁)


栗城がフランスでの訓練の目的は・・・
今回シャモニに来たのには、目的があります。
2012年秋季エベレストで9本の指を失ってから、技術的にどうしても超えにくい課題がありました。
それを道具の改良も含めてさらに克服していきます。
達成出来たのでしょうか??? 帰国後の報告を見てコメします。


栗城は、’17年春季にエベレスト7回目の敗退後に、
公式ブログで下記の書き込みをしてました。(ダラダラ長文なので読まなくて結構)
その最後で※9月はフランスで訓練です。と言ってました。

エベレストに何回挑んでも登れないので
登れる為に9月はフランスで訓練です〟と、小生は解釈してました。

そして、8月末に訓練の為に、フランスに出国。
実際の訓練の内容はに記載してます。



********************

フランスで訓練中の栗城の発言です。(黒字)

9月6日 公式ブログでの発言
今回シャモニに来たのには、目的があります。
2012年秋季エベレストで9本の指を失ってから、技術的にどうしても超えにくい課題がありました。
それを道具の改良も含めてさらに克服していきます。

指を失ってからの課題を、道具の改良で克服したい、と言ってます。
失う前には、技術的に超えられた事なのでしょうか?

過去の経緯(指が無く身体を支えられないと言ってた)から、
ピッケル等の使い方の訓練と、〝氷〟対策と思ってましたが・・・

しかし、訓練目的が微妙に変化してきました・・・

9月13日 FBでの発言
今回の訓練には目的があります。
今まで高所登山(8000m峰)を専門としてやってきましたが、もっと幅の広い登山ができること、そして、9本の指を失ってからの「不便なこと」や「できないこと」の課題を一つ一つ超えることでした。


もっと幅の広い登山〟とは、具体的にどんな事か?


学生の頃に一人でエルブルース(ロシア)を登りきて、そのままモンブラン縦走に来てました。コスミックの下にテントを張り、ミディ南壁を登る人達を見て、いつか登ってみたいなと思っていましたが、その小さな夢が一つ叶いました。
10数年前の〝夢〟が、ガイド付きで叶った・・・
指が有った頃に登れ無いと思っていた〝ミディ南壁〟を、今 登れたと・・・

来年はル・プチ・ドリュ(800mの壁)を登る目標もできました。
今度は、ドリュ壁も登ると言う・・・
江本ガイドは、モンブラン周辺には詳しく仏語も堪能、栗城の実力も知ってるので、
栗城にとっては格好のガイドです。

しかし 登山愛好家がガイドを雇い、アルプスの名ルートを登る事は良しとして、
〝自称 登山家〟が、ガイドに曳かれて壁を登る事に、どれ程の意味が有るのか???

栗城は、エベレスト北壁を狙いつつ・夏はアルプスで大岩壁にも挑むと言う事・・・
宗旨替え?かと思う程の変化です。


9月7日 江本ガイドのFBで、近藤謙司(ガイド・エベレスト登頂6回)との遣り取り

近藤 謙司 クリキントンやるじゃん!(ミディ南壁を登った事への言葉)
栗城 史多 江本さんのお陰です!ホテルの件、ありがとうございました!
近藤 謙司 アイスクライミングのルートも連れてってもらいな〜^_^    
江本 悠滋 栗城くん頑張ってますよ〜(^^)

今回の訓練では、〝氷雪技術〟の訓練は無し、岩登りのみでした。
近藤ガイドも言ってる様に、アイスに弱い栗城が折角氷河を前にして、
訓練無しではアルプス迄往った意味が無い・・・〝岩〟は国内でも出来るのだ・・

結論は、エベレストに繋がる様な訓練では無く、
学生時代に夢見た〝ミディ南壁〟を登る為の訓練だったのか・・・
登れたので、次は〝ドリュ壁〟なのか? 
道具の改良の話は、立ち消えか・・・・

今回 栗城が学んた事は、〝クラック(岩の割れ目)の登り方〟と、
カム(岩の割れ目で支点を取る為の器具)の使い方以外に無い様な気がするが・・・・
イメージ 1
カム 岩の割れ目幅により、使えるサイズが色々有り。
使い方は、丸いリングに親指を要れ、
人指し指と中指の第一関節を上のバーに掛け握ると、カムが閉じます。
クラックの中に入れて指を離すと、割れ目の中でカムが開き、固定されます。
第二関節まで無い手で操作出来るのか・・・ワイャーの長さ調整が可能なのか?疑問。

エベレストの北壁・南東稜のヒラリー・ステップにも、
カムを使う様な岩場は無いのです・・・・

江本ガイドに、ガイド料として約60万ほど儲けさせる結果でしたねぇ・・・


********************

9月15日にフランスから帰国の途に・・・今日に為っても帰国報告が無い・・・
帰国報告を見てからコメしようと思ってたましたが、
いつになるか判らないので、取り合えず一言。
報告が有れば、書き加えます・・・
 

2018年01月11日
栗城の疑惑 また画像捏造か?


栗城が近々計画発表と言ってるが、いまだに発表も無く、暇なので色々調べて見た。
周知の通り、ネパール側からの〝単独〟は不可能になった・・・

〝単独〟で登ると言う栗城には、中国チベット側からより無くなった訳だが・・・

栗城のFBに『みんなでエベレスト』生中継応援公式グループと言うのが有る。
          ↓


このグループの一員のFBに、この画像を見付けた。
栗城のクラウドに出資した見返りに、エベレストでの画像を提供するコースのもの。
Tシャツ+画像で1万円位取ったと思うが・・・
イメージ 4

エベレストをバックに写して、送り返すと言う企画だ。
FBで画像の本人は、2016年のエベレストBCでの写真と言ってる。

この画像を見て・・・北壁がこんなに雪に覆われてるのは、珍しいと思った。


そこで、栗城が2016年に北壁を目指した時の画像を、栗城公式ブログから探した。
イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3
上記の②、③、④の3枚が、栗城がエベレスト北壁と言いブログに掲載したもの。
写した日時は違えど、8千m付近のバンドや壁に着雪が少ないのが判る!!

①の画像と、②③④の画像は明らかに、雪の付き方が違ってる。



過去 中国側のエベレストに行った隊の記述を探して見たら・・・有った!!
Karangkurung Mountaineering Club のブログの中に、以下の記載が!!!
2009年の同時期に、栗城とチベットに居た遠征隊の記録。

【ラクパ・リ通信 第4号】
昨日、今日とBCでゴロゴロしていました(これも高度順応の一環です)。朝、早くから中国人の観光客がシャトルバスでやってきて、大きな声で話したり、テントを覗かれたりしています。私たちのことをチョモランマ登山隊と思っているようですが、訂正するのも面倒なのでそのままにしています。
明日は、BCの裏山に6000m位迄登り、明後日、ABC(6300m)に向けて出発します。
現在、チョモランマには七大陸最高峰単独無酸素というのを売りにしている北海道の栗城さんがメスナールートから狙っいるそうで、15人のシェルパと入っています。春のマナスル近藤隊のボチボチトレックのハンドリングですから、顔見知りのシェルパがいるかもしれませんが、彼らはBCにテントだけを残し、全員がABCに上がっています。

15人のシェルパがABCに上がってる事は、〝単独〟に関しての問題は無し。

【ラクパ・リ通信 第5号】09/21
通信が途切れ、遅くなりました。
(中略)
14日、栗城隊のABCを訪問しました。栗城さん自身は上部に上がっていて、不在でしたが、ハンドリングしているボチボチトレックは春のカランクルン・マナスル隊もハンドリングしていましたので、見知っているシェルパもいました。シェルパは9名で、彼らはノースコルまでサポートして、それ以降栗城さんは単独で頑張っているようです。
9人のシェルパがノースコルまでサポートでは、〝単独〟が成立しない。
この後、ノースコル(C1)からC2に入り、C2から出発後に栗城が高度障害で行動出来ず、
C2に居たシェルパに救出されると言う失態を演じた・・・
また、テレビの撮影チームが入っていて、シェルパを集めて、シェルパソングの撮影をしていました。ダワ情報によると、このテレビチームは無許可のため、私たちの撤収後、TMA(チベット登山協会)によってカメラをBCに下ろすよう命じたられたようです
チョモランマは第一級の国家財産ですから、
1万ドル単位の撮影料が要求されるのです。


この北壁を写した画像は、2009年の遠征時に
彼等のブログに載ってたもの。(BC5200mから撮影)
山頂直下の黄色内の+形の雪に注目!!!
イメージ 5



栗城が、2016年にクラウドで資金提供者に贈った画像。
山頂直下の黄色内の+形の雪に注目!!!
イメージ 6
2016年にクラウドで集めた金の見返り画像は、
栗城が2009年遠征時に撮った画像を、合成転用した物ではないのか!!!
これなら現地でなくて東京でも造れる。
石に載せた写真のバランスが如何にも不自然である。
ま~ァ、出資した側からすれば、約束通り背景に山が写ってれば、
それが’09年の画像か?’16年か?等との見分けは付かないだろうから・・・いいとするか?
上記2枚の画像を見ると、撮影した標高差で、
前衛峰とエベレストの写り具合は違うが、雪の付き方が極めて似てるのだ。
山頂直下の+雪形がソックリで有る・・・

栗城 イカサマしてないよナ?

栗城は、’16年春のアンナプルナ南壁の時も、ゴマ点合成画像の実績が有る。
          ⇓


****************************************************************************


この3月にアンナプルナ山域のチュル山群で、高所順応をした以降、
                 
長い沈黙を守ってましたが、遂に8回目のエベレスト計画を発表しました。

何時もの事ですが、登山期間・行動表・隊の構成・登頂ルート等の詳細は不明で、
登山計画等とは呼べない代物ですが・・・・これが栗城らしさかも???

では、その内容を見てみましょう~


以下の黒字は、栗城公式ブログより原文。青字は私見です。

否定という壁への挑戦

2018/4/13 19:38
4月17日から、エベレスト(8848m)、ローツェ(8516m)に向かいます。
エベレストとローッエの2座を、同時に狙うとは・・・驚きです・・・
ヒマラヤの高所順応訓練を終えて帰国後、新入社員向け研修会や企業研修のお仕事を終えて、今日はエベレスト生中継のテストも都内で行いました。
いままでも出発前に、生中継テストをしてますが、生中継の実績は無し・・・
何で富士山とかから電波を飛ばしてテストしないのかが不思議、失敗の連続です。
今まで結構苦しいこともありましたが、4月17日からエベレストに向かいます。
ネパール側エベレストののソロの許可がおりなくなったというニュースが出ていましたが、全く問題なく無事に許可もおりました。
単独の許可が降りないニュースとは、この事です。 
問題無く許可が降りたそうですが・・・
同行の撮影隊が、BCより上に上がると言う事で、
人数分の登山料を支払いしたから、許可が降りたのでしょう。
栗城は登るのは一人だから、ソロで許可を貰ったと勘違い、その程度の頭。
これで、栗城は単独では無いと言う事が、証明されましたね~
今までエベレストは気象条件が厳しく、ほとんど登山隊が入らない秋に6回挑戦していました。雪が深く荒れ狂う龍のような強烈な風は、今まで感じたことのない寒さと孤独を与えてくれました。でも、人を寄せ付けないあの姿は美しく、今でも憧れがあります。しかし秋はあまりにも雪の量と風が強く天候に大幅に左右されることから、最も天候が安定する春に変更しました。
問題は春は公募隊などの登山隊が多く、ノーマルルートの山頂直下では3時間待ちになっています。
確かにノーマルルートの南東稜ヒラリーステップの難所では、
登行者・下山者の渋滞は有るが、過去栗城は其処まで登れてません・・
そこで、人が入らない「ありのままのエベレスト」が感じられるルートに向かいます。
それは、去年も敗退した西稜に抜けるルートだと予想されます。
ルート工作済みの氷瀑帯を通過した時点で〝単独〟は、消滅します。
自分の中で密かに考えていた計画ですが、
ルートの状況を目で確かめてから決めますのでアタック直前にルートを発表します。
通常ネパール側からのルートは、南東稜か難関西稜を経由するルートのみ。
直前に発表とは、思わせぶりですねぇ・・・どっちに転んでも良い様にか?
今年は無酸素で確実に登るために、同じ山域であるローツェ(8516m)を無酸素で登り、
ベースキャンプまで下りて体調を整えてからエベレストに向かいます。
ローッエに登ってから、一旦BCに降り、エベレストを目指すとは・・・
キリアン並みの体力と登攀能力が有ると、本当に思ってるのが笑えます。
**********ダラダラ言い訳をしてるので、超小文字にしました。読まなくて結構。
エベレストを無酸素で登るために、そもそも無酸素で登れる身体ができているか。
どんなに山での体力があっても、低酸素に適応できなければ登ることができません。
破裂するかのように心臓が動き、身体の力が全く入らない、自分が起きているのか夢の中なのかわからなくなるぐらい身体的感覚が奪われていく世界。
激しい頭痛や吐き気があるならまだマシ。
その世界を生きてやり抜くために。
酸素が取り込み難くしたマスクをつけた基礎トレーニングを行い、高所登山医学でもまだ知られていないようなあらゆる仮説をテストしながら体質も変えて、また無駄に酸素を消費しない身体の使い方をトレーナーと作り上げて低酸素の世界に向けて一つ一つ積み上げてきました。
昨年は体調不良で下山しましたが、西稜7,000mの所で体内酸素飽和度が「80」と高い数字も出て(一般的に7,000mでは50~60%)、最近まで6,000mの山で最終的なテストをしてきました。
***********
高所順応でローツェを登り、完璧な状態でエベレストに向かいます。
高所順応でローッエに登る?? 話を盛り過ぎです・・・
過去のローッエ登頂者が聞いたら、何と思うでしょうか・・馬鹿過ぎます。 
氷のスラブのローッエフェィスから、急峻なローッエ・クーロワールを、
栗城が単独で登れるとは考えられません・・・(FIXベタ張りでも無理です)
しかし、栗城の冒険の最終ゴールは消して目で形として見えるものではありません。
否定という壁を無くしたい。
そのためのエベレスト生中継・冒険の共有について、また次回皆さんにお伝えします。
次回には、生中継の話しが有るようで楽しみです
いつも応援、本当にありがとうございます。
※写真は、Chulu Far East(6,059m)にて。
山名が前に指摘してた、チュル・ファー・イーストに治った様ですね。
180413.jpeg
昨夕に、栗城公式ブログで上記「否定という壁への挑戦」をUPしましたが、
今朝見ると、何と削除されてます・・・何故???
何か不都合でも有ったのでしょうか!!!!!!!!!
◆AG隊は既にルクラから、エベレストBCを目指してキャラバンを開始。
 栗城は何モタモタしてるのでしょうか?

追記 4月16日 23:18 会員用FBを更新 
いよいよ明日から始まります。全てをぶつけてきます。
 今、準備でバタバタなので詳しくは明日にお伝えさせて下さい。
エベレスト8848mとローツェ8516mに向かいます。 無酸素・単独で。
そして、見えない山登る人達と冒険を共有します。
自らの投稿を削除した栗城が、この時間に登録会員制のFBだけに意思表示。
明日出国なのに、準備が忙しいと言う・・・・昨日今日決った話では無し。
しかも、2座を〝無酸素・単独〟と言ってるが、山岳界の定義に反してる。
何回も言ってるが、BCからSPCC(サガルマタ環境汚染管理委員会)がルート工作済みの、
クンブー氷瀑帯を通過した時点で、〝単独〟は成立しません。



               *********************************************************************


4月17日 栗城 出国後に、二つのFBを更新
先日の削除内容と比較し簡略化。相違点を太字で表示します。

山登り等した事の無い会員には、大きく出てます。

4月17日 19:54 栗城が会員登録制FBを更新。FBの内容は黒字、青字は私見。
皆さん、こんばんは!
本日からエベレスト(8848m)ローツェ(8516m)に向かいます!
最近までヒマラヤ6000m峰での高所順応訓練を終えて、帰国後、普段のお仕事である企業研修や講演会などをしながら準備をしてきました。
かなりバタバタでしたが、ソロの許可も下りて都内で生中継テストも行い、本日出発できました。
ここまでくるのに実はかなり苦しいこともありました。
でも、無事に出発を迎えれたこと、サポートして頂い?そた方々、そして、応援して頂いている皆さんに心から感謝です。
本当にありがとうござます。
今年は無酸素で確実に登るために同じ山域であるローツェ(8516m)を高所順応で無酸素で登り、ベースキャンプまで下りてから体調を整えて、エベレストに向かいます。
正直、無酸素で登れる身体作りと高所登山の技術(特別な呼吸法や身体の使い方)は自信があります。
そして、登るルートは自分の中で密かに溜めていた計画があり、ルートの状況を確かめてからアタック直前にルートを発表します
冒険の共有、苦しみと喜び、そして否定という壁の挑戦。
僕は諦めてません。
全て出し切ってきます。皆さんと気持ちを一緒に登ってきます。
遠征詳細や生中継(冒険の共有)などについて後ほどお伝えさせて下さい。
いつも応援本当にありがとうござます。
行ってきます!
はじまります
正直、無酸素で登れる身体作りと高所登山の技術(特別な呼吸法や身体の使い方)は自信があります。

無酸素で登れる身体作り強力な心肺機能(昨日今日で身に付く物でなし)
高所登山の技術氷雪壁・岩稜登攀技術(残念ながら、これは栗城に皆無)
呼吸法や身のこなしで、氷壁や岩稜が登れるとは思われない・・・
昨秋にシャモニーでの、乾いた岩登り訓練で、少しは登れたのを勘違いか???


4月17日 21:52 通常のFB更新 FBの内容は黒字青字は私見。
皆さん、こんばんは。
突然ですが、、、、。
本日からエベレスト(8848m)ローツェ(8516m)に向かいます。(無酸素・単独)

以下は、上記とダブルので割愛します。

何故か(無酸素・単独)と、強調されてますが・・・
何度も言いますが、クンブー氷河の氷瀑帯に工作されてるルートを通った時点で、単独は成立しません。
(登山界の常識が通用しない、自称〝登山家〟ですから・・・)

酸素の使用に付いては、自己申告なので、何とも言えませんが・・・
過去に栗城は無酸素と言いながら、シェルパに運ばせてテントの中で、
吸ってました・・・
今回もC3辺りの高度での停滞が有ると、吸ってる可能性大、有り得る話しです。
(無酸素の場合、体力の消耗が激しく、C3・C4での停滞は有りえません。
BCから速攻で登り・速攻で降りるのが、無酸素登頂の鉄則です。)

それにしても、公式ブログが更新されないのは何故???
4月18日15時過ぎに、公式ブログ更新、内容は同上。





3月21日

’17年春季エベレスト北壁の〝無酸素・単独〟を目指し、チベット側に入るも、
初期高度順応に失敗し、北稜の7300m地点で敗退。
目標の北壁では、蒼氷に為す術もなく・・・苦肉の策で、ネパール側に転進。
クンブー氷河から西稜に上がり、北壁を目指したが・・・
西稜上にさえ上がれずに、7200m地点で敗退すると言う有り様でした。

敗退後、〝来年もやる〟との宣言が有り、この一年間にどの様な訓練をし、
次に繫げるのかを注視してましたが・・・・

この間の栗城の山行は、(栗城FBより)
7/2  富士吉田・浅間神社から五合目まで、1時間57分で走ったと。  
7/21  小樽・赤岩ゲレンデで2日間、岩登り訓練。
4/1  フランス・シャモニーで約1週間、江本ガイドと岩登り訓練。
10/1  富士山 スバルラインから友人と。
12/15  八ヶ岳・南沢大滝で江本ガイドとアイスクライム訓練。
    (ここは同時期に登山用品店・カモシカが新入社員研修を実施した場所)
1/4  富士山 富士吉田・馬返しより。
1/19  甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根より。
2/18  八ヶ岳・赤岳で、花谷ガイドとラッセル訓練。
イメージ 6
訓練中の栗城 意味の無いデカスノーシュー・ピッケルは背負ったまま。
ラッセル経験者は、何が言いたいか?判るでしょう~
同行の花谷って、そこそこのガイドと思ってたが・・・
3/4   八ヶ岳・美濃戸から赤岳周辺で、花谷ガイドと岩稜訓練。


この一年を見て、エベレスト北壁を目指す者らしい山行は、甲斐駒のみ。
栗城の弱点である氷登攀の訓練は、カモシカ新入社員の研修と同レベルです。
また弱点のラッセル訓練も、積雪の少ない八ヶ岳・・・何故越後の山に行かない!!!
これ位の山行で、エベレスト北壁が登れるなら楽勝である・・・
これ以上の厳しい山行を、日々繰り返してる登山愛好家はゴマンと居る。
栗城 かなり考えが甘いのでは・・・・

イメージ 1
イメージ 2
頭がデカイのか? メットが小さいのか? これでは何の役にも立たない。
手袋も指が無いのに切り詰めもせず・・・ビロビロして邪魔だろうに。

イメージ 3
流登山家のメット姿、山野井泰史氏。
栗城 こう冠らないと意味が無いのよ・・・


さて、栗城が始動しました・・・・

21日付けの栗城FBより(黒字全文)
「高所順応訓練で6000mの山に向かいます」
皆さんこんばんは!
今日からヒマラヤの高所順応訓練に向かいます。
今ままで8000m以上の山に向かう前に低酸素室でのトレーニングをしていましたが、8000mの世界は低酸素だけではなく気圧も低くなるため高所に順応しやすい身体を作るには、やはり現地が一番だと考えました。
この時期は講演や研修のお仕事が重なることが多いですが、ヒマラヤに集中します。
今、エベレストに向けて着々と準備してます
行ってきます

これを見て、?????が2点ほど・・・・
①高所順応の為に、6000mの山に往くと言う。

 そして一度帰り、エベレストに向かうと・・・・順応の為の旅費が無駄。
 どうせ信者から集めた、お布施だからか・・・
 何故、今からヒマラヤに入り順応しないのか???? 
 仮に順応出来ても、海抜0mの東京に戻り、ダラダラしてたら順応の意味無し。
 6000mに登り、その足で5000mのBCに入ってこそ意味が有るのに・・・・

②今まで低酸素室だけで訓練してた??? 余りにもお粗末過ぎる・・・

 高所は酸素濃度が減るのは当然、5000mでは約1/2・8000mでは約1/3に減。
 更に高所ほど、気圧が低下する。
 平地で1000hpa(ヘクトパスカル)だと、5千mは約500hpa・8千mは約350hpa。
 徐々に高度に身体を慣らして往かないと、当然浮腫みが出ます。それがこの画。
 高山病の症状の一つです。(体内の無駄な水分を、排出出来ないのだ。)
イメージ 4
イメージ 5
’16年春季・アンナブルナ南壁BCに、ヘリで降りた時の姿。
標高1200mのカトマンズから一気に5000mに往くと、
低気圧に慣れて無い為の浮腫み、まるで別人だ・・・
水を鱈腹飲み、利尿剤を飲む事で改善される。

これで、栗城が過去に初期高所順応に失敗した、原因が判りました。
低酸素だけが頭に有り、低気圧への対応を考えて無かった〝自称 登山家〟だ。

低酸素&減圧室で、山の高度に併せて 低酸素への対応と、
低気圧への対応を、同時にしないと意味がないのだ・・・・今頃気付いたか・・・・

しかし、何処の・どの山で訓練し、いつ帰るかを公表しないのは栗城らしい。
帰国後に、どんな発表をするか、楽しみである。

↑このページのトップヘ