海彦・山彦の白秋日記

八幡平の樹氷(2025.2.2)

カテゴリ: 平出・中島 K2西壁

7月28日
27日、K2(8611m)の7500m付近で、邦人男性2名が滑落、安否不明と言う。
パキスタン軍のヘリが、2名を確認したが、動いていないらしい・・・
7000m付近との情報も有るが・・・当然、アンザイレンをしてた筈だ・・・

西壁からの登頂を目指していた、平出・中島隊と思われる。
共に、ピオレドール賞を複数回受賞した、世界的アルパインクライマーだが、
下見の試登から、6年越しの夢が果たせずに・・・
救助隊が向かうと言うが、其れなりの難関壁だ・・・無事、収容出来れば良いが・・・

目視で判り易くする為に、手持ちの地図で説明する。
K2周辺の概念図1/20万
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西壁は、サボイア氷河の源流域。

k2詳細概念図 西壁とは、北西稜と西稜に囲まれた範囲を言う。
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コンコルディアまでは、トレックツァーで素人でも体力有り・高度順応出来れば到達可。
隊は、K2BCを設置後、サボイア氷河奥にABCを設置。

K2の航空写真1/8万
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西壁は、影の部分。


K2西壁の画像
1997年に西稜から登頂を目指していた、日本山岳会東海支部が、岩稜に行き詰まり、
100m懸垂下降して西壁の第1雪田に降り、西壁を横断して北西稜から登頂。(破線)

K2
K2での日本隊は、過去極地法(ポーラーメソッド)での登山が主流だった。
山野井泰史氏が、2000年に
南南東稜から、2日半で無酸素・単独で登頂に成功。
それ以来の、アルパインスタイルでの挑戦だった・・・
8000m峰を極地法では無く、アルパインでと言う動きは、約50年前に芽生え、
欧米では今や主流に為ったが・・・山野井氏以降、24年目にして現れた2人だった・・・

この夏のカラコルムでの邦人遭難が多い。
スパンテーク(7027m)で、6月に平岡隊2名(滑落)・7月に1名(登頂後クレバスに転落)


29日 追記 石井スポーツ遭難対策本部発表より以下抜粋(情報が有り次第、追記します)

27日  9:30 平出より、C2上部へ日帰り偵察する連絡が入る。
   11:30 平出・中島が7000m地点から滑落の一報が入る。

28日 11:30 BCより連絡有り
    昨日ヘリで現場確認、2名の位置を特定、困難な斜面で簡単には行けない。
    救助法を検討中。

29日  現在現地での救助に関して、新しい情報無し。
     遭難地点へは、クライマーでないと難しいとの情報。
     2次遭難も考慮し、慎重に対策を検討中。
     普通、K2で遭難が有れば、K2BCに滞在してる各隊及び、
   隣のブロードピークBCに居る隊に、救助要請をするのが一般的だが・・・
   2人のBCは、K2の裾を半周した処、しかも7000m付近の壁の中だと、
   簡単には近付け無い・・・壁を登るテクも必要となる・・・

       
   17:30更新
      ABCに居た現地スタッフ(撮影隊他)は、BCに戻る。
   今後、救助隊等が必要に為る登攀用具は、ABCに残置。
   引き続きヘリを含め、救助法を現地専門家と検討中。
    ABCとは、BCからC1迄の距離が有る時に設置する、
    中継基地的な役割のCを指します。
    
    夜に、ひょんな事から、K2を舞台にした山岳レスキュー アクション映画の、
            “バーチカル リミット”を観た。山岳娯楽映画は、全てが“臭くて”嫌いなのだが、
            この件も有ってか? 最後まで見入ってしまった・・・
         この話の様に、上手く出来れば良いのだが・・・
    暇な方は、今なら https://www.youtube.com/watch?v=Zzr3QLT9aDgで観れます。
            
30日  9:30更新 BCに戻った撮影隊より
    昨日まで2人を観測してたが、27日時点から動き無し。
    現地に居る他隊から協力の意思が有るが、2次遭難を避ける為、
    ヘリレスキューの専門家の意見を聞いている状況。
    今後、関係者が渡航する予定。
    氷河の上を歩ける者が、今直ぐに渡航しても、ABC着が10日後頃。
    石井スポーツの対応が遅い・・・派遣者には、全権を持たせるべき。
    事故から72時間が経過、救助より収容方法を考える時期に入った・・・
    現地に有るのは軍用の物資運搬ヘリ、吊り上げワイャー等の設備が有るのか?  

          K2 7000mの天気予報を調べて見た・・・  
2024_07300004
      Peak 8612mと為ってるが、K2の事で有る。(標高表示は、国毎に差が有る)
              8月1.2日が風速5/hで微風、ヘリが飛ぶに絶好。壁に接近し易い。
              パキスタンに、アルプス並のレスキュー操縦者が居るのか?も疑問だが・・・
      他日は10mの風が吹く。気温も-6℃位で作業も楽。
              この2日を逃すと、当面ヘリでの収容は無理。

31日 今朝の報道を見ると・・・
   30日の午後2時に、石井スポーツ遭難対策本部が、救出活動の打ち切りを発表。
   ・27日似確認された地点から、2人が動かない。
   ・急斜面で活動が困難。上部に大きな亀裂が有り、崩落の恐れ有り。
   ・家族の同意が有る。
   HPにアクセスが出来ず、詳細不明だが、要旨は以上の様です。

   K2西壁の詳細画像 2007年ロシア隊の画像
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   ロシア隊は、大量の物資・人員・酸素を投入、6ヶ月掛けて3千mの壁にFIXを張り、
   7つのCを設置して登頂。当時流行っていた、ダイレクトルート開拓。

   今回2人が居る地点は、C4の左辺りと思われる。訂正 C2の左辺り。
   2人は、岩壁登攀を避けて、鎌状の
クーロアール伝いに、計画したと思われる。
   理由は①岩壁登攀はギア類が多く(重量)、時間が掛かる。②岩壁は既に登られる。
   鎌状は、雪崩・落石のリスクは有るが、アイススクリュー等のギアが少なくて済む。
   近年の2人の登攀を見ると、スクリュー⇩を多用している・・・
G051AA-1
先端に刃が有り、氷に回転させてアゴまで埋める。
   しかし、天気予報を見て判る通り、7千m付近が-6℃代では、気温が高過ぎる。
   
多分、グサグサの氷壁だったと予想。アイススクリューは固氷ほど良く効くが・・・    
   Topの墜落で中間支点が抜け、 Secondのセルフビレイも飛んたのか・・・

   K2は、急峻ゆえ、死亡率が25%と高く、“非情の山”と呼ばれている。

   今回は本当に、残念な結果だった・・・記憶に残る数々の登攀、ありがとう。
   お2人に合掌   

石井スポーツ遭難対策本部が発表した、K2 平出・中島隊の遭難後の経緯を纏めてみる。

7月27日 遭難の一報が入る。

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C2上部に、偵察を開始した2時間後に7000mから滑落した。2人は、C2に居た様だ。
標高・斜度から、そんなに速くは登れ無い、最大5~600m位登ったのか?

7月28日
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7月29日
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     続報が出る
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7月30日
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15:00。遭難対策本部が14:00に決定したとして、救助活動を終了と発表。
終了の理由は、
①②③
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一連の発表を見ても、シックリ来ずに、何点かの疑問が残っている。
第2バンド直下の7500m付近から滑落
と、27日の発表から+500m上に為っている。
  
さて、どちらが正しいのか? 2時間後に7500mまで登った事に為る。
②BCの位置、通常のK2Bと思うが、ABC・C1・C2の位置・標高が不明。
③滑落事故は、何mで発生し・何mで止まったのか? 
現地の状況として、2枚の画像が添付されているが、説明が無い。

お前ら素人には、経緯と報告だけで良い。と、言われればそれまでだが・・・
     画像1
k2_2024_1
画像1を取り込み、拡大して見ると!!!  手前のセラック帯を目指してる2人が写っている。
k2_2024_1 (2)
画像の右下から雪上にトレース跡が有る。2つのゴマ点の先には、トレース跡無し。
最初に、C2に上がった日の撮影か、降雪後の撮影と思われる。
以後、石井から情報が出なれけば、これが我々が見る2人の最後の画層と為る。

画像2 (画僧1の右上の雪田拡大画像。2枚の撮影日は別、雲の動き。)
k2_2024_3
画像2が、画像1の右上拡大と言う決め手は、左に写る岩の斜め十字。氷崖の形も同じ。

わざわざ添付した画像、これが何を意味しているか? 
画像1は、2人が居る周辺だと思う。

画像2は、その上部の崩落の危険が有ると言う、大きなセラック。
(これをセラックと言うか? 氷崖と呼ぶべきで、積もった雪が、急斜面ゆえ滑り落ちた跡。後に出すロシア隊の画像にも写ってる。)
何の変哲も無い画像だが、取り込み・氷崖下中央を拡大して見た。縦に2つ黒点が・・
k2_2024_3 (4)

この2枚の画像と、2007年ロシア隊の画像と比較して、判った事を・・・少し。

この2枚の画像は、西壁中の何処辺りなのか?
西壁を初登頂した、ロシア隊の画像を見ると・・・多少撮影角度は違うが・・・
nHtCzA0 (2)
拡大して見ると、凹部に顕著な露岩と4角な岩壁。青印に横に走る氷崖が写ってる。
ロシア隊の時、この氷崖は有ったのだ・・・昨日今日出来たのと違い、安定してるのだ。
今々、崩落の恐れ無いと思う。
nHtCzA0
画像1・2が、この位置だと特定出来る。標高6200mの少し上。
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\ロシア隊C2より、遥か下に氷崖(
青印)が有る。
又、
第2バンド直下の7500mから滑落と言う辺りは、青線辺りか?


平出・中島隊のC2の位置は、何処なのか? 
公開されて無いが、上図P1のセラック帯を、抜けた6.2千~6.3千m辺りと思われる。
(氷河が滑り落ちる時、下の岩盤の傾斜が急に為ると、自重で割れなから落ちる。
それがクレバスだが、その溜りをセラック帯、
Ice fall・氷瀑とも言う。)
セラック帯は、崩れ易い上に、ヒドン(隠れ)クレバスが、多く幕営地には不向き。
速やかに、通過しなければならぬ処で、何度も通りたくは無い処。
一般的にCは、セラック帯の下は、崩落の危険が有るので、Cは設置しない。


次に、C2(6千2~300m)から偵察で、2時間掛けて何処まで登ったのか?
27日の第一報では、
7000m付近から滑落と有る。
30日の救助活動終了発表では、
第2バンド直下の7500m付近から滑落と言う。
9:33に、C2上部の日帰り偵察の連絡。11:30に、滑落。
C2(6千2~300m)から、標高差7~800mを、2時間で登って7000m付近。速いが納得。
7500m付近から滑落だと、1200~1300mを2時間で登った事に。考えられ無い速さ!!
もう2.3時間有れば、山頂だ・・・
後から、少し盛ったか? 
キリアンやウィリーなら可能かも知れぬが・・・
日帰りで、荷無しとしても、速過ぎる。
彼等はノーザイル、2人は多分60mザイルをツルベで支点減らした登攀でも・・・
それが原因で、滑落に耐えれなかったかも・・・色々、思いは駆け巡る。

C2の位置が、もっと上なのでは? と言う考え方。
ロシア隊の岩壁伝いと違い、クーロアール(
岩溝桃線が、目指す未踏ルートです。
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上に行く程に急傾斜に為り、落石・雪崩の危険が増す。
このルートを選択したからには、危険は織り込み済みですから、C2は唯一の緩斜面。

敢えて、氷壁中への設置は、考え難いのです・・・

滑落して、何処で止まってるのか? 
図1.2の画像と、ロシア隊の画像から、6500m辺りと思われます。
K2 平出・中島隊 遭難では、ロシア隊C4の左辺りと書いたが、C2の左凹角の辺りか・・・
C2が、もっと上だったとしたら、C2を通り越して滑落、登った以上に落ちた事に為る。
上部の氷塊が崩落の恐れ有りと言うが・・・何とも、残念な結果に・・・


一説に、今回の計画が、23日迄だったと言う話が有る。
今年のK2周辺は、天候が悪く、その為に計画の遅れと焦りが有ったのか・・・
K2の夏シーズンが終わる頃になっても、C2辺りに居たとは・・・

石井スポーツが、もっと情報発信してくれたら、事故の概要が判るのだが・・・
素人考えでは、この程度が限界。

登攀に成功してたら、間違い無く4回目・3回目の“ピオレドール”だった。
少し先を急いだのかナッ、山は逃げなかったのに・・・勝手な事書いて御免。
君達の、ご冥福をお祈りします。 数々の感動ありがとう 合掌

小さい声で、石井に一言
散々、自社取扱い商品の宣伝に使って、この程度の対応・・・

8月8日
7月27日の一報から、早くも10日が過ぎました。
事故を聞き、K2 平出・中島隊 遭難K2西壁 再考してみた・・・と記しが、
釈然としないものが有った・・・

平出・中島隊の所属先の石井スポーツは、事故に関するお知らせを、
HPのTop見出しから外し、平常運転をしています。

2人に関して、色々な方が・色々言ってますが・・・
特に若い時から、親しかった2人の方の、見解を紹介します。
この2人話しに、尽きる様な気がしてます。

大石明弘氏 
共に、大学山岳部の主将の時の秋に、チョー・オュー(8188m)に無酸素登頂。
平出和也のK2西壁遭難と20年前の想い出
https://note.com/energy4life/n/nafaf7a57e8b5

小松由佳氏
東海大山岳部OG・K2登頂者。
K2に逝った先輩を偲んで
https://yukakomatsu.jp/2024/08/02/6305/
t240724_-13-1-1024x951 (2)
小松由佳氏の見解。K2西壁。赤丸が墜落地点と思われる約7000m地点。ここで何があったのか。真相は本人たちでなければ分からないが、個人的には、落石か雪崩に遭ったのではないかと考えている。

石井スポーツに一言
【重要なお知らせ】として経緯を公表してるが、これで事故報告書に為るのか?
登山用品販売で飯を喰う店なら、過去の大学山岳部や社会人山岳会の事故報告書を参考に、計画の経緯・日別動向・事故経緯等を、公表する責務が有るのでは?
昔の様に文書の必要は無い、撮影隊の映像含めNetでOKな時代だ。
一文の最後に、
平出和也、中島健郎、両名の活躍を称えるとともに、可能な限り支援を続けてまいります。と言ってるが、“可能な限りの支援”とは、最低でも家族の元に帰してあげる努力をする事。

毎年の夏に、捜索隊を派遣し、山麓で可能な限りの収容努力をする。
大変な事だが、派遣先の責任で有る。
所属アスリートとして、広告塔に使って来た経緯が有るから・・・

8月17日
K2西壁で、新ルートからの登頂を目指していた、平出・中島隊が7月27日に滑落遭難。
所属先の石井スポーツは、4日後の7月30日に、早々と救助活動の終了を文書で発表。
末尾に、多方面には多くのご心配をおかけしましたが、上記にて報告を終わります。と。
余りにも早い打ち切りの結論に、モヤモヤ感だけが残っていた・・・

情報源は、全て第三者。①撮影隊②ヘリパイロット③K2に居た別隊の隊長
石井関係者のBCキーパーは、衛星電話で本部と遣り取りしたのみの結論。
急遽ABCに入り、確認するのが遠征登山の常識だが、ただの電話番だった様だ・・・

山道具を売る店らしからぬ対応に、以下の3記事を拙BlogにUpした。
K2 平出・中島隊 遭難K2西壁 再考してみたK2西壁事故 後書

余りにも御粗末な対応に、何故?と思ったが・・・
考えて見れば、現石井の社長は山知らずの、写真屋出のボンが兼務なのだ。
当然、遭難対策本部の本部長も兼務、商い上の負は、早く忘れ去りたかったのか?

それにしては今だに、“お知らせ”の中で、使ったて有ろう登山用品をクリックすると、
ヨドバシ・ドットコムの購入ページに飛ぶ不思議。石井のHPでは無いのだ・・・
用具メーカーも載ってるが、今回のEventに協賛金を、毟り取られたのだろう~

今日17日、山渓On lineに、2人と交流が有った、柏 澄子氏が“軌跡をたどる”と寄稿⇩。
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=3411&pg=1
今迄、不明だった計画や行程が、少し見えて来た。

これに拠り判った事は、
6月11日 2人がイスラマバードで落合う。(同日出発が出来なかった様だ)
6月23日 サボイア氷河末端に、BC設置。(本来のK2BCより近い)
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その後 5700mにABC設置。7月上旬~中旬は悪天候で停滞多し、下旬から天候回復。
約1ヶ月の間、行動が出来なかった様です。これにより、夏季最後の一発勝負に賭けた。
7月24日 9日間の登攀予定で、ABCに入る。
7月25日 C1 6500m
7月26日 C2 標高不明(多分、前述のロシア隊C2と同じ処か?)
7月27日 上部偵察⇒滑落(7500mからか? 7000mなのか? 依然、謎・・・)

計画では、29日 登頂。8月1日 BCに帰還。
下山路は不明だが、西壁を懸垂下降する事は、ピッチの回数から考え難い。
残置FIXの有る、南南東リブを予定してたのかも?
それにしても、下山に3日間の予定とは・・・?

石井が、臭いものに蓋的に、
上記にて報告を終わります。
と言い、ダンマリを決め込んても、徐々に情報は出て来るのだ・・・

撮影隊は、NHKとの噂も有る、その映像は? まさか石井が公開した2枚のみ・・・
“皆様の公共放送”と言い、無理矢理集めた受信料を使った取材なら、公開するべきでは?

8月22日
先月27日に平出・中島隊が、K2西壁で滑落。
所属先の石井スポーツは、4日後の30日に、HPで救助活動終了を発表。
余りにも早く・上記にて報告を終わると記載。

詳細が判らずだったが、拙Blogで、下記4記事を書いた・・・
K2 平出・中島隊 遭難K2西壁 再考してみたK2西壁事故 後書K2西壁遭難・少し見えて来る

事故から約1ヶ月が過ぎた今日(22日 14:30)にK2西壁遠征最終の報告として、
以下を発表。
2024年7月27日、平出和也と中島健郎によるK2西壁未踏峰ルートのチャレンジは、両名の滑落という事故により終了することとなりました。
下記報告をご心配をおかけした方々へ向けた最終報告として、今回のK2プロジェクトを終わりたいと思います。
両名は数々の未踏ルートにチャレンジし、日本のみならず世界の登山界に大きな功績を残しております。
その成果は私たちにも大きな影響を与え、多くの人々から敬愛され信頼をされておりました。
平出和也と中島健郎が遺した功績は、これからも登山業界の指針となり続けます。
ここに両名の活躍を称え、追悼の意を表します。


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これを読んて・・・あいも変わらず、27日の事故発生からの経緯のみの記載。
6月23日にBC入りしてから、事故前日の26日迄の、2人の行動に一切触れられて無し。
それで、最終報告と言う・・・
登山業界で長年商いしてて、他の遭難報告書を読んだ事も無いのか? ま~良しとして。

この報告書の中での事から・・・新事実。
①2人は、コンテで行動してたと有る。
②C2発が5:30、滑落が7:00。1時間半で約50m登攀。(状況が悪かった事が判る。)
C2(7500m)から左上して、約7550mからの滑落を目視。
ヘリで2人の位置を確認、約6300mに在り。
⑤隊の構成2人+6名(撮影隊2・エージェント2・高所ポーター1・リェゾン1)


新事実に付いての私見
①滑れば、1250mも滑落する斜面を、コンテ(同時)で登攀とは・・・
 自信過剰・慢心?  高度障害で、注意・判断力が、散漫・欠如?
 スタカット(隔時)で・支点を取って・登ってれば、死なずに済んでたかも・・・

石井関係者が0な不思議、これでは話に為らない構成。
 結果、撮影隊・他隊隊長の話を、電話で聞いただけで、在京で判断。
 高所ポーターは、BC⇔ABCの運搬、撮影隊のフォローか? 
 仮に、ボトルネック等に、ルート工作が出来るレベルの、高所ポーターが2人居たら、
 6300mから引摺り出せたかも・・・
 エージェント(
代理店)は、登山許可申請・往復路のポーター手配等。2人も必要か?
 リエゾンは政府派遣の監視役、申請以外の山・越境等の監視。どの隊にも1人付く。
 山を歩けるのは、高所ポーター1名のみ。この他にBC・ABCに飯炊き要員が居たと思う。


事故の原因を知り、初歩的なミスに、何とも残念な結末。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記(24年11月1日)
2023年度のピオレトール賞に両氏が受賞決定
2023年7月に、パキスタンに位置する標高7708mのティリチミールに、
未踏北壁から登頂に成功。その功績が評価。同賞の受賞は、平出4回目、中島3回目となる。

記憶では、存命者に付与する賞だと思って居たが・・・
2023年中の登攀は、2024年に審査をするので、今の発表に為る様である。
授賞式は12月末、遺族が出席するらしいが・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記(24年12月22日)
久し振りに、石井のHPを見たが・・・【K2関連】の記述を探すのが、大変だった。
危うく見逃す処だったが、片隅の更に片隅に有った・・・
報道で、ピオレの授賞式に、遺族が出たとか ヨドバシ本社での、お別れ会等は知ってたが、
HPにはいっさい記載なし。
人の噂も七十五日・臭いものに蓋、と言う例えも有るが・・・商いに、爆進中です。

仮に、Kが成功してたら? 雲泥の差の扱いでしょうねぇ・・・
駄目元で挑んで見たかった平出、付き合わされた中島、これを絶好の商機と見た石井。
今に為って見ると・・・ケンロウ君が不憫です。


3月22日
今夜6時からBSで、昨年7月末にK2西壁の事故の様子が放映された。

撮影隊が同行してた事は知られていたが、予想通りNHKだった・・・
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放送を見て、事故後に所属していた、石井の経緯・最終報告に無い、事実を知った。
???と思った点が有るが、映像を録ったので、再度見直し・日を追って記したいと思う。

K2西壁事故・NHKの放送を見た!【Ⅱ】に続く

3月23日
中々天候が安定しない・・・昨日は、北八甲田で山スキーを予定して居たが・・・
強風予報で中止にした。八甲田ロープのHPで、25m以上の風の為終日運休と告知。
納得しつつも悶々としながら、6時からのNHK BS
放送を待つ。

今日、録画を再生して・・・石井のHPで未公開の事や、報道で語られて無い事を知る。
以下 時系列で・・・

6月22日 バルトロ氷河分岐のコンコルディア(4650m)に着く。
6月23日 サボイア氷河末端の4950mに、K2 BCを設置。
6月24日~27日 悪天候で停滞。
6月28日 サボイア氷河を4時間半登り、5670mにABC設置。
       映像で見る限り、氷河末端は思っていた以上に荒れている。
6月29日 ABCからC1予定地を偵察、6500mにデポ。ABCに戻る。
6月30日 ABCから4時間半でデポ地着。7000m付近迄偵察し、C1泊。
7月  1日 C1⇒ 第1バンド⇒第1雪田7300m迄偵察 し、2時間半でC1に戻る。
7月  2日 C1からBCに戻る。
7月  3日~13日 悪天候で停滞。
      この時、山頂がゴールでは無く、8300m迄の空白部を埋める事に目標変更?
      何故なら8300m⇔山頂は、1997年日本山岳会東海支部が西稜経由で踏破済み。

7月14日 1次アタックの為、BC⇒ABC。
7月15日 ABCで停滞。
7月16日
 9日分の食料他を持ち、4時間半でC1へ。しかしC1を発見出来ず、ABCに戻る。
      BCで停滞中の悪天候で、テントが埋まったか? 流されたか? 目印無しは雑。
7月17日 ABC⇒BCに戻る。
7月18日~23日 悪天候で停滞。
この間に、平出談「カッコ良く、終わりたい」と、発言。
7月24日 2次アタックの為、BC⇒ABC。
      BCを発つ際の会話で、「気をつけて」と女の声が入る。
      8人全員が男と思って居たが、女が居た。NHKの撮影隊の1人に違いない。
7月25日 ABC⇒C1
7月26日 C1から7時間登り、7500mにC2設置。

7月27日 C2から上部偵察に。第2バンド入口の“喉”で画像が終了。(画像は鮮明、
      そのシーンも映ってたはずです。)     

8b41f7fd-s
時系列は以上。映像を見て、思った事・・・
◎NHKが同行してるので、超望遠での登攀画像を期待したが、殆どはメット画像。
◎サボイア氷河上部の雪原で、大型スノーシューを使っていた。7年前の偵察の賜物か?
◎K2出発前の中島談。「寝れない夜が続く、何故危ない思いをして・・・」と、流涙。
◎平出談。出国前に「8000mで未踏のルートが有る。
    心技体が整った、このタイミングで遣らず、何時遣るのか?」と・・・豪語。
 BCで停滞中に、「
山頂がゴールでは無く、8300m迄の空白部を埋める事」と発言。
 ???ゴールはBCのはすだが・・・現地で目標変更? この時点で、遠征は失敗です。
 既に45歳、体力的な・・・山野井泰史は、50歳に為ると若い頃の体力の1/10だと、
 自嘲気味に話していたが、平出は少し先を急ぎ過ぎたのでは・・・
 山岳界からは、8000mの壁の経験が無く、いきなりK2とは? との声も有った・・・
 また、アルパインを志向しながら、極地法的登り方に異論も・・・
 小生は、登山法は兎も角、C1を失う・目標変更時点で、撤退出来ぬシガラミに無念感。
◎中島の一面。
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2008年から今回の遠征まで16年間に、64冊の山行メモを残していたそうだ・・・
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今回のメモの一部、現地で書いている。ルート図のメモも。ABCに置いて行った物か?
彼の几帳面さが、伺える。惜しい登山家を亡くしたと思う・・・

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